2017年3月31日金曜日

ちなみに名前は・・

隣町のクリニックの女医から電話で患者の入院依頼があり私が受けた。話を聴き「はいどうぞ。早めにこちらに来るように伝えて下さい」と了承した。すると「ありがとうございます。よろしくお願いします。ところで先生のお名前をお聞かせ下さいませんか」と言われたので「『こてる』です」と答え、今度は私が質問した。「ちなみに先生のお名前は・・」ふふ、一度これを言いたかったのだ。相手はこう答えた。「はい、『海原ちなみ』です」

その女医の名前が「ちなみ」と知っての悪戯だった。へへー(⌒о⌒)

今夜は当直でそれほど忙しくはなかった。そうだ火傷の子どもが来たな。右のふとももが二度の熱傷だった。処置をしただけでお終い。ちなみにその子の名前は「もも」ちゃんだった。もちろん「ももちゃんのふとももがやけどしたー」なんて言わなかったけどね。

名前でいうと、昼間診察した当院リハビリスタッフの女性は「見萩(みはぎ)」という名前だった。珍しい。でも名前から類推するに秋に生まれたのかなと生年月日を見るとやはり9月上旬だった。本人に確かめると父親が季節にちなんで付けたという。ちなみに兄の名前は「水季(みずき)」といい、6月生まれなんだそうだ。

うう、名前には「ちなみ」が多いぜぇ。

2017年3月30日木曜日

SIMフリースマホ設定じゃ

さあ、今夜いよいよSIMカードをiPhone SEに入れてスマホ開通を始めるぞーとセッティングにのぞんだ。

楽天の説明書をみながらまずはSIMカードをiPhoneに入れる。そしてiPhoneの出す指示に従って指紋ID設定など行う。さらに楽天モバイルの設定をやるのだがここで少しつまずいた。「プロファイルにアクセスする」という行為でAPN構成プロファイルをインストールしなければならない(何の意味か分かる?私は分からない)が、何とhttp://mobile.rakuten.......と50文字くらい文字を打つのだ。パソコンならまだしも小さな画面に指でとんとんと押しながら間違わないように間違わないようにと打つ。そしてEnterボタンを押して画面が変わるのを待つ。しかしー。ダメだった。入力ミスか、なんでなんで?説明書きを読み直すと申し込み種別が2種類あり私は間違って別の方に申し込んでいた。見ればBがCになって1ヶ所違うだけだった。ああ、でも最初から打ち直さないといけない。この辺りが一番いらいらした。こんなの御老人たちにはまず無理だろう。大手キャリアに任せたくなる気持ちがわかるわぁ。(↓がSIMカード)

どうにか電話回線が繋がるようになり今度は楽天モバイルのアプリをダウンロードせねなばならない。おっとその前に回線を家のWiFiにもどす(こうすれば回線消費量を使わずにすむ)。どこからダウンロードするの?これもとまどった。AppleのApp Storeからだそうだ。あちこち動かさなくてならない。これも終わった。このあと支払い設定、そして5分かけ放題の設定をする。今後は通常電話ボタンは使わず楽天のマークのある電話ボタンをクリックするのか。ふぅー。何とここまですでに2時間が経過していた。

さらにカールが「LINEの設定もしなくちゃね」とiPhoneを触り始めLINEの登録をした。これがすでに23時20分過ぎ。SIMカードを入れてから3時間以上を経過していた。すると・・、ちょこちょことLINEをつうじて返信が届き始めた。一番最初に来たのはシホねえNsだ。「やりましたね」だって。私がスマホデビューすると聞いていたからな。このあと電話番号を交わしただけ一度も話したことのないセトジンDr、ウメーノアナウンサーと来ても何も連絡することのない私はそのまま放置せざるを得ない。「それって『既読スルー』っていうの」とカール。ああそうか。そして久しぶりにイケシューDrから来た。「お疲れさまです。LINEを始められたのですね。なかなか(麻雀の)お誘いをお受けですることが出来ませんが、今後ともよろしくお願いいたします」だと。後輩ゆえに丁寧すぎる文面だ。これには「まだよくわからないです、ライン。入力が上手くできない。スマホはじめてで」と返し「うちの父親も孫の写真欲しさにLINEを始めて悪銭苦闘しております。頑張ってください」とのことだ。ふーむ、これがLINEのトークといわれるものか。だいたい分かったぞ。

このあと私のスマホ開通に気付いたテルからバタバタとLINEトークが届いた。これにカールがこてる家のグループ登録設定をしたりしていると時刻はすでに日付が変わっていた。さらにここからチッチのスマホを注文することにした。SIMフリースマホが使えるとはっきり分かったことでチッチ、カールとも楽天モバイルに入会するのだ。チッチはガラケーだったので私と同じiPhone SEを注文する・・あれ、64GのSEがAppleStoreにない。つい2週間ほど前はあったのに今は32Gと128Gの2種しかない。しかたないので割高に感じるが128Gを注文した。32Gだと音楽や映像を楽しむ若者には不足する可能性がある。ふう、今はお金が掛かるが通信代が安いので1年もすれば元を取れるはず。

結局申し込みが終わったのは1時半近くなっていた。設定を始めてからなんと5時間以上・・スマホがらみの設定はかくも疲れる、ものであった。

2017年3月29日水曜日

きっとあの女医は

夜は薬品会社主催の講演会に城山観光ホテルまで出かけた。高血圧と糖尿病がらみの内容でちと専門外ではあるが、エナガキMRと開けたいゾMRの両社がからんでいてまあ付き合いもあるし、タクシーチケットをもらったということもある。

最初の脂質異常症の平光伸也先生の話は分かりやすくまたコレステロールや中性脂肪のコントロールの重要性を強調されて非常に面白かった。この先生、現在は開業されていてブログも頻繁に更新している。あとでそこを見ると講演の様子がアップされ私の後ろ姿も写っていた。

懇親会ではこの手の会でちょくちょく会う同期のカピバラDrや内公Dr、後輩の服買いDr、内視鏡グループのハマーDrらと会い歓談した。私がスマホに移行するよとカピバラに言うと「オレはまだガラケーだ。ガラケーで十分だ」うんうん、特に反論はしない。彼は通話もほとんどしないらしいので通話代もごくわずかだという。そう、通話代の高さが私が今までスマホ移行しなかった大きな理由だ。だがSIMフリー選択することで通話代は変わらないならば新しいデバイスに移行のは自然な成り行きだ。夕方、楽天モバイルからSIMカードが届いていた。後はセッティングするだけである。

帰りは東口のタクシー乗り場でハマーDrや服買いDrらと並んで待っていたが、小雨降る中いくら待ってもタクシーが来なかった。すると、私らの前に並んでいた30代か40代とおぼしき女医がぷんぷんし出した。そして「タクシー来ないんですかね。かなり待っているのにー」と近くにいた係りの人に文句を言い始めた。その人はホテルマンではなくLSD製薬のMRだったようなのだがおろおろしどうにかしますって動き出していた。私は「西口の方がタクシーの出入りは多いからあっちが良かったですかね」と慰めるように話したが、彼女も「私も迷ったんですけどー。それにしてもこんなに来ないなんて」とまだイライラは続いていた。去年の忘年会でも並んでタクシーが来るのが遅かったがあれは時期が時期でしょうがなかった。今日は平日で特に「嵐」のコンサートがあるわけでもないし、ましてや小雨だ。1台来てさらに待ってようやく待望の彼女の番のタクシーが来て帰っていった。

ぷんぷん女医のこの顛末に私たちは「うーん、彼女、きっと独身だろうな」と意見が一致した。何か予定でもあったかもしれないが、それよりこらえ性がないというか、予定外の我慢をすることに慣れていないようだった。それって独り身でわがままが許される環境にあるから・・という見立てだ。次のタクシーで帰宅しカールにこのことを話すと「少なくともその人は子どもがいないわね」とのこと。ふ、そうか。子どもを育てれば人は自然我慢が出来るようになる。あんなタクシー2、30分待ちは子育てに比べれば怒るほどのものではなかったわな。(お顔を写真に撮りたかったがさすがの私も怖くて出来なかった)

2017年3月28日火曜日

なめことなめ茸

昼休みに医局のカルテ作業補助の山の神さんと未知松さんがなめこ入りの味噌汁のカップ商品を作っていた。それがきっかけで私の大いなる勘違いが発覚してしまった。

「なめことなめ茸っていっしょなんだろ」

これを聞いた山の神さんが「ええーっ!」と驚いた。「センセ、何言ってるんですか。なめ茸はあれはエノキタケですよ。なめことは全く別物です」って。
「うそ、いっしょじゃないの。おれは小学5年の時からなめ茸の瓶詰めをご飯にかけて食べるのが好きで味噌汁のなめこもいっしょだと思っていた。『なめ』がいっしょだしキノコのコと茸(タケ)はおんなじ意味だと思っていたぞ」
「みれば分かるじゃないですか。なめこは傘がついててなめ茸はのっぺらぼうでしょ」
「ううむ、色は似ているが・・」
「なめ茸は白くて醤油で味付けして茶色が着いているだけですよー」

ううーむ、何でも知っていると思われている私だが料理関係はからきし苦手だからなあ。女性陣に言われて反論できないわ。でも果たして私だけかなぁとポンシンDrに尋ねると彼もまた違いを説明出来なかった。村紘御大は?「私もよく知らないんだが・・」ほうら、男性陣はそんなキノコの違いなんて知らんぞい。

思うに、スーパーで野菜の買い物などしたことない人種(男性医師など)はなめことなめ茸の違いなど知らずに生きてきても何の困りもしなかった。女性陣の常識が通用しないのも当然だった。画像でよく見れば違いはよく分かる。ちなみに子どものころの影響で私はなめ茸の方が好きだわ〜。
                 ↓が「なめこ」

                 ↓が「なめ茸」

2017年3月27日月曜日

デブトラマンにならないために

この間のTBSの情熱大陸は乳がんの治療に燃える58才の外科医大野真司Drだった。がん研究会有明病院の乳腺センター長でその仕事ぶりを丹念に追い学術的な部分だけでなく臨床試験の資金集めなど泥臭い仕事も描いていた。九州大出身で私とはほぼ同世代。えらい先生である。その番組の主旨とは少し違うが、私はこの番組でとても役に立ちそうなヒントをもらった。それは単身赴任で頑張る大野先生の部屋の入り口には、太ったウルトラマンのデブトラマンの画像があり、チョコなど甘い物が好きな自分への戒めに貼っているという。そして1日ダイエットの決まりが守れたら日付に〇を付けるという、そこに注目した。

お、これはいいアイディアだ。

ここ半年くらい、ちょくちょく間食して体重が78ー79kgを行き来し80kgの大台に乗りそうな危険域まで来ている。間食を止めれば2ー3kgは減りそうなんだがあちこちに一口大の誘惑物がありついつい摘まんでしまう。大野先生の1日目標達成したら丸を付ける、これならば出来そうだし丸を付けるために頑張ろう(間食しない)というモチベーションが保てそう。4月下旬に恒例の健康診断が組まれている。よし、その時までに2kg減を達成しよう。直感だがこの方法は上手く行きそうな気がする・・。

2017年3月26日日曜日

稀勢、逆転優勝!

いやー、感動したねー稀勢の里!まさか決定戦でも勝って優勝するとは。

高校野球ファンの私は教育TVを付け、健大高崎対福工大福井が7対7のまま延長に入り、もしかして前の試合に続いて引き分けに終わるんじゃないかともやもやしつつ見ていた。相撲も気になり珍しく2画面表示にして観戦した。ふーむ、二人の表情を見ると稀勢の里の方が照ノ富士より落ち着いているようだ。しかし本割りでは立ち会い変わって勝てても今度はそうはいくまい・・。

はっけよい!で1回稀勢の里が待ったし、二度目の立ち会いはまともにぶつかった。しかしすぐに照ノ富士にもろ差しにさされる。あ、と思う間もなく右の小手投げを決め勝ってしまった。驚いた。以下に動画を載せるが「おっ、勝った!勝ったーすごい」と私は声を上げた。二度も勝つとは。会場は割れんばかりの大歓声に拍手だ。昨日の鶴竜戦での負けっぷりを見ていただけに、いや〜えらい、そう言うしかない。

後で照ノ富士も左足を傷めていたと聞く。傷めたのが足と腕では下半身の方がより勝負にはひびくか。そこが万全なら照ノ富士も優位だったはずだ。体の大きさは諸刃の剣だ。照ノ富士ももう少し体を絞ってしっかり怪我を治せば横綱の器だと思うがな。それにしてもただでさえ人気の稀勢の里、こういうドラマチックな取り組みを見せつけてくれるとどこまでいってしまうのか。しばらく療養するらしいが来場所もきっと出てくる(はず)。フィーバーは収まりそうもないわ。

2017年3月25日土曜日

イギリス体質

スリウェル君からの駐車場事件メールを見終わった後、土曜の当直に移った。忙しさはそれほどでもなく、夜は日本版「そして誰もいなくなった」前編を見ることが出来た。日本の現代風に上手くアレンジされており見応えがあった。孤島にいて外界と連絡出来なくさせるために主人が携帯を預かるというシチュエーションにしたか、なるほど。初めて原作を読んだのは40年前で細かなところは忘れているが、不可解性、サスペンス、意外性などクリスティーの代表作にふさわしく、それはTVドラマでもちゃんと感じられる。ただ、ポワロもミス・マープルも登場しないのでいわゆるクリスティーらしさはあまりなくどちらかといえば異色作だ。ビートルズでいえばアルバム「サージェント・ペパー」のような作品かな。「ペパー」は代表作といわれ傑作ではあるがビートルズらしくない曲が多く異色作というほうがぴったりくる。同じく傑作でも「アビーロード」の方が親しみやすい。

でも、「そして誰もいなくなった」も「サージェントペパー」も後生の作家やミュージシャンに与えた影響は計り知れない。「そして・・」は閉ざされた空間で殺人が起きるクローズドサークル物とマザーグースの歌のとおりに人が殺される見立て殺人物の代表となった作品だし、「ペパー」はコンセプトアルバムという概念を初めて導入し多くのミュージシャンが模倣した。

以前も書いたが私が好きでハマった作家やアーティストはほぼ全部イギリス出身者だ。上の二つの例の他、映画ではヒッチコックや007シリーズなどもイギリスである。アメリカやフランス物にハマったというのは少ない。高校同級生のコリーダ君はアメリカのミステリー作家エラリー・クイーンが好きで私に国名シリーズ10冊を貸してくれたが私は3冊まで(「ローマ帽子」「フランス白粉」「エジプト十字架」)で断念した。アメリカのミュージシャンでいえばいろんなタイプを好むけれどハマったと言える連中はいない。よく分からないけれど私はイギリス体質、そんな気がする。

2017年3月24日金曜日

スリウェル君密室監禁事件

串木野トリオリーグに海広しDrが今日は来られず、サンシさん、私、スリウェル君の3人で参加した。私は少し遅れて行ったのだが、ちょうど青空駐車場から1台車が出るタイミングで滑り込ませることが出来た。先に着いていたスリウェル君はボウリング場隣のニシマタの3階駐車場に駐めたということだから、私はラッキーだった。

リーグでは開始直前に練習ボールを5〜10分投げる。その間にレーンコンディションを読み、どのラインを投げるかボウラーは決めていくのだ。難しいコンディションだと時間が足りないことがある。ところが今夜はなぜかいつまで経っても終われの合図がない。10分どころか20分過ぎても練習ボールが続くので私たちは投げ疲れるのを嫌がって小休止した。何か問題があったのだろうがよくは分からない。30分近く経とうというころ投球開始となった。ゲーム前に汗かくなんてなかなかない。持参したゼロコーラも飲む回数が増え、同じゼロコーラを買っていたスリウェル君のを間違って取り、口を付けたところで彼が「あっ!」と言ったので慌てて手を離したりした。あは、間接キッスになっちまったネ。

先月のようなムズいレーンと違ってそこそこスコアが打てるコンディションで3人のハイフレーム得点は277、247、246とまあまあだったけれど、他チームがハンディもあり私たちはほぼ全敗という悲惨な結果に終わった。スリウェル君もストライク連発し2ゲーム目など223を出すも、やや曲がりが強すぎるようになって3ゲーム目は失速した。しかしここでも3ゲームで585出し、556の私より成績は上まわった。上手くなったよホントに。
(↓はアプローチが滑り切らずよたりながらもストライクを取るスリウェル君)

さて、ここからだ、今日のキモは。これが顔を合わせる最後かもしれないとサンシさんともども記念写真を撮ったりし、さみしいながらも彼とはお別れとなった。いつもは22時半ごろに終わるのが22時50分前くらいになっていた。少しでもいっしょにいる時間を提供しようとボウリング場が粋な計らいをしたと考えようか。スリウェル君は「ではこれで、先生もお元気で」とニシマタの3階駐車場へ向かっていった。私は青空駐車場へ行き「今夜は遅れるからカールも心配するかなあ」と思いつつ帰宅を急いだ。それで何事も問題なかったはずなのだ。だが、この後スリウェル君は予想もしない事態に巻き込まれていた。

翌、土曜の正午過ぎ、外来の仕事も一段落したころ、スリウェル君からCメールが届いた。
「昨日はお疲れさまでした。(実は)あの後、同期の奴から電話があり、ニシマタ駐車場で10分以上話しをしていたら23時05分になっていたんです。」との出だしがあり、以下の話しをまとめるとこうだった。

「なんと駐車場の出口はシャッターが降りていて出られなくなってしまったんです。ニシマタに電話をしても誰も出ず、車はバックで1階から3階に戻しましたが、車を置いて外に出ようにもドアも閉まり出られません。真っ暗で車の中はエンジンを切るとものすごい寒さです。エンジンかけて車中泊を決意しました。困ったのは排泄です。トイレもないので『小』はゼロコーラのペットボトルを利用しました。ほんと『大』をしなくても済んで良かったです。もしそうなったら野糞するか紙を敷いてそこにやっちまうかそこまで悩んでいました。あそこのシャッターは自動で23時きっかりに閉まるらしいです。アナウンスしてくれれば電話の最中でまだ間に合ったはずなのにーと思いましたが、後で確認するときちんとその旨の忠告看板がありました。ボウリングの開始が遅かったせいもあります。翌朝7時にシャッター開いてやっと開放されました。仕事や用事が入ってなかったのが幸いで、帰宅後シャワー浴びてさっきまで寝てました。いやー、最後の最後、鹿児島での良い思い出が出来ました(笑)」だって。

いやいや、私もニシマタ駐車場は2回に1回は利用するから他人事ではない。気をつけないとヤバい駐車場だったんだ。何十回と利用してこんな事態になったことはなくいつも22時40分くらいには退場していたから気がつかなかった。今回みたいに翌日が仕事だったら発狂ものだわ。

それにしても私が口を付けたあのゼロコーラのボトル。そんな運命をたどっていたとは。口を付けたのが『小』の前で良かったわ・・(‾□‾;)

2017年3月23日木曜日

ハリルを褒めよう

昨日は野球WBCの準決勝、今日はサッカーW杯の最終予選と日本代表の試合が続き、結果が気になった。

野球はよくやった方だと思う。アメリカに負けたけど日本の良さがでていた。1回勝負なら絶対に勝てるとは限らないし逆もまたしかり。もっとパワーのある選手が多く出てくるようになればまた優勝することも十分にありうるだろう。

サッカーはUAEに負けると一気に黄信号がともる。しかし今日の試合は強かった。ほとんどが日本のペースで私の応援する大迫勇也も得点こそしなかったが貢献していた。FWの久保裕也がいいねえ。ベルギーで活躍しているのがよく分かる。FWは二人のユウヤで決まりだな。

それと今日はハリルホジッチ監督の采配がことごとく当たった。今野の招集なんか「何で?」という意見が多かったように記憶しているが終わってみれば「今野は素晴らしかった」と称賛の嵐だ。キーパーの川島も「試合に出ていないのに」といわれていたがナイスセービングもあって良かった。ふふ、こういう時ぐらいみんなで監督を褒めよう。負けた時には散々けなし、はては解任だぁーと騒ぐのがいつものマスコミやサッカーファンだからさー。

2017年3月22日水曜日

スリウェル君送別

医局会でのレクチャーがあるためいつもより早めに家を出て会議室のスライドスクリーンの設定をし医局会を待った。準備万端である。内容は前にも記したようにコールドスネアポリペクトミーについてだ。

医局会は医療事務からの報告やシマッチ院長からの案件があったりで時間が押していた。まあ、5分で終わるからレクチャーはできるやろと高をくくっていたが・・気がつけば8時29分。残り1分しかなく司会の信号Drが「今日はこてる先生の番でしたが時間がないのでまた次回に」と飛ばされてしまった。あはは、こんなことならもっと余裕を持って作ればよかったかな。いや、遅れる分には文句は言うまい。いい内視鏡画像でもあれば追加しよう。

夜はボウリング練習とスリウェル君の送別会があった。彼は4月から転勤で横浜に行く。鹿児島には5年半いてそのうち5年もボウリングをいっしょにしていた。最初のころは初心者にありがちな質問をよくしていたなぁ。球質もハウスボールの直球で見かねた私がお古のナノデスアキュスイングを上げてからマイボウラーらしくなった。フックボールを投げられるになり世界が拡がり、やがて自分でマイボールを買い、一昨年私がまたお古の初代マスターマインドを上げてから一気にスコアがアップし始めた。私同様ブランズウィックのボールのファンになり昨年自ら希望してマスターマインドシリーズのアーテルを購入しずっと成績が安定している。防火ボウリング大会ではチームでも個人でも負けちゃったしー。横浜ではボウリングが出来るDrをまた見つけて続けてくれたらうれしい。
(ボウリングはしなかったが一番の古株のタシケント君も駆けつけてくれた↓)

ボウリング練習のあと鹿児島の老舗料理店「バカナ」でみそおでんなど食べ、最後はTKGで締めた。TKG?これは玉子かけご飯の略だそうでスリウェル君は大好きなんだと。私も大好きだ。そうそう、会の後半はスリウェル君のSIMフリー談義で盛り上がった。私が彼にボウリングを教えたとすれば、彼からはSIMフリースマホを一から教えてもらった。さすがに詳しく、大手が基本料金を高く設定し(そこは大手は絶対に譲らない)ているのに如何に安く感じさせて搾取しているかを力説していた。毎月消費するギガ数も実はあんまし使わないのに高く設定している人が多い、と言い、「ちなみにタナカッツさん、いくら使ってます?」と尋ね、「知らない」と答える彼に調べさせると1ギガ2ギガの少なさなのに7ギガで契約しているのが判明した。その分余分な定期料金を払っている、ってことだ。

まあ私も今までスマホにしなかったのは支払いが高すぎると感じていたからで、彼がSIMフリーについて私の疑問を丁寧に説明してくれそれならやってみようという気になった。まさに置き土産だ。女にも男(?)にも好かれた好漢スリウェル君の前途を祝してのお別れ会だった。
(いやいや、まだ2日後の串木野トリオリーグが残っていた。そこが実質最後だな。そしてそこで、彼は大変な目に遭う。2日後の「スリウェル君密室監禁事件」をお楽しみに)

2017年3月21日火曜日

高速対国道

今日の夕方は感染症の合同会議が隼人の七五調病院であるため、私や難ガターさんなど16時過ぎに病院を出た。国道を利用し40分くらいかかり私は一番早く着いた。そこで1時間ほど会議がありまた青雲会病院へ戻った。いつもならそのまま帰宅するか、国分スターレーンでボウリングなどするのだが病院で一と三製薬のWeb講演を聴く約束があったからだ。で、18時半開始を少し送らせ19時に変更してもらっていた。これに大きく遅れるわけにはいかない、そう思って隼人西インターから高速に乗り姶良インターまで走らせ病院に戻った。多少のお金は時間には代えられないからな、そう自分に言い聞かせた。

ところが、職員出入り口から院内に入ると廊下に難ガターさんや鼓笛隊Nsがすでにいるじゃない。ええ?!私は彼らより先に七五調病院を出て高速を使って帰院したのに・・。難ガターさんに「そっちも高速使ったの?」と尋ねると「いいえ、下から帰って来ましたよ」と。が、がーん。なんと普通に国道使ったほうが(お金も使わず)早かったのだ。

これは姶良インターと青雲会病院の位置関係にからくりがあった。隼人からみれば姶良インターは青雲会病院より遠い位置にあり、いくら高速で速く走らせても5分以上かけて逆走しないといけないのだ。何やかにやで7、8分は無駄な距離を走ることになる。それは一応分かっていたが夕方でもあり国道は混んで時間がかかるだろうと思った。でもそれは間違っていた。高速道路を使えば必ずしも早く着くは限らない。いい教訓だった。

2017年3月20日月曜日

うどんは伊予か讃岐か、はたまた浪速か

春分の日で休み。お墓参りはせず、カールと雨の中、産業道路方面へ向かった。ケーズデンキの中にある楽天モバイルのコーナーに行き、うまくいけば契約しようという魂胆だ。この鹿児島市南方面はあたりは便利な店も多くいいんだが、鹿児島の北に住むようになって遠いこともあって最近は滅多に行くことがない。ラウンドワンを通り過ぎたがそこも3年以上利用したことがない。近くにあればきっとしょっちゅうボウリングをしていたはず。片道40分は遠いよ。

そんなこんなでケーズデンキに入った。2階の大フロアに入ると、いきなりソフトバンクだったかAUだったか「スマホ新規購入キャンペーンやってまーす、いかがですかぁーー」とユニフォーム姿のキャンペーンガールたちが寄ってきたので、いえいえと避け、どこのブースに楽天モバイルはあるのかなと見渡した。メインブースにはドコモ、AU、ソフトバンクの大手キャリアが陣取り、お客と契約を交わしているようだ。楽天は・・?探しても見つからないので店員に尋ねるとしばしお待ちをといわれ付いていくと座るスペースはなくただ商品やパンフレットが置いてあるだけ、しかも専任の係員はおらず契約は出来るが肝心のSIMカードが手渡せるか曖昧な返事だった。こりゃあかん。パンフだけもらって引き下がった。まあ、店頭でなくてもネット注文すれば済むことなんだがいろんなサービスがあり直に聞いてみたかったのだが・・。

せっかくだからTVブースに行き、東芝の初の有機ELTVの65X910を眺めた。実にきれい。会社の存続が危ういがTV部門だけでも残って欲しいと思ったことだった。

ちょうど昼になったので移動してご飯を食べることにした。宇宿大栄グラハンの敷地に行くといくつか店があり「伊予うどん」に入ってみた。店内は人が並んでいて座って食べるのも大変かと思いきやトレイを受け取って席を探すと意外に空いていた。そうか、うどん類はすぐに食べ終わるし長居する雰囲気でもないしですぐに席は空くんだな。味はまあ普通でそれよりトッピングして500円もあればそこそこお腹いっぱい食べられすごくリーズナブルな設定だ。人気なのも肯ける。

ただ、おかしいのは「伊予」と銘打っているのに入り口には「讃岐釜揚げうどん」の名前があり、おい愛媛なのか香川なのかどっちなんだと突っ込みたくなった。さらに調べると本社は大阪だった!ううむ、さすがは浪速の商人やなぁ。

2017年3月19日日曜日

「終わりなき夜に生まれつく」

麻雀卓が直ってダイボDrを迎えて闘牌するのは1ヶ月ぶりだった。ところがだ、開始半荘のオーラス、またも調子がおかしくなった。前回故障したところは大丈夫だったがその隣のリフターの留め金が壊れた。残り1回を手積みでやり私がトップを取り一旦終わり、またもや5年間お世話になった雀荘「最高」へ出かけた。1ヶ月前といっしょじゃないか。結局、前回同様私は勝った。「最高」ではなぜか勝率が良かったからなー。
ところでそこのオヤジさん、今月で引退するという。なんでも心臓が悪く雀荘の仕事は止めなさいと医者に言われたんだそうだ。後継者は息子かな?今日ここに来なければオヤジさんともずっと会わないままだったろう。雀卓の故障に感謝(?)か。

麻雀に行く前にアガサ・クリスティーの晩年の作品「終わりなき夜に生まれつく(原題:Endless Night)」を読み終えた。実はクリスティー作品に対して読む前から犯人を知っていた作品が5作品ほどあったのだがこれはその一つだった。だからずっと読む気がしなかった。しかし最近の愛読書、霜月蒼の「アガサ・クリスティー完全攻略」ではこの作品相当に評価が高く全作品中第3位であった。そして「・・繰り返そう、これは傑作だ。ここには、クリスティーが描いてきたほとんどすべてのモチーフが投入されている。総決算。しかもそれが比較的みじかい尺のなかで堅密に凝縮されているのだ。暗く美しい結晶のように。ここにはクリスティーのすべてがある。だから是非ともすべての人に本作を読んでいただきたい。・・煎じ詰めればただひとつ『すごいから読め』に尽きる」とまで言われては・・。

ただ読んでいていったいいつになったら事件が起きるのかと思った。半分読んでもまだ、2/3過ぎても起きない。24章のうち17章になってやっと起きる。しかもそれが殺人かすらはっきりしない。事故のようだ。このあたりから一気呵成に読み終えた。ふーぅ。クリスティー自らのお気に入りと聞いているが凄みとともにじーんと余韻を残す作品だった。しかもちゃんとミステリーで伏線や手がかりはきちんと示されている。霜月氏が指摘しているようにあの作品、この作品のパターンを踏襲してはいるが犯人が最後にみせる展開はこれまでのクリスティーにはないものだった。霜月氏はクリスティーを現在の作品として読んでどうかに評価の重点をおいている。だから歴史的名品といわれる作品やスパイスリラー系には点が辛い。

NHKがBSで毎週のようにポワロ物を再放送してくれるので読むだけでなく見る楽しみも増えた。昨年末はクリスティーの代表作「そして誰もいなくなった」のイギリス製作版も放送された。今度は来週テレビ朝日が日本版「そして誰もいなくなった」を二夜連続でやるという。仲間由紀恵らキャストをみると津川雅彦、大地真央、渡瀬恒彦、柳葉敏郎、余貴美子、國村隼、向井理、橋爪功、藤真利子の10人に沢村一樹、荒川良々と超豪華だ。渡瀬恒彦はつい最近亡くなったばっかしじゃないか。「そして誰もいなくなった」は私が高校の頃初めて読んだクリスティー作品だ。「オリエント急行」と並んで映像化が多い作品でもあるがこれまで見たことはない。渡瀬は判事役だと。うわ、作品でも現実世界でも自分が死ぬと分かっていたのか。きっと遺作としてこの作品に向かい合ったはずだ。絶対見てみよう。

2017年3月18日土曜日

レクチャースライド作り

3連休だ。しかしやることがある。22日の水曜朝の医局会でレクチャーをしなければならない。今回のテーマは決まっていて大腸ポリープの切除法の一つ「コールドスネアポリペクトミー」について話す予定だ。2年前の学会で集中的に聴き、病院に帰ってからさっそく導入した。通常、ポリープを切断するのはスネアと呼ばれるワイヤーを通電して行う。それに対してコールドスネアポリペクトミーはそのまま切断する。すると血がにじみ大丈夫かなと思うのだが実は通電するより後出血が少ないということが分かって来た。ポリペクトミー後の出血は主に焼かれることで粘膜下層の血管が破綻するからである。これが利点の一つ。この他いくつもメリットがありこの1、2年普及してきた。しかし消化器内科以外のDrにはまだなじみがないだろうとテーマに選んだ。

図解で説明しようと自分で作るよりネットで分かりやすいのがありそれはそのまま参考にした。でもオリジナルの画像や青雲内視鏡室のデータも交えないと。そこは前日までにそろえておいたので夕方にはほぼ作り終えた。おいおい、発表までまだ4日もあるよ。かつての前日、いや当日1時間前までスライド作りにあたふたしていた頃がウソのようだ。パワーポイントでなくMacのキーノートで作るようになってからストレスが減ったのが大きい。写真や図、表の取り込みがドラッグ一発だし中央に配置するのが感覚的にすっと出来る。ほんといいわぁ。

さてカールは同窓生が出張で鹿児島に来ているとのことでランチへ出かけ、私は作り置きのカレーを食べ、休日を録りだめビデオを見ながら過ごしたのだった。

2017年3月17日金曜日

え、これも送別かい?NHK「ねほりんぱほりん」

送別会の季節だ。昨日はミドソン経理部長の今夜は病棟の看護師らを見送る会があった。病棟は4F、5F別々の会場であり、私は先に誘われた4F病棟の方に参加した。外科のキブンDrはというと「前半は4F、後半は5Fに行きます」とまあ気を遣うこと。さすが。

4Fの看護師はワッキー、徳春Nsの2人が辞めるが面白いのは2人とも助産婦がらみが理由だった。ワッキーさんはもともと助産婦で働いていたのを青雲の看護部長である母親が病棟看護師として引き抜いていた。しかしやはり助産婦として働きたく助産院に勤務するらしい。徳春さんはまだ看護師2年目なのだが助産師の学校に1年行くとのことだった。ふーむ、子どもが減っている世の中なんだが・・。

NHK教育の「ねほりんぱほりん」という番組が半年間でこれまた送別(終了)されるという。ここ2回ほど番組を見て相当に面白いと思った。視聴者が聴きたいと思うテーマを赤裸々に語るゲストに山里亮太とYOUの二人がモグラの人形に扮し質問をするトークショー番組だ。ゲストはブタの人形で登場する。こうすることでどぎつい内容が聞き出しやすくまたふんわりしたものになる。それにまた人形の表情や動きが素晴らしくて感心する。「ひょっこりひょうたん島」以来のNHKの伝統なんじゃないかな。ゲストがとにかく訳ありで顔出しNG、声も変えてある場合が多い。私が見たのは「ナンパ教室に通う男」と「整形する女」で裏話もだがゲストの心の闇みたいなものも透けて考えさせるところが凄い。これまでのゲスト一覧が以下で、
#ゲスト初回放送日
1偽装キラキラ女子[8]2016年10月5日
2国会議員秘書2016年10月12日
3薬物中毒者2016年10月19日
4二次元しか本気で愛せない女たち2016年10月26日
5ハイスぺの女2016年11月2日
6保育士2016年11月9日
7宝くじ1億円当せん者2016年11月30日
8痴漢えん罪経験者2016年12月7日
9占い師2016年12月21日
10養子2016年12月28日
11億り人(すご腕投資家)2017年1月4日
12ナンパ教室に通う男2017年1月11日
13地下アイドル 前編2017年2月1日
14地下アイドル 後編2017年2月8日
15整形する女2017年3月1日
見たかった、聴きたかった訳ありな人たちばっかしだ。え、もう終わり?って感じ。しかしどうもシーズン2が予定されているらしい。これだけのゲストを元にトークや人形劇を準備するのはきっと時間と手間がかかるからだろう。今度は全録して見ようぜ!

2017年3月16日木曜日

「ここまで生きさせてくれて」

前夜の当直では医局ソファで寝てしまい未明に目が醒めた。あいたた、これはいかんと「こてる日記」を書き終えて、当直室でシャワー浴びてもう寝ようとしたとき、ふと、昨夜入院させた患者のことで気になることがあり病棟に電話を掛けた。すると、「ちょうど良かったセンセイ、別件ですがもう心臓止まっている患者さんがいるんですけど・・」と言うではないか。おいおい、止まっているだなってそんな余裕で言うかい?「家族は来ているのか」「はい、ずっと付き添ってもう覚悟は出来ています」「患者さんは誰?」「くも膜下出血の高校生です」あ・・そうか、やはりか。

急いで電カルをみると発熱も40℃を越え体温コントロールも全く機能していない。血圧もなく脳死からついに心臓死を迎えたようだ。急いで病棟に向かい病室に入った。午前4時を過ぎていて両親と小学生か中学生くらいの妹が側にいた。母親は息子の体をさすっている。挨拶をし、型の如く対光反射を確認し心拍がないのを指摘し「残念ですがご臨終です」と告知した。父親は覚悟が決まっていたようで「はい」と答え、母親は黙ってうなずき体をさすり続けていた。そしてその次、私は驚いた。入室した時からすすり泣いている妹が「お兄ちゃん・・」と言葉を発した後、「・・を、ここまで生きさせてくれて、ありがとうございました」としゃくり上げながらも気丈に謝意を述べたのだ。びっくり。後で看護師から「お兄ちゃんっ子だったらしいですよ」と聞く。その時が来たら前もって言おうと思っていたにちがいないが臨終の場で子どもがなかなか言えるものではない。

お見送りには付き添わなかったが、あとで主治医のシマッチ院長が「息子の治療だけでなく、私たち家族のこともスタッフの方々がケアしてくれ本当にありがとうございました」と父親に感謝されたそうだ。こうした場合、遺された家族に対する対応も大事で看護師さん始めみんなが十分に尽くしたおかげだろう。不幸な出来事の中で少しだけ救われることであった。

2017年3月15日水曜日

アザは3日後が目立つ

(いかん、TVとライト点けたまま寝てしもうた。日記書きもこのところ時間内に書けていたのにー)

夜は当直だったが院内でWeb講演会があった。最近はネットでの講演がはやっていてあちこちの製薬会社がこんなのありますって持ちかけてくる。今夜はベロリンガーでタナカッツMRが所長のシュガーセイヤーさんと来ていた。そのセイヤーさん、例の海難事故でタシケント君についで目立つ怪我をしていた。右眼窩を打撲しまるで左効きの人にグーパンチをくらったようなアザができ最近になってようやく目立たなくなったという。アザって直後よりも3日後くらいが一番赤青くなって目立つんだ。(↓)

事故直前に他者2人が移動した場所にタシケント君と2人座った直後に船が接触事故を起こし落下物に頭や顔や鎖骨を打撲してしまった。全くの不運としかいいようがない。前にも書いたが怪我で済んだのが不幸中の幸いだった。タシケント君は骨折していても仕事を普通にしているとのこと。頑張るねえ。

おっと高血圧の講演でなかなか面白く最後まで聴いていたかったが、ピッチに連絡が・・。中途、退席して救急外来に向かっていったのだった。

2017年3月14日火曜日

SIMフリーする人は・・

WBC2次ラウンド、対キューバ戦を寝転びつつ観戦していた。試合はシーソーゲームで中盤日本が1点差を追う展開だった。かつての日本ならバントに走塁、ヒットで1点のパターンが多かったのだが、今夜も山田哲人のホームランがそうだったように一発攻勢でも点が取れるのがいい。そして接戦に強い。6回に同点に追いついたところできっと勝てるだろうと思った。そしてうつろうつろしていると山田が8回裏に2本目のホームラン打って8対5になりここで勝負あった。これであと1試合イスラエルに勝てば文句なし決勝ラウンド進出だ。

カールが友人と今日あったら「この1週間、携帯をSIMフリーにするのにかかりきりで昨日やっと終わって一仕事終えた気分。疲れたー。でもやってよかった。うちは4人携帯持ちで毎月3万6千払っていたのが何と4人で計8千円ほどになったわ」と言っていたという。それこそSIMフリーの利点なのだが違約金や機種代残金が合わせて10万ほど払わなくてはならなかったというのこと。「でもそれだけ払っても結局は得になるのよ」と語り、カールもそれに同意し「やっぱり私とチッチのもSIMフリーにするわ」と言ってきた。お得になることには敏感だからそうなるのも当然か。

こうなると大手キャリア(通信会社)はこれまでみたく大もうけできなくなるかも。その友人が解約のため販売店を訪れたら対応は素っ気ないものだったそうだ。多くの人が実はSIMフリーが有利と気付いてしまうと困るんだろう。スマホに詳しくなくおまかせが有難いお年寄りなどにはこれまでの通信会社がいいかもしれない。SIMフリーにする、あるいは代えたいと考えている人は私も含め「若い!」ってことだな。

2017年3月13日月曜日

脳死ですと言われて

午後、4F病棟で仕事をしていると、同階ロビーに高校生らしき一団が大勢来てガヤガヤしていた。「あれは?」と看護師に尋ねると「同級生の見舞いと思います」と。「(その同級生は)何で入院しているの」とさらに尋ねると「くも膜下出血です」とのことだった。え?!と驚いた。若い人でもあるにあるが高校生は珍しい。昨日、部活動の後の休憩中に発症し意識を失い救急搬送された。ちょうどシマッチ院長にカワゼンDrと脳外科Drが当番医担当ですぐに診断はついた。しかし最重症型のくも膜下出血で心肺停止を阻止するのが精一杯、手術適応はなかった。極めて予後が悪くすでに脳死状態でこのまま死を待つしかない・・そのことを家族に伝える役目は医師としてもかなりつらい。父親は「分かりました。しかしその時になってみないと判断できません」とこぼし、シマッチ院長も「お気持ちはお察します」と答えるのみだったという。

母親は・・かなりのショックでパニック状態・・無理もなかろう。朝は元気に学校に出かけ呼ばれた時にはすでにほぼ死んでいる状態と言われてもー。まだ医学医療でどうにもならない疾患もある。家族の気持ちに寄り添う、今はこれしかできることはない。

iPhone SEが届いた。しかし電源は入るもSIMカードがまだないため全く機能しない。カバーやウエストポーチなどをまずはそろえよう。いよいよスマホデビューが近づいている。

2017年3月12日日曜日

アカデミー賞ハプニング

今年のアカデミー賞の授賞式の様子を録画で見た。いつもは録画してまでは見ないが前代未聞の作品賞発表ミスがあったと聞き興味が湧いた。司会者がジミー・キンメルという中年男性で私は全く知らなかった。でもこいつが初司会だというのにうまいんだ。出だしから「私はトランプ大統領に感謝している(もちろん皮肉)」とうそぶき、助演女優発表では「もっとも過大評価されている女優のメリル・ストリープさん」と紹介し、そして席に座っていた俳優マット・デイモンをいじること!これが観客に受けていた。いったい何者?とネットで調べると放映しているABCの看板司会者で「マット・デイモンとは宿敵の間柄」だそうで、視聴者は承知のことだった。

で、作品賞発表だがプレゼンテイターがウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイというアメリカン・ニューシネマの傑作「ボニーとクライド(俺たちに明日はない)」の共演者二人で、封を切って読み上げようとするベイティが戸惑っていて発表できずにいた。そりゃそうだろう、そこには受賞作品ではなく「ラ・ラ・ランド」出演の女優エマ・ストーンの名前が書かれていたからだ。隣でフェイ・ダナウェイが「ベイティ何しているの早く読み上げなさいよ」といった感じで見つめ、困ったベイティは彼女に受賞の紙を見せ、そこでダナウェイは小さく書かれていた「ラ・ラ・ランド」を高らかに読み上げちゃったのだ。
大喜びのラ・ラ・ランド関係者。下馬評通りの結果で当初は誰もこの結果に疑いはしなかったはずだ。しかし関係者が訂正に入る。ここで偉かったのがラ・ラ・ランドのプロデューサーのジョーダン・ホロウィッツだ。みんなを制し「勝者は『ムーンライト』だ。これは冗談じゃない。本当だ」と正しい結果の紙をかざしてみせた(名前はジョーダンだけど・・笑)。頭は光っているもののまだ若くこの人今後もいい映画を作りそう。(冒頭の写真参照)

今回のミスの犯人は会計コンサルティング会社プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の担当者2人の不注意によるものでこの2人は授賞式から永久追放になった。担当会社は83年もこの業務に携わっていたが、あってはならない事態に今後も契約を続けるかまだ未定だそうだ。ただ、普段この賞に興味ない人まで見る気にさせてくれた功績はあったな・・。

午後は見せたまえ雀荘で久々のリアル麻雀だった。いつものダイボDrが当番医で福祉茸君に来てもらった。そうそう、修理した雀卓は快調そのもので1回もトラブルはなかった。で、結果はというと何と私、サブアラド、見せたまえ全員が福祉茸君にやられてしまった。私がかろうじて−30であとの二人は大負け。こんな時も写真にはしっかり収めておこう・・あらら、ところが珍しくデジカメを忘れていた。なんか勝手が違うと思っていたがそこだったか。

2017年3月11日土曜日

ライダー丼って何だ

あこネーサ母が難聴、めまいでこの前体調が悪かったと聞き、土曜の休み、カール、チッチと田舎に向かった。途中、錫山の「すずの駅」という店に入った。ここで昼食を摂るのは5年ぶりくらいだ。メニューを見て「ライダー丼」なるどんぶりが気になった。天丼、牛丼ある中で異彩を放っていた。「ライダー丼って何ですか」と尋ねると、海老の天ぷらを2本立てて仮面ライダーをイメージしたどんぶりらしい。へー、じゃーそれをと頼んだ。あまり期待はせず話しのネタぐらいに思っていたのだが、これが私好みだった。牛と生卵もあり玉子かけご飯が好きなんでしっくりきた。ほほう、次来る機会があればまたこれを頼もうぞ。

田舎では母が寝込んでいるかと思いきや、近くの友人のところに遊びに行っていた。チエコンさんが呼び出してくれ、これならまあ大丈夫やなと思った。温かい日射しでかつてデンコーが座っていた窓際でうとうとと昼寝をした。その間、繰り返される老女の話しをカールが聞いてくれ目が覚め、十分休憩が出来たところで早や帰宅だ。天気も良く菜の花や茶畑の遠くに開聞岳がきれいで気分よく帰れた。

そして懸念のSIMフリースマホ問題だがiPhoneを買うのは決めている。当初はiPhone7にするつもりでいた。しかし通信コストを安くするのが主題だから8万円以上もする代物でいいかとカールに相談した。私は日頃ノートパソコンを家や職場で利用しスマホが使いたいなという場面は限られている。「だったら一番安いiPhone SEでいいんじゃない」とカール。それでも迷っていると「あとで上等なスマホにしたければそのときはテル君のを私にゆずって。私が使うから」とのことで決心がついた。アップルストアにiPhone SE64Gの色はスペースグレイを注文した。値段は5万円ちょい越えで一般的なスマホでは安い方だろう。         (↓右がスペースグレイのiPhone SE)

あとはSIMフリーをどこの会社に頼むかだが今のところ第一候補は楽天モバイルだ。スリウェル君が入っていること、大手で安心感があること、通話5分まではかけ放題(月850円)があること、楽天ポイントが使えることなどだ。しかし各社いろんなサービスがあり楽天だけでもいろんなパターンがありもう目が回る。カールやチッチもSIMフリーにする話しもあり今日のところは下調べのみ。疲れるぅ〜。

2017年3月10日金曜日

山野泰穂先生の講演

年1回の大腸癌検診研修会に参加した。検診患者を診る施設は参加しないといけませんよという半強制の会で前半は検診の現状と報告などで後半はゲスト講演だ。今回は秋田赤十字病院で長らく活躍しつい最近札幌医科大消化器内科准教授になった山野泰穂(ひろおって読む)先生だった。冒頭、赤十字病院から出身大である札幌医科大に呼び戻されカルチャーショックを受けた話が出た。変哲もない(ような)大腸ポリープのスライドが出て「これを当時の先生は単純なポリープと判断し放置しちゃったんですねー。それから数年後の写真」と出されたスライドには立派な大腸癌が・・。「最初のスライドですでに粘膜下に浸潤した大腸癌って一目でわかりそれは常識だと思っていたんですがここではそうではなかった」と。秋田赤十字はあの工藤進英先生が大腸癌診断の一大拠点としてトップをいっていたからナ。

今回の講演のテーマは「大腸鋸歯状病変の診断と治療」でこれが私には非常に面白かった。大腸癌になる経路として有名なのが腺腫性ポリープから癌化するパターンで他にも正常粘膜から直接癌化する(これを工藤進英先生が提唱し衝撃を与え今は定着した)のと最近言われるようになったのが過形成病変(中でも鋸歯状病変)からの癌化でこれはなかなか分かりづらいものだった。それがスライドとスピーチでおおよそ理解できた。それに大腸は右側の盲腸、上行結腸と左側の直腸、S状結腸とでは例えば同じ鋸歯状病変でも癌になりやすさが全く違う(右側がなりやすい)というのも分子生物学的レベルで説明され非常に興味深かった。

半強制の会だからと串木野でのトリオリーグも休んでアンドキサMRに代わりを頼んだのもしっくりきていなかったが、やはりお勉強する機会があったらそうすべきだな。そうだ、鋸歯状病変のポリープを略語でSSA/Pと書くのだが、これを山野先生「PPAPじゃーありませんが」とさっそく取り入れていた。実戦派と学究肌がうまくブレンドされたえらい先生だったネ。

2017年3月9日木曜日

めまいの原因は・・

昼の救急当番が不在とのことで代わりに私がめまいの中年女性というふれこみの患者を診た。単なるめまい患者なら治療もそれほど難しいことはない。点滴、安静、抗めまい剤などの投与で外来で済ませられるか入院まで必要か、判断するのはそれくらい・・と思っていた。しかしその患者背景がやや問題だった。当院初めての患者で、高齢の母親が付き添っていて「実は乳がんの治療中で来週には月1回の抗がん剤治療の予定がある」という。それも末期だと。これはどうしても患者情報が必要だ。単なるめまいではないかもしれない。

そうこうするうちに鹿児島市内の乳がん治療で知られている裸傘病院から電話があった。その患者の担当医でいろいろと現状を教えてくれ、最後に「ぜひ頭部CTを撮って欲しい」と頼まれた。そうそう、乳がんの末期なら脳転移が十分に考えられる。入院は決まったがその前にCTを撮ろう。で、撮ってみて、がーん、小脳に腫瘍があった。小脳がやられるとめまいが起きやすいのは医者の常識だ。さすが乳がんをよく診ているDrの指摘だった。脳外科のポンシンDrに相談すると造影剤を使ってMRIも撮った方がいいという。で、この後はポンシンDrの役割で、撮られたMRI画像を見て愕然、小脳には転移性腫瘍1個だけと思われたが実は30個以上の小さな腫瘍がいっぱい隠されていた。大脳にも1個の転移巣もあった。「これは・・」と画面を見つめるポンシンDr。放射線療法の一つであるγ(ガンマ)ナイフ療法も難しいという。

母親からの情報で娘は医療機関の治療の他に「玄米菜食」療法なるものにこだわっていたという。ある乳がんの人がそれを続けて13年生きたと聞いたからだとか。信じてしまうとこわい。食欲不振でももっと消化のいいものを摂ろうとせず玄米にこだわった。最近はほとんど食事が摂れない状況だったにもかかわらず玄米以外を受け付けなかったという。何かにすがりたい気持ちは分かるが頑(かたく)なになると治療の邪魔になる。

この後、数日でこの患者さんは亡くなった。独身で海外でキャリアウーマンとして充実した生活を送っていたそうだが、みんな長生きのこの時代、早死にといっていい。無念だったろう。乳がんは自分で触れて気付くことが出来る数少ないがんの一つだ。日頃からおっぱいを触る習慣を付けておこう。なんなら代わりに私が・・・おっとここでエロトークになったらせっかくのブログが台無しだ。最後の一文はなかったことにしてほしい。

2017年3月8日水曜日

WBCが始まっている

WBCがまた4年ぶりに開かれている。4年前はたまたま東京にいて台湾対キューバの敗者復活戦をドームで観戦したんだった(結果はキューバが14−0で圧勝)。

今日はTVで第1ラウンドの2試合目日本対オーストラリアを見た。菅野がいいピッチングをしていたが先に1点取られ5回にようやく追いつくもその裏1アウト1、2塁のピンチになりピッチャーが岡田俊哉の交代した。しかし岡田が見るからにバクバクしていてあっという間に1死満塁だ。もっともここは満塁の方が守りやすい。でも制球が定まらずここでキャッチャーの小林がタイムをかけた。おもわず「そうだ!」と言ってしまった。まさにここで落ち着かせなくていつするというタイミングだ。その結果ダブルプレーで切り抜け、このあと中田や筒香のホームランで4対1にして勝った。勝つには勝ったが紙一重という印象だ。岡田が踏ん張れなければ大量失点もあり得た。そして細かい野球ではなく一発を出す選手がいなければ勝てないこともよく分かった。1次リーグでこれだからこの先もっとハラハラさせられるだろう。

ただ日本代表はさすがにイージーミスが少なく一つ一つのプレーがしっかりしている印象があった。これって甲子園を目指す高校野球で選手みんなが慣れているからじゃないかという気がした。一発勝負の試合の感覚が身についているというか。WBCで過去優勝、優勝、準決勝進出という一番の成績を残しているのもこうしたトーナメント戦(1次はリーグ戦だが実質はトーナメントに近い)での戦い方が身についているのも一因だろう。これに筒香、中田のようなパワーヒッターが多くいれば優勝も十分可能(あとピッチャー大谷が・・)なんだが。

今回はメジャーリーガーや大谷選手が出場せずさほど期待していなかったが、それでも国別代表戦は面白い。今日の試合でやはり代表は強いと思った。強化試合で負けが込んでいたのもピークを後半にもっていくための調整だったかな。2勝したことで2次リーグ進出は確定した。せめて準決勝、いや決勝までは行って欲しいものだ。

2017年3月7日火曜日

海難事故

夜は当直だった。夕方、タナカッツMRが来てスマホの画面を見せた。「何?」「先週土曜に朝なんですが、うちの会社のメンバー9人で朝6時からの魚釣りでチャーター船に乗ったんですね。でも出港してから10分くらいで燃料給油船と接触事故を起こしまして・・」「え!」「私やタシケントMRも救急車でおもねり病院に運ばれたんです。私はたいしたことはなかったんですがタシケントが鎖骨を骨折してしまって」だと。うわわ。「で、タシケント君、入院したの?」「いや安静指示で帰宅しまして、骨もずれていないから今日は出勤してました」「へー、大丈夫なのかい」「病院回りは少し制限があるとは思いますがどうにか」

いやー、まさかそんな事故に遭っていたとは。早速、朝のニュースにも海難事故として報道されていた。

ちょうどスリウェルMRも来て「え、どうしたの」と事情を聞き驚いていた。

5人が運ばれタナカッツMRが一番軽症でタシケントMRが一番重傷だったライフジャケットはまだ付けていなかったそうだから海に落ちてしまえば危なかった。。不幸中の幸いだったのだ。

海難事故といえば、私が6才になったばかりのころ、父デンコーが沈没事故に遭った。親戚のおばさんが外で土遊びしていた私と弟を大声で呼び戻し、船が沈没して全員海に投げ出されたんだぁとわめいていた。夕方のローカルニュースではまだ生死不明でアナウンサーも父の名を正しく読めていなかったのを覚えている。その後通りかかりの船に拾われ九死に一生を得た。でも乗組員の中で唯一デンコーだけが脚の骨を骨折し入院したのだった。

この出来事が私の人生に大いに影響している。貨物船を所有し沈没してもまだ船を続ける気でいたデンコーだったが、祖父デンシローが「もう船は止めて陸の仕事をしろ」と保険金で鹿児島の旅館を買うよう勧め、一家で鹿児島市内に引っ越すことになったのである。デンコーは父デンシローには絶対服従だったからやったこともない旅館業もやらざるを得なかった。しかし田舎ののんびりした環境でなく市内に出てきたことで私も勉強をきちんとする子になった。子どもを医者と歯医者にするとデンコーは野望を抱き(小学4年のころ私はそれを聴いたが実際に医学部を目指そうと思ったのは高2になったころ)、結局それは現実になったのである。あの事故がなければ私の人生も別のものになっていたかもしれない。

2017年3月6日月曜日

鹿児島マラソンボランティア

4階病棟の主任岩陽Nsがインフルエンザが明け方判明し帰宅したという。うわー、またかよ。このところ4階で職員、患者ともにインフルエンザが流行っているのだ。病棟でも比較的重症の多い部屋に発生し先週半ばから毎日一人ずつ看護師らがインフルエンザで休んでいる。5階、6階にはおらず4階も軽症患者の部屋担当看護師からは出ていない。幸い患者でこれが原因で死亡したりはなく職員も寝込んでしまう人は少ない。1月の初患者発生からピークが長くこんなに長期間インフルエンザが蔓延する年は滅多にない。私は院内の感染症対策委員会に属しているので同じく検査室長の難ガターさんともどもこの手の疾患には敏感だ。病棟職員にタミフルの予防投与をさせ早めの収束を計らねばならない。ふふ、私と難ガターといえば話題は決まってボウリングだが日頃はまじめに仕事をしているって話題だ。

昨日の鹿児島マラソンでは青雲会は折り返し地点付近でテント張って一口おにぎりやマッサージなど去年同様にボランティアを行った。シマッチ院長によるとおにぎりが食べやすく塩味があって走っている身からしたら一番有り難くイモや他の食べ物は今ひとつという。今回も何千個と作ったが全部無くなったそうだ。テントでは脳外科のポンシンDrや外科キブンDrが待機し看護師、リハビリスタッフが体調の悪いランナーの手当をした。マッサージしてもらいすごく感謝しているランナーのお手紙もありいい仕事をしていたようだ。(クリックで拡大します)

今回は雨のせいで低体温や疲労、筋けいれんなど青雲会病院に救急搬送された人が倍以上に増えたそうで職員が不足気味で来年は増員しなくてならないようだ。これでも分かるようにシティマラソンって周囲の協力なしには開かれない。マラソン大会隆盛で参加するには抽選が必要な大会も多い。(それにひきかえボウリングは大会なんて言葉がおこがましい。小会、いやボウリング微会だ)

ただそんな中、来週行われる種子島ロケットマラソンが30回目を区切りにひっそり終了となるそうだ。一時は3000人ほど集まったこともあったが年々参加者は減り続け昨年は1800人ほどでこのままでは町の財政を圧迫するとの意見が出ていたところ、同時期に鹿児島マラソンも始まったことで踏ん切りがついたそうだ。マラソンブームといわれて久しいが参加者はやや頭打ちでその割には市民マラソン大会は増えている。当然運営が苦しい自治体も出てくる。東京や鹿児島など大きな自治体は安泰だろうがブームに乗ってうちもうちもではやっていけないということだ。また来たいと思わせるには地域ボランティアの献身が絶対に必要だろう。青雲会もその一端を担っている。今後も続けていこう。

2017年3月5日日曜日

こてる六段昇段

1日休みだったのを利用して天鳳に集中し、ようやくこてる五段から六段に昇段することができた。昨年5月に五段になって以来約400試合以上かかってようやくだった。今日は調子良くトップを6回も取った。あと10ポイントで昇段、2位でもOKというときにサブアラド五段に電話し「私の昇段戦に付き合わないか」と誘うと即了承で付き合ってくれた。天鳳で一緒に対戦は何ヶ月ぶりだろう。

幸先良く私が東2局にリーヅモ一盃口裏ドラ2の満貫を上がると、次の東3局にはサブアラド五段がリーチドラ5(赤五ドラ3枚に本ドラ2枚)というえげつないハネ満を下家から上がり早くもマッチレースの様相となった。東4局に私は配牌で対子1つだったのが6巡目目にはあっという間に断ヤオ七対子(ドラ1)を聴牌した。これに親のサブアラドが喰いタンドラ2の手で追いつきさらに下家がホンイツの満貫手で勝負してきた。ここで私がサブアラドよりロンし6400ゲット。これが決め手だった。
このあとは無理をせずに流しオーラスも私がサブアラドより2000点を上がりトップで終了、六段昇段を決めた。


ハハハ、上手く行く時は上手く行く、簡単だった。終わって電話がかかってきて感想戦も実戦と同じくらいかかった。いや〜良かったわ。

これでサブ雀士の「こてる」はしばらくお休みし、今後はメインである「デルバラド七段」で天鳳の最上級鳳凰卓で対戦しようと思う。

このあと、アガサ・クリスティーの「マギンティ夫人は死んだ」を遅くまでかかったが読了した。この作品は巻末解説者もネット諸氏も「犯人を当てられなかった」というくらい犯人当てが難しいが、私は二人目の殺人があり大団円の前にきっぱり当てられた。これは長年クリスティーを読んでいるからこそだろう。TVでもそのシーンになりポワロが最初別の人物を犯人であるかのように言うので「ええ?」と思ったがこれもよくある演出だった。犯人当てのコツは作者の立場になって誰が犯人ならもっとも意外だろうと考えることだが、クリスティーの場合はそうは思っても動機がうまく隠されていることが多く(この作品も「五匹の子豚」も「死との約束」も「鏡は横にひび割れて」もそう)、また犯行が不可能だと思えたり(「白昼の悪魔」「死との約束」)して相当に難しい。今回はトリックも見破って動機ははっきり分からなかったがまあクリスティーに勝ったわ。

ところでこの作品であれまと思ったのが、作中にクリスティーとおぼしき女性推理作家オリバー夫人が出てきてこんなセリフを作中人物に言われている(ハヤカワ文庫259ページ)。彼女のメイン探偵はスェーデン人スベン・ヤルセン(クリスティーでいえばベルギー人ポワロ)だが、実は自分で創り出していながら嫌っていて「実際にこんな人物と出会ったら殺してやりたいわ」と言うと「そりゃ素晴らしいアイデアだ。スベン・ヤルセンを殺してそれを『白鳥の歌』として書くんですよ。あなたの死後出版されるようにね」と。これってポワロ最後の事件「カーテン」のことじゃないか。

クリスティーは1942年ごろ自分の死後出版されるようにとポワロの「カーテン」とミス・マープルの「スリーピングマーダー」の2冊を書いていた。それは銀行に厳重に保管され30年以上経って1975年に「カーテン」は発表された。本当は死後のつもりが80才を越え作品を書けなくなったクリスティーが生前出版を許可したのだった。「カーテン」のあらすじを1952年のこの作品でこっそり書いていたのだ。

作者のお遊びだが後でそうだったかと気付かされるのはクリスティー作品には毎回のようにある。でも多くの読者は気付くことはない。「愛国殺人(1940)」にも本筋とは関係のない少年がある言葉を発する。私もだったが多くの読者はそれを無視する。そうしたくなるのだ。しかし後でポワロに「少年の言った『XXX・・』は本当だったのです」と指摘され、あは!やられたっと思うのだ。さすがクリスティー、今回もそう思った。

2017年3月4日土曜日

素敵な名付け

外来患者で「公安」という名のおじさんが来た。「こうあん」と素直に呼びたいがそれは違った。「ただやす」と呼ぶそうだ。しかしこの読み方、そうですかと聞いても時間が経てばはて?何と呼ぶのだったかなと忘れてしまいそう。そこで「日常ではみんなが常に呼ぶんで『こうあん』で済ませているのではないですか」と尋ねると「ええ」とのことだった。やはり。(ちなみに親が警察、公安関係の人ではなかった、念のため)

これまでもこの手の名前、一般の人が読めないだけでなくどうしても読みやすい名前で呼ばれ続け、本人もあきらめて通称を受け入れるの法則は生きていた。だから親はあまり凝(こ)った名付けしないほうがいいというのが私の持論だ。凝ってもいいがせめて読み間違い誘導されやすい名付けは避けたほうが賢明と。せっかく名付けても周囲はおろか本人も誤用を受け入れてしまうのだから。

もう一人、若い女性で「帆波」さんがいた。これは字の通り「ほなみ」と読む。さてさて、この前の「岡田奈々」の「奈々」さんじゃないが芸能人から取ったのかなと推測した。彼女が生まれたころ鈴木保奈美が活躍していたので「ほなみ」の音を取ったのではと。で、診察が終わったあと、由来を尋ねてみた。これが全くハズレだった。父親がウインドサーフィンが大好きだったからとのこと。あは!「帆」に「波」ってまさにウインドサーフィン!ぴったしの名前だ。一般ずれもしていないし気も効いている。これは素敵な名前で感心した。自分に女の子がいたらこんな名前を付けたかったと思ったヨ。

2017年3月3日金曜日

防火ボウリング優勝はまたも

去年も3月3日は防火ボウリング大会だった。今年も我々の仲間からは3チーム参加した。チームSが私と難ガター、チームKがスリウェルMR、ヤマヒロDr、そしてチームBがタナカッツ、エナガキMRで、ヤマヒロDrがタシケント君と代わった以外は去年と同じだ。去年はスリウェル、タシケントチームが優勝し私たちが準優勝、下克上を許したのだった。ヤマヒロDrは初参加でそれを聞き「え、私が入って優勝出来なくなったらすまない」といつもの謙遜ぶりを発揮していた。私は「去年はタシケント君がバカツキでたまたまだから・・」と言ったのだが・・。

それがなんと去年に続いてチームKのスリウェル、ヤマヒロ組が優勝、しかもだ、個人でもタシケント君の代わりに出たヤマヒロDrが2ゲーム目に200アップして優勝しちゃったのだ。私たちは3位で下克上も2年も続けば実力か。いや、参った。もっとも難ガターさんがこの前の姶良郡医師会でのハウスボールで無理に曲げようとして手首を痛め、今回はまったく精彩を欠いていた。ヤマヒロDrはポケットに入らないのだけど裏ストライクがよく出たのと彼の持ち味スペアメイクが上手なところが生きた。スリウェル君も個人準優勝で勝負強い。5年前、一から教えて来た身としては素直に喜ぶべきだろう。それにしても賞品の商品券を持つ彼のドヤ顔よ!

大会が終われば恒例の国分アシビーで食事だが、タナカッツ君が「明日、釣りに行く予定がありまして、午前4時半起きなんです。それでー」と一人だけ早めに帰った。詳しいことは聞かなかったが社会人であればそれもあろうと「OK、気をつけて」と言ったかどうかすら怪しかったが、あとであんなことが起ころうとは・・。(詳しくは4日後のこてる日記で)

2017年3月2日木曜日

コストカッター

午後早帰りで帰宅途中に散髪に行った。だいたい1ヶ月半に1回は散髪している。終わったらすぐに帰宅しシャワーを浴びるのがいつものことだ。10年ほど前はそうはしていなかった。きちんと洗髪してもらいひげも剃ってもらいマッサージしていたからどこかに出かけたり帰宅してもすぐにシャワー浴びる必要はなかった。しかし頸椎症になって頭を仰向けにしてひげ剃り、洗髪がダメになった。頭を後ろにそらすと頚部が圧迫されて手がしびれてしまうからだ。マッサージはいらないけれど洗髪がないと切り髪が服や顔にくっついてやっていけない。すぐに落とさないと。

そんな面倒くささはあるけれどメリットもあった。まず散髪代が3500円から2300円になった。年に10回ほどするから1200円X10=1万2千円お得、10年で12万円得していることになる。積もり積もれば大きな額になるもんだ。それに50分ほどもかかっていた時間が30分以内には終わってさっさと次のことができる。思えばマッサージなど気持ちいいけどその分料金は上乗せされているってことだ。そう考える人が多くなったせいでちまたには千円カットなる散髪屋も増えてきている。それだとさらに10年で12万以上得することが出来る。ただ、今のなじみの散髪屋はまず変なカットになることがなく簡単な指示でこっちの要望するカットにしてもくれ安心感がある。

でも、一度くらいは千円カットも試すべき?ある人の話しでは「カットばっかしやっているから意外と上手な人が多い」という意見も聞いた。コストを考えるとかなり魅力ではある。カットのコストを考える・・これが本当のコストカッターってか。

2017年3月1日水曜日

よんなんですか

ふと頭に浮かんでも決して言ってはならないことがある。

病棟の90才代の高齢男性患者で状態悪く、私は家族に「もう1日か2日ももたないでしょう」と伝えた。息子さん(長男か)も納得し「ええ、だから福岡にいる四男にも連絡して来るように言ったんです」私はそうですかとうなずいて、頭に浮かんだが言葉にはしなかった。当然だ。

「四男も呼んな(だ)んですか・・」

最近ネット麻雀が調子いい。こてる五段は10ヶ月近く五段のままで低迷していたのにポイントが徐々に上がって六段到達の2000ポイントまでもう少しだ。記録をみるとなんと28半荘連続ラスがない。天鳳ではラスがなければポイントは減らない。うし、今週中に昇段してやるぜい。(結局、30連続ラスなしまでいくもこのあと数回ラスを引いてしまった)

読書はアガサ・クリスティーをまた読んでいる。トミーとタペンス物の「秘密機関(1922)」のあとでポワロ物の「マギンティ夫人は死んだ(1952)」である。
「掃除婦としていくつかの家で働いていたマギンティ夫人が何者かに殺された。そして、彼女の家の間借人だった男が逮捕されるのだが、スペンス警視は彼が無実だと確信し、ポアロに捜査を依頼した。あらゆる証拠が彼を指している中、ポアロは真犯人を見つけられるのか」といった内容だ。霜月蒼さんの評価でも星4つでなかなかに高い。もっとも1930年からこの翌年1953年「葬儀を終えて」「ポケットにライ麦を」までがクリスティーの黄金期(長い!)でほとんどハズレがないと知っているので期待して読み進めている。

それと昨年12月始めにNHKBSでもこれが再放送され録画しているのでほぼ同時進行で見ていこうと思っている。このやり方は20年以上前放送の「邪悪の家(エンドハウスの怪事件)1932」でもやったことがありTV見ていると本より先に進んでしまい慌てて消したりとスリリングな状況にもなった。あの時は真犯人指摘をぎりぎりまで迷って、でも結局当てることが出来た。さて今回はどうかなぁ〜。