2023年8月31日木曜日

「私がおかしいのかしら」

カールが「私の方がおかしいのかしら」と語りかけてきた。

今日、ギボヒサコがお世話になっている施設の介護を担当している60歳代女性職員と話をする機会があった。その女性の妹さんは今年、くも膜下出血になって命は助かったがある程度の脳の障害は残らざるを得ないという。さらに姉も乳癌とさらには肝臓癌も見つかって「今年は大変な年だ」と嘆いていたそうだ。それを聞いてカールは「それは大変でしたね。私も明日乳癌の定期健診に行くんですよー」と言ったら、その女性「えー!怖くない?」と反応したのだ。それにカールは「え、毎年のことですからー」と返事したが、どうもその女性職員は乳癌検診など受けていないようだったという。

それで「毎年、乳癌だけでなく、子宮癌のほか一般健診を受けている私の方がおかしいのかしら」と言ってきたのだ。これには当然「何言っている、おかしくないし、十分まともだ」と私は答えた。

「怖い」という言い分は「健診や検診を受けると癌が見つかるかもしれない、だから怖い」どうもそういう理屈のようだ。でも論理的に考えれば分かるよね。怖いのは「癌になって死ぬ」ことであって、癌があるかどうかを知る「検査そのもの」は怖くはないのだ。内視鏡はまあ怖がるのも分からないでもないが、採血、レントゲン、エコー、ブラシ擦過検査などは大したことない。

検査を受ければ自分に癌宣告が来るかもしれない、検査を受けなければそのような宣告が来ることはない。自ら怖い場面に出くわす真似はしたくない。だから健診(検診)を受けない。そういうことだろうねぇ。

まるで注射を嫌がる子どもと同じだ。これまでも何度も指摘してきた論理ではなく感情で行動するタイプ。人間の行動には論理でも感情でもどちらを優先してもいい場面はたくさんある。しかし結末が生きるか死ぬかの場面では当然論理的に行動しよう。癌という病気は進行するまで自分では気づきにくいもの、だから早めに健診を受けるのだ、と良き大人は行動しなければ。それが分かっていて「敢えて受けない、癌であってもそれは自分の運命だからそれを享受する」というのであれば私は何も言わない。ただなかなかそういう立派な人にはあったことがない。皆うろたえ、どうにかして助かりたいと病院にやってくるのだ。

もう一度言う「カール、お前はおかしくない」

2023年8月30日水曜日

誰か「ランのうた」を知らないか

昨日の最後で「今やTVよりネットが大事な時代になった」と書いた。今の若者に「TVとスマホとどっちか一つを捨てないといけない」と言われたらほとんどが「スマホを残す」方を選ぶだろう。私はスマホよりノートパソコン(M2 MacBook Air)を使う頻度が多いが、いずれにせよネットが使う方を選ぶ点ではいっしょだ。

速報性はほぼいっしょでもTVよりも圧倒的な情報量、受け身一辺倒ではない双方向性、多様な嗜好性などなどネットが優位だ。

そんなネットの世界には、もしかしたら自分だけが好きないわゆる「偏愛」的シロモノを探しだせるという有り難みもある。私の例をひとつ上げよう。

私が小学6年生(昭和46年=1971年)の頃、石ノ森章太郎原作の「原始少年リュウ」というアニメが放送された。ティラノサウルスらが跋扈する原始時代が舞台の作品で、それこそ「リュウ」という少年が活躍する話・・だったはずだが全く内容は覚えていない。主題歌は「原始少年リュウが行く(歌:水木一郎)」というらしいがこれまた全く覚えていない。

ただエンディングテーマの「ランのうた」という歌が私は大好きでその曲を聴くためだけに見ていたような気がする。ゆったりとした曲調で出だしの歌詞が「♪私が歩くこの道は〜遠くきびしくはてしなーい 闇にケモノがさわいで〜る」とそこだけはしっかり覚えている。この歌を聴くと自分が原始時代にまぎれ込んでランといっしょ歩いている感覚を覚えた。そしてランもいなくなり原野にぽつんと一人でいる感覚・・子ども心になんとも言いようのない孤独感を味わったのだ。大人になってCD2枚組のアニメソング集を買った時、「原始少年リュウが行く」は収録されていたが「ランのうた」は入っていなかった。その後アニメ関係のCDを探してみたが「ランのうた」は影も形もなかった。さして有名でもないアニメのエンディングテーマ曲なんて収録されるはずもないのだった。

誰か「ランのうた」を知らないか。いや、実際はそんなこと誰にも言わなかった。幼い頃のただの思い出の曲なんてほとんどの人が知らない。聞くだけ無駄・・しかし、ネットで検索するとすぐに見つかるんだこれが。しかも堀江美都子(有名なアニソン歌手)のオリジナルバージョンをクリック一つで聴けたのだ。これはダウンロードしとかなきゃ。


「ランのうた」→https://www.youtube.com/watch?v=yvOx68ErGts

こんな経験、TVにはほとんど求めようがない。ただ、聴けてうれしかった「ランのうた」ではあったが、小学6年のころに感じた「孤独感「寂寥感」はあまり感じられなかった。うーむ、あれはエンディングの画面を実際に見ながらでないと、しかもその年頃だったからこそ感じられたものだったのかも。年くって薄汚れたしまった大人には二度と現れることのない少年の感覚、だったのだろう。

2023年8月29日火曜日

「マスクガール」

2日前に久々にNetflixでドラマを見ようと思ってベスト10をみたら、韓ドラの「マスクガール」というのが1位になっていた。聞いたことないタイトルで冒頭に出てくる主人公の女優も見たことがなかった。全7話で1話50分程度なのでそんなに時間もかからなさそう。見てみようか。

いや、1話目からして分かりやすくそして無駄なく進むのであっという間に2話に移った。韓ドラにしてはすごく珍しく本当に「ブス」な主人公で(この作品がデビュー作だった)、そしてそのことがこの物語の発端になる。

彼女は顔はだめでもダンスは上手くそしてスタイルはいい。そこでマスクを着けて踊るとネットの世界で有名になる。しかしさえない会社勤めの中でちょっとしたトラブルが起きて・・。
このドラマ、各話ごとに登場人物の名前が小タイトルになっていてその回の主人公になっている。全体としてはキム・モミことマスクガールが主人公ではあるが、まるで群像劇のようにそれぞれの人生の話が面白く描かれ、背景として現代韓国社会の欲望やひずみが色濃く反映されている。で、そして今日全部見終わった。

テーマがダークだから誰にでもお勧めというわけにはいかないが、全くだれることなく一気に見せてしまう内容は韓ドラ界の実力も示している。そして今や韓ドラの主力が放送局ではなくネット配信会社に移行しているのも伺えた。このドラマの内容なら以前は全16話か20話くらいに伸ばして視聴率を稼ごうとなったはず。それだけの予算を用意して、たった7話のネット配信のためだけに提供出来る、というのはNetflixの資金力、勢いを物語っている。

最初の3話は布団の中でしかも1.5倍速で視聴した。そんな芸当が出来るのもネット配信ならではだ。今やTVよりネットが大事な時代になった。それを実感した2日間だった。

2023年8月28日月曜日

ネコ支援カンファレンス

入院中の主に高齢患者で治療が一段落したはいいが、すんなり退院させづらいケースがある。そんな時、Dr、Nsだけでなくソーシャルワーカーやリハビリスタッフ、家族が集まって今後の治療、ケアの方針を検討する会議を行う。それを支援カンファレンスという。

今日の午後、94歳の高齢女性の支援カンファレンスがあった。その人は独居生活が長く、長男は鹿児島にはおらず福岡からその嫁さんが出席した。来院時からするとすっかり元気になり近々回復期病棟に移って退院を待つと言うところまで来ていた。しかしその年齢で独居生活に戻すのはまた今回のような体調不良を起こしかねない。今後は回復期病棟でリハビリ訓練した後、有料老人ホームでの生活をしていただこうとなった。そしてほぼカンファが終わりかけた頃、私がひとつ気になっていたことを尋ねた。

「ネコはどうするんです?」

それにみんなが反応した。実は患者が救急車で運ばれて来た時、本人は自分の具合が相当悪いのに「ネコがいるから入院はしたくない、帰してくれー」と言っていたのだ。なんでも10年くらい飼っているネコが心配で仕方ないようだった。そしてそのネコは家からいなくなってしまったとのことだった。それで地域の人たちが捜しているとも。そのお婆ちゃん患者は「まだ小さい頃、私がグランドゴルフから帰ろうとしていたら、カラスにいじめられていたのを見かねて拾ってきたんだよ〜。私がいないとネコが可哀想だぁー」とも。分かるねぇ。独居といってもネコがいたからそんなにさみしくはなかったのかもしれないし、ほぼ家族として接して来たわけだ。

会議に参加していた職員らも「そう、ネコはどうなったんです」と気遣った。すると、嫁さんが言うことには、近所の人たちが家の近くにいるのを分かっていて、ずっと外にいたのを監視した後、自宅の戸や窓を開けっぱなしにしていたら自分で入って来た。そのタイミングで全部閉めて後は家の中でエサを上げていた。そして今は動物病院にも連れて行き保護を頼んでいる。自分が福岡に帰るときにいっしょに連れて行きます、とのことだった。長男宅もネコを飼っているらしい。そうか、それなら安心だ。

「ネコは無事で今後も安心」と教えようとしたが難聴のため、手書きの紙で教えてあげた。

動物病院にいるネコの様子が↓。
そのスマホの写真を見せてあげるとニコッと笑った。
まさにネコは家族の一員なんである。

2023年8月27日日曜日

「病院を嫌がる人は最後には・・」

病院を嫌がって体調が悪いにも関わらず受診しない人は、結局にっちもさっちも行かなくなり、とんでもない重症で運ばれる羽目になりやすい。昨夜救急で運ばれた70歳代独居男性がまさにそうだった。メインは肝不全だが、腎不全、心不全、呼吸不全、凝固異常、筋挫滅、血尿、血便そして低血糖発作もあった。内科が総出でお出ましだぁ(実際は私一人しかいないのだが・・)。↓その一部データ。検査値が読める人ならそのひどさが分かるだろう。

救急車を呼んだ妹氏に「ともかくも入院させて治療をするが、助けられるかとても・・」と言うと、「ええ、今日自宅を訪問して、このままじゃ明日には死んでいるかもと不安になって呼びました」と妹氏。確かに、数日以内には亡くなっていても全くおかしくはなかった。私は以前(2016/9/2)「頑固な人は頑固な病気になる」との格言を披露したが、確か「頑丈な人は頑固な病気になる」というヨーロッパのことわざをもじったものだった(ただその後いくら調べてもそのことわざの出所が分からない)。

「病院を嫌がる人は最後には好きにならざるを得なくなる」これが今回出来上がったことわざだ。やれやれ。

2023年8月26日土曜日

死者への電話

この日の土曜は朝から病院勤務、そして夕方からまた病院当直と、忙しい日になった。

そんな中、入院中のある超高齢女性患者の病態が思わしくない件で家族に電話をした。いくつかある連絡先で掛けたのはキーパーソンの一人の長男へだった。しかし出ない。ま、たまにあることだ。留守番電話になったので「お母さんの状態のことで連絡しました」と話し始め、簡潔に病態が思わしくないことを伝えた。

それから5、6分経った頃、私のピッチに折り返しの連絡があった。女性の声だった。まずは患者名を確かめ、間違いないことで詳細を語ろうとした。しかしーだ。相手の名前(長男氏)も念のため確認すると、その家族と思われる女性が「〇〇(長男氏の名前)は昨日亡くなりました」だと。「え?!」しかし思い出した。10日ほど前電話で長男氏と語った際、「私も末期状態で今年いっぱい体が持つかどうかで」と自身の病気がひどいことを言っていたのだ。

家族女性から「私どもも通夜、葬式がありまして・・どうかもたせて下さい」とお願いされた。「ええ、わかりました」と電話を切ったが、いやはや母親も1週間は持ちそうになく、少なくとも2、3日はもたせなきゃと気合いを入れた。

新聞の死亡広告欄をみると、確かに長男氏(70歳代)のことが出ていた。土曜が通夜、日曜が葬式だった。で結局、月曜の朝その母親は静かに息を引き取った。後数年で100歳になろうかという年齢だった。三男家族他が来院し看取った。

土曜は従兄(70歳)の義母94歳の葬式があってカールに行ってもらっていた。私の受け持ち患者に90歳以上は5人もいてまったく珍しくない。中には101歳もいる。超高齢化社会の日本では70歳代でさえ亡くなると親より先に逝ってしまうこともままある。病院や介護施設などその超高齢化社会の波をもろに被っているところなのだ。

2023年8月25日金曜日

お隣さん問題

福島原発の処理水問題、これを中国は汚染水と悪意ある表現にして日本を非難している。まったく馬鹿げた言いがかりに過ぎない。いわゆる科学的根拠それを示しても、どういう思考回路なのか反発してくる。挙げ句の果ては日本水産物輸入禁止などと中国政府お得意(?)の政策に打って出てきた。台湾にいちゃもん付けた時はパイナップルを輸入禁止にしてたよね。やれやれだ。

中国や韓国もだけど儒教の影響なのか、まず理念というか先に「正しき判断」があって事実がその通りにならなくてもその正しき判断に合わせようとする傾向があるようだ。李氏朝鮮の党派争いなどその典型で、表面的には儒教の理念をめぐる学派争いと結びついていたが、その実体は、王位継承で優位な立場を狙う権力闘争だった。そのような不毛な議論と抗争を続けている間に、朝鮮王朝の国力は衰退し、また19世紀に顕著になる欧米、さらに隣国日本の朝鮮への侵攻という新たな動くに対応できなかった背景、要因となったのだ。中国もだから今さら振り上げた拳を降ろすわけにもいかず、最初の意見のとおり「汚染水だから」水産物は危険、だから輸入禁止にせざるを得ないという流れだろう。思考硬直かぁ。

ここは中国政府には汚染水のままでいてもらいましょう。事実とは明らかに違うのだからその論理で動くヤカラはいずれ破綻を来すだろう。日本人は獲れた水産物を平気で食べているが、「危険だ」と言うなら食べなくてもよろしい。中国本土にいっぱいあるという日本料理店には悪いが外国産で我慢してもらうしかない。その外国産は「日本産とは全然違う」という現場の評価もお上がダメだって言うんだから仕方ないネ。

日本はこんな国に頼らず販路を広げましょう。そしてお隣さんは自国の都合が悪くなるとすぐに数の力で圧力を掛けてくる国だと他の国にも知らしめましょう。大国を自認するならそれにふさわしい風格と態度が必要だよ。今のお隣さんにはそれはない。日本はそんな嫌がらせを問題にせず処理水を放出したのは立派(当たり前か)だ。今後もどんどん放出して私たちもお魚じゃんじゃん食べましょ。

2023年8月24日木曜日

ハナビ、また侵入

「あー!ハナビが入って来たぁー」

朝方、カールが家の裏から叫んできた。ゴミ出しの際、裏ドアを開けたちょっとした隙にまたハナビが侵入してきたのだ。まず思ったのはゲンちゃんと接触させてはならないってこと。幸い、ゲンちゃんは2階にいて、そこは安心して外ネコさんに対応出来た。

ハナビは興味津々で台所から居間のテーブル下、そして浴室の着替え室に入ってはここはどうなっているんだと上を見上げたり、もう好奇心のかたまりみたいなネコだ。

↑台所↓着替え室
そしてぴょんと台所の棚に乗って、いつもゲンちゃんが裏を観察する窓のところから同じように観察をしていた。パッと見たらゲンちゃんに間違いそうだ。↓。
そろそろ外に出さなきゃと棚から抱っこしてつかみ上げた。その様子をカールに写真に撮ってもらった。途中から嫌がって抵抗し始めた。ちょいと牙が見えている。
この間、約2分、ハナビのこてる家の冒険探索は終わったのだった。ハナビには4ヶ月間以上、エサを与え続けているが、いまだ家ネコとして飼ってはいない。カールは飼うからには絶対に最後まで面倒をみなければならない・・そうなると、今後の自身の生活にも影響してくるし気楽には決断できないという。こてる家の一員になりたいハナビちゃん、まだまだ我慢が必要だぁ。

2023年8月23日水曜日

「ダッシュ慶応」

昼休みに昼寝して少し寝過ごした。「午後の外来に降りてきて下さーい」と連絡があり、ぼうっとしながらネットで高校野球の決勝をチェックすると、なんと慶応が3ー0で仙台育英をリードしているじゃない。おやおや、これは慶応いけるかも、と思った。

外来業務中も診療の合間のたびにチェックしていたら、一時3ー2と追い上げられたようだが、同点までは許さなかった。そして今大会の慶応はよく打つ。5回に風のおかげのラッキーなヒットもあったりで一気に5点を取ってこれは勝負あった。応援も凄かったようだね。「若き血」がよーく聞こえて来たもん。それに応援ブラスの「ダッシュ慶応」。この曲はみんな知っている割にタイトル名を知らない人は多い。私が初めて甲子園の高校野球観戦をしたのは1987年(昭和62年)の時で、準決勝常総学院対東亜学園戦で常総側のアルプススタンドで応援団が応援席に向かって「ダッシュ慶応」と書かれたプラカードを掲げていたりしているの見て、はて?と思ったものだ。

翌昭和63年、沖縄に半年出張した際、上司のお通じDrがファミコン好きで医局員全員で野球ゲーム「ファミスタ」をやった。そのメイン画面の時のBGMが「ダッシュ慶応」だった。あまりにも普通だし知っていたがそれが慶応の応援曲とは知らなかった。当時の高校野球の応援は早稲田の「コンバットマーチ」か慶応の「ダッシュ慶応」がよく使われていた。お通じDrは野球の音楽にも詳しくそんなことも教えてくれた(各プロ野球球団の球団歌も全部知っているとか言っていた)。「ダッシュ慶応」→https://www.youtube.com/watch?v=Dg25Ux-28O8

平成に入って有名各高校はオリジナルの応援をするようになり、「ダッシュ慶応」などが聞かれる頻度は激減したように思う。しかし今回は本家本元の応援でしかも圧が凄い。相手校が応援に飲まれたというくらいだからさすがだった。こうなると早稲田実業対慶應義塾の早慶対決、「コンバットマーチ」対「ダッシュ慶応」の応援合戦をマジで見たいと思ったヨ。ちなみに早稲田大学が1965年に「コンバットマーチ」で応援をしたところ好評でこれに慶応がうちでもと1966年に作ったのが「ダッシュ慶応」だ。この2校のライバル関係はいつまでもってところだ。

「コンバットマーチ」→https://www.youtube.com/watch?v=2gmltgTbWIE

2023年8月22日火曜日

「GHQの6年8ヶ月マッカーサーの野望と挫折」

月曜にNHKで放送されたバタフライエフェクト「GHQの6年8ヶ月マッカーサーの野望と挫折」を見た。以下↓は番組の宣伝文句だ。

財閥解体や農地改革を断行した連合国軍最高司令官・マッカーサーを、日本国民は「民主主義の父」と称え、GHQ本部にはその姿を一目見ようと人々がつめかけた。そしてマッカーサーはアメリカ大統領への野望を抱くようになる。しかし、世界で共産主義が拡大すると、アメリカは占領方針を180度転換する。マッカーサーは日本の再軍備を進め、逆コースに舵(かじ)を切る。そして突然の解任。マッカーサーの野望と挫折の物語。
マッカーサーについては学生時代から本や映画などで興味があった。今回の放送でかなりの仕事人間であったということ(自身の旅行や余興などに費やすことはほとんどなかった)や日本国憲法の「戦争放棄」導入には本人がこだわっていたなどは初めて知った気がする。そして大統領選にも意欲を示していたことは知っていたが、予備選での負けが惨敗であったことは初めて知った。軍人として太平洋戦争の英雄であり人気はあっても、アメリカ国民は彼が10年もアメリカ国内を離れているという事実から大統領候補としては評価していなかったのだ。

日本でのGHQ司令官としての統率ぶりは確かにすごかったと感じ入る。それは当時の日本国民もよく分かっていて、マッカーサーに多くの感謝の手紙を送っているほどだ。日本が戦争に負けて、自分たちだけで改革しようとしてもあんなに早く大幅な改革は出来なかった。それは憲法を作らせても明治憲法を少しいじっただけという代物で「こんもんじゃダメ」と即突き返されてしまう。様々な民主化、農地改革、基本的人権尊重など当時の日本政府にやらせたら何年かかったか、あるいは古いままだったかもしれない。

GHQの政策はアメリカの対共産国への思惑などから逆コースという政策に変わったりするがそれがいいとか悪いとかは私はどっちでもとあまりこだわりはない。全体主義の国や自由のない国にならなかっただけで有り難いと思っている。日本に勝ったソ連は東欧の共産化で忙しく、中国は国共内戦でそれどころじゃなかった。米英が実質支配してくれてまだ良かった。アメリカも自国に都合の悪い情報は厳しく制限、遮断していらしいがそれくらいはあるだろうて。100%の清廉さを求めるのはたいてい悪い結果になりがちだ。

マッカーサーは朝鮮戦争でも有名な反撃作戦(仁川上陸作戦)で名をはせるが、実際には相当問題の多い指揮ぶりだったのは以前読んだ「朝鮮戦争(デイヴィッド・ハルバースタム著)」という分厚い本で知った。番組でも当然指摘していた「核爆弾使用」をトルーマンに要請するなどし、それがGHQ司令官解雇のきっかけになったが、それはやはり大統領にはなれない男だと証明したようなものだ。日本を去るときも「日本人はまだ12歳の子ども」と本当のこと(これは私の意見)を言ってしまって、それまでの日本国民の人気を下げる後味の悪さで終わってしまった。(ただ日本人がいずれ立派に立ち直るであろうことを予言していたのはさすがだった)

彼は有能さと唯我独尊、パフォーマンス優先などの両面を持ち、大衆人気と実質評価との乖離のある興味の尽きない人間であることは間違いない。日本が彼の影響のもと戦前を改革し戦後を歩み始めたのは事実でそれがよく分かる番組であった。

2023年8月21日月曜日

「あれはアウトだった」再び

朝は内視鏡室で甲子園準決勝神村学園対仙台育英戦の試合経過をネットでチェックしていた。

あら、神村、先制しているじゃない。2回に1点入れていた。少しは期待出来るか?と思っていたらその裏に同点にされ、さらに3回裏に4点を入れられたのを見て「ああ、終わった」。ただその後意外にもずるずると失点せずにいい勝負していたのはベスト4進出チームとしては良かった。

で、帰宅してビデオで確認してみると3回の逆転スクイズを決められたシーンは審判はセーフの判定だったがあれはアウトだった。何度もコマ送りして確認した。絶対に間違いない。直前の「やったー!」から「え?」という神村ナインの表情も印象的だ。審判はもしかしたらタッチがされず空タッチと思ったのか?この判定がその後のホームラン失点に何がしかの影響を与えたかもしれない。↓がその連続写真だ。一番上の写真でもタイミングはアウトになるだろうなと思える。

↓キャッチャーのミットに球は収まり、タッチ寸前。
↓タッチ!仙台育英ランナーのシャツにシワが寄り、明らかにタッチ成功、アウト!だ。ランナーの手はまだホームベースに全く届いていない。
↓ゲゲッ、セーフ?!
↓えっ?という表情の神村学園キャッチャー。

私は以前の日記「あれはアウトだった(2015年8月13日)http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2015/08/blog-post_22.html」とのタイトルでかつての報徳学園対早稲田実業のベスト8の試合が明らかに誤審だったこと、そしてその結果が報徳学園の栄誉や金村選手の人生に影響を与えた可能性があることを指摘した。この記事はこてる日記の通算アクセス数のベスト3に入るほどの反響を得ている。

今は撮影技術は40年以上前よりはるかに進歩し、中継を受信する側もビデオ機器、ネット観戦などいくらでも確認再確認することが可能になってきている。多少のゲーム進行が遅れようがプレイしている側も見て応援している側もビデオ検証やビデオリクエストを取り入れるべきだと思う。それでこそ納得して観戦できるし結果を受け入れることも出来ようというものだ。

メジャーリーグではそれが当たり前で毎日視聴している私もどちらを応援しているかには関係なく「納得して」その後のプレーを見続けることが出来る。「審判の判定も野球というゲームの一つだ」とか言う時代は過ぎた。人間の目では正しく判定するのは困難なシーンはいくらでもあるのだ。サッカーのゴール判定やオフサイド判定などもそう。ゲーム進行が多少とまどうかもしれないが正しい結果の方が優先だし、観戦する側もそれを受け入れやすくなっている。高校野球も甲子園や予選の決勝などリプレイ検証を取り入れるべき時期に来ているし、そうすべきである。

2023年8月20日日曜日

ネコの手は借りられなかったけれど

日曜の朝、6時前には起きて、6時半頃からカールと庭木の剪定作業に入った。おっとその前にうちの家ネコと外ネコが「なになに」てな感じで様子伺いをしていた。

この時から1時間以上作業を続けたのだが、最後は「ネコの手も借りたい」ということわざを思い出したわ。枇杷の木が上に伸びすぎて収穫しにくくなっているのと広がりすぎて一つ一つの実が小さくなっているのでコンパクトに戻そうってことなんだ。
最終的には↓のようになった。

廃棄してもらうために枝を長さ約50cmほどに切りそろえるのが少ししんどかった。実はこの間の台風の影響で8月25日までは枝葉の回収をしてくれる決まりがあって今日中にこの作業を行ったというわけだ。朝早く行わないと日中は大変と思って早めにやったのだがそれでも終わった後はぐったりだった。↓はほぼ終了時のカールとハナビ。
ハナビは興味深そうにずっと庭をうろうろしていた。最後は門柱に沖縄の家獅子シーサーみたくどんと座っていたわ。
ネコの手は借りても役に立たないけれど守り神になってくれたら有り難いネ!

2023年8月19日土曜日

「ホストが愛を語り粉を売る」薬の名前とは

昨日の夕方のこと。外来診療も終わり、そろそろ帰ろうとも思っていた。そこにタクミDrからピッチで「衛材薬品のMRが面会希望ありますけど会われます?」との連絡があった。仕事が残っていたり疲れていたらおそらく断ったかもしれない。でも特に断る理由もなかったので少々面倒と思いつつもOKした。

外来診察室に入ってきたのは衛材のミノリンMRだった。初対面じゃないけれどまともに話をしたことはないかな。で、彼女が製品アピールする前に「ちょっと待って。この間確か薬品説明会があったよね」と確かめ、「いい。ドクターってあなた方が一生懸命アピールしても数日でそのほとんどを忘れているものなんだ。まだ言わないでよ。あなたが話したい薬品はねー」と言って、できる限り説明会で披露された薬品名、いやどのような薬効の薬だったかなどを思い出そうとした。「糖尿病の薬だったっけ?」「いえ、違います」「あー、貧血の治療薬か」「いいえ」「げー、やっぱり思い出せないよー」「これです」とパンフレットを出されて、ようやくそうだったと分かったのが爪水虫(爪白癬)の内服薬だった。「あーー、だったよねー(ほら、やっぱり、思い出せなかった)」

ちょうど1ヶ月ほど前に説明会があった薬品で、まあ忘れごろの薬品だわ。それで、いつもならさらさらとMRの説明を聞いて、軽く質問などしてハイお終いになるはずだった。しかしこの薬品「ネイリン」という商品名なんだが、一般名が「ホスラブコナゾール」という名前だったのに私の言葉遊び心がいたく刺激された。

「へーえ、ホスラブコナゾールって面白いネーミングだねぇ」「え、どこが?」と怪訝そうなミノリンMRに「だってさ、『ホス』を『ホスト』と呼んでみると、その後が『ラブ』と「コナ」だよ。なんだか怪しいよね。『ホストが女性客にラブを語ってコナを売るみたいなー』なんだか危ないシーンを連想しちゃうわぁ(笑)」と突拍子もないことを私は語った。そして「いや、この薬の名前、もう私は忘れないよ」と一人で盛り上がり、「ミノリンさん、あなたがそんなことをPRで言うわけにはいかないが『ある先生がこんなことを言っていました』とは言えるんじゃない。そしたらすごく印象に残るよねぇ」ともアドバイス(?)もした。

そもそも、MRは薬品の素晴らしい薬効をアピールしたいのだろうが、その前にもっと大事なことがある。それはまずは薬品名を覚えてもらうことだ。医師も膨大な薬の中から水虫に効く薬を出したい、そういえば最近もっとよく効く薬があったと説明会で聞いたことは思い出しても、いざ処方箋に書こうとしてもなかなかその薬品名を思い出せないものなんだ。そんな時、どうするかというと、これまで使って来た覚えている薬を結局出しちゃうんだ。薬剤師に尋ねたり自分で本やネットで調べればたぶん薬品名にはたどり着けるが、次から次にやって来る外来患者を診ないといけない。検索する数分の時間も惜しいのよ。

「このホスラブコナゾールは一般名だから先発商品名のネイリンを覚えてもらうには・・そうだねぇ」まあ、もともと爪=ネイルから取ったネーミングで比較的覚えやすい。しかし1ヶ月も経てば私のように忘れているかも。「そうだ、インリンって芸能人がいたよな確か。インリンが水虫になったネイリンを使っているという連想はどうだろう」私は記憶法の一つ、連想法が好きなんだ。でもインリンそのものの印象が私には薄い。やっぱりホストが愛を語って麻薬の粉を売るぞうのイメージがばっちし合うぜー。

そんなこんなで盛り上がってついでにミノリンMRともいっしょに写真を撮った。衛剤といえば6、7年前まで長くスリウェルMRと親しくしていた。私がスリウェルMRらとボウリングしている写真を彼女に見せると「あ、スリウェルさん」と、会社の研修会で合ったことがあると言い、スリウェル君は彼女にとって大先輩だから気安く声を掛けられなかったがお顔は見知っていたようだ。そこでLINEを使って今は横浜にいるスリウェル君に久しぶりにメールを送った。すると「お久しぶりです!今度、鹿児島行こうと思っていまして、こてる先生のところへ突撃しようと思っていました(笑)」と来た。そして串木野ゴールデンボウルが今年6月に閉鎖になったことを教えると「え!無くなっちゃったんですか・・コロナの影響ですかね。なんか悲しいですね、ああいう楽しみがなくなるのは」と返信してきた。2016年に私がパーフェクト達成した時はスリウェル君が全部動画に撮ってくれていて本当に助かったものだ。後、2017年3月のこれが串木野での最後のリーグ戦参加だったスリウェル君は、屋上駐車場でたまたま長電話していたら、終了時間の23時が過ぎてしまい門のロックがかかり脱出出来ず、明け方までションベン我慢しながら車中泊を無理強いされたのも今となっては懐かしいエピソードだ。↓最初と違ってとっても楽しい表情になっていたミノリンMR。

おお、もう30分も経ったの。(私にとっては)面白い名前の薬のおかげで楽しい時間が過ごせたわ。そうそう、MRにとって薬品名もだが自身の名前も覚えてもらうことも大事だ。DrはMR名まではなかなか覚えないものだから。今日は薬品名もMR名も覚えた。実に貴重でラッキーな面会だったねー、ミノリンMR。

2023年8月18日金曜日

浜田安則先生

今朝の南日本新聞一面では「浜田安則さん死去77歳」「県下一周駅伝『怪物』」とかつての県トップランナーの死を報じていた。

これを見て「あらまあ、浜田先生が・・」と私。

浜田先生は鹿児島中央高校時代の保健体育の先生で私も授業を受けたことがある。私の入学前からマラソンや陸上長距離の有名人だった。1年生の時は担当ではなく、他のクラスの連中から「浜田が担当だと走らされるからなぁ」とのぼやきが聞こえてきていた。浜田先生の授業では「当然」ランニングが多くなるのでそれが苦手の生徒は嫌がっていたのだった。確か私らも学校を出て走らされたことがあった。その時は浜田先生ももちろん走る。小柄ではあるがとにかく颯爽としていて私らのへーこらした走りとは全然違うしまったく疲れた様子はなかった。私が在学中の1977年にあの別大マラソンでも二度目の優勝をし、当時のマラソントップランナーの一人と言ってもいい選手とは比較になるわけなかったがー。

入学直前、鹿中央高校の1年先輩で従兄の信ジロウさんが「浜田(先生)は鹿中央を卒業したばかりの〇〇さんと結婚した」と教えてくれた。そのころの新聞で確か駅伝かなにかで「新婚の浜田選手、新妻からおにぎり」と写真付きの記事があったと記憶している。さすがに教え子とは書かれていなかったがー。

その後、私が卒業後もしばらく高校教師をしていたはずだが、京セラ監督や日本陸連の幹部になっていたはずで、つい10年ほど前の誰かのSNSで東京でジョギングをしていたら浜田選手夫妻とすれ違って挨拶をしたという投稿を読んだことがある。夫婦仲良く70歳近くなっても走ることだけは止めていなかったんだな。

亡くなったのが7月2日で胆のう癌だったとは・・。ご冥福をお祈りいたします。

2023年8月17日木曜日

県民を味方に

朝は大谷が初打席ホームランを打っていたので気分よく仕事を運べていた。しかし「どうせ、エンゼルスのことだから逆転されるんだろう」と思いきや、珍しくも先発投手デトマーズが相手にヒットを許さない。なんと7回終わってもノーヒットに抑えていた。この間まで2試合連続で序盤に7点を取られていた投手とはとても思えない。ただエンゼルスも大谷のホームランのみで追加点が奪えず珍しく緊迫したゲーム進行だった。8回にデトマーズはとうとうヒットを許し交代を告げられた。まあ、あれがいっぱいいっぱいで交代は必然。でもせっかくの好投と大谷のホームランを無駄にはしたくない。9回にタイスのソロホームランで2ー0としようやく勝ちが見えた。ふーぅ。エンゼルスってチーム、応援するのはしんどいわぁ。

夕方、夏の甲子園3回戦の最終は鹿児島の神村学園と北海のゲームだった。神村は組み合わせがまずまず良くてこの試合も勝つ可能性はあると思っていた。果たしてよく打って1回に4点先制した後は少し追い上げられても点を重ね9回にも1点取って結局10ー4で大勝した。鹿児島県勢としては17年前2006年の鹿児島工業以来のベスト8進出かぁ。あの時は子どもらと鹿児島工を甲子園まで応援しに行って格別思い入れのある大会だった。

神村学園といえば2005年春のセンバツに初出場しいきなり準優勝をして強豪校の一つになった。いや、強豪校は少し言いすぎた。というのもその後は春も夏も出場こそすれだいたい2回戦止まりなんだ。1勝くらいはするけれどその後は勝てない。そのせいだけではないかもしれないが、鹿児島県における人気というか期待度は鹿児島実や樟南に比べ低い印象がある。なんとなく応援熱が低いんだ。私もそうで、今回勝ち進んでいても試合そのもののはほとんど見ていなかった。

そんな神村学園だが、学園所在地串木野出身のタクミDrが夕方に面白いことを言っていた。「あそこの理事長はうちの親父のいとこなんです」と言い、親父さんは開業医をしていて確かもう亡くなられたはずだが、「神村学園が病院新設も考えていた時期があったんです。でも親父ら串木野の医師会は反対して結局新設はなりませんでした」「理事長は親父に文句言っていたらしいです」と。ほう、それはまた何で?聞いて納得した。神村には看護学科があるのだが、地元には就職させずほとんど県外へ就職させるんだそうだ。そういえばうちの近所のシモドースン家の女の子が神村学園の看護学科だったが県外に就職していた。

「なぜなんです?」とタクミDrに尋ねても詳しくは分からないらしい。ただそれでは串木野の医師会が冷ややかな態度を取るのも当然だろう。元鹿児島商業監督で1986年にベスト4に導いたシオシゲ監督も「(神村監督の)小田君には言っているんだよ。地域に好かれるようなこともしなくてはいけないよって」と私に語ったことがある。実は1974年の鹿児島実が代表になった時、「ジッギョーじゃ勝てんよショーギョーの方が良かったのにー」と言われたものだった。当時は鹿実や鹿商工(樟南)は甲子園で勝ったことがほとんどなく、それまでの実績から鹿商か玉龍でないとという雰囲気が強かった。しかし定岡投手らの活躍で県勢初のベスト4進出でガラリと変わった。

鹿児島では新参者って感じだった神村学園、今大会で3勝してベスト8、次回も勝ってベスト4ならきっと県民総出で応援するだろう。勝ち続けることは味方につける最大の方策だから。

2023年8月16日水曜日

その人にはこれから生まれて来る子どももいて・・

外来のニッシNsが「先生、聞いてー」とやって来た。彼女は今日は発熱外来を担当だった。

「60歳代後半の男性がね、奥さんがいて今妊娠中なんですって。しかも二人目で上には2歳の子もいるとか」で、「先生、その年齢で出来ますぅ〜?」て聞くから「何言ってるんだ、現役バリバリだっ」「うそー」と抵抗するから「なんなら、試すかぁ」と言って小声で「は〇ましたるゾ」とつぶやいてやったよ。

しかしなんでそんな知らなくてもいい事情が分かったのかというと、その男性、コロナに罹ってしまったことが判明し、「自宅には妊娠中の妻がいて」と話したからだそうだ。それで入院か宿泊施設での静養を希望した。病室は空きがなく、65歳以上と妊婦のみ現在はホテルなどコロナ宿泊は認められているそうで、結局ホテルに行ったそうな。 

ニッシさんに言わせると「高齢でも格好いいか金持ちかと思うでしょ。でも、頭も禿げていて乗っていた車もそんなに高級でもなかった。これから自分の子どもが生まれてくるだなんて信じられない」と。ふむ、普通は孫が生まれてくる年だわな。その子が成人する頃は、その人は80歳代後半、もはや生きているか入院しているか呆けているかのいずれかだ。この話を内視鏡室のウラコ(60歳代)さんにすると、目がキラリとして「あそこの薬を絶対使っているはず」と断言していた。カールにすると「子どもたちは介護の手伝いをしているだろうね」とバッサリだ。そして「うちではネコの2匹目を自宅で世話しようかを自分らは年取っていくから決断するのもためらっているのにー」とあきれていた。

そう、子どもを世話していくには最後まで面倒見切れるかを考えないと。その男性の奥さんが何歳かは知らないが、出産出来るくらいだから40歳代かそれ以下だろう。20年後、夫なしで生活出来る覚悟を持って夫婦になったのだと信じたい。他人事(ひとごと)ながら幸あれと思ったことだ。

2023年8月15日火曜日

チッチがハリー・ポッターだった頃

朝、こてる家LINEにテルが投稿をして来た。

「チッチがハリーポッターの時の写真求む」うん、何のこと?と思うかもしれない。こてる家ではこの文言だけで誰かが動く。この場合はまずは私だろう。これは小学生の頃、チッチがハリー・ポッターの役をやったダニエル・ラドクリフに似ているということで、私が彼に似せた丸眼鏡を作らせたことがあった。翌年の年賀状にそれを載せたいがためだった。

で、何年生のころかよく分からず写真を探すのが面倒だなと思っていたら、チッチから「2007年の誕生日のころじゃない」との情報が入った。さっそく調べるとどうも違う。でもキーワードは誕生日だ。実はチッチは「誕生日プレゼントに欲しくもない丸眼鏡を作らされ嫌だった」とカールらにはこぼしていたんだそう。そうだったか。で、2008年の誕生日の頃と分かった。
うーん、直に2枚を並べると、そっくりというほどでもないか・・。でも雰囲気は似ている。テルもなぜ思い出したかは分からないが「似ている」と思っていたのだろう。で、改めて写真を見たところ、「ラドクリフ、思ってたほど似ていなかった」だってさ。

でも10年以上前の写真を見て「こてる家LINE」はにぎやかになった。2009年年賀状に使った画像もアップした。
チッチは「全然欲しくもなかったのに年賀状の写真を撮りたいがために誕プレでこれを買わされたから凄く覚えてる(笑)」それに「ベランダで何回も写真を撮らされた。しかもこの眼鏡3万円くらいして、まじでこの親は頭おかしいと思った(笑)」と。そんな嫌がっていた丸眼鏡は「今も使っています」だって。物持ちのいいことよ。

これにカールは「(笑笑) 似てる似てない以前に、凄く可愛い😍改めて、見ても、可愛い😍私が産んだからかな!自分の子どもたちは、宝だね。家の子どもたち🧒ありがとうございます」なんて親バカぶり全開だ。

そのチッチのポッター写真と時を同じくして私の昼寝のシーンの写真もあった。これがひどい。寝ている間に家族にいたずらされていたのだ。
家族全員がみんな家にいてにぎやかだったあの頃、そんな時期って人生においてほんのわずかだった。子育て中の親御さん、今ってすっごく貴重な時期なんですよ。大事にしましょ!

2023年8月14日月曜日

お盆は田舎で

朝は全体朝礼で例のスピーチだった。ははは、私の予想通り好評で、幾人かの職員から「とても良かったです」なんて感想も頂いた。そりゃそうだろうて、8年前に一度やって評判がよかったものを半分以上同じスライドを使いリメイクしたものなんだから。

午前は内視鏡を担当し、その間昨日入院した患者さんたちへの病棟指示をちょこまかとこなした。午後は可能なかぎり早めに病院を出て帰宅しなくては。お盆の中日で田舎に行くつもりだったからだ。13時過ぎに病院を出ての帰りの高速道路はさすがに眠かった。帰宅後の再出発ではカールに運転を頼み、助手席でぐーすかと相成った。ほとんど覚えず、目が覚めたら知覧は塩屋の近くで、実家が近いことにやっと気がついた。

実家にはあこネーサ母は当然不在で、チエコンさんに聞いたら、「自分たちのことはやはり誰か分からないけれど、会話の中にときおり実の姉弟や甥っ子の名前が出てくる」んだそうだ。へーえ。そこからもう亡くなったヨシブン従兄の話題など出て会話が弾んだが、カールには少し縁遠い内容で付いてこられなかったみたい。それとヒラーキの次女のアーコちゃんが来年結婚式をするからと報告があった。次男のヒロヤン君も大学3年でそろそろ就職活動も考慮中と、姪っ子甥っ子もすでに大人でこれはあっという間に親元を離れて行くな。

夕方になってお寺へ墓参りに行った。うちは東本願寺だが親戚は西本願寺も多いのでそっちにも必ず寄って墓参りをする。お西さんの道路を挟んでのところに星娘従姉の家がある。今日はなにげにそこを覗いたら、奥の息子夫婦の家の小学低学年らしき孫娘と目が合ってしまった。「誰?」みたいな顔をされたので「ああ、星娘お祖母さんはいるのかな」と言うと、隣の家を見て「そっちにいると思います」と言われた。あいたた。ま、ついでに星娘従姉と久しぶりに会って四方山話でもしたかったが、ヒトミンチョ家にも寄る予定があって、いかんせん時間がなく、そのままあやふやにしてそこを去った。それをカールに言うと、「あら、それじゃ面白くなかったわ。『変なおじさん、あ、変なおじさん』とか手を振って去って行けば星娘姉さんにも面白く伝わったのにー」と返され、土壇場の切り返し力がなかったことをちょっと後悔したわ。でも結構勇気いるぜ、変なおじさんのモノマネー( ・_・;)。

ヒトミンチョ家には彼女とフサンコ従兄がいた。後からヨカトモ従兄も来たが、昼はトシ登り従兄もいて、そら大声が飛びかいにぎやかだったそーな。みんな還暦過ぎたのにお盆やお正月は仲良く集まって過ごすって21世紀の日本では段々少なくなっているはずだがここにはしっかり残っている。帰りがけにヨカトモが作ったスイカをまたもらった。いかにもスイカらしい形ではなく楕円形で濃い縞模様のないタイプ。でも帰って切ってみればまさしく真っ赤なスイカだ。ただ二人きりの家では食べ終わるのに数日はかかりそう(子どもたちがいたらあっという間だったろうにー)。日記ネタの7月8日にももらったスイカより美味しかったかも。

ほんのわずかな半日もないくらいのお盆だったが、お盆はやはり田舎がいいわ〜。

2023年8月13日日曜日

三度目の正直の憩室出血止血

今日はお盆の入りで日曜日だが、朝から病院勤務だった。しかも救急当番日だ。当番日はカワゼンDrと二人で担当する。そのカワゼンDrから「昨日と今朝入院した2人を診て欲しいんですけど」と言われ、患者を受け持った。どちらも消化器系疾患で重症だ。そのうちの一人、Oさんは10年以上前から大腸憩室出血で何度も私が診てきた高齢男性だった。今回も下血があってヘモグロビンが何と5.4だという(正常値は約13以上)。うわぁ、輸血も必要だし、しかも今日のうちに大腸内視鏡入れて出血源を突き止め、止血しないと危ない。10年以上前、同じ病気で入院した時は、下血による貧血、血圧低下で私の目前でぶっ倒れた。ゆるりと廊下に崩れゆくシーンを今でもよく思い出す。

あれから出血源の憩室を見つけてしばらくは何もなかったのに3年前にまた下血&止血し、今度で3度目か。青雲会病院には通常より30cmほど長い大腸内視鏡を数年前に導入したのはこのOさんのために入れたようなものだ。奥の上行結腸に憩室出血があるのに、腸が長くて手前の横行結腸でよどみ、なかなか目的の部位に到達出来ずイライラしたものだった。

午前の診療が一段落したところで、内視鏡室スタッフの秋の萩君を呼んで緊急内視鏡を行った。案の定、大腸の中は血だらけだったが、ロングスコープのおかげで以前よりは上行結腸に入れやすくなった。しかし出血源憩室ははっきりしない。到達し観察するころには出血が止まってどこが原因憩室か分からないんだ。でもそこで諦める私ではない。体位を左に向けて、さらに腹ばいにしてまた仰向けにして、いったん横行結腸に戻してまた上行結腸に入れ直してと探りまくること約45分。上行結腸の中程にそれまでなかった新鮮血が出てきた。おお、これを待っていたんだ。つまりは内視鏡室検査中に再出血を促すのだ。これで止血出来る。通常は再出血させないように気を配るが、内視鏡検査中は例外、出血があるかないかで出血源発見率が雲泥の差なんである。

マーキングクリップを掛け、その後に本格的に止血クリップを掛ける。もしくは結紮ゴムで止血(EBL)するのだが、このOさんの場合はその方法はやりづらくクリップ止血にした。しかし出血の勢いが強くしかも出血部位が操作しにくい所にあり止血剤(エピネフリン液)局注で勢いを弱めてからクリップを掛けた。その時になると露出血管も縮んで逆に見つけづらくなった。出血を見つけてから50分経過し「本当に出血部位をクリッピングしたのか」と不安を抱えつつ終わらざるを得なかった。↓の写真の時は出血源を直視出来ていたがすぐに見づらくなった。

そしてその不安は夜になって的中するのだ。400mlの赤血球2パックを輸血したのに「先生!また真っ赤な血が出てまーす!」と病棟から連絡が入ったのだ。Oさんのお顔も真っ青だ。午後22時だったけど本当に悪いがまた秋の萩君を呼んで二度目の大腸内視鏡を行うことにした。出血しているおおよその部位は分かっている。今度は先端フードを変更した。少し長めで斜めタイプの憩室探索専用のものに代えたのである。もちろんロングスコープを使ってだ。上行結腸に入るとやはり出血は止まっていた。でもマーキングクリップがある。フードを当てて探ると今度は疑わしい憩室が正面視出来た。少しフード先端で押すと出て来たよ、出血がじわ〜っと。

「今度は許さんよー」

しかし皮肉なことにマーキングクリップが邪魔して止血クリップが掛けにくい。で、把持鉗子そのクリップを剥がし見やすくした。そこでようやくガッチリと止血クリップを掛けられたのだ。ふうー。終わったのは23時40分ごろ。やれやれ今日中に一仕事終えられたぜぃ。

と、まあ夜までかかって私のライフワーク(?)である憩室出血の止血はうまくいったと心地よい疲れで寝入ったのであった。

と、それでこの日記ネタをこのままアップするつもりだったが、2日後の8月15日21時20分頃、病院夜勤の看護師からの電話で一気に話が変わった。「Oさん、また新鮮な下血がしかも大量にでています」って来たのよ。まさか、そんな。しかし事実は止血がうまくいっていなかったことを示している。それで急遽、高速を飛ばしてまた緊急大腸内視鏡を行った。悪いが秋の萩君にまた来てもらった。すると、掛けたクリップ3個はそのまま残っていたにもかかわらずその近辺で下血があった。あの「うわっ、やはり出て来た!」のはたまたま憩室内に溜まっていた血が出て来ただけだったんだ(がくっ)。犯人の憩室はその近くにあり、すったもんだの末、ゴムバンド結紮法でどうにか止血出来た・・と思う。
最初のタイトルは「二度目の正直の憩室出血止血」だった。「二度目の正直」なんて普通は使わない。結局、ありきたりの「三度目の」になってしまった。でもいい、四度目だけは勘弁やぁ〜(祈る)。

2023年8月12日土曜日

88円が何倍にも・・ガッチリよ

昨日の昼ご飯はパスタにバジルの葉っぱが乗ったイタリアンだった。カールが「5月に宮之城で買ったバジルが使っても使っても生えて出てくるの。でも台風に当たると枯れちゃうからたくさん葉っぱを採って使ったのよ」と。

あの時買ったバジルは今年の5月4日の日記ネタにもなっていた。http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/05/blog-post_4.html
日記では1株88円と書かれている。購入してから3ヶ月以上、10回20回以上摘み、それでもまだある。「でも秋には枯れるのよ。その時は全部の葉っぱを摘み取って松の実かナッツの実かを使ってつぶして混ぜオリーブオイルやニンニクを使ってソースにするのよ」と去年作って冷凍にしたものを見せてくれた。これを使ってまたパスタとか魚料理などに使うのだという。
「88円って末広がりね、何でも無駄にはしないし、ガッチリよ」とご満悦のカール様であった。

2023年8月11日金曜日

ChatGPTに朝礼を語らせる

また朝礼スピーチの番が回ってきた。副院長ともなれば年に3、4回は指名が来る。面倒でもやらねばならない。

ただ、前回初めて以前のスピーチの使い回しをしたところ、ほとんどの職員が初めて聞いたようなお顔で内容も評判が良かった(評判の良かったのをリメイクしたのだから当然か)。そこで味を占めた私は同じく8年前にまずまずの評価だったスピーチをまたやることにした。タイトルは「まずは結論から言おう」だ。これは特にビジネスや共同作業をやる際に起承転結ではなくまずズバッと結論から話し始める方がスムーズに行くということを職員に強調しておきたかったのだ。

既に出来上がったスライドを少しいじるだけだからあまり苦にならない。エピソードをいくつか入れ替えたくらいで8割方出来た。よし、これなら14日のスピーチに十分間に合う。そうだ、ChatGPTにこのテーマのスピーチをどんな風に言えばいいか聞いてみようか。

ChatGPTへ質問「職員に「結論から話そう」という訓示をしたいが、どのようなスピーチにすべきか。」すると、さすがというか結構まともな返事が返ってきた。

「職員に対して「結論から話そう」という訓示を行う際には、明確で効果的なコミュニケーションの重要性を強調し、その方法や理由について説明するスピーチを行うことが適切です。以下は、そのためのスピーチの一例です。」

皆さん、おはようございます。今日はコミュニケーションについてお話ししたいと思います。特に、私たちのメッセージを効果的に伝えるためのアプローチについて考えてみたいと思います。そのアプローチとは、「結論から話す」という方法です。

まず、私たちの仕事において、情報は非常に大切です。しかし、情報が多すぎると、相手が本当に重要なポイントを見逃してしまう可能性があります。そのため、私たちは情報を伝える際に、最も重要な部分、つまり結論や主要なポイントを最初に伝えることが大切です。

「結論から話す」というアプローチは、相手の関心を引き、メッセージをすばやく理解してもらう方法です。最初に結論を明確に述べることで、相手がどのような情報を期待できるかを示し、メッセージの焦点をはっきりさせることができます。

さらに、逆に言えば、結論を最初に伝えない場合、相手はメッセージの重要なポイントを見逃してしまうかもしれません。私たちの仕事において、時間は限られています。だからこそ、相手の関心を引くためにも、結論から話すというアプローチが非常に役立つのです。

皆さんには、是非とも「結論から話す」方法を取り入れていただきたいと思います。これにより、私たちのコミュニケーションがより効果的になり、成果を上げることができるでしょう。情報の伝達において、相手にとって大切なポイントを的確に伝えることが、私たちの成功に繋がるのです。

ありがとうございました。

いやいや、なかなか立派なスピーチではないか。文章も機械が作ったとは思えないほど自然でスムーズだ。私のはこれにスライドを使って結論から話す場合とそうでない場合の比較をみんなに見せる手法が加わるくらい。そう、そのスライドにしても料金を払う性能が上のChatGPTには作らせることは出来るはず。これだけ賢ければ上手に利用しない手はないな。今回の朝礼スピーチでは披露しないが、対話型AIは今後ますますパソコン、ネット世代には使われるんだろうと実感した。

2023年8月10日木曜日

やはり自宅は水没していた

8月6日の昼に今度はKKBであの「8・6水害」の特集があり、ビデオで見てみた。MBCとはまた違った語り口だった。

天文館の飲食店で地下にあって水に埋まりかなりの被害にあったスナックが紹介されていた。マスターの顔を見て、なんか見たことあるぞと思ったら「私の店」という何度も二次会などで利用したことのある店だった。もう20年以上も行ったことはないが内装はほとんど変わっていない。しかしこの店、地下1階にあるため8・6水害では前述のとおりの惨状で記録写真でも泥だらけだった。


思い出した。私は水害後によく利用していた。その時、壁にわずかだが水害を思わせるシミなどがあった。↓の写真の奥あたりに座って飲めない酒をチビリとやっていた。
番組では後半、なんと樋之口(てのくち)町が出てきた。腰の辺りまで水に浸かった「樋之口駐車場」が映っている。この駐車場、私の旧自宅のブロック(樋之口町9番)にある。これはひどい。
水浸被害を後に地図に表したものの出ていた。同じ樋之口町でも駐車場のあった樋之口本通りがひどかったようだ。そしてなんと旧自宅は周りは1m以内なのにそこだけ1ー2m水深の被害だったようだ。デンコー親父がその3年前に「もう田舎に引っ越す」と言い、あこネーサ母は反対だったがどうやら親父の決断が正解だったようだ。二人ともすでに還暦は過ぎていたしいい時期に引退したものだ。

地図を見ると私の小学校通学路にあたる松原町はまったく水浸していないことが分かる。ま、これは当然だろう。この地域は坂になっていて夏の暑い時期はいつも汗かきながら歩いていたものだった。だからそのすぐ近くにある藤井信吾君の実家は被害に遭っていない。気になって彼の消息を調べたら茨城県取手市長を16年務めた後、今年4月の市長選には出馬せず政治家は引退したようだ。ううむ、彼も私も63歳。一般にはリタイア、年金支給も考える時期じゃないか。

30年は一昔、いや一世代とも言える。まだまだ現状のまま働くつもりだが残り人生も約30年、老後の生き方を見つめ直す時期なのかもと水害問題とは違う感想を持ったのだった。