2017年2月28日火曜日

SIMフリー

金曜に恒例の防火ボウリング大会があるので国分スターレーンで練習をした。実はこの前の姶良郡医師会がきっかけで5階病棟の看護師らも練習に来るはずだったが、チェリピアNsが発熱しライスパインNsが急に当直勤務となりいつもの男性陣5人での練習となった。久々の5ゲームで自分のアベは202と一見調子良さそうだが何かしっくりこないものがあった。後でビデオを見てフォームが縮こまっている。うーむ、そこかぁ。

もっとも練習中、私はスリウェル君にSIMフリーのスマホの利点や申し込みの方法などを具体的に聞くことに気を取られていた。SIMフリーの達人のスリウェル君は携帯会社に支払うより絶対にSIMフリーがいいと主張する。スマホを事前に購入するため初期投資はお金がかかるように感じるが毎月の支払いが例えば彼の場合3千円ちょっとで済み1年も経てば携帯会社に払うよりお得になるとのことだ。ガラケーの方が通常スマホより移行しやすいってことでそろそろスマホをもと考えている私には大いに参考になった。スリウェル君の「絶対に世間の人は携帯会社に余分にお金を払いすぎている」という主張には納得出来る。
(そもそもSIMフリーのスマホの意味が分からない人へ:SIMフリーとは携帯やスマートフォンの利用に際し、携帯電話事業者(キャリア)ごとのSIMカードを選ばずに携帯電話・スマートフォンを使えることでいろんなメリットがある中で一番は毎月の支払いが相当安くなることである)

まだSIMフリーにする前、スリウェル君は携帯ショップでSIMフリーに関する質問をしたのだが全くつれない反応でまともに教えてはくれなかったそうだ。そりゃそうかも。自らの不利益になることを嬉々として教える商売はないだろう。でも自分で調べ尽くして代えてみて携帯はSIMフリーにすべしという結論に達したと。「みんなうまいことダマされているんですよ」とも。ふむふむ、ガラケーですら結構な支払いなので私もSIMフリー信者になりかかっている。もうしばらく検討してそろそろスマホデビューしようか。

2017年2月27日月曜日

シマッチの略はSMなり

朝礼スピーチは私はもう何回もやっているのでそれほどドキドキはしないのだが、今日私の後にスピーチする4階病棟のビッゲスメNsの緊張ぶりはすごかった。顔は引きつり声を出すのもやっとという有り様で、なんでもスライド操作しながらが慣れていないからと言い訳していたが人前でしゃべることがないから緊張しているだけだろう。

私はというと予定より長くしゃべりすぎてしまった。ワープロの辞書登録を実例上げて具体的にキーボード操作の分解写真まで載せて話したせいもある。もう少し簡潔にまとめる訓練をしなくちゃな。

あとスピーチ直前になって1枚スライドを作り忘れているのに気がついた。それは絶対必要というわけではなかったが出せばきっと受けるはずだった。「シマッチ院長の名前を単語登録すれば」という実例を出す予定で「シマ(SHIMA)だからSMと略す。SMといえばこれ・・」とシマッチ院長のゲイコスプレを出すはずだった。イメージしやすいでしょ。

2005年12月の青雲会の忘年会での医局余興芸でシマッチ院長はレーザーラモンHG役で出てこれがハマっていた。上の写真がそれで当時大流行だったレーザラモンの「フォー!」のポーズをした後、SMプレイのSをやるがこれに目覚めた若手女医がSに転じ院長はMになってしまう様子が以下の写真である。(ちなみに白装束で寝込んでいるのは私で犬という設定だ。なんじゃそりゃ・・)


もう10年以上も前のことで大部分の職員が知らないはず。なぜかすっぱり作るのを忘れていて残念。でも、さらに時間が長くなったわけで出さなくてよかったのかも。お蔵入りにするのは惜しいのでまたここに復活して載せることにしたわ。

2017年2月26日日曜日

「俺のフレンチ」博多店

カール、チッチと福岡に出かけたのだが、昼食は博多駅の「俺のフレンチ」に事前に予約をしていた。何年か前、東京の学会にカールも来た時があって夕食を品川のこの店にしようと行ってはみたが1時間は並ぶと聞いて私が拒否、カールがこれに不満だった。それで今回は予約をしたというわけだ。どこが評判なのかは私は全く知らず、客が多いということはそれなりの理由があるのだろうぐらいにしか思っていなかった。

博多駅に隣接したビルの2階のけっこう大きなスペースを占めていて昼食時ということもあってほぼ満員だった。ただ、あの品川の時のように店の外に待ち人がたくさん、ということはなかった。メニューを見て、まず頼んだのがここの店の代名詞「牛フィレとフォワグラのロッシーニスタイル トリュフソース」で、それに「活けオマール海老のロースト サヴァイヨンソース」これは限定50食とのこと、「仔羊のクスクス ロワイヤル」は仔羊を1本追加し、前菜はこれも定番との「俺ん家の定番!アルザス風サラダ」でご飯は「ポルチーニ茸のリゾット」にした。これ、ほとんど私の意見は通っていない。基本、私はなんでも食べるし初めての店だから定番メニューが確かにいいだろう。いわゆるお通しはちっちゃなスープとお菓子であとはパンを頼んだ。(↓が上から順に料理写真です)





結論から言おう。いずれもそこそこ美味しく特に定番の「牛フィレとフォワグラのロッシーニスタイル トリュフソース」は良かった。値段も3人でお腹いっぱいになって以下のごとし。
普通のフレンチだとこの倍以上はかかる。お客が多いのも当然だ。ただ、ファミレス風の雰囲気は性質上致し方ないとして、突然別のお客さんのハッピーバースデーを従業員が祝うのには面食らった。それって別にいらなくない?

2017年2月25日土曜日

ToDoリスト

朝から休みで、明後日の朝礼スピーチを考えると今日中にスライド作成を仕上げる必要があった。それにこてる日記も2日分書かなくてはならない。そこでこういう時の妙薬、やるべきリストを紙に書いた。いわゆるToDoリストだ。今回は「洗車、こてる日記2日分、スライド8割方作成、天鳳」と書いた。この中で絶対にしなくてはいけないのはもちろんスライドなんだけど、そんなに努力もいらない洗車や遊びである麻雀の天鳳も書いた。これらは休みだとどうしてもぐだぐだしてやらずじまいか適当になってしまいがちで、それにこれらを書いて実際に消すことである種達成感を感じたかったからだ。

朝の洗車は近くのガソリンスタンドに行き、私にしては珍しく自動ウォッシャーの後タオルで入念に拭いた。そうそう、新型プリウスは後ろのピラーが洗車機のゴムに引っかかり破損するケースがあるとかでそこをガムテープで保護しなさいと指摘があった。これまで知らずにやっていたよ。プリウスはデザインに少々凝ったからこういうこともあるんだ。


で、朝はこてる日記2日分に集中した。終わるとリストを消していく。するとどうしてもスライドもやらねばという気持ちになる。目の前の書いた字に斜線を書かねばっとなるのだ。こうした「見える化」にすることでモチベーションが上がる。今日は発表2日前というのにほぼスライドは仕上がった。私にしては本当に珍しい。ToDoリストのおかげだろう。

ただならば「毎回それをすればいい」はずだがそれはしない。ここぞ、というときだけだ。毎回にすると効果が薄れる気がしてネ。でもよかった、これで最後のリストネット麻雀天鳳に集中できる。今月はとても調子がよくて20回以上もラスを引いていない。実に安定している。五段ポイントが低迷していたのに1500を越え、六段昇段の2000まで近づいてきた。メインの「デルバラド」がすでに七段だから同一人物のサブの「こてる」も当然そうなるべきなのに去年の5月に五段昇段以降ずっと足踏みしていた。なぜかは分からないがそうなのだ。でもいい加減上がらないと。遊びもテキトーだと結果は正直ってことだ。

2017年2月24日金曜日

お前は「ドメニコ」、「ミルコ」はたまた「トム」か

(3/1と3/2のアクセス数が408、379といつもの4倍ほどもあった。いったいどうしたのかよく分からない。こういう場合はその1、2日前のブログの内容を誰かがリンクして見知らぬ人がやって来たと考えられる。でもそんなに面白いネタがあったかな?せいぜい話題なのは「金正男」のことを書いたことぐらいなんだが・・)

久々1ヶ月ぶりの串木野リーグ参加で投げてみたところ、大変に難しいレンコンだった。10枚目付近をきちんと投げないと薄くノーヘッドするしちょっと内側に向ければ裏に行ってしまう。1ゲーム目途中で玄関に表示されているレンコン図を見に行ったらなんと「PBAベアパターン」ですとあるじゃない。うわ、これプロでも難しいコンディションで昔鹿児島国際ボウルがこれをやったときにスペアさえ取るのが難しかったのを覚えている。全米プロボウリング(PBA)にはプロの試合で使用するいくつかのオイルパターンに危険生物のネーミングを付け公開している。スコーピオン、シャーク、バイパー、チータ、カメレオン、ウルフなどだ。その中でもベアパターンは両側5枚目より中が均一にオイルが塗られていてこうなると板目1枚のミスが奥では10cm近いミスに繋がることもあり正確性がものすごく重要になる。

ネットで見たプロの決勝の舞台でも一流選手らがノーヘッドしたりスプリット出したりしていた。1ゲーム2ゲームは153、146と全く振るわず、それは海広しDrもサンシさんも同じで140から170台だった。3ゲーム目の最後狙うラインを5枚目にしてやや食い込ませるように投げたら急にストライクが出て177で終わったがすでに時遅し。かようにレンコンをちょいと本格的にされたらすぐにボロが出る。こういったコンディションを面白くないというボウラーもいるが私など実力アップにはいいんじゃないかと思う。串木野ゴールデンボウルが割に本格的にボウラーのことを考えてくれていると思うと頼もしい。こういうレンコンでも常時180以上出せるようになりたいものだ。

岩合光昭のNHK番組「世界ネコ歩き」でこの前イタリア、シチリア島コルレオーネの「ドメニコ」という齢12才になる雄ネコを特集していた。岩合さんはこのネコが好きで2012年に撮影しまた1年後に出かけ4日間も撮影した。茶色の足の太いネコで慎重で余裕と可愛さを併せ持った「いい男ぶり」「コルレオーネのドン」だと褒めていた。お気づきかと思うがコルレオーネと言えばゴッドファーザーだ。ここがドン一家の出身地という設定になっている。それで街のポスターにパート1でアル・パチーノがコッポラ帽を被って付き人2人と並んでいる姿が張られていた(映画は40年以上前だというのにネ、右下がドメニコ)。

さて番組でも指摘していたが面白いのは「ドメニコ」が角を曲がって次のブロックに移動するとそこの魚屋では「ミルコ」と呼ばれてかわいがられ、さらにまた移動するとそこでは「トム」と呼ばれそれぞれみんなに親しまれていたことだった。あー、これって隣のモリサンチー家のハッピーとキタローをうちでは最初「チャーミー」「アメショー」と呼んでいたのと同じ構図だ。それぞれの地域ではそれぞれの名前が当たり前と思っているけれどネコにしてみれば、オレはオレだぜ、なんだろうな。(教会でくつろぐドメニコ。下のブーゲンビリアの下でくつろぐ構図はいかにも岩合さんらしい)


うちのゲンちゃんもテルに拾われるまで団地のみんなにエサ与えられてきていたはず。きっとそれぞれの名前で呼ばれていたのだろう。拾ったその日にテルが思いつきで「名前は源之丞だ」とつぶやいてしまって、翌日失踪した1日の間に源之丞だから「ゲンちゃんどこにいるのかな」とカールが心配していたのでそのままゲンちゃんになってしまった。今じゃゲンちゃん以外考えられなくなってしまったがー。

2017年2月23日木曜日

女顔の自分って・・

年に1回の姶良郡医師会ボウリング大会が国分スターレーンであった。青雲会病院からは5チーム参加で他には去年優勝でイキナリDr率いる隼人うんせん病院などが参加した。これまで難ガターさんと必ずいっしょのチームだったのが今回は別チームに分かれた。当初彼が参加できないかもとのことで私は朝からさんとサッコさんの女性陣と組んだ。医師会から「参加チームがまだ足りない、ぜひ追加を」と言われ、難ガターさんもどうにか出られるとのことで検査室のバスケマンマキタク君らとEチームで参加となった。で、私と難ガターさんが分散すれば当然優勝は難しいと踏んでいた。

蓋を開ければ案の定で、私のBチームが6位に入るのがやっとでEチームは9位、そして病棟ナース中心の2チームがビリとブービーと全く振るわなかった。それに引き替え隼人うんせんはイキナリDrのAチームがまたしても優勝しイキナリDrなど個人でも優勝しよった。去年はトロフィーもらうのも嬉しそうかつおっかなびっくりだったのに今年はすっかり自信付けちゃってー。かつて優勝常連だった故、マイボール禁止でも青雲会病院優勝を示したかったがちょっとなめていたわ。5階ナースで初参加のチェリピアさんが「私はもっとうまいと思っていたのにくやしい」と言い、今度練習したいというのでそれは頼もしいと近々みんなまとめて指導することになった。ボウリングって上手い下手よりも上手くなりたいという気持ちの方が大事でアマチュアレベルならその意気込みとちょっとしたコツ、指導ですぐに上手くなる。これホント。

二次会は恒例の国分アシビー。みんなわいわいの中、看護師連中のスマホの写真アプリが面白かった。中でも隣同士の女性と男性の顔を入れ替えるのはキモさもあってみんなに大受け。こんなアプリを購入して女子は楽しんでいるんや。
(上の眼鏡はまあこんなもの、中は髪と輪郭を残して顔面パーツだけ替え爆笑し、下のは髪との相性が相当にキモくて苦笑い・・(‾□‾;))
         (↓自分は女に生まれなくて良かったと思った・・)

2017年2月22日水曜日

気楽に食事はさせてもらえない

夜は霧島市の京セラホテルまで行き、イキナリDrの抗凝固剤の講演を聴きに行った。この会、座長がシマッチ院長と身内が出ていたのでまあ義理で出席したといえばその通りだ。自分がよく使う薬でもないしー。でも内視鏡検査時にこの手の薬を患者が服用しているかは重要でうかつに内視鏡処置が出来ないケースもある。聴いていて損になることはないのだ。参加者はごく少なくその代わりお弁当サービスはいつもより上等だった。

講演終わってシマッチ院長がいきなり私に質問はないかと振ってきたのには少々面食らった。抗凝固薬を私が臨床の場で初出で使うことはあまりないのにー(一般に処方は循環器か脳外科系のDrが多い)。でも「この薬を使い出して大腸癌などが発覚することが多い」というイキナリDrの講演をネタに「それは内視鏡医としては良く経験する。以前のワーファリン使用時はそれほどでもなくこの新しい抗凝固剤がうまく機能している副産物としての現象だと感じる」とうまくかわせた。半分以上は義理とご飯食べのために来ていたのに一気にあせってしまったぜよ。ふぅ・・。

2017年2月21日火曜日

仁井谷さん

深夜、TVを見ていたら「あの天才その後追跡」とかいうTV東京系の再放送番組をやっていた。その中に仁井谷正充(にいたに・まさみつ)というゲーム業界のおじさんが出ていた。私は全く知らない人で、ゲーム業界では有名人だったようでコンパイルという会社を興しあの有名な「ぷよぷよ」を作り年商70億円まで成長させたが・・という前振りがあった。

で、現在はというと家賃5万円のアパートに一人住まい、自炊で部屋の中は少しゴミもたまりパソコンが設置され一人でゲームを作っていた。会社は成長したがいろんなアイデアがあったようで特に「ぷよぷよランド」というディズニーランドみたいなレジャー施設を計画し社員を倍増させたはいいが業績振るわずとなれば当然資金がショートし倒産してしまった。借金は自身が背負っており当然自己破産をした。それから10数年以上経過し密かにゲームでまた一旗上げたい情熱はあったようだ。

で、2016年11月にニンテンドー3DS用の新作を出せることになった。そのゲームというのがタイトル「にょきにょき」。笑ってしまったぜ。この人本当に「天才」なの?そもそも「ぷよぷよ」もテトリスを応用したものだし、1980年代の「ザナック」というシューティングゲームも有名な「ゼビウス」にヒントを得て作られたものだという。そして満を持して出したのが見るからに「ぷよぷよ」の改良版「にょきにょき(ぷっ)」。本当のゲーム製作の天才ならもっと斬新な誰も見たことないものが作れるはずでしょ。特許じゃなく実用新案タイプの人だ。

ただ会社経営も突っ走り過ぎて破綻させてしまうところはある意味”天才”らしくはある。こんな暴走気味の経営感覚のないゲームおたく社長をうまく抑える実務者がいないとその会社は相当にヤバいってことだ。知らずにあるいは勘違いしてこの会社に入った連中は大変やったろうな。でもこの仁井谷さん、社長のころよりはなんだか一皮も二皮も剥けて妙に親しみやすいおっさんになっているのは良かった。責任は自分で取ったというところがまたゲームを世に出せた理由じゃないかな。うまくいくことを祈ろう。

2017年2月20日月曜日

その数値は2.9

キスマンクリニックから初老の男性患者が紹介されてきた。食欲不振というだけでなく顔色悪く貧血もありそうできっと入院になるから青雲会病院へ(行きなさい)とのことだった。ベッドの空きもそう多くないからそんなに気軽に入院と言われてもねぇーと思いつつ採血を指示しておいた。内視鏡検査の合間に結果を見て驚いた。

ヘモグロビン(Hb)2.9g/dl。

な、なにぃ!こんな数値見たことない。確か3g/dl台は見たことがある。しっかし2台は初めてだ。これは即入院である。男性の正常値は13以上くらいだ。6台になると輸血を考慮しないといけないレベルでもし13の人が3に1日でなったとしたら・・いや1日でなることはあり得ない、その前に死んでしまう。こんなに急に下がれば血圧低下が激しすぎて体の維持ができない、せいぜい5台くらいまでだろう。しかし数ヶ月から年余に渡って徐々に下がるとHb5台でも対応して意識もしっかりしどうにか生活している人もいる。それでも負荷のかかる動きは息が上がり無理ではあるがー。

アルコール依存で今年に入ってそのアルコールも飲めなくなり食事もできず栄養が極端に低下し血液を作れなくなったか。もしかすると骨髄になにか問題を起こしているかもしれない。この6年間どこの医療機関も受診しておらずそれにしてももっと早く受診できなかったものか。それが超、我の強いキャラで「絶対病院には行かん」と拒否し家族もどうしようもなかったという。はあ・・。でも結局は病院の世話にならざるを得ないのだ。そしてそんな人は治療は面倒になる。以前も書いたが「頑固な人は頑固な病気になる」の典型・・だわ。それでも、このHb2.9の患者さん、どうにか退院まで出来るよう治療に精出しまひょ!

2017年2月19日日曜日

コンピューター技術の進歩と個性

Googleの翻訳機能って凄いねえ。コピー&ペーストすれば数秒もかからず翻訳文が出てくる。しかも昔のものと違って結構正確に訳す。和文英訳も簡単で入力と同時に作文してくれる。そして和文の微妙な言い回しにも対応して英文をころころ変えてくれるのだ。

一例を挙げる。
「パソコンを開き「こてる日記」を読むのが私の毎朝の習慣です。」が、
「It is my customs every morning to open a personal computer and read "Kotaru diary".」となった
ほぼ正確で、「It is・・」と日本語ではない英語らしい表現をきちんとしてくれている。

さらに出だしの私の文(赤色)をコピペしてみたら1、2秒で以下のように訳(青色)してくれた。凄い。

Google's translation function is amazing. If you copy and paste it will take less than a few seconds to get translated text. Moreover, it translates fairly exactly, unlike the old one. Writing Japanese is also easy, and it composes at the same time as inputting. It also changes English sentences in response to subtle wording of Japanese sentences.

絶対これほどの和文英訳は自分には出来ないわ。な〜るほどそんな風に訳すのかぁと見ているだけでも面白い。自分が今、学生だったらこれを英語の勉強に活かせるなとも思った。英語って嫌いだったけども好きにさえなりそう。この翻訳機能もビッグデータとAIの進歩の恩恵なんだろう。これをみて近い将来日常会話もほぼリアルタイムで翻訳され外人との会話が可能になる器械が出てくるんじゃないかと思う。

で、ふと思いついて、訳された英文を逆にまた和訳させてみた。するとどうだ。

Googleの翻訳機能は素晴らしいです。 コピーして貼り付けると、翻訳されたテキストを取得するのに数秒かかりません。 さらに、それは古いものとは異なり、かなり正確に翻訳されます。 日本語を書くことも簡単で、入力と同時に作成します。 また、日本語文の微妙な表現に対応して英語文を変更します。

確かにきちんと訳してはいるがなんだかぎこちなく無味乾燥な文体だ。たかだかこれだけの分量でも最初の私の文はそれなりに私らしさが出ている。改めて自分には自分の文体というものがある、と気がついた。AI(Artificial Intelligence)が小説や絵画、音楽など作り、それを大衆が享受する時代が目の前に来ているかもしれないが、人間の個性はそうやすやすと真似は出来ず芸術作品はまだまだ人間の分野であり続けるのではないだろうか。

2017年2月18日土曜日

予防投与

朝の外来前に検査結果のチェック表を見ると、内視鏡室の湖西種実Nsが検査を受けていて何事かと思ったら何とインフルエンザA型が陽性だった。ゲッ!見れば彼女、げっそりして1日で5才くらい老け込んだ印象だ。聞けば昨日から調子が悪かったらしい。ということはですよ、私たちはインフル患者のいる中あの薄暗い部屋で1日過ごしていたってわけ?いかん、彼女には投薬後すぐに帰宅させ、く私、ムッちゃんNs、佳及Nsはタミフルの予防投与を受けた。他の内視鏡室職員は今日は休みだった。感染(うつ)っていないことを祈ろう。

午後は年1回の病院の症例研究発表会で、私は前半発表のコメンテーターを務めた。今回は特別講演をなくし各発表に時間を割き、質問意見の時間が多く取られ、実際例年以上に活発に意見が出た。もっとも最初に質問する人は打ち合わせが事前にあったようで答える方もハイ待ってましたとばかりスムーズに返答していたが、予想外の質問には固まるケースもあった。私は4階サンカクNsの症例が自分が最初受け持っていたのでいろいろコメントできた。消防署員も救急司令室の役割を発表し初めて知ることもあって勉強になった。

帰宅後は天鳳にクリスティー。今はトミーとタペンス物の初登場作「秘密機関(1922)」を読んでいる。これは本格推理ではなくスリラーだ。しかも処女作「スタイルズ荘の殺人事件」に次ぐ2作目、40年代の作品に慣れている私にすれば別人の作かと思うほどタッチが違い、トミーとタペンスの若々しさとスピーディーな展開で読ませる。この本も30年前に購入以来読んでおらず今回ようやく読み始め、すでに終盤だ。明日には読み終えるだろう。まあ、傑作というには遠いがクリスティー好きなら十分に楽しめるといったところだ。

2017年2月17日金曜日

正男が殺された件

マレーシアの空港で北朝鮮の金正男が暗殺されたとのニュースでこのところ持ちきりだ。正男(「まさお」の入力で簡単に変換できるのがいい)は10年以上も前に日本へ偽造パスポートで入国し「ディズニーランドへ行きたかった・・」という名(迷)言で我が国でも一気に有名になったあの金正日の長男である。どんなふうに殺されたのだろうと報道を聞けばベトナム人の若い女に背後から何かを口にあてがわれ(その間たった2秒ほど)ただけだった。その動画がアップされ見たが、ほんと日本のどっきり番組だと言われればそんな感じの動きだ。正男は何事が起きたのか分からないものの被害を空港職員に訴え対応室に入っていったが少し足元がおぼつかなくなりそうでしばらくして状態が悪化し亡くなってしまった。

いやー、怖い。北朝鮮の工作員の仕業にまず間違いないだろう。実際に襲った女二人が朝鮮国籍でなく逃げもしなかったところをみれば本当に「いたずら番組の撮影だ」と信じているのかもしれない。こんな大事なことを素人の外人にさせるなんて普通は考えもしないが、空港でヤルとなれば人目は避けられず捕まる可能性は高い。ならば最初から捕まっても構わないダミーを使って事をなそうと工作員は目論んだのかも。そうすれば発覚しても北朝鮮国民にも言い訳が出来る。手を下したのは外人の女だって。

もう一つ思ったのは工作員からすれば相手は金日成の血筋を引き指導者となれる「白頭(ペクトゥ)の血統」をひく人物で、北では神格化された血統の人物だ。日本で言えば天皇の血筋と言ってもよい。そんな畏れ多き人物に直接を手を掛けたくないという心理が働いてもおかしくはない。ベトナム人女がいたずらもしくはどっきり番組と本気で思っていたら哀れだ。この女、このままマレーシアに捕まったままがいいぞ。もし無罪放免ってなればすぐに北朝鮮工作員に殺されるだろう。口封じのためにね。それぐらい屁のかっぱ、何とも思わないだろうて。

今回は日本や韓国だけでなく他の国のメディアも大注目している。朝鮮王朝か日本の戦国時代にでも起きそうな事件でなにかこうワイドショー的な匂いもある。いまやこの国がまともではないと誰もが知る時代になった。今度の事件はいずれ崩壊するはずのこの国の歴史でどんな位置づけになるのか。ターニングポイントになるかもしれないとだけ記しておこう。

2017年2月16日木曜日

癒やし系

当直明けも許してもらえず忙しかった。なにせ今日はクニンダ、村紘Drが休みだった。朝は内視鏡、昼は外来とバタバタ。夕方は院内講演会があって今回は指宿にある陽子線治療施設から治療一般のお話しだった。ぐうー・・。

で、帰宅すれば癒やされるのはゲンちゃんだ。家族のみんなは家に帰れば一度はゲンちゃんの体に顔をうずめる。
今夜はチッチになでなでしてもらってでれぇ〜としていた。最後は気持ちよく目いっぱい背伸びもしてね。全く何の役にも立たないけれどただいるだけで癒やしになっているんだよなあー。


2017年2月15日水曜日

インフルはまだ続く

この間の日曜当番医はインフルエンザやその疑い患者が多くて忙しかったらしい。検査でインフルエンザ判明した人だけでも35人いたとか。大部分はインフルエンザA型でB型は2人だけだった。その中の一人が外来のずっしりNsだった。これにはみんな大笑いした。というのも彼女、先月A型に罹って休んでいたからだ。1シーズンに2回AとB両方のインフルエンザに罹ることもあるとは聞くが実際にその経験者に出会うのは初めてだった。今日、仕事に復帰していた。思ったより元気そうで、聞けばBよりAがきつかったとか。土曜から調子悪く、日曜の朝に悪寒と倦怠感で「あ、これはインフルエンザだ」と経験者らしい判断で病院に出向いた。周囲は「まさかね、でも念のためね」とお鼻に検査棒をぐりぐりしたら今度はBだったという。次はCかしら?あは、インフルエンザには実はC型もあるのだが5才以下の子どもに罹り普通の風邪なみの症状でしかも一度罹ると終生免疫が出来るため臨床上は問題になることはまずない。これで終わりにしよう。

今日は当直だ。夕方、4階病棟に上がったらなにやら看護師らががやついている。415号室の発熱患者からインフルエンザA型が出たらしい。問題は4人いるうち3人も発熱していてほとんど寝たきりの患者だということ。急いで残りの3人(うち2人が発熱)も調べなきゃ、だった。私は即「その熱はインフルエンザ濃厚だ。タミフル投与かラピアクタ点滴をさせよう」と主治医がそれぞれ違っているも指示を出した。インフルエンザの結果が例え陰性でも発病の可能性があるし蔓延を防がねばならない。電カル見るとクニンダDrは受け持ち患者の発熱には気付いていたが別の感染症を考えていてインフルエンザのチェックはしていなかった。もし同室の他患者が2人も発熱していると聞けば真っ先に疑ったはずだ。

そのあと病棟を回っていたら連絡が来た。3人の発熱患者全員からインフルエンザA型が出たと。うう、やっぱり。発熱がなかった人からは出なかったがその人は即別部屋に移動させ、タミフルの予防投与処方し、その1床は使用禁止にした。夜間の救急受け入れを思えば残しておきたいが感染症管理の上からは致し方ない。

いやいや、そろそろピークは過ぎるかと思っていたがまだまだインフルエンザ余波は続いている。

2017年2月14日火曜日

辞書登録って素晴らしい

また来週、朝礼スピーチがある。毎回テーマを何にするか悩ます。今回は訓示的ものはではなく実用的なことにしようと思った。きっかけは2週間ほど前にポンシンDrにワープロの辞書登録の方法を教えたことだった。

毎日、電子カルテに病状記載や検査結果など記入している、これはワープロ入力そのものだ。だから文字変換しにくい語句や頻繁に入力する常套句、定型文などは簡単な入力で文字変換させたい。私は毎日ブログを書いていることもありこれにすごく敏感で、片っ端から単語や文を略語登録しほとんど辞書登録マニアといっていい。職場でも医療用語や常套句を電カルに入れ込み日常作業の負担軽減に役立ている。

で、他の職員も大なり小なり同じことをやっているだろうと思っていた。しかしーである。ポンシンDrはほとんど利用しておらず、今日たまたま病棟の包帯Nsに尋ねても「全く使ったことがない。全部いちいち入力している」と聞き、多くの人が利用していないと知り、こんなに便利で役に立つことを職員が知らないというのは結構な損失じゃないかと思い立った。よし、これを朝礼のテーマにしよう。

まずは単語や文の辞書登録の方法を教える。やったことがない、やり方を知らないという人が多いからだ。私の使うMacのATOKでは登録したい単語をcommand+cでコピーしたあと、control+shift+Eすると単語登録の画面が出てくる。(WindowsではCtrl+F7で単語登録画面になる)ここでその単語をどう短縮するかに個性が出る。一般の人がどうしているかは分からないが例えば「鉄欠乏性貧血」ならば最初の2文字の「てつ」と入力すれば変換出来るようにすることが多いのではないだろうか。「てつ」の段階でスペースキーを押せば「鉄欠乏性貧血」に変換されるという具合にだ。私はこうはしない。鉄tetuと欠乏ketubouのtetuとketubouに注目し頭の中でtkと略しこれを変換の読みにする。tk+スペースキーで鉄欠乏性貧血に変換されるというわけだ。ほぼ全ての単語をこの方式でやっていて、これならどのように短縮したか覚えなくても自然と略語が出てくるのがいい。タレントのDAIGOがよく言葉や文をこのように頭文字(子音)で略して周囲を笑わしているのをよく目にする。あるいはAKBも同じだ。秋葉原(akihabara)から来ているし、姉妹グループのHKTも(博多hakata)で同様の発想である。

包帯Nsに「あなたがよく入力する言葉で面倒くさい単語がある?」と尋ねると少し考えて「肺(副)雑音があります」という。そこで私が「ならば肺雑音から連想される略語はhz(haizatuon)だね。「肺雑音」をコピーしてCtrl+F7を押すと、ほら単語登録画面。読みのところにhzと入れておこう」とやった。そして彼女にhz+スペースキー打とさせてみた。当然、あっという間に「肺雑音」が出てくる。おお、感激する包帯Ns。「でしょ、こういうふうに面倒な単語を登録していけば入力がどんどん楽になるよ」

同じようなことを外来や内視鏡室のNsらに教えると、最初はなにやら難しそうに構えていたが、「救急ならqqとすればいいよね、外来ならどうしたらいい?」「grですか」「そう、その通り」「じゃー、qqgrと打てば救急外来になりますかね」「やってみてごらん」qqgr打、「あ、そうなった、すごい!」みんなただ知らなかっただけ、やってみればすごく簡単で一度入力の面倒はあるがその後がぐっと楽になる。数人に教えてみただけど反応がいい。これは大勢に教える意味があると実感した。

調べてみたら自分のパソコンには4千単語、病院の電カルには2千単語くらいが短縮変換できるようにしていた。前者は約20年、後者は約10年利用しているからこれくらいまで増えた。普通は略語をこんなに覚えることはできないがほとんどのケースで変換できているのはAKB方式で変換しているからだ。

最近の私のお気に入りはgmdだ。これは紹介状のやりとりの決まり文句で最後に相手に「御面倒(Gomendou)とは思いますが何とぞ御加療の程よろしくお願い申し上げます。」と添えると結構患者さんを引き受けてもらえる(気がする)。こんな気を使うやや長めの文は入力するのがそれこそ面倒だったが気楽に打てるためよく使うようになった。いまじゃ電カル(パソコン)は文章入力には欠かせない。コピー&ペースト、やり直しの簡単さ、そしてこの辞書登録の便利さだ。みんなもどしどし使おう!

2017年2月13日月曜日

起き上がり小法師

今夜のボウリング練習はスリウェル、アンドキサの両君と3人でだった。オイルが多くなかなか難しいレンコンで191が最高スコアであとは160台に終わった。

そんな中、アンドキサMRの投げた球のピンアクションが非常に珍しくてそれをたまたまビデオ撮影していた。コースは裏に行ったものの力強い球でピンが弾け散った。その瞬間を見てアンドキサ君は「ストライクか、でも裏コースだしな」という気持ちで喜ぶことなく渋い表情で戻ってきた。(↓こんな表情だが、本人はストライクを取ったと確信しています。マイボウラーとは裏ストライクの場合、このような表情をするか照れ笑いをする人種なんです(笑))
しかし一旦倒れかかったピンが何と「起き上がり小法師」のように戻ってきてゆらゆらしつつもしっかり立ち残ったのだ。ビデオ撮影していた私もいったい何が起こったのか最初はわからなかった。彼に「ピンが残っているよ」と教えると「え?」と信じられないという表情。




みんなでデジカメのビデオスロー再生して確かめると、確かにピンは約30度ほども後ろに倒れたのだが、そこに先に倒れたピンがありそこに当たって跳ね戻ってきたのだった。あの30度の傾斜から持ち直すってまず見たことがない。まるでピンの底がレーンとゴムで繋がっているようだ。(動画がうまく再生されるかわからないが若干スローにしてその動画を載せてみよう↓)

試合でこんなのが出たらボウリングの神様を呪いたくなるわぁ〜。

2017年2月12日日曜日

編曲家森岡賢一郎

何もない日曜、ゴロ寝でビデオをTVで見るの時間、昨日の録画BSジャパン「あの時この歌」を見た。アルフィーの坂崎幸之助と高見沢俊彦のどちらかがゲスト出演しある年のヒット曲の中から1曲をセレクトしそのエピソード、意義、時代背景などを音楽評論家の富澤一誠が解釈してみせる番組だ。

今回は1976(昭和51年)で選ばれた曲はクールファイブの「東京砂漠」だった。前川清がうなりを上げて歌う「♪ああ あなたいれば ああ あなたいれば 陽はまた昇る この東京砂漠〜」である。クールファイブといえばバックコーラスのイメージが強いが実はギターなど演奏が主体のグループだったそうだ。TV以外のステージでは演奏をちゃんとしていると高見沢も証言していた。

番組ではこの曲の編曲者「森岡賢一郎」に注目していた。「東京砂漠」の歌詞とは逆のゴージャスでファンキーなアレンジがプロからみたら凄いらしい。この辺になると私にはよく分からない。でもこの森岡賢一郎さんの手がけた曲の一覧をみるとそうとう有能な人だったと分かる。「君といつまでも」「思い出の渚」「霧の摩周湖」「小指の思い出」「ブルー・シャトウ」「港町ブルース」「瀬戸の花嫁」「今日でお別れ」そしてクールファイブの「長崎は今日も雨だった」と歌パート以外のイントロ作曲、楽器選定など任され大ヒットにつなげている。昭和40年代の超有名な曲でこれだけバラエティーに富んでヒットさせているなんて本当に凄い。オーケストラの指揮もし自分の楽団も持っていたそうだ(ケニー・ウッド・オーケストラ:ケニー=賢一郎、ウッド=森岡のもじり)。日本のジョン・ウィリアムズと例えてビデオ発売もしていたようだがあながち嘘ではない。
(↓ただしこのポーズ、一歩間違えばお笑いだが実績を知れば様になっている・・か)

編曲家という職業は全くといっていいほど話題にもならないが実は重要な役割をしているんだとこの番組で知った。ありがたい、みんなにもお勧めの番組だ。

2017年2月11日土曜日

雀卓が故障したら

土曜が祝日のせいで昨日の夜から昼の13時まで当直日直予定だった。ご多分に漏れず忙しかったぜよ。気管挿管もあったし緊急大腸内視鏡もあったしな。でも昼になればカワゼンDrがやって来て交代、そして午後の14時からいつものメンバーと麻雀の予定が入っている。きついが明日も休みだし先憂後楽とはこのことだ。

だが、10時過ぎに東京にいるカワゼンDrから電話がー。なんと飛行機に一便乗り遅れて鹿児島に着くのが14時、病院には15時くらいになる、というのだ。がーん!それまでは自分が日直を続けるしかない。みんなに連絡して闘牌開始を15時に遅らせた。まあ1時間くらいならどうにかなるわ。

結局、見せたまえDrの院長室に着いたのは15時半、多少待たしたが無事始められて何よりだった。開始早々の半荘は3位その後2位、3回目にやっとトップでどうにか浮きに回った4回目、私は好調で4万5千ほどあり2度目のトップをうかがう状況だった。しかしここで予想外のアクシデントが起きた。麻雀牌のセットが途中で引っかかりそれを直そうとサブアラドDr始めみんなでああでもないこうでもないと取り組む羽目になった。これまでもマイナーなトラブルがあってそれはすぐに直せていたが今回は何かがおかしく上手く行かない。30分ほどしてとうとうあきらめた。中古麻雀卓を購入して1年9ヶ月、今までよく持ったというべきか。

で、この後どうする?昔ながらの手積みでやるという案は全自動に慣れ気力の無い中年には「だるい」で却下、もう今日は止めるという案もまだ20時半で物足らない、「久しぶりに雀荘『最高』に行くか」で話しがまとまった。で、精算はどうするかで4回目の半荘はナシになりさらにそれまでもサブアラドDrの一人負け、3人のちょい勝ちということでこれもチャラになった。そして市内まで降り、久々の雀荘へ。オヤジさんに会うと「久しぶりー。2年ぶりくらいですかぁ」と。それでかくかくしかじか自分たちで卓を購入していたことを伝えた。4年間世話になっていながら何も言わず急に来なくなったいた訳をこれでようやく説明することが出来た。

早速闘牌再開したが場所が変わればツキも変わる・・なんて目論みもサブアラドDrには起こらず、私とダイボDrが勝った。ちょうど見せたまえDrにお産の電話が入り(これがあるから彼のクリニックに雀卓を置いたのだっ)お開きとなった。

ううむ、雀荘と卓購入、両方やってみて私は後者が断然よしと思った。雀荘は飲み物や食事など店員が持って来てくれサービスが売りではあるが、それくらいは自分らでしてもほとんど苦にならず逆にタバコの匂いはなく他の客のじゃまな嬌声もない。それに「最高」の雀卓は点数表示が壊れていて直せないのかと尋ねると「それをするには部品を全部取っ替えるくらいしないといけない」らしく仕方ないとのことで、どうにもなあ・・。修理を依頼する会社は鹿児島にはなく宮崎の「プレスイン」に頼めばいいとのことでそれも自分らで出来る。雀荘がよいのは唯一今回のように故障を直せないときに代替機があることくらいだ。ふう、見せたまえ雀荘の卓はきっと直るはず。それまでは麻雀はお預けだー。

2017年2月10日金曜日

あなたの父親は岡田奈々が好き

今日は雪の予報で朝に窓を開けたら案の定だった。予想より多めに積もっていたので少し慌てた。
高速が使えないと青雲会病院へ行く方角ががらりと変わってしまうからだ。ネットで調べると速度制限はあるが動いていた。よし!
姶良に着くと鹿児島とは違って雪は全く積もっておらず、やはり吉野の山が薩摩と大隅を隔てているんだと実感。
まあ、この程度なら雪の交通麻痺や仕事への影響はそんなにないとこの時は思った。しかし今夜は串木野でのトリオリーグがあるも、私は当直だったのでアンドキサMRに交代を頼んでいたところ、18時40分ごろ海広しDrから電話があり「川内串木野間が雪で行けそうにない、今回は参加を見合わせたいのでアンドキサ、サンシさんに連絡をして欲しい」ときた。両氏の連絡先は彼にはまだ教えていなかったので私が間を取り持ち連絡した。ところがすぐに二人とも繋がらない。なんと、二人は雪のこともありすでに串木野に向かってもう着くか着かないだったのだ。試合開始は20時半だというに気合いが入りすぎだぜっ。リーグ戦に参加すると帰りが23時頃になり雪が怖い。実際、帰りの西回り自動車道は大吹雪でスリップ事故もあった。さらに高速の川内串木野間は県内で唯一通行止めになっていた。ここは無理しないのが正解だった。

さて、朝の外来で「〇〇奈々」という昭和53年生まれの女性が子どもを抱っこして診察に訪れた。事前にカルテを見て私はそばに付いていた看護師に「この人の父親はきっと岡田奈々のファンだったんだよ」と予想した。昭和50年代に青春時代を過ごした男性ならアイドルで女優、歌手の岡田奈々を知らない人はいないだろう。私も好きでピンナップを飾っていたくらい。1才年上で美人なんだがどちらかといえば守って上げたいキュートな雰囲気があった。ただ彼女、学校の成績が雑誌に紹介されそれがぬぁんとオール1。白痴美・・かと残念な気持ちもあったが、その後を見ていると単に忙しくて勉強していないだけじゃないのかなとも思った。すべてオール1の低能児が今に至るまで芸能活動なんて続けられないでしょ。(今は岡田奈々と言えばAKBの選抜に入っている同姓同名がいて紛らわしい)

それはともかく、診察が一段落したあと、私はさっきの予想をぶつけてみた。それが意外なほど彼女を驚かせる結果となった。びっくりした様子で「生まれて初めてそんなことを言われました。ええ、父に名前の由来を尋ねたら『岡田奈々が好きだったから』とのことだったんです」と。ほうらでしょう。「うわー、父に教えたらきっと喜ぶと思います」と喜んでいた。岡田奈々とは似ても似つかないけれど笑顔が素敵なお母さんだった。

改めて当時の岡田奈々の動画を見ると、歯並びや痩せすぎなど直したくなるような欠点もないではない。しかし韓国の女優みたく整形しまくりで均整が取れている美人よりずっと引きつける何かがある。当時、芸能人に似た人集合という番組があって岡田奈々の回は集まった女性が美人ばっかりだったという伝説もあるくらいだ。今じゃおばさんになってはいるが年相応の老け方でそれなりに魅力がある。
子どもに同じ名前を付けたくなるくらい活躍出来れば芸能人冥利につきるってもんだね。

2017年2月9日木曜日

穿いてはもらえぬ

朝、いつものように出かけようとして、ダウンジャケットを取ろうとしたらそれがないことに気がついた。「あ!」すぐに昨夜のT-MAXに忘れたことに気がついた。ボウリングが終わったあとは汗かいて身体が温まっているので置き忘れたのだ。ああ、すぐに電話で確認したいがボウリング場は午前はまだ閉まっている。昼に早めに連絡しておかなくては。そんな軽いショックもあったせいか車で出勤したらすぐにカールから電話があった。「弁当忘れているわよ」あいたた。まだ団地内だったので引き返し改めて出発した。やれやれ。夕方、カールから連絡があり「ダウンジャケットを取り入ってもよいがー」と来て即OKした。ちょうど天文館に行っていったとのことでこれは助かった。

昨日の続きで、男子とパンツ(パンティ)の関係のネタを。
カールは高校の時に好かれていた男子から誕生日プレゼントをもらったが、それは女性もののパンティだった。いつも着ているのよりずっと上等で着ずに仕舞っていたら従妹のマーキが勝手に穿いていたんだとか。「今になって分かるけど彼は私に穿いて欲しかったんだろうね」という。

そうだ、10年以上前の「こてる日記」に書いたことで私もカールにパンティをプレゼントしたことがある。青雲会病院に入る前、大学やかしましい病院に行っていたころだ。誕生日だったかホワイトデーだったか何かプレゼントしなくてはいけなくて、同い年でちょっとエロいことに通じていたアリマシーDrに「何かいいのないかな」と相談したら「いいのあります」と天文館にあったパンティ専門店で「派手な日頃奥さんが買えないようなのをプレゼントしたら喜ぶ」というの真に受け、真っ赤でど派手なデザインのパンティをプレゼントした。しかし驚いてはもらえたが一向に穿く気配はなく4、5年が過ぎた。ある年の青雲会忘年会で医局が余興披露することになり寸劇の後はみんなでパンツ穿いて踊るいつものパターンがありちょうどいいやとその赤パンを持っていった。自分は穿かずドタバタの中はしゃいでいると何とシマッチ院長がその赤パンを穿いてエロいダンスをしていた。余興が終わって後始末したときにはその赤パンはどこに行ったのか無くなっていた。せっかくのプレゼントパンティが女性じゃなく中年男性に穿かれたのは残念であったが一度も穿かれることなく終わらずに済んだのはまあ良かったと思ったものだ。

それ以来このようなプレゼントにまつわる話題はぷつんと切れて無くなった。

2017年2月8日水曜日

男ってパ〇ツが好き?!

午後は早帰りで帰宅するも仮眠とっていたらすでに辺りは真っ暗で夕食時間になっていた。食後、チッチとたまにボウリングでもとT-MAXに行くと、フロントが「アンドキサさんも来ています」という。ほほう、明後日串木野でのリーグ初参戦が控えているから一人で練習ときたか。私たちは4階レーンだったが3階に立ち寄り彼に挨拶した。レンコンが速いようでスペアをイージーミスしていた。実際、4階レーンも速く、ヘッドピンに薄く当たりがちでニルバーナを使っても膨らませるラインは取れなかった。150前後しか出せず最後の4ゲームは後半調子を上げてきたチッチにも置いて行かれる始末で160対175で負けてしまった。ううむ、オイルの多い本格的なレーンだとこれだ。未だし!

カールが「男の人ってどうしてこうなんでしょ」と話題にしたのが、40才の教員が車庫に干されていた女性もののパンツ2枚を盗んで逮捕されたというもの。「たかが2、300円の代物だったらしいわよ」とのことだが、値段はともかく女性が穿いたものに執着する性癖のある男だったのだろう。そんな人がいるのは確かだ。そう言えば・・「そう、私も学生時代、同級生の男の人にお返しをしないといけないことがあって『何がいい』と尋ねたら『女性もののパンツ』というから変だとは思ったけど新しく買ったパンツを上げたことがあったわ」そうそう、で、その男はもらった直後にすごい不満を漏らしたんだよな。

「なんでカールが穿いたパンツじゃないんだっ」

まあ、パンツ上げる方もどうかと思うが、その男はカールの穿いた匂いのついた(おそらく!)ものが欲しかった。カールはまさかそんなものを欲しがる人間がいるとは夢にも思わず新品をあげたのだった。

この盗んで捕まった教員は仕事は辞めざるを得ないだろう。でも、40年も昔、鹿児島の某高校生が同じようにパンツ盗みをやっていたところ、そこのおばさんに見つかってしまい、そのまま捕まればまだしもおばさんを殺してしまい大きなニュースになったことがある。そうなると悲劇だ。私らだってスカートがちらりとめくれてパンツが見えると妙にうれしい気になる。男ってそういうものだってこと。ただしニヤリとする程度に抑えておきたいものだ。

2017年2月7日火曜日

家族にも施す

田舎のあこネーサ母に電話をすると、まず同じ話しを二度三度聞かされる覚悟が必要だ。まだボケているというほどではないが老人特有の現象で、最初は「ハイ、ハイ」と聞いているも「そこでXXと言ったらねー」と聞けば「あー、〇〇って答えたんでしょ」と続きを言ってしまいたくなる。ううむ、自分も30年後はこうなるのかなぁ。

93才の高齢女性の病状説明を娘二人にした。循環器のイキナリDrにも付き添ってもらい心臓がかなり弱っていて先の見込みがなく治療はかなり大変であるという主旨の説明だったのだが、その時の娘の一人の反応をみていてちょっとした違和感を感じた。母親はまだ元気になって生き続ける・・という気持ちでいるような印象を持った。

「確かに入院する前までは呼吸困難はなかったし心臓も悪いといわれたことはなかったでしょう。見えてはいなかったけれど確実に心臓は衰えていてその働きは破綻寸前だったのです。それが腎盂腎炎をきっかけに様々な症状も併発し心臓に負担がきてついにはこのような状況になった・・」私たちの本音では、手を尽くしても近いうちにダメになる(亡くなってしまう)なのだがダイレクトには言いづらい。でも娘さんは、まだまだお母さんには長生きして欲しい、いや、ついこの間まではあんなに普通にしていたのだから(それでも胃瘻栄養ではあった)まだまだ元気になるはず・・と思いたがっていた。

まあいきなりの説明ですぐには受け入れられないだろうから薬、注射、点滴などでどうにか治療していこう。また1週間後の状態をみて説明することになるが、そこでまた厳しいこと言って徐々に理解してもらおう。治療は患者だけでなく家族や付き添いの人にも行わなくてはならないもの、なんである。

2017年2月6日月曜日

ガチ勢

月曜ではあったがみんなの都合で珍しくボウリング練習をした。ヤマヒロDrは今年は初参加でサンシさんも来て総勢7名とかなりの人数になった。3Fのフロアに着くと1、2番レーンに高校生らしきグループがいる以外は私たちだけで、まずはマイシューズにテープ調整、リスタイ装着と投球準備に取りかかった。マイボウラーはこれに時間がかかる。レンコンはちゃんとオイルが入っていていい感じだった。ただインフェルノ・ブルーフレームがこの前ほど合わず200Upは一度も出来なかった。

そうそう、国分スターレーンに売っていたスペア用のくまモンボールをタナカッツ、アンドキサ、サンシと3人も同時に注文し今日がその初投げでもあった。すでに3年前にくまモンボールを購入していたスリウェル君と合わせ4匹ものくまモンがボールラックに鎮座していた。(左下のスリウェル君のものだけがややすすけている↓)
これに対抗するには私の家に飾ってあるミニーちゃんかアンドキサMRのもう一つのスペアボールのふなっしーしかいない。それにしてもアンドキサ、ふなっしーだけではもの足らずくまモンまで買うとは。

ダブルスでは私以外の6人が3チームに分かれ対抗戦をしアンドキサ、ヤナガキチームが1ゲーム目は200アップを出し圧勝。サンシ、タナカッツチームがビリでジュースおごり。2ゲーム目は逆にアンドキサチームはミスが目立ちビリで、スリウェル、ヤマヒロチームが買った。みんなが盛り上がり、拮抗するようチーム編成をした私も「勝ち」だったな。そんな中、みんなが片付けしつつ談笑しているときに、スリウェル君がちょっぴり眉をひそめて私に語りかけた。

「先生、さっきあっちの端にいた高校生の連中が言っていたのを聞きました?」「いや」「あいつらですね、私たちが投球前の準備をしている時にこっちを見て『やべ、ガチ勢が来た』って言ってたんですよ。ガチ勢だーなんてバカにしたような感じで・・」

ガチ勢・・そうか、確かに単なる遊びというより私たちはボウリングを上達したいとマイボール、マイバッグ持参で投げに来ている。それをちゃらちゃらした遊びで投げているハウスボーラーの若者の「何を遊びにマジになってんの」「たかがボウリングなのにそんなのってダサい」って一種さげすむような響きが「ガチ勢だ」という物言いには含まれている。5年前、まだハウスボーラーだったスリウェル君もマイボウラーの私やタシケント君にそれに近い発言をしていたものだが、今や「マイボールでないと全く投げるきがしません」とか「ボウリングしているっていうとみんなアレ(リスタイのこと)も付けるでしょと言われるのがちょっとイヤ」と言うくらいボウリングに熱心になっていて、高校生にちょっと文句を言いたいだったようだ。

少し嫌なニュアンスがあったとしても「ガチ勢」で何が悪いって自分は全く意に介さない。今日投げているメンバーはみんな「マイボールでないとボウリングじゃない」という連中ばかりだ。本当の楽しさを知らず、うわべだけで語るいかにも浅薄な若者の物言いなんて気にしない気にしない。ガチ勢こそ人生の楽しみをよーく知っている嬉しくも楽しい連中なんだぜ。

2017年2月5日日曜日

シゲトシさんに感謝、「白昼の悪魔」読了

出水のスチョル先生のクリニックに出かけた。すると、そこに出入り業者のAKBオタクのシゲトシさんからAKBの新アルバム「サムネイル」のプレゼントが置かれてあった。「え、シゲトシさん、AKBは出入り禁止になっていたんじゃないの」と看護師に尋ねると「アクセスアカウントを変更したらOKだったそうです」とのことだった。去年、手違いからCD購入の不正購入と勘違いされそれまでのアカウントが使えなくなっていた。出入り禁止扱いで握手会や写メ会など彼の趣味が奪われていたのがまた復活できて何よりだ。

とはいっても私は彼と会ったことも話しをしたこともない。年齢は私と同年代で独身とのこと、そしてその風貌は写メ会で今をときめく山本彩とのツーショット写真を見たことがあるくらい。いつか会う機会があればCDプレゼントへの感謝を言いたいが未だ叶えられていない。下にその写メ(一昨年の6月)を載せておこう。↓さや姉が可愛いねえ。

そうだ、薬も何も飲まなくてもまったく鼻水が出ない。もし花粉症ならまだ症状は出ていてもいいはず。てーことはやっぱりオレは花粉症じゃない、ってことか。よしよし。
話題追加。可愛いんだ理事長は先週月曜にはすでに仕事に復帰している。まだ運動は制限されているようだが見た目は全くもう普通だ。
さらに自分のダイエットだが今のところ全然効果はない。ただ増量していることもなく現状維持。まだ頑張らねばっ。

夜、「白昼の悪魔」を読み終えた。犯人やトリックを知っているにも関わらず、本当にあの〇〇が犯人なのかなあと思って読んでいた。江戸川乱歩の言うようにいくつもの小さなトリックを組み合わせていること、霜月蒼氏の指摘する「犯人のアイデンティティの擬装」があること、それに結局は犯人でない人たちの怪しい動きも相まって読者は真犯人にたどり着くのは容易ではない。そして多くの人が指摘しているようにクリスティーの某作品とよく似ている点がある。だがその作品名を上げるわけにはいかない。そっちを読めばもしかすると真相に気付く読者がいるかもしれないからだ。ミステリーの評論をするには気を遣う。ネタバレする場合は必ず事前に忠告する必要があり、これはもう礼儀というか評するときの義務みたいなものである。

昔はそんなことお構いなしの文章を書く作家、評論家が結構いた。無名の人でもネタバレ通告は必ず守ってほしい。昔、南日本新聞の夕刊にコラムを書いていた地元の人が「カーテン」の犯人をばらしているのを見て驚き、愕然ともした。私はまだ読んでいなかったのだ。霜月蒼氏がこれをクリスティー作品の1位に推しているけれど私が全然そう思わなかった理由の一つは名も無き書き手のせいだった。思えば「アクロイド」「オリエント」「そして誰もいなくなった」の超有名作品の意外な犯人は藤原宰太郎の著書によってあからさまに書かれていて読書する楽しみを奪われてしまった。だから私はたとえこんなブログでも他者の作品の楽しみを奪うことは決してしないと気をつけている。できればその本を読みたくなるくらいでありたい。「白昼の悪魔」は確かに名作。購入して30年目に読み終えた甲斐があった。

2017年2月4日土曜日

八千さん、何と読む

外来で名前が「八千」と書かれた高齢男性患者がいた。何て読むのだろう、そのまま「はっせん」か?でも違っていて「かずゆき」と読むという。かずゆき・・読めないよこれは。尋ねると「『八』のような数字はいずれも『かず』と読むことができる」んだそうだ。じゃー、『千』はなんで『ゆき』なんじゃいって突っ込みたくなったが、「周囲は絶対『かずゆき』って呼んでくれないでしょ。『はっせん』さんって言われるはず」と私は問うてみた。「はい、全くそのとおりで、私も『はっせん』と言われてハイって答えてました」と。やっぱりそうだろうな。最初はみんななんとかして「かずゆき」って思い出そうとするんだよ。でも「八千」を見てもどうしてもその名は浮かばない。結局言いやすい「はっせん」に落ち着き、そのうちそれが本人を指す通称として定着し、本人もいちいち訂正するのが面倒になるんだ。

だからー。読み間違いしやすい名付けはしないほうがいい。親は子のためを思ってと付けるのかもしれないが、それって自分のため、いわゆる一人よがりかもしれないよ。私も自分の本名を十中八九間違われて呼ばれてきて、決して今の名前が気にいってないわけではないけれど、子の立場からすればそう思う。

夜、国分スターレーンまで出かけ、ニューボールを取りに行き、ついでに初投げもやってきた。おニューの銘柄はインフェルノ・ブルーフレーム。まずはアブソリュート・ニルバーナを投げて腕ならしし途中からおニューを投げた。すると、それまでストライク取れていなかったのがいきなりターキーだ。いい感じじゃん。走りもいいしマスターマインド・アインシュタインと同じカバーストックだけあって曲がり過ぎずストライクポケットを突きやすく感じた。ピンアクションはマスターマインド同様やはり素晴らしい。次のゲームは早速200アップした。気に入ったぜ。これでパーフェクト達成ボールのアインシュタインをお蔵入りさせることができる。あれは記念にしようと思っているのでね。うしし、またボウリングが楽しくなって来たワイ。
(↓左からスペアボール、ニルバーナ、そしてインフェルノ・ブルーフレーム。なんとラインナップの色がすべてブルー系になってしまった(笑))

2017年2月3日金曜日

私たち・・カフンショー?!

朝、内視鏡検査していると鼻水が垂れてしようがなかった。ティッシュで取っても取っても水のように垂れてくる。くしゃみもでてこれは風邪でも引いたのか?そういえば内視鏡の室温が低めに設定されていた。でも温度を少し上げてもまだ続く。そこでお昼にこの前サンプル錠剤でもらった抗ヒスタミン剤の新製品を1錠飲んでみた。すると午後からはピタッと止まったではないか。うーん、自分にはその兆候すらないけどこれってもしかして花粉症かぁ?薬局のショーヘイ君は「20年来の花粉症のベテラン」とのことで尋ねると、「ああ、それは(花粉症)ですねー」と。うへっ、ほんとかい。症状的にはほぼ同じで、そろそろ鹿児島もその時期だ。

帰宅すると、なんとカールも「今朝から鼻水がとまらないのー」と言うではないか。カールよ、お前もか。

「ひょっとして私たち『花粉症』ー?!」「昨日お天気よかったから布団を干していたの」「なになに、するってぇーとその布団には花粉がいっぱい付いているってことになるねぇ」「やだぁ〜布団に寝られなくなるぅ」「いやいや、二人していっしょに風邪を引いたかもしれない」「うーん・・」

花粉症ってある程度花粉暴露されたのが積み重なって生じると言われているから確かにその可能性はある。いやだなぁ、こんなにズルズル鼻水垂れたら何にも集中できない。花粉症の人の苦労が身に染みるわ。明日、この効いた抗ヒ剤を処方しようか。眠くならないのがウリというから助かる。いやー、参ったナァ。

2017年2月2日木曜日

多肉女子

NHKを見ていたら最近「金のなる木」ならぬ「金のなる植物」があり大人気なんだそうだ。それはいわゆる多肉植物のことで、サボテンやアロエのような葉っぱが太く水分を多く含んだ観葉植物を指すらしい。その中でも「ハオルシア」とか「ハオルチア」と呼ばれる品種は特に人気があり中にはウン百万もするものも出ているとか。それに熱狂する多肉女子なる一群(最近はなんでもそうだ。プロレスのプ女子、野球のカープ女子などあり、他には相撲のスー女、歴史好きな歴女、山登りの山ガール、鉄道の鉄子など様々な呼び名がある。ただ、ボウリングのボ女子はいない。残念だ・・)がいて彼女らは品評会や販売会に殺到しているんだとか。
(↓がハオルシア。みずみずしさが光によって強調され確かに美しい。しかし一方では希少なタイプはとんでもない値が付けられている。私なんかそれだけで敬遠したくなる。)

そんな人気に、ある失業者など安くで買っておいた多肉植物を育てていたらそれが売れて売れて本職になってさらに儲けようとビニール小屋を増やしている様子も出ていた。品種改良をし多肉植物のハオルシアに微妙な色合いや模様を出して儲かっている業者などは、一鉢200万でも「これは売りたくない」などと余裕をかましていた。うう、まさにこれはブーム、いやもしかしたらバブルかもよ。注意しないと人気を当て込んで変に投資しすぎるとこんなのあっという間に沈静化してたくさんの在庫と借金を抱えてしまうことになる。なんてったって相手は移り気な”女子”が相手なんだから。

2017年2月1日水曜日

社会保険ボウリング2連覇

この時期恒例の健康作り社会保険協会ボウリング大会が国分スターレーンであった。トリオ戦2ゲームで青雲会病院から2チーム参加した。といってもメンバーは病院からは私と難ガターさんだけで後は「こてる会」のMRらだ。チームSは私、難ガター、スリウェルMR、チームBはタナカッツ、アンドキサMRにサンシさんだ。本当はタシケントMRが参加するはずが祖母が亡くなられたそうで急遽サンシさんに頼んだ。参加29チームの中で全員がマイボウラーというのはうちらくらいでこんな中で負けるわけにはいくまい。去年(2016)優勝し2013年も優勝している。で、結果、今回は進境著しいスリウェル君を入れたチームSがまたまた優勝したった。私が193、196と安定していいスコアを出し、難ガター、スリウェル両者は1ゲーム目こそ150前後だったが2ゲーム目は190以上を出し2位のおーい病院に100ピン以上差を付けての完勝だった。(去年は2ピン差の薄氷の勝利)

で、個人の表彰はというと当然私かと思われたが、何と1ゲームでのハイスコアで決めることになっていて2ゲーム目197を出した難ガターさんがゲットした。く・・まあ仕方ない。チーム優勝の賞品はコーヒーメーカー、有難や。チームBはサンシさんがこの前の串木野とはえらい違いでコンディション合わず他の二人もダメで9位に終わった。

表彰式後、私はスターレーンのプロショップに売っていた「インフェルノブルーフレーム」を購入することにした。このボール、1年半ほど使ってきたメインの「マスターマインド・アインシュタイン」の代わりに使いたいと狙ったいたのだ。それがいつもネットで注文するイエパニが全くボールの更新をしてくれず開店休業状態で2ヶ月経過していて依頼先を変えるかどうか迷っていた。ここに現物がありしかもネット並に値段も半額以下で売られている。
スリウェル君も「ドリルするっきゃないでしょ」と後押しする。で、サンプルボールとして手持ちのスペアボールを預けドリル依頼した。インフェルノは表面カバーの材質がマスターマインド・アインシュタインと全く同じで中のコアだけが昔の名器インフェルノと同じになっている。インフェルノも10年以上前に使って気に入っていたボールだ。よしよしようやくメインボールを新調できそうでうれしいわ。