2017年6月30日金曜日

4階病棟歓送迎会〜「ギターを持った渡り鳥」

蒸し暑さがいよいよ増し病院も忙しくなってきた。今夜は4階病棟の歓送迎会が姶良で行われるが私もピッピDrも19時の開始時刻には間に合わなかった。会場はスーパーの駐車場の近くにある「きずな」という店で私は初めてだった。歓迎されるのは以前も話題にした青空美ちゃんら新人Ns、看護助手にピッピDrで、送別は掘れ娘Nsだった。

掘れ娘Nsはお母さんが青雲会病院に長年勤務するもっと掘れNsで私は彼女が学生時代から知っていていっしょにボウリングに行ったこともあった。何でこの時期に辞めるのかと聞けばどうやら付き合っている人のところへ移るらしい。結婚?ううむ、それに近いがまだ正式ではないとのことだ。シマッチ院長が「あれ、お前さー、1年前は兵庫に行くとか言っていたけどその時の(男性)?」と聞くと「いえ、違います」と一言。「別人かぁ」ま、いろいろ事情はあるようで・・。

ピッピDrが挨拶で「ここに来て驚いたのが、みんながよく挨拶してくれることです」と感想を述べていた。これは10年くらい前からずっと持続して続けている「接遇」教育のおかげだろう。「他の病院では別の部署に行くとなんだかアウェイの雰囲気になります。しかしここは挨拶をしてくれ温かく迎えてくれる」とのことだ。そうか、それが当たり前になっていたので言われて初めて気がつく。

一人だけ3ヶ月前に辞めて今は国分のクリニックで働いている湧き行きNsも来ていた。助産師でもあり元々産科希望だった彼女は母が青雲会の看護部長で一時の看護師不足の時に数年間病院に勤務してくれていた。助産師のみの施設勤務を画策するも「遠い」「きつい」「安い」で断念し普通の産科医院に勤めることにしたそうだ。

看護助手の二人は一人が沖縄出身、もう一人が北海道は函館出身だって。すごい。二人とも結婚を機に鹿児島に来たようだ。函館って言えば私はついこの間、録りだめていたビデオの中から小林旭の「ギターを持った渡り鳥」を見たばかり。
函館が舞台でヒロインが19才の浅丘ルリ子で彼女の父が悪役で金子信雄、どちらも後年の姿と違っていて最初私は分からなかった。浅丘は骸骨じゃなかったし金子はずる賢い組長でも毒舌の料理人でもなかった。それに製作は昭和34年で私の生まれた年だ。思っている以上に古びた風景ではなかったのは都会の盛り場という設定だったからか。宍戸錠もシャープな殺し屋役で「似ているけどほんとに宍戸錠か」と思った。映画としてはどうってこともない内容だが小林旭のヒーローぶり格好良く、彼がスターダムにのし上がった作品で、これ以降計8作も「渡り鳥」シリーズが作られたという。昔の映画もいろんな意味で見る楽しみはある。それが簡単にできる時代だから楽しいわ。

2017年6月29日木曜日

病院の午前、ある一コマ

午前は内視鏡担当でドック利用者の胃カメラを主にしていたところ、検査と検査の合間に病棟からピッチに連絡がー。

「XXさんの脈が遅くなっています。呼吸もしていません」なにそれ。

すぐに病棟に向かった。病室に入ると看護師さんが心臓マッサージをしている。気管挿管はまだしていない。しかし私はあえてしなかった。ちょうど家族もいて承諾を得ることもできたのだが。

その患者は昨日施設から救急で入院したばかり。いろんな病状を合併した99才の超高齢者だったのだ。あと2ヶ月くらいで満100才になるとは聞いていた。しかし入院の時点で「これは相当厳しい。治療はもちろんしますが・・」と家族には念を押していたのだった。心臓マッサージ(胸骨圧迫)と強心剤注射は行ったが有効な心拍再開は得られなかった。30分経たずに家族を呼び、「これ以上治療を続けても回復の見込みはない」と告げ、了承してもらい蘇生処置を終えた。

すぐにナースステーションに行き電カルに記録しサマリーも書いた。で、また内視鏡室へ。現在内視鏡担当は午前は3人就かせているからこうした突発的な離脱にもどうにか対応できる。残りの胃カメラをしているとまた病棟から連絡がきた。「先生、(死亡)診断書を書いて下さい」あ、それを書き忘れていた。それがないと亡くなった患者さんは病院を出ることが出来ない。私が病棟に行くべきところ手が離せず看護師に来てもらった。

それからしばらく、午後になって病棟に行くと「あの方はもうお見送りしました」と言われた。あ。私が忙しそうだったので連絡を控えたそうだ。今までだったら必ず打診してきたのだが。うむ、まあいいか。それも大事かもしれないが患者さんには生きているときに最善を尽くすことが一番だからな。

2017年6月28日水曜日

「もえあず」の胃の中って

ついこの間見たTV朝日系の番組で「世界ルーツ探検隊」というのがあって大食い女性タレントたちが世界各国に行きいろんな食べ物の最古の店を探しては食べるという企画があった。私は初めて知ったのだが「もえあず」という若い女性芸能人がベルギーのワッフル店で出された巨大ワッフルを嬉々として食べ始め、周囲が目を丸くする中、こんなの完食できるかってのを全部平らげたのにはびっくりした。客の外人さんや通りががりの人たちまで驚き、拍手をしていた。
「もえあず」って変な名前だと思っていたらアダ名で「もえのあずき」というアイドルなんだそうだ。もっともアイドルより大食いチャンピオンとして名が知れていてTV東京系ではしょっちゅう出演してるとか。

それにしてもギャル曽根に始まる大食い女性タレントの連中に共通するのは皆痩せていることだ。もえあずは40kgくらいだそうから相当な痩せの部類に入る。デブは大食いチャンプにはまずなれない。栄養を吸収するような体質では大食いはできないってことだろう。あの人たちの胃の中はどうなっているか興味がある。そこはTV局も同じで過去なんどかレントゲンやMRIで検査したことがあった。すると食前に比べ胃袋が30倍も拡張していたんだって。
その後はさして腸管に吸収されずに何度もトイレに行く羽目になる。そりゃそうだろうな。見世物としては面白いかもしれないが、現実世界で彼ら彼女らに食事を与えるのはどぶにものを捨てるようなもんだろう。身につかないわけだし。

そうだ、以前、シホねえNsにビールを注いでいってもどこが限界なのか分からなかった時に似ている・・。飲んべえに酒は避けとけ。TV見ながらそんなことを考えていたのだった。

2017年6月27日火曜日

スプリットシンクロ

今日は早帰りの日とはいえ、何やかにやで病院を出たのは15時を過ぎていた。カールが帰鹿を1日早めたとのことで帰宅後は沖縄での土産話などで時間を過ごした。キシュン叔父さんからもらったというカールの家の系図を見て1時間は会話が続いたな。私はおおよそのことは知っていたが具体的に系図を見るのは初めてだった。始祖は江戸中期の1700年代で男子は「キ」の字が全員付く。それは絶対とでも言えるほど厳格に守られていた。カールの従弟(キシュン叔父の長男)はキイチゴ君だ。しかし昭和の後半にもなると「キ」の字が使われないケースも多くなってくる。戦後になり家を守るという考えが希薄になったからだろう。いや、それにしても300年にわたる系図をみると先祖のもつ重みを感じる。こういうのを見れば自然と先祖を敬う気持ちも湧いてくるというものだ。

夜はまたボウリング練習。毎回ダブルスの話題でワンパターンであるが、ダブルスになるといつもぎりぎりの面白い勝負になるからどうしても書きたくなる。私とエリックMR、ヤマヒロDrとアンドキサMR、タナカッツMRとサンシさんの3チームで1戦目はタナカッツチームがまさかの勝利。私たちが負けてジュース代払った。2戦目は私たちが絶好調で中盤でほぼ勝利確定。残る2チームはビリ争いでかなり競っていた。最終10フレ、アンドキサチームはスペアならほぼ勝ちの場面のところ、アンドキサMRが投げた渾身のスピードボールは何と6ー7ー10の難しいスプリット。その瞬間、チームメイトのヤマヒロDrの頭がガクッと垂れた。気の毒に思ったかライバルのサンシさんまで動きがシンクロしたのは可笑しかった。「あーあ」という気持ちはボウラーには共通だネ。


結局、さしものヤマヒロDrもスプリットメイク出来ずに逆転負け。後でこのゲーム3回もスプリットを出したアンドキサ君が「何でやろ」と訝しげにつぶやいた。右レーンは奥でオイルが伸びてしまいスプリットが出やすいコンディションだったのだ。右レーンで3ゲーム投げていた私は左と右で投げるラインを大きく変えてどうにか対処していた。彼はレーン移動したばかりでそれに気づかなかったのは仕方ないわ。週1練習は続く、また来週。

2017年6月26日月曜日

ハゲに悩む気分を知る

昨夜はそのまま床に寝てしまい、未明に目覚めるも、とっても変な夢を見ていた。それは自分の髪がさらさらの茶髪でしかも薄くってどんどんはげて来る夢だった。それに気付いた自分はショックでこれは何とかしなければ・・と本気で心配した。毛が硬く少し縮れ気味、全くはげる要素のないのが自分の髪だ。それが生まれて初めてハゲに悩む気分を味わった。目が覚めてもその嫌な気分が続いていた。

いったいなんでハゲになる夢なんか見たんだ?最近TVで某女性国会議員の「このハゲーーーッ!!」って怒鳴る音声がよく流れているせいか。自分が老いつつあるという深層心理があるからか。それともカールが所用で沖縄に帰っていて今一人なのが何か関係でもあるのか。

そんな夢のせいなのか、肩こり、頭痛がひどくて朝の仕事がとってもきつかった。いつもはない軽い腰痛もあった。あまりにきついので内視鏡室から医局に戻って湿布を探しちょうどそこにいた山の神さんに両肩、腰に3枚張ってもらった。それにカロナールを服用。これでどうにか昼前にはいつもよりちょいきつい程度にもどった。

昼食を摂った後は迷わず昼寝をした。いつもなら30分程度のはずがこんこんと眠り続け何と1時間半を過ぎてもまだ寝ていた。2時間近くもたってようやく病棟の仕事に出かけた。うん、ピッピDrが常勤になってくれ、非常勤Drも増えたおかげでこんな余裕も生まれている。夕方はすっかり元気になっていた。それにしても何で自分がハゲになる夢を見たのか、それは今でも謎である。

2017年6月25日日曜日

たまにはヒマな日直

今日は朝から夕方までの日直だった。これがとっても忙しかったのかといえば全くのヒマ。午前に一人、どうということもない外来患者が来た以外は夕方近くまで何もなかった。ヒマすぎて久しぶりに横浜に転勤になったスリウェルMRにLINEで「どうしている?」と送ってみた。

すると「ゼロからのスタートに苦しみまくりです(泣)鹿児島が恋しいです、ボウリングもしておりません。僕の後任はどうですか」と返ってきた。そして「ちなみに地元の友だちとサッカー大会で優勝したりしました」とその写真が送ってきた。

そうか、まあボウリングはしてないだろうとは思っていた。あれは周囲に仲間がいないと一人ではそうそう続けられるもんじゃない。彼は元々サッカーをしていたので今度はそっちかぁ。

で、17時前になりそろそろ仕事も終わりかという頃になって、救急で下血患者が来た。救急隊員からの情報を聞きこれは本物だなと直感し、診察前に内視鏡室のオンコールスタッフを呼んだ。ヘモグロビンは11はありそれほどの貧血ではないものの腹痛はなく新鮮血が5、6回も急に出てきた初老の男性ならば大腸憩室出血が一番考えられ、緊急で大腸内視鏡をする必要がある。

結果はビンゴ!それこそ血眼になって出血源を探しS状結腸にそれを見つけた。見つかればこっちのもの。止血術を施し入院指示出して一件落着。ようやく仕事をした気がしたぜえ。

2017年6月24日土曜日

歯科医師会月例、今度こそ

今週はボウリングが多い。昨日は串木野トリオリーグで私自身は200アベ出して好調だったがチームはほとんど勝てなかった。

今日は夕方からT-MAXで歯科医師会の月例会に出た。もちろん私は歯科医師ではないがMノ下君からよくお誘いを受け、そうね2回に1回はゲスト参加しているかな。今回は参加者が少なく7名。多いときの半分以下だ。試合は6ゲーム個人戦で年齢のハンディキャップがあり56才を越えると1才につき1ピンのハンディをもらえる。私は2ピンプラス。いつも20ピン以上もらうノゾえもん、カスガナル両先生は不参加でこれは優勝チャンスだ。

練習ボールでここ最近のT-MAXのレンコンといっしょと分かりますます勝てるぞと思った。うまくいけばアベ210くらい出せる。最初の3ゲームはMノ下と同じレーンでいきなり4連続ストライクを出し調子に乗った。前半トップだ。レーン移動で今度は先月優勝のノダメ先生と。前半調子の出なかったノダメ先生がストライクが決まりだして218、202とハイスコアを出してきた。対する私は最初こそ200で70ピンほど差を付けていたのに5ゲーム目に151とやらかしてしまった。確か4月に参加したときも5ゲームまでトップにいながら最終ゲーム135と大失速して3位に落ちた。あの時はステップの3歩目がふらつく癖がよく出ていて不安を抱えながらの参戦だった。今回はボールの親指の握りが時々しっくりこなくなる時があってミスショットの大半がそれ。そこだけを注意すればいいと分かっていたので最終ゲームを前にして10ピン差ほど詰められても前回ほどは慌てなかった。

1フレ目ストライク、2フレスペア、そして3フレ4フレとダブルになってここでもう大丈夫だ。逆にノダメ先生はスプリットミス、ストライク、スペアミスで失速した。前回の私みたいだ。結局私は214でトータル1142ピン、2位のノダメ1160ピンに80ピン差を付けて優勝した。ふう、自分自身の目標設定には届かなかったが久々に優勝できてうれしかった。↓は歯科医師会のホームページに載っていた集合写真。正面が私。あれ?こんなに威張っていたかな。

2017年6月23日金曜日

美しい人生

小林麻央が乳がんで亡くなった。多くの国民が「ああ、ついに来たか」と思ったに違いない。ワイドショーでは市川海老蔵との結婚式の朝、化粧準備をしている映像が流れていた。より若く美しく希望に満ちていた。誰が今日の日を想像したことだろう。

幼子二人を残し逝ってしまうことは無念だったろうが、残された子どもは幼さ故に悲しみを感じることはまずない(私は経験的にそう知っている)。ただし周囲の大人たちがサポートする必要はある。早い話しが海老蔵は子ども好きな女性と再婚すべき。そうすれば子どももなついて普通の家族のように過ごしていける。これが多感な中学高校のころになると反発してうまくいかないかもしれない。海老蔵の周囲にはすでにこういった配慮を考えている冷静な連中がいるはずだ。

小林麻央は死して多くの人に幸運をもたらすかもしれない。医者や国がいくら「乳がんの早期発見のため検診を受けましょう」といっても足を運ばないのに、今や乳腺関係のクリニック、病院には多くの女性がわんさと押しかけている。ずっと以前から毎年検診を受けているカールが「以前は予約も簡単だったし、それに何時間も待つことはなかった」とぼやく。今日外来に付いていた光鳥Nsが「私も友だちの馬背雪ちゃんとマンモグラフィーの予約をした」と言っていた。まだ25、6才だ。以前なら検診なんて考えもしなかったはず。いまや日本人女性の11人に1人が罹るといわれる乳がん、この流れなら命を落とさずにすむ人が何百人何千人にもなるだろう。

麻央ちゃんって可愛さと美しさの両方ある人だったな。それに誰にでも愛される敵を作らないキャラクターだったように思う。乳がんでの早世が運命だったならばそれはそれで意味のある人生だった。美しい生き方をしたといえる。でも自分の関係者にはやはりそうであって欲しくはない。自分も周りの人も健康で長生きはしたいし、して欲しい。合掌。

2017年6月22日木曜日

竹内アナ、いじられる

今日は早帰りで、外は梅雨の典型的な空模様、やることなくそれで帰宅前に散髪に立ち寄った。平日のこんな時間はたいてい空いていて予約なしで入れた。暑苦しいしまた「短めに」と頼んだらえらくさっぱりとなって気持ちよかった。家に帰ってもカールはしばらく不在でTV見ながらちんたら過ごした。

ふと外を見るとハッピーちゃんがそっとロッジに来ていた。あはー、エサが欲しいんだろ。少しだけ上げると、回りを警戒しつつ食べ始めた。ここにキタローがいると必ず横取りされちゃうからねー。ハッピーが好きなゲンちゃんがこそっと眺めていたよ。相手にされないって分かっているからな。

夕ご飯は外に食べにいくのも面倒でカップ麺に卵かけご飯。これでも結構お腹いっぱいになった。そしてシャワー浴びる前にまたビデオでもと思って床に寝ながらTVを見ていたら・・そのまま夜の12時前になっていた。あー、一人でいるとぐうたらしているなぁ。

ビデオではこの前の日曜のサッカー情報番組「やべっちFC」を見始めたら思わずずっこけた。冒頭でMCの矢部浩之が「今日は盛りだくさんのバスケットの情報をお送りしたいと思います」とぶちかましたのだ。これはもちろん竹内由恵アナのバスケの田臥選手との交際報道を受けてのもので、これに彼女は大慌て。矢部のいじりにかなり照れていた。


ああ、私は結構好きなんだよねー竹内アナ。それが田臥選手のマンションにお泊まりしていたんだからちょっぴりショックかな。ただ田臥って以前は同じテレ朝の前田有紀アナと付き合ったのち破局している。恋愛パターンがいっしょ。結局は破局になっても全然構わんよ、フン。

2017年6月21日水曜日

ダブルスはスリリング

ボウリング練習(仮に「こてる会」とでも名付けよう)が今みたいに週1回に定着したのはいつ頃からだろう。メンバーの中で一番付き合いが長いのはタシケントMRでかれこれ7年にもなる。4年前にスリウェルMRが熱心に投げるようになり、3年前にタシケント君の後任のタナカッツMRが常時参加するようになってからか(タシケント君はその後もちょくちょく参加)。フォーマットも3ゲーム個人練習、残り2ゲームをスカッチダブルスするというのが決まりみたいになっている。このスカッチダブルスが毎回面白い。

ダブルスはゲームの緊張感以上に相手に迷惑を掛けられないというプレッシャーがある。一人で投げるときは気楽に取れる1ピン残りが「取らねば」「外したら迷惑かける」などのプレッシャーからミスするケースが多々ある。きちんとしたフォームで投げていないとそういうときに余分な力が入るからだ。しかし自分のミスショットを相手がスペアカバーして思わずハイタッチしたりと、まさに喜怒哀楽がアプローチ上に交錯し盛り上がるのだ。

今日はタシケント君が3年半ぶりくらいに作ったニューボール「XENO(ゼノ)」を初投げした。レーン奥でくいっと曲がるボールで彼に合っている印象だ。1ゲーム目はそれほどでもなかったが慣れてきたらストライクもどんどん出ていた。ダブルスでは彼とアンドキサMR、私とタナカッツMRが組んで対戦となった。(その日のアベレージでおおよそ均等になるよう組み合わせは決まる)

1ゲーム目はシーソーゲームで8フレまでは私たちが10ピン以上リード、しかし9フレ残り1ピンをタナカッツ君がミス。これに対して相手は9フレにアンドキサストライク。10フレ、タシケント君もストライクでダブルで逆転。うーん、これはきつい。ストライク率の低いタナカッツ君がストライクなら勝ち、9ピン以下なら負けだ。結局8ピンしか出せず4ピン差で負けた。

2ゲーム目はまたも接戦。8フレ、第2投の私は難しいスペア(123-8)をカバーできず10フレ迎えたところで5ピンリードされていた。10フレで相手がスペアを取るものとすればこっちが逆転するにはストライク2つつまりダブルを出さねば勝てない。1ゲーム目とは逆の立場になった。しかしここでタナカッツMRが「奇跡」のストライク。うぉ!よし気合いが入るぜー。勝負は私がストライクならほぼ勝ちの場面。渾身の一投は見事ストライク!やった。(ストライクの後、残念がる声は当然アンドキサ、タシケント両君のものだ)

残り1投タナカッツ君が4ピン以上倒せば勝ちだ。ただ、まだ完全に安心はできない。先週、新人の残球MRと組んだ時は最後2ピンで勝ち、1ピンなら同点の場面だったのに残球君、ガターをし負けたんだった。それに・・タナカッツ君、がちがちになってよくやるんだよガターを。それでもまさかなと思いつつラスト投球を見ていたら・・あ、若干左にそれた。まずぃ・・カーン!7ピンカウント。ふーぅ。勝った。やれやれ。

かようにスリリングなダブルスは「こてる会ボウリング」では欠かせないものになっているのだった。

2017年6月20日火曜日

「地震、大丈夫?」

前夜床寝してしまって、夜明け前に目覚め、そこでこてる日記を書いていた。TVはたいした番組はやっていないので録りだめビデオを再生消費していた。そのうちカールが起きてきてご飯など作っていると、朝6時過ぎにもかかわらず中高時代の友人らとのLINEのやりとりがあった。

「朝早くからみんな活発やねえ」「そうなのよ。部活でいっしょだった彼女らとは昨日から始めたの。沖縄にいる人もいるけど県外にもけっこういるわ」「へー」

そんな会話をしつつ私はこてる日記のし上げにかかっていた。ビデオは火野正平の自転車での「こころ旅」をやっていた。夜7時からのとうちゃこ版で根を詰めてでなく気楽な「ながら見」だった。すると字幕で緊急ニュースが流れ、それにカールが反応したようだ。「徳島で震度3の地震」と出ていたらしい。「あ、徳島!」と思ったカールはたった今LINEのやりとりをしていた徳島在住の同期生に「地震、大丈夫?」と送ったのだ。

実はこれ先週6月14日夜の収録だったから今現在地震があろうはずがない。当然友人から「え、地震?感じないけど・・」との返信。それだけではない。沖縄など他の友人らから一斉に気づかうコメントが飛び交った。ようやく私がそれを知り、「あほ!今TVに映っているのは先週のビデオだぞ」「えー!ずっと生放送かと思っていたわ。だから地震だーって心配して連絡したのよぉ」

その後、地震ネタや揶揄するコメントがLINE上に跋扈した。天然ボケ、おっちょこちょいのカールらしさ満開、いや強震レベルだったか。

2017年6月19日月曜日

師匠からの譲り本

朝礼のスピーチも気になっていたが、全米オープンゴルフの松山も気になっていた。明け方からTVで見ていて最終日どんどんスコアを伸ばしていた。最終ホールもバーディーをとり12アンダーにして後続にプレッシャーをかけたが・・。先を行くケプカもまた一人調子良く結局追いつけなかった。でもいつ優勝してもおかしくないレベルにまで松山はきていると感じさせた。対するテニスの錦織は・・ううむ、メジャー制覇は無理かな。

スピーチは「山登りとチーム医療」のタイトルできっち5分以内に抑えスムーズに終えられた。スライドの最後は恒例のボウリングビデオで私がスプリット(4-5-7)を失敗した例を最初に見せ、次は同じピン残りをしっかり取るシーンを見せた。こじつけではあるが山登るもボウリングも失敗は次に活かえばいい例としてネ。3日もかけずにサクッと作ったわりには後で聞くと評判も良かった。次のスピーチは8月。今度は日時が分かっているのでもっと余裕だ。でもきっと直前になるまで手を着けないんだろうなー。

昼過ぎに受け付けから預かり物といって囲碁の本がどっさり届いた。あ、オマルの爺さんからのプレゼントだ。前にももらったが今度もてんこ盛り。爺さんが何度も読んで棋譜を並べた日時の印があった。やり尽くして先行き短い人生と知って(実際にそうつぶやいていた)囲碁好きのドクターにあげようという気持ちなんだ。私も20年くらい前は囲碁の本や雑誌をよく買っていた。幸い爺さんの本は最近のものかかなり古いもので私が持っていないものばかり。中でも昭和32年出版の瀬越憲作九段著「力の定石」という本はよかった。
古い碁の本は現代からみると使えないものが多いが、これは内容が実践的でなかなかいい。読んでみると「これは私の得意技」と爺さんが言っていた星の一間バサミの手が出ていた。あはー、これで学んでいたんだな。表は主治医と患者、裏では弟子と師匠の関係、その師匠の意をくんで私もこれらの本で勉強しよう。でも。わざわざ本を持って来るためだけに来院していたようで、オマルの爺さんの熱心さには頭が下がるわ。

2017年6月18日日曜日

AKB総選挙録画を見る

麻雀から帰ってきてネットは見ずにすぐに第9回AKB総選挙のビデオを再生した。先に結果を知るよりカウントダウンで見ようという腹づもり・・だったのだが、いきなり「衝撃的な発表があったので・・」と前置きされて「NMBの須藤凜々花が結婚宣言をした」とのアナウンスがあった。で、17位の向井地美音のスピーチが終わったあとそのVTRが流された。

「・・初めて人を好きになりました。わたし、わたし・・NMB48須藤凜々花は結婚をします」と結婚宣言をしたのだがこの時点では場内はまだ何も反応がなかった。いや、何?何言っている?という戸惑いだった。

「えと・・あの・・あの・・すごくふざけているつもりに思われるかもしれませんが、私はいつも本気です。そんな中で、私は本当に初めてこんなに好きになれる人に出会いました。私はこれまでのアイドル人生に一点の曇りもなく、須藤凜々花として皆さんのことが本当に大好きでした。私が結婚するという気持ちは本気です(ざわつく会場)皆さん本当にありがとうございます。私はいたって本気です」

このあと、徳光アナが何度も「本当ですか」「真剣ですか」「今ご自身が何を話しているか、分かる?」など質問した。アナウンサーも動揺し会場も戸惑いから驚きに変わっていた。へー、私も驚いた。で、この後はすっ飛ばして順位を確認し4位に宮脇咲良、3位に松井珠理奈ときてあとは予想通り2位に渡辺麻友、1位は指原莉乃だった。柏木由紀、山本彩が選挙辞退したのでこの上位4人は順当だ。5位のNGTの荻野由佳は驚きだ。まあ速報でダントツの1位になっていたから今回はそれほどでもないがAKBに何度も落ちて新潟にやっと合格、それが一気に選抜入り、全国区とシンデレラストーリーを見せつけた。よほど彼女を押し上げたいコアなオタクがいたんだ。単純に計算して5千万円以上をつぎ込んだことになる。だから指原莉乃の24万票というのはとても一人や二人のつぎ込みではなしえない。来年はもう出ないそうでそれに渡辺麻友も今回卒業を表明したので松井珠理奈、宮脇咲良あたりが中心になるのか。

でも、今回は須藤凜々花で決まりだ。
こんな発表というかスピーチは前代未聞だ。ネットで調べるとさっそく非難のコメントがファン、メンバー、卒業メンバーから出ていた。さもありなん。アイドルというのはファンが疑似恋愛を対象にいだくものと定義すればアイドル本人が恋愛をしているとのいうのは御法度でましてや結婚というのはアイドル放棄に値する。彼女は元々アイドルには未練がなかったんじゃないか。私が須藤凜々花を知ったのは2年前のヤフオクドーム第7回AKB48総選挙でのNMBの新曲発表の時だった。「ドリアン少年」という曲のセンターに抜擢されたのだ。すると、隣にいた女性客が「すごいな、りりか」とつぶやいた。これは運営によほど期待されてのことだ。その後麻雀番組もすることになりそれも当然見た。腕の方はまだまだ初心者だけどアイドルが麻雀に接するのが珍しく、まあいいんじゃないとそこそこ注目していた。うーん、彼女、父親がすでにいないってことが影響しているのかなあ。小学、中学あたりでで父親を失うとその代わりを男性に求めてしまうってなりやすい。ま、少なくともアイドルとしてはこれでお終い。今後は芸能人として生きていけるかだがそれすらもいらないと思っているのだろう。でないとこんな爆弾宣言はできやしない。いやはや。

もっとも、AKBってこんなサプライズがしょっちゅうある。須藤凜々花の一件も「悪評は無評に勝(まさ)る」でAKBにとっては悪い話しではないと思う。これがなかったら「指原また1位ね」ぐらいで終わっていただろう。でもSTU(瀬戸内)48とかも出てきて私ももうメンバーのほとんどを知らない。乃木坂や欅坂などソニー系の坂道グループも人気がかなり上がっているし、これまでの人気を維持しつつゆっくり下がって落ち着いていくんじゃないか。総選挙は来年もまたやるはず。これがないとAKBじゃないというほど密接につながっている。来年もまた録画しておこう。

2017年6月17日土曜日

麻雀とはそんなゲーム

午前外来を終えて帰宅した。午後はスライド作りも残っていたがまずは仮眠だ。夕方から麻雀の約束があった。スライドは昨夜アウトラインを作っていたので明日もあるし大丈夫だろう。

開局はサブアラドDrの親で私のドラ3リーチから始まった。ドラ9索を対子にし赤五萬もあり満貫確定の36ピン待ちだった。これに親のサブアラドが向かってきた。二萬チー、2ピンチーと鳴いて聴牌している様子。鳴き三色か?あれ、1索3索と落としてきよった。何の役があるんだ?そう思って自摸を繰り返していると、「おったわー、こんなとこに」とドラの9索をたたきつけ「親満!」と上がりを宣言した。見ればピンズの一気通貫赤5ピン入りのドラ単騎待ち。げげ、そんなのに上がられるの?開局からリーチかわしての4千オールのご満悦のサブアラドDr。
私の絶対有利のはずが負けた。麻雀は一局一局をみればこういうこともありうる。自分の手順や判断にミスがなかったか思い巡らした。ミスといえるミスはない。ならば大丈夫と言い聞かせた。こういう心持ちでいることが大事なのだ。

半荘9回やって終わってみれば私が一番勝ち、サブアラドDrはマイナスに終わっていた。彼はその後3面張リーチが上がれないケースが何度もあり、一度など147索待ちのリーチピンフドラドラの手が親のダイボDrの終盤追っかけリーチ一四萬待ち(役はリーチドラドラ)に一発で振り込んだりした。一四待ちは7枚がすでに場に出ていてラス牌だった。
かー、ツイてませんねぇー。麻雀の神様に翻弄されている。だから一局面にとらわれずトータルで考えること、麻雀はそれを何度も何度も教えてくれる。ミスをしなければそうそう負けるゲームではないのだ。

この時親満を上がったダイボDrも今日はツモリ四暗刻の手を何度も張った。しかし一度も上がれず。終わってマイナスが一番大きかった。そんなこともある。一度でも四暗刻を上がっておればマイナスに終わることはなかったはず。下の手なんかその典型のシーン。

私はドラ筋(ドラ6ピン)のそれほど良い待ちとは言えないが親でもあるしここはリーチしていた。そこにダイボDrがなんとドラの6ピンを切って追っかけリーチしたが、宣言牌が私の当たり牌だったのは不運。5ピンか7ピンを切って三暗刻ドラ1にするのもありうるが役満の可能性をなくすわけにはいくまい。試しに次ぎのダイボDrのツモ牌は何と7ピン。つくづく運がなかった。頑張って手を作って、あとは当たりくじの抽選を待つ。麻雀はそんなゲームなのだ。

2017年6月16日金曜日

テーマは山登り

医局にあった朝礼スピーチ予定表を見て愕然。なんと今度の月曜は私が当たっているじゃない。そろそろだとは思っていたけど今週までしか発表されていなくて油断していた。つい最近になってここ2ヶ月分の一覧表が配られていた。ううむ、なんとかして数日で内容をまとめなくてはいけない。なにはともあれテーマが必要だ。

外来で付いていたダブロックNsに「何かヒントになるようなものない?」と尋ねた。「いいえ、私なんかとんでもない」とびびって話さないので「いや、何でもいいんだ。何か思いつくのを言ってくれ」と頼んだ。そしたら「ううん・・最近のニュースで噛まれると足が火傷みたいになってやばい蟻がいるとかが気になった」という。ほう、私は蟻には興味はなかったが「最近のニュースネタ」にぴくんときた。そういえば・・。

そこで地域連携室の床杉さんのところまで行き、「屋久島の宮之浦岳に登った時の写真はない?あったら欲しい。それにさー、山登りで気をつけないといけないことを全部教えてー」と頼んだ。そう、テーマは山登りでついこの間屋久島で中高年のパーティのうち2人が沢に流され死亡したというニュースがあったばかり、そこから得られる教訓を話そうと思い立ったのだ。床杉さんはしょっちゅう山に登っていて、エア登山家の私は彼女から山の話しをよく聞いたり、百名山のブルーレイも借りたりしている。仕事中にも関わらず一つ一つ思い出すように彼女は教えてくれ、私は逐一手帳にメモをした。聞いていてこれは病院での仕事にも相通じるものがあると閃いた。よしよし、朝礼にふさわしい話しにもっていけるぞ。

彼女の宮之浦岳頂上でのツーショット写真(4階モロ消え副師長と同行)をもらったがこの時は雨模様で背景が何も見えていない。で、モロ消えNsのところに行き同じようにアドバイスをもらうと同時に写真も見せてもらった。すると、彼女、床杉さんと登った2ヶ月後にゴッタン師長と飢え損Nsの3人でまた宮之浦岳に登っていて今度は快晴でいい写真もいっぱいあった。すごいねえ、宮之浦岳登山って1日ではすまない。前日に宿泊し朝6時前に出発し5、6時間かけて頂上へ、下山も同じくらいかかり12時間はみておかないといけない。それを2ヶ月で2回も登るとはよっぽど魅力があるんだろう。

写真を見てみて確かに楽しそうだ。眺めもいい。屋久杉だけではなく、シャクナゲが咲き、鹿や猿もいる、花崗岩の奇岩群も面白いのがいっぱいある。それらをラスライドで発表するからとLINEを通してもらった。よしよし、これだけ材料があればあと3日、ばたばただがなんとかなりそう。以下にいかにも登りたくなるような屋久島の写真を紹介しておこう。(↓は豆腐岩って呼ばれている奇岩。西洋なら食パン岩か?)
 (これはロボット兵の岩とも呼ばれているそうだが顔が微笑んでいるようにも見える)
 (5月6月はシャクナゲがとってもきれいだ。下の小猿がとても可愛かったとはゴッタン師長)

2017年6月15日木曜日

残球MR登場

さて今日のボウリング練習はこの前は接触事故で来られなかった衛材の残球MRが初参加だった。彼はスリウェル君の後任でボール(タブーレッド)ももらいすでにプラグしてドリルし直していた。ただ、これまでハウスボールしか経験がなくマイボールは初めてということでサムホールにテープを張り調整(フィッティング)をしてあげた。これをしないと穴がゆるゆるでフックボールは投げられない。

残球君はハウスボールですでにパーフェクト達成、しかも2度もしているという。学生時代に投げまくったくちだな。その瞬間はすごいが平均スコア(アベレージ)を高めるにはマイボールでないと無理だ。投げさせるとフォームは安定しているもののボールの回転がなくど直球だ。当然ストライクはなかなか出ない。ま、1日でできるようになるわけない。タシケント、スリウェル君らも最初は全くフックしなかった。

3ゲーム練習後、ダブルスでは当然残球君は私と組んでもらった。その2ゲーム目、私の調子がよくヤマヒロ、アンドキサチームと競っていた。8フレ、残球君が珍しくストライク、そして9フレ私がストライクでダブルを出し逆転。ヤマヒロ、アンドキサチームはどうにかスペアで10フレを終え、160点。私たちは10フレをスペアにすればまちがいなく勝ちの場面、残球君は3本残した。ここを私がきっちりスペア。「あー負けたぁ」とヤマヒロDr。しかしよく見れば現在159点で最後の投球で2本取らねばまだ勝ちではない。しかしこれなら楽勝だろう・・。

がーん!何と残球君、左に大きくそれたじゃない。ガ、ガター!どうして?これまでガターは一度もなかったのにィ。結果は159ー160で負け。がっくりひざまずく残球君。
プレッシャーを感じてたんやねえ。ま、これがボウリング。これからも楽しみましょ。

2017年6月14日水曜日

まさかノーヒットに

夜は交流戦巨人対ソフトバンクをBSで見ていた。昨日、菅野にうまくやられ負けていただけに今日はやってくれるのではと期待したのだが・・。嫌な予感はあった。巨人はついこの間まで13連敗もして落ち目だったがそろそろ上がる時期にきている。おまけに陽岱鋼や今日の山口俊投手などFAで獲得した選手がようやく出てきた。対してソフトバンクは内川、デスパイネの4番打者2人や千賀、武田など主力投手が故障で休んでいる。

さて試合はソフトバンクの石川柊太と巨人の山口俊の投げ合いで始まった。ソフトバンクの打者は山口のフォークにタイミングが合わない。三振ばかりする。4番に座った柳田は警戒されて四球出塁するもその後はまた三振だ。石川も速球がよく5回までゼロゼロで行っていたのだが・・。坂本がねえ一発は怖いわ。そして代わった森もまた坂本に同じような直球を本塁打され・・これで勝負は決まった。そして気がつけば投手3人に対してまだヒット1本も出していない。アナウンサーも「このまま継投によるノーヒットノーランとなれば2006年の日本ハム対ソフトバンク戦の日本ハム以来4度目になります」と嫌なことを言う。滅多にない記録でそれ以前は1リーグ時代しかも戦争前の「黒鷲」「阪急」だけだという。黒鷲って・・?

9回に入り巨人は抑えのカミネロが出てきてここでヒットもと少しは期待したが結局やられてしまった。がーん。これで巨人に2連敗。今年の交流戦で相手に負け越したのは初めてだ。2週間前の巨人と当たれば3連勝は確実だったろうがプロ野球のチームって実力差がそんなにあるわけではない。ちょいと戦力が整えばすぐにこれだ。見ていて一方的にやられた感じがしないのに記録的な試合をされてしまった。

調べるとノーヒットノーランにはホークスはからきし縁がないようだ。巨人はこれまで全チーム最多の15回達成しているがホークスは前身の南海時代の1941年のたった1回。これより下はまだ歴史の浅い楽天イーグルスのみで実質的にはビリ。この差って何だ。打撃優先のチームカラーだからだろうか。パリーグはDHがあるし現代の継投が主流の試合運びでは今後もホークスはノーヒットノーランをそんなに出せそうもない。巨人がソフトバンク相手にノーヒッターをやったというのはある意味当然の結果だった。ちくしょっ!

2017年6月13日火曜日

アルファ碁ショック

今夜は当直。医局にある碁盤を取り出して側にパソコンを置き、私が並べた打ち碁は最近公開されたアルファ碁同士の対戦50局のうち第42局。もう、このAI同士の打ち碁は驚きの連続だ。これまでプロ同士の碁には見られない打ち方があっちこっち出てくる。これまでの常識を打ち破るといっていい。戦いの途中での手抜き、星への超早期三々打ち込みなど、並べれば並べるほど「へー」「え、ここでこう打つ?!」あきれるばかり。実際に碁盤の前で並べてその感を強くした。第42局はまだわかりやすい方で、今後この50局はプロによって研究され新しい打ち方がどんどん出てくるだろう。新聞によると「世界戦制覇の実績を持つ中国の時越(じえつ)九段は「遠い未来で行われている対局のようだ」。AIは人間が相手だと早々にリードして堅実な手を選ぶが、抜きんでた棋力を持つAI同士では双方が踏み込んだ手を放つため、超絶の棋譜が生まれたとみられている。囲碁AIに詳しい大橋拓文六段は「わけがわからない。人間が打つ囲碁と同じ競技とは思えない」。今後の棋士像を「強さが棋士の絶対的な価値ではなくなり、囲碁の魅力を伝えるなど他の役割の比重が高まるのでは」と予想している」とのこと。碁界に与えたショックは想像以上のようだ。
https://deepmind.com/research/alphago/alphago-vs-alphago-self-play-games/

かつて昭和の初めに木谷実と呉清源によって提唱された「新布石」法が熱狂的に迎えられたように既成概念を打ち破るものだ。それがコンピューター=AIによって示されたというのがいかにも現代的。すでに韓国のイ・セドル、中国の柯潔(かけつ)、日本の井山裕太など世界のトップ棋士を破っているゆえにいわば碁の神様同士の碁はこうなるのかも。50局のうち後手の白番勝率が76%と異常に高いが、これはコミが中国ルールの7目半になっているためやや白有利といわれているから仕方ないか。日本ルールだと6目半だからきっと五分に近くなるだろう。

碁盤を前にそんな思いを巡らせていると救急ピッチが鳴った。やれやれ、どんな患者さんかな?

何これ?へー、夜釣りを友人をしていたら投げられた擬餌釣り針が頭に刺さったって。擬餌の小魚が邪魔だったけど局麻してペンチとカッターで取って上げた。これなんかは麻酔を使わなければ誰でもできる。大工さんの領域やね。終わってカルテ記載は私にしてはきれいに図が描けたわ。(⌒о⌒)

2017年6月12日月曜日

限界集落往診

あいちゃ、いけね!デジカメを持って来てない。年に数回あるかなこれって。昨日デジカメの電池を2本も消費したので充電をしその場にデジカメを置いていたんだった。さっそく朝礼のスピーチスライドを撮り損ねた。事務のダッペイ君の生まれ故郷の海やリハビリスタッフの漫画家を志しながら転身した話し、調理職員で入職した人が10年IT企業に勤めていた話しなどデジカメ記録しておきたかったなぁ。

私のデジカメは風景を撮るというよりメモの代わりという側面がある。こてる日記もデジカメなしでは成り立たないといっていい。午後はまた北山診療所行きで、一軒だけ往診に行きそこは50年程前のかつての田舎の実家を思い起こさせる民家だったのだが1枚も撮影しなかった。スマホじゃよほどのことがない限り撮ろうという気が起きないのよねえ。80才代の老夫婦が住んでいて男性はパーキンソン病で介護が必要なんだけど自宅がいいと病院や施設を拒否した。まあだから私がこうして往診しているわけだ。

この家も年に1、2回孫らがやって来て木を切ったり片付けしたりするそうだが、この老夫婦が亡くなったらどうなるんだろう。わざわざ都会からここに住むことはないだろうから1軒1軒減り限界集落から廃村になるんじゃなかろうか。診療所に市が作った北山の資料があって、みれば人口、世帯ともに毎年減少していた。別に市町村、県、国が人口減少傾向だから当然なんだがこんな辺鄙なところでは1世帯1世帯の減少がダイレクトに響く。このままの減り方が続けば10年くらいでこの診療所もコストの面から維持が大変になるんではないか。そもそも民間では成り立たないから市が建てて僻地診療を維持している。10年ではまだまだ止めるわけにはいかないか。税金はこんなことのためにも必要なんだ。そんなことを考えながら夕方、北山を後にした(写真なし)。

2017年6月11日日曜日

交流戦ソフトバンク対阪神、いざヤフオクドームへ

昼ご飯は天神地下のイタリアンでそれぞれパスタ、ピザ、カレーを食べ、臨時バスに乗ってヤフオクドームに入ったのは13時を少し過ぎていた。球場内に入る時、中の空気というのかな、歓声と音響、選手と緑の人工芝など熱気を感じてうわーとなった。カールもプロ野球観戦は初めてでこれにまず驚いたようだ。私たちの座るところはレフトスタンド25番通路口のすぐ横の3連席で周りは阪神ファンばっかしだった。私とチッチは黄色の服を着ていき、どっちも黄色がチームカラーでまあ違和感はない。

試合は1回表の阪神の攻撃中でソフトバンクの投手は山田大樹、よく知らないが阪神も小野泰己とやらでそれほど知れてはいない、互いにローテーションの狭間か。どちらも「たいき」と読むのかと思いきや山田は「ひろき」と読むんだそうだ。マウンドは遠くて選手の表情などはよく分からない。ただゲームを俯瞰でき外野に球が飛ぶと迫力がある。阪神小野は四球が多くその後にタイムリーを打たれソフトバンクが2点先制した。阪神はヒットはそこそこ打つがタイムリーが出ない。そうだ、出水のスチョル先生が確か今日ここに来ているはずだと思いだし、ラインに「ヤフオクドームにいます」と3人の写真付きで送ってみた。
私がここにいるとはきっと驚くだろう。するとすぐに「我々もいます。3塁側内野席です」と返信が来た。娘のシモマキDrと甥っ子らと観戦にきていて、なかなか点が入らないことを嘆いていた。そうだ、スチョル先生、年に最低1回は阪神戦は観戦に行くそうだが、ほとんど負け試合ばっかしでチームが調子良くても見に行けば負けると言っていた。そうか、ならば今日はソフトバンクの勝つ可能性が高いぞ、よし。

5回表阪神攻撃、てんで点が入る雰囲気がないときにポコンと梅野が当てた打球がこっちに向かってきた。それが何とオーバーフェンス!ホームランだ。もう、レフトスタンドは大騒ぎ。カールの目の前のピンクの阪神シャツを着たおばちゃんは振り返ってハイタッチの仕草でカールはそれに応じた。
ここでは阪神ファンにならねばならない。私もよくやったと拍手はした(これが逆転ホームランだったらそうはしなかっただろうが)。そして六甲おろしの大合唱だ。私も歌ったぞ。「はーんしーんタイガース!フレーフレーフレフレー!」

プロ野球観戦って特に外野席は「お祭り」だな。まずはチームカラーの色をまとうかレプリカユニフォームを着る。お気に入りの選手の名前が入ったのを着るわけだがそれは現役選手に限らない。今日見た中では「村山実 11」もあった。攻撃の時はみんな立って選手の応援歌を合唱しメガホンを叩き風船を飛ばし点が入れば大騒ぎだ。非日常のお祭り参加を見ているよう。楽しむためにも今度来るときは絶対ソフトバンク側だ。

あと、今日強く印象に残ったのは阪神ファンの装いだ。ソフトバンクファンも同じ選手ユニフォームを着る人は多いが、阪神ファンのそれはあくが強い。そして背中で大いに語っているのだ。以下、私が写真に収めたコレクションをどうぞ。





すごいでしょ。中でも下写真の「狂神」「剛虎」のおっさんたちは怖かった。二人して腕を組み通路で仁王立ち。じっと黙っていても背中だけで大いに語っていたのだった。これらを見てカールは「ううん、私、阪神は嫌いでもないけど阪神ファンは苦手・・」とつぶやいていたわ。

試合はソフトバンクが阪神に決定打を許さず5ー2で押し切った。勝ち試合では球場が暗くなり花火のサービスもある。そして今日はすべてが終わったあと、なぜかドーム屋根が開き始めた。へー、これは初めて。約20分、完全に開ききるまで見ていた。あいにく曇り空だったけどこれはこれで開放感があってよかった。

帰りのバスは渋滞でこれは仕方ない。これも含めてお祭り参加だ。夕食は天神で肉料理を食べ帰宅の途についた。今回野球観戦経験できてよかった。好カードあれば次は新幹線でも見に行こうか。カールは「サッカーもいいな。サガン鳥栖の試合も見てみたい」と言っている。ふむふむ、スポーツ観戦が今後の楽しみになってきそうだわい。

2017年6月10日土曜日

ジャラの御連絡

今日は結婚記念日だった。平成元年の今日は曜日も土曜で同じ。会場となったホテルは今はない。参列してくれた親戚の人ももう何人もいなくなっている。丸28年、早いものだ。で、「どこか食事でも行こうか」と提案したのだが、「明日福岡で野球観戦、多分夕食もどこかで食べるだろうから今日は質素にしましょ」と言うカールに同意しじっと自宅で過ごした。

家でちんたら過ごしているとサブアラドDrから電話があった。「(天鳳で)五段に落ちやしたぁ〜」あーやっぱりそうか。もう六段の持ちポイントがかなり減っていたもんな。今日明日は病院の当直でネット麻雀ざんまいみたい。それで彼の対戦を観戦していたが、不調らしく打ち筋が若干乱れているようだ。こういうのは冷静に外からみているとよく分かる。今度会ったら指摘しよう。

夜、珍しくテルから私のラインに連絡があった。なんとこいつも麻雀ネタだった。久しぶりに友人らと打ったがちょい負けだった、それで以下の牌姿でどう打ったら良かったかとのことだ。状況は南2局、親の手で7巡目。トップに9000点差の2着。
五萬六萬七萬八萬赤五筒六筒六筒七筒七筒八筒八筒六索七索八索ドラ八萬
テルはここから打八筒とし五萬八萬待ちのリーチにしたんだと。うーん、大チャンス手で是非上がりたいがどの待ちにしても裏目はある。私はドラ筋待ちにしたくないのとピンフもつくので打五萬とするかなあと返信した。これならリーチしなくてもツモで親ハネあるしリーチしたら親倍まである。テルの言い分だと萬子が場に安かったんだそうだ。五萬で上がれる気がしていたという。で、上がれなかったんだろうと思ってやりとりしていたら、3巡後に五萬ツモって6千オールの親ハネを上がったんだって。何かい、それって自慢話?!上がれなかった悔しさからラインして来たのかと思ったらヨー。全くテルらしいぜ。

またいずれ帰鹿したら私と一戦交えたい、そして私に勝つつもりのようだ。「10年早い」って返事してやった。そしたら「笑」とだけ。余裕かましている。へん、今だけさ、ギャふんって言わしたるからな。