2020年3月31日火曜日

12枚目と10枚目と8枚目の違いが分かる?

年度末ということとコロナの影響で外来患者や内視鏡検査者も少なく午後は時間が空いたので年休を取ることにした。

近くのコスモスに寄ってカールに頼まれた買い物をして駐車場の車中にいたところ、窓をポンポンと叩かれた。見れば産休中のモモトーマNsだった。腕に赤ちゃんを抱っこしている。「生まれたんだね。女の子?」「ええ」「名前は?」「シアです」へー、漢字を尋ねてここには書かないがなるほどと思った。シアちゃんに限らず平成半ば以降子どもの名前は凝ったものが多い。それで一向に構わないが私は読める漢字にして欲しいといつも思う。あまりに凝りすぎたり当て字が過ぎると一度ならず「何て読むの」と尋ねてしまうし、しまいにはそれすら億劫になる。シアちゃんに付けた漢字はなかなかセンスいいものだった。

家に帰る前、T-MAXに寄って一人でボウリング練習をした。時節柄、いつものメンバーとの練習は自粛することにしたが、マスターマインド・ゼロのサムホールを広げたので調整も兼ねて一度投げておこうと思った。試投すると親指が引っかかっていたのが全く問題なく返ってゆるすぎになって、またホールにテープを張り直した。今日のレンコンはごく普通でそんなに荒れていないのはよかった。191、173と来て3ゲーム目マスターマインド・ゼロで234とそこそこ良いスコアが出た。今回はプロウラーよりこれまでのマスターマインドの方が合っていたようだ。

で、4ゲーム目はプロウラーを主に試した。このボールはオイルに敏感ですーっと奥まで走りオイルがなくなると急激に曲がって食い込む性質を持つ。

下に3枚投球動画を載せる。通る位置の違いでボールの動きが大きく変わることがよく分かると思う。一番上は通過がスパット12枚目付近でボールがオイルの多い真ん中付近を通ったため、すべり過ぎ(スキッド)て食い込みが遅れピンに薄く当たってしまった。↓。
真ん中の動画はボールがスパットの10枚目を通り、ちょうどいい具合に奥で曲がりジャストポケットに入ってきれいなストライクになった。↓。
最後の動画はボールがスパットの8枚目付近を通ってレーン端のオイルの薄い部分に触れてしまったがために早目に曲がりが起きてしまい、1番ピンの左側いわゆる裏(ブルックリンともいう)のストライクになった。結果はオーライだが安定してストライクを出すことが出来ないコースである。↓。

2020年3月30日月曜日

みんな志村けんが好きだった

年度末だが少し早めの青雲会病院の入職式が今朝にあった。今年は医師地域枠からコジロ女医が勤務してくれることになった。医師になって確か7年目のママさんDrだ。内科をしてくれるとあって私たちも何かと助かるはずだ。それに女性なのでスメア検査も近く覚えてもらうことにした。やはり女性が検査したほうが絶対にいいもんね。勤務は4月1日からでしばらくは理事長や私の外来に付いたり救急対応を見学して徐々にこの病院に慣れてもらう予定で、当直は大変だろうからしなくてもいいのではと言うと、「いや、やります」と力強く言い返された。ほう、それは頼もしい。でもやはりすぐには大変だろうからもう少し経ってから当直割り当てをしよう。

それはそうと「志村けん、コロナウイルスで死亡」のニュースはかなり衝撃があった。私なんか「志村けんも話題になって返って良かったんじゃないの。治ったら『大丈夫だぁ〜』って言うんだよ」とお気楽なことを言っていたのだが、まさか死んじゃうなんて!このニュースは一般ピープルへの注意勧告がすごい。超有名人の訃報は、凡百の政治家やニュースキャスターが「コロナウイルスに気をつけましょう」と言うより響くものがある。「え?志村が死んじゃうの、自分がそうなってもおかしくない」って。幅広い世代に親しみを持たれていた彼だからこそ「他人事(ひとごと)じゃない」効果がすごい。

夕方の病院スタッフが集まる所属長会議で可愛いんだ理事長からスタッフDrに一言コメントをよく求められるのだが、志村けんのことを言おうとしたら直前の信号Drに言われてしまった。それで今朝の理事長の訓話をネタに「いい話でした。2週間後の自分の朝礼スピーチにも使わせていただきます」と切り返した(^_^;)。

私が中学のころ、志村けんは荒井注脱退のあと後釜としてドリフターズに加入したが、1、2年は浮いていて人気が出ていなかった。しかし高校に入ったころ、あの「東村山音頭」で受けに受け、それ以降はカトちゃんをしのぐ人気っぷりで、「8時だよ!全員集合」が終わってからは爆笑コントでさらに人気を博した。私は「だいじょうぶだぁ」が好きで毎週見ていた。石野陽子(現:いしのようこ)との掛け合いで「そこまで言う、早見?優、北天?佑・・」とか「好きになった人ダンス」も可笑しくて真似までしていたヨ。漫才や落語とは違う体の動きと表情と落ちで笑わせる芸風は子どもや外国の人にも人気があった。いずれこのコロナ感染騒動は収まると思うが、後世、日本では志村けんの名とともに記憶されるに違いない。

2020年3月29日日曜日

がにがに体操

NHKで「がにがに体操」と「くねくね体操」なる体操をやっていた。これをやると運動神経が刺激されて若返りに驚くほどの効果があるそうだ。特にがにがに体操はぱっと見、可笑しい体操で笑ってしまう。NHKによると「運動不足が続くと、筋肉を制御する「神経」が衰え、脳の命令が伝わりにくくなってうまく体が動かせなくなります。その状態を放っておくと、神経の数がどんどん減っていって、やがては転倒や寝たきりなどのリスクにもなります。そんな運動神経のはたらきを改善させるのが、この体操。脳の命令が体の末端まで届きやすくなり、全身の動きが良くなるんです。ハードな筋トレをしなくても、運動能力をキープすることはできます」というふれこみだ。小学校などで取り入れられ効果を上げているという。https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_725.html

さっそく家の中で老いまくっているギボヒサコに「この体操をやりましょう」と提案した。私と向かい合って「はい、私の動きに付いていってー」とやったのがほとんど脚が上に上がらない。ただ、その様子を見ていたカールが吹き出してデジカメ写真に撮ろうとしていた。やる方は意外ときついのだが見ている方は思わず笑ってしまう動きなのだ。何回か動かしているとヒサコもちょっとは脚が上がるようになった。これで転ばなくなったりするだけでももうけものだ。よし、1日1回私がギボヒサコにさせて現在のよたよた動きを改善させてあげようぞ。
(↓肘は上に曲げてやるのが正しかった。これでも効果はありそう・・)

2020年3月28日土曜日

自宅ゴロゴロ

朝から休みでゴロ寝を決め込んだ。例によって貯め込みビデオを消費し、昼からはネット麻雀の天鳳を打ってトップを取った。先月末もトップで終わっていたし、リアルの麻雀でも最近は負けていないから調子がいいみたい。

夜になってサブアラドDrから電話があった。当直で割にヒマだそうで天鳳を打っていたと。ならば久々に対戦するかぁとなった。天鳳はリアルタイムで接続人数が表示されていて今夜は7千人を越えていた。これはここ7年間で最高人数じゃないだろうか。多くても5千人くらいだったので、明らかにコロナ感染での外出自粛要請の影響だろう。現に我々が久々にネット麻雀しようという気になったのも何となく自宅にこもっているからだ。

出だしは親番のサブアラド六段が2千オールと軽快に上がり調子良かった。そして東3局に私はちょっとしたミスから上家にハネ満を打ち込み一気にラスになってしまった。結局これが響いてビリ。サブアラドもオーラスに対面が倍満ツモというトンデモ手を上がって3位に落ちた。終わって携帯で「いやー、びっくりだねえ」と感想戦をした。私は自分のミスがはっきりしているので反省しきり。悔しさもあり電話終わってすぐに次戦に突入した。今度は会心の打ち回しでトップ。サブアラドはそれを観戦していた。彼が私の麻雀を見るのは珍しい。その逆はしょっちゅうだがね。

この後も韓ドラのチャン・グンソク主演の「スイッチ」が面白くて、最初ネット、後からはビデオ録画を見て過ごした。日テレBSで現放送中ですぐに追いついた。続きを見たくても翌日を待たねばならない。ふーむ、自宅ゴロゴロも案外疲れるもんだわー。

2020年3月27日金曜日

スコア急転落の理由

最近はボウリングの調子が良く、トリオリーグも含めてアベ200アップ出来ていた。それで今夜の串木野トリオリーグもその流れで絶好調のはずだったが・・。

なんと、1ゲーム目123、2ゲーム目148と初心者並みのスコアで奈落に落ちた。ガターも何度もするしー。原因ははっきりしている。親指にタコが出来ていてマスターマインド・ゼロのサムホール(親指の穴)から指が抜けないのだ。どうにか抜かせようと紙ヤスリでこすったりするも一部がひっかかり、指を動かさずそろりと投げようとするとコントロールを損なう。プロウラーのサムホールはさほど引っかからずいいのだが今日はこのボール、レンコンが合わず使えなかった。3ゲーム目に入るとヤスリの効果でやや投げやすくなり204とどうにか200アップ出来た。チーム成績は2ゲーム目は海広しDrが212と活躍し、3ゲーム目はサンシさんが239、それでチームスコアが299まで行きポイントを稼いでくれた。誰か一人調子悪くてもこうして補えるのがチーム戦の醍醐味だ。

親指のタコを削る道具もニューボール購入の際に揃えたがいかんせん削るのが痛くて使い物にはならない。あれはもっと分厚いタコに使う代物のようだ。試合中にはホール調整する時間もあまりない。今度の休みにホールを削って次回はきちんと投げられるようにしよう。

2020年3月26日木曜日

健診結果はどうだった?

昨夜は当直で、明けての朝食は摂らずに年1回の職員健診を受けに人間ドック室に向かった。

視力検査は答えを言うまで私は粘るタイプだ。視力0.7くらいから見づらくなって「うーん、右かなぁ、下かなぁ。右!」てな具合に。それが結構当たるのよ。それで毎年1.0近くの視力をキープ出来ていた。しかし今回は当直のせいで睡眠があまり取れずCマークがぼやけること、全体が二重に見えたりして粘る気力が失せた。結局、右0.8、左0.9で終えた。それでも裸眼でまだ生活出来るレベルにあり、今まで眼鏡を掛けたことがない人生を続けている。それに対して聴力はやや落ちて基準値の30dB以下を1000Hz、4000Hzともにどうにかクリアしただけで以前の5Hz、10Hz以下はどうしても達成出来ない。これは若い人ほど余裕だね。さすがに年を取ってきたということだ。

採血検尿心電図レントゲンすべて異常なし。血圧はいつも110前後でこれはほとんど予防的に降圧薬を内服しているからこその数値だ。肥満が唯一の指導項目かな。BMIが26を越えている。2008年から2010年までは体重71kg程度でBMIも24くらいの一応正常範囲だったのに2012年ごろから毎年1kgずつ増えていって2012年以降77-78kgで高値安定だ。ちょうど麻雀が復活したあたりからだ。でもちょい太りくらいがちょうど良いなんておっしゃる偉い先生もいるくらいで、まずまずの検診結果に満足して午前を終えた。

すると、夜には鹿児島県を揺るがす大ニュースが!ついに我が県もコロナ感染者が発生した。惜しい、ベスト4進出ならなかった。なになにイギリス帰りの中年女性が姶良市のスーパーに寄った上にしばらく滞在もしただって。すぐに病院に電話を掛け青雲会病院受診をしていないことは確かめた。5日遅れの「こてる日記」ゆえに、こんなのはとりあえずも速報で日記には書いておかないと。それで3月21日分日記には記(しる)しておいた。

いや〜、東京では患者発生が何十人も出ているというし(東京オリンピック延期発表で当局が一気に情報開示を厭わなくなったという久米宏の指摘はさすがだわ)、このコロナ騒ぎ簡単には収まらず、まだまだ続きそうだ。

2020年3月25日水曜日

四度目の正直、大腸憩室出血

昨夜、下血で入院した高齢女性がいると病棟から連絡が入った。下血はだいたい私の担当な上に、この患者さん、昨年から今年初めにかけて大腸憩室出血で3度入院し、全て私が担当していた。S状結腸に数え切れないほど憩室がありここが出血源とは推定されるものの内視鏡観察時は血が止まっていて出血源が見つからない、いつもそのパターンだった。原因部位の止血処置をやっていないので再下血するのは当然の帰結だ。

三度目の正直でもダメで四度目ともなればさすがに期待もせず大腸内視鏡を入れた。すると直腸にも血液がたくさん付いていた。あ、いつもより血液が多い、これはもしかして・・さらにS状結腸に挿入する。血液がやはり多く、一部は鮮血に近い色合いだ。うむ、出血源が見つかりそう!俄然やる気になり、副送水で腸管を洗いつつ観察をしていくと怪しい所が見つかった。洗浄するとごく小さな憩室の隙間からじわ〜と血液が染み出てくる。見つけた。(その瞬間の内視鏡室画像。↓左が出血源の憩室、右は普通の憩室)

「よし、勝った!」

勝った負けたを言うのは語弊があるかもしれないが、その瞬間は「勝った」と言いたくなる。憩室出血は出血源を見つければ治療が終わったも同然、クリップかゴム結紮かで止血すると今後そこから出血しなくなる。私は可能な限りゴム結紮(EBL)で治療する。クリップは時に外れて不完全な場合がある。今回もがっちり締め上げ止血に成功した。四度目の正直は憩室出血慣れしている私でも最高(最難)記録かも。ほぼ1年がかりとなり患者にも私にもようやく安堵できる時が来たのだった。
(↓上で目印クリップを掛け様子を見ると、下でじわりと血が出て来るのが分かる)
(↓結紮直後の憩室。目印クリップごとゴム結紮する。壊死後、数ヶ月で瘢痕化する)

2020年3月24日火曜日

チッチとダブルスを組む

昨日のマスコミの報道から東京オリンピックは延期になると思っていたが、とうとう正式にその通りだと発表された。個人的にはすでに通常の3倍近い値段で予約した宿泊が解約できるのかが気になる。キャンセルしてもお金は戻らないとは書かれているも、結局オリンピックもないのに法外な値段をふっかけられているわけで消費者保護の観点からどうにかならないかと思う。しばらくは様子見としよう。私たちは二人で一泊だけだったのでまだましな方で、これが数人で二、三泊予約した人たちはどうなるのか。10万20万ものお金が無駄になるわけでキャンセル不可とはあまりに理不尽だぁ。

外出や人の密集するところへ行くのは自粛しましょう、と言われるが、今夜もボウリング練習にT-MAXへ向かった。今度はチッチも連れて参加でサンシさん、難ガターさんもいっしょだった。チーはこの前の練習が効いているのか大きなミスなく投げていた。レンコンは先週と違いオイルが長く伸びていて曲がりが遅くなり難ガターさんはコントロールに苦労しサンシさんはメインボールのナノデスでないためやはり四苦八苦していた。私はこの前は比較的合っていたプロウラーよりマスターマインド・ゼロが調子良く2ゲームなど235を出した。チッチも出だし4連続ストライクを出すなど本人もびっくりの調子の良さだった。

最後の2ゲームは久しぶりのダブルス戦を組んだ。私とチッチ対サンシ・難ガターチームだ。普段の出来なら私たちが若干不利か。最初のゲームは私たちがいきなり2ミスでハンディを負った。しかし中盤チーがストライクを出し私が負けじとダブルさらにストライクが続き逆転で198対180で勝った。
お約束の飲み物は二人ともDAKARAを選んだ。2ゲーム目、接戦だったが1ゲーム目の勢いが続き後半ターキーが出て197対146、勝てないと分かった相手は9フレ10フレでスプリットやミスで自滅した格好だ。またしてもジュースゲットでチーは「ダブルス組んで負けた記憶がない」と言う。ふーむ、それって多分私と組むことが多いからじゃない。その私も以前某氏と組むことが多かった時は負けが込んでいたから・・。

ともかくもニューボール作ってからボウリングの調子が上向いているのはいい傾向だ。やっぱりニューボール購入はボウリングのドーピング、いやエナジードリンク作用があるぜい!

2020年3月23日月曜日

樋之口(てのくち)町を眺める

5階病棟のヨシコNsと病棟患者の処置についた。一通りの処置が終わって私はヨシコNsに尋ねてみた。

「ヨシコさん、日頃みんなに『冗談はヨシコさん』って言われない?」
「言われます。しょっちゅうですよ」
「あは、やっぱり」
「5階にはもう一人ヨシコさんがいますよ」
「え、そうだった?」

看護師の氏名はおおかた把握しているがすぐにはもう一人の名前が出てこなかった。近くにいた中卓君が「ロックリジンNsもヨシコさんです」と教えてくれた。ああそうだった、漢字が違うが同じヨシコさんだ。

ヨシコさんといえば林家三平のギャグで有名で、他に数年前桑田佳祐がその名も「ヨシ子さん」というタイトルのCDを発売もしたくらいなぜか取り上げられることの多い女子名だ。それも「余裕のヨッちゃん」と同じく言葉遊び(地口)として。それで、「よくからかわれるわ」というにしては、にこやかなヨシコさんNsだった。

夜は天文館山之口町の日本料理店「世楽」で食事だった。私は病院から直接向かってカールとチッチが来るのを店の前で待っていた。10分以上待っている間に、通りががりの若い男性から「すみません、この近くに焼き鳥の『せんみょう』って店はないですか」と尋ねられた。うわ、聞いたことないよ。昔だったらこの近くに住んでいたので即答できただろうが、「この通りは見てのとおり多分ないと思いますよ。あるとしたら隣の樋之口(てのくち)本通りじゃないかな」と教えると、スマホを確認した彼は「あ、そのとおりだ、あっちだった」と礼を言いながら去って行った。

樋之口町か・・ここに23年間住んでいた頃は居酒屋や焼き鳥屋などほとんどなく、繁華街には近いが普通の下町だった。飲食店で言えば鳥料理の「一保」がいまだに続いているのは偉いわ。焼き鳥の「謙信」が出来たのは平成に入ってからじゃないかな。あと居酒屋&会食料理の「さかなちゃん」は昭和50年代に最初8番地に出来たがすぐに今の9番地に引っ越し新築し今に至っている。オーナー店長が私の出身と同じ頴娃町で同じ番地だったからしょっちゅう利用させてもらっていた。待っている間、目の前にはちゃんこ料理の「朝の海」があってこの店も平成の初めくらいから長く続いている。50年くらい前のこの辺りは友人のいっと見れ君の家があって遊んだ記憶がある。人生ゲームとやらを初めてやってすっごい面白かった。

もっとも友人宅で遊ぶことはあまりなく、すぐ近くの天文館公園でゴムボールでの野球やドッジボール、サッカーなどで毎日遊んでいた。公園に行けば誰かしらいて遊び相手には困らなかった。私が今立っているのは清滝川の上にコンクリートを被せて芝生とタイルが敷かれている所だが、ちょっと以前は川を暗渠(あんきょ)にした市営駐車場だった。さらに50年前は小さなドブ川そのもので川は天文館公園を突っ切っていて、ドッジボールやゴムボールが落ちるといやいやながら下に降りて取り戻しに行かねばならなかった。昭和45年ころくらいに暗渠になってからは子どもらの遊び場所に変わった。「世楽」と「朝の海」の間にかつては川だったと分かる所がある。ドブ川もこうするとおしゃれに見えるから不思議やね。

「世楽」で食事するのは私とチッチは5年ぶりくらいだった。食事も終わるころ、隣の部屋で定年のお祝いをしている客の一人が私たちの部屋に顔を出した。何事?と思ったら、何とセントラル高同級生の槓凹君だった。
(↓その瞬間を写真に撮った。チッチの表情、オヤ?が可笑しい)
彼は後からやって来た私たちに気付いていたらしい。後輩職員にプレゼントをもらったりお返ししたりやっていたようだ。4月に入ったら彼も含めて同窓生でまた飲み会をする約束もあった。今日のこともまた話題になりいいネタになるだろう。少しずつ暖かくなり、コロナ騒ぎで気を揉む以外はいい夜だった。

2020年3月22日日曜日

ゲンちゃんと良寛さま

日曜の朝、少し寒かった。カールが朝シャワーに入っていて1階居間は誰もいなかったのにガス暖房器具が作動していた。

「あら、もったいない」

無駄な光熱費を嫌うカールが消し忘れると珍しい。私はスイッチを消そうとしてパソコンテーブルの近くにあるガス暖房に近づいた。そこでハッと気が付いた。

テーブルの下にゲンちゃんがいる!(↓左がガス暖房、ゲンちゃんの後ろにはフットサルボールとボウリングバッグ)
ガス暖房はゲンちゃんの方を向いている。ああ、ゲンちゃん、暖まっているんだー。せっかく気持ちよさそうにまどろんでいるのを見れば、暖房を消すのは忍びなく、結局そのままにしておいた。

カールが上がってきてそのことを言うと、「私も消そうと思ったけどゲンちゃんがそこから動かないんでそのままにしていたの〜」と。うわ、ゲンちゃん相手だとなぜか甘くなるよ。

それにしても私たちってあれみたいだな、ほら、床下のタケノコが伸びるからって床板を剥がしてあげた良寛さま、そんなにお偉いわけではないけれどね・・。

2020年3月21日土曜日

写真は鮮やかによみがえる

(ついに鹿児島でも3/26に新型コロナが発生した。イギリス帰りの40代女性ということだ。なんと姶良市がらみらしいが、入院したのはうちの青雲会病院ではない。ただ、確実に忍び寄って来ているのは実感する)

カールと田舎に墓参りに行ったついでに、実家に立ち寄り、家族アルバムをチェックしまくった。子どもの頃、特に小学校時代の写真をデジタル写真に保存しておこうという魂胆だった。例の松原小での講演の下準備のためである。コロナの影響でまだいつ講演するかは決まっていないが、どうやらイマジン校長は定年延長でまだ1年は校長職にあるようなのだ、きっとまた依頼は来る。

ところで、何冊もあるアルバムを見返したが、私の小学時代の写真がほとんどなくその代わりデンコーやアッキーエ、あこネーサなど若かりし頃の写真が多かった。それはそれで思い出深く何回もめくる手が止まった。で、これらの写真をほぼ全部デジカメで写し、保存した。気が付けば1時間半、あっという間に時間は過ぎた。白黒写真や色あせたカラー写真でも見れば一瞬にして鮮やかによみがえる。写真はいいわ。

その間、ヒラーキやチエコンさんもやって来て昔話に花が咲いたりした。ヒラーキは私のランドセルが焼かれた事件やデンコーの所有していた貨物船「栄進丸」に乗ったことなどまた保育園児だったのに記憶していた。しかし「昭和38年鴨池動物園にて」とデンコーの記した写真には二人とも記憶がなかった。私が4才、弟が3才だから覚えていないのも無理はない。私は6才になる直前の夏に初めて鹿児島市に列車で行ったという記憶があった。でも、その2年ほど前に家族4人で鹿児島の鴨池動物園まで来て遊んでいたのだ。へーえ。
(今もそうだが、昔から垢抜けないのは変わらないな。ハハ。↓)

小学校時の写真が思っていたよりかなり少なかったのは自宅のアルバムにあるのかも。そういえばまだ自宅アルバムをちゃんと確認していなかった。後で確認しよう。気が付けば時刻も12時前になり、あらかた確認できたし、昼過ぎから麻雀の約束があるしでお暇(いとま)したのだった。

2020年3月20日金曜日

コロナの影響さまざま

昨日、セージが帰省した。チッチとも正月以来会えるかと思いきや、チーは泊まりがけで福岡の友人らに会いに遊びに出かけていて、結局すれ違いになってしまった。

彼岸の日でもあるし田舎の母の老人施設にもいっしょに連れて行こうと思ったが、チエコンさんに聞くと「あそこは私でも絶対に会わせてくれないんです」と施設が現在外部とシャットアウトしているとのことで、コロナ感染問題の影響が出ていた。

それに今日は沖縄から客人も来ることになり、お墓参りは明日に延ばした。さらにセージは帰りの飛行機の便が夕方のはずだったが便数減少のあおりで昼過ぎに変更させられ、あっという間に帰って行った。これもコロナの影響だ。そういえば明日予定されていた私の大学バスケ同窓会も案の定中止になった。とにかく人が多く集まり接触するイベントは中止だ。

それでため込んだ録画番組を次々に消化していった。自宅TVのハードディスク録画は4テラもあり400時間ほども録画出来るのだが貯め込みすぎて残り80時間ほどになっていた。視聴したものは消してはいるものの中には保存しておきたいものもある。明日で「おしん」がついに完結するがこれを全部保存してあるんだ。全297話あって74時間以上もある。いざとなればこれを消すしかないか・・。

コロナ、コロナで外出好きな人にとっては休日も楽しめないかもしれないが、インドア、ゴロ寝派の私にとっては今のところどうにかやりくりできているわ。

2020年3月19日木曜日

不謹慎な見解

「こてる日記」のアップはだいたい6日遅れですが、今日(3/19)あたりに書いておかないとタイミングを逃しそうな記事を早目にアップしておきます:

コロナウイルス感染もまだ衰える感じはなく日本の各都道府県も感染者が出て残るはついに8県のみになってしまった。北から、青森、岩手、山形、富山、鳥取、島根、岡山、そして鹿児島だ。ついこの間まで茨城や香川、福井も未感染県だったが感染者が出た。


見れば分かるとおり、未感染県は東北、日本海地域が多い。そしてじっとこの地図を見て私はもう一つあることに気が付いた。これらの各県は夏の甲子園大会で一度も優勝経験がない県だったのだ。鹿児島は1994年の樟南の準優勝が最高成績だし、青森も古くは決勝再試合の1969年三沢に準優勝ばかりの光星学院、岡山は春は優勝経験(1965年岡山東商)があるが夏は1999年の岡山理大付の準優勝までだ。福井も敦賀気比の春優勝(2015年)のみ。鳥取は春は米子東が一度決勝進出(1960年)はあるが、山形、富山、島根に至っては春も夏も決勝にすら行ったことがない。要するに高校野球が弱い県がベスト8に残った。

残った都道府県は高校野球は弱くてもコロナには強い。残る8県、どこがベスト4に残り、どこが優勝するのか・・。センバツは残念ながら大会中止になってしまった。(センバツ特集号も2月には購入し楽しみにしていたのに・・)こうなったら願わくばだが、8県いずれも残って(ウイルスに感染せず)甲子園大会が中止(コロナ終息)になれば一番いい。

2020年3月18日水曜日

怪しい電話の対処法

忙しい外来の最中に事務から「外線で『日本メディカル』の辻さんという人からつなげて欲しいと連絡が入っています」ときた。一聴して聞いたとのない会社と人の名前だなと思った。面会を求めているという内容のようだが、怪しいので「相手の電話番号を尋ねてこちらかかけ直すと言ってくれ」と頼んだ。「分かりました」と事務職員は言って一応電話を切った。

事務職員は入職3ヶ月の新人のモカさんでこの手の電話にはあまり慣れていないようだ。それはともかく患者の診察の合間にネットで「日本メディカル」を調べてみた。するといくつかほどそれらしき会社があった。「日本メディカルシステム」は調剤薬局の会社で、「日本メディカルプロダクツ」はマスク、ガウン、オイフ等の不織布製造販売の会社、「日本メディカルネクスト」は手術器具関係の会社、「日本メディカル株式会社」は電カル、医療機器の会社、なるほどメディカルと付くだけに医療関係の会社なのは共通している。ならばいかにもありそうな「日本メディカル」と名乗るのは紛らわしくてきちんと下の名前まで名乗るべきだろう。どうもこの電話は怪しい、マンション販売かなにかだろう。すぐに出なくて良かったと私は判断した。

さらに患者の診察をした後、気になってのでモカちゃんに電話してみた。「どうだった?」「はい、先生の言われるように、相手の電話番号を尋ねたら、何も言わずに切られました」だって。ああ、やっぱり!

2020年3月17日火曜日

コロナで意外な所がウハウハしていた

午後から年休を取り、トヨタにプリウスのリコール修理に出かけた。シートベルトの調節がどうのこうので自分の車は何も問題なくて行かずにいたら催促の手紙がまた来たのだ。40分ほど待っっている間、寝落ちし、雑誌を握ったままソファで眠り込んでいた。車もきれいになって、ちょうど時間が空いたのでT-MAXに寄ってみた。昨日の夜、チッチと久しぶりのボウリングに出かけた際にマスターマインド・ゼロをボウリング場スタッフに預けていた。このボールはオイルが染みこんでへたっていたのでオイル抜きとサーフェス処理を頼んだのだ。多分仕上がっているはず。

着いてみてフロントの周りの人の多さに少し戸惑った。平日のこの時間、がらがらのはずでは?何かボウリング大会でも開かれているのかい。若い人が多く、フロントに着いて待ち時間15分の立て札にさらに驚いた。↓。
ボールの処理は出来ているとのことでお代の千円を払ってから、スタッフに「なんでこんなにお客が多いの?」と尋ねてみた。すると、コロナでの学校休業が始まってから高校生が押し寄せて連日これだという。「ラウンドワンさんがあそこは全国チェーンだから(朝から遊ばせるとなにかと批判されやすいせい)か、15時以前の高校生利用を断っているんです。そこでうちにやって来ているみたいです」という。うう、私は夜しか利用していないので年配者は逆に減っている印象だったが、とんだ逆転現象が起きていた。

そもそもボウリングは「閉じられた空間」に「人々が集まり」、ハイタッチやボールなどの「接触」も多いスポーツレジャーだ。コロナ感染を憂慮すべき対象じゃないの?だからプロのタイトル戦、クワタカップも住建カップも関西オープンも中止や延期になった。急に休みを与えられて何かと制限のある中では高校生にとってボウリングは最適な遊びだったんだ。コロナ騒ぎで全般に飲食、レジャー関係は厳しい状況の中、斜陽のボウリング業界にとっては予想外のボーナスのようだった。

そうそう、昨夜ここでニューボールのプロウラーを投げたところ、オイルが少なめで国分スターレーンとは違い左に立ち右に向けてややスピードを付けて投げるとストライクが連発した。3月10日の国分との球筋の違いを御覧あれ。↓。



ちなみに、チッチは1ゲーム目の終わりから2ゲーム目にかけてなんと7連続ストライクが出て本人も私もびっくり。私よりは曲がりが少なくアウトサイド真っ直ぐの狙いで上手くはまった。↓。こんなストライクばっかりだったらボウリングが楽しくなるネ!


2020年3月16日月曜日

福田晴夫著「チョウが語る自然史」

歯科口腔外科の山守先生から「こてる先生、これ持って来ました」と渡されたのが、福田晴夫著「チョウが語る自然史ー南九州・琉球をめぐってー」という本だった。表紙裏に著者記名がある。322ページもある立派な本である。福田晴夫先生は私の高校時代の生物の恩師であり、日本蝶類学会の重鎮である(元会長)。山守先生は福田先生の蝶学の弟子でありいっしょに蝶を捕り、研究する仲間でもある。福田先生が齢80半ばにして集大成となる本を書かれたと聞き、私も1冊求めて山守先生に頼んだのだった。

先生は1974年に「チョウの履歴書」という本を出版し、これが第1回南日本出版文化賞を受賞するという栄誉に輝いた。翌年高校に入学した私も読んで夏休みの読書感想文として提出したら「良く書けている」と福田先生に誉められた記憶がある。チョウの生態が興味深く書かれ、昆虫や生物好きとは言えない私でも面白く読んだ。今回の本はチョウの生態はもちろんだが、ぱらぱらとめくるに日本列島や南西諸島の何百万年前の形成史(日本列島や南西諸島は大陸とつながったり離れたりを繰り返した)もあって地学、そしてヒトが関わってきての歴史をチョウや昆虫を介して語り論じているようだ。そしてここ何十年かの環境の激変ぶりに大いに警鐘を鳴らしている。

出だしはアサギマダラのマーキング調査の話題から紹介されている。1960年台に沖縄の愛好家たちがこのチョウが盛夏には沖縄からいなくなることから春と秋に季節的移動をしているのではないかという仮説を提示したのが始まりである。やり方は捕獲したアサギマダラの左右の後翅裏面に、日付、場所、番号、自分の名前を略号で記入し放蝶する。この作業を何百頭と行う。しかしそうそう発見されるものではない。そのうち1981年に種子島で4月に離した雌が5月に三重県四日市で、5月に雄が7月に福島県白河市で再捕獲された。今度は10月にマークした雄が11月に奄美大島で採れ、ここに春から初夏の北上と、秋の南下が確認されたのだった。その後北は北海道、南は台湾、中国東南部という行動範囲が確認されているという。

なぜこのチョウはこんな移動をするのか、するようになったのか?その前に。なぜここに棲んでいるのか、いつ、どこから九州や琉球にやって来たのか?これらがこの本主題のようだ。先生は「正解は出ないかもしれないが推理小説の犯人捜しより面白く、厄介である」と書いている。そして「気の向くままに、謎解きの楽しみを味わってみよう」ということだ。なるほど、単にチョウチョを捕獲して標本にして飾るのが好きなタイプとは違う。それは「チョウの履歴書」を読んだときにも感じたことだ。

それでも根本は野外に出てひらひら舞うチョウを追いかける原始的な楽しみが根幹にあるはず。山守先生は「この年(還暦前)になっても休み前に明日チョウ採りに出かけると思うとワクワクして寝付けない時があるんですよ」と言う。そんな昆虫少年らが成長して今度はチョウが示す謎解きに夢中になり、それに伴う環境の破壊問題に心を痛め、子どもらの環境教育についても論じるようになっている。300ページにも及ぶ本なので少しずつ読んでチョウに絡む謎解きを私も楽しんでみようと思う。

2020年3月15日日曜日

「突撃!かねおくん」がボウリングを語った

NHKのお金にまつわるバラエティー番組「突撃!かねおくん」の昨日の特集は何とボウリングだった。桑田佳祐がホストとなった大会「クワタカップ」の話題やボウリングボール(定価は5万くらいだが実売価格は2万円台が多い)やピン(1本3千円)、ピンセッターの値段(300万)、最新のボウリング場の機能、新しい楽しみ方など30分の中でこれでもかと紹介していた。私はボウリングオタクだからだいたい知っていることが多かったが、おおっと興味を持てたのが二つあった。

一つは美味しい食事を提供することをメインにしたボウリング場だ。基本的にボウリング場はゲーム代で収入を上げるのがオーソドックスな経営方針で食事はレーンやボールが汚れたりしてNGだ。しかしそれでは昼や夕方の食事時に客が減ってなかなか収益が上がらないジレンマがあった。それは私もよく分かる。例えば仕事が終わってみんなとボウリング行こうとするとちょうど20時くらいになり空腹で投げる羽目になる。終わってから食事は遅くなるし、食事してからのボウリングもトータルで時間がかかる。いっしょにしちゃえば人は集まりやすくなるわけだ。あるボウリング場はシェフにミシュランガイド常連店で修業した人を抜擢し若者が集まるようになり、売り上げが1億円もアップして一昨年など年商3億円越えも果たしたという。


これなど先月下鶴隆央県議の激励会で議員が「ヨーロッパのサッカー場は入場料ではなく食事代で稼ぐのが主流」と強調していたことと同じだ。番組ではボウリングはすごく人気だと強調していたけれど私の見たところ退潮傾向は続いている。食事をメインに据えるというアイデアはなかなかのものだと思った。

もう一つは日本のボウリングボール工場の紹介で、栃木は佐野市にあるとのことだった。「日本エボナイト社」のことだなとオタクには分かる。ここでは2004年から続く「ナノデス」シリーズなどを作っている。ナノデスは私も過去に2回購入したことがある。サンシさんなど初代ナノデスを気に入りかなり長く使用し、今は私のお下がりのナノデスをこれも気に入り使っている。私が驚いたのはその工場で年間に作っているボールの個数がたった1万個程度という事実だった。ナノデスはアメリカ製に比べ実売価格が2万6千円以上とやや高い。となると売り上げは2億6千万円程度か。最近のベストセラーとなったナノデス・アキュライン・ツアープレミアム(名前が長くて覚えられない)は通常の3倍以上も売れてたそうだが、それでも2千個程度だったとか。(↓メガヒットが2千個程度とは・・)

他のメジャースポーツと比べ市場規模の小さいこと。ボウリングブームの頃は日本のボール製造会社も10社程度あって10万個ほど売れていたそうだ。私がボウリングを始めた29年前は3社程度あったと記憶している。今ではアメリカ製に押されシェアも1割程度らしい。日本のボール製造の灯を消さないためにも日本エボナイト社には頑張ってもらなくては。

ボウリングは基本的には楽しいスポーツ。子どもからお年寄りまで長く続けることが出来る。そのためにも業界がジリ貧では困る。爆発的なブームは要らない、今回のNHKの特集のように行ってみたいと思うようなボウリング場やボウリング製品が出て来ることを期待したい。

2020年3月14日土曜日

コロナ検査で保健所とやり取りする

朝のニュースで佐賀と長崎もコロナ感染者が出たと聞いた。これで九州もコロナ未感染県はいよいよ鹿児島だけになってしまった。長崎も佐賀も自県で発症したというよりは帰国者や県外者の持ち込みだった。病院に長崎は壱岐からやってきた看護師のチープリバちゃんは「私、この間まで壱岐に里帰りしてましたー」と言う。「いつ島を出た?」「11日です」「あー、京都の感染者が壱岐に入ったのが12日だって、セーフじゃん」「そうなんですか、良かったぁ」と一安心していた。

そんなコロナの話題ばかりの外来で、昨日から発熱があってだるいという患者が受診した。すぐに院外待機してもらい、問診票と症状からコロナの検査も必要そうと判断した。いや、本音はたぶんコロナじゃなくて普通の風邪かなにかで発熱しているだけだろうと思うのよ。でも、高速バスの運転手で福岡、長崎、熊本を回っていてインフルエンザは陰性、胸部CTを撮ってみるとほぼ正常だが左の肺野わずかにすりガラス陰影があった。この時節柄、一応調べておかないとまずいんじゃないか。で、事前に鼻腔ぬぐい液は取っておいた。でもPCR検査をしてもらうには保健所に掛け合い許可をもらい検体を取りに来てもらう必要がある。これがなかなかすぐに「はい」と言ってくれない。今週始めに数人のDrが依頼して皆1時間半ぐらいはかかっていた。(↓完全防備で患者と接触し検体を採取)

保健所に電話をする。コロナの検査の希望を言うと、向こうもいろいろ質問してくる。こちらもいかにもコロナらしい状況を強調する。高速バスの運転手って他県で感染例があるし、すりガラスみたいな影がある(と強調)し、発熱のわりには白血球が正常だし、ウイルス感染をそっちも考えるでしょ、てな具合。そして「いったん、検査を受けるか検討します」と言われ電話は切られた。ここからしばし待たされるはずだった。しかし私のこのケース、15分もしないうちに返事が来た。「検査しますので係の者がそちらに(検体を)取りに伺います」と。うし、やった。これだけ短時間で結論を出してくれればそれほど大きな負担にはならない。ある程度聞かれそうな質問を想定していたのが良かった。

結果は病院に来る予定。おそらくは明日になるだろう。結果の処理は当直カワゼンDrに頼んだ。もし陽性だったら鹿児島県初のケースになるし、指定医療機関に紹介したり、もしかするとマスコミとの対応も生じるかもしれない。面倒なことになりそうだ。

(で、結果は陰性。まあそうだろうとも思っていたがホッとした)

2020年3月13日金曜日

この私がホワイトデーだって?!

ほとんどまともに寝られない当直をした後も午前は外来業務がある。今日、私の外来に付いたのは仏顔Nsだった。おっとり顔の美人ママさんナースである。ただいま3人目のお子さんがお腹にいるのに、外来序盤のテキパキ済まさなきゃと気が立っている私にマイペースで優しく対応してくれる。そして昼前になり業務も目処が立ってくると、私の雑談にも付き合ってくれたりする。

その彼女が「先生、明日はホワイトデーですよ、何かプレゼントを買いましたか」と言ってきた。ホワイトデーだって?この日記でバレンタインデーですら「最近は衰退している」と断じた私がホワイトデーに何かを買ったりするはずがない。ましてや先月のバレンタインでどこの部署からもまた誰からもプレゼントされておらずお返しをする義理もない。それを言うと「奥さんからは?」と言われ「ああ、カールがチョコレートケーキを作ってくれた」と答えた。「でしょう、カールさんにちゃんとケーキのお返しをすべきですよ」と割に強く言われ、「ケーキ屋さんはイオンの近くの『シャトレーゼ』あたりがいいんじゃないですか」「シャトレーゼ?聞いたことはあるな」「あそこは糖質カットのケーキもあるからカロリーを気にする人にも大丈夫ですよ」と畳みかけられ、ネットの地図で場所確認もさせられた。ふーむ、今日は午後から休みで自宅とは方向は逆だけど帰りに寄ってもいいか。外来の終わり際にも「先生、ちゃんと買って帰って下さいよ」と言われ、何だか絶対行かねばという気になった。

姶良イオンから見て高速道路の反対側に店舗はあった。客は意外に多く、品数もたくさんあってどれを買おうか迷うほどだった。仏顔さんのお勧めの糖質カットケーキ数個、さらにクッキーを買ってみた。カールはあまり甘いのは好きじゃない上に安っぽいのもダメなんだ。じっくり選ぼうにもこの頃になると眠気もあって適当に選ばざるを得なかった。帰って見せると「え、どうしたの」とカール。ワケを話すと「ふーん」とケーキを見て今ひとつ好みではないようだった。でも一つは食べてくれた。残ったものは当然「まあ美味しそう」とギボヒサコが食べてくれたけどね。親娘でも食べ物の好みが全然違うわい。
(↓のピンクの糖質カットケーキは食べてくれた)

夕方まで仮眠を取って、夜は串木野へトリオリーグに参加した。コロナ騒ぎの中、ボウリングのリーグ戦は国分でも串木野でも中止にならない。さて、ニューボールのプロウラーだったが、ライン取りに戸惑いながらも3ゲームで612点とそこそこのスコアは出せた。特に2ゲーム目は出だし3フレまですべてミスってしまったにも関わらず、気合いを入れ直して投げれば7連続ストライクを出すなど、きちんと奥までボールを出せばグイッと曲がっていいピンアクションでストライクを出してくれる。逆にマスターマインド・ゼロは以前と比べ曲がりがすごく弱くなっていた。プロウラーより曲がるはずなのにナ。これはオイル抜きマシンできちんメインテナンスしないとダメだ。次回T-MAXに行く時それをお願いしよう。ボウリングもなにかと忙しいわっ。

2020年3月12日木曜日

救急5倍返し

オマルさんとの2子局はオマルさんがまた外勢を取り私が四隅を取る展開となった。自分が優勢と思って打ち進めたがオマルさんの無理手を上手く咎められない。そのうち左下の黒石を大きく取られる結果となりそこで逆転されたようだ。最後は「白がイイネ」と言われ私が投了した。うう、3子局から始まって2子局でも勝っていたが最後は2連敗し結局4勝4敗の五分になった。明日は退院なのでちょうど引き分けに終わった。もっと早く退院も出来たのになぜ明日かというと明後日に碁会があるからなんだそうだ。それは行かねばならないな。私と打ち続けたおかげか今週は以前のように調子が戻っていた。きっといい成績を残すだろう。
(と、ここまで書いての最新情報。別の囲碁好きな患者さんがいてその人も3月14日に碁会参加予定だったが、『コロナのせいで中止になりました』だってさ。残念、オマルさん)

この日は夕方から当直業務だった。でも、下血患者が来ていて救急大腸内視鏡中で17時半を過ぎてもまだ終了できなかった。すぐに90才代の高齢患者の救急車の要請があるも対応出来ないと断らざるを得なかった。で、18時には終わってようやく対応出来るようになった。夕食を摂り少し休憩気分だったところ、めまいの患者さんが救急車で来て入院になった。1時間経つと、今度は呼吸困難の高齢患者が運ばれ、胸部CTを見て、即気管挿管を決断した。家族に「挿管しなけば1日も持たない」と説明し緊急入院になった。それが21時半。23時台に酔っ払い患者の擦過傷、頭痛の若者と来て、午前3時には腹膜炎の30代の人、4時40分にトイレで頭部打撲した高齢女性がいずれも救急車で来て、とどめは6時過ぎに救急で来た胸水貯留の呼吸困難患者さん。指示出ししてようやく一眠り出来るとベッドに寝たのが午前7時で、始業時間の8時半まで少しでも睡眠が取れたのは良かったと思うことだった。

実は1週間前の当直は救急はおろか外来病棟からも何も呼ばれない夜だった。その反動はきっちりとやって来たわ。倍返しどころか5倍返しやで。

2020年3月11日水曜日

「下関にいるのか」と

カールとチッチと天文館の炭火居酒屋「心」に行った。セントラル13期生の5組6組同窓会の幹事会が年末にここであってまずまず美味しかったので、それを言うとカールが「私も行きたい」と言うので予約なしで行ってみると満席で入れず残念だった。それで今回チッチも連れて予約して出かけたのだった。

やはり「とろける赤鶏レバー」はかなり美味しい。レバーが嫌いという人も一度食べてみれば分かるだろう。カールとチッチも「へー、美味しいわ、これ」と好評だった。
焼き鳥も丁寧な造りでいい。色々と頼んで最後は瓦焼きそばで、これを写真に撮り、テルに送信してみると「瓦そば」とすぐに反応があった。あ、知っているんだ。そして「下関でも行ったの?」ときた。「いや鹿児島だけど」家族3人で食べているんだと教えた。どうもこのそばは下関が発祥らしい。テルは知っていたんだ。
この後、テルとLINEで麻雀談議になった。この間純チャン三色のペン3索に振り込んだ話とか、昔の私に似て麻雀にハマっているわい。テルは麻雀、セージは囲碁、チッチはボウリングと私の趣味をそれぞれ受け継いでいる。ただ、麻雀囲碁ボウリングを二つ以上たしなんでいる子どもがいないのが不思議だ。テルは今度帰省したら麻雀のセッティングをして欲しいという。ふむ、望むところよ。ボウリングはニューボールも買ったしチッチとまた一緒にボウリングをしよう。子どもらも同じ土俵で遊べる年になったなぁ。

2020年3月10日火曜日

プロウラー初投げ、Sさんからの電話

国分スターレーンで難ガターさんとボウリング中、高校の同級生のSさんからショートメールが届いた。投げている最中だったので「21時前くらいなら大丈夫」と返信した。きっと入院している姉のことでだと思った。

今日はおニューのボール「プロウラー」の初投げだった。このボールだが、レーン奥までは真っ直ぐ走り、ピン手前でググッと曲がるという特性を持つ。私はどちらかと言えば手前から曲がるボールをこれまで購入してきた。マスターマインド・ゼロがそういうタイプだ。でもレンコンによっては走り系のボールが有効なこともありネットで以前の半額以下と安かったこともあって買った。ドリル代とサムソリッド、フィンガーチップを入れて7千円追加したけどそれでもボウリング場で買ってドリルしてもらうより安いのだ。
しばらくマスターマインド・ゼロで投げて肩慣らしした後、プロウラーの初投げをしてみた。オイルがやや多いので5枚目のラインを真っ直ぐに投げる。ボールはそのまますーっと5枚目ラインを進みレーン2/3あたりからほんの少し内に曲がる様子を見せる。このままではポケット(1番ピンと3番ピンの間)には入らないのではと思いきやピン手前でぐっと食い込みきれいにポケットヒット、ストライクだった。動画を撮っていた難ガターさんが「うわぉ」と声を上げた。


いやー、宣伝文句通りのパフォーマンスをするねえ。こういう動きのボールには慣れていないのでスコアは伸びなかったが可能性を感じた。明後日の串木野トリオリーグでも使おう。

帰りの車中、Sさんに連絡すると、「姉が今日退院したのー」ということだった。おお、それは良かった。昨年末に不慮の交通事故に遭い意識不明になって救急病院からリハビリ病院に移る際に私に相談があった。整形外科や脳神経外科の分野だから私も的確なアドバイスには自信がなかったが「今は意識もなく体も動かないけど後からはたいてい良くなっていくものだよ」と言うしかなかった。彼女の話では転院したころから本人の記憶が残っていて1ヶ月経過してみるみる改善していったという。今では事故を知らない知人が見たらほとんど気付かないほどに回復したという。まだ外来リハビリは続くが「本当にありがとう」ということだった。いや、私は何もしていない。ただ、彼女の話を1時間近く聞いて「大変だったねえ」「命があっただけでも良かった」「きっと良くなると思うよ」と繰り返し言っただけ。それでも医師の発言ということで彼女は気持ちが落ち着けたらしかった。

この前の出誉さんといい、医師の言葉って効くんだねえ。聞いて頷くだけでも効果あるみたい。今後もこうした相談には乗ってあげなきゃ。

2020年3月9日月曜日

タイムスリップ物を見終わり「サメ」を見る

オマルさんとの2子局は後半に私が乱れて負けてしまった。4隅を私が取って優勢かと思っていたがオマルさんも外の地を囲って容易でない形勢だった。それで私が少々無茶をしたところを咎められ中押(ちゅうお)し負け。今度の碁はオマルさん、しっかり打っていてイージーミスがほとんどなくやはり力の差を見せつけられた。88才になっても頭は鍛えられる。囲碁をよくする人はボケないって本当だぜ。

近隣のクリニックからCTで肺炎の所見があるという人が紹介されてきた。ピッピDrが担当し保健所にウイルスウイルスの検査依頼をするも検討しますとのことでしばし待たされたあげく対象外と言われ、結局同じ姶良郡の七五調病院に紹介状を書き、明日受診してもらうことになった。何やかにやで1時間半はかかりっきりになりピッピDrは「面倒ですよ」とゲンなりしていた。なぜ対象外なのかははっきりしなかったが、海外渡航や県外移動歴はなく集会も囲碁クラブや図書館に出入りするくらいだったからか。CTの所見は論文に載っていたダイアモンド・プリンセス号の患者のケースとよく似ていると思ったが・・(結局、この患者は翌日七五調病院でコロナの検査を受け、翌々日陰性との結果を外来担当の私が受け取った)。

コロナ騒ぎであまり外出して遊ぶのは好ましくないと言われているが、元よりインドアで過ごすのがまったく苦にならない私には行動の変化はあまりない。韓ドラも相変わらず見ていて、今は「サメ〜愛の黙示録〜(2013)」を見ている。これは私の大好きなドラマ「復活(2005)」の脚本家、監督のチームの作品で「魔王(2007)」と続く復讐、サスペンス物の3部作最終版というふれこみのドラマである。「魔王」は日本でもリメイクされたがあまり好きな作品ではなかったので「サメ」は放置していた。しかし主演女優がソン・イェジンと知って見る気になった。主演俳優は「善徳女王(2009)」「赤と黒(2010)」「以心伝心(2017)」のキム・ナムギルでタイムスリップ物の「以心伝心」でこの間見たばかりだ。ソン・イェジンは可愛い系の美人女優で「夏の香り(2003)」ではまだ20代前半でその美しさが際だっていた。「サメ」では当時31才でさすがにやや衰えもあるがミニスカートの検事役で初恋の人なのに事故で顔が変わってしまってそれと気付かないキム・ナムギル相手によく頑張っている。
このドラマはあまり視聴率は良くなかったそうだ。そもそもサスペンス物は全般に良くない。「復活」は名作だが裏番組のラブコメ「私の名前はキムサムスン」が歴史に残る視聴率(50%)を取るなどして苦戦した。しかしネットなどでは視聴率以上に人気で、中毒になる人が続出し「復活パニック」と呼ばれた。サイトへの書き込みが200万件を記録し、放送後も専門誌の発行やファンが主催するオフ会が幾度も開催された。その様子のDVDを私は購入したほどだ。これまで韓ドラのDVDを購入したのは「冬のソナタ(2002)」とこの「復活」のみ。私の偏愛する代表的韓ドラ2作品である。

「サメ」は「復活」との話のつながりはないのだが、主演以外の俳優たちがだいたい同じだ。正体を明かせない主人公が成長した可愛い妹が気になって道路の反対側から見つめて後を追う、同じようなシーンが「復活」にも出て来る。さらに言えば同じスタッフ作品であるホームドラマ「あの青い草原の上で(2003)」にも出て来る。思わずニヤリである。「サメ」の悪役は「復活」と同じ俳優で終盤追い詰められた彼は自分の書斎でピストルと自分の耳に当て引き金を・・これも「復活」と全く同じシーンだったので「うわ」と思ったが実はこの後が違った。これなど「復活」視聴者を意識しての演出だったのではないかな。

正月から10作品連続タイムスリップ物を見続けてようやく普通の作品に戻った。タイムスリップ物では「ナイン」「屋根部屋のプリンス」「トンネル」あたりがお勧めか。若い女性だったら絶対「麗」だろう。あと日本題名だが副題がダサいというか不要な感じがする。「トンネル」は「〜愛の迷宮〜」なんて中身と全然違うし「サメ」も「〜愛の黙示録〜」とか邪魔くさい。「以心伝心」は「~脈あり!恋あり?~」と一応中身を上手く表現はしているもののやはり長たらしくなるので不要と思う。「麗」は「〜花萌ゆる8人の皇子たち〜」という気恥ずかしくなるタイトルのせいで、当初私は絶対見たくないと思っていた。4階病棟の看護師らが是非見てと言うし、タイムスリップ物時代劇の代表作品ということで視聴完走できたが・・。

日本題名で言えば「冬のソナタ」は日本向けの題名で本国では「冬の恋歌(キョウル ヨンガ)」であった。紹介する時に「冬の恋歌」そのままもあったかもしれないが今となっては「冬のソナタ」以外考えられない。タイトルは大事。「冬のソナタ」と名付けた関係者は日韓の歴史に残るドラマになるほど大ヒットしてニンマリしたかもしれない。

2020年3月8日日曜日

コロナで人がいない

スチョルDrのところに行く用があり、鹿児島中央駅から新幹線に乗って出水まで向かった。驚いたのが人や車の少なさ。いくら日曜とはいえ、中央駅西口駐車場の1階のしかも一番手前の駐車スペースが空いているなんてことはまずない。楽勝で駐めて駅構内に行くと、いつもよりずっと人が少ない。学生がいないのは当然だが一般の人も少ない印象だ。新幹線の自由席車両に乗ってさらにそれを実感した。なんと発車5分ほど前の時点で私以外誰もいないのだ。

発車直前に数人乗り込んで来たが、最近のコロナ騒ぎが日常生活に大きく影響を及ぼしているのが分かる。帰りの午後になるとさすがにアミュ構内は人が多くなっていた。少しホッとした。

夕方、空港まで帰省するチッチを迎えに行った。カールもいっしょに行きたいと乗り込んできた。普段は飛行機の到着も遅れがちなのに今回は空港料金所を出たところでチーから「もう着いた」とLINEに連絡があった。チーによると羽田空港も「今までで一番空いていた。いつもは荷物チェックカウンターに入ってから荷物整理をするのに、人がいないもんだから『早く来なさい』と急かされて慌ててしまった」そうだ。中国韓国から人は来ないし日本人でも観光や仕事で行き来する人も減っているからだろう。

帰宅すると、世間の動きとは無縁のギボヒサコが「まあ、私の可愛いチッチちゃん」と嬉々として一番幼い孫を迎えたのであった。

2020年3月7日土曜日

「姉が亡くなってそして母も」

夕方、中学の同級生だった出誉さんからスマホに電話があった。ああ、お母さんをまた入院させて欲しいということかなと思って出てみた。「こてる先生?実は心臓で入院していた姉が昨日亡くなって・・」「ああ・・」去年から3才年上の姉の体調が悪くもう持たないだろうと聞いてはいた。とうとう逝ってしまったんだ。「そうかそれは残念」「それでうちの母なんだけど」「うん」「今日亡くなったの」「は?・・」

瞬間、娘の死を嘆いた母が自殺でもしたのかと思った。「姉の通夜から母だけ先に帰したの。母は姉をとても可愛がっていたから『なんでーXXちゃん』とすごく悲しんでいたわ。で、深夜に母から調子が悪いと連絡があったのだけど、私も通夜席を離れられなくて・・」出誉さんは一人身で一人息子は県外にいる。実家で母と姉の面倒を看ていた。「朝、ちょっとだけ自宅に寄ったのね。そしたらまあそんなに具合は悪そうにないように見えたのだけど」午前のうちにあっという間に血圧が下がり意識も遠のいて救急でその地区の基幹病院に運んだがダメだったそうだ。

「それで担当してくれた先生にAiっていうの?死んでから撮るCTを勧められて、私も通夜席に戻らなくちゃいけなかったしすぐにお願いしますって頼んだら」結局判明したのが胸部大動脈解離が起きていてそれが死因だったようだ。身内の死の影響があったのかもしれないが高齢でもあったし寿命だったと言えるだろう。ただ、彼女が私に電話してきたのは「夜、電話があった時にすぐに病院に連れて行ったら助かったのでは」という悔恨の気持ちからだった。私は「亡くなるほどの大動脈解離が起きていたのなら手術をしないと助からなかっただろう。しかし手術の適応があったかどうか、手術出来ても術後危険な状態が続くだろうしきつい思いをしたかも」と答えた。

だいたいにおいて遺族は「あの時自分がああしていたら」助かったのではと考える傾向がある。仕方なかった死に対しても自分を責める癖がある。出誉さんのこのケース、誰が彼女を責められよう。話を聞き、医療側からしてもまず助けることは出来なかっただろうということを強調した。「ありがとう、お話しして少し楽になったわ」と言ってくれた。で、下世話なことだが「葬式は姉と母はいっしょにするの?」と尋ねてみた。「姉は元々密葬にするつもりで、それに〇〇宗では別々にしなくちゃいけないらしくて」と2日続きで式を執り行わなければならないそうだ。大変だ。彼女は食が細いタイプだから自分の体にも気をつけるよう話してスマホを置いた。

母の娘の死を嘆き続ける日々がわずか1日で済んで良かったのかどうか、私にはよく分からない。

2020年3月6日金曜日

ニューボールのドリル頼んだ

オマルさんとの囲碁対戦は今日私が勝ち、2子局で2勝目をあげた。これで2勝1敗、私にしては上出来だ。ただ、今日はたまたま前半に相手の大石を取れたから良かった。まだまだ上手(うわて)とは力の差を感じる。

囲碁が終わって国分スターレーンに向かった。実はおニューのボールが届き、ドリルの依頼をするつもりなんである。DV8というメーカーの1年ほど前の「プロウラー」というボールが1万円ちょっとと安売りになっていてネットで購入した。このボールの後継品「ナイト・プロウラー」というボールをPリーグでたまたま見て、良さそうなボールだなと思った。すぅーと走り、ピン手前でぐぐっと曲がるタイプのボールだ。旧型ゆえに値段は1万以上安い。これは買いと決断した。(ただ、少し気になるのがこの「プロウラー・Prowler」が、うろつく人、浮浪者、あき巣ねらい、こそ泥って意味みたい。なんじゃそりゃ。)

国分スターレーンに着くと、えらい盛況だった。リーグ戦が行われていて従業員に尋ねると「トリオリーグ戦です。最近参加数が26チームにも増えてしまってやりくりが大変です」と言っていた。へー!串木野など同じトリオ戦でも若干チームも減っているというのに倍くらいの参加数ですごいね。ただ月2回の串木野と違い月1回のリーグ戦のようだ。投げている人を見ると、この前のパーフェクト寸前ボウラーの福雅さんやザ・キング病院の真っ向君もいた。あるチームの若手二人は二人とも親指を使わずに投げるサムレス投法だった。その投げ方だと両手投げ同様にボールに大きな回転を与えられる。だからオイルの多そうなレンコンだったがすごい曲がっていたねぇ。
(↓親指を抜き手首を曲げて投げる。昔、同じ投法のプロがアメリカにいた。)

ドリラーにニューボールと3年間使ってきたインフェルノ・ブルーフレームを預けた。インフェルノを預けたのは「これと同じようにドリルして下さい」の意味だ。このボールで私は2、3年前好成績を残した。しかしフィンガー付近にヒビが入ってしまいそろそろ替え時だった。ドリラーも客に「すぐに掘ってくれ」と頼まれるより自分の空いている時間にドリルが出来るので私のこのやり方が助かるようだ。「いつごろ出来ますか」には「うーん、早ければ来週火曜日には」というので「是非」と頼んだ。というわけで、来週のボウリング練習は火曜、国分スターレーンでと決まった。ふふ、久々のニューボール、楽しみだワイ。

2020年3月5日木曜日

清老頭

今日は午後から休みでゆっくりと昼休みを過ごしていた。すると、サブアラドDrからスマホに連絡があり「今見ているか」ときた。「見ているよー、ビリ争いだね」とパソコン画面を見て答えると「ふふふ」と意味深な笑いをする。

昼休み時間になるとサブアラドはたいていネット麻雀をやっている。私も時間に余裕があればそれを観戦している。場はオーラス前。サブアラドは1万点ほどの持ち点でトップとは4万以上差のある3位だった。これでビリになったのならわざわざ電話してこない。何か大物手を上がった、きっと役満でも上がったのだろう。「役満でしょ。四暗刻?国士?大三元?」「ふふふ、見ていなさい」観戦機能は約5分遅れだ、しばらく眺めていると・・。うわ、配牌を見てすぐに分かった。1万、1ピン、9ピン、9索の対子と9万が1枚、清老頭のポン材がそろっている。9索ポン、1ピンポンで1索を引き入れ6巡目また1索を持ってきてすでに一向聴。これは上がれるわ。
続いて8巡目にはまたもや1索を持って来たのが大きい、これで役満清老頭(チンロウトウ)の聴牌。
4者とも鳴いていて清老頭の待ち牌、1万、9ピンは誰が持って来ても出す状況だ。どうなる?
あちゃー!5万点以上あるトップ目の親が持って来たよー。デバサイ(出場所が最高)!生観戦の役満達成の時にしか出ない効果音「ジャーン!」が聞けた。「ふふ、麻雀を35年以上やって来て初めての清老頭だった」とサブアラド。いや、おめでとう。私も清老頭は聴牌こそすれ上がったことはない。一生に一度上がれるかどうかの難しい役満だ。いやいや裏山しいぞ。

サブアラドはこれまでにも九蓮宝燈(ただし純正ではない)、地和など難しい役満を上がったことがあるそうだ。さすがに最難関の四槓子(スーカンツ)はない。それと清老頭と同じくらいの難易度の緑一色(リューイーソウ)はないという。へへ、緑一色なら私は二度上がったことがあるヨ。

役満の難関度では一に四槓子、二に純正九蓮宝燈、三に天和だ。その次に普通の九蓮宝燈、国士十三面待ち、大四喜、地和あたりで清老頭、緑一色が続き、字一色とここまでがやや難しい役満だ。最後まで言うと小四喜、大三元、国士無双となり一番上がりやすいのが四暗刻、でもそれですらそうそう上がれる訳ではない。ううむ、役満は麻雀の華、私も素直に上がりたいと思ったぜー。

2020年3月4日水曜日

コロナがそろそろ

当直明けだったクニンダDrは両側肺の浸潤影があって呼吸困難の救急患者を受け入れた。レントゲン像から肺炎もしくは心不全の悪化あたりが考えられ、時節柄コロナウイルス肺炎も当然考えられた。呼吸状態は非常に悪く気管挿管をしなければならなかった。でもコロナが疑われるとなるとこの病院に入院させるわけにはいかない。それで郡内で拠点病院になっている七五調病院に連絡するも「コロナと確定したら受け入れる」と断られた。え?コロナって確定診断するには保健所に連絡して仮に検査してもらえても2日近くはかかる。この患者さんはその間どこで治療せよというのか。しかし幸いと言っていいのか、CTを撮り画像診断し採血結果など総合的に診断すると心不全の悪化が一番考えられ、「心不全での重症患者」ということで鹿児島市内の病院に受け入れてもらえた。救急搬送にも付き合い、結局クニンダDrは午前中の内視鏡室業務は全く出来ず、残った2人の担当Drに加え、外来だった私が合間合間に手伝ってやりくりした。

これが本当に新型コロナ肺炎が疑われればどうしようってなる。現状ではインフルエンザ検査キットのように簡単に診断できる方法がない。感染者ならきちんと対策できる施設でないといけない。その施設もおそらくは周囲から入院要請がたくさん来ていて断らざるをないのだろう。どこも受け入れてもらえなければ、結局重症の患者さんを受け入れて入院させ、鹿児島県はまだ未感染地域なので9割方コロナのはずはないと信じつつリスク覚悟で治療せざるを得ないのだ。

当初は「新型コロナってそういえばブルーバードも新型出なくなったしー」なんて軽口を叩いてたが、冗談言うどころじゃなくなってきたよー。

2020年3月3日火曜日

オルベスコがコロナに効く!

今日は間食は全くなし。特にレコーディング・ダイエットを意識しなくても無駄なカロリーを摂らないのはいいことだ。

ネットニュースで喘息治療薬の一つでステロイド吸入薬の「オルベスコ(一般名シクレソニド)帝人ファーマ発売」が新型コロナ肺炎に有効との情報が出ていた。ほうと思って調べると、きちんとした論文が出されていて、読んで驚いた。ダイアモンドプリンセス号で感染した患者が神奈川県立足柄上病院で入院加療され、エイズ治療薬などで治療を受けるも良くならない時に、2月19日に国立感染症研究所村山庁舎のコロナウイルス研究室から強い抗ウイルス 活性を有することが紹介され、2月20日に早速処方してみると2、3日であっという間に改善しそこから1週間後の2月28日にはコロナも陰性化し退院出来たという。他に2人の症例も報告されておりみな吸入後に改善を認めていた。胸部CTで肺炎の画像も紹介されいい加減な情報が氾濫する中医療する側としては実に有り難いと思った。
http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/covid19_casereport_200302_02.pdf
なぜステロイド吸入薬なのにコロナウイルスに効くのか?論文を読むと、他のステロイド吸入薬(フルタイド、キュバール、パルミコート)には抗ウイルス作用はないらしい。オルベスコのみにある作用のようだ。喘息治療薬だから健康保険上は肺炎には使えない。使うとしたら院内の倫理委員会にかけて承諾を得ねばならない。で、うちに在庫があったっけと思って薬局に尋ねるとそもそも取り扱っていないという。そこで1セット10個入りを即注文してくれと頼んだ。いざ当院でコロナの治療をする(そんな事態は起きて欲しくないが)となったら是非使いたい。滞留在庫になる懸念もあるがいざとなれば喘息の患者はいっぱいいるので大丈夫だ、私が処方するからと薬剤師には説明した。それから数時間後、カワゼンDrと可愛いんだ理事長がオルベスコの情報を知り、薬局に確かめたら「あ、それはこてる先生がすでに注文しています」と聞き「素早い・・」と笑っていたそうだ。いやいや、マスクなど違ってきちんとした医療品だからすぐに品不足になるということはないだろうが、同じく有効とされているエイズ治療薬などと違い、ステロイド吸入薬は極論すれば副作用がなくそれでいてこんなに効くのなら手元に持っていたい。それに価格も2100円(2週間〜4週間分)と安い。

それにしても国立感染症研究所っていろんな薬を試しているんだな。吸入ステロイドがウイルスに効くなんて思いつかない。どうも韓国での研究が発端らしい。「韓国のMERSコロナウイルス臨床分離株を使用し、米国食品医薬品局(FDA)承認薬および生物活性分子を含む化合物をスクリーニングし、最終的にMERSコロナウイルス感染症あるいCOVID-19に効果があるかもしれない12品目をピックアップした中にシクレソニド(オルベスコ)があった」ということだ。3月6日のニュースでは「国立感染症研究所がウイルスの遺伝情報を担うリボ核酸(RNA)の複製を阻害したとの見方を明らかにした」そうでまずます期待が持てる。今日の日中は久々に医療関係のニュースにコーフンした私だった。

2020年3月2日月曜日

レコーディング・ダイエットを勧めたった

土曜の外来で50代男性の軽度糖尿病患者にレコーディング・ダイエットを勧めた。体重90kg以上あり、食生活や体重にあまり自覚がない人のように思えたからだ。レコーディング・ダイエットとは岡田斗司夫氏が実践したダイエット法で2007年に「いつまでもデブと思うなよ」という本で提唱しベストセラーにもなった方法で、日々摂取する食物とそのエネルギー量を記録することで、自分が摂取しているエネルギー量、食事の内容、間食などを自覚し、食生活の改善につなげるというものである。やり方はとても簡単。毎日食べたものを漏らさずメモしていくというだけだ。

そもそもデブは自分がどれだけ食べているかを自覚していない。だから肥満者に「食べ過ぎですよねえ」と指導しようとすると「そんなに食べていないですけど・・」との返事が返ってくる。そこで口に入れたものをメモることにより「無意識に摂っていた間食などの食材」を自覚し、肥満に繋がる食生活のパターンを戒める意識が自分の中に根づくのだ。さらに毎日体重計に乗ることも勧めた。デブは体重計にも乗りたがらない習性がある。乗る行為で否応なしにダイエットへの意識が高まる。いずれも巷のダイエット法に比べ簡単でとっつきやすいものだ。この方法で岡田斗司夫氏は1年余りで体重を117kgから67kgへと50kg減量、体脂肪率を42%から17%へと落としたという。

そこで私もやってみることにした。いつも持ち歩いている手帳に間食したものだけを書いていくのだ。土曜日は当直の夜どうしても空腹で医局にあった「カカオチョコ1枚」「アーモンドチョコ1個」を食べた。日曜は胆石患者を診た後に「ガトーショコラ1個」、麻雀が終わっての深夜「リンゴ一切れ」「おにぎり1個」、今日がまた医局の「ドーナツ棒1個」と間食はなくなっていない。平均すれば1日100kalもないが無駄なカロリーであるのは間違いない。

それとこのダイエットをやると、食べ物を見て食べたいなと思ってもいちいちメモするのが面倒くさくて「書くくらいなら食べるの止めよう」という効果もある。なかなかに優れたダイエット法だ。現在、体重は78kg台で瞬間80kgあった頃よりはいいがまだまだだ。目標はとりあえず75kg。ダイエットは人に言うだけじゃなく自分も頑張らなきゃ!

2020年3月1日日曜日

当直明けの試練

昨日から今朝にかけて当直業務だった。第5土曜日は院外からの当直医が来ないから常勤医の誰かが担うことになる。何人か救急で来たうち、タール便の患者は救急内視鏡を行うと食道潰瘍からの出血だった。止血処置をして入院となり、貧血もあって輸血も1パック指示した。発熱と頭痛の高齢女性患者の場合は額より上に皮下の発赤があってこれは「丹毒」と診断した。以前話題にした医事新報の症例問題にあったのとそっくりなケースで、耳たぶまで赤かったから蜂窩織炎ではなく丹毒だと分かった。

さあてもうしっかり寝ようとベッドで横になっての午前3時、またもや救急要請がー。腹痛の患者だという。やれやれ。診てみると確かに上腹部を痛がっている。症状の出方からして胆石発作かなと思った。今日は二次当直の当番日なのでレントゲン技師が待機してくれているのは助かる。腹部CTを撮ったら案の定胆石があった。それだけで胆石の発作とは断定出来ないがともかくも入院を勧めた。絶食点滴にし明け方採血を行うと肝胆道系酵素の上昇もあり胆石が悪さをしていたのは間違いなかった(結局外科に治療をお願いし5日後に手術になった)。

午前中に帰宅できたものの睡眠不足は明か。実は午後から麻雀の約束もあった。家で仮眠が取れればいいのだが、日曜の午前ってそうそう眠れるものではない。ずるずると起きていたら、今日のメンバーの一人が「急に心房細動が起きて薬を飲んでも収まらない」とのことで急遽キャンセルになった。うわ、これは麻雀そのものがなしだな・・。だが、この日のために福岡であった用事を朝早く行って済ませて麻雀に間に合うように鹿児島へ向かっている別のメンバーがいて「出来そうな面子を探してみてくれないか」という。そこで私は数名に「急遽麻雀出来ないか」と連絡しまくった。連絡がつかないか、今日は用事があってという返事ばかり、今回は無理だったかと思ったら久々にザワザワさんが「出来ます」との返事。あれれ、やっぱりやることになったよ。

少しでも仮眠をと12時過ぎてから40分ほど寝た。これで結構元気が出て来た。結局ピンチヒッターを買って出てくれたザワザワさんは負けてしまった。明日は東京出張も控えているというのに・・いやいや悪いことをしました。今度は我々が負けますから。