2014年12月31日水曜日

大晦日に洗う

大晦日だ。特に予定は入っていない。ただし病院から気になっている患者の採血検査データを看護師から聞き電話での指示出しをした。今回は休み期間が5日間もあり途中検査が必要だった。午前中には料亭「高いってヨ」からのお節料理が届いた。これも恒例になりつつある。昼前は時間もあって撮りだめしたビデオを消費することにした。ハードディスクを圧迫しつつあるからこの機会に減らしておかなくちゃ。

その中で何気なく録画していた「日本の病院のここがすごい」は医療のプロ外人さん3人が日本訪問し外国と違う医療システムを実証検分する番組で面白かった。日本では当たり前と思われていることが諸外国ではいかに違うかがテーマで、だいたいにおいて日本のシステムが優れていることがよく分かるのである。例えば日本では大病院でも基本的に誰でもいつでも受診出来るがアメリカでもドイツでもそうではないというのがまず一般人は知らない。それとアメリカで虫垂炎の手術を受けると何百万円にもなるが日本では数万円で済むことなど医療経済もかなり違う点などわかりやすく指摘していた。モデルになった病院は千葉の総合病院と東京の救急病院であったが見ていて青雲会病院も規模の差こそあれ日本代表とそんなに差がないと分かった。救急外来内に救急用のCT室がある設定をアメリカの救急医療Drが「これはいいですねぇ」と感心していたがその他にもうちにもあるしーうちでもやっているしーと何度も肯くことしきりだった。

夜はゲンちゃんへの強制シャンプーをした。年に数回のシャンプー掛けでこれをゲンちゃんは嫌がる。幼いころはすぐに捕まえて風呂場でシャワーの洗礼を浴びせたもの近頃は賢くなって逃げ回る。それでも子どもと追い詰め風呂場に閉じ込めた後、猫用シャンプーでしっかり洗ってあげた。ぎゃーぎゃー言って浴室ドアに前足かけても無駄だよゲンちゃん。荒い終わったらドライヤーで乾かしようやく解放されたね。顔を近づけるとふんわかしいい香りもする。首輪も新調し、さあいよいよ新年がやって来るよ。2014年も無事終わり新たな年がやって来るぞー。

2014年12月30日火曜日

ウイスキーはお好きー?

予定外に休みになったので中央駅のアミュプラザに買い物に出かけた。びっくりカメラ店に行き、貯めたカードポイント使ってシェーバーの外刃やプリンターのインク、電池など消耗品を買おうというわけ。次いでに新調されたビルの東急ハンズにも初めて行ってみた。で、分かったことは私には興味のないものが多い店だということ。唯一最上階に猫用グッズがあってゲンちゃん相手に面白そうなものがあったが結局買わなかった。

帰宅するとテルの体調が悪く39℃も熱があったという。どうもインフルエンザっぽい症状だ。あまりのタミフルあり他に解熱剤、脱水対策用のOS1など飲ませた。ゼリーもあってそれは期限切れだったけど問題ないだろう。テルは口渇もあってか一気に2個も飲み込んだよ。(翌日にはかなり改善していたからやはりインフルだったかも)

夜、「マッサン」の影響でウイスキーの話題になり、カールが「うちにはもらい物がいくつか眠っている」と切り出し、そのうち「誰も飲まないから料理用にちまちまと使っているのがある」と取り出してきた。「グレンフィディック15年もの」とある。スコッチウイスキーでビンの形からすると悪いものではなさそう。「試しに飲んでみる?」というので小さなコップに注いでみた。香りをかぐとふーむなかなかいい感じ。ちびりと口に入れてみるとあまりウイスキーを知らない私だが昔飲んで(飲まされて)いたオールドより遥かに味わい深いいい味がした。「へー、ウイスキーもいいもんだね」これが久しぶりに味わったウイスキーの感想だ。ネットで調べると「グレンフィディック15年のリッチで幾重にも積み重なった複雑な味わいはシェリー樽・バーボン樽・そし新樽の3つの個性的な樽で熟成されることで生み出されます。その原酒をシェリーの製法と同様のソレラシステムで熟成。このソレラ樽は決して空にされることはなく年々、複雑で豊かな円熟味を増した味わいを生み出しています。」なんだそうだ。ここまで語る能力は私にはないがいいものだとは分かった。100年ほど前にマッサンが惚れ込み日本でのウイスキー作りを始めたいと思ったのも肯ける。学生時代に飲んでいたのは安物だったからやね。まだ開けていないのが数本ある(10年20年前に患者さんからもらったものだ)のでいずれかの機会にちびりとやってみよう。

2014年12月29日月曜日

御用納めは大忙し

朝、子どもに起こされた。チッチかなと思ったが何と深夜帰郷したばかりのテルだった。やっと帰ってきたか。

青雲会病院は今日が御用納めの日で午前まで外来、午後はラブカメ先生の1年のまとめの講演がある。講演のスライドには私の撮りだめした写真が使われるので当然聴きたいところだが例年この日は忙しいことが多く途中入室になりすべてを聴けないことが多い。しかし今日はその上を行き内視鏡が緊急検査も入って15時半までかかりちょうど終わったところだった。もっとも忙しかったのは私だけでなく、外来は理事長以下みんなバタバタで私が外来を出るときに信号Drはまだ診察室にいて昼食も摂れなかったらしい。講演は忘年会動画の受けがよかったとか。え、私と川の秋管理栄養士のツーショットもお見合い写真みたいで受けていたって?うう、見てみたかったよー。

3人で明日私が休みになったので急遽夕方から今年最後の麻雀をした。相手はジャズ魔、サブアラド、見せたまえでこれはもう恒例になっているが見せたまえDrが半荘3回目でまたまた途中退室になった。お産はいつやってくるか分からず生まれそうと連絡が入れば急いでクリニックに向かわねばならない。私はまたあちこち電話をし開けたいゾMRにまずするも直ぐに出ず家でくつろいでいたダイボDrには連絡がついた。実は彼は明日仕事があるため「他の人を面子にしていいよ」と遠慮していた。しかし急変代役OKでこっちに向かうという。やれやれ助かったと思った間もなく開けたいゾ君からも返信があった。それがちょうどヒマで夜の散歩をしていてぜひ打ちたいと言う。ううむ、だったら彼の方が良かったがすでにダイボDrに連絡がつきその気になって来ようとしている。残念だがまたの機会にというしかない。そして明日は仕事というのにダイボ君、12時過ぎても残ってくれしっかり勝って帰って行った。最近ずっと彼は勝っている。なにかかにや言って本当は打ちたかったんだなぁ。

2014年12月28日日曜日

あきらめるくも膜下出血

何回か起こされた夜も明けようかという頃、救急患者が来た。やれやれこれで今回の当直業務も最後にしてくれよなー。

運ばれて来たのは80代の女性で午前7時頃トイレで倒れる音がして家族が見に行ったら意識不明となっていたという。女性は日頃は近隣の内科クリニックに高血圧、糖尿病などで通院していた。救急隊からの連絡では血圧が何と240/140とあり得ない高さでこれは脳血管障害でまず間違いないだろう。意識レベルは300、つまりは心肺は動くも何の反応もない状態で脳梗塞よりは脳出血その中でもくも膜下出血あたりが怪しい。到着後、外来救急室内にあるCT室に即入れ撮影すると案の定ひどいくも膜下出血だった。これは・・。シマッチ院長に電話連絡し病態報告し遠隔で画像を見てもらった。診断はやはりくも膜下出血で「これは入院させるけどほとんどお看取りするしかないな」とのこと。くも膜下出血は歩いて来る人からこのように救急車意識不明まで程度は様々だ。急激でかつ意識がないほど重症で助かる率も下がると思ってよい。気管内挿管し人工呼吸器につなぎ入院指示を出し家族に院長が語ったとおりを説明した。家族はショックだろうが高齢で病気がち故に覚悟し肯いていた。だがこれが40才代で働き盛りだったらそう単純には運ばない。1年ほど前にそうした事例があった。

その人は救急車で運ばれ呼吸も心臓も止まりそうだったのをシマッチ院長が緊急気管内挿管し心臓マッサージでどうにかその場はしのいだものの、結局数日後には亡くなった。少しでも生きている時間があり家族も残された時間を看取ることが出来たが、案に反し「手術が出来る病院に転送しなかった」「いや、このケースで手術をする病院などどこにもない」「(手術を)しないのは何か都合が悪いことを隠しているからではないか」「他院の専門医にも確認したが私たちと同じ方針だと言っている」と説明しても目の前の事実が受け入れがたいために矛先を(即死に近いのを助けてやったはずの)病院に向けてきたのだ。院長は大人の対応をし最終的には分かってもらえたという。私など家族の当初の反応を聞いた時には怒鳴り返したいと思ったほど。気管内挿管実施時はいっしょに手伝い院長がいかに素早く即死状態を復活させたかを見ていたからだ。小家族主体の昨今は祖父母などの死に接することが少なくなり死ぬことが実感できない人が増えているに違いない。また、病院に行きさえすれば何でも助かるとの幻想を抱いてはいやしないだろうか。治せない病気、治せない外傷などいっぱいあるのだ。死は誰しも嫌だし考えたくはないが誰にでも起こることゆえ死生観を持つことは大事だ。自分がこのようなくも膜下出血になったらその時はあきらめ家族の見守る中で静かに亡くなることを覚悟しよう。

2014年12月27日土曜日

「四苦八苦タイム」

さて土曜勤務に引き続いて当直へ突入、忙しい状況が続いたわけだが、滅多にない有り難い話をもらった。ブックリバーDrが12月30日の私の当直を代わってくれるということなんだ。しかも彼の当直日(1月1日)と交代しなくてもよいという。彼は都合で12月29日を休むため休みに入る30日には患者の指示出し、事務処理などで病院に来なくてはならずしかも時間もかかることからどうせなら当直もした方がいいと判断したとのこと。私はこの1週間で3回当直ときついなあと思っていたので実に有り難かった。そんなわけで今日は仕事でも気分は軽くなったよ。

いろんな患者が来たが今日一番強烈だったのは20才代の働く女性の言動だった。風邪症状で夜になって来院しており、発熱もひどくなくしかも微熱や風邪症状があったのは1週間も前のことでわざわざこの時間帯に来たのはインフルエンザでも心配したのかと推測した。するとやはり調べてくれとのことでほい来たと検査キットで調べ結果を待った。反応は陰性、症状からしてもインフルエンザっぽくはない。それでせっかく来院しているので何か処方をしようとすると、近くの精神科病院でその手の薬はもらっているという。は?ではただインフル心配で来ただけなのと少々と呆れると、「勤め先が体調悪いので休ませてくれといってもさせてもらえず、インフルエンザなら(仕方なく)休ませてくれる」とのことで来たという。風邪などで体調悪く休み希望すればたいていの職場は休ませてくれるはず、私は思わず「おたくの職場、ブラックなの」と尋ねた。「いや、スタッフが口が上手くて『自分らの時は40℃の熱でも出てきたもんだ』とかでなかなか休ませてくれず、下手に休めば罰金もあるんです」とのこと。「それはブラック企業そのものじゃないの。普通、体調不良者は休むのが当たり前で職場もそれを認めるのが当然でしょう」と言った。「そうなんですか」とはあなたもずいぶん人がいい。

本人曰く接客業とは夜の商売でホステスをしていると思われた。休むには医師の診断書があれば可能だろうと数千円お金掛かるがいいかと言うとそうして下さいとのこと。で、かくかくの症状あり休みが必要と私は書き始めた。そして何げに「いったいなんていう店なの」と聞いてからだ、本日一番の驚愕、抱腹、呆然、同情の嵐が吹き荒れたのは。

救急対応室で「店の名前は『四苦八苦タイム』といってー」と語り始め、ひょうひょうとした口調で「店の中ではお触りもあるんです」といきなりだった。ええ?!「上半身裸で男の人にまたがってぇー、ディープキスをしたりー」おいおい、それってエッチなキャバクラじゃないの。私は目を丸くした。天然ボケなのか女の子が言うには恥ずかしいことを何のてらいもなくしゃべるのだ。隣にいたネークチダ看護師は笑いをこらえきれず診察室へ隠れてしまった。

私もいろいろ突っ込みを入れたかったが、でもその後語った内容にそんな気も失せた。彼女が言うには、精神科にも入院したりして生活保護も受けているが母子家庭でお母さんに迷惑をかけられない。その店で2ヶ月頑張って働いていてあと4ヶ月頑張ればそこから抜け出せる。でもこの1週間はきつくて休みたいが休ませてもらえず困ってここに来たのだ、と。ううむ、そうか。傍からは眉をひそめるような仕事でも訳あって頑張っているのだな。営業は12月30日までだそうでその日まで休みを取りたいというのでそこまで安静休養が必要と書いた。身を削るような環境にあるゆえ何とか頑張って欲しいと思った。

診察が終わり一旦医局に帰り、しばし後、また別の患者で呼ばれた際に、ネークチダ君が「先生、ホームページで四苦八苦タイムを見てみたら彼女の源氏名がありましたよ」と言ってきた。へー。それで医局で私もアクセスしてみた。そこには写真があるも顔にぼかしが入り、身長、体型、ボーイの一口紹介コメントが添えられていた。その内容を見ると彼女で間違いなかった。西日本で幅広くチェーン店を展開しているだけあっていい加減なウソはついていないようだ。そして女の子の出勤状況も出ていた。なんと、彼女は出勤していた。ネークチダ君に言うと、帰り際に店の人とやり合っていて休ませてくれそうにないと言っていたとか。何より休めば罰金支払いもあるから押し切られたのか。私の診断書もなめられたものよ。

女性が半ば体を売り笑顔で接客する裏には苦しみ悲しみがある。こんな事情を知れば行く気も失せる(もっとも行ったことなどないのだが)。また、ホームページには別の源氏名に青雲会病院の某看護師と同じ名前があって彼女ではないと分かっていてもすごく嫌な気分になった。自分の娘がいたら絶対に働かせたくはないはず。彼女のこういう世界からの早い脱却を願うばかりだ。

2014年12月26日金曜日

プロポーズ女医

カールがママ友のバンブックさんとばったり会い「絵手紙での年賀状送るからね」と言ったところ、それではなくて家族写真入りのいつものやつがいいと言われたそうだ。去年絵手紙年賀状を送ったらその時にも彼女は写真年賀状を所望したのだった。えへへ、これは私の勝ちだな。毎回画像処理したのを楽しみにしているそうで確か2001年の年賀状ではテルの体の一部をボウリングのピンに見立てたのを幼なじみのユリイカちゃんが大笑いしたとか感想を言ってくれたりもした。毎年ああでもないこうでもないと頭をひねっているのが報われたわい。

Facebookによると、あのヒラメグDrがイギリスの地で彼氏にプロポーズされたらしい。クリスマスに告白されたのかしらん。うれしくてネットに書き込むとすぐにコメントが殺到したようで制限がかかったもののともかくもめでたいことだ。結婚にはちょっと遅すぎるくらいだがまずは一歩前進したことを祝福しよう。

夜は串木野トリオリーグ。コンピロ君はもういないし海広しDrも今日は都合悪くアンカーさんとサキシゲさんが来てくれた。それぞれのアベレージは低いが3ゲーム目などうまくかみ合いチームで266出てポイントも取りまずまずの結果だった。これで今年は投げ納めだ。また来年もボウリングは続く・・。もう本当に年末だなぁ。

2014年12月25日木曜日

おうちでクリスマス

昨日セージが帰郷していて今夜家族でクリスマスの食事をした。カールがスープ、チキンの丸焼き、シフォンケーキ、ピザと全部手作りで準備した。買ったのは刺身とスパークリングワインくらいか。チキンなどみんなで切り裂いて食べ尽くし十分なおいしさでこれを店で買えば5倍くらいの値段になるというからとってもお得だ。カールは料理が出来ないというイメージをなぜか持っている人が多いがとんでもない間違いだ。

セージが帰ってきて、つぶらなカボスとすっきりスダチ、オロナミンCなどお歳暮飲料が一気に減ってきた。そればかりでなくご飯も2杯目をおかわりするから米の消費が早くなる。大食いの私でさえ「え、そんなに食べるの」と驚く。それでいてまだスリムな体型だ。若いっていいわ。テルが数日後に帰って来る予定で一人いないのがさみしいものの久々にそろって食事出来てやはりうれしかったな。

2014年12月24日水曜日

雑魚狩り

♪きっと君は来な~い、一人きりのクリスマスイブ~

そう今夜はクリスマスイブ。でも一人きりの当直なのだ。もっとも当直看護師の有信君もいるにはいるがー。大学からの当直医の都合が悪くなって私が当直することになった。こんな時にいっぱい患者が来るのかなーと少し心配していたら何と夕方7時にめまいの患者が来て以降は何もなかった。みんなクリスマスイブでいい夜を過ごしていたに違いない・・。

割に時間があったもネット麻雀するわけにもいかずサブアラドDrのを観戦などしていたらそうだサブアカウントの級位者「こてる」で打てば急患で呼ばれても後はツモ切り状態にして負けてもさほどポイント的に痛くないと思い、一般卓(主に級位者が集まる卓で参加者は多い)で打ってみた。8級の雀士こてるだが内実は7段のデルバラドというわけ。相手は5級、初参加の新人さん二人だった。私は起家でまず軽く2900を上がり次ぎは下家の新人さんのリーチをかいくぐって追っかけリーチし一発ツモで親マン、さらに次はダマ聴のタンピンと3連続上がりして早くもトップほぼ確定の雰囲気になった。この後は上家の新人さんが子の満貫上がるも次から次へと私が上がり4連続和了と上がりすぎ状態。役は1ハン2ハンの安手だが早上がりで相手のチャンス手をつぶす意味もあり大きいのだ。この後も安手を上がりまくりオーラスまで行き当然のごとくトップで終わった。振り返れば10回も上がって振り込みはなし、まさに完勝。ううむ、弱い者いじめだったかな。

鳳凰卓ではこんなパターンは100%あり得ない。半荘に3回でも上がればいい方である。この勝ちで7級に進級した。こんな麻雀もたまには息抜きにいいかぁ。例えは悪いが天鳳ではこのような行為を雑魚狩りというらしい。そんなつもりではなかったんですけどなー(^ ^;。

2014年12月23日火曜日

年賀状作り実況

祝日休みの朝、散髪に行き、帰宅後じっと2015年版の年賀状作りに沈んだ。私の場合、流れ作業では出来ない。とにかく年賀状デザインのアイデアが湧いてこないと取りかかれない。これに毎年悩む。さらっとアイデアが浮かべば後はそれにふさわしい写真を撮ったりネットで探したりして画像処理するだけで済む。こてる日記の表紙にもなっている2002年の「家族馬」はそうして出来て、年賀状を受け取った人から最も受けがよかったものの一つだ。まれに家族でポーズを取りほとんど画像処理なしで済ませ意外に喜んでもらえたこともある。2009年の「スッキリ家族」がそれでこれはこてる日記の背景に使っている。いいアイデアが浮かばずごちゃごちゃコラージュした時は今一だ。来年の干支やイベントにちなんで面白い絵が出来ないかと考えても一向に湧いてこない。

それで今年撮った写真を年頭からさらさらと見ていった。まず家族5人がそろった写真でいいのが1枚ありこれは使うことにした。私の年賀状で常に守る鉄則が全員を載せるということだからこれでそれはOK。もう一つはボウリングネタを入れるということでこれはいざとなれば2015年の1をピンに見立てることで解決できる。あとはもらって見てクスッと笑えるコラージュ画像だ。撮りだめ写真を見ているうちにチッチの最後の運動会でのゴールシーンが良さそうと思い立った。実は写真では撮っておらずデジカメ動画を切り取ったものを使用した。ハイビジョン動画なのでそれでも十分に使える。両手をバンザイし少し微笑んでいるシーンがいい。それだけでは面白くないのでテープを持っている係員をゲンちゃんに持たせたらいいかもとひらめき、そんな写真はないのでカールに頼んで猫じゃらしで誘い立たせそこをパチリと撮った。1枚じゃ無理、何枚も撮る。どうにか使えそうなのがありとりあえずこれでどうにか完成にこぎ着けそう。あとはフォトショップの出番だ。Photoshop Elements 8を4年前に購入してからだいぶこの作業が楽になった。フォトショップのキモは画像の切り抜きである。これが前よりも簡単にしかもかなり正確に出来るようになったのだ。さらにレイヤー機能という画像の重ね合わせで何度もやり直しが出来るので時間も短縮できる。最初のころは1週間くらい少なくとも2、3日掛かっていたのが最近は1日で終わるようになった。一通り出来てカールもいいんじゃないとお墨付きをしてくれた。ううむ、笑える箇所がゲンちゃんの立ち姿と一ヶ所しかないのがさみしいな。というわけで観客の一部にバルタン星人を忍ばせた。特に意味はない。他にまだコラージュしたかったが住所印刷や一口コントなど明日また当直だしボウリングリーグもありその後また当直と時間がない。とりあえず合格60点と決めこれで行くことにした。

以上が12月23日時点での現況報告。まあ例年の年賀状作りの様子を日記にしたわけだが、出し終わってからどうにも心残りで本来はこうしたかったという画像を継ぎ足してみた。チッチの後ろの2番手走者を必死で走るフナッシーにし観客にもバルタンだけではさみしいので子どもを抱っこするウルトラセブンを入れた。これでなんとかバランスが取れたみたい。てなわけで家族5人を除いたメインの画像を「こてる写真館」に載せておきます。これが本当の今年の年賀状画像ですっ!

2014年12月22日月曜日

それでも使わない

朝礼で可愛いんだ理事長が言葉使いに触れ「今年は指導の甲斐あって職員の変な言葉遣いがだいぶ減った」と評し、中でも「~みたいな」という言い方を批判していた。「芸能人が使っているからいいのだろうと思ってるかもしれないが大変に聞き苦しい」と痛烈だった。これに限らずファミレスやコンビニなどで使われる(ファミコン言葉)「~になります」「~の方は」「~円から」「~するかたちに」なども間違いであると改めて指摘していた。また「全然」や「見れる」など今では誤用の方がよく使われる言葉も間違いであるとはっきり言っていた。私も理事長の意見に賛成で自分ではそのような言い方はしないように心がけている。でも今後「全然」の肯定使用や「見れる」「来れる」などのら抜き言葉は定着し誤用ではなくなるだろうと思っている。正しい使い方の「見られる」「来られる」は尊敬語の意味もあって可能の意味と混同しやすいため「ら」抜きして可能の意味のみ表すのは理にかなっている気がするからだ。だがー、それでも私は使わない。その理由は知る人に知性がない人間だと思われたくないからである。正用だと思ってら抜き言葉を連発する人を見るとアホかなこの人と思うのはこの私だからだ。

2014年12月21日日曜日

打ちたい人が負ける

サブアラドDrのたっての希望で年末の忙しい中リアル麻雀を打つことになった。メンバーはダイボ、見せたまえといつものメンバーだ。しかし6半荘終わったところで見せたまえDrが出産コールで緊急帰宅となり(最近いつもだ)、代わりに開けたいゾMRを呼んだ。彼も最近天鳳を始めて今日まさに打っていたばかりだったとのこと。不慣れなネット麻雀でいろいろ疑問を私に尋ねてからリアル麻雀が始まった。

ところで言い出しっぺのサブアラドDrはネットで何連敗かしていて今日のリアルでは違うところを見せたかったようだが何と6半荘やって5回もラスを喰らっていた。絶不調の極みで牌を握りつつも「どうせボクはダメなんだ」と嘆き節が出ていた。開けたいゾMRが入ってもその流れは変わらずようやく9半荘目になって大きなトップを取った。すると急に元気が出て「さあ、こうなったらボクは止まらんヨ」とやけに威勢がよくなった。「おやおや、さっきまでのどうせボクはどこに行った?」と揶揄するとみんな笑っていた。次ぎもいいところまで行ったが開けたいゾMRに上手くかわされ2位になった。最後10半荘目も3位で終わってみれば彼の一人負け。いやー、打ちたい人が負けるって昔からありがちなパターンだけどこれくらいでへこたれるようなサブアラド雀士じゃないっすよね。また来年もよろしくネ!!
(おっとこれで年賀状作りも明後日の23日の休みを利用して作らざるを得なくなった。いつもバタバタだから今年こそは余裕を持って作らねば)

2014年12月20日土曜日

内視鏡室忘年会は午前様

青雲内視鏡室の忘年会が天文館「台所葉」であった。幹事のブックリバーDrの肝いりで参加者はDrの他看護師に事務系職員、業者といて通常スタッフの3倍近くになった。いつもの仲間というのも良いがこっちの方がにぎやかになって楽しいね。顔は知っているけどほとんど初めて話す人(野次舞Ns)もいたり、ブックリバーDrの奥さんとのなれ初めも聞けたり、グッちんDrの送別にもなったり、サトリョーMRがこの日の夜まで仕事をするなど大変だと分かったりなどなど一次会が過ぎ、二次会も帰る人は数人で14名がカラオケスナック「ハートフル」に向かった。

で、二次会座って一発目、私がまずマイクを握った。いや、別に歌うのが好きなんじゃないよ。どうせ歌わされるのでうまい人の後や場違いな歌を選んだりしないようプレッシャーをさっさと済ませたかったのだ。選んだのはいつもの「雨の中の二人」ではなくSKE48の「1!2!3!4! ヨロシク!」にした。SKEきってのノリのいい歌だ。ただ、好きだけど完璧に歌うのは難しい歌で途中に女の子のセリフもある。でも一発目だから何でもいいのだ。ヘイ!ワンツースリーフォーヨ・ロ・シ・ク!

このあとみんなノリノリでずっとカラオケが続いた。店にトナカイの角のぬいぐるみをはじめかぶり物グッズがいっぱいあり、これらをかぶって歌ったり踊ったりするといつもより楽しい。
(↓のトナカイはグッちんDr)
(↓これは私かジャイケル・マクソンか)
テッシーDrがアフロかぶってデカサングラスでシホねえと踊る姿は抱腹ものだった。

シホねえNs、ナマテツDr、ネークチダ君の3人は常時ハイテンションで場を盛り上げてくれた。というよりさわがないと気が済まないんじゃないかな。この他外来のまっちんNs、ドックの野次舞Nsらもにぎやかで妖怪体操なんて完璧だったじゃん。0時を過ぎて私はツマミ頬張って歌聴いてみんなの様子を眺めているうちにウトウトしだした。ふと目を覚ますとびっくり、ナマテツ、ブックリバー、テッシーのDr3人が上半身裸になってお腹にマジックでお顔を描かれ腹芸踊りをやっていたのだ。後で聞けば3人ともコナン高校出身で先輩格のナマテツDrの命令だったのだとか。それはそれは。

ちょうど3時間ほど経って午前1時のお開きの時間になった。私は当然お帰りモードだが先ほどのにぎやか組はまだまだ三次会に行くぞーモードで元気だわ。人通りも午前様と思えないくらい多くさすが忘年会のピーク時期だ。いいんじゃない、楽しんでー。私はサトリョー、スリウェル君らとお帰り組で天文館は文化通りを後にした。ふー、飲んだのは一次会のビール1本のみ。よく持ったぜ。タクシーで帰宅してシャワー後やらねばならないのはこてる日記書き。酔いつぶれるわけにはいかないんすよ。

2014年12月19日金曜日

内視鏡への道へ

朝から緊急内視鏡でバタバタ。昨日の胃潰瘍出血を止血した患者が再出血しこれに時間が掛かった。うまく止めたつもりだったがワーファリン服用をしておりPT-INRが延長していたため予期せぬ出血を来してしまった。この他昨日空きベッド無くて処方のみで帰宅させていた高齢女性が今日の診察で急性膵炎だったことが分かってあせった。さらに直腸癌発見、食道癌の拡張ステント患者など青雲会病院での消化器の仕事はバラエティーに相変わらず富んでいる。

30年ほど前鹿大の第二内科に入った時、はっきりと内視鏡をしようとは思っていなかった。1年ほどしてどのグループに行くか表明せねばならず何となくこっちの方が良さそうと思い内視鏡グループに入った。今では忙しいが診断、治療にやりがいのある消化器内視鏡を選んでよかったと思っている。誰かに勧められたというよりそこは自分の判断だった。先見の明があったかな?

2014年12月18日木曜日

ぼーっと腫れて、だーっと出て

昨日は雪が山間部では積もり、病院から見える姶良の山の上4分の1ほどがうっすら薄化粧していた。高速道路が通れなくなるほどではなかったが霧島あたりは結構積もっていたらしい。他県ではさらに交通事情の遅れなどで影響が大きくかったらしい、というのは今夜国分スターレーンでスリウェル君に上げたマスターマインドのリニューアル披露が出来なかったのも雪のせいだったからだ。プラグ用品などの道具を運ぶ車が広島あたりで渋滞に巻き込まれ大幅に遅れていたんだとか。そんなわけでスリウェル君はいつものタブーレッドで投げることになった。

ちょうどイキナリDr兄弟も先に来て投げていた。彼らはだいたい木曜が練習日みたいだ。来月の姶良郡医師会ボウリング大会にも参加予定とのことで練習にも気合いが入りますなー。

1ゲーム目は私はマスターマインドインテレクト好調の流れで202だったがスリウェル、タナカッツ両MRは100ちょい越えのひどいロースコア。レーンのオイルの撒き方が日頃のT-MAXとは違うとはいえちょっとひど過ぎない?でもスリウェル君は最後の10フレあたりから腰を落としいい感じで腕が振れていた。2ゲーム目になると安定してストライクかスペアで全くミスをしなくなった。私の方がスプリットが出だしてミス連発し終わってみれば私123、スリウェル223と100ピンもの大差、昨日のネット麻雀じゃないけれど明暗反転の結果になった。え?スリウェル君このスコア自己最高だって?へーー、それはおめでとう。ううむ、つまりはボールではなくてフォームが大事ってことやね。

3ゲーム目はまたも私が負けそうだったが10フレで4、10の難しいスプリットを奇跡的に取れて163対144で上まわった。ふぅー。彼も10フレはスプリットでどうも今日の国分はスプリットがよく出る。4ゲーム目も3回出て最後は究極のスプリット7、10でこれは意識的に狙ってみた。7ピンを薄く当てバックボードに跳ね返らせ10ピンを取るというかなり偶然の助けもいる方法だ。プロは10ピンを薄く当て7ピンへのラッキーを狙うが私にはこっちの方がやりやすい。ボールは予定通りの軌道で当たってくれたが当たりが弱く届かなかった。10-7メイクは実はプロボウラーでもパーフェクト達成より達成率が低い(パーフェクト達成の約10分の1)程の超難関のスプリットだが一生に1回は達成してみたいものだ。

そうそう、今日の昼間の救急当番ではゴルフ場からボールが目に当たったという初老男性患者が運ばれて来た。他県から友人らとゴルフをしに来ていたらしいがその友人のフルスイングした打球が左眼直撃したという。先に打って30mほど前にいてこっちには来ないだろうと待機していたらーだったらしい。運ばれて来て一目、私の手に負えないと分かった。左眼周辺は大きく腫れ、眼窩からは血がだらだらと流れて来ているんだ。今日は鹿大から週1でタノミルDrが来てくれていて彼に任せた。結局大学病院へ転送となり眼球摘出になるという。聞いた話、お互いに「自分が悪かった」と言っていたそうだが・・なんという悲劇。ボウリングでは腕が痛い指が痛いはあるがこんな事故はまずない。ゴルフには怖い一面があるね。

1時間くらい後、ちょうど外来に外科のテッシーDrが外来看護師らといたので「先生、さっきのゴルフボールの一件見ました」とそのひどさを教えようとした。で、その言い方を聞いていたニッシNsにえらく笑われてしまった。「センセ、『左の目がぼーっと腫れて血がだーっと出て』だなんて、うちの小学生の子どもが言いそう」と。ううむ、専門外のことになるとらしき言葉がすぐには出てこないのよ。それにしてもとても医師が医師に伝えるような言葉ではなかったな、確かに・・。

2014年12月17日水曜日

三家和

ラブカメ先生に「こてる先生、昨日の忘年会もだけど今年の病院内の写真データをまたお願いします」と頼まれた。29日の御用納めではラブカメ先生講演が恒例でその時のスライドに写真を使うのだ。1週間後くらいまでにとのことで即了承した。院内スナップショットをUSBメモリにコピーするだけなのだが大量に撮っているのでセレクトがちと面倒くさい。ま、1週間と余裕があるのでやっておこう。

夜の天鳳で事件が起きた。私もサブアラドDrも麻雀人生でほとんど初めての経験をしたのである。サブアラドDrから打とうと電話が来てやった最初の半荘は私が絶好調で7万5千点ものダントツトップ、サブアラドはドボン終了とくっきり明暗が分かれた。頭に来た彼は「さ、次もやるぞ」と同時アクセスしまた同じ卓になった。私が起家だ。普通の手から断ヤオ牌が集まりだしだんだん高い手になってきた。そんな中盤、上家のサブアラドからリーチが掛かった。私は一向聴で現物の4索を切る。13巡目5ピンを持って来て断ヤオドラ1の5、8萬待ちを聴牌した。おっかけリーチしてもよかったが出上がり出来るし2、5、8索を持ってくるとタンピンになるしで1巡待つと2索を持って来て牌を入れ替えるとタンピンで5萬なら三色も付くという大物手に育った。ここで満を持してリーチ!さあ、サブアラド七段、5、8萬を出しなさい。後から分かったが2ピンはアタリ牌だった。1巡待って正解だったわけで勘がさえている。すると出したのよサブアラドが8萬を。やったー!親マンは確定、いやー我ながら調子いいねえー。

しかし!!

まず断ヤオドラ1の対面もロン、あれ、ダブロンかいな。だがもう一つロンの声が。下家がチートイドラドラの8萬待ちだった。そう、なんと三家和(サンチャホー)で流れ、サブアラドは何のお咎めもなく誰にも点棒を支払う必要はないということになった。麻雀には変わったルールがいくつかあるが三家和は弱者救済、または滅多にないので支払い無しとなったのか。命拾いのサブアラド七段は気分はよかろうが私はがっくりだ。

そして次局、私はドラの6ピンが暗刻でまたもチャンス手で5巡目には一向聴と好調は続いている、ようにみえた。しかしここから4連続字牌ばかり引いて手は進まずそのうちまたもやサブアラドのリーチ。そこにいらない1ピンを持って来た。イラついていた私はこれをツモ切り。しかしロン!5200を放銃してしまった。あーー、何という暗転、麻雀は幸不幸は裏表じゃ。次局も私にはドラ暗刻のチャンス手が入る。しかし上がれない。そのまた次局はドラドラ、次局はいつもならシャンポン受けするのに間チャン受けにして上がりそこね、次も配牌ドラ3の手がくるもサブアラドへの放銃。もう切れた。食事出されていざ食べようとすると片付けられる、いや、今日はOKよと言われてホテルまで来たが風呂に入っているうちに女に逃げられる・・いや、これは例えが悪いか。ともかくもおまんま食い上げ状態で身ぐるみ剥がされるだけなんだ。結局このままビリで終わってしまった。ぐぐぐ・・・理不尽、麻雀は理不尽じゃーー。
(日記書いてから気がついた。去年の12月17日はサブアラドDrと初めてネット麻雀で対戦したんだった。その時も私は負けていた。ふう、そうか日が悪かったんだな。そうそうきっとそうよ)

2014年12月16日火曜日

青雲会パワー忘年会

諸事情で開かれていなかった青雲会病院忘年会が今夜4年ぶりに開かれた。余興大会だったそれまで違い一般的な飲んで食べての会になるということだった。職員全員による恋チュンビデオ披露で盛り上がった後が地元のオールディーズバンド「奇妙猫」が出てきて50分にも渡るダンスでさらにヒートアップした。演奏始めはオールディーズファッションの女性ボーカルやバンドが目立っていたが、理事長や院長始め徐々に舞台の上に青雲有志が上がり踊ってワイワイしているうちに大勢になってきた。まるで震度5クラスの揺れのようでしまいにはボーカルやリーダーは舞台から降りて歌っていた。アミヤンDrもノリノリでマイク握って歌うし舞台ではお尻ふりふりダンスで人目を引いた。外来看護師のネークチダ君のダンスにリハビリ若手のエアギターに元無か毛技師長のチークダンスなど笑いも誘っていた。そしてラスト2曲は青雲会定番の「青雲時代(青春時代)」「ヤングマン」で大勢が舞台に上がり完全にバンド連中を圧倒していた。みんなー、かなりストレス溜まっていたのかい?

私は開始前からずっと職員の写真や動画を撮り続けたのだがそれだけでも汗をかいた。だからずっと踊っていた連中はびしょびしょ。いや、余興はなくてもこれだけ盛り上がれる。いやー、みんなのすごいパワーに圧倒された。そのパワーを写し取った枚数は450枚以上、私も頑張ったネ。

2014年12月15日月曜日

詐欺メール

以下のようなメールが届いた。全部転載するがざっと見るだけでよい。


弊社は、インターネット運営会社、ソーシャルネットワーキングサイト(以下通知会社という)の代理人として、貴殿に対し次の通りご連絡(通知)いたします。
さて、通知会社は貴殿に対しインターネットサイト利用料金(サイト登
(株)松田商事電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
録料・特典付きメールマガジン等)の債権を有しておりますが、貴殿におかれましては本債権の弁済がなされてない状態になっております。
また本件インターネットサイト登録の解約又は特典付きメールマガジン等の解約手続きもなされておりません。
よって、インターネットサイト利用料金が常時発生している状態です。
上記の理由により弊社は通知会社の依頼により、貴殿の個人情報調査等(身辺調査含む)の依頼を受け【翌営業日】までにご連絡頂けない場合には調査事務代行等を開始致します。
期日までにご連絡も本債権の弁済もなされない場合には、やむを得ず個人情報調査等を開始し、その後、法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)及び信用情報機関への照会・登録等しかるべき対応をさせて頂きますのでご承知おきください。
※ご連絡なく各手続きが開始された場合には、本債権の遅延損害金及び訴訟費用並びに調査費用等もご請求させて頂きます。
※メールでのご返答は受け付けておりませんので携帯電話からお電話ください。尚、本メールを持ちまして最終通告とさせて頂きます。
株)松田商事
電話: 0120-653-856
顧客担当・清水


パッと見た目、怪しさ満載のメールで、お堅い口調の中にも要するに「個人情報調査等(身辺調査含む)」「法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)」「しかるべき対応をさせて頂きます」と脅かすような文面もあり、問い正しているくせに最後に「メールでのご返答は受け付けておりません」「携帯電話からお電話ください」と誘導していて、一度もやりとりしていないのに一方的に「最終通告とさせて頂きます」と結んでいる。詐欺メールがこのところ横行していると聞いていたのであはあと思い、即、メールのゴミ箱に入れた。日記ネタにするにあたって少し読み直したが、少しでも気の弱いマジめなタイプだと事情を聞きたい、間違いだと教えてやりたいと電話する人もいるだろう。やり合っても向こうはプロ、簡単には引き下がらずさらに不安を煽るような脅し文句でお金を出させるかもしれない。電話を掛けるのは電話番号を教えるようなものだし後々迷惑電話がかかってくるかも。相手にしないのが一番だ。

無視していたら2日後、調査業協会と名乗る同類項メールが来た。以下読みたい人は読んでみて。私は一瞥(いちべつ)し速攻ゴミ箱に入れた。最終通告ってこれが最後じゃなくて何度も出来るんやね。


弊社は、インターネット運営会社、ソーシャルネットワーキングサイト(以下通知会社という)の代理人として、貴殿に対し次の通りご連絡(通知)いたします。
さて、通知会社は貴殿に対しインターネットサイト利用料金(サイト登
(株)松田商事 電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
録料・特典付きメールマガジン等)の債権を有しておりますが、貴殿におかれましては本債権の弁済がなされてない状態になっております。
また本件インターネットサイト登録の解約又は特典付きメールマガジン等の解約手続きもなされておりません。
よって、インターネットサイト利用料金が常時発生している状態です。
上記の理由により弊社は通知会社の依頼により、貴殿の個人情報調査等(身辺調査含む)の依頼を受け【翌営業日】までにご連絡頂けない場合には調査事務代行等を開始致します。
期日までにご連絡も本債権の弁済もなされない場合には、やむを得ず個人情報調査等を開始し、その後、法的措置(起訴提起、刑事告訴等含む)及び信用情報機関への照会・登録等しかるべき対応をさせて頂きますのでご承知おきください。
※ご連絡なく各手続きが開始された場合には、本債権の遅延損害金及び訴訟費用並びに調査費用等もご請求させて頂きます。
※メールでのご返答は受け付けておりませんので携帯電話からお電話ください。尚、本メールを持ちまして最終通告とさせて頂きます。
(株)松田商事 電話: 0120-653-856
顧客担当・清水
東京都公安委員会第30120801号
東京都調査業協会会員1001号
代表取締役・松田 伸次
関連団体・社団法人 日本調査業協会
営業時間 平日午前10時~午後7時迄 休業日 土日、祝

以上のようなメールが来たらまず詐欺メールなのでみなさんも相手にすることなく無視するのが一番でっせ。

追記:その後何年経っても松田商事から法的処置もないし何の連絡も来ない。ついに平成の時代も終わり、今日、令和元年5月1日を迎えたが音沙汰はない。やはり詐欺メールであったとここに断定する(笑)。

2014年12月14日日曜日

出てきたものは・・

朝から日曜当直。Facebookで昨夜某同窓生のアップを見ると昨年私が参加した東京の六本木ヒルズでのセントラル高校関東同窓会があったようだ。このところ毎回六本木ヒルズであるがこれは部屋貸し切りが同窓生ケンロック君の住居民くじ引き当たりによっていて幹事が「強運ぶりに感謝」と言っているくらいだ。集合写真にはヤノケン住職が写っていて京都からまた上京していたようだ。一人だけ坊さんの衣装だから目立つ。私が1年ほど担当し今年青雲会病院で亡くなったシモトンダさんの息子もいた。何度も病院に来てくれたのに私とは一度も会えず去年その場所で会ったきりだ。元気そうでなにより。

救急や外来はバラエティーに富んでいた。最初は交通事故の少年で骨折との触れ込みだったが単なるかすり傷と打撲傷のみでよかった。その後は脳梗塞の高齢女性でこれはCTでも分かるほどでということは血栓溶解療法の適応はなさそうだ。MRIで確認後、シマッチ院長に連絡しその後の治療方針は任せた。で、その後本日一番の患者が救急で運ばれて来たのだが、1週間ほとんど飲まず食わずで意識が遠のいたために息子氏が救急要請し搬入された独居高齢女性はもう餓死寸前、脱水が極めて強く採血もできずかろうじて点滴が入ったのが奇跡というくらいひどかった。体温も血圧も計れず風呂に入っておらず全身垢まみれだった。息子はちょくちょく見に来ていたとはいうけれど入院させる判断が遅きに逸した。患者本人が病院を嫌がっていたのもよくなかった。私がかなり厳しい状態であると息子に説明し、病棟に上げようとしたとき看護師らが小さな声を上げた。失禁していた殿部あたりに10匹前後のウジ虫が湧いていたのだ。うわっ!

ここまで人間はひどくなれるものか。この患者は翌日亡くなるが側で息子と娘が泣いていた。決してスポイルしてきたわけではなく鹿児島市内に住む子どもたちがすぐに目が届くところにいたらここまではならなかった。これは核家族や過疎化など現在の日本社会の問題と思った。私自身はああいう最後は迎えたくはないな・・。

2014年12月13日土曜日

あなたが30才代女性なら

師走の土曜日とあらば忘年会などいろいろ用事もありそうだ。福岡で講演会の誘いもあったが明日も当直だし断った。ブックリバーDrやサブアラドDrは福岡行きだったらしいネー。

仕事も終わり昼食を摂っていたらたまたま中年職員女性といっしょだった。雑談などしているうちに彼女がつい最近乳がんを手術したことを知った。いや、気付かなかった。早期だったから経過は心配はしていないが術後しばらくは左腕があらず違和感が結構あったんです、と。それは仕方ないとして、どうして気がついたのかと聞くと、わずかに乳汁分泌があっておかしいと思い鹿児島の逆らわん病院の受診し生検でも癌か微妙だったらしいが結局そうと判明したとのことだ。専門家でも難しいケースを素人が自己判断で確定できるはずもない。彼女は日頃から冷静で論理的なキャラだからきちんと行動し慌てず手術まで受けた。「先生、日本人女性の10数人に1人は乳がんにかかるらしいですよ」といわれれば、確かにこの7、8年、青雲会病院でも私が知る限り3人は乳がんになっている。これは相当な高確率だ。

30才代から上の女性は常に乳がんを気にしなくてはならない。カールもそこは分かっていて毎年検診は欠かさない。ちらっと外来某Nsに聞くと1回も受けたことがないという。いかんいかん。病院に務めていてこうした情報に触れる機会もあるのだからぐずぐずせずまずは行動だ。あなたもかわいい小さな子どもがいるんでしょ。その子と生き別れになっても運命だと達観できるなら検査など受けなくてもいいがー。「いやいや、そんなことできない」「だったらちゃんと検査を受けよう、それともこてる先生の乳房触診を受けるぅ~?」「やだっ、先生セ・ク・ハ・ラ!」おっと最後は脱線したが30才になったら一度は乳がんの検査を受けよう。日本人女性の検査受診率は欧米に比べ相当低いと聞いてる。私には日本人女性があまりにも無防備に見えて仕方ないよ。

2014年12月12日金曜日

ドラマチックがやって来て

串木野のトリオリーグではコンピロ君が今日で最後だった。薬局チェーンの薬剤医師である彼は今月福岡転勤となる。川内での5人リーグの時からレギュラーメンバーとして活躍し特に大きなフックボールが持ち味だった。今日はさぞかし気合いも入っているはずだ。しかし1ゲーム目は今月のコンディションがややオイリーで難しくストライク散発3回のあとはほとんどオープンフレームでスコアは出ない。私はおニューのマスターマインドインテレクトがやはりピンアクション抜群でオープン3回にも関わらず206と結果を残した。そしてコンディションに慣れた2ゲーム目、4フレから彼はストライクを連発しだした。私もさらに好調で250が狙えるくらい。9フレまでチームスコアは9連続ストライクとチーム初のパーフェクトまでこぎ着けた。コンピロ君ここぞとばかりに10フレ1投目を投げる。ストライク!次ぎストライク!!おおっ、あと1投で初のそして彼にとってはおそらく最後のパーフェクトゲーム達成目前となった。当然デジカメを私は構えた。呪いがかかっていようがここを逃すわけにはいかない。ラストチャンスでパーフェクト達成とはドラマチックじゃないか。

その前に私が9フレを投げようとしてそこから海広しDrが撮影に入った。私はそれまで8回中7回ストライクと絶好調。だが9フレはポケットにいかず裏に入り9本ストライク。「ほらな、呪いはまだ生きているよね」と引き返したところでコンピロ君がラスト投球に入った。心なしか緊張しているように見えたが・・。投げた瞬間ヤバいと思った。力ない動きでやや外目に流れた。オイルに乗っかりポケット外しごく薄くヘッドピンに当たっただけの6本カウント。あいたたー。緊張なんてものじゃなく心臓バクバクだったらしい。ドラマは完結しなかったなー。このあと海広し、こてるとストライクは続かず個人では245で満足も念願のチームパーフェクトはまたしてもチャレンジ失敗となった。ううむ、それにしても呪いのデジカメの威力はすごい・・。

3ゲーム目は私はやや調子を落とすもアベ200アップは出来た。コンピロ君ももしかすると鹿児島勤務の際に投げることもあるかもしれない。ああ、でもあと1球、いつもなら簡単に出せるストライクが出せない。パーフェクトって難しいもんだわー。

2014年12月11日木曜日

神経性食欲不振症

救急で急性腸炎疑いの20代女性が来るというので診れば何と2年以上前に拒食症で私が診察した人だった。当時は体重34kgくらいだったかな。本人にさほど自覚はなく心療内科専門病院に紹介したもののそこで上手くいっていないと聞いたっきり連絡は途絶えていた。今日診てみていやはや驚いた。下痢が続き一気に体調を崩したようで体重は何と26kg!自力で寝返りもうてず返事もかすかにうなづくだけ、ようここまでなったものと呆れた。もはや命にかかわる状態で即入院となった。

私は過去に数名神経性食欲不振症の患者を入院させた経験から普通の内科医には治療は無理で心療内科や精神科の専門医による治療が必要と理解している。でもこのようにそれ以前の問題なら入院治療だ。もしこの女性が一人住まい(かつてその時期もあった)だったなら誰にも気付かれず部屋の中で死んでいた可能性すらあった。実際にそのようなケースもあると聞く。今は母親が側にいたから瀬戸際で切り抜けられたが危なかった。命の際を垣間見て彼女の心境に大きな変化が訪れればいいが・・。ため息つきながら入院指示を出す私であった。

2014年12月10日水曜日

ようならマスターマインド

夕方から霧島市の七五調病院でICT(Infection Control Team感染制御チーム)の合同カンファレンスがあり参加した。今回は青雲会病院から医療廃棄物の取り扱いについてテーマを依頼したので「こてる先生必ず出席を」と鯛おどりNsに念を押されていた。席に着くと過ごし安病院のサブアラドDrも来て隣の席に。ちょこっと天鳳の話をして会議に臨んだ。中盤、ふと、つつかれた。サブアラドだったようだ。どうやら私は居眠りをしていらしい。「え、私?」何か質問されたのかと思ったがそうではなかった。ふーぅ。このあとはぱっちし眼が覚め感染症に伴う諸問題について十分に理解を深めることが出来た、おっほん。

終わって国分スターレーンでのボウリングを誘ったがサブアラドDrは「今日は帰宅せず当直なしの病院泊まりだ」ということで、私と難ガターさんはスターレーンに向かった。で、いつものMRメンバーとボウリング練習だ。今日はスリウェル君にこの前までの私のメインボールマスターマインドを上げてプラグ&ドリルをスターレーンに依頼する目的もあった。で、おニューのマスターマインドインテレクトを国分で初めて投げてみたが相変わらずいい。とにかくピンアクションが抜群でポケットに持っていきさえすればストライクか9本だ。180アベくらいで来てラスト4ゲーム目は228を出し満足であった。終わってスリウェル君にボールを渡すと本当にもらえるとは思っていなかった様子で「いいんすか」と喜んでいた。彼に上げるのはMR連中の中では一番ボールを曲げられるのでマスターマインドと相性よさそうというのもある。私が持っていてもおニューとほぼ同じ動きピンアクションなのでだったら古いのを使うこともないし上げることにしたのだ。

練習後は恒例のアシビーで食事して、来年早々の姶良郡医師会ボウリング大会もあるししばらくは国分スターレーンで練習だと来週木曜も練習の約束をしてお開きになった。だが、競技ルール変更がその後来てまさかの事態になるとは!この一件は後日のネタで書く予定、しばしー。

2014年12月9日火曜日

倹約は家訓なり

薬の説明会があって薬品会社から飲み物が提供され、その中にキリンのメッツコーラゼロが1本だけあった。へー、コカコーラゼロ、ペプシネックスに次いでメッツもゼロを出してきよったか。しかも難消化性デキストリンも入れ「脂肪の吸収を抑える」と消費者庁許可の特保もとって差別化も図ってきている。さっそく一口飲む。まあ普通の味だ。私の好みはペプシネックスだがコーラもOK、メッツも許容範囲と言いたいところだが肝心なのはその値段だ。青雲会病院近隣のドラッグストア「ひまわり」ではペプシは1.5Lで128円。特保で吸収も抑えますでも値段はそれなりにしますよ、では端(はな)から対象外じゃ。そもそも1.5Lが出ていないようだし私が手を出すことはなさそうだ。(どんだけケチかよ)

グッちんDrに贈る記念品は2T(テラ)のポータブルハードディスクにしようか。Macストアでも販売しているタイプでデザインもいい。この手のハードディスクならばもしかして同タイプのものを持っていても無駄にはならない。プレゼントは気に入るものであるべきだがそれ故下手すると本人がすでに持っていることもありそれは避けたい。そこでハードディスクなら2台目があっても困らないからいい。うしっ!これだ。さっそく注文しよう。

午後は早帰りするとガス業者が来ていた。ガスコンロの着火が点きにくくなっていてその修理だった。でも調子が悪かったのは単一乾電池が消耗していただけでそれも2個同時に交換しなくてはならないのにケチってばらばらに代えていたのが悪く「今後はそうなさらないように」とちくりと言われてしまった。いやはやケチというより倹約はこてる家の家訓でありまして・・。おいカール、今後は電池くらいでケチっちゃダメだぞ。

2014年12月8日月曜日

名前間違い防止はリスクマネジメントの基本ですよ

病院でのリスクマネジメントというのは今では当たり前になっていてその基本的なことの一つに患者さんの名前間違いからくる事故を未然に防ぐというのがある。入院した患者にはリストバンドを着け何かことを起こすときには患者自身に名乗ってもらうなど間違いを防ぐようにしている。ここ10年くらいでこれらは普及し多くの病院で行われてきている。

この日入院させた患者は80才代の男性で仮に「山田正義」ということにしよう。この人が5階病棟に入った時にほぼ同年代の別男性患者に「山田武義」という人がいることに気付いた。これはまずい。その人も内科患者だしどちらも内視鏡を受けたこともあるし何か間違いが起こりそうだ。私は「正義」さんを4階病棟に転棟させるようマチルダ師長に頼んだ。すぐにはベッドが空かないというので明日にでも是非と頼んだ。こう言っている私ですら勘違いして「武義」さんのつもりで「正義」さんのことを看護師にしゃべったりしていたから。

翌日、「正義」さんは無事4階に移動した。やれやれと思っていたところ、院内メールで目童ナースから「山田義信」さんの件指示をもらいたいと連絡が来た。あれ?この患者、知らないな。名前で検索すると確かに4階にいる患者だが私の患者ではなかった。看護師の勘違いだろうとその旨返信した。案の定、済みませんでしたと返信が来たが、そこでハタと気づいた。実は4階にも似たような名前の患者「義信」さんがいて私の患者だと看護師が勘違いしたわけだ。

いやはや、よかれと思ってもこんな落とし穴があったとは!それにしても昭和一桁は義理や仁義や忠義を重んじる時代やったんだなあー。

2014年12月7日日曜日

誰も知らない大賞曲

出水の薬品問屋社員のシゲトシさんからAKB48の今度のシングル「希望的リフレイン」のCDをもらった。もはや恒例だがまだ一度も会ったことないのでいつか直接感謝したいと思っている。もっともたくさんCDを買ってそれについてくる握手券が目的なので余ったCDをどう処理するかはAKBオタクの悩みで私みたいに喜んでCDをもらってくれれば有り難い意味もある。今度のシングルはまゆゆとさくらたんこと宮脇咲良がダブルセンターを務めるが聴いてみて今一印象に残らない。「恋チュン」や「ラブレ」は好きで口ずさむこともできるがすぐに覚えられない。それにしても「恋チュン」は1年前の曲なのに強いなー。カラオケでは一番人気だし今回の青雲会病院Ver作成のようにいろんな団体、組織で真似るイベントが流行っていてこういう曲こそレコード大賞を取るべきだったが運営が3年連続を嫌がったかライバルの組織力が功を奏したか今では誰も知らないEXILEの曲が大賞を取った。みんな知っている?まあAKBの2年連続も曲を知らない人が多いが・・。アメリカのグラミー賞が未だに権威を保っているのに対しレコ大は業界人の意向が反映されもはや権威も地に落ちた。いずれ消滅するか形を変えるしかないだろう。ちなみに去年の受賞曲は「EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~」だってさ。知らなかったでしょ。

2014年12月6日土曜日

隠れ家的お店

大学医学部同窓生の寝たろうDrが鹿屋から鹿児島に来るとのことで久々に会食をした。彼が泊まるホテルに迎えに行き港大通り公園のイルミネーションを見ながら歩いて料理屋「ストレート」に向かった。ここは去年青雲内視鏡室の忘年会をした店だ。ブックリバーDrに鹿児島港界隈でいい店ないかと相談したら予約まで取ってくれていた。この店はごく普通の町中にひっそりとあり確かこの辺とうろつくも見つからない。寝太郎君がスマホの地図で入力するとやはりこのあたりと記されている。ようやく探して入ると大将一人、直前に子連れの夫婦が出ていって客は我々だけの貸し切りだった。聞けば以前は天文館で人も雇い流行っている店をしていたがその生活に疲れ将来も見越して自分ペースで仕事が出来る店を数年前に開いたのだという。収支もほとんど差がないとのことだからなるほどと思った。寝太郎君も以前は系列病院で働いていて鹿屋で小児科を開業して10年は経つのかな。薬を出すだけの治療でなく自然治癒力を見守るような生長の仕方を支援したいと頑張っている。お互い自分の城を持つ身として共感するところがあったようだ。寝太郎君が「ふるふるしましょ」とスマホを振り始め、何事かと思った。お互いに振ることで連絡が取り合えるサービスらしく大将も戸惑っていたな。

大将は我々より一世代若く子どもも4人。小児科の世話にもなっていてそこのDrも客で寝太郎Drとも知り合いだった。聞いていてずっと男性医師と思っていたがそれは私の勘違いで女性医師だったよ。なんだか昔の頭の体操シリーズの問題をこっそり思い出した。ある外科医が実は女性なのに読者の男性と思い込む意識を利用した問題だった。私も引っかかってしまったな。

大将が言うには「開業しているお医者さんもそれぞれで税務対策をしっかりしている人もいれば無頓着な人もいる」とのこと。そうかもし自分が開業していたらきっと後者だな。どうもお金関係は弱い。

そうそう、料理はブックリバーDrが推薦するだけあってしっかりしたものだった。私はカールを今度連れてきたいと思った。子どももみんな巣立とうとしてこんな店に来る機会もあるだろう。寝太郎君のおかげだな。また会おうぜ!

2014年12月5日金曜日

問題です

朝、高速に入ったらいきなり渋滞に巻き込まれた。料金所はまだ先でこれは絶対に遅刻する。病院に電話したらオマル先生からも同じ状況だと連絡があったとか。ちんたらと鹿児島吉田間を進んでいくと吉田インター前で交通事故があって軽自動車が進行方向とは逆のこっち側を向いて停車していた。この事故で1時間近くも遅刻してしまったわけだが、飛行機搭乗目的で空港に向かう予定の人たちはあせったやろな。左に右に先を急ぐ車はきっと空港行きだったに違いない。

キスマンクリニックからお歳暮が届いていた。「つぶらなカボスとすっきりスダチ」というカボスとスダチの味付けのジュースで両方飲んでみたところどっちらも美味しいがどっちがカボスでスダチかさっぱり分からない。問題です。そもそもカボスとスダチの違いって何?果汁絞って料理に使うイメージがあるもはっきり意識したことはなく聞かれても答えられない。正解はネットで簡単に調べられ、どちらもユズの仲間でカボスがテニスボールくらい、スダチがゴルフボールくらいの柑橘類でカボスは9割以上が大分県でスダチは9割上徳島県で生産されているということだ。ふーむ、初めて知った。

夜は日テレの「頭脳王2014日本一決定戦」の録画ビデオを見た。これは通常のクイズ番組ではなくクイズエリートのすごさに驚き感心する番組だ。ベスト8に出た連中は東大、京大の天才秀才ばかりで出される問題もほとんど答えられないか秒速では答えが出ない問題ばかりなのにいとも簡単に答えていく様は驚異そのものだ。紅一点の数学五輪金メダリスト・葛西祐美さんは惜しくも破れたが積み木ブロックの数を一瞬で答えたのには唖然とした。数学的センスは抜群で総合力の差で上位進出を逃しただけという印象だ。京大経済学部首席・粂原圭太郎、東大IQ貴公子・田村正資は本や高校生クイズなどで知っていた。彼らも相当なものだがわずかに決勝進出できず、優勝は京大医学部の天才・廣海渉(ひろうみしょう)と東大医学部の異端児・水上颯(みずかみそう)という現役医学部生同士の対決になった。廣海は3年前も準優勝で本命の一人だった。で、水上は一般予選から勝ち上がったぽっと出かと思ったが落ち着いた態度がどうも場慣れしているようで、調べると開成高校時代に高校生クイズで優勝もしていた。なるほど、クイズ研究会出身ならさもありなんだ。最後は大接戦で廣海が中世スペインの王国の名前と部位を入れ間違わなければ同点でどっちに勝負が転ぶか分からなかった。結果大学1年生の水上颯が優勝。若さ、鮮烈さ、正解を出してもふっと微笑むだけの冷たい表情が強い印象を残した。

で、難問ぞろいの中、私は3問だけ即答できた。それは源氏物語の一節の語句「あたらし」を訳せという問題、「青春の対義語は?」「足利六代将軍の名前は?」という問題だ。「あたらし」はそれって難問なのと私は思った。古文と現代文で意味が違う言葉としてよく出てくるし何と言っても鹿児島県人なら知って当然の言葉だからだ。意味は「惜しい」「もったいない」でほら、鹿児島弁で「あったらし」というでしょ。「もったいないことをするな」の意味の「あったらしことすんな」は今でも使われるから簡単だ。地方では古代の言葉が残ることがよくあり豆腐を「おかべ」というのは昔の京言葉で私も子どものころ使っていた。「青春」も東や春が青、南や夏が朱、西や秋が白、北や冬が玄(くろ)というのは古代中国で使われ、動物も青龍、朱雀、白虎、玄武でこのモチーフはペ・ヨンジュン主演の太王四神記でも出てきた。北原白秋もここから取った名なのは明か。青春が単独で使われることが多いから一瞬対義語が分からなくなるだけで本来の意味さえ知っていれば簡単だ。六代将軍は足利義教、これは実は小学生時代に知っていた。そのころ歴史に興味があって足利と徳川の将軍の名前を全部覚えていた。その名残なだけで今ではすべては覚えていない。こんな問題ですら私が答えるとカールなど「おお」といってくれるがそれほどでもと思う。してみれば、私らびっくりする難問も彼らはたいしたことではと思っているかもしれない。見ていてこれはかなわぬと思うばかりだった。

2014年12月4日木曜日

テル帰る

また患者ネタ。救急で初老の女性が入って来るとの情報あり、電カルでその名前を検索してみた。名前が珍しくかつ可哀想だった。女性なのに「精子」なんだ。これいじめられただろうねえ。「せいこ」とは呼ばれず授業中に「卵子と精子が・・」って先生もいうんでしょ。字は全くいっしょだから逃れようがない。親もこんな誤解を招きそうな名付けはいかんよ。で、昭和26年生まれのその人のカルテを開こうとしたが救急隊からの情報と誕生日や住所が違っていた。あれれと再度検索すると驚いたことに1才違いで全くの同姓同名がいたのだ。ありえん。もしかしたら親はそんな読みをするとは知らず名付けたのかも。字だけ見れば決して悪いものではないしー。

テルが今日帰ることになった。MacBookProだけではパソコン作業がやりにくいとのことで4、5年使ってきた家のiMacを上げることにした。OSがSnowLeopardで使いづらくなっていて場所も取るのでうちにはMacBookもあるしいいだろうと。テルはすぐさま最新のOSのYosemiteにアップグレードし使いこなしていった。それをみて私も古いMacBookをYosemiteにしてみた。最新になったのはいいがWindowsソフトを使えるVMware FusionVer5が起動しなくなった。Ver5は対応しておらずVer6以上が必要になるという。ううむ、OSをアップグレードするとこういうことが起こるかならなあ。だから自分のMacBookProは一つ前のMavericksのままなんだ。要するに私は慎重派。テルは「Yosemiteはデザインがダサい」と文句を言いつつも新しいものを試さずにはおられない性分だ。4年前、猫のゲンちゃんは見てすぐに拾ってくるというテルのはしょった行動がなければ家族の一員にはなっておらず野良猫化していたかもしれない。そうしたら寿命短い野良のことゆえ今頃はこの世にいなかったかも。失敗もあるが先へ進むことでいろいろ得することも多い。どっちが良いということではなくそれぞれの個性は生かしていけばいいのだ。そういうわけでテルちん、大学に戻っても達者でナ!

2014年12月3日水曜日

こてる選手、指名されず

人間ドックで来た人に「有野(ありの)」さんがいた。胃カメラをし終わったタイミングで私は尋ねてみた。

「有野さん、最近みんなに言われないですか、『ありのまま』とか」
すると「あは、言われますが、私より妻の方がよー言われます。ママ友なんかから『ありのママ』・・」
うーん、なるほど!一本!

ムッちゃんNsから「先生、グッちんDrは今月で青雲が最後だけど16日が最後になりますよ」と言われた。以前は週2回ほどだったが今は火曜日だけだ。23、30日が休みだからそうか、火曜はあと2回しかない。何か記念品を贈らねば。青雲会病院に来て10年は経っていてムッちゃんらも記念品を考えているという。ううむ、プレゼントは苦手だがたまにヒットすることがある。阪神ファンだった公方Drには野球盤タイガース仕様、ビッグベアDrにはその名にふさわしく巨大なプーさんぬいぐるみなどでえらく感謝された。はてグッちんDrにふさわしいものとは・・ふーむ、すぐには思いつかない。もうちょっと時間があるので思いつくまで頭の片隅に置いておこう。

夜はT-MAXでボウリング練習。いつものメンバーが珍しく全員そろって6人。それで最後は恒例のダブルスをしたが1回目は私、タシケント組が圧勝。それで次は成績の悪い者からドラフト指名することにした。びりっけつのサトリョー君は当然私を指名するものと思われたが悩んだ末難ガターさんを指名した。ほうほう、ゲームを面白くするってことかな。で、スリウェル君は私かと思いきやタシケント君を指名、おいおいみんなジツリキ者の私を敢えて避けるとはいい度胸だ。結局残りのタナカッツ君と私が組んでの対戦となった。

そのタナカッツ君いきなりストライクを出し、またこてる先生チームの圧勝かいと2フレ目投球にのぞんだ私、何とガター。実はレーン移動をしていて初めて投げるレーンだったせいもある。ま、そういうこともあるわな。しかしだ。自分でも驚いたのだが私は3、4フレいずれもガターしたのだ。ありえない。そこまでレーンコンディションが違っていたとは。サトリョー難ガターチームはしっかりスペアを拾い、スリウェル、タシケントチームも1マーク差で追っていた。私らのチームは大きく差をつけられビリはほぼ確定、3連続ガター出すようではさもありなん。後半やっと狙い目がわかりダブルが出たものの時すでに遅し。勝負は他2チームに絞られた。

10フレ迎えたところでサトリョー難ガターチームはスペアならほぼ勝ちの場面、サトリョー君の一投は何と6、7、10のビッグスプリット。これは一気に負けの可能性が高くなった。それでも6、10の2本を取っておけば相手がスペアミスなら勝てる。無理してガターノーカウントならスペアなしでも負けることもある。ここは確実に2本ゲットが現実的な作戦ではないかと思った。しかしだ、難ガターさんの一投は私が危惧したガターぎりぎりに向かっていき、あーあと思った直後、6番ピンを薄く当て見事に7番ピンを倒し10ピンも当然倒しスプリットメイドしちゃったのだ。「ウワーッ!」とも「ウギャー!」ともつかぬ歓声が上がった。すごい!お見事!すばらしい。これでサトリョー難ガター組が勝ち、ビリだった私たちからジュースをもらった。

いやはや、指名の時私でなく難ガターさんを選んだサトリョー君はえらい。いや、スリウェル君もビリになる運命の私を選ばず、お前らなんて勘がいいんだ。ちくしょーだが、良いもの見せてもらった。ボウリングは楽しいネ!

2014年12月2日火曜日

「痛ーい痛い、大丈夫じゃなーい!」

テルも今日で無事退院となった。きつかったのは術後翌日くらいまでで後は飲み込み時に咽頭痛が少しあるくらいだった。今日は「こんなのがのどから出てくる」と小さな糸くずを取って見せた。あは、それは扁摘後に止血処理のための糸結びだ。トシマロDrが時間を掛けて結んだヤツである。喉をペンライトで見てみると元扁桃のあった部位は凹んで白苔化している。ふむ、このまま出血がなければ大丈夫だろう。

テルの退院に合わせカールは胃カメラ、大腸内視鏡を受けることになった。ここ何年がやっていなかったし何か調子が悪く感じるという。彼女は検査をしばらくしていないと「ああ、もう癌になっている気がする」と思うタイプなのだ。当然私が検査を行うことになる。だが胃カメラはいいとして大腸はちと問題だ。挿入するのがやや難しいのだ。これまで3、4回検査してきただろうか。S状結腸が長くて屈曲が強い。最後はどうにか奥まで入るのだけれどいつも嫌な汗をかく。はたして今回はどうか。

昼の検査室では先にブックリバーDrが大腸内視鏡をしていてそれもやや難航しているようだった。胃カメラから先に終わり私も大腸内視鏡開始となった。鎮静剤はテルを乗せての帰りの車もあるため使わず、というより私の場合たいてい使わずにすます。ふふ、普通にやれば5分もかからず盲腸まで到達できるはず・・。

「あいた、痛い」「え、そう」「痛い、痛いわよ」まだS状結腸に入ったばかしなのにチト痛がるのが早すぎるんじゃない?「でも痛いの」「大丈夫」で、ぐいっと入れる。「い、痛ーい、痛い」「大丈夫大丈夫」「大丈夫じゃないわよー痛ーい」そりゃ大きな声でギャーギャー。さっきまで隣からぶつぶつ言っていた声は聞こえなくなった。「時間がかって済みませんネー」とか聞こえていたはずがきっと隣よりはマシだなと思ったに違いない。カールよ、ちょっとは抑えてくれよー。でもそんなことを言うと、あなたが上手にやってくれないからよと言われそうだ。スコープを上手くねじりうるさい声が聞こえないふりして挿入を続けた。どうにか脾弯曲を越えたときはほっとしたぜ。ふうー。身内だからか全く遠慮がないのも困りものだわい。

内視鏡スタッフは普通に対応してくれた(ようだ)が、後で実は大笑いだったそうだ。普段はうまいこと言いくるめ(?)てさっさと検査を終える私がたじたじだったのが可笑しくてたまらなかったとか。うー、こっちはあせって大変だったつーに。

2014年12月1日月曜日

巨星墜つ

著名人の死亡記事が相次いだ。先の高倉健に続いて東映のスター俳優だった菅原文太が亡くなったという。さらに囲碁をたしなむ人なら知っている昭和の囲碁の巨星呉清源(ご・せいげん)も100才で亡くなったとのことだ。

菅原文太は何といっても「仁義なき戦い」シリーズだ。これまでこてる日記で何度か話題にしている。だが有名なくせにTVではほとんど放映されない。今度の追悼放送でもまず地上派では放映されないはずだ。理由は何といってもその暴力性にある。以前のこてる日記にこう記してあった。「・・全編これ暴力なんだもん。とてもお茶の間で善男善女に見せられたものではない。一度カールに見せたら5分もしないうちに「こわい!きらい」と言ってみようとはしなかった。心落ち着く場面は5分と続かず、ふと気がつくと後ろからパン!パーンとやられる。手持ちカメラで撮り、俳優と同じ目線で画面も揺れる。まるで自分がその世界いるかのようだ。その世界に入った感覚になると、いつ自分が殺られるか非情に不安な気持ちになる。実感として「怖い」のだ。」

さらにそこに広島弁のヤクザ言葉が飛び交う。

「おう!殺(と)れるもんなら殺(と)ってみいや。何ならワシが先に殺(と)っちゃろか。あー、どうなら!」
「・・広島のケンカ言うたらよ、銭じゃカタつきゃせんのじゃい」
「・・今度こそ遠慮のう首をもらいますけん、よう覚えておいてつかあさい」
「広島には広島極道の性根っちゅうもんがあるじゃけんのう」

おお、こわ。でもなぜか画面に釘付けになってしまう。不思議と二度三度見ても飽きない。その主人公が広能昌三役(現実世界では美能幸三)の菅原文太だ。私は彼は広島出身なのかとさえ思っていた。実際は宮城出身で早大中退とおよそヤクザ社会とは関係がない。実は後の「新仁義なき戦い」で私が大笑いするお気に入りのシーンがあるがその時のきょとんとした顔つきなどコメディセンスもありやはり演技派なのだ。晩年は政治的発言を積極的にするなど高倉健とは違った生き方であくまでスターの雰囲気を残した俳優だった。

一方、呉清源は最近の人たちはほとんど知らないだろうが、囲碁の世界の人とはいえ昭和前期から戦後まで一世を風靡した人物である。中国出身で少年のころから天才と謳われ当時囲碁先進国だった日本に来て木谷實と「新布石」という囲碁布石の一大転換を来した戦法を発表し一大ブームになる。その布石を実践し時の名人本因坊秀哉(しゅうさい)と戦った碁は読売新聞の売り上げを一気に伸ばす原動力となった。そして十番碁という一対一で実力差を決める戦いで時のすべての有力棋士に勝ち越し最強の棋士と誰もが認める存在になったが、タイトル戦主体に囲碁界が転換していったころ交通事故に遭い長い時間の対局には集中力が続かなくなり勢いが衰え、主要タイトルには恵まれなかった。私が囲碁を始めたころ(昭和48年)はNHK囲碁にも出ていて端正な対局姿で打つのを見たことがある。そして驚いたのが平成に入り囲碁への情熱衰えず「21世紀の碁」と称し新たな布石の本も出しそんな打ち方があったのかと感心したし(私はそれを買った)、さらに85才を過ぎてNHKの囲碁の講師になったのにはびっくりした。単に囲碁が強いだけではなく四書五経にも通じ高い教養を持ち独特の魅力を持つ人物だった。100才というぴったりの年齢で鬼籍に入ったのもなんだからしさを感じる。2012年の『週刊碁』の企画「尊敬する棋士、好きな棋士」ではとうに引退した棋士であるにも関わらず第1位に選ばれたというのも、単に記録だけでない魅力を多くの人が感じていたからだろう。中国人だからかとかそんな小さなことで大人物の威光は色褪せない。まさに巨星墜(お)つという言葉にふさわしかった。