2019年10月31日木曜日

ワールドシリーズからネタをヒロウ

午前、メジャーリーグの優勝を決めるワールドシリーズの第7戦をやっていた。ワシントン・ナショナルズ対ヒューストン・アストロズというはっきり言って地味なチーム同士の対戦で3勝3敗、いずれも敵地でばかり勝利しての外弁慶シリーズとなっていた。その流れで行けばビジターのナショナルズが勝って初のワールドシリーズ制覇となるところだが、途中まで0ー2でアストロズがリードしていた。ナショナルズが先発のグレインキーをほとんど打てずこのまま行けばアストロズの2度目の優勝かと思われた。

しかしネットでチェックしていると、7回表にナショナルズが1点入れてこれは面白くなるかなと見ていたらその回に結局3点入れて逆転しよった。うわー、こうなれば外弁慶の完成やぁーと思って仕事にいそしんでいたら、いつの間にか試合終了し、6ー2で本当にナショナルズが逆転優勝した。旧モントリオール・エクスポズで一度も優勝することなく人気低迷にあえいで2005年にワシントンD.C.に移転しナショナルズとなり、球団創設から50年ようやく日の目を見た。おめでとうと言いたい。

となればメジャー30球団で一度もワールドシリーズに進出したことがないのはなんとイチローがいたシアトル・マリナーズただ1球団だ。イチローが入団したころは最高勝率でリーグ優勝決定戦に進出したが、当時強かったニューヨーク・ヤンキースに負けてワールドシリーズには出られず、その後低迷し続けている。そんなわけで日本人なら親しみのあるマリナーズがいつの日かワールドシリーズ進出、そして優勝する日を願いたい。高校野球オタクの私は歴史を紐解くというそんな観点からチームを応援する癖があるのだ。

メジャーリーグで言えば今年はナショナルリーグのナショナルズが勝ったが、これまで114回戦った対戦ではニューヨーク・ヤンキースの所属するアメリカンリーグが66勝48敗とかなり優勢だ。ヤンキースはチャンピオンになること27回と次点のナ・リーグのカージナルスの11回を圧倒している。ただ、ここ50年ほどは両リーグの優勝回数は拮抗しており、1930年代4連覇、1940年代から50年代5連覇などして「くたばれ!ヤンキース」というミュージカルも作られるほどのヤンキース一強時代の差が両リーグの差になっているといっていい。

もう一つトリビアネタでいうと、惜しくも優勝を逃したヒューストン・アストロズだが、実はワールドシリーズに初出場したのが2005年でその時は負けて、2年前に2度目のワールドシリーズ出場で初優勝をした。ただ、初出場した時は今所属するアメリカン・リーグではなくナショナル・リーグからの出場だった。2013年にリーグ再編によってナショナル・リーグからアメリカン・リーグに移動することになったのである。こうしたケースは1998年のミルウォーキー・ブルワーズのア・リーグからナ・リーグへの移動以来のことだった。だから2005年にアストロズが勝っていれば両リーグでの優勝したチームというおそらく今後達成されることがないであろう珍しい記録になっていた。

そんなことを考えたりして楽しむファンもいる。私は高校野球でよくそんなことをやるが、メジャーリーグでは福島良一さんがその典型で本を書いたりたまには解説にも登場しそのうんちくぶりを披露している。福島さんは小学6年時の1968年来日したセントルイス・カージナルスに魅せられてメジャーリーグオタクになったそうだ。小学3年だった私も覚えている。その時の秘密兵器がカージナルスで英才教育を受けた「野球ロボット」こと黒人選手のオズマで巨人の星飛雄馬と対戦し・・・おっとこれは「巨人の星」の中のお話だった。

そんなこんなでメジャーリーグだけでもちょっとした日記ネタは転がっていて拾う(披露する)ことができるねぇ。

2019年10月30日水曜日

なぜそのバッグは売れ残っているのか

エリックMRの後釜で担当となった蛇蝎MR、彼もボウリングの練習にこれまで2、3回参加している。だがまだハウスボールを使っての投球で当然ながらスコアも伸びないし面白さも分かってもらえていない。そこでいつものパターンで、私の不要となったボールを再プラグしてそれをプレゼントしてマイボールにしてもらうことにした。

現在私のボールは曲がりが大きいタイプがマスターマインド・ゼロとニルバーナ・アブソルートがあり、どちらも動きが似ていて結局ニルバーナは今ほとんど使っていない。やや曲がりの小さいインフェルノ・ブルーフレームが少しヒビが入っているのでそちらをプラグすればとも思ったがヒビの位置がホールから遠くプラグ不能のようでそれは上げられない。ということでニルバーナを国分スターレーンに持って行きプラグのため預けることにした。そして蛇蝎MRとも待ち合わせし、ドリルのための測定(メジャー)をしてもらった。彼は指が太い。親指が大事なので少し緩めに掘るようにしてもらった。ただ実際にドリルできるのはまだ早くて数日後だ。1週間くらいはかかるかも。来週あたりマイボールプレゼントになるだろう。

「でもマイシューズはここにある3000円くらいのでいいから今日買ったら」と勧め、ちょうどサイズの合うのがあったのでそれは購入してもらった。となると、あとはマイバッグだ。そこで「マイボールが1個だからといって1個入りは絶対に買うべきじゃない。2個入りがベター」と力説した。最初に作るマイボールはストライクを取るために曲がりやすいのを作る。でもそれだと右利きの10ピン残りを取るのが非常に難しくなる。ほとんど曲がらないポリエステル系のボールがもう1個必要になるのだ。マイボール作ったMR、全員がスペア用ボールを作ったから間違いない。

そこは彼も分かっていたようで2個入りバッグを事前にネットで調べていたらしい。大阪はフタバボウルのネットサイトをチェックしていた。そこも悪くはないが、品数と値段の安さで神奈川の相模原パークレーンと秋田の能代ボウルのサイトを教えてあげた。それより今ここに質がよくて2個入りの超特価の6千円で売っているのがあるじゃん、「これどう」と彼にプッシュしてみた。この手のバッグは普通安くても1万はするのでもし自分だったら即買っちゃうかもとまで言った。だが、蛇蝎君、あんまし乗り気じゃない。ふーんそうか、好みもあるし無理強いはしないよ。と言って、よーくそのバッグを見てみた。するとあらら、確かに上質なバッグなんだけどデザインが・・日本ハムファイターズでまとめられたヤツだったのだ。
これがソフトバンク仕様だったら何の文句もない。でもこれだと人から「日ハムファンなんですか」と必ず聞かれそう。その度に「いえ、ソフトバンクです」と弁明しなくちゃならない。そうか、この良いバッグが6千円という破格値でたたき売りされているのはそんなワケで買う人がいないんだ。南の端で北海道日本ハムのバッグが売れるかよねぇ。店の人に聞けば、パの球団6個セットで購入しなくてはならなく他球団は売れたがこれだけ最後まで残っているという。ボウリング用品に定価はあってないようなもの(例としてマイボールはだいたい4万5千から5万円の定価だが実際は1万9千から2万5千円で売られる)だが、このバッグ、実は定価1万8千5百円もするのだ。いかに特価品かわかるというもの。誰か日ハムファンかそんなこと全く気にしない人、買ってあげてちょーだいナ。

2019年10月29日火曜日

「こてる日記」で泣けた

火曜から木曜までの3日間、私の朝一の仕事は子宮頚癌検診のスメア検査だ。1日平均4、5人で人間ドック室から毎回担当者が交代で付く。今日はシュミーズNsで旧青雲病院時代からのベテランナースだった。

その彼女が「先生にずっと言いたかったことがあってー」と言うではないか。「たまに先生の『こてる日記』を読ませているんですけど、読むたびに泣いてしまう日記がありるんです・・」「ほう」「カールさんが子どもの鼻歌を歌うって内容の日記で」「カールの鼻歌?ああ、確かセージやチッチ、ゲンちゃんを可愛がる鼻歌があるからそう書いたことあったな」「そうそう、特に最後の文を読むと毎回泣けてしまうんです」と言う。ええといつ書いたんだっけ。被検者の交代の合間にMacBookProに保存してある今年のこてる日記を検索してみた。2、3ヶ月前だったかな・・いや、もう少し前の5月10日の日記で「幼いセージを可愛がる鼻歌」のタイトルだった。読んでみる。

テルがセージの誕生日にLINEを通じて音声メッセージを残した。それはセージが幼い頃にママが「セーちゃんセーちゃん」と可愛がる鼻歌そのものだった。それをセージが「アニキ、うぜぇーよ」と反応したというもの。特にたいした内容ではない。その後も長男のテルだけは鼻歌がないということを書いて、最後に「まあ、みんな無事に大きくなってくれて、親として幸せなことだと思ったよ」と締めて日記は終わっている。え?そんなに感動する内容ですかぁ。
https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2019/05/blog-post_10.html
しかしシュミーズNsにはグサッと刺さるものがあった。「私も男の子2人いて、今、大学生と浪人生なんですけど、下の子には私も鼻歌を勝手に歌っていました。上の子の時にはなんだかそんな余裕もなくて」「それに最後の文が今の自分の境遇とぴったりというか・・」という。10年以上も前、まだ上の子が小学校に入る頃だったか、彼女に聞かれて「公文式はやっていた方がいい」とか「ゲーム機は敢えて買ってあげなくてもいい」などアドバイスしたことがあった。もうそんなに大きくなっていたか。ただ、まだ浪人生を抱えていて落ち着く余裕がないのかな。不安の中にも子どもは大きくなってそろそろ親離れする時期でもある。

どうってことのない内容でも人によっては涙なくしては読めないこともある。泣いてしまう人がいたなんて、我ながら驚いたナ。

2019年10月28日月曜日

聞いたこともないドラマ

夕方、忙しかった先週末に入院させた初老女性患者の回診をしていると、彼女はイヤホン付けてTVを見ていた。何かと思えば字幕付きの韓ドラだった。「へー、韓ドラですか。私も好きでよく見ていますよ」と少しだけ画面をいっしょに見ていた。だが、何のドラマか分からないのはいいとして、次々出て来る登場人物に全くといっていいほど見た顔がいないのには違和感を覚えた。そんなの当たり前ではと思うかも知れない。だが、韓ドラをよく見ている人ならば分かるはず、主役はいざ知らず脇役の一人や二人、見知った顔がいるのが普通なのだ。

それでその放送局BS11の番組表を確認してみたら「愛はぽろぽろ」という聞いたこともないドラマだった。出ている役者名を確認すると聞いたことのあったのは主役女優のワン・ジヘのみ。その彼女の出たドラマすら私はこれまで見たことはなかった。この「愛はぽろぽろ」は全120話で日本版は60話になっているみたい。ということは月から金まで放送される毎日ドラマ(韓国語でイルイルドラマ)のようだ。あはー、ありていに言えば二流役者が多く出るドラマで主流の週2回の月火ドラマ、水木ドラマ(ミニシリーズと言って有名ドラマはたいていこれ)ではない。事前に調べて厳選してから韓ドラを見始める私が知らないのも当然だったか。
これまでに見たイルイルドラマでは全163話(1話30分)の「がんばれ!クムスン(2005)」しかない。このドラマはミニシリーズに劣らない一流ばかりの出演で大ヒットした上に内容も優れていて感心した覚えがある。主役はハン・ヘジン。「朱蒙」の女主人公と言えば知っている人も多いだろう。可愛さと美しさ両方備えている。
ミニシリーズに直せば80話以上の長さになるということは私が見た韓ドラで一番長い時間のドラマだったということになる。次に長いのがこれも大ヒット「ホジュン(2000)」64話で、「朱蒙(2006)」は全81話のうち60話くらいまで見て挫折したままだ。一般に時代劇は50話以上が多いのでそうしたドラマはできるだけ見ないようにしている。この前の「本当に良い時代(50話)」はそうと知らず見始め途中で気が付き後半はきつかったがどうにか完走できた。

「愛はぽろぽろ」は女主人公の恋人が例によって交通事故で死んでしまうが彼女はその時妊娠していて・・という始まりらしい。なんとクムスンといっしょじゃないか。ただ違うのが恋人の心臓は大手企業グループのお御曹司に移植されたというのが大きな違いだ。え?でもその御曹司は移植後冷ややかだった性格が変わってしまい、なぜか女主人公にときめいてしまうだと?それは「冬のソナタ」の次のドラマ「夏の香り」の女主人公(ソン・イェジン)が移植を受けて性格が明るくなって男主人公(ソン・スンホン)に胸がドキドキするというのとそっくりじゃないか。うん、分かった。これで見ないですむわ。

その初老の女性は「何というドラマか名前も知らないけど見ているの」と言い、家にはたくさんのDVDやビデオがあるという。日韓関係がどうのこうのあるけれど、韓ドラは2004年の冬ソナ以降、何度かのブームを経て今は一ジャンルとして定着していると思ったことだ。

2019年10月27日日曜日

どぜう会の先輩後輩たち

昨日のイングランド対ニュージーランドは日記に書いた予想通りイングランドが勝った。エディ・ジョーンズがこの試合のために2年半準備して来たというだけあって素晴らしい内容だった。ニュージーランドの良さをよく消していた。ただニュージーランドも攻めに回った時の集中力がすごいと思った。何というかなぁ、切れ味があるんだよね。ちょっとした隙を見せるとすぐにつけ込んでくる。イングランドのラインアウトのミスからトライしたのもそうだし、決まらなかったけれどあわやの場面もあった。負けて強さをよく示した感じかな。

今夜の南ア対ウェールズは南アの自力が上回ったネ。南アってある意味守備のチームだ。とんでもなくデフェンスが強い。おまけにフォワードもパワーで押しまくる。相手チームはその圧力に徐々に劣勢を強いられ後半はトライを奪われ結局大差で負ける。この前の日本がそうだった。その点、ウェールズは頑張ったと言えよう。南アは予選リーグ初戦の対ニュージーランド戦よりかなり調子を上げて来ていて、昨日の時点ではイングランドが優勝すると思っていたが分からなくなってきた。ともかく来週の決勝が楽しみだ。

昨日はラグビーを見た後、セントラル高校出身のドクターの年1回の会「どぜう(どじょう)会」に参加した。同じテーブルに大学内視鏡グループの後輩ハマショーDrがいてあれ?彼もセントラル高出身だったっけと思った。私の3期下でそういえばそうだった気もする。この会に初参加だったのでうっかりしていた。勤務先も同じ姶良市内のカジキマグロ病院で交流もあるのにうかつだったわ。後輩で言えば1期下の下龍君は久しぶりで遠くからだと一瞬彼とは分からなかった。今は香川大の教授をしていて鹿児島に帰るのもそうそう簡単ではないそうだ。

先輩では私より9才も年上なのに再婚して子どもも出来てまだ16才の高校生故に「まだまだ仕事を頑張らなくては」と言われるマンホウDr、65才で定年だと言われていたのについ最近「定年は70才になった」と病院から言われ「目も耳もおぼつかなかくなっているのに」と愕然としている2期先輩の女医西の里さん、伝説の1期生クララ女医は「最近あちこちガタが来てゴルフも110から120でまったく情けない」と言いつつたまには手術室に入るそうで、7期先輩のロングフレンド女医は「11月22、23日に女医のための婚活をイベントを企画している」と元気がよかった。3期先輩のドツボDrは「父親が亡くなって毎週日曜は実家に行って遺品整理の日々だ。遺品をデジタル保存して思ったのが人生なんてせいぜい512ギガバイトの中に収まるもの」と思ったそうだ。ふ、悲しいような気が楽にもなるような・・。5期先輩でも学生時代は同期だったオアイコDrが今年亡くなったのは知っていたが死因が進行胃癌だったとはこの会で知った。年1回の胃カメラは受けていなかったのだろうか、胃癌で亡くなるのは少し悔しい。

幹事役で内視鏡グループの同期でもある浜ふとDrは毎年夏は登山(百名山)をしていて今年は北海道の大雪山、尾瀬の二山至仏山、燧ヶ岳(ひうちがたけ)に登ったそうだ。富士山から始まりトップ5はすでにクリア、充実した登山ライフを送っている。仕事面では最近ベトナムなど東南アジア系の患者診察が多くなり通訳も医学用語が分からなかったりで困っていたところ、パソコンでGoogle翻訳してベトナム語変換で見せたら患者が一発で「OK、分かった」と答えてくれ「あれは役に立つ」と貴重なアドバイスをもらった。青雲会病院でもちょくちょく診察する機会が増えているので試してみよう。

気が付けば2時間強の時間はあっという間、集合写真は私のカメラで撮って、LINE交換したばかりの幹事と下龍Drに早速送った。ここでも私のカメラ撮影癖が役に立っていたヨ。

2019年10月26日土曜日

ニショッコは全国区

土曜外来で今日のお付きの看護師は服裂き魔Nsだった。咽頭痛の患者が来るというので彼女は「先生、これをどうぞ」と外来にあったペンライトを手渡そうとした。しかし私はそれを拒否。「これがあるから」と自前のLED式のペンライトを手にした。「ふーん」と服裂き魔Ns。

患者が出た後、私が「外来のペンライトは旧式で暗いんだよ。ほら」と二つを比較して
写真に撮ってみた。すると服裂き魔は「こっちはニショッコみたいですね」と言った。ふん?ニッショコか。なるほど言い得て妙だ。でもニショッコって久しぶり聞いたぞ。すると彼女は「でしょう。先生は私と同じ南薩の出身だから言っても分かると思ってたんだ」とのたまった。「あれ?ニショッコって田舎言葉だって思っているみたいだけど割と全国区みたいよ」と私は言った。「えーー、鹿児島市内では言わないみたい」と彼女は言ったが、実は私も以前はそう思っていた。

漢字で書くと「二燭光」でろうそく(蝋燭)2本分の明るさの豆電球(ナツメ球)のことを指す。部屋の電球を全部消すと暗すぎるので豆電球を付けたまま寝たい時なんてよくある。そんなとき「ニショッコにして」と親に頼んだりしたものだ。でも田舎から鹿児島に出てきた時に友人らとの会話ではあまり聞かなかった。あれは家の中や田舎だけで通用する言葉・・なのかもと。でも、ネットで検索すると「修学旅行の時に周りのみんなが違う呼び方をしていて、ものすごく驚いた!先生が見回りに来るまで、この呼び方について激論を交わしたことを覚えている」なんて書いている人もいた。また、九州のほか東北でも使われたりして意外に広く使われていたようで、織田作之助などは自作で「燭光」という単語をよく使っているとか。

いずれにしても「ニショッコ(二燭光)」は堂々と使っても何の問題もない言葉だ。恥ずかしくて人前で使っていなかった人、これからは堂々と使いましょっ。

2019年10月25日金曜日

もう使えなくなる電話番号

一昨日の水曜日ほどじゃなかったが今日の外来もまずまず忙しかった。昼休み時間帯も診察をしていて、そんな時に義妹のチエコンさんから電話があった。「あ、今仕事中で、急ぐ用事かな」「いや、全然、後でまた」とだけで終わった。診察が終わった後はその件をすっかり忘れていて、夕方病院を出る前に彼女からパソコンへのメールが来ていた。

「お母さんの家の固定電話のことなんですが、解約しようと思っています。帰宅したときに使うかな?と思って、そのまま基本料金を払い続けてきました。でも、自分で掛けられなくなってしまったことや、電話を掛ける意欲も薄れてきましたし、必要が有るときは私の携帯電話でお話してもらってますので、もう不要かな、との判断です。
電話番号が無くなるのは寂しい気持ちもあり、なかなか解約に踏み切れませんでしたが、お母さんのお知り合いにも、もうご理解頂けるような状況かなと思います。今月末に手続きしようと思います。よろしいでしょうか。」
読んですぐに返信した。
「返信大いに遅れてすみません。解約全く問題ないです。もう、私の顔も忘れてしまっているくらいですから。よろしくお願い致します。」

すでに母は実家にはたまーに帰るくらいだから、もっと早く解約してくれていてもよかった。でも、母の世話はほとんどチエコンさんに任せっぱなしで、今回も嫁としての最大の気遣いをしてくれていたことにも感謝だ。今の電話番号も田舎に引っ越してから使ってきたもので12年前まではデンコーの名前で、父が亡くなってからはあこネーサの名前で登録してきた。携帯が使えなかった母に直接連絡するにはそれしかなかったが、そういえばここ1年くらいはほとんど使っていなかった。そしてこの半年は施設に入所して全く使っていなかった。

認知はあってもまだ母は元気だ。しかし少しずつお別れが近づいているんだなと思えるエピソードであった。

2019年10月24日木曜日

ガリガリ君さえあれば(救急車で運ばれずに済んだだろう)

深夜帯は居酒屋でお酒飲み過ぎて店を出たところで転倒し頭を打った初老女性が救急車S.で運ばれてきた。急性アルコール中毒に脳しんとう、本人ははっきりしない頭で「入院はいやー」と言っていたが、頭部CT検査後にそのまま入院してもらいやした。

そのまま何もなければそこそこに睡眠が取れたはずなのに、午前6時半頃救急が入ると連絡があった。高齢男性の口の中が痛いという訴えなんだそうだ。歯の痛みでもなく鼻血でもない、ちょっと珍しいパターンに思えたが、まあ受け入れることにした。本来は今晩の二次救急は隣町の某病院なんだが受け入れてもらえなかったそうだ。ふむふむ、病状の部位が口の中なんで専門外だからと拒否したのかな?まあいい、当院は歯科口腔外科もあるし、いざとなれば夜明けを待って口外に診てもらえばいいかと私は鷹揚に構えていた。

90才になろうかというその男性は歩いて救急外来にやって来て、いかにも口の中が痛そうにしていた。舌の下の粘膜が赤く腫れているんだとのこと。ならばと舌圧子を当てて見てみると小さく膿が溜まっているようで確かにこれは痛いだろう。そのまま圧子で押さえるとみるみる膿が出てきた。何が原因かは分からないがこうして排膿すれば少しは痛みも軽減されるはず。それに私は排膿する様子を見るのが好きで痛がる患者を尻目につい何度も押してしまっていた。まあこんなのは皮下に出来る膿や大腸憩室に出来る憩室炎も同じで排膿され出来れば自然に自分の体が治してくれる。わずか数分で痛みが少し和らぎ患者は落ち着いた。あと2時間もすれば歯科口腔外科の外来が開くのでそこまで待ってもらうことにした。

午前、その患者のことはすっかり忘れて内視鏡検査や入院患者、病棟患者の急変など対応し、午後はやや遅い帰宅となった。そしていつもように床でTV見ながら爆睡、気が付いたら周囲はすっかり暗くなっていた。

あの口の痛い患者は何だったのだろう。それを聞くのを忘れていた。翌日、山守先生に尋ねると、唾石(だせき)が化膿したものだったそうだ。そこの部位に出来る炎症としてはよくあるものなんだそうだ。そうなんか、やはり餅は餅屋だな。で、レントゲンで確認していた唾石を排石をしようとしたらすでに取れて無くなっていたとか。実は初日に排石したかったが抗血栓薬を服用の患者で1日休薬後に実施するつもりだった。山守先生曰く「結局、こてる先生の処置で終わっていたんですよ」なんだって。

いやいや、写真を見れば分かるように、アイスのガリガリ君を食べ終わった後の平べったい小さな棒でもあれば、小学生でも出来るごく簡単な処置だ。あのお年寄りも思いきってそうしておれば明け方に救急車で病院に行かなくて済んだだろう。ああ、ガリガリ君さえあれば・・。

2019年10月23日水曜日

忙しすぎてソファ寝、目が覚めたら・・

昨日が休みになったせいで今日は忙しかった。私だけではない、他のドクターもみんな忙しかった。どうにか14時過ぎに私の外来の「午前」の診察をストップして昼ご飯を食べに上がった。15分でまた下に降り外来を続けた。結局5人の入院があって、もう1人も入院がよさそうだったがとりあえずもう1日様子をみましょうと帰宅させた。夕方は本来は自分の検査日でない大腸内視鏡を2人もやって、一人は大腸癌、一人は憩室出血だった。その上に今晩は当直が当たっていた。もう、休むヒマなんてありゃしない。幸い救急車は準夜帯には来なかった。

となれば日本シリーズのソフトバンク対巨人を見なきゃ。ソフトバンクはすでに3連勝しているのでまあ余裕なんだが、一ファンとしてはここで1勝でも巨人に返されるといわゆる「流れ」ってヤツが向こうに行ってしまうのではないかと危惧する。30年前は近鉄が巨人にそれでやられているからね。そうそう、ソフトバンクはレギュラーシーズンはロッテに負け越しているんで誰かが間違って「巨人はロッテより弱い」なんて言い・・そうもないか。大丈夫、今のソフトバンクはどのチームが来ても負けやしない。ほうら、3点リードしている。ただその後外来と病棟に呼ばれて見ることができなかった。ただ、1点差まで追い上げられたらしいがまだリードしているようだ。外来から医局に帰ってくると4対3で9回裏2アウト。守護神の森が三振にとって試合終了、ソフトバンク日本一の胴上げが始まった。いやはや、今シリーズは強かった。怪我人や外人不在がなければレギュラーシーズンも余裕だったろうに。

満足して別番組を見始めた。「今夜くらべてみました 猫なしで生きられない」というバラエティー番組でチュートリアルの徳井義実がMCを務め、女優、女医、学者、芸人と猫好きが集まって猫動画や猫との生活を語るものだった。私も猫を飼っているので共感することも多くソファ寝しながら見ていた。しかしさすがの疲れもあって番組後半は寝入ってしまった。そのまま2時間くらい経ったろうか・・。TVは付けっぱなしだった。24時時前くらいに目が覚めると、TV画面ではまだ徳井が立って何かをしゃべっていた。あれ、なんか変だ。やけに神妙な面持ちで「私の想像を絶するだらしなさ、ルーズさで・・」としきりに謝っていた。あらら何をしでかしたんだ。猫の話じゃないのか。どうやら税金を払っていなかったみたい。それはいかん。税金を節税するのは問題ないが払うべきものはきちんとしないと。https://www.youtube.com/watch?v=fGBEr2tZlBM

ところで、「私の不徳のいたすところで」なんて言っていなかったかな。名前は徳井なのにねぇ(笑)

2019年10月22日火曜日

ゴルフ納車

今日は天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われるということで祝日になった。そのおかげで私たちは新車の受け取りに行くことが出来た。ちょうど1ヶ月前に契約し代金も払いすでに車はディーラーにあったのだが諸都合で今日になった。

新車は赤色のフォルクスワーゲン・ゴルフ7だが、実は近々ゴルフ8がドイツ本国で発表される予定というからモデル末期の車だ。私はプリウスを2台続けて新型が出て直後に購入したくらいで基本的にモデル末期の車は買わない。高い金を出してもすぐに新型が出て古くさくなるし性能も新型には及ばないことが多いからだ。しかしこのゴルフはモデル末期でも快適性能のオプション装備が値段据え置きで数多く付けられ、最初のころのゴルフ7より相当お買い得になっていた。セールスのホソザソさんが「本当にお買い得です。実は社員もこぞってこの車を買っているんです」というのも肯けるほどで、新型ポロにしようと思って試乗しに来た私たちは敢えてゴルフ7にくら替えしたのだった。買ってすぐに旧型になってしまうという点さえ気持ちを切り替えれば車格もワンランク上だし新型ポロよりも乗り心地、装備など優れていたのだった。装備については私の4年近い前のプリウスより進んでいる。

車を引き取る前に、ホソザソさんから取り扱い説明のためにゴルフに乗り込んであれやこれやを聞くことになった。これが何と1時間半くらいもかかったのよ。丁寧過ぎるゾ。途中私は後部座席でウトウトしたくらい。どうせ1回では覚えられないはず。基本カールの車で私はたまに運転する程度、実際に運転して扱ってみて徐々に慣れるはずだ。記念写真を
撮ってようやく納車は終わり、ディーラーを離れることが出来た。
先をカールのゴルフ、後から私はプリウスで付いていった。トンカツの「ジュリアン」に昼食のため寄って、カールに車の感想を聞くと「すごくいいわ。9年前のポロの時も自分にとってはいい車だと思ったけどその時と同じくらい満足」と喜んでくれ私も満足だ。

帰宅して家の駐車場に車3台縦列駐車するとぴったり収まった。青白赤とフランス国旗みたいだな。しばらくは車3台キチキチ所有で、最後尾のポロは車検まで後1ヶ月半残っていて車検後12月にはセージに譲る予定だ。早く取りに来てくれぇ〜。

2019年10月21日月曜日

息子の顔を見て、だあれ?

昨日の日曜、ギボヒサコも連れて約2ヶ月ぶりにあこネーサ母90才の見舞いに出かけた。だいたい月に1回は見舞っていたが今回は少し間が空いていた。いつもの老人施設に行くと「昨日から不在です」と言われた。ああ、チエコンさんが実家に連れて帰っているのかなと連絡すると、そのとおりで「敬老会があるから」とのことだった。地域の公民館にいると聞き、そこへ向かった。

先にカールが降りて公民館に入り、私はギボヒサコが車から出て来るのを待った。ヒサコはかなりスローモーなのでちょこっと公民館を覗きに行き、またすぐに車の近くに戻ると、彼女は男性老人につかまって何かを聞かれていた。「遅いね、どうしたん?」と聞くと「(この男性に)何班ですかって言われて、私、何班かしら」と言うので、私は呆れて「それは関係ないから、早く来て」と急がした。男性は敬老会の係らしく、ギボヒサコを敬老会参加者と勘違いしたようだ。それも無理はあるまい。部外者のヒサコがはっきりした返事をしないのが悪いんですって。

公民館玄関に着いて、少し先にカールがあこネーサ母のところにいた。でも何か戸惑っている。カールが戻って来て「お母さん、私のことが分からないの」と。うな、物忘れがひどくなってきてはいたがそこまでかなぁ。で、私があこネーサの席に行って肩を叩いて「ほら」と顔を見せた。じっと私の顔を見ている。「こてるだよ」「だいけな?(誰かな?)」「ええー、こてるを分からないの」「・・・」参った、私の顔を見ても誰かが分からない。「息子のヒラーキは分かるよね」と、つい半年まで隣の家同士だった弟の名前を出した。「はい、息子です」と答えるから「そのヒラーキのお兄さんは何て名前?」と聞くと「えー、こてるですぅ」「だからほら、そのこてるだよ」と顔を近づけると「あー、てるさん」とようやく私だと分かったようだ。「来たのねー、ほらこれを」と側にあったみかん2個を渡してくれた。だが、それ以上は会話が続かない。玄関にいるギボヒサコに会わせると「(カールさんの)お母さん、よーく来たねえ」とそれは分かったようだ。ただ実のある会話はほとんど出来なかったがー。結局、いっしょの写真だけは撮ってすぐに公民館を後にした。最後も遠くから私を見て誰だか分かっていないようだった。ただ、顔色はよく自力でも歩けるし元気そうなのはなによりだった。

その後、実家に寄ると、ちょうどチエコンさんも車で出かけるところで、「おかあさんは今の施設が以前のより相性がいいみたいで元気です」とのことだった。確かにそうだが、つい2ヶ月ほど前は私もカールもちゃんと分かっていて「よく来たナー」と言ってくれていたのにー。息子だと分かってくれなかったことは少々ショックであった。ギボヒサコもあこネーサよりはまだ7才ほど若いとはいえ軽い認知がある。5年前、二人の母親を天草ドライブ旅行に連れて行った時はどちらもしっかりしていた。行ってて本当に良かった。体も頭もしっかりしているうちに親孝行はしておくべきだ。80才を過ぎたら「認知」は待ってくれないよ。

2019年10月20日日曜日

日本対南アフリカ、決勝進出予想

あーーラグビーの日本対南アフリカ、しやーないねぇー。もしかしたらなんて思ってはみたがそんなに簡単に勝てる相手じゃなかった。しかも南アフリカが本気で日本対策を
やって来たというのがありあり分かった。ラインアウトを何度も取られるなんて見たことないし、日本のパス回しも読まれたケースがたくさんあったし、いかんせん南アの強みであるフィジカルのパワーが明らかに勝(まさ)っていた。前半は3ー5の僅差で日本のボールキープ率が8割もあったなんてアナウンサーが言っていたけど南アのデフェンスの前に全くチャンスらしいチャンスがなかった。案の定、後半はじりじり引き離され結局ノートライの完敗、常連強豪国が本気を出したらまだまだ適わないことがはっきりした。

今日の試合を見ていて南アフリカはきっと決勝まで行くと思ったわ。準決勝で対戦するウェールズはフランスの反則退場のおかげもあってやっとこさ上がって来ただけ。決勝に上がって来るのはニュージーランドかイングランドか。ここはわからないなあ。

(今、10月26日の16時40分、ニュージーランド対イングランドのキックオフ20分前だ。ラグビー王国対ラグビー母国の戦い、どっちが勝っても不思議はない。敢えて予想すれば期待も込めて雪辱に燃えるイングランドにしようか)

2019年10月19日土曜日

流される屋根にやって来た恐怖のモノとは

昨日の水害の話題の続きになるが、知り合いの宮崎出身の薬剤師に「鹿児島8・6水害」のことを話すと、「宮崎ではそんなに水害はないですけど、知り合いの人が家ごと流されて屋根につかまっていたんだそうです」と、これまた実体験話を聞くことが出来た。

「命からがら屋根につかまっていたのも怖かったんだそうですがー」というと、さらにもっと怖い事態に陥ったのか?ちょっと違う。「川の中からにょろにょろと蛇が這い上がって来たんだそうです。それがとっても怖かったとか・・」うわー、そりゃ怖いねえ。それにしてもこんな話、絶対に実際に体験しないと出てこない話だ。流木やそれこそ昨日のトラックや畳が流れるのは想像ついても、蛇は出てこない。蛇嫌いの私は絶対こんな水害には遭いたくないと思ったヨ。

午後はラグビーワールドカップの準々決勝を見た。生で見たのはニュージーランド対アイルランドで、日本に惜敗したアイルランドがどのくらいニュージーランドに頑張るかなと思っていたが、もうニュージーランドの強いこと。前半は22対0でアイルランドはほとんど手も足も出なかった。こりゃー日本がこの試合に出ていたら惨めなことになっていたわ。(となれば予選リーグでニュージーランドと接戦を演じた南アフリカもかなり強いって分かる)後半、アイルランドはトライを取ることが出来たがそれもやっとこさで、結局46対14の大差でニュージーランドに敗れた。準決勝はニュージーランドはオーストラリアを同じように大差で破ったイングランドと対決する。こいつは面白い試合になりそうだ。正直どっちが勝つか分からない。ちょっとした差が勝敗を分けるだろう。

おっとそうだ、ラグビーの裏では日本シリーズのソフトバンク対巨人をやっていた。ちょくちょく確認していたが最初は投手戦も終盤、投手力が劣る巨人はソフトバンクに打ち込まれていた。うし!ソフトバンクの勝ちは動かない。いいぞ。後日視聴率を調べたら、ラグビーが16.5%で日本シリーズが8.4%だったとか。一昔前だったら視聴率で野球がラグビーに負けるしかもほぼダブルスコアでなんて考えられなかった。でもソフトバンクファンの私がラグビーを見るくらいだからそれくらいみんなも注目するようになったってこと、それと世界最高峰の試合はどの競技でも魅せるものがあるということだ。

ここまで盛り上がって、明日の日本対南アフリカ戦もおそらく今期最高視聴率を更新するくらい注目を集めるはず。勝つのは厳しいだろうが大いに楽しみである。

2019年10月18日金曜日

「8・6水害」から「岩永三五郎」へ

昼食時の食堂で、ピッピDr、歯科口腔外科の三口川Drと「この前の台風被害は大変でしたね」という会話になった。三口川Drの故郷は長野と知っていたので「大丈夫でしたか」と尋ねると「私は実家は松本でそれほど被害はなかったみたいです」とのことだった。そこから話が広がり、さらに医局に戻って「鹿児島も平成5年の8・6水害(8・1水害と9・3の台風13号含む)では100名近く被害者が出たんですよ。鹿児島では誰もが知っている風水害です」と教えた。

ただ私はその時は沖縄長期出張中でTVで「すごいことになっている」と眺めるだけだった。ピッピDrは「大学病院にいましたから私は何もなかったですけど、ちょうど当直に行く必要のあったDrたちは車が浸かったって言ってましたね」と語ってくれ、ちょうど医局にやって来た眼科のワラノDrにも「8・6の時はどうしてました?」と尋ねてみた。するとだ、私らの期待以上の話が彼にはあった。

「私は実家が草牟田なんで、家は2m浸かってしまって2階に避難していました」と。Wikipediaで「8・6水害」を調べると、「・・甲突川沿いを通る国道3号は鹿児島市草牟田付近で深さ約2mの水に浸かり、鹿児島市小山田町付近も渓岸浸食により、大きく陥没するなどして長期間にわたって通行止めとなった」と一番浸水の大きかった地域として書かれている。「どんどん水が上がって来るんで怖かったですよ」「2階の窓から見ていると、お爺さんがですね、上流から流されて来ました」「はあ?」「畳に必死につかまって・・」「それで」「それでそのまま流されちゃたんですがどうなったかは分からないです。どこかに引っかかって助かっていたらいいんですが」

はあ、何とリアル、実際に体験した人でないと出てこない話だ。家族の被害はなかったが車3台すべて廃車になったとのこと。1階はその後来た台風でまた浸かったそうだがその時はもう驚かなかったとか。家は建て直さずリフォームしたんだそうだ。「反対岸の原良あたりは区画整理にもなってすごく上等に生まれ変わりましたが、草牟田はそうはならず昔のままです。1階を1mくらい底上げして建て直すくらいで河川工事があったけどまたあれくらいの水害になれば浸かるかも・・」と微笑んでいた。3号線沿いは1階を駐車場にして2階に住居を構えるようにしているのをよく見かける。一度でもひどい目にあったら何らかの対策はするわな。

また、草牟田近くの江戸時代からの五石橋の一つ新上橋は流失してしまった(最下流の武之橋も)。近くに住む私の友人バンバ君は「何か大きな音がしてトラックかコンテナのようなのが当たって破壊されたみたいよ」と当時電話した私に語ってくれた。また「今な、このあたりは臭いがひどいぞ。ベトナムの臭い川のような・・」とやや差別的な表現をしていた。私は東南アジアには行ったことがないのでどんなものかは知らない。でもワラノDrが「ああ、あの下水のような臭いですね。分かります」とのこと。これも実体験した人同士でないと分からないものだ。

話はその後、五石橋に移り、廃橋問題が本格化して無事だった玉江橋、西田橋、高麗橋はすったもんだの末撤去され、新たに鹿児島水族館近くの石橋記念公園に移設されてしまった。三口川Drは「石橋公園は行きましたよ」と子どもを連れて遊んだことがあるそうだ。私も一度だけ子連れで行ったことがある。現地保存にこだわった人たちもいたが、これで良かったと思う。で、私が「石橋を造った確か岩永三五郎だったっけ、浮かばれるなぁ」と言うと、ピッピDr始め「うん?誰ですか、それ」という反応だ。「あれ、知らない、岩永三五郎だったはずよ、熊本の石工で、江戸時代の」「知らない」「聞いたことない」「えー、知らないかなぁ。小学校の社会の教科書にも出ていた気がするけど」私は後から医局に来た信号Drにも「知りません?」と尋ねたが「聞いたことがあるような」ぐらいでみんな知らないようだった。うーむ、ネットで確認すると間違いなく岩永三五郎だった。ちなみに「薩摩の秘密を知りすぎて殺されたのでは?」という質問には、無事今の八代に帰郷出来たそうでなによりであった。100年以上も現役の橋として使われ続けた偉大な石橋を造った偉人を忘れてはなるまいナ。

(追記:実は「肥後の石工(1965年)」という有名な児童文学があり、私は読んだことはないがその主人公が岩永三五郎である。薩摩側の暗殺問題が物語に重要な役割を果たし三五郎の仲間は皆殺されたということになっているが事実は違うようだ。ただ、そうした問題は現実にもあって三五郎は部下を何かと理由をつけて早目に故郷に帰していたそうである。また「石橋には要になる石を取り外すと全体が崩れ落ちるような特殊な仕掛けが施されていた」とよく言われる話も創作だと思われる)

2019年10月17日木曜日

格安スマホにする理由、しない理由

私やカール、チッチの3人はいわゆる格安スマホの楽天モバイルに加入して2年半が経った。それで年間のスマホ代がいくらかかっているのか少し気になり調べてみた。すると私が容量5Gの契約で年18550円、チッチが3Gで29077円、カールも3Gで33615円。3人合計で81242円だった。私の方が基本契約料が少し高いのにそうでない2人より少なく済んでいるのは一つは楽天カードをよく利用していてポイント加算で時にはその月の支払いがゼロなんてこともあるからだ。カールはポイントが少なく一番高くなっている。

毎月の支払いに直すと私が1545円、チッチが2423円、カールが2801円と安い。一般に大手3社(キャリア)の月の支払いは最低7、8千円はあるのじゃないだろうか。相当な差額にみえるが、キャリアの料金にはスマホ機種代も2年24分割して含まれている。例えば一般的なiPhoneだと8万から10万くらいする。私たちは2年半前に別途購入していたのでその料金が加わる。一番安いiPhoneSE(5〜6万)にしているので最初の2年間で比較すれば約2500円くらいの支払いをプラスしなくてはいけない。すると月の支払いは私が4045円、チッチが4923円、カールが6301円になる。それでも対キャリアより月に3〜5千円は安い。2年を過ぎているのでその差はもっと大きくなっている。携帯、通信代に多くの人は余計に払い過ぎじゃないでしょーかと言いたいわけだ。

ただそんな格安モバイル(MVNO=仮想移動体通信事業者)にも弱点はある。まず大手の通信設備を借りているため、契約者のユーザー数に合わせて借りる量を抑え、1人あたりの通信回線利用量をコントロールすることで低廉なサービスを提供している事情から急な通信量の増大には弱い。MVNOは日中や都市部などで「通信が遅い」と言われるのはそのためだ。私も4G回線利用時にそれを感じる時がある。さらに問題はこの前の台風19号のような災害時の時で、大手キャリアは被災地域の契約者に対しデータ通信に関する制限をなくし「安心してスマホに頼れる」態勢を作るようになっている。だが、MVNOにはそれがない、もしくは対策が遅れる場合が多い。これはもしやの際に命に関わることもあり気になるところだ。

またMVNOは純粋な電話かけ放題には対応していない。楽天で言えば10分間のみかけ放題サービスはある。電話で商売相手などと長話する必要のある人は向かないかも。ただ、最近はLINE通話などネット回線での通話も可能でLINE交換している者同士なら実質ほぼ無制限に会話は出来る。近い者同士の電話がメインならこの点はあまり気にしなくてもいいだろう。

つい最近、スマホを使い倒しているチッチがiPhoneSEに限界を感じ、最新型iPhone11へ新調した。頼まれ支払ったのは私である。9万近い出費になったがキャリアで同機種を使うのに比べ1年と10ヶ月で元を取れる計算だ。これまで2年半、安い機種でしかも格安通信代で十分に元を取っている。iPhone11は最新版だからチッチには3年くらいは使ってもらわねばナ。スマホは便利だが通信代として考えるとずいぶんお金を掛けすぎていると思うゆえ、私たち家族は結局格安スマホを使っているワケなのだ。

2019年10月16日水曜日

14年ぶりの感謝

今日は循環器内科の子作りDrが確か学会で休んでいた。そのため日頃はあまり診ない心臓、血管系の患者を診察することが多かった。その中に60代半ばの女性がいた。軽く診察し処方を出したところで、患者が「あの時は先生に助けてもらって・・」とお礼を言って来た。はて?いつのどのような診療のこと?

聞けば「14年前の大動脈瘤解離です」と正確な物言いだ。その頃のカルテは紙カルテで12年前から始まった電子カルテには記録が残っていない。患者によれば「鹿児島医療センターまで救急車で付き添ってくれました」とのことで、2005年で私が胸部大動脈瘤解離にたずさわったとなれば確かに夜間救急の時くらいしかない。あはー、思い出した。夜明けに近い頃運ばれ、元無か毛レントゲン技師に来てもらい造影CTまでしてほぼ確定診断をしてから送ったんだった。その際、医療センターのドクターに「ほう、(すでに造影剤用の)耐圧チューブをしている」と感心されたのが印象に残っていた。その後その患者がどうなったのか全く記憶がなかった。たいていは返書が来るものだが・・。

患者の記憶では2005年5月だったとのことで、その頃の「こてる日記」を検索してみた。そんなエピソードならきっと「こてる日記」に書いているいるだろう。すると、あった。読むと、その日の夜は2人の超重症の女性患者(くも膜下出血、胸部腹部大動脈瘤解離)が救急で運ばれていた。空きベッドが一床しかなくそれも夕方の入院希望患者を断っていたからこそ受け入れ可能になっていた。その日の日記(2005/5/20)の後半部分を以下に再掲しよう。

「・・・やれやれと当直室のベッドでまどろんでいたらすでに明るくなり始め、また救急携帯に起こされた。

背中が痛いからと救急要請した中年女性だった。 もう入院させられる余裕はないから引き受けるのは躊躇したが、 診察のみですむ程度の痛みということもあるし、まあ診てみないとわからない。 でも運ばれてきた様子を見てイヤな予感がした。もしかすると相当重症かもしれないぞ。 血圧も高いし痛がり方が半端じゃない。心筋梗塞でないことは症状、心電図で察しが付いた。「大動脈解離」以外なら大したことはない。痛み止めや湿布のみで帰宅させられる・・。 

その診断をつけるには胸部レントゲンや胸部CTがどうしても必要だ。 頭部CTは私でも撮影出来るがこうなるとレントゲン技師を呼ばねばならない。 ここは決断した。 結果、胸部だけでなく腹部にも及ぶ解離性大動脈瘤だった。うわっ。 鹿児島の循環器専門病院へ即転送となった。久しぶりに救急車に乗った。

青雲病院に帰って来た時にはすでに朝の始業時間だった。 聞けば、くも膜下出血の人は意識レベルが上がり手術することになったと言う。 それは良かった。一床はまさにこの人のためにあった。だが感慨にふける余裕はなかった。

すぐに仕事は始まり、可愛いんだ理事長に「感心やなあ」と珍しくお誉めの言葉をかけられたがー。 理事長は容赦することなく次から次へと要内視鏡の患者を送ってきたのだった。」

まさにこの患者さんのことだ。「助けていただいて本当にありがとうございます。お礼を言いたかったのですが、実は手術を二度もすることになって半年も入院していたんです」と。そしてその後はずっと鹿児島医療センターがかかり付けで、つい半年ほど前に「地元の病院の通院でいいでしょう」と循環器内科の子作りDrに逆紹介されていた。だから私とは会えていなかった。すっかり忘れていた患者さんではあるが、話を聞いて嬉しいと同時に「これはまたこてる日記ネタだぁ」といっしょに記念の写真を撮ったのだった。

2019年10月15日火曜日

前振りの長いスピーチ

朝礼スピーチはほぼ順調に終えることが出来た。還暦の話だけでは面白くないので最後は久しぶりにボウリング動画を見せた。というのも、ここ2年ほど新しく入って来た職員は私がボウリングをするということすら知らないようだからだ。この私に「へ?先生、ボウリングされるんですか?」と言うヤカラが出てきた。以前はスピーチのたび、何かにかこつけては最後はボウリング動画というのを続けていた。ちょうど2年くらい前からそれを止めていたのがいけなかったらしい。

動画ではまずは大きくフックさせてのきれいなストライク、次は6ー7ー10スプリット、その次は4ー7ー10スプリットをメイクするのを見せた。みんなホーと拍手だ。そして3年前に見せたパーフェクト達成の10フレ3投をまた見せた。最後は串木野ゴールデンボウルについ最近まで飾られていたパーフェクト達成パネルの写真で締めた。いつもより拍手が多かったナ。

終わって外来のズッシリ副師長から「センセ。今日のスピーチ、ずいぶん前振りが長かったですネ」とか、内視鏡室の佳及Nsからも「あれはボウリングを見せるのが主だったですね」と言われた。いやいや、ちゃんと見て聴いただろ、3/4は還暦にまつわる話だったはず。ボウリングは最後の2分くらいだった。可愛いんだ理事長は「不惑の年に青雲会に来て医師として本当に良かった」と言った部分が嬉しく思ったとのことで、そうそうそれがまともな感想だ。決してボウリングが上手いなんてアピールしたわけじゃないンですよ。ハハ。

2019年10月14日月曜日

「耳順」にふさわしくない写真とは

台風19号での被害、雨がもらたす水の脅威に今さらながら驚く。そんな中、とても小さなニュースに、家族4人で住む自宅から消防ボートで救出されたという中学1年生の男子生徒の行動があった。生徒は「ネコを飼っているので避難できなかった。午前1時くらいに停電して、1階を見に行ったら玄関から水が入ってきているのに気づいた」という。壁からも水が噴き出し2階へ避難。「階段が1段ずつ水没して水面が迫ってくるのでどうなるかと思った」と振り返ったそうだ。

いやー、分かるわ。私たちもゲンちゃんを置いて逃げるなんて考えられない。イヌやネコを飼っていない人には分からないかもしれないが・・。

今日は休日でゆっくり出来るはずだったが、明日また朝礼スピーチがありそのスライド作成に追われた。前回6月は「人生の節目を振り返る〜結婚編〜」だった。で、今回はその流れで「人生の節目を振り返る〜還暦編〜」にするというのだけは決めていた。でも1枚目を作って数日、なかなか先へ進めない。還暦までの自分の歴史と今後どう生きていくかを語ればいいだろうと考えるがどうにもまとまらなくて。

それでふと思ったのが論語にある孔子の人生の節目を振り返った有名な言葉だ。
「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」
現代語訳すれば「 私は十五才になったとき、学事に心が向かうようになった。三十才に至って独りで立つことができた。やがて四十才のとき、自信が揺るがず、もう惑うことがなくなった。五十才を迎えたとき、天が私に与えた使命を自覚し奮闘することとなった。〔その後、苦難の道を歩んだ経験からか、〕六十才にもなると、他人のことばを聞くとその細かい気持ちまで分かるようになった。そして、七十のこの年、自分のこころの求めるままに行動をしても、規定・規範からはずれるというようなことがなくなった。」といったところか。

15、6才で自分の意思ではないにしろ医学部を目指し、30才で結婚独立したものの医師としての自分にいろいろ迷いがあり40才になって大学を辞め今の病院に入り臨床医としてやっていこうと決め、50才で内視鏡や地域医療が自分の仕事だとはっきり言えるようになり、そして60才還暦と、なんだか孔子と同じような人生じゃないか、そうだこれを対比して語ろうと考えた。孔子の言葉から15を「志学」30を「而立」40を「不惑(これは今でもよく使われる)」、50を「天命」、60を「耳順」、70を「従心」と呼ぶ。今は耳順(じじゅん)と言うそうだ。しかしその意味通りに自分が出来ているか?と言われれば・・うーん、全く出来ていない。

例えばつい1ヶ月半ほど前のこと、某患者の家族の初老男性と外来処置室ですごい言い合いになったことがあった。私の電話での応対がなっていないと言うのだ。ある意味忠告してくれたのだが素直には聞けず反発した。そのままだと本当のケンカになってしまいそうなくらいで、側にいた外来看護師らに私は止められその場は収まった。「耳順」の境地だなんてとんでもなく、孔子になぞらえるなど身の程知らず、おこがましいったらありゃしない。ふんふん、話としてはこの線でいい。でも、できればその口論している画像が欲しいな。

それで、その時私を止めてくれた看護師のチュンジョー君と再現写真を撮りたいと思った。でも彼が今日の日当直看護師でいてくれれば可能だが休みだったら諦めるしかない。そう思って病院に電話を掛けた。すると、何と今日は勤務しているという。ほー!これは今から写真を撮りに行けという天命だ、事情を話してすぐに出かけた。それで撮ったのが下の写真だ。口論相手は一般人のおっさんがよかったのだが休みゆえそんな余裕はなく事務当直のショータ君にやってもらい、写真はレントゲン技師のソラナリ君に頼んだ。ややオーバーな表情だが再現ビデオや写真は分かりやすくが一番だからネ!

2019年10月13日日曜日

打ちながら見る

おそらくは日本人の半数以上は見たよね、ラグビーワールドカップの日本対スコットランド戦。勝てばもちろん予選リーグ突破し自動的にベスト8に入るし、引き分けでもOKで例え負けても進出も可能性あると散々言われていた。こういった対戦予想が出来ること自体、日本の実力が上がって来たんだなと実感する。

そもそもこれまではワールドカップで相手国に勝つということ自体が大変なことだった。それくらいラグビーって力の差がはっきり出やすいスポーツで、例えば6対4の力量差だとしたら「4」の方はサッカーなら何回に1回は勝てる。野球もそう。しかしラグビーでは40対6くらいのスコアになって「6」には全く歯が立たない。今大会もスコットランドはアイルランドに3対27で敗れたのにサモアには34対0でロシアには61対0で勝っている。少しでも差があれば圧勝するスポーツなんだ。そうそう、スコットランドに圧勝したアイルランドですら対ニュージーランドだと1905年に初対戦後31回試合して勝利はたった2勝でそれもここ数年前に初めて勝ったというくらいの差だったのだ。驚くよね。

そんな大一番を迎えるとあってTVの前に正座して観戦したのかというと、それがそれがトンデモナイ。私たちは昼過ぎから見せたまえ部屋での麻雀に興じていたのだ。いや、TVは付けっぱなしでまずはソフトバンク対西武のCS第4戦、次いで巨人対阪神の第4戦を見ていた。私とサブアラドDrがソフトバンクファン、見せたまえ、腹出しDrが巨人ファンでまあどちらも推しチームが日本シリーズ進出決定で満足な結果だった。それで夜のワールドカップだったわけだが、これがもう気が散ること。ワーッ!という歓声とアナウンサーの絶叫にしばしばプレイが中断し、私なんぞTV見ながらリーチに対し完全安全牌を切らずにさっき通った普通安牌を切ったら、脇の見せたまえからのダマ5200に放銃するなど散々だった。

それでも日本は前半14点差付けて、後半開始早々に1トライ追加し計4トライのボーナスポイントが入って「これはもう勝った」と麻雀に集中していた。ところがさすがは伝統国のスコットランド、2トライを上げ7点差まで追いついて来たじゃない。また気が散って来たよ。それは私だけじゃなくて防戦一方になった残り15分はみんなの意見で麻雀を中断した。みんなもいっしょだったと思うがこの十数分の長く感じたこと!負けても7点差までなら進出出来るので取られるのが2トライまでならいいのだがそんな余裕はなかった。ちょっとでも隙を見せればやられる感じがラグビーにはある。緊張感が10分以上続くって疲れるわー。しかし残り1分になってさすがに勝利を確信し日本のキックで勝った時はみんな拍手拍手。見せたまえは立ち上がって喜んでいた。いやー、良かった良かった。

麻雀は前半はずっとトップを走っていたのに中盤の集中力切れもあってどうにか勝ち分はあった。それよりこのところ調子が悪い腹出しがこのままでは済まないと日付が変わってももう半荘2回を主張したもののやはり挽回出来ず、今日は一人負けでしかも3連敗を喫してしまった。麻雀強者を自認する彼にしたらなかなか納得出来なかったのかも。まあそれでも今年のトータルでは十分に勝っているし、たまにはこんなこともあっていいじゃない。

今日はソフトバンクも勝ったし日本も勝ったし私も勝った。満足じゃ。

2019年10月12日土曜日

むっちゃんの死をムダにしないために

南日本新聞の朝刊の死亡広告欄に「夫 猪俣睦彦はかねて病気療養中でありましたが・・」とあった。うん?「猪俣睦彦」ってあの「むっちゃん」か?MBC放送のタレントでTVによく出ていたし、鹿児島ではTVCMでの「カライモアメは、やっぱぁぃ、ふじやあめで〜ぇ〜す」で有名だった。そんな単に死亡広告だけで済むはずがないとめくると、やはりきちんとした新聞記事が出ていた。73才だったんだ。だとすればあの時は40才だったのか。

それは私が医師1年目の研修医で、3ヶ月間だけ「かしましい病院」での外科研修をしていた頃、「むっちゃん」が入院していると聞いた。今は故人となった外科の迫田晃郎院長の回診についていると、そこにえらく眉毛の濃い丸っこい眼をした男性患者がいて、それがむっちゃんだった。あれ、TVで見るよりずっと南方系の顔だなと思った。今なら「縄文人顔」とでも言うべきか。その場で迫田院長に「うん、これなら本格的な手術をしなくても大丈夫やろ」と言われ、むっちゃんはほっと嬉しそうな顔をしていた。その直後、院長が「カライモ飴を食べていれば治っが(治るよ)」とニヤリと言い放ち、むっちゃんも破顔一笑していた。側に付いていた奥さんがふくよかな方でいっしょに笑っていた。

新聞によると死因は大腸癌だとか。うーん、胃癌大腸癌は罹患するのは防げないかもしれないが定期健診など受ければ命までは取られないで済む疾患だ。40才を過ぎたら何も症状がなくても胃カメラや大腸内視鏡を受けることをお勧めしたい。大腸内視鏡は毎年なんていらない、極論なら10年に1回でもいい。一度でも大腸内視鏡を受けたことがある人は大腸癌で死ぬ確率ががくんと減る。症状(血便など)があってからだとすでに進行癌ということもよくある。つい一昨日受けた50才代の人がそうだった。それと大腸癌は進行癌でもかなりの人が手術を受ければ助かる。みんなめんどくさがらずに一度でいいから大腸内視鏡を受けることをお勧めする。検査が痛いかもって?そんなことはない。検査が終わった人はたいてい皆喜ぶ。妙にすっきりした気分になるようだ。便もスッキリ気分もスッキリ。みんな大腸内視鏡検査を受けてみよう。

2019年10月11日金曜日

久々の大勝じゃ

夜は串木野でのトリオリーグ戦、海広しDrが都合で参加出来なくて私とサンシさんに加え難ガターさんに出てもらった。ビッグオーシャンチームはメンバーが転勤などでこの4人しかおらず時には2人しか参加出来ないこともある。難ガターさんは腰痛も出やすいのでこの日のために火曜日の練習も休んでもらってぶっつけ本番だった。

使用レーンは15、16で串木野ゴールデンボウルでは一番端っこのレーンだ。実はこれが幸いした。ここのリーグ戦は対戦相手は2チームか3チームだが必ず別のレーンで投げている。今日は3チームで相手は5、6レーン、9、10レーン13、14レーンで投げていた。そしてそのどのチームもスコアが伸びていなかった。私たちは250点以上取れていていつもはそれくらいでも負けることも多いのに相手はそれ以下スコアにとどまっていた。それで8勝1敗、3ゲームトータル点でも全勝で11勝1敗獲得ポイント1002点で久々の大勝だった。同じレーンで投げていた別のチームも調子良くそちらは12勝0敗の完勝だった。どうやら私たち以外のレーンはコンディションが荒れてストライクを取るのが難しかったようだ。端っこのレーンは一般ボウラーがあまり投げないことが多くそれでコンディションが良かったようなのだ。

それに難ガターさんがストライクをよく取ってくれた。彼はレーン奥でオイルが枯れているとストライクが出ないのだが今日のコンディションは彼によく合っていた。終わって若干腰に響いたようだがしばらくは休んでもらってもいい。ふぅー良かった良かった。帰宅したらゲンちゃんが気持ちよさそうに寝ていた。お前はいつもお気楽でいいなぁ。

2019年10月10日木曜日

飛行機の側で訓練です

2年ぶりに鹿児島空港の災害訓練に参加した。私のほかは前回も参加したキコ様Nsに初参加のリバサイシ君Nsで私の車でいっしょに向かった。天気がとてもよくて霧島連山がくっきり、登山日和だったんじゃないかな。
今年は訓練に本物の飛行機を使うというのが多分初めてだったと思う。消防車が来て放水したり看護学生も機体の下で倒れている真似をしたりしていた。
訓練は姶良郡医師会だけではなく、最初は消防から、警察、自衛隊ほか多数の組織と人が訓練を始めた。私たちは最初にトリアージ(重症度分別)された被災者たちをトリアージ別のテント内でもう一度診察する役目だ。看護学校の生徒らが被災者の役目で運ばれ事前にどのような病態、被災かがネームプレートに記されていている。中には症状をいろいろ訴える人もいてそれなりに臨場感がある。私たちはDーMAT(Disaster Medical Assistance Team災害派遣医療チーム)の指示で黄色テントに入った。最初は簡単に済んでいたがどんどん運ばれてきて20名を越え、最後は消火活動をしていて炎と油にやられたと二次災害の消防隊員も2名やって来たヨ。ちょいと忙しかったわい。でも赤テントの方が救急車搬送の人も多くて大変そうだった。1時間以上はあっと過ぎ、少し日焼けもしてしまった。それに喉も渇いた。閉会の式が終わったら帰りがけのコンビニで水分補給。500mlを飲んだらようやく落ち着いた。(↓は忙しそうな赤テント内)

夕方のローカルニュースでこの訓練は紹介されていたそうだが、私が映っていたという話はなかった。黄色テントは見た目が地味でTVカメラも来なかったもん、ま、しゃーないです。

2019年10月9日水曜日

もやもや診療

(夜、床寝してしまってその後肌寒さで未明に起きた。日記を書いていない。寒いと落ち着いて書けない。以下、今日は簡単に済ませます)

近くのクリニックから紹介された40代男性をいろいろ検査し「左胸にミスが溜まっている。肝や脾臓も腫れているから入院をしたほうがいい」と説明した。しかし「会社と相談してからでいいですか」と言われたので了承し待つことにした。だが結局この患者さん来なかったし連絡もなかった。こっちから「何が何でも入院しに来なさい」なんて電話連絡するほど状態悪化しているわけでもないしそのままにしている。でも気になるので、数日後紹介医に返信を書き診療情報提供書を送った。またそこを受診した場合にも備えてだ。まだ40代と若いから入院が嫌だったのかもしれないし、「自分はそこまで悪いはずがない・・」などと考えいるのかもしれない。また受診してくれるとしたら症状改善せず悪化した場合くらいか。それもいい事態とは言えないしー。

ちょっともやもやした気分が残る診療であった。

2019年10月8日火曜日

君たちは監視されている

病院の医局の出入り口はオートロックになっている。そのため各ドクターには開閉のためのキーを持たせてあるのだが、出入りの回数が頻繁でいちいち鍵の開け閉めをするのは面倒だ。それでドアが閉まらないようにドアストッパーをはめている。となると、誰でも簡単に出入り出来ることになる。午前の時間帯、ドクターもカルテ作業補助員も誰もいない時間帯が時にあり、これは少し不用心ではないかとの指摘が職員からあった。

「ストッパー外してきちんとオートロックさせよう」との意見もあったが現状のほうが便利ゆえに監視カメラを付けることになった。医局の天井から出入り口を映していてこれは外来や守衛室のモニターで観察出来る。もちろん自動記録もされている。それで私は外来に寄って確認すると、画素数は高いとはいえないが誰がいるのかはすぐに分かった。信号Drが通り過ぎた後、福香さんが電話の近くで何か書類を触っていた。これを見て私は医局電話に内線通話を掛けた。

「あなたは福香さんですね」「はい」「電話の側で何を触っているんですか」「は?」「ちゃんと見えてますよ」「あーーっ」

この後、山の神さんも来たので「二人して手を振ってけろ」とリクエストすると乗りが良くちゃんとやってくれた。ふふ、君たち、時々監視しているからねー。

2019年10月7日月曜日

「W-君と僕の世界-」に引き込まれる

すっかり韓ドラづいた私は、現在「太陽の末裔(2016)」「甘い生活(2008)」を見ながらも一旦休止し、イ・ジョンソクとハン・ヒョジュ主演の「W-君と僕の世界-(2016)」を見始めた。これが前2作よりはるかに面白い。全24話(実質は16話)のうち一気に6話まで見た。ここ10年ほど韓ドラで目立つファンタジードラマで、何と漫画の世界にまぎれ込んだハン・ヒョジュがその主人公のイ・ジョンソクと恋愛関係になるという設定である。ファンタジーにすればウケるととはいえ、当初そこまでやるかと私は手を出していなかった。

しかし、「春のワルツ(2006)」「一枝梅(2008)」「華麗なる遺産(2009)」で見たハン・ヒョジュ(「トンイ(2010)」の主人公でもある)がお気に入り女優で、イ・ジョンソクも「シークレット・ガーデン(2010)」「君の声が聞こえる(2013)」で見たことがあり、若手の中ではキム・スヒョンと並んで実力派の信用おける俳優なので見てみようと思った。すると、ハン・ヒョジュが漫画の世界に引き込まれても違和感なく見続けられ、単なるファンタジーラブコメではなくサスペンス、ミステリー、時にはホラーの要素もあり、私の方が引き込まれてしまった。

また、漫画の世界から抜け出したくて、「つづく」というシーンを自ら演出、演技すれば戻れると気付いたハン・ヒョジュが、イ・ジョンソクにいきなりビンタを食らわすシーンは笑えた。それでもダメならと続けていきなりキス。イ・ジョンソクも周囲もあっけにとられる。それでようやく現実世界に戻れるが、キスしたことで漫画の主人公への思いが募るようになる。ついでに言うとこのシーンのハン・ヒョジュのロングヘアはいいネ。https://www.youtube.com/watch?v=VU3jnenKN3I

このドラマ、ハン・ヒョジュ本人もインタビューで「とにかくキスシーンが多くて」と語っていたが、物語中盤で拘置所に入れられたハン・ヒョジュとイ・ジョンソクとのキスシーンは手錠キスと呼ばれ話題にもなった。またイ・ジョンソクはこの年のMBCドラマ演技大賞をこの作品で取り、ますますトップ俳優の地位を固めた。(ハン・ヒョジュが手錠をしたまま首に手を回しキスする)

それと、劇中思わずニヤリとしたのが、イ・ジョンソクの第5話/全24話でのセリフだ。出張で「釜山に寄りそれからニューヨークに行く」と言うとハン・ヒョジュが心配そうに「気をつけて」と言う。その時に怪訝な表情で「オレが死ぬとか?列車の脱線や飛行機テロ?」と答える。
あはは、飛行機テロは分かるよね。でも列車の脱線ってこれは同時期に興行されその年最大のヒット(観客動員何と1156万人)となったコン・ユ主演の映画「新感染 ファイナル・エクスプレス(原題は『釜山行き』)」のネタそのものもだ。調べるとこの二つの作品、開始日が2016年7月20日と全く同じ日だった。そこにくすぐりを入れてきている。分かる人には分かるってネタ。「新感染」は広島に行ったおおばばMRが最後に「先生、面白いからぜひ見て下さい」と言われるもまだ見てはいない。近いうちに見なくちゃナ。

いやはや、7月のコン・ユ主演「トッケビ」から始まった韓ドラ熱、鎮まるどころかあちこち飛び火してしまいそうだわい。

2019年10月6日日曜日

今夜はカールと夕食を

今日の夕食はグラタンをギボヒサコの分だけ買って食べさせた。今度は私は食べない。カールが19時12分の新幹線で帰って来るので中央駅まで迎えに行き、せっかくだからアミュでいっしょに夕食を摂ろうと目論んだのだ。改札口を出て来るカールを待ってその瞬間を写真に撮った。
駅の外で待っていると思って急ぎ足で歩くのを後ろから肩をポン!「まあ」ってびっくり。「あは、驚いた?ご飯食べよう」と5階へ向かった。ただ、カールがどのくらいお腹が空いているか何を食べたいかも分からない。彼女も迷って結局「肉食堂レッドミート」という店を選んだ。名前からして肉料理の店なんだろうがどんなのがあるんだろう。で、メニューから名物料理らしい「マウンテンローストビーフ丼」Lサイズを選んだ。山盛りになったご飯をローストビーフで被った代物で初めて見た。これを二人で分けて食べ、まあ半分以上は私が食べた。カールはもう一つ頼んだサラダくらいでも十分だったみたい。

食べながらの会話は、私は当然ギボヒサコのことでカールは「はあ、そうね」とため息。彼女はというと幼稚園から中学高校までいっしょだったという女友だちらを「大人になってもさー、人って変わらないんだよねー」と。すぐに体の調子が悪いという癖のある友人はやっぱり足が痛いだの腰が痛いだの言い出すし、自分は天然ボケをみんなから指摘されるしで何だか可笑しかったとか。5人のうち2人は離婚経験者というのもいかにも今風だ。みんなおおよそ子育ても終わった時期だからこそ久々に小旅行が出来たんだな。疲れたと言いながらも満足気ではあった。よし、今度は私といっしょに行こうナ。

2019年10月5日土曜日

出血性ショックの原因は・・

アミュプラザで本の立ち読みなどしていたら病院から緊急連絡が入った。心肺停止で運ばれた患者が心拍戻るもヘモグロビンが4程度で吐血があった模様、上部消化管内視鏡をできないかというものだった。意識はまったく戻っておらず血圧も計れないほどと聞き、駆けつけるべきか迷った。こんなケースの場合はもっと状態を良くしてからの検査が望ましい。ただ、この人が例えば胃潰瘍の出血で急なショックで心肺停止したのならば再出血を防ぐため内視鏡で止血処置しておくのは一応理に適(かな)っている。今は土曜の15時頃で向かうとしたら今のタイミングがベターだ。夜中や人手も足りないし明日だとすでに亡くなってしまっているかもしれない。

で、やると決断し、高速で病院に向かった。救急外来室に患者は寝かされていて、動かすのもリスクあるとのことでその場で内視鏡を開始した。輸血も依頼していたがまだ届いていなかった。スコープを挿入すると食道からは出血していないのは分かった。胃の中はというと血液は見えるが食物残渣が多く出血源がどこかは分からない。こんなんじゃやっとれんよと思いつつも、少しずつ残渣を吸引し観察を続けた。ある程度見えるようになって出血源を探すがどうにも見つからなかった。十二指腸も問題ない。結局、私の診断は上部消化管からの出血ではない、だった。聞けば、本人はずっと鼻血が止まらず昨日耳鼻科受診するも、認知のせいで経鼻内視鏡の精査を拒否し、止血処置を受けていなかったそうだ。それにしても心停止するほど出血するものなのか。可能性はある。鼻血は動脈性の出血だ。2日近く出続ければショックを起こしこうなることも考えられた。輸血も行い入院の手続きを当直医がしていたが、私が病院を出てしばらくに亡くなったそうである。

帰宅前に例によってギボヒサコの様子を電話で聞いた。「ううん、お腹空いていないよ」というので、「小さなかしわ飯」と「とろ〜りチーズのエビグラタン」を買って帰った。前者をヒサコに後者を自分の腹づもりだった。だがー。高齢者優先で選択させたら、お腹が空いていないはずのヒサコはまたしても高カロリーの「エビクラタン」を選んで完食したのだった。私は2日続きで自分が食べたい方を食べられずー。くーっ!

いらついてそのままTVでラグビーワールドカップ日本対サモア戦を見て、最後の最後フォワードが押してのスクラムから松島幸太朗のトライに感動して溜飲を下げたのだった。

2019年10月4日金曜日

ギボヒサコとの生活

カールが沖縄出身の友人ら5人で神戸に集まってミニ旅行をするとのことで2泊3日不在になった。となると、ギボヒサコとゲンちゃんとの生活をしなければならない。ネコの世話が大変かと思いきや、若干認知がはいっているギボヒサコの方に気を遣う。

今日はデイケアで夕方まで過ごす予定で、夕方のご飯はどうするの?と尋ねると彼女は「うん、コンビニで買ってくるよ」と答えた。しかし、一応は歩けるが以前のように買い物もぎこちなくなっているのに大丈夫かなと思ったので、念のためコンビニで二つ弁当を買って帰った。帰宅して「弁当は買った?」と尋ねると「いいや」と案の定。どうもギボヒサコはその場しのぎの返事をする癖が以前からある。それと「腹減った、ご飯まだ?」という態度がたしなみが悪いとでも思っているのか、カールが夕食前に「お腹空いた?」と聞くと決まって「ううん(空いていない)」と返事する。それで時間かけて食事作っていると、その辺りをウロウロして落ち着かない。そのうちお菓子など食べ始めたりする。それで「なんだ、お腹空いているんじゃない」とカールの目が三角になるのだ。

結局、私が食べたかった「ふんわり玉子の親子丼」をギボヒサコが選び、私は「チキン南蛮サラダ」になった(そこんところは目上を尊重しなくちゃ)。これだけでは物足りないんで別に買ったバナナとかTKG(卵かけご飯)で済ましたヨ。それに相当暑いのに部屋はエアコンをかけておらずムシムシして大変。ゲンちゃんにエサをあげてくれていたのは助かったけど・・。

夜の21時頃になると、そんなこんなで私は眠くって例によって床寝してしまった。TVも付けっぱなしで。日付変わって0時過ぎだったかな。夢の中で、場所は学校、教室の向こうから何やらぺらんぺらんの白い大きな顔をしてにやけた変なヤツ二人がこっちにやって来た。何だこいつらと思って私は両足でエイッと蹴りを入れた。すると、急に現実に戻って私は床に両足をバン!と打ちつけたのだ。痛かったぁ。夢からうつつへ、もし側に誰かいたらきっと驚いただろう。いきなり何?って。私も驚いた。夢の中で現実の人を蹴ったり叩いたりしそうだった。側にギボヒサコがいなくて良かったわ〜。

2019年10月3日木曜日

大人のイギリス、子どもの日本

ちょくちょくと録画済みのNHK、アナザーストーリーズを見ていると以前書いた。今回は
「モスクワ五輪ボイコット~幻の日本代表 涙の密室劇~」を見た。1980年のソ連のアフガニスタン侵攻を問題視したアメリカがモスクワオリンピックをボイコットすべきという呼びかけに応え、日本も同調した。

これに有力選手らが会議を開き、次々と反対表明をする。柔道の山下泰裕、レスリングの高田裕司、マラソン瀬古利彦など出場すれば金メダル確実といわれていた。世論も参加すべしという風潮だったが、日本体育協会の会長河野謙三が水面下で動き、結局は不参加を表明する。投票では不参加31対参加13だったそうだ。資金面での援助ができなくなると圧力がかかっっていたらしい。ありがちな展開だ。

しかし、少し驚くのは実は西側諸国がすべてボイコットしたわけじゃない。イギリス、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、ベルギー、オーストラリアなど参加しているのだ。なーんだである。日本だって別に出たって何の問題もなかった。まあ日本はアメリカの属国(特に軍事面)だから仕方ない面もあるが、スポーツと政治を切り離して行動するというのは、今後似たような問題が起きた時の基本的な姿勢として我々は覚えておかねば。

というのもイギリスでは政府から様々な圧力がかかったにも関わらず選手代表の陸上のセバスチャン・コーらは屈しなかった。コーは「自粛を促されたのはスポーツだけだ。ソ連とは石油の取引も行われていたし、ボリショイサーカスもイギリスで公演していた」「ボイコットは間違った政策だ。スポーツを通して平和を訴えるというオリンピックの理念に反する」と言い、仲間とともにボイコット反対を表明した。そして「イギリスの勝利のために、僕らを助けて」とイギリスの選手たちは意見広告を出し、資金を集めたのである。泣き寝入りした日本とはえらい違いだ。そして開会式の時にはイギリス国旗でなく、オリンピックの旗を使い政府の顔を立てるという大人の対応までしている。こんなところに成熟した歴史を持つイギリスとイギリス人の奥深さを感じる。かつてマッカーサーは「日本はまだ12才の子ども」と言ったが、確かにイギリスと比べれば20年以上経過してもまだ子どもだったのだ。

結局ボイコットしたからといって何も変わらなかった。損をしたのは不参加したスポーツ選手だけ。しかし涙の抗議をして有名になった高田裕司は今では大学の監督をして、JOCの理事も務めている。「同じようなことが今もし起これば、自分は選手たちを守れる。その立場にいられる自分が幸せです。2020年に自分の教え子がメダルを取ってくれたら最高のエンディングですよね」と今度は反対を貫くつもりであった。40年も経ったんだ、そうでなくちゃ。

2019年10月2日水曜日

還暦くらいではまだ死ねない

中学時代の同級生シンタカさんがお母さんを病院に連れて来た。食欲不振や胸のレントゲンに影があるなどいろいろ検査をして欲しいとのことだった。わざわざ遠方からなので数日入院してもらうことになった。外来で診察後、シンタカさんが「先生、ミユゾンさんが亡くなったって知っている?」と聞かれびっくりした。ミユゾンさんは中1の時同じクラスで同窓会幹事もやっていて数年前も会っていた。「つい昨日のことだったそうよ。それが新幹線乗車中に気分が悪くなって駅で降りた後に亡くなったって。心筋梗塞だったのかしら」とのこと。へーえ。59才で女性の心血管系で亡くなるケースは少し珍しいが血圧が高かったのか・・。

なにか情報はないかと同級生のSNSをチェックするとミッタテ君のにそのことが書かれていた。「・・・心筋梗塞で本日(10/1)夕方5:15分に逝去されました。」心筋梗塞は本当だった。彼女は歯科関係の器械の仕事をしていたはずでノゾエもん先生とも知り合いだった。ふう・・。えくぼに特徴があってそれは成人してからも変わっていなかったナ。いや、今の時代還暦前に亡くなるのは早すぎる。

その後の葬式の写真もミッタテ君のSNSにアップされていた。新幹線でというのはどうも誤情報のようで、夫が語ったところによると「・・助手席に乗っていて具合が悪いと救急車を呼んで、僅か1時間少しで他界してしまった・・」ということだ。遺影の写真はミッタケ君が撮ったものだった。というのも彼は写真館をやっているから。中学同窓生では去年脳外科医の内公君が亡くなっている。ぼちぼちそういう時期が来ているということか。イヤだイヤだ。私はまだ長生きがしたい。少なくともあと30年、できれば40年生きて100才までは生き抜きたい。だってまだまだやりたいことがいっぱいありすぎるだもん。

2019年10月1日火曜日

なぜにボール3個も持ち込む

夜はボウリング練習で参加者はヤマヒロDrと久々のタナカッツMRだった。気になるレーンコンディションはある程度オイルがあってどうにか練習にはなった。時にオイルカラカラでまともに投げられない日もあるからネ。

しかし1ゲーム目は128と目も当てられないスコア。奥の方でオイルが削られていてボールの動きが大きく戸惑った。ヤマヒロDrも私同様に苦戦していたがあんましボールの曲がらないタナカッツ君はそこそこのスコアでブランクを感じさせなかった。2ゲーム目以降はどうにかゲームを作り189、167だったが、ストライクがどうにも出ないため最終4ゲーム目はボールを変えた。去年までのメインボールのインフェルノ・ブルーフレームは今使っているマスターマインド・ゼロよりは曲がりがおとなしい。もしかすると今日のレーンには合っているかもと投げてみたら・・途端にストライクが繋がり始めた。あれよあれよと222を出して面目を施した。腕じゃなかった、ボールだった。

いや、最近のボウリングはボウリング選択も技術の一つで、Pリーグなどでもゲーム途中でのボールチェンジが勝敗を分けることもよくある。だからスペアボールも含めてボール3個も持ってボウリング場に行くのだけれど重くってねぇ。今日なんか、館内駐車場がいっぱいで屋外の立体駐車場から運ばねばならなかったからえっちらおっちら少しきつかったわ。でもボウリングチェンジで222のスコアを見ればその甲斐があった。3個持ち込みはしばらく止められませんねえ、ふぅ・・。