2018年8月31日金曜日

シマッチ院長、還暦の祝い

8月もあっという間に月末31日になった。暑さが続く中、18時半から青雲会病院敷地内の緑地にあるイタリアンレストラン「ザ・ハート」でシマッチ院長の還暦を祝う会があった。晴れていたので芝生の上でドクター、所属長、副所属長クラスの人たち40人ほど集まってののパーティだった。シマッチ院長は赤帽、赤ちゃんちゃんこの格好を最後までずっとやり通した。
私らが子どもの頃の60才といえば御老人のイメージだったが、院長はマラソンや最近はトライアスロン、サイクリングまでする若々しさで「とても還暦には見えない」との感想はけしてお世辞ではない。

みんな、お酒飲み放題でわいわいやっていたが、私は車の運転もありウーロンとジュースのみ。その代わり食べ物だけは出されたら即パクついた。この店は姶良のひなびた場所にしてはまずまずの料理を出してくれる。21時にはお開きとなり、シマッチ院長のお礼の言葉を聞き、内祝いの菓子までもらい、帰宅した。司会者が「来年、こてる副院長も還暦です」なんて最後口走って、みんなが「ゥオー」と声を上げていた。

私もまさか自分がもう60の坂が近いなんて全く実感がない。さすがに20才代とは言わないが40才手前くらいの感覚なんだ。一般には定年を迎え第二、第三の人生の岐路にあたる還暦、私はどう迎えどう生きていくかまだよく考えていない。ともかくもやりたいことがいっぱいある、まだまだ死ねないという気持ちだけはたっぷりだ。人生が100年とは言わず200年くらいあればいいのだがー。

2018年8月30日木曜日

メルカリで売るには

午後は当直明けの早帰りで帰宅した。

最近カールがハマっていることと言えば「メルカリ」だ。ネット上のフリーマーケットでメルカリとはラテン語の「商いする」との意味の「mercari」に由来しているとのことだ。7月から始めて、ちまちまこつこつ、家の中の不要なものをネットで売っている。最初に売れたのがウイスキーのカティサークで家では誰も飲まないから20年以上前のものがそこそこの値段で売れた。ただカールに言わせると「ちょっと安くし過ぎた」らしい。ただ「最初だからこれも勉強ね」ということらしい。これまで売れた品はというと、トートバッグ、オーデコロン、祭りの法被、地上デジタルチューナー、ステンレスボトル、カラートリートメント、サッカー用靴下がある。売り代は1000円から2000円台が多く、輸送代とメルカリに払う販売手数料1割がかかるからそんなにたくさん儲けるわけではない。出品しても「いいネ」といわれるだけで買い手が付かないものや全く買われる素振りのない品もある。売れ筋かなと思ったのがそうでなく、え、こんなものが売れるのと思ったものが即買い手が付くこともあるという。

私が「そんなの買う人いるの!」と驚いたのはサッカーの靴下だ。実はこれ、チッチが中学の時に使っていてしかも穴が開いているものなのだ。

でもカールは成算があったという。「サッカーする人ってね、下に普通の靴下をはいてその上にサッカー用靴下をはくものなの」だから穴が開いていてもスネがちゃんとしていれば需要がある、ものなのだそうだ。3足分すぐに買い手が付き、言われたことが「まだ(靴下)ありませんか」だったらしい。へー!

ジョニ赤も年代物で保存状態が良ければ5000円でも売れたらしいが、開封していないにもかかわらず目減りしていて2300円でもろもろ引かれて1300円しかならなかった。ギボヒサコが持っていたウイスキーがたくさんあるのだがこのように保存が悪い物が多く「苦労の割りに値がしないので出品する気が失せる」んだとか。それと効率のいい売り物は軽くて薄いものだそうで、1kg以内なら輸送代が175円or195円(メルカリ便)で済むからとのこと。法被は1500円しかしないものの軽いから「効率が良かったわ」だって。
しかしこんなのが売れるってねー。これはチッチが運動会で1回着ただけのもので当然洗濯して送った。こんな「商売」を自宅でみんながやっているなんて現代はまさにネット時代や。

2018年8月29日水曜日

あまりに「高校野球」の基礎体力がなさ過ぎ!

今夜は当直。周辺の医療4機関に救急搬入を断られた患者を受けたりして前半はややきつかった。夜間帯は特に呼ばれなかったものの日付変わって明け方2件来れば軽症でも睡眠不足になったわ。

それはともかく夕方遅くのことだ。医局にやって来たミナナロ薬品のタバタマMR、薬品の話の他に振ってきたのが「センセ、このあいだの24時間TVを見られましたか」だった。みやぞんとかいう芸能人が番組終了近くに走ってゴールするシーンのことを言いたいようだったが「オレさ、24時間TVはあんまし好きじゃないの。『西郷どん』を見ていたよ。24時間のせいで今回は薩長同盟が実にいい出来のドラマだったのに視聴率が悪かった」とぼやいた。毎回大河ドラマは日テレの24時間放送時は視聴率が下がるそうだ。ただ今回の「西郷どん」の低下率は例年ほどではなかったらしい。

タバタマ君、今度は私が好きそうな高校野球の話題を切り出したが・・これがてんでお話にならなかった。「あの、東北・・農業大でしたかね」「は?」「ですからえらく話題になっていた」「もしかして金足農業のこと?」「ええ、そうでした」こいつ、農業は合っているけど全く知らないんじゃないか。しかしめげずに今度は「渥美高校でしたかねえ、桐蔭にぼこぼこにやられた」というので「アツミ?・・」と私はしばらく考え「あ、あれは済美だよ」と言うと、彼は「あ、サイビって言うんですか」と大きく息を吸った。おいこら、全く高校野球の知識がないな。桐蔭も大阪桐蔭と正確に言わないと神奈川の桐蔭学園や古くは和歌山の桐蔭高校があるから紛らわしいんだ。それでも頑張って高校野球の話をしようとするので「君、止めようか。基礎体力のない人がいきなりセミプロと戦うようなもんだ」と無理をしないように諭した。

私の興味を引こうと思って話題にするのはいいけれど、この前のハイソコMRのように対マン張れるくらいの知識と関心がないと全然楽しくない。ただ、あまりにも無防備に向かってくる態度が返って面白くはあった。そして「いやー済みません。今度来る時はセンバツの予選からしっかり見て勉強して来ます」と帰ろうとした。私は呆れるのを通り越して「おい、笑わしてくれるな。センバツの予選だって?センバツには予選がないって知っていないな」「え?」「夏は予選から勝ち上がって甲子園に集まるが、センバツは秋の地方大会の成績をもとにそれこそ高野連が選抜して出場校が決まるんぞ」「えー、そうでしたか」あはは、ここまで高校野球を知らないヤツはあんましいない。「高校野球は君は勉強しなくていい。その代わり日記ネタにするから」「あー、ありがとうございます」と言って帰っていった。(↓帰る直前に日記に使うからと撮ったタバタマ君の写真)

今月は高校野球ネタばっかしだったが最後までこのような形でネタがあるとは!

2018年8月28日火曜日

ダッチマンゲーム

今日のボウリング練習は私を含めて難ガター、アンドキサMRのて3人だった。ダブルスはできず純粋に4ゲームで170、237、183、219の計809でかろうじてアベ200アップ出来た。

難ガターさんは数ヶ月前腰痛で休んでいたが復活して1ヶ月ほどになる。実は主治医には「ジョギングはいいがボウリングはまだダメ」と言われている。こそっと再開しているんだ。ただ私に言わせれば菜の花マラソンに出るために毎日のようにランニング練習をしたのが腰を痛めた原因でボウリングのせいとはとばっちりだ。ランニングが5kmも上下動を繰り返すのに対しボウリングは5mをそろりと歩くだけ、6kgのボールを持ちながらとはいえ腰への負担はずっと軽いはず。本人は痛みが引かなかったころは一時「手術も受けたい」と漏らしていたほどで今は投げられるだけで有り難いという。

彼のスコアはアベ150台とイマイチではあったが、今日のレンコンは彼の球質と相性悪く、ポケットには入るも10ピンが残る残る。3ゲーム目なんかそのせいで7連続1本残りという仕打ちに呆れるほどだった。そしてラスト4ゲーム目、今度は右のレーンではストライク出すも左はスペアといわゆるダッチマンゲーム(ストライク、スペア交互に出て必ず点数は200ちょうどになる)のパターンになった。
8フレのスプリットさえなければ達成出来ていたのに惜しい。ダッチマンは私も出したことはない。確か達成しかけて最後ストライクが続いてしまった。ダッチマンは27年前だったと思うが、南日本新聞夕刊に「XXさん、珍しいダッチマンゲームを達成」と小さな記事が出たほど珍しい。パーフェクトゲームは達成した今、次はダッチマンを一度でいいからやってみたいねネ!

2018年8月27日月曜日

「あなたたちがいて良かった」

朝礼スピーチ「チーム医療 」はうまくいった。前4回のようなお笑いはほとんどなかったけれど、終わってあちこちから「良かった」「良かったです」と言われた。スライドは以下のように始まる。
1枚目
「看護師さん あなたたちがいて良かった」
「その医師は『CTなんかいらない』って言っていた」
「でも、その看護師さんは言いました」
「やはりCTを撮った方が・・」

2枚目
「16才男子」

「脳出血」
「看護師さん、ありがとう」

3枚目
「放射線技師さん あなたたちがいて良かった」
「医師は『小腸に異常ガスがある。経口胃腸造影を!』」
放射線技師「膵臓、肝臓に低吸収域がある。造影CTの方が・・」

4枚目
「造影CTを撮ったら」

「放射線技師さん、ありがとう」

以下、臨床検査技師、薬剤師、臨床工学技士、リハビリ、ソーシャルワーカー、医師事務作業補助者と次々に「あなたたちがいて良かった」で始まり「〇〇さん、ありがとう」で終わるスライドを繰り返すのだ。症例は主に医師がしくじったもののそれぞれのスタッフが助けてくれたケースを出した。そして「医事課のみなさん、ありがとう」で終わり、症例を出せなかった管理栄養士、看護補助者、総務、人間ドックスタッフの方々も名前だけは呼び、感謝の言葉を述べ、「私たちはあなたたちのおかげで仕事ができています」「本当にありがとうございます」と締めた。

ふう、前回までは「面白かった」ばかりだったが今回は「良かった」の声が多くほっとした。でも2ヶ月後にはまたスピーチだ。今から準備すればずっと余裕なんだがしばらくはこのほっと感に浸ろう。直前になればまたいいアイデアが生まれるはず・・。

2018年8月26日日曜日

順天堂よ、お前が言うことではない&わっぜーおもしとか方言

24時間TVを日テレがやっていたようだが私は昔からこの手の番組が苦手でほとんど見ない。他局の順天堂医院(医院とはいえ1000以上の大病院)の赤ちゃん取り違え事件の方が興味深かった。明らかに病院が悪いのに間違えられた本人の「本当の親を知りたい」という自然な要求をなぜに上手に対処できないのか、不思議だった。取り違えのもう一方はある程度絞られていて(おそらくは判明しているのでは)「専門家の意見を基に、50年以上経過後にお知らせすることによって、現在の平穏な生活を乱し、取り返しのつかないことになるのではないかと考え、お知らせしないことといたしました」というのがその理由だそうだが、私はこう言いたい。

「間違えたお前(順天堂)が言うことではないよ」

訴えた方の気持ちはどうにも収まらないはず。そして「取り返しのつかない」ことなどになりそうもないというのが私の考えだ。50年も経てば育ての親との関係が崩れることは絶対にない。たとえ5年でもそうだ。もう元には戻せないことは知りつつも訴えた本人に教えて上げるのがせめてもの誠意だろう。本人もお金の問題じゃないと言っている。私が順天堂のトップなら積極的に調べ上げ双方に事実を伝えるだろう。当然謝罪をしある程度の補償金も出す。別に病院の面子なんてそれくらいで崩れるようなものじゃないだろう。今度の対応の方がよほど不信感が増す。取り違えケースは実際にはこの他にも多数あると思われる。今後順天堂のようなケースが増えないことを祈る。

そうそう、タイムシフトマシンで8月22日夕方のKTSニュースでとんでもないものをみた。ニュース自体は全然大したものではなくて、パトカーが鹿児島市内の普通の道路でガードレールにぶつかって事故ってしまったというもの。問題はその現場近くにいた鹿児島ローカル男性のインタビュー。今時こんな土着性の強い言葉でしゃべる人もそうはいない。もしかするとKTSもこの男性の物言いをニュースにしたくて放送したんじゃないか。字幕付きだったしー(笑)。

こんビデオ、わっぜ、おもぃしとかっせーよー、みんなにも見せんといかんと思ったがよー。
(このビデオ、すごく面白かったのでさー、みんなにも見せないといけないと思ったのよー)

2018年8月25日土曜日

花火をPowerShot G7X Mark IIで撮る

伊敷台祭りという町内の祭りが公園で8月末土曜にいつも開かれ今夜もあった。でも子どもらも卒業しているし、10年以上行ったことはない。祭りの最後は公園から花火が上がる。それも見ないことが多いが、今年は違った。PowerShot G7X Mark IIで花火を撮してみようと思ったからだ。シーン(SCN)モードという昔から付いている機能でその中に「花火モード」がある。あまり花火大会にも行かない私はこれで撮影したことがなかった。で、歩いて数分のところでやっているならたまには花火でも撮ってみようか。

最初はやや遠くから撮ってみた。すぐにきれいに撮れているのが分かった。

カールもiPhoneで撮しているみたいだがあんましきれいに撮れないという。ふふ、そこは専用のカメラの威力ってことよ。ただ、屋根や電灯も移るので、できるだけきれいに撮るために公園に近づいて行った。間近で撮ると、残像がよく残るのと手ぶれ補正が強力でホントきれいに撮れる。うれしくて何枚も撮ったよ。
今度本格的な花火大会を見に行く機会があったらバシバシ撮ったろうかな〜。

2018年8月24日金曜日

あなた方「ならでは」

スライド作成のために今日はあちこち部署を回って「取材」をした。なかでも地域連携室「ならではの症例」として1ヶ月間姶良郡の某駐車場で車中泊をして最後は飲み水しかなくなった行き倒れ患者の話が面白かった。

訳あって北九州から南は鹿児島まで流れ着きお金もなく食べるものさえなくなりホームセンターの駐車場で生活していた男性、店長の度重なる退去依頼にも動かず(動けず)、約1ヶ月ほとんど水だけで生活しやせこけ、頭痛、めまい、倦怠感でついに警察要請し救急車で運ばれて来た。お腹はぺちゃんこになっていたらしい。点滴で状態は改善するもこの人を良くなったからハイサヨナラじゃーまた同じ目に遭うのは必然。そこでソーシャルワーカーの出番だ。

市役所に行きまずは生活保護を申請し銀行で口座を作り不動産店に行きアパートを見つけ家族(兄)との連絡を取り北九州転出届けを出し姶良郡某市転入届けはいっしょにしてあげた。退院出来たのは1ヶ月後でアパートまでも送ってあげた。とりあえず最低限の生活を保証してあげ今後は仕事を探し働くよう助言もした。なんて面倒見のいいことだろう。その男性はきっときまじめなところがあったのだろう。そんな境遇になったら泥棒や強盗までしでかす輩もいる。世の中は助けを求めればそれに答えてくれるものだと知らないのだ。それにしてもソーシャルワーカーがいなければとても医師や看護師だけではここまで出来ない。このケースは絶対にスライドに使おう。

このように今度の朝礼スライドは医師が出来ないこと、または医師じゃ気付きにくい診断、治療法など各部門からピックアップしてそれぞれに感謝する内容だ。あなた方「ならでは」にありがとう。これまでみたいな面白みはなくてもきっと喜ばれるはず。

夜は串木野でボウリングだったがカルテを見たりしてスライドに使えるものをデジカメに収めたりしていた。ボウリングはまたもや指がむくんで前半は170台でチームに貢献できず。3ゲーム目はテープ全部引っぺがして200アップのここぞでストライクを続け貢献できた。やれやれ。

2018年8月23日木曜日

アナザーストーリーズ「小野田少尉 帰還」

朝礼スライドはとっかかりはつかんだ。タイトルは先週の職場体験学習同様「チーム医療」なんだが中身は各部署の人たちへの感謝で、それぞれスライド2枚にまとめるだけ、そのフォーマットが出来てこれは行けるとの感触を得た。看護師さんへの感謝、放射線技師さんへの感謝は簡単に出来て、後は各部署に明日明後日取材に行き、上手くまとめればいっちょ上がりだ。

少し安堵して録りだめビデオを見ることにした。NHKBSのアナザーストーリーズ「小野田少尉 帰還~戦後29年ジャングルの中で」でこれは面白かった。と同時に意外と知らなかったことが多くて考えさせられる内容だった。1972年に横井庄一さんがルソン島での発見され、帰還が大きな話題になったばかりで2年後にまた残留日本兵が発見!とのニュースには驚いたものだ。ただ多くの残留日本兵と違うのは彼が陸軍中野学校出身で何が何でも生き延びて諜報、戦闘活動を続けよという教育を受け戦争を続けていたということだ。しかしそのためにルバング島住民からは怖れと憎しみの対象になる。発見、投降しフィリピン軍に確保されたのだがその裏では住民による小野田殺害計画があったという。小野田にしてみれば島は日本に占領されているのだから住民襲撃は正当性があったが、事実は戦争は終わり平和で無抵抗なのに殺されたり襲撃されたりしたのだから恨みが相当募っていたわけだ。

1950年に小野田一味の一人赤津勇一が投降し小野田寛郎、島田庄一、小塚金七の3人が残留していることを報告し、1954年には島田庄一が警察軍に射殺されたことで生存が裏付けられた。その後数回に渡り捜索隊がルバング島を訪れ、特に1959年は大々的に捜索するも発見できず法律によって死亡宣告された。両親は一応受け入れるも内心は信じず待ち続けたという。1972年10月に地元警察との戦闘で小塚金七が射殺され一人が逃走し小野田が生存していることがほぼ確実となり大捜索隊が組まれ、父の種次郎さんは「寛郎へ 父」と書いたビラを書き、長兄の敏郎さんも参加した。後になって分かるのだが、小野田はビラも見ていたし兄すら見かけていたが、アメリカの支配下の傀儡政権に強制されての行動だと推測し名乗り出ることはなかった。断片的に天皇人間宣言や皇太子成婚、東京オリンピックなども知ってはいたが、大東亜戦争には負けたがこんなに繁栄していて本当に負けたのではなく次の戦争のために備えていたのである。情報が断片的だと強い信念の持ち主にはいろんな解釈が出来、自分の中では矛盾なくストーリーが出来てしまうものなのだ。これは個人のみならず多数の集団でも起こりえ、戦後のブラジル日系人でも起きた。いわゆる「勝ち組負け組」論争で戦争に負けたこと信じない勝ち組日系人が日系人を殺す事件が頻発した。数年で沈静化するも10年近く余波が続いたという。真実を伝えても連合国のプロパガンダだとして信用しなかったなど小野田さんそっくりである。

番組でいくつも印象的な場面があるが、投降して報道陣に最初に出てきた時の敬礼の映像は有名だがやはりすごい。目つきが軍人そのものなんだ。
ただそこにいた読売新聞の記者はその後のパーティで小野田がナイフとフォークを使いこなすのをみてジャングルに30年もいた人が・・と驚愕する。元は商社マンで手慣れたものだったらしい。それと会見でインタビューアーが「日本が戦争に負けたということをうすうす感じられたのはいつ頃のことでございますか」の質問に「は?」という表情をし「もういっぺん」と聞き返した。この時の表情はなんともいえない。答えは「全然ありません」で一蹴した。

あと、発見したのは「パンダ・小野田さん・雪男」に遭うのが夢というバックパッカー鈴木紀夫さんという人で小野田さんに銃を向けられるも毛の靴下にサンダル履きという原住民にはない珍妙なスタイルであったため、事なきを得て接触に成功した。おそらく小野田さんも戦友を1年半前に亡くし孤独感があったのだろう。写真も撮らせ、これで生存が確実となり兄も確かめ、電話で両親に報告する様子が動画で出てきた。こんなケースでは残された親はたいてい会えないか死に別れているものなのに、何十年も待ち続け、生きて会えて本当に良かった。帰国後は当然大騒動で小野田さんは居心地の悪さが続き、次兄のいるブラジルに渡り牧場を開く。原野を開拓し当初ほとんど収入はなかったが7、8年で軌道に乗ったそうだ。その時の表情は穏やかでまるで別人(↓上)。これが本来の姿だったんだろう。ついでに若き日上海商社マン時代の写真も載せよう。(↓下)

戦争でこれだけ人の表情は変わる、その影響の大きさにため息が出た。

2018年8月22日水曜日

なぜ、その日記記事にアクセスが増える?

このブログ、Googleの「Blogger」にはアクセスランキングというのがあって、私の「こてる日記」の場合、ブログに移行した2015年5月以降のよく読まれた記事(日記)が一目で分かる。そのベスト3を紹介すると、3位が666ページビューの「「週刊現代」のいうとおりにしたらぁ〜」(2016年6月1日)で、2位が805Pの「新型プリウス納車」(2016年1月23日)で、1位が「西村美紀引退」(2016年12月5日)のページビューは2844でダントツに読まれている。

「週刊現代」は薬の副作用にこだわり過ぎて本質を忘れた記事を非難したもので一時かなり話題になったからアクセスがあったのだろう。2位の「プリウス」は私が新型プリウスを鹿児島県で最初に購入した一人で実際に買った感想を知りたがった人が多かったからと推測する。そして1位だが、これはボウリングPリーグでおなじみだった女性若手ボウラー西村美紀が突然の不可解な引退をしたその理由を知りたいというネット民の欲求があり、その真相と思われる記事が載った週刊現代は2年ほど前の号で簡単には見ることができない、それを当時私が要約して日記に書きさらに自分の意見も載せたため、「検索」でマイページがヒットしているからだとみた。かなりマイナーな分野なのにこんなにアクセスが未だにあるのが驚きである。

で、そんなこてる日記シリーズに今週突然アクセス数を増やしている記事がある。タイトルを見て私はニヤッとした。2015年7月7日記載「なぜに最近鹿児島に台風は来ないのか」なのだ。これは今月やたら台風が発生、近接したからだと推察する。そしてさも曰くありげなタイトルだからだろう。確かにこの何年も鹿児島に大きな被害をもたらす台風はあまり記憶がない。今月の台風も正直たいしたことはなかった。実はそのわけは・・あまりにトンデモな理由なのでここに書くのもはばかれる。まともな理由があるのではと思って日記を訪問する人には申し訳ない。しかし、私の同輩でしかもある程度社会的地位にいて決して知能の劣った人ではないのになぜかその理由を信じてしまうことがあるのだ。

でもあまり鹿児島に強い台風が来ないのがここまで続くとその大隅半島でのブロックパワーが本当にあるんじゃないかって信じてしまいたくなるこの頃だ(^ ^;)

2018年8月21日火曜日

切羽詰まらないとやれない症候群

決勝戦はリアルタイムでは見ておらず、ネットでちょくちょくチェックしていた。初回の3点で「あーあ」、2回に1点返して少しは興味をつないだがスクイズのサイン見落とし(勘違い)などミスもあり、4回ホームラン打たれて「はい、負けた」だった。まあ仕方なかろう。でも十分の結果だ、金足農!

夜は当直だった。診察したのは4人だけで軽症が多くしかもうち2人は職員の体調不良だった。21時半以降は医局ソファにごろんとなり・・翌日未明に覚醒するまで起きていられなかった。幸いだったのはなんにも呼ばれなかったこと。高校野球も終わったしそろそろ本格的に来週月曜の朝礼スピーチスライドを作らねば。でもそう思うだけで結局手は動かず、夜は徐々に明るくなってくるのだった。きっと今日も作り始められないだろうな。明日からだ、そう明日があるさ。切羽詰まらないとやれない症候群の癖は一生直りそうにないわ。

2018年8月20日月曜日

ハイソコMRと高校野球談議

朝早く、カールを乗せて中央駅まで送った。御菓子を買った景品でまた1日バス旅行(福岡・佐賀)が当選したのだ。前も当たって熊本に行ったことがあった。同じ会社が運営しているらしく、途中でジュエリー店に1時間半立ち寄るのがイマイチだけど、昼食付きでワイン工場、果樹園、久留米織工場、道の駅「恋ぼたる」などを見学し無料サービスもあるというものだ。一人で行けば無料だがお友だちを連れてくれば一人8千円追加が必要だ。カールに言わせれば「八千円だったらちょっとどうかなと思う」らしいので彼女は一人で行くことにしている。そしてジュエリー店では絶対に買わないと決めていて今回は文庫本を持っていって時間をつぶしたそうだ。ワイン、梨、ブドウ、昼食は堪能したということ。しっかりしている。

夕方、餅持ち製薬のハイソコMRがぜひお話ししたいと医局にやってきた。何かの薬の宣伝かと思いきや、「先生が高校野球に詳しいと聞いていたので一度野球談議をしたいと思いまして」だと。へー。「実は私も高校野球をしてまして、京都の公立校だったですけど」という。ならばいつが高校3年のときだったのと聞くと「昭和50年」というから「ああ、習志野が2度目の優勝をした時だね」というと「そうです。準優勝は?」「確か、新居浜商かな」「さすがですっ」と感心してくれたところで、私も熱が入りこの後ずっと高校野球談議に花を咲かした。

一般的な名試合だけでなく高校野球裏話とでもいうべき話題が面白く、彼の出身県が京都なので「京都といえば平安だが、結構ワルが集まっていたんだろ」と水を向けると「ええー、そりゃもう。ヤ〇〇でしたよまるで。怖くて近づけませんでした」とのこと、彼が野球していたころは平安の暗黒時代だというのでそれは私も知っていた。私が小学時代はしょっちゅう出場していた平安がぷつりと出なくなっていた時期が高校や大学時代で1975年から1989年まで夏は出場出来ていない。代わりにライバルの京都商や京都西がよく出ていた。平安が本格的に復活するのは1993年に今の原田英彦監督が就任し1997年に川口投手を擁して準優勝してからである。

ハイソコMRは鹿児島勤務も長く鹿児島のチームでは樟南を余り気に入っていない。なるほどなるほど分かる。前の恥山監督が県予選の時につまらぬ判定抗議を30分もやり続け、後で「試合の流れを変えたかった(から)」とうそぶいていたと知り「ありゃいかんです」との感想だった。私もKKBが1、2回戦から県予選を生中継していたころみた試合で弱小校相手に何度も1塁牽制をするのでなんだか牽制の練習をしているみたいだなと不愉快な気分になったのを覚えている。それに鹿商工時代に練習場が住んでいるところの近くだったので見物に行ったら恥山監督ににらまれたことがあってネー。選手を怒鳴っているところも見たし、しかし当時は高校野球ってそんなものと思っていた。

折しも甲子園は準決勝が行われ金足農は日大三にも競い勝ち決勝進出までしてしまった。相手は優勝候補の大阪桐蔭。吉田輝星が本調子ならいい勝負が出来そうとは思うが桐蔭相手には厳しいだろう。でも、ここまで来たら今大会の主役は金農だ。記録には残らなくてもみんなの記憶には残る。ちょうど50年前の第50回記念大会(昭和43年)が大阪の興国が優勝したが話題になったのは沖縄の興南であれよあれよと準決勝まで進みまだ本土返還前のチームに大声援が出たものだった。私が高校野球を見始めたころで聞けば浩宮もこの時の決勝戦(興国1ー0静岡商)が最初の記憶だったと語っておられる。同じ学年なので興味を持った時期も同じ頃なんだ。

夏のナショナルパスタイム(国民的娯楽)、高校野球もあと1日で終わる。以前ならそろそろ秋が忍び寄るなんて風情もあったが今はまだ夏真っ盛りである。

2018年8月19日日曜日

サヨナラ後の明暗

昨日の甲子園準々、近江対金足農戦は麻雀しながら見ていた。投手戦で近江がリードしているのは分かっていた。9回裏に金農の先頭打者が出たところで面白くなってきた。次もヒットでノーアウト1塁2塁。次打者はほぼバントが定石の攻めだが素直にはやらない。近江も簡単にバントさせると同点、逆転の可能性がある。で、四球となってノーアウト満塁だ。こりゃー、少なくとも金農は同点には追いつくなとチラチラしながら見ていたら、スクイズ!これは見事に決まった。ほう、良かったな金農・・と思ったら2塁ランナーが猛然とホームに向かっている、ツーランスクイズかっ!タイミングはアウトに見えた。だがセーフッ!おお、逆転サヨナラ、すごい。麻雀しながらも私や見せたまえは拍手拍手。素晴らしい!

後でビデオ確認すると近江捕手のクロスプレーでのタッチはタイミングはアウトでもきちんとタッチしていないように見える。↓ランナーの手はまだホームベースにタッチしていない。この時キャッチャーミットがランナーに触れていればアウトなんだが・・。微妙である。
ま、これがアウトでもまだツーアウトで金農有利で試合は進んだだろう。そして結果が出た直後の明暗分かれたシーン↓。真上からのショットが残酷かつ美しい。

今日の日曜はずっと家で高校野球もお休みだったので貯めていたビデオを消費した。昭和41年の「大魔神」「大魔神怒る」、沢村栄治のドキュメンタリー、大河ドラマ「西郷どん」、P★LEAGUE、囲碁NHK杯など。リアルタイムで見られるものでもすべてビデオ録画して見た。あ、今のシーンもう一度確認とか途中トイレとか何かとビデオが便利だ。対シフトマシンになって地上波全てが録画されているというのは視聴スタイルが変わってくる。上の写真も自動録画されていたので後から確認、デジカメ写真に撮ったものでこてる日記にも大いに役立っている。最近TVネタが多いのはこのせいもあった。TVはネタの宝庫、今後もどしどし紹介しよう。

2018年8月18日土曜日

ウンの尽き

職場体験学習でのスピーチは今年で3回目で女子高校生22名に向かって「チーム医療」について講話をした。ほぼ同じ内容も毎年少しずつ中身をいじって話した。言いたいことは二つあり、患者を診るのは医者や看護師だけでなく実に多くの職種の人たちが関わっていること、それと医療現場にたとえ関心がなく間違ってこの業界で働くようになっても決して後悔しない仕事であるということで、後者は自分の体験談を交え話した。そして例の深夜ドッキリ詰め所訪問も入れる。去年とはバージョンを入れ替えた。万一同じ人が来ていたら「ああまたか」と思われるのは嫌なんでネ。

で、その後の仕事はなくて帰宅。高校野球準々決勝など見ながらゆっくり過ごした。午後からは久しぶりのリアル麻雀だ。相手はサブアラド、開けたいゾ、見せたまえのいつもメンバーだ。最近はネット麻雀で大不調になり一気にポイントが六段1900Pからガラガラ400P台に落ちて月曜から打つのを止めていた。リアルでも調子悪くても仕方ないかなと思っていたら何と久々の大勝ちだった。実はサブアラド、開けたいゾ両氏もネットでは不調でまだ私の方がマシだったってこと。ただ、半荘9回目までは絶好調で「過去最高の勝ちになるんじゃないか」と見せたまえに言われるほどだったが、その頃腹痛がしてきてそれをみんなに言うと「おい、ここでオナラなんかするんじゃない、さっさとトイレに行ってくれ」と闘牌を一時中断して一人トイレにこもった。5分以上はかけただろうか、すっきりして戻ると「さあ、ウンを出してきたな」と言われ、まさかそんなことあるまいと思っていたらそこから急降下、残り3回はマイナス100もくらってしまった。勝つには勝ったがスッキリしない結果であった。

2018年8月17日金曜日

校歌は岡野貞一作曲

朝、総務からの連絡メモがあって「来週の先生の朝礼スピーチは1週間延期になります」だって。なに?これはホントか。部長の畠鏡に電話して真相を確かめると確かにそうだと。うひょー、ラッキー!まだほとんど準備していなかった、1週間の延期はうれしい。でもなんで?「可愛いんだ理事長に『青雲会紹介ビデオ』を見せたら、『それを来週の朝礼で職員にぜひ見せなさい』ということでした」と。うーむ、理事長の有り難いお達し(気まぐれ)で助かったわ。

今日の高校野球はなんといっても3回戦横浜対金足農戦がすごかった。ネット動画でチェックしつつ、金足農は横浜相手に2ー4の劣勢でさしもの好投手吉田輝星もここで消えるか、でもまあ妥当な結果かなとも思っていた。奪三振13や14して鹿実や大垣日大には勝てても横浜相手では多少点は取られ逆に味方は点は取れない・・が、なんと8回裏にまさかの逆転3ランが飛び出すとは。しかも公式戦で一度もホームランを打ったことのない6番バッターがねえ。何か大きな力が動いている気がするわ。で、9回は吉田投手がえらい気迫で抜群の投球。150kmも飛び出し三者連続三振でゲームセット。
彼の球はピュンと伸びてまるで江川卓のような球筋でおそらく初速と終速の差が小さく計測以上に打者は速く感じるはずだ。見ていて気持ちがいい。

終了後の校歌斉唱シーンをみて、また驚いた。例の全員えび反りで歌うのがかって?いや違う。校歌の作曲者が「岡野貞一」だったからだ。
岡野貞一さんと言えばこれはもうこの人の作った歌を知らない人は日本人にはいないといってもいいくらいの作曲家だ。え、知らないよという人が大多数かもしれない。でも子どもの頃から知らずみんな歌い、大人になってもたまに歌い、TVでもよく歌われ、中にはその人にとって魂の歌になっていることすらある。唱歌「故郷(ふるさと)」「朧月夜」「紅葉(もみじ)」「春の小川」「春が来た」「日の丸の旗」そして♪もーもたろさん、ももたろさんの「桃太郎」も。私は高校野球オタクでもあるが唱歌オタクも自認している。唱歌のレコード、CD、本は結構そろえている。作詞で高野辰之、作曲で岡野貞一を知らなければ唱歌界ではモグリである。その二つのオタクである私が金足農の校歌作曲者を知らなかったのはうかつだった。

曲を聴くと出だしの「♪可美(うま)しき郷(さと) 我が金足〜」が特にいい。次に「霜しろく 土こそ凍れ」と係り結びが出てくる。おお格調高いぞ。
作詞者は近藤忠義という有数の国文学者だそうで比較的長い詞は農業の尊さを強調し素晴らしい。で、渡辺敏樹著「校歌の大甲子園史」をひもとく。3年前に購入し確か倉敷工の校歌西条八十作詞「♪轟くエンジン飛び散る火花」をネタにしたことがあった。これだけの校歌ならこの本でも紹介されていたのではないか。ぱらぱらめくると第5章名曲校編200ページを越えたあたりにやはりあった。うわ、ちゃんと岡野貞一とあるのに見過ごしていた。著者は最後にこう結んでいる。「・・かなりスローテンポなので、1番しか流れない甲子園でも、2分ほどの演奏時間を擁する長い校歌としても知られている。校歌愛好家でなくても甲子園出場時には必ずチェックしておきたい一曲だ。」ははー、これは失礼しましたぁ。

甲子園にはそれぞれ愛好するジャンルがあり、先の渡辺敏樹さんなどはさしずめ甲子園校歌オタク、実に300校以上の校歌を覚え歌うこともできる。最近ではブラスバンドオタクも多く、アメトークでも「よく演奏される曲ランキング」が毎回出てきたりNHKも今年は「甲子園!細かすぎる応援マニュアル」でブラバンの魅力を紹介していた。ブラバンでは梅津有希子さんが有名だ。本も出しており当然私も買った。私は甲子園戦歴&名勝負オタクかな。甲子園優勝校はここ50年くらいなら当然順に言える。今年は朝日新聞が名勝負アンケートなど実施しているが残念に思うのは50年以上前の名勝負がほとんど忘れられビデオ映像が残るここ40年ほどのものばかり紹介されることだ。おっと、話がどんどんそれてくる。ともかく投手もチームも校歌も魅力的な金足農、春夏連覇の大阪桐蔭と並んで大注目校になってきたぞ!

2018年8月16日木曜日

東院西園

仕事も忙しいし高校野球もちょくちょくチェックしているので家に帰ってもなかなかゆっくりできない。タイムシフトマシンで予約なんかしなくてもすぐ再生できるのもやや問題か。どうしても見ちゃうんだよな。

週刊朝日の夏の甲子園特集号も毎年購入して試合のたびに眺めている。各チームの紹介がメインだが、これまでの本大会の試合結果や記録、各都道府県の出場校記録などがまとまっていてそれについ見入ってしまう。それを毎年何十年もやっているから自然と高校野球の歴史に詳しくなってしまうのだ。

野球とは関係ないかもしれないが、出場校の名前を見ていて以前から気になっているのが私立校台頭がこの30年目立つ(桑田清原の頃はまだ私立公立ほぼ同数だった)のと「学院」と「学園」の東西格差だ。これは以前にも日記で私が指摘したのだがなぜなのかはよく説明できない。それは「学院」と名が付く学校は東日本の私立に圧倒的に多く西日本にはほとんどないという事実だ。今大会は如実にそれが出ている。

学院勢・・・すべて東日本
「八戸学院光星」・・・青森
「聖光学院」・・・福島
「作新学院」・・・栃木
「浦和学院」・・・埼玉
「中央学院」・・・千葉
「山梨学院」・・・山梨

学園勢・・・すべて西日本
「報徳学園」・・・兵庫
「智弁学園和歌山」・・・和歌山
「創志学園」・・・岡山
「沖学園」・・・福岡
「日南学園」・・・宮崎

実は学園と名の付く学校は東日本にも結構ある。有名どころでは埼玉の「聖望学園」神奈川の「桐蔭学園」「桐光学園」東京の「東亜学園」「佼成学園」「世田谷学園」東に含めていいと思うが長野の「松商学園」などある。しかし東北にはほとんどなく北海道も「白樺学園」くらいしか浮かばない。学院となると東には上記のほか岩手「一関学院」青森「弘前学院聖愛」栃木「国学院栃木」茨城「常総学院」東京「国学院久我山」がまだある。

西には学園はいっぱいだ。ご存じ大阪「PL学園」奈良「智弁学園」香川「尽誠学園」宮崎「延岡学園」「日章学園」鹿児島にも「神村学園」がある。まだ挙げよう。旧京都商「京都学園」兵庫「神港学園」「三田学園」三重「津田学園」福岡「筑陽学園」佐賀「佐賀学園」などなど。そして西の学院だがこれは少ない。最近聞くのは熊本「九州学院」くらいで戦前の兵庫「甲陽学院(甲陽中)」「関西学院」(戦後は2009年に1回のみ)が、あと宮崎の「日向学院」が1982年の選抜が最後である。東日本の「学院高」が毎回甲子園をにぎわし優勝もしている(常総学院、浦和学院、作新学院)のに比べ明らかに見劣りする。

「甲子園出場校には「東院西園」の傾向あり」甲子園学会なるものがあればこれを発表しよう。ただ、なぜそうなのかという論理的説明が出来ないのがちと苦しい。だれかその理由を知らないか?

(学院がキリスト教系の学校に多く使われる傾向があるのは知っているが、今大会では八戸学院光星と聖光学院くらいで作新、浦和、中央、山梨は関係ない。ちなみに常総もキリスト教系ではない。いずれにせよ東日本に学院が多い理由にはならない・・)

2018年8月15日水曜日

スーパーボランティア

昨日、ヒトミンチョの家でも話題になっていた周防大島の行方不明幼児が、朝7時過ぎだったか無事発見されたとの報道があり、驚きかつほっとした。地元の捜索隊が発見したのだろうぐらいに思っていたら、なんとボランティアのおじさんが見つけたのだという。オレンジの服にタオルで鉢巻きし、発見する前から報道カメラが撮していて「別に早く捜索に出ても悪いことないから」と言って6時半ごろには外に出かけていった。それが20分余りで見つけて来るのだからすごい。警察が渡して欲しいというのも拒否し自ら親に手渡したのもせっかくの成果を横取りされたくはないし分かるぜ。幼児の祖父の「お風呂に入って下さい」やお礼も固辞し、その日のうちに島を去っていくところなんざ格好良すぎだ。スーパーボランティア尾畠春夫さん、一躍有名になった。ちなみにTVリポーターから奥さんの存在を聞かれると「奥さんは、5年前に用事があって出かけてまだ帰ってこない」と苦笑いして答えていたそうで、こんなスーパーな人に付き添っていくのは大変なんだろう。

うへ、お盆で午前の内視鏡検査は少なかったのだけど、午後から怒濤の入院患者受け入れ攻勢で4人の入院があった。おまけに久しぶりの大腸憩室出血もあってへろへろ〜だぁ。

おまけに夜は来週月曜の朝礼スピーチのための資料作りをせざるを得なかった。土曜朝は職場体験学習の高校生相手にスピーチもある。休ませてはくれないわー。

2018年8月14日火曜日

ゲンちゃん、デビルになる

昨日、カールが弟嫁のチエコンさんに「明日は田舎に行くから。多分昼の15時くらいになる」と電話をした。そしたらチエコンさんから「ヒラーキさん、明日は芝刈りに行くから(そのころはもしかしたら不在かも)」との返事をもらった。で、「ヒラーキさんは明日は芝刈りですって。それならチエコンさんは川に洗濯かしら〜」とニコッとして言うので、「お前、芝刈りって多分ゴルフをするからってことだと思うけど」と教えるとビックリしていた。本当に芝を刈る作業をするもんだと思っていたらしい。麻雀を「中国語の勉強会」とか「積み木に行く」などと言い換えるパターンといっしょなんだが、「だって周りにゴルフする人いないから、言葉どおりに取るじゃない」と言われてもねえ。

言っていたとおり、15時に田舎に着いて、実家の居間に入ると、それまでずっと座るテーブルだったのが椅子付きのテーブルに新調されていた。膝が痛くて立ち上がるのがやっとのあこネーサ母のためにチエコンさんが選んでくれたものだった。ところが、あこネーサは「自分を養老院に入れて自分たちがここに住もうとしている」と誤解しやや不機嫌な表情だった。「ヒラーキたちの(住む)ところが狭くなっているから」と論理立てて話すが明らかに間違っている。ヒラーキらも子どもが3人も離れて狭くなるどころか家は広くなっているのだ。どうも年を取るとこうした認知の混乱が起きせっかくの施しも仇にとられて残念だわ。

夕方はヒトミンチョ宅へ行った。黒猫のりおんが体調が悪いと聞いていたが薬でだいぶ回復しているようだ。プレゼントしたPowerShot G7X Mark IIも快調でピントがネコにさっと合うのがうれしいとか。細かな設定など知らなかったところを教えるうちに何と背面モニターがチルトすることを知らなかったようで「あら〜」と驚いていた。そんな当たり前の機能を知らないってことはよくあるようで、ヨカトモ従兄は愛車のトヨタ86のドアの開閉でノブに触れば閉まるというのを気付いていなかった。
「開けるのはキーレスなのになんで閉まる時はキーのボタンを使わないといけないんだろう」だって。それで何年も過ごしていたとは!

帰りにヒトミンチョから「ゲンちゃんへのおみやげ」ともらったのが「ネコの天使と悪魔」というネコグッズで首にかけるアクセサリーだった。
それをゲンちゃんに着けようとするとこれがまあ嫌がること。
それでもどうにか着けるともう大変。嫌でしょうがなかったようで外そう外そうと部屋中を転げ回った。
その様子がおかしいくらいだったのでカールもチッチもスマホでカシャカシャやっていた。
私は当然PowerShotで撮った。そんな中でこれぞというのが↓の写真。ゲンちゃん本当にデビルになってしまったみたい。


2018年8月13日月曜日

高岡商のしぶさ

以前は14、15日を休みにしていたが盆に入っても病院は3日間開いている。ただ個人的に休みを取ることは出来るので明日の午後は休んで田舎に墓参りする予定だ。

午後は北山診療所当番だった。総務のジュリナガさんの運転する車で向かう途中、高校野球の中継を聞いていた。2回戦の高岡商対佐久長聖という地味な試合で高岡商が5ー1でリードして6回表を迎えていた。佐久の攻撃で2連続ヒットが出たのかな。電波状態が悪く音声がよく聞き取れない。ここでアナウンサーの中継によると高岡商は前進守備をしていないとのことだった。ほう、これはえらいな高岡。つまりは1点くらい取られてもまだリードしているから大丈夫、それより1点も取られまいとして2、3点取られないようにするという作戦だ。実際にその後レフト前ヒットの打球をホームには返さずに2塁に投げ打者走者の進塁を阻んだ。5ー3にはなったがランナーは1塁で次はダブルプレーを取ることができる。もしホームに投げていたらランナーは2塁でさらにピンチは続いていた。実際、次はダブルプレーとなった。その後もリードを保ち、5ー4で勝利した。しぶい。最近は1回に4点5点と大量失点をするケースが多いがアウトカウントをしっかり取っていけば試合にはなるんだ。

公立校でこうした大人の試合ができる高岡商、応援したいと思ったが次は何と大阪桐蔭とは。これは厳しい。今大会はどこが大阪桐蔭を止めるかが焦点の一つでここにできるだけ強豪校がぶつかって欲しいのだがー。

診療所での仕事はかなりヒマで最後は待合のTVで第4試合の前橋育英対近江の終盤を見ていた。前橋がリードしているものの内容は近江が押していた。6回に3ー3の同点になっては前橋は左の林投手を全く打てておらず近江が勝つだろうと思った。で、予想どおり9回裏サヨナラで近江が勝った。

帰りは総務は新人のよう寝とく君で高校野球談議に終始した。彼はかなり若くて松阪の横浜ーPL学園戦も歴史的な一戦としか知らない。鹿児島県のチームがかつて決勝戦にも出たことがあるとか知らなかった。夏は樟南が出て準優勝、春が鹿実が優勝もあったんだよと教え、最近の鹿児島の低迷ぶりを嘆く私であった。

2018年8月12日日曜日

いかにもたこ焼き

昨日、チッチが帰省して夕食は久しぶりに鉄板焼きセット取り出し焼き肉を食べた。珍しくリブステーキもありなかなか美味しかった。

で、今日の昼食はたこ焼きで、これも何年ぶりか分からないほど久しぶりだった。「鉄板焼きの板を出すのって滅多にないから」だそうだ。最初、バァーと生地を入れると盤全体が生地で埋めつくされた。大丈夫かな、これ。
「大丈夫、大丈夫」とカールは言っていたがすぐに「あ、卵入れるの忘れた」だってよ。肝心のたこはどこにある?これも昨日の焼き肉の時に生たこがあって余りがあった。最初は全然それらしくなくこれがたこ焼きになるのかと思ったが徐々に固まってきた。
ひっくり返すのがみんな慣れずおっかなびっくりでやるも時間とともにそれらしくなってきた。最後は形は不格好でいかにもたこ焼き!となった。
ソースかけ、青のりかけてぺろっと食べちまった。
卵が入ってなかったがちと残念ではあったがそれはまた次回への宿題ということで・・。

でもこの焼き肉&たこ焼きはそうそうはやれないという。後片付けもだが現在子ども不在でたくさん食べる輩がいない。それになんといっても焼き肉の後は臭いが部屋中に充満し髪の毛にもついて風呂に入らず寝てしまったものだから一晩中その臭いに悩まされたんだと。ふうむそれでこの器具はあんまし使われないのか。また何年後か分からないが今度はもっと上手に作ってもっと美味しいたこ焼きを食べよう!

2018年8月11日土曜日

マイボウラー誕生

朝、ヤスヒロ君のマイボール作製に付き合うため国分スターレーンに向かった。高速で向かっていたのだが、加治木のあたりでタナカッツMRからメールが届いた。

「前走ってます!」

うん?なんと目の前を走っている白い車はタナカッツ号だった。

「今からスターレーン」

「頑張って下さい!今から帰省です」とまたメールがあり、加治木インターで分かれた。一昨日の日記に書いたように本来だったらその日いっしょにボウリングをしていたかもしれなかった。

さて、今回はヤスヒロ君にマイボールを作らせるのが目的で私のお古のアブソリューションジェットというボールをプラグしていた。ドリラーはヤスヒロ君の投球フォームを見ていないので一度見てからドリルしたいと要求したが、あいにく今日はレーンが満杯でその余裕がない。驚いたことにどこかの大会でもないのに一般ボウラーでレーンが埋まっていたのだ。休みの午前は1ゲーム3百円でお客も多いそうだ。「最近は夜の方が少ない」とはドリラーの話だった。

ドリル代はプラグ代込みで5千円ちょっととこれはとっても安い。通常の新品上等ボールだと2万5千円はする。ヤスヒロ君の指に合わせドリルできたけれどそのままではまだ上手く投げられない。何もなしでは親指の前後が必ず緩くなるので指の穴をテープで微調整する必要がある。ただそこは強者(つわもの)、処女投球では見事ストライクを決めた。投げるたびにテープ調整を私がしていき徐々に投げやすくしてあげた。3ゲーム目は171出してまずまずかな。ていうか、今日のスターレーンはちょっとラインを間違うとヘッドピンを外すレンコンで私にも難しかった。↓ヤスヒロ君。この腕っぷしを見よ!

最後はタオルにクリーナーもプレゼントして「こういう風にゲームが終わったらきちんとボールを磨くこと」を教えた。じゃないとボール本来の動きが鈍ってくるから。まだまだ教えたいことはたくさんあるがいずれそのうちな。マイボウラーへの道はまだ始まったばかりだっ!

2018年8月10日金曜日

美人面会

今日は外来業務、これがまたくそ暑いのに患者も多かった。肺炎、肺炎、肝炎、腸炎、腸炎、えんえん。入院になりそうな患者が4、5名いて最後近隣のクリニックからの紹介患者は「もう診られん」とさじ投げた。その人は悪いことをしたが内視鏡担当のピッピDrに回ったようだ。結局3人入院になった。腸炎は2人とも虚血性大腸炎でどうにか入院させずに済んだ。空きベッドの余裕もなくなってきていたのだ。

医局で遅い昼食を摂って昼寝をしていたら内視鏡室から電話あり「先生、美人が面会ですよー」と言うので「その手には乗らん、行かないよオレは」と答えると、「じゃー、6階の師長さんといっしょに医局に行かせます」だと。?。いったい誰だ、さっぱり分からんと思って待っていると、来たのは子ども2人抱えた元青雲医療事務のタムハラさんだった。おお、久しぶり。お盆で輝北の実家へ里帰りする途中、病院に寄ったのだという。「あは、実家好きだもんねー」「えへ、でも病院は知らない人が多くてびっくりした」とのことだ。そうか、6階事務を最後に退職したのが5年以上前で結婚もその後にして私は披露宴にも出席した。長男連れて来たのが3年くらい前だったかな。「ええ、もう3才です」と丸刈りの賢そうな長男にまだ1才に満たない長女を抱えていた。当然写真を撮ってあげた。

で、サヨナラした後、3年前はできなかったスマホへの写真送信をLINEを使ってあっという間にしてあげた。スマホで撮れば簡単だけどiPhoneSEの画質がPowerShotと比べ落ちるのでイヤなんだ。

「デジカメだったのに早々にありがとうございました」そして「こどもの写真は撮るけど、私が入るのはないんですよね。ありがとうございます」と返信が来た。なるほどねー。最後に「そうか、それは良かった。ちなみに(タムハラさんの)ホクロは消していますからね」とバラした。私は人に写真を上げる時は必ず顔面のシミ、ホクロ、シワは修正して上げるのをモットーとしているのだった。

2018年8月9日木曜日

内視鏡待機

いやはや、午後は内視鏡が担当のはずだったが、「村紘プレゼント」と私が勝手に呼んでいる入院患者依頼が多発しばたばたした。クニンダDrが午後早帰りのため入院を担当できるDrが私しかいないからだった。その上、17時頃だったか、手術中の外科から術中内視鏡の依頼があってそれも今すぐでなく待機していて欲しいとのこと、内視鏡はいいとしてちょっと困ったことになった。実は19時から国分スターレーンでボウリング練習があり、しかも例のヤスヒロ君にマイボールを作らせる予定もあった。昼休みに彼に「今夜はよろしく」とメールも送ったばかり。今仮に内視鏡に入ってもぎりぎり間に合うかどうか。

で、ヤスヒロ君と連絡係をしてくれるタナカッツMRにメールして今日のボウリングは中止にすることにした。幸い、今回は参加者が少なくてよかったわ。

ただ、18時頃には術中内視鏡はしないとの連絡があった。うーん、どうにか間に合ったかもしれないが、疲れもありこれでよし、ボウリングはいつでもできるしな。

高校野球はそういえば昨日鹿児島実は秋田金足農にころっと負けたんだ。その試合は全く見ていない。相手ピッチャーがすごくいいと聞いていたので負けるかもと思っていた。最近、鹿児島代表は1、2回戦ボーイだ。選手が分散してしまっているのが原因だろう。この状況を打開し、悲願の県勢夏優勝の日まで長生きはしたいものだ。

2018年8月8日水曜日

天寿

当直明けで早帰りで帰宅すると、シェーバーES-LV7Cが届いていた。デザインは4、5年前のものとわずかに変わり洗浄機は旧型は使えなくなっていた。充電後さっそく剃ってみるとヘッドが柔軟に動き滑らかだ。剃った後もヒリヒリ感は全くなくここ数日の不安感から解放された。

夕方は内公Drの通夜に出席した。今日はそれもあって早帰りをしたのだ。一昨日の月曜に中学同窓生のシンタカさんからメールが届き彼が亡くなったのを知った。もっとも2ヶ月ほど前から寝たきりの状態になっていると知っておりとうとう来たかと思った。20分ほど前に吉田葬祭に着き会場前の廊下に入ると、医学部時代のアルバムや遺品などが並べられていた。周りにはずらりと医療関係者の供花が並ぶ中に山形屋関係のものもあった。彼の実家はあの有名な饅頭を作っている商店でもあり、饅頭パックも置かれていた。

会場に入り真ん中ほどに座っていると目の前に私のバスケ部後輩のカメバスDrが先輩Drと座ってきた。内公Drは脳外科医で13年前に3号線沿いにクリニックを開業していた。カメバスDrは脳外科で内公Drの後輩に当たる。そういえば青雲会病院のポンシンDrも脳外科後輩でいっしょの病院で働いたこともあると言っていた。また医学部同期で内公Drの親友のカピバラDrも早めに来ていた。表情を見れば急な別れではなかったことが知れる。癌で亡くなるということは悲しいことだけれど残された人たちにとって死を受け入れ別れを惜しむに十分な時間がある。元気な人が突然死するよりはいいのかなと思う。

18時からの読経、焼香が終わって喪主である奥さんが挨拶をした。「少し長くなりますが」と前置きしてから話し始め、最初に「天寿を全うしたという言葉があるが内公さんは天寿を全うしたと思う」と述べた。ほう・・。そして淡々と語っていく内公君の人生を聞けば、一般には人生半ばにして無念の死ではと思われがちも、確かに天寿を全うしたと言ってもいいかもしれない。子ども二人も無事に成長し一人は医師に一人はすでに結婚し子どももいる、自身は脳外科勤務を経てクリニック開業も順調で、自分と妻の家族一同でハワイ旅行もかなえることが出来た。ただ5年前に検診のつもりで受けたPET検査で小さな肺癌が見つかり・・手術で無事取り切れたに思えたが4年後に脳に転移箇所があって・・さすがにこの後は声を詰まらせた。そこは私も分かる。デンコーの弔辞を述べる際、亡くなる時の場面になったら思わず涙が出てきて声を詰まらせたものだ。この後も最後まで気丈に話しきり立派な挨拶だと思った。この日を覚悟しこの場面でこう語ろうと思っていたからではないか。再発が分かって1年あまり、別れを迎えるまで結婚30年、開業13年の記念も過ぎ、長女が見舞ってまさに勤務先の大分に帰ろうとする直前に血圧が下がりみんなで最期を看取ることが出来た。生きた年月は60年足らずであっても充実したいい人生だったのではと私も思えた。

気がつけば背後には大勢の参加者がいて遺族への挨拶に並んでいた。その間、私も多くの知り合いに会った。ちょうど、歯科医のタニグー君と会って彼が並んでいたのでそこへいっしょに奥さんに挨拶しようと割り込んだ。実は内公君とは長いつきあいだが意外につるむことはなく二人でいっしょに何かをしたという記憶がない。2年近く前、城山の講演会が終わった後、カピバラDrやお通じDrとバーで1時間ほど飲んだことがあったくらいで、その時にいっしょに撮った写真がありそれをプリントして奥さんに渡そうと準備していた。全くの初対面なので顔見知りのタニグー君といっしょなのは渡りに舟だった。写真を渡すと長女ともども喜んでもらえ、飾って置きたいと言ってくれた。

この後は帰る参加者も多かったが、医学部同級生が座るブースに残りお互いの近況を語り合った。斜め隣には中学時代の同窓生が集まる席もあり私はそちらにも行った。最初は何も食べず帰宅して夕食を摂る予定だったが、中1の時からのオトコミセ、水床両君が遅れてやって来て、語り合ううちに時間も過ぎ出されていた食事で済ますことにした。ただ、まさか最初から最後までいるとは。帰り際に思い出の品を3人で見ながら斎場を後にした。その際に「これを着けると暑いんだよなー」と髪を触って頭部の一部を取り外したのがオトコミセ君でなんと何十万かするアートネーチャーを着けていたのだった。いや、白髪の分配も自然で分からんかったぜー。

2018年8月7日火曜日

おむつを食べる

今夜は当直。忙しかったのかといえばさにあらず、軽症の患者二人が早めに来ただけで20時以降は全く呼ばれなかった。で、明日退院予定のオマルさんのとこに行って3子局を打った。序盤から中盤にかけて我ながらすごく上手く打てて必勝態勢になった。オマルさんは一見無理と思える手をどこかで必ず打ってくる。何だとちくちょう、咎めてやろうと打っていると逆にこっちの隙を突かれることがよくある。今回はそこを冷静に対処できた。毎日のように囲碁AIマスターの打ち碁を並べているからかなぁ。後半は油断というか大石攻められ取られてしまい差が縮まったが8目差で勝利した。ふう。「強くなった・・」とオマルさんのつぶやきを聞きつつ「ありがとうございます」と後にした。

そうそう、書くのを忘れていた。昼過ぎに愛乱病院から内視鏡依頼があり、聞けば「おむつをちぎって呑み込んだ女性患者がいてー」とのこと。あー、またあの中年女性患者かいなと思ったが20才代とのことで別人だった。例の患者だったら過去4回毎回違った異物を呑み込んでそのたびに内視鏡摘出していた。今度は新人さんかいな。おむつは吸収性が高く場合によっては腸閉塞を来すこともあるから可能な限り胃から取り除く必要がある。すぐに救急車で来させるよう伝えた。

内視鏡で見ると食道に小さな破片が5、6個、胃の中にはメインのおむつが1個と破片1個ありそれらを地道に鉗子を使って取り出した。メイン破片は、8cm×3cmほどあった。意外と人手が入りどうにか就業時間内に取り切ったのは良かった。その患者は腕にはリストカットの跡があり自殺企図も何回かあるらしい。私は何も言わず返書を書いて付き添いの看護師に渡した。内科(消化器内科)にも難しい病気はあり治療に難渋するが、精神科のDrらはこの患者をどう治そうとするのだろう。私には肉体の治療に比べ精神の治療がはるかに難しく思える・・。

2018年8月6日月曜日

五転

今日の高校野球2日目、レジェンド始球式は「木村竹志」さんだった。実はレジェンド始球式のメンバーが発表された時、唯一知らない名前だったので誰だろうと思っていた。実は1979年の春夏連覇のエース「石井毅」その人だった。なーんだ、だったらもちろん知っている。そして始球式の時にそばに立っていたのは元星稜エースの堅田外司昭さん。主審としてこの試合を担当することになっていた。あの延長18回の死闘を演じた二人を並び立たせるとは高野連も粋なことをしやがる。

その第1試合は高知商対山梨学院。これが壮絶な打ち合い、二転三転のシーソーゲームだった。私はネットで途中経過をチェックしていたのだがどっちかがリードしていてもまったく安心できない気分で、Yahoo!ニュースでは担当者がこんがらがったのか、点数入れたチームを反対にするというレアなミスもあった。
↑を見て、「ふーん、山梨ちょいリードか」と思うのは当然だよね。
しかし10分もしないうちに実は↑高知商大量リードだと訂正が入っていた。
その後二転三転、山梨が1点リードも↑このまま終わると予想した人はほとんどいない。
7回終わって14対12で高知商がリード。
凄まじい打撃戦で、結局二点三転どころか五転して結局このままのスコアで終了した。

次の優勝候補の大阪桐蔭と作新学院の試合は見ていなかった。今大会はどこが大阪桐蔭を倒すが焦点の一つで作新も桐蔭相手でなかったら上位に行けたのにネ。第4試合は佐久長聖と北海道の旭川大高で延長戦に入り12回までで決着付かず高校野球史上初のタイブレークに突入した。結局先攻の佐久が14回に勝ち越すが、それよりもこの試合の焦点は8回の誤審だろう。レフト前ヒットになった旭川の左翼手の捕球は地面に着く前にちゃんと捕球しており、アナウンサーも「微妙な判定でしたが・・」と口を濁すプレーで明かな誤審だった。このせいで佐久のランナーがたまり、皮肉にも今度は左翼手の落球で2点入り、逆転を許した。もし誤審がなければ点は入っていなかったかもしれない。

高校野球は100年の歴史の中でいろいろな改革をしてきた。タイブレーク導入は特に反対する理由はなく、今後浸透するとして、今後はビデオ判定も導入するかどうかの判断も必要になると思う。私が以前書いた「あれはアウトだった(2015/08/13)http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2015/08/blog-post_22.html」も明らかにアウトをセーフと誤審し、結果報徳学園が早実に追いつく展開になり、逆転、その後優勝するという結果になった。誤審がなければ金村や荒木の運命、学校の歴史(報徳はその1回しか夏の優勝はない)も変わるわけで、勝負に直結する誤審は出来るだけなくすよう私はビデオ判定の導入を望む。

2018年8月5日日曜日

今度はシェーバーが

私の好きな高校野球甲子園の時期がやって来た。今年はなんと第100回の記念大会だ。そのため事前の関連番組がNHK、民放問わずかなりあった。中日の松阪などは復活右腕よりも高校野球関連の取材が殺到していたとか。高校野球がらみならそれらの番組は必ず見る。でも今回は多すぎてビデオ保存にしあとで見ることになろう。

記念の一環としてレジェンド始球式なるものがあり、開会式直後のレジェンドは松井秀喜だった。強運にも母校の星稜高校が開幕試合にあたり松井は後輩たちをバックに投げることができた。ワンバウンドでちょっぴり頭を抱えた松井だったが、こうした試みは楽しいし今後も似たような企画をどんどん出して欲しい。それに引き替え、プロ野球側はオールスターで各選手が母校のユニフォームで試合をするという提案が出たものの、契約関係がどうのこうのでうやむやになり実現しなかった。高校野球もプロも密接に繋がっている故になにかしら記念大会に繋がるパフォーマンスが欲しかった。人気自体はプロの方があるからって胡座(あぐら)をかいていちゃいかんよ。

朝、ひげそりでシェーバーを使おうとしたら動きがおかしく、壊れていた。今度はシェーバーか、まったく電器製品の壊れる年だぜ。シェーバーも洗濯機、掃除機同様パナソニックで5枚刃の自動洗浄器付きだ。4、5年前に購入して以来刃の交換を2回くらいしたかな、カメラと違って本体の修理は考えられないのでネットで注文することに。すると2万円前半であり、前回よりやや安い印象もあり即決した。実は9月1日に新製品が出るという。ここで新製品を待つのは愚策だ。シェーバーのような成熟商品は「新」でも画期的な機能が付くことはほとんどなくちょいと目先を変えたぐらいのことが多い。そのくせ発売直後は1万円ほども値が跳ね上がるのだ。現行製品の値段の折れ線グラフもネットではすぐチェックでき、去年の発売直後は3万7千円以上もしていたことが分かった。要するに今が底値でちょうどいい時期だった。

しかし現実ヒゲを剃らねばならない。子どもらが使っていた安全カミソリがたまたまあって使ったがそり跡がひりひりして参った。実は私、カミソリってほとんど使ったことないんだ。ひげそりのクリームとかも買う羽目になったが数日の我慢。あー、早く来い、シェーバーよ。

2018年8月4日土曜日

デジカメ記録が動かぬ証拠じゃ

今日は朝は外来、午後は夕方まで居残り日直だった。17時半に引き継ぐ非常勤のフラットランドDrは初めての青雲会病院当直とのことで、仕事の要領、電カルの使い方など30分以上にわたってオリエンテーションした。大学から月に2回土日当直に来てくれるので有り難い。この説明するということがなければまた入院しているオマルさんと囲碁でも打ってもよかった。

昨日久々オマルさんと3子局を打ったのだ。内容はいうと、前半優勢と思っていたのに大石の死活をうっかりして逆転され参った。それでも打ち進め、大風呂敷広げてそれを消しにきたオマルさんの石を取って再逆転して勝ったのだった。そう思っていた。しかし、デジカメで一手一手記録していたのを見直してみてとんでもないことに気が付いた。序盤の私の大石の死は実はちゃんと生きていた石だったのだ。それがなぜ死んだのか?それはそこにあるべき私の黒石がオマルさんに剥がされなくなっていたからー。

具体的に写真で見てみよう。↓の黒石は二眼あって生きている。ところが・・。
手数が進んで気がつけばあったはずの黒石(青矢印)がなくなっている。
そこを白に延びこまれて「あっ!」となった。黒16子は死んでしまった。

この白の手を見て私は「なんてうっかりしていたんだ。ちゃんと手を入れれば生きていたものを」と嘆いた。しかしくやしいのでその後も打ち続け、どうにか逆転したから良かったものの反省しきりであった。だが、実際はオマルさんが黒石を剥がしていて私の石が不完全なものになっていたのだった。その証拠もまたデジカメ写真に残っていたのだ。

白番のオマルさんが矢印にあった黒石を手に取っているのが分かる。
これって、百戦錬磨のオマルさんのウラ技なのか?

実はオマルさんも悪気があってのことではない。盤面に夢中になるあまり白石の入っている碁笥(ごけ)からでなくその近くの盤面の石を取ってしまうことがこれまでよくあった。たいていはすぐに気がつき事なきを得ているのだがこの時は互いに気付かず進行してしまった。結果逆転勝ちしたから良かったがー。

黒石181、白石180個あり勝負を付けるのに百手二百手とかかる囲碁では石のずれや紛失は時にあることで、プロの試合でも見たことがある。それは公開対局のNECカップで1999年の小林光一対林海峯戦だったと思うが、小林のスーツの袖に黒石がひっかかり位置がずれてしまった。しかし対局者も気付かず進行してしたのだ。対局は鹿児島であり私は座席で見ていたが気付かなかった。結局勝負に関係しないところだったので事なきを得たが、今回みたいな場合だったらすぐに指摘しないとゲームそのものが成立しなくなる。そのプロの試合は後日TVで放送され石がずれる瞬間が画像に映っていた。画像を残すって大事やわっ!

2018年8月3日金曜日

暴言には毅然と

昼の15時前、患者さんの番号を看護師が呼んだら、外来の席にいた初老の男性患者がいきなり「いつまで待たせるんだ!」と咆え始めた。おやおや、待たされていきり立っているみたい。看護師らが慌てて確認に走り受け付け番号をみて特に遅れているわけではなくまだその前の番号の患者も呼ばれていないとのこと。たまたま私が呼んだ患者さんはその人より遅い番号だったけど脳外科のDrが急変で診られなくなり代診で診察したのだがそれを聞いてカチンとなったようだ。

無視して診察を続けようとしたが、私の診察室の外来受付まで来てワーワー言っていたので「何を言っている!遅らせてしまっているわけじゃない」と負けずに怒鳴り返した。すると受付を通り越し診察室の裏側からその患者はやって来た。その顔を見たれば知っている顔で「順番どおりやっている。まだあなたより若い番号の人も待っています」と大声で言うと、患者もハッとなったようできっとクチビルを噛み「分かりましたっ」と握手を求めて来た。この間、わずか2、30秒だったろうか。あっという間に外来の騒動は鎮火したのだった。

看護師らに「センセ、ありがとう。カッコ良かったネ」と言われたが、最初順番を間違って遅らせていたら逆に素直に謝るつもりだった。でもそうではなく患者の短気のせいと分かったらひるんでははいけないと思った。それは職員を守るためでもある。確かに1時間近く待たされ遅い番号の人が先に呼ばれればいらつくのもの分かる。しかしこちらに落ち度がなければ暴言には毅然と対するべき。でも素直に応じてくれて良かったヨ。はあ。

2018年8月2日木曜日

外だけでなく院内もあ・つ・い

今朝は非常勤Drが遅れるとのことで人間ドックの診察を20数人やったあとスメアもまた8人という最大クラスの人数をこなし、胃カメラ業務に入った。昨日午後来院してむかむかが治らないという高齢男性を今日胃カメラしていると粘膜がやや黄色気味なのに気付いて検査後すぐに採血を指示した。胆道系に問題ありとにらんだのだ。案の定、黄疸があり即入院となった。可愛いんだ理事長からうっ血性心不全の中年男性の入院を依頼されたり、午前は救急当番でもあったので畑仕事に出て倒れた高齢女性は熱中症にあらず実は脳出血とか19才の過換気症候群が来たりで、内視鏡係だってことを忘れるくらいだった。そんなドタバタの中、20才代の睡眠薬を9錠、焼酎といっしょに飲んだという救急依頼があったが、もともと精神科かかりつけだったようでもう断りましたヨ。その程度では胃洗浄はしませんからー。

午後は大腸内視鏡が2件だけで済み、やれやれと思っていたら4番診察室からピッチが鳴った。ムラコープレゼントだ。外来はするけど入院は診ない村紘Drが週に数回私にプレゼントをくれるんだ。今日はよくある高齢者肺炎で定番なやつ。はぁーとため息つくもこれも仕事と割り切ってサクサクと入院指示を入れる。

帰りはまたもや入院しているオマルさんと一局囲碁を打とうかと思っていたが、感染症委員会のメンバーでもある難ガターさんから「感染症のネット講演があっんですがー」、連絡するのを忘れていてと言われるも弁当が付くと聞いて会議室で聴講することにした。へー、敗血症の原因菌で一番多いのはMRSAなのか、モグモグ。見渡せば弁当食べているのは私だけだった。

あー、やっと終わったよ。20時近く、駐車場で車に乗る前、東の空をみたら赤味を帯びる星がきれいに見えた。地球に最接近期間中の火星だ。ああ、あそこにあこがれのデジャー・ソリスがいたんかぁ。で、車のシートに座るとなんかお尻に違和感があると思って触ったら左の尻におできが出来ていた。まったくぅ〜雰囲気ぶちこわしだぁ。

2018年8月1日水曜日

理不尽ボウリング

ボウリング練習はいつものT-MAXでサンシさん、エリックMR、アンドキサMRと投げた。3ゲーム終わってアベレージ順に1位の私と4位のアンドキサ組、2位のサンシと3位のエリック組でダブルスゲームをした。結果から言うと私たちの2連敗に終わった。

1ゲーム目の敗因はアンドキサMRの最後のスペアミスで、簡単な6、10ピンの2本残りを取れなかった。スペアなら次は私が3ピン以上倒せば勝ちの場面で勝利は間違いなかった。この時の彼の投球、若干脇が開いていた。取らねばならないと力が入ると脇が開いても投げられる。すると微妙に狙いが狂いやすくなる。逆に力を入れずボールの重さのままに腕を降ろすと最初の構えのままにぶれずにボールを投げることが出来る。ここぞという場面でミスが減るのだ。

2ゲーム目、今度は最初にアンドキサMRがストライクを取り、次フレームから私が投げることになるもとうとう最後までストライクを取れなかったことが敗因だった。ストライク取れないとアンドキサMRがスペア担当になる。すると1、2回のミスは出る。その前のゲームまでストライクは何度も出していたのにこのゲームでは出せなかった。どうしても10ピンが残ってしまう。どうすれば良かったが未だに分からない。10ピン残り対策はボウラーの宿命といってもいい問題で常に悩まされる。誰か教えてくれる人がいないかぁー。

もっとも前回はアンドキサMRと組んで二人とも絶好調で248、223というダブルスとしては過去最高のスコアを出した。今回は158、121だ。同じ人、同じT-MAXのレーンでこれだけ差が付く。ボウリングって理不尽なとこあるわー。