2014年3月31日月曜日

送別の日

たまたま薬局に行くと長政薬剤師が「センセ、ありがとうございます。こてる日記に私、出てました」と挨拶してきた。あれ?何か書いたかな。ええとそうか「アスパラK=明日からけー」ネタだったな。いやいやどう致しまして。そう言われればまた書いちゃうヨ。

3月31日と言えば年度末。昔は学校の先生の送別式があった。内視鏡などで週3回来てくれていたジュンワDrも今日が最後で来月からは某病院の常勤医になるとのこと。しばらく内視鏡医不足となるので私が外来からまた内視鏡をする機会が増えることになりそう。4月5月は2週間ずつヒラメグDrが来てくれるのでどうにかなりそうだが6月以降は増えて来ている内視鏡検査をいかにこなすかが課題である。

新聞で鹿大教授退官記事があってその中でおやと思ったのが野田伸一教授(国際島嶼教育研究センター長)だった。聞いたことのある名前だと思ったのだ。よく見れば寄生虫学とありやっぱりそうか。私が大学4年の時の医動物学(寄生虫学)教室にいた助手(講師だったかな)先生だ。九大理学部生物学科出身で虫好きが高じて医師のなり手が少ない医動物学教室に来ていた。私は学生の身でフィールドワーク手伝いや与論島まで同行したことがある。与論でのことだったかな、ウォークマンのイヤホンをかけ「久しぶりに聴こうか」と聴いていたのが中島みゆきだった。しぶい。私より11才年長なだけなのにすごく上に思えた。今後はミクロネシアでの調査研究も続けるという。まだまだ引退というわけではなさそうだ。ますますのご活躍をお祈り申し上げます!

2014年3月30日日曜日

やっつけ仕事の定義

朝から日曜当直。来週も日曜当直が入っている。ふふ、台湾にも行ってきたし平日は院外Drがしてくれることが多く最近は土日当直が多いってわけよ。で、忙しかったのかというとさにあらず、割に暇で医局ソファで寝て過ごした。本当はこに時期のやっつけ仕事「レセプト書き」がたっぷりたまっていたけれどどうにもやる気が起きず放置していた。「やっつけ仕事」の定義って何だ?それは始めさせすれば自動的に片付いていく雑仕事のことだ。だがその最初のスイッチが入らない、入れられない。

夕方、NHKBSで「クール・ジャパン」をやっていた。外人ゲストらを交えて日本の素晴らしい事柄、物などを紹介する番組だ。いくつかあった中であの三菱鉛筆のシャープペンシルが取り上げられていた。実は私も使っている「クルトガ」で書くたびに芯が回ってトガり続ける自動芯回転機構を搭載したシャープペンである。書いた字が太くならずムラがなく見栄えがいいのが特長だ。開発に何年もかかり2008年に発売されるやベストセラーとなり1年間で300万本以上売上げたそうだ。他の国にはなく、まさにクールジャパン格好いいじゃないかと司会者はゲストらに感想を尋ねた。しかしである。たいてい同調してくれることが多いがこれについては「あまりそうは思わなかった」という意見がぽちぽち出た。実は諸外国ではシャープペン(英語ではメカニカルペンという)はテストの時には使うことがないというのだ。ボールペンで解答するのが常識なんだそうだ。「だって鉛筆やメカニカルペンでは書き換えらえれたり出来るからそうすることの出来ないボールペンで答えを書くのが当たり前です」とのこと。如何に優れたものでも日頃さほど使わない物であれば評価は上がらないってことだった。がっくり。

深夜になってようやくレセプトに手を付け始めた。それも患者の少ない回復期病棟と重症の少なかった5F病棟のみ。重症患者が多く10名以上も書かねばならない4Fには全く手付かず。どうにか数名片付けた頃には睡魔が襲ってきて起きていることもままならなかったのであった。

2014年3月29日土曜日

スクラッチで負けるようでは

朝から雨だった。ちょうど桜が見頃のようなので「どこか花見に行こう」と思っていたのにこの天気ではなー。結局家でだらだら夕方まで過ごした。

17時半にはT-MAXへ行き歯科医師会ボウリング月例会に参加した。私に連絡してきたMノ下が来ておらず何で?と聞いたら「インフルエンザになってしまって」とのことだった。確かにまだ流行っているみたい。「球質をフックに変えて10ピン取れなくなりました」とメール来ていたからどんなものか興味があったのだが・・。

昨日の串木野でもそこそこ調子良かったからマスターマインド駆使してあわよくば優勝もと思っていたが、なぜかコントロールがうまくいかず200近くもあればスプリットにまみれて150くらいもあり、途中からネクサスに変更したけれど久しぶりに取り出したボールだったので親指調整に違和感ありテープをとっかえひっかえし集中力もそがれた。アベ177、ハンディ込みで4位に終わった。優勝は海広しDrの叔父に当たるいつもの海邦さんだった。アベ188、ハンディ18もあるから勝つのは大変ぜよ。スクラッチで負けるようではお話になんない。最近練習をよくしているけれどまだまだだってことだぜ。

2014年3月28日金曜日

ノロNs退職

内視鏡室にいると外来のノロNsが来て「今日まででした」と退職の挨拶に来た。ええ?知らなかったヨー。それもそのはず彼女が外来のみんなに退職のことを自ら話したのは私たちが台湾に出かけた20日だったそうだ。20年以上勤務し私が来てからも14年近く外来、当直でいっしょに仕事をし、たまにはケンカもしたレアケースの看護師だった。新たな勤務先が決まっていたせいかなぜかニコニコすっきりした表情だったな。おつかれさん。

病棟でよくリハビリスタッフと出くわす。ベッド上でもリハビリを行っているからだが彼ら彼女らは数が多く名前と顔が一致しない。「君はABさんでしょう」と言うと「いいえBAです、センセ、この前も間違えました」と言われる。そんな一人に作業療法士(OT)のOMさんがいて今日たまたま病棟にいたので「あ、君はOMさんだよね」と言ってネームを見るとAOさんだった。あれ、また間違った?しかし彼女は「OMです」と答えた。戸惑う私に「籍を入れて2週間になります」と種明かしした。なーんだ、そうなの。最近は先に籍を入れて式は半年、1年後というケースがすごく多い。できちゃった婚(良く言えば授かり婚)も多いし、ここ2、30年ほどでずいぶん様変わりした。いや、それはおめでとうと言うと、ニコニコ笑い、えくぼが似合う新婚OTだった。

あ、そういえばノロNsに「辞めるって結婚?」とは言わなかった。ウソでもいいから言うべきだったナー(^^;。

2014年3月27日木曜日

君も読めよ「探偵団」

シホねえNsの息子ノレン君がホームズや少年探偵団物を読んでいると聞き懐かしく思った。小学5年とは私もそのころから少年向けの推理物に関心が出てきて図書館にあるポプラ社のものを片っ端から読んでいったものだ。で、ノレン君は本を買って欲しいらしいがシホねえNsは「高いからダメ」と返事したと聞き、「そりゃいかん。本が好きという子どもの芽を摘むなんて」とたしなめた。毎晩飲んでいるビールを控えれば買えるはずだぞ。「だってぇー1冊千円近くもするぅー」「だってじゃない」といきさつがあって今日、私は家にあった少年探偵団シリーズ14冊を内視鏡室に持って来てプレゼントした。それを見てブックリバーDrも「うわ、私も子どもの頃読んでましたよ、懐かしい」と反応した。みんな読んでいたよね。江戸川乱歩はたいしたもんだ。だって第1作の「怪人二十面相」なんて昭和10年くらいの作品で他のも昭和20年代から30年代にかけてでその頃の世相を反映しているのに現代の子どもが読んでも面白く作っている。それはホームズやルパンものにも言える。乱歩は子どもにはふさわしくないような内容は意図的に省き、語りかけるような名調子でぐいぐい物語に引き込んでいく。今風のどぎつさや悪がのさばるようなことは決してない。正義、勇気、信頼、我慢など臆面もなく書かれ大人からみたらつっこみどころ満載でも子どもには必要な修養とでもいうべき内容がふんだんに含まれている。10代前半の男の子だったら読むならまさに今でしょだ。ブックリバーDrも「シホねえさんとこが読み終わったらうちにぜひ!」という。確か彼の上の子はまだ小学低学年だったはずで、後2、3年したらちょうど渡すにはいい頃かも。そうやって読み継がれていけばいい。

実はこの子ども向けのハードカバー10冊以上が片付いて家の居間の本棚がすっきり整理できて良かったということはシホねえやブックリバーDrには内緒にした。こてる日記を読んでいる人たちだけの秘密である。

2014年3月26日水曜日

院内素描

今日の私は内視鏡検査日ではなかったけれど朝一で可愛いんだ理事長の胃カメラを仰せつかった。今月来月が職員の健診月になっているのだ。

外来では久しぶりというかグッドタイミングというかシオシゲ監督の診察に当たった。話題は当然センバツ高校野球で昨日の大島高校のことだった。元監督に言わせると「細かい野球が出来ていない。レフトが捕球した時に3塁ベースなら本塁突入もあるがコーチャーの判断が出来ていない。あと2、3点は取れていた。私は渡邉監督にも(甲子園での心得を書いて)手紙を送っていたのだが・・。でもいい顔で野球をやれていたな」との感想だった。

午後大腸内視鏡をした患者は19才の痩せた女性で潰瘍性大腸炎ではないかと心配したが虚血性大腸炎だったようで一安心した。同じ腸炎でも経過が一生と一週間の違いがありえらい差だからだ。でも問診表にタバコ15本とあったのはいただけなかったな。

近隣の病院「山師だ分かるやないか」から胃瘻造設依頼の患者が来た。明日造設して1週間ほどで帰るパターンでお互いの連携が取れているのだが平成27年度からそれがスムーズにいかなくなるかもしれない。厚労省の方針では胃瘻造設術年間50例をこえる施設では経口再開患者などが一定%いないと保険点数2割削減をするという厳しい査定になるそうだ。青雲会病院では昨年は64例もの患者がいた。そのうち何十%かは他院からの紹介によるものだ。依頼に「はいいつでもどうぞ」なんて請け負えなくなるかも。一人の高齢寝たきり患者に多くの医療人を割けない、それに小家族で家でも簡単に親の面倒を看ていけないからこそ胃瘻患者が増えて来ていると思うのだが「無駄に生かしている」との嘘くさい批判を厚労省はこれ幸いと医療費削減に利用しているように思える。

それともう一つ。日本人の多くは死生観というものをあまり持っていない、持っていても確固たる信念がない人が多い。「食べられなくなったらお迎えを待つまでよ。点滴や経鼻チューブや胃瘻で生きながらえるなんてまっぴらごめん」と本人も家族も思いその通りにしてくれたらこんな問題は出てこない。多くは何となくできたら長生きしてもらえたらぐらいに思っていて実際胃瘻で長生きしていても受け入れる家族が多い。でもそんな曖昧な態度でもいいと思うのよ。死生観を必ず持てというのはだいたい欧米流で日本人の感性には合わない気がする。私も食べられなくても胃瘻で生きていてくれるならいいなと思うタイプだ。来年度の胃瘻査定方針が長く続かないことを望む。

2014年3月25日火曜日

応援も戦力

診察の合間に入って来た情報では奄美の大島高校が古豪・平安と1対1の同点ということだった。へー、やるじゃん。序盤から一方的にやられるのではないかと危惧していたが点も入れて中盤まで同点とはなかなかだ。だがー。終わって見た点差は16対2という超大差だった。あわわ。でも総評や試合後のインタビューによると大島の応援に平安の選手も序盤は平常心で戦えなかったそうで応援も戦力、奄美群島が一つになって戦っていたんだなと感心した。きっと応援団賞を取るとその時私は思ったがやはりその通りになった。おっとこういうのは2週間遅れではなく速報で書いておくべきだった。あとからなら何でも言えるじゃんって言われそう。4年前のワールドカップではウルグアイのフォルランがMVPにふさわしいと事前に書いて当たっていたことがあった。よし、今度のW杯では速報感想を少しでも述べておくことにしよう。気がつけばW杯まで後2ヶ月ちょっとか。まずは大迫勇也が代表に選ばれることが私にとっては一大事だがきっと大丈夫だろうよね。(ちょっぴり不安)

この日の内視鏡室では台湾話などに花が咲くのは当然で中でもシホねえNsのお金の使いっぷりがネタになっていた。3日目の途中で手持ち現金がなくなってチンさんに貸してもらえないかなとそれとなく「ホテルにはあるんだけどナー」とモーションかけたけど無視されたって。当たり前だろ。だいたい考えて使えよー。うちら夫婦は3日目の夜になっても使い切っていなかった。もしその時私たちに頼めばきっと貸していただろうに。カールに言わせればシホねえNsがいたから(ネタ提供してくれて)とても面白かったんだって。なるほどそんな効果もあったか。

2014年3月24日月曜日

台湾ボケってか

(台湾旅行記が書き終わるのが長くなりそうなので帰国翌日から書いていきます。おいおいアップしていきますの数日前に戻って読んでやって下さい)

昨日の帰国後は午後から自宅で休んでいたにもかかわらず今日は何となく疲れていた。今日は髪の毛がぼうぼうとしているのに気付きどうせ休むのだったら散髪に行けば良かったと後悔した。あと日本では春のセンバツ高校野球があり鹿児島から2校が出場しているのにも関わらずあまり見ようという気が起きない。天鳳もしていないしする気があまり起きない。疲れと忙しさのせいか。いや台湾ボケかな?そういえば昔はよく円形脱毛症のことを台湾ハゲという言葉を使っていたがあれは何が由来なのか。私はてっきり台湾島の形から来ているのかと思っていたが、日清戦争に出征した兵士に流行ったからで当初は「台湾坊主」と呼ばれていたとのことだ。地名を馬鹿にした印象があり放送禁止用語になっていて、まあいずれ消えゆく言葉だろう。

今日の診察で嘔吐下痢訴えたそれぞれ別の3人が3人ともノロウイルス抗原に反応があった。この時期は下火だと思っていたけどまだまだ油断ならないな。サブアラドDrが「うちの病院でも台湾帰りの人が下痢っていたぞー」と旅行前に言っていたが、2日目のトイレ直行事件は単なる便我慢だったし、うん私は大丈夫だ。明日からは疲れも取れいつもの日常に戻ることだろうて。

2014年3月23日日曜日

台湾帰国

朝5時半から6時には起床してホテルのロビーに集合だった。帰国のバスで台北桃園国際空港まで行く間もみんなぼーっとしてさすがに疲れが取れていないようだった。なかでもシホねぇNsはほとんど寝ている状態で、ムッちゃんNsに聞いてびっくりしたのが「あの後、一人でホテルから出て近くのカラオケボックスに行って現地人と午前3時くらいまで飲んで歌っていたんだそうよ」だって。えーーっ!だ。よっぽど遊び足りなかったのか手持ちのお金もほとんどないのにそこは現地の人におごってもらったというからおそるべしパワー、いや無謀なことをしたものか。「ううん、でもとっても楽しかった。台湾の人をお友だちになっちゃった」って30代半ばの女性が言うことかねえ。とにかくこの旅で一番驚いたことの一つがこれだった。

帰国時、カールから聞いた話で、鹿児島空港に着いた直後、台湾人の中年女性が勢いよくトイレに駆け込んで周囲に聞こえるくらいの排便の音が聞こえてきたんだそうだ。光鳥Nsと顔を見合わせて「すごかったねえ」と話していた。良かったよ、飛行機内で漏らさなくて。

お留守をしていたセージにお土産を渡し、その後はぐーすか寝入ってしまっていた。

2014年3月22日土曜日

台湾3日目

台湾3日目の予定は龍山寺、レトロな町並みで人気の九扮、故宮博物院がメインでその合間に小籠包で有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)、台湾茶、免税店、台北101などが組まれていた。

龍山寺(ロンシャンスー):旧市街区にある有名寺院。某ガイドブックには台北3大パワースポットの一つと書かれていた。土曜朝だというのに大勢の参拝客がいて仏教メインだが道教の寺でもあり入った時から参拝客のなにやら読経なのか歌なのかが唱和されていてびっくりした。いろんな仏様がいて願い事を熱心に拝む人たちでごった返していた。ここは某サイトに詳しく紹介文があったのでそれを参考にしてみてチョーダイ。http://www.taipeinavi.com/miru/19/

九扮:以前はさびれた金鉱跡地だったらしいが今は日本人には「千と千尋の神隠し」のモデル地とかで人気とのこと。チンさんはそのモデル茶屋がとても儲かっていて左団扇なんだけどお茶は高過ぎだし周囲にはお客が来ないのは理不尽で返って他が眺めも良かったりするのにと批判的だった。そのモデル茶屋は九扮ではガイドブックにも必ず紹介されるし見た目が湯婆婆がいかにもいそうな造りなので日本人に人気が出るのも分かるが、料金が高いというので私たちはそこはパスし他を見て回った。(どんだけケチ?!)実はジブリや宮崎駿監督も「九扮はモデルではない」と明確に否定しているのにまことしやかにモデル説が信じられているのは少し不思議だ。はっきりしているのは1971年に閉山していたが1989年大ヒットした台湾映画「非情城市」のロケ地となったことでブームが起き、「ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている」ということだ。その「千と千尋」モデル風茶屋のすぐ近くに「非情城市」モデルの店があるが日本人には思い入れがないため訪れる人はあまりいないようだ。韓ドラ「オンエアー」のロケ店は今ではほとんど話題になっていない。思うにロケでいっとき名を売っても効果は一時的で例えば九扮が人気なのはそのレトロ感と眺めの良さという元々の素性の良さをアピール出来ているからこそだろう。ただここも多かったわ、中国人が。昼前だったのに路地は身動き出来ないくらい。後で気付いたが春分の日前後に当たっていて中国も休みだったのかしらんね。

故宮博物院:台湾定番の観光拠点で、私がその名を初めて知ったのは沖縄出張時代だ。上司のソネやんDrが「私は台湾にはよく蝶取りに行っているけど観光なんか全然していない。だって故宮(博物院)にも一度も行ったことないんだから」と行かないのが自慢出来るくらい(趣味優先)だと理解したものだった。チンさんが定番展示物を少し見るだけだけでも待たされるからと時間調整し有名な「翠玉白菜」「肉形石」「毛公鼎」などはちゃんと見ることが出来た。でもここの中国人が多い多い。普通の土曜なのに行列だもん。私はあまり美術館や博物館めぐりは好きな方ではないのでとりあえず行ってきましたの今回くらいがちょうど良かった。この手の物が好きな人には時間がいくらあっても足りないし、一生かかっても見切れないくらいのお宝があるそうで中国人(台湾人)の誇りの象徴とも言えるから訪台する中国人が必ず来る、結果いつも大混雑ってことになる。故宮に行く人は昼食時か夕方16時半以降が比較的空くらしいから行く時間を事前に考えておくべき。それとシホねえNsは「私には肉形石とか白菜の彫刻の良さが分からない」とぼやいていた。私も、え、これが一番のお宝?と思ったがそういうことになっている。今年日本にもやって来て初展示されるそうだ。ふーん、私たちは行かなくてもいいネ。

さて台湾の町並みを見ていていくつか日本と違う点があって、まず電柱がないということが上げられる。地下植え込みにしているのですっきりしている。チンさんに言わせると「台風もあるから」とのことだが、例えば高速道路の料金徴収システムが自動センサーでまかなわれ料金所撤廃出来ているのも日本よりは進んでいて国土が九州と同じくらいの大きさだからインフラが一気に進むということもあるかもしれない。ただ、電車敷設などは国民党時代に行っておらずそのため地域交通の手段としてスクーター天国になってしまったことがあるという。思うが、地下鉄が少ないから電信の地下敷設が容易になったともいえるのかもしれない。日本では地下にいっぱい何やかにかありすぎてすぐに電柱はなくならないしー。

またあちこちに傘の骨状の棒状ネオンの店があって「あれはね、ビンロウ(檳榔)を売っている店なの」とチンさんが教えてくれた。ビンロウとは椰子科の植物の実でこれを石灰を混ぜ噛むと味は苦いが軽い覚醒、興奮作用があってトラックの運ちゃんなど愛用しているとのことだった。「噛みタバコ」の一種である。常習性もあり長年やっていると口腔癌にもなることがあり近年は若い人には流行らないそうだが結構その店を見かけるので日本のタバコ屋まではいかなくてもまだまだ利用者はいるようだ。チンさんは言わなかったけれど、後で調べるとこのビンロウ屋には檳榔西施(ビンロウシースー)というエロい格好でこれらを売る若い女性がいるという。ネットで検索すると「彼女らの格好は一言でいうと、エロい。エロすぎ。風俗の下着やスケスケの衣装でビンロウを売っているのである。要はセックスアピールで男を釣ってビンロウを買ってもらおうというのだ。効果のほどは…お察しの通り。彼女らに見とれて事故る車も出てくるほどらしい。ただあまり気風がよくないということで台北ではあまり見かけられなくなったが、台中以南ではこの西施をよく目にする。稼ぎがよく若い女性には依然として人気であるという。ビンロウは逆風を食らいながらも、政府はこの一大産業の影響をよく分かっているので目をつぶっている状況だ」そうで、YouTubeなどでは簡単に引っかかり見てみた。確かに。https://www.youtube.com/watch?v=XOzgqZvjaoA
台湾人としては少し恥ずかしいことなのでチンさんはこのことには触れなかったのかも。

鼎泰豊:小籠包で有名で事前にヒラメグDrに台湾お勧めと言ったら?とメールで質問するとこの店を上げていたくらい。昼食時に故宮を見たので着いたのは14時過ぎ、しかし人気のせいで行列がここでもあった。ツアー団体は優先的に入れてもらえるが参るねえ。味は評判通りで特に異論なし。

台湾茶、免税店:台湾茶の知識や入れ方などおばちゃんに教えてもらい茶器や茶葉など買うように勧められる(強要?)されるところ。高地で採れるウーロン茶など確かに美味しかったが私は再三勧められるも買わなかった。だって日頃自宅で熱いお茶を飲む?ゼロコーラを飲むような輩だしさー。ただ、茶葉を入れるペットボトルは便利そうでカールも「使えそう」と500元(1700-1800円くらい)で購入した。ブックリバーDrはドクターだと目を付けられてか結局プーアル茶1年分他買う(買わされる)羽目になった。こと買い物になると私たちは慎重派というか滅多なことでは買わないのよ。でも次ぎに行った免税店ではカールがセージへの成人祝いにとバッグを購入した。まだ誕生日は来ないけれど事前に沖縄の免税店でもチェックしていたのと同じ物が同じ値段であったのでこの際だからと決断した。普通に買うより万は違うし、私も「いいんじゃない」と後押しした。ふっ、出すときゃ出すってことさ。

台北101:台湾一の高層ビル。高さ509.2mで、地上101階、地下5階で2004年の竣工当時には建築物世界一の高さを誇った。日本ではつい最近の大阪「あべのハルカス」が60階建て、高さ300mで日本一のビルだから確かに見たことない高さだ。で、そこの展望台に登ったかというとそうしなかった。値段が500元(2千円近い)なのはいいとしてすでに夕方になっていたし最大の理由は中国人観光客が多くて並ぶため予定時間ぎりぎりになりそうだったからだ。ここでも中国人だ。ビルの前では「法輪功」なのかマイクもって旗を振っておじさんたちが何かをずっとアピールしていた。その旗が中華民国のと中華人民共和国の両方あって不思議だった。台湾で五星旗を振るとは。別に咎められてもいないようで認知されているのだろう。


台北101の下はショッピング街で周囲にもショッピングモールがありそのあたりをぶらぶらして過ごした。とにかく人が多い。台湾って九州と同じくらいの面積なのに人口は2300万人で1300万の九州より遥かに多く特に台北など西海岸に集中している。東海岸の花蓮は思えばずいぶん田舎だった。みんな適当に時間をつぶしてこの後最後の夕食、海鮮料理屋「海覇王」に向かったのだった。

海鮮料理は最終日ゆえ一番豪華にと丸純君がリクエストしていただけあって確かに今回の旅行のうちで量、質共に良かった。でもねえ、もうお腹いっぱいなのよ中華料理。カニ、貝、エビ、カレイ、肉もあった。「持って帰りたいくらいだけど」とはカールの言い分だ。でもしようがない。あと、料理皿の底に香辛料の塊のようなものがあってそれを口にしたカール他数名が悶絶したりブックリバーDrが紹興酒を上手く仕分けできなくてこぼしたりなどちょっとしたハプニングが今思えば懐かしい。

このあとの時間をどうするかで私とカールはマッサージ屋にシホねえNsなどはまた夜市にと予定していた。一旦ホテルに帰り、チンさんがマッサージ屋へ連れて行く車を準備してくれた。丸純君もマッサージに変更し3人で「ウィンザーマッサージ」へ連れて行かれた。後で調べるとこのマッサージ屋は長安館と民生館の2館あったようだがどっちだったのか台湾のどのあたりだったのか全く分からない。ただ客が多く比較的大きな待合室で日本人とおぼしき連中が結構いたのは分かった。コースもいろいろあってカールは全身マッサージの1時間コース、私は足裏マッサージ30分コースにした。全身コースは2年前の韓国でもチッチと受けているので足裏とはなんぞやとの興味もあったし換金した台湾紙幣もカールのマッサージ代と合わせちょうど使い切る値段だったこともある。丸純君は全身マッサージの1時間半コースだった。他にも耳掃除(耳かきが趣味の私向けだ)、台湾式シャンプー、爪切りコースなどもあった。思えば花蓮駅構内に仕切りなしでマッサージ台があり数人がマッサージを受けていたし、街にはこんな大きなマッサージ屋が繁盛しているとは台湾はよほどのマッサージ大国や。
さて他の二人は先に部屋に連れて行かれたが私はしばらく待った。壁に西川きよし夫妻の写真も飾られていた。エレベーターの鏡張りのドアに映る自分の姿をデジカメで撮ってみるとなんだか顔がふっくらしている。食べてばかりいるので3日ですでに太ったか。顔マッサージもあるんじゃなかったかな。15分以上待ってようやく迎えが来て地下の奥へ連れて行かれた。いくつも部屋がある中で10人以上は入れる大部屋だった。ほぼ満員で最初は簡易椅子に座らされたが前客が終わったらそっちに移された。どうも日本人のおばさん団体が一斉に「足裏」に来ていたために人手も場所もいっぱいいっぱいだったようだ。

私の担当のマッサージ師はいかにもベテランの中年男性だった。しかも目つきが鋭くこれが個室だったらちょっと怖い。身ぐるみはがされやしないかぁ。まずクリームを片方の足にぬるぬる塗られくすぐったいような変な気分に。そして指先でくいっと刺激を受ける。「どう?社長」と師は尋ねる。う、社長、ですか「はぁ、いいです」あちこち刺激されツボを痛がると「全部、ケンコーね」とお墨付きをもらった。はぁ。ここでも写真は撮っておかねばとしっかりマッサージの様子を収めた。↓台湾マッサージ師です。こんな感じで足裏をいびられ「どう、社長!」と言われてます。

終わってそのまま送迎車で帰ることも出来たがカールが終わるのを待った。その間もお客がよく出入りしていた。日本人のおばさん二人も終わって会話していて「あの人たちは先に帰ったのね」とこれは足裏組のことだったようだ。30分弱待ち、終わってきたカール曰く「気持ちよかったわー」とお顔も体もリラックスしていた。マッサージなど受けたのはほとんど初めてとのことでいい経験になったネ。

さあてホテルに帰り明日は朝5時半起きと知らされていたので早く寝ないといけないがこてる日記を少しでも書いておかねばと私は12時過ぎまで起きていた。そのころ廊下でがやがやと声がしたので夜市組が帰って来たなとドアを開けると案の定そうだった。シホねえ、ムッちゃん、光鳥さんらが見えた。飲んで食べて楽しんで来たようだった。でも、シホねえが「先生、今からカラオケ行きませんか」と言ってきたのは呆れた。「アホッ、明日朝早く出て帰国なのに何言っているんだ」「ブックリバー先生は行かないかなぁ」「行くわけないだろ、さっさと寝なさい」全く飲み会の後の夜遊びになると元気なんだからー。

明日バタバタしないように荷造りもし(ただしお土産のパイナップルケーキはボストンバッグに入りきらず)忘れ物もないようにとしっかり準備して眠りに就いたのだった。翌日はホテルでの朝食なしの空港直行で特にネタもなしと思っていたが・・。

2014年3月21日金曜日

台湾2日目

朝の出発が台湾時間で午前9時というので7時半くらいにバイキング食堂に行ってみるとびっくり、大勢のフィリピン女性軍団に占拠されていたのだった。小1時間程前に来ていたというブックリバーDrが苦笑いし光鳥Nsと里鳥母もようやく座れたテーブルに食べ物を置いてはまた食べ物取りにじっと並んでいた。私は当初並ぶ気がせず奥のテーブルで飲み物や付け出しのようなものだけ取っていた。いずれこの行列も収まるだろうと思ってのことだったがいっこうにそうはならない。後から知ったがフィリピンのIT工場の慰安旅行で大型バス6台必要なくらいの人数だった。結局フィリピン女性に混じって並ぶ羽目になったっすよ。彼女らはピーチクパーチク朝から元気で食事ももりもりだった。背の低さと肌がやや浅黒いのが日本人と違うか。とにかく若さいっぱいでチンさんも「昨日の夜はうるっさくて寝られないほどだったよ」とぼやいていた。

食後は本日のメインである花蓮北西部にある太魯閣渓谷の観光に小型のバスで出かけた。ここは台湾でも有名な観光地とのことで韓国ドラマ「オンエアー」にも出てきた。キム・ハヌルがパク・ヨンハからもらった帽子を峡谷観光中にかぶっていてもしや恋愛感情があるのかと思わせるシーンで次の回に続くのだったが「オン・エアー」は韓ドラの内幕物でさほど恋愛はテーマになっておらず次の週ではそれは単なる勘違いで終わっていてどうも台湾の観光局とタイアップしていたから作ったシーンにも思えた。他には日月潭という有名な湖や圓山大飯店という有名ホテルも出てくる。明日行く九扮も出てくるとは今回調べて分かった。ま、太魯閣はそれだけ有名ってことだ。

30分ほどで渓谷入り口に着きここで全体写真を撮った。ぱっと見、山や川は日本ではあまり目にしない景観で特に大理石で出来た山故に川にはその成分があって魚が住めないという説明をチンさんがしてくれた。チンさんはよく勉強していて台湾で一番高い山が玉山で富士山より高く「日本では新高山って言うでしょ。真珠湾攻撃の時にハワイと新高山の緯度が近いため『ニイタカヤマノボレ』の暗号文が作られたのよ」と解説してくれた。へへー。

バスで登っては降りて景色を楽しむという観光法でチンさんがポイントポイントを押さえてくれたのでさほど疲れず渓谷観光を楽しむことが出来た。「この先、中国人が大勢いるよ。あの人たちはバスから降りてみんなヘルメットかぶっているからすぐ分かる。それとダウンジャケット着てスニーカー履いてるのは韓国人、見ればすぐ分かるよ」と鑑別法を教えてくれた。するとブックリバーDrが「私はどうですか」と聞くと「あなた、100%日本人ね」と即答だった。確かに私たちから見ても中国人のおばちゃんなんかパーマかけて服が派手だったりと日本人とは何かしらの違いがありそれが滲み出ている。ガイドのプロなら出身の違いなどすぐに分かるんだろう。

太魯閣渓谷は一言お勧めの観光地だ。そんなに標高は高くないのに日本なら千メートル超の山あいの雰囲気が味わえる。私たちは奥の天詳までは行かずアミ族の店のある緑水で花茶を味わうくらいで引き返したが十分だった。その花茶はブックリバーDrなど「うわ、酸っぱい」と言って用意されていた蜂蜜をこれでもかと入れて飲んでいた。他の人も同じような感想が多かったが私やカールは普通に飲めた。味覚って人それぞれだな。

山を下りて向かうは大理石工場&販売所だった。事前にチンさんから「説明をしてくれるおじさんは毎回毎回同じことをしゃべってまるでテープレコーダーの繰り返しなんだけどせっかくだから聞いてあげて下さい」と聞かされていた。大理石の一大産地として花蓮は有名だが他にも宝石を産出しそこの店では翡翠、キャッツアイ、水晶、珊瑚などありそれらを加工販売していた。私たちが入った時は他の団体客が少なく閑散としていたがここに中国人団体が混じったら大変なことになるようだ。帰国後別サイトで同じような観光コースを取った人のブログでは中国おばちゃんの喧噪かまびすしく、ある新婚さんは割り込みを阻止しながら何とか翡翠を購入しガイドさんに「負けずによく購入出来ましたネ」と誉められたとか。安い日用品もあったそうだが全般に高級な物が多くうちのミニ団体客で買った人は誰もいなかった。でもシホねえ曰く「ギボヒサコさんがいたら絶対何か買ってましたね」と。全く同じことをカールも言っていた。2年前の韓国でまさかのアメジストを買った経歴があり皆さもありなんと頷いていた。どんだけのカモヒサコさんなのよ。

ただ多くのストーンの中で「七彩藝石」は素晴らしいと思った。よく七つの何々と言われるものは多くのという意味合いが多いがこの石は緑が基調だが本当に赤青黄紫橙と七彩と呼ぶにふさわしい色合いで日本ではなかなかお目にかかれない。あまりに色彩豊かなので気になりこれまた帰国後調べると天然の石ではなく人工的に作ったものだと分かった。なるほど素晴らしすぎるわ!

このあと昼食を摂り花蓮駅に向かい特急列車で台北へ向かうことになった。2時間50分かかるのは少し長いが車窓を眺めながら列車移動もいいだろう。私とカールはシホねえNsが乗車前にビールをきっと買うだろうと予想したが外れた。「だって夜にいっぱい飲みたいですもん」だって。代わりにといってはなんだが丸純君がシュぱっと栓を開けてぐいっと飲んでいた。私はトイレに行きたかったが揺れるし汚いのではという懸念から我慢することにした。どうにか持ちそうとの思惑もあった。だがようやく着いた台北ですぐに次の移動地である士林夜市に休憩なしで直行するとは思わなかった。「台湾ではスクーター移動が多くて信号待ちではびっくするくらい並んでるよ」などとチンさんの説明もそこそこに早く夜市に着いてくれーと祈っていた。

士林(しーりん)夜市は台北で一番大きな夜市で雑貨、ファッション、食べ物、ゲーム、土産物など地域一帯が夜市の店で出来ている印象だ。なーんて書いているけど、着くなりチンさんに教えてもらってガソリンスタンドにあったトイレを教えてもらい走って行ったのだった。だから私とカールは他の人たちとは別行動で見物をした。観光客も多いが現地の人たちも夜市をよく利用し食事もそこで済ます人が多いらしい。チンさんの話では「台湾では家であんまり食事作らないのよ。新婚さんのキッチンが何年もきれいなままってことよくあるよ」なんだそうだ。私たちは結局ここでも何も買わなかった。手にとってはみるが「別にわざわざ買うまでもないな」ってなるのだ。集合時間になってみんなを見ると服やちょいとしたお土産を買ったりしていた。うちら冷静だあー。夜市で言えば金魚すくいの隣にイモリすくいがあったのにはびっくりした。日本では考えられない。誰か飼う人でもいるんかな。

この後台北老舗の中華料理屋で夕食しその後ホテルに着いた後みんなで近くの夜市に出かけた。そこは台北駅に比較的近い寧夏夜市で他の夜市が観光夜市的なのに対し屋台夜市の典型で食べ物の店がほとんどでとにかく人が多かった。夜市が発展したのは昼間が暑いからだろうとは想像がつく。沖縄も夜になると人の出が多かった。ちょいと味見したくなるようなものもたくさんあったのだがいかんせん夕食摂ったばかりで躊躇せざるえなかった。誰かが焼きそば風のものを注文しテーブルに座ったのでみんなそこに座り他の屋台から買ってきたものを寄せ集めビール飲んでしばらく過ごした。私は「釈迦頭(バンレイシ、シュガーアップルともいう)」という仏像の頭のような形をしたフルーツが気になりこれを買ってみた。これが大当たりで柔らかくて甘く食べたみんなが「美味しい!」と言ってくれた。台東名産のフルーツだそうだがなぜか日本では見たことがない。調べると長期の保存と運搬に向かない理由から日本にはほとんど輸入されていないとのことだ。ならばここで食べる意義が十分にある。買って良かったー。
(↓これが甘くて美味しい釈迦頭です。アテモヤとも言うそうです。沖縄でも売っていることもあるそうです。美味しくみんなの評判も良かったけれど私はそうとうぼられていたみたい。1個300元だったような・・。千円以上するけどネットで調べたら実際は1個200円程度なんだとか。ぎゃっ。でもまあいいか、それも旅の思い出よ。)

夜市は台湾食事の際の独特の匂いが充満していた。あれは脳裏に染みつく。台湾観光は視覚だけでなく臭覚をも刺激してくれる・・。

2014年3月20日木曜日

台湾初日

「そもそも誰が台湾行きの言い出しっぺだったの?」これは昨日、私が医療事務の丸純君に尋ねた一言だ。「ムッちゃんNsです」やはりそうか。シホねえNsともども気合いが違っていたもんな。大勢で行けば多少安くなるからと職員に参加を募り、丸純君に旅行会社との交渉を頼んだのだ。そして今回はムッちゃんNs、シホねえNs、私、カール、ブックリバーDr、光鳥Nsとその母里鳥さんの総勢8人の「丸純グループ」御一行様となった。

私とカールがぎりぎり鹿児島空港国際線ロビーに着くと他の6人はすでに到着していた。うん、旅行前の高揚感いっぱいだね。中でもムッちゃんとシホねえNsはその格好からして違っていた。ムッちゃんは帽子、シャツ、パンツ、バッグ、靴下に至るまで全部青でコーディネートしていてシホねえに至っては薄手のノースリーブで私今から南国に行くんだからって主張が明かだった。前日から今朝にかけておたおたと準備し服も長袖か半袖かで迷っていた私たちとは違う。現地は15℃から22℃なので長袖は必要とのことだが今日の鹿児島が暖かかったので私は車を降りる直前車内に置いていたポロシャツをバッグに入れるというバタバタぶりだった。

飛行機に乗るとシホねえ、ブックリバー、丸純君らはすぐに缶ビールを開けぐびびと飲み始めた。ブックリバーDrは「日頃家では飲まない」んだそうだ。そして「昼間から飲めるってのは幸せですねえ」とはまあ分からないでもない。私は例え機内サービスで出だされてもノーサンキュー、旅の始めにいきなりゲロるって冗談でもしたくないしー。

2時間10分ほどで台湾に着いた。外国でも北海道よりは明らかに近い。入国手続きで並んでいる時、みんなの写真をフラッシュオフで撮った。それを見て丸純君が私もと撮ったのだがこれが職員に早速咎められた。実は台湾の空港は撮影禁止なのだ。丸純君がすでに書いている台湾見聞録にその一件をこう書いている。

「・・入国管理局の所で調子に乗ってデジカメで写真をパチパチ撮ってたら、いかつい顔した入管の職員が走ってきて「写真撮るな」って怒られました。謝った後でポケットにカメラを仕舞おうとしたら、「画像を消せ」って言われました。正直怖かったです・・」
準戒厳令は解かれたものの日本とは違うということを最初に痛感する一コマだった。(この後別場所で私も何回か写真ダメと注意を受けることになる)

手続きが終わり現地ガイドが待っている所までたどり着くとすぐに説明を受けたのが「外は寒いからね、長袖で温かい格好でないとダメよ」だった。そして一行の最後にいたシホねえを見て「ああ、あの人、あれ、ダメ、ダメねー」と強い口調で言い「その格好ダメよ。ここはハワイじゃないんだから。すぐ上着着てー」と注意した。慌ててボストンバッグから服を取り出すシホねえ、私はその様子をしっかり写真に撮ったのだった。
ガイドはチンタイゼンという30才代の男性で小学生のころ大阪に3年間住んでいたそうでかなり日本通でもあった。帰国直前までお世話になり彼のおかげでなかなか快適なツアーだったことを先に書いておこう。カールに言わせれば「チンさんは(芸人の)小藪に似ている」とのこと。なるほど、だから初っぱなからあのツッコミだったか。

最初に行った観光地は忠烈祠(ちゅうれつし)で日本で言えば靖国神社のような戦争物故者を奉るところだった。衛兵交代式のパフォーマンスをみるのが観光客の定番ということで中には入らず正門前でそれを見守った。5人の一糸乱れぬ動きや門番の2人が瞬きもしないほどの微動だにしない構えなど確かに見所があった。ただ、ここが寒かった。チンさんの言うとおり、半袖、ましてやノースリーブなんてとんでもなかった。昨日は28℃だったと言うけどこの時期は気温変化が激しいとのこと。ここでの印象が強かったせいか旅行中半数以上が長袖や羽織る物を買う羽目になった。ちなみに私は買わず中に部屋着を着込むことで対処したがー。(↓寒かったけれど写真に写る時はパフォーマンスを忘れない)

(忠烈詞については以下の二つのサイトも参考にしてみて。私が書きたいことを代わりによくまとめています。
http://www.taipeinavi.com/miru/43/
http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10199.html
これで私たちの見たのは空軍兵士だということが分かります。)

次に行ったのが故蒋介石を記念した中正記念堂だった。途中、総督府前を通ったが厳戒態勢で人も通っていなかったような・・。飛行機の新聞で学生らがなにか運動しているのは分かったが馬英九総統の中国との対応について学生や市民の怒りを買い立法院占拠をしたのが国際ニュースになるほどとはその時は知らなかった。ただ旅行中、市民生活はいたって平穏で観光客に問題が出るような事態は何もなかった。

中正記念堂は非常に大きく立派な大理石の建物で蒋介石が台湾に残した足跡はやはり大きいのだとよく分かった。ここでも衛兵交代式(ここは陸軍の緑色制服)がありチンさんは「同じだから2回見る必要ないよ」とチラ見だけで終わらせた。なかなか手際がよくてよろしいネ。後でカールに聞いたがここでもシホねえがネタを提供した。彼女曰く「今更だけどショーカイセキって誰?」とのたもうたのだ。チンさんに尋ねるわけでもなかったのだが彼は呆れたような表情を見せていたという。心中察するに「台湾をハワイと勘違いするくらいだから台湾の偉人を説明しても始まらんわ」ってところか。地元の進学校を卒業した割りに物を知らないなと後日指摘すると「歴史の先生の教えは明治で終わって後は習わなかった」との言い訳だった。歴女が増えたというけれどまあ女は地理歴史それに機械には弱いものとの相場どおりだぜ。

ここでもだったが旅行客で一番目立つのが中国本土人で、どこに行ってもいた。チンさんによると5、6年前に開放されてから増え始め今では日本人観光客をはるかに上回り倍以上の年300万から400万人は来て大きな経済効果を生んでいるという。馬英九政権は中国に依存して経済を立て直そうということだし言葉が通じる上に何せ13億人もの人口だ、飽きられて客が来なくなる心配はほとんどない。そのうち中国に乗っ取られるのではという潜在的な不安が今回の学生らの行動に拍車をかけたと推察されるということだ。

さてこの後は国内線専用である台北松山空港からプロペラ機で東海岸の花蓮へ向かった。私はYS11に何度も乗ったことがあるのでプロペラだからといって多少の揺れは気にならなかったがブックリバーDr、丸純君、シホねえなど怖くてたまらなかったという。ジェット機とは違って低空を飛ぶし風が強かったのでなおさらだったようだ。ここで丸純君の感想。「・・しかも、見たことのないような小型のプロペラ機。飛行機嫌いの私にとっては地獄の時間です。しかし、どんなにイヤでもトランスアジア航空機は離陸するのです。いや~揺れました!!揺れた揺れた!!冗談抜きで墜ちるんじゃないかと思いました。いや~ちょっとした臨死体験でした。・・」ちょっと大げさだろ、臨死体験は。私がYSで長崎に行った時は上下左右に大きく揺れこんなもんじゃなかった。人生で唯一飛行機内でゲロッたんだよその時はー。それでも無事に着き、タラップ降り、はは、それも旅の思い出よと風の中機体の写真を撮っていたら係員に気付かれ、ほいさと空港内に逃げ込んだ。空港は軍と共用のため撮影禁止なのだそうだ。皆さんも訪台の際は気をつけて。

ホテルでの夕食はまずは台湾ビールや紹興酒で乾杯し広東料理を味わった。割に日本人好みの味付けで美味しかった。丸純君曰く「っていうか、旅行中にご飯が不味かったことは一度もありませんでした」ということで確かに食事についてはさほどの違和感なく受け入れられるだろう。ただ八角などの匂いが嫌いなら大変かも。それら香辛料が入った五香粉とかが入っていてたいていの料理に使うらしい。どこに行ってもこの手の匂いがあって韓国で言えばキムチ臭のようなものか。さらに夜市などではもっと臭い匂いがあってそれだけはとてもすぐには慣れそうな代物ではなかった。まあそれ以外は問題ない。帰国後もたまに思い出すくらいの匂いで台湾を印象づける一大要素と思った。

食事が終わってムッちゃん、シホねえはぜひ夜市に行きたいという。ホテルの近くにはないのでチンさんに教えてもらいタクシーで光鳥さん丸純君を従えて出かけたようだ。私は疲れもあるし遠慮した。部屋に入ってまずネットが出来るかを調べた。ここで有線LANにつなぐWiFi接続機器を忘れたことに気付き青ざめた。新しいMacBookProには必要で準備していたのに家のテーブルに忘れたみたい。ただ、このホテルは無線LANも出来たため事なきをえた。ふうー。

台湾で少し不便と思ったのはおそらくほとんどの日本人がそう思うだろうがトイレットペーパーを便器に流してはいけないことだった。詰まるおそれがあるらしい。で、お尻を拭いた後備え付けのゴミ捨てに入れるのだ。違和感ありまくりでつい便器に落としてしまい(そうなったら流すしか方法がないよ)滞在中何度も失敗することになった。それにウォシュレットや温座じゃないので便器に座るのが今一快適じゃない。きっとトイレの快適さは日本が世界一だろう。

そうこうするうち眠くなってきた。日記を書いた書かなかったか・・書いてもごく簡単に済ませたと思う。明日は花蓮の太魯閣(たろこ)渓谷観光か・・むにゃむにゃ。

2014年3月19日水曜日

女性受け良くないキャラ

外来で久しぶりにAKBオタクの永竹さんを診察した。診察といってもちょっとだけ、後はほとんどAKBグループの話題ばかりで、どうやら今彼はHKTの若手に関心が移ったようだ。HKTの最新CD「桜、みんなで食べた」をもらいつつ彼から聞いたのが、HKTの冠番組を見てまだ小学6年生の矢吹奈子と田中美久(なこ・みく)がかわいくていっぺんにファンになってしまったとか。全般にHKTは若いけれど(指原莉乃が一番の年配でおばさん扱いされる)中でもその二人は売り出し中だ。さすがに私には無理で松井珠理奈だってチッチと同学年と聞き娘のいない自分だからこそファンになったようなもの(珠理奈みたいな娘がいたら最高!)で小学生の「なこみく」はもう対象外だ。話は尽きないもののチラチラッと看護師らが覗くため「あ、私、看護師さんたちに嫌われてますから」とおしゃべりを止めて帰り支度をした。割とヒマな時間帯だったので別に私はよかったのだけれどそのまま続けさせたら30分でも1時間でも経過しそうだったので「それでは」と受け入れた。なかなかオタクは女性受けは悪いようで・・。


いよいよ明日は台湾行きだ。パスポートだけは絶対忘れずにし旅行用具をチェックしつつ過ごした。しかし結局全部仕上がらないまま寝てしまった。大丈夫か?!

2014年3月18日火曜日

いつものボウ練習

明後日は台湾に旅行するというのにほとんど準備もしていない。でもって今夜はボウリング練習をする約束があったので国分スターレーンに皆集まった。ただ、サブアラドDrは先に来て投げたところ最初の投球で太ももがギクッとなった。1週間ではまだ筋肉疲労が治っていなかった。どうにか2ゲーム投げたが106、110と散々で私たちの投球前にギブアップした。中高年が急に運動するとこうなるの見本だな。また次回に期待だ。

レーンは最初ラインが見つからずストライクが出なかったけれどサンシさんがストライクを連発し始めたら私も引きずられるように9フレから4連続を出した。そして次ゲームも4連続出しマスターマインドの威力炸裂した。難ガターさんは日置プロ仕込みのリリース&フォロースルーで球に威力が出て来てピンアクションがぐっと良くなった。スリウェル君はまだ模索中でタナカッツ君はボールが全然曲がらないのでリスタイ着用を試させた。すると曲がりが出るようになる。手を折って投げる癖がありそれをリスタイが矯正してくれたからのようだ。ま、それぞれの課題を試しつつそこそこに良い練習が出来たってことだ。

帰宅し、さすがに海外旅行前の準備を始めた。ただ絶対持って行くべきものを紙にリストアップしただけでそれでお終い。眠くて実際にそろえるまではいかなかった・・。

2014年3月17日月曜日

税に惑わされるぜい

2週間もすれば消費税が5%から8%へアップする。それで消費税がらみの商戦や先買い、買いだめなど買い物がらみの話題が多い。一晩寝れば昨日と同じ物が3%高くなるのだからどうせ買うなら今、しかも多めに買っちゃえとなるのは人情だ。

だがー。「気を付けないといけないのよねえ」とカールは言う。というのもスーパーでティッシュのまとめ買いセールと銘打ってあるのを見てびっくりしたんだそうだ。値段は1箱208円で税抜きということは210円以上もするわけで今まで税込みで198円までしか買ったことがなく特売では148円で買ったこともある彼女にしてみれば購入は全くの対象外、論外だ。しかしそれらを買っている人がいたということで「日頃から相場を知らないと損するんだよねぇ」と。値段の決まっている定期券や急には変動しない上に税が加算されるガソリンなどは月末までに買うべきだろうがこの手の日用品など無駄な買い方をしちゃいかん。税に惑わされるな!

2014年3月16日日曜日

しんどかど麻雀

(しんどかどDrに麻雀を誘われた時のお話です)

その日、昼すぎ携帯が鳴り取ってみると珍しくも薩摩川内からしんどかどDrだった。「夕方6時から麻雀しないか」ということだ。たまたまだがこの日は麻雀でもするかもと空けていたものの場は立たず疲れていたこともあって昼寝などしていた。無論即OKした。夜遅くなりそうなので車で行かねばならず高速使い50分弱でしんどかどのクリニックに着いた。メンバーは全員Drで猟奇、皆見Drと近くの雀荘「利一」の一室に集まり闘牌開始となった。雀卓は「最高」と同じ雀友だった。宇宿の「女王様」も同じだったしたまには別のメーカーの卓で打ってみたいな。

麻雀はルールがその場その場で微妙に違うので、確認すると何と「完全先付け」ということだった。完先ルールは麻雀を覚え立てのころやったくらいでそれ以降は「喰いタン先付けあり」のありありルールでしかやったことはない。天鳳も同様だ。完先は上がるときには必ず1ハンの役を確定させておかねば上がれないというもので鳴いてこそこそ上がるよりはじっくり役作りを楽しもうよという観点から発生したルールだ。作戦の自由度が制限されるため私は好まなかった。競技麻雀では採用されないし、雀荘のリーチ麻雀、ネット麻雀でも下火になっている。でも私はゲストゆえにすべて受け入れるつもりでいたのでたまには完先もいいかもと思った。さらにレートも通常の倍とこれは少しびっくり。でもOK、ゲストはホストの意向優先が原則だ。

第1戦目。起家は猟奇Drだった。私は南家、皆見Drが西家、しんどかどDrが北家だ。第1局、私は中を即ポンして8索もポンし先制攻撃の構えを取った。赤5が2枚のザンクの手、実はまだ聴牌しておらず一向聴だったのだ。警戒して手を遅らせてくれればそのうち聴牌して上がりにかける手はずだったが、ここで一番怖い親の猟奇Drからリーチがかかった。しかも西家の皆見Drまでリーチ。ひえー、参った。もうベタ降りだ。幸い危険牌を引かず数巡で皆見Drが猟奇Drにメンタンピンドラ1の手を振った。いや、裏ドラめくると2枚乗ってこれが親ッパネ18000点に。怖いネー。そしてこれで勢い乗った猟奇Drは次ぎもリーチで2千オール、3局目、親満を皆見Drから出上がりあっという間にドボンで半荘終了させた。トップにマルAに焼き鳥にドボンと大勝利だ。いや、この先どうなるんやろと思ったがこれが予想外の展開になった。

半荘2回目はしんどかどDrが起家。東1局6巡目にしんどかどDrが普通に7索を切ると皆見Drからロン!の声。開けてビックリ、純チャン一盃口の子のマンガンだった。次局、中盤過ぎに皆見Drがリーチ!このリーチに筋の1萬を切った猟奇Dr、当たるはずがないと思えたのにシャボ待ちのリーチ中ドラドラのまたしてもマンガンで完全にツキの目が変わった・・私もみんなもそう思ったはず。その次はしんどかどDrがリーチ東ドラ1で次ぎは私がリーチツモドラドラとマンガン。少し混沌としてきたところに私がメンタンピンツモドラ1のマンガンを上がって皆見Drをかわしどうにかトップで終えることが出来た。マンガン合戦の接戦をものに出来たことで楽になれたのが良かったのか、気がついたら私は5連続トップと独走、指摘されるまで本当に自分でも気付いていなかった。

ある時など第1ツモでメンタンピン三色の両メン待ちになりダブルリーチの手が来た。これにすぐしんどかどDrが放銃してくれハネ満。麻雀なんて簡単だと思えるほどのツキまくり状態もあるにはあった。後から勝てた要因を自分なりに考察してみると、天鳳や最近の麻雀で意識していることは聴牌までのスピードで先に聴牌することの重要さが麻雀には大事であるとネットでのデータ解析で分かってきている。完先ルールは面前で聴牌してリーチという作戦になることが多く鳴ける手でも一鳴きなどせずにじっくり手作りすることが多い。でも私はルール変わってもスピードを活かした打ち方をしていて人の上がる前に上がりきることが多く、そのほんの少しの差が連続トップにつながったのではないだろうか。その後は少し緩んでしまったがゲストの立場の緊張感もあって勝てたということだ。

夕食はいつもの「最高」では中華丼か天津飯700円で決まりだが、ここでは「いつもの4つでいいよな」としんどかどDrか頼んだのがステーキ丼だった。食べるとこれがうまい。良い肉を使っている。終わって精算の時に気付いたが場代8千円よりどんぶり代の方が高かった。何と中華丼の3倍以上のお値段。レートが倍なのも肯けるわい。ふぅ・・勝てて良かったぜ。

2014年3月15日土曜日

リトルミイの名言・・・ってか

フェイスブックに某知り合いから「ムーミン リトルミイの名言が、深すぎる・・」とのタイトルで投稿があった。リトルミイとはムーミンに出てくる小柄でタマネギ頭のちょっぴり意地悪そうな顔をした女キャラでみんなもきっと見たことがあると思う。それでどんな名言なのかと読むと箇条書きにたくさんあってそのうちいくつかを披露してみよう。

1.
何とかなる。それは、やることをちゃんとやってる人のセリフ。

2.
時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。それね、本当のこと言われてるからよ。

3.
忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。

4.
あなたね、決断力がないんじゃなくて、決断する方法をしらないだけよ。あのね、いい方を選ぶんじゃなくてあなたが思う方を選ぶのよ。最初はいろいろ失敗するわよ、あなたバカなんだから。でもそのうち自然といい方を選ぶようになっていくわよ。最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ。

5.
逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。

・・

8.
縛らないことよ、自分で自分を。わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。

9.
新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。

・・

11.
女ってね、時々、好きな人といたくて。時々、好きな人の前から消えたくなるの。それをわがままっていう男とは、一緒にいれないわ。それをかわいいって思う男とは、長くいれそうね。

・・

15.
一生懸命努力してるのに報われないじゃない。努力の量が足りないんじゃなくて、仕方が間違ってるんじゃない。

16.
迷わないことが強さじゃなくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ。前をね。

17.
はじまるわね。新しい場所、新しい事、新しい人。大変よね、不安よね。あのね、少しだけ思い返してみて、離ればなれになった友達を。道は違うけど、同じ不安よね。だからこう思って。みんな頑張って、わたしも頑張るよって。きっとね、みんなもあなたを応援してるわ。さあ、頑張りなさい。

どうだろう、どれか一つ、いや二つ三つ、もしかすると全部が心に突き刺さり、でも納得、合点し元気をもらえるような気にならないだろうか。私はこれらをワープロソフトPagesに保存しておいた。何かに使える、そう、例えば今日の日記ネタにでもとねー。

ただ、こうして日記に書くに当たってこの「名言」の原典というか由来をきちんと調べておこうと思った。何か引っかかるものがあったのだ。するととんでもないことが分かった。何とこの名言、リトルミイが言ったという証拠は何もなく全くの創作であったのだ。1年ほど前にtwitterでリトルミィbot名義で誰かがこれらをつぶやき、評判になると昨年5月には赤猫リブリビィと名義を変え、9月には扶桑社より『赤猫リブ・リビィの“強くなれる賢者の言葉”』という本を出版しているのだ。この本をプロデュースした著述家で編集者の石黒謙吾氏は、やはりTwitterを通して「赤猫リブリビィ」の存在を知り、「素晴らしい言葉ばかりだったので、本として残すべきだと思った」と言っているが額面通りには受け取れない。普通に考えれば石黒健吾氏の仕込み、ヤラセでtwitterでリトルミイの画像なども使い一般ピープルにはそれと信じ込ませ(誰かも分からない人の言葉よりその方が受け入れられるでしょ)出版時にはさすがにムーミンの版権もあるし別名で出すという手口だ。「ツイッターで大反響を呼び、3か月でフォロワー10万人超!」との宣伝文句もあったらしいがどうにもあざとい印象を受ける。

まあそれでもリトルミイいや赤猫リブリビィの名言が支えになっているとかでれば信じるのもいいだろう。誰の言葉であってもその人の人生に役立つものであれば文句を言う筋合いではない。

私は原典がウソであると知ったときすぐに例の一件を思い出した。それも日記ネタにしたことがある。それはノストラダムスの大予言のことで「1999年7月人類は滅亡する」という衝撃的な予言が話題になり昭和40年代後半に100万部を越えるベストセラーになった本のことだ。マスコミでもしょっちゅう出てきたしみんなの話題にもなった。続編も出た。高校時代が過ぎ大学1年になったころはさすがに下火になっていたが、ちょうど鹿大が第1回古本市というのを始めそこで100円くらいで売られていたので初めて買って読んでみたのだった。最後まで読んで私は確信した。「なんだこれ、単なるこじつけの解釈でどうでも取れる変な予言詞を著者五島勉がおどろおどろしく書いただけ」なんだと。最初にどんなにノストラダムスの予言が当たっているかの事例を羅列していて読者に信じ込ませ最後に怖い予言を提示していたが、いくつもの事例そのものが大人の目でみればこじつけそのものだった。私はこの本を読んでみて返ってなーんだと安心しやがて来るであろう1999年は気にしなくなった。しかし中にはどうせ世界が終わるんだからと真に受けていた人もいるらしい(本当か?)。

少なくともこのようなケースで言えるのは、新たな事実や珍しい説には原典、原著を確認すべきということである。

2014年3月14日金曜日

ごきげんうまい!

さあみんな、昨日のTV、日テレ系朝の「モコズキッチン」を見たかなぁ。イケメンの俳優(?)速水もこみちが視聴者の要望にこたえて作るこのミニコーナー、今回は「美味しいポテトサラダを作って欲しい」とのことで取り出したのはなぜか定番のオリーブオイルだった。

え?!ポテトサラダなのに開始そうそうオリーブオイルをフライパンに注ぎ込むの。それってまるでオリーブオイル湖だよ。次は色の違う5食のオリーブを混ぜぐちゃぐちゃにして揚げる。最後も追い打ちをかけるようにオリーブオイルをまぶす。「もこみちく~ん、お味はどうですかぁ」のナレーションに「うん、こいつはごきげんうまい!」といつもの決めゼリフ。うわっ、ポテトサラダというよりオリーブオイル揚げのポテト添えと言った方がいいんじゃないか。ネット上で「もこみちの体の半分はオリーブオイルで出来ている」と言われるだけのことはある。カロリー半端じゃないはずよ。良い子のみなさん、あまり真似をしないように。

今夜は串木野でのトリオリーグでマスターマインドが大活躍・・したことはしたのだが、ガターを7回もやってしまって個人の成績はパッとしなかった。曲がりが強いので右端ぎりぎりを狙って戻す。ピンアクションは抜群でポケットに入りさえすればまずストライクになる。でも1ゲーム目4フレから7回連続10ピンなぎ倒すもその中に2回のガターがありスコアは166というていたらくだ。それさえなければ220は行っていた。2ゲーム目もストライクやスペアの後にガターやっちまって161、3ゲーム目は順調でターキーも出て喜んでいたらガターしちまった。ショックでその次ぎもガター。ターキーの恩恵が吹っ飛びこれだけで4、50ピンのマイナスで気落ちし151だった。1ゲーム平均5、6回はストライク出ていたのに全く点数に出ていない。このボールの良さを活かすには練習が必要だわ。

2014年3月13日木曜日

「ママ友」撃退法

帰宅途中で画面は見えないが某TV番組を聞いていた。何でもママ友の恐怖というテーマで再現ドラマをやっていた。ママ友の中には人付き合いはいいが要求を断れない性格のママをうまく利用する嫌なタイプもいるらしい。家に上がり昼ご飯をおごらせ夕方までおしゃべりを続ける、帰りにはタッパーにご飯まで入れさせ持ち帰るという。別に食事が欲しい訳ではない。どれだけわがままをきいてもらえるか試しているのだ。そこで文句を言わないタイプと見抜かれれば子供を預けるなど便利屋扱いされる。ある時1回だけ断ったらその後が大変で、いつの間にか「あそこは子供を虐待している」などあることないこと吹聴し孤立化させるなどあくどい仕打ちもする。いやはや、ママ友の世界も大変だ。

でもTV向けの誇張されたものだろうとカールに話すとそれがそうでもないのだと。そのドラマと似たようなケースが数年前あって、断れないある知り合いのママ友は某ママに託児所代わりに子供を預けられたりしていたとか。「買い物に連れていかなくちゃならなくてこの子の親と思われたら嫌だった」のは実はその女の子がブスだったからだそうだ。別のママ友はその某ママにスーパーで卵が安かったと言ったら「じゃー私にも買って来て」と言われそうしたのだとか。結局その某ママは離婚してこの団地からいなくなったそうだが・・(ドラマでも転勤でいなくなったことで解決していた)。

「私にはそんなママ友は寄りつかないのよねー」とカールは言う。彼女はきちんと断れるキャラなのだ。嫌だと思うのに相手に合わせたりはしない。「卵?自分で買えばー」と即言えて、そもそも(そんなことを)言う方がおかしいでしょと相手に分からせることが出来るのである。全くもって頼もしいママである。

2014年3月12日水曜日

アスパラKはいつ出す

私は仕事中でも何か冗談を言わないと気が済まないところがある。病棟患者でカリウムが低い人がいて処方追加を電カルに打ち込んだ。念のため薬局に電話し長政薬剤師に「(カリウム製剤である)アスパラKを出したんだが・・」と言いかけた。「ハイ」と返事はしてくれたがその後私の期待する質問をしてこない。どうにかしてそれを言わせようとするが「え?え?」とどうにも埒(らち)が開かず私から「いつから処方するんですかって聞いて欲しかったなー」と言った。「は・・?」「だからさー、いつからって明日からケー(アスパラK)」「あ・・ハイ、そうなんですか」おいおい長政君、アンタまじめ過ぎッ!

夜はノサバルデス後援で姶良市開業医と青雲会病院Drの交歓会&講演会が鹿児島市内のホテルであった。最近こういう時なぜか緊急内視鏡が夕方入ることが多く1時間半以上遅れて参加した。立食の交歓会では日頃患者のやりとりをする先生方と顔を合わせて語りあえ10年以上続けているがこれは確かにいい企画だ。初参加のブックリバーDrや眼科のブラロックDrなど一度でもお顔をみて話していれば電話や紹介状だけのやりとりよりはるかにスムーズに事が運ぶことだろう。

いろいろとお話した中でこの会の中心メンバーでもあるヨッシー先生に今までずっと話さなかったことを語ってみた。私が青雲会病院就職当時の14年前は七五調病院に内視鏡検査で週1非常勤で行っていてその時同病院に来ていた女性研修医がヨッシーDrの娘だった。内視鏡を覚えたいというので基本的なことを教えた記憶がある。実は彼女の母親はヨッシーDrと離婚していて彼女ともども絶縁状態だった。姓も違っていたので私もヨッシーDrには敢えてそのことには触れてこなかった。彼女とはそれっきりでその後どうなったのかもう時効だろうと話を切り出しだのだ。ヨッシーDrは驚いた様子で「私もよく知らないんですよ。結婚はしていないです。年に1回同門会で顔を合わすくらいで・・」そして「私は(彼女らにとって離縁した)悪者ですから」と謙遜していた。しかし娘はなぜか父親と同じ専門科に入った訳でそのこともヨッシーDrは「私も驚きました」と言う。あまり女性が入る科ではないから父親のことを意識していたのではないか。それはヨッシーDrもそうかも同意していた。別れた父親へのアンビバレンス(ambivalence)って解釈していいかも。

2014年3月11日火曜日

マイボウラー二人誕生

今日のこてるボウリング同好会は国分スターレーンでだった。恒例のT-MAXでないのはサブアラドDrと好来百合のサトリョーMRの二人のマイボール作成があったからだ。

終業時間が早いサブアラドDrははや17時半にはボウリング場に来ていて早速投げ始めていた。私はとても間に合わずスリウェル君らに着いたら一緒に投げるなどしてくれと頼んでいた。1時間以上遅れて着くとサブアラドDrは3ゲーム投げていて「太ももが痛くてねー」と日頃全く運動をしないためたったこれだけでもういっぱいいっぱいだった。サムホールは絶対に緩いので私のインサートテープで調整をしてあげ4ゲーム目は私と一緒に投げることにした。

本来は曲がるヴァーチャルグラビティNANOだが彼が投げると全く曲がらない。やはりマイボールはそれなりの投げ方を教えないと本来の力を発揮させられないんだ。それでもコースが良ければストライクも出る。何と私と交互に投げてフォースになった。その後もそこそこコントロールが良いせいか二人で投げた結果210と200アップしてしまったぜよ。出来すぎっ!

サトリョーMRはどんな投球をするかと見ていたらハウスボールをおとなしくそろっと投げる投法でちょっと予想外だった。体格、手の大きさ、そしてマイボール作りますっという威勢の良さから豪快なフォームかと思っていた。私が値段を加味して選んだマイボールはスリウェルと同じタブー系でグリーンタブー、曲がり系のボールだ。初心者はたいていストレート系の球筋なのでサブアラドDr同様これでも曲がり過ぎて困るということはないだろう。

で、サトリョー君、マイボール初投げだったが、これが散々。きちんと投げないといけないと思い過ぎたかボールを落とすは逆に力入って右に左にガターするわでハウスボールの時の方がはるかにいいくらいで私もどこをどう直せばいいか頭抱えた。親指でボールを握るなというアドバイスは間違いではないけれどこれまでの常識を覆す握りゆえ相当な違和感があるようだ。最後のあたり多少握ってもいいとしてからはまともにピンにボールが当たるようになった。もっともストレートそのものの球質ではあった。

さてさてタシケント君がこの前の防火ボウリング以来好調を維持し今夜は222という切りの良いハイスコアを出すなど私も勝てなかった。彼もマイボウラー歴4年目でニューボールを契機に一皮むけたようだ。ふーむ、それでいい。こっちを本気にさせるくらいでないとナ。

2014年3月10日月曜日

「○○××ですか?」

これまで写真管理はずっとCanonの添付ソフトを使ってきたがニューMacBookProに代えてMavericksになったからか今一使い勝手良くなくMac標準のiPhotoを最近は使っている。そのiPhotoの顔認識機能にはまっていじっていたらあっという間に深夜になり日記を書く暇がないくらいだった。ボウリング場にあったAKBメンバーのポスターを撮っていてほんの軽い気持ちでメンバーの名前を打ち込んでいったら次から出てくる身近な人たちに少しでも似た顔と判断すると「渡辺麻友ですか?」なーんてパソコンが問いかけて来るのだ。そこで本名を打ち込む。それを繰り返し次ぎに同じ人が出て「○○ですか?」とくれば✓マークをクリックするとその人の名が自然と打ち込まれる。もちろん画面に表示させないようにもできる。そしてその人物名で分類表示することも出来て人物アルバムも簡単に出来るというわけだ。

サンプル名が少ないからか、あまり似てないのにAKBメンバーの名前で「xxですか?」と尋ねてこられると思わず吹き出したりする。意外に多いのが「渡辺麻友ですか?」で他に「柏木由紀ですか?「小嶋陽菜ですか?」があり「板野友美ですか?」はいなかった。あと私の推しメンの松井珠理奈は今出産休養中の布鳥Nsに反応していた。青雲会病院にはどんなにかわいこちゃんがいるのよと思われちゃうな。逆に篠田麻里子の顔に「カールですか?」と聞かれたのは笑った。他NMBの山本彩にも「カールですか?」と聞いてきた。後で教えたら喜んでいた。

だが名前を打ち込みデータがそろってくるとそのカールにも「セージですか?」と男性名で問いかけてきたり、まあこれは親子だから似たところがあるからいいとして、シホねえNsには外来男性看護師の「ネークチダですか?」と聞いてきたり、一番の??は医局の医師事務作業補助者の「待つ未知さんですか?」と聞いてきた相手でそれはワインが入ったグラスそのものだった。コップが人の顔に見えるんかい?!

iPhotoは以前は使いにくいと思って敬遠して来たがこんな機能も使い勝手もあるし突っ込みがいもあるしでしばらくは愛用ソフトになりそうだ。

2014年3月9日日曜日

投げて打つ

(実は先週3/20から3/23まで台湾へ旅行に行ってきました。その疲れが抜けず今夜も日記が書けず椅子寝を繰り返しています。)

この日は朝はチッチとT-MAXでボウリングをし午後は麻雀だった。

チッチはT-MAXの優しいレーンで調子を上げ自己最高の187を出した。しかしだ、10フレ2投目投球後、レーンアプローチに両手両足ひざまずいてがっくりとうなだれたのである。それまでに4連続ストライクを出していてここでストライクなら人生初の200アップ確定、にも関わらず何とガターをしてしまったからだ。「ちょっと意識してしまった」のだという。同じくフォースを出した私は206でしっかり越えたけどね。まだまだ壁は高いゾ。

麻雀は1ヶ月以上ぶりのダイボDrが休養十分で絶好調。全員を沈ませての完勝だった。私は最後の最後ビリの位置でピンフドラドラで3面張リーチを掛けた。ツモればハネ満で一気に逆転トップになる。そこに3位のダイボDrが一発で当たり牌の9萬を切った。一瞬上がろうかと思ったが現時点ではマンガンで3位にしかならない。36ピンなら断ヤオがついてハネ満だったので文句なく上がるが、我慢し見逃してフリテンリーチとしツモにかけた。しかし2位の見せたまえDrが間4ピン2千点をつもりトップ終了となった。裏ドラを見ると9萬がドラだった。思うにみんながトップ目指して上がりに来ているオーラス終盤、見逃すとそうそうチャンスは来ないし、一発が付いて裏ドラさえ乗ればハネ満だしそれにかける手もあったかも。そうすればトップで終わりラスとの差は実に大きかった。この日一の反省点だった。

2014年3月8日土曜日

リコールへ向かう

当直明けですぐに帰宅はせずトヨタへプリウスのリコール修理に向かった。9時半から予約をしていたからだ。プリウスも買ってそろそろ満5年になる。リコールも今度で確か2度目で以前もコンピューターの回路をいじるだけだった気がする。新型が出鼻で実物を見もしないで買ったがそこはトヨタを信用してのことだった。5年経ってリコールはあっても他に故障らしい故障が全くないのには驚嘆する。さほど車に思い入れのない私のようなタイプには有難いことでトヨタに限らず世界で日本車が買われるのはここが大きいのだろう。それに販売店も対応がしっかりしていてそこらへんは販売のトヨタらしい。今日も40分もかからず終わり少し汚れたボディもきれいに拭いてくれ気分よく帰宅することが出来た。あと2ヶ月すれば車検でここ何台か5年で新車に代えていたけれど以上のような理由でまだしばらくはプリウスに乗るつもりである。

2014年3月7日金曜日

双子の見分け方

病院のリハビリに双子の女性スタッフがいる。ミズマホとミズユフといい、一方が理学療法士、もう一方が作業療法士で姉か妹かも今もってどっちがどっちか分からない。顔を見ても分からないのでいつも名前を尋ねデジカメで写真を撮らせてねと言ったら、ミズマホさんが「センセ、もう何度も私撮られていますよ。3回、いや4回か5回は」と言う。「そうだね、でもなぜかミズユフさんじゃなくてあなたの方を写真によく撮るねー」と言うと、「ユフは6階病棟だからじゃないですか」と答えた。どうやらリハビリスタッフは担当階が決まっていて回復期病棟の6階には私の患者が少ないからユフさんにはほとんど会っていないのか。ならばと6階に上がった際に「ミズユフさんは?」と看護師に尋ねて会ってみた。彼女はびっくりするもおどけたポーズを取ってくれた。顔もだが写真を撮られる時の仕草も似ている。で、モニター画像を比べるとほとんど同じお顔だがほくろ位置が微妙に違う。でもぱっと見て覚えられる違いじゃない。「ふたりっ子」に出演したマナ、カナの見分け方はほくろがある方がカナで「ほくろカナ」と覚えればいいと三倉佳奈本人が言っていた。すると「病院内では私が黄色のカーディガン、マホがブルーですからそれで間違わないですよ」とミズユフさんが教えてくれた。なーるほど。そう言われればマホさんはいつも青色を着ているわ。そりゃいい、今度は間違わずに名前で呼ぶからね。

はは、毎日忙しいはずなんだが・・どうってことないエピソードでした。

2014年3月6日木曜日

防火ボウリング大会・・

姶良市の防火協会が主催の防火ボウリング大会が国分スターレーンであった。先月の保険協会の3人チーム戦とは違いダブルス戦なので青雲会病院はチームAに私と難ガターさん、チームKにスリウェル君、サンシさん、チームBにタシケント、タナカッツ両君として登録した。(チーム名はABCではなく当然AKBね。チームBはベロリンガーインキンタイム社員の意味もあった。)

出発する前、病院で好来百合社のサトリョーMRと会うと彼も「私もマイボールを作りたいので」と言うので今度必ずと約束し、ボウリング場ではサブアラドDrも来ていてドリラーに作成を依頼した。今日は出来ないが来週にはOKとのことだ。1月以来これで何人マイボール作りを頼んでいるのか、こりゃスターレーンからは表彰状ものだな。

大会は参加者もそこそこ多く左側にはザ・キング病院の真っ向君夫妻がいて右にはおーい病院の泣かん薗Drもいた。マイボール持って来ているのはそれほど多いわけじゃないから彼らがライバルだろう。

1ゲーム目、当然マスターマインドを使って投げ始めたのだがこれが難しかった。アウトサイドにはそこそこオイルがあるも中央付近はかなり薄く曲がり過ぎてしまう。で、8フレまでにストライクは1個だけ。ここで踏ん切りがついた。いくら高性能でもレンコンに合わないボールはダメ、ミッション・コンプリートにチェンジした。するとストライクこそならなかったが明らかにポケットを突きだした。もっと早く変えるべきや。泣かん薗Drは好調で見れば最近愛用のストライク・アライアンスではなかった(銘柄までは見えず)。さらに真っ向君は何と私と同じマスターマインドで彼には合っているようで最後スプリットがなければ200はいっていた。スリウェル、サンシさんは今一。しかしタシケント君はスペアの後何とフォース(ハムボーン)を出し絶好調の様子。レーンが離れていたので動画撮影に行くとあらら今度は7本カウントのミス、でつ次ぎストライクだったのでまた撮りにいくとまたしても7本ミス。同じレーンの鹿児島説教の人に笑われていた。プレッシャーに弱いのかね。で、その説教社員、「セントラル高校13期生では?」と私に話しかけるのであれっと顔を見るとどこかで見たような・・「アラヤスです」というので思い出した。1年の時同じクラスだった。でも、年取っていたし太っていたので言われなければ絶対に気付かなかっただろう。去年も参加して私にも気付いていたそうだ。あらまー。

1ゲーム終わって個人トップはタシケント君の211。うひょー、2週間ほど前ニューボールが今一だとがっくりきていたお人とは思えない。ボウリングってこれがあるからね。私が168、難ガターさん好調で191、サンシさん159、スリウェル君134、タナカッツ142。他は泣かん薗Drが201、真っ向君が188とやはりこのあたりは実力が出ている。

2ゲーム目は頑張った。案の定ストライクが出だした。しかし泣かん薗Drも相変わらず好調。さらに驚いたのが真っ向妻でボールは曲がらないけれどとにかくミスをしない。おまけにラッキーストライクも続いてターキーまで出し209でハンディ10ピンもありトータルでは395で個人優勝してしまった。泣かん薗Drは最後の最後7本スプリットを出さなければ優勝だったのに387の2位だった。私は202で370の3位。どうにか面目を保った。前半絶好調のタシケント君は150ピンで私に9ピン足らず。へへ、1ゲーム勝負なら負けることはあっても簡単にはいかねぇぜ。

チーム戦では真っ向夫婦が圧勝で青雲チームAは準優勝、そしてチームBが健闘の3位。それぞれ商品券をゲットした。サンシさんはこのところ個人優勝もしていたが今回は撃沈。まあ、出来不出来が激しいのは10年前からのことだ。200か130かって私や難ガターさんによくからかわれている。

終わって高齢の国分アシビーで祝勝?会。スリウェル君が最近ボウリング始めたばっかりのタナカッツ君に負けたことがよほど悔しかったようで一人ごちていたのが可笑しかった。

2014年3月5日水曜日

サコの日

タシケント、スリウェル、タナカッツのMR3人は明日の防火ボウリング大会に備えて国分スターレーンで特訓をするとか。私は連チャンはきついのでよした。それにサッカー日本代表の対ニュージーランド戦がある。大迫勇也がFW先発するからには何としても見なくては。それが帰宅してシャワー浴びて出てくるとすでに2点を先制しているという。大迫入れたの?いいや、岡崎に香川だと。すぐにDFの森重がヘディングで3点目、大迫まだかよと言っているうちに岡崎が4点目を決めた。ニュージーランド弱すぎるだろっ、これじゃーこの後大迫が決めても全然インパクトないじゃん。それでも彼に決めて欲しいナと期待して見ていたが、全くといっていいほどチャンスが来なかった。後半メンバーチェンジでさらに状況は悪化、孤立して苛立ってもいた。だめじゃんこれじゃ。あのオランダ戦では良かったのになぁ。もっとも後半は大迫に限らず日本がダメだった。ニュージーランドに2点を返されスコアは4-2もすっきり快勝とはいかなかった。ううむ、日本代表も頑張って欲しいがこてる家ではサコが活躍してくれないと・・。

4、5日後、何と大迫は2才年上のモデル三輪麻未さんとこの日3月5日の試合後に入籍していたことを発表した。驚いたぜよ。サコとの語呂合わせでこの日を選んだとか。試合で活躍していたらもっと良かったろうに。カールは「もったいない、もっといい人がいなかったの」と言うが一般的にはモデルの女性ってもったいないってことはないだろう。ただサコならまだまだグレードの高い相手がふさわしいんじゃという親心のようなものか。ま、私生活はいいとしてサッカーでは今年ぜひ「半端ない」ぶりを発揮してもらいたいものだ。

2014年3月4日火曜日

「おばあちゃん行かないで」を聞かずに終われるかっ

夜、田舎のあこネーサ母から電話が来た。特に急ぐ用事があったわけではない。姪っ子のアーコちゃんが貸せ田高校に合格したというのがメインのようだった。本試験はまだだから推薦合格なのだろう。ともかく母の電話は田舎のあまりよく知らない親戚の親戚が病気したとかの内容が多く1回聞いただけでは理解できないんだ。それでもうんうん、そうな、へーと返事しているとどうにか収まってくる。そして一番下の小学生の孫ヒロヤン君の話が出てくるとそろそろ終わりが見えてくる。それは祖母と孫の会話で「おばあちゃんもしばらくすると死んで遠くに行ってしまうんだよ」「嫌だー、おばあちゃん行かないでー」というもの。ちょっぴり感動的なんだが実は今回で5回とは言わない、それ以上聞かされてきた定番エピソードなのである。だからといって「それは聞いたよ」なんて話の腰を折ってはならない。「うんうん、そうな」と十分に聞いてあげると「およ、遅くなったね、そいじゃーみんな元気でねー」となり無事母からの電話は終わるのだった。めでたしめでたし。

2014年3月3日月曜日

カモが顔を出す

突然の病でそれが致死的な状況となると残されそうになる家族は冷静な判断が出来なくなるのも無理はないか。シマッチ院長が救急で懸命に蘇生させるもほぼ脳死状態で手術も出来ないという比較的若い患者の家族が「転院させられないのか」と何度も言ってきてその度に移動時の危険性、病院が変わっても治癒の可能性のなさなど説明し、実際に他院にも連絡し転院は不可と判断されたことを伝えたところ、しまいには「なかなか転院させないのは何か落ち度があったからではないか」と詰め寄ってきたそうだ。私なら切れて怒鳴り返したくなるところだが院長はぐっとこらえ冷静に対応したそうだ。結局亡くなり、最後は「ありがとうございました」と感謝の言葉を掛けてくれたとのことだ。短気起こして「売り言葉に買い言葉」をしなくて良かった。家族の動揺を慮(おもんぱか)る度量も必要ということだ。

所属長会議が終わって病棟での仕事中、猫談義になった。私と同世代くらいのサコカツNsはスコティッシュフォールドの雑種など10匹もの多頭飼いをしていて、そのうちの1匹が鴨を捕ってきたんだそうだ。どんだけ田舎に住んでいるのよというツッコミは置いといて、彼女のうちは猫が出入りしやすいように猫体一つ分の隙間を作っているが、何とその隙間からどーんと顔を出していたのは猫ではなく鴨だったとか。げげっ!猫って自分の縄張りに獲物を運ぶ習性があるんだよね。(どうせならネギもしょってこいって?その鴨は期待通り鍋にして食べたんだとさ)

2014年3月2日日曜日

チッチ、国分で投げる

午後、チッチを連れて国分スターレーンまで出かけた。ニューボールの練習もだがチッチもニューボールにして調子よさそうだから投げたいだろうと誘うと即OKだった。さらにもう一つあってサブアラドDrのマイボウラー化作戦だった。私のお古ボールヴァーチャルグラビティNANOをプラグ&ドリルして彼もこてるボウリング同好会(?)に引き込もうという魂胆だ。過ごし安病院に出入りいているタシケント君が彼と良く話ししていてボウリングをしてもいいかなとのことだったので善は急げと画策した。マイボール初心者は新品も中古もはっきし言って全く差を感じることはない。全くの新品なら2万以上はするので7千円ほどで済むのでお得だ。早ければ5日ほどでドリル可能になるそうだし今度の木曜の防火ボウリングの際に見学に来るとのことでちょうど都合がいい。

チッチはボールは国分スターレーンで作ったけれどここで投げるのは初めてだ。例によって最初はガターしたりするも後半はストライクもまあまあ出るようになった。チーはストライクを出しても素直に喜びの表情は出さない、苦虫を噛みつぶしてはいるがふと笑みが出るというしぶい顔つきで引き返してくる。これがテルだとドヤ顔なんだよな。その辺性格というか負けん気よりも自分を抑えるタイプでこれは末っ子にありがちなのかしらん。

私はマスターマインドの練習を兼ねてで期待していたのだが全くレーンを攻略出来なかった。レーン外側は結構オイルが入っていてマスターマインドといえども曲がりきれず、かといって10枚目より内に入れると裏に行くというコンディションだった。午後2時まで何かの試合が行われていたようでオイルコンディションも難しめでかつ荒れていた。どうにか左に寄ってポケットは突くようになったが今度は10ピンが残る。スペアでつないで170くらいが関の山だった。同じボールでもオイルパターンが違えば全然攻略法が違うし本当にボウリングは難しい。

帰宅してシャワー浴びてすぐにまた病院へ向かった。日曜夕方からの当直だった。来て早々トイレ洗浄剤を飲んでの自殺未遂、さらに22時ごろには本当に自殺者搬入などバタバタの展開だった。特に後者は家族の嘆きが痛ましかった。私と同い年の男性でもあったしー。何があってのことは知らないがするもんじゃないよ、全く。

2014年3月1日土曜日

実は犯人を知っていた

土曜外来は内科系Drが一人だったためやはり忙しかった。その中で私の患者である千露さんは昨年あった殺人事件の女性と知り合いでそれがきっかけで体調を崩したエピソードがあったが、この間その内縁関係にあった男性が逮捕され、そのことを話すと「(その人が犯人)だろうと思っていました」と語った。警察の事情聴取にも応じていたんだと。前回受診時には憶測では語るまいと黙っていたそうだ。

そんなバタバタの中、実は東京から高校同窓生のシモトンダ君が来ていて私に御菓子の土産を持って来てくれていた。ここ1年ほど彼の父を担当しているのでお礼にということなんだろうが、せっかくだったのに忙しくで会えずに終わってしまった。

昼からは麻雀。見せたまえDrは当然誘った。というよりこの前の一件で彼のためにセッティングしたようなものだった。そして久しぶりに眼科のOhツカンネDrも。彼に現在ローテで来ている後輩のブラロックDrが打ちたがっていましたよと言うと「うーん、彼はそんなに打っていたかなぁ」との印象だったようで、ともあれ、ブラロックDrが任期中に1回はセッティングしましょうということになった。すると見せたまえDrが「おれはいつでも誰とでもいいぞ」と。いやいや、ほんとに好きなんやなぁ。

結果はその見せたまえDrとサブアラドDrの二人勝ち。いやー、好きこそ物の上手なれっすわー。