2015年12月31日木曜日

大晦日は救急外来で

今日は今朝から丸1日病院の日当直だ。出かける前にテルに「そうだ、この前のお前の誕生日プレゼントをまだ渡していなかったな、ほら」と昨日の勝ち分をそっくり渡した。思わず苦笑いするテル。そうそう、昨日の麻雀で欲しかったのはお金じゃなかった。

昨夜は帰宅後パソコンがらみで参った。麻雀から帰ってMacBookProを開いたらなんだかいろんな設定が初期化されたようになっていたのだ。原因は後でもいい。まずは一つ一つ元に戻していけばいい。しかし肝心の「こてる日記」だけが管理者としてアクセスできなかった。病院について当直業務をしながらもこれが気になって集中できない。どうにも困り開設をしてくれたトシマロDrにメールを送った。しかし彼も忙しい年末、すぐに返信はなかった。しばらくは日記アップなしで過ごすしかない。

今日は姶良地区の二次当直ではないためさほど忙しくないのでは?と楽観的な予想もしていた。しかし全くそうではなかった。特に夜に入ってからは急患や救急が多く、新年が明けてからがそのピーク、腹部救急で信号Dr以下スタッフが集まって手術になったし、吐血とのふれこみで救急待っている間も腹痛やら頭痛で救急要請があったがそれらは断った。断るなとは言われているけど気管挿管中だったし、それが終わってもゲーゲー吐血している患者の緊急内視鏡もまだ未実施だったからだ。当番当直Nsの光鳥さんは手術室と救急外来を行き来し、午後10時前には帰宅してよかったはずのサコカツNsはなんと明けて午前2時半まで残り、内視鏡は本来当番でなかったシホねえNsが来てくれた。

どうにか内視鏡処置や入院指示が終わって外来で書類書きをしようというとき午前3時半ごろだったかな、またもや救急要請があった。「CPA(Cardiopulmonary arrest心肺停止)ですって」と光鳥Ns。マジかよ・・。ただ前日からぶっとうしで休みなしの我々に受け入れる余力はなく他を当たってもらった。いやー、ここまで忙しい当直も久々だ。一段落したのは何時だったかその時は分からず、シホねえNsがようやく病院から帰る際に彼女の写真を撮っていて後で確認すると午前3時57分だった。そりゃ眠かったはずだ。夜だけで救急要請8件、新年早々洗礼を浴びました。いやはや。

2015年12月30日水曜日

親子初対決

テルを車に乗せ午後見せたまえ雀荘に出向いた。サブアラド、見せたまえDrとは初顔合わせだ。ルールはほとんどいつもと同じ(天鳳ルール)でテルの要望で赤ドラなしにした。かつては私たちもこれだったが赤に慣れるとどんだけこれに頼っていたのか如実に感じた。簡単な満貫は明らかに減り2600とかが多くなる。

半荘1回めは私が起家で東発で以下の親マンをツモって調子に乗った。
一萬一萬二萬三萬四萬發發チー七筒八筒九筒ポン中中中ツモ發ドラ一萬
連荘を5回くらい続けほぼトップ確定の雰囲気。南場に入ってもサブアラドの親リーが来たら即、安牌だがテルのアタリ牌を切って流しに成功。一見損したみたいだがサブアラはなんとツモり四暗刻の手だったのでこれは大成功だ。この他見せたまえのリーチにはテルの欲しそうな牌を一発で鳴かせたりして「お前らグルだな」と冷やかされたりしたが、そんなはずはなく、親は子に、子は親にだけは負けまいという気まんまんだったのだ。半荘終わって私がトップ、テルはまあ予想通りビリだった。

2回目も私は2位、見せたまえトップ。3回目、場替えしてテルが私の上家に立った。ここでテルのリーチに鳴いて2千点の安手で聴牌していた私は打牌に迷った。
六萬七萬八萬ツモ五萬の手で五萬を切るかを切るか八萬だ。普通は八萬だがこの時下家の見せたまえがチャンタ系らしき鳴き手をしていて迷ったあげく五萬を切った。
「ロン!」テルが手を倒す。ああ、やっちまったかー。
二索三索四索二筒三筒四筒六筒六筒二萬三萬三萬四萬四萬
うわっ、メンタンピン三色!二萬ならハネ満だった。うーむ、八萬なら振らずにすんだし見せたまえにも当たらなかった。えっ?!裏ドラが三萬だって?がびーん、結局ハネ満かよー。がくっ。この手が実ったテルがかろうじて初のトップを取った。で、私がラス。これでやや均等化し面白くなった。

4回目はサブアラドがトップ。そしてラスト半荘となった5回目、私は力をこめてトップを取りに行き目論みどおりトップ、テルがラス。これが響き、トータルでは私がプラス100以上、テルはマイナス80、サブアラドがマイナス20で見せたまえはチャラ。精算はうやむやにせず、ちゃんとテルに出させた。「もちろん払うよ」との言や善し。ここでどうのこうの言い訳して払わないようでは麻雀やる資格ないし、人にも信頼されやしないだろう。

どうやら他の二人も「また打とうか」と言ってくれたし雀力はともかく打ち方は評価してくれたようだ。半荘開始前にちゃんと「お願いします」と一言言ってから始めるし、手つきもきれいだ。それにこいつ、私が30年間なかなか出来ずに一念発起今年2週間以上も練習してやっとどうにか出来るようになった牌の小手返しをスムーズにやってのけるじゃない。「どんだけ打っているのよ」と言うと「別に練習しなくてもいつの間にか出来るようになっていた」だと。↓はその手つきを録画してみた。

ううむ、親子初対決は当然私が親の貫禄を示したのだが、やがてはどうなるか・・と思わせる雰囲気で終わったのだった。

2015年12月29日火曜日

長々と・・

今日は青雲会病院の御用納めで仕事は半日だけ、のはずだったが、昨日の憩室出血患者が再下血したとかで当然大腸内視鏡をする羽目になった。またの出血は痛いが、でもこれはある意味チャンスである。昨日は血が全くなくて大腸のどこが出血源が分からなかった。「今日は絶対に(出血源を)見つけて止血しますからね」と患者さんに言うと、「もう是非お願いしますー」と懇願の態度だった。そう、今度止めねば二度三度どころか四度五度も下血で苦しむことになろう。

挿入して分かったのはS状結腸に多く憩室があるけれど血液付着が上行結腸にまであるので上行結腸付近に出血源があるだろうということ。それで盲腸から1個1個憩室を観察していった。すると10個目くらいかな、あったよ、露出血管が。思わず「よし!勝った!」と言ってしまった。見つかればこっちのものだ。まず血管に直接クリップを掛けた。これだけでもほぼ止血可能だ。でも一旦スコープを抜去しEVLを実施した。ゴムバンドで結紮し根元から壊死させいずれ瘢痕化させる。今年発売の大腸用のゴムバンドはクリップごと締め上げることが出来る(以前は食道用を流用)。クリップが目印になって操作性もアップする、なかなかいい。おいおい、憩室止血が楽しみにすらなってくるぜ。九大元教授の水田先生ここにいらっしゃい(⌒о⌒)。↓はその結紮の場面動画です。

さて御用納めのメインはラブカメ先生の1年総括スライドだ。今後の青雲会病院の目指す方向とかややお堅いものから忘年会などの写真、動画などバラエティーに富んだお話しである。そのスライド材料には私が撮りまくった写真、動画多く使われていてそれを先生がどう料理するのか個人的にも楽しみでこれまた写真に撮りながら聴いていた。そして、ラブカメ先生の話が終わり、私は納めの最後の挨拶をするよう言われており、やおら立ち上がりマイクを握った。すこし緊張していたのかな・・。

「えー、みなさん、長々と・・お疲れ様でした」

ほんのしばらくしてなぜかみんな笑い出した。後でキブンDr、事務のおやまあさんなど多くの職員から「あれは受けた」とか「最後に笑いを取りましたね」とか可笑しかったとの感想を頂いた。どうもラブカメ先生の講話を「長々と(しゃべって・・)」と私がディスったように取れ、そのタイミングが絶妙だったようだ。いやー、そんなつもりで言うはずもないが、みんなは私の一言で疲れが取れたらしかった。はは。

昨日からテル、セージが帰省して家は一気ににぎやかになった。カールの丸焼きチキンも美味しかったし、手作りピザのレベルが上がったとは息子たちの感想だ。そしてお約束のインフルエンザ予防接種も私が病院から自腹切って取り寄せ二人に注射してやった。嫌がっていたが有り難く思えよ。

明日から年末年始の休みになる。しかし31日は当直だが明日は丸1日休み。ということでテルが「一度お父さんと麻雀を打ってみたい」というリクエストにこたえ、明日午後見せたまえ雀荘でサブアラド、見せたまえDr相手にレートは学生並みにしルールは赤ドラ抜きでということで麻雀をすることになった。テルたちは赤ドラはおろか何と一発裏ドラもないルールで打っているんだという。渋い、渋すぎる。まあ麻雀にどっぷり浸かってはないようで少しは安心した。弱いと情けないが強すぎても学業がおろそかでは?と気にしてしまう。さあて、どのくらい打てるのか明日は見せてもらおうじゃないの。楽しみだ。

2015年12月28日月曜日

二度あることは三度ある

昨日の当番医のせいか入院患者が24、5人になった。これはおそらく今まで最高の受け持ち人数だ。昔だったらとてもそんな数の患者を診ることは出来ないと思ったはずだが慣れてきたのかな、ぎりぎりやれるという感覚である。人間、慣れるってすごい。

それでも幸い午前中は内視鏡検査をせずに病棟に専念できたからよかったが、今日は大腸内視鏡が下血患者2人を含む7人もいた。実は昨日時間外救急で2人の大腸を見たところ憩室出血原因は分かるもどの憩室からか出血源が不明だった。血だらけ糞だらけでは見つけるのはほとんど無理ってこと。それで今日は腸管洗浄液を飲用して再確認だ。しかし1人目は逆に全く出血痕跡がなく憩室も50個以上あり見つけられず。2人目もそこが心配だったがこの人は上行結腸に出血痕跡があって見つかった。見つかればほぼこっちの勝ち。クリップもしてさらに新しい止血法のゴムバンド結紮(EVL法)もして万全の止血が出来た。

前にも書いたように大腸憩室出血は内視鏡止血の中でもやや難しい方に入る。それは出血源を特定しにくいからでそれさえ分かれば難しくはない。最近読んだ九州大名誉教授水田祥子氏の「私の履歴書」に大腸憩室出血を2度経験した記事があった。どちらも2週間入院し絶食点滴と自然止血で退院したとある。これなんか最初の下血の時に出血源憩室をつぶせれば再発しなかったはずだが天下の九大病院でも「憩室の数が多すぎて」出来なかったそうだ。以下にその記事を抜粋しよう。

・・私自身、「まさか」と思ったことが1回だけあります(笑)。それは数年前、福岡学園の常務理事の時。腸から突然出血した時。年齢からすれば、「大腸がんじゃない?」と思った。2日間くらいそのままにしていたけれど、出血が止まらないので、九大病院に行ったら、皆が色めきだって、「水田さん、がんだ」とか言って……。痛みもなく、痩せもしないし、お通じはある。内視鏡をしたら、大腸憩室。でもたくさんあったので、止めようがなく、2週間くらい入院して、絶食をし、点滴で過ごして、退院しました。

 それから1年半くらいして、今度はものすごく出血した。いっぺんにガーッとね。今度はすぐに救急車を呼んで、九大病院に行ったら、血圧も50mmHgぐらいに下がっていて、また2週間くらい入院。自分ではストレスがあるとは思っていなかったけれども、日常の仕事に加え、行事も多かった。日曜日に松本で講演があったので、土曜日から行き、日曜日の夜に帰って来た時は、「ああ、疲れた」と思った。翌月曜日に案の定、出血。

この人このままでは3度目の下血する可能性が大だ。実は今日出血源が特定できなかった私の患者も2年前から隼人の病院で2回憩室出血をして止血術できずいずれも自然止血で退院、今度は3回目だったのだ。だからぜひ出血源を見つけたかったのだが・・不安を抱えながらも絶食点滴で様子観察とした。そしてその不安は現実のものとなるのである。(明日に続く)

2015年12月27日日曜日

食べたのは9時・・

今日は久々の当番医で1週間前の日記で速報したとおり大変だった。救急車と多数の一般外来がひっきりなしに来るからカワゼンDrとの二人体制でないとやっていけなかった。最初の気管内挿管が必要な窒息患者にいたっては本来当番でも何でもない信号Drが手伝ってくれ助かった。確か昼ご飯をちょっとした仕事の隙に食べに行ったのが唯一の休憩だった。

それでこのまま夜もかとため息が出たが、その後は比較的平穏で神様はいたわー。しかし準夜帯はソファ寝仮眠し目が覚めていよいよ本格的に寝ようと思ったら、深夜12時過ぎ「蕁麻疹の人が救急で来ます」って連絡が入った。あいた、蕁麻疹くらいで救急車かよとは思ったが、以前も来ていた患者でカルテを見ると、この高齢女性は何度も蕁麻疹発作を起こし、ある時は血圧が下がり意識低下を起こすアナフィラキシーショックも経験していた。アレルギー抗原検査もしていて豚肉や牛乳などに反応がありまさにアレルギー体質、重症化が起きる人だったのだ。救急隊が運び入れ、すかさず診察し、理学的所見をとる。意識はしっかりし血圧も安定していてまずはほっとする。膨疹が体幹に広がり点滴をつなぎ「念のため一晩は入院したほうがいい」と勧め、本人も了承した。

「ところで食事は何を食べたのか」と尋ねると、「野菜とスープだけで肉は食べていない」とのこと。さらに「食事は何時ごろ?」と聞くと「8時くらい」との返答だった。あれ?と思ったのが救急隊は10時頃と記録していた。食い違っているナ。そのうち、患者本人が「クジラの『おば』を食べたのが悪かったかしら」と言い出した。「おば?」何、それ。すると周囲にいた看護師が「ああ、クジラの一部で白っぽいやつですよ」と教えてくれたが私にはピンとこない。それもだけど食事時間が2時間も違う報告をするってよくない。食事が本当に関係しているのかもう一度確かめないと・・。

私「いったい何時に食べたの?8時とか10時とか言っているけど本当に食べたのは何時?」
患者「え・・食べたのは・・クジラ」

ハイ、お後がよろしいようで・・。

2015年12月26日土曜日

ああ、内視鏡グループ忘年会

19時半から山形屋近くの中華料理店「日火炎」でかつての大学内視鏡室グループの忘年会に出た。出るのは3、4年ぶりくらいかな。かつては少なくとも50人以上、最盛期は100人近い出席者がいたものだが大学の研究室がなくなってしまいじり貧で今回の出席者は14人、とほほの数だ。それでも2年前幹事だった山ウソDrが急病で会があるかないか不明で急遽別の店で開いたときはたったの6人しか来なかったというからいずれ消滅する忘年会だなこれは。同期の先生はオキパパDrのみで後輩は幹事の焦が鉄Dr、伊佐市の元坂Drだけだった。まこと淋しい限りなのだがそれでも十分楽しめた。2期先輩のソノマラソDrとも20年ぶりくらいの再会だったし、かしましい病院の元院長ジュンセイDrともまじめな内視鏡や医療の話が出来たり、今年いっぱいでそこを辞める内金Drの次の行き先なども知ったりと青雲や姶良郡がらみの情報しか知らない身には大いに刺激を受け、来て良かったと思った。

21時前にはサブアラドDrから電話があって店のすぐ隣の駐車場に今いるぞというので、オキパパDrともども降りて挨拶に行った。彼はいつもここに車を駐め奥さんと飲食するということで「今夜は日火炎で食べようと思っていたのにおまえたちが忘年会するせいで他に行く羽目になったわ」だって。同期生のオキパパDrとサブアラドDrは20年ぶりの再会で「サブアラド先生、ずいぶん(見た目が)変わったね」とオキパパDrは率直な感想を述べていた。現況でオキパパDrが指宿の医院を雇われではあるが院長をしていることを奥さんが聞き、「あらま、オキパパ先生は院長、こてる先生は副院長、うちの旦那はヒラね」といい、サブアラドDrをぎゃふんといわせていた。ハハーッ。
(↑左からヒラ、副院長、院長です。ちなみにオキパパDrという名付けは、かつてカールが彼を見たときに「まあ、まるで沖雅也のパパ(『日影忠男』氏のこと)みたい」と言ったのが由来です。)

お開きになった後は焦が鉄Drが「先生はふるさと納税を活用していますか?」と尋ねて来た。彼によると絶対に上手に利用すべきで相当お得だと力説していた。聞けば確かにそう思えてくる。ただ何となく面倒に思ってやらずにいるだけかも。カールとも相談して検討してみよ。少ない集まりでも行って良かったよ、ホントに。

2015年12月25日金曜日

チームパーフェクトがぁ

夜は今年最後の串木野トリオボウリングで秋シリーズ最終戦だった。今日のメンバーは海広しDr、アンカーさん。海広しDrは右手の怪我がまだ完全ではないが利き腕でないのが幸いで、1ゲーム目は私はまさかの137(何とスプリット4回)にも関わらず海広しDrが198でチーム得点は209。このスコアでは全敗の危険があったが対戦2チームのうち「ブーゲンビリア」が178の超低スコアに「シニア」も209で同点、望外の45ポイントをプラスできた。

そいで2ゲーム目、レンコンを1ゲームの10フレームでどうにか把握出来た私は初っぱなから飛ばした。なんと7連続ストライク!別レーンで9連続がいて10フレ目で途切れたけれど私も久々ナインコールがかかると自身期待したのだが・・。8フレ目で10ピンが残り文字通り残念。ただ、この10ピンは防げなかったかというとさにあらず。6フレ7フレあたりから10ピンが後から倒れる場面があってそこで微妙に投球ラインを変えなければならなかった。プロや上級アマならいくらストライクが続いていてもあそこで勇気をもって修正するのだろう。実際、3ゲームからラインを少し内寄りに変えたらまたストライクが出だした。後半2ゲームは230、223でどうにかチームに貢献出来た。

3ゲーム目はチームパーフェクトが掛かっていて10フレ私は1投目ストライク。あと2回ストライク出れば・・しかしそこで力が入ってしまう。7本カウントでまたしてもチームパーフェクトはお預けとなった。串木野トリオリーグ参戦して未だ出ていない。そうだ、来年こそは実現可能な目標、チームパーフェクトを目指そう!

2015年12月24日木曜日

ハクブンDr

木曜日、本来は外来だが病棟患者が多く23名越えという過去最高数近くになっていて、外来師長のホントだ君が気を利かしてくれ、午前は病棟に専念することが出来た。しかし油断はならない。今度は内視鏡のムッちゃんNsが「胃カメラが手薄だから」と手伝いを要求してきた。まあ1件、2件だろうと思いきや、行ったが最後結局胃カメラだけでなく今日は内視鏡担当ではないのに非常勤のDrの都合がつかず大腸内視鏡も4件させられる羽目になった。老練なたぬきNsムッちゃんにしてやられたな。

そんな忙しい中、かつての大学内視鏡室の仲間のハクブンDrから電話があった。実は10日ほど前、彼は青雲会病院を見学し非常勤で働くかどうか決めかねていたのだった。で、いくつか気になることを私に相談し、結果来月半ばから来てくれることになった。派遣会社に近々連絡するという。週2回、しかもやや手薄な木金が彼も都合がいいということで即決まりだろう。今日みたいな日は大いに助かるーぅ。

待てば海路の日和あり。

2015年12月23日水曜日

青が切れる

年末の日程を見ると今日の祝日で年賀状を仕上げないといけない。昼から取り組み夕方には裏面がほぼ出来上がった。うんうん、なかなかいい。出来映えはあの「スケート家族」以来か。頑張れたのはこの前沖縄のキョーコ叔母さん始め大勢の人に「年賀状を楽しみにしている」といわれたのが大きい。で、10枚ほど刷ったところで一部インクが切れてしまいそこで中断してしまった。今度の絵は青色水色をかなり使っている。そのせいでライトシアンだけがどんどん消費してしまうのだ。プリントは1色でも使えないとアウト、仕方ない。ネットで注文するも届くのは2、3日後だ、明日カールに買って来てもらおう。

サブアラドDrから電話が来た。「天鳳が大不調で・・」だと。七段のポイントが残り180まで下がってしまったという。(基準は1400点)「もうチャオるわ」と嘆き節だが、いや、それはこれまで何度もあったこと。「丁寧に打てば大丈夫っすよ」と励ました。

私はというと今はとても打つ気になれない。他に仕事を抱えたり心配事があれば麻雀ゲームの結果には即影響する。年賀状が終わるまではそんなのやっとられん!ですわ。

2015年12月22日火曜日

飛び散る汗に揺れる床〜青雲忘年会

夜は青雲会忘年会だった。昨年3年ぶりに復活し今年も城山のエメラルドホールで開かれた。私が引いた席クジは4−8。思わず「フォーティーエイト!」と叫んだぜ。しかもステージ直前の絶好の位置、写真班としては言うことなしや。理事長挨拶、院長乾杯音頭で始まり、サクッと食事を摂って、私は各テーブルに向かった。300人を超える参加者全員をフィルムいやSDカードに収める気合いだ。たくさん写した中で目立っていたのが栄養科の女性陣でみんな和服でビシッと決めていた。和服は新婚のフーコさんも全員おそろいでの写真も何枚も撮った。

今回は一人だけ部外者が招待されていた。詩人の岡田哲也さんである。可愛いんだ理事長の高校の後輩でもありある会社の応援歌の作詞もしてそれを気に入った理事長がぜひうちの病院にも作ってほしいと依頼したんだそうだ。それには病院の雰囲気を知ってもらうのが一番と忘年会に来てもらった。岡田さんといえば以前南日本新聞に連載エッセーがあってそれで私は知っていたがお目にかかるのは初めてだ。ただ写真ポーズは頼むも会話することはなかった。会の終わりに感想を一言を頼まれ、びっくりの奇声を上げた後「今夜は最高でした!」だった。後で聞くと「こんな忘年会は初めてだ・・」と職員に漏らしていたとか。岡田さんが驚き「青雲狂想曲」とも評したのは、宴会のクライマックスでオールディーズバンド「ファニーキャッツ」の演奏に乗って舞台で職員大人数が踊り狂う姿についてだった。バンドの連中も去年のことがあったので今年は途中から引き気味に演奏していた。リーダーが「騒ぐのはいいけど怪我はしないでくれ」と一言注意をするほど。もう「飛び散る汗に揺れる床」状態でその1シーンは以下↓動画で。元教授二人もノリノリです。

もう一つのハイライトは職員全員でのダンス動画「心のプラカード」だ。やっぱり受けていたねー。余興の代わりといってもよく、冒頭のつかみはセンターのこてるDr、眼科「気功の若」Drの半裸、リハビリ男子の安心できないポーズ(センターは毛むくじゃら)、ご老体Dr4人、5階病棟のマチルダ師長以下着飾ったサンタ姿など大いに受けていた。そして一旦終わった後もメイキング・NG集が披露されさらに笑いを取っていた。



私は忘年会で毎年500枚近い写真を撮る。で、電池がいつも足りなくなり去年は3個持っていき大丈夫だった。でも今年はカメラが新しくなり新電池は2個しかなく少し心配していた。ところが2個で十分持った。これはほとんどのシーンをフラッシュなしで撮れたからだろう。PowerShot G7Xは少しの明かりでも明るく撮れる。それでいてノイズも少なく室内イベントには最適だ。一次会で帰宅し早速パソコンに取り込んだがいつもやる人物名付けはやる気が失せた。多すぎて・・。後にしよう。それより明日の休日までに年賀状を作り終えなければ。しかし案の定起き続けることは不可能で寝てしまったのだった。

2015年12月21日月曜日

今さらながら知りました

今さらながら知りましたシリーズ:

「相好を崩す」・・私はずっと「そうこう」をくずす、だと思っていた。正しくは「そうごう」をくずす、だった。

最近知ったのに「依存心」がある。これ、「いぞんしん」は間違いで「いそんしん」が正しいんだって。本当かい?正しく言った方が「え?」て言われそう。同じように思う人が多かったようで、調べると「昭和58(1983)年1月の第961回放送用語委員会で従来の「イソン」に加えて新たに「イゾン」も認めることを決めた」ということだ。だから試験には出ないんだ。

この他、貼付(×はりつけ→○ちょうふ)、間髪をいれず(×かんぱつをいれず→○かん、はつをいれず) 、漸く(×しばらく→○ようやく)、早急(×そうきゅう→○さっきゅう)などが間違いやすい読み方らしい。これらは間違わなかったが「早急」などは間違いの方が受け入れられやすい気もする。逆に「漸く」は「暫(しばら)く」との混同だから絶対に間違ってはいけないな。

2015年12月20日日曜日

ひびくよ単純ミス

(1週間遅れなので今は12/27の夜である。いやー、今日は朝から日曜当直でしかも昼間は当番医、この当番医は久しぶりに当たり、忙しかったこと!昼ご飯を5分くらいでかっくらた以外はずっと夕方まで仕事をしていた。カワゼンDrと二人で担当したがそれでも二人ともずっと仕事をしていたよ。このことは来週の日記ネタだわー)

さて朝から休みでのんびり過ごし夜はいよいよ年賀状の仕上げにかかろうと構えていた夕方5時頃、病院から電話が来た。入院患者の誰かが具合でも悪くなったのかと思うも、それどころの話しではなかった。なんと、夕方からの当直者が誰か不明だというのだ。予定表では第一外科のDrが朝から引き続き当直するとなっていた。ところが一外科Drが「夕方までの約束のはずです」とのこと、そこで当直作成者である私に確認の連絡が来たわけだ。急いでプリントされた当直表をみた。そこで私は自分のミスに気付いた。自分が作成した手書きの当直表をさらに取り出すと・・本来は夕方からポンシンDrが当直に入るはずだったのを私がパソコンに入力するときに間違って一外科Drのままにしていたのだ。がーーん!

今さらポンシンDrに「本当はあなたが当直です」って言えるわけがない。先月、みんなにそれでよいかとDrらに打診して正式に職員に通達するので間違っていた私が悪いのだ。こんなミスは初めて。おっとそんなことグチっても始まらない。急いで当直仕度をし病院に向かった。

当直はそんなに忙しくはなかった。だからといって年賀状に取りかかる気分にはなれずそのままベッドに・・あ、シーツが前任者のまま代えられていなかった。これも当直表に従って行われるから当然のことだった。ああ、単純ミスは我が身にチクチクと痛みを与えるのであった。

2015年12月19日土曜日

「青春の影」のKさん

朝は仕事がなかったので得意(?)の夜更かしで年賀状作りに励んだ。12月中旬に賀状作りを始めるのは久しぶりで、やればあっという間に骨格が出来、さらに課題だったゲンちゃんの「〇〇〇姿」がほぼ完成した。カールに見せると笑い出した。うん、受けてる。これはいい。これが出来ればあとは時間さえかければ出来るはず。今度は毎年恒例の年賀状でバタバタにならずに済みそうだ。「やってみな」と言いきかしただけのことはある。

午後からはちょいと久しぶりに麻雀で、面子は夕方まで福祉茸君、その後はダイボDrと交代であとはいつものメンバーだ。で、結果はというと、見せたまえDrの猛烈台風が吹き荒れこの面子での麻雀始まって以来の大勝となった。きっかけは見せたまえのドラ暗刻リーチをしたら4枚目が来て槓するとそれも槓ドラで親の倍満確定、これに福祉茸君が追っかけリーチで出した5索がロン牌で裏ドラも3枚乗り親のトリプル3万6千点でドボン終了の一局だった。マイナス90でどうにか被害を食い止めた福祉茸君の代わりに入ったダイボDrはさらに被害が大きく一度も浮きはなし、サブアラドDrは2位3位が多く一度もトップなしで二人ともマイナス200の大負け。私だけが時々トップをとり少々の浮きで被害を被らずに済んだ。
今年後半の見せたまえDrの強さは特筆もんで、雀荘で打っていたころ一番の負け組だったのに自分の仕事場を雀荘にしたら勝ち組筆頭になった。そうそう、今日も予定外の外来患者が来て5、6分程度席を外したが、以前だったら落ち着いて闘牌出来なかったはずだ。その辺の落ち着きが打ちっぷりにいい影響を及ぼしているのは間違いない。来年もここ見せたまえ雀荘での闘牌が続く。今回のようなことにならぬよう対策を立てないといかんなぁ。

昨日の夜、録画しておいたBSジャパンの「あの年この歌」でチューリップの「青春の影」(1974年)が取り上げられていた。なかなか渋い選曲だ。チューリップだったらブレイクした「心の旅(♪あー、だから今夜だけは気味を抱いていたーい)」(1973年)か後にドラマの主題歌になり現在では一番人気の「サボテンの花(♪ほんの小さな出来事に愛は傷ついて)」(1975年)あたりを取り上げるのが普通なのにねえ。チューリップがアイドルバンドとして捉えられるのを嫌いスタッフの反対を押し切ってシングル化した作品でやはり当時はそれほどヒットしなかった曲(オリコン46位)である。姫野達也が歌うとヒット、財津和夫が歌うと売れないという公式が当てはまっていたころの作品だ。ちなみに「サボテンの花」も当時はそれほどは売れなかった(オリコン19位)。で、この曲はそれもだけどビートルズの「The Long And Winding Road」をパロっていると私がカールに言うと、なんと番組でも財津自身が「その曲をモチーフにしている」とはっきり言明していた。今ではアンケートを取ると姫野が歌ったアイドル調ソングは軒並み人気を下げているのにこの曲はチューリップベスト3に入りカラオケでは2位という安定した人気を保っている。

さらにこの曲には思い出がある。中学卒業式の日に突然、2学年下の女子(仮にKさん)にプレゼントだとチューリップのアルバムをもらい、「このLPの中でも『青春の影』が好きなので聴いて下さい」とのコメントが手紙にあった。そのKさんは半年ほど前の文化祭の演劇でたまたま知り合っただけでそれっきり何のつきあいもなく(特に興味もなく)過ぎていたのだったが私を好きだったようだ。で、これがきっかけで付き合うようになったというとそんなことはなく顔も見ないまま高校生活に入っていった。レコードも渡したのは彼女の友だちで会わずじまいだった。ただこのレコードのおかげでチューリップをまともに聴くきっかけにはなった・・。

その後、高校3年のころ、突然学校に「龍の玉高校」の女生徒が来て私に会いたいと言っていると聞き、会ってみた。見たこともない女子だった。「あなたがこてるさん?」と言う。「そうだ」と答えると「私の友人のKがあなたのことばっかし言うんでどうしても見たくなって」という。へー、驚いた。とっくの昔に終わった(無視していた)ことだと思っていたのでね。で、それがきっかけで連絡するようになったかというとさにあらずで私は何のアクションも起こさず受験勉強に励んでいた。

さらにその後、私は大学2年になっていた。ある日、突然栃木から手紙が来た。Kさんからだった。これには心底驚いた。読むと、家の事情で栃木に引っ越すことになり家の手伝いをしながら高校生活を送っているという。他はどんなことを書いていたかは忘れた。で、返事を書いて連絡するようになったかというと、少し迷ったが結局出さずに終わり、それからぷっつりと連絡は途絶えた。後にこのことを周囲に話すと、その子が可哀想だという意見が多く、私も返事くらいはしたほうが良かったかなと少し反省した。でもチューリップのアルバムをもらう前から顔も見ていないし、5年以上会わなくても手紙が来る相手にリアクションするとどんなことになるだろうとビビってしまっていたのだ。

「青春の影」の歌詞は出だしがこうだ。
♪君の心へ続く長い一本道は いつも僕を勇気づけた とてもとてもけわしく細い道だったけど 今君を迎えにゆこう・・
https://www.youtube.com/watch?v=wr9SuA_BUZQ
うーん、ザ・ロングアンドワインディングロード。その後Kさんはどうなったのか。幸せに暮らしていて欲しいと思うこの頃だ。

2015年12月18日金曜日

今はまだ李氏朝鮮の時代か

結局無罪になった「韓国地検による産経新聞支局長名誉毀損起訴事件」の裁判について一言言いたい。結果は当然としても、その前に韓国司法の異常さについてだ。検察が産経新聞の韓国支局長を起訴したそのものが口があんぐりの行為だよ。韓国の司法は李氏朝鮮以来の王様(現代では朴大統領)への批判は許さない、許されないという意識が抜けきれないようだ。それに産経新聞だけを狙い撃ちしたような起訴もおかしい。何で元記事の挑戦日報の記者はおとがめなしなの?それになんであの記事が悪い。名誉毀損が何だ。朴大統領は権力者だ、マスコミには批判されて当然の立場にある。マスコミが批判を恐れて何も言わない社会はどんな恐怖が待っているか、戦前の日本、ナチスドイツ、共産独裁のソ連、偉大なる将軍様の北朝鮮を見れば分かるでしょ。マスコミは王様(軍部、総統、総書記、将軍様)を批判することはなかった。事実に反しない嘘っぱちの与太記事なら朴大統領が堂々と反論すればいい。ここがおかしいのだが、検察が王様の機嫌を忖度(そんたく)して代わりに起訴したような印象を受ける。日本に限らずアメリカ、フランスなどのジャーナリスト組織からも言論の自由の危機であるとの声明が出たのは当然だろう。

韓国国民は何百年も続いた儒教国家とその教えが骨の髄から抜けきっていない、それがよく分かった一件だった。

2015年12月17日木曜日

やってみな

貴重な平日の休みをどう過ごそう・・外出して何か遊ぶことは考えられなかった。一つには年賀状作りがある、それに録りだめしたビデオも見て消していかねば。

今度の日曜で最終回を迎える「下町ロケット」が3週分溜まっている。これを一気に見た。原作があの「半沢直樹」といっしょでドラマスタッフもいっしょなので面白い。何よりテンポが早くだれない。善悪がはっきりして窮地に陥る善が最後は悪に勝つ大衆受けするストーリーで、悪役たちがまあ憎たらしい、でも最後にぎゃふんといわせる手法だからすかっとする。視聴率がいいのも納得やね。さあて次は何を見る?いいや、ここは年賀状に向かわなきゃ。カールはお歳暮のお礼に絵手紙を描いている。私もゆったりばかりはしていられない。

来年の年賀状のアイデアは前に日記に書いたが朝礼発表を考えている時にひらめいた。最近あっさり作ってコラージュも少なめだったので今回はみんなの期待に応えられるようなのを作る。この前沖縄のおばさんが来鹿したときも「毎年こてる家の年賀状は楽しみにしている」と言われ、他にもそのように聞くのでならばきちんとやろう。今回のテーマにふさわしい画像をまずはネットで探す。でも今一いいのがない。それで似たようなテーマで別画像のものを使うことにした。うん、なかなかいいぞ。背景画像は自分で撮ったのがある。おお、どうにか上手くいきそう。やる前はどうなるか少し心配だったけど、まずは手を付けてみることだ。そうそう、少し先の将来をいろいろ心配している人に一番良いアドバイスはこうだ。

「まずはほら、やってみな」

やらずにうだうだ悩んでいることってすっごく多いんだヨ。

2015年12月16日水曜日

働く者

一時期少なかった病棟患者が増え、私の受け持ちも徐々に増え、ついに20名近くになってしまった。それに明日が休みの予定なので仕事も積もり忙しいことこの上ない。

そんな中で夕方の大腸内視鏡憩室出血の治療は上手くいき内視鏡医らしい仕事が出来て満足だった。大腸憩室は出血源特定が難しく完全止血まで持っていけるのは半々で自然止血を待つか、クリップを掛けて止めるかだが、今回はEVLデバイスを用いる方法でしっかり止血出来た。憩室を丸ごと結紮ゴムで縛り上げ粘膜壊死させ止血に持っていく方法で何年も前から試してはいたが、食道静脈瘤用の器具を借りてやっていたので今一上手くいかないことが多かった。最近、大腸専用器具が出たと聞き、ついこの間注文したばかりで、それが早速役立ったというのも良かった。

18時過ぎてから別の救急紹介患者が来て時間外内視鏡をする羽目になり、さらに帰宅が遅くなったものの、医師としていい仕事できたと思えれば多少のことは気にならない。青くさいかもしれないが、人の役に立っているという実感は働く者にとって最も大事なことだと思う。

2015年12月15日火曜日

こてるカード

今日は入院患者3、4人が状態悪化(気管内挿管)、癌判明、透析開始など重大な判断を下す場面が多くストレスを感じた。さらに貧血患者入院など忙しく、17時からの七五調病院でのICT会議に間に合うかぎりぎりだった。病院を出たのが16時15分過ぎ、国道では間に合わないと踏み、高速を利用し、どうにか間に合った。

18時前には無事会議も終わり、難ガターさんともども国分スターレーンで久々のボウリング練習と相成った。いつものMR連中(スリウェル、タナカッツ、エナ餓鬼)も来て今年最後の練習、そして国分アシビーでお食事(忘年会代わり)をした。ダブルスでは難ガター、タナカッツ組対スリウェル、エナ餓鬼組の対戦となった。私は一人余るのでこういう時は臨時で投げるこてるカード役で1ゲームにつき2回代投出来るルールにしている。

1ゲーム目は難ガターチームが難なく勝利した。2ゲーム目も難ガターチームが有利になり4フレ目で40ピン近い差だった。どうにかスリウェルチームは4フレ、5フレ目にダブルで反撃のチャンスをうかがった。そこで彼らは6フレ目を私に託した。ここはどうしてもターキーが欲しいということだ。その期待に応え私は見事ストライク!えへへ、どんなもんだい。すると7フレ目も私に投げろという。ええ?!・・そうか、4連続ストライク(ハムボーン)を出せば一気に逆転できるって魂胆か。ちょっと驚いたがやってやろうじゃないの。そこで期待に応えまたもストライク!ここで逆転だ。

対して難ガターチームは慣れないスプリットを私に託したりとこてるカードの使い方が今一だった。しかも9フレの10ピンスペアは私に委託すればいいものをカードを切ることすら忘れていた。結果12ピン差で負け、結局2ゲーム合計で引き分けに終わった。スリウェル君らの作戦勝ちだったね。

アシビーでは鳥刺し、唐揚げ、角煮、卵焼き(私が必ず注文!)、焼きラーメン(難ガター必ず注文)、シュウマイなどなどいつものメニューを摂りつつ、私を中心としたボウリング同好会のミニ忘年会は過ぎていった。

2015年12月14日月曜日

自分で買うならそれ重視

午後は北山診療所に出向いた。3ヶ月ぶりでそういえばその前も3ヶ月前だった。梅雨の時期、彼岸花の時期、そして今は・・苺の時期だった!
というのもついこの間青雲会病院を退院したばかりの北山の高齢女性が受診に来て「お礼にぜひ」と息子夫婦が作っている苺を持って来てくれたのだ。
「北山って苺の産地なの?」「いいえ、その家だけが唯一作っています」と職員の話しだ。「帰りの道に販売所がありますよ」とのこと。へー。(↓が小さな販売所です)

帰宅後、箱を開けるとこれがでっかくて立派な苺。食べるとカールは「あー、甘すぎずこれ好みだー」「うん、美味しい」「私は『あ〇おう』よりこっちがいい」とのこと。「紅ほっぺ」という品種だった。9粒で780円する。「あま〇う」はこれよりまだ高いがこっちが好みなら安くていいね。しかも780円はそこの最上級品で次のクラスは600円、そして帰りがけに見たB級品(傷物、奇形品)は450円だ。味は変わらないから自分で食べるならそっちかな。

贈り物は一級品を選んでも自分にはコストパフォーマンス(CP)を重視。思えば買う物たいていそうだ。そのシリーズの最上級グレードは買わない。今自分の目の前にあるTV、ビデオ、パソコン、カメラ、冷蔵庫、レンジ、そしてこの建て家も。そうそう、注文し来月やって来る新型プリウスも当然最上級グレードのAプレミアムではない。おーい病院の泣かん薗Drは「自分は最上級グレードを選ぶことが多い」と言っていたが人それぞれ。私のこの指向性は多分今後も変わらないだろうな。

2015年12月13日日曜日

銀杏

夕方、カールと山形屋で「ズボン」を買ったあと、天文館から中央駅まで歩いた。その際、天文館通りの二つのドラッグストアに立ち寄り、今使っているシャンプー&コンディショナーを買った。実は最初の店で私が「安いから買おうよ」と主張するも、カールに「いいやもう一つの店を見てから」と言われ寄ってみると、特売でさらに安い値段で売られていた。私も日頃姶良のコスモスで買っているので最初の店でも十分に安いと思ったのだったがー。さすが!

甲突川沿いに銀杏(イチョウ)が植えられていて黄葉がきれいで写真に撮った。いつもの年より落葉が若干遅いようだ。「銀杏の葉には雄と雌があるって知っていた?」とカールに聞かれ「ああ聞いたことがある」とは答えたがどっちがどっちまでは知らない。調べるとそもそも木が雌雄あって街路樹はだいたい雄の木なんだそうだ。ギンナンがたくさん落ちれば臭いがきついからだろう。以前品川のホテルの近くではギンナンがたくさん落ちていて信号待ちの間その臭いにびっくりしたものだった。

銀杏でいえば姶良の若宮神社に1本大きな木がありよく見に行っていた。最近では垂水市の千本イチョウ園が有名だ。本当に千本以上銀杏の木が植えられていてシーズンを迎えるとあたり一面は黄金色に染まるそうだ。残念ながらまだ行ったことはない。今年は?それも残念ながら10日の風雨でほとんど散ってしまったとのこと。うーん、来年は見に行ってみようか。

2015年12月12日土曜日

がんないがんない

今月から土曜外来はDr3人体制に戻った。やはり3人だと通常外来業務や救急車対応、病棟対応など余裕があって仕事をしやすい。

80才代女性でかなり痩せた患者の診察を終えた後、私は付きの服緑Nsに「あんな人を鹿児島弁で『がんないがんない』って言うんだよな」とつぶやいた。すると、「なんですか、その『がんないがんない』って」と答えるじゃないの。服緑さんは確か40才代のはず。えーー知らないかなぁ。痩せこけた人のことをそう表現するのだが。信号Drなんかよく使っているよ。私は近くにいた看護師連中に「がんないがんない」を知らないか尋ね回ってみた。すると40才前後より下はみんな聞いたこともないという。50才過ぎの連中は知っていた。まあ、私もそう使う方ではないが、聞いて意味はすぐに分かる。方言の衰退は今に始まったことではないが、全国的にもよく知れた鹿児島弁も急速に消えつつある気がしてならない。

昼休みの病院廊下で「ささやか薬局」の福祉茸薬剤師とばったり会った。「最近、麻雀のお誘いがなくて・・」と言われるも、そこそこ打ってはいるのだが結構面子は集まるため彼をなかなか誘うまではいかなかった。今週は明日も仕事があるので無理だ、来週ならなんとかなるかも。待っててナ−。

午後は夕方まで居残り日直だった。何台か救急が来た中で私と同世代で腹痛訴えの男性は当初急性腸炎くらいだろうと予想して救急外来に降りた。しかしお腹が柔らかい割には痛がるし下痢もなく蠕動音も強くない。午前中別のクリニックも受診し点滴も受けたという。案外たいしたことないのか・・。こんなときはさっさとCTを撮ってしまえで、撮影してみると、どうも絞扼性イレウスっぽく見えた。だとしたら救急手術が必要かも。午前外来を終え帰ったばかりの信号Drに悪いが携帯連絡し病院に来てもらった。彼が診察、腹部エコーなどし、結局夕方から救急手術となった。やはり放置出来ないケースだった。ちょうどそのころ引き継ぎの院外Drの高了先生が来られ、私は帰宅出来た。いや、当直でもないのに外科の先生は大変だわ。

2015年12月11日金曜日

タシケント自己最高

昨日夜はT-MAXでボウリング練習だった。久しぶりにタシケントMRが参加した。「夏以来投げていないんで心配です」と殊勝なことを彼は言っていたがとんでもない、何と自己最高をマークしたのだ。166、177と来ての3ゲームめ、序盤からストライクが続き、5ゲームめにビッグ4が出てミスるもそこからまた連続ストライク。10フレ1投めまで5連続で251のハイスコアだった。スマホに記録しさすがに喜んでいた。そのシーンと10フレストライクでドヤ顔無双のタシケント君を↓でご覧あれ!



で、今夜は串木野トリオリーグ。手の怪我で休んだ海広しDrの代わりにタシケント君が参加した。それで昨日の勢いさながらに大活躍・・とはいかなかった。この前の私がそうだったようにレンコンがかなり違うためしっくりいかず、149、180、187でかろうじてアベ170アップしただけだった。まあ、これがボウリングってことだ。↓はフォームは変わらないのに串木野ではストライクが出ない様子。

そうそう、ゲーム前に前回パーフェクトを出した「さあいっど」さんにパーフェクト動画のUSBをプレゼントした。まず「この前はパーフェクト、おめでとうございます」と声かけると相好を崩したところで「これはパーフェクトの瞬間を含んだ8フレからの投球動画でプレゼントしますよ」と言って驚かした。いや、そうですか、そうですかと素直に受け取ってくれたけど、間違いなくあれは家宝になるね。家人友人他人みんなに見せて回るはずでっせ。いいことしたわ、きっと(⌒о⌒)。

2015年12月10日木曜日

青雲太郎氏

昨日は当直だった。で、今日は休み。これは今週土曜が勤務のための代休である。

昨夜は大変だった。TVニュースや今朝の新聞にも載った交通事故死の患者が搬送されてきたからだ。すぐに気管内挿管し心臓マッサージや昇圧剤など使うも全く反応しない。家族との連絡もつかないまま私は30分で心肺蘇生を打ち切った。残念だがこれ以上は無理だし無駄でもある。で、救急隊も引き上げた後が大変だった。いかんせんこの患者さん、名が不明で車検証持ち主の名前からある程度推測つくものの確定に至らなかった。警察も交え車検証持ち主の家族親類などへの連絡先を調べてもらうも見つからないとのことだった。

それでも電カルに記載はしなければならない。仮名として「青雲太郎」の名で書き進めた。外傷が死因の誘因であることは確かだが事故原因の究明のためにも採血しておく必要があり、みんなで採ろうとするも静脈、動脈全く引けなかった。心臓穿刺までしたのだが・・。死後CTを撮りたいケース、しかし同意が必要な家族、関係者が見つからない。そのうち疲れで私は診察室の椅子で仮眠していた。
ふっと起こされた。当直看護師のピラ健君が「警察(検視役)が死後CTを撮って欲しいって言っています」とのこと、おお、それはOK、さっそく撮ろう。そこで得られた結果、青雲太郎氏の死因がほぼ特定出来た。なぜ心臓穿刺もできなかったのかも納得できた。氏名も判明したが県内には親族がいないらしいとのこと。霊安室にしばらく置かれることになった。今朝までまだ引き取り手が来ず、外来師長に警察と連絡してはやく引き取ってもらうよう指示した。亡くなった後も青雲太郎氏は孤独であった。合掌・・。

2015年12月9日水曜日

「隆起性」病変

午前の内視鏡検査でラブカメ先生より胃癌検診の精査依頼が来た。ラブカメ先生は電カル文字入力の誤変換が多い、これは院内職員の多くが感じていることじゃないかな。

「胃の検診(バリウム)で胃の留置性病変指摘された。胃カメラへ。」

ははは、相変わらずやなぁ。「隆起性」を間違って入力しおる。検査前に私は正しい表現にして書いておいた・・・つもりだったが、後で見てビックリ!以下のように書かれてあった。

「胃の猟奇性病変」

たたりじゃ〜。

2015年12月8日火曜日

真珠攻撃

12月8日って何の日?

こんな質問をされて、ハテ?と考える人はあまり物事を深く考えずどちらかといえば幸せな人だろう。若くて芸能通の男性なら「AKBが始まった日?そうだ、今年は12月8日でちょうど10周年、そうでしょ」と答えるかもしれない。また、中年で洋楽ファンなら「ジョン・レノンが暗殺された日だったですかね」と答えるかもしれない。

しかし元鹿大産婦人科教授でのち鹿大学長になった永田行博先生は「この日を知らないで学生とは・・」と無知なることを学生に叱り嘆いていた。そう、昔の日本人なら知らない人はいなかったはずの「日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した日」通称真珠湾攻撃の日である。終戦の日の8月15日はみんな知っているしマスコミ等でもしょっちゅう話題に上るが始まった日もそれ以上に大事だと永田先生ならずとも思う。なぜに日本はこの日を迎えてしまったのか、いわゆる戦後はそれを反省、今後に行かすための時間だった。

5F病棟でそこいらにいる看護師らに尋ねても開戦記念日はおろか、ジョン・レノンもAKBもこの日がターニングポイントだと知っている人はいなかった。ただマチルダ師長のみがこう言っていた。「先生、見ましたよ。『真珠湾攻撃』ホホホ」と苦笑いなのかニヤケ笑いなのか、えらく反応していた。うん?

そこでハタと気がついた。私は本日某病院から転院してきた某男性患者に偶然見つかった下腹部某所のCTを撮った結果をカルテに記載していた、そのことを指してのことだったと思われる。以下に画像を示す。それは某所に埋め込まれたかと思われるいくつかの小球の断面図であった。ざっと数えて12個はあった。目的は・・・知らない。ただ、マチルダ師長の言う「真珠湾攻撃」が今日の記念日のことを言っているのではないことは確かのようだった。

2015年12月7日月曜日

KHP杯とは

朝礼で外来のネークチダ看護師とリハのイボ組区さんがKHP杯優勝を報告した。KHP杯とは春と秋の年2回ある県内の病院対抗バレーボール大会のことだ。実は今回は何と初優勝!68回目苦節34年にしての快挙であった。この大会に優勝するのが可愛いんだ理事長の悲願でだいたい強いのが大隅の病院でオグラアン病院やハルヒ会病院などがよく優勝していた。今では鹿児島市内の南のプー病院や今きれい病院、鹿児島説教病院なども参加しているが姶良郡と大隅が中心でその2ヶ所で交互に大会を開いている。かつて可愛いんだ理事長は姶良郡内のおーい病院だったか強力なライバルに勝ちたくてバレーボールのうまい看護師や職員をよく採用していた。極めつけは看護師募集に「アタックの出来る看護婦求む」とアピールしてムック本「VOW」にも可笑しな求人広告として紹介されるほどだった(かつてのこてる日記でもネタにしたことあり)。

KHP杯は9人制でみんなが楽しめるようにいろいろ制限がある。まず男子は3人までしか入れない。しかもスパイク禁止だ。従って女子で「アタックの出来る」人がいると有利になる。可愛いんだ理事長が望んだのもそこにある。伝統的に青雲会病院のバレーボール部員には背の高い人がいない。女子で170cm以上はいないのじゃないかな。で、拾って拾って拾いまくるレシーブ中心の試合運びになる。最近元バレーボール部員など増えてきて結構上位進出するようになっていた。でもたまに決勝まで行くもオグラアンにやられてというパターンが多かった。今回はそのオグラアン(前回優勝)を破っての優勝で大したものだ。時間が押していたので理事長の言葉は聞けなかったがきっと喜んだことだろう。

ところでそのKHPの意味は、多くの人が気にとめていないか勘違いしているかのようで、以前も書いたがここできちんと正しておく必要がある。というのもある大隅の人の3年前のブログで「スポーツフラッシュのコーナーは、KHPバレボール大会のレポート。KHPとは「鹿児島県病院なんちゃら」らしい。決勝戦は鹿屋の病院同士だったのかな?優勝はオグラアン病院ということで・・」と書かれたり、また別の4年前の女性ブログには「6月19日(日)、串良平和アリーナ他でKHP(鹿児島の病院)バレー大会春季大会が開催されました」と書かれてあるのを見たからだ。由来を知らず字面(じづら)から「鹿児島の病院」と思われがちだが違う。青雲会病院の設立当初の名前である「可愛いんだ(K)病院(Hospital=HP)」の略なのだ。可愛いんだ理事長が立ち上げたバレーボール大会でいうなれば青雲会病院杯のことだった。その昔可愛いんだ病院と大隅のシンガポール病院との対抗戦が最初でそれが姶良と大隅の諸病院の大会に広がり今や鹿児島の大会になりつつある。今回その本家たる病院がやっと優勝出来たということだったのだ。いやー、めでたし、めでたし!

2015年12月6日日曜日

シッタカブリ

昨日、歓送迎会から帰宅した直後カールに「うわっ、すっごいニンニク臭い」と言われた。「へー、自分では全く気付かないよ、それにみんなも何もそんなこと言っていなかった」と答えると、「みんなで食べていれば気付かないわ。さ、早く脱いで、そしてダウンジャケットはこっちの部屋に干して」とまるで汚れ扱いだった。「最近は無臭ニンニクを使うことが多いのにそこの店は中〇製を使ってたに違いないわ」と言われた。

ニンニク臭いのはある意味当然で、店は姶良でこぢんまりとやっている「おっぱちゃん」という韓国料理屋だった。そうそう、入った時に店の人に「アニョハセヨ」と挨拶したら「アニョハセヨ」と返してくれた。きっとマスターか美人の店員さん、もしくは両方韓国人と思った。幹事の光鳥Nsに聞くと「マスターが韓国で料理覚えて帰国した。女の人は韓国人らしい」とのことだった。しかし、その女性の日本語は完璧でこりゃまたずいぶん早く上達したもんだとびっくりで、私は料理を受け取る際に知っている韓国語で「きれいだ」を意味する「イップダ」と彼女に言ってみた。でもそれに対しては特に反応はなく肩すかしをくらってしまった。↓は、目隠ししてもおきれいなのが分かるでしょ。

その後、会もたけなわ、村紘Drとカウンターで話し込んでいる時に、マスターと彼女に韓国にどのように行ったかいつ来たのかなど尋ねてみた。すると、二人は兄妹で純日本人だと判明、えーーっ!だ。発音が完璧なのも当たり前だ。またしても私は相手を韓国人と思ってシッタカブリの韓国語を使ってしまったわけ(2015/11/18「ケンチャナヨ」参照、この時は中国人)。うう、いつになったら韓国語はうまく伝わるんじゃい!

2015年12月5日土曜日

ここプラ動画&外来歓送迎会にて

せっかくだから「ここプラ」内視鏡室バージョンの練習風景動画をアップしておこう。これ、後半の手を叩くシーンでは私だけ微妙にテンポがずれている。それがイヤされるぅとスタッフの弁だが、何だかネー。

昨日の夕方は姶良の警察署から警官二人に来てもらい、暴言、暴力患者へのロールプレイイングを通じての対策講座をしてもらった。二人で患者対受付の演技をしてもらい、その患者役がハマっているというか、あんた実際に脅迫めいた要求したことあるでしょと言わんばかりだった。警察官ってヤクザの物真似がうまいのは聞いていたがまさにそう。相手する側は相手に自然似てくるんや。

今日の土曜は朝から休み。午後は仕事帰りのサブアラドDrがひょいとうちに立ち寄った。「ゲンちゃんに会いたくてね」と言いつつもわざわざ吉野のパン屋「サンキュ」からちくわパン、バジルペーストパン、チョコワッフルなど買ってきてくれた。こういうのは忘れないタイプなんだよね。カールの好みのパンでもあったしー。ゲンちゃんを撫でつつ、カールのいれるコーヒーが美味しいとよく飲んでくれる。それって特別なものではなくコスモスで私が買ったコーヒー会社「ウシシ」の「職人の珈琲」なんだけどな。

夜は姶良であった青雲外来の歓送迎会に参加した。そこで10月から赴任した眼科の「気功の若」Drや70代のおじいちゃん先生村紘Drらと突っ込んだ話が出来た。二人とも机は私の隣同士だけど日頃はさほど会話することはない。飲み会ならではだった。特に村紘Drとはかつての私の同僚Drの一件で大いに盛り上がった。その彼は先生がかつて某病院長時代にもっとも印象に残るエピソードを残したDrだったのだ。一次会が21時過ぎにはお開きで先生は自宅に帰らねばならず話は持ち越しになった。まだ話したそうだったのが印象的。また今度ですね。

今、デジカメはPowerShot G7Xが修理中のため、以前のメイン機種だったPowerShot S110を会に持っていった。ところが村紘先生と会話している最中に不意に「レンズエラーを検出しました」とのエラーメッセージが出てレンズが収納できなくなった。何度か電源を入れ直すが上手くいかない。なんと旧機も故障してしまった。がーん。もうこの機器までは修理する気になれない。値段も相当かかるしー。故障は今の使い方を思えば当然かも。毎日撮らない日はなく使い込み過ぎている。ああ、早くG7Xが帰ってこないかな。デジカメは2、3年も経つと新機種が便利でやっぱりいい。今回古いのを使ってそう実感した。デジタル機器の進歩はそれだけ早い。今回のG7Xでは3年保証、5年保証は申し込まなかった。そうまでして古い機種にこだわる必要はないからだ。S110は十分に役目を果たした。お疲れさん!

2015年12月4日金曜日

残念なお知らせがあります・・

昨日は急な新聞ネタで終わってしまったが他にもおもろいネタがあったんだ。まず仕事があらかた片付いた夕方、「ここプラ」のビデオ撮りがあった。私は言われるままダンスをしたのだがなぜかテンポが遅れたりタイミングを間違ったりでみんなに笑われた。どうもその辺がおじさんなんだ。でも笑顔だけは負けなかったゾ。下に最初のポージングだけ載せておこう。

夜は恒例の高校ミニ同窓会が天文館の「漸増」であった。メンバーはみんな勝手知ったる奴ばかり。しかしちょっとだけ久しぶりだったのがマサノブで実は彼はアルコール依存症なのである。それは重々本人が分かっていて昨年の7月からきっぱり酒は断っている。私が依存症患者にいつも言う「アルコール依存症患者にとってのコップ1杯の酒は覚醒剤患者の覚醒剤注射1本と同じだ。1杯くらいはいいなんてあり得ない、注射1本くらいならいいでしょうとは言わないのと同じこと」を彼も身に染みて分かっていた。だから私たちが酒を飲んでもずっとウーロン茶でちびりちびりやっていた。ちょっと酷のような気もしたが今回の言い出しっぺは彼で幹事も彼だった。

東京の会社勤めをしていたころ、アルコールが止められなくなり、病院受診し即入院、断酒施設に夜だけ入所していたころは山谷の労働者、生活保護で酒浸りの患者などいてまともな会社員は彼一人だけだったそうだ。で、行ってみると先生がたまにこう言うのだと。「今日はみなさんに残念なお知らせがあります・・」それはつい昨日までいっしょに語り治療を受けていた仲間が永遠にいなくなった報告だった。その原因はほとんどが自殺だったという。自分はそうはならない、そう誓ったはずだがアルコール依存はそれくらいでは簡単に治らない。それから帰鹿して彼は何回も入退院を繰り返している。今回は1年半ほど断酒出来ている。好漢マサノブだけにずっと継続してほしい。残念なお知らせだけは我々も聞きたくはないから。

2015年12月3日木曜日

速報!こてる先生、南日本新聞に載る!

本日の南日本新聞に私が載っていると信号Drから病院医局スタッフに連絡があり、本日午前は休みのイヤまだ新妻が新聞見て気付き、彼にメールが来たそうだ。開いた瞬間、ぱっとオーラを感じすぐに私に気付いたとか。
私は知らず、ブックリバーDrが見て確かめ外来の私にピッチで連絡してきた。「え?何の記事で私が載るの?」と問うと「いやー、ぜひご自身で確かめて下さい」というので医局に戻ってみた。見れば社会面27ページに国民文化祭のまとめ記事がありその代表として宮之城であったゆるキャラ&大鍋フェスタの写真がありそこに確かににばっちし写っていた。あのメロン熊によってたかっているときのやつだ。↓
いやー参ったねえ。この時は全然気付かなかったけれど、後で写真を見直すと確かに背後から台に乗っている女性カメラマンがいた。↓
写真を比較すると、私が手前のソフトバンクの帽子かぶっているガキンチョを追い越して噛まれに行っているのが分かりマス。

いやはや医局でポンシンDrに「せんせい、163万人の1で写るなんてすごいですね」って言われたけどそれってすごいのかけなされているのかよう分からんかったっすよ。