長嶋茂雄が亡くなったとネットニュースで知った。ほう・・と思った。私は長嶋の現役時代をTVなどで見知ってはいたが、それは昭和40年代後半の比較的現役晩年時代で熱狂的な長嶋ファンというわけではない。しかしプロ野球、巨人という人気スポーツ、人気球団を牽引した日本人なら誰でも知っているスター選手だったというのは実感している。王貞治がいくらプロ野球記録を更新しても人気という点では長嶋に敵わなかった。そこがよく分からないという点で一世代上とは違っていた。
かつて大学内視鏡室メンバーの飲み会で私より12学年先輩の草野健Drが「TVで野球中継が始まった頃、長嶋がホームスチールで勝ち越す試合を見ていっぺんでファンになった」と語っていたのを思い出す。長嶋は記録よりそのプレーで熱狂させるタイプの選手だったようだ。その私が直に長嶋を見たのが今から30年以上前の日米野球でのメジャーオールスター対巨人の試合だった。1992年10月30日東京ドームでのことだ。たまたま消化器系の学会で東京に行った私は時間も空いていて観戦をすることが出来た。その試合は長嶋が10何年ぶりに2回目の監督復帰をしての最初の試合だった。後で知ったが当時の巨人ナインともその試合が初対面だったそうだ。
当時、私はメジャーリーグの試合をBSで観戦したり、メジャーオタクだった親戚の大学生トヨ丼君としょっちゅう会っていたこともありどちらかというとメジャーチームを応援していた。トヨ丼君のために彼の推しチーム、ピッツバーグパイレーツの帽子をお土産に買ったりし、相当喜ばれたのを覚えている。で、結果はというと、これはもう大人と子どもの試合で、巨人はかつて阪神で活躍したセシル・フィルダー(タイガース)やケン・グリフィー・ジュニア(マリナーズ)に特大ホームランを浴び、打線は同年18勝を挙げたロジャー・クレメンス(レッドソックス)に完璧に抑え込まれ、ヒットはベテラン篠塚の一本のみ、見せ場は失敗したがヒットエンドランのサインを長嶋監督が出した時くらいだった。なんと11対0という内容だったのだ。日本のマスコミは長嶋監督の再登場という面を強調しメジャーリーガーたちのプレイにさほど注目した記事は少なかったように覚えている。球場のファンも長嶋がユニフォームの背番号33を見せたシーンにどっと歓声を上げていたしね。その日から約3週間後のドラフトで長嶋は松井秀喜を引き当てるのだ。もう30年以上も前のことだ。時代は変わって、今もしメジャーリーグのスター選手チームが来たら、当日チケットで簡単に入場出来るはずもなく、空席が目立っていた観客席は隙間も無いくらいの満席になっていたはずだ。大谷翔平という長嶋と王の両方を併せ持つ世界のスーパースターが日本から誕生したのも長嶋、王、松井、イチロー、野茂などスーパースターらの築いた土台があったからだろう。亡くなってなお長嶋茂雄の存在の大きさに気づかされるな。
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