2014年12月31日水曜日

大晦日に洗う

大晦日だ。特に予定は入っていない。ただし病院から気になっている患者の採血検査データを看護師から聞き電話での指示出しをした。今回は休み期間が5日間もあり途中検査が必要だった。午前中には料亭「高いってヨ」からのお節料理が届いた。これも恒例になりつつある。昼前は時間もあって撮りだめしたビデオを消費することにした。ハードディスクを圧迫しつつあるからこの機会に減らしておかなくちゃ。

その中で何気なく録画していた「日本の病院のここがすごい」は医療のプロ外人さん3人が日本訪問し外国と違う医療システムを実証検分する番組で面白かった。日本では当たり前と思われていることが諸外国ではいかに違うかがテーマで、だいたいにおいて日本のシステムが優れていることがよく分かるのである。例えば日本では大病院でも基本的に誰でもいつでも受診出来るがアメリカでもドイツでもそうではないというのがまず一般人は知らない。それとアメリカで虫垂炎の手術を受けると何百万円にもなるが日本では数万円で済むことなど医療経済もかなり違う点などわかりやすく指摘していた。モデルになった病院は千葉の総合病院と東京の救急病院であったが見ていて青雲会病院も規模の差こそあれ日本代表とそんなに差がないと分かった。救急外来内に救急用のCT室がある設定をアメリカの救急医療Drが「これはいいですねぇ」と感心していたがその他にもうちにもあるしーうちでもやっているしーと何度も肯くことしきりだった。

夜はゲンちゃんへの強制シャンプーをした。年に数回のシャンプー掛けでこれをゲンちゃんは嫌がる。幼いころはすぐに捕まえて風呂場でシャワーの洗礼を浴びせたもの近頃は賢くなって逃げ回る。それでも子どもと追い詰め風呂場に閉じ込めた後、猫用シャンプーでしっかり洗ってあげた。ぎゃーぎゃー言って浴室ドアに前足かけても無駄だよゲンちゃん。荒い終わったらドライヤーで乾かしようやく解放されたね。顔を近づけるとふんわかしいい香りもする。首輪も新調し、さあいよいよ新年がやって来るよ。2014年も無事終わり新たな年がやって来るぞー。

2014年12月30日火曜日

ウイスキーはお好きー?

予定外に休みになったので中央駅のアミュプラザに買い物に出かけた。びっくりカメラ店に行き、貯めたカードポイント使ってシェーバーの外刃やプリンターのインク、電池など消耗品を買おうというわけ。次いでに新調されたビルの東急ハンズにも初めて行ってみた。で、分かったことは私には興味のないものが多い店だということ。唯一最上階に猫用グッズがあってゲンちゃん相手に面白そうなものがあったが結局買わなかった。

帰宅するとテルの体調が悪く39℃も熱があったという。どうもインフルエンザっぽい症状だ。あまりのタミフルあり他に解熱剤、脱水対策用のOS1など飲ませた。ゼリーもあってそれは期限切れだったけど問題ないだろう。テルは口渇もあってか一気に2個も飲み込んだよ。(翌日にはかなり改善していたからやはりインフルだったかも)

夜、「マッサン」の影響でウイスキーの話題になり、カールが「うちにはもらい物がいくつか眠っている」と切り出し、そのうち「誰も飲まないから料理用にちまちまと使っているのがある」と取り出してきた。「グレンフィディック15年もの」とある。スコッチウイスキーでビンの形からすると悪いものではなさそう。「試しに飲んでみる?」というので小さなコップに注いでみた。香りをかぐとふーむなかなかいい感じ。ちびりと口に入れてみるとあまりウイスキーを知らない私だが昔飲んで(飲まされて)いたオールドより遥かに味わい深いいい味がした。「へー、ウイスキーもいいもんだね」これが久しぶりに味わったウイスキーの感想だ。ネットで調べると「グレンフィディック15年のリッチで幾重にも積み重なった複雑な味わいはシェリー樽・バーボン樽・そし新樽の3つの個性的な樽で熟成されることで生み出されます。その原酒をシェリーの製法と同様のソレラシステムで熟成。このソレラ樽は決して空にされることはなく年々、複雑で豊かな円熟味を増した味わいを生み出しています。」なんだそうだ。ここまで語る能力は私にはないがいいものだとは分かった。100年ほど前にマッサンが惚れ込み日本でのウイスキー作りを始めたいと思ったのも肯ける。学生時代に飲んでいたのは安物だったからやね。まだ開けていないのが数本ある(10年20年前に患者さんからもらったものだ)のでいずれかの機会にちびりとやってみよう。

2014年12月29日月曜日

御用納めは大忙し

朝、子どもに起こされた。チッチかなと思ったが何と深夜帰郷したばかりのテルだった。やっと帰ってきたか。

青雲会病院は今日が御用納めの日で午前まで外来、午後はラブカメ先生の1年のまとめの講演がある。講演のスライドには私の撮りだめした写真が使われるので当然聴きたいところだが例年この日は忙しいことが多く途中入室になりすべてを聴けないことが多い。しかし今日はその上を行き内視鏡が緊急検査も入って15時半までかかりちょうど終わったところだった。もっとも忙しかったのは私だけでなく、外来は理事長以下みんなバタバタで私が外来を出るときに信号Drはまだ診察室にいて昼食も摂れなかったらしい。講演は忘年会動画の受けがよかったとか。え、私と川の秋管理栄養士のツーショットもお見合い写真みたいで受けていたって?うう、見てみたかったよー。

3人で明日私が休みになったので急遽夕方から今年最後の麻雀をした。相手はジャズ魔、サブアラド、見せたまえでこれはもう恒例になっているが見せたまえDrが半荘3回目でまたまた途中退室になった。お産はいつやってくるか分からず生まれそうと連絡が入れば急いでクリニックに向かわねばならない。私はまたあちこち電話をし開けたいゾMRにまずするも直ぐに出ず家でくつろいでいたダイボDrには連絡がついた。実は彼は明日仕事があるため「他の人を面子にしていいよ」と遠慮していた。しかし急変代役OKでこっちに向かうという。やれやれ助かったと思った間もなく開けたいゾ君からも返信があった。それがちょうどヒマで夜の散歩をしていてぜひ打ちたいと言う。ううむ、だったら彼の方が良かったがすでにダイボDrに連絡がつきその気になって来ようとしている。残念だがまたの機会にというしかない。そして明日は仕事というのにダイボ君、12時過ぎても残ってくれしっかり勝って帰って行った。最近ずっと彼は勝っている。なにかかにや言って本当は打ちたかったんだなぁ。

2014年12月28日日曜日

あきらめるくも膜下出血

何回か起こされた夜も明けようかという頃、救急患者が来た。やれやれこれで今回の当直業務も最後にしてくれよなー。

運ばれて来たのは80代の女性で午前7時頃トイレで倒れる音がして家族が見に行ったら意識不明となっていたという。女性は日頃は近隣の内科クリニックに高血圧、糖尿病などで通院していた。救急隊からの連絡では血圧が何と240/140とあり得ない高さでこれは脳血管障害でまず間違いないだろう。意識レベルは300、つまりは心肺は動くも何の反応もない状態で脳梗塞よりは脳出血その中でもくも膜下出血あたりが怪しい。到着後、外来救急室内にあるCT室に即入れ撮影すると案の定ひどいくも膜下出血だった。これは・・。シマッチ院長に電話連絡し病態報告し遠隔で画像を見てもらった。診断はやはりくも膜下出血で「これは入院させるけどほとんどお看取りするしかないな」とのこと。くも膜下出血は歩いて来る人からこのように救急車意識不明まで程度は様々だ。急激でかつ意識がないほど重症で助かる率も下がると思ってよい。気管内挿管し人工呼吸器につなぎ入院指示を出し家族に院長が語ったとおりを説明した。家族はショックだろうが高齢で病気がち故に覚悟し肯いていた。だがこれが40才代で働き盛りだったらそう単純には運ばない。1年ほど前にそうした事例があった。

その人は救急車で運ばれ呼吸も心臓も止まりそうだったのをシマッチ院長が緊急気管内挿管し心臓マッサージでどうにかその場はしのいだものの、結局数日後には亡くなった。少しでも生きている時間があり家族も残された時間を看取ることが出来たが、案に反し「手術が出来る病院に転送しなかった」「いや、このケースで手術をする病院などどこにもない」「(手術を)しないのは何か都合が悪いことを隠しているからではないか」「他院の専門医にも確認したが私たちと同じ方針だと言っている」と説明しても目の前の事実が受け入れがたいために矛先を(即死に近いのを助けてやったはずの)病院に向けてきたのだ。院長は大人の対応をし最終的には分かってもらえたという。私など家族の当初の反応を聞いた時には怒鳴り返したいと思ったほど。気管内挿管実施時はいっしょに手伝い院長がいかに素早く即死状態を復活させたかを見ていたからだ。小家族主体の昨今は祖父母などの死に接することが少なくなり死ぬことが実感できない人が増えているに違いない。また、病院に行きさえすれば何でも助かるとの幻想を抱いてはいやしないだろうか。治せない病気、治せない外傷などいっぱいあるのだ。死は誰しも嫌だし考えたくはないが誰にでも起こることゆえ死生観を持つことは大事だ。自分がこのようなくも膜下出血になったらその時はあきらめ家族の見守る中で静かに亡くなることを覚悟しよう。

2014年12月27日土曜日

「四苦八苦タイム」

さて土曜勤務に引き続いて当直へ突入、忙しい状況が続いたわけだが、滅多にない有り難い話をもらった。ブックリバーDrが12月30日の私の当直を代わってくれるということなんだ。しかも彼の当直日(1月1日)と交代しなくてもよいという。彼は都合で12月29日を休むため休みに入る30日には患者の指示出し、事務処理などで病院に来なくてはならずしかも時間もかかることからどうせなら当直もした方がいいと判断したとのこと。私はこの1週間で3回当直ときついなあと思っていたので実に有り難かった。そんなわけで今日は仕事でも気分は軽くなったよ。

いろんな患者が来たが今日一番強烈だったのは20才代の働く女性の言動だった。風邪症状で夜になって来院しており、発熱もひどくなくしかも微熱や風邪症状があったのは1週間も前のことでわざわざこの時間帯に来たのはインフルエンザでも心配したのかと推測した。するとやはり調べてくれとのことでほい来たと検査キットで調べ結果を待った。反応は陰性、症状からしてもインフルエンザっぽくはない。それでせっかく来院しているので何か処方をしようとすると、近くの精神科病院でその手の薬はもらっているという。は?ではただインフル心配で来ただけなのと少々と呆れると、「勤め先が体調悪いので休ませてくれといってもさせてもらえず、インフルエンザなら(仕方なく)休ませてくれる」とのことで来たという。風邪などで体調悪く休み希望すればたいていの職場は休ませてくれるはず、私は思わず「おたくの職場、ブラックなの」と尋ねた。「いや、スタッフが口が上手くて『自分らの時は40℃の熱でも出てきたもんだ』とかでなかなか休ませてくれず、下手に休めば罰金もあるんです」とのこと。「それはブラック企業そのものじゃないの。普通、体調不良者は休むのが当たり前で職場もそれを認めるのが当然でしょう」と言った。「そうなんですか」とはあなたもずいぶん人がいい。

本人曰く接客業とは夜の商売でホステスをしていると思われた。休むには医師の診断書があれば可能だろうと数千円お金掛かるがいいかと言うとそうして下さいとのこと。で、かくかくの症状あり休みが必要と私は書き始めた。そして何げに「いったいなんていう店なの」と聞いてからだ、本日一番の驚愕、抱腹、呆然、同情の嵐が吹き荒れたのは。

救急対応室で「店の名前は『四苦八苦タイム』といってー」と語り始め、ひょうひょうとした口調で「店の中ではお触りもあるんです」といきなりだった。ええ?!「上半身裸で男の人にまたがってぇー、ディープキスをしたりー」おいおい、それってエッチなキャバクラじゃないの。私は目を丸くした。天然ボケなのか女の子が言うには恥ずかしいことを何のてらいもなくしゃべるのだ。隣にいたネークチダ看護師は笑いをこらえきれず診察室へ隠れてしまった。

私もいろいろ突っ込みを入れたかったが、でもその後語った内容にそんな気も失せた。彼女が言うには、精神科にも入院したりして生活保護も受けているが母子家庭でお母さんに迷惑をかけられない。その店で2ヶ月頑張って働いていてあと4ヶ月頑張ればそこから抜け出せる。でもこの1週間はきつくて休みたいが休ませてもらえず困ってここに来たのだ、と。ううむ、そうか。傍からは眉をひそめるような仕事でも訳あって頑張っているのだな。営業は12月30日までだそうでその日まで休みを取りたいというのでそこまで安静休養が必要と書いた。身を削るような環境にあるゆえ何とか頑張って欲しいと思った。

診察が終わり一旦医局に帰り、しばし後、また別の患者で呼ばれた際に、ネークチダ君が「先生、ホームページで四苦八苦タイムを見てみたら彼女の源氏名がありましたよ」と言ってきた。へー。それで医局で私もアクセスしてみた。そこには写真があるも顔にぼかしが入り、身長、体型、ボーイの一口紹介コメントが添えられていた。その内容を見ると彼女で間違いなかった。西日本で幅広くチェーン店を展開しているだけあっていい加減なウソはついていないようだ。そして女の子の出勤状況も出ていた。なんと、彼女は出勤していた。ネークチダ君に言うと、帰り際に店の人とやり合っていて休ませてくれそうにないと言っていたとか。何より休めば罰金支払いもあるから押し切られたのか。私の診断書もなめられたものよ。

女性が半ば体を売り笑顔で接客する裏には苦しみ悲しみがある。こんな事情を知れば行く気も失せる(もっとも行ったことなどないのだが)。また、ホームページには別の源氏名に青雲会病院の某看護師と同じ名前があって彼女ではないと分かっていてもすごく嫌な気分になった。自分の娘がいたら絶対に働かせたくはないはず。彼女のこういう世界からの早い脱却を願うばかりだ。

2014年12月26日金曜日

プロポーズ女医

カールがママ友のバンブックさんとばったり会い「絵手紙での年賀状送るからね」と言ったところ、それではなくて家族写真入りのいつものやつがいいと言われたそうだ。去年絵手紙年賀状を送ったらその時にも彼女は写真年賀状を所望したのだった。えへへ、これは私の勝ちだな。毎回画像処理したのを楽しみにしているそうで確か2001年の年賀状ではテルの体の一部をボウリングのピンに見立てたのを幼なじみのユリイカちゃんが大笑いしたとか感想を言ってくれたりもした。毎年ああでもないこうでもないと頭をひねっているのが報われたわい。

Facebookによると、あのヒラメグDrがイギリスの地で彼氏にプロポーズされたらしい。クリスマスに告白されたのかしらん。うれしくてネットに書き込むとすぐにコメントが殺到したようで制限がかかったもののともかくもめでたいことだ。結婚にはちょっと遅すぎるくらいだがまずは一歩前進したことを祝福しよう。

夜は串木野トリオリーグ。コンピロ君はもういないし海広しDrも今日は都合悪くアンカーさんとサキシゲさんが来てくれた。それぞれのアベレージは低いが3ゲーム目などうまくかみ合いチームで266出てポイントも取りまずまずの結果だった。これで今年は投げ納めだ。また来年もボウリングは続く・・。もう本当に年末だなぁ。

2014年12月25日木曜日

おうちでクリスマス

昨日セージが帰郷していて今夜家族でクリスマスの食事をした。カールがスープ、チキンの丸焼き、シフォンケーキ、ピザと全部手作りで準備した。買ったのは刺身とスパークリングワインくらいか。チキンなどみんなで切り裂いて食べ尽くし十分なおいしさでこれを店で買えば5倍くらいの値段になるというからとってもお得だ。カールは料理が出来ないというイメージをなぜか持っている人が多いがとんでもない間違いだ。

セージが帰ってきて、つぶらなカボスとすっきりスダチ、オロナミンCなどお歳暮飲料が一気に減ってきた。そればかりでなくご飯も2杯目をおかわりするから米の消費が早くなる。大食いの私でさえ「え、そんなに食べるの」と驚く。それでいてまだスリムな体型だ。若いっていいわ。テルが数日後に帰って来る予定で一人いないのがさみしいものの久々にそろって食事出来てやはりうれしかったな。

2014年12月24日水曜日

雑魚狩り

♪きっと君は来な~い、一人きりのクリスマスイブ~

そう今夜はクリスマスイブ。でも一人きりの当直なのだ。もっとも当直看護師の有信君もいるにはいるがー。大学からの当直医の都合が悪くなって私が当直することになった。こんな時にいっぱい患者が来るのかなーと少し心配していたら何と夕方7時にめまいの患者が来て以降は何もなかった。みんなクリスマスイブでいい夜を過ごしていたに違いない・・。

割に時間があったもネット麻雀するわけにもいかずサブアラドDrのを観戦などしていたらそうだサブアカウントの級位者「こてる」で打てば急患で呼ばれても後はツモ切り状態にして負けてもさほどポイント的に痛くないと思い、一般卓(主に級位者が集まる卓で参加者は多い)で打ってみた。8級の雀士こてるだが内実は7段のデルバラドというわけ。相手は5級、初参加の新人さん二人だった。私は起家でまず軽く2900を上がり次ぎは下家の新人さんのリーチをかいくぐって追っかけリーチし一発ツモで親マン、さらに次はダマ聴のタンピンと3連続上がりして早くもトップほぼ確定の雰囲気になった。この後は上家の新人さんが子の満貫上がるも次から次へと私が上がり4連続和了と上がりすぎ状態。役は1ハン2ハンの安手だが早上がりで相手のチャンス手をつぶす意味もあり大きいのだ。この後も安手を上がりまくりオーラスまで行き当然のごとくトップで終わった。振り返れば10回も上がって振り込みはなし、まさに完勝。ううむ、弱い者いじめだったかな。

鳳凰卓ではこんなパターンは100%あり得ない。半荘に3回でも上がればいい方である。この勝ちで7級に進級した。こんな麻雀もたまには息抜きにいいかぁ。例えは悪いが天鳳ではこのような行為を雑魚狩りというらしい。そんなつもりではなかったんですけどなー(^ ^;。

2014年12月23日火曜日

年賀状作り実況

祝日休みの朝、散髪に行き、帰宅後じっと2015年版の年賀状作りに沈んだ。私の場合、流れ作業では出来ない。とにかく年賀状デザインのアイデアが湧いてこないと取りかかれない。これに毎年悩む。さらっとアイデアが浮かべば後はそれにふさわしい写真を撮ったりネットで探したりして画像処理するだけで済む。こてる日記の表紙にもなっている2002年の「家族馬」はそうして出来て、年賀状を受け取った人から最も受けがよかったものの一つだ。まれに家族でポーズを取りほとんど画像処理なしで済ませ意外に喜んでもらえたこともある。2009年の「スッキリ家族」がそれでこれはこてる日記の背景に使っている。いいアイデアが浮かばずごちゃごちゃコラージュした時は今一だ。来年の干支やイベントにちなんで面白い絵が出来ないかと考えても一向に湧いてこない。

それで今年撮った写真を年頭からさらさらと見ていった。まず家族5人がそろった写真でいいのが1枚ありこれは使うことにした。私の年賀状で常に守る鉄則が全員を載せるということだからこれでそれはOK。もう一つはボウリングネタを入れるということでこれはいざとなれば2015年の1をピンに見立てることで解決できる。あとはもらって見てクスッと笑えるコラージュ画像だ。撮りだめ写真を見ているうちにチッチの最後の運動会でのゴールシーンが良さそうと思い立った。実は写真では撮っておらずデジカメ動画を切り取ったものを使用した。ハイビジョン動画なのでそれでも十分に使える。両手をバンザイし少し微笑んでいるシーンがいい。それだけでは面白くないのでテープを持っている係員をゲンちゃんに持たせたらいいかもとひらめき、そんな写真はないのでカールに頼んで猫じゃらしで誘い立たせそこをパチリと撮った。1枚じゃ無理、何枚も撮る。どうにか使えそうなのがありとりあえずこれでどうにか完成にこぎ着けそう。あとはフォトショップの出番だ。Photoshop Elements 8を4年前に購入してからだいぶこの作業が楽になった。フォトショップのキモは画像の切り抜きである。これが前よりも簡単にしかもかなり正確に出来るようになったのだ。さらにレイヤー機能という画像の重ね合わせで何度もやり直しが出来るので時間も短縮できる。最初のころは1週間くらい少なくとも2、3日掛かっていたのが最近は1日で終わるようになった。一通り出来てカールもいいんじゃないとお墨付きをしてくれた。ううむ、笑える箇所がゲンちゃんの立ち姿と一ヶ所しかないのがさみしいな。というわけで観客の一部にバルタン星人を忍ばせた。特に意味はない。他にまだコラージュしたかったが住所印刷や一口コントなど明日また当直だしボウリングリーグもありその後また当直と時間がない。とりあえず合格60点と決めこれで行くことにした。

以上が12月23日時点での現況報告。まあ例年の年賀状作りの様子を日記にしたわけだが、出し終わってからどうにも心残りで本来はこうしたかったという画像を継ぎ足してみた。チッチの後ろの2番手走者を必死で走るフナッシーにし観客にもバルタンだけではさみしいので子どもを抱っこするウルトラセブンを入れた。これでなんとかバランスが取れたみたい。てなわけで家族5人を除いたメインの画像を「こてる写真館」に載せておきます。これが本当の今年の年賀状画像ですっ!

2014年12月22日月曜日

それでも使わない

朝礼で可愛いんだ理事長が言葉使いに触れ「今年は指導の甲斐あって職員の変な言葉遣いがだいぶ減った」と評し、中でも「~みたいな」という言い方を批判していた。「芸能人が使っているからいいのだろうと思ってるかもしれないが大変に聞き苦しい」と痛烈だった。これに限らずファミレスやコンビニなどで使われる(ファミコン言葉)「~になります」「~の方は」「~円から」「~するかたちに」なども間違いであると改めて指摘していた。また「全然」や「見れる」など今では誤用の方がよく使われる言葉も間違いであるとはっきり言っていた。私も理事長の意見に賛成で自分ではそのような言い方はしないように心がけている。でも今後「全然」の肯定使用や「見れる」「来れる」などのら抜き言葉は定着し誤用ではなくなるだろうと思っている。正しい使い方の「見られる」「来られる」は尊敬語の意味もあって可能の意味と混同しやすいため「ら」抜きして可能の意味のみ表すのは理にかなっている気がするからだ。だがー、それでも私は使わない。その理由は知る人に知性がない人間だと思われたくないからである。正用だと思ってら抜き言葉を連発する人を見るとアホかなこの人と思うのはこの私だからだ。

2014年12月21日日曜日

打ちたい人が負ける

サブアラドDrのたっての希望で年末の忙しい中リアル麻雀を打つことになった。メンバーはダイボ、見せたまえといつものメンバーだ。しかし6半荘終わったところで見せたまえDrが出産コールで緊急帰宅となり(最近いつもだ)、代わりに開けたいゾMRを呼んだ。彼も最近天鳳を始めて今日まさに打っていたばかりだったとのこと。不慣れなネット麻雀でいろいろ疑問を私に尋ねてからリアル麻雀が始まった。

ところで言い出しっぺのサブアラドDrはネットで何連敗かしていて今日のリアルでは違うところを見せたかったようだが何と6半荘やって5回もラスを喰らっていた。絶不調の極みで牌を握りつつも「どうせボクはダメなんだ」と嘆き節が出ていた。開けたいゾMRが入ってもその流れは変わらずようやく9半荘目になって大きなトップを取った。すると急に元気が出て「さあ、こうなったらボクは止まらんヨ」とやけに威勢がよくなった。「おやおや、さっきまでのどうせボクはどこに行った?」と揶揄するとみんな笑っていた。次ぎもいいところまで行ったが開けたいゾMRに上手くかわされ2位になった。最後10半荘目も3位で終わってみれば彼の一人負け。いやー、打ちたい人が負けるって昔からありがちなパターンだけどこれくらいでへこたれるようなサブアラド雀士じゃないっすよね。また来年もよろしくネ!!
(おっとこれで年賀状作りも明後日の23日の休みを利用して作らざるを得なくなった。いつもバタバタだから今年こそは余裕を持って作らねば)

2014年12月20日土曜日

内視鏡室忘年会は午前様

青雲内視鏡室の忘年会が天文館「台所葉」であった。幹事のブックリバーDrの肝いりで参加者はDrの他看護師に事務系職員、業者といて通常スタッフの3倍近くになった。いつもの仲間というのも良いがこっちの方がにぎやかになって楽しいね。顔は知っているけどほとんど初めて話す人(野次舞Ns)もいたり、ブックリバーDrの奥さんとのなれ初めも聞けたり、グッちんDrの送別にもなったり、サトリョーMRがこの日の夜まで仕事をするなど大変だと分かったりなどなど一次会が過ぎ、二次会も帰る人は数人で14名がカラオケスナック「ハートフル」に向かった。

で、二次会座って一発目、私がまずマイクを握った。いや、別に歌うのが好きなんじゃないよ。どうせ歌わされるのでうまい人の後や場違いな歌を選んだりしないようプレッシャーをさっさと済ませたかったのだ。選んだのはいつもの「雨の中の二人」ではなくSKE48の「1!2!3!4! ヨロシク!」にした。SKEきってのノリのいい歌だ。ただ、好きだけど完璧に歌うのは難しい歌で途中に女の子のセリフもある。でも一発目だから何でもいいのだ。ヘイ!ワンツースリーフォーヨ・ロ・シ・ク!

このあとみんなノリノリでずっとカラオケが続いた。店にトナカイの角のぬいぐるみをはじめかぶり物グッズがいっぱいあり、これらをかぶって歌ったり踊ったりするといつもより楽しい。
(↓のトナカイはグッちんDr)
(↓これは私かジャイケル・マクソンか)
テッシーDrがアフロかぶってデカサングラスでシホねえと踊る姿は抱腹ものだった。

シホねえNs、ナマテツDr、ネークチダ君の3人は常時ハイテンションで場を盛り上げてくれた。というよりさわがないと気が済まないんじゃないかな。この他外来のまっちんNs、ドックの野次舞Nsらもにぎやかで妖怪体操なんて完璧だったじゃん。0時を過ぎて私はツマミ頬張って歌聴いてみんなの様子を眺めているうちにウトウトしだした。ふと目を覚ますとびっくり、ナマテツ、ブックリバー、テッシーのDr3人が上半身裸になってお腹にマジックでお顔を描かれ腹芸踊りをやっていたのだ。後で聞けば3人ともコナン高校出身で先輩格のナマテツDrの命令だったのだとか。それはそれは。

ちょうど3時間ほど経って午前1時のお開きの時間になった。私は当然お帰りモードだが先ほどのにぎやか組はまだまだ三次会に行くぞーモードで元気だわ。人通りも午前様と思えないくらい多くさすが忘年会のピーク時期だ。いいんじゃない、楽しんでー。私はサトリョー、スリウェル君らとお帰り組で天文館は文化通りを後にした。ふー、飲んだのは一次会のビール1本のみ。よく持ったぜ。タクシーで帰宅してシャワー後やらねばならないのはこてる日記書き。酔いつぶれるわけにはいかないんすよ。

2014年12月19日金曜日

内視鏡への道へ

朝から緊急内視鏡でバタバタ。昨日の胃潰瘍出血を止血した患者が再出血しこれに時間が掛かった。うまく止めたつもりだったがワーファリン服用をしておりPT-INRが延長していたため予期せぬ出血を来してしまった。この他昨日空きベッド無くて処方のみで帰宅させていた高齢女性が今日の診察で急性膵炎だったことが分かってあせった。さらに直腸癌発見、食道癌の拡張ステント患者など青雲会病院での消化器の仕事はバラエティーに相変わらず富んでいる。

30年ほど前鹿大の第二内科に入った時、はっきりと内視鏡をしようとは思っていなかった。1年ほどしてどのグループに行くか表明せねばならず何となくこっちの方が良さそうと思い内視鏡グループに入った。今では忙しいが診断、治療にやりがいのある消化器内視鏡を選んでよかったと思っている。誰かに勧められたというよりそこは自分の判断だった。先見の明があったかな?

2014年12月18日木曜日

ぼーっと腫れて、だーっと出て

昨日は雪が山間部では積もり、病院から見える姶良の山の上4分の1ほどがうっすら薄化粧していた。高速道路が通れなくなるほどではなかったが霧島あたりは結構積もっていたらしい。他県ではさらに交通事情の遅れなどで影響が大きくかったらしい、というのは今夜国分スターレーンでスリウェル君に上げたマスターマインドのリニューアル披露が出来なかったのも雪のせいだったからだ。プラグ用品などの道具を運ぶ車が広島あたりで渋滞に巻き込まれ大幅に遅れていたんだとか。そんなわけでスリウェル君はいつものタブーレッドで投げることになった。

ちょうどイキナリDr兄弟も先に来て投げていた。彼らはだいたい木曜が練習日みたいだ。来月の姶良郡医師会ボウリング大会にも参加予定とのことで練習にも気合いが入りますなー。

1ゲーム目は私はマスターマインドインテレクト好調の流れで202だったがスリウェル、タナカッツ両MRは100ちょい越えのひどいロースコア。レーンのオイルの撒き方が日頃のT-MAXとは違うとはいえちょっとひど過ぎない?でもスリウェル君は最後の10フレあたりから腰を落としいい感じで腕が振れていた。2ゲーム目になると安定してストライクかスペアで全くミスをしなくなった。私の方がスプリットが出だしてミス連発し終わってみれば私123、スリウェル223と100ピンもの大差、昨日のネット麻雀じゃないけれど明暗反転の結果になった。え?スリウェル君このスコア自己最高だって?へーー、それはおめでとう。ううむ、つまりはボールではなくてフォームが大事ってことやね。

3ゲーム目はまたも私が負けそうだったが10フレで4、10の難しいスプリットを奇跡的に取れて163対144で上まわった。ふぅー。彼も10フレはスプリットでどうも今日の国分はスプリットがよく出る。4ゲーム目も3回出て最後は究極のスプリット7、10でこれは意識的に狙ってみた。7ピンを薄く当てバックボードに跳ね返らせ10ピンを取るというかなり偶然の助けもいる方法だ。プロは10ピンを薄く当て7ピンへのラッキーを狙うが私にはこっちの方がやりやすい。ボールは予定通りの軌道で当たってくれたが当たりが弱く届かなかった。10-7メイクは実はプロボウラーでもパーフェクト達成より達成率が低い(パーフェクト達成の約10分の1)程の超難関のスプリットだが一生に1回は達成してみたいものだ。

そうそう、今日の昼間の救急当番ではゴルフ場からボールが目に当たったという初老男性患者が運ばれて来た。他県から友人らとゴルフをしに来ていたらしいがその友人のフルスイングした打球が左眼直撃したという。先に打って30mほど前にいてこっちには来ないだろうと待機していたらーだったらしい。運ばれて来て一目、私の手に負えないと分かった。左眼周辺は大きく腫れ、眼窩からは血がだらだらと流れて来ているんだ。今日は鹿大から週1でタノミルDrが来てくれていて彼に任せた。結局大学病院へ転送となり眼球摘出になるという。聞いた話、お互いに「自分が悪かった」と言っていたそうだが・・なんという悲劇。ボウリングでは腕が痛い指が痛いはあるがこんな事故はまずない。ゴルフには怖い一面があるね。

1時間くらい後、ちょうど外来に外科のテッシーDrが外来看護師らといたので「先生、さっきのゴルフボールの一件見ました」とそのひどさを教えようとした。で、その言い方を聞いていたニッシNsにえらく笑われてしまった。「センセ、『左の目がぼーっと腫れて血がだーっと出て』だなんて、うちの小学生の子どもが言いそう」と。ううむ、専門外のことになるとらしき言葉がすぐには出てこないのよ。それにしてもとても医師が医師に伝えるような言葉ではなかったな、確かに・・。

2014年12月17日水曜日

三家和

ラブカメ先生に「こてる先生、昨日の忘年会もだけど今年の病院内の写真データをまたお願いします」と頼まれた。29日の御用納めではラブカメ先生講演が恒例でその時のスライドに写真を使うのだ。1週間後くらいまでにとのことで即了承した。院内スナップショットをUSBメモリにコピーするだけなのだが大量に撮っているのでセレクトがちと面倒くさい。ま、1週間と余裕があるのでやっておこう。

夜の天鳳で事件が起きた。私もサブアラドDrも麻雀人生でほとんど初めての経験をしたのである。サブアラドDrから打とうと電話が来てやった最初の半荘は私が絶好調で7万5千点ものダントツトップ、サブアラドはドボン終了とくっきり明暗が分かれた。頭に来た彼は「さ、次もやるぞ」と同時アクセスしまた同じ卓になった。私が起家だ。普通の手から断ヤオ牌が集まりだしだんだん高い手になってきた。そんな中盤、上家のサブアラドからリーチが掛かった。私は一向聴で現物の4索を切る。13巡目5ピンを持って来て断ヤオドラ1の5、8萬待ちを聴牌した。おっかけリーチしてもよかったが出上がり出来るし2、5、8索を持ってくるとタンピンになるしで1巡待つと2索を持って来て牌を入れ替えるとタンピンで5萬なら三色も付くという大物手に育った。ここで満を持してリーチ!さあ、サブアラド七段、5、8萬を出しなさい。後から分かったが2ピンはアタリ牌だった。1巡待って正解だったわけで勘がさえている。すると出したのよサブアラドが8萬を。やったー!親マンは確定、いやー我ながら調子いいねえー。

しかし!!

まず断ヤオドラ1の対面もロン、あれ、ダブロンかいな。だがもう一つロンの声が。下家がチートイドラドラの8萬待ちだった。そう、なんと三家和(サンチャホー)で流れ、サブアラドは何のお咎めもなく誰にも点棒を支払う必要はないということになった。麻雀には変わったルールがいくつかあるが三家和は弱者救済、または滅多にないので支払い無しとなったのか。命拾いのサブアラド七段は気分はよかろうが私はがっくりだ。

そして次局、私はドラの6ピンが暗刻でまたもチャンス手で5巡目には一向聴と好調は続いている、ようにみえた。しかしここから4連続字牌ばかり引いて手は進まずそのうちまたもやサブアラドのリーチ。そこにいらない1ピンを持って来た。イラついていた私はこれをツモ切り。しかしロン!5200を放銃してしまった。あーー、何という暗転、麻雀は幸不幸は裏表じゃ。次局も私にはドラ暗刻のチャンス手が入る。しかし上がれない。そのまた次局はドラドラ、次局はいつもならシャンポン受けするのに間チャン受けにして上がりそこね、次も配牌ドラ3の手がくるもサブアラドへの放銃。もう切れた。食事出されていざ食べようとすると片付けられる、いや、今日はOKよと言われてホテルまで来たが風呂に入っているうちに女に逃げられる・・いや、これは例えが悪いか。ともかくもおまんま食い上げ状態で身ぐるみ剥がされるだけなんだ。結局このままビリで終わってしまった。ぐぐぐ・・・理不尽、麻雀は理不尽じゃーー。
(日記書いてから気がついた。去年の12月17日はサブアラドDrと初めてネット麻雀で対戦したんだった。その時も私は負けていた。ふう、そうか日が悪かったんだな。そうそうきっとそうよ)

2014年12月16日火曜日

青雲会パワー忘年会

諸事情で開かれていなかった青雲会病院忘年会が今夜4年ぶりに開かれた。余興大会だったそれまで違い一般的な飲んで食べての会になるということだった。職員全員による恋チュンビデオ披露で盛り上がった後が地元のオールディーズバンド「奇妙猫」が出てきて50分にも渡るダンスでさらにヒートアップした。演奏始めはオールディーズファッションの女性ボーカルやバンドが目立っていたが、理事長や院長始め徐々に舞台の上に青雲有志が上がり踊ってワイワイしているうちに大勢になってきた。まるで震度5クラスの揺れのようでしまいにはボーカルやリーダーは舞台から降りて歌っていた。アミヤンDrもノリノリでマイク握って歌うし舞台ではお尻ふりふりダンスで人目を引いた。外来看護師のネークチダ君のダンスにリハビリ若手のエアギターに元無か毛技師長のチークダンスなど笑いも誘っていた。そしてラスト2曲は青雲会定番の「青雲時代(青春時代)」「ヤングマン」で大勢が舞台に上がり完全にバンド連中を圧倒していた。みんなー、かなりストレス溜まっていたのかい?

私は開始前からずっと職員の写真や動画を撮り続けたのだがそれだけでも汗をかいた。だからずっと踊っていた連中はびしょびしょ。いや、余興はなくてもこれだけ盛り上がれる。いやー、みんなのすごいパワーに圧倒された。そのパワーを写し取った枚数は450枚以上、私も頑張ったネ。

2014年12月15日月曜日

詐欺メール

以下のようなメールが届いた。全部転載するがざっと見るだけでよい。


弊社は、インターネット運営会社、ソーシャルネットワーキングサイト(以下通知会社という)の代理人として、貴殿に対し次の通りご連絡(通知)いたします。
さて、通知会社は貴殿に対しインターネットサイト利用料金(サイト登
(株)松田商事電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
録料・特典付きメールマガジン等)の債権を有しておりますが、貴殿におかれましては本債権の弁済がなされてない状態になっております。
また本件インターネットサイト登録の解約又は特典付きメールマガジン等の解約手続きもなされておりません。
よって、インターネットサイト利用料金が常時発生している状態です。
上記の理由により弊社は通知会社の依頼により、貴殿の個人情報調査等(身辺調査含む)の依頼を受け【翌営業日】までにご連絡頂けない場合には調査事務代行等を開始致します。
期日までにご連絡も本債権の弁済もなされない場合には、やむを得ず個人情報調査等を開始し、その後、法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)及び信用情報機関への照会・登録等しかるべき対応をさせて頂きますのでご承知おきください。
※ご連絡なく各手続きが開始された場合には、本債権の遅延損害金及び訴訟費用並びに調査費用等もご請求させて頂きます。
※メールでのご返答は受け付けておりませんので携帯電話からお電話ください。尚、本メールを持ちまして最終通告とさせて頂きます。
株)松田商事
電話: 0120-653-856
顧客担当・清水


パッと見た目、怪しさ満載のメールで、お堅い口調の中にも要するに「個人情報調査等(身辺調査含む)」「法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)」「しかるべき対応をさせて頂きます」と脅かすような文面もあり、問い正しているくせに最後に「メールでのご返答は受け付けておりません」「携帯電話からお電話ください」と誘導していて、一度もやりとりしていないのに一方的に「最終通告とさせて頂きます」と結んでいる。詐欺メールがこのところ横行していると聞いていたのであはあと思い、即、メールのゴミ箱に入れた。日記ネタにするにあたって少し読み直したが、少しでも気の弱いマジめなタイプだと事情を聞きたい、間違いだと教えてやりたいと電話する人もいるだろう。やり合っても向こうはプロ、簡単には引き下がらずさらに不安を煽るような脅し文句でお金を出させるかもしれない。電話を掛けるのは電話番号を教えるようなものだし後々迷惑電話がかかってくるかも。相手にしないのが一番だ。

無視していたら2日後、調査業協会と名乗る同類項メールが来た。以下読みたい人は読んでみて。私は一瞥(いちべつ)し速攻ゴミ箱に入れた。最終通告ってこれが最後じゃなくて何度も出来るんやね。


弊社は、インターネット運営会社、ソーシャルネットワーキングサイト(以下通知会社という)の代理人として、貴殿に対し次の通りご連絡(通知)いたします。
さて、通知会社は貴殿に対しインターネットサイト利用料金(サイト登
(株)松田商事 電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
録料・特典付きメールマガジン等)の債権を有しておりますが、貴殿におかれましては本債権の弁済がなされてない状態になっております。
また本件インターネットサイト登録の解約又は特典付きメールマガジン等の解約手続きもなされておりません。
よって、インターネットサイト利用料金が常時発生している状態です。
上記の理由により弊社は通知会社の依頼により、貴殿の個人情報調査等(身辺調査含む)の依頼を受け【翌営業日】までにご連絡頂けない場合には調査事務代行等を開始致します。
期日までにご連絡も本債権の弁済もなされない場合には、やむを得ず個人情報調査等を開始し、その後、法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)及び信用情報機関への照会・登録等しかるべき対応をさせて頂きますのでご承知おきください。
※ご連絡なく各手続きが開始された場合には、本債権の遅延損害金及び訴訟費用並びに調査費用等もご請求させて頂きます。
※メールでのご返答は受け付けておりませんので携帯電話からお電話ください。尚、本メールを持ちまして最終通告とさせて頂きます。
(株)松田商事 電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
代表取締役・松田 伸次
関連団体・社団法人 日本調査業協会
営業時間 平日午前10時~午後7時迄 休業日 土日、祝

以上のようなメールが来たらまず詐欺メールなのでみなさんも相手にすることなく無視するのが一番でっせ。

追記:その後何年経っても松田商事から法的処置もないし何の連絡も来ない。ついに平成の時代も終わり、今日、令和元年5月1日を迎えたが音沙汰はない。やはり詐欺メールであったとここに断定する(笑)。

2014年12月14日日曜日

出てきたものは・・

朝から日曜当直。Facebookで昨夜某同窓生のアップを見ると昨年私が参加した東京の六本木ヒルズでのセントラル高校関東同窓会があったようだ。このところ毎回六本木ヒルズであるがこれは部屋貸し切りが同窓生ケンロック君の住居民くじ引き当たりによっていて幹事が「強運ぶりに感謝」と言っているくらいだ。集合写真にはヤノケン住職が写っていて京都からまた上京していたようだ。一人だけ坊さんの衣装だから目立つ。私が1年ほど担当し今年青雲会病院で亡くなったシモトンダさんの息子もいた。何度も病院に来てくれたのに私とは一度も会えず去年その場所で会ったきりだ。元気そうでなにより。

救急や外来はバラエティーに富んでいた。最初は交通事故の少年で骨折との触れ込みだったが単なるかすり傷と打撲傷のみでよかった。その後は脳梗塞の高齢女性でこれはCTでも分かるほどでということは血栓溶解療法の適応はなさそうだ。MRIで確認後、シマッチ院長に連絡しその後の治療方針は任せた。で、その後本日一番の患者が救急で運ばれて来たのだが、1週間ほとんど飲まず食わずで意識が遠のいたために息子氏が救急要請し搬入された独居高齢女性はもう餓死寸前、脱水が極めて強く採血もできずかろうじて点滴が入ったのが奇跡というくらいひどかった。体温も血圧も計れず風呂に入っておらず全身垢まみれだった。息子はちょくちょく見に来ていたとはいうけれど入院させる判断が遅きに逸した。患者本人が病院を嫌がっていたのもよくなかった。私がかなり厳しい状態であると息子に説明し、病棟に上げようとしたとき看護師らが小さな声を上げた。失禁していた殿部あたりに10匹前後のウジ虫が湧いていたのだ。うわっ!

ここまで人間はひどくなれるものか。この患者は翌日亡くなるが側で息子と娘が泣いていた。決してスポイルしてきたわけではなく鹿児島市内に住む子どもたちがすぐに目が届くところにいたらここまではならなかった。これは核家族や過疎化など現在の日本社会の問題と思った。私自身はああいう最後は迎えたくはないな・・。

2014年12月13日土曜日

あなたが30才代女性なら

師走の土曜日とあらば忘年会などいろいろ用事もありそうだ。福岡で講演会の誘いもあったが明日も当直だし断った。ブックリバーDrやサブアラドDrは福岡行きだったらしいネー。

仕事も終わり昼食を摂っていたらたまたま中年職員女性といっしょだった。雑談などしているうちに彼女がつい最近乳がんを手術したことを知った。いや、気付かなかった。早期だったから経過は心配はしていないが術後しばらくは左腕があらず違和感が結構あったんです、と。それは仕方ないとして、どうして気がついたのかと聞くと、わずかに乳汁分泌があっておかしいと思い鹿児島の逆らわん病院の受診し生検でも癌か微妙だったらしいが結局そうと判明したとのことだ。専門家でも難しいケースを素人が自己判断で確定できるはずもない。彼女は日頃から冷静で論理的なキャラだからきちんと行動し慌てず手術まで受けた。「先生、日本人女性の10数人に1人は乳がんにかかるらしいですよ」といわれれば、確かにこの7、8年、青雲会病院でも私が知る限り3人は乳がんになっている。これは相当な高確率だ。

30才代から上の女性は常に乳がんを気にしなくてはならない。カールもそこは分かっていて毎年検診は欠かさない。ちらっと外来某Nsに聞くと1回も受けたことがないという。いかんいかん。病院に務めていてこうした情報に触れる機会もあるのだからぐずぐずせずまずは行動だ。あなたもかわいい小さな子どもがいるんでしょ。その子と生き別れになっても運命だと達観できるなら検査など受けなくてもいいがー。「いやいや、そんなことできない」「だったらちゃんと検査を受けよう、それともこてる先生の乳房触診を受けるぅ~?」「やだっ、先生セ・ク・ハ・ラ!」おっと最後は脱線したが30才になったら一度は乳がんの検査を受けよう。日本人女性の検査受診率は欧米に比べ相当低いと聞いてる。私には日本人女性があまりにも無防備に見えて仕方ないよ。

2014年12月12日金曜日

ドラマチックがやって来て

串木野のトリオリーグではコンピロ君が今日で最後だった。薬局チェーンの薬剤医師である彼は今月福岡転勤となる。川内での5人リーグの時からレギュラーメンバーとして活躍し特に大きなフックボールが持ち味だった。今日はさぞかし気合いも入っているはずだ。しかし1ゲーム目は今月のコンディションがややオイリーで難しくストライク散発3回のあとはほとんどオープンフレームでスコアは出ない。私はおニューのマスターマインドインテレクトがやはりピンアクション抜群でオープン3回にも関わらず206と結果を残した。そしてコンディションに慣れた2ゲーム目、4フレから彼はストライクを連発しだした。私もさらに好調で250が狙えるくらい。9フレまでチームスコアは9連続ストライクとチーム初のパーフェクトまでこぎ着けた。コンピロ君ここぞとばかりに10フレ1投目を投げる。ストライク!次ぎストライク!!おおっ、あと1投で初のそして彼にとってはおそらく最後のパーフェクトゲーム達成目前となった。当然デジカメを私は構えた。呪いがかかっていようがここを逃すわけにはいかない。ラストチャンスでパーフェクト達成とはドラマチックじゃないか。

その前に私が9フレを投げようとしてそこから海広しDrが撮影に入った。私はそれまで8回中7回ストライクと絶好調。だが9フレはポケットにいかず裏に入り9本ストライク。「ほらな、呪いはまだ生きているよね」と引き返したところでコンピロ君がラスト投球に入った。心なしか緊張しているように見えたが・・。投げた瞬間ヤバいと思った。力ない動きでやや外目に流れた。オイルに乗っかりポケット外しごく薄くヘッドピンに当たっただけの6本カウント。あいたたー。緊張なんてものじゃなく心臓バクバクだったらしい。ドラマは完結しなかったなー。このあと海広し、こてるとストライクは続かず個人では245で満足も念願のチームパーフェクトはまたしてもチャレンジ失敗となった。ううむ、それにしても呪いのデジカメの威力はすごい・・。

3ゲーム目は私はやや調子を落とすもアベ200アップは出来た。コンピロ君ももしかすると鹿児島勤務の際に投げることもあるかもしれない。ああ、でもあと1球、いつもなら簡単に出せるストライクが出せない。パーフェクトって難しいもんだわー。

2014年12月11日木曜日

神経性食欲不振症

救急で急性腸炎疑いの20代女性が来るというので診れば何と2年以上前に拒食症で私が診察した人だった。当時は体重34kgくらいだったかな。本人にさほど自覚はなく心療内科専門病院に紹介したもののそこで上手くいっていないと聞いたっきり連絡は途絶えていた。今日診てみていやはや驚いた。下痢が続き一気に体調を崩したようで体重は何と26kg!自力で寝返りもうてず返事もかすかにうなづくだけ、ようここまでなったものと呆れた。もはや命にかかわる状態で即入院となった。

私は過去に数名神経性食欲不振症の患者を入院させた経験から普通の内科医には治療は無理で心療内科や精神科の専門医による治療が必要と理解している。でもこのようにそれ以前の問題なら入院治療だ。もしこの女性が一人住まい(かつてその時期もあった)だったなら誰にも気付かれず部屋の中で死んでいた可能性すらあった。実際にそのようなケースもあると聞く。今は母親が側にいたから瀬戸際で切り抜けられたが危なかった。命の際を垣間見て彼女の心境に大きな変化が訪れればいいが・・。ため息つきながら入院指示を出す私であった。

2014年12月10日水曜日

ようならマスターマインド

夕方から霧島市の七五調病院でICT(Infection Control Team感染制御チーム)の合同カンファレンスがあり参加した。今回は青雲会病院から医療廃棄物の取り扱いについてテーマを依頼したので「こてる先生必ず出席を」と鯛おどりNsに念を押されていた。席に着くと過ごし安病院のサブアラドDrも来て隣の席に。ちょこっと天鳳の話をして会議に臨んだ。中盤、ふと、つつかれた。サブアラドだったようだ。どうやら私は居眠りをしていらしい。「え、私?」何か質問されたのかと思ったがそうではなかった。ふーぅ。このあとはぱっちし眼が覚め感染症に伴う諸問題について十分に理解を深めることが出来た、おっほん。

終わって国分スターレーンでのボウリングを誘ったがサブアラドDrは「今日は帰宅せず当直なしの病院泊まりだ」ということで、私と難ガターさんはスターレーンに向かった。で、いつものMRメンバーとボウリング練習だ。今日はスリウェル君にこの前までの私のメインボールマスターマインドを上げてプラグ&ドリルをスターレーンに依頼する目的もあった。で、おニューのマスターマインドインテレクトを国分で初めて投げてみたが相変わらずいい。とにかくピンアクションが抜群でポケットに持っていきさえすればストライクか9本だ。180アベくらいで来てラスト4ゲーム目は228を出し満足であった。終わってスリウェル君にボールを渡すと本当にもらえるとは思っていなかった様子で「いいんすか」と喜んでいた。彼に上げるのはMR連中の中では一番ボールを曲げられるのでマスターマインドと相性よさそうというのもある。私が持っていてもおニューとほぼ同じ動きピンアクションなのでだったら古いのを使うこともないし上げることにしたのだ。

練習後は恒例のアシビーで食事して、来年早々の姶良郡医師会ボウリング大会もあるししばらくは国分スターレーンで練習だと来週木曜も練習の約束をしてお開きになった。だが、競技ルール変更がその後来てまさかの事態になるとは!この一件は後日のネタで書く予定、しばしー。

2014年12月9日火曜日

倹約は家訓なり

薬の説明会があって薬品会社から飲み物が提供され、その中にキリンのメッツコーラゼロが1本だけあった。へー、コカコーラゼロ、ペプシネックスに次いでメッツもゼロを出してきよったか。しかも難消化性デキストリンも入れ「脂肪の吸収を抑える」と消費者庁許可の特保もとって差別化も図ってきている。さっそく一口飲む。まあ普通の味だ。私の好みはペプシネックスだがコーラもOK、メッツも許容範囲と言いたいところだが肝心なのはその値段だ。青雲会病院近隣のドラッグストア「ひまわり」ではペプシは1.5Lで128円。特保で吸収も抑えますでも値段はそれなりにしますよ、では端(はな)から対象外じゃ。そもそも1.5Lが出ていないようだし私が手を出すことはなさそうだ。(どんだけケチかよ)

グッちんDrに贈る記念品は2T(テラ)のポータブルハードディスクにしようか。Macストアでも販売しているタイプでデザインもいい。この手のハードディスクならばもしかして同タイプのものを持っていても無駄にはならない。プレゼントは気に入るものであるべきだがそれ故下手すると本人がすでに持っていることもありそれは避けたい。そこでハードディスクなら2台目があっても困らないからいい。うしっ!これだ。さっそく注文しよう。

午後は早帰りするとガス業者が来ていた。ガスコンロの着火が点きにくくなっていてその修理だった。でも調子が悪かったのは単一乾電池が消耗していただけでそれも2個同時に交換しなくてはならないのにケチってばらばらに代えていたのが悪く「今後はそうなさらないように」とちくりと言われてしまった。いやはやケチというより倹約はこてる家の家訓でありまして・・。おいカール、今後は電池くらいでケチっちゃダメだぞ。

2014年12月8日月曜日

名前間違い防止はリスクマネジメントの基本ですよ

病院でのリスクマネジメントというのは今では当たり前になっていてその基本的なことの一つに患者さんの名前間違いからくる事故を未然に防ぐというのがある。入院した患者にはリストバンドを着け何かことを起こすときには患者自身に名乗ってもらうなど間違いを防ぐようにしている。ここ10年くらいでこれらは普及し多くの病院で行われてきている。

この日入院させた患者は80才代の男性で仮に「山田正義」ということにしよう。この人が5階病棟に入った時にほぼ同年代の別男性患者に「山田武義」という人がいることに気付いた。これはまずい。その人も内科患者だしどちらも内視鏡を受けたこともあるし何か間違いが起こりそうだ。私は「正義」さんを4階病棟に転棟させるようマチルダ師長に頼んだ。すぐにはベッドが空かないというので明日にでも是非と頼んだ。こう言っている私ですら勘違いして「武義」さんのつもりで「正義」さんのことを看護師にしゃべったりしていたから。

翌日、「正義」さんは無事4階に移動した。やれやれと思っていたところ、院内メールで目童ナースから「山田義信」さんの件指示をもらいたいと連絡が来た。あれ?この患者、知らないな。名前で検索すると確かに4階にいる患者だが私の患者ではなかった。看護師の勘違いだろうとその旨返信した。案の定、済みませんでしたと返信が来たが、そこでハタと気づいた。実は4階にも似たような名前の患者「義信」さんがいて私の患者だと看護師が勘違いしたわけだ。

いやはや、よかれと思ってもこんな落とし穴があったとは!それにしても昭和一桁は義理や仁義や忠義を重んじる時代やったんだなあー。

2014年12月7日日曜日

誰も知らない大賞曲

出水の薬品問屋社員のシゲトシさんからAKB48の今度のシングル「希望的リフレイン」のCDをもらった。もはや恒例だがまだ一度も会ったことないのでいつか直接感謝したいと思っている。もっともたくさんCDを買ってそれについてくる握手券が目的なので余ったCDをどう処理するかはAKBオタクの悩みで私みたいに喜んでCDをもらってくれれば有り難い意味もある。今度のシングルはまゆゆとさくらたんこと宮脇咲良がダブルセンターを務めるが聴いてみて今一印象に残らない。「恋チュン」や「ラブレ」は好きで口ずさむこともできるがすぐに覚えられない。それにしても「恋チュン」は1年前の曲なのに強いなー。カラオケでは一番人気だし今回の青雲会病院Ver作成のようにいろんな団体、組織で真似るイベントが流行っていてこういう曲こそレコード大賞を取るべきだったが運営が3年連続を嫌がったかライバルの組織力が功を奏したか今では誰も知らないEXILEの曲が大賞を取った。みんな知っている?まあAKBの2年連続も曲を知らない人が多いが・・。アメリカのグラミー賞が未だに権威を保っているのに対しレコ大は業界人の意向が反映されもはや権威も地に落ちた。いずれ消滅するか形を変えるしかないだろう。ちなみに去年の受賞曲は「EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~」だってさ。知らなかったでしょ。

2014年12月6日土曜日

隠れ家的お店

大学医学部同窓生の寝たろうDrが鹿屋から鹿児島に来るとのことで久々に会食をした。彼が泊まるホテルに迎えに行き港大通り公園のイルミネーションを見ながら歩いて料理屋「ストレート」に向かった。ここは去年青雲内視鏡室の忘年会をした店だ。ブックリバーDrに鹿児島港界隈でいい店ないかと相談したら予約まで取ってくれていた。この店はごく普通の町中にひっそりとあり確かこの辺とうろつくも見つからない。寝太郎君がスマホの地図で入力するとやはりこのあたりと記されている。ようやく探して入ると大将一人、直前に子連れの夫婦が出ていって客は我々だけの貸し切りだった。聞けば以前は天文館で人も雇い流行っている店をしていたがその生活に疲れ将来も見越して自分ペースで仕事が出来る店を数年前に開いたのだという。収支もほとんど差がないとのことだからなるほどと思った。寝太郎君も以前は系列病院で働いていて鹿屋で小児科を開業して10年は経つのかな。薬を出すだけの治療でなく自然治癒力を見守るような生長の仕方を支援したいと頑張っている。お互い自分の城を持つ身として共感するところがあったようだ。寝太郎君が「ふるふるしましょ」とスマホを振り始め、何事かと思った。お互いに振ることで連絡が取り合えるサービスらしく大将も戸惑っていたな。

大将は我々より一世代若く子どもも4人。小児科の世話にもなっていてそこのDrも客で寝太郎Drとも知り合いだった。聞いていてずっと男性医師と思っていたがそれは私の勘違いで女性医師だったよ。なんだか昔の頭の体操シリーズの問題をこっそり思い出した。ある外科医が実は女性なのに読者の男性と思い込む意識を利用した問題だった。私も引っかかってしまったな。

大将が言うには「開業しているお医者さんもそれぞれで税務対策をしっかりしている人もいれば無頓着な人もいる」とのこと。そうかもし自分が開業していたらきっと後者だな。どうもお金関係は弱い。

そうそう、料理はブックリバーDrが推薦するだけあってしっかりしたものだった。私はカールを今度連れてきたいと思った。子どももみんな巣立とうとしてこんな店に来る機会もあるだろう。寝太郎君のおかげだな。また会おうぜ!

2014年12月5日金曜日

問題です

朝、高速に入ったらいきなり渋滞に巻き込まれた。料金所はまだ先でこれは絶対に遅刻する。病院に電話したらオマル先生からも同じ状況だと連絡があったとか。ちんたらと鹿児島吉田間を進んでいくと吉田インター前で交通事故があって軽自動車が進行方向とは逆のこっち側を向いて停車していた。この事故で1時間近くも遅刻してしまったわけだが、飛行機搭乗目的で空港に向かう予定の人たちはあせったやろな。左に右に先を急ぐ車はきっと空港行きだったに違いない。

キスマンクリニックからお歳暮が届いていた。「つぶらなカボスとすっきりスダチ」というカボスとスダチの味付けのジュースで両方飲んでみたところどっちらも美味しいがどっちがカボスでスダチかさっぱり分からない。問題です。そもそもカボスとスダチの違いって何?果汁絞って料理に使うイメージがあるもはっきり意識したことはなく聞かれても答えられない。正解はネットで簡単に調べられ、どちらもユズの仲間でカボスがテニスボールくらい、スダチがゴルフボールくらいの柑橘類でカボスは9割以上が大分県でスダチは9割上徳島県で生産されているということだ。ふーむ、初めて知った。

夜は日テレの「頭脳王2014日本一決定戦」の録画ビデオを見た。これは通常のクイズ番組ではなくクイズエリートのすごさに驚き感心する番組だ。ベスト8に出た連中は東大、京大の天才秀才ばかりで出される問題もほとんど答えられないか秒速では答えが出ない問題ばかりなのにいとも簡単に答えていく様は驚異そのものだ。紅一点の数学五輪金メダリスト・葛西祐美さんは惜しくも破れたが積み木ブロックの数を一瞬で答えたのには唖然とした。数学的センスは抜群で総合力の差で上位進出を逃しただけという印象だ。京大経済学部首席・粂原圭太郎、東大IQ貴公子・田村正資は本や高校生クイズなどで知っていた。彼らも相当なものだがわずかに決勝進出できず、優勝は京大医学部の天才・廣海渉(ひろうみしょう)と東大医学部の異端児・水上颯(みずかみそう)という現役医学部生同士の対決になった。廣海は3年前も準優勝で本命の一人だった。で、水上は一般予選から勝ち上がったぽっと出かと思ったが落ち着いた態度がどうも場慣れしているようで、調べると開成高校時代に高校生クイズで優勝もしていた。なるほど、クイズ研究会出身ならさもありなんだ。最後は大接戦で廣海が中世スペインの王国の名前と部位を入れ間違わなければ同点でどっちに勝負が転ぶか分からなかった。結果大学1年生の水上颯が優勝。若さ、鮮烈さ、正解を出してもふっと微笑むだけの冷たい表情が強い印象を残した。

で、難問ぞろいの中、私は3問だけ即答できた。それは源氏物語の一節の語句「あたらし」を訳せという問題、「青春の対義語は?」「足利六代将軍の名前は?」という問題だ。「あたらし」はそれって難問なのと私は思った。古文と現代文で意味が違う言葉としてよく出てくるし何と言っても鹿児島県人なら知って当然の言葉だからだ。意味は「惜しい」「もったいない」でほら、鹿児島弁で「あったらし」というでしょ。「もったいないことをするな」の意味の「あったらしことすんな」は今でも使われるから簡単だ。地方では古代の言葉が残ることがよくあり豆腐を「おかべ」というのは昔の京言葉で私も子どものころ使っていた。「青春」も東や春が青、南や夏が朱、西や秋が白、北や冬が玄(くろ)というのは古代中国で使われ、動物も青龍、朱雀、白虎、玄武でこのモチーフはペ・ヨンジュン主演の太王四神記でも出てきた。北原白秋もここから取った名なのは明か。青春が単独で使われることが多いから一瞬対義語が分からなくなるだけで本来の意味さえ知っていれば簡単だ。六代将軍は足利義教、これは実は小学生時代に知っていた。そのころ歴史に興味があって足利と徳川の将軍の名前を全部覚えていた。その名残なだけで今ではすべては覚えていない。こんな問題ですら私が答えるとカールなど「おお」といってくれるがそれほどでもと思う。してみれば、私らびっくりする難問も彼らはたいしたことではと思っているかもしれない。見ていてこれはかなわぬと思うばかりだった。

2014年12月4日木曜日

テル帰る

また患者ネタ。救急で初老の女性が入って来るとの情報あり、電カルでその名前を検索してみた。名前が珍しくかつ可哀想だった。女性なのに「精子」なんだ。これいじめられただろうねえ。「せいこ」とは呼ばれず授業中に「卵子と精子が・・」って先生もいうんでしょ。字は全くいっしょだから逃れようがない。親もこんな誤解を招きそうな名付けはいかんよ。で、昭和26年生まれのその人のカルテを開こうとしたが救急隊からの情報と誕生日や住所が違っていた。あれれと再度検索すると驚いたことに1才違いで全くの同姓同名がいたのだ。ありえん。もしかしたら親はそんな読みをするとは知らず名付けたのかも。字だけ見れば決して悪いものではないしー。

テルが今日帰ることになった。MacBookProだけではパソコン作業がやりにくいとのことで4、5年使ってきた家のiMacを上げることにした。OSがSnowLeopardで使いづらくなっていて場所も取るのでうちにはMacBookもあるしいいだろうと。テルはすぐさま最新のOSのYosemiteにアップグレードし使いこなしていった。それをみて私も古いMacBookをYosemiteにしてみた。最新になったのはいいがWindowsソフトを使えるVMware FusionVer5が起動しなくなった。Ver5は対応しておらずVer6以上が必要になるという。ううむ、OSをアップグレードするとこういうことが起こるかならなあ。だから自分のMacBookProは一つ前のMavericksのままなんだ。要するに私は慎重派。テルは「Yosemiteはデザインがダサい」と文句を言いつつも新しいものを試さずにはおられない性分だ。4年前、猫のゲンちゃんは見てすぐに拾ってくるというテルのはしょった行動がなければ家族の一員にはなっておらず野良猫化していたかもしれない。そうしたら寿命短い野良のことゆえ今頃はこの世にいなかったかも。失敗もあるが先へ進むことでいろいろ得することも多い。どっちが良いということではなくそれぞれの個性は生かしていけばいいのだ。そういうわけでテルちん、大学に戻っても達者でナ!

2014年12月3日水曜日

こてる選手、指名されず

人間ドックで来た人に「有野(ありの)」さんがいた。胃カメラをし終わったタイミングで私は尋ねてみた。

「有野さん、最近みんなに言われないですか、『ありのまま』とか」
すると「あは、言われますが、私より妻の方がよー言われます。ママ友なんかから『ありのママ』・・」
うーん、なるほど!一本!

ムッちゃんNsから「先生、グッちんDrは今月で青雲が最後だけど16日が最後になりますよ」と言われた。以前は週2回ほどだったが今は火曜日だけだ。23、30日が休みだからそうか、火曜はあと2回しかない。何か記念品を贈らねば。青雲会病院に来て10年は経っていてムッちゃんらも記念品を考えているという。ううむ、プレゼントは苦手だがたまにヒットすることがある。阪神ファンだった公方Drには野球盤タイガース仕様、ビッグベアDrにはその名にふさわしく巨大なプーさんぬいぐるみなどでえらく感謝された。はてグッちんDrにふさわしいものとは・・ふーむ、すぐには思いつかない。もうちょっと時間があるので思いつくまで頭の片隅に置いておこう。

夜はT-MAXでボウリング練習。いつものメンバーが珍しく全員そろって6人。それで最後は恒例のダブルスをしたが1回目は私、タシケント組が圧勝。それで次は成績の悪い者からドラフト指名することにした。びりっけつのサトリョー君は当然私を指名するものと思われたが悩んだ末難ガターさんを指名した。ほうほう、ゲームを面白くするってことかな。で、スリウェル君は私かと思いきやタシケント君を指名、おいおいみんなジツリキ者の私を敢えて避けるとはいい度胸だ。結局残りのタナカッツ君と私が組んでの対戦となった。

そのタナカッツ君いきなりストライクを出し、またこてる先生チームの圧勝かいと2フレ目投球にのぞんだ私、何とガター。実はレーン移動をしていて初めて投げるレーンだったせいもある。ま、そういうこともあるわな。しかしだ。自分でも驚いたのだが私は3、4フレいずれもガターしたのだ。ありえない。そこまでレーンコンディションが違っていたとは。サトリョー難ガターチームはしっかりスペアを拾い、スリウェル、タシケントチームも1マーク差で追っていた。私らのチームは大きく差をつけられビリはほぼ確定、3連続ガター出すようではさもありなん。後半やっと狙い目がわかりダブルが出たものの時すでに遅し。勝負は他2チームに絞られた。

10フレ迎えたところでサトリョー難ガターチームはスペアならほぼ勝ちの場面、サトリョー君の一投は何と6、7、10のビッグスプリット。これは一気に負けの可能性が高くなった。それでも6、10の2本を取っておけば相手がスペアミスなら勝てる。無理してガターノーカウントならスペアなしでも負けることもある。ここは確実に2本ゲットが現実的な作戦ではないかと思った。しかしだ、難ガターさんの一投は私が危惧したガターぎりぎりに向かっていき、あーあと思った直後、6番ピンを薄く当て見事に7番ピンを倒し10ピンも当然倒しスプリットメイドしちゃったのだ。「ウワーッ!」とも「ウギャー!」ともつかぬ歓声が上がった。すごい!お見事!すばらしい。これでサトリョー難ガター組が勝ち、ビリだった私たちからジュースをもらった。

いやはや、指名の時私でなく難ガターさんを選んだサトリョー君はえらい。いや、スリウェル君もビリになる運命の私を選ばず、お前らなんて勘がいいんだ。ちくしょーだが、良いもの見せてもらった。ボウリングは楽しいネ!

2014年12月2日火曜日

「痛ーい痛い、大丈夫じゃなーい!」

テルも今日で無事退院となった。きつかったのは術後翌日くらいまでで後は飲み込み時に咽頭痛が少しあるくらいだった。今日は「こんなのがのどから出てくる」と小さな糸くずを取って見せた。あは、それは扁摘後に止血処理のための糸結びだ。トシマロDrが時間を掛けて結んだヤツである。喉をペンライトで見てみると元扁桃のあった部位は凹んで白苔化している。ふむ、このまま出血がなければ大丈夫だろう。

テルの退院に合わせカールは胃カメラ、大腸内視鏡を受けることになった。ここ何年がやっていなかったし何か調子が悪く感じるという。彼女は検査をしばらくしていないと「ああ、もう癌になっている気がする」と思うタイプなのだ。当然私が検査を行うことになる。だが胃カメラはいいとして大腸はちと問題だ。挿入するのがやや難しいのだ。これまで3、4回検査してきただろうか。S状結腸が長くて屈曲が強い。最後はどうにか奥まで入るのだけれどいつも嫌な汗をかく。はたして今回はどうか。

昼の検査室では先にブックリバーDrが大腸内視鏡をしていてそれもやや難航しているようだった。胃カメラから先に終わり私も大腸内視鏡開始となった。鎮静剤はテルを乗せての帰りの車もあるため使わず、というより私の場合たいてい使わずにすます。ふふ、普通にやれば5分もかからず盲腸まで到達できるはず・・。

「あいた、痛い」「え、そう」「痛い、痛いわよ」まだS状結腸に入ったばかしなのにチト痛がるのが早すぎるんじゃない?「でも痛いの」「大丈夫」で、ぐいっと入れる。「い、痛ーい、痛い」「大丈夫大丈夫」「大丈夫じゃないわよー痛ーい」そりゃ大きな声でギャーギャー。さっきまで隣からぶつぶつ言っていた声は聞こえなくなった。「時間がかって済みませんネー」とか聞こえていたはずがきっと隣よりはマシだなと思ったに違いない。カールよ、ちょっとは抑えてくれよー。でもそんなことを言うと、あなたが上手にやってくれないからよと言われそうだ。スコープを上手くねじりうるさい声が聞こえないふりして挿入を続けた。どうにか脾弯曲を越えたときはほっとしたぜ。ふうー。身内だからか全く遠慮がないのも困りものだわい。

内視鏡スタッフは普通に対応してくれた(ようだ)が、後で実は大笑いだったそうだ。普段はうまいこと言いくるめ(?)てさっさと検査を終える私がたじたじだったのが可笑しくてたまらなかったとか。うー、こっちはあせって大変だったつーに。

2014年12月1日月曜日

巨星墜つ

著名人の死亡記事が相次いだ。先の高倉健に続いて東映のスター俳優だった菅原文太が亡くなったという。さらに囲碁をたしなむ人なら知っている昭和の囲碁の巨星呉清源(ご・せいげん)も100才で亡くなったとのことだ。

菅原文太は何といっても「仁義なき戦い」シリーズだ。これまでこてる日記で何度か話題にしている。だが有名なくせにTVではほとんど放映されない。今度の追悼放送でもまず地上派では放映されないはずだ。理由は何といってもその暴力性にある。以前のこてる日記にこう記してあった。「・・全編これ暴力なんだもん。とてもお茶の間で善男善女に見せられたものではない。一度カールに見せたら5分もしないうちに「こわい!きらい」と言ってみようとはしなかった。心落ち着く場面は5分と続かず、ふと気がつくと後ろからパン!パーンとやられる。手持ちカメラで撮り、俳優と同じ目線で画面も揺れる。まるで自分がその世界いるかのようだ。その世界に入った感覚になると、いつ自分が殺られるか非情に不安な気持ちになる。実感として「怖い」のだ。」

さらにそこに広島弁のヤクザ言葉が飛び交う。

「おう!殺(と)れるもんなら殺(と)ってみいや。何ならワシが先に殺(と)っちゃろか。あー、どうなら!」
「・・広島のケンカ言うたらよ、銭じゃカタつきゃせんのじゃい」
「・・今度こそ遠慮のう首をもらいますけん、よう覚えておいてつかあさい」
「広島には広島極道の性根っちゅうもんがあるじゃけんのう」

おお、こわ。でもなぜか画面に釘付けになってしまう。不思議と二度三度見ても飽きない。その主人公が広能昌三役(現実世界では美能幸三)の菅原文太だ。私は彼は広島出身なのかとさえ思っていた。実際は宮城出身で早大中退とおよそヤクザ社会とは関係がない。実は後の「新仁義なき戦い」で私が大笑いするお気に入りのシーンがあるがその時のきょとんとした顔つきなどコメディセンスもありやはり演技派なのだ。晩年は政治的発言を積極的にするなど高倉健とは違った生き方であくまでスターの雰囲気を残した俳優だった。

一方、呉清源は最近の人たちはほとんど知らないだろうが、囲碁の世界の人とはいえ昭和前期から戦後まで一世を風靡した人物である。中国出身で少年のころから天才と謳われ当時囲碁先進国だった日本に来て木谷實と「新布石」という囲碁布石の一大転換を来した戦法を発表し一大ブームになる。その布石を実践し時の名人本因坊秀哉(しゅうさい)と戦った碁は読売新聞の売り上げを一気に伸ばす原動力となった。そして十番碁という一対一で実力差を決める戦いで時のすべての有力棋士に勝ち越し最強の棋士と誰もが認める存在になったが、タイトル戦主体に囲碁界が転換していったころ交通事故に遭い長い時間の対局には集中力が続かなくなり勢いが衰え、主要タイトルには恵まれなかった。私が囲碁を始めたころ(昭和48年)はNHK囲碁にも出ていて端正な対局姿で打つのを見たことがある。そして驚いたのが平成に入り囲碁への情熱衰えず「21世紀の碁」と称し新たな布石の本も出しそんな打ち方があったのかと感心したし(私はそれを買った)、さらに85才を過ぎてNHKの囲碁の講師になったのにはびっくりした。単に囲碁が強いだけではなく四書五経にも通じ高い教養を持ち独特の魅力を持つ人物だった。100才というぴったりの年齢で鬼籍に入ったのもなんだからしさを感じる。2012年の『週刊碁』の企画「尊敬する棋士、好きな棋士」ではとうに引退した棋士であるにも関わらず第1位に選ばれたというのも、単に記録だけでない魅力を多くの人が感じていたからだろう。中国人だからかとかそんな小さなことで大人物の威光は色褪せない。まさに巨星墜(お)つという言葉にふさわしかった。

2014年11月30日日曜日

早めの年頭所感

この日は朝から当直だった。2週間たった今(12/14)、また日曜当直だがこの日は忙しかったかヒマだったかあんまし覚えていない。でもきっと今日よりは忙しくなかったはず。12月14日は寒さも増して来たせいか夜の9時ですでに6台の救急車を受けたがこの日はそこまで診た記憶がない。サブアラドDrのネット麻雀を観戦したりTVを見たりして過ごした。こんな時に遅れている日記を書き進めればいいものをこのところ安定して2週間遅れだ。その日あったことを同日に書くのは大変きつくいろいろ反芻してから書く方が上手くまとめられる。できれば1週間遅れくらいがちょうどいいかも。そうだ来年の目標はこてる日記を1週間早める、これにしよう。手帳が明日から新しいものになるし1ヶ月早い年頭所感だわ。

2014年11月29日土曜日

コンピロ君送別

午前は休みだったが青雲会病院へ行き少し仕事をしてテルを見舞った。のどの痛み以外はほとんど問題なくMacBookProでネットばかりしていた。天鳳もやっていてヒマにまかせて鬼打ちだ。で、一半荘、私が後ろで指導麻雀した。相手リーチがかかったときには基本オリるのだが確実な安全牌がないときは端の対子を落としつつ聴牌に近づける、そして高い手を聴牌したなら勝負させた。結果は見事に満貫でベテランの面目躍如だ。まだまだ級位レベルだがハマれば強くなろう。だがしかし度が過ぎるのは考えもので学業がおろそかになるのだけはよしてほしい。まあ、テルのキャラならどっぷり浸かってしまうことはなさそうだが・・。

昼は加治木の寿司店「鯛おどり」に久々行った。10年以上も前から繁盛しているねここは。実際、回転寿司にしては十分なおいしさでまた来てみたいという気になる。自宅近くの「寿司まだか」よりはネタも上等なようだ。

夕方は中央駅近く甲突川端の和食店「うこしよ」で串木野トリオリーグ仲間のコンピロ君の送別会があった。コンピロ君は海広しDrのクリニック隣の薬局勤務だったのが来月福岡に転勤になるという。ちょくちょく鹿児島での仕事もあるそうだがボウリングのリーグ戦参加はきびしいだろう。12月の2週目の金曜日が彼の最終戦になる。トリオ戦でのレギュラーメンバーが一人欠けるのは痛い。彼の球質はビッグフックでストライクもよく出てハイフレーム方式には有利なタイプだった。今夜はアンカーさん、将軍君も来てくれ彼らが都合つけてくれればOKだがメンバー集めに四苦八苦しそうだ。

まそれはいいとして、お酒の席でにぎやかな将軍君が場を盛り上げてくれた。将軍君は今夜も別の場所で飲み会があるんだとか。彼は鹿児島に来た頃は焼酎はほとんど飲んでいなかったのに今はすっかり焼酎党になった。私らが学生のころよりぐっと飲みやすくもなったしそれも分かる気がする。聞けば彼は薬の宣伝、情報提供だけでなくDrの老眼鏡の見立てもしているいう。どういうこと?実は彼は転職組で以前は眼鏡屋に務めていた。だからDrの眼鏡相談はお手の物で面倒見がいいからそこから本業も食い込んで業績を上げているようだ。ううむ、人生経験ってやってて損なことはないな。その彼もやがて鹿児島勤務も10年近くなるからいずれ転勤になりそう。その時はまた送別会か、きっとにぎやかだろうがさみしくなるわなー。

2014年11月28日金曜日

呪いのデジカメ

朝、テルの部屋に行くときつそうな表情で寝ていた。のどの痛みはまだあり微熱もあった。どこがきつい?と尋ねると「腹減った」だって。一応今日からお粥を摂ってもいいことになっているが扁摘後は咽頭痛で食べられない人も多い。某Drなど術後3、4kg減ったそうでテルもそうなるかも。

カールは昨日までの疲れが取れていなくて今日はお見舞いに来られなかった。その代わりではないけれどテルの中学同級生だった「ありさ」さんが見舞いに来てくれていた。彼女は2年半前に私が携帯を切り替えた時の店員さんでもある。あの時「テル君のお父さんですか」と聞かれたエピソードは日記ネタにもなった。病棟の看護師らが「彼女?」と興味を持っていたがそうではない。テルの中3の時のクラス仲間は非常に仲がよく今でも帰郷すれば頻繁に連絡取り合っているのだ。

夜は恒例の串木野でのボウリングトリオリーグだった。ここでのマスターマインドインテレクトの初披露だ。でさっそく初球がストライク!うんうん調子いい。そしてそこから4フレまで連続ストライクだった。すごいぞ。ストライクは次で途切れたが200アップもし上々の滑り出しだった。前作と動き、ピンアクションともに似ていて購入して正解だった。ただこのあとがどうも上手くいかなかった。ボールのフックポイントの手前で曲がってしまい曲がり過ぎを上手く克服出来なかった。これはボールより腕前のせいか。

それとである。私はデジカメ持ってここぞというときに動画撮影をするのだが、今夜はそれまで絶好調だった人が私が動画撮影をするとストライクが途切れたり嫌なピン残りをするのだ。1ゲーム目、隣のレーンで7連続ストライクを出して盛り上がっているおじさんボウラーがいた。私がデジカメ構えたとたんストライクは途切れしかも3、6、10の嫌なピン残り。私も7、10出したり、コンピロ君に至ってはガターとどうもこのデジカメ、呪いがかかっている?しかしそんなこともあるまいと3ゲーム目初っぱなの海広しDrの投球を撮影した。彼は2ゲーム目後半からストライク連発してそんな呪いなど吹き飛ばしてくれようと。だが結果は6、8、10のスプリット。振り返った海広しDr、私のデジタルに気付き「ああ!」と。スイマセン。次はちゃんとストライクを取っていたからまさに呪いのデジカメだ。で、同じレーンの相手チームで1フレから4連続ストライクのクラッツさんの5フレ目を気付かれないようにこそっと撮ってみた。恐ろしい。何とまたもや3、6、10の3本残りだった。私のPowerShot S110はそれまで絶好調の人までミス投球させる恐怖の呪いのデジカメだったのだ。

2014年11月27日木曜日

テル手術

テルの手術は午後1時半に搬入と聞いていた。手術に立ち会うつもりが下血患者がはいり緊急内視鏡があってやきもきした。どうにか間に合い408号室からいっしょに手術室へ付き添った。すでに軽い麻酔がかけられテルはぼーっとしていた。ここからデジカメで写真撮りまくりだった。信号Drが麻酔をかけトシマロDrがメスを握る様子をパチパチ、扁桃部を鉗子でつかんだ時は動画にして保存した。扁桃って表面より奥の方が大きい。摘出された右側のを見てみると径2.5cmほどありまさに小さなクルミみたいだった。左も取ってそれからが少し時間がかかった。というのも後出血を防ぐため糸でしっかり止血処置をしなくてはいけないからだ。そこを丁寧に縫合していく。実質1時間ちょっとで手術手技は終わり外来に呼ばれた私は手術室を後にした。部屋を出る時、カールに「もう(手術は)終わったからすぐに出てくるはず」と言い残したが後で聞くと40分以上かかったらしい。その辺が手術に慣れていない内科医の言いぐさだったな。

帰室したテルはしばらく寝ていたががばっと起きて「トイレ」と言い部屋の中にあるトイレにしばらくこもったらしい。喉の痛みは座薬でコントロールされ夕方私が様子を見に行った時はすやすやと寝ていた。自力で起きたのはそのトイレの時だけだったのだとか。手術のストレスや疲れでぐったりやな。疲労していたのは本人だけではない。私もカールも家ではほとんど何も出来ないまま寝入ったのだった。ふぅー、無事に終わってよかったぁ・・。

2014年11月26日水曜日

テル入院

朝早く帰鹿したテルを迎えに行った。その間カールは朝食を作り4人そろって食べた。テルは明日扁桃摘出術を受けるから術後は食事摂取もままならない、せめて家族いっしょに食べる機会が必要というカールの意見にもっともと思ったのだった。

医局レクチャーは前日までに作ってあっただけにこれまでになく落ち着いてプレゼンすることができた。一通り終わり質問に答え、ほんの少し間が空いたのでこんな時にと密かに準備していた次のスライドをクリックした。そこには先週おろしたてニューボールを投げる私の姿が・・。有無を言わさずクリックを続けると、アプローチを進み投球する私の動画が始まりリリースされたボールは右奥に進みぐぐっと曲がって見事ストライク!自慢のショットを見せただけの単なるお遊びだったのだが、意外にもお偉方から質問が飛んできた。可愛いんだ理事長は「ボウリングの最高スコアっていくらくらいなんだ?」「300点です」ラブカメ先生は「先生の最高スコアは?」「290です」「ほー」てな具合。シマッチ院長なんか笑っていた。ま、余裕をもって作るとこういう芸当も可能なんですなあ。

昼までにみみはなのど・としクリニックを受診したテルはカールに連れられ青雲会病院に入院した。主治医は私で執刀医はトシマロDr。明日が彼のクリニックが休みで午後手術しに来てくれるのだ。病棟は4階で部屋番号は408号。ふむAKB48オタクにふさわしいゾ。さっそく外来、病棟のナースらに「先生のお子さんですか、イケメンですね」とお世辞をもらった。イケメンを言う前に「先生に似て」の文句を入れ忘れていたようだがそれは敢えて言うまい。病室にはWiFiが入っていないのでナースステーションにつながっている有線LANに私の「ホテルでWiFi」アダプタを付けた。これで部屋でもMacBookProで自由にネットが出来るはず。今時TVが見られないことよりネットが出来ないことの方がつらい。私がもし入院したときでもネットさえ出来れば退屈しないことははっきりと予見できる。今回の処置は医師である父の一番のプレゼントであったのだぞ、分かっているかい?!

2014年11月25日火曜日

壁ドン!

最近、ドラマで「壁ドン」なるシチュエーションがブームになっている。男性が気にいっている女性を壁に押しつけるように迫り片手をドンとつける。女性は前後迫られ男性を見上げる。オレ様タイプの男性はそこでなにがしかの愛の言葉をささやくというパターンだ。これはずっと以前からあったもので、私が強烈に覚えているのはあのヨン様ことペ・ヨンジュンが韓ドラ「ホテリアー」で主人公の女性(ソン・ユナ)にいわゆる壁ドンする場面だ。この時点でどちらかと言えば悪役っぽいヨン様、企業買収の正体が女性にばれてしまうが、そんなわけであなたに近づいたのじゃない心底愛しているんだとホテルの従業員通路で壁ドン!しかも左右のガラスドアを電気ロックし逃げられなくし、衆人環視の中でキスをするのだ。実はヨン様を心憎からず思っている女性は呆然としつつも受け入れてしまう。「ホテリアー」全体の中でも一番の名場面に上げる人も多く、ヨン様の「僕だけを見て」のセリフは当時韓国でも流行したんだたとか。冬ソナの一つ前の作品でキャラは全く違うがヨン様ファンにはたまらないだろうな。

この他にも台湾のキョンシードラマに出ていたスイカ頭役の男性が成長しイケメンになってドラマに出ているのだが、その彼も壁ドンをしているシーンを見たことがある。最近はこのシチュエーションを「壁ドン」と呼ぶことで一つのジャンル化し、カップヌードルのCMやクドカンドラマにもパロったシーンが出るなどまさに今年の流行語にふさわしい状況だ。で、私もちょっとやってみたい気もする。「で、カール、どうだい壁ドン!」と言うと、「あら、私は昔飼ってた土佐犬に壁ドンされたことあるわ」だって。どういうことだぁ?「まだ幼稚園児のころ犬連れて道路歩いていたら車が迫ってきて犬が道路壁に前足のっけて私はその下にかがんでいた」のだと。あは・・(¯□¯;)そうかそういうことね、いや、びっくりしたー。

2014年11月24日月曜日

起動力

今日の振替休日はフリー日なのだが、得てして自宅でごろんとなることが多い。出不精の癖はそうは変わらない。もっとも明後日の医局会レクチャーを任されているのでスライド作りをしなくてはならず遊んでもいられないのだった。で、そのスライド作りは超直前にならないと作成する気になれずこれまで何度となくほぼ徹夜する羽目になっていた。今度は少しでも余裕をもって作らねばとぼちぼち始めた。これまではパワーポイントを使用するもせっかくMacのプレゼンテーションソフトのキーノートがあるのでそれを使ってみることにした。使い方はパワーポイントとそうは変わらない。唯一動画を取り込むにはどうしたらいいか「ヘルプ」欄をクリックしただけ。背景の色やグラデーションもこれまで使ったことのないのを選ぶなどし、ほとんどマニュアルを見ることなく作ることができた。テーマは大腸憩室出血の治療法に結紮バンドを使う方法でここ1ヶ月で2例実践する機会がありなかなか有効との感触を持った。写真や動画を取り込んだりしているうちに進み8割方済んでしまった。

いや、こうした作業っていかに始めるかが肝心だ。作り始めると意外にさくさく進むものだ。勉強しない子にいかにさせるかはまず机に座らせ簡単な作業(計算や漢字ドリル)から始めさせるといい。勢いが付いてその後の面倒な問題や苦手科目もやるようになる。それは分かっている。しかし自分に対してはこれまでなかなかそう仕向けられなかった。今回は休日があったこととMacのアプリはどんなもんじゃいという関心があってどうにか起動できた。この立ち上げ行動が簡単に出来るタイプなら私はビッグになっていたかもねー。

スライド作りも一段落したころ、サブアラドDrから電話ありネット麻雀をした。せーので同時に申し込めばだいたい同じ卓につくことが出来る。さてさて、この前6連続ビリという屈辱的な負けっぷりで残り5点にまで落ちたサブアラド七段はどうにか降級戦から逃れ少しずつポイントをためているとのことだった。一方私は好調で3連続トップで闘牌に入った。出鼻に親マンツモってやはり好調のある局面、親でいい手だったが上家の出した牌を鳴こうか鳴くまいか迷ってチーボタンを押したつもりが時間切れで手牌の必要牌をクリック、捨ててしまった。リアル麻雀ではありえないミスだが「冷静に冷静に」と言いきかせフリテン解消し終盤にサブアラドDrから5800を上がり切った。次局、チートイ一向聴からポン、ポンしてトイトイのみを聴牌しすぐにサブアラドDrから8ピンが出てロン!3900でそんなに高くないが良しとしようと思ったら得点シーンで親マン12000になっていたからびっくりした。8萬ポン、8ピンロン、手の内に8索が暗刻になっていて何と珍しい三色同刻(三色同ポン)付きだった。年に数回しか上がれないよこんな手。役に気付かないなんて初級者みたい。でもこれでトップはほぼ確定しサブアラドDrはラスに落ちるもオーラスどうにかぎりぎり3位にいたがラス者に上がられ千点ほどの差で結局ラスになった。残念、ご愁傷様でした。ふふふ、這い上がって来いよー!

2014年11月23日日曜日

産科医はむだにツキは使わないってか

昨日はAKB48のチームBの鹿児島公演があった。私は行きたくもあったけれど一人で行く気はせずぐずぐずしていたらすぐにチケットは取れなくなり行けなかった。

で、リアル麻雀をしたのだが、またまた見せたまえDrに緊急出産(出産ってそういうものだが)があり困ってしまった。久しぶりにジャズ魔も交え闘牌していたのにー。麻雀しつつ電話してすぐにつかまったのがただ今来日中のサブロー君。「今、パチンコをしているけど大丈夫、行けるヨ」と有り難いお言葉。後で聞くと大連チャンでたった千円で10万円ほど勝った直後だったそうだ。連チャン中ならさすがに「しばらく行けない」だったろう。それにしてもパチンコってギャンブル過ぎる。そんなに簡単に勝つということはもっと簡単に負けることが多いってことだ。ギャンブルがあまり好きでない私には今のパチンコはやれないわ。麻雀やっているのにギャンブル嫌いっておかしいと思うかもしれないが麻雀はゲームとして好きという認識で昔やっていたパチンコもせいぜい飛行機台くらいしかしたことはない。

さて、見せたまえDrのラスト半荘、私が親で対面の彼は8巡目にリーチ!特に捨牌に特徴はなく手の入っていない私やサブアラドDrはオリ、下家のジャズ魔のみが少々突っ張って打っていた。上がり牌も出ず彼もツモれず、終盤15巡目ジャズ魔が打三万追っかけリーチ!うわ、残りツモ牌もそうないのにリーチかよと思っていたら2巡後五万をツモったジャズ魔、「ツモ!四暗刻」うへー!4索と五万のシャンポン待ちだった。あいちゃ-、私は16000払いの親かぶりで一気にラスになった。ここで「あー!」と残念がったのが先制リーチの見せたまえDr。「見てよ」と開かれた手は1索2索シャンポン待ちのこちらも四暗刻の手だった。げげっ。見せたまえDrはこの2年、チャンスは何度もありながら1回も役満を上がれていない。他の面子はみんな上がっているというのに。今回もそうで「なんかツイていないな」と慰めると「いや、産婦人科医としては麻雀であまりツキを使いすぎるのも良くないんだ。(本業の)出産がらみでフヅキでトラブルが起きるのが一番困る」という。ふーむ、出産の出来不出来も人知を越えた部分があるってことか。それなら麻雀はこのまま多少の不運があってもいいよね、アハ!

2014年11月22日土曜日

ヤバい方言

土曜朝の外来、まっぴらNsと鹿児島弁の話題が出た。これまでも日記でネタにした「ちんちんぼっぼさるっもそ」だ。元ネタは10年ほど前のタモリのジャポニカロゴスでこれが出た時のゲストらは笑うはおどろくは口に手を当てるはで騒然としたものだ。答えは「もっとゆっくり歩いていましょう」で「ちんちん」は「だんだん」、「ぼっぼ」は「ゆっくりと」、「さるっもそ」は「さるく=歩く、うろつく」、「もそ」は「しもんそ=しましょう」と分解できる。とくに「さるく」は九州では他県でも使われ長崎では「さるく博」というキャンペーンもあったくらいだ。「ちんちん」と「ぼっぼ」はエロい響きがしいかにもTV的で敢えて披露したのだろう。

さらに「ぼっぼ」から連想して、いわゆる「お○んこ」の意味で使われる「ぼぼ」という言葉が九州以外でも使われるかについて、私は「将棋の米長邦雄(山梨出身)が使ったのを聞いたことがあり意外に知られているのかなぁ」と答えた。そして小学生時代の思い出がー。

昭和時代にプロレスを見ていた人ならきっと知っている外人プロレスラーでその名も「ボボ・ブラジル」、これなんか子ども心にすごい名前だなあと思って周囲の友だちらと笑って過ごしていたものだ。ある晴れた日の朝礼で校長先生が有り難いお言葉を述べているその時、空の上に宣伝セスナ機(当時はこの手の宣伝が多かった)がやって来て「本日、鹿児島県体育館で日本プロレス主催ジャイアント・馬場、アントニオ・猪木対ボボ・ブラジル・・」と拡声器ではっきり聞こえるようにやっちまったのだ。期せずして大爆笑が起き、「ボボ」という卑猥な響きは他の小学生もみんな知っているんだと私はこの時知ったのだった。

ネットで調べると福岡ではあまりに露骨だとして案内ポスターでは「ポポ・ブラジル」にしたり、放送後には「あげなこと言っていいのかっ!」などお叱りの抗議電話が来たという。確かに地元で口にするにはとても恥ずかしい言葉でありこれは他地域の人には分かりづらい感情だろう。学生時代、徳島出身の河野先輩(現教授)が「徳島ではね、オチャンコって言うンよ。あー、もう口にするの恥ずかしいなぁ」と言っていた。九州人である私たちは「別にーかわいい発音だねー」だったのだが・・。沖縄では「ホーミー」という。そこで日産のワゴン車に同名のものがあるが沖縄では同じ車種の兄弟車キャラバンのみが販売されているとか。またシャネルズの「街角トワイライト」の出だし「ホーミータイト、ホーミータイト、リトゥルガール・・」もカラオケでは歌うのを躊躇する雰囲気があった。

方言って面白いネ!

2014年11月21日金曜日

チャオ!

昼過ぎはなぜかとても眠くて医局の机にうつ伏していた。首に掛けたピッチが鳴ったらしいが気付かず、近くにいたブックリバーDrは起こすのを気兼ねしてそっとしておいてくれたという。2回鳴っても気付かず結局は医局の福百合さんに起こされる羽目になった。ピッチ音に気付かないとはよほど疲れていたのだろうな。

夜はそのまま当直だった。金曜当直とはちと珍しいがいつもの外部のDrの都合で今週のみ水曜と交代した。で、午後9時までに外来が数名あっただけで深夜帯は全く呼ばれなかった。水曜は救急外来の他に入院患者の肺塞栓という重病発症で採血、造影CTなどでバッタバッタとし、私が当直していたらあそこまで対応出来ていたかと思うほどで、個人的にはラッキーだったみたい。

サブアラドDrから電話があった。「チャオりそーだぁー!」

チャオる?何と天鳳鳳凰卓で6連続ラス(計-810)をやらかしこの間まで1000ポイント以上あったのに今日はたったの5ポイントまで落ちてしまったと。これはほぼ六段に降段(天鳳ではチャオと呼ぶ)する状況だ。とりあえず逃れるにはトップ1回(+90)に2位1回(+45)を取り140ポイントにまで上げラス(-135)に耐えなくてならない。いやーかなり厳しい。六段に落ちれば鳳凰卓では打てなくなり特上卓になる。となると夜の同卓対戦もやりにくくなる。とにかく(笑いつつも)頑張ってーと励ますデルバラド七段であった。

2014年11月20日木曜日

三次除菌

夜は県医師会会館であったピロリ菌の講演会に行った。少し遅れたため前半は聴きそびれたが三次除菌の方法についての話を聴くことが出来て良かった。抗生剤グレーズビットを使うのは青雲でもやっていて、ただタケプロンやパリエットなどPPIを通常の2回/日ではなく4回/日投薬する方がいいというのは知らなかった。当然保険診療では処方できない量だ。三次除菌そのものが保険外診療だから関係ないとはいえ使うもんだねえ。三次が失敗したら四次、五次とアイデアがあるそうだが現実にはそこまで続けるケースはほとんどなく、治療する側も受ける側もよほどのことがないとできない。私が三次除菌した患者でもし失敗したらきっと四次五次まで受けただろう人がいた。頭の中がピロリ菌でいっぱいでノイローゼっぽくなったおじさんだった。日記ネタにもしたことがある。そう思えば一つの病気を徹底的にやっつけるって執念がいることなんだ。

聴衆者は消化器系だけあって知り合いがいっぱいいた。その中で隼人の波乱口先生がいたのには驚いた。80才代後半のはずだが内視鏡診断ではひとかどの先生でまだまだ現役、治療にも意欲を燃やしている様子だ。いや、それの執念にも頭が下がる。感服!

2014年11月19日水曜日

マスターマインドインテレクト

さあて9ヶ月ぶりのニューボール、マスターマインドインテレクトの初投げだ。泣かん薗Drと投げるのも久々で私がニューボールを投げると言うと「私も今頼んでいるところです」とのことだ。「で、銘柄は何?」と聞くと「知らない。もう国分スターレーンのドリラーを信用して任せているから」とのことだった。ううむ、それもありかもしれない。あそこのドリラーは二人とも若いがなかなか上手だ。マスターマインドは国分でドリルしてもらい非常に投げやすく今回もと思ったが在庫と特価の関係でネット通販になったのだった。

レンコンが荒れていないか心配だったがちゃんとオイルが入っていて、というよりいつもはないはずの端っこにオイルがあってガターぎりぎりを狙うと前部落っこちてしまう羽目になった。最初の1ゲームは何回ガターしたか分からない。いきなりニューボールは投げずマスターマインドで肩慣らしした。泣かん薗Drは国分と勝手が違ってかストライクのライン取りに戸惑っているようだった。2ゲーム目、いよいよニューボールを投げることにしスリウェル君にビデオ撮影を頼んだ。いつも処女球は撮影している。そうだ、思い出した。6年前、そうしようとしてたまたまその時も泣かん薗Drといっしょだったのだが、そうとは知らず彼は「お、新しいボール('Ntense LevRG)ですね。試し投げさせてもらいます」と投げてしまった。あわわと見つめる私。まだ私ですら投げていないのに・・。そのせいではないだろうが、そのボールはあまり使われることなく、そのうち誰かに上げてしまった。今度はどうかな?

慎重に投げたつもりが少しバランスを崩し右によれてしまうも、コースはいい感じで入り、見事ストライク!おお。ボールはよく走り奥で急速に曲がるマスターマインドと同じような性質だ。その後ライン取りも上手くいき、4ゲームなど5連続ストライクを取るなど非常に満足のいく初投げだった。スリウェル君は「センセ、古いボールはどうするんですか」と意味ありげに聞いてきた。どうやらマスターマインドをの払い下げを狙っているようだ。「あのボールいいっすね」と以前から興味津々だったしー。ふーん、もうちょっと待ってもらおう。インテレクトでやっていけると確信したら上げよう。へたってきているとはいえきっと今のボールより曲がり、ピンアクションともに優っているし、ブランズウィックのこのシリーズのボールは本当に買いだ。

いつも思うがニューボールがいい感じだと気分高揚してくる。道具の持つ魔力ってことだな。

2014年11月18日火曜日

パンツの穴

今日は昼から早帰り。ニューボールは午前中には届いていたようだ。さっそくサムホールにテープ装着をした。マイボールで一番肝心なのは親指の感触を緩すぎずきつすぎずにしボールをに力を入れずにリリースさせることで、円形に掘られた穴は楕円形の親指には絶対フィットしないゆえ必ずテープセッティングが必要になる。マイボール初心者がそのままの穴で投げても平気なのは指に力を入れて投げているからだ。最初はいいがゲームが進むに連れ疲れてくるし何より指から離すタイミングがまちまちでコントロールが不安定になってしまう。ボールを親指で握らず添えるようなイメージで投げると力いらずで精度が安定かつ持続するのだ。前作のマスターマインドとほぼ同じ位置にテープを張り指にもテーピングして確かめつつ処理した。よし、これで明日は泣かん薗Drらと投げるが時間取らずに即投げられるワイ。

カールに「これどうしたの」と言われて見たのが私の下着パンツだった。ユニクロ製でつるつるした履き心地が気持ちよくその後同じシリーズのものをよく購入している。その最初に買ったやつでどうしたのか見れば何とお尻の部位が擦れてぽっかり穴が空いていたのだった。「えー、何これ」と口をあんぐり。「それはこっちが言いたいわ。最初見た時何か変なことして空いているのかしらとびっくりよー」うわ、確かにそうだ。これが前部にあったのなら、どうだおれの○○は穴がほがるくらいだぞと一物自慢をするところだが、大きなお尻が長年繊維をすり減らし出来たもののようだ。滅多に見るものではないのでしばらく風呂上がりの場所に飾っておいた。ハハ。

2014年11月17日月曜日

ネタ切れ・・息切れ

イエパニからようやくメールが届いて明日ニューボールのマスターマインドインテレクトが届くことが分かった。やれやれやっとだ。初投げは明後日だな。

大学時代の同期寝太郎Drから12月初めに鹿児島に行く用事があるので会わないかとメールがあった。OKなのだが12月の当直表作成が遅れていて確約できない。ああ、もう年末年始がやって来るぅー。

(昨日は当直でさほど忙しくなかったのに眠い・・日記も5行書いただけでぐーすかだった・・)

2014年11月16日日曜日

その後の卓上

今日は朝から自宅でうたた寝状態で夕方から当直のため病院に向かった。

昨日は雀荘を出た後、甲突川沿いのイタリアンレストラン「東方見聞録」に向かった。セントラル高校出身のDr同窓会で毎年秋にあり私はたいてい出席している。近くに座った先輩Dr二人は60才を過ぎていたがいずれも再婚し小学生の子どもがいた。運動会の話や体を鍛えている話などいやーご苦労なことだ。そういえば私の同級生のオトコミセ君の2才年上の兄貴はDrで再婚し子どもはまだ小学生にもなっていないはずだ。みなさん頑張るわ。現況や高校時代の話題、なんでT高校に行かずにセントラルを選んだか(たいていは先生の勧誘、私もそうだった)などわいわい盛り上がった。でもアルコールは飲まずに一次会で引き上げ、また雀荘に戻り今度は観戦をした。

雀荘で皆の打牌を観戦するのは学生時代以来じゃないか。ネットでは観戦の方が多いくらいだがリアルでは相手の表情や口でのやりとりなど生々しさがあって面白い。ダイボDrが一気通貫ドラドラの聴牌をしながらも赤5萬を握って行くべきか降りるべきか呻吟しつつの長考をしていた。私なんかツモ切る一手に見えたが、彼はなんと聴牌崩しに出た。上家の見せたまえ、開けたいゾ両者が鳴いて確かに危ない牌ではあったが絶対に放銃するとは言えないし何より自分は満貫手だ、オリはないだろう。結果オリ牌の7索をチーした開けたいゾ君がその後親マンツモで決着した。で、あの時の赤5萬は見せたまえDrにアタリだった。へー。それでも私なら切っているなー。このあたり雀風の違いか。ダイボDrは仲間内では一番の守備方雀士である。

その後開けたいゾMRの後ろで見ていたが、オーラストップ争いで早いチンイツドラ1のハネ満手1、4索待ちを張って他家も警戒心なくこれは決まりだなと思っていたら一向に上がれずサブアラドDrが上がりトップになった。ただ待ち牌が山の奥にたくさん眠っていただけでこれなんかついていないの一言だ。このあたりからサブアラドDrが盛り返し開けたいゾMRは凋落傾向となったようだ。「こてるが見ているとツキが落ちる」なんて言われたけど、サブアラドのうしろで見ていた時は先生ツイていたし関係ないっしょ。

サブアラドDrなど「こてる先生も打つ?」と気を利かしてくれたがその気はなく帰宅した。後でトータルの結果をサブアラドDrに聞くと開けたいゾ負け、ダイボ勝ちの構図だったらしい。ううむ、あの時あの場面では開けたいゾ君が上がりダイボの失敗に見えたが麻雀はトータル勝負、彼の打ち方が正解だったのかも。麻雀って100%の正解はなかなかない故に難しくも面白いゲームや。

2014年11月15日土曜日

忙しい卓上

今日は朝から休みで天鳳2半荘打ってからトヨタに車の定期点検に行った。天鳳はトップ2回取りようやく上昇機運に転じた。去年は七段に上がって順調に八段に上がったのに今回は下位でくすぶっている。サブアラドDrも一時八段近くまで行ったのに今は私と同レベルに落ちてきている。強者ぞろいの鳳凰卓では生半可では昇段できないってことだ。

トヨタではヘッドランプが一部点かなくなっていると指摘され部品交換に応じた。でもそろそろメインテナンスもし過ぎないようにしなくては。担当者が「これはオフレコですが」で「来年の今頃はニュープリウスが出ます。今の型を県で最初に購入されたこてる先生はまたいの一番にと思ってらっしゃるかと思いまして」とこっそり教えられた。ふんふん、確かにプリウスは気に入っているので次ぎもと考えている。しかしあの時は車検が迫っていてどうしてもあのタイミングでないと間に合わなかった。現物も何も見ずに注文したまたま誰も乗っていない時期に買ったが、車検も再来年だし今度は少し車種や色、装備を選んでからにしたいと答えた。セールスマンの思惑どおりかもしれないが現行プリウスは相当気に入っている車なのでどうしても新型に期待してしまう。来年の今頃は新車待ちでわくわくしているかも。

午後はサブアラドDr見せたまえDr開けたいゾMRの3人と麻雀の予定だった。しかし直前に見せたまえから電話があり「生まれそうなんだよねえ」と。またか・・。出産は麻雀を待ってくれない。夕方からは出来そうだというけれどそれまでどうしたらいい。実は私は午後7時から高校のドクター同窓会がありダイボDrが代わりに打ってくれることになっていた。もう一人代理を探さねばならない。ジャズ魔、Ohツカンネ、イケシューと電話するが都合悪かったり留守電だったりで少し血迷った私は今まで一度も打ったことのないタシケントMRにまで電話をかけた。彼は一応打てるがというレベルとかで果たしてこの場に入れていいか・・。その後ザワワ社長を思い出しかけてみた。留守電だったがすぐ連絡が入り夕方までならOKで、午後2時開始にも間に合い、本当にほっとした。いやー、以前も似たようなケースでピンチヒッターに来てもらったことがあり本当に助かる。闘牌開始したころ、私はむかむか胸焼けが起きてきてこれはかなりストレスを感じていたんだと分かる。

麻雀は開局サブアラド、開けたいゾのリーチ合戦になったがザワワ社長が果敢に追っかけリーチ!すると一発でピンフドラドラ親マンを開けたいゾMRから上がった。社長はその後も上がるなどして調子がいい。これって救世主に対して我々の感謝気分があるのかな。そんなことを言っていたら、まだ序盤、社長が普通にツモ切った1万をサブアラドDrに「ロン」と言われた。開けてみるとピンフ一盃口ドラ3のダマ満貫、「ひとまずお礼は終わりやした」と。いやはや全く容赦ないね。この後社長はそこそこの調子だったがトップを取りきれずちょい負けで6時には帰り、すぐさま見せたまえDrが来て入り、一半荘だけ打ち私がトップ取ってちょい勝ちで7時前には同窓会に向かったのだった。まったく忙しい雀卓であることよ。

2014年11月14日金曜日

同じ阿呆なら

今日はプレゼントの多い日だった。普通のプレゼントならうれしいが患者入院紹介のことで、4人もいた。近隣の老健施設から誤嚥性肺炎患者はいつものことだが、可愛いんだ理事長から貧血の高齢女性、歯科口腔外科から口腔内膿瘍の患者、整形外科から腰痛の患者の主治医依頼がありハイハイと全部受け入れた。歯科口腔外科と整形外科からは非常に珍しい。今日は何の日だったかな、、別に誕生日でもないのにと思ったぜよ。

夜は串木野トリオリーグで私の予定ではイエパニに頼んだニューボールが届いてここで初投げのはずだったが何の音沙汰もなかった。変だ。いつもならあるドリル終わって送りましたのメールすらない。もしかして銀行振り込み先を間違ったかな。よく利用するボウリングショップが他に二つあるからそちらに振り込んでしまったとか・・。いや、そんなはずはない。恋チュンを踊ったあの日、薬局横のATMでちゃんと代表者の名前を確認したはず。ううむ、明日メールで催促しなくちゃ。

そうだ、例の恋チュン。内視鏡室の分のダンスを昼休みに撮った。私は松井珠理奈、服緑Nsは渡辺麻友の顔写真付きヘアバンドをはめ、ムッちゃんNsはカツラをかぶり、シホねえNsは網タイツ姿、村香さんは人間ドック服、コッパマNsはミニナース服というコスプレで踊った。たった5秒のためにほんま気合い入れてるわ。最後はみんなで記念写真を撮った。ただし、ブックリバーDrは恥ずかしいからか参加せず。もったいない。踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らなソンソンでっせ!

2014年11月13日木曜日

実力!夏井いつき先生

毎日放送の「プレバト!!」天才凡人ランキングの俳句コーナーでは夏井いつき先生の論評が面白い。ていうかその的確さ、手直し俳句の味わい深さなどいつも感心する。毒舌ぶりがTV的という評判もあろうが、先生に指摘される言葉への洞察、選択など納得することがすごく多い。

今日の放送のお題は「紅葉(こうよう)の日光いろは坂」だった。多くの芸能人が事前に作った俳句を才能アリ、凡人、才能ナシに分け順位を付けるが最下位の才能ナシ・ゴリ(ガレッジセール)の「秋いろは 山部が続いて 蛇を出す」には「伝わるものがほとんどない」と酷評し「秋天や 蛇の如くに いろは坂」と手直しした。明らかに手直し作の方がいいのが素人でも分かる。第7位の才能ナシ・児嶋一哉の「いろは坂 秋めくランプの コードかな」は”秋めくランプ””コード”で比喩が二つとなっていると指摘し「妻と行く 山は秋めく ランプかな」と直した。素人はやたら比喩を使いたがったり、すぐ”夢~”とつけたがると、3位評価の渡辺徹の「日の光 初のドライブ 夢紅葉」を「初めての ドライブ紅葉 光る窓」と添削したりした。俳句は17文字しかないから一文字一文字に神経を行き届かせる必要がよく分かる。

で、今回の才能アリ、1位は俳優の野間口徹だった。この人は去年「あまちゃん」で岩手のやたら業界人ぽいTVディレクター役をいかにもそれっぽく演じて印象に残っていた。それにオタクしか見ないAKBSHOWのコントでもTV業界人役で出てAKBメンバーに振り回される役を好演していた。それがこんな番組に出ているとは知らず、しかも以前はいつき先生に酷評されたこともあったという。しかし今回の「曲がっても 曲がっても燃ゆ 紅葉坂」はいつき先生、シンプルにかつ安易に比喩を使わず風景に入り込んだ作品で「今まで褒めたことなかったけど今日は褒める」と絶賛していた。確かに。

私は国語は好きだったけれど俳句や短歌を作ろうとしたことはなかった。でもこの添削や教えを聞いていると自分で作るのも面白そうだ。感性豊かな時代にこのような先生と出会っていたら俳句好きになって下手すりゃ俳人になっていたかもと思わせるほどで、これはひとえに夏井いつき先生の力だろう。先生たるものかくありたいものだ。

2014年11月12日水曜日

器用はいいけれど

日によって似たような患者が集まることがあるが、今日は腹痛デーだった。腸閉塞が2人、腸炎が1人。3人とも入院となった。消化器系をやっていても腹痛患者は診断や経過に気を遣う。腸炎と思っても実は虫垂炎、その逆もある。腸閉塞(イレウス)も自然によくなるのもあれば緊急で手術が必要になるのもある。入院した患者らはとりあえず手術などしなくて済みそう。やれやれだ。

夜はボウリングの定期練習。今日のT-MAXはオイルが枯れ気味でスコアアップはほとんど望めなかった。またMノ下と隣同士になって、宮崎での歯科医師会大会はどうだったかと聞くと全体10位くらいで鹿児島の中ではノダメ先生にわずかの差で2位だったそうだ。それも最終ゲームのミスでわずか数ピン負けたんだとか。優勝者は宮崎エースレーン常連さんで詳しくは忘れたがとんでもないアベだった。230?いやもっとあったような・・。

こんなレンコンは安定していいスコアは出せないってことでスリウェル君はレーン左側は荒れが少ないからとわざとバックアップ(野球ならシュートボール、ゴルフならスライス)で投げ始めた。彼は器用でこれで結構ポケットを突く。そのうちストライクも連発し始め何とターキー賞まで取った。すごいが右利き本来の投球術を高めないとジツリキは付かない。器用貧乏にならないよーにネ。

2014年11月11日火曜日

職員全員「恋チュン」

朝の医局会が一段落した後、リハビリスタッフがダンスのビデオ撮りにやって来た。忘年会で披露されるAKBの「恋するフォーチュンクッキー青雲会病院Ver.」のDr、医局部門の撮影をするためである。我々は事前に踊るパートは知らされていたが正しく踊るDrなど誰もいず、リハビリスタッフが目の前で踊るのを即席で覚え、まずは可愛いんだ理事長、ラブカメ、鶴店教授の大御所3人組が踊り、その後医局Drがシマッチ院長とこてる医局長チーム分かれそれぞれ撮影した。いずれも5秒足らずなんだがみんなぎこちない踊りでいっぱいいっぱい。果たして見るに堪えるのか心配になる。まあ下手でもそれはご愛嬌でしょう。

そして午後は13時半から防災訓練があり、いつものように隣のささやか薬局横駐車場に集合し消化器訓練が終わってから、今回は職員全員で恋チュンを踊る撮影があった。青雲タウン芝生広場に移動し即興で全員で踊った。私はここぞとばかりに一番前に位置した。さすがにセンターポジションではなかったがこれだけの大人数、一番前にいないと全然目立たないでしょ。それがみんな遠慮して後ろのその他大勢の中に埋まっているんだよなあ。そんなことじゃAKBじゃ生き残れないよっ!おっとここは青雲会病院だった、でもきっと後で前にいれば良かったって思うはずよ。私は下手でも目立とう精神は旺盛なんだ。ハハ。

私はあと内視鏡室パートにも出ることになっている。金曜撮影予定でムッちゃんNsやシホねえNsなど気合いが入っていてわずか5秒程度に今から練習をしている。今年は忘年会の余興競争がなくなったけど余興に燃えるDNAはちゃんと息づいているんやな。

2014年11月10日月曜日

扁桃を取って

夜、テルからまた連絡あって「扁桃腺の手術をうけたい」と。大学の休みが1週間近くあるのでそのあたりで帰鹿し鹿児島で治療をとのことだ。それならば青雲会病院に耳鼻咽喉科Drを呼んで可能かどうかあたってみよう。トシマロDr始めガンツボDr、入り口Drなど知っているし、これまでも青雲で出張手術経験もある。明日まずトシマロDrに連絡してみよう。

2014年11月9日日曜日

マスターマインドインテレクト注文

当直夜はそんなに起こされたわけではないけれど何となく体は重い。髪の毛もボサボサで散髪したく自宅近くのゴンちゃんクラブに電話すると9時50分からOKとのことだった。切ってもらっている間は何度もこっくりこっくりし「(朝から)お疲れですね」と言われたよ。

帰宅してしばらくするとテルからまたメールがあった。「また扁桃腺腫れている」これに対し「まずうがい。あとは薬だが」と返信すると「薬は全然ない」「うがいしかしていない」だと。この前も扁桃が腫れて近くの内科医院で点滴してもらったりしていたがこうも何度も扁桃炎を起こすと困ったものだ。年に3、4回扁桃炎を起こす人は思いきって扁桃摘出術を受けたほうがいいとトシマロDrにも言われたことがある。この際テルは手術を受けたほうよさそうだ。夜には「寝たら良くなった」と返信あったものの考えておかねば。

夜、ボウリング用品店「イエパニ」のサイトをチェックしているとマスターマインドインテレクトが通常の2万2千円よりぐっと安く17980円のバーゲンプライスになっていた。重さを確認すると15ポンド2オンスでちょうどいい。マスターマインドシリーズは使っている人は少ないが曲がりピンアクションともに最高レベルのボールで私は相当に気に入ってる。まだ現行ボールも使えるがこのところオイル吸収されてテカりがなくなって来ていて次ぎ買うとしたらこれかなと思っていたボールだったので注文することにした。色は今のオレンジ基調からブルー基調で悪くない。今年はこれで3個目のボールか。例年よりはやや多いか。来年1月には4年ぶりくらいに姶良郡医師会ボウリング大会が復活するというからいいかも。またやる気が出てきたぜぃ。

2014年11月8日土曜日

役満の夜

今日は朝から勤務で午後からは引き続き当直だった。朝イチで先週十二指腸潰瘍出血した患者がまた吐血したと聞き緊急内視鏡をすると先週止めたところは止血されていたのに別の部位の露出血管から出血していた。巨大潰瘍だったゆえに一筋縄ではいかない。クリップで止めどうにかまた止血出来た。

当直での患者は怪我が多かったな。転んで腕の皮が剥けた人、包丁で指先を切った人など、内科の私が全部縫合した。ともかくも縫合が出来るということはいいことだ。後日外科や形成外科のDrに診てもらうが縫い直しになることはないようだ。出血を止めるってことは内視鏡止血同様大事ってことっす。

夜は天鳳の観戦(当直の時は私はネット麻雀は打たない)。例によってサブアラドDrが打ちまくっていてぼーっとみていたら当の本人から携帯に電話があった。「今天鳳打っていたんだが」「知ってますよ。今観戦中ですって」「ほう、今どの辺?」「南の2局ですが、センセ、国士無双狙ってますね」「そうなのよ」「うん?まさかこれ上がっちゃうの?」「ふふ、見ててごらん」観戦は5、6分遅れて表示されていく。サブアラドDrのはすでに結果が出ている。口ぶりからして役満成就か。一人だけダントツがいる中で下3人がビリ争い、サブアラドは露骨な国士狙いに出ていた。6巡目で一向聴。中か1ピン持って来れば聴牌だ。そして10巡目1ピンツモり中待ちの聴牌となったが直前に3枚目の中が切られ残る上がり牌は1枚となっていた。ラスの下家は断ヤオドラドラの聴牌でサブアラドが持って来れば間違いなく放銃でラスになる。しかし13巡目上家の親が不幸にも4枚目となる中を持って来た。ロン!国士以外あり得ない上がりで上家は瞬間肝をつぶしただろう。3万2千点上乗せされわずか千点差でサブアラドDrは逆転トップになった。いやーお見事!気持ちいいだろうねえ。

そして同じ頃テルからメールが届いた。「役満上がった。四暗刻単騎。しかも親、9万6千点!」ネットでなくリアル麻雀でのことで人生初の役満だったようだ。おいおい、みんなすごいのう。でもテルにはあまり麻雀にハマりすぎないよう忠告しておいた。私は学生の時にそれで一時学業がおろそかになったから。「大丈夫、週末のたまにするくらいだから」との返信でそうあって欲しいものだ。ともかく役満は麻雀の華。聴牌すればドキドキ、上がれば歓声、楽しいっすよネー。

2014年11月7日金曜日

あらま、ハッチNsさん

夕方、ドラッグストア「ひまわり」に立ち寄りゼロコーラなど買いレジに並ぶと「先生、お久しぶりです」と声を掛けられた。一瞬誰か分からなかったが、青雲病院時代の病棟看護師ハッチさんだと気付いた。「あれー久しぶり。うん、ちょっと太った?」と以前のイメージとは程遠い体型の変化にびっくりしつつも控えめに感想を言うと、「これでもだいぶ痩せたんですよー。子育て中にすごく太ってしまって」と笑いつつ返事してくれた。「いやー青雲辞めて何年も経つね。そうそう、実家のあの紐につながれた犬はまだ生きている?」と尋ねた。「まだ生きてますよ」というから少しびっくりした。私が彼女の実家に訪問診療していたのが10年近く前だからあの吠えるワンちゃんは長生きだ。そうだ、彼女をボウリング練習に連れて行ってみたらなかなか筋のいい投球フォームで鍛えれば上手くなりそうだったが結婚退職してしまってそれっきりだった。今は仕事復帰して近隣の病院に勤務しているという。それに「こてる日記も見ていますよ」と言うではないか。それならちゃんと登場させなきゃ。

調べると彼女は過去1回だけ登場していた。12年前結婚したばかりのころ、旦那に胃カメラをしてやってほしいと頼んできて、旦那が小学生のころ当時の可愛いんだ院長に「こら坊主、このままだと胃が荒れて胃癌にもなりやすいぞ」とおどされそれがずっと気になっているから調べて欲しい、それで調べると胃炎くらいで大したことなかったというエピソードだった。(実はその後私が新婚さん向けの下ネタを言うのだがここでは割愛)

十年一昔、このくらい経つとみんななにがしかの変化はあるなー。

2014年11月6日木曜日

爪切りは貝印

私は深爪症候群である。少しでも爪が伸びると即ちょん切る。切らないと気が済まない。深爪は良くないと皮膚科のDrに言われてもこれはもう性分だ。だからすぐに手が届くところに爪切りがないと落ち着かない。食卓の横に医局の机に内視鏡室の引き出しにとところ構わずというほどではないが置いてある。

それが最近、誰かが持っていったのか医局の机のが無くなっていた。探せども見つからない。そんなわけで外来業務の合間に有信看護師に頼んで爪切りを持ってきてもらった。さっそく爪を切るとこれがなかなか良く切れる。「このマークなんて書いてある?」と有信君に尋ねると「えーと、KAIってかいてありますかね」とだじゃれとも本気ともつかぬ返事だった。そうか、これはいい、ネットで注文しようかな。というのも自宅の100円ショップで買った爪切りが安物買いで切れが良くなく操作もかたくて使いにくかった、質のいい爪切りが欲しいと思っていたところだ。調べるとこのブランドの製品は爪切りに限らずいっぱいあった。中には何千円もする高級品もあったがとりあえず4、500円のを一つ注文した。帰宅してカールに尋ねると「あら、貝印は有名よ」と爪切り以外の製品もよく使っているという。へー、私が知らなかっただけか。たかが爪切りでもしっかりしたブランドは操作性、使用感ともに優れている。爪切りなんて何十年も壊れる代物ではないから安すぎて今一のものより少し高くても良いものがいいと再確認したことだった。

2014年11月5日水曜日

サブロー君、検査を受ける

サブロー君が青雲会病院にやって来た。この前の麻雀が終わったあと彼を家まで送った際に「最近咳が止まらなくて・・」と相談を受けていた。検査を受けたいとのことで、ならば青雲へ来ればと勧めたのである。だいたいサブローは昔からヘビースモーカー、見せたまえ君もだったがさすがに今は止めた(彼の話によれば中学生だった息子が喫煙で補導されたのがきっかけだったとか)のに未だに吸っている。で、日本にいる間に検査を受けたいとのことだが、当然健康保険は使えない。しかしオーストラリアで下手にCTを受けるとそれだけで17万円ほどもかかるそうだ。胃カメラも保険が効いても10万くらいする。日本では保険が利かなくても胸部CT、診察込みで2万ちょっとなのでどんだけ安く済むかってことだ。

撮影が終わり、説明前にじっくりCTを見てみた。肺癌など怪しい影がないかがまず第一だ。ふーむ、幸いそれはなかった。しかしヘビースモーカーゆえの肺気腫がやはり始まっていた。徐々に肺の組織が壊れ進行してタバコを止めない限り元には戻れない。やがて70、80才になって酸素抱えて生活する羽目になる。彼にそっくりそのまま説明すると安堵とちょっぴり不安が交錯したような表情だった。「ま、悪いことは言わん、この際禁煙したらどうだ」「うんそうだな」で帰っていった。(止められるかナー)

彼はオーストラリアのお土産でたっぷり甘いクッキーとビタミン剤を置いていった。甘クッキーは私好みではあったけれど禁間食ダイエットを標榜する私が食べるわけにはいかない。外来のみんなに上げたら割と好評でよかった。ビタミン剤は水に溶かすと泡が出てジュースみたいになるやつで何だか昔の「渡辺ジュースの素」みたい。懐かしい。でもそれって今の20才代、30才代には分からないだろーなー。あの頃はあんなのでも美味しいなあと思っていたものだった。だよね。

2014年11月4日火曜日

人間力

連休明けで月初めでもあったせいか今日の外来患者は多かった。私は内視鏡担当でそこまでバタバタ感がなかっただけで忙しいことに変わりは無かった。入院患者もいてその中に虫垂炎の初老男性がいた。症状が良くなったのはいいけれど病棟診察に行くと何だかお顔が険しい。唇震わせながら言うことが「さっきの男性看護師には頭に来た。私にタバコを吸うならば強制退院してもらいますと言ったが医者に言われるならともかく云々」と。で、実際に吸ったのかと尋ねると「吸っていない。でも頭に来たので妻にタバコを持って来てもらい、外で吸ってやった。こんなことではここにはいられない、今晩帰る」と怒り心頭のご様子だった。私は「失礼な言い方だったらそれはいけないことでしたね。きちんとその看護師に話しをしてみますから」と取りなし病室を出た。

その前に病院の決まり関係をー。「タバコを吸ったら退院」を看護師が患者に言ってもそれは問題ないことである。青雲会病院では入院時に事務方がこの点を必ず説明する決まりだし、そのような行為を見つけたら医師であろうと看護師であろうとすぐに注意するのは当然である。その患者は医師より格下のましてや人生経験においても下っ端の若造からそのようなことを言われたことに自尊心を傷つけられ頭に来たということなのだろう。そもそも事実関係はどうなのだ。本当にタバコを吸ったのか?ナースステーションでマチルダ病棟師長がいたので尋ねると「言葉遣いや言い方に問題があるはずがない」と言う。それに別の看護師から「吸っていたのは間違いない」「匂いもした」との証言もあった。ふむ。その患者は外来でも一癖あり医師に対しても素直な態度でないことがあるのは私も知っている。後から「吸ってやった」行為からもおそらくは吸っていたのだろう。でもここは虫垂炎が完全に治癒したか医学的に微妙な状態でもあったので一晩は様子をみたい、退院はまだ待って欲しいと説得した。炎症がぶり返したらせっかくの治療がやり直しだ。私のなだめにようやく感情抑えて同意してくれた。やれやれだ。

患者も人間、看護師も人間、マニュアル通りには行くとは限らない。応対には人間力が必要だ。

2014年11月3日月曜日

なぜに文化の日にはおとなしくするのか

今日は親戚のバタフジDrが長島で開業しているクリニックで仕事の予定を入れていたのだが実はキャンセル(変更されていた)されていて全く何もない日になった。市内ではおはら祭りをやっている。しかし、こんな日はおとなしくするに限る・・というのも以前はこの日になると親からちくちくと「あれはおはら祭りの日だった」と言われていたからだ。

学生だったころ私が居眠り運転をしてこの日の朝停車している車に衝突事故を起こしたのだ。相手がヤクザまがいだったため親に迷惑をかけた。2ヶ月後、免停教習で姶良まで来て自分の処分に申し開きが出来ると聞き、長期免停は処分が重すぎると主張したら何とこれが通って中期免停にしてもらった。被害者が頚や肩が痛いと二人三週間入院したため併せて1ヶ月以上の重傷を負わせたことになったため長期になったのだが、その後の彼らの行動(おはら祭りで踊ってから入院した、その日のうちに関係者が脅迫電話を私の実家に掛けて来た)など警察にも申し出ていて証拠があったのが良かっただろう。しかし、2日間免停教習を受けたためその前後の日にあった大学の追試験受けるのがいっぱいいっぱいで十分勉強出来なかった。そのあおりで1科目落とし留年の憂き目にあう。落ちたのは医動物学(寄生虫学)の1単位だったが試験前は教科書をそれなりに勉強したのに授業の内容から出てある意味個性的な問題だった。傾向と対策が出来ておらず失敗したのだ。2年後の卒試では前年の試験問題などを参考にするようにし追試はあるも一つも落とさず無事卒業資格を得て国家試験に臨むことが出来た。後から考えるとそこで落ちて今度はその轍は踏まないぞとの心構えが出来た。私のバスケの先輩の得だプロはパチンコ、麻雀遊びながらも留年はせずひょうひょうとやり過ごしすごいものだなあと思っていたら国試で失敗した。訳を聞くと「踏ん張りが利かなかった」と述懐していた。それまで上手くいっていただけに国試もどうにかなると思っていたのだろう。

そうそう、今日は3ヶ月前スピード違反をしてちょうど3ヶ月経過する日だった。過ぎればマイナス点が原点に復帰する。まあ、そんなこともあったし交通事故に縁起でもない日なのでずっと家にいたって話です。

2014年11月2日日曜日

オヤジのジツリキ

今朝は久しぶりにチッチとT-MAXにボウリングに出かけた。S學館では高三の2学期に2回ボウリングの授業があり先週投げたところチッチはぼろぼろだったそうだ。さもありなん。この半年ボウリングをしておらずさらにマイボールでないし日頃ほとんど投げないサンライトではいいスコアが出るはずもない。でもそれがきかっけでクラスメイトの二人に今度の日曜にT-MAXで投げようとなり、その際「うちのオヤジは・・」となったらしい。ふむ。断る理由などない、ボウリング歴20年以上のジツリキを見せて上げようじゃないの、となったわけだ。チッチもマイボールでのスコアをアピールしたかったのかも。

4Fのレーンに着くと、何とMノ下君がいた。来週宮崎で九州歯科医師の大会があるため練習に来たとのことだ。
投げる前にレーンのオイルの様子を見てみた。オイルを入れず昨夜のままということもありそうなると荒れてマイボールの威力がそがれる。きちんと入っていてきれいだったのでほっとした。1投目は準備運動も兼ねて軽く適当に投げただけだったがストライクになり、友人らが「おおっー」と声を上げた。ただラッキーなだけだったがまずはつかみはOKか。

チッチ友人はレオ君とシンジ君で、ボールは当然ハウスボールで投げた。シンジ君はサムレス投法でボールを大きく曲げることが出来、場合によっては普通に直球も投げなかなか運動神経がよろしい。レオ君はあまりボウリングはしないらしく途中私はピンを見ずにドットかスパットを見て投げるとコントロールしやすいぞと指導をした。こんなことでもボウリングはすぐにスコアアップにつながる。チッチはマイボールで投げたといってもスペアのコントロールが全くだめで1ゲーム目は100を越えなかった。私はというとスペア2回のあとスプリットミス、そしてイージーミスし5フレで78点と今一だった。しかしレンコンは安定しているしだいたい狙うラインがつかめたのできっとストライクが出るはずと投げた6フレから怒濤のストライクラッシュ、8フレでターキー賞取っても緩まず投げ、10フレまでオールウェイなんと7連続ストライクでスコアも223を出し友人らの度肝を抜いたようだ。ふふふ、今日はこれだけでよい。後はどうなろうとチッチオヤジのこのインパクトは強烈だ。実際その後は151、189で普通だったが、彼らが家であるいは学校で話題にする時は「チッチのオヤジはストライクばっかしで220以上出していた」になるのだ。ハハ。

4ゲームめと5ゲームめはダブルスをした。私とレオ君組、チッチとシンジ君組に分かれハンディを彼らに20ピン与えた。で、開始しようとすると、ややタイミングが悪いことに場内が暗くなりストライクチャレンジが始まった。これでストライクが出ればオロナミンCがもらえる。それで第1投球者を私とチッチが投げることにした。ダブルスでは私の方が後投げがいいけれど時間制限内でストライクを出すにはその可能性の高い人から投げたほうがいいからだ。で、投げた結果見事にストライク。続くチッチもストライクでこれはお見事!2フレで友人二人も投げたがやはりストライクは出ずに結局ストライクは出だしだけだった。

ダブルスになるとスペアも勝手が違い私がミスの連続をしてしまい5回連続1ピン残りの9本カウントという体たらくでチッチ組に完敗した。続く2ゲーム目はハンディを10ピンに減らした。今度は接戦になったがダブルのあとレオ君がガターを出したのが痛くまたもや敗戦。勝った方がオロCゲットとしたのでチッチとシンジ君が美味しそうにごくごく、ううむこれは仕方ない。でも「楽しかった」と言ってくれたし、私もインパクトを与えたしで良かった良かった。

昼は友人二人が行ったことがないというので近くの「天下統一ラーメン」で食事をした。私はあっさりにしたがシンジ君はこってりを頼み「美味しいです」とスープを底まで飲み干していた。大丈夫かいな。私はここのこってり風味は苦手だよ。12時45分になったので「おっと時間」とお開きにした。というのも午後1時から近くのホールで「博多・天神落語祭り」の鹿児島主張公演があるからだ。カールと待ち合わせ初めて落語を生で聴くことになった。

だがしかしー。三遊亭円楽、春風亭昇太、桂ざこばなど5人もの噺家が落語をしたのだが前日の仕事の疲労、そのあと麻雀もしたし、今朝はボウリングとイベントづくしの私がラーメン食べた後となればそりゃ睡魔がやって来ますわ。何度か笑い声で覚醒するも最初から最後まで聴き通せた題目は一つも無かった。隣でカールは呆れていたようだったが・・。いや、雰囲気だけはよーく分かった。また機会あれば聴きに行ってもいいかな。その時はお目々ばっちし耳にちゃんと入るようにしますって。


2014年11月1日土曜日

朝駆け

深夜打った天鳳では序盤満貫を放銃した後、ピンズのチンイツのチャンス手が来た。対面の初手9ピンをポンすればすぐにでも聴牌し満貫を上がれていた。しかしこれを見送った。というのも2巡目で私の手は以下のようになっていたからだ。

①①①②③④④⑥⑦⑧⑨⑨白

これ分かる?次ぎに面前で⑤か⑨が来れば役満九蓮宝燈の聴牌、こんなチャンスは滅多にない。勝負に徹すれば⑨ピンのポンだったろうし、6巡目①ピンが出てこれをポンすればまたもや聴牌だったがこれもやらなかった。これまで5回ほど九蓮は聴牌するも上がれておらずついつい夢を追った。しかしここは鳳凰卓、そんな緩い打牌を逃してはくれず9巡目に対面に上がられてしまった。結局それがたたってラス。甘ちゃん雀士を言われても上がったことのない役満は一度は上がっておきたいんだよなー。

(ちなみにこれまで上がったことのある役満は、小四喜、国士無双、四暗刻、大三元、緑一色で九蓮宝燈、字一色、清老頭は聴牌止まりだ。地和、天和はなく最難関の四槓子はまず無理だろう。)

さて疲れて寝てしまったものの朝6時には眼が覚めうつらうつらネットをしていると不意に携帯が鳴った。青雲会病院からだ。うわ、こんな時間に電話っていい感じが全くしない。当直のタッピーNsからで合い言葉Drの病棟高齢女性患者の新鮮吐血で状態が悪いという。ううむ、午前は外来もあるし緊急内視鏡をするなら今のうちだ。「内視鏡室スタッフすぐ連絡して30分後には内視鏡出来るようにしておいてくれ」と頼み、高速道路で向かった。昨日は帰宅遅く今朝は就業前に出勤、まさに夜討ち朝駆けだ。

検査直前にみた患者さんは予想以上に状態が悪かった。血圧はほとんど計れず直前のヘモグロビンが4台(!)で瀕死といってよかった。タッピーNsは助からないのではと思っていたそうだ。内視鏡で見てみると大きな十二指腸潰瘍があり露出血管からどくどくと出る動脈血であふれひどいものだった。HSE注入後クリップがしっかり噛んでくれ止血はうまくいった。点滴を速め、輸血をオーダーした。ふー、とりあえず危機は脱した。

この後昨夜の憩室下血の患者の観察内視鏡もあった。結紮ゴムは外れていて中途半端だが血は止まっていてほっとした。終わるや否や本来の業務、外来診察へ向かっていたのだった。

2014年10月31日金曜日

夜討ち

外来、救急、内視鏡検査と相変わらずバタバタした昼間の業務を過ごし、どうにか帰れるなと思っていた18時過ぎ、ふいに外来看護師に「カワハゲ腎泌尿器科から患者の紹介が来ています」と言われた。「ええー、聞いてないよー」と私。そう、急に来たのだ。しかも下血だとか。急いで紹介文を読むと、これは本物かもという気がした。たまに痔出血とかなんちゃって下血もあるがこの高齢男性は1年半前にS状結腸憩室から動脈性出血を起こし青雲会病院に入院歴があったからだ。その時のこともあり夕方出血したばかりだが早目にと送って来た。なるほど、それなら緊急内視鏡をせねばなるまい。あいにく内視鏡室のスタッフは帰ったばかりだったが、服緑Nsが来てくれ浣腸のみでさっそく大腸を観察した。すると案の定S状結腸付近から出血した痕跡があった。憩室も多数ある。となれば出血源の憩室たった1個を捜す必要がある。でもこれが難しい。凝血が散らばり出血源でない憩室にもはまり込んで紛らわしいのと入り口が狭い憩室が多数あり憩室底の露出血管が見つかりにくいのだ。前回は大きい憩室の明かな血管が見えたためクリッピングして止血出来た。下血がない奥の腸管まで入れて抜き、また入れ直す。そのうちごく小さいけれど血液付着が目立つ憩室があった。周囲には他に3個も似たような憩室がある。スコープの先から水洗浄してみる。ちょいとした刺激も必要だ。責任憩室を見つけるには再出血もいとわない。犯人を挙げるには確かな証拠が必要でそれさえ見つかれば勝ったも同然なのだ。

ちょいとスコープ先端で突いてみると・・あっ、ビュッと出てきた!鮮血だ。やっぱりこいつだったぜ。でも出血の勢いがあってクリップで露出血管をつまめそうにない。憩室そのものに蓋をするようにクリップする方法もあるが出血の勢いに負けて外れることもある。で、まずはHSE(高張エピネフリン液)を周辺に局注した。これで出血の勢いが弱まり観察しやすくなった。で、クリップ止血するかだがここは比較的新しい方法でゴムバンドで絞扼する方法を選んだ。スコープ先端に仕掛けを作り憩室そのものを強く吸引し引き上げその根元を硬性ゴムで縛り上げる方法だ。食道静脈瘤によく使われるものの応用で施設によってはこれを第一に実施しいい成績を上げているところもある。一旦スコープ抜去しセッティングして再挿入してみた。吸引が弱くしっかり縛り上げられなかったがどうにか憩室とそこの血管を噛んで出血は止まった。このまま数日間保って縛り上げた組織が壊死(腐り)しその後瘢痕化(くっついて固まる)すれば大丈夫だ。ふぅー。今夜やっていてよかった。明日土曜日だと外来患者見ながらでとてもこんなに落ち着いて処置出来なかっただろう。急な仕事ではあったが紹介医や患者さんの役に立て満足して遅くに帰宅したのだった。

2014年10月30日木曜日

守備妨害や

この1週間日本シリーズがらみの話題が多かった。今日ソフトバンクが勝てば決まりで阪神が勝てば1日おいてまた甲子園で残り試合がある。阪神ファンにしてみれば何としても甲子園に帰りたい、帰ればどうにかなる・・かもという心境だろう。午後、気がつけばシマッチ院長が病院からいなくなっていた。休みを取ったのだ。金曜午後は休みだがハテ?なーるほど、こりゃ新幹線で博多はヤフオクドームまで行ったな。昨日の様子からして今日も気が気でなかったはず。阪神も今日を逃せばまたいつ日本シリーズ参戦できるか分かったものではないし。

夜は、昨夜同様、ネット麻雀しながらTV観戦していた。どちらも無得点でじりじりした展開になりどちらが先制点を入れるかで勝負が決まるような感じだった。それがあれよあれよと8回裏まで来てソフトバンクが1点を取りあらまこれで決まってしまうのかなんだかそれも物足りないな、と少々ぜいたくな気分にいたら、9回表抑えのサファテが落ち着かずフォアボール連発で1アウト満塁となった。うわあ、これは一気に逆転されるパターンか。ま、それもいいかもとTVの前で固唾を呑んで見ていると・・。

バッター西岡、5球目を打ってファーストゴロ。本塁フォースアウトでキャッチャー細川は一塁へ送球!あれ?!送球が西岡に当たり球はファールゾーンでコロコロ、一気に阪神逆転?でも今のはちょっと西岡まずいんじゃ・・と思ったら、案の定守備妨害を取られ、アウトで試合終了、ソフトバンクが優勝日本一となった。が、当然のごとく和田監督が抗議に出てきた。しかしソフトバンクはナイン以下監督もマウンドに集まり歓喜の輪が出来ている。その側では抗議が続き・・しかし審判団が受け入れる様子は全くない。リプレイが出てきてこれは明らかに西岡はダブルプレー阻止のために走塁枠をはみ出し内野側を走っている。とても言い訳出来るレベルではなく審判判定は受け入れるしかないだろう。ふー。あのまま西岡が打たずにいればどうだったか。いや、それでも結局はソフトバンクが勝ったのではないか。そんな気がする。阪神はソフトバンクリリーフ陣からほとんど点を取れていなかったしー。

ともかくもソフトバンク優勝でめでたしめでたし。今回は初めて観戦出来たこともあって印象に残るシリーズであったが、3年前の対中日戦が2敗してから追いつき勝った時の方が胃がきりきりするような展開でより印象に残る。そう、阪神がもうちょっと頑張ってくれたら感激もよりひとしおだったのに。守備妨害で幕切れというのもそんな気分を象徴しているようだった。

2014年10月29日水曜日

嘆き節が聞こえた

京セラホテルで抗凝固剤の勉強会があった。これはイキナリDr司会、シマッチ院長がパネリストで出るということや主催がタシケントMRやタナカッツMRのベロリンガーだったこともあり、私も参加することにした。ついでに過ごし安病院のサブアラドDrも誘ったらちょうど今日は夜は病院泊まり(当直業務なし)とのことで参加してくれた。これには最近落ち込み気味との担当者タシケント君も喜んでいたようだ。というのは、軽微な交通違反を立て続けにしてしまい会社から1週間の謹慎が下ったからだそうだ。MRは車で各病院やクリニックを訪問し回るのが仕事だからノサバルデスのおおしたそう君などもねずみ取りに捕まる話しはよく出てくる。タシケント君はスピード違反と一時停止でやられたという。しばらく車なしで反省しないさいってことか。そうだ、私も11月初めまで違反するわけにはいかない。3ヶ月違反なしなら例のスピード違反の減点の持ち点が回復する。でも次回更新でのゴールド免許証はない。ま、仕方ないね。

講演テーマは心房細動患者への抗凝固剤の適切使用についてだった。自分が最初に処方することは少ない薬剤だが、最近は内視鏡や入院患者で関わる機会も多い。他分野とはいえ講演内容はなかなか面白かった。会は21時を過ぎ、お開きとなるも、隣の部屋で立食の食事付き懇親会があるというのでそちらに移動するとバッグ抱えていそいそと会場を引き上げようとするシマッチDrがいた。ベロリンガーの担当者が「シマッチ先生、最初の乾杯の音頭を取って・・」と依頼したが、「いや、ちょっと」と言い残し、即立ち去る様子だ。そして「ああ、こてる君がいるから彼にやってもらって」と言いさぁーっと消えていった。ちょ、ちょっと待って下さいよ。門外漢で聴者の一人に過ぎない私に乾杯なんて出来るわけがない。当然のようにイキナリDrがしてくれたが、なんであんなに忙しそうだったのかと言えば、ちょうど日本シリーズの阪神ソフトバンク戦が1-1で続行していてそのTV観戦のためだった。挨拶でイキナリDrが「みなさん野球の試合経過が気になるようですが」と断ってしゃべったのはシマッチDrのことを言っていたのだろう。もし最初からシリーズ対戦が有力視されていたら彼はこの仕事を断っていたに違いないよ、きっと。私はソフトバンクファン、でもそこまでのめり込んではいないので当然懇親会には出ちゃうがな。

「いやー、お腹が空いていたよ」とサブアラドDr。寿司やカニ、ステーキとそこそこ美味しいのがあり私もぱくついた。姶良のオダネストDrなどとも久しぶりに話したり、サブDrと天鳳麻雀、タナカッツMRとボウリングの話題で盛り上がったりと場所は変われど同じ光景だった。サブアラドDrはビールも飲み、「帰りは?」と聞くと「チケットあるので21時半の予約タクシーで病院に帰る」とのだった。なるほどー。こうしたメーカー主催の講演会はその日限りのタクシーチケットをもらうが使ったことはほとんど無い。基本飲まないしマイカーの方が会場に早く着くし早く帰宅出来るからだ。

そんなわけで帰りの車中は音声のみで試合経過を聞きつつ自宅に向かった。まさか延長まで行き危うい場面を乗り切りソフトバンクがホームランでサヨナラ勝ちするとは。シマッチ院長の嘆き声が私の居間まで聞こえて来たっす、いやホント。(⌒о⌒)

2014年10月28日火曜日

自分が見ると負ける・・

カールがママ友のユキーノからラインでこう言われたそうだ。
「別にいいんじゃない。ええコープでブラ買っても」
これは私の2、3週間前の日記ネタがらみなのは明白だ。そしてこう結ばれていた。「あ、私は買ったことないけど」と。これを読んで「いかにもユキーノらしいわ」とカール。
「でも私は(買うのは)全然平気。同じ値段であの時は2、3割安かったから」とそれはそれでカールらしいのであった。

日本シリーズ見つつ天鳳をし一段落したところでサブアラド家に電話をしてみた。サブアラド「ソフトバンクが結構リードしているね」私「キョーちゃんも日本シリーズ見ているでしょ」とソフトバンクファンの奥さんのことを尋ねると「それが裏番組を見ているのよ」「あら、そりゃまたなぜ?」「自分が見ていると負けるからって、ちょく、ちょくと試合結果を見てはまた戻している」だって。ああ、分かるなそれ。昔々、メキシコオリンピックで日本バレー女子のソ連との決勝で旗色悪い日本は1セットは取ったものの競りながらもセットを落とした。幼い自分は「自分が見ていると負ける」と別の部屋に引きこもって別の番組を見た記憶がある。結局我慢しきれなくて居間のTVに戻ってみんなといっしょに見ることになるのだったが・・。「もう終盤、点差も5-1だから大丈夫でしょ」と笑いながら電話を切った。ファン心理って似たようなもんですな。

2014年10月27日月曜日

番外戦

朝、私はカールが先に家を出るため「家を出るときにゴミを出してね」とお願され快諾した。その代わり外に出して置くように頼んだ。しかし出勤後カールメールに「ゴミ!」とあった。あはー!すっかり忘れていた。車のドアのところにでも置いていてくれたらと思ったが後で聞くとちゃんとそうしていたらしい。それでも私はそこにゴミがあることを意識出来ずにいつものようにドアを開け出発したのだった。こうなればカールがいみじくも言ったように「ボンネットの上にでも置くしかないわね」か。トホホ。

シマッチ院長に日本シリーズ第1戦観戦のことを話すと「私もいたよ」だと。あは、やはりそうでしたか。「第2戦も見て今日朝一で鹿児島に帰ってきた」だって。うわそりゃまたすごい。昨日は大阪マラソンにも参加し医療ボランティアもしながら走り夜は観戦だったとか。元々マラソン出場が決まっていて棚からぼた餅で日本シリーズ出場が決まったから急遽チケットを取りいずれも3塁アルプススタンドで観戦したという。で、1勝1敗でまだ表情には余裕はなかった。昨日全然打てなかったことが気になるらしい。私はそこまで不安を感じておらず、やはり第2戦の勝敗は勝った方に余裕が出るもので、日本シリーズ番外戦青雲会病院の巻であった。

2014年10月26日日曜日

神戸と大阪の違い

昨夜ですっかり疲れてしまって6時45分に目覚めるどころか起きたのは9時だったか10時だったか・・。ちんたらしてホテルを出た後は新幹線で帰郷だがお土産を買っておらず新大阪で買うことにした。ところが新神戸のショッピングセンターと比べるとこんなにも違うのかというくらい私好みのがなかった。神戸はおしゃれで甘そうで美味しそうのはいっぱいあった。しかし大阪は塩っぽいのやたこ焼きをアレンジした冗談っぽいものや伝統的なおこしなどでどうにもなー。地域住民の意向が反映しているとしか思えない。結局生八つ橋にした。なんで京都なんやといわれても他にいいのがなかったしー。

帰りは2年前に新幹線で見て以来ほっといた韓ドラ「製パン王キムタック」をずっと見た。見始めるとさすが視聴率50%という驚異的な人気があっただけに面白い。2年間のブランクなどすぐに消え帰り着くまで見っぱなし。途中で止めるのが惜しいくらいだった。

夜はTVで日本シリーズ第2戦観戦。モニター通して見る球場の雰囲気は昨日といっしょだ。しかしソフトバンクのピッチャー武田がカーブでストライク先行し阪神打者はなかなかタイミングが合わない。ソフトバンクは1回に1点先制もした。そして次ぎの2点目が大きかったな。もし1対1になっていたらどうなったか。意外なほど打たれずまさかパーフェクト?というくらいのピッチングを武田がみせ終盤に引き継ぎ1点差で勝ちよった。これは大きい。気分よく移動日を過ごしホームで対戦できる。少なくとも一方的に負ける可能性はなくなったし、阪神の勢いも下降線に向かえば勝機は見える。ただ阪神もセ・リーグでは一番応援しているチームなのでいいところを見せて欲しい気もあり、一番いいのは4ー3で最後はソフトバンクが勝つパターンだ。そんなぜいたくなことを思いながら天鳳をしていたら連続ビリ。あいたたー。

2014年10月25日土曜日

日本シリーズin甲子園

昨日と同じく7時15分ほど前には眼が覚め学会のモーニングカンファで朝食を摂るためホテルを出た。昨日と違うのは荷物をまとめて出たこと。これが重い。特にポートライナーから降りてポートピアホテルまで持っていくのに疲れる。まずはクロークに預け身軽になって講演&食事となった。午前は大腸内視鏡がらみのシンポジウムを聴いた。終わる直前に会場を出ようとすると入り口近くでトクジュウDrと目が合った。お、また会ったな。昼前後は知り合いのDrとすれ違うことも多い。内視鏡グループ後輩のダコDrと会ったかと思えば昼過ぎにはやはり後輩の木神、最高幸Drともばったり。話しをしているとな、何とかつての2内科内視鏡グループの大ボス渋ちんDrとも超久しぶりに会った。老けたとはいえ色つやもよく元気であることを伺わせた。ここぞとばかりにデジカメで写真を撮りましたよ。そういえば最高幸Drのカメラは私と全く同じPowerShot S110だったし木神DrのもPowerShotでみんなCanonが好きなのね。

ホテル会場から国際会議場のデジタルポスターで聴きたいのがありそちらに向かっているとまたトクジュウDrとばったり出会った。よく会うね。しかしだ、これが運命の分かれ目だった。彼が何やら「先生・・」と話しかけてくるではないか。「今夜、甲子園で日本シリーズがあるんですがチケット1枚あって先生、行きませんか」というではないか。な、何?「行く!行くよ。でもチケットって本当かい?」こりゃ驚いた。何でもトクジュウ君の東京出張時代の友人Drがトラキチでチケット申し込んだところ一昨日3塁側内野席を3枚ゲット出来たのはいいが1枚余って行けそうな人がおらずどうしようかと困っているとか。あんた、困っているってそれはプラチナチケットでっせ、その気になれば何万でも買う人はいるはず。私も上乗せしていいから買いますって。トクジュウ君がメールで友人Drに確認を取り(彼も探しているはずだからダブルブッキングでないかどうか)OKということだった。よーし。1時間後にホテルの前で待ち合わせしていっしょに西宮に向かおうとトクジュウDrと一旦別れた。

でもやはり聴きたい発表があったので会場でしばし聴いた後、無線LANスポットでホテル検索をした。これに時間がかかった。大阪も意外にホテルが空いていないのだ。明日は大阪マラソンとやらもあるとかで主立ったホテルは満杯だったようだ。結局、中之島のリーガロイヤルホテル大阪の空き部屋が2、3室あり高かったけれど即決めた。

阪神電車に乗り込むと土曜夕方だというのに満員。甲子園駅で大多数が降り私たちもその流れで動いた。駅から甲子園まではすぐだが人、人でいっぱい。当然タイガースのユニフォームや黄色が目立つ。ここで待ち合わせてチケットを受け取ることになっていたがその友人Drナカやん先生がいない。トクジュウ君がメールで確認すると・・阪神グッズ店で並んでお買い物中とのことだった。「こんな機会は一生のうち滅多にないから東京からやって来た」というだけのことはある。私は旅行バッグを預かってもらうコインロッカーを探したが駅周辺にはなかった。残念、球場に持ち込むわ。

ナカやんDrに会い、代金を払おうとすると内野席の正規料金7200円でいいという。確かに彼の名前でコンビニ支払いしているもので何だか悪いなと思いつつ支払った。ただし座席はばらばらで私は前から13番目の通路側の席だった。これってグラウンドにも近くいい席じゃない?何というラッキーさ。入り口前で3人で記念写真を撮り入場した。

久しぶりに見る甲子園球場は毎回思うのだが意外に狭いなということ。普通は大きいなと思う人が多いらしいのだがTVでしょっちゅう見ていてもっと大きいというイメージが私にはある。実際は鴨池球場などよりずっと大きい。すでに暗くなりつつあり観客もかなり入り、スタンドはほとんど黄色で何だかお祭りムードだった。ソフトバンクファンは赤色のユニフォーム着てレフト外野の一角に隔離されそれでもトランペットや旗振りなどで気勢を上げていた。そう、第1戦でもあり勝っても負けてもすぐに決着つくわけではない、久しぶりの日本シリーズを祝い楽しもうぜってことだ。気温も暑からず寒からずで過ごしやすく最高の雰囲気で試合開始を待った。私は出水のスチョルDr(阪神ファン)に携帯で今甲子園にいることを伝えた。先週会った時に、チケットが取れなくてーとぼやいていたのでこの幸運を伝えたかったのだ。先生は福岡での第5戦のチケットはゲット出来たとかだったが、メールで「羨ましい!!」との返事が。ハハハ、確かにこの雰囲気で応援出来たら虎ファンは最高だろう。

試合前に選手紹介があり国家斉唱もあった。歌うのはティーナ・カリーナだって。誰それ?という空気が球場に流れる。で、すかさずアナウンスが略歴紹介をした。「ティーナ・カリーナさんは2012年にメジャデビュー、同年レコード大賞で新人賞を受賞・・」とのことでなるほどそこそこの実力歌手なのねと少し納得した後に「2013年にはファーストアルバム『田中からボタモチ(棚からぼた餅)』をリリースし・・・今後の活躍が期待されます」と来た。棚からぼた餅?そうか、広島こけてようやく2位になったと思ったらいつの間にか日本シリーズにまで上り詰めた今の阪神とかぶるなー。少し笑いが起きて虎ファンの中にもけっこうそうかと思った人たちがいたようだ。

試合はメッセンジャーの球に力があってソフトバンクは勝つのは容易じゃないなと思っていた矢先、4回に阪神4番ゴメスがタイムリーで阪神が先制しよった。私の周りは阪神ファンだらけで特に真後ろは中年のこてこての関西のおっさんでこれが心に思ったことがそのまんま口に出るの。一球一球解説が入り「おらおら、ここが大事やでー」「こいつを抑えるか抑えんかでえらい違うわ」、そして「こらー、上本なにトンネルしとんじゃー」と怒ったかと思えば次回「上本、よう打った。さっきのは許したる」とお目こぼし発言も誰彼はばかることなくしゃべっていた。それがうっぷん晴らし、楽しみなんだよな。

で、5回裏、阪神が一気に勝負を決めた。ゴメス、マートン、福留とヒットが出るたびみんな立ち上がりメガホン鳴らして大喜び。後ろのオッチャンも直前まで文句や心配の声出していたのに「うわあーっ!」と万歳、メガホン打ち鳴らし、大喜び。私も立ち上がり喜びはしないけどデジカメ動画回しフィールドからスタンドまでお祭り騒ぎを撮った。ふと携帯メールを見るとスチョルDrから「阪神!勝ってきますね」とのメッセージが。うん?と、すぐに「勝っていますね」の間違いだったと訂正が入った。先生もコーフンなさっているようだ。うーん、ソフトバンクはバントで3塁に送れず、阪神はピッチャーが追い込まれながら送りバントを決めた。そこの差か?その後、ソフトバンクは松中代打でヒットが出たもののなぜか代走を出さずその後のヒットでも本塁突入させられず1点しか取れず、何だかちぐはぐさを感じた。いや、5点差はきつい。そのまま9回を迎えると私の左後ろ方面にいたソフトバンクファンとおぼしき若者二人はいなくなっていた。やっぱり。この二人の反応が私と似ていたのでそうじゃないかと思っていたんだ。あのバント失敗3塁アウトの場面でのチェッという反応がネ。

結局6-2で初戦は阪神が快勝した。ただ見ていてソフトバンクも決して劣っていないと感じた。今日はちょっとしたミスでたまたま差がついただけ。後半はソフトバンクがやや押していた。今宮の守備はすごかったし抑えピッチャーも使える目処が付いた。日本シリーズは第2戦が大事とV9時代の巨人が対処したと聞く。明日勝てばまだまだと「六甲おろし」が流れる甲子園を後にした。トクジュウDrに携帯で連絡するも「ナカやん先生が監督インタビューも聞きたいというので」すぐには帰られれないとか。そりゃわかる、わかるよ。いや、こんな経験が出来本当に感謝、ナカやん先生にありがとうを伝えてくれるようお願いして電話を切った。そんなどうこうより彼は阪神ファンとしてこんな大満足はないとただただ思っていたことだろう。おめでとう!

帰りは梅田まで特別急行が出ていた。車内はほころんだお顔が多い。私の目の前に緑色のソフトバンクのユニフォーム着た若者がいてずっと黙っていたが声を掛けたかったなあ。「大丈夫だよ、まだまだこれから!」とかさ。でも怖いというわけじゃないけれど99%阪神ファンの中でそんなこと語るののもねー。勇気が出ませんでした。関西のオッチャンとは精神構造が違うのかも。この後、梅田から中之島までうろちょろしてしまったがどうにかホテルに着いた。ふー、それにしてもバッグの重いこと。今度は出来るだけ余計な物を持たず来ようぞ。

2014年10月24日金曜日

学会散策

泊まったホテルでは朝食なしだったので7時半には出て学会会場のポートピアへ向かった。8時からのモーニングカンファに出席するためで、目的の半分はそこで朝食を食べることにあった。今回は早目にホテル探しをしたのに便利な三宮周辺は全くなく隣の元町はいいとして朝食付きもなかったのである。食べるだけでなくちゃんと聴いて、胃癌検診にABC分類というのがあって例え精査不要と言われるA分類の人でも胃癌患者が紛れているという講演だった。この後は内視鏡画像処理をメインしたシンポジウムを聴き、昼ちょいと前に出て商品展示コーナーを見て回った。内視鏡関係は毎年新しい器具や製品が出るので見て回るだけでも面白い。

昼はランチョンセミナーを聴く。これは昼食券を事前にとって奥必要があるが朝早く来れば楽勝で取れる。早起きはチケット1枚の得ってね。午後の講演の前に会場をうろつくとトクげんDrにばったり会った。彼は2内科同期で鹿児島市内の病院に勤務している。今日私同様新幹線でやって来て「いやー、ここまで来るのに疲れたよー」とのこと。最近連絡を取っていないので携帯番号教えろよと言うと「よう分からん」だと。見れば当然ガラケーでしかも自分の番号の出し方も知らない。彼から私の携帯にかけさせそれを私が保存してやった。泊まりは神戸は取れずに新大阪になったとか。そうだね、DDWは毎回参加者が増え20年ほど前の始まったころは1万人ほどだったのが今は2万人も集まる。神戸は会場は広いがホテルの数が限られネットで検索してもゆったり出来る有馬温泉とか淡路島が見える風光明媚なホテルとかがヒットしてしまう。特に明日の土曜はホテルが全くといってない。例年は土曜で終わるのに今年は日曜まで開催というのもあるし、しかも明日から日本シリーズが甲子園であるためか西宮周辺も皆無だった。「ちょろっと回ってもう宿泊の新大阪に行くわ」とトクげんDr。そうか、また鹿児島に帰ったら麻雀でもしよーぜと別れた。

このあと鹿大で同期入学、その後九大で超音波内視鏡などやっていた原直Drとばったり会ったり、またトクげんDrと同じグループで後輩のトクジュウDrともすれ違った。トクジュウDrとはなぜか学会でよく会う。確か2年前は間違って別のランチョンに行ったら偶然隣の席に彼がいたこともあった。まさかそんな縁があんな幸運につながるとはこの時は思いもしなかった・・。

午後はデジタルポスター発表や医学書販売など見て回り2冊本も購入した。15時半ごろになると少々動き回るのに疲れて昨日食べられなかった餃子のことを思い出し早目に会場を後にした。おおしたそうMRのお勧めとあらばさぞかしと元町駅前の「赤マン」に入ってみた。そこは餃子とビールしか出さない店で鹿児島にはこんな店はない。客はサラリーマン風からカップルまでいろいろで販売も多く人気店と思われる。マスターが小首を傾げながら皮をリズムよく包み焼いていくのだが面白いことに隣の弟子の二人もちょくちょくと首を傾げその動作がそっくりだった。味の方がまずくはないが全く普通で九州のぎょうざの丸岡の方が美味しいぞ。ま、これも旅のネタということで。ただ中途半端に餃子食べたせいで夕食を食べに行く気が薄れコンビニで切り野菜セットやおにぎり、パンなど買ってホテルに引きこもった。出不精の癖は神戸に来ても変わらないってことだ。

2014年10月23日木曜日

新幹線の過ごし方

今日からDDW(消化器病系の大きな学会)が神戸であり午前まで病院勤務して午後から出かけた。着くのは夕方になるので今日は行くだけだ。以前は飛行機を利用していたが2年前から新幹線利用に変えた。所要時間は少し長くても自由度が高いのがいい。わざわざ予約をしなくても30分おきに便があるし駅に着いたらすぐに電車で目的地まで着ける。それに万が一落ちて死んでしまうというちょっぴりした不安がないのがねー。

さらに新幹線の窓際にはコンセントがあるのでパソコンつないでビデオ鑑賞が出来るのもメリットだ。神戸まで約4時間、ネットも出来ないし一人だしで読みかけの本かビデオが一番だ。今回は「復活」の「コレクターズ・ボックス DVD」(ドラマと違って監督インタビューなどが入ったコアなファンのためのDVD)を見た。これは購入してから2年以上経つが見ていなかった。いつでも見られると思うとたいてい人は見ないもの。読書でも積ん読のまま終わっている本などいったい何冊あることか。こういう機会がないとまた数年ほっといたかも。

しかしいったん見始めると懐かしい映像や役者の素の表情、監督、脚本家の作品への秘められた意図などハマって見ていただけに面白くてずっと見続けられた。あ、今博多か広島で、え、もう岡山なのってな感じで神戸が近づいてきて「まだもっと見ていたいのに」とさえ思った。新幹線の長時間乗車はビデオ鑑賞が一番だね。

神戸に着いたのは19時過ぎでそこから三宮、元町ときて目的のホテルに着いた。夕食のためまた出て駅近くの「赤マン」という焼き餃子屋を目指した。ノサバルデスのおおしたそうMRが「元町のそこが餃子しかないですけど一人でも入れて美味しかったです」という耳より情報を教えてくれたからだ。しかし、すでに閉店だった。20時までだって。しかたない。ちょうど対面に「銀丸ラーメン」があったので入った。豚骨スープでしかも麺は「南九州鹿児島県益田製麺より直送!銀丸ラーメンオリジナル細麺26番SATSUMA」という美味しい麺を使っていると宣伝していた。ううむ、神戸についてさっそく食べるは鹿児島の麺か・・。ただそれがまたえらく細かった。ラーメンと知らさなければソーメンと絶対間違うレベルで博多ラーメン並みだ。鹿児島ではまず見ない細さだった。味はいつも思うがラーメンでそんなにまずいものってないレベル。ま、こんなものでしょう。

コンビニ寄ってホテルに帰ってシャワー浴びてまずすべきは日記書き。これをしておかないとまた遅れる羽目になる。ようやく一段落しサブアラドDrに電話をする。やはりやってましたよ天鳳。で1半荘だけした。結果は私が2位で彼はラス。ほほほ。いつもならもう1回やるぞーだが、私も眠いし明日は学会参加だしでそのまま寝込んでしまった。

2014年10月22日水曜日

コラジハゴヌン!

ついに受け持ち患者18人のうち9人半数が90才以上となった。以前は90才以上の患者なんていくらもいなかった。超高齢化社会じゃ、ほんとに。

シホねえNsが今だに子どもと韓ドラ「ファンタスティック・カップル(2006)」を見ているという。私のお勧め韓ドラでジャンルはラブコメだ。高飛車な女性セレブ主人公が記憶喪失になって起こす珍騒動だが良く出来ていて私は2回見た。韓ドラで2回以上見たのは6回半見た定番「冬のソナタ(2020)」と知る人ぞ知るサスペンスドラマの傑作「復活(2005)」だけでこの3作が私の韓ドラベストスリーになる。ラブコメ、恋愛、サスペンスとジャンルのバランスが取れているのも自身気に入っている。時代劇もお勧めはあるが長すぎて2回は見直す気になれない。特に「復活」は韓ドラファンの中でも見ていない人が多いのでチャンスがあれば見て欲しい。どっぷりハマるし韓ドラ侮れずと感心した作品だ。「ファンカ」はシホねえ息子が面白がるほどのわかりやすさと爆笑シーン、そしてラストになるにつれ切なさがいい味わいを出している。毎回DVD屋から借りているというから私が貸すことにした。というのも何年もずっと医局の机に置いているのだ。早く言ってくれよ。同好の士には何かと世話を焼きたいものだよ。

後日、見たかと彼女に尋ねると、「ええ、でも残念なことに日本語吹き替えだった」と答えるので「アホ!初期設定がそうなっているだけで設定変えればちゃんと韓国語出字幕が出るわい」とたしなめてやった。コラジハゴヌン!(→このざまときたら!主人公のセリフで当時流行語になった)

2014年10月21日火曜日

チケットって取れない

ふふ、やっぱ勝ったねソフトバンク。今シーズンはぎりぎりの勝負に勝って上に上がるパターンのようだ。こんな勝ち方は返って期待出来る。CSを4連続で勝ち上がった阪神に分ありと思われがちだが、案に反し最終決戦の7番勝負ではころっと負けることが多い。これはここ20年のメジャーリーグでのポストシーズン結果で証明されていて、4連勝が勝ち上がったチームはたいてい負けでしかも0勝4敗か1勝4敗と全く振るわずというデータが出ている。勝ったのは90年代半ばのアトランタブレーブスくらいでそれも4勝2敗と圧勝というわけではなかった。ソフトバンク、阪神とも私が応援するパ、セの2チームだがどちらを選ぶかといったらソフトバンクだ。これはもうダイエーが福岡に来て以来ずっと変わらない。シマッチ院長が高校、浪人時代まで過ごした大阪から九州(宮崎、鹿児島)に来て30年以上経つが阪神ファンが変わらないのと同じだ。プロのチームといえど力を発揮するには波ががあり上昇機運に乗れば阪神が巨人に4連勝もあるし、ソフトバンクが9月のように最下位のチームみたいに陥ることもある。ソフトバンクはあれ以上落ちようがないと考えればピークがCSだったろう阪神には勝ち目があるのではと思えるのだ。今度の土曜は甲子園で日本シリーズ第1戦がある。ちょうど神戸での学会があるのでいいタイミングだ、ぜひ観戦したい。そう思って珍しくチケット購入を目論んだが全くダメだった。うう、残念。

夕方、倍売る薬品の憂い酒女性MRが「先生は11月のAKB48の鹿児島公演は診に行かれるんですか。私は上司がチケット2枚取ってくれて行くんですけど」と話しかけてきて、そうだった、11月22日にAKBのチームBがやって来るんだったと、慌ててAKBのチケットセンターに申し込んだが何とすでに売り切れだった。ああ、迂闊。

チケット購入ってあんましやったことなくてまともに取れたことがない。みんなどうしてる?

2014年10月20日月曜日

一番言いたいことは

朝礼のスピーチはシマッチ院長で「脳は生涯にわたり発達し続ける」というテーマで珍しくスライドを使ってのものだった。従来は傷ついた脳が自然に治癒することはないといわれていたが、最近の知見では脳神経細胞は環境に応じて再配線でき、さらに運動、精神的活動、社会的つながりが神経細胞の発展を促す、つまりは驚異の治癒力が脳には備わっているとのことだった。ふむふむ。しかしシマッチ先生、大事なことを言わないなと私は密かに思っていた。今日のこのタイミングでスピーチするなら絶対にしゃべるはずのことを言わないのはなぜ?でもやっぱり言ってくれました。「このように脳を上手にコントロールすることで思いは必ず実現するというこ・と・で・す・が、今日一番言いたかったのは・・」と次ぎのスライドを見せると・・。

1枚目「祝!!」

2枚目「クライマックスシリーズ突破 日本シリーズ進出!」

3枚目 写真でマウンドに歓喜の輪を作る阪神の選手たち

4枚目「宿敵巨人を敵地で4タテ!目指せ日本一!!」

ですよネー。うれしさ爆発の虎キチの姿がそこにあった。そして相手はきっとホークスだよなとつぶやいた私であった。

2014年10月19日日曜日

びっくりサブロー

お昼過ぎからまたまたリアル麻雀。日曜はダイボDrがたいてい面子になる。彼は土曜夕方まで仕事なので日曜でないと都合が悪いのだ。前回は私の一人大負けでダイボDrが「へーん、めずらしいねえ」とうなずきつつ、リーチ!だと。調子よくてトップを何度も取りよった。

麻雀中には無駄口もよく出る。その中で見せたまえDrが1索を盲牌ミスし「最近盲牌ミスをよくする。昔は間違うことはなかったのに」と言えばダイボDrは「私は一切盲牌はしない」と言い返し「麻雀始めた頃、灘麻太郎(プロ)が盲牌なんかしないでしっかり手牌をみることが大事」と書いてあるのを見てしないと誓ったとのことだ。そこで私が「一索と7ピンを盲牌間違いしやすいって昔サブローが言っていたなあ。そうだサブローの義姉が私の麻雀牌で1索を盲牌して『うわ、彫りの深い1索だこと』って言ったのを思い出すよ」と語るなど大して意味の無い会話が続けられていた。

そうそう、その私の麻雀牌は当時1万円以上もして最上級クラスのものだったが、数年経って私のミスでほとんどの牌の塗料を剥がしてしまい歯学部の友人ダイスキ君に譲り改めて別の麻雀牌を買い直した。ダイスキはどうしたかというともともとプラモ好きでその塗料使って根気強く塗り直していった。ある時リファインされた元マイ麻雀牌を見せられ以前よりよりきれいで鮮やかになっているのに驚いた。思わず交換してくれといいたくなるほど。もらわれて良かったんやねー。

そんなエピソードを話すと、今度はダイボDrが「そのダイスキさんだけど、あの人は私の中学時代有名な人だった。頭もいいけどスポーツも得意でね。書道でも有名でしょっちゅう賞状をもらっていた」と言うので、そうか、天誅中での先輩後輩にあたるんだったなと思い出した。そしてその続き、ダイボ「ある時、麻雀面子が足りなくて困っていたらお前が『歯学部に麻雀バカがいるからそいつを呼ぼうか』と誘ってやって来たのがダイスキ先輩だった」との話に大笑いした。

さてダイボや見せたまえがトップ取るも、まだまだこれからという3回目の東発、私が親だった。雀荘のドアが開きふと後ろを見ると、なんとやって来たのはサブロー!みんないっせいに「サブロー、ないごっよ」と。だってオーストラリアにずっと住んでいて国籍も移し去年30年ぶりに会い、麻雀も数回打って帰国していった。次ぎ会うときはまた30年後・・ということはもう会うこともないだろうと思っていた。それが1年してまた日本に来ている、そして何だ、俺たちが今日ここで麻雀するなんて知るはずもないのに。「いやいや、もしかしたら麻雀やっているかなと思ってね。いなかったら近くの喫茶店で暇つぶししようと思ってさ」と涼しい顔だ。去年証券会社を辞め個人でネットで株関係の仕事をしているため日本に来やすくなっているみたい。

それはともかく私たちも時間をやりくりして麻雀をしている。2抜けで麻雀するわけにもいかずサブローは数時間観戦して過ごすことに。私の背後にいたときはペンチャン親リーチに「うーん」と賛成しかねる発言をしこれを聞いた見せたまえDrが「さてはまたこてるのくそリーチだな。ということは両面の1、9牌は通る」と9索を切って喰いタンに走りそれを上がりきり親を流しやがった。「こら、サブロー。お前が余計なことしゃべるから」と私がにらむと今度はダイボや見せたまえの後に付いたりと忙しい。このあともオーストラリアの話題や昔話などにぎやかな麻雀になった。見せたまえDrは自分がトップ取ればサブローに代わって打たせようとしたが来る前は2位1位だったのにその後は全然。結局次回打とうと約束してサブローが帰った後も勝てず負けに終わった。ふんふん、私はチャラで前回の悪夢は払拭できたかな。それにしてもサブロー、驚かしてくれたよ。

2014年10月18日土曜日

お見舞い実家

土曜が久々休みだったので実家に帰った。お盆以来であったが、あこネーサ母を見舞う目的もあった。1週間ほど前、気管支の調子が悪く「死ぬかと思った」そうで少し調子が良くなってから私に電話があったのだった。会ってみると今は落ちついていて喘鳴も聴かれなかった。クリニックは内服処方の他に吸入ステロイド、そしてネブライザー器具の貸し出しもしてくれたそうでなかなか本格的だと思った。ネブライザーは喘息や気管支炎には非常に効果的で母もこれで呼吸が楽になったという。身近にいれば私も診察し何らか治療に関われただろうが住居が1時間ほど離れていて急な病変には対応出来ない。隣に住む弟嫁のチエコンさんが世話してくれたそうで母も80才半ばになりこれからますます面倒掛けることになりそう、感謝感謝だ。

墓参りのあとはヒトミンチョ家に寄った。今日は彼女一人しかいなかったがカールともどもネコや世間話など話題が尽きなかった。私の例のあるなしクイズ(松原にはあるが松山にはない)はいくらヒントを与えても思いつかないとお手上げだったとのこと。2時間ほどいて途中私は居眠りしてしまっていた。夕方近くなっていたのでお暇したが、もらって帰ってねと言われた柿を忘れたのがちょっぴり後悔だった。

2014年10月17日金曜日

近藤氏ているのか?

ブックリバーDrがあの近藤誠センセイのTV番組を見て「先生、あれっていいんですか。びっくりしました。あんなことTVで言って、まるで素人かと思いました」と話しかけてきた。私は全く番組は見ていないが氏はかれこれ20年以上も前から現代医療やガン治療について否定的な見解を述べ、それがまた一部の一般ピープルに受けているとか。ちらと彼の意見を見聴きする限り、片寄った意見としか思えない代物だ。何でもセカンドオピニオンでやって来た癌患者にはほとんど治療は不要と意見するらしい。ご託宣を聴くのに時間制限ありでそれで何万円も払わねばならないらしい。これじゃーまともに治療すれば助かる人も助からない。

そもそも医療を受けうまく治らないケースなんてごまんとある。医療って不確実なところが必ずある。思惑どおりに診断できてきれいに治るものと患者が思っているとしたらそれこそが幻想なのだ。でも少しでも良くなって欲しいと医者もスタッフも努力をしている。うまく治療結果が出ないことに鬱屈した一般人の不満を近藤氏はうまくすくい上げているだけではないか?

氏に限らず新聞の広告欄にも「医療はウソだらけ」と羅列した本が出てそこそこ売れているらしい。近藤氏の本など何十万部も売れているとかで、だからある程度信用できると思っている読者もいるらしい。だが売れ行きなんて全く信用ならない。それどころかベストセラーって意外に根本的な間違いを強調したものが売れることすら結構多いのだ。20年程前は「脳内革命」という「えせ」医学本が100万部以上も売れた。その昔は「ノストラダムスの大予言」とかも100万部を軽く越えたものだ。でも今となってはその内容は明らかにウソ、トンデモ本の類いであることに論を待たない。世の常識を覆すよう内容の本は当たればスーパーヒットになるのである。血圧が高い人は減塩しなさいとか主張する本は売れないのである。たまに「痛風はビールを飲みながらでも治る!」ぐらい言うとそこそこは売れるようだが・・。ともかく売れすぎている本は多少疑ってかからねばならぬものなのだ。

私は朝日新聞信者でもなんでもないが、このところの朝日の失態で朝日を叩けば売れるとばかりに週刊誌などが飛ばし記事を書いているようだが、妙にお高くとまった朝日にいい気味だと思う大衆心理が乗っかっている印象だ。近藤氏の本も一般患者の医療関係者にお高くとまりやがってという卑屈な心理をうまく突いているからなのでは?そういった氏の主張を真実と混同し(近藤氏)てはならないとここでは言っておこう。

2014年10月16日木曜日

落語聴かない?

カールに「鹿児島に落語が来るそうだけど見に行かない」と言われ、11月2日の博多天神落語祭り」の鹿児島公演に行くのをOKした。落語なんてTVでたまに聴くことはあっても生は初めてだ。カールもそうだという。楽太郎いや今は三遊亭円楽のプロデュースで桂ざこばや春風亭昇太ら他数名が来るとか。以前だったら何かと余裕がなくやはり子どもが親元から離れると関心がこういうものにも目が行くんだな。

落語って中学の時の担任ケンキュウ先生が好きで古今亭志ん生の落語をテープレコーダーで授業中に聴かせてくれたけれど聞き取りにくいこともあって全く良さが分からなかった。講談社文庫で「古典落語」をいうのを買って読んでもみたりしたが少しは面白いと思ったもののハマることはなかった。あれは聴いて楽しむものなんじゃないか。私は囲碁が好きなので柳家小さんの「笠碁」は何度かTVで見て楽しんだことがあるがあれを他の噺(はなし)家がやったらどうなる?同じ話でも語り手が違えば受ける印象もまた違うのだろう。そんなわけで初の落語鑑賞、楽しみである。

2014年10月15日水曜日

朝寒く夜は今一

朝は気温12度という寒さで一気に冬が来たかのようだった。ま、でもこれは鹿児島でいう「おなごだまかし」で秋の日の一過性の寒さに過ぎず、また暑い日が来る。慌てて冬支度すると面倒なことになる。

夜はT-MAXで恒例のボウリング練習に行った。するとまた山師だ分かる内科のやまひろDrが来ていて隣で投げていた。ちょうどニューボールを作る気になっていて日置プロに相談したところストーム社のコードブルーというボールになり次回ドリルしてもらう予定とのことだが「初心者の私が投げるにふさわしいだろうか」と心配顔で聞いてきた。これには「全く問題ない」と答えた。このボールは私のマスターマインド同様高性能ボールで、本来いいものは初心者にとってもいいものなのだ。それに「初心者」と謙遜しているが投げているフォームを見るとなかなかのもので使っているボールがあまりに曲がらない安物なのが残念だった。これからきっとスコアアップにつながるだろう。

私らはみんな調子上がらず場内暗くなってのチャレンジでストライク出してオロナミンCもらったのが良かったくらい。どうも最近今一だ。麻雀や韓ドラにハマっているせいかなぁ。ぶつぶつ。

2014年10月14日火曜日

柿食う婆

午後は救急当番ではなかったけれど、某老人ホームから喉にものを詰まらせたとの連絡があり、内視鏡が必要かもとのことで私が対応した。患者は80代半ばの女性、診てみて救急で来なさいと言わなかったことを少し後悔した。ぜぇぜぇしていてこれは誤飲ではなく窒息だった。急いで気管内挿管の準備をし喉頭付近を覗くとホーム職員から聞いていた柿の実のスライスしたものが見えこれを取り除かなくてはならない。ピンセットで取り出すと3cm径の厚さ2mm程度の柿のスライスが出てきた。職員が食べやすいようにと薄くスライスしてくれたのだろうがうまく噛めず、飲み込こもうとしてそれがピタッと喉頭に蓋をしてしまったのだ。息を吐くと少し空気の流れが出来るがしばらくすると息苦しくなる。SpO2は90%前後で意識も朦朧としてしてこの後気管内挿管で一気に98%まで戻ったから良かったけれど危ないところだった。入院、一旦人工呼吸管理としたが元は呼吸器系に問題がある患者ではなく2日後沈静を止めた後、自ら気管内挿管チューブを抜去しその後も問題なかった。それくらい元気だったわけだ。

教訓:高齢者にはへたに手をかけ過ぎないこと。普通に4つ切りにして柿をお食べにしておけば詰まらせることもなかったろーに。

2014年10月13日月曜日

あ、西口彰・・

本格的な台風はこの7、8年以上鹿児島本土には来ていない。確かに気象上は上陸したものもあったがそよ風程度の風を台風とは呼べない。で、今度ばかりは本物の台風が来るだろうと思いきや、昼前なんか風も吹かず青空だよ、青空。しかし雲の動きは極めて速くただの青空じゃない。台風の目だったんだな。

昼はずっと家でソファ寝。夜は天鳳するも調子は今一で夜遅くチッチとこの前録画していたビデオをみた。フジTV制作のそれは今から50年ほど前東京オリンピックが開かれる直前に起きた殺人事件で犯人が死刑になった3件を再現ビデオなどで検証する番組だった。有名な吉展ちゃん誘拐殺人事件の小原保、戦後初の女性死刑囚小林カウのホテル日本閣事件、そして「復讐するは我にあり」のモデルとなった連続殺人犯西口彰の事件と証言や新資料などで丁寧にあぶり出した労作で、中でも福岡から広島、静岡、北海道、東京で残忍な殺人や詐欺行為を働きある目的で熊本にやって来た西口彰のサスペンスは強烈だった。

冤罪弁護を支援していた教誨師(きょうかいし)一家に「その支援をしたい」と東京で老弁護士を殺しバッジ付けて弁護士になりすました西口は教誨師の歓迎を受け、一晩泊まることになる。しかし、その家の10才の次女は男を見た瞬間目を見張った。連続殺人犯だと一目ピンと来たからだ。すぐに母や姉にそのことを伝えるが信じてもらえない。人格者の父は「そんな失礼なことを言うものではない」とたしなめるが、母らは駐在所に連絡する。実は次女は毎日家の近くにあった指名手配犯の西口の顔を眺めすっかり覚えていたのだった。父も弁護士なら当然知っているべき人物の名前を知らないなど不審に思い娘の言い分を聞き始めた。すでに数ヶ月で5人も殺し残忍この上ない犯人とおぼしき男を家の2階に泊めてしまっては一睡も出来るはずがない。実際、西口は上手く取り入った後は教誨師一家を殺して沖縄にトンズラする予定だった。西口は福岡の刑務所労役していたときに刑務者を諭す役目のこの教誨師を覚えていたのである。こわっ。その夜、父親は子どもらを寝かしつけるもすぐに入って来られないよう簡易鍵を気付かれないよう30分もかけて戸に付けるなどし、音が聞こえたらどうすんだとハラハラした。翌朝、警察から胸の傷跡が確認出来たら西口だろうから朝風呂に誘って確認してくれと言われそのとおりにするなど見ていてもうハラハラし通しだった。おいおいそんな危険な目に遭わせていいのかい。感づいた西口は早目に暇乞いし家を出て行ったがすかさず連絡した警察が張り込み任意同行を求め逮捕に至った。ふーぅ。

しばらくこの事件が頭から離れなかった。後で聞くとチッチもこの事件を思い出して何度もぞっとしたと。その犯人役を演じたのは何と陣内智則。無表情な演技はなかなかのものだったが実際の西口彰の写真の方が不気味さと女に持てたという妙な魅力を醸しだし迫力があった・・。

2014年10月12日日曜日

台風(?)当直

また台風だって?今朝は朝から日曜当直だったので台風が来ても全然気にならない、ていうか暴風雨なら救急もやって来ないんじゃないとも思った。そんな中、私と同世代の中年男性が救急で運ばれて来た。背中や胸が痛いという。こんな時心電図や胸部CTで循環器系の緊急病態が無いかをチェックする必要がある。他の病気は仮にあっても命に直結しないことが多いが心筋梗塞や大動脈瘤の病気だとへたすりゃ死ぬこともある。で、このの患者は心電図、採血、症状からしてほぼ心筋梗塞と診断した。となれば青雲会病院では入院治療が出来ない。いつもなら鹿児島市内の病院に送ることが多いがせっかく姶良郡内で心臓病の専門対応病院持ち回りネットワークがあるというので国分の説教病院へ転送依頼した。しばし待ったのちにこれを受けてくれて助かった。でも患者に「実は重症なんですよ」と理解してもらうのに少し手間取った。転送入院の可能性が高いことを説教病院の返事待ちの間、奥さんへの電話連絡を少し渋っていたのだ。それまで元気でばりばりの働き盛りだったからそうかもしれない。病気はしばしば人生を反転させる。心筋梗塞も急性期を乗り越えれば後はしっかり管理していつもの生活に戻ってくれることを祈ろう。

台風は今のところ心配ないが少し気がかりは明日朝当直交代のケンケンDrがやって来るかどうかだった。というのも福岡から月火と来る先生なので明日の交通機関がストップされると当直医がいなくなる。飛行機は多分無理で新幹線や高速バスも動かない可能性がある。来なければ私が引き続き当直継続か・・ぐああ。

すると夕方ひよっこりケンケンDrが医局にやって来た。「明日来られんといけんと思ってですネー」と。そうですか、ああ良かった。これで安心して一晩過ごせる。先生には医局ソファに休んでもらい私は当直室へパソコン持って休んだ。夜はさほど呼ばれることもなく「台風」の日の当直は無事に終わった。ほっ。

2014年10月11日土曜日

やられたのはjazzmaにか神様にか

今日の土曜は午前勤務。外来はまずまずで比較的ゆったり出来た。病棟受け持ちはそこそこ多く18人持っているのだが特筆すべきは90才以上患者の多さだ。現在7人いる。20年前も10年前ですらこんなに受け持ったことはなかった。日本は超高齢化社会真っただ中で今後20年この傾向は続くはずだ。いわゆる昭和20年代生まれの団塊の世代が70才代になり80才代を迎えるからで、当然病院に罹る患者も増える。入院してくるのは90才以上の患者が当たり前の時代がはや来ているのだ。(10/23日現在18人中9人にまで増え、4F病棟など9人中8人が90才オーバーだった。びっくり。)

午後は一旦帰宅後午後3時から麻雀とやや珍しい時間に開始だった。これはjazzmaが入ったためで彼は開業歯科医の都合上午後2時開始は苦しいのだと。それでも4人揃うことが大事でサブアラド、見せたまえの両Drを交え闘牌が始まった。jazzmaとは久しぶりだが気合いが入っているのは実は先刻承知だった。昨夜天鳳で東風戦を10回くらいやっていたからだ。今日に合わせ調整の意味でやって来たのは間違いない。そんな様子はそよとも見せずにひょうひょうと牌をつまんでいるな。目に物を見せたるよ・・。

それから半荘12回、終わったのは深夜。目に物見せられたのは他ならぬこの私。もしかすると麻雀人生で一番負けたかも・・。前々回の大勝ちと全く同じ額が出ていってしまった。トップが1回もなし。2位が1回あったくらいで7回ラスを喰らえば・・そりゃ大負けするわ。勝ち頭はjazzmaで彼は四暗刻も上がった。その直前の局でも面混三暗刻トイトイリーチ南バイ満を私から出上がってトップを取ったばっかしで次の東1局でまたもやツモリ四暗刻の手をリーチしたのだった。どちらも私は間3の待ちのリーチをしたのだがいずれもjazzmaが3万やら3ピンを暗刻にしていて私が負けるように仕向けられていたとしか思えない。全自動卓でなければ積み込みを疑うケースだ。見せたまえも勝ち、サブアラドDrはちょい負けで、ほとんど私の一人負けだった。これは最近勝ちまくっていた私に麻雀の神様が「調子に乗るんじゃないよ」と諭したかったのか。きっとそうだろう。神様はお調子者が嫌いだから。

2014年10月10日金曜日

こどもが夢中になるもの

10月10日は晴の特異日なんだって。50年前に東京オリンピックの開会式がこの日に選ばれたのもそれがあったからとのことだ。ただ当時5才になったばかりの私にはその記憶はない。その代わり同じくオープンしたばかりの新幹線には関心があって保育園でのお絵かきには新幹線をよく描いていた。まさに日本が高度成長期を迎えようとする時期でTVでは初のアニメ番組鉄腕アトムが始まり主題歌をよく歌っていた。2番の歌詞に「♪七つの威力だー鉄腕アトム~」とあって子ども心に「アトムって7才なんだ」と勘違いし親にそのように言った記憶がある。恥ずかしいがまあ子どものことなんでねー。この翌年ぐらいにウルトラQが始まり初めて見た映画ではゴジラとキングギドラが戦ったりして怪獣ブームが起きた。怪獣図鑑とかあって「これを覚えたら君も怪獣博士だっ」なんて書いてあるもんだから家に来たおばさんに「ぼくは怪獣博士だよ」と自慢したのも今となっては恥ずかしい限り。その時代その時代で流行は変わる。今は昨年から「妖怪ウォッチ」なるものが流行っているとか。今、幼稚園、小学生の子どもらも大人になって私みたいに思い出すことだろう。「そんなことばかりに夢中にならずにお勉強しなさい」って言いたくなるかもしれない。でも子どもの頃は子どもらしい物に夢中になることがあっていいしそれでいい気がする。大人になっても妖怪妖怪って絶対言わないよ、私が小学高学年にもなったころすでに怪獣怪獣って言わなくなっていたしー。

2014年10月9日木曜日

スコアは変わるボウリング

夕方、七五調病院でのICT委員会があり難ガターさんらと参加した。ちょっと驚いたのは過ごし安病院のサブアラドDrも参加していたこと。「今回は僕は出ない」と聞いていたのに。早帰りする日だったが周りのスタッフから時間的に問題ないと促され出ることになったとか。話題の一つにエボラ出血熱があり、もしこれが鹿児島県内で発生したら大変なことになると思った。まず疑い症例は一般の病院では対処できず姶良郡なら七五調病院しか診ることはできない。確定したら鹿児島県内には対応できる病院はなく熊本に送ることになるという。診察や看護するのに完全防備(まるで宇宙服みたいなアレ)などの設備投資が必要で何百万単位のお金が必要になるらしい。それをどこが負担するかなど難題山積のようだ。

小1時間過ぎ会議が終わり私と難ガターさんは国分スターレーンへ向かった。サブアラドDrは数ヶ月前に一時投げすぎて指を痛め今は投球禁止中なのでここでバイバイ。スリウェル、タナカッツ、タシケントMRと待ち合わせた。国分で投げるのは何ヶ月ぶりだろう。ここはT-MAXと違いオイルがよく入っている。この前絶好調だったタシケント君、「もうヤになります」と愚痴るほどコンディションの違いに戸惑っていた。それは私も同じで7、8枚目付近を真っ直ぐ投げてもきれいに曲がらずヘッドピンを外すことが多く、1ゲーム目は私が124、タシケント君は100やっと越える超低スコアだった。2ゲーム目も似たようなものだったが、私は立ち位置を真ん中に寄せればいい感じでフックすることに気付き、3ゲーム目は気合いが入った。するともうストライクばっかしで5連続、4連続を出し254とそれまでがウソのようなハイスコアとなった。狙い目を間違うと100ピン以上の差が出るとはボウリングも恐ろしい。ま、今回はベテランの面目躍如ってところだったね。

最後は恒例のダブルスで私は休み、タシケント、スリウェル組と難ガター、タナカッツ組に分かれやらせたところ、前者は急にストライクが出だし190以上のスコアを出しよった。責任感が生じるとこれまた結果がぱたんと変わる。精神的な影響も大きい。これもまたボウリングなのだった。

2014年10月8日水曜日

カールさんに会ってよかった

今夜は皆既月食で19時過ぎに近くの小学校まで行き東の空を見上げるとちょうど月が欠け始めていた。PowerShot S110で例によって撮影したのだが家に帰ってTV画面に写る画像とは比べものにならない。デジイチでしっかりした三脚で撮らないといいものは撮れないってことだ。

さて、カールから聞いた話である。今日は団地内のええコープでブラジャーが2割引きだったそうで彼女は買おうかなと思っていたそうだ。で、そのええコープの出入り口でばったりママ友のバンブックさんと出会った。ブラを買うんだと言うと「え、こんなところで(お医者さんの奥様のあなたが)買うの」と言われたんだそうだ。カールは「え、だって今日はバーゲンだもん、2割引ね」と何がいけないのと平然と答えた。これにバンブックさんは目を丸くすると同時に少し笑みを見せた。そして「だよねー」と。実は先ほど店内で同じ団地に住む開業医の奥さんアラマダさんと会って「こんなとこでブラを買うの」と言われたばっかしだった。その奥さんはやばかった屋デパートでしか買わないのだとか。そんなことを言われてすごすごと引き返し出口でばったりカールと会ったというわけ。「やっぱり買うわ」とバンブックさん。その後いっしょにブラを買い、「カールさんに会ってよかった」と感謝されたそーな。めでたしめでたし。

2014年10月7日火曜日

おいでよ青雲会

ノーベル物理学賞に日本の赤﨑勇、天野浩、中村修二の三氏が選ばれた。いずれも青色発光ダイオードの研究においてである。いつかもらえるだろうとの憶測があったが現実になりまずはめでたいことだ。赤﨑氏は鹿児島県は知覧の出身というのも自分の生まれ育った近くだし、幼少期に鹿児島市内に一家で出てきたというのも自分と同じで親近感を覚える。それで一方はノーベル賞で一方は地方病院の一勤務医か、ま、いいでしょ。でも御年85才というから長生きは大事だね。どんなに業績を上げてもノーベル財団は基本的に死者には授賞しないから。ノーベル賞には運も必要ということである。

内視鏡検査が多くてちょっぴりへばった。他県の先生で当院での常勤希望という内視鏡検査医がいるのだが当直や救急はしないという条件だそうだ。ううむ、内視鏡だけでもしてくれるのは有り難いが、常勤となると救急などそのほかの仕事もしてほしいのだが・・。私も青雲会病院に就職するにあたってその点がかなり気がかりだった。救急車なんてあまり対応したことがなかったからね。でもTVドラマに出てくるような派手な重症患者なんてそう多くはないんだ。多くは一般外来患者なんだけど救急車に乗って来ただけってケースが多い。その不安を父デンコーの前で漏らすと「他の先生が救急や当直をするんやったらお前もするのが当たり前だろ」とばっさり言われ、あ、そうかと思い考え過ぎていたことに気付いた。やっていればどうにかなる。内視鏡だっていきなりやれと言われれば出来るわけないがやっているうちにそんなプレッシャーではなくなる。救急、当直もいっしょだった。検査も外来も救急も何でもできる青雲会病院にいらっしゃいな。

2014年10月6日月曜日

本質は言論統制にあるというのが分からないのか!

最近のニュースでこりゃひどいと思うのは韓国検察の産経新聞ソウル支局長の起訴、拘留だ。先月まで青雲会病院は産経新聞を取っていて記事を読む機会も多く、彼の新聞が右寄りで韓国に批判的なのはよく分かったが、朴槿恵大統領を揶揄した記事自体は何の問題もないものだった。名誉毀損?どこが!一国の長たるものはマスコミの批判を受けるのは当然でそうでなければならないとさえ言える。国民が自由に物を言えることが権力の腐敗を防ぐことにつながる。一国の首脳は筋違いの批判でも反論するなり甘んじて受けるなりするのが当たり前で権力でもって圧してはならない。

マスコミの権力監視力を封じるとろくなことにならないのは歴史が証明している。「大統領(日本では首相)は馬鹿だ」くらい言える国でないといけない。それが言えない国は言論統制をしいているとの同じで気楽な噂話でさえそんなことが言えなくなれば行き着く先は北朝鮮だ。大統領(王様)のお怒りに韓国の検察はひれ伏したのか。王様(大統領)のお怒りに家臣ども(検察)がご機嫌伺いよろしくご意向を組んで動く様はまるで朝鮮王朝やないか。儒教精神と500年の李氏朝鮮時代の名残は韓国国民に染みついていてそう簡単に取れないようだ。ま、あんな記事書いて死刑にならないだけでも北朝鮮よりはなんぼかマシってところだがネ。

それにしても韓国マスコミはダメだな。そもそも産経記事の元ネタは朝鮮日報だ。そこは何のお咎めもないのをいいことに産経批判に同調しているらしい。核心は権力のマスコミ言論統制にある。そこを批判せずにのほほんとしているとはいずれ矛先が自らに向くことも考えないのだろうか。かつて独裁時代に韓国マスコミは痛い目に遭っているというのに。

ついでに最近の朝日新聞批判についてだが、まあ慰安婦報道は以前から元ネタがおかしい証拠がないと言われていたにも関わらず、間違いを認めなかった朝日はよくないだろう。しかし朝日がなくなればこの国は良くなる式の論調には呆れる。そんな思考や態度が権力の増長を許し国を誤らせるのだ。日本は昭和時代の軍部の独走を防げず戦争に突入していき、マスコミも軍に同調する記事で国民を煽った。言論統制はそれくらい怖いことなのだ。この頃の朝日叩きの風潮に乗って元朝日記者の勤務先の大学に脅迫文が相次いで届いたというケースもあったとか。ただ、朝日以下新聞各社はこれに敏感に反応し、こうした態度を許すなで一致していた。産経ですら「大学に脅迫文 言論封じのテロを許すな」と題した「主張」を掲載し、「報道に抗議の意味を込めた脅迫文であればこれは言論封じのテロ」「言論にはあくまで言論で対峙(たいじ)すべきだ」と訴えまっとうな対応をしている。毎日新聞は社説で「大学への脅迫 看過できない卑劣さ」で、今回の事件の背景には「一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある」と指摘。「ヘイトスピーチ(憎悪表現)にも相通じる現象だ」としている。

まだまだ日本のマスコミは信用してよさそうである。

2014年10月5日日曜日

死なねばならなかったのか

(先日のこてるあるなしクイズは難しかったとヒトミンチョから言われた。私がその後もヒントをいくつか与えても分からず、正解を知っても「きっと気付かなかったと思う」とのこと。してみると、なかなかの良問だったかな、ははは)

そうだ、昨日は夕方からいつものメンバーと麻雀をしたんだった。7半荘で終了と中途半端な回数で終わったのは、台風が近づいているからという殊勝な態度からではなく見せたまえDrがまた出産がらみで急遽呼ばれたからである。産婦人科開業医はこれだからなあ。しかし妊産婦が安心して出産を迎えるためには彼のようなDrがいないと困る。深夜遅くなっても、好きな麻雀をしていても妊産婦の急変には駆けつけなくてはならない。彼だけ先に精算し帰っていった。残った3人で計算してみるとダイボ、サブアラド、私とみんな少しずつ浮いていて見せたまえの一人負けだった。自らの身を削って周囲に奉仕する、まさにロウソクのような生き様で我々は深く感じ入ったのであった。(また今度もマージャンしよーネ)

帰宅してシャワー浴びてパソコンに向かうと天鳳でサブアラドDrが打っているのが確認できた。あはー、打ち足りなかったんだな。あれれ、でもラスばっかし取っている。電話してみるとビールをぐびぐび飲んでやっているという。眠気もあるだろうにそれじゃー強者ぞろいの鳳凰卓じゃぼこぼこにされる。ご無理なさらぬよう。

夜、ニュースが飛び込んできた。あの長崎女子高生殺人の犯人女子高生の父親が首つり自殺をしたという。何とまた・・。そりゃ、自分の娘が殺人まで犯ししかもいわゆる快楽殺人(殺すことに快楽を感じる異常性癖)者であったというショックは計り知れないものがある。でも、弁護士でもあり社会的にも責任ある立場で、再婚もし子どもまで出来ているという状況、さらに今後娘の更正のためには一番必要な人物であることは間違いがないのに責任を全うするべきじゃないのか。これについてカールは「当然だとおもうわ。私でも自分の子どもがそんなだったら死んでしまいたくなる」という。ううむ、地元で大きな弁護士事務所を運営していたが事件発覚当日には事務所ホームページは即刻削除されていたとか。クライアントが一斉に手を引いたかもしれずこんな猟奇的事件の後では新規の弁護依頼もあるかどうかで憔悴しきっていたと思われる。エリートは挫折に弱いとは聞くがそれを地で行った・・なんともやりきれないニュースだった。

2014年10月4日土曜日

「オールド・ラング・ザイン」

NHK朝ドラ「マッサン」で主人公はスコットランドから妻エリーを連れてくる。現代でも国際結婚は大変なのに大正時代のことだからいかに苦労したかが偲ばれる。見ていてスケールは小さいが沖縄から鹿児島へ嫁に来たカールのことを連想した。異郷の地に結婚しにいくのは勇気がいる。周りは知らない人だらけで風習も違う。彼女の決断がなければ私も結婚には至らなかっただろうし、エリーも同様だったはずだ。そんなエリーの心情を推し量るようにドラマではスコットランド民謡が効果的に使われている。日本では「蛍の光」で知られる(というより日本の歌じゃなかったのと勘違いしている人が多い)「Auld Lang Syne」や「故郷の空」または「誰かさんと誰かさん」などで知られる「Comin' Thro' the Rye」などだ。ヨナ抜き音階で日本古来の歌と似ているため明治時代に翻案され広く歌われた。今日はエリーが英語で「Auld Lang Syne」を「♪Should auld acquaintance be forgot・・」と歌っていたのでこの歌のことを少し調べてみた。作曲者は民謡ゆえ不明だが作詞者は18世紀のスコットランドの詩人のロバート・バーンズである。Auld Lang Syne はスコットランド語で英訳すると逐語訳ではold long since、意訳ではtimes gone byとなり、日本では「久しき昔」などと訳すそうだ。

そんな知識を仕入れ、朝の外来をしていると、この前退院したスコット・バーンズさんが来ていた。体調もいいし結構なことで、診療はおいとき、「バーンズさん、あなたはアメリカ人とのことですが先祖はスコットランドからの移民なんですか」と尋ねた。すると「そうです」と答えるではないか。やはり、バーンズといえばそうなんだ。となればアメリカの有名なプロボウラー、クリス・バーンズもスコットランド系なんだろう。そしてAuld Lang Syneを話題にすると、日本語にも堪能なバーンズさんはこの歌の使われかたが本国とは違うことも指摘した。向こうでは大晦日から新年にかけてみんなと手をつなぎながら歌う定番の歌であるという。日本では年末でも使われるが閉店や卒業時期にもよく出てきて最初はびっくりしたそうだ。私が朝ドラに最近よく出てきますよとあやふやな英語で歌い出すと「おお」と言って「シュッ、オールァクィンタンスビーフォゴッ・・」と歌い出した。私もいっしょに歌いたいがメロディはともかく歌詞をはっきりとは覚えていない。ただし最後の「Auld Lang Syne」は知っていたのでいっしょに歌った。でも彼は最後のSyneをザインと濁って発音していた。私は「サインと発音しないのですか」と尋ねると「いいえザインです」とのことだ。Wikipediaなどでは「オールド・ラング・サイン」と書かれてあるが本当はどっちなんだ。それでYouTubeでこの曲を歌っているのを片っ端から聴いてみた。結論からいうとバーンズさんの言うとおりでほとんどすべて「ザイン」と発音していた。もともと好きな歌なのでiTunesであのSusan Boyleのをダウンロードした。スコットランド出身の彼女も当然最後は「~ザイン」と歌っていた。

「Auld Lang Syne(オールド・ラング・ザイン)」・・単純なメロディであるが300年以上経ってもそして各国でも歌われている。まさに不滅の名曲、今後も歌われ続けることだろう。

2014年10月3日金曜日

こてる作「あるなしクイズ」

外来に「白桃」さんという若い女性患者が来た。名前も花の名前がつく人でまるで芸能人みたい。で、名字に関するある問題を思いついた。この時に付いていたまっぴらNsにかつての「マジカル頭脳パワー」に出てきた「あるなしクイズ」を作ってみせたのだ。例題として「松原」にはあるが「松山」にはないだ。以下例題をを出すのでみなさんも考えてみては?「ある」の名字に共通するものは何でしょう。

ある|なし

松原|松山
山川|山口
清水|清原
山田|森田
小山|中山
田畑|川畑
白石|白坂
林 |林田
西 |西村

・・・

こんな質問を受け頭をひねるまっぴらNs。「わかんなーい、教えて先生」「さあ、よーく考えてごらん」「うーん」結局1時間以上経っても彼女は分からなかった。そんなに難しいかな。例えば「白桃」はあるで、米大統領の姓でいえば「ブッシュ」はあるで「クリントン」はないだ。総じて「ある」は少なく「ない」がずっと多い。すぐに教えて上げたいが彼女にしたように日記でもしばらくあとにしよう。分からない人はしばし待て。

あるなしクイズの答え:

「ある」の側は名字でもあるが普通名詞でもある。「なし」は名字や地名にしか使われない名詞である、以上。

まっぴらNsには「なーんだ、つまらない」で一蹴されました、ハイ。

2014年10月2日木曜日

祝!ホークス優勝

昨日のボウリングを書いていなかった。いつものメンバーの他タシケント君も参加した。1ゲーム目は私173、タシケント君162だったが、2ゲーム目は私190でまずまずだったのに対しタシケント君はなんと238とこの前の247がフロックでないことを証明してみせた。とにかくストライクがよく出る。ピンアクションがいい。私と練習はしていなかったが新妻連れてちょくちょく練習をしていたらしい。ふーーん、そう。で、3ゲーム目は気合いを入れた。私229、彼は168。ふう、どうにか面目を保ったぜ。

今晩はソフトバンク最終戦にして優勝決定の対オリックス戦をTV観戦した。1点リードも追いつかれ延長戦に突入、10回裏に1死満塁で松田の登場。でも空振りして大丈夫かい打てないんじゃないかと不安がよぎったが、2ストライクから見事なスイング。左中間を抜け文句ないサヨナラ優勝ヒットとなった。ふーぅ、ずいぶん手こずらせたじゃない。こんな最終戦までかかるとは。同じチームでも調子の波ってずいぶんある。9月が最悪だっっということは今月からは上昇機運に乗ると解釈したい。さあ、日本シリーズ制覇までもういっちょ!

2014年10月1日水曜日

日本で一番長生きしたすずめ

すずめの寿命って何年なんだろう?普段そんなこと気にもしないし即答できる人ってまずいないだろうな。ネットで調べると野生のものは1-2年くらいではないかと推定されている。日本における自然条件下の最長寿命は、2、293日で約6.3年だがこれは捕獲されて標識されてから次に捕獲されたまでの日数なのでこれ以上生きたのは間違いない。飼育下では、一般に自然条件下よりも長く生き(生理的寿命)、最長15年という記録がある、らしい。

何でこんなことを話題にするかというと、カールのママ友であるユキーノさんから長年飼っていたスズメの「ちゅんちゅん」が今朝死んでいてショックだというメールが来たと聞いたからだ。それが何と17年か18年くらい経っての大往生だったというからびっくりだ。テルと同級生だった長女のアイ~ンちゃんがまだ幼稚園生のころ怪我しているのを拾って来たのがきかっけでカゴの中で育ててきたという。ごはんが欲しいとその名のとおりチュンチュンと鳴いて寄って来ていた。それだけ長くいっしょに過ごしたとなると思い入れもあり「葬式もしてやらないと」とのこと。それを聞いて思わず「それって焼き鳥になるのかな?」と不謹慎なこと私は思ったがさすが口には出さなかった。カールを含めメル友のママたちもいっせいに哀悼の返信メールを送ったという。ヨッツーさんはユキーノ家の旅行などの際にちゅんちゅんを預かったこともあり「何度かうちにも泊まって来ていましたね、お安らかに」と返し、本当は鳥が苦手なナッキーママでさえ献花代わりのラインの菊の花スタンプを贈ってなぐさめたとか。

その後の情報によると、ちゅんちゅんは在りし日の写真となって飾られているという。もしかすると日本最長飼育記録かもしれない偉大なちゅんちゅん、ユキーノ家に飼われて幸せだったねー。

2014年9月30日火曜日

「舞妓はレディ」を見る

大腸内視鏡5件あったけれど内4件を昼休みなしで頑張ってどうにか早帰りが出来た。急いで帰宅するとカールも外出から帰って来ていていっしょに与次郎の東宝シネマに向かった。映画「舞妓はレディ」を見るためである。今年いっしょに映画を見るのは春の「アナと雪の女王」以来だ。私が見たいと思ったしどちらかが50才以上のカップルなら一人千円になるので今日の早帰りは良いタイミングだった。この映画「舞妓はレディ」は「Shall we ダンス?」のあの周防正行監督作品でミュージカル仕立てというのも面白いと思ったのだった。
この映画がどんな映画か紹介するのが面倒なので以下ネットから引用しておこう。↓。

「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」の周防正行監督が、京都を舞台に舞妓になるために頑張る少女の成長物語を、数々のオリジナルソングが彩るミュージカル仕立てで描いた。舞妓がひとりしかいなくなってしまった京都の小さな花街・下八軒の老舗お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が現れる。最初は断られた春子だが、そこに居合わせた語学学者の「センセ」こと京野が、鹿児島弁と津軽弁の混ざった春子に興味を示し、彼女が万寿楽にいられるよう取り計らう。かくして万寿楽の仕込み(見習い)になった春子だったが、花街の厳しいしきたりや稽古、慣れない言葉づかいに悪戦苦闘。そしてある日、突然声が出なくなってしまい……。2011年・第7回「東宝シンデレラ」審査員特別賞受賞の上白石萌音(かみしらいし もね)が、オーディションを経て春子役に抜てきされた。

この上白石萌音って娘は「東宝シンデレラ」で確か姉妹で選ばれたんじゃなかったかな。妹の上白石 萌歌(かみしらいし もか)がグランプリで鹿児島から姉妹で選出されるなんてエライもんだと思ったものだ。この舞妓役は眉が濃くいかにも鹿児島出身のお顔で最初はイモっぽいおねえちゃんでその言葉使いを京言葉に変えるというシチュエーションはまさにあの「マイフェアレディ」そのものでタイトルもここから取っている。ということは主人公同士が最後はくっつくのかという興味も出てくる。しかしどちらかと言えば場となった京都のお茶屋の背景、風習を味わう映画だった。歌もなかなか楽しく「♪まいこーはレディー」と口ずさめる。そして中盤、お寺で舞妓の研修を受けるバイト舞妓の二人が松井珠理奈と武藤十夢だったのには驚いた。だいたいAKB関連ネタはチェックしていたが珠理奈がこの映画にキャスティングされているとはうっかり漏らしていた。後で調べると今年6月ごろにちゃんと出ていた。名古屋弁で「でら、大変」なんてセリフもあってそこでようやく気付いたとは珠理奈推しとしては恥ずかしい。でもなんだか儲けた気分。竹中直人や渡辺えりなど「Shall we ダンス?」ネタを最後の踊りで披露するのも観客サービスで楽しい。まあ映画を楽しむという点でお勧めの作品だ。しかし町並みのセットも作らねばならないし京都ロケが中心とはいえ季節感を出すため期間も長くなるしこれだけのものものを作るとなるとお金もかかるだろう。ぜひヒットして欲しい。そこそこヒットしているとの噂だがこの平日、与次郎ヶ浜の館内には私等を含めたった4人しか観客がいなかった。おいおい大丈夫かい?ぜいたくな気分も味わえるという意見もあろうが私は大勢の息づかいや歓声の中で見たかったなー。

2014年9月29日月曜日

マッサン、タシケント、サブアラド

「あまちゃん」以来朝ドラを見る習慣がついている。今日からNHKの朝ドラ「マッサン」が始まった。主題歌の「麦の歌」が中島みゆきで明らかにスコットランド民謡風、まあ私好みではある。てっきり外人女性主人公の話かと思っていたら久々の男性(マッサン)主人公だった。前回の「花子とアン」同様実在の人物を元にしていてニッカウヰスキー創設者とその妻の話ということだ。エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスは日本語が出来ないということだったが色白でいかにも外人さんの風貌で愛嬌があり演技も上手そうなので問題ないだろう。ま、どういう展開になるかぼちぼち見ていきまひょか。

タナカッツMRが来て「この間、社内でボウリング大会をしまして」と見せてくれたのがタシケントMRのスコアだった。1ゲーム目、ぬぁんと247!2ゲーム目3ゲーム目は180、160台だったが3ゲームアベ206で堂々の優勝だったとか。T-MAXで投げたって?ふーん、ハウスボールの他社員相手にえげつないことするね。(かといって、マイボウラーはハウスボールではまず投げたくないもの)最近はいっしょに投げる機会もなくなっていたがこれは近々またお手合わせしよう。明後日の練習はぜひいっしょに!

夜はサブアラドDrと鳳凰卓で初の対戦をした。彼は病院でしかネット麻雀出来ていなかったが自宅でのネット環境を修復させ今回出来るようになった。結果は私がトップでサブアラ3位。ラス目だった私に赤ドラ2個の手が入りリーチ。トップ目の対面が3面張で追っかけリーチしてきたが、私の58索待ちに打ち込むと裏ドラも3枚乗りハネ満直撃で均等化、その後またも対面から6400上がり私がトップに立った。この後ダマのタンピン三色をサブアラドDrから上がるなどして1位で終わった。まずは出鼻をくじいた格好か。終わって電話で牌譜を見ながら彼と感想戦。ツキだけではない打ち方のミスが私の対面にはあり勝負の分かれ目になったことがよく分かった。遠隔で牌譜を検討するなどよく考えれば10年20年前はあり得なかったシチュエーションだ。いつのまにやらすごい時代になったなあ。

2014年9月28日日曜日

「TEPPEN」ボウリング

昨日の夜のフジTV系列で芸能人が自らの趣味や特技を披露しその分野で「ナンバーワン」は誰かを決定する芸能界特技王決定戦「TEPPEN」をやっていた。飲み会だったので今日ビデオで見てみた。この番組で取り上げる競技はピアノ、書道、絵画などの文化系から100M走、アームレスリング、剣道、卓球などのスポーツ系、ほか剣玉、UFOキャッチャーなんて遊び系もある。今回はこれまで優勝したりかなりの実力者とみられる二人を直接対決させるという趣向でピアノ、剣道、UFOキャッチャー、ボウリングが選ばれていた。しかも生放送だという。ピアノではAKBの松井咲子が出ているので興味はあるが演奏を聴いてもどこがいいとかほとんど分からないので割愛。結果は僅差で松井はさゆりに敗れた。剣道ははんにゃの金田と原口あきまさの一騎打ち。2本先取でこれは迫力があった。金田の方が若干実力上に見えたが今回は原口に軍配が上がった。UFOキャッチャーは省略。

私が見たかったのは当然ボウリングだ。これは去年優勝した石原良純と村田雄浩が7フレーム勝負で対戦するもので、実力者と目される村田のリベンジなるかが注目だった。村田雄浩は私と同い年で子どもの頃のボウリングブームも覚えていて大人になったら本格的にやりたいと思った口だろう。彼は10年くらい前かな、日米選抜プロの大会であるジャパンカップの生中継の観客席にいたのを私は覚えている。アナウンサーは気付かずカメラマンは気付いていたようだった。ああ、こいつは相当好きだなと思った。私も大会がちょうど学会と重なった時があって東京ポートボウルで観戦したことがあった。前回のボウリング対決は見ていないがパーフェクトゲームも経験しているとだけあって相当上手いのは予想がついた。

対する石原良純はボウリングしてたの?というくらい私は知らず、今回初めてフォームを見た。それで最初の1フレームを見ただけで明らかに実力は村田が上だって分かった。前回優勝したとはいえ石原自身もあっちが力は上と認識しているようで生放送ということもありガチガチだった。時折ボールがあらぬ方向に転がり、ストライクを重ねる村田の前に前半で勝負あった。ただ硬さが取れればストライクも出すしもっといいスコアが出せただろう。村田は前回の負けが相当悔しかったのだろう。ボール構えてピンを見つめる顔つきがすごい。もう、人でも殺すのではないかというくらいの眼差しだった。フォームは腕で振り上げ強いフックを掛けるアメリカンスタイルで7フレ中すべて1、3ピンの間のポケットヒットしていた。これなら結果はストライクか残って10ピンのみだ。10ピンスペアもミスらず完璧だった。相当練習しないとこうはいかない。わずか7フレでもはっきり分かる。芸能人でここまで上手いのはあまりいないだろう。プロと比べればどうかはそれはもうやはりプロが上なんだが真剣勝負で結果を残せるのは長年芸能界で生きてきた底力もあってのことと思う。同い年の好漢村田雄浩を見て私なんかまだまだだと思った。

2014年9月27日土曜日

視鏡室メンバー肉だカラオケだボウリングだっ

8月にする予定だった青雲内視鏡室の夏の飲み会が1ヶ月半遅れで今夜あった。例によってブックリバーDrが幹事を務めてくれ、天文館は肉料理の「牛道」で一次会があった。熟成肉がウリの評判の店らしく土曜など予約なしでは座れないとのことだ。ムッちゃんNs始め常勤スタッフだけでなくグッちんDr、オマルDr、カレントDr、さらに内視鏡室とは直接関係はないけどブックリバーDrが誘ったナマテツ、カホDrにスリウェル君、医療器械の会いたかさんと総勢14名の参加者でにぎやかだった。お肉は牛のあちこちから取り熟成させたもので予想に違わず美味しかった。ムッちゃんも最初はぶつぶつ言っていたがお肉を見るなりコーフンしていいネを連発しお酒は焼酎をぐびっと飲んでいた。私もビールを少々。

一次会は18時から20時半までで二次会は飲み会大好きなナマテツDr行きつけのカラオケスナック「ドンファン」に向かった。ここで私の誕生日サプライズでケーキを準備してくれていた。みんなの心遣いに感謝しロウソクも消しましたヨ。さらにカラオケもトップバッターとのことで日頃歌い慣れてはいないけれどこんな時のためによく歌う橋幸夫の「雨の中の二人」を歌った。この歌、簡単でバックコーラスにみんなが参加しやすいのがいい。この後はみんな次々に持ち歌を披露した。グッちんDrは和田アキ子の「古い日記」を選んだが持ち歌というよりこの場の雰囲気を鑑みセレクトしたのだろう。「古い日記」ってどんな歌?と尋ねると「きっと知っています」との返答で、聞けば確かに!「♪あの頃はふたりとも・・・Ha!」のあの歌である。昭和歌謡もみんなよく歌っていた。カラオケではあの頃の歌が歌いやすいしノレるんだよな。後半ブックリバーDrがどうしてももう1曲歌ってとのことで今度は「若者たち」を選んだ。最近ドラマリメークされて森山直太朗が歌っている。女性陣に「上手ね」なんて言われたけどこれも実は歌いやすくそれなりに上手く聴きこえる。謙遜じゃなくそんなに上手くはないっすよ。

三次会はお開きの案もあったけれど、そもそも二次会をボウリングにしようということで私はT-MAXに車を置きマイボールも準備していた。遅くなったためムッちゃんNsらはタクシーで姶良へ帰ったがスリウェル君もボウリング案に賛成でシホねえNsが「こてる先生に勝てる気がする」という無謀な意見も出てボウリングになった。レンコンが荒れていないか心配だったが一応オイルも入っていて良かった。200アップは出来なかったけどフックボールで目に物見せてやった。シホねえ?勝てるはずないっつーの。3ゲーム目はダブルスを組ませた。スリウェル君はマイボールないためメロメロ。参加した中では会いたかさんが結構上手かった。ナマテツDrは飲み過ぎていて吐かないように休み休み投げ、ブックリバーDrはパワーはあるがボールを握るオープンボウラーによくある癖のせいで今一だった。気がつけば日付が変わって1時半過ぎ、さすがにここでお開きになった。いやー、みなさんおつかれー。ほとんどは家路についたがナマテツDrは4次会に向かったらしいという噂だった。私とそう変わらないお年なのに好っきやねー。とても真似は出来ましぇーん。

2014年9月26日金曜日

ガターをおそれるな

串木野でのトリオリーグ、今回はある気持ちで投げようと決めていた。それは安全策を取らずストライクが出やすいラインに向けてしっかり投げるということだ。今の串木野のレンコンはアウトサイドやや奥にフッキングポイントがありそこに向かって投げるとぐぐっと曲がりポケットに入りやすくなる。ただ、少し外に出し過ぎるとガターになったり、安全策でやや内を通すとポケットは突いてもボールの曲がりが弱くなり10ピンが残りやすくなる。実は前回なかなかストライクが取れず最終ゲームの10フレ、思い切ってフッキングポイント目がけて投げたらターキー、パンチアウト出来たのだった。ああこれだった、この次はこの轍は踏まないようにしようと思ったわけ。

で、いきなりストライク。やっぱこれだよ。でも3フレ目ミス。いいやひるまないよ。6フレからターキーも出たりして212とまずは好調な出だしだった。2ゲーム目は序盤ミスショットあり183、しかし3ゲーム目はノーミスの214と計609ピン久々の200アベを出した。チームも海広しDrが2ゲームから190台を連発しほぼ完勝、ポイントを重ねた。リスクをおそれずいい結果が出るラインを攻めた結果がこうだ。やっぱり安全策だけじゃ勝負事は勝てないものなんだ。

ところで今日は自分の誕生日だった。ボウリングがあるので自宅では何も準備していなかった。内視鏡室ではスタッフの似顔絵を描いた紙に「HAPPY BIRTHDAY これからもお仕事頑張って下さい お体を大切に」とのコメントがあった。似顔絵はみんなの特徴を捉えて可愛いかった。シホねえNsが描いたもので彼女は4年前も拾ったばかりのゲンちゃんをネタに「これからは愛猫家としてがんばってくださいにゃー」と描いてくれていた。あれから確かにその通りになっちまったよ。時の経つのは早いものだ・・。

2014年9月25日木曜日

寿司屋の三夫妻

今夜はカールを伴ってサブアラドDr夫妻及び好青年病院内科の馬郎Dr夫妻と天文館近くの「待つ寿司」で食事会だった。会のきっかけはもともとはサブアラドDrが5月に好青年病院で胆石手術をした際にお世話になったことからだったが、カールが「以前からサブアラドDrにいっしょに食事でもって言われているのに全然お誘いが来ない」と昨夜愚痴っていたため、その件を話すとたまたま今夜その会があったというわけ。女の勘ってよう働くものよのう。サブアラ妻や馬郎妻とも会うのは久しぶりで良いタイミングだった。

待つ寿司はその筋では有名な店らしく馬郎Drの行きつけでもあった。「外食するときの7、8割はここだよ」というだけあって、「お、この時期に赤ウニが食べられるとは思わなかった」とか「サンマの押し寿司が絶品だな」とか慣れた様子だった。寿司店ではあるが美味しい和食の中に寿司もある感じかな。小一時間経った頃、月下美人の花も咲き雰囲気も良かった。私も久しぶりに生ビールを飲み、メヒカリの唐揚げが美味しく、刺身もサンマの塩焼きも身がたっぷりで一般の店よりは一つ二つ上等な味と作りだった。岐阜産の日本酒が珍しく、カールやサブ妻など美味しいと飲んでいた。サブアラドDrもさほど強くないのによく飲んで後半お顔が少し青ざめ最後の松茸の土瓶蒸しのころには元に戻って「大丈夫大丈夫」とのことだった。

私はサブ妻さんと会うのは20年以上ぶりくらいだったがほとんど違和感がなかった。去年「今の妻に会っても分からないかも」とサブアラドDrに言われてたがそんなことはない。見た目もいろんな仕草や反応も昔と変わらない。見た目が一番変わったのは真白髪になった彼こそだろう。馬郎Drも奥さんもさほど変わらない。特に馬郎妻のお肌はきれいで聞けばやはり努力しているとのことだった。

最後、馬郎夫妻が飼っているラブラドールレトリバーの黒犬アリスちゃんのことが話題に。というより、10才を越える老犬で家にほっとけないため車の後部座席に乗せて来ているとのこと。馬郎妻は席を立って何度も様子をうかがっていた。子どもがいない夫婦にとってはまさに子どもといっていいだろう。帰りがけ、カールもアリスのお顔をなでなでしていた。動物は可愛い。私は以前は何も飼ったことがなく4年前にゲンちゃんが我が家やって来るまでペットは家族と同等だと分かっていなかった。最後に良いもの見せてもらったよ。