2024年4月21日日曜日

みずほの記念品だから・・

雨の日曜日、昨日1ヶ月ぶりにリアル麻雀を打ち、また負けて自分のふがいなさにがっくりし家ではゴロゴロふて寝状態だった。大三元を久しぶりに上がったのに、終盤失速し、私に役満フッてダンラスだった腹出しDrにも小差で負けてしまったくらい。ああ。↓が大三元上がった瞬間。腹出しDrはリーチをかけていたため、危険な「中」を出さざるを得なかった。

ただこの手、最初は白と発のたった2千点の手だった。それが途中で中を持って来て聴牌崩したらすぐに2枚目の中を持って来、あっという間に3万2千点の役満聴牌になった。そんな動きを見て腹出しDrは逆に役満ではないと踏んでのリーチだったのかな?↓下2枚写真参照。

そのまま床寝してしまい、明け方に覚醒し、ドジャース対メッツを観戦したが、大谷のドジャースはメッツに競り負けてしまった。後半はピッチャーもバッターもどんどん選手を送り出しまさに総力戦の様相を呈した。そんな不規則生活のせいかだろう、舌にアフタが出来たようで食事の時にピリピリ痛い。どのあたりに出来ているのか鏡で見ようとしても口内は暗くてよく見えない。そうだペンライトがあったはずと以前どこかの記念品でもらったのがあったはずと手に取ったがライトが付かない。調べるとライトと電池の接触部分が壊れていた。この品は先端にマグネットもツイて胴体を延長させることも出来る優れものだ。それでカールは「あら、上等で使いやすいいいペンライトだったのにー。みずほ銀行からもらってやっぱり大銀行はこんなものまで上等だと思った」と言い「どうにか直らないかしら」と残念がった。

修理を頼めばかなり高くつくだろう。それでカールはネットでこのペンライトがどのくらいで買えるか調べ始めた。しばらくしてカールが声を上げた。「えっ、思ったより安い!楽天で565円しかしない!」それを聞いて私に「なぬぅ」となった。
一見高そうに見えたこのペンライト。他の売り場でも600〜1000円程度で売られていた。2、3千円はするかと思っていた私とカールは「電池買うより商品買う方が安いかも」と驚き、早速注文した。ポイントを使ったので実質0円だ。いや〜、天下の「みずほ」だから記念品も上等だとは単なる思い込みだった。そんなもんにはあんましお金かけませんよねぇ。だってそれが銀行だもの。うん。

2024年4月20日土曜日

名作「朧月夜」

私は文部省唱歌が好きで昔からレコード、CDなど買っては聴いてきた。最近はYouTubeで画面を見ながら視聴することが多い。

今の時期はなんといっても「朧月夜」だろう。作者は唱歌界の名コンビ、作詩が高野辰之、作曲が岡野貞一である。といっても知らない人がほとんどだろうが、唱歌中「故郷」「紅葉」「春の小川」「春が来た」「日の丸の旗」はこの両者によるものである。文部省唱歌は数あれどいまだに歌い継がれている6作品がこの名コンビによるものというのはなかなかに凄い。岡野貞一は「♪もーもたろさんももたろさん」の「桃太郎」も作曲している。戦前の小学唱歌というのは各学年20作ずつ120作も作られたがその大部分は今では歌われることなく消えてしまっている。このコンビによる作品以外では、先の「桃太郎」「鳩(ぽっぽっぽ〜)」「ふじの山(頭を雲の上に出し〜)」「かたつむり(でんでんむしむし〜)」「案山子(山田の中の一本足の〜)」「雪(ゆーきやこんこ)」「茶摘み(夏も近づく八十八夜〜)」「汽車(今は山中今は浜〜)」「虫のこえ(あれ松虫が〜)」「冬の夜(ともしび近く衣縫ふ母は)」「鯉のぼり(いらかの波と雲の波)」「海(松原遠く〜)」「冬景色(さ霧きゆる湊江の)」「われは海の子」あたりがまだ歌われているに過ぎない。

その中でも合唱、独唱ともによく歌われるのが「朧月夜」と「故郷」だろう。今回は時期的に「朧月夜」を語りたい。この曲はなんといっても歌詩が素晴らしい。1番ではイ行の2番はオ行の韻を踏み、特に2番は「も」の繰り返しで視覚、聴覚をすべて包み込む朧月夜の気分をやわらかく歌っている。国文学者であった高野辰之は長野県の出身だ。この曲も「故郷」「紅葉」も長野の豊かな自然を綺麗な大和言葉で表現している。下に長野の春の風景写真を載せておく。

1:
菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端(は)、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。

2:
里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙(かわづ)のなくねも、かねの音も、
さながら霞める 朧月夜。

私が唱歌をよく話題にしていたので高校のころだったかな、あこネーサ母に「(唱歌では)何が好き?」と聞いたことがあった。すると「『朧月夜』が好きだぁ」とはっきり答えてくれた。母にもこの歌とともに今の春の風景を見せて上げたいがねぇ・・。

私は唱歌の中でベタだが「故郷」が一番好きだ。唱歌の中の唱歌、いや日本歌の中でもベスト10に入る名曲だと思っている。他に唱歌という存在を意識してくれた「冬景色」、作詩者が鹿児島県出身の宮原晃一郎の「われは海の子」がマイフェイバリットベスト3かな。いや「朧月夜」も「紅葉」も「春が来た」もベスト3に入れたいくらいなんだが・・。ほか「春の小川」の人気も凄くてNHKがアンケート調査した「あなたが選ぶ日本のうた・ふるさとのうた」で第9位になっている。ちなみに1位はたしか「赤とんぼ」だったはずだ。

最近はYouTubeで芹洋子のバージョンが心地よくてよく聴いている。→https://www.youtube.com/watch?v=yZFUTzBG1MY
この曲には女性歌手の優しい歌声がぴったりだぁ〜。

2024年4月19日金曜日

鹿児島「こころ旅」&「72時間」

今日のネタはNHKの番組を二つ。

火野正平の「こころ旅」の鹿児島最後の目的地は栗野の丸池湧水だった。小雨降る中霧島の牧場から出発し桜の花がほぼ満開の丸池にとうちゃこする。牧場では馬を拭いていた女性が正平さんに気づき「あら〜あの方だぁ〜、毎朝見てますぅ〜『岩合さん?』・・」と、これに「岩合です」と正平さん。「サインが欲しくて〜」と言う女性に「ううサイン、難しいわぁ〜」と言って正平さんは去って行った(笑)。

写真家の岩合光昭と火野正平はほぼ同年代(正平さんが74歳で1歳年上)で、NHKの朝の番組に出ているから、まあ勘違いする人もいるかもねー。

湧水町栗野の丸池は4年前の5月に私たちはドライブで訪れた(2020年5月24日「湧水町ドライブ、えびので意外なお店」→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/05/blog-post_24.html)。正平さんも初めて来て「きれいな水やわぁ〜」と感激していた。そして「鹿児島はまだ桜の開花宣言が出ていないのに満開とちゃう?」と苦笑いしていた。標準木の開花が今年は遅くてロケの翌日に宣言が出たそうだ。↓写真撮る時、ハナビがお邪魔ネコをしていた。

もう一つは「ドキュメント72時間」で今日放送されたのが「鹿児島空港 旅立ちの春に」で空港で見送りする人見送られる人、そして迎える人迎えられる人がたくさんインタビューを受けていた。ただ冒頭だけは関西の番組「探偵!ナイトスクープ」のロケ班とばったり遭遇しスリムクラブの真栄田が画面に出てきていた(笑)。
100歳の母の死に四国から駆けつけた娘さんは臨終には間に合わなかった。ソフトボールの全国大会に出かける指宿の女子チーム、茨城の総合病院に就職する看護師の娘、鹿児島の高校に進学しているが休みで屋久島に帰る女子学生、大学進学でさみしげに見送りする母親に対して明るい娘、チリからの10ヶ月間のホームステイを迎える組織の女性のコメントは「最初はみんなホームシックになります。でも10ヶ月経ったら皆、きれーな鹿児島弁になってます」などなど、空港は誰が撮っても出会いと別れの場になり得るのでドキュメントには最適だよな。

私は空港でそれほど感激&ドラマチックな経験はないが、こてる家ではちょうど15年前のこの時期、サッカーの大迫勇也とチッチが鹿児島空港でいっしょに写真を撮ってもらったことくらいかな。すでに鹿島アントラーズ入団をして練習にも参加していた大迫勇也は卒業式のために一時鹿児島に帰郷した。その時ディズニーランドにカールといっしょに遊びに行っていたチッチは「同じ飛行機に大迫が乗っている」と気づき、降りたタイミングでカールがもじもじするチッチに「こんな時は思い切って声をかけるもんだ」と背中を押したのだった。↓右が若かりし大迫勇也、中央チッチ小学6年生、左は大迫希でロアッソ熊本に入団が決まっていた。(このネタは2016年11月15日の「日本対サウジ」でも書いている)
3日後の南日本新聞には彼らの記事が出ていた。
今でもカールやチッチが言うのが、そのころの大迫勇也はまだあんまし顔を知られていなくて、写真を撮る際に周囲は「誰?あの人たち」って態度だった。お願いしたらきさくに「いいっすよ」と応じてくれたのだった。ビッグになった今の大迫勇也には考えられないネ。空港はまさに出会いの場だったわ。

2024年4月18日木曜日

その名は「心気症」

前日、内科外来を受診した60歳代前半の男性が胃カメラに来ていた。ダヒロDrが胃カメラの指示を出しており、注意書きで「かなり心配症な方で内視鏡実施時には鎮静剤を使って上げて下さい。そして、結果説明の時は内視鏡画像は見せないで下さい」とあった。 鎮静剤希望する人は多いが画像を見せるなとは、これはまた・・。画像を見せて欲しい出来ればプリントにして欲しいなど希望する人は多いのに、見たくないという人は初めてだった。様子をうかがうと少し痩せて眼鏡をかけ確かに神経質そうな男性だった。指示通り鎮静剤の注射をし検査をした。胃カメラは初めてとのことだった。

結果は全くの正常で逆流性食道炎も胃潰瘍もピロリ菌感染もなかった。そもそもなんで胃カメラの指示が出たのかすらよく分からない。患者が覚醒して結果説明の時に尋ねてみた。妻と同席した患者が言うことには「この辺りが(と言って胃のあたりを押さえ)1、2秒痛くなって消えるんですよ」「1、2秒ですか」「はいそうです」と。そこで私は言った。

「1、2秒で収まる胃の痛みは痛みとは言いません。気のせいと言います」

さらに「薬局で買ったガスター10もあんまし良くないと聞いて飲むのを止めました」と。私はははあと思って「ガスターはいい薬ですよ。でも有名ゆえに薬の副作用を気にしすぎる偏った考えの人たちがよくやり玉にあげるんです」とも説明した。このあたりの問題点はこてる日記でもよく読まれている記事に詳しく書いているのでここでは敢えて言わない(2016年6月1日「週刊現代」のいうとおりにしたらぁ〜→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2016/06/blog-post.html

そしてその人は説明をするたびに大きなスケッチブックのようなものにメモ書きしようとしていた。何を書いているのかというと、毎日の内服の結果や症状の記載などで、やたら自分の病気というか症状が気になるタイプのようだった。妻によると近くの愛乱病院に定期的に通っているらしい。私はカルテにこう書いた。

「心気症」

心気症とは医学的な診察や検査では明らかな器質的身体疾患がないにもかかわらず、ちょっとした身体的不調に対して自分が重篤な病気にかかる(かかっている)のではないかと恐れたり、既に重篤な病気にかかってしまっているという強い思い込み(専門用語で観念)にとらわれる精神疾患の一つだ。で、試しに「ほら、内視鏡画像はこんなにきれいなんですよ」と見ることを勧めたが「いえいえ」と手を振り、とんでもないという態度だった。まあ無理に見せることもない。ともかくもどこも心配することはないので最後にこう書いて締めくくった。

「処方なし」

2024年4月17日水曜日

「ルビンの壺が割れた」

一昨日、 YouTubeでミステリ系YouTuberのを見ていたら日本の「ドンデン返し」作品がいくつか紹介されていた。その中に宿野かほる著「ルビンの壺が割れた」というのがあった。

「ルビンの壺」とはよく錯視の例として出てくる壺にも見えるし人の横顔にも見えるという図形のことだ。その文庫本の帯には「日本一の大どんでん返しと断言したい」とある。最初にネット上で公開され話題になりその後2017年に単行本化、今は文庫本でも読める。で、一昨日ネット注文したら翌日にはもう届いた。早い。そもそもなぜこの本をセレクトしたかというと、他にも紹介されていた本に比べものすごく薄い本で実質150ページくらいしかなく簡単に読めそうだったからだ。実際、昨夜夕食後に読み始めたら1時間半ほどで一気に読み終えてしまった。

この小説はいわゆる書簡体小説と言われる形式で、最初から最後まで男女の文書のやり取りで終わる。といってもそこは現代に即していて、Facebookで30年ぶりに昔の恋人の名前を見つけた男性から女性にメールが送られるところから始まる。最初の数通は女性から返信はない。実はこの二人は結婚を約束しまさに式を挙げようとしていたのに、当日女性が現れずその後行方不明となっていたのだ。男性が年1回程度メールを送り3回目のメールを送った約2年後くらいに女性から返信が届く。メールの内容からして本人しか知り得ない事実が記載されており、女性は男性が学生時代演劇部でいっしょに活動した先輩であると確信が持てたからだった。

当然、なぜに女性が結婚式に現れなかったのかが気になるが、二人のやり取りは主に学生時代の演劇部での昔話がメインになる。男性には当時婚約者もいたのに徐々にそのメール相手の女性に惹かれていってという男女の恋愛話などだ。だが段々と話が「実は・・」といった驚きの展開になっていき・・最後は・・。

確かにドンデン返しだろうな。ちゃんと伏線もあって読んでいてある程度推測がつくところもあった。読みやすいし書簡体小説という形式も最近では新鮮だ。作者の宿野かほるというのは覆面作家でプロフィールなどいっさい明かしていないそうだ。単なる素人ではないだろう。面白くて読みやすいから誰にでもお勧めできるが、3年前にこの日記で書いた「どんでん返しミステリーと叙述トリック(2021/8/29)→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/08/blog-post_83.html」でも触れたとおり、驚きはしても感動するかどうかは別問題だ。裏表紙が↓で読者の感想も添えられている。
読んで、「おしっこちびりそうになって」も私は責任は持たないけど・・(笑)。

2024年4月16日火曜日

アルバイトしませんか?

今日は早帰りで13時過ぎに病院を出る準備をしていた。するとスマホに怪しげなメッセージが入っていた。

なに?アルバイトで携帯で言われたとおりの作業をするだけで「毎日」1万から5万の小遣い稼ぎが出来るって言うのか。おうおう、すごーい、早速応募・・なんてするわけない。これっていわゆるオレオレ詐欺など特殊詐欺をさせようって手口じゃん。引っかかる人は1%もいないだろうが、携帯のランダムな番号にこうしたメッセージを送り続ければ何人かは募集してくるのかも。

以前は「あなたはアダルトサイトに未払い金がある」とか、なんとかというサイトに「お金を払っていないから法的処置を執(と)らせていただきます」などと怪しい日本語で警告メッセージが届くこともあった。だが、一度も法的処置を執りに来られたことはない。まったく楽して儲けようという奴らは減らないこった。邪魔くさいったらありゃしない、いいかげん失せろっ!てこと。

2024年4月15日月曜日

パンの香りが心の風景

今日からNHKBSで火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」の2024年春編が始まった。始まりはなんと鹿児島からだ。正平さんもすでに70歳を越え、自転車こいで旅するのが負担になってきたせいか、今回は始まりも遅く春半ばからだし、訪問する県もグッと少なくなっている。月曜朝の放送は、駒村多恵アナウンサーがその週の旅で紹介しきれなかった「こころの風景」の映像に合わせ、視聴者からの手紙を朗読するのが恒例だ。で、それを見ていて「おおっ!」となった。

投稿者は現在は東京都世田谷区在住の德留真愛さん29歳で「パン工場のパンの香り」とのタイトルで姶良市が「こころの風景」とのことだった。↓写真参照。
ここは姶良は重富の交差点、しょっちゅう見る場所だ。近くに池田パンの工場があり、そこからパンを焼く香りが漂ってきて、お稽古事に車で送ってもらうときに窓を開けてパンの匂いを充満させそれか窓を閉めてからも楽しむということをしていたんだそうだ。ふむふむ。ところで上の写真の右上をよーく見てちょうだい。「青雲会病院」の看板がでーんとあるでしょ。そう、そこの曲がり角を進み、橋を渡って右に曲がり進めば青雲会病院に着くのだ。病院の外来看護師らに聞くと、「窓を開ければ時々パンの匂いもしてきます」んだとか。まさしく姶良市の西側住民にとっては池田パンの香しい匂いは「こころの香り」なんだな。

ちょっと話題を変えると、なんで姶良市に池田パンの工場があるのかというと、これは地理的条件がいいからだと推測が付く。姶良市は鹿児島県のほぼ中央にあってしかも高速道路インターがすぐ近くにあるため、深夜から未明にかけてパンを作り、早朝それらをトラックで県全体に運ぶのに都合のいい場所なのだ。最近はあまり来ないが当直をしていると未明に池田パンの職員が体調不良や労災で病院にやってくることがあった。「こんな夜中に仕事ですか?」と尋ねると「池田パンでして」と言われ納得したものだった。

昨年は姶良インター近くに鹿子島急送の「あいら物流センター」や建設機械レンタルの「アクティオ」の工場が思川を挟んでほぼ同時に出来た。いずれも立地がものをいったに違いない。立地がいい割りに地価は鹿児島市内なんかよりずっと安いしね。だから姶良市は県内で人口が増えている実質唯一の市町村だ(厳密には一部別にあるが割愛)。そして私が姶良まで通って病院通勤しているのも通勤がとても楽だったからだ。それが当時の青雲病院に勤務してもいいかと思った理由の一つだった。たかがパンの香りもそれなりに理由のあることだったんだネ。

2024年4月14日日曜日

天然着付け

カールが着付け教室の懇親会があるとのことで市内のホテルへ向かう準備をしていた。カールによると、先生に「九州の他の県からも先生方がいらっしゃるから出て下さいね」と言われていたのだ。で、自分で着付けて出かけていった。自力で着付けるのに今日は結局20分くらいかかったようだが、「本当は着物3分、帯3分って言われているんだけどね」とカールは言う。しかしやり直したりするのでそれくらいかかるんだとか。

自分の車で出かけていったのだが、後で言うには「送ってもらえば良かったわ。だって私の先生ってバンバンお酒を飲んでたんだもの」とちょっぴり残念がっていた。
それと、なんと懇親会というより今回の会の趣旨は「免状認定式」だったんだと。カールはそれに気づかず、「え、今私どの辺を習っているんだっけ」と他の生徒(御婦人方)に尋ねて「あらま、今は高等科って知らないの?前から思っていたんだけどさー、カールさんてどっかヌケているわよねぇ」と言われる始末だった。言われれば昨年11月には初等科は合格だって聞いていた。カールってよく友人らから「天然キャラ」って言われるんだ。でもカールは「そもそも着付けも母親や祖母がたくさん着物を残しているのでそれらを着られないのはもったいない」精神から始めているので、免状とかにはあんまし関心がないのだった。「先生になる気もないし、楽しく着物が着られればそれでいいの」だって。

私はドジャース対パドレス戦をじっくり観戦しようとTVを付けたらカリフォルニアには珍しい雨で試合時間開始が2時間以上遅れると知り、ネット麻雀で時間をつぶしたのだった(最近調子わりぃー)。

2024年4月13日土曜日

受け取ったもの、買わなかったもの、食べたもの

3月に採寸してオーダーしておいたスーツが出来たとのことで天文館は御着屋(おつきや)の「オーダースーツTANGOYA」にまで取りに行った。試着してOKのサインしてから受け取った。
ところでこのTANGOYAさん、今月で閉店するんだって。それを聞いて「ああ、やっぱり」と思ったは、前回3月9日の日記にも書いたように、書き入れ時なのに山形屋と違って客がほとんどいなかったから。今日は私たち以外にももう一組いたけどね。カールに言わせると「山形屋のような老舗なら高くても客が付いているだろうし、他のチェーン店は安さで勝負しているし、それらに比べて中途半端だからじゃないかしら」という。一応ここも全国チェーンの店らしいが地価の高い天文館では難しかったか。せっかく前回1時間かけて採寸したので、今後注文しやすくなると思っていたのに残念ではあった・・。

この後は山形屋に行き、紳士服の階に行きめぼしい物はないか見たが、これぞというものがなく、また「黄札市だけど買うならもっと安いバーゲンの時でなくちゃ」とカールの意見で無理には買わなかった。あとついでに「あんこ展」とやらをやっていて覗いてみると、これがお客さんでいっぱい。全国各地のあんこを使った和菓子の出店がいっぱいあって行列もあちこち出来ていた。最中、鯛焼き、大福、桜餅、あんこ餅などなど、どんだけみんなあんこが好きなんやと思った。
朝ご飯を抜いていたカールは「うわーどれも美味しそう」と一口欲しそうで、三重の名物「赤福」のコーナーではよほど買おうかと迷ったが、「食べてしまうと昼ご飯が今度は食べられない」と、結局見るだけ〜に終わった。ふむ、私たちは一度もお伊勢参りはしたことがないのでいつか行くときには買おうかな「赤福」。↓ここも行列多かった。

結局、山形屋では何も買わず、近くの鹿銀のビルの「よかど鹿児島」内にある「REDROCK」で私はステーキ&ハンバーグ、カールは石焼きビビンバを食べた。食べ終わるころは満腹で、思ったのが、ここであんこのお菓子はいかが?と言われたら「ノーサンキュー」と答えただろうということ。カールは「でしょう。だから私は空腹で買い物には行かないようにしている」と言っていた。つい、余計な物を買ってしまいがちなあなた、覚えときましょうねぇ〜。

2024年4月12日金曜日

「かなまら祭り」だって

昨日入院になった患者さんは外人さんで日本語がほとんどしゃべれない高齢の人だった。日本旅行中に体調を崩してしまったそうだ。問診の際には英語が苦手な私はGoogle翻訳を使って対応した。多少のタイムラグがあるが、身振り手振りや怪しい誤訳だらけの英語よりはマシだろう。で、少し驚いたのがこの患者さんいわゆるLGBTの人だったのだ。同性婚をしていた。しかし我々もそのことをとやかく言うことなく粛々と入院手続きを進めていった。

YouTubeでは外人さんが日本に大挙して観光に来ている様子が取り上げられていて、特に今は花見に来たという人たちが多い。チェリーブロッサムは日本人だけでなく外人さんたちにも大いに魅せられているのだ。先の患者さんも桜を見に来たのかもしれない。そんなYouTubeをあれこれ眺めていると「なにこれ?」という祭りを見つけた。

外人さんにも人気というその川崎市の祭りは金山神社の「かなまら祭り」という。御神体に祭られているのは何と言うかピンク色した男性そのものなんだ。ホームページの解説には「男性器を模した巨大なピンクのお神輿。かまなら祭りのシンボルとして、毎年ネットで話題沸騰」と何のてらいもなくしっかり書かれている。祭りの起源は「江戸時代、川崎宿の飯盛女(娼婦)たちが性病除けや商売繁盛を願った「地べた祭」とされています。空襲により社殿や資料が焼失したこともあり、昭和の中頃まで性的な信仰は忘れ去られていましたが、1960年頃からそれが残る神社として、海外の民俗学者などが訪れるようになったことをきっかけに、1977年に「かなまら祭」が催されました。その後は男根神輿・仮装行列などの新しいアイデアを取り入れながら発展を続け、現在の形になったとされています」なのだそうだ。
さらに可笑しいというか、ええ?!となるのが、名物の子宝飴だ。まずは実物を↓。
これをみんな、外人さんらも美味しそうにほおばるのよ。↓おおっ!
外国って性についてはタブーや戒律などで厳しいところが多いようでで日本人が意外に性にオープンなことに驚くらしい。かなまら祭りだけでなく他にも男根を祭った祭りもいくつかあるらしい(新潟のほだれ祭り、愛知の田縣神社(たがたじんじゃ)豊年祭など)。日本の奇祭としてガイドブックにもそれこそ記載されているそうで、インスタ映えもすることから外人さんに大人気なんだと。日本人より知られているかもな。

そんなに外人さんが多くやって来れば今回みたいに具合の悪い人もチラホラ出てくるやっぱり英語は使えたほうがためになる。少しずつお勉強していこうと思ったぞ。

2024年4月11日木曜日

胡蝶蘭が届いた(ワケ)

朝、4月8日の朝礼スピーチ講話の感想文が届けられた。

多くは「頼まれたら断らない」「まずはやってみよう」の態度で取り組もうということへの共感が多かった。ま、それは私の話から感想として一番書きやすいことだったろう。それと、私が「話やすいタイプ」だという指摘もあった。まあ、写真撮って話しかけるってパターンも多く、今後もその態度は変えませんよというスピーチだったから安心はしたろうて。ただ一番笑ってくれた「当直どっきり」への言及はなかった。まじめな感想文ということでみんな遠慮するのよねぇ。そこんところじゃんじゃん知りたいのにさー。

ところで院長室って、以前は一人で話し相手も周りにいないし医局がいいなと思っていたが、一人でぼうっとするのもそんなに悪くないと思えてきた。電子カルテがすぐ近くにあって医局より仕事がしやすいのもいい。今日は画像モニターをより見やすくするためにミニデスクも設置してもらったしー。

それと今週はまた就任祝いの胡蝶蘭が届けられた。検査機器や試薬販売などの鹿児島の会社社長からだった。実は社長は高校の同窓生でそのよしみということだろう。胡蝶蘭っていかにも立派なお祝い用の花だよね。下世話な話、いったいいくらくらいするんだろう。5本あって花も50輪くらいあるから5万くらいはするんじゃなかろうか。うわっ。
で、検査室の難ガターさんんから「そこの社長さんから、近々大腸内視鏡も受けたいとのことでしたよ」と聞き、「おお、どうぞどうぞ、私の担当日に組んでもらっていいですよ」と即答したのだった。まあ、そうなりますよねぇー(⌒о⌒)。

2024年4月10日水曜日

ハナビが膝の上に乗ってきた

 先週の水曜日は院長参加の会議二つと救急患者や入院患者の指示出しが重なり本当にきつかった。ところが今週は一転、救急&入院もなく会議も前回は1時間以上続いたのに30分もかからなかった。それに午後の外来を14時からだったのを15時以降にしてもらったら、あんれ暇になって院長室で仮眠を取る余裕も出来た。

夕方には近隣のマキシンクリニックの理事長先生が表敬訪問に来られた。「院長になられるなんてすごいことで・・」などとおだててもらったが、内実は別のお願いがあってのことと分かった。ふむふむ、あい分かりました。どうなることやら予想はつかないが聞くことはちゃんと聞いておきましょう。ふふ。

帰宅して、今日こそは床寝せずにちゃんと布団に寝ようと思っていたが・・「ワースポ&MLB」を見ていたら寝てしまって、起きてビデオ再生をしたがまた寝てしまって、また起きてビデオ再生をして、さらにまたまた寝てしまってまた起きてビデオ再生をして・・と結局この番組を4回も見る羽目になった。そして見終わったらすっかり目が覚めて布団に寝るチャンスはなかった。全くバカバカしいほどにもほどがある。

その頃にはゲンちゃんとハナビはちゃんと給餌器の前に座って待機していた。午前5時にエサが落ちてくるとちゃんと分かっているのだ。エサ食べ前後はケンカしやすいのでドアに重しをおいて出入り出来ないようにし、二匹を接触させない。カールが明日の夜まで不在なので離しておかないと。さてハナビは徐々にこてる家になじんで来てはいる。この前なんか私の膝の上に乗りたがる素振りだったので抱っこして乗せたらしばらくじっとしていたよ。カールは驚いていたな。「自分にはまだそんなことしようなんて素振りもない」って。
そうそう、少々怒りっぽいハナビでもこうして慣れてくるもんさ。ねっ!

2024年4月9日火曜日

新人さんに何を語るか

今日の午後は新人職員へのスピーチ(講話)を任されていた。この新人職員に対するオリエンテーションは昨年から行われていて、各分野の所属長や科長クラスの職員が担当する。院長は本来なら最初の週の始めあたりに組み込まれるのだが、お願いして1週ずらしてもらった。先週はまだ院長業務が初めてでとてもスピーチまでは手が回らなかった。で、去年はスピーチ5分前に完成するというバタバタぶりで、自身反省するところもあり、今回は前夜までには作り終えた(それでも遅すぎるというアナタ、それは正しい意見です)。

実はこの手のスピーチに対してはその感想文が数日後に演者には配られる。私はそれをデジカメで保存してあるのですぐに取り出すことが出来る。昨年のを読んでみて職員たちが私のスピーチのどこに感じ入ったかがよく分かった。一番は仕事に対する取り組み方で「仕事は頑張ってもよし、そこそこでもよし、続けていれば何とかなる」という私の経験からの話だ。自分は最初から医師という職業に使命感や魅力を感じて医学部入学したのではなかった。それゆえ、学業や医業になかなか実が入らなかった。それでもどうにか続けることだけがやっていて本格的に身が入ったのは40歳を過ぎて青雲会病院に就職してからだった。これは新人さんたちが自分がそうだったように「はたしてこの仕事が自分に向いているのか」なんて悩んでいる人がいるかもしれないと思ったからだ。向いている向いていなんてたいていはそんなに差があるものでない。どんな職業でもある程度続けられたらそれなりになるもの。それとせっかく医療業界に入ったのだからこの業界が頑張れば頑張るほど相手に感謝されやすい良い職業なんだよということも強調したかった。
昨年は副院長としての講話であったが今回は院長としてだ。ちょっぴり重みも感じてくれるたかも。しかしそんな重厚感のある内容は本来苦手で最後は「当直どっきり」のニューバージョンと私がボウリングパーフェクト達成した瞬間のビデオを見せて笑いと自慢で終わったのだった(笑)。

2024年4月8日月曜日

ザビエルもきっと地震に遭っていた

朝は7時に家を出て、沖縄に行くカールを空港まで送り、そのまま引き返し、スピーチスライドのセッティングのため、早めに病院に着いた。今回は動画も出すので音声の大きさなどを適度にしておく必要があった。出す動画は「当直帯にふいに訪れるこてる副院長」シリーズだ。驚き声を上げたり、恐怖のあまりかっと目を見開いたり、中でも2年前(2022/8/29)にも披露して一番受けのよかった「青雲のフランシスコ・ザビエル」を今回も出すことにした。声こそ上げなかったが驚きのあまり胸に十字を切ったザビエル君の姿が・・アハハだ。

↑↓手の重なり具合も一致してますねぇ。
就任のスピーチは我ながら簡潔にまとめてしゃべることが出来たし、時間も9分ちょっとで終わり、最後の動画の「院長になってもこんなことやっていいのでしょうか」にはみんな笑ってくれた。そうかそうか、イヒヒ。

午前10時25分頃、内視鏡検査の合間だった。椅子に座っているとなんかぐらついた感じがして「あれ?地震か」とつぶやくと、同じく対面に座っていたハルバードDrも「ええ」と頷いた。しかし、内視鏡をしたりその回りで立ち回っていたスタッフらは院内放送で「ただいま地震がありました」という放送でようやく気づいたようだ。「え、地震があったの?気づかなかった」と頭をかく人もいた。宮崎や大隅方面が震源らしい。こういう時、ネットではすぐに情報が得られる。姶良のあたりは震度2程度だったそうで、気づかなかったのは決して鈍感だからではない。

しかし、南海トラフ地震って宮崎あたりから高知、近畿、東海って広範囲に大地震が起きる可能性があるんでしょ。そもそも姶良だって3万年前に姶良火砕噴火といって大噴火や地震が起き大陥没して今の錦江湾北部が形成された(姶良カルデラという)と聞く。3万年って昔のようでいて長い地球の歴史から言えばほんのちょっと前のことだ。能登地震だって熊本地震だって時期も地域もすぐ近くじゃないか。姶良地震、鹿児島地震が起きても全く違和感はない。日本に住む限り地震への備えは必要だ。日本に住む限り地震との縁は切っても切れない。
ザビエルも日本に来て2年半ほど滞在し布教に務めたという。きっと地震も経験したことだろう。あの聖職者なら地震があればそれこそ「神のご加護を!」なんて言ってさらに布教に熱が入ったかもな・・。

2024年4月7日日曜日

スライド作成の1日

朝から何も用事はないだけれど気分は晴れない。明日は朝礼スピーチが、明後日には新人教育スピーチが控えているからだ。スピーチ用のスライドがまだできていない。そりゃ気が重いわ。

だったらさっさと作ればいい。それがそうでもないのよ。まずはテーマだ。ただ今回は院長就任直後だからその抱負を述べればいいし、また述べなければいけない。ただどうもかしこまった話ってのはやや苦手だ。私のスピーチにはどこかで笑えるポイントが必ずあってそこはみんなも期待している。それもどうするか、だ。

こうなったときのいつものやり口、メモノート1枚にしゃべりたいことを箇条書きにしてみた。順番は気にせず書く。「プロフィール」「頼まれたことは断らない」「院長になってもそれって続けるんですか」「自分が好きなもの」その好きなものをまた箇条書きしてみる。私の三大趣味は「麻雀」「ボウリング」「囲碁」だ。趣味ではないが毎日やっているのが「ブログ書き」と「スナップ写真」だ。他に好きなものやことを上げればそのほとんどがインドアがらみでアウトドアで行うことがない。かつてゴルフやスキューバダイビングもやったが続かなかった。お日さまが苦手・・ていうか、どんなお天気でも家にこもっていて平気なんだ。最近じゃ「ネット配信」と「YouTube」でいくらでも時間が潰せる。ほうら、スライド作らないといけないのにまたYouTube見てるぅ!

そうだ、なぜに院長打診を受けたのかということを語らないといけない。それはてげてげ先生の著書にも書かれていて「恩師の井形先生のお言葉」ということで人に「頼まれたことは断らない」ことが人生において物事を決心する時の判断基準となっているという。今回の私の判断にもそれは影響を与えた。ならばそれもスライドに使おうと本を取り出し写真を撮った。

このあたりから作成が進み、かつて朝礼やレクチャーに使ったスライドも再利用して夜にはどうにか完成した。スライドの最後、当直の夜勤看護師を驚かすビデオを3つ入れ込んだ。これはこれまでいろんな人に見せて必ず受ける鉄板ビデオだ。就任の内容とはほとんど関係がない。しかし、どうにかこじつけて披露するつもり。どうにか笑わせないと私は気が済まないんだな。

自分の好み、趣味などは明後日の新人教育スピーチに使うことにした。なんでもかんでも入れ込むのはよくない。割と簡潔に出来て10分以内には終わる内容になった。ふー、これで一安心。ここ2、3週間の心の重み、プレッシャーが薄らぐ感じがした。そこでようやくNHKBSのワースポ&MLBの録画ビデオを見始めたが、案の定そのまま床寝してしまったのだった・・。

2024年4月6日土曜日

サプリで死なないために

小林製薬の「紅麹(べにこうじ)」成分入りサプリを摂取した人に健康被害が相次いで死者も出るなどこのところのマスコミを賑わしている。私やカールはこの手の「サプリ」「健康食品」なるものには手を出さないのが習慣、いや習性みたくなっていて全く関与していないが、世間にはこのような「サプリ&健康食品」を有り難がってあちこち手を出す人も多いのだろう。

今回の紅麹(べにこうじ)成分入りサプリは機能性表示食品制度で認定されたサプリというのがちょっと問題かなと思っていた。機能性表示食品制度は申請する会社が論文などで適当にといったら言い過ぎかも知れないがそれなりのデータさえあれば国が一応のお墨付きを与えたような感じのする制度だ。似たような特定保健用食品(トクホ)はその科学的根拠となる有効性や安全性に関するデータをまとめて消費者庁に申請を行い、国による審査を通過する必要があり、なかなか敷居が高い。それでトクホの商品はずっと横ばいなのに機能性表示食品はどんどん市場規模が伸びているのだ。トクホは国が保証をするが、実は機能性表示の方は国は認めるだけで保証は何もしていない点も違う。こんな感じだからいずれこの紅麹のような問題は起きてくる可能性が高かったのだ。

で、この問題について、10年ほど前まで青雲会病院の消化器内科非常勤で現在は開業をしているグッちんDrが自院のホームページで詳しく解説をしていた→https://jushinkai.doorblog.jp/archives/kinousei-hyouji-shokuhin.html
私がここでごちゃごちゃ言うより詳しくかつ分かりやすくまとめているのでそちらをぜひ参照してほしい。グッちんDr、最後に強くこう言い切っている。

自らの健康を自ら守りたいのであれば、サプリメントや機能性表示食品を一切口にしないことです

まさに!

2024年4月5日金曜日

持つべきは聞く耳

 4月になって非常勤Drも新しい人が入ってきた。大学病院外科からはローテーションでケイブンDrが、内視鏡はオルドリDrが金曜日勤務となった。どちらも30歳代半ばから後半くらいか。本来ならこのくらいのバリバリのDrが常勤でと言いたいがぜいたくは言うまい。

聞けばケイブンDrは一旦他学部を出ての学士入学とのことだ。そして出身校が私と同じ鹿児島中央高で39期生だという。私は13期生だから・・26歳差。うーん、若いというか私が年取ったというべきか。午前、私が本来なら診るべき救急の患者を彼が診てくれた。外来患者に追われていたため、さっそく助かったわー。

その外来患者は誰も私が院長になったことには気づいてはいない。それでいいのだが、ずっと私が担当している高齢女性と10年以上前の救急患者だった男性にだけはこそっと「4月から院長になりました」と教えた。二人ともすごく喜んでくれたねぇ。自分からは決して言わないようにしているが、この前カールがギボヒサコの見舞いの際に「あ、そうそう。こてるさんが今度院長になるの」と言ったら、それまで普通だったヒサコがえらく感激してうるうると涙を流していたと聞いて、黙っているのもどうかと思ってね。

昼前に来た近医紹介患者は私より若い男性で腹痛、背部痛とのことだった。採血と腹部CTの指示を出しておいた。CT結果が出てその画像をチェックするがはっきりした痛みの原因をつかみかねていた。放射線科のソラナリ科長とピッチで話し画像チェックし合っているうちに、ソラナリ君が「あ!」と声を上げた。腹部CT画像の上部、わずかに映っていた胸部からの「下行大動脈の壁がおかしい」と。私も言われて「胸部大動脈の解離かぁ!」と声を上げた。それならばその患者の症状と採血結果とが説明できる。急いで胸部CTの追加をして診断は確定した。ならば、鹿児島市内の心臓血管外科のある病院に救急搬送だ。天妖怪病院が即受け入れOKで情報提供書を書き、本人に説明し転送となった。所見から見ておそらく手術をするほどにはならないだろうが、それでも専門の病院に任さねばならない。

この前の医局レクチャーで信号Drが「肺塞栓」の症例を3例例示していた。そのうちの1例はカユカDrが外来看護師に「先生、この患者さんはいつもと違う。絶対に帰さない方がいい」との意見を聞いて診断に結びついたと聞いた。そうそう、医者が唯我独尊で行動していると落とし穴が待っている。スタッフの意見は尊重すべき、なのだ。ありがとう、ソラナリ君。

2024年4月4日木曜日

あの時、太魯閣に地震が来ていたら

昨日4月3日に台湾で大きな地震があったとの報道があった。日本では「沖縄に津波注意報が出た」とのことで宮古八重山の海岸や那覇空港での避難騒ぎがまずニュースになった。今日は台湾の花蓮での被害状況が大きく報道されていた。1棟だけ崩れ落ちたビルや花蓮の近くの有名観光地太魯閣(たろこ)渓谷での被害も出ていた。これはちょっと見過ごせない。というのもちょうど10年前の2014年の今頃、私とカールは青雲会病院の職員グループらと台湾旅行に出かけ、まさにその太魯閣渓谷の観光を楽しんでいたのだ。
渓谷入口の門の前は撮影スポットだ。今回、その近くにまで大きな岩石が落ちて来ていた。
さらにすぐ近くの山が地滑りで剥げているのが分かる。
太魯閣渓谷はなかなかいいところで、その時の台湾観光のメインでもあった。大きな岩や渓流など見所が多い。
しかし「落石注意」の看板もあり地震がなくてもヘルメット着用場所もあったりで、そこに地震があれば被害が大きくなるのはもっともだ。
12名の死亡が確認され行方不明者も10人以上いるという。他人事ではないと思った。思えば台北の松山空港から花蓮に向かう際はトランスアジア航空のプロペラ機に乗ったのだが、その同型飛行機が翌年2月に松山空港離陸10数分後に墜落事故を起こし58名中43名が死亡した。その墜落した機体番号はB-22816。私たちのはB-22815で1番違いだった(撮影禁止とは知らず、私は乗る飛行機の写真を撮っていた)。あの時花蓮に向かう機体はいい揺れ具合で多くのグループ人員は着陸前には顔が青ざめていた。運が悪ければ自分らも亡くなっていた・・かもしれない。私たちは運のいい橋を渡っていただけもしれないのだ。
今はただ被災者の無事を祈るばかりである。

2024年4月3日水曜日

院長洗礼

うう、今日は院長業務と通常業務が重なって休みが取れないくらい忙しかった。元々水曜日は外来に加え午後から救急受け入れ担当だ。それが12時から2時間ほど重なってしまった。13時半からの定例会議を「10分待ってくれ」と頼み、その間入院させる患者への説明と昼食を済ませてから参加した。 2つある会議も私が初参加ということもあっていつもより時間がかかり合わせて1時間以上かかった。1つの会議は長くても30分以内に抑えないと・。午後の私の外来も患者を待たせてしまい、ずっしり外来師長とも話し合い、次週から「15時から開始」と1時間遅らせることにした。

その外来でも「これは・・」という紹介患者がいた。血液疾患の難しいケースで検査や治療で青雲会病院では対処しきれない。鹿児島市内の某病院に電話を掛け直接血液内科のDrにデータや患者背景を伝えた。すると「今すぐは無理だが明日か明後日なら診察後入院可能」と快諾してもらった。その経緯をダヒロDrに教えると「ええ?受け入れてもらえましたか」と少々驚くので意外に思った。「なかなかあそこは受け入れてくれないんですよー」と自身が元いた病院のことをそう言う。確かに去年だったか高齢の骨髄疾患の患者は受け入れてもらえなかったな。今回はまだ中年で働き盛りの人だ。絶対診てもらえると思っていたよ。

とにかく夕方まで休みが全く取れなかった。救急当番はかつてシマッチ院長も半日はやっていた。私も全くやらないというわけではない。会議のない日時に変更するか、会議の時は代行のDrにしてもらうかにしないと今日みたくドタバタギチギチになってしまう。

いやー、院長の洗礼を浴びた1日だったね。

2024年4月2日火曜日

「植物に学ぶ生存戦略9話す人・山田孝之」でチンに注意

院長業務は朝の各部署報告から始まる。所属長らが次々に報告にやって来て私のサインor印鑑を求めるのだ。一応確認するがねー。医師会からのFax報告もありこれにも目を通す。だいたい30分くらいかかりその後に自分の患者の指示出しや検査結果をチェックをする。それに今日は内科回診もあってソーシャルワーカー、リハビリ、看護師らと回り状態把握や今後の方針を決めていく。本体の内視鏡業務が始まるのは午前9時半を過ぎてしまう。

昼休みも院長室に簡単な連絡や相談事で職員が入って来る。ま、朝ほどではない。休憩時間でもあり、ネットで大谷の試合を観戦したり、サブアラド五段のネット麻雀など眺めたりし、ぼうっとする時間はあった。

昨日に比べ内視鏡検査も少なく普通に帰宅できた。カールが「NHK教育の山田孝之の植物の番組見たー?」と聞いて来たから「ああ、先週のをちゃんと録画しているよ、だがまだ見ていない」というと「私が今日見たのは再放送だったんだ、見てみてー」というので、もうシリーズNo9にもなったこの独特「教育」番組を久しぶりに見た。これまで何度かこの日記でも取り上げている。今回は「トマト」「ヒガンバナ」「ハクサンカメバヒキオコシ」が取り上げられていた。で、その「トマト」の回でいきなり「今回はゲストがいます」と紹介されたのが「板野友美」だった。しゃんしゃんと歩いてやって来た板野友美。あれ?と思ったのが意外に背が高くなっているということ。厚底の靴を履いて背丈を稼いでいるが、それにしても・・

相変わらず植物の生存戦略をシュールな解説をする山田孝之。「板野友美」は呼ばれてきた来たというわりには突っ立っているだけで一言もしゃべらずただ見ているだけだ。

解説が進み、なぜに「板野友美」が呼ばれたのか徐々に明らかになってきた。
トマトの葉を食べる芋虫に対しトマトはトマチンという毒を作り寄せ付けなくする能力を持っていると。以前も話題にした「プーチン」に加え「ミスター珍」も出てきて「チン」には要注意です、と言われれば・・。
「板野友美」と言えばあだ名は「ともちん」だ。↓それにしても、ともちん、背が高い。
「ファンの方にはともちんとよばれていますが」「AKBのメンバーからはちんさんと呼ばれています」などと彼女は答えていた。で、ラスト。「チン」には要注意ですとの発言の後は山田が「そしてあなたの正体は板野友美さんではなく」とじっと彼女を見つめると・・マスクの下でニヤッと笑った「板野友美」は・・画面下に表記された名前で正体が明かされた。
「さようなら」と手を振ったその正体は・・「ざわちん」だった。
いやはや、最初の自己紹介で「板野友美です」と言うから、ちょっと背の高さが違うようだけどそれでも本人かなと思っていたヨ。でもカールは「私、最初から『ざわちん』だと思っていた」だって。実は私はざわちんの名前は聞いたことがあっても、彼女が最初板野友美のメークアップ物まねでブレイクしたとは知らなかった。いろんな芸能人をメークで似せる芸人さんくらいしか知らず、「ざわちん」の芸名も「ともちんに似ていてざわつく」から出来た名前だったんだって。しかしよく似ているわ。AKB人気が盛りのころ、街を歩いて周囲が驚きざわついたというのも肯ける。

ざわちん、この放送の後の自身のブログで山田孝之とのツーショットを披露し、「実は9年前に山田孝之さんのメーク物まねを街頭イベントで披露したことがあった」と画像付きで出していた。↓がそう。
あはっ、確かに似てるネ!

2024年4月1日月曜日

え、院長だって?!

4月1日はちょうど月曜日で朝は入職式が行われた。新人さん途中入職など全部で25名も入った。それでそれら新人さんたちに辞令交付をしたのは私であった。なんとこの私が今日から青雲会病院の院長に就任したのだ。4月1日、エイプリルフールだからではなく本当のことだ。式が終わって簡単な就任挨拶をした。

前任のシマッチ先生が20年も務めた院長職を勇退し、後は一般の青雲会病院のDrとしてやっていきたいと昨年申し出て、その後任に私が指名されたというわけだ。全くの青天の霹靂と言っていい。院長職なんてこれっぽっちもなろうとは思っていなかった。しかしサンキュー病院や南のプー病院他いくつも院長を務めたてげてげ先生の本の中に「頼まれた仕事や職は断らない(方がよい)」とあって、なるほどと思っていたこともあり、数日考えて受けることにした。昨年末のころだ。

ただ、青雲会病院の場合、院長になっても内視鏡や外来、病棟の仕事はほとんど変わらない。一時のシマッチ院長など脳外科医が一人しかいない時期があって受け持ち患者数、外来、手術、会合などものすごくこなしていた。その上に新しい分野の導入、接遇改善、最近はコロナ対策など自ら率先して対処していった。とても真似は出来ない。そして私はシマッチ院長と年齢も近いし、自分に院長職など回ってこないから気楽だ、なーんて思っていた。毎日各部署からの報告を受け、しょっちゅう相談事がやって来る。時にはつらいことを職員に言わなければならないこともある。外部との会合も多いらしい。そんなふうでも頼まれればやるしかない。青雲会病院は自分をとても成長させてくれたところだ。確かに忙しいが長く続いているのは職員に活気があり働きやすいからだ。まだまだこの病院で頑張ることにしよう。

ともかく、挨拶が終わって今日の仕事の半分は終わった気がした。院長室に行くと近隣の病院から大きな胡蝶蘭の花が贈られて来ていた。びっくりしたね。さっそくお礼状を返すことに。

その後、椅子に座って記念の写真を。ちょっとはにかみ&緊張気味かな。
ともかくも院長1日目は慌ただしく過ぎて行った。