2015年2月28日土曜日

まかして止血

土曜の内科外来は今日はブックリバーDrと二人体制だった。そんなに忙しい気もしなかったが・・。途中からブックリバーが緊急のERCPを実施していてそれが私にヘルプの連絡が入った。ERCPに私が呼ばれることは滅多になにのにどうした?実は十二指腸下行脚に動脈出血を生じ止血をしてほしいとのことだった。彼も内視鏡止血を試みたがうまくいかないという。見れば確かにドクドクと動脈出血がある。いそいで検査着に着替えることもなく鉛の入った防護服を来て交代したまではよかった・・。

ま、だいたい他のDrがうまくいかないのに私がさっと魔術のように処置、解決出来るわけがない。それなりに難しい理由があるのだ。クリップ法、ソフト凝固法ともにうまくいかず基本的なHSE(高張エピネフリン)法を試すがすぐには止まらない。通常の胃カメラと違い側視鏡なので勝手が違う。思いきって直視鏡に替えて試した。そんなこんなで気がついたら2時間を過ぎていた。もう肩も凝るし汗はかくしー。患者は高齢女性で貧血も進行してたのであきらめるわけにはいかず最終的にはHSE法を徹底することでどうにか収まった。内視鏡止血でこんなに時間が掛かったのは久しぶりだ。残していた外来患者は他Drに回ったか次回受診ということにしてもらったようだ。ふう、やれやれ。ブックリバーDrには「先生がいてくれて良かった」と言われるも、もっと短時間で確実に済ませられたかもと思うとこそばゆい。内視鏡的止血法はこれまで相当やって来て、もう慣れた、いつでも止められると慢心してはいけないということだ。

2015年2月27日金曜日

シモタビラ

夕方、初老女性の出身が終えた直後に携帯が鳴った。サブアラドDrからでもう仕事を終えて帰ろうかというところだった。「そいでさ、昼休みに天鳳でヘマをして・・」といつもの雀談が始まり、まあ、私がまだ仕事残りということで早めに話は切り上がり最後は「・・てなことで『シモタビラ』ってことよ」で締めくくった。「シモタビラ」は鹿児島ではよく使われる地口言葉のようなもので、これは「ちょっとしまった」を鹿児島弁で「ちょっ、しもた」と言うが、名字の「下田平=シモタビラ」に引っかけているのだ。私たちの麻雀の場ではしょっちゅう使われ、かれこれ30年近くなる。その応用で「打牌を間違った」を「間違えた→まちごうた→ちごたびら」とわざわざシモタビラに近づけて言う輩もおり(私のこと)、シモタビラはなかなかに強力な言葉だ。

ふう、ちょっと余計な時間を使ってしまったな、とカルテを見ると・・な、なんとさっき診た患者さんは「下田平○○子」さんだった。びっくり。恐るべきはシモタビラ、あんたは強い。

2015年2月26日木曜日

カンバン出てました

昨日の朝、カールが「茶美ちゃんが来ている!」と指さすので急いでデジカメ持って窓際に行った。開けると怖い目に遭ったことがないのだろう、素直に入ってきて居間をぽとぽとと歩き始めた。ゲンちゃんも茶美ちゃんのことが気になり後を追いかけ、ちょっかいを出そうとする。それを私はデジカメで撮り続ける。茶美ちゃんはゲンちゃんより明らかに小ぶりで細い。毛並みも良く首輪もしていてかわいがられて飼われているんだな。最後にようやく正面からお顔をきちんと撮れた。ふう、遅刻しそうだ。

外来で、某70才代男性患者のことが話題になった。名前を聞いてもすぐには思い出せなかったが、某Nsから「青雲で胃癌が見つかったまで知っているけど亡くなったんだって」と聞き、もしかしてあの人かとカルテをチェックしてみた。で、思い出した。私が胃カメラをし明かに胃癌と思い生検をしたのだがなぜか癌組織が出なかった。私はこれはたまたまつまんだところに(癌が)出なかっただけ近々再検させてほしいと説明し一旦本人も家族も了承したのだが、翌日「キャンセルしたい」との電話連絡がありそれっきりだった。まあ、内視鏡見立てと生検結果が違ったので不信感をもたれたのかもしれないが、他の施設に行くのならそれでも構わない。一番困るのは癌と言われるのが怖いからなどの理由でそのままやり過ごされることだ。で、1ヶ月ぐらい経ったころそれこそ風の噂で他の病院で手術を受けたらしいと聞き、やっぱり癌だったんだとある意味ほっとしたのだった。それが亡くなってしまったとは・・。

私「でも、何でそれが分かった?新聞広告でも出ていたか?」

某Ns「いやー、カンバンが出ていたから~」

私「は?カンバン」

某Ns「そう、カンバン。通勤途中にあったの」

・・ああ、葬儀看板のことか。ただカンバンといわれてもすぐにはピンと来なかった。

某Ns「えへへ、私たちカンバンと言っただけですぐに意味が通じるですよ」とお隣の某々Nsを向くと彼女も大きく肯くのだった。そ、そうか、カンバンにはあまり載りたくないもんだね。

2015年2月25日水曜日

新MRマイボウラー

人間ドックで「尻無浜」という名字の人が来た。阿久根の出身ですかと尋ねたらやはりそうだった。珍しい姓なのでおおよその推測がつく。それはそうとシホねえNsに「どう?結婚してこんな名字になったら」と水を向けると「イヤだぁ」と即却下だった。正直でよろしい。「尻」に「無」とマイナスイメージの字が二つも付くこと自体珍しい。「尻無」とは出口がはっきりしない、背後がはっきりしない地形が語源で変な意味はないが語感が好かれないのは致し方ない。日本の女性は結婚相手の名字にもこだわる場合がある。ユーミンこと荒井由実が平凡な名字が元々嫌いで結婚したらさっさと松任谷由実に変えたのは当然のことだった。そうなると尻無浜君は若干のハンデを背負うことになるな。今日の男性利用者は特に気にとめておらず泰然と受け入れている様でその姿勢や良し、だ、

ボウリングは国分スターレーンで練習だった。今回初めてLSD社のエナ餓鬼MRが参加した。1年ほど前からボウリングにお誘い下さいといわれていてやっと今日のタイミングだった。ハウスボールで投げる様子を見ればなかなかのセンスで50才代と思えない力強さもある。ただ仕方ないことではあるがボールの穴に力を入れる投法でマイボールにすぐに適応できるか未知数だ。練習終わってエナ餓鬼さんに私のお古マイボールを上げることにした。本格的に練習したいということだったのでね。上げたのは私がブランズウィックのボールをメインにするきっかけになったボールNexxxus f(P+S)だ。今日投げてみてまだ使えると思った。ただ動きがマスターマインド系に似ている。まあだからこそ2つもいらないから上げるわけだ。1週間ちょっと経てばドリルが出来ている。また新しいマイボウラーの誕生だぜ。(いやはや、私はこれまでいったい何十人マイボウラーにしてきたんだろう・・)

2015年2月24日火曜日

胃からホッカイロミニ&体温計

昨日の夕方は内視鏡検査でバタバタだった。その中の外来の40代女性は去年歯ブラシを飲み込んで内視鏡で取り出すのに四苦八苦した人だった。今度は一昨日にホッカイロミニ7、8個を飲み込み、昨日は電子体温計を飲み込んで、今日になって胃がキリキリ痛むとかでやって来たのだ。おいおい。レントゲンやCTを撮るとホッカイロの一部は腸管に入っていたがまだ胃の中に大部分は残り体温計もあるのが確認出来た。これは内視鏡で取り出さねばー。別のケースだがその患者はスポンジ様のものを飲み込んで腸管通過障害を起こし手術になったことがある。消化管異物は油断ならないのだ。

内視鏡を入れる際に「何でカイロなんか飲み込んだの」と当然過ぎる質問を患者にしてみた。すると涙ぐんで「母に冷たくされてケンカになり母が愛乱病院に電話をするというので(飲み込んだ)・・」ということだ。そこで私は「はぁー、冷たくされてね。そうか、それで温かくしようとしてカイロを飲み込んだ・・」とつぶやくと、ムッちゃんNsに余計なことをとばかりに横腹をツツかれた。いやはや。

内視鏡的異物除去術はそうそうあるものではないのでこの後オマルDrに交代してやってもらうことにした。見ればホッカイロミニは折りたたまれ掴むのにやや苦労しそう。さらに体温計はどうにか掴んでも噴門部でひっかかり外れて落ちてしまいそうだ。オマルDrが出来そうで出来ない状況になって私と交代した。そこですんなり取れれば格好いいが私も手こずった。なんとか体温計を取り出し、その後ホッカイロを1個摘出して、オマルDrにまた交代した。見ていたから今度は出来るでしょ、残り5、6個を頑張って取ってつかぁーさい。交代は彼の研修のためだけではない、S状結腸捻転患者が待機する透視室へ私は向かわねばならなかったからだ。

2015年2月23日月曜日

耳障りなお言葉

5F病棟若手看護師だごまっちNsからメールが来た。

「xxさんの利尿剤注射は本日のみ計2A実施というかたちでよろしいでしょうか

これはいかん。このような言葉使いをしないように病院の接遇マニュアルにもきちんと書かれている。私は返信にこう書いた。
「利尿剤2A注の指示は私のミスというかたちになります。これまでどおり1A注実施というかたちでいいと思います」
「↑以上の文面で何かおかしいと思って下さるとうれしいです。分からなければ青雲会病院接遇マニュアルの33ページの④と⑤を読んでもらえたらなおうれしいです」

これに対しだごまっちNsから「接遇マニュアル33ページ、しっかりと頭に入れました」と返信が来た。うむ、素直でよろしい。そのマニュアルには以下のように書かれてあった。

④X 受付は朝の午前8時半から始まるかたちです
 ○ 朝8時半から受付を開始致します。
⑤X 着替えを持って来て頂くかたちになります
 ○ 着替えをお持ち下さいませ。

最近なぜか「~するかたち」という言葉が流行っている。これはある人の意見によると「お役所的言葉でかしこまって暗に説得力があるように聞こえる」からのようだ。若者は何となくそれが正しい言い方と勘違いして耳障りな言葉を使ってしまう傾向がある。この他にもいっぱいあるが今日はこれくらいに「させて頂く」か。おっと、この「~させて頂く」も私にはたいへん耳障りだ。妙にへりくだり過ぎている。これくらいに「しておくか」でいい。この前の院内の症例研究会でも「では発表させて頂きます」という言い方が多かった。「では発表致します」で十分にしてすっきり聞こえるのだが。

2015年2月22日日曜日

カツオドリ

午後はまたいつものDrメンバーで麻雀だった。ダイボDrが恒例のバードウォッチングした際のプリント写真を3枚プレゼントしてくれた。その中にやや大きめの立派な羽根の鳥がいて「それはカツオドリといってね、Wikipediaでの解説には小笠原諸島などで繁殖し鹿児島湾でも観察記録があると書かれていて、その辺の湾に行ってみたらいたわ」と手を広げこんな感じでとカツオドリの真似をしてみせた。確かにそう書かれてあり、「2005年5月には兵庫県の瀬戸内海でも観察され、写真も撮影されている」とあるからダイボDrの鹿児島湾での写真撮影も記載されてもおかしくないほどじゃないか。

そんなダイボDr、最近とみに麻雀の調子がよく今日も12回中6回トップを取って勝ち頭だった。見せたまえDrが「認めたくはないがダイボは強いんだな」とあきれ顔だった。去年の秋くらいから8回して7回は勝ちだから以前の私よりも成績がいい。彼は基本的に面前主義の守備麻雀だ。前は序盤から中張牌を切ってオリに回る非効率的な打ち方も目立ったが最近はバランスがいい。攻撃型で積極的に上がりを目指す見せたまえDrが負けることが多いのと対照的である。無駄な放銃を減らせば上がりは皆平等にやって来るから勝てる理屈だ。私も見習わなくては。

もらった写真は自宅にファイリングしてある。鳥のことはほとんど知らないないけれどファイルを眺めれば少しずつ知識も増えてこよう。錦江湾(鹿児島湾)で今度カツオドリを見かけることがあるかもしれない。

2015年2月21日土曜日

発表しましょ

朝は休みだったけれど、午後から年1回の青雲会病院症例研究会のために病院に出かけた。今回はコメンテーターはしなくて単に発表を聴くだけなので気が楽だった。最初は頼まれていたが発表内容に化学療法が含まれていたのでスタッフが信号Drに頼んだようだ。病院の各部門からの発表がありバラエティーに富んでいた。看護師、リハビリは当然で地域連携のソーシャルワーカーやはては救急隊からも発表があった。最近はみんなの発表がよくまとまっていて言いたいポイントがはっきりしてきている。今回は珍しく居眠りすることなく最後まで聴き通せた。ラブカメ先生や信号Drなどあらかじめアドバイスがあったからだろう。嫌でも頼まれたら発表したほうがいい。この程度でもやり遂げた充実感が得られるし、何よりそれは自身の成長につながる。終わったあとみんないい顔していたね。

2015年2月20日金曜日

そんな機能があったの

朝、私は医局の電カル相手にカチャカチャやっていた。隣の電カルは合い言葉Drが使っていてだいたいいつもの光景だ。私は入力時には単語登録を駆使する。いったい何千語を登録しているだろう。頻繁に使う用語はほぼ100%簡単な入力で済ませるようにしている。例えば「入院」はnyと打ち込みスペースキーを押せば即変換される。少し長めの決まり文句「ご紹介ありがとうございます」もgs+スペースキーだ。頭の小文字を2つか3つ使い入力するので忘れることがない。忘れてもこれかなと推測できるので便利だ。

ふと、合い言葉Drに「先生も単語登録しているんでしょ」と尋ねてみた。電カルも導入されて7、8年経ち、彼も青雲に来て5、6年なので当然利用していると思った。がしかし、答えは「いいえ」。「え、いちいちすべて文字入力しているの」と聞くと「そうです」とのこと。マジ?私はこの機能がないと入力する気すら起きないほどなのにー。そこでやり方を教えこんなに簡単で便利ですよと教えた。

電カルに限らずパソコンには自分には当たり前のことが他人は知らず「なんだそんな便利な機能があったの」ということが実に多い。私も信号Drが当たり前のように使っていた一括事後承認機能を知らず毎回毎回地道に承認作業を1年以上もやっていた。他にもあるんじゃないか。みんなでそれぞれが技を教え合う場があったらいい。きっと自分の知らない機能に驚きしかもすごく簡単なことに呆れること請け合いだ。

2015年2月19日木曜日

改姓論議?

昼過ぎ、珍しく特に何もすることないぽっかりした時間が空いていたのでリハビリ室に立ち寄った。循環器科のアミヤンDrが「リハビリスタッフに傷めた肩を揉んでもらったら調子いいぞ」と言われたのが頭にあったからで、私の場合当然肩もみをしてくれる人がいないかなーだ。しかしみんな忙しそうで無理に頼むのは気が引けた。その中で女性スタッフの飲む友さんが仕方ないなあと思ったか肩を揉んでくれた。一揉み、専門家は違うと感じた。看護師さんらに揉んでもらうのとは指先の力強さが違う。日頃患者さんの筋や筋肉、関節など触っているから伝わり方がじんと来るのだ。しっかりしているというか。10分近く揉んでくれたかな。面倒なはずなのにおかげで肩が軽くなった。 

揉んでもらっている間、彼女が結婚して姓が変わったのでなんとなくまだなじまないねと感想を述べると、以前の姓より平凡だけど気に入っているとのことだった。へー、旧姓の方が若干珍しくよさげだったが・・。「名前住所を書くときに私はよく注意されていたんです。名前欄に住所を書くなって」どういうことかというと彼女の旧姓は「鹿児島」という名前に似ていて、相手が「この人は名前欄に自宅住所を書こうとしている」と勘違いして注意され、その度に「いいえ違うんです、これが名前です」と言うのに面倒を感じていたんだとか。ほほう、それは本人でないと思いつかないエピソードだ。なるほどね-。

昔、女医さんが結婚しても旧姓にこだわりを持っていてカルテや正式書類にも旧姓を使いたがり、「公式の文書なんだからそこはきちんとしてもらわないと」と上司にたしなめられていた。実は父親がその病院の院長だった。女性は姓が変わることで一種の生まれ変わり体験を味わうようだが実家大好きもしくはパパ大好き女性は旧姓にこだわりを持つのかも。独身時代に有名な人は結婚後も通称で旧姓を使う分には問題ないだろう。私の同級生の「うめ~の」アナウンサーは結婚後もずっと旧姓で通しているがもちろん離婚などしていない。視聴者が混乱もしないし問題はないわけだ。ただ医師としての公式文書はやはり現状法律通り改姓後のものを使うべきと私も思ったことだった。

2015年2月18日水曜日

国分で悩む

今夜は国分スターレーンで練習だった。3月始めにここでダブルス戦の防火ボウリング大会があり、このところ国分では惨敗続きゆえレンコンに慣れが必要と思ってのことだ。

だが、やはり難しかった。136、145、134。いったい何だこれは。途中はスリウェル君にも負けて(しかも完敗)、「本番のダブルスでは下克上狙いますか」なんて言われる始末。ラスト4ゲーム目は本番同様私と難ガターさん組とスリウェル、タナカッツ組とでアイスクリームを掛けて勝負してみた。私はようやくスプリットが出ず8本9本倒れるラインを見つけ勝つことができた。それでも176程度でダブルは1回も出なかった。アイスは美味しかったけど、これでは本番は思いやられるなぁ。

2015年2月17日火曜日

ボトックス治療

朝、医局会のレクチャーはシマッチ院長だった。お題は「上下肢痙縮(けいしゅく)に対するボトックス治療」。脳卒中の後遺症としてよくみられる運動障害には「片まひ」とこの「痙縮」があり、これは筋肉が緊張しすぎてしまう状態で、手足がこわばったり突っ張ったりする。片まひと同じ側の手足にあらわれることがほとんどとのことだ。これを和らげることが出来ればリハビリも進み日常生活がよりよく過ごすことが出来るが、そこで登場するのがボツリヌス菌だ。なんと、菌の作用である局所的な神経筋伝達阻害作用により筋肉を弛緩させ、上下肢痙縮や痙性斜頸のほか片側顔面痙攣、眼瞼痙攣などが改善され、注射後2、3日で効果発現し効果は3、4ヶ月持続するという。

へーえ。毒をもって毒を制すじゃないが毒をもって病気を制すだ。面白い。そういえば吸血虫のヒルをもってうっ血を治す治療法があり、一般には悪いとされている菌や虫が治療に繋がるってすごいね。物事は一方的な見方だけでは断ずることはできないという哲学的な内容も含むレクチャーであった。

2015年2月16日月曜日

油断厳禁、寝たきりばあちゃん

朝は高速道路が糞詰まりを起こしていた。吉田インターの先で交通事故が発生したらしくノロノロ運転が続き、朝礼には間に合わないと観念した。現場に近づくと車2台があって接触事故だった。少し下り坂になっていてたまに事故があるところだ。可哀想に事故った一人は警察を前に首をうなだれて突っ立っていた。おお、気をつけよう。人ごとじゃないぞ。

イレウスで入院した90才以上の高齢女性。イレウスチューブ挿入を非常勤のオマルDrに頼み、難渋しつつもどうにかうまくいって病棟に上がって来た。私は他の患者の件で忙しくその高齢女性の様子を見に行けたのは午後6時を過ぎていた。病室に入り「xxさん、頑張ったねー」と声を掛けたまではよかったのだがー。顔ををみて何か違和感。あれ?鼻の穴から出ているはずのチューブがない。すっきりしたお顔だ。みればベッド横の台にチューブがくるくる巻かれて片付けられている。はっ、誰か看護師が間違って抜いたのか。でもおかしい、さっきまで上手くいってよかったと聞いたばかりなのに。「xxさん、このチューブを自分で抜いたの?」この私の問いに、ウンと肯くではないか。あいちゃー。ほんのわずかな隙にやられてしまった。簡単につかめないように予防手袋をはめさせていたがしっかり抑制しておくべきだった。1時間以上の苦労が1分で水の泡・・がっくりだ。仕方ないので今夜は絶食点滴のままだ。90過ぎたおばあちゃんでも油断してはならないのであった。

2015年2月15日日曜日

太宰府天満宮にて

4年ぶりに太宰府に行った。あの時は1月下旬で福岡で講演会があってついでに太宰府の九州国立博物館でのゴッホ展を見たのだった。あの頃は天満宮の梅の花は咲いていなかったが今回はいい季節柄で白梅、紅梅、蝋梅などたくさん咲いていた。日曜で受験シーズンでもあり参拝客は多かった。でも4年前の方がもっと多かった。あれは展覧会の影響だったんだな。

古い大きな木があって中は半分空洞化して枯れ木に見えたが、天然記念物「ひろはちしゃの木」と立て看板にあった。樹齢700年ということはあの黒田官兵衛も見たのかと思うと感慨深かった。菅原道真はさすがに見てはいない・・ね。宮内の庭で猿回しをやっていていったん客が掃けた後で誰も見ていないのを私とカール、チッチがと近づくとおっちゃんが語り始め、小太鼓をぽんぽん叩きながら囃し立てるとちょこんと座っていた猿のケンちゃんがやおら歩いておっちゃんのところに寄って来た。なぜか紙おむつをしている。このケンちゃんに竹馬さしたりローラースケートさしたりクライマックスは3m近い棒の上に立たせたりとそこそこ面白い芸を見せてくれた。そのまま立ち去っても何も言われないがそこはそれウン百円をカゴに入れた。お賽銭より高かったかも。

由緒ある神社仏閣は建物だけでなく回りの環境が素晴らしい。太宰府天満宮もその醸し出す雰囲気は一朝一夕に出来るものではない。これだけ参拝に多くの人がやって来るのはここの空気に何か清々しいもの(俗に言えば霊力?)を感じ、それを浴びたいからだろう。京都はそれがあちこちあって魅力が尽きない。例えば新興宗教などのコンクリートの巨大建物にはそれがない。台湾の蒋介石を顕彰したところ(中正紀念堂)も悪くはなかったが一度行けば十分と思った。歴史ある神聖さはかけがえがないものだ。

2015年2月14日土曜日

精神科だからを言い訳にせず

土曜外来そのまま当直だった。そういえば今日はバレンタインデーだったんだよな。以前は義理チョコが流行ってどこの部署も「みんなからです」と配布されていたものだったがこのところはあまり聞かない。今回も普通チョコのかけらが回って来て1個食べただけだった。ま、いい傾向だ。好きな人が好きにやればいいだけで義理で上げる必要はないと思うから。

今日の当直で一番驚いた患者は80才代の高齢女性で、姉と同居らしいのだが明け方トイレで転倒し動けなくなっていたのを姉が居間に引きずってそのまま放置、夜が明けて救急隊に連絡があり運ばれて来たが、ものすごい低体温でしかも低体重、30kgもなかった。妹は長く精神科に通っていて姉にいろいろ質問しても「どうせ精神科だから」との答えが返ってきた。それはあんまりじゃないかな、ともかくも入院させ点滴、保温をして上げないと。肉体の病気も精神の病気も同じだろう。精神を病んでいても放置プレイする理由にはならない。いつもはデイサービスなどではよく食べるとのことだからここ数日の危機を乗り越えればどうにか助けられるかもしれない。30kg未満といえばここ最近では20代女性の拒食症以来だ。この飽食日本の社会でこんな体重になってしまうのは何かが間違っているとしか思えないわ。

2015年2月13日金曜日

Googleストリートビューの可否

Google地図のストリートビュー機能を使って自宅とか人の家を検索すると鮮明にその様子が伺えて驚くほどだ。こてる家のを見ればたまたま駐車場のシャッターが開いていてカールの車が見えるし(ナンバーはぼかされている)、駐車場を水で洗い流した後だとも分かる。さらに撮影時間は冬の午前だと直ぐに分かる。なんてったって2階ベランダに冬ものの布団を干しているのも写っているからだ。よく見れば2012年1月と表記もしている。うーん、これはプライバシーうんぬんを問題にする人もいるだろう。

実際悪用する人もいて、ある逮捕された窃盗犯はこれで犯行現場の下見をしていたことが分かっている。現場でジロジロと窃盗に入る家や店を見ていれば怪しまれるがこれなら人目を気にせずじっくりと下調べをすることができるからだそうだ。ただ私はあまりプライベートにうるさく言うタイプではないのでこのシステムには特に異論はない。アメリカでは住民がストリートビューで自宅内部を勝手に公開されたとして、Googleを相手に裁判を行う事態も起こった。その中でGoogleが答弁として「現代では完全なプライバシーなど存在しない」と反論を述べているそうで、なるほどなと思う。

10年くらい前からか個人情報保護法なるものが制定され日本国民はやたら過剰に反応しているように見える。医師会の名簿など最近のは知りたい情報がほとんどない。だから10年ほど前のを重宝して捨てずに持っている。Googleみたいに完全なプライバシーなどないからって言い切る人たちも増えてほしい。完全にプライバシーを守らせようとするのは、交通事故は車があって起きるのだから車をなくせば誰も死なないからそうすべきだと主張するように聞こえる。日本人はお上が決めたことに過剰に反応し萎縮する傾向が強すぎると思う。

(後日、この日記をネタにプーさん病院の「てげてげ院長」がGoogleストリートビューについて雑感を書いていた。抜粋してみる。

ストリートビューにデビュー2015/03/13

 今日は13日の金曜日、英語圏の多くでは不吉とされる日だそうである。どうも悪い「情報」が来るのではないかと気になるが、ここは日本国だから。
 さて私の親戚にあたるコテル君(青雲会病院の消化器内科医)は、毎日「こてる日記」なるものを上梓している。人のことを言えた柄ではないが、2002年から毎朝続けているようで、よっぽど暇なのだろうか!?。
 213日の「Googleストリートビューの可否」では、次のような話題を提供している。

・・以下に同日のこてる日記を載せた上で↓に続く・・・

39日の朝、総務部の近藤課長のパソコンをのぞくと、私がアネックスから肝付歯科に至る歩道を歩いている姿が鮮明に映し出されていた。「なに、これ!?」と聞くと、「グーグル画像ですよ」と言う。マスクをしていて、正しく歩道を歩いている。そしてもう一つは、やはり同じ歩道で、遠江顧問と並んで歩いている後ろ姿もある。もちろん撮られた記憶はないが、きちんと歩道を歩いていたときの画像でホッとする。西俣名誉院長だったらきっと、道路を横切っている姿を撮られていたに違いない。それにしても「無断で断りもなく」と思わないでもないが、まさに「偶然」ということになる。
 ちなみに撮影の方法は、自動車で中心より220cm上に取り付けられたカメラで撮影し、自動車で通行できる場所のほとんどはこのような方法で撮影されているという。私の場合は特に問題となるような場所の画像でなくてよかったが、そうでない場所で撮られたらとつい心配になる。グーグル画像は知らない場所を訪ねる時など便利で役立つことも多いが、やはり個人情報という観点からは問題になることも多いような気がする。」)

2015年2月12日木曜日

カタカナ二文字

(おつかれ床寝で・・日記書き大いに遅れてしまった)

この日は外来で患者名でちいとばかし盛り上がった。私の受け持ち患者は当然高齢者が多いのだが大正、昭和初期の女性名にカタカナ二文字の人が多いのだ。現在ワイ、エツ、ツヤ、レイ、ソデ、ユリとこんなにもカタカナ二文字が多い。そしてそのほとんどが意味不明だ。昔の人はその名前にどんな意味を込めたのか・・いや、ほとんど込めていないのではないかと思われる。私の叔母さんにネキという人がいて自然にネキ叔母さんと呼んでいるけれどその名に深い意味があったとは聞いたことがない。男には勇とか浩とか太郎次郎などそれなりに意味が感じられるがこれはその頃の時代が女性軽視、蔑視の風潮があったからと推測する。それが昭和10年代になると○○子と名付けるようになり、事実昭和11年生まれのネキさんの妹は文子さんだ。ギボヒサコも昭和二桁生まれで姉妹全員子が付いている。私の生まれた昭和30年年代までは子全盛時代で3分の2以上はそうで初めて会う子には「まあ、かわいいねえ、名前は何子ちゃん?」と尋ねるのが普通だった。当時は貴族にしか付けられていなかった子を名付けることですごく品がよくモダンな感じがしたのだろう。時代は流れて平成になると子は昭和のかおり漂う古くさいイメージになった。いまだに何々子ちゃんはいるけれどおそらく1割以下だろう。その代わり一字一字親の過剰な期待と思い入れあふれる漢字が付けられて下手するとなんて読むか理解しがたい名前も増えてきた。でもそれらもおよそ50年、それくらい経つと「何かめんどくさい平成っぽい名前ね」といわれると思う。そのころはカタカナ二文字が意外にイケるってこともあるかもしれない。流行は繰り返すっていうしー。名付け一つ取っても人は時代の空気に左右される。これは確かなことである。

2015年2月11日水曜日

休日を有意義に過ごす

2月に入って天鳳はメインアカウントのデルバラドでは打たず、級位者のこてるで打っている。強者ぞろいの鳳凰卓で1月下旬にひどい麻雀を打って東場でドボン喰らったのがきっかけでしばし気楽な麻雀を打ってみたくなった。レベルは初段から四段のいる上級卓で、相手の上とのレベルの差を感じる。こてるではほとんどビリを取らないのだ。25戦でたった1回のみ。トップ9回、2位6回、3位9回でどんどん昇級し8級くらいだったのがもう1級だ。しかも昨日は久しぶりに役満を上がることが出来た。国士無双でホンイツに見せかけ1枚切れの白待ちになったところ親からリーチが掛かったが幸い現物切っても聴牌維持しているうち下家が白をツモ切った。ジャーン!の効果音にビビッただろうね。私はその瞬間をデジカメ動画で撮っていた。ハハハ、楽しいワイ、麻雀は。

サブアラド六段は特上卓(四段~六段卓)で奮戦していて「早く鳳凰卓に上がりたい」と言っている。はいはい、早く上がって来てね。その時は私も鳳凰卓でまた上を目指して気合い入れちゃるから。

今日の祝日はチッチが「友だちらとボウリングをしたい」というので私も投げたいと思っていたから即OKした。結局以前も投げた元中学サッカー部員だったザミドル君を誘ってT-MAXに行った。昨夜もMRたちと投げたのだがあいにくイチマルデーでレンコンは最悪だった。月1回の1ゲーム100円デーで客が多くにぎわうのはいいがレーン中央部はカラカラでボールがまともにヘッドピンに届かない。ストライクはほとんど出ず169点が最高成績だった。
でも今日は朝一でちゃんとオイルも入ってアベ200を出した。レンコンの違いでこれだけ差が出る。チッチは最初のゲームこそハウスボールのザミドル君に負けたがマイボールの威力が徐々に出て圧勝した。荒れたレンコンでなければ当然の結果だ。終わって天文館の黒豚料理チェーン店の「イーアルサン」で食事した。子どもらは黒豚のスープのようなものを頼んでいた。それも美味しそうで他鶏飯もよさげだった。全く目移りする。私は結局カツ丼を頼んだのだが黒豚の肉をたっぷり使っていて少しびっくりした。カツ丼にはもったいないのではとすら思った。値段もそんなに高いわけでないしお客が多いのも肯けるな。

夕方はカールと鹿児島市立美術館へ「クロマニンゲン展」を見に行った。その代表の漫画家・坂井貞夫氏からハガキが来ていたからで私からの年賀状を元にきっと宣伝で送ってきたのだと思う。1回だけお宅を訪問して話しをしたことがあったが10年ほども昔で会場でご本人と会っても直ぐには思い出してくれなかった。展覧物はさほど名もない高校生から障がいを持った人、有名な漫画家、写真家など独特の芸術作品が飾られていた。賞を取るためといった意識を持たず人間の持っている叫びみたいなものを芸術にするという趣旨のようだ。ちょっぴり変わった展覧会で面白かった。

2015年2月10日火曜日

さよなら患者さん

さあてこの前から話題にしている腰椎骨折の男性患者、昨夜は些細なことでベッド枠を外し看護師に怒りをぶちまけるという行動があったそうだが、今朝は自力歩行もどうにか出来て病棟ロビーの椅子に座り、「退院させてくれ」との一点張りで言うことをきかず「どうしましょう」と病棟看護師から連絡があった。それでさっそく整形外科のケンケンDrも交え、なだめにというか説得にいったのだが、相変わらずの頑固で自分勝手と思える理屈で応じようとしない。今の状態で無理に退院しても腰痛はすぐには引かないし完治するには1週間どころか1ヶ月2ヶ月はかかりますよとケンケンDrも言ってくれたのだがどうにもダメだった。私たちはこの1週間こんなわがままをしてもこの人のためにとできる限りのことをしたつもりだが分かってもらえないようだ。「他の病院もあるしいいんだ」とうそぶくので「なら今度青雲会病院で診てくれといってもさすがに受け入れられませんよ」と言ってもそれでいいという。ふう、師長以下仕方ないなと退院を許可することにした。今度は言わなかったが、この人のために家にある生活用具などを持って来てくれた民生委員の人を呼び捨てで悪く言ったのにはたしなめたかった。その人は自腹を切って世話してくれたと聞いている。人の善意も悪く取るようじゃだめだ。

その人の退院直後に私は外来のホントだ師長に連絡し「今度あの人が救急や外来で入院を希望しても決して受け入れるな」と伝えた。厳しすぎるか?いや、私は病院スタッフのことも考える。この人のこのような振る舞いに病棟看護師などは2ヶ月も我慢を強いられたかもしれず、中には嫌気がさして辞めてしまう人も出たかも。退院して返って良かったのかもしれない。

午後、姶良市内の某病院から電話が入った。この患者のことだった。「そちらに入院していたそうだが事情を知りたい」とのこと。それにはかくかくしかじかと外来師長が返事した。ほうら、すぐに病院に頼らざるを得ない状態だったはずよ。果たしてそこに入院出来るのかな。それにしても何で退院したかったかの理由が今もってよく分からないんだ。不満を言っているのは分かるが中味がよく理解出来ない。警察や関わる市民にやたら不信感を持っているようなのだが・・。でもいつまでもこの人に関わっていられやしない。外来は来るし、急変する病棟患者はいるし、出血患者もいる、さあさあ忙しいよー。

2015年2月9日月曜日

茶美ちゃん

カールの話しによると、朝、家の庭のロフトに茶色のネコがふらっと訪れていてじっとこっちを見ていて逃げようとしないので家の中に入れたんだと。首輪をしているのでどこかの飼いネコなんだろう。年の頃は1才に満たないくらいの雌でちょっとした美人で手を広げると警戒心もなく寄って来て抱っこされた。ゲンちゃんもやって来てクンクンし始めた。この辺がゲンは警戒心が強いヒトミンチョ家のそらんやりおんと違う。また、以前からふらりと来るロシアンブルーはとても警戒して人が顔を覗くとすぐに逃げる。この美人ちゃんは人なつこくその後もちょくちょくやって来るようになり何度も家に上げてチッチに見せたりもした。その時ゲンちゃんは2階でよだれ垂らしてお昼寝していたそうだ。

何か名前をつけようか。昔よくやって来ていた凶暴な茶色のネコは揶揄してゲンちゃんの彼女=ゲンカノ、一見ゲンちゃんに似ていたが振り返るとブスだったやつはゲンブスと勝手に名付けていた。なぜかロシアンブルーはロシアンでそのまま。ううむと考え、茶色の美人ネコだから茶美=チャーミーちゃんはどう?ということでOKだった。ゲンちゃん以外には絶対にネコは飼わないと決めているのでこうしたお友だちネコは大歓迎なんである。これからもよろしくネ。

2015年2月8日日曜日

Yosemiteバージョンアップ

日曜は夕方から当直だったので昼間は少々時間があった。そこで思いきってMacBookProのOSバージョンアップを敢行することにした。AppleはYosemiteにバージョンアップしていたのにMacOSは買ったときのMavericksのままで昨年10月に今日まで放置していた。私は元々新奇なものに飛びつくタイプではない。パソコンのバージョンアップは新奇とは言えないが新しいものにつきものの初期故障ともいえる初期トラブルが嫌だしこれまで使えていたものが使えなくなる心配もあるしでどうしても慎重になってしまうのだ。

その点、テルはすぐに飛びつく。年末に帰郷した際に「Yosemiteのデザインはダサい」と文句言いつつも使いこなしていた。そんな彼のおかげで家のiMacも古いバージョンのSnow Leopardから一気にYosemiteにアップしてもらい(タダになったから有り難い)新バージョンでもやっていけそうとの感触を持った。やり方は「バージョンアップしますか」にYesを押すだけ。あとはしばらく待つ。5分や10分じゃ終わらないのでTVやビデオ見るなりして時間をつぶした。小1時間ほどで終わりMacOSバージョン10.10.2が表記された。そのあとメインアプリであるPages、Keynoteなどもバージョンアップした。バージョンアップを嫌がっていてもこのようにアプリケーションもアップされていくのでいずれはしなくてはいけない。相手の意のままで何となく気にくわないがこれは仕方ないと思わなくては。

ネット利用のSafariは若干デザインが変わった程度で特に使用感に差は無い。TopSightの表示が前回より安定していて、うむ新調して良かった。Windowsを使うためのソフトParallelsも使えてほっとした。ライバル商品のFusionsはこれもバージョンアップしないと使えないと聞いていたからね。Windowsでないとネット麻雀天鳳の鳳凰卓参加が出来ない(特上卓まではMacでもOK)から私にとっては大きな問題だったのだ。逆に言うとこれくらいしかWindowsを必要としない。通常はMacの使いやすくセンスのいい画面と使用感で十分満足ということだった。

2015年2月7日土曜日

五袋さん

土曜朝は外来。湿布が欲しいという中高年のおばさんに「どのくらい欲しいの、四袋?五袋?」と尋ねた。どっちだったかは忘れた。付いていた服緑Nsに「きっと五袋に決まっている」と言ったのは覚えている。「え、なんでですか」との質問にこう答えた。「だって五袋さんだから」(五袋さん≒ごふくろさん≒おふくろさん)「はあ?」とちんぷんかんぷんの服緑さんに森進一の真似で「♪おふくろさん おふくろさんよ~ 空を見上げりゃ~」と唸ってみせた。全く受けなかった。トホホ。

午後は今月初めての麻雀。いつものサブアラド、見せたまえDrに開けたいゾMRを交えての対戦で、私は前半不調だった。トップ2回あるもビリ4回じゃー。でも後半は気合いが入り上向きで特に深夜に入った残り4回はオールトップだった。終わってみれば一番の勝ちだった。これが今年初の勝ちでどんだけ調子悪かったかってことだ。珍しく開けたいゾ君が一人負けで私と違い2位3位でずっと来ていて後半ラスを数回取っただけだったが一度もトップ無しでは仕方なかった。捲土重来を期す!

2015年2月6日金曜日

ウヨク知ってるか

昨日の交通事故の患者さん、午前に看護師相手にぶつぶつしゃべっていたらしい。「俺も怒っているんだよ。昨日はこてる先生とやりあったよ。20分くらいはケンカをした。俺はいつでも帰ってもいい、あんな医者に診てもらわなくてもな」と言い、腰の治療はしかたないとして胸の腫瘍疑いの治療は受けなくていいとうそぶき、入院時のいきさつが先生は気にいらんかったんだろうと何度か同じ話を繰り返した後、だんだん興奮してきて「ほら見てごらん」と名刺2枚を取り出し「俺が声を掛ければ日の丸の付いた車がここに来るんだからね。ウヨクよ、知っているだろうが。こんな人にも顔は利くんだから」と笑いながら、主治医に伝えて構わないということだった。

へへー。そう来たか。右翼?なんじゃそらー。大っ嫌いだぜ。みずから小物ぶりをさらしたな。自分では大物と思っているのかもしれないが。ともかく、この人は何を不満に思っているのかよく分からない。私がなぜ怒ったかははっきり伝えている。胸の異常はある程度はこの病院でも検査出来るがいずれ専門の病院に紹介するつもりだった。はなから自分が診るつもりはない。ただ健診も受けず病気になったのをかかりつけ医のせいにししかも仕返し(本人の文言では「お礼」)をしようとする態度を「そうですか」と聞き過ごせない。それに今回の入院も実は月曜夜に一旦救急で運ばれてきたのを翌日自ら退院したいと帰り、その翌日腰痛悪化でまた救急で受け入れたいきさつがある。回り巡って私が主治医になりその辺の事情を確かめようとしたらいろいろ不満を繰り返すことにこっちも黙ってはおれない。

午後、この患者と再度話し合いを持った。今度はマチルダ師長、それに元警察上がりの高所顧問も同席した。こうしたトラブルになりそうなケースには高所さんに来てもらうことが多い。いろいろ言い分を聞くなかに金銭面での不安も見え隠れした。それでこれまでの検査で今回の入院が交通事故による骨折で間違いないのだから保険で全額治療費は降りることも伝えた。患者は当然そう主張しており、元より私も同じ判断だった。だからなんでこうも不満を述べるのか・・。ささいなことにこだわり損をしていると感じた。最後高所さんが「あんた、右翼がどうのこうの言っているらしがねー」と詰め寄っていた。「そんなことを言ったら、脅しになるんだよ。分かっているか」と、おいおい高所さん、あなたが脅しているようじゃないか。

まあ、心の広い私はそれでもこの人を診ていこうと思っている。腰の痛みは本当だし入院治療しないとさらに悪化するのが見えているからだ。症状を抱える病人を診るのが医師の仕事だしー。

2015年2月5日木曜日

問題な患者

昨日救急で入院した60才代男性患者は私が担当になった。自転車に乗っていて乗用車と衝突転倒し腰椎骨折がある人だった。非常勤Drが当初担当したので顔合わせの意味もあり事故のことや現状を聞こうと検査や外来の合間に病室を訪ねてみた。

ところがである。それから2、30分、この人と私は口論じみたことを演じてしまったのだ。私も努めて冷静に応じようとしたのだがいかんせん自分中心の論理を通そうとし建設的な方向へ行かない。私はこの患者の味方になり得るように治療していこうと言っているのに些細なことに怒り我を通そうとする。私より前に診たDrの非難をするのでそれが患者の言い分が正しければ黙って聴く気もするが特に非があるとも思えないのできちんと理を通して説明しようとする、しかし素直にそうですねと言うことがない。またかかりつけ医の先生に対し「(事故とは関係ない部位の腫瘍疑いを当院から指摘されたことに)あの先生は一度も検査をしてくれなかった、お礼に行かないとな。オレはやると言ったらやるよ」と言うのでこれはいわゆるお礼参り、仕返しをするとのことで、しまいには「油まいて火を付ける」と物騒なことを言うので人格的におかしいのではないかと思った。日常生活でもトラブルがきっとあるだろう。一旦引き上げいらつく気持ちを押さえながら透析室、外来と回った。言い争っている間、何度も診察依頼が来ていたのだった。(この患者については後日談あり)

私のこのケースとは違う変な人もいる。この間ラブカメ先生が対応した健康診断の20才代男性のケースだ。妙な自意識の高まりが患者側にあるせいか未熟な世間知らずの判断基準でクレームをつけてきた。以下その概要。

職場から健康診断を受ける必要があると言われ午後受診し一旦帰ったもののなぜか腹の虫が収まらなかったようで夕方電話をしてきた。内容は、まず受付から病院を出るまでに1時間もかかった、しかも簡単な検査と診察だけで1万円もかかった、それも簡単な説明だけだった、診察室では「働いているの?」「嫁さんはいるの?」と言われた。その質問は意味があるのか、セクハラではないか、失礼だ、馬鹿にしている、もっと詳しく何か説明されるかと思ったが何もなく「特に問題はない、いいですね、帰っていいですよ」と言われただけで、職場に何と言えばいいのか。コレステロールは233でやや高いと言われたが詳しい説明はなかったなどなどだ。

以上が午後4時ごろで、すぐにラブカメ先生が出られず、ならば「すぐに電話してくれ」とまあえらい態度なことよ。そこで午後6時ごろその人にラブカメ先生が電話対応した。
「1時間もかかった!」回答)採血、心電図、胸部レントゲン、身体計測などでこれくらいの時間は一般的で決して長くはない。
私の見解)回答の通りでそもそも急な健診依頼を即診てくれる施設というのは日本では当たり前だろうが世界的には珍しくそれを自分の勝手な見込みで時間が掛かりすぎるとよく文句を言えたもんだ。
「1万円近く払ったのに説明が簡単すぎた」回答)特に問題のある結果はなかったので「異常なし」、何もない良いですよと診断書を書いた。コレステロールの値は有意の差ではない。
これに対し「詳しい説明が無かった。ちゃんとした医師が私のところに来て説明して欲しい。職場に何と言えばいいのか」と食い下がり、ラブカメ先生もカチンと来たのだろうね、「私もちゃんとした医師だ。いつでも病院に来なさい。いつでも説明するから。会社には異常なかったと言えばよい。費用は規定通りだ」と言い返したところ、無言だったそうだ。ちなみにラブカメ医師は鹿児島大学医学部の前教授である。
さらに「仕事の内容と結婚の有無を聞かれた」回答)診断書を書くときには職場に出すのか、どこに提出するのか尋ねるのは一般的だ。結婚の有無は食生活が不順でないかを知るためである。これにも無言で、結局この人の感覚では1時間と1万円のわりには大した説明がなかったことに怒りを覚えたということで最後はしぶしぶ、しょうがないか分かったという感じで電話を切ったそうである。

いやはや。この人はコンビニなどで得られる便利さ安さが当たり前だと思い、病院も全く同じだと勘違いしている。しかも自分の乏しい価値判断が絶対だと思い上がっている。最近は個人意識が膨張してきていて、今回の場合、たかが地方の一病院がと思いそれと対等かそれ以上くらいの意識だ。ひょっとしてもうけ主義の病院野郎がといわゆる「上から目線」で思っていたのではないか。まあアメリカならこのケース、50万で済むかな?(アメリカでの盲腸一泊二日手術で約575万円、日本では全額負担ででも2、30万くらいでさらに保険が必ず利くのでその3割程度にしかならない)それが現実なのだ。アメリカがなかなか医療保険改革が進まず日本の保険診療が比較的うまくいっていることは彼は絶対に知らないはず。世間知らずのガキなんだが自意識増大のこの風潮には困ったものヨ。

2015年2月4日水曜日

おおしたそう君、初の胃カメラ

今朝一番目の胃カメラはこの前ヨロンネタで登場したN社MRのおおしたそう君だった。会社の健康診断でピロリ菌陽性が出て除菌療法を受けたいとのことで以前相談があった。即OKと言いたいところだが保険の決まりで内視鏡を受けるのが必須で、癌などなく萎縮性胃炎か潰瘍などあれば除菌療法出来るのだ。おおしたそう君は胃カメラが初めてということでかなり緊張していた。

「はいはい、大丈夫だからねー、おじさんに任せれば痛くはないんだよー、ハイッ今から入れるよー」一言一句この通りではないがこんな感じで私はそおっと経鼻内視鏡を入れていった。彼は「うっ」とこらえながらも内視鏡を受け入れた。5、6分ほどの我慢だ。内視鏡所見はヒダの腫大、蛇行、粘液付着、びまん性発赤など典型的な萎縮性胃炎で、ピロリ菌陽性というからにはこれは予想通りの所見だった。

終わってピロリ除菌の処方を出す段になり、業界関係者なので何かしがらみがあるやもしれず、「除菌治療パックが居丈だ(ランサップ)と衛材(ラベキュア)の2種類あるがどっちにする?」と本人に選ばせた。すると「居丈だで」とのこと。ふーん、N社は外資系ゆえにどっちでもいいと答えるのかと思ったがそうなのか。理由は聞かずランサップを処方し無事終了した。除菌失敗が4人1人ほどいるのでそうならずうまくいったらいいね。またよろしくナー。

2015年2月3日火曜日

スプリット8回

今日は節分だ。私は医局の壁にある発信器を指さし、福百合さんに「あの発信器にさ、鬼の顔を貼り付けてくれない」と頼んだ。以前からその形が鬼の顔の形に見えて仕方なかった。特にアンテナが鬼の角をイメージさせるのだ。だったら本物っぽく似せちゃえ。今日はそれをやるにふさわしい日じゃない。福百合さんは私の意をくんでネットでふさわしい鬼の顔をコピーし見事に張ってくれた。素晴らしい!
↓以下参照。

夜は社会保険協会ボウリング大会が国分スターレーンであり、私と難ガター、いつものMR4人で参加した。トリオ戦でチームAが私、難ガター、タシケントMR、チームK(Bではない)がスリウェル、タナカッツ、サトリョーのMR軍団。チームAにスリウェル君を入れる案もあったがこれまでの実績でタシケント君有利とみて彼には2軍落ち(?)してもらった。「こうなれば下克上を目指します」とは力強いお言葉でそれくらいの気概があっていい。まあ、この大会は例年そこそこの成績で一昨年は優勝もした。今度はハウスボールではないし上位には行けるだろう。そんな目論みで臨んだのだが・・。

結果からいうと、まれに見る惨敗。特に自分のボウリング歴において全く初めて、今後もまず出ないだろう、つまりは空前絶後の記録を作ってしまったのだ。団体でスリウェル君らのチームKにも負けてしまった。さきほどハウスボール云々を言ったが実は先の姶良郡医師会ボウリング大会よりひどい成績だったし、特に2ゲーム目、これはなんて言ったらいいだろう。スコアは110。それだけでもひどいが1ゲームになんと8回ものスプリットを出してしまったのだ。8回・・あり得ないでしょ。わざと出せといっても出来やしないし、簡単なベビースプリットなんて1回もない、7-10も含む難度の高いものばかりでことごとくミス。ようやく10フレで4、7、10をクリア出来ただけだった。もう最後は笑うしかない。ていうか、滅多にない珍記録出現に興奮までしたぜよ。レンコンが悪いというよりオイルに私のボール回転が滑る印象で、縦回転の強い難ガターさんは逆にほぼノーミスの197を出したのだから相性のせいだったのだろう。ボウリングでこんなに泣き別れを経験するとは・・2週間たった今でも信じられない思いである。

2015年2月2日月曜日

内視鏡医冥利

朝は夫婦二人して夢をみた。私はなぜか長島のバタフジDrと囲碁を打っており私が上手で置き石のある相手をどう攻略するか頭をひねっていた。不思議なのはバタフジDrは囲碁を打てないのに相手になっていたことだ。よく分からん。カールのは「イスラム国(IS)」に自分が誘拐される夢だった。これは時事的でまあ分かりやすい。で、誘拐されてどうなった?と尋ねるとその後は思い出せないってこれもまた夢にはよくあることだ。

今日の大腸内視鏡では先日も書いたけれど上行結腸の憩室出血をうまく治療でき会心の一撃いや会心の出来だった。憩室出血は出血すれば血で視野が取れない、血が止まっていても憩室の多さと凹み観察のめんどくささで出血源が見つからないというやっかいな疾患である。今回は最初から自分がスコープ挿入しきちんと観察すると、ハッとするほどの露出血管を見つけることが出来た。拍動までしていて今までこんなにくっきり大きい(といっても径1mmほどしかない)のを見たことがない。これが4年間何度も下血を来たし3、4ヶ所の医療機関で調べても「出血源が分からない」として放置されてきた病気の犯人だったのだ。止血クリップを指示しシホねえNsに動画記録をさせ、慎重に血管の根元を挟み込むようにクリッピングした。ここで血管に触れてしまい破裂させると一気に処置が難しくなる。掛け終わった直後はじとっと汗が出た。念のためもう1個クリップを掛けたところで成功を確信をした。ふーう。

その後、ピタッと下血は止まった。70才代のその男性は非常に喜び、「もう、走り出したいくらいです」と語っていたそうだ。全く内視鏡医冥利に尽きるとはこのことだった。

2015年2月1日日曜日

帰路は右側

朝はニューオータニの回る展望台レストランで食事をした。ニューオータニといえばこの回転する展望台で座りながらにして風景が360°一望出来るのが売りだ。以前も1回利用したことがあったはずだが詳細は覚えていない。映画「007は二度死ぬ」にも登場するし、森村誠一がここで働いていていろいろなエピソードをエッセイや作品の中で披露しているなど有名ホテルだ。森村はホテルで缶詰になっている某流行作家の翌月原稿を先読みして自分ならこう書くがなーと思ったり、「マンコスキー」というロシア人を呼び出すのにそのままでは不味すぎるからと思案したあげくロシア人には自分の名前に聞こえ日本人には卑猥に聞こえない絶妙な「アンコスキー」と呼び方をひねり出したという話などを覚えている。

この展望レストラン、最近は日曜しか営業していないようだ。回転させるのはコストに見合わないのかな。一人でゆったり食べていると南西方向に富士山が見えた。一昨日の雪ですっぽり白い帽子をかぶっている様だ。これはいいとデジカメで写真を撮り始めたが・・少し望遠にするとどうもピンぼけした写真しか撮れない。半径45mの回転する展望台のせいだった。ちくしょうと思ったが動くからこそ富士山を見ることが出来たのだ。そもそもが創業者の大谷米太郎が「多くの人に富士山を見せたい」という気持ちから始まったのだそうである。ピントがずれるくらいで文句を言ってはいけない。

天気も良かったし帰りの飛行機できれいな富士山を見られるだろうと思ったが、何とAの1で左端の席、航路からみて相模湾や三浦半島、太平洋方面しか見えなかった。その後浜名湖、渥美半島はよく見え地理好きの私には興味深かったが、やっぱり富士山の方が良かった。鹿児島への帰路は右側座席にすべし、これを覚えておこう。