2016年3月31日木曜日

テラスのあるイタリアン

センバツ決勝は応援していた高松商、強かったけど奈良智弁学園のピッチャーの方が力強く、その差で1ー2で負けてしまった。まあしかし、今大会で見せた隙のなさ、意欲的な好走塁、ミスの少なさなど神宮大会を優勝し選抜も準優勝したのはダテではなかった。カールも「見ていて気持ちのいいチーム」と評価していた。公立高にして伝統校の復活は高校野球オタクの喜ぶところだ。高松が出来るなら今落ちぶれている松山商、広島商などもやり方次第では復活出来るのではないか。期待したい。

午後は4月から常勤医になるクニンダDrがオリエンテーションのために来てくれた。各所挨拶が終わったあと、電子カルテの操作を1日で全てを説明できるわけではないが基本的なところから戸惑わないところまで教えた。4月4日の初勤務に戸惑わないように。約2時間ははあっという間だった。

夜はカールとチッチと外食。天文館通りの「ステラハウス」というイタリアンの店で以前は別のイタリアンで一時は韓国料理の店になっていたらしい。チーズを使った料理が売りとのことだった。2時間飲み放題システムだったが飲めない私にはあまり効率はよくない。内装はいい雰囲気だったヨ。


2016年3月30日水曜日

姶良郡医師会ボウリング大会再び!

田舎からあこネーサ母が青雲会病院にやってきて胃カメラを受けた。すごく調子が悪いわけではないが80代半ばになっても健康には気を付け元気で長生きしたいということだ。ただ咳がこのところよく出て止まらないというので聴診器をあてるとかすかに気管支の狭窄音が聞こえ、胃カメラ終了後にネブライザーを指示した。気管支を広げてあげればきっと楽になるだろう。カールが鹿児島市内まで送って「行きと帰りじゃ全然違っていた」というくらい調子が良くなっていたそうだ。「どうだ、名医だろう、へっ」柄にもなく自慢しちゃったぜ。

今夜は1月に大雪で延期となっていた姶良郡医師会ボウリング大会があった。年度末の小忙しい時期によくも組んだものよと思ったが医師会もきっと予算を消化しないといけなかったんだろう。それで参加は19チームと前回よりやや少なくなっていた。青雲会病院から4チーム参加で泣かん薗Drのおーい病院は来ず、イキナリDrの隼人うんせん病院、トシマロDrの都市クリニック、貸さんもうDrのノー神経外科らは参加していた。今大会も3人1チームのマイボール禁止が条件で我々もハウスボールで投げた。前回15ポンドを使いスプリット多発したので私は13、14ポンドを使い分けて投げた。でも同じチームの有信君は15ポンドを選択しやはりスプリット、そしてコントロールミス連発していた。そのせいというわけではないが、青雲会病院Bチームは準優勝に終わった。優勝した隼人うんせん病院Aチームとは3人2ゲーム合計でたった6ピン差。初めての優勝でえらく喜ぶイキナリDrを見て良かったような悔しいような・・。最終フレームで3人とも1、2ピン残りをみんなミスってスペア出来なかった。誰か一人でも出来ていれば優勝できたかもしれないのにーー。

青雲Aチームでは光鳥Nsが調子良く1ゲーム目終盤になんとターキーを出して本人も周囲もびっくりポン!

他Cチームの掘れ娘Nsは10年前投げた時とは印象が違いストレートの球質で何度もストライクを取っていた(右が掘れ娘、左が私で13ポンド投げたら割れてしまった)。

みんなスペアやストライクを取るとおおいにはしゃぐのが普通なのに掘れ娘Nsや舞妓はんNsは少し笑顔を見せるタイプだった。同じ病棟のトライアングルNsなんてガッツポーズだったのに人それぞれだ。青雲会はAチームCチームが5位、10位の飛び賞、Dチームがブービーとみんな賞品を取った。とってもラッキー!

ラッキーついでに恒例のアシビー国分店で祝杯&反省会をした。日頃あまり話す機会のない病棟と外来のナースらが会話で盛り上がったり、新人ナースのヤマミューNsが私の甥っ子のデンタル君の中学時の1年後輩だったことが判明したりまさに親睦を深められた1日だった。

2016年3月29日火曜日

時計が欲しいって

現在仕事がやたら忙しいのだが、一つには入院患者が多い、しかも高齢で状態が悪い患者が多いというのが挙げられる。この日はまたもや近隣の開業医から3人も入院依頼がありバタバタだった。

夕方に3テスラのMRI導入に向けての最後のプレゼンがありDrは参加とのお達しでピッチに連絡も来たが「行けません」と返事した。だってまだ2名入院指示が終わったいなかったしー。指示が滞れば病棟スタッフの動きもストップする。彼ら彼女らを待たすわけにはいかない。プレゼンのあとは院内勉強会で「診療報酬改定の解説」とやらでこれも出られなかった。19時過ぎて任意参加の居丈だ薬品の全国Web講演会、これには途中参加出来た。一番出なくてもよい会だったが行って良かったのは弁当が付いていたこと、脂質系の治療内容でそこそこ面白かったことだ。担当が三高MRでまだ若いのにスライドに出てきた内臓脂肪たっぷりのおっさん体型そっくりだったのが笑えた。そうだ、彼は香川県の高校野球出身で10年ほど前にセンバツにも出たことがある(以前も書いた)。当時三本松高校が推薦で出場出来て、彼はそこの補欠でもちろん1回戦負けだったが甲子園の土を踏んだのだ。ラッキーなヤツだぜ。すでにメタボだがそこは居丈だの高脂血症薬を飲んで治すってことやネ(笑)。

帰宅すると、カールにセージからラインの連絡が来ていて「時計が欲しい」ということだった。誕生日も来るしそろそろ大人の時計で電波時計のようなものがいいという。電話して尋ねると、私に任すよと。ふーん、電波時計なら12、3年前に私も奮発してシチズンのエクシードを買った経緯がある。ちょっとは知っているので選んであげてもいい。でも私の自腹からなのでどうしようかな。ま、買い物ってどうしようこうしようの時期が一番楽しい。しばらくネット検索などして楽しもうか。

2016年3月28日月曜日

庭のハーブ

朝礼で平成28年度の新入職者の紹介があった。みんなスーツを着て緊張の面持ちだ。で、実は私もスーツを着ていた。記念写真を撮るので幹部らは着て来るようにとのことで、前夜当直だったので着替えも面倒、あわてての出席だった。

最近の新人さんたちは挨拶も噛んだりどもったりすることもなく皆よどみないなあ。感心。その中に光鳥Nsのお姉さんの憂鳥Nsもいた。三姉妹の2番目で長女の布鳥Nsは出産退職していてこれで3人とも青雲会で働くということになった。それでいつものデジカメ撮影をし、後で確認すると憂鳥Ns、その全てで目を閉じているシーンばかり。タイミング悪いのかそんな癖があるのか。

夕方まで仕事で帰宅したら夕食は何とウナギの蒲焼きだった。いいねえ。ウナギの上に山椒の葉が振りかけられていた。「それ、庭で摘んだものなのよ」とカール。いまごろ葉っぱが出てくるものらしい。庭には三つ葉とローズマリーがあり今からバジル、ネギ、ニラも植えるらしい。まことに小っちゃな庭(ゲンちゃんの額よりは広いけど)だけど自作のハーブや野菜を食べるのは格別やなあ。


2016年3月27日日曜日

当番医の引き継ぎ

夕方からの当直は入りっぱなから超忙し。なにせ昼間の当番医の流れが続いていた。この時期なのにインフルエンザがまだ結構いるし、交通事故患者の後始末に昼間運ばれた薬物中毒患者の後始末などなど3時間近くバタバタだった。それが一段落すると後は比較的穏やかになった。ふう。

この後は眠気と日記書きのせめぎ合いになるが、この日はえらかった。事前に書いていた。しかし4月5月の当直表作りの仕上げが残っていてどうにか終えてソファに横になった。最近何年ぶりかに韓ドラ「太王四神記」を見始めているが折り返しの12話をどうにか見ることができただけ。ぐーすかし、ちゃんとベッドに寝たのは明け方近くだったヨ。

2016年3月26日土曜日

あらら国士

朝から仕事もなく高校野球を片目に当直表作りと日記書きに精を出した。明日が当直などで忙しいので日記は2日分書いた。1週間遅れなのでこうしたこともできる。ならばどんどん進めて遅れなしにすればとは言われるがリアルタイムを守るのはとってもきついのだ。今のところ1週間以上は遅れないようにするつもり。

夕方、前のプリウスでは滅多にしなかった車の拭き掃除をした。雨のあとはうっすらと汚れがついている。ボディが白いので目立つしー。まあ、これも新車効果があるうちだけだろうな。

夕ご飯前に久々天鳳をやってみた。アカウントはこてる四段だ。東1局で親の2600オールでまずは快調な出だしだったがその後下家に親ハネツモられ2位で東4局を迎えた。配牌は7種8牌のクソ手。第1ツモ9ピンで8種9牌。まともにやっても他家に追いつけないので国士かホンイツ狙いで断ヤオ牌を切り出した。3巡目に1ピンをツモってここで選択の岐路。
一萬一萬九筒一索二索四索四索五索九索南西北發ツモ一筒
ホンイツにしては字牌の重なりがない。ここは国士狙いで4索を切った。5巡目9萬ツモで気がつけばすでに国士二向聴だ。でも必要牌が東白中と字牌だけで少し難しくなった。4枚切れになったり暗刻持ちされたりで生牌待ちになったら出にくくもなる。すると下家、上家にチー、ポンの動きが入って8巡目に中が入った。いよいよ一向聴、これは行くよー。一萬一萬九萬一筒二筒九筒一索九索南西北發中

10巡目、今度は対面がリーチ!と来た。いやはや3人の攻勢にあってこちらはまだ聴牌していない。やはり無理か・・。すると私のツモが東。白待ちの国士を聴牌してしまった。こうなれば通っていないけど不要な断ヤオ牌を切る。セーフ。
一萬一萬九萬一筒九筒一索九索東南西北發中そして上がりのシーンに備えてデジカメ動画の準備に入った。あれ?!対面がアタリ牌の白を切ったじゃないの。

「ジャーン!」役満上がりの時の効果音が流れる。あいた、これには間に合わなかった。静止画は撮れた。可哀想に対面はドボン終了、私がトップで終わった。なんかあっけない。初心者のころみたいにドキドキもしなかった。上がれる時は簡単に上がれる。しかし1枚も么九牌を切らないもろ国士の捨牌ゆえ、後で牌譜を見ると上家は生牌の東を握らされリーチにも私にも切れずに聴牌を崩していた。

ちょうどそのころご飯が出来ていた。いいタイミングだ。いただきます!

2016年3月25日金曜日

ゲンちゃんにすりつけ

センバツ2回戦、鹿実対智弁学園はネットでちらっちらっと確認しつつ経過を追っていた。鹿実が1点先制もその後は得点出来ずにいる状況で嫌な予感がしていた。鹿実先発は下手投げの谷村投手でこれが意外に好投し前半は智弁学園をノーヒットに抑えるも7回に2塁手のエラー二つで2点さらに2ラン打たれ4点取られては勝負あった。非情だが2塁手のせいで負けたと言われてもしょうがない。でも智弁の村上投手が2回以降連打を許さず得点を与えなかったのが一番のポイントだった。途中で鹿実が得点を重ねたら2塁手のエラーは出ないか出ても勝負には影響なかったはず。今時の高校野球は1ー0では勝てない。(あれ?鹿実智弁戦の前試合敦賀気比対青森山田は1−0の試合だった・・たはっ(^^;))

相変わらず忙しく、夜の大腸がん検診研修会は途中から出席した。いつも知り合いのドクターとすれ違うが今夜はガッチャンDr、ユタカヤマDrくらいだった。だんだん若い消化器系Drが増えてきている。

帰宅後、眠そうなゲンちゃんを捕まえて顔をすりつけいちゃいちゃした。ゲンちゃん迷惑そうだったがすぐに逃げはしない。ただ引っかかれるのであんまし無茶はしないけどー。ネコの手も借りたい、いや、ネコはいるだけで癒やされる生き物やぁ。

2016年3月24日木曜日

呼吸が悪い人多すぎっ

(ねむい・・)

普通の肺炎かと思われた高齢女性の呼吸状態が悪化し気管挿管する羽目になった。このところ呼吸器疾患が多く人工呼吸器が足りないくらいだ。そんなおり3週間近く人工呼吸器につながれていた中年男性が抜管できた。これは良かった。こういうことがないと仕事もやっとられん。しかしまた近隣クリニックから紹介患者。はあ・・それで今度は94才の肺炎ですか?今週はいったい何人呼吸器の患者がやって来るんじゃい。なかなか許してくれないものよのう。

夜は久々に平日の麻雀。ダイボDrは都合悪くこれも久々開けたいゾMRが入った。そして久々に見せたまえDrが負けた。トップだったのはサブアラドDrで私は2位。見せたまえの大勝ちが続いていた中、地味に勝ち続けているのはこの私だった。うしし。

2016年3月23日水曜日

ボウリングルーキー

19時からT-MAXでボウリング練習の約束だった。しかし間に合いそうもない。なんせ午後に3人連続で高齢者の肺炎がらみの入院があったからだ。昨日は2人で今日は3人か・・くっ、最近は消化器内科ならぬ呼吸器内科医だわ。

どうにか20分遅れで到着すると、今日の参加は計7人だと。ああ、そうだ、衛材のスリウェルMRの同僚でアンドキサMRが初参加するのだった。40才代後半で学生時代はボウリングにハマっていたとのふれこみだ。でもマイボールは使ったことがないとのこと。ふうむそれならたかが知れているぞ。しかし、今日に合わせてマイボール、マイバッグ、シューズ揃えてきていたのにはびっくりした。マイボールはスリウェル君のお古(実は私のお古、ナノデスアキュスイング)を再々プラグしたもので、うまく資源活用している。国分スターレーンで3千円くらいで出来たと言うから実にリーズナブルだ。マイバッグはこれがなんとまあ銀色に様々な色が混ざったど派手な代物でスリウェル君が「自分だったらこんなの絶対選ばない」と言っていたがまあ私もそうだな。

実戦では案の定ハウスボール投げにありがちな癖があちこち散見された。その全てを修正させようとするとしっちゃかめっちゃかになるので一つ二つポイントを絞って教えた。そうそううまくはいかなかったが、いきなり道具を揃えるくらいの気合いがあれば数ヶ月もすればうまくなる。楽しみやねー。

最後はみんなで恒例のダブルス戦。7人なので私は抜けてゲームに1回もしくは2回助っ人投球が出来る「こてるカード」役に回った。3チームに分かれ、どのチームも私にここぞの場面で代投を依頼する。私は直前のゲームで終盤6連続ストライク、235を出し絶好調だった。しかししかしー。代投時の私はストライクどころか、スプリット、スプリットと大ブレーキだった。いや、わざとじゃないのよ。身体が冷えてしまっていたのもあるけどレーン移動していたのでやっぱレーンコンディションが違うんだ。それくらいボウリングって微妙で繊細なものなのよ・・・と言い訳する私であった。トホホ。

2016年3月22日火曜日

あなたならその手術を受けるのか?

相変わらず仕事が忙しい。高齢者の肺炎が2人入院あった。

入院指示を出している中、火曜日午後だけ非常勤のイキナリDrがやって来て患者の件で用件を伝えた後、語ったことには、循環器学会でICD=植込み型除細動器を高齢患者に装着させるかどうかというアンサーパッド形式のセッションがあった。その中で医師自身がその立場になったら治療を受けるか否かという質問もありみんながみんな受けるとは限らない結果だった。装着手術に若干のリスクがあり装着後も生活にいくらかの制限があるからなどだ。なあなあの結論でセッションが終わろうとするころ、イキナリDrは手を挙げた。

結果、「会が締まりました」と後で司会の先生に感謝されたそうだ。

イキナリDrこそ6年前突然の不整脈で倒れ心肺停止となり周囲の心臓マッサージから救急搬送され生死の境をさまよい生還し後に再発防止のICDを装着術を受けた経験者だった。その道の専門家が患者の立場になってしまったことでこそ言えることがあり、会場はしーんとしたとのことだ。いざ自分がその病気になったら本当にその治療を受けるのか?医師はガイドラインだ、当たり前だと簡単に手術や先端治療を勧めたがるが、患者の立場になって親身に考える姿勢を忘れてはならない、そう思ったことだった。

参考:ICD とは?
ICDとは、英語の“Implantable Cardioverter Defibrillator”の頭文字を取ったもので、植込み型除細動器の意味になります。心室頻拍や心室細動などの、いわゆる致死性の不整脈の治療を行う医療機器です。ICDは、その本体と電気刺激を直接心臓に伝えるためのリードと呼ばれる電線から構成され、ペースメーカと同様に、体内に植え込みを行う電気刺激装置です。ICD本体は、密封されたチタンの缶の中に非常に精密なコンピュータが内蔵されており、常に心臓のリズムが正常かどうかを監視しています。異常が現れた時には、その異常な心臓のリズムがどのような不整脈なのかを診断し、その不整脈に合わせて設定された治療プログラムに沿った治療が行われます。ペースメーカ機能も有しており、徐脈にも対応します。

2016年3月21日月曜日

応援歌からみる高校野球

休日の春の日、どこかへ出かけても良さそうないい天気だった。が・・1週間経った今、この日何をしていたのかあまり思い出せない。

高校野球は見ていた。注目する小豆島高校と同じ21世紀枠の釜石高校の似たもの同士の試合だった。接戦で釜石が1−0で勝利した。小豆島の攻撃の時に応援ブラスバンドから「ダッシュKEIO」が流れてきていた。おお、これは。何それと思う人もいるかも知れない。しかし聴いたことがないという人はいないはずだ。慶応大学の試合に使われ、早稲田の応援にはこれも有名な「コンバットマーチ」が使われ双璧を成す。それくらい有名な応援曲で昔ファミコンの野球ゲーム「ファミリースタジアム」のバックグラウンドミュージックで常に流れていた。

↓コンバットマーチとダッシュKEIO
https://www.youtube.com/watch?v=xbwMDQOgWS0

最近の高校野球の応援ブラスはバラエティーに富み、定番曲「アフリカン・シンフォニー」の他、歌謡曲「狙いうち、サウスポー、ハイサイおじさん、さくらんぼ」、アニメ「海のトリトン」、ロック「クイーンのWe Will Rock You 」、JPOP「X JAPANの紅」、ドラマ主題歌「暴れん坊将軍、必殺仕事人、あまちゃんのテーマ」などがよく使われる。オリジナル曲を持つ高校では天理「ワッショイ」、龍谷大平安「怪しい曲(ボレロ)」、オリジナルではないが最近有名な智弁和歌山「ジョックロック」などもある。しかしダッシュKEIOはあまり聴かれなくなっている。ちょうどセンバツのガイドブックが届いていたのでチーム紹介を見ると小豆島の監督は慶応出身だった。なるほどこれだ。早稲田出身だったらきっとブラスも使わなかったにちがいない。

高校野球オタクでもブラスバンドにまでは以前は興味なかった。今は「ブラバン!甲子園」なんてCDも持っている。去年は甲子園出場校の校歌の本まで買ったし、試合観戦に命をかけるラガーさんほどではないが高校野球の楽しみ方は様々だ。

2016年3月20日日曜日

センバツ開幕&米将軍MR送別会

高校野球春のセンバツが開幕した。ちょうど日曜からでじっくり見ることが出来た。選手宣誓は小豆島高校のキャップテンだった。あえて震災には触れず「当たり前にあった景色がなくなる。その重みを僕たちは忘れたくありません。当たり前にある日常のありがたさを胸に僕たちはグラウンドに立ちます」という言葉を選んだ。なかなかいい。実は初戦の相手が同じ21世紀枠で大震災の被災地ということがあった。「当たり前にある日常のありがたさ」というのは野球に限らず家族や仲間、仕事、ひいては国や地域についても言える。島の出身者だけ17名しかいないチーム小豆島高校には頑張って欲しい。高校野球ファンはこんな高校を応援したいものなのだ。

2試合目に鹿実対常総学院があった。今大会のガイドブックはネット注文中で事前情報をよく知らず、まあいい勝負するんじゃないのとみていた。でもネットで調べたら周囲予想は常総が相当有利だったようだ。実際、初回に常総2点先取されてからしばらくは押されていた。しかし4回に相手ピッチャーが簡単にフォアボール与え、そのチャンスをものにし同点、その後はそつなく得点し、6回のピンチも下手投げの谷村が危ういながらも良くしのぎ、終わってみれば6−2で勝ち、なんだか強豪伝統校の試合運びを見ているようだった。なかなかやるじゃん。

TV画面を見ていてあれ?と思ったのがバックネット裏の様子だ。ここ20数年も陣取ってきたラガーさんを始めとする観戦軍団のいわゆる8号門クラブの高校野球オタクのおっさんったちがいない。代わりに少年野球の子どもらが座っている。席取りなどで諸問題がありそこを高野連が子どもらを予約招待することになったそうだ。毎試合ごとにラガーシャツを替えるラガーさん(東京在住の善養寺隆一氏)や以前いたテンガロンさんなどある種高校野球観戦名物でもあり、ラガーさんのシャツの色を夏休みの自由研究のテーマにした小学生は見事、芦屋市で「教育長賞」に輝いたとか、ホンマかいな?(事実とのこと)。最近は偽ラガーさんまで現れ、おっさんたちの席取りのトラブルにまで発展してしまい、高野連に子どもたちへの「ドリームシート」なる解決策で丸く収められてしまった。まあ、本来は選手やチームが話題になるべきゆえ、当然の帰結だったといえよう。↓はかつてのラガーさんで、その下↓は最前列よりわずかに3塁側に席を移動せざるをえなかった現在のラガーさん。TV画面でも映ったのはほんの一瞬だった。


夜は鹿児島中央駅串近くの居酒屋「ブサン」で木野トリオリーグのチームメイトだった米将軍MRの送別会に出た。将軍君は実は半年前に長崎に転勤になっていて、急だったので送別会が出来ずにいた。10年も鹿児島にいて海広しDrのもとボウリングを通じて仕事に遊びに活躍し(マイボールは私の愛用していた'Nsane LevRG=インセーンレブRG)ていた。新天地でもこれからも持ち前の明るさと行動力で頑張っていくはずだ。タシケント、スリウェル両MRも来てくれ、初対面とは思えぬ感じで会話がはずんでいた。二人とも最近はリーグ戦に出ても恥ずかしくないレベルに来ており「こてるボウリング会」で数年投げてきた成果が出ている。来年姶良のイオンにボウリング場が出来ればもっと充実したボウリングライフが・・という話しも出ていた。
しかししかしー。この時はまだ知らなかったが、数日後の情報でイオンはボウリング出店を見送らざるを得なくなったとのことだ。確かに予定はあったがボウリングチェーン店に断られたとか。がーん!だよ。

2016年3月19日土曜日

スピリッツ総会で

夜は鹿大医学部バスケ部の年1回の同窓会「スピリッツ総会」に参加した。卒業生追い出しコンパも兼ねているが最近の学生さんは全く知らないし、会は少々マンネリ気味で参加はどうしようかと思っていたが、今回は同級生の産婦人科オッキー君が保健学科の教授に就任したこともあって出ることにした。同級生の出世を祝わないわけにもいくまいて。

だがー。いきなり出鼻をくじかれた。何とオッキーDrは参加してこなかったのだ。同時刻に産婦人科の堂地教授の退官記念パーティーがありそちらに行っていた。うーむ、それじゃー仕方ない。そもそもスピリッツ総会は明日の予定だった。それが会場のクレストンホテルの勘違いで今日になってしまったといういきさつがある。

しかし同級のアップルリバーDrや先輩後輩Drらと久しぶりの出会いでそれはやはり楽しいものだった。特に後輩脳外科カメバスDrとの会話で彼が4月から霧島の過ごし安病院に就職しそこで脳外科の診療を開設するという情報には少し驚いた。サブアラドDrからは一つもその話しは聞いていなかった。少し青雲会病院から離れているとはいえ同じ姶良郡内で隼人国分の病院の負担が軽くなることで脳外科患者の動きに影響があるだろう。カメバス君にはサブアラドDrと毎日のように連絡しあう「ダチ」だよと教えてやった。「それは心強いです」とのこと。それに「365日オンコールのつもりでいます」と言っていてやる気十分とみた。麻雀も学生時代はいっしょに打ったこともあるが最近は全くとのことで、新天地で新診療科を開くからにはそうだろう。サブアラドDrにも誘わないように言っておかなくちゃ。

2016年3月18日金曜日

深夜の緊急内視鏡

そろそろ春だというのに肺炎がらみの高齢患者入院が多い。だいたい近隣のクリニックからの紹介が多い。

昼間、別の患者のことで病棟にいたら「先生、XXさんが呼吸していませんっ!」と看護師が慌てて連絡に来た。いやはや気管挿管だ。5、6人あっという間に看護師が集まり処置対応してくれる。人工呼吸器設定して血ガス採って点滴指示も出し・・家族に「入院しておらず自宅だったら危なかったですね」と事態を説明する。肺炎そのものはそれほどひどくはないのできっと回復してくれることを期待したい。

夜は当直だ。21時過ぎて起きておられず医局でソファ寝していた。23時過ぎだったか病棟看護師からピッチに連絡が来た。「外科入院の〇〇さんが吐血していて・・」私は夢うつつでなぜか朝の6時半頃と勘違いして「内視鏡室スタッフが8時頃来たら緊急内視鏡の準備をしてもらおうか・・」と返事した。それから30分くらい経ったろうか、また連絡があった。「また吐血しているのですが」「うん?」そこでようやくまだ日が変わらない0時前と気がついた。徐々に頭がすっきりし「すぐにムッちゃんNsかシホねえNsを呼んで内視鏡の準備を」と伝え、臨戦態勢に入った。貧血検査でかなりヘモグロビンも下がっており深夜だが輸血の指示も出した。そうそう、O型の血液が2パック院内に余っていると医局壁に連絡紙があった。幸いにも〇〇さんもO型だったのだ。

ムッちゃんNsが呼ばれ緊急内視鏡をしてみると・・10日ほど前に出血性胃潰瘍で絶食点滴、抗潰瘍薬で改善したと思われ食事も開始になっていたが、実はまだ治っていなかったのだ。立派な露出血管があってこれは内視鏡止血術をせなば。・・。どうにか上手くいき輸血も始まって一息つけた。この患者さん、私が当直でラッキーだった。ま、内視鏡しなくても点滴、輸血で明日朝までしのぎ、午前中に内視鏡治療出来たとは思う。でもその場合は外来業務が滞る。私にとっても深夜1時の緊急内視鏡は都合良かった。

上手く収まったと思えたが・・その後日記書きやすぐには眠られず、やはり当直業務は疲れるのであった。

2016年3月17日木曜日

保釈先、金曜日、昇段戦、秋元康

覚醒剤で逮捕されていた清原が500万の保釈金を払い病院に入院したとの報道があった。オヤと思ったのは千葉県松戸市の病院ということ。もしやCN病院では当たりを付けたらやはりそうだった。全く知らない病院だったがウクノーダNsが就職すると聞き、ネットで調べると院長が循環器科の権威とかでマスコミによく登場し、またドクターXのロケ地だったりと有名な総合病院だった。そうした病院はセキュリティがしっかりしているのだろう。青雲会病院クラスだとマスコミ攻勢で仕事どころじゃなくなるわな。

週2回非常勤の並ぶんDrが来月から来ないと(某病院の常勤になるため)と聞き、せめて金曜日1日だけでも来てくれないかと頼んでいたところ、OKをもらった。ふぅー。助かる。4月からクニンダDrという先生が常勤に来てくれることになったのだが月から木までの4日間勤務なので金曜日がどうしても手薄になる。鶴店、村紘両御大Drも月から木勤務なので金曜日だけでも来てくれるDrは貴重なのだ。

ネット麻雀「天鳳」、開けたいゾMRが六段坂を順調に上り七段まで残り15ポイントとほぼ昇段間違いなしまで来ていたという。これなら2位でも昇段だ。チャンスがあればそのゲームを観戦したいと思っていた。しかしー。最近聞いたところ、その後ラスが続き500Pほども減らし昇段を臨むどころではなくなったとか。ハハ、そうそう最上級卓の鳳凰卓には参加できないってことよ。

昔録画ビデオをこのところ見続けている。今夜は3年前録画のNHKBS「秋元康密着2160時間」を初めて見通した。AKBのプロデューサーの仕事ぶりが詳細に描かれていた。まあ、忙しいこと!そして妥協しない姿勢、予定調和を徹底的に嫌う姿勢が印象的だ。これまで何度も驚かされてきたイベント、曲、発表などは秋Pのありきたり大嫌いなキャラが反映されていると確信した。彼がひとかどの人物なのは間違いないわ。

2016年3月16日水曜日

「カラィがちくじって」

昨日、田舎のあこネーサ母よりカライモとミカンが届いていた。この時期によく送ってくれる。芋がメインでミカンは余り物のデコポン2個だった。ややしなびてはいるが味は良い。で、お礼の電話をすると、「ああ、届いたかなー」とまずは元気な声で返事しその後、実は「庭に成っているサワーポメロを送りたかったがカラスに突かれてダメになってしまった、だから送れなかった」という意味のこと鹿児島弁で言い訳をしていた。ふーん、べつにいいよそんなこと。まあ、とにかくありがとさん、だった。

ところで、そのやりとりを聞いていたカールが「何だったの?」と尋ねるので、鹿児島弁で説明すると「え?え?」と何言っているのかさっぱりという表情だ。以下、鹿児島弁訳してみよう。

「さわーぽめろん、おくいたかったどん、カラィがちくじって、やっせんごっなっしもたで、おくいやならんかった」

いやー、文にすると私でもぱっと見、よくわからんわ。特に「カラィがちくじって」のところ、カラスをカラィと訛る部分、聞けばまあ分かるが難しい。鹿児島弁では気が急くのか言葉を縮める癖がある。同様にガラスも「割れたガラィがあるから気をつけろよ」とか訛る。あこネーサ風に言えば「ガラィがチンガラッ、うっがれた」は「ガラスが木っ端みじんに打ち壊れた」の意味になる。そうそう、「チンガ(グア)ラッ」や「チンガ(グア)ライ」は私が訳したように「木っ端みじん」や「全面的破壊」を意味し地元人には妙に人気がある。いかにも鹿児島らしい鹿児島弁だからだろうか。

カールに「うちの子どもらにしゃべってもきっと分からないと思うわ」と言われ、今急速に鹿児島弁が使われなくなっていることに気がつく。彼らは共通語をしゃべりなさいと言われる方が楽なのだ。ああ、かつて「方言しゃべったら罰当番」と言われていたのに今は「方言を大事にしましょう」と廃れるのを心配しなくてはいけない。

そもそも言葉とそこの文化は切っても切れない関係にある。外国人が日本語を学ぶということは日本文化を学ぶに等しい。鹿児島弁も同様である。鹿児島を大事にしたければ鹿児島弁を大事にすべき、これは当然のことだった。

2016年3月15日火曜日

「フランシーヌの場合」

延期になっていた姶良郡医師会ボウリング大会が3月30日の水曜日にあるという。そこでまたメンバー集めをする私だが、この「3月30日の水曜日」に反応してしまった。私は歌う。

♪フランシーヌの場合は〜あまりにもおばかさん〜フランシーヌの場合は〜あまりにもさびしい〜3月30日の日曜日〜パリの、朝に、燃えた、いのち、ひとつ〜フランシーヌ〜

「フランシーヌの場合」という歌を連想したのである。夕方来ていたMR神殿守君に水を向けてもぴくりともしない。そりゃそうだろう、まだ30才にもいくかいかないかの彼が昭和44年の歌を知っているはずもない。しかもこの歌は当時はヒットしたがその後歌われ続けているとは言いがたい。1969年3月30日の日曜日の早朝、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議して、パリの広場で焼身自殺した女子学生フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)を歌った歌で、当時、パリ国際会議センターではベトナム戦争の終結に向けてアメリカ、北ベトナム、南ベトナムなどが会議を開いており、フランシーヌは、そこから200メートルほど離れた路上で、ビアフラの記事の切り抜きを握りしめて焼身自殺したのだった。新聞のベタ記事でこれを知った日本人作曲家の郷伍郎と作詞家のいまいずみあきらの二人はこの事件から受けた感動をたちまち一つのフォークソングに書き上げた。これが新谷のり子が歌って大ヒット(約80万枚)した「フランシーヌの場合」である。


子どもの頃、変わった歌詞だなと思って特に意味も知らず歌っていた。この事件はフランスではほとんど風化してしまっているらしいが極東の地ではこの歌のおかげでいまだ人々の記憶に残っている。当時の反戦ムードや巨大権力に対する個人の生き様などがうかがえ、歌の持つ力を示している。ただ50年近く経った今ではヒットするかどうかは怪しい。いや、フランスではつい最近テロ事件があったばかりだ。テロが蔓延したら分からない。まさに歌は世に連れ世は歌に連れだ。
(曲を全く知らない人は↓をクリックまたペーストへ)
https://www.youtube.com/watch?v=wbIhv2GRvZo
https://www.youtube.com/watch?v=2dah_5_6gPs