2015年6月30日火曜日

基地がどうなろうと報道の自由は厳守

今日で6月も最後。ブログに移行してちょうど2ヶ月が経った。毎日欠かさずアップし続けているだけでなく、ホームページの時より文章が長くなった(気がする)。画像や動画を簡単に貼り付けられるし入力画面も書きやすくなりキーを叩く回数も多くなったってことかも。

今夜は当直で、医局で男乙か製薬の見透かし玉MRとしばしだべっていた。見透かし玉君はボウリングはしないが自転車が趣味だとのこと。ほう、健康的でいいね。どのくらいの自転車に乗っているのと尋ねるとどこのメーカーかは忘れたが20万くらいするやつだという。私は「そんなに高いのを」とは言わなかった。本格的に乗ろうとすればそれくらいするらしいと聞いたことがあったからだ。「でも、ボウリングに比べればずっと高いね」そして上には上がいて100万を超えるものをあるというから車並みじゃないか。どの世界もハマれば際限がない。

当直ゆえにネット麻雀は打たなかったが、観戦をするとサブアラド七段、おおばば(開けたいゾMR)五段、空中四段とそれぞれ同時に打っていた。みんな麻雀好っきやー。空中MRも四段になったということでリアル麻雀を今度打つことにした。見せたまえ雀荘で開けたいゾMRを交えてを希望だ。サブアラド、ダイボ両Drと面識がないためまずはその面子でとのこと。よしよし、四段昇段祝いにいっちょ揉んだるわ。

作家の百田尚樹や自民党の議員らが自分らの意見にそぐわない沖縄の新聞社を攻撃していた。これが街の飲み屋で酒飲んだおっさんが言うのなら分かる。私も基地の辺野古移設が現実的な選択だと何年も前から思っている。(20年以上前に辺野古のキャンプ・シュワブを見学した経験は今思えば貴重だった。見学といってもパスを持っている薬問屋に頼み基地内のボウリング場でボールを買っただけだが)でも報道機関を本気でつぶすべきとかは絶対にあってはならないことで権力側は非難されて当たり前の態度でいなくてはならない。もし権力の思うがままだったらとんでもないことになるのは明白だ。戦前の日本しかり現在の北朝鮮しかり。報道の自由は何が何でも守っていかねばならない。それでなければいずれ私たち自身の身にいずれ不幸が降りかかってくることだろう。

2015年6月29日月曜日

マリックはしくじったのか

TBS系の番組「しくじり先生」でMr.マリックが出ていた。何がどうしくじったのかというと、本来純粋なマジック(手品)であるべきところ、その不思議さに目を付けたTV局に乗せられ、さも超能力者であるかのように振る舞い大変な反響と人気を得たが、やがてその反動(アレは実は手品だの批判、なんだウソついていたのかの落胆と抗議)で賛否両者からのバッシングを受け、顔面神経麻痺を起こしたり、娘がいじめに遭い親子断絶になったりしたんだそうだ。本人も「本当はマジックなんだが」との思いがありながら超能力者としての人気が圧倒的でそれに乗っかってしまった罰を受けたと反省していた。バッシングの後しばらくTV局からは声が掛からなくなるも、栗間太澄(くりまたすみ)というマジシャンとして再登場してからは開き直り、マジシャンMr.マリックとして相変わらず切れのいいクロースアップマジックを見せ、たまにはマジックのネタを暴露したりもし安定した人気で現在に至っている。

私は彼が登場した時のころをよく覚えている。「ハンドパワーです」「来てます、来てます」と確かに超能力を思わす言い方で間近に見ていてもそうとしか思えない不思議な現象を見せつけていた。しかし私はそれが超能力だと1ミリも思ったことはなかった。きっとタネがある手品だと確信していた。ユリ・ゲラーが登場した私が中学生のころならまだしもそのころはUFOにしても超能力にしてもそんなものはないと断言できるようになっていた。そのうち暴露本「マリックの嘘」だったかな、も出てなーるほどそんなトリックか逆に感心したりしていた。そしてマリックの語り口のうまさにエンターテイナーとして素晴らしさをみたのだった。

カールは私と同類で「(超能力を)信じる方がバカだわ」とケチョンなのだが、問題はマジックには興味は持たないけれど超能力だと言えば俄然興味を持つ一般大衆だろう。TV関係者は明かにマジックだと分かってそれでも演出すれば視聴率が稼げるものだからそうやっていた。マリックが述懐するには「山を買うからどこに埋蔵金があるか教えて欲しい」とか「5人ほどのスキンヘッドの男性が来てお寺の教祖になって欲しい」とか「持って来た風呂敷包みの中の毒物カプセルを嫌いな人の胃の中にテレポーテーションして欲しい」などの変な連中が家に来るようになったという。いずれも彼を超能力者だと信じての悪行だ。やがてマジックだとカミングアウトすると、「ダマしていたんだー」と信者らは非難轟々だったという。そのころ私は霧島の老妻病院に週2回勤務していたが、そこの某看護師に「あれはマジック、タネがある」と気軽に言ったら「いいやー」とマジで否定され、逆にびっくりしたことがある。私やカールみたいに懐疑的で不思議なものを信じないタイプばかりではないのだ。

マリックは仕掛ける側のしくじりでどちらかと言えばあんまし私たちには参考にならない。世間には不思議さに惑わされ騙されてお金を払ってしまう一般大衆がいかに多いことか。怪しい儲け話、効果のある健康食品&器具、あなたの願いが叶う宗教などなど。マリックは比較的まじめでさしてみんなに害を及ぼしてはいない。類い希なるマジシャン&エンターテイナーだと思う。しくじってはいけないのは我々大衆側である。

2015年6月28日日曜日

ビートルズの曲、何を知っている?

現在浪人中のチッチと久しぶりにボウリング、温泉、夕食をいっしょにした。頑張っているからたまには息抜きもしないとな。

チーはボウリングは久しぶりで最初はガターをしていたがこれはいつものことで気にはならない。そのうちストライクも出るようになって2ゲーム目はターキーも出した。私は最近の不調がそのままでよくて180台でアベ158と全く振るわず、あーあ情けない。いや、ボールはよく曲がるんよ。きちっと奥でのフッキングポイントまで持っていければストライクも連発しそうなんだがー。5ゲーム投げてチッチも満足し、その後温泉に浸かりここではまた高校野球ネタで話が盛り上がった。その後はビートルズネタだ。私が好きだった関係でテルとチッチがビートルズには詳しい。

実は予備校の英語講師が大のビートルズ好きで毎回ビートルズの曲を話題にするんだとか。最初の授業でみんなに「ビートルズの曲で何を知っているかなー」と質問がありそこでチッチの答えがなかなかだった。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
「おっ、それはいい回答だ、なかなかやるじゃん、チッチ」
講師も「いいですねえ、Strawberry Fields Forever」と微笑んでいきなり歌い出したそうだ。

これはどういうことかというと、例えば「ヘイジュード」や「レットイットビー」「イエスタデイ」「シーラブズユー」「ヘルプ」などみんなも知っている曲ではありきたりであまり知らないのねと思われる。かといって、「ノー・リプライ」とか「ジュリア」とか「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」とか返事すると、「オレってこんな曲も知っているだぜ、そんじょそこらのファンとは違うんだ」という意味が込められ、マニアック過ぎてどうも鼻につく。その点「ストロベリーフィールズ」はビートルズファンには当たり前だがそうでないファンはあまり知らず、さらにミュージシャンが選ぶビートルズの曲などでは1位にもなったことがある玄人受けする曲で先生もきっと満足する答えなんだ。

そうだな、そういう観点から私が答えるとすれば「ノーウエアマン」「インマイライフ」「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」あたりか。いずれもマニアック過ぎず通俗的過ぎず、しかも日頃私が口ずさむ歌でもある。本当は私の中で1番2番は以前から決まっていて、1番はあまりにも有名な「ヘイジュード」、2番は「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」だ。だが私も決してこの2曲は返事しないだろう。この2曲、ビートルズの全世界でのレコード売り上げ1位と2位なんである。(ちなみに日本だと「レットイットビー」が1位)ビートルズファンを自認する者としてこれらは特に初対面相手には言えないわ。その後もチッチは講師にはよく当てられ、私の影響と知り「君のお父さんと一度飲みながら語り合いたいですねー」なんて言われているそうだ。

夕食はチッチの好きなイタリアンで締めだった。後でカールに「ストロベリーフィールズ」のことを話すと、「へー、そういえばチーは小学生の時も似たようなことで塾の先生に言われたことがあったわ」とエピソードを教えてくれた。それは「鹿児島の偉人で知っている人は?」との質問に多くの生徒は「大久保利通」や「西郷隆盛」を上げたけどチッチのみが「平田靱負」って答えた。そんな答えは一人だけだったから先生はすごく印象に残ったとのことだ。

ふーむ、チッチってガキの頃からちょっぴりあまのじゃくだったのかな?

2015年6月27日土曜日

キャットフライト

昨日の串木野トリオリーグでは私はアベ164と調子が悪くチーム成績も今一だった。6月の串木野レーンコンディションは全くダメで5月のオール200アップからするとアベで40以上も落ち込んでいる。レンコンでこんなにも違うからアベ200だなんで人に言うもんじゃない。来月のコンディションに期待しよう。

外は毎日のように雨でずっと家に居た。夜はだいぶ持ちポイントが戻ったサブアラド七段から鳳凰卓で打たないかと電話あり示し合わせて同卓した。結果は私のトップで返り討ちにしてやったぜ。
その後は特上卓に上がった空中四段が打っていたので二人で彼の打ち筋を眺めていた。最初の半荘はどうにかトップだったものの次の半荘はどうにも疑問手が相次ぎ、サブアラド七段は「これは見るべき価値がない」と手厳しかった。6索切りリーチに対し一発で何も通っていない5索を切ったりの無謀さや、ビリなのに手役を狙わず手なりで作っていくなどどうにも作戦や狙いが感じられなかった。ううむ、近々見せたまえ雀荘で打ちたいと空中四段は言うがこれではかもられるのが落ちだぞ。(後日、彼に確かめると土曜飲み会で帰宅後に打ち酔っ払っていてどう打ったかも良く覚えていないとのことだった。なーるほどネ)

ネット動画を見ていておやと思ったのが以下の白黒ネコのフライトだ。軽飛行機の翼の中で気持ちよく寝ていたんだろうな。見つけた時の男性のお目々が漫画で言えば日よーんと飛び出すくらいに見えた。おったまげた表情が可笑しい。
見た人も多いでしょう。以下のリンク参照。

2015年6月26日金曜日

シオシゲ監督、高校野球に喝っ!

午後の外来で久しぶりに会った元鹿児島商業の野球部監督のシオシゲさん、いつものように診察はそこそこにして後は高校野球談義だった。高校野球オタクを自認する私にとって現場の監督だった人と話しあえる貴重な機会でもあり、シオシゲさんも甲子園での試合のエピソードを語ってすぐに反応が返ってくる私とは話し甲斐があるようでいつも診察の時間が過ぎてしまう。今日はちょうど患者も途切れていいタイミングだった。

「南日本新聞が鹿児島の高校野球の特集をしていて6月16日にようやく私の記事が載ったですがー」と言われ、ああ黎明期の大正時代の一中(現鶴丸)から鹿商の全盛期、玉龍のベスト8、鹿商対鹿実のライバル関係など知っていること知らなかったこと確かに興味深い内容だ。私は当然「読んでますよ。スクラップ代わりに記事をデジカメに撮ってます」と答えた。だが・・である。ちょうど16日の昭和61年の鹿商の甲子園ベスト4のところだけ読んでいなかったのだ。ちょっと冷や汗もの。

「今年の夏はやっぱり神村ですかね」と問うと「うんまあ、しかし夏は一筋縄でいかない。あそこも選抜に出たけどコールドみたいな負けじゃった。神村のオダ君(小田大介監督のこと)にも私は言っているんだ。高校野球は謙虚にならなきゃいかん。優勝だ優勝だと大きなことは言わず、例えば串木野駅の掃除などするなり地域に溶け込む努力も必要だ。県外選手ばっかしと陰口をたたかれているようではなかなか勝ち上がれない」となかなか鋭い。
「鹿児島城西には今もアドバイスをしているんですか」「いやもうやっていない。あそこも沖縄の選手が多いな」「え、なんでですか」「監督の金城和彦が沖縄水産出身だからな」「ほう」「沖水とは国体で当たって勝ったなあ(昭和61年、準決勝で7−6で勝ち、決勝でも東洋大姫路に3−1で勝ち優勝した)」「でしたよね」

そこで鹿商の監督就任のいきさつを聞くと、意外にも「私は商業出身ではないし引き受けたくはなかった」とのことだ。新聞記事にもそう述懐している。「あそこは(OB連中が)うるさいから」という理由のようだ。しかし当時の「包帯」校長が離島の中種子高を県ベスト4に進めるなどシオシゲ監督の力量を買っていてぜひうちに来てくれと熱心だった。「高校はですね、校長の権限が強いんです。最初断っていたのだけど外堀を埋められ引き受けざるを得なかった」そうだ。しかし鹿商の外様監督は初めてのことで案の定「何であいつに」とか、試合で負けると電話が掛かってきて「ワヤ(お前は)、野球を知っちょっとか!」など言われたりしたそうだ。でも包帯校長は低迷期に入っていた鹿商野球部をなんとか復活させたいという思いが強かった。昭和61年選抜、そして10年ぶりの夏甲子園に出てベスト4という成績を残し、包帯先生はすでに定年退職していたが「私の判断は間違っていなかった」と周囲に言い残したそうだ。シオシゲ先生は若かりし頃、広島商や中京に自腹で出向き練習方法など教えを請いすぐに実践するなどハマリ方が違った。確かに先生でなければ鹿商復活は難しかったことだろう。

この他まだ高校野球談義は続いたが診察室奥の廊下にチラチラと看護師さんが顔を見せると、豪放なシオシゲ先生もさすがに「お、もう後が控えているでしょうから」と話を打ち切ろうとした。それほど忙しくもなくまだまだ話したりなかったがまたの機会もあろう、「内科診療」を終えることにした。しばらくして、2006年鹿児島工のベスト4の時のN迫監督はどうだったか聞いてみたかったのを思い出した。N迫監督の妻とうちのカールはダチだからいつか会う機会もあるかもしれない。同じ甲子園ベスト4監督としてお互いをどう思っているかちょっと興味があったんだよなー。

2015年6月25日木曜日

地雷原と気づかずに・・

夕方、病棟にいると外来から「グッちんDrが来ていますよ」と連絡が入った。おや珍しい。彼は10年非常勤で青雲の内視鏡を手伝ってもらっていたが半年ほど前に実家の医院の仕事がメインとなっていた。今日は所用で来たとのことで以前と変わらず元気そうだ。そうそう、外来でお別れの集合写真のラミネートしたプリントを内視鏡室忘年会で渡すつもりがバカな私は直前に忘れて渡し損ねていた。今日も来ると分かっていればー。いまだ自宅テーブルの手の届くところに置いたままなんである。今度は必ず渡すぞー。

夜は姶良郡医師会館で「医療事故調査制度」の講演を聴きに行った。今年10月1日から制度施行されるため、厚労省と日本医師会の担当者が鹿児島に来て講演をするというもので、これは副院長としての仕事でもあった。医療事故調査制度(事故調)とは厚労省によると「医療事故が発生した医療機関において院内調査を行い、その調査報告を民間の第三者機関(医療事故調査・支援センター)が収集・分析することで再発防止につなげるための医療事故に係る調査の仕組み等を、医療法に位置づけ、医療の安全を確保するものです」ということだ。事前に予想し得なかった患者の死亡案件についてその情報を集めみんなで共有し再発防止をしていきましょうということなのだが、講演後の質問もしつこいくらいにその辺の対応を危惧する先生もいて医療裁判とのからみで医師会会員の関心は高いようだった。

帰宅してブログ書きつつサブアラド七段の天鳳での闘牌を眺めていた。昇段3日で負け続けあと1回のラスで降段しそうだったのがなんと復活していた。強者が集まる鳳凰卓でなくこれまでの特上卓で打ったのがよかったみたいで「雑魚狩りだがな」と自嘲気味に語るも内心ホッとしているようだ。そして多分にラッキーもある。今日の最後の一戦なんか木っ端みじんの地雷原の中を知らずに歩いて見事勝利したようなものだった。半荘終わった直後私は彼に電話をして「センセ、上家が小四喜を聴牌していたって気付いていなかったでしょ」と言うと驚いて牌譜を見直したようだ。

トップ目の上家は配牌ツモに恵まれ東をポンしただけで西暗刻の南と北の小四喜シャンポン待ち。2番手のサブアラドは6萬、8索ポンの喰いタンドラ1で8萬単騎待ち。そこに対面がリーチ!私にはそれがリーチドラ1の間7ピン待ちと分かるがサブアラド七段は知るよしもない。そこに7萬を持って来てそれはリーチの現物なのでツモ切りし8萬待ちを続けた。でも8萬はすでに場に2枚切られ決して上がりよい待ちではない。ここは8萬を切り7萬待ちに変えるのが良さそうだった。(後でサブアラド七段、「確かにそうだ。8萬が2枚切れって気付いていなかったのよ」と述懐した)でも何が幸いするか分からない。この地獄待ちの8萬をツモ上がり事なきを得てトップに躍り出た。そして親の連荘を続けダントツになった。落胆した上家は途中から打牌放棄しツモ切り状態になった。

牌譜を見直すともし正着と思われる7萬待ちに切りかえればツモ8萬を上がりそこね、次のツモ牌がアタリ牌の北だった。役満振り込みになっていたのだ。「間違いなく北は切った。オ・ソ・ロ・シイ」とサブアラド七段。いやー、そりゃホッとしたでしょう。でも外野としては小四喜の上がりを見てみたかったナァ・・。

2015年6月24日水曜日

テレクラで学ぶ

最近は不特定男女の出会うシステムとしてネットで出会い系サイトとかあるらしい(私は詳しく知らない)。しかし30年近く昔はテレフォンクラブ通称テレクラなる男女の出会いを促す風俗店があった。これは店の人がちまたの女性に店の電話番号を書いたチラシやティッシュを配り電話を掛けて下さいとお願いをする。女性は興味があればそこに電話をしてみる。するとそこに店には時間いくらで入店しいつ掛かるともしれない電話を前に男性が待機していてなにがしかの会話をするシステムだ。男性はほとんどが女性との性的な出会いを求めていたが、女性は単なるからかいもあれば見知らぬ男性との会話を楽しむ場合もあり中には男性の誘いに乗って実際に会いデートすることもあった。店側も女性からの電話がないと客が来ないのでサクラを用意してそこから電話を掛けさせることもあったらしい。

今日、久しぶりに私に電話のあった某SH先生が、話の中で「患者さんが手術に迷っている時、安心させてそれを決意させたりするのに、オレはあのテレクラでの経験が役に立っている」と述懐していた。良い雰囲気の中でうまく会話のキャッチボールをする必要があり患者さんをその気にさせるのは女性を口説くときと似ていると言うのだ。なるほどねえ。医学生は何も机に向かって教科書を勉強するだけではない、その他、いろーんな経験が医者として今役に立っているとの意見に私も大いに同意した。部活動したりバイトしたりで知らず知らず人と上手に接する訓練をしていたのだ。

それを言われて私が思い出すのは、小学生のころ毎日のように天文館公園で遊んでいたことで、近所の同級生だけでなく先輩後輩入れ混じりボール遊びやカルタ、泥んこ遊びなどしたものだった。その経験が今臨床の場でチーム医療をする上で役に立っている気がする。

そんな中、同級生でSK君という優秀な生徒が近所にいたのだが、私は彼と遊んだ記憶が全くなく、中学受験をするときになって口を利くようになった。彼は当然のように名門お猿中学に合格したが私は落ちた。まあ仕方なかったとも言える。ところが中学3年のころ、噂でSK君がお猿中で浮いていて周囲にあまり好かれていないと聞いたことがあった。そんなこともあるかもとさして気にとめてはいなかった。
やがて大学受験が終わり、私は運良く鹿大医学部に合格でき、教養部キャンパスで学生生活が始まったばかりの頃、ばったりSK君に出会った。彼は法文学部に入っていた。いや、それでも立派とは言えるが彼なら東大法学部に入っていてもおかしくなかったはずだ。実際、一期校(当時は公立は一期校二期校に分かれていて鹿大は二期校)は東大を受けるも落ちていた。少し気まずそうな様子で「やあ」と挨拶をしたが私は立ち入って話はしなかった。噂では母子家庭だったこともあり母親が怒って浪人をさせなかったらしい。
それより私が思ったのは、彼は対人関係の基本的なことを子どもの頃学ばず(学べず)孤立していたことが受験にうまくいかなかった理由ではないかということだ。受験は個人の努力だけでは決まらない。優秀なお猿高の生徒もみんなで影響しあってこそ能力を発揮出来る。受験は団体戦だという教師もいるくらいだ。

優秀だった彼はその後法文学部の教授に勧められ大学院に進んだとか噂を聞くも、その後杳(よう)として行方は知れない。

2015年6月23日火曜日

「ひこ星に会いたい」

昼は仕事でいろいろごちゃごちゃ忙しかったが、夜はT-MAXでボウリングへ。今夜はスリウェル君にサトリョー君の3人での練習だった。計4G投げたが結果はよく覚えていない。それよりなにより練習始めにスリウェル君が「こんなんメールがうちの会社から来てですね」と見せてくれたのが何とTV番組出演依頼の話だった。何でもKTSの土曜夕方のローカル番組「ナマ・イキVOICE」で25年続く七夕企画「ひこ星に会いたい」へ出てみないかということで、これはイケメン独身男性を7人紹介するコーナーなんだそうだ。誰かは知らないが「衛材のスリウェル君をー」と推薦ハガキを送ったらしい。ほほう。それで?

「せっかく来た話ですけど断りました」
「な、なにーぃ」

なんてもったいないことを。誰もが認めるイケメンスリウェル君ならTVに出たって全く遜色はない。一部上場の薬品会社に勤めるさわやかで長身の男性ならTVを見た婚期にある女性ならきっと興味を抱くはず。それに趣味がボウリングだろ。投げる様子もTVに出るよね。仲間といっしょにボウリングってきっと出るよね。私もちょこっと脇だけど映るよね。あーー、何で断るのよっ!

「2、30人取材があって7人に選ばれるかは分からないんですよ」
「それでもいいじゃないか。取材の話題だけでみんな飲めるし食えるよ。おいおい、みんなのためにも『すみません、やっぱり(取材)受けます』って今から連絡しないか」
「でもホームページhttp://www.kts-tv.co.jp/blog/namaiki/8923/にもしばらく写真付きで出るらしいからやっぱり・・」

ああ、どうも奥手はいかんナァ。誰もが出られる話じゃないのにさー。私もサトリョー君も残念がることしきりであった。

2015年6月22日月曜日

日曜の夜の過ごし方(ただし当直)

昨日は出水から帰って夕方から病院当直に入った。青雲会病院の当直といえば「忙しい」が定番のように言われているが、最近はそうでもない。隣町のおーい病院も以前と比して救急受け入れを頑張っているようでヒマな夜も多い。泣かん薗Drが小林の病院からおーい病院に移ってから「救急は断らないようにする」と言っていたし、二次当直をおーい病院と交互に受け持っていて噂では「専門外だから」と二次当直も断っていた院外Drの勤務がなくなったとも聞いた。

で、今夜は青雲会病院が二次当直。そのせいか久しぶりに忙しい当直だった。以下に外来で来た人を羅列する。

30代男性 尿管結石疑い→点滴、処方
80代女性 前額部挫創→処置
50代女性 救急:過換気症候群→診察のみ
90代女性 救急:一過性の血圧低下→入院
70代女性 救急:めまい→入院
30代女性 過換気症候群→診察のみ
50代女性 頭痛→処方

これが夜集中的に来れば意外に疲れないのだがぽつぽつ間を置いてだったので少々うんざり来た。救急車も3台来ていずれも軽症だ。過換気症候群は処方すら出すこともない軽い病気だが一見呼吸困難を呈し毎月数名は救急車で来る。ギャップの大きい疾患だ。繰り返す人(ほとんどが女性)もいて本人にも周囲にも「実は心配ない病気だ」と丁寧に説明しておく。すると発作が起きても救急車で来るようなことはなくなる。一過性血圧低下も心配ないことが多いが高齢者だったので念のため入院させた。めまい患者は動くと嘔吐もするので入院して点滴継続することも多いし患者もそれを望む。ただ1、2日で症状改善し早く退院させて欲しいと訴えることも多い。

そんなこんなで当直室に行き寝入ったはずだが午前4時前に病棟からの連絡があり目が覚めた。80代女性の脳梗塞患者ですでに心停止だという。実は土曜日の午後居残り当番の時に救急車で運ばれて来た人だった。丸2日連絡が付かないとのことで甥御さんが警察に連絡し鍵のかかった自宅に入ったところベッド横で意識不明で倒れていたという。頭部CTを見ると右半分のほとんどが脳梗塞でやられていた。ポンシンDrに連絡し治療方針を尋ねるともう手の施しようがなく1日半から2日でダメでしょうとのこと。まさにその時間帯だった。甥も来ていて蘇生術を施すこともなく死亡宣告をした。お年寄りの独居が増えている。この人はまだ命あるうちに運ばれて来たので病気もすぐに判明したがそうでなかったら死後数日以上経って発見され、いつどうして亡くなかったか検視しないといけない羽目になったろう。

朝礼が終わり午前の診察途中、可愛いんだ理事長にばったり会うと、「昨日(の当直)は大変だったな。午後は昼寝をしなさい」と声をかけられた。ははー、お言葉に甘えてぐーすか寝させてもらいました。おかげ様で夕方からすっかり元気になりました。

2015年6月21日日曜日

母というお荷物

今日は日曜ではあるが出水のスチョル先生のところで胃カメラ検査のお仕事があった。その最後の検査がシンタカさんの母だった。シンタカさんは中学時代のクラスメートで同窓会などでもたびたび会っている。メールで依頼があり最後に入れてもらった。実は以前も胃カメラはしたことがありそう大した異常はなかった。しかしかなり心配症の母親でもたれや酸っぱいのが上がってどうにも気になる、検査を受けたいとのことだった。「すみませんねえ」と彼女は言い、私もああ、あの母親ならと合点した。青雲でも1週間ほど入院したことがあって私や看護師にずっと症状を言い続けるキャラクターだった。

検査すると予想どおりほとんど問題のない結果だった。それでホッとしてもらえたかと思ったが、シンタカさんは「ちがうのよ。こてる先生に胃カメラしてもらえるわよと言ったら胃の症状は言わなくなっていたの」と、全くぅーという表情だった。その前は心臓がどうのこうので鹿児島のかしましい病院に1週間入院してもらったそうだ。採血や心電図、その他ほとんど異常がなくまた帰ってきたが、「その1週間は私の体調がすごく良かった」と振り返っていた。

女性も50歳前後になると年老いた母をどうもうっとうしく思うものらしい。女同士ゆえか何かとぎくしゃくしてしまう。娘はすでに一人前になり年老いた母の至らなさが鼻につき、母は相変わらず娘を子ども扱いする。「お父さんはとってもいい人だった」と一昨年88才で亡くなった父親をいまだに敬愛しているシンタカさん。夫とも別れ子どもも独立し同じ屋根の下、女同士の生活は必ずしも快適というわけではないようだった。

2015年6月20日土曜日

三日天下・・

今日は土曜勤務と午後の居残り当番だった。ホームページ管理を頼んでいるトシマロ先生から旧こてる日記の2013年の1月途中から5月まで日記が消失しているのをアップしていてほしいと連絡がありMINCのホームページに1日1日こまめにアップした。結構面倒な作業である。何も考えずに操作するだけでもそうなのに毎日日記を書いていくって大変だなあと人ごとのように思った。アップが終わり彼に連絡し、しばらくしたらもうMINCのホームページは半閉鎖となり旧日記がSo-netのホームページに保存された。こてるブログの右下にリンク「旧こてる日記(~2015年4月)」され今後は昔の日記はそこで読めるようにしてもらった。フォントが黒色になってカラフルさはないが容量の関係で仕方ない。今さら昔の日記を読むことは滅多にないが記録としてどうしても残しておきたいのである。

午後は交通自損事故のおばさんや脳梗塞の高齢者など意外に重症の人を入院させた。

夜はサブアラド七段の麻雀を観戦、するつもりが彼から「降段したらまた打てなくなるから」と同卓闘牌の電話依頼があり受けることにした。そうか、久々に私も鳳凰卓で打ってみるか。
ふふふ、結果は私がトップ。東2局での親満ツモが大きかった。サブアラド七段は3位でかろうじて減点を免れた。「おめでとう」と言われ満足。彼はまた他強豪らとの闘牌に馳せ参じていった。それがどうなったかというと何とまたもや4連続ラス。もう滅多打ちだ。残りポイントが数百点になったようでチャオ寸前。しかもR(レーティング)が2000を切り七段でありながら鳳凰卓では打てなくなった。(鳳凰卓入卓資格は七段かつR2000以上)
特上卓で打ちようやくビリ地獄が脱しトップも取っていた。いやー、このままではもう降段も十分ありうる。5ヶ月かけてやっとなった七段をたった3日で失う・・そんな悲惨な事態になりそう。明智光秀ですら10日くらいはもったがどうなるサブアラド七段。

2015年6月19日金曜日

昇段しました

7月19日未明の午前1時41分、ソファ付近で私はうつらうつらしていた時、ふいに携帯の振動音が鳴るのに気がついた。こんな時間に何事かと普段なら思う。しかし私にはサブアラドDrからだとおおよそ察しが付いていた。
「昇段しました」
つい先ほど天鳳で七段昇段を果たしたのだった。
「いやー、長かったぁー」
降段したのが今年正月でそこから長い六段坂にハマってしまった。特上卓で上がり下がりを繰り返しながら最近徐々に成績安定し今夜は昇段戦だと言っていた。
「おめでとう」とまずは祝いを述べ「今度は落ちないようにねー」と釘を刺しておいた。
「おう、もう今は寝るが、明日は鳳凰卓でこてると麻雀打つぞ」と早速の闘牌希望だった。ふむふむ、サブアラドDrが降段してから私も鳳凰卓で打つのは止めていてサブアカウントの「こてる」でチマチマ打ちただいまこてる三段だ。仮の姿は置いといて本来のデルバラド七段で相手してあげないとな。

朝一番の胃カメラはなんと麻雀仲間のダイボDrだった。麻雀打ちながらの会話でこれまで内視鏡検査を受けたことがないのを私が問題視し彼は受ける気になったのだ。検査中は鎮静剤も打って欲しいとのことで奥さんに運転をしてもらいやって来た。ベッドに横たわるダイボ被験者に「ホリゾンは打ったことあるか」と尋ねた。医師としてこれまで何度も患者に注射指示をしたことはあったろうが意外にも「全くない」とのことだ。私は注射を指示し鎮静剤が効くタイプかじっと顔の表情を見ていた。10秒も経たないうちに寝入るのが分かりさっそくスコープを口から挿入した。直後はやや苦しそうでスコープに手を掛ける仕草があるもすぐに止み、すっかり寝入ってくれて落ち着いて検査をすることが出来た。丁寧に観察し隣の点滴室で休んでもらうこと1時間半、結果説明をする時に「検査は覚えているか」と聞くと「全く覚えていない」とのことだった。検査終了直後、車椅子に移動させたのでそれくらいは記憶があるかと思ったがなー。私もホリゾンは効くタイプだが私以上だ。結果も良く、奥さんも喜んでいて良かった良かった。

夜、天鳳観戦を見ていると、今日発行製薬の空中MRがやっと四段に昇段し特上卓に参加していた。四段以上が参加出来、観戦が出来るのもここからで初めて彼の麻雀を見ることが出来た。まだ打牌に迷いが感じられ結果もラスだった。一方、サブアラド七段はなかなか調子いい。最初は2位で次ぎラスを引いたがその後2位、トップ、トップだった。そろそろ私に電話していっしょに打とうと連絡があるかと思っていた。しかしーである。ラスを引いたかと思えばその次ぎもラス。彼は私と違って番数をこなすタイプで半荘終わればすぐに次の半荘に移る。矢継ぎ早に闘牌を重ね、気がつけば5連続ラスと散々な結果に。頭に血が上っているのか電話はなく逆に私から掛けた。

「鳳凰卓の洗礼を受けてますねー」「ああ、どうにもいかん。ビリばっかしでこてるに電話して打とうという気になれなかった。明日打とう」とがっくりの様子だ。いやー、さすがに鳳凰卓は侮れない。5連続ビリだなんてなかなかお目にかかれない。油断なのかどこか気負って普段の麻雀が打てないのか詳しくは見ていないので分からない。明日私と打つまでに早や降段していなければいいが・・。

2015年6月18日木曜日

女性MRイケメンMR

夕方女性MRがたまたま3人も医局前の廊下に来ていた。で、「お、いいねえ」と3人並べてデジカメ写真撮ったりした。ノサバルデスのオカーツさんはこの前の講演会で日記に初登場していて「載せていただいてありがとうございます。おおしたそうMRとこの間飲み会でいっしょで『出ていたよ』と言われて気付きました」と。そうかそうか、倍得る薬品憂い酒MRも以前登場させていたが、もう一人よく病院に来ている「登るディスク」の海女のエリーMRは話題にしたことがなかった。天野アキでもなく亀山エリーでもない海女のエリーさん、女性ながら営業を頑張ってらっしゃる。MR稼業はなかなか大変だとは思うが以前と比べ女性がものすごく増えた。30年前はほとんど見かけなかったものだが・・。これは飲み会、ゴルフなど、Drとの病院外でのつきあいが結構重要だったのがそうではなくなってきたからだろうと推測する。まあ、本来のMR=メディカル・リプレゼンタティブ(Medical Representative:医薬品メーカーの医薬情報担当者業務の姿が求められている時代になりつつあるというところか。
(↓左からオカーツ、海女のエリー、憂い酒の3MR、みんな可愛いです)

さてさていつもボウリングをいっしょにしている衛材のスリウェルMRに女性を紹介しようとブックリバーDrが目論んでいた。なんでも某銀行のキャリア女性で美人だという。年のころは30才前後、30才過ぎの彼には年令バランスもいい。いい話じゃないかと私なんか思うのだが、彼は及び腰だという。まったくぅー、いつもそうなんだからー。「結婚する気はある」「別に相手は家庭に入らなくてもいい」と言いながら女性紹介の話題になるとどうにもやる気を見せない。そんな調子だから「あいつは実はゲイ」などと取りざたされたりするんだ。私なんかからすると若いし独身の気ままさがうらやましくなることもある。しかし独身主義を貫く覚悟はなくいずれ結婚をと思っているなら早くて悪いことはない。そのうちそのうちと思っているとなかなかいい相手には巡り会えなくなるし、遅く結婚すれば子育ても大変だよー。さわやかイケメンMRにちょいとばかし苦言を呈する次第だ。
(どうせなら上の3人も狙ってみたらーとは外野の声だ・・)

2015年6月17日水曜日

好評青雲内視鏡

可愛いんだ理事長が理事長室にお呼びですと連絡があり、何事かと恐る恐る行くと、人間ドックの胃カメラ検査枠を今の1日20名から22名枠に増やせないかという相談だった。青雲会病院の人間ドックは毎年希望者が増加しているがその枠のせいで断っている状況だという。1日2名増やせば相当数受け入れが可能となるのだが・・と。私はOKした。増えることはいいことだ。ただ、たった2名でも今でも忙しい忙しいと言っている内視鏡室スタッフの負担が増すわけでそこを増員するなり何らか援助してほしいとお願いした。そこは理事長も分かっているようでどうにかしようとのこと。ということで2ヶ月後くらいから胃カメラ件数がまた増えることになった。

ムッちゃんNsが「ええー」と言いそうだなぁ。大変なのは分かるが、この流れ、いい流れを止めるわけにはいかない。ドックの上部消化管検査をすべて内視鏡で行うという私や理事長の基本的方針が受け入れられているのだ。それで増えるのならそこをどうこなしていくか対策していかないと。「人が足りないから制限しましょう」では発展はない。思えば私が旧青雲病院に入ったころは人間ドックはやっていたがせいぜい1日5人くらいで多くても10人を越えることはなかった。バリウム検査も併用していた。7年前に病院新築移転時に人間ドックの充実が計られ内視鏡医も2人体制になりドック、外来患者合わせて胃カメラ20名を越えた時などは「ほう」と驚いたりしていたものだ。それが今では・・。いや、本当に有り難いことである。

午後は早帰りで雨の中帰宅の途についた。江戸時代に作られた姶良用水路は今でも使われておりその脇にアジサイが何本か植えられ白、紫、ピンクと色が鮮やかだったので車を降りて写真に撮った。雨中とはいえ昼間は光がいっぱいある。夕方だったら撮る気にはならなかったろう。アジサイの花の色は土壌が酸性かアルカリ性かで青やピンクに変化すると言われているがここは同じ土壌のはずなのに色とりどりだ。品種もあるだろうし土壌だけで決まるほど単純ではないのではないか。撮りながらそんなことを思った。

夜は見せたまえ雀荘に出かけた。私の大勝で先週土曜の負けをほぼ取り返した。自動卓導入してから平日に打つのも当たり前になってきつつあるわー。

2015年6月16日火曜日

10号線渋滞に巻き込まれる

夜7時から鹿児島市内のT-MAXでボウリング練習予定だった。しかし今日は心臓マッサージをしなくてはならない患者が多くて・・。何度か復活してくれたのだけど結局ダメで最後の患者に死亡宣告したのが午後6時を過ぎていた。

病院を出たのが7時前でスリウェル君に遅れる旨の電話をして重富から10号線に向かった。すると擦り湿布病院前で渋滞があり全く列が動かなくなった。ホントにぴくりとも動かない。単なる渋滞ではなさそう。あいた、ただでさえ約束の時間に遅れているのにー。また冠水か崖崩れでもあったのか?逆方向に引き返そうにもちょうど上下線が分かれている場所でそれは不可能、困った困った。

スリウェル君に電話し「いったい何が起きているかネットで調べてくれないか」と頼んだ。こういう時自分がスマホ持っていないと不便や。すると間もなく「7時頃、10号線花倉のあたりで交通事故があったらしいです」とツイッター情報を教えてくれた。そうか事故か。となると渋滞解消まで下手すりゃ1時間以上かかるかも・・。思いきって引き返し高速で鹿児島まで向かおうと構えていると、そのうち少しだけ列が進んだ。ちょうど反対側車線に出る小さな坂道があってそこを上り姶良方面まで引き返した。姶良方向への車が全くないところをみるとやはり交通事故で向こうからも車が進めないようだ。彼からの情報がなければあのまましばらく渋滞に巻き込まれたままだったろう。

今日はボウリング、多少遅れても問題は無かった。姶良鹿児島間の10号線はいったん入ると脇道がないのでどうにもいけない。大事な用件の時は内陸の高速か県道を利用したほうが良さそうだ。あの8.6水害の時、行くにも引き返すにも出来ず土砂に襲われた人たちはさぞかし恐怖だったろうな。20年以上前の大災害をふと思い出したことだった。

2015年6月15日月曜日

唾液はどこから

女子高校生が祖母と内科受診に来た。1週間前から発熱があるという。主に夜間出るとのことだ。簡単に診察するもはっきりと原因は分からない。そこで採血をした。そこでむむ?と指摘できる異常データがあった。肝機能がやや上昇していて白血球の上昇もあり好中球よりリンパ球が極端に多かった。腹部CTを撮ってみた。すると案の定脾臓が大きく腫れていた。あはあ、やはり伝染性単核球症か。EBウイルスの初感染で生じる病気でリンパ節腫大の他、肝機能異常や脾腫を起こすこと多い。日本人は幼い子どものころに7、8割が感染しだいたい症状が出ずに終生免疫を獲得する。中には思春期で初感染する人がいてその場合5割くらいが発病する。

どのように感染するかというと主に唾液を介してである。思春期、唾液とくればこれはキスしてのことが多い。アメリカでは「キス病」という別名もあるくらいだ。だから「どこから感染したのですか」という質問には慎重を要する。「あんた誰かとチュッチュッしたでしょ」なーんて言うと傷つく若者もあるかもしれない。そこに家族がいればなおさらだ。正直に答えないかもしれない。ちょうど祖母がその場を離れて時だったので私はそれとなく尋ねた。とんでもないという返事だ。見た目確かにまじめそうでチャラい印象もない。なるほど、信じますよ先生は。

唾液が感染源になると説明すると、この女子は吹奏楽部に所属していると分かった。で、リードという口あてをしょっちゅう交換するし友人と共有することも多いとのことだ。あはー、なるほど、唾液感染があってもおかしくないねー。本当にそうかは断定できないが、ともかくも満足して患者さんとその家族は帰っていきました、とさ。

2015年6月14日日曜日

役満実況

昨日の麻雀が遅かったせいで朝はゆっくり起きた。どうせ外は雨だし何の予定もないのでこういう時は録りだめしたビデオを見る。、朝ドラ「まれ」、グレートトラバース、P★LEAGUE、囲碁NHK杯などなど。韓ドラ「君の声が聞こえる」は時間と気合いがいるのでもう少し余裕がある時に見よう。

田中陽希のグレートトラバースは北海道に突入し大雪山、トムラウシから阿寒、知床の山へ向かいいよいよ最後百座目の利尻岳を目指す。もう10月で大雪山は登頂翌日には降雪し日程に追われるようになった。だがこの旅最大の難関が利尻水道だ。ダイジェスト版で見ているので結果は知っているがかなり無謀なシーカヤック横断だった。へたすりゃ死んでもおかしくなかった。NHKの撮影班も万一の場合は助けることになっているが強風の低気圧の中すんなりと出来るか怪しい。そもそもカヤックを見失ったりもしていたしー。青森岩木山では雷が直近に落ちおびえうずくまる田中陽希の姿もあったし、番組やネットで知らせる背景があるにせよ、無理をして命まで取られては元も子もない。

(以下はまた麻雀ネタですが、牌画ツールがちゃんとブログでも使えるかの実験的な意味合いもあります。ご勘弁を。)

録画見はある程度消化したので天鳳を打つことにした。「こてる」三段はなかなか昇段できず次のステップである特別上級卓に入ることが出来ない。あと3、4回トップを取ればというところまで来ているのだがそこでラスを引いてしまう。そうなるとポイントが下がりトップ1回、2位1回と取り戻す必要がある。集中力と番数をこなす時間が必要だ。苦戦することも多い中、今日の一番は大物手が炸裂しトップを取ることが出来た。場況は東4局上家が親ハネを上がりダントツになったその次局、私の手は以下のように特に上がり役も見えない何の変哲もない手だった。

配牌 ドラ八萬
それが5巡目にはこうなった。
四萬四萬四萬六萬三筒五筒五筒二索二索四索五索北北
両面、間チャンが埋まらず対子、暗刻に牌が重なっている。6巡目に北を持って来て二つ暗刻の一向聴になった。9巡目、二索を持って来てこれは三暗刻の聴牌だ。
四萬四萬四萬五筒五筒二索二索二索四索五索北北北
場は下家がをチーしただけでリーチもなく聴牌気配もない。先制リーチを掛ければ出て6400、ツモって満貫以上のそこそこの手になる。しかし掛けない。一手変わりで四暗刻の手になるんだもの。果たして次巡、ツモって来たのは四索五索、ここでリーチ!
四萬四萬四萬五筒五筒二索二索二索四索四索北北北
五筒四索でツモリ四暗刻、出ても満貫はある。さあ、ツモって来い!私は急遽デジカメを取り出し動画を撮り始めた。上がり牌が出たらクリックミスしないように自動和了ボタンを押したその直後、四索をツモった。あまりドキドキする間もなくあっさり四暗刻ツモだ。トップ目を親かぶりさせ3万2千点上乗せしダントツになりそのままトップで終わった。久しく天鳳では役満を上がっていなかったが出来る時は簡単だねー。せっかくだから↓に動画も載せておこう。自慢話動画なんて見たくない人はさっさと飛ばして結構ですよ。役満だとつぶやいてもカールは何の反応も無かったしー。