2015年8月31日月曜日

拍手で終わり

スライド作りが順調にいき油断したわけでもないがそのままソファ寝してしまって日記を書くのをうっかりしていた。2週間遅れが8日遅れになりならば1週間遅れにするのは簡単そうなのにこうしてまた遅れる。

さて朝礼スピーチは予想以上にうまくいった。6、7分かかってしまう予想も5分半で終わり、後半のリハビリスタッフのスピーチにもスムーズにつなげられた。スライドなしだったら絶対に時間を食ってしまい、「本日は時間の都合で一般スピーチはなしにします」と総務に言われる羽目になっていただろう。

スピーチでは例文1の正解文「驚くほど旨いパスタの店があるけど行かない?」が出たところで笑いが起きた。ううむ、これを持って来て正解だった。例文「肩を揉んでくれない」ではクスクス笑い。これを頻繁に使う職員はこてる先生しかいないと外来看護師は知っている。ほか外来診察をめぐるお願い言葉もしょっちゅう使う例なので分かりやすかったと思う。時間も5分ほどでよくまとまっていた(そもそもがベストセラー本をスライド化したものだから元の出来がいいのだ)し、最後のお遊びのボウリング動画もすんなり受け入れてもらえた。拍手で終わったしね。

先日近医から紹介を受けて大腸内視鏡をした患者さん、まだ調子悪いとのことで腹部CTを撮ると肝臓は多発転移でいわゆるメタメタだった。慌てて採血すると肝機能、胆道系酵素、腫瘍マーカーもびっくりするくらい悪かった。糖尿病で毎月採血はしていたとのことだが血糖とHbA1cくらいだったらしい。胃カメラも5年くらい受けていないとのこと。胃癌からの肝転移がすぐに浮かぶケースだ。定期健診を受けていればここまでなることはなかったろうに。糖尿病患者は悪性疾患も併発することが多いというデータが出ている。青雲会では年1、2回は幅広い採血内容を調べるようにしている。胃カメラも数年受けていなければ検査するよう勧めている。症状が出るのを待っていてはこのような患者を助けることは出来ない。残念なケースであった。

2015年8月30日日曜日

せっせとスライド作り

当直から帰ってしばらくぼうーっと過ごす。外は雨、出かける用事もない。昼食摂って、さあて朝礼用スライド作りに取りかかろうか。

朝礼スピーチは別にスライドが必須ではないけれどあった方が格段に言いたい内容が伝わりやすい。それと発表する側も落ち着いてスピーチできる。副院長として最初のスピーチは原稿作ったにも関わらず少ししどろもどろだった。前回7月の時はずっと上手くしゃべれたしみんなにも分かりやすく伝えられた。おまけに私のボウリングビデオもサービス(?)で見せることもできた。今度もラストにボウリングビデオを見せるつもり。だがそれはすべてを作り終えてからのことで、本体がちゃんとしていないと非難されがちな代物ゆえ取扱注意ってところだ。

今回のテーマは「上手な頼みごとの言い方とは」だ。これは例のネタ本コピーライター佐々木圭一の「伝え方が9割」の前半部分を分かりやすくかつ医療向けに例文を代えてまとめたものでタイトルは「ノーをイエスに変える技術」にした。後半部分の「強いコトバをつくる技術」は7月27日の日記ネタになった。その時「ふふ、次回の朝礼ネタに使えそう・・」とつぶやいたが本当にそうなった。タナカッツMRから借りたこの本を我ながら利用しつくしているわ。日記にもちょっと書いた上手な例文を改めて作り直した。

具体例①「デートして下さい」→「驚くほど旨いパスタの店があるけど行かない?」
ポイントは「相手の好きなことをもとにお願いを作る」

これは本の最初に出てくる例文そのものである。ストレートな言い方を相手の立場にたって変え言うのだとまずはこんな感じでみんなに分かってもらうために敢えて変えずに出した。そして黄色部分はアニメーションで後から正解として出すように工夫した。これはプレゼンテーションソフトならではの効果だ。(パワーポイントではなくMacのキーノートを使用。パワポを少しでも使った経験あれば説明書を全く見ずに作れて使いやすい、非常に気に入っている)

具体例②「院内を走らないで」→「院内を走るとぶつかって怪我をすることがあります」
ポイントは「相手の嫌いなことを回避させるコトバを使う」
具体例③「肩を揉んでくれない」→「〇〇さん肩揉み上手だよねえ。〇〇さんに揉んでもらうとすっごい気持ちいいんだ
ポイントは「人は認められたい欲を持っている」
具体例④「先生、歓迎会来てくれますか」→「他の人は来なくてもこてる先生が来ないと盛り上がらないんですよ
ポイントは「人はあなた限定に弱い」
具体例⑤「手術を受けて下さい」→「手術を受けていっしょに癌をやっつけましょう
ポイントは「チームワーク化」
具体例⑥「〇〇先生の診察はしばらくお持ち下さい」→「専門ではありませんがこてる先生なら診察が出来ます。それともお待ちになりますか
ポイントは「選択の自由を与える」
具体例⑦「他の先生の患者さんですが診察を」→「こてる副院長、いつも診察ありがとうございます。他の先生の患者さんですが・・
ポイントは「感謝から入ると人は断りにくい(最終手段にして最大効果)」
そして具体例⑦のおまけで一般例を付け加えた。これも本に出てくる例文そのもので最近よく目にする言い方である。
具体例⑦応用「トイレをきれいに使って下さい」→「トイレをきれいに使っていただき、ありがとうございます

この後、まとめとして「あなたのお願いを実現させる答えは自分の中にはない。相手の中にある」という著者の言葉を紹介した。この言い方、よく見れば「強いコトバをつくる技術」そのものだ。「事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!」パターンである。

ここまで作れば9割出来たも同然。後はへへへ、お約束?のボウリングビデオを見せるのだがどれを選べばいいか・・。本当は5、6、10ピンを取った時の動画をタナカッツ君が失敗して肝心の場面でボタン押して切ってしまい使えない。ならばと前回とは逆のスプリット6、7、10ピンを取るシーンを選んだ。ドヤ顔のあと喜びすぎるするちょっと恥ずかしい動画だがまあいい。こうすることで「最後はボウリング」がこてる先生スピーチのお約束になるころだろう。ふふ。
(↑の動画は最後の喜びすぎを消したいが画像と違って動画編集「iMovie」は説明書を読んでも全く出来ない。トリムだのタイムラインだの用語も何となく意味は分かるがどうしても使えず結局今回も撮ったままの動画をアップする羽目になった。誰か教えてくれー!)

2015年8月29日土曜日

四文字姓

朝は外来、昼からは当直だった。

鹿児島や宮崎には四文字姓が多いのは知っている。同級生にも「上加世田」や「内大久保」なんてのがいた。今日来た患者は「東麻生原」さんだった。せっかくだから名字にまつわるエピソードがないか尋ねると、「ひがしあそうばら」と振り仮名も八文字と長くて銀行などで入力する際に枠が足らなくなることがあるという。「西麻生原ってないんですか」と尋ねると「昔はあったらしいと聞いています」とのことだ。そして「名前に東さんや麻生さんや原さんが混じってます」というので「ううむ、取り出せば麻原もありますねえ」と言ってみたがちいとまずかったかな。

ちなみに全国で一番多い四文字姓は「勅使河原(てしがわら)」が一番多く730軒ほどあり2位も「勅使川原 」で411軒、3位は「小比類巻(こひるいまき)」で296軒で勅使河原は埼玉県、勅使川原は群馬県、小比類巻は青森県に多い。小比類巻と言えば歌手の小比類巻かほるが有名だが、私は昭和44年夏の甲子園準優勝の三沢高校太田幸司とバッテリーを組んだ小比類巻捕手を思い出す。長くて珍しかったからだ。他四文字姓での有名どころは四国の大名でもあった「長宗我部(ちょうそかべ)」があるが「長曽我部」「長曾我部」と書くことが多く6位で意外に多い。なお、鹿児島県で一番多いのは「上加世田(かみかせだ)」でこれは11位だそうだ。「五百旗頭(いおきべ)」は防衛大校長の「五百旗頭真」氏がいる。そうだ高校野球では「西大立目(にしおおだちめ)」審判がいた。プロ野球では元阪神の「源五郎丸(げんごろうまる)」投手もいた。五百旗頭は兵庫、西大立目は宮崎、源五郎丸は佐賀に多い。

四文字姓は読み書きが長くて面倒だが印象に残るため営業やスポーツ、芸能関係などには向いているかと思う。ただ悪いことをするとそれが人々の記憶に長く残りやすくいつまでも後ろ指指されるなんてことにもなりかねない。だからしばらくはゴーストライターと言えば「佐村河内(さむらごうち)守」の名は消えないだろう。もっともゴーストライターは「新垣(にいがき)隆」さんのことだけどネ。

2015年8月28日金曜日

マスターマインドアインシュタイン

夜は串木野トリオリーグに参加した。今日は海広しDrは休みで米将軍、サキシゲ君とのトリオで臨んだ。さあてマスターマインドアインシュタインの本番初登場だ。1ゲーム目いきなりスプリットでミスしたがその後は無難にまとめスコア196だった。今回の串木野のレンコンは外5枚はオイルが少なくそこに触れると曲がるが10枚目以内はオイルが多くほとんど曲がらない。それに将軍君はやられた。ヘッドをかするか当たっても全くストライクが出ないのだ。私は一応ポケットを突くもののなにか投げづらさがあって2ゲーム目は134と低迷した。でもハイフレトリオのユニークな方式もあって3人で181-153-134だったのにチーム得点は246で対戦2チームに勝った。3ゲーム目は私も182と持ち直し将軍君が5枚目近辺を投げてストライク連発し始め186(全くターゲットをどこにするかでスコアはこうも違う)を出しチーム点も連勝だった。3人のスコアは今一でもチーム成績はグッド。これなら海広しキャップも満足してくれるだろう。
(↑は指の抜けが悪いながらもマスターマインドアインシュタインでストライクを取る様子)

ただ私はアインシュタインがこれまでのインテレクトより10ピンが残るのが少し気がかりだった。今回のフィンガーチップが微妙に違うせいなのか投げ方かはたまたボールの性能か。マスターマインドアインシュタインは現在ブランズウィック社久々のヒットでネット販売している某サイトではここ2週間ずっと注文1位だ。日テレBSのP★LEAGUE(毎週金曜23時30分)でニューフェイス寺島智香が他選手が川崎グランドボウルのレンコンに苦労するなか常にハイスコアで上位進出しているのも手にしているマスターマインドアインシュタインのおかげと私はにらんでいる。買ったばかり投げたばかりで断を下すべきではない。そんなことを思いつつまだまだ暑さの残る西九州自動車道を走らせながら帰宅したのだった。


2015年8月27日木曜日

「リビングかごしま」ドクター紹介

たまたま見た「リビングかごしま」の別冊は鹿児島の医療機関特集だった。あはー、「見せたまえ産婦人科」が出ている。エコー台のそばに座る見せたまえDrが静かに微笑んでいた。「目標は”アットホームな医院” 閉経後のトラブルにも対応」「出産は自然分娩を基本にリラックスして臨めるようにサポート」とある。そうそう、だから落ち着いて麻雀なんかできっこないのだ。雀荘「最高」でやっていたころはたいてい数回は患者さんのことで電話連絡があったし3回に1回は「お産があるから」と途中退席せざるをえなかった。代診を頼むこともできるけど万一のこともあり開業して10年経っているが鹿児島県から出たことがないんだそうだ。(私が東京ドームでWBCの試合を見たと言ったらえらくうらやましがっていた)

気晴らしにパチンコをするくらいだったが3年前に私が誘って麻雀が復活した。しかし以前の強さが影をひそめていた。それが院長室に雀卓を置いて打つようになってからずっと好調、おそらく一番勝っているはずだ。この4ヶ月でお産や診察の中断は3回あった。いずれも3、40分で済み、我々は特にだれることもなく待機できた。 ホームで安心して麻雀が打てることで本来の強さを発揮できるようになったってことだ。今夜も打っている(サブアラド、ダイボ、開けたいゾ)。珍しく私は参加せずみんなの連絡役だけだった。サブアラドDrは「こてるがいないとつまらない」と言ってくれるが、明日は串木野のリーグ、明後日は当直で今日から月曜朝礼のスライド作りをしないと間に合わない。

「リビングかごしま」には他にも知っているDrたちがたくさんいた。同じ吉野には第二内科肝臓グループのOKだネDrのクリニック紹介があり私は「あ、大学を辞めたんだ」と初めて知った(今年4月にオープンとのこと)。その奥さんで私やダイボDrの大学時代同期だったタニカDrは保健センター勤務で健診の話をしていた。ブンイン病院は丸々1ページが割かれ外科のホキヤンDr、消化器内科の高能Drはいずれも数年先輩で私は直接指導を受けたものだ。姶良の中千Drは父親が二内科の大先輩でただ今医院継承中、昨年オリンパスの新型内視鏡も導入したと書かれてあった(青雲会病院も来月導入だぞー)。歯科では坂元の負けんジー先生は歯科医師会のボウリング部のメンバーだ。ちいたは上手になったかな。

「リビングかごしま」はコマーシャルベースの記事とはいえまともな医療情報も載せてあり結構役立つと思った。

2015年8月26日水曜日

看板、解離、見学

朝、姶良インターに降りて県道への信号待ちでハッと気がついた。いつも見慣れた青雲会病院の大看板の左半分が吹っ飛んでいたのだ。そこはちょうど姶良蒲生の分岐点で一旦停止しやすい場所だから病院や店の看板が多くある。でも無くなっていたのは青雲の看板だけだった。私の思っている以上に風の強い台風だったんだ。


昼、内視鏡検査をやっているオマルDrの代わりに救急当番をしていたら急な腰痛、後頭部痛、嘔気で60才代女性が運ばれて来た。冷や汗をかき、いかにも苦しそうで諸検査、画像では腹部CT、頭部CTなど指示した。しかしその痛みに関連ありそうな疾患が浮かばない。そのうち一番痛いのは胸のあたりと言いだしたので心筋梗塞も疑い心電図の他採血も追加を出した。しかしどうも違う。痛みが強すぎる。血圧もその割に低い。もしやと思い、腹部CTの一番上画像をみると、やはりあった。胸部大動脈瘤解離の所見だ。すぐに胸部CTを追加指示し上行大動脈からも裂けているのを確認し即転送を決断した。幸い鹿児島市にある国立病院が受け入れてくれ救急車で転送した。まちがいなく手術になるだろう。でないと命が危ない。夫や家族はこれからが心配で気を揉むだろうが、私たちはほっと一息付けた。始めから胸部CT撮っておけばとは思うが、まあまあ早く処置できた方だろう。

夜、国分スターレーンでマスターマインドアインシュタインの初投げをした。しかし非常にオイリーなレンコンで久しぶりに右から膨らませずに真っ直ぐ5枚目のラインを選択した。ニューシューズも27.5cmにしたこともあって今度はやや緩かったり、ボールのフィンガーチップが私の好みのものではなかったりで微調整も必要になりスコアは今一だった。まあこれから慣らして使えばきっとよくなるだろう。それくらいマスターマインドシリーズは信頼しているしパフォーマンスの良さに惚れ込んでいる。(左がマスターマインドアインシュタイン、右がミッション・コンプリート)

それに今日は好来百合社の見学MRにマイボールを作らせる目論みもあった。彼は前任のサトリョーMRに倣(なら)ってボウリングしたいと言ってきた。で、私のボールをプラグしてそれを彼の初のマイボールにするのだ。これまでこのパターンで何人ものマイボウラーを誕生させたなー。彼にはマスターマインドばっかし使ってしまい最近お蔵入りになったミッション・コンプリートを上げることにした。海広しDrの現マイボールと同じだよと言ったら先生を知っている見学MRは恐縮していたわ。

それと昨日までのマスターマインドインテレクトは難ガターさんに上げることにした。それで彼を待っていたら、電話が掛かってきた。「こてる先生、今日はT-MAXじゃなかったんですか?」「え?国分って言ったよねー」「ああ、もうてっきりT-MAXと思って来たらだーれもいないんで電話してみたんですぅー」「・・・(‾□‾;)」
T-MAXは鹿児島、私たちは国分。正反対方向じゃー仕方ない。結局彼は一人で投げる羽目に・・。お疲れさん。ボールはまた今度上げるからねーー!

2015年8月25日火曜日

風台風がもたらした小さなラッキー

床寝してふと目が覚めたのが午前3時頃。もしかしたら風の音のせいだったかもしれない。予報どおり台風のまっただ中だったようだ。せっかくだから庭木が風に吹かれる様を動画に収めた。あとからみんなに聞くと「すごい風だった」「怖くて眠られなかった」など風の強さにおののいた話しが多かった。私はまあ普通の風台風かなと思っていたが、通勤時にそうではなかったと思い知らされた。

予定どおり県道の鹿児島蒲生線を北上し前半は快調、しかし吉田インター近くから蒲生に向かう道は渋滞ばかりだった。というのもあちこちで木々が倒れて一方通行になっていたからだ。結局1時間以上余計に掛かってしまった。当然朝の医局会には参加できず。7時前に出たキブンDrは10分ほどの渋滞で済んで余裕で間に合ったとか。自分は目論みが甘かったわー。

夕方、内視鏡室にお弁当がいっぱいあった。何々、それ駅弁?そう、これは鹿児島の大手駅弁屋さんの破棄処分になるやつだった。実は新幹線が出るとふんで必要分作ったのだが始発から運転中止となり明日売るわけにもいかないところ、そこの担当者が知り合いのブックリバーDrに譲り渡したということだった。20箱以上もありみんなで分け合いあっという間になくなった。私も2箱と肉巻きおにぎり2個もらい、カールに「今日の夕食はいらないから」と連絡した。そのままだとただ捨てるだけなんてあまりにももったいなさ過ぎる。そこの職員さんも経営の面からはそうしなければならないと知ってはいても、こと食事や食料は粗末にするにはよくないと本能的に感じていたんだろう。鹿児島市とはやや離れた姶良でうまく処分できたわけだ。ごちそうさん。

そうそう、向こう隣の下大損さんが「知り合いの梨農園の人が落下したのをたくさんくれてー」と落下梨を2個お裾分けしてくれた。ちょっぴり傷が付いていたけれど食べたらこれが結構美味しかった。今が食べ頃だったんだろうにねえ。この風台風のせいで商品にならなくなった。でも今日はそのおかげでちょっぴりいい思いができてラッキー!

2015年8月24日月曜日

ゲンちゃん、蝉をじっと見つめる

明日は台風が来るらしい。今度は九州の西側を通り風の影響は避けられそうにないとか。石垣島では車がおもちゃのように横転、反転、台風の威力をまざまざと見せつけていた。帰りの病院駐車場で蝉が鳴いていたがその中にツクツクホウシも混じっていた。おお、もう秋が近い。

そうだ、昨日家を出る直前にうちの窓の網戸に普通の蝉が止まっていてそれをゲンちゃんが獲物を狙うようにじーっと見つめていた。窓ガラスを開けたら野生の本能が呼び覚まされ爪を立て捕獲しようしたに違いない。しかし私が近づいたら蝉はあっという間に飛び去っていった。



帰宅すると待望のニューボールのマスターマインドアインシュタインとニューシューズが届いていた。これで今週の予定がおおよそ決まった。明日は台風だし練習する雰囲気ではない。水曜に初投げしてシューズの具合も調整する。そうすれば金曜の串木野のリーグ戦に間に合う。木曜予定の麻雀はどうしよう。私にしては珍しく少し気勢が削がれた。土曜日は朝勤務してそのまま翌朝まで当直なのだ。4日連続夜に予定が入ることになる。日曜は何もないが月曜の朝礼で副院長スピーチをするためスライド作りをしなくてはならない。スライドは当然まだ「未完成」。腹は決まった。麻雀はしない。開けたいゾ君に行ってもらおう。ニューボールが届くのが遅ければ水曜をスライド作りにあて木曜の麻雀をすることもあり得たがね・・。

さてさて明日の朝の通勤は大丈夫だろうか。予報では午前3時頃鹿児島市には最接近し結構なスピードで北九州に北上するとか。高速はまず使えないが午前7時過ぎに出れば大丈夫か。気を揉みながらいつの間にか床寝してしまっていた。

2015年8月23日日曜日

甲子園校歌オタク本

その甲子園ロス症候群のせいでネットで高校野球関連本を3冊も注文していた。それが今日届きそれらを持って夕方からの病院当直に出かけた。名勝負物語や甲子園のヒーローといったのは持っているし焼き直しが多いので毛色の変わったのを注文した。

「校歌の大甲子園史:渡辺敏樹著」「甲子園「観戦力」をツーレツに高める本:小野塚康之著」「高校野球100年を読む:小野詳之著」で、最初は甲子園出場校の校歌を300以上歌えるというフリーライターが書いた本、次はNHKの小野塚康之アナの高校野球愛を語った本、最後は甲子園がらみの古本をテーマにした古本屋店主の本だ。いずれも甲子園オタクといえる人たちばかりだ。その中で今日は「校歌本」を読んでみた。


校歌オタクは言う。「ソラで歌える校歌のレパートリーも増えてきて、300校程度は頭に入っていると思う。だが、そんな愛好家は決して珍しくないし、300校程度のレパートリーでは『ビギナーに毛が生えたような』レベルでしかないだろう」
ウソでしょう。300校でビギナー並みとどうして言えるんだ?普通の人からみたら300校なんて超オタクか「基地外」だよ。私は鹿実と樟南はだいたい歌えるが池田やPLは歌詞をみればある程度歌える程度、だいたい知っていると言えるのが10校くらいだろう。甲子園オタクを自認する私ですらこうだから300なんて・・。

数ある中で多くの人に甲子園校歌たるものを知らしめるきっかけとなった高校の校歌があるという。それは1976年夏の優勝桜美林高校歌で最後が「♪イエス イエス イエスと イエス イエス イエスと叫ぼ〜うよ〜」で終わるものだった。ああ、あれかと私にも記憶がある。でも、珍しいな、キリスト教系の学校だからかと思った程度だった。しかし、これはその珍しさで「桜美林ショック」とその世界では言われていて、これをきっかけに甲子園校歌の道に入った人が多いそうだ。

コラムに「校歌マニアでよかったと思うことはあるか?」との問いに意外に役に立つことがあるのだとあった。取材や取引先にたまたま野球名門校出身者がいたりするとスムーズに仕事が運ぶことも珍しくないと。その中でエビちゃんこと蛯原友里がブレイクしたころのインタビュー企画で、著者は彼女が宮崎の佐土原高出身と知ったそうだ。佐土原高は2004年に初出場し初戦勝利し校歌を歌っていた。その明るくリズミカルで変化のある展開の校歌を著者は覚えていた。それで「佐土原の校歌っていい曲だよね」と振ったが「そうかなぁ・・もう忘れちゃいました」という彼女にしつこく食い下がり「♪雲いずる 大海原、海鳴りの〜」と歌って上げたらすぐに思い出したようで「佐土原〜さどわ〜ら〜」と二人で校歌をデュエットし、なかなかの貴重な体験をゲットできたんだとか。(ちょぴり羨ましいか・・)

そこで思い出した。沖縄に初めて出張したとき、そこの病院が医療アドバイザーを招待しこれからの医療とはとかいったお題目で少人数相手に講演会があった。終わって立食で交歓会がありその講師と話すチャンスがあった。しかし医師になって4年目のペーペーがろくに話題についていけるはずもない。でも私は講師の興味を一気に引くことができたのだった。
「すみません、先生の出身校は岩手の盛岡一高ですね。一高の校歌は軍艦マーチですよね」「ええ?知ってるのー、そうだよー」「昭和53年に夏の甲子園に出ましたよね。初戦で負けましたけど・・」「そうなんだよ、それっきり出られないんだ」「でも昭和43年でしたか44年でしたか、準々決勝まで行ったでしょう」「そうそう、その時はもう応援してねー」そしておきまりの質問が来た。「ところで君は何でうちの甲子園戦績までそんなに知ってんの?」
盛岡一高は戦前の盛岡中でメロディーがあの軍艦マーチを同じということで校歌オタクでもない私でも知っていた。甲子園でそれが初めて流れたのは1968年でいきなりの軍艦マーチに世間はびっくりしたと愛読書だった「甲子園グラフィティ」という朝日新聞社の本に載っていたのだった。軍艦マーチは私の好きな歌で10年近く前そればかり集めたCDも買ったことがあり、その1曲目に盛岡一高のが入っていてニヤリとしたものだ。

ここまで書いて振り返れば、私も世間一般から見れば甲子園オタクならぬ甲子園「基地外」と思われているンだろうナー。

2015年8月22日土曜日

高校野球・バクチと予想

夏の甲子園も終わって2日経った。今年は例年になくハマって観戦したのでいわゆる〇〇ロス症候群じゃないけれど何かがぽっかりあいて消失したような感覚が残っている。

今回、初戦を見た各校の戦力では東海大相模と仙台育英の2校が抜けていると感じ、途中クジで当たらなければこの2校が決勝に残るだろうと予想した。ホントだ。結果が出てからならいくらでもそう言えるだろうと思われるのがイヤだが正直にそう思っていた。野球などしたことがないけれどずっと高校野球を見続けているからだいたい分かるものなのだ。で、決勝直前、内視鏡室助手のスタッケイ君に「どっちが勝つと思う?」と予想させると「仙台育英です」と即答だった。私は「ううむ、パーセントでいえば55対45くらいで東海大相模有利だな」と言った。そうですかぁといぶかしげだったが、中盤6対6の後相模が押しきった内容からしてだいたい当たったといえるだろう。後で彼に「どうだ」と言うと「参りました」と頭を下げていたよ。

ならば世間地下で行われていると思われる高校野球賭博などやれば勝てるじゃないか?でもそれはダメなのだ。例えば2回戦の鹿実対中京大中京戦、予想では実際この日記にも書いたとおり中京有利とした。従ってバクチするならそっちに掛けることになろう。しかし心情的には鹿実を応援しているので試合を楽しめず予想どおりにお金が入ってもしっくりこない。もし全試合掛けの対象にしてしまえば高校野球観戦が楽しめなくなる羽目になる。あれは純粋にバクチ好きな人がやるものだろう。

実はもう27、8年ほど前のこと、出張した病院では驚いたことに事務局がごく少額だが職員に予想クジをさせていた。私は予想と期待がごちゃごちゃになって当然のように外れてしまった。そのたった1回の経験で高校野球オタクはバクチには向かないと悟ったのだった。

2015年8月21日金曜日

ワレメルール初体験

人間ドックの利用者に「下田平」さんがいた。よっぽど尋ねたかったよ、「人から言われませんか?『ちょっとシモタビラ』って」と。鹿児島ではよく使われるフレーズなんだ。もう私たちの麻雀では地口(じぐち)言葉でしょっちゅう使われる。そこから派生して打牌の選択ミスをしたときなど「あ、ちごたビラ(違った、コラ)」なんて言うようにもなった。ほとんど原形を保っていないわ。(^ ^;

夕方18時前になって川内のしんどかどDrから麻雀の誘いがあった。「(きっと)ダメだよねぇ」と遠慮がちだったが、できないこともなく、カールに了承をとってOKした。昨日はいつものメンバーと打ったし明日はどこかドライブでもと思っていたのだが・・もう連続3、4回もお誘いを断っているし彼にも多少悪いなという気持ちもあったのだ。

そこから飛ばし、蒲生、樋脇を通って1時間もかからず川内に着いた。メンバーはしんどかどDr、業者のスモリバさんに初手合いの武国さんだった。ルールはいわゆるナシナシ麻雀でしんどかどDrがそれでいいかと尋ねるもそこはホストのルール優先で私が決めることではない。ただ一つだけ、南場もノーテン親流れをするようにお願いした。南場の親ノーテンは連チャンという昔のルールでそれでは場が間延びし時間もかかる。そこは彼も即同意してくれた。場代がかさむのはやはり好まないようだ。

前回川内で打ったのはいつだったかな。初めて負けてしまって今回は雪辱戦でもある。1回目は序盤我慢して満貫上がって先行するしんどかどDrの隙をうかがった。丁寧に打てば負けるはずない。前のように舐めた打牌は慎んでいるとチャンス手が実り3コロトップで終えられた。終わってみればしんどかどDrはビリだった。
2回目、3回目は連続ビリだったが大きなマイナスではなく4回目また3コロトップでトータルでもトップに立った。ここまで目論みどおりである。で、夜も更け、あと1回半荘出来るかどうかとなったときに「このままだと場代が出ない。点数の動きを大きめにしてドボンが出やすいワレメルールにしよう」としんどかどDrから提案がありあっさり受け入れられた。

ワレメルール。私はもちろん知ってはいたが実際にそれで打つのは初めてだった。さいころ振って配牌を取り出す方角に当たった打ち手は上がれば通常の倍の点数もらえるが他人が上がれば倍の支払いをするというトンデモルールである。ワレメに当たった打ち手は親満でも振れば24000点の支払いになり持ち点25000点だから一気にドボンの危険がつきまとう。果たして東1局、いきなりワレメに当たった私は白と8ピンのシャンポン待ちで聴牌し打2索でリーチ。しかし!その2索がたった今聴牌したばかりの親の武国さんの一盃口ドラ1の3900点に当たってしまう。ワレメだから7800点と大きい。あいたた、早くも洗礼を受けた。でもだ、次局、一気に半荘が終わってしまう。しんどかどDrが武国さんに親満放銃し即ドボンになったのだ。はぁ〜、コワイねー、このルール。

ここで終わるはずがまだ30分ほど時間があるとのことで6回目の半荘へ突入。しかし今度南4局まで行き、「そろそろ時間ですよ」と店主に言われる羽目になった。後半ねばってちょい沈みの3位で終わりトータルではほんの少しの浮きで終わった。負けなくてよかったというところだ。ワレメルールはやはり肌に合わないが、麻雀打ちとして一度経験出来て良かった。それと時間を気にしながら打つのは少し忙(せわ)しなかった。しんどかどDrもじっくり打ちたいとクリニックに雀部屋を作る予定があるそうなのでその時は私にアドバイスをもらうと言ってくれる。ふむふむそういうことならいつでも手伝いましょう。4649!

2015年8月20日木曜日

爆笑アナ謹慎

今日は久々に見せたまえ雀荘で麻雀で、結果はサブアラドDrの一人勝ちで「こんなに勝ったのはどんだけぶりだ?」と本人が言うくらい久しぶりのことだった。

さて、仲間内で麻雀打ちながらお互いにだべり合うのは通常の光景だがそんな話題の一つにダイボDrのがあった。
「そうそう、この前フジTV系の桜島の中継で笑ってしまったアナウンサーがいただろう。あれはKTSの夕方のニュースをしてるアナウンサーなんだけどそれ以来パタッと出なくなっているんだよ」
へー、私はフジTVのレポーターと聞いていたのでまさか地元アナのやらかしたこととは思っていなかった。ネットで調べるとその一件は↓にまとめられていた。

「15日放送の「FNNみんなのニュース Weekend」(フジテレビ系)で、中継先のリポーターが爆笑する映像が映ってしまうハプニングが起きた。鹿児島県・桜島の噴火警戒レベルが4に初めて引き上げとなったことを受けて、番組では現地にいる鹿児島テレビの小鍜治宏将アナウンサーに中継をつないだ。しかし、中継先の小鍜治アナら現地スタッフは中継に切り替わった事に気づいていなかったよう。小鍜治アナが、カメラの向こうにいるとみられるスタッフからの言葉に、笑う場面が放送されてしまったのだ。直後に小鍜治アナは中継に変わったことに気づき、多少慌てた様子でリポートを始めた。ただ、周辺住民が避難している様子や対象エリアの状況などを落ち着いた様子で伝えていた。」

これでフジTVには「不謹慎だ」などと抗議が殺到したんだとか。どうもそれでKTSは彼を謹慎にしているようだ。うーむ、処分としてはありうるな。でもまたほとぼりが冷めたら普通に出てくるだろう。中継のタイミングなど彼一人に責任を背負わせるほどのことでもなさそうだし。
カールにこの話をすると、「へー、そうなんだ。あのアナウンサー、私の知っている某ダンスの先生がすっごいタイプだとべた惚れだったのよ」と教えてくれた。インタビューを受けたことがあってそれかららしい。付き合っているわけではないが、それくらいいい感じの好青年ってことだ。

最近フジTVにはいいニュースがなくネットではやたら叩かれていてこれもその一環としてみられている。かつて視聴率1位を取っていた頃の勢いがないようだし弱り目には祟り目ってこのことか。ただ、私は大きな声では言えないが、このくらいのことでTVに抗議するという「視聴者」とやらには日常生活ではあんまし付き合いたくはない・・な。
(その後、8/26には小鍜治アナが夕方のニュースに出ているとの情報も入った)

2015年8月19日水曜日

生前DVD

13時からのトミーおばさんの葬式に間に合うよう急いで昼食を摂り黒ネクタイを締め葬儀場に向かった。ここで昨夜作ったDVDも忘れずに持って入った。ちょうど開始直前ですぐにスチョル先生に「トミーおばさんのDVD、同じもの兄姉4枚分です」と渡した。

これは20年以上前にトミーおばさん宅を両親らと訪問した際にビデオに撮っておいたものだ。11月3日のおはら祭りを見に行く前にまだ1才になる前のテルを連れ、そしてデンコー、あこネーサは2才半くらいのヒラーキの長女アサちゃんを連れ訪問した。ビデオではいきなり庭でのアサちゃんのおしっこから始まり恐縮ものだが、すぐに表札から玄関そして奥からトミーおばさんが登場、「あらあら大きくなったねー、お久しぶりー」という声で始まり一気に生前の雰囲気が醸し出され、まるでまだ生きているような錯覚に陥る。思い出の品としての写真はありふれているが動画は意外に持っていないものだ。ハピロング家の部屋の間取りも撮っていて今となっては貴重だろう。トミーおばさんの家訪問のこのビデオは5年ほど前にいつかスチョル先生に上げる機会もあろうとVHSからハードディスクレコーダーに取りだしていた。まさかこのタイミングで上げることになろうとは・・。

家族葬って全くの初めてで本当に参列者は少なかった。ハピロング家以外では私も含めたった4人だった。葬儀は読経を含め普通と変わらず1時間もかからずに終わった。そして柩が霊柩車へ移動する時に玄関ホールでふいに唱歌の「ふるさと」が流れてきた。ほう、アカペラで良い声だがいったい誰のCDかなと思った。私は唱歌のCDは結構聴いているが初めて聴く「ふるさと」だった。ふと、入り口を見ると葬儀社の若い男性社員が直立不動で歌っているじゃない。CDなんかじゃなくライブだったのだ。

外は暑く蝉の声も聞こえた。まだまだ夏は続いている。

夜はT-MAXでボウリング練習。サトリョーMRの同僚で今度青雲会病院担当となった見学MRが初参加だった。今日はハウスボールだがすぐにでもマイボールを作りたいとのことで帰り際私の余っているボールを上げると約束した。T-MAXの3点セットのボールはおニューでも今一で古くても一級品の方がいい。また一人マイボウラーの誕生だ。

2015年8月18日火曜日

偉大なるトミーおばさん

ブックリバーDrはいつものように内視鏡の仕事に来てくれていたがいつもよりずっと早く昼前には病院を後にした。昼には6人目の子どもの出産が控えていたからである。奥さんは5回目の帝王切開でさすがにリスクが大きいため市立病院での出産になった。予定は男の子で4人目という。しばらくまた大変な日々だろうがまずはめでたいことだ。
今時6人の子持ちは大変珍しい。でも甲子園、九州国際大付属高のピッチャーは14人兄弟姉妹だって。もうビックリを通り越してアングリの世界だ。

生まれる子があれば亡くなるお年寄りがいる。昼過ぎ、携帯にあこネーサ母とカールから交互に何度か送信記録があるも検査中で気付かなかった。何事かと思えば出水のトミーおばさんが亡くなったということだった。ああ・・。聞かされればいつそんな連絡があってもおかしくはなかった。すでに90才代半ばのはずで最近はベッド上での生活だった。それで母が言うには亡きがらは姶良の葬儀場へすでに向かっていて私にどこで(葬儀が)あるか知らないかということだ。そんな今聞いたばかりなのに知るはずがない。葬儀場だって姶良には数ヶ所あるわけだし。「明日になれば新聞に死亡広告がでるのでは?」と言うと、家族葬にするらしく香典もお断りなんだとか。せめて弔電を打ちたいというので姶良の長男のフクスヂ先生宅でいいはずよとアドバイスした。

トミーおばさんには父デンコーをはじめ私たちは相当お世話になった。父の母すなわち私の祖母オエイが11人姉弟の一番上でトミーおばさんは確か下から2番目だったと思う。父からみると叔母にあたるけれど年令は従姉に近かった。戦後10年くらいしてから鹿児島に居を構えていて、父が船舶免許を取るときも居候させてもらったと聞いたことがある。昭和41年に私たち一家が鹿児島に移った後も進学や結婚など節目節目で貴重なアドバイスを頂いたものだ。父が急な手術で私の結納に出席できなくなった時、急遽沖縄まで代理で出てもらったこともあった。カールは「結婚後も原良のおうちにおいでと言われとてもよくしていただいた」と言っていた。

私は出水の三男スチョル先生に電話を掛け、通夜、葬儀の会場を聞き、夕方、出かけた。青雲会病院から車で数分、近すぎるくらい。入ると家族以外では私だけで、県外の長女ヨーコさんと出水の三男ファミリーはまだ到着していなかった。長男フクスヂ、次男てげてげ両先生は沈痛な表情で大往生とはいえ悲しい心情であることが察せられた。遺体はまだ死化粧中だった。「これでよろしいでしょうか」とナチュラルに化粧され横たわっているトミーおばさんを見ると目を閉じ小さくなっているが生前の面影が偲ばれた。「それでいいです」とのことで、ちょうど到着したスチョル先生もいっしょにお別れの言葉を掛け柩にみんなで入れた。軽かった。

そして柩が祭壇に移動されるころ、私以外の通夜訪問者で頴娃のマサカビラ先生夫妻が来られた。マサカビラ先生の亡父は11人姉弟の1番下である。マサカビラ先生は中学高校のころトミーおばさん宅に居候していたそうで、今晩は当番医だったそうだが是非にと通夜に来られた。デンコーも生きていたら同じようにきっと来ていたことだろう。8年前、父が亡くなる日の昼前、トミーおばさんは出水から枕崎までお見舞いに来た。てげてげ先生らが車椅子に乗せてのことだった。おばさんは息も絶え絶えで酸素吸入中の父の姿を見て「およ〜、デンユー」と頬をなぜるも、父は意識朦朧でかすかに目を開けうなずいただけだった。それから約6時間後に父は息を引き取った。

明日の葬式は家族葬ということだが、始まりが13時と知り、これは仕事の都合がつけば出席できるのではないかと思った。式が1時間ほどならちょうど昼休み時間で病院にも迷惑を掛けない。よほど救急患者でもいない限り出ようと思いつつ、通夜をおいとました。

トミーおばさんの子ども4人のうち男3人は全員医師になり娘の子も医師になり孫は全部で5人医師になっている。これはすごい。デンコーが私とヒラーキを医者か歯医者にしたいと熱望したのにはトミーおばさんの影響があったのは間違いない。私と父が鹿大の合格発表を見に行き、結果を最初に知らせたのはもちろんあこネーサ母だったが、帰宅するとトミーおばさんが既に来ていて「よかったがー」と喜んでくれた。私は高校生の頃おばさんに「法学部って何で文系で一番人気なの?」と尋ねたことがあった。すると「そうね、法学部はつぶしが利くからよ」と答えてくれた。まさしくその通りと今の私でも思うが、当時それを聞いて文系進学に是が非でもと魅力を感じなかった。かといって理系科目は苦手分野で大いに迷ったものだ。あえて強制はされなかった。しかし父デンコーとトミーおばさんがいなければ今の「ドクターこてる」はなかったとだけは言えるのだ。

2015年8月17日月曜日

黒由紀姫〜777

昨日は中央駅に立ち寄ったところ柏木由紀の等身大パネルがあって「黒由紀姫」とのタイトル文字が記されてあった。鹿児島県のイメージカラーでもある黒をアレンジしたキャラクターというわけか。ふふ、もっともAKBオタクなら思わずニヤリとするだろう。柏木由紀には「ブラック=腹黒」なるアダ名もあるのだ。AKBメンバー総出演の「マジすか学園」では登場人物にそれらしきアダ名が付けられ彼女は「ブラック」だった。本当に腹黒いわけではなく、みんながいっしょにご飯食べに行こうと言っても自分の時間を大事にするタイプで十中八九断るとか、後輩が1年前にアドレスを教えたが、いまだに1通もメールが来ない」「ゆきりんさんからメールが返ってくると思って送っている人はいない」「メールを送ってかえってきたとしても1日、2日後」といった身内へのつれなさが元ネタでそうなった。握手会で丁寧で神対応と言われていることの反動かもしれない。

カールが閉店セールだからといって構内のシューズ店「アリマアリマ」に寄った。私は興味ないのでぶらりとしたあとは外に出て待っていた。でも入り口にあったクロックスサンダルのお化けにはびっくりした。8月16日で閉店だそうだからこれが撮影の最後のチャンスだったってことでラッキー!

帰宅前にガソリンの給油をした。団地内のここGSは入れ終わるとサービスでスロット画面になりそろった絵柄でリットル1円から5円までの値引きをしてくれる。ほとんどが1円引きでたまに2円引きがでるくらい。これまで最高はBARが3枚の4円引きだった。ところが今日は何と777がそろったじゃない。うわー、初めてだぁ〜。すかさずデジカメを車内から取り出し画像を記録した。何かいいことあるかしらん。



2015年8月16日日曜日

たかが焼き肉に待つこと1時間半

(ただ今、8月25日の午前3時45分。台風15号がちょうど通り過ぎようという頃で窓の外からは吹き付ける風と雨音が聞こえてきています。)

昨日はカール、チッチと中山にある焼き肉屋「ホワイトリバー」に行った。「肉が食べたい」というチッチの要望にふとこの店を思い出した。何年も前から「いい焼き肉屋がある」と言われ、行こうと思いつつも場所が鹿児島の北と南、ついつい億劫になり一度も行ったことがなかった。時間に余裕があったのでこんな時こそと出かけたが18時半ごろ受付をして店に入れたのは20時ごろ、つまり1時間半も待ったというわけ。普段なら絶対に待たない。30分でもどうかだが、カールはこんなこともあろうかと今月号の文藝春秋を持って来ていた。すでに又吉直樹の「火花」は昨日読み終えて「初めて買ったけど他にも読むのがいっぱいあるからこれなら(買っても)安いもんだわ」と涼しい顔だ。一般主婦が買うくらいだから文芸誌が100万部超えるのも納得だ。私も何か本を持って来ればよかったが代わりにデジカメで夕日を撮ったり溜まっているいらない写真を整理したりして時間をつぶした。

せっかくなので頼んだ肉は最上級とその次のランクのやつを頼んだ。当然美味しくまあ値段もそこそこゆえに人気があるのだろう。21時前に店を出るときもまだ客がいっぱいいたからすごいもんだね。でも次はもう来ないかも。遠くに来てさらに長時間待って食べるのはさすがにしんどいしー。

甲子園の高校野球ではその日の第1試合がいわゆる流れをつくると現場では言われている。例えば大会初日は鹿実が初回に先制し北海に大勝した。すると中京、上田西も初回先制し勝利と続いた。今日は秋田商が接戦で健大高崎を4−3で下すと中京対関東一は0−0からオコエのサヨナラホームランで1点差勝利、その後も仙台育英4−3花巻東、興南4−3鳥羽と似たような試合が続いた。初日は先制チーム勝利、今日は1点差試合というキーワードでまとめられるってわけだ。これには延長試合の場合もある。今回も3日目が4試合中3試合が延長だった。確か昭和48年にも4試合連続延長という記録もあり、ちなみにこの時は江川卓の作新学院対柳川商(現柳川)も含まれている。甲子園というあの空間がなにがしかの連鎖反応を起こすのかもしれない。

2015年8月15日土曜日

災害・避難警報

休みで朝一の早実対東海大甲府の試合を見てプレッシャーの中の清宮のホームランに驚いていたころ、不意に携帯から大きな警告音が鳴った。

「災害・避難警報、火山噴火情報」とあったので屋久島隣の口之島の噴火でもあったのかと思いきや、「桜島に噴火警報(避難準備)が発表されました。」とあったからびっくらこいた。うちからは桜島は見えないけれど外の雰囲気は真夏の暑くてけだるさがあるだけで避難しなくちゃならないような慌ただしさはない。すぐに噴火するのだろうか。南日本新聞の桜島画像を調べてみたが全く噴煙が上がっている様子はない。TVチャンネルを回すが噴火したわけではなく、どうやら火山性地震が頻発し大噴火の前兆疑いで発表されたようだ。うーむ、100年ほど前の大正噴火のようなことが起これば大変だ。でも10kmも離れた伊敷台でじたばたしても始まらない。で、そのまま高校野球を見続けた。NHKの画面は左上に緊急災害枠が出て見づらいのでBS朝日に切りかえた。これが津波警報で海岸近くに住んでいたらとりもなおさず車でまっしぐら逃げたかな。地震がなければ意外と高校野球を見続けたりして。人って実感できない予報はついつい日常をそのまま継続してしまう癖があるから・・。

でもあの警報音、例えば大勢の朝礼の時などに鳴ったらさぞ壮観、いやみんなびっくりしたでしょうナ。

2015年8月14日金曜日

アンタ、見切られてるネ

昨日から今朝にかけては当直だった。外来患者は9件、病棟の看取りが1件で、外来は夏場のせいで外傷系が4件とやはり多い。日焼けで皮膚が痛くて眠られず深夜に受診してきた若い男性もいた。そしていつもの(このところ最低1件は来る)過換気症候群に、珍しいのがネコアレルギー患者といったところ。

最後にどっと疲れたのが深夜3時半の夫婦げんか後の男性のケース。これはけんか後、妻が警察を呼んだのを知らず、むかむかしていた男性は睡眠薬をアルコールとともに一気に10錠くらい飲んでいた。警察がやって来たころ気分が悪くなった男性は嘔吐してしまい、事情を知った警察が救急車を要請したのだった。しかし病院に来たころは男性は意識レベル清明だった。胃や腸で吸収される前に吐いてしまったので眠りこける間もなかったのだ。症状はアルコールによる顔面発赤くらいか。

点滴をし入院を勧めたが本人にはその気はない。まあ入院しなくても問題はなさそうだ。警察は帰り、点滴も200mlで終わり、帰宅してもらおうという段になって本人は財布も携帯も持って来ていなかったため、当直看護師のピラ健君が自宅に電話をしてみた。しかし誰も出ない。「奥さんはどうしているのかな」と尋ねると「多分もう家にはいないと思います」との答えだ。ほう。「どこに行ったのだろう」「実家のある〇〇かと」と車で1時間はかかる地方都市の名をあげた。「今までもそういうことがあったの?」「ええ・・」ふーむ、妻は見切っているみたいだ。どうにかタクシーで帰ってもらい、ようやく床につくことが出来たのは午前4時半頃だった。

夜はチッチとT-MAXでボウリングだった。お盆で客が多く、案の定レンコンは荒れていた。中央付近がドライなためスコアは全く伸びず。チッチも「今日はいつもと違う、調子悪い」とぼやくもそれは自分のせいじゃないのよ。おまけにおニューのシューズがきつくて、がっくりだった。27.0cmと長さは変わらないのにおかしいと帰宅して調べると幅がEEになっていた。以前はEEEもあったと思うが現在はEEのみしか取り扱っていないと仕様に書かれてあった。同じ商品でも仕様変更することはままあるが気付かなかった。私は足幅が広いので最低でもEEEは欲しい。せめて27.5cmを注文していたらまだ余裕はあったのだがー。交換してほしいくらいだがダメだろうな。しばらくしたら足の方がシューズに慣れるか?次回試してダメならこれはいずれ同じサイズのチッチに上げることにして別の銘柄買い直そう。

2015年8月13日木曜日

「あれはアウトだった」

甲子園大会も回が進み今がたけなわだ。昨日は鹿実はやはり中京大中京には3−7で負けていた。勝っては欲しいが中京には分が悪いだろうと思っていたので仕方ない。今日の早稲田実業は広島新庄との抜きつ抜かれつの接戦をものにし7−6で勝った。1年生の清宮君は大注目の中結果を出している。話題をふりまけるのもある種の才能で甲子園はその格好の舞台だ。1回戦で負けたりすれば話題もしぼみがちだったかもしれないものを妙にチーム力が上がっているようで勝ち進んでいる。彼は非常に運がいい。いわゆる「持っている」男だ。

さあて、リアルタイム観戦だけでなく今年はNHKを中心に高校野球100年の特別企画がいっぱいあって好きな私らにはたまらない。映像を交え名勝負を振り返ったり「延長」や「逆転」などテーマ別に紹介したり都道府県別ベストゲームもなかなかの労作だ。その中でゲストに金村義明を迎え、昭和56年(1981年)の報徳学園優勝の時、3回戦の対早稲田実業の逆転ゲームがこの前詳しく紹介されていた。そう、その時は私も見せたまえ君のマンションで麻雀しながら見ていたのを思い出す。一時0−4だったが8回に1点返し、9回裏に3点差を追いつき延長に入りついには5−4でサヨナラ勝ちした。しかしそのきっかけになったのは9回裏ノーアウトの金村のセカンドゴロだった。早実セカンドのファインプレーで一塁送球、しかし間一髪セーフのコール。これを足がかりに逆転出来たのだが、後年互いにプロになった頃、荒木大輔は「あれはアウトだった」と言い張ったと金村が述懐していた。

まあ、有名試合にはありがちな話題だ。古くは巨人阪神の天覧試合の長島のサヨナラホームラン、打たれた村山は「あれはファールだった」と譲らなかった。あの松山商と熊本工の奇跡のバックホームも「実はセーフだったのでは」と特に熊本では言われていたそうだ。後に私とチッチはバックホームをハードディスク録画ビデオでじっくり検証し、間違いなく矢野選手の返球がジャストで捕手のミットに収まり星子選手がベースに着く20cm弱前でタッチしアウトだと確かめた。私ももしやという気があったのでその後はすっきりこの名場面を振り替えられるようになった。

で、荒木大輔の訴えは実際のところどうなのか。同じようにビデオで検証してみた。するとだ。結論から言えば荒木が正しかった。金村は必死に1塁に走り審判は迷いもなくセーフのジェスチャーをしているがセカンドの捕球&送球が見事で金村がベースに着く約30cmも前でファーストミットに収まっている。紛れもないアウトだった。もしこれが正しく審判されていれば1アウトランナーなしで果たして報徳の逆転が成ったかどうか。野球は分からないとはいえかなり厳しかったと思われる。そうすればその後の報徳学園の夏初優勝はなかった。金村もこのあたりから注目され始め結局優勝し後にプロ野球選手にもなれたが優勝投手という話題性は得られず普通の選手で終わったかもしれない。審判のジャッジ一つでその選手の人生すら変えてしまうことがある。プロよりも一発勝負の高校野球でこそ正確な判定をするよう私は望む。

さあ、下がその疑惑の判定の証拠ビデオだ。とくとご覧あれ。さあボールはファーストミット直前にまで来ている。(↓)対する金村は・・。
 ボールがミットにまさに触れようとする瞬間(↓)まだ金村の足はベースのずっと手前。
 完全にミットにボールが収まっても(↓)まだ足はベースに着地していない。明白!
(↑)そのとおり!!

2015年8月12日水曜日

ブックリバーDr来訪

夜、ブックリバーDrが初めて我が家に来てチッチも交えいろいろとためになる話をしてくれた。彼の経験談が中心で特に他大学に在籍していたものの医師になりたかったという思いがふつふつとあって、ついに退学しまさに背水の陣で勉強に打ち込んだそうだ。その間世間的なことはいっさいせず没頭したという。頑張るべき時に頑張らねばならない、鉄は熱いうちに打てということだな。

ボウリングシューズが届いていた。ABS社のNV3で試しに履くとやや足幅が狭い気がした。近いうちに実際にボウリング場で試着し投げてみなくては。明日は当直だから明後日チッチといっしょに久々投げに行こう。そうだ、セージは今朝、沖縄に遊びに行っちまった。泊まるところはギボヒサコのところだが、数日後大学の友人らと向こうで落ち合い名護にある友人の家で目の前が海の見えるところらしい。いかにも大学生らしくて羨ましいゾ。(今日はここまで遅れているので少しでも先を急ごう)

2015年8月11日火曜日

勝負どころ、その時カールは

夕方、内視鏡をしながら甲子園は興南対石見智翠館(島根)の試合を時々ネットでチェックしていた。6回か7回で興南が4−1とリードしていたのでまあ勝だろうなとさほど気にとめていなかった。しかし8回裏の時点で確認すると何と4−5で逆転されているじゃないの。そのまま9回裏になり、ヒットを足がかりにランナー2塁からライト前ヒットで同点に追いついた。こうなれば後攻は強い。果たして代打の背番号18城間がレフト前ヒットを打ちサヨナラ勝ちとなった。城間君は県予選でも一度も打席に立ったことがなかったのにそれがなんとサヨナラヒットで一躍お立ち台だ。興南くらいになると控えといってもレギュラーとそんなに差は無いんだ。

ムッちゃんNsらに「今の試合、家ではカール(沖縄出身)がハラハラしながら見ていたはずよ。そして今どうだと言わんばかりに胸を張っているに違いない」と話した。

で、帰宅して「興南勝ったね」と切り出すと「よかったわー、勝てて」私と一呼吸して「実は8回の表の相手の2アウトランナー無しで(興南が4−1だったので)勝ったと思って10分くらいコープに買い物に行ったのよ。それが家に帰ったら負けているじゃない」と言いだし、それでTVにかじりついたのかと思いきや、「で、チャンネル替えたの」だと。「えー、なんで。一番ハラハラドキドキの場面じゃない」と問うと「もう、怖くて見ていられなかった」だって。あー、いるんだよな、そういうタイプ。自分が見ていると負けるから見ないって人、結構いる。私の予想は大いに外れだったわけだ。で、サヨナラ勝ちの場面は見ていなかったのかと聞けば、セージが「何で替えるんだよ」とチャンネルをまた戻したため見ることが出来たとか。そりゃよかった!

2015年8月10日月曜日

ジチュ・ダケ

近くの開業医の先生から紹介状が届き嘔吐もあったので内視鏡検査依頼をとのことだった。よくあることなのですぐに指示を出そうを思ったが、ふと紹介状の中の英単語に目が行った。その先生は嘔吐を英語の手書きで書いていた、「vomitting」がありますと。これは綴り間違いだ。正しくは「vomiting」。この間違いは実に多い。ドクターの1/3くらいはこの綴り間違いをする印象だ。ボゥミッティングと覚えてしまい「t」を重ねてしまうのである。発音するならボウミティングであってそれなら綴り間違いも減るだろう。開業医先生に教えてあげたいくらい。もしこのブログを読んでいる人で自分もーと気がついたらさっそく直そう。こてる先生に言われる前にぜひ!

栄養科の長かよさんが朝礼でスライド発表をした。彼女は青年海外協力隊に参加しブータンでしばらく過ごしたことがあるという。青年海外協力隊は試験があり合格は難しくこれに参加するのが夢という人もいるくらいだ。そのブータンでの活動の合間に10日あまりヒマラヤのトレッキングをした経験を紹介していた。色々素敵な風景、見どころがあった中で私は1枚の山の写真に目を奪われた。雪で被われた岩山でまるでマッターホルンのようだ。尖った剣先は日本の槍ヶ岳など目じゃないっていうくらい。いったい何ていう名の山で高さはどれくらいだろう。

午後、長かよさんに会って尋ねてみた。「確か『ジチュ・ダケ』って言っていました」「ジチュダケ?自治岳みたいな名前だね、へーえ」さっそくネットで調べてみた。ブータンの名峰の一つで高さは優に6000mを超えさすがヒマラヤだ。登るのは普通の人には無理だがトレッキングで眺めるのはそうでもなさそう。一度直に見てみたいなぁ。下に画像をアップするが、どう、格好いいでしょう。綴りは「Jichu Drakey」でジチュ岳ではない。

ちなみにこの山の高さは記載によってまちまちで6989mもあれば6809m、6942m、6794mの他ざっくり7000mもあった。いったいどれが正しい標高なんだ?エベレストは8848mとちゃんと確定しているのにー。下は氷河湖に映えるジチュ・ダケとトレッキング中に見られる可憐なブルー・ポピーの花。ともかくもいいところのようだ。


2015年8月9日日曜日

なぜ智弁和歌山は惨敗したのか

お盆には早いがセージとチッチも家にいて休みなのが今日ぐらいしかないので実家に墓参りに向かった。甲子園は智弁和歌山対津商戦をやっていた。カールの車だったので助手席でこの試合を見ていた。21回目出場の有名強豪と初出場の対戦とあれば日刊ゲンダイならずとも智弁の勝ちを予想する。しかしこれが今大会すべての初戦の中で一番の番狂わせとなった。

智弁が1回の裏に早くもヒットを重ね2点を先取したがもっと取れそうだったのにそこでうまくしのがれてもつれる予感がした。案の定その後津商はしぶく点を入れ同点になった。でもまだ智弁がいずれ点を取るだろうと周囲も本人たちも思っていたに違いない。しかしセンターの暴投で本塁突入ランナーを得点させたあたりから守備がおかしくなった。もう見ればエラー動けばエラーのオンパレード。初出場校はどっちよと言わんばかり。ことごとく津商の得点に結びつきあれよあれよと大差がつき8回に智弁の有名応援歌「ジョック・ロック」がかかり2ランホームランが飛び出すもそこまで。9-4で智弁は敗れてしまった。一つのエラーの連鎖反応で高校生心理のもろさが出たと単純に考えていいのか。甲子園オタクとしてはなぜこうなったのか現時点で検証してみたい。

そもそも智弁和歌山は強豪校と知られているが意外に初戦で負けることの多い学校である。20回出場して9回も負けている。同じ強豪と知られる明徳義塾が初出場から16回連続初戦勝利し1回も負けていないのとは対照的だ。私が考えるのはこれは調整方法の違いによるものではないかということだ。以前、智弁の高嶋監督のインタビューを読んだことがあるが、監督は「優勝でなければ1回戦で負けるも同じ」と考えているらしい。それで甲子園大会に入って調子が上がるように県予選中もへとへとになるまで身体を鍛えるらしい。そして本番に入る。すると身体がだんだん軽くなり疲れも取れてくると試合で活躍し始め特に打力に任せて圧倒し、優勝、準優勝となる。しかしこの調整法だと予選でころりと負ける可能性があり実際そうなることもあるらしい。

逆に明徳は予選から甲子園初戦にピークを持って来ているようだ。初戦には何が何でも勝つ方針でそれは学校の方針かもしれない。初戦は事前に対戦相手が決まってから日数が結構ある場合が多い(最大で9日も間があく)。対策を立てやすいわけだ。しかし3回戦、準々決勝と進むにつれデータがあっても対策する時間はそうはない。しかもピークが前半なのでそのころは調子が落ち後半勝てなくなる。
そもそも予選や本選初戦にピークが来るのは明徳が高知県にあるのも関係がありそうだ。高知には野球強豪校が多い。高知、土佐、高知商などなど。そこにピークを持っていかないと甲子園に行くことが出来ない。それに比べ和歌山は智弁以外そんなに強豪校はない。他に有力私立がなくかつての箕島もそもそもが公立高で尾藤監督亡き今は中堅レベルだ。予選にピークを合わせなくてもちょくちょく県優勝出来る環境ゆえに本選に焦点を当てる調整法となったのかもしれない。

智弁和歌山は夏20回出場で優勝2回準優勝1回、春は11回出場で優勝1回準優勝2回となかなか立派である。対して明徳義塾は夏16回出場して優勝1回準優勝0回、春は15回出場で優勝0回準優勝0回と全く振るわない。初戦はほとんど勝っているのにー。春は初戦に限って言えば智弁は11戦して8勝3敗と夏に比べ成績はいい。明徳も春は13勝2敗とこれまた優秀だ。春は夏と違い予選がなく秋の段階で出場出来るかは予想がつき調整はしやすいためか智弁も初戦はだいたい勝つ。ただ初戦で負けても決勝戦で負けても同じという高嶋監督の思想と初戦は何がなんでも勝つという馬淵監督の調整法の違いが優勝準優勝回数の違いを生んでいると思われる。

今大会、高嶋監督は監督勇退を考えていると伝えられている。勇退するつもりの監督は何を考える。初戦だけは勝ちたいと考えるか?これまで最多勝利数記録を持っている監督がそんなちんけな思いで戦いに臨むだろうか。「有終の美を飾る」高嶋監督はいつもより優勝を強く望んだのではないか。ならば初戦で負けるかも知れないが優勝する可能性のある調整を選手たちに施したと考えても不思議はない。その結果、まだ疲労の残る選手たちは本選であるにもかかわらず集中力を欠いた。あのエラーの連鎖は体力、集中力がピークに達していない状況下で生まれたのではないだろうか。

同じような力量を持っていても調整法で結果はかくも変わる。今回の智弁和歌山の惨敗はそれが原因だったと思えてならない。

2015年8月8日土曜日

遅刻だっ!急げ!

深夜はTVビデオで甲子園か山岳がらみの録画を見つつ居眠りするのが最近のパターンだ。昨日はどっちだったかな、今朝は疲れが溜まっていたせいかカールが5時半に来て起こしてくれるも「まだ寝る、あとで起こして」と言って二度寝した。長島のバタフジ先生のところで大腸内視鏡を頼まれていたのだ。

何か夢をみつつうとうとしていたら「テルくん、そろそろ起きて」とカールに起こされた。そこでハッとし時計を見ると7時09分!バタッと起きた。これはいかん、7時29分発の新幹線に遅れてしまうっ!顔も洗わず髭も剃らずカールに上着を持って来てもらい家を飛び出した。7時12分くらいだったか。これはぎりぎり間に合わないくらいの時間だ。それでも少しの可能性を信じ車を飛ばす。
ああ、団地出口の信号はちょうど赤に変わったばかりだ。これで数分ロスする。さらに甲突川にかかる橋上の信号で大型トラックが邪魔しいつもなら左折できるところが出来ない。これで1分はロスだ。急がねば、急がねば。でも事故ったら元も子もない。あせるなあせるな。新上橋近くからは信号もスムーズになり中央駅に着いた。時刻は7時26分。でも駐車場に駐めてからまだ数分時間がかかるためこのあたりでほとんどあきらめた。チケットも購入していなかったしー。

改札口を過ぎたところで7時30分。やっぱり間に合わなかった。売店でおにぎりと飲み物を買ったあと、長島のクリニックへ電話してみた。この時だ、ハッと気が付いたのは。バタフジ院長は「新幹線を降りて8時40分ごろの出水発の肥薩おれんじ鉄道に乗ってくれ、折口駅で迎えの車が待っているから」と言っていた。8時40分?ということは鹿児島を出るのは8時くらいの新幹線でいいじゃない。(出水まで24、5分かかる)そうだ!私の乗るべき新幹線は7時29分ではなく8時03分発だったのだ。急に力が抜けた。で、クリニック受付には「遅れる」ではなく「8時03分発で良かったですよね」との確認をした。「ええ、その通りです」と当然の返事だった。あはは、慌てる必要はなかったのだ。

カールに電話すると「テルくん、8時の新幹線に乗ればいいって言っていたわよ。なのに間に合わないって有無を言わさず出かけようとするから確かめるヒマもなくて・・」とい言われてしまった。ぐぐぐ。言い訳するといつもは7時29分発に乗ることが多かったというのがある。運転中も駅に着いてからもすぐには思いつかなかった。全くの寝ぼけおとぼけ野郎だ。慌てて事故らなかった分だけ感心だったと自らをなぐさめようか・・。

2015年8月7日金曜日

予想結果

注)8月6日のみ先行して日記を書いています。その下に2週間遅れで随時アップ中です。なお、8月5日で旧「こてる日記」はアクセス出来ないようになりました。今後はこの「こてるブログ」のみとなります。悪しからず。
(日刊ゲンダイさん、鹿実北海戦は大外れだったがその後は5連勝し8月7日の東海大甲府対静岡戦は外すも8−7の大接戦で当たらずといえども遠からず、今のところさすがはプロの予想屋じゃん!)
(8月8日の予想も日刊ゲンダイさんはほぼ当てた。当たらなかったのは下関商対白樺学園だけで、どうやら日刊ゲンダイさんは北海道のチームの戦力を過大評価する傾向があるようだ。ともあれ8月6日の私のケナシぶりをあざ笑うかのようにピタピタと当てている。うーーん・・)
(おいおい、8月11日までの日刊ゲンダイさんの予想はかなり健闘しているぞい。昨日今日は7戦全勝だぜ。一昨日は3敗したうちの智弁和歌山と天理の敗戦は誰だって間違うし滝川第二対中越も接戦だった。今のところ16勝6敗、明日東海大相模、遊学館が勝てば18勝6敗で的中率7割5分でこれはかなり優秀だ。ところで明日の鹿実対中京は鹿実に勝って欲しいが中京かなあ。日刊ゲンダイさんも予想すればきっと同じのはず。なんてったって鹿実は北海にも負けると予想したんだから)

どうにか8月5日まで書き進められた。やっと8月6日、7日と連結した。これで2週間遅れが9日遅れに縮まった。とりあえず1週間遅れくらいにしよう。もう少しだ。

(結局、日刊ゲンダイさんの甲子園初戦予想は75%という高率だった。明かなハズレは鹿実北海戦と智弁和歌山津商戦くらいかな。後は外れても接戦でどっちに転ぶか分からない試合ばかりだった。鹿実の試合中はバカにしたがきちんと取材し断言予想したプロはすごい!)

2015年8月6日木曜日

日刊ゲンダイさんは予想する「北海が勝つ!」

こてる日記は2週間遅れだがこれは速報が命、今書かねば。

日刊ゲンダイの高校野球甲子園勝敗予想が断定調で面白い。全国紙によくある曖昧な予想記事「XXが有利で投手のがんばり次第」なんて書かずに、〇〇が勝つ、XXが倒す、△△が下すなど有無を言わさない予想なんだ。それでもって開幕戦の鹿実対北海は「北海が鹿児島実業に勝つ」ってきっぱり。あはは、現在試合中だが8回の裏で18対4と鹿実圧勝の状況だ。結果はどうみても鹿実が勝つ!この記事の信憑性、開幕早々一気に崩れたね。笑ってシマウマ!(⌒о⌒)

せっかくだからこの後の予想も列記しておこう。
1日目残り
中京大中京〇ーX岐阜城北
上田西〇ーX宮崎日大
2日目
花巻東〇ーX専大松戸
広島新庄〇ーX霞ヶ浦
九州国際大付〇ーX鳴門
静岡〇ーX東海大甲府
3日目
早稲田実〇ーX今治西
敦賀気比〇ーX明徳義塾
大阪偕星〇ーX比叡山
白樺学園〇ーX下関商
4日目
智弁和歌山〇ーX津商
天理〇ーX創成館
中越〇ーX滝川二
仙台育英〇ーX明豊
5日目
健大高崎〇ーX寒川
鳥羽〇ーX岡山学芸館
秋田商〇ーX龍谷
6日目
鶴岡東〇ーX鳥取城北
関東一〇ーX高岡商
興南〇ーX石見智翠館
花咲徳栄〇ーX三沢商
7日目
東海大相模〇ーX聖光学院
遊学館〇ーX九州学院

さあ、日刊ゲンダイさんの大胆決めつけ予想がどんだけ外れるか予想するのも一興だ。

2015年8月5日水曜日

「お姉ちゃん生んでー」

夕方18時を過ぎてコスモスに寄ってゼロコーラを買ったあと、鹿児島空港に向かった。セージが帰省するのでお迎えに行ったのだ。セージから携帯に連絡あって「車はプリウスじゃないよ、色は黒だけど商用車でナンバーは500だ」と伝えた。「車は代えた」と言うと当然ように「プリウスはどうしたの?」との質問がきた。「はは、時代は商用車だろ」と笑ってごまかした。「ううん?怪しい。ねえどうしたの」と再度聞かれるも事情は話さなかった。最初は代車かくらいに思っていたようだがちゃんと購入した車だと知ると驚いて「じゃー、ずっとこの車に乗るの」と来たが「いーや、半年もすればニュープリウスを買うつもりだ」と本音を漏らすと、「え、じゃーこの車下取りに出さないでオレに譲ってよ」と頼まれた。ううむ、それもありかもしれないが、即答は出来ない。それは保留じゃ。

帰宅するとカールが鰻丼を作ってくれていた。子どもが帰ってくると母親はうれしいから振る舞っちゃうわけね。美味しくいただいた後、しばし3人で談笑したが、セージは疲れがたまっていたらしく早々に寝床についた。するとカールが「そういえばセージの言葉で面白かったのが幼稚園のころのアレね」と思い出し言ったのが「ママ−、お姉ちゃんが欲しい。お姉ちゃん生んでー」だった。3才上のテル兄よりも向こう正面の家の4才上のケイちゃんにかわいがられたことでお姉ちゃんってイイ!と思ったようだ。それにしても「お姉ちゃん生んでー」は大人には決して思いつかない言い方で、けだし名言!だった。

2015年8月4日火曜日

ボウリングシューズ壊れる

夜のボウリングで何か左足の靴底がピタピタとずれる感覚があり覗いてみたら。なんとまあソールがぺらりと剥がれていた。前回時から感じていたがこれはいかん。これに気がついてしまってからしっかり踏ん張って投げられない。最初は238と絶好調だったのに196、160、131と1ゲームごとに30点くらいスコアを落としていった。何じゃこれ。

ボウリングはボール選択が一番重要だがベースとなるシューズがダメだとこうもなってしまうってことだ。このシューズを買って5年以上は経っているはず、帰宅してすぐに同じ銘柄のワンランク下のを注文した。(それでも実売価格2万円近くする)それはいいが8月7日は串木野トリオリーグがありそれまでには間に合いそうにない。で、瞬間接着剤でくっつけようとしたが全くつかない。スリウェル君が「サッカーシューズなんかに使う『シューグー(SHOE GOO)』って接着剤があります。明日病院に持って来ましょう」と助け船を出してくれた。ハウスシューズでの投球がちらついたがこれでどうにかなりそう。

北海道で19才男性が「人を殺してみたかった」と放火殺人の理由を言っていたとか。去年の長崎、名古屋の若い女性に続いてこれはいったいどういうことだ。日本には少ないと思われていたはずなのに・・。邪悪な欲望を心の奥底に秘めている人は意外といてニュースに刺激され自分もやってみたいと模倣犯のごとくなってしまったのか。なぜこんな殺人者が出てくるのか知りたい。犯罪心理学者や社会学者にこんな殺人者が出てくる理由を教えて欲しい。20年以上にこの手の殺人者の存在を知ってから気になって未だもやもやが晴れないんだ。

2015年8月3日月曜日

アセリオがなくて

明け方の患者はどうも胆石発作かと思われた。痛みがあったにも関わらず救急車では来ず外来でうんうん唸っていた。まずは鎮痛せねば。そこで私は最近の鎮痛薬のトレンドであるアセトアミノフェン注射製剤を使ってみようと思った。もともと内服では子どもから大人まで安全で効果のある解熱鎮痛剤だが数年前に注射剤も出て最近青雲会病院にも入ったと聞いていた。何て製品名だったかな?当直看護師の井雄君に尋ねるが彼も知らないという。ネットで確認すると「アセリオ注射液」という製品名で薬局に入り井雄君と探すも見つからない。一応劇薬なのでそこの棚も探したが見当たらない。ひょっとしたらまだ購入前だったのか。薬剤師に電話確認するほど時刻でもないし患者を待たせているしで結局あきらめ座薬を使った。

明けてしばらくこの件は忘れていたが、昼過ぎにふと思い出し薬局に電話してみた。ショーヘイ薬剤師が出た。
「あのさー、新しい解熱鎮痛剤のアセリオって在庫あった?」「ええ、ありますよ」「えっ本当?」「棚の上にあります」
ううむ、なれば実際に確かめたくなる。行って確かめると棚の端に数個それはあった。
「あー、引き出しばっかし何回も調べてそこはざっとしか見なかったよ。明け方はこれがなくてとってもアセリオっ!」

これにショーヘイ君は口元をわずかにゆがめただけで冷ややかな笑い。しかし遠くの椅子に座っていたハラユウさんはプッ!と吹き出した。「あ、聞いてたナ。あまりのツボに来るギャグに参った?」と聞くと「いいえ、何でもないです」だって。いいや、確かに笑ったはずだぞっー!

2015年8月2日日曜日

患者11件

今日は夕方から当直という最近ありがちなパターン。意外にヒマなこともあるけれど今夜は患者が多かった。

1例目の救急患者は非常に珍しいケースで曽於郡から日置郡へ搬送中の救急車から診察要請があった。まだ50才代の男性患者だったが1年前に交通事故の脳挫傷を起こしけいれん発作のため自宅のある日置郡へ向かうところだった。曽於郡の病院で点滴、けいれん止めの注射も受けていたが少し効き目が弱かったようだ。私が注射の指示を出しある程度軽減したところで再び向かって行った。病院に着いていきなりの患者だったが明け方までに11名、救急車は3台、入院は2名と忙し当直を象徴していたな。

この時期のせいか、熱中症と過換気症候群が多い。熱中症はしょうがないとして過換気はいつも患者とその家族に実はそんなに心配しなくてもいい病態なんだと説明する。一見、呼吸困難で苦しそうなので救急車を呼ぶことも多いけれど医療側からすればそのまま経過観察するしかない。パルスオキシメーターで99%から100%を示せば過換気で息が苦しくても心配ないのだ。メーターがもっと安くなり体温計のように家庭に普及すればこの病態で救急車を呼ぶようなこともなくなるだろうがねえ・・。

2015年8月1日土曜日

勝ち逃げ?

8月になった。梅雨が明けてからはぐっと暑い日が続いている。そんなわけで今日の土曜勤務はアロハを着ていった。(まったくアロハなら白衣着なくても仕事オッケーって何て職場よ)

午後は例によって見せたまえ雀荘で麻雀。最近の土曜の麻雀のパターンでメンバーが前半福祉茸君、後半ダイボDrだった。あとは私とサブアラド&見せたまえDr。で、このところ福祉茸君は好調というか場慣れしてきて本来の実力を発揮しているようだ。半荘5回してトータルトップで勝ち逃げ、いや勝って帰っていった。その勝ち分はそっくりサブアラドDrの負け分で私と見せたまえはチャラ。それで、後半はサブアラドDr頑張った。負け分を取り戻すまでには至らなかったが勝ち、私も見せたまえも浮き、ということはダイボDrの一人負けで、1日トータルで福祉茸君総合トップだった。結局残された4人は誰も彼の勝ち分を取り戻すことは出来なかったってことだ。