2017年7月31日月曜日

胃カメラ40人目

午前は内視鏡担当でいつものように粛々と胃カメラをやっていた。内視鏡室スタッフが「今日はかなり検査が多いです」と言うので、それはいつものことと予約欄を確認すると30名は楽に越え正午を過ぎてもまだ終わらない。確か1日の過去最高件数は35か36あたりだったと記憶しているが今日はすでにそれを越えていた。13時くらいにようやく終わりきちんと数えてみると39件。うわ、40件まであと1人かぁ。

看護師の誰かが「ERCPの1件を入れたら40件ですよ」と言うが、私は「いや、純粋に胃カメラだけでの人数でこれまで40件を越えたことはないはず」とこだわった。それでも過去最高なのは間違いない。これも内視鏡医3人体制になったために人間ドックの胃カメラ予約枠を6月から3件増やしたからで、そこにたまたま外来の胃カメラが重なったからだ。今後も30人から40人程度で推移していき、今年度は過去最高件数更新は間違いないわ。

さて夕方も近づいたころ、近くの愛乱病院から内視鏡の依頼があった。入院患者が昼過ぎに乾電池1個を飲み込んだ、レントゲンではまだ胃の中にある、摘出をお願いしたいということだ。あは?またか。1年か2年に1回はそんな依頼がある。で、患者名を聞きカルテで調べると案の定この患者は過去2回2011年、2013年に電池呑み込み事件を起こしていた。その前にも別の患者が2回起こしている。まあ、そのおかげで当初は時間がかかっていた電池取り出しも私はうまくなってきた。

今回は食後なのでまずは電池を見つけられるかどうかが一番の問題でこれはどろどろになった食事内容物をフード先端でかき分けどうにか見つけた。このあとはトラペゾイド鉗子で電池をつかむ。通常のバスケット鉗子ではつかみが弱い。ただ単4電池なのは有り難かった。もっと太いものだと、引き上げるとき、胃食道の狭い境界部を抜ける時に接触のせいでずれ落ちやすいからだ。この患者の最初の時は10回以上失敗し1時間を越えへとへとになったものだ。でも今回は一発で成功。記念に電池も撮影。いつも撮るのは「飲み込んだ場合はすぐに医師に相談する」の文言だ。

もう今回は飲むんじゃないよとは言わなかった。それは2回目の時に言って諭したつもりだ。何か嫌なことがあったとき、この手の患者は自己嫌悪感にとらわれ、何もかも嫌、自分をめちゃくちゃにしたい、傷つけたいという心理状態に陥る。人によってはリストカットをしたりするが電池飲み込むタイプもいるわけだ。電池は胃内ならこうして取り出せるけど小腸にまで入ると難しくなる。まれに腸穿孔もあるからこわい。でも人によってはスポンジ状のものを飲み込んで開腹手術で取り出したケースもある。その患者はその時は助けられたが結局またやってしまってついには亡くなった。こうなると、内科や外科のDrでは難しい。精神科の専門医でもなかなか治せない、この手の精神疾患、私が出来るのは迅速に胃の中から取り出すことくらい、そう割り切っている。

おっとそうだ、この患者でぴったし40件。記録は大台に乗ってしまった。すぐに相談に来てくれてありがとう。

2017年7月30日日曜日

清宮はおらずとも

日曜は珍しく朝10時から麻雀。相手は開けたいゾMR、サブアラド、見せたまえDrで、私は最初トップを取り好調かと思えたのだが・・。結果はちょい負け。今日打ってみて自分欠点がよく分かった。リーチとダマの使い分けがうまく出来ていない。ピンフドラ3の手をリーチしてしまった。ダマなら確実に見せたまえから出ていた。(実はピンフドラ2だと勘違いしていて満貫にするためリーチ、直前に間違いに気付いたが、ま、いいかでしてしまった)テンパイしたら基本リーチは変わらないが、最近その一本調子を相手にいなされ負けが多くなっているわ。

しかし、今年の夏は蒸し暑い。外に出ると湿気が多くてだるくなる。だから涼しい部屋での麻雀は理にかなっている・・。その麻雀卓の点数表示が調子悪い。百点棒の表示が狂ったり、点数が動かなかったり・・。これ、冬場にはなく6月くらいからこの症状が出てくる。電気接触型の点棒なので湿気が悪さしているのかもしれない。「替え時かなあ」と見せたまえDrがつぶやくが、最近はICチップ内蔵の点数表示台も出てきているのだがかなり高い。その装置だけで20万円以上する(卓と合わせれば43万円ほど)。現在の卓は中古で28万円ほどで2年2ヶ月経過した。雀荘代を考えると十分に元を取っているが台そのものはまだまだ十分に打てる。10月くらいからまた表示は正常化するからまだ我慢だな。

そうそう、打っている最中、スマホの連絡機能が働いて、何事かと見れば「早実、清宮決勝で敗れる」だった。ああ、やはり負けたか。西東京は東海大菅生が強くてかなり厳しいとは思っていた。大人気の清宮、早実が出られず関係者やマスコミは残念だろう。しかし高校野球はすぐに人気選手、スター選手が生まれる。昭和58年の夏は話題は徳島の池田高校一色だった。前年夏初優勝し、その年の春も圧倒的な打力で優勝、三季連続優勝の期待がかかっていた。特に準々決勝第1試合の対中京は事実上の決勝戦といわれ早朝から超満員となり8回まで1ー1の大接戦も9回表2点を入れた池田が勝ち、いよいよ優勝だと周囲も選手らも意気込み、次の準決勝相手は高知商対PL学園の勝者となり、結果は10ー9の乱戦でPL学園が勝ち上がった。その時、ピッチャーの水野勝仁はインタビューで「PLでよかったわ。高知商とは何度もやって来たしー」と答え、余裕しゃくしゃくだったのだ。

結果はご存じのとおり0ー7での完敗。1年生ピッチャー桑田真澄にまるで歯が立たずPLの打者は水野の内角速球をポンポンホームランしたのだ。終わってみれば1年生桑田清原のKKコンビ登場の大会として記憶されている。今大会もまた新たなヒーローが生まれることだろう。

2017年7月29日土曜日

「正平です」

つい最近、NHKBSの火野正平「にっぽん縦断こころ旅」の2017年春の旅が北海道にとうちゃこ(到着)して終わった。約4ヶ月、毎回ビデオ録画してヒマヒマに見ていた。火野正平のキャラと視聴者のお手紙、風景、ハプニングなどが撮され、このところ各局多い旅番組の中でも派手さはないがついつい見てしまうゆる~い番組だ。

最終日の昨日、砂浜に斜に構えてグラサンかけた火野正平は立っていた。何をしゃべるのだろうと見ていると聞いたことのあるメロディが・・。

「おはようございます・・正平です」しばらく間を置いて
「とてもいい匂いのかなり高いシャンプーを買いました・・」・・数秒たち・・
「洗う髪がありません!」

どっと笑ってしまった。「ヒロシです」の見事なパロディ、自虐ネタ、笑い出すスタッフに「やりたかってん!」スタッフも知らず撮影していたのはブログで知った。まあ、あとからBGMをいれるなどきちんと編集していた。

火野正平の女好きはよく知れ渡っているので本人もそれを意識か無意識か場面場面で出してくる。冷凍室から出てきて眼鏡が曇ったのをいいことに係の女性に「目が見えませーん」と抱きつこうとしたときなどその典型。TVの向こうの視聴者が笑っているのが分かっている。うちのカールも「正平さんに口説かれてみたーい」ようなことを言うからこれはもう一種の芸やね。

秋編は9月から長野を皮切りに終点は鹿児島だって。「お手紙下さーい」と正平さんが言っていたから私にも何かしら「こころの風景」があれば書いて送りたいがぱっと思い浮かばないなあ。次回、秋編でみんなのこころの風景に期待しよう。

2017年7月28日金曜日

不調時のカンフル剤とは

夕方、串木野へのリーグ戦に行く前にオマル爺さんと4子局を打った。爺さん、今回はがらりと作戦を変えてきた。星へのカカリは普通小ゲイマカカリだが、二間高ガカリを多用してきた。このカカリ、黒石への圧力は弱いがふわっとしてどこにどう打てばいいか分かりづらい。4子で私が3連勝したので爺さんしっかりと対策を練ってきたようだ。看護師に聞くと朝の4時から磁石碁盤で持ち込んだ棋譜を片手にパチパチ打っているそうだ。いやぁ、本当にすごい。で、結果は私の完敗。今日勝てば3子にすると言ってくれてたがまたもや失敗だ。

実は囲碁は19時過ぎには終わらせて串木野に向かわないと遅刻しそうだったので、打つ手が早くなり読みもおろそかになっていた。だったら最初から打たなければよかった・・しかし「先生は今日は来ないの」といつも心待ちにしているとスタッフが教えてくれるので可能な限り打って上げたくてネ。でも今日は「早く打ち過ぎだ(もっとしっかり考えて打て)」と、見透かされていたようだ。ハハ。

串木野トリオリーグは前回と同じコンディションだった。で、やはりというか、アベが160台。だから言ってたでしょ、国分スターレーンでアベ250なんて実力でも何でもない。本格的なレーンコンディションに当たればすぐにボロが出る。自慢なんかしなくて正解。チームも成績今ひとつで海広しDrは「やっぱりボール(が古くなっていて)、替え時かなぁ。何かお勧めがありますか」と言うので、マスターマインドのアーテルリミテッドエディションを推薦した。もし、今、自分が買うとしたらきっとそれにするからだ。海広しDrのボールも3年か4年経っているはずだからさすがに新調したほうがいいだろう。不調が続くときのカンフル剤、それはニューボール!だ。

2017年7月27日木曜日

「ネコ歩き」は猫も好き

岩合光昭の世界ネコ歩き展で見た沖縄の子猫、TV録画の中に入っていてそれをデジカメで撮影した。先日話題にしたシーンだ。撮影中、よじ登ってくる子猫にじっと耐える岩合さん。猫や動物嫌いだったら絶対に我慢できないシチュエーションだ。それを別カメラが捉えていて面白いシーンになった。


で、これを流している時、家ではゲンちゃんが台所でくつろぎながら見つめていた。お気に入りの場所の一つだ。最初は右前脚をだらりとしながら。で、しばらくるすると今度は左脚を落として見ていた。あとでテーブルからも眺めていた。

ネコ歩きは猫にも人気の番組であった。(今日はネタがあまりなくて・・これでおしまい)

2017年7月26日水曜日

その3つのレジャーは高度成長期の名残か

当直だった。それほど忙しくはなく夜はオマル爺さんのところへ出向き、4子局の対戦。また勝ってしまったぜ。「強くなった」とお褒めの言葉を頂いたがこの1ヶ月それほど囲碁の勉強をしていたわけではない。元々この程度はあったのさ。

私が囲碁を始めたのが中学2年のころでそこから高校くらいまでが最初のハマリ時期。大学に入ると周りに打つ人がいなくて麻雀に流れた。医者になって3年目のC出張時代(キリビョー、リューセイ)が第2のハマリ時期でどちらも医局に碁盤があって先輩Drと対戦することで囲碁熱が再燃した。当時自分の棋力がどのくらいか分からなくて初めて西田橋の碁会所(日本棋院鹿児島市支部西田橋囲碁道場 :当時から古くさい建物だと思っていたが未だにあの建物のままらしい。崩れないか心配だ)に行き、「どのくらいあるのか教えて欲しい」と頼み、常連さんと4子局を打ったら勝ってしまった。すると「うん、3級はある」と言われた。今思えば、その常連さん、初段か二段くらいであんまし強くはなかったんだな。この時期が一番ハマっていたように思う。囲碁雑誌はほとんど毎号買っていたしNHKの囲碁番組も欠かさず見ていた。

第3の再燃時期は沖縄に2度目の出張の時だ。大学の後輩サナダムシDrらとパソコン通信でネット碁をするようになった頃だ。遠隔で対戦ができるという当時としては夢のような方法で機器購入(10万円をこえた)や通信費が高かった(対戦数で変わり1万円以下)けれど3年間で何百局も打って人生の中で一番実戦をこなしたころだった。ちょうど鹿児島に帰るころインターネットが世間で始まろうとしていてパソコン通信の時代はすぐに消えたが、私も囲碁熱が少し冷めてきていてネット碁でやり放題できるのにほとんどしていない。

それから約20年、その間漫画「ヒカルの碁」のブームで子どもにも流行ってうちの子ではセージだけが少々打つがまだ級位者レベルだ。今の時代、囲碁の代わりになる楽しいことはたーくさんある。日本のプロの囲碁が韓国、中国に追いつかれ追い抜かれて20年、どうやら囲碁は発展途上の国が強いようだ。国全体が豊かになると停滞する。日本で囲碁ブームが起きたのは昭和初期、日本の木谷実と中国で見いだされた天才少年呉清源の二人による新布石法が出された時と昭和40年代高度成長期の頃だ。特に高度成長の頃は今と違いレジャーが多種多様ではなかったこともあり囲碁人口も多く、景山利郎の「素人と玄人(昭和45年)」は囲碁の本でありながらベストセラーになったほどだ。

その時期はボウリングもブームが起き、麻雀もそうだった。昭和46年のゴジラ映画「ゴジラ対ヘドラ」には子供映画なのに麻雀シーンが登場したくらい。ヘドラが迫ってきているのにアパートの一室でジャラジャラやっているアホな大人4人。あっという間にヘドラのヘドロが飛んできてやられてしまう。このせいか、麻雀なんかするのはよくないんだというイメージが大学1年くらいまで私にはつきまとっていた。しかしいったんやり始めたらどっぷりでヘドラにやられてもしかたないなあと思えた。ちなみにこの映画、ゴジラ映画の中でも異色作ではあるが相当面白い。MBCがゴジラ展の特集やっていてそこで空想科学読本の柳田理科雄さんが「初めて見たゴジラ映画は『ゴジラ対ヘドラ』です」って言っていた。彼の人生を決めた映画の一つかも知れない。

ふっ、今あげた三つのレジャーっていまだに私の趣味そのものだ。昭和高度成長期からさほど進歩していないってか。

2017年7月25日火曜日

10年過ぎても人は変わらない

私が担当する入院患者の家族(といっても妻や子供はおらず兄弟や姪など)に病状説明をしようと病棟に上がった。やってきた家族を見てびっくり。姪御さんというのが元青雲病院勤務の薬剤助手の弥生人さんだった。そういえば名字がいっしょだ。

「いやー、6、7年ぶりかなぁ」「いいえー、10年は経ってますよぁー」「え、そんなに?」「この新しい青雲会病院じゃなくて古い病院の時だったですよ」ああ、それならば引っ越して9年過ぎたからそうかも。彼女が辞めて11年くらい経っているようだ。薬局の皮ナッツ、村雪薬剤師らとよく国分国際ボウルでボウリングしてたっけ。
「いや、それにしてもパッと見た目昔と変わらないなあ」「いえいえ、こてる先生こそほとんど変わっていないです」「白髪が増えたよ」そうだ、昔、彼女に白髪取りを手伝ってもらったこともあったなぁ。いくつになったのかなと失礼ながら尋ねるとアラフォー、すでに過ぎていると。そうだ、病院にいたころ30過ぎたと言っていた。彼氏見つけるために鹿児島市に引っ越していったはずだったが・・。4月から隼人に住んでいるという。言わなかったが彼氏は見つかっていないようだった。10年過ぎても人は変わらんな。でも明るく元気そうでいいネ!

昼ご飯を開けてみると、なんとウナギの蒲焼きだった。そうか、今日は土用の丑の日だよ。カールも気を利かしてこれにしてくれたか。うん、美味しい!

昨日、ついこの間皮タックDrと話題にしたばかりのオマルの爺さんがまた入院してきた。また胸に水がたまってきたんだ。ま、前回同様の治療で済みそう。それで夕方終業時間が過ぎて碁を打ちにいった。爺さんも待ってましたとばかりに構えた。ハンディは4子。攻めっ気の強い私は18手目に星にかかった白石のカタを突き強襲した。上手(うわて)はここは勢いを外して下辺に転進、そこでまた私と戦いになった。ここで私は黒石を取られてしまった。しかしここでめげずに大模様を張って打ち進めると終盤にはやや優勢になっていた。劣勢を意識していた爺さんは無理をしてそこでミス、差が広がり、私の勝利となった。ふーう。4子だとそこそこ勝負になる。しばらくはまた爺さんに囲碁を教わる日々が続きそうだ。

2017年7月24日月曜日

三本松の三高MR

月曜は安定して忙しいのぉ。土日に具合悪くなった人たちがやってくる。内視鏡も外来も大忙しだ。

夕方、居丈だ薬品の三高MRが医局に来た。顔を見るなり私は「やったねー」、それに対し「ありがとうございます」と三高君。「準々くらいから注目してたんだよ。それが準決と勝ち上がったからホウとなって決勝も勝ったんでビックリさー」「いやー、すぐにこてる先生にお知らせしようと思っていましたがご存じでしたかー」香川県の三本松高校が優勝し甲子園出場が決まったという報告だった。

三高MRとこの日記で名付けた由来が彼が「高身長高学歴高収入」のいわゆる三高だからではなく三本松高校野球部出身だからだ。地元では三高と呼ばれているためそのまま使った。彼が初めて鹿児島に赴任し病院に来たとき、たまたま出身校を聞いたら「ああ、三本松ね、甲子園にも出たことあるな」と反応したら、「初めて言われました」と彼は驚いたものだ。今回、地方の公立校がよく頑張って夏3回目の出場(24年ぶり)を果たした。春は1回の出場だが2005年の希望枠での選考だった。

希望枠は神宮大会枠を得た地区を除く9地区の補欠1位校の中から守備力を重視して1校選ばれ、三本松は秋田経法大付との差わずか1ポイントで選出されたのだった。ちなみに希望枠は被塁打数、与四死球、失点、失策をポイント化し一番点数の高い学校が選ばれ、もし秋田がエラー1つ少なければ秋田の選出となっていたくらいきわどかった。その後この枠は21世紀枠に統合されなくなった。2003年から2008年までの6年間のみの選出方式で当時の三本松の実力からいったら甲子園なんてとても無理だった。三高君は将来男の子でも出来たら「パパは甲子園に出たんだぞ(控えだったけど)」と言える強運の持ち主なのだ。

来年は夏の甲子園第100回記念大会で埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡は2校選出され、全56校と過去最大の出場校数となる。その中には三高君のようなラッキーな球児もいるはずだ。今年の大阪のように大阪桐蔭、履正社は春の優勝、準優勝校であるにも関わらずどちらかは予選敗退というアンラッキーなケースもある。ただそれも人生、運不運って付きものなんだよ。頑張れ、高校球児!

2017年7月23日日曜日

「シークレット・ガーデン」

終盤にさしかかっていた韓ドラ「シークレット・ガーデン」を明け方からずっと見続け、昼前に全20話見終わった。やはり評判に違わず面白かった。魂の入れ替わりが3回起きるのだが、わがままな男性主人公のヒョンビンが女性主人公のハ・ジウォンに対し3回目の時には自ら入れ替わりを望み、自己犠牲もいとわないようになる。最初はいろいろ抵抗していたハ・ジウォンもこれを受けいよいよ気持ちが固まる。しかし韓ドラお決まりのお高くとまった男の母親が最後まで抵抗をみせる。この母親、最後の最後まで二人が結婚し子供が出来てもあっぱれなほど二人を許さないのだ。ここまですごい母親は韓ドラでもみないなあ。

ヒョンビンの演技は安定していて、ハ・ジウォンもスタントウーマンでかつ乙女チックな役柄をうまくこなしていた。ただ女性の好みで言えば準主人公のキム・サランの方だな。彼女、2000年度のミス・コリア真(真・善・美とあるが真が第1位)を獲得しその後女優に転身しこのドラマで大きくブレークした。顔は整形しているかもしれないがスタイルは抜群、それでいいんじゃないかとさえ思ってしまう。

それでも女優としての格はハ・ジウォンの方がはるかに上だ。「チェオクの剣」「バリでの出来事」「ファン・ジニ」などどれも目力(めぢから)のある印象的な演技だった。それらは男性が不幸になる話しだったのに今回はハッピーエンドなのも良かった。

韓ドラは財閥の御曹司と庶民階級の女性との恋愛パターンがやたら多い。私が見ているのを横目にカールがそこを指摘した。それは韓ドラファンなら言わずもがなで枚挙にいとまがない。そこにドラマチックな展開をこれでもかとてんこ盛りしぐいぐい引っ張っていく。面白いが食傷気味にもなっていて、このドラマも5年前に序盤4話まででその後見なくなっていたのはそのせいもあったか。そこを男女の魂の入れ替わりという荒技で面白く脚色したのが成功している。他にやることがいっぱいあるゆえ、これくらいひねらないと私もそうそうは韓ドラは見ないゾ。さあ、次はいったい何を見るかな。

2017年7月22日土曜日

ストライク、ストライク、投げればストライク

夜、国分スターレーンで第2回の鹿児島ドクターズボウリング大会があった。試合はダブルス戦で前回は昨年11月、その時は宮砂糖Drと奥さんのミホコンさんが優勝した。今回はイキナリDr、泣かん薗Drは前回に続き参加したが川内の海広しDrは参加できなかった。ドクター以外の参加もいて青雲会がらみではいつもいっしょに練習している難ガター、タシケント、タナカッツ、アンドキサ君、泣かん薗Dr奥さんのカナコンさん、宮砂糖夫妻の愛娘チーちゃんとみんないわゆるマイボウラーたちだ。

私はいつもの難ガターさんとペアを組んだ。イキナリDrは弟のイイナリDrが今回不参加でタシケント君と組んだ。前回優勝の宮砂糖夫妻だが今回は女性ハンディも付き、20ピンのはずだったがミホコンさんにはこれまでの実績を加味してか15ピンに、チーちゃんには逆に30ピンになっていた。イキナリDrが「ミホコンさんにハンディ(つけるの)はいいのかなぁ」で私が「いいんじゃないっすか」イキナリ「後悔するかもよー」とのやりとりがあった。私は今週は練習もしていないしまあ気楽に臨もうという気分でいた。

練習ボールを投げ、レンコンはそれほど難しくはないなと感じた。アウトサイドを真っ直ぐ投げればポケットには行く。前回は早いコンディションでストライクも出るがミスも出やすく堅実な宮砂糖夫妻に優勝されてしまった。ダブルスの3ゲームマッチ、1ゲーム目最初の投球はストライク!難ガターさんはスプリットミス、そして2フレ目もミス。あちゃちゃ。しかし私はストライクでダブル、そして3フレ目もストライクはターキーの文句なしの出だしだ。しかし4フレ目は右側のレーンで若干薄めにポケットに入り1本残した。ここで右左のコンディションが少し違うことに気付き、右側は板目1枚右に寄って少し食い込ませるようにした。すると・・。自分でも驚いた。ストライク、ストライク、投げればストライク。多少のミスショットも全部レーンの方で勝手にポケットに吸い込ませくれる感じでぜーーんぶストライク。終わってみればセミパーフェクトの279という去年のパーフェクト以来のハイスコアとなった。いやー、4フレ惜しかったなぁ。

2ゲーム目、えてしてスコアは伸びないものなんだが今日は違った。よほどレンコンが安定していたのかストライクラッシュは続いた。1回イージーミスをしたがそれでも224。特に左の20番レーンは1ゲーム目から全部ストライクでもし左しか投げなければ12回連続ストライクのパーフェクトだったわ。難ガターさんも243のハイスコアでこの時点で計914(503+411)で1ゲーム残して優勝はほぼ私たちに決まったようなもの。みんなが呆れる中、3ゲーム目も私は247とまたもハイスコアを出し3ゲーム合計750というボウリング人生で3ゲーム合計の最高スコア(ハイシリーズ)を出したのだった。ダブルスも圧勝で1361は2位の泣かん薗Dr夫妻の1201に大きく差を付けての優勝だった。持ち回りのチャンピオンベルトを締めて得意顔の私を見よ。

なぜにこれほどのスコアが出せたのか。これは私に言わせればレーンコンディションがハイスコアになるよう設定されていたから、そしてそれが私の球質、ボールの性能にたまたまマッチしたからだと思う。スコアだけみればプロも真っ青の結果だが、自分で納得いく投球は1ゲームに3、4回ほどでボールの落ちたスパットも5枚目から8枚目までブレがあった。それでもストライクになった。特に20番レーンは15フレーム17回投げて16回ストライクというストライク製造レーンで私以外の難ガター、タナカッツ、アンドキサもストライクが多く出ていた。一言、レーンのおかげだった。というのも先週、串木野でのコンディションが板目1枚ずれればストライクからスプリットになるという厳しいレーンでアベ160くらい。そんな私が急に上手になるわけもなくとても鼻高々にはなれない。上のポーズはまあそうしないと格好つかないかなら。

ま、ボウリングやってればなぜかこんなにレーンに助けられとんでもないスコアが出ることがある。そういうときにパーフェクトやハイシリーズが出る。今日は750という今後も出るかどうかというハイシリーズを出せたということ、それを素直に喜ぼう。

2017年7月21日金曜日

講演&懇親会

今日は外来担当日。患者が多くずっと診察室に貼り付け状態だった。救急はピッピDrが担当日でそこは助かった。ただ彼も患者4人が入院必要となり、夜19時前に病棟で会ったときはさすがに顔は疲れの色が隠せなかった。私はまだ病棟患者の仕事が少し残っていたのだが、19時から城山で糖尿病の講演会に依頼したエリックMRに「行く」と約束していた手前、遅刻してでも行かねばとあせっていた。残り数人の患者診察は明日にすることにして、19時半に病院を出た。

20時過ぎに会場に着き40分ほど聴いた。いろいろためになる話題の中で血糖上昇を上げないために「野菜」からまず食べ始めるとよい、というまあ今は常識の方法が常時血糖測定装置で予想以上に有効だったという結果を講師は強調していた。糖尿病はこの10年新薬が次々と登場し最も活気のある分野である。私も6月からの新体制で内視鏡室3に外来2の仕事ゆえ、このような糖尿病の講演は役に立つ。

終わって立食の懇親会もあり食事抜きだった私は当然参加した。青雲会病院からは外来で主に糖尿病を担当している村紘Drも来ていた。70代後半というにえらいわ。おっと、第二内科の大先輩で鹿児島市内の病院理事長のはやってるやDrもおられ、挨拶をした。私もはやってるや内科には1年ほど非常勤勤務したことがある。姶良地区からは大学同期の名月Dr、二内科後輩の皮タックDrが来ていて彼らと立食しつつ歓談した。認知老人の免許証取り上げ問題や糖尿病薬の話しなど医療についての話題も当然出る。

そうそう、皮タックDrには囲碁大好きなおまる老人がその後どうか尋ねてみた。「元気ですよ」とのこと。そうか、そこで入院時に私と囲碁対戦を十数回繰り返したことを教えた。「そうだったんですか。あの人も以前はわがままで酒で奥さんに迷惑をかけてばっかりだったんですが・・」奥さんは逃げても最終的には見捨てなかったんだそうだ。相当やんちゃな人だったんだな。ただ囲碁に対しては非常に真摯であることは間違いない。今じゃ生きる支えにすらなっている。紹介状や返書では分からないことがこうした場で共有できる。

講演会もしょっちゅうあり面倒に思うこともあるが、この前の海原ちなみDrとも紙や電話だけの関係から直に話せるようになるきっかけになっていいもんだ。エリックMRもかいがいしく参加Drの世話をしていた。こっちも日ごろボウリングで世話になっている義理もある。講演会&懇親会はお勉強だけでなくDr、MRの交流の場の意味も大きいのであった。

2017年7月20日木曜日

高校野球の記録と記憶が大好き

今日は早帰りで自宅居間で高校野球の決勝神村学園対鹿児島を見ていた。鹿児島高校といえば私が小学1、2年の頃に出たことがあったはず。その通りで勝てば昭和42年以来50年ぶりだという。試合は前半互いに点が入らない展開だった。どちらかと言えば鹿高が良く守っている感じで地力は神村が上かなとみていた。5回に鹿高が1点先制で少し試合としては面白くなった。しかしその裏神村が同点にし主導権は渡さない。

さあてこのあとどんな展開になるのか・・だが、寝そべっていた私はうとうとし鹿高がまた1点リードしたころから寝入ってしまった。この後8回に神村が4点を入れ勝負は決まった。5ー2で神村学園優勝、甲子園へ沖縄の興南に次いで出場を決めた。

鹿児島はこの10年ほど鹿実、樟南、神村が3回ずつ出て鹿児島3強を形成している。かつては鹿商、鹿実、鹿商工(現樟南)が鹿児島3強と言われていた。1980年に川内実が出て以来2006年の鹿児島工が出るまでこの3校以外は出場できなかった。いい選手が鹿児島市内のその3校に集中していた。その後、特待生問題が起きてたくさんは集められなくったこと、地方にもいい指導者が増えたことで分散し鹿実、樟南といえども簡単には勝てなくなった。

高校野球の勢力図って10年単位でみるとどんどん変わってきている。さらに30年、40年のスパンで見るとどんな強豪校も安閑とはしていられない。PL学園を見よ。すでに野球部すらなくなっている。かつて野球といえば商業校だったが商業校自体が衰退しているのか松山商、広島商なども出場すらかなわなくなった。逆に長い低迷から復活躍進する学校もある。栃木の作新学院などまさにそうで初の春夏連続優勝や江川を擁して活躍したものの1978年を最後に30年以上も夏の甲子園には出られなかった。しかし2011年に久しぶりに出場するとベスト4、その後連続出場し去年は全国優勝、今年も7年連続出場しそうな勢いだ。

指導者の変遷、学校の方針、制度の変化、生徒や親の指向など様々な要因で高校野球の勢力図は変わる。私は高校野球を見るのも好きだが、成績などのデータをもとにそうかそうなっているのかなどとあれこれ思いをはせるのが大好きで、本や雑誌を昔からよく読んできたし、今ではネットで「激闘の記憶と栄光の記録http://www.fanxfan.jp/bb/」など高校野球オタクが好むサイトを飽かず眺めるのが大好きなんである。(このサイトの開設者には本当に頭が下がる。維持するのが大変なのか昨年4月以降情報がアップされていないのが気にはなる)

2017年7月19日水曜日

大医師永眠

ニュースで昨日の18日、日野原重明さんが亡くなったという。105才だったそうだ。100才を越えてもなお活動しているという情報はちょくちょく出ていていったいいつまで現役なんだと驚嘆の思いでみていた。私が初めて先生の講演を聴いたのは20年近く前、第二内科の記念講演に鹿児島に来た時だったが半分眠りこけてあまり印象に残っていなかった。しかしちょうど10年前、第三内科の納教授の退官記念講演に招かれた時は市民文化ホールにカールと聴きに行き感動したことを覚えている。その時95才。1時間以上をずっとステージに立って動いて語り続けていた。こんな95才がいるのか。驚いて書いた、その時の「こてる日記(2007年3月31日)」を抜粋しよう。タイトルは『大老「日野原重明」』 だった。

「・・ただただ圧倒されたのである。座ってしゃべるのかななんてとんでもない、胸に着けたマイクで壇上を右に左に動き少しもじっとしていない。言語の発声は明瞭で一般の人にも分かりやすく、内容も若い世代に良き伝統を伝える必要性を強調するものであった。

・・大拍手に包まれた。

講演も素晴らしかったが、私も含めて聴衆の方々が後々まで思い出すのは、その内容よりも95才という年令を感じさせない先生の存在そのものであろう。先生はよど号ハイジャック事件遭遇、地下鉄サリン事件患者収容など歴史的な事件にも関係してきた。余人には真似ようとしても出来ない歴史が内包されている。ただ者ではない大老の貫禄に皆は圧倒されたのだ。」

これだけの人物であるから葬儀も盛大になる模様で聖路加病院葬として今月29日に行われるという。

で、同じ日の南日本新聞の死亡広告欄に元第二内科教授「有馬暉勝」氏の告知がひっそりと載っていた。なんと、7月15日に亡くなりすでに家族、近親者のみで行われていた。故人の遺志によりそうしたとのことだ。えええ、と思ったよ。本人の遺志だったとはいえ第二内科の教授であったとあれば・・。日野原先生との落差になんとも言えぬものを感じたのだった。

2017年7月18日火曜日

「18才と81才の違い」

帰宅し夕食のあとTVを見ていたら案の定そのままダウンした。夜11時ごろサブアラドDrから電話があったようだが当然出られず。これはきっと天鳳で四段から五段に昇段したという連絡だろう。一時は八段までいったお方が調子を崩しそこまで落ちていた。しかしようやく復調しあと1回トップを取れば五段というところまで来ていたからだ。夜遅く電話がかかってくるのは昇段か役満上がった時くらいだからな。今度の日曜は久々のリアル麻雀で対戦する。上昇傾向でこれは要注意だ。

カールがLINE仲間から面白いネタとして教えてくれたのが「18才と81才の違い」で笑ってしまった。これは「笑点」の大喜利のお題として去年放送されたもので当時から「面白かった」「神回だ」と評判になっていたものらしい。

●道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才

●心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才

●偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才

●受験戦争を戦っているのが18才、アメリカと戦ったのが81才

●恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才

●まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才

●東京オリンピックに出たいのが18才、東京オリンピックまで生きたいのが81才

●自分探しの旅をしているのが18才、出掛けて皆が探しているのが81才

●「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

あは!

これを受けて世間の人も似たような回答を作った。これらも笑える。みんなうまいネ!

●恋で胸を詰まらせるのが18才、餅で喉を詰まらせるのが81才

●早く20才になりたいと思うのが18才、20才に戻りたいと思うのが81才

●ドキドキが止まらないのが18才、動悸が止まらないのが81才

2017年7月17日月曜日

日当直、昼は忙し、夜は暇

海の日の休日は朝から日当直だった。丸1日当直は久しぶりだ。医局についてすぐ前夜当直のポンシンDrから「入院患者で吐血してヘモグロビンが低下している人がいます」との連絡を受けた。データをみてこれはすぐに緊急内視鏡だなと判断し内視鏡室スタッフを呼んだ。スコープ入れれば案の定胃潰瘍からの出血だ。内視鏡止血を済ませ、あとはポンシンDrに任せた。

昼前に救急が入った。ええコープ前の道路で意識不明となり転倒した80代後半の女性。搬送された時は意識は戻っていた。頭部CTに脳血管障害や明かな血腫はなかった。この暑さの中自転車で買い物に出かけていたそうだ。自転車はどこに行ったと気にする患者に「頭部を打撲しているし、まずは入院しましょ」と説明し入院指示を出した。頭部CTでは以前撮っていた画像と比べ右側頭部にほんのわずか白い部分(ごく小さい血腫の可能性がある)あったのでこれは経過観察するにこしたことはない。(翌日、嘔吐、頭痛があるとのことで再度CTを指示したら何と大きな血腫になっていて、結局、脳外科転科になった。きちんと入院させていてやはり正解だった)

夕方には愛乱病院から入院依頼もあった。元愛乱病院職員のお母さん70代が朝から急におかしな言動をし始め、大隅半島からわざわざ愛乱まで連れてきたんだそうだ。向こうのDrが言うには「統合失調症のような精神の異常ではない。発熱もあるしせん妄状態になっていると思われる。内科的な疾患ではないか」とのこと。話しを聞くに精神科でもいいのではないかと思ったが何か内科疾患が隠れていたらと心配なようだ。まあわからないでもない。で、入院を受けた。頭部CTや採血をするもそれほどの異常はない。ともかくも入院してもらい点滴をして解熱させよう。(翌日、全くの正気に戻っていた。熱中症による発熱でせん妄を起こしていたと考えられる)

この後、発熱で60代男性を入院させた後、夜はとたんにヒマになった。楽になったか?いや、きっと来るきっと患者は来る思っていたので気持ちは忙しい気分のままだった。さすがに夜12時頃になると今夜はそれほど来なさそうと思えた。珍しくネット麻雀をしたり(ラスが多かったなぁ)して未明に当直室に入った。すぐに寝付けず、久しぶりにTV付属のハードディスクを立ち上げずっと以前に録画済みだった韓ドラ「シークレットガーデン」の第5話を見てみた。大ヒットし、当時ヒラメグDrも「せんせぇ『シークレットガーデン』は面白かったですヨ」と勧められていたが、ずっと中断していたのだ。

で、この回からこのドラマのキモである主人公同士の心と魂の入れ替えが起きる。ドラマや小説でよくある設定だ。金持ちで傲慢な社長役のヒョンビンと父を亡くしスタントウーマンでの成功を夢見る役のハ・ジウォンが入れ替わってしまい当然ドタバタが起きる。本人たちも戸惑うが周囲の反応が面白い。ここでようやくこのドラマを見ていこうという気になった。5年間いつでも見られたのに見なかった、それがこの後第6話まで見てしまったのだ。

ううん、まだ続きを見たいが明日は朝から夕方まで仕事がある。昼には帰ってもいいことになっているけれど4人の新入院患者に連休明けで検査予定の患者もいっぱいる。ふぁ〜寝なくちゃ・・。

2017年7月16日日曜日

「辞書になった男」

10年くらい前、三省堂の新明解国語辞典(新明国、明解さん)の第6版が出た頃、このユニークな語釈の辞書が面白く何回か日記ネタにしたことがあった。その後第7版が出て数年経過して今だに日本で一番売れる国語辞書として人気がある。その三省堂には同じようなサイズでもう一つ三省堂国語辞典(三国=さんこく)がある。その二つの実質的編者、山田忠雄と見坊豪紀(けんぼうひでとし)の二人の関係と辞書の作成をドキュメンタリー手法で書いた本「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(佐々木 健一著)を読んだ。

三省堂の辞書の歴史は戦前からある明解国語辞典(明国)を元に戦後に三国をケンボー先生が編纂しベストセラーになる。しかし用例採集を徹底的にしなければ気が済まない見坊先生は改訂版を出して欲しいという三省堂側の要請を先延ばしにしてしまい、10年以上も三国は改訂なしの放置状態に陥る。それは明解国語辞典も同じで建前は金田一京助編となっていたが京助先生は何もしておらず実質編者はこれもケンボー先生だったのだ。ここで同じ東大同期生で山田先生が三省堂の要請を渡りに舟と主幹となって新明解を出すに至ったのである。

三国の編集を手伝っていた山田先生は辞書界に蔓延する語釈の盗用・剽窃(パクりのこと)や堂々めぐり(男=女でない方、女=男でない方など)に怒っていてそれらを一新したいと日ごろ思っていた。その思いが独特な辞書新明解を作らせた。有名な「恋愛」や「動物園」などは山田先生の強い意志が感じられる語釈で他辞書の使い回しは許さないという姿勢があったからだ。特に第4版(1989年)では先生の個性が強く出ていている。

恋愛=「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態」
動物園=「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設」

この動物園の語釈はさすがに非難も多く第5版(1997年)では以下のようになっていた。

動物園=「捕らえてきた動物を、人工的環境と規則的な給餌(キュウジ)とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙(ケイモウ)を兼ねた娯楽施設」

このほかにもつっこみどころ満載の辞書で詳しくは先頃亡くなった赤瀬川原平さんの「新解さんの謎(1996年)」をぜひ参考にされたい。

ケンボー先生の三国は先生の膨大な用例採集の影響もあって新語に強くまた語釈が客観的で小中学生にも理解出来るような(これが意外と難しい)表現が特徴だ。
例えば以前の辞書には「水」の説明は「水素二、酸素一の割合で化合した、無色・無味の液体。地球上の表面の大部分をおおう」だった。間違ってはいないが、堅苦しく私たちの普段水に抱くイメージとは違う。そこで三国ではことばの写生という方法でこれを表現した。「われわれの生活になくてはならない、すき通ったつめたい液体」というふうにである。今ではこれが当たり前だが50年以上前の当時では異例の表現方法だったとのことだ。初版(1960年)では「女」も「人のうちで、やさしくて、子供を生みそだてる人」となった。「やさしい」といえるかは今だとどうかなと思うが当時の女性の一般的な見方だった。ただ、その後の辞書はこの三国の影響をかなり受けている。

本の中ではケンボー、山田両先生がある出来事をきっかけに仲違いする羽目になったことを詳しく検証している。実はその証拠とも言うべき用例が新明解にあった。それは「時点」という言葉の用例にあって「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」である。関係者へのインタビューや様々な証拠から新明解初版が出た1972年の1月9日に行われた完成打ち上げパーティに大きな意味があったのだ。この日以降二人は公式には会うことがなくなった。それが辞書の中にひっそりと記されていたわけだ。

辞書という堅苦しい本にも相当な人間くささがある。私がこの本の感想を一言でいうとこうなる。ちなみに作者の佐々木健一さんはNHKのディレクターで元々は二人の先生のことを扱ったNHKでの番組取材がきっかけだった。番組でもこの本でも放送、エッセイの賞を獲得している。なかなかの才人とみた。

2017年7月15日土曜日

岩合光昭「世界のネコ歩き写真展」

「世界のネコ歩き展」は先着200名様に団扇プレゼントがあるというので開場時間前に黎明館に着いた。一歩外に出ると暑い!駐車場の他車が日差しをダッシュボードに掛けていた。あ、見ればすべてネコ模様だ。黎明館はもう一つ「大ゴジラ特撮王国」というゴジラ展も昨日からやっているがこの人は「ネコ歩き」の方で間違いないネ。

行くとすでに100人以上は並んでいた。9時過ぎに関係者らが挨拶を始めたが私は後ろの方にいて何をしゃべっていたのかは分からない。昼前に別の部屋で岩合さんのトークショーもあるそうだが、事前はがき申し込み必要で私たちは行けない。待っている間、前売り券をポケットに入れるとこれがちょうどネコちゃんがひょこっと顔を出しているかのようでとても可愛い。みんなも真似してみてちょ。

先着200名までの団扇をカールともども1枚ずつもらって入場。
(今回のネコ展のシンボルネコはパリのガゼット(雌ネコ)です↓)
コースは逆コースの「どうぶつ家族」という写真展から見た。10何年前にNHKで見たシロクマが赤いお花畑に戯れる写真とかアフリカでの様々な動物ファミリーの写真はさすが動物写真家の面目躍如たるもので見入ってしまった。ネコ写真はこれもTVで見たことあるネコもいて(コルレオーネのドメニコなど)いろんな表情、動き、習癖など見ていて楽しい。会場の中にはビデオもあってネコ歩きのハイライトシーンが5分ほど流されていた。ここで沖縄の子ネコが撮影中に止まりやすいとは言えない岩合さんの頭に乗っかって来たのには笑った。敢えてじっとしていた岩合さん、そんなとこもネコに好かれる写真家ならではだ。

会場の外には写真集もたくさんあったしそれにネコグッズもいっぱい。これにみなさん結構群がっていましたな。私もカールも触ってはみるけれど結局いつものように何も買わなかった。主催者には美味しくないファンかも。隣にはゴジラ展もあって中からあのゴジラの叫び声が大音量で聞こえてくる。こちらの売り場には子供とオタクとおぼしき大人がいた。私も子供時代ゴジラ映画で育ったくちだから覗いてみたくはあるも、千円以上払ってまではーと遠慮した。

帰りは近くのそば屋「飽かねえ」に初めて寄った。カールが友人からあそこは美味しかったと聞いていたところだ。タイミングがよく数台しか駐められない駐車場も使え、座席もいいところだった。10分もしないうちにお客が次々やってきて人気があるのがうかがえた。二人とも天ぷら膳を頼んだ。そばも天ぷらも本格的で周囲は住宅街なのに人気があるのも肯ける。そこそこにお腹いっぱいになってそのまま帰宅した。

で、感じたのがたった午前の数時間、外に出ただけなのに暑さのせいかすごく疲れたこと。クーラー入れてお昼寝しっかり2時間必要だった。まだ夏は始まったばかりだ・・。

2017年7月14日金曜日

暑さの中、でもゆっくりはできない

梅雨が明けた・・らしい。暑いわ。この蒸し蒸し感がいやだねえ、どっと疲れる。それに金曜は外来担当だが内科系は私のみなので結構忙しい。患者も6月に比べぐっと増えた。だいたいこの暑さ、具合が悪くなって何ら不思議はない。年寄りも若いのもみんなバテている。

外科も90代半ばというのに救急搬送された患者の手術を家族が希望しあまり望みのない治療を急遽引き受け奮闘していた。私も手術室に久しぶりに入り術中内視鏡を手伝った。サンキュー病院が6月から外科が撤退したため、こちらに患者が流れ、あるいは直に紹介されてやって来て手術も増えて来ている。病院にとってはいいことだが大変そう。

そんな中、夜は串木野へトリオリーグ参加だ。今月のレンコンは図表表示を見るとオイルが横に広がり難しそう・・。案の定で1ゲーム目は196でこらえたものの168、132と見る影もないスコアに終わった。いかに日ごろ易しいレンコンに助けられているかだ。

明日は、久々の何も仕事のない土曜でゆっくり出来る。あ、そうか。明日開幕の岩合光昭「世界のネコ歩き写真展」に朝一で行くってか。休みは休みでもゆっくりしていられないねえ。ネコを型どった前売り券も買っているしー。

2017年7月13日木曜日

1978年6月をふりかえる

人間ドックで利用者のために出されている週刊誌は1ヶ月ほどすると不要になる。そこで週刊「ポスト」と「現代」を私はもらって自宅でちまちまと読んでいる。

「現代」の7/1号の「あの日を旅するサウダージ」は1978年6月19日〜25日までが特集だった。取り上げられていたのは「空前の大ヒット『スターウォーズ』封切りになる」「安奈淳、結婚はめんどうくさい」「『パパの結婚』加山雄三と竹下景子ほんわか再婚物語」「音楽の今週1位『Mr.サマータイム』」「本は渡辺淳一『神々の夕映え』」「映画『ジュリア』」などなどだった。

ふーん、私にとって1978年は転換期とでもいうべき年だ。大学入学の年で学校に通って親元で生活する子供時代から大人への入り口となった時期でいろんなことに関心をもち高校時代までとは違っていた。その中でもサーカスの「Mr.サマータイム」は印象が強い。それと中原理恵の「東京ららばい」だ。どちらも歌詞が都会の大人の恋愛を歌っていた。夜の天文館にも行くようになっていて歌詞にリアル感を覚えたのだ。「神々の夕映え」は全く知らない。「ジュリア」は覚えているが見てはいない。タイトルがビートルズの曲名と同じなので覚えている。その時に流行っても30年以上も芸術作品としての命脈を保つのはいかに難しいか・・。

そして「スターウォーズ」だ。当時スピルバーグの「未知との遭遇」も同じ時期に封切られ、私はスターウォーズを弟のヒラーキは未知との遭遇を見に行った。そしてどっちも自分の見た方が面白かったと言い張り、結局反対する方はどっちも見なかった(未だに私はビデオでも「未知」とは遭遇していない)。兄弟って結構意地っ張りに堕するとこってあるね。スターウォーズはその後もシリーズ化され3作全部見た。それから20年経ってうちの子どもら特に長男のテルは相当好きで、私はもうついていけない。

芸能人はここで紹介された加山雄三、竹下景子、安奈淳はえらいな。ドラマのことは忘れられても本人たちがいまだ活躍しているのはよほどのことだ。(安奈淳は本人の言い分と裏腹に数年後結婚をするが3年ほどで結局離婚した)

30年から50年前をふりかえるこの手の企画は面白い。忘れ去られているもの、しぶとく生き残っているもの、物事の優劣、真贋が時間の経過でさらされ、それはある意味残酷ですらあるわ。

2017年7月12日水曜日

野球に勝ったってウソ言っちゃいけない・・よ

水曜日は外来担当で、いや今日は入院患者が多かった。高齢者の脱水、熱中症など暑さがらみがやはり多い。そんな中に中年女性でどうも急性腸炎らしき症状の人がいた。

私「なにか変なもの食べたんですか」
患者「ええ、昨日1週間前に作っていたハヤシライスを食べまして・・」
私 (´o`)・・(「すずふり亭」のできたてのハヤシライスじゃないんだから)

夕方、鹿児島工業野球部員が熱中症らしき症状で来ているという。ふーん、この時期、この暑さ中甲子園の予選試合をしたんじゃそうもなるだろう。で、診察前にネットで試合結果を調べてみた。すると、鹿児島工業は鹿児島水産に2ー4で負けているじゃないの。いかんなぁ。真っ赤に日焼けした顔でやって来た部員は点滴さえすればすぐに元に戻りそうなレベルだった。で、「野球の試合だったか、勝ったの?」ととぼけて尋ねてみた。すると「勝ちました」って言うじゃない。

そこで慌てて「え?確か今日鹿児島水産に負けたはずよ」とバラした。強がり言っちゃい・け・な・いよ。しかし部員は悠然として「いや勝ちました。(ぼくは)軟式です」だって。あちゃーそうだったか。後で調べると楠隼(なんじゅん)に6ー0で勝っていた。(その後決勝で鹿児島実にも勝ち優勝している)

硬式の甲子園予選も来週には決まる。今年はだいたい順当な結果で来ている。私の予想では優勝は神村学園だろう。はたして当たるかな。

2017年7月11日火曜日

うわ、地震!

人間ドックの経鼻内視鏡をしているときだった。ドンドンと下から突き上げるような揺れがあって最初は地震なのか確信が持てなかった。結構な震動だったもんね。グラグラして「うわ、これは震度3か4はある」と思ったが内視鏡をする手は休められない。鼻にスコープ突っ込まれている被検者はじっとしている。検査終わるまで揺れは続いていた。

地震速報はTVが近くにないのでネットでチェックすると鹿児島湾震源で鹿児島市は震度5強だって。え、そんなに?でも姶良は震度4で納得した。鹿児島で震度5はかなり珍しい。これも熊本地震の余波かと思ったがその後の報道ではそれとは違うらしい。鹿児島も同じくらいの震災に見舞われる可能性は十分あるってことだ。

ところで鹿児島市内の上町方面では地震の影響が直にあったとのことだ。今Q零病院では水道水が濁ってしまい内視鏡洗浄や透析が出来ずに仕事に相当影響があったんだそうだ。あそこは水源が地下水を利用していてそこが濁ったんだとか。近くには名前も清水という小中学校があるが、私が子どものころ中学校の校庭にあった水道水を飲んだ時すごく美味しくてびっくりした記憶がある。水が甲突川由来でなくていいもんだとずっと思っていたが・・。

震度5といえば日本にあるならばたまにはあるレベルの地震だ。隣の熊本に起きたというのにまだ危機感を抱いていないかと、天からの(いや地からの)警告と思うことにしよう。

2017年7月10日月曜日

これはホラーか・・松居一代

ふう、ネタがない。日常生活でも特にこれといった話題はなく、スポーツがらみも興味あるものはない。芸能ネタ?そうか、ワイドショーで松居一代のネット配信が話題になっていた。チラッと見ただけだかびっくりした。あまりのホラーぶりに。だって松居一代って女優なのにシミやソバカスもはっきり分かるすっぴんで、じっとこっちを見つめてというか睨みつけて何かドラマの台詞でもしゃべるかのように船越英一郎の不倫だか何かの証拠を見つけたんだわぁ〜〜って。おお怖わ。

この動画を見て「そうねえ、船越英一郎ってひどい人なんだー」って思う人がどれくらいいるんだろう。財産を狙っているとか言っていたがホントかなぁって逆に思ったよ。もしかして相当思い込みの強い人なのかも。それにすでに芸能界でこれからも生きていこうという思惑も捨てているようにみえる。ある種、執念すら感じさせる。

この動画、一般の人には「これじゃ、男が逃げ出したくなるのも分かる」となって逆効果だろう。いやはや、ネット時代になって芸能お騒がせネタも様変わりだわ。

2017年7月9日日曜日

ゲンちゃんまどろむ

何の予定もない日曜、外はじとじとの雨降りで朝からずっと家にいた。麻雀もこのところみんなの都合が合わずしばらくできそうにない。

で、久々にネット麻雀天鳳をこてる六段特上卓でやってみた。すると2半荘連続のラス。ツイていない?いや、敗因があった。1回目の半荘はラス前私はトップ目だった。そこへラスからのリーチ。これに追っかけリーチをしてしまったのだ。暗刻の3ピンがありつもった4枚目の3ピンは槓せざるをえない。すると槓ドラ、槓裏ともに乗り8索で放銃してしまった。(下図。牌の配置が透視して見えますが実際はもちろん見えていません)
それが本ドラ赤ドラもあって合わせてリーチドラ7のバイ満。(ドラ集まりすぎやろ)
がくっ。もしリーチをしていなかったら・・。8索が来ても現物である5索を捨てられる手だったのでラス目にうつこともなかった。これは明かに判断ミス。調子こいて打っているからだ。

夜も引き続き打った。今度はトップ、トップ、その後も2位や3位で1回もラスはなし。最初の反省が効いた。横を見るとゲンちゃんが台所との境目でどたーっとまどろんでいた。
お前は何にもストレスなくていいなあ。こっちは遊びでもハラハラドキドキしている。こんなとこがネコに癒やされるんやぁ。

2017年7月8日土曜日

血小板3万患者を診る

先週に引き続き、土曜午前は外来勤務だった。患者数はどれほどでもなかったが急患、紹介患者がいて忙しかった。その中でも嘔気、呼吸困難、咳で受診した70才代男性には悩んだ。その患者は日頃はサンキュー病院のかかりつけで肺癌の手術歴もあり症状が数週間前からあったため昨日そこの診察を受けたばかりだった。しかし採血やレントゲン検査を受けるも「たいしたことはない」と言われたのだが昨晩は苦しくて身の置きどころがないほどだった。それで青雲会病院に来たというわけだ。

胸部CT、採血を指示し他の診療の間、結果を待った。胸部CTではひどい肺気腫があるも癌の再発や肺炎などの所見はない。で、採血結果をみてあれ?と思った。それほど目立つ異常がない中で血小板が3万とかなり低かったのだ。正常値は13万以上だ。患者が言うには「確か5月の採血では血小板は20万はあった」と。当院の昨年11月の採血でも20万以上あり間違いではないと思われた。これは絶対におかしい。この人の体の中で大きな異変が生じている。外科のキブンDrとも相談し「肺血栓か何か起きているのでは」と推測した。それで胸の造影CTを指示した。その間は入院になった患者の指示出しなどでバタバタしていた。

12時半になり他の患者の案件がだいたい片付いたころに造影CTの画像を見た。ううむ、よく分からない。そもそも私は肺血栓の診断を自ら下したことがないのだ。専門外ということもある。だからといってこのまま帰宅させたりはできない。入院させても診断が付かないと治療方針が定まらずどうにもならない。どこかの病院に紹介するにしても血小板が低いだけでは相手も困るだろう。この時点が一番ストレスを感じた。ほっとけない患者なのに方針が決まらないのだ。

そこで放射線科の遠隔読影を頼むことにした。いつもの1日後に結果が届く通常読影ではなく緊急読影依頼にした。これなら1時間と少し待てば結果が届く。すでに13時を過ぎていてとりあえず医局に戻りカール弁当を食べた。お腹も空いていたんだ。ふうー。14時過ぎたころ、外来から「放射線読影の結果が届いています」との連絡があり待ってましたと下に降りた。結果は「肺動脈の右上葉枝に肺塞栓血栓症を認める」とのことだ。よしっ。当院でも治療は出来るが私は治療経験ないのと土日に専門外のDrが治療するわけにもいかないので紹介病院をあたることにした。結局鹿児島市の天妖怪病院が快く受けてくれ救急車で転送した。

直接の治療はしなかったけれど、患者さんがえらく私に感謝してくれたのがうれしかった。私自身は結構冷や冷やだったんだけどね。病院を代えてまでも体の異変を訴え、それに誠実に応え手間はかかりながらもどうにか結論を出してあげたからだと思う。帰途に就いたのはとうに午後を過ぎていたけれど頑張って良かった・・。

2017年7月7日金曜日

本物の豆腐を食べるために

今日の南日本新聞の小さな記事に「豆腐 大豆の割合で分類」というのがあった。これは今まで定義が曖昧だったため、大豆の使用割合が多いこだわり製品と、安値になりがちな汎用品とが、同じくくりで販売されていた。それを豆腐に含まれる大豆の量で区別し品質に応じた製品表示で不当廉売を防ぎ、製造業者や原材料の供給元となる農家が適正な利益を得られるようにするとのことだ。具体的には豆腐に含まれる大豆の割合「大豆固形分」を基準に、10%以上を「とうふ」、8%以上を「調製とうふ」、6%以上を「加工とうふ」と大まかに分類する。6%に満たないものや、卵を主原料とするたまご豆腐などは除外するというものだ。

なーるほど、これって30年も前にグルメ漫画「美味しんぼ」でテーマになったことじゃないか。コミックス第7巻第5話「大豆とにがり」に出てくる。
ある豆腐専門店でブラックというロサンゼルスから来た外人が「ここの豆腐は本物の豆腐じゃない」と言ったのがきっかけで板前とケンカになる。このブラックという外人は料理研究家で、しかも「ザ・ブック・トウフ」という豆腐の本を書くほどに豆腐の魅力にとりつかれ、豆腐の作り方を日本人に教わり自分でも作るほどの豆腐通だったそうだ。主人公の山岡は板前より外人の肩を持った。不服そうな板前に翌日豆腐製造専門店を訪れさせその理由を分からせる。そこでは一俵の大豆から、四百二十丁の豆腐が出来るのが限界だが、多くの豆腐屋では同じ大豆の量を使って出来上がる豆腐の量は三倍以上にもなると山岡が説いた。それを知った板前は水っぽくて味も香りも貧弱な豆腐が世の中多いことに納得する。出来たてホヤホヤの豆腐を食べ、その旨さに皆驚き、板前も豆腐料理専門店であんな豆腐をお客に出していた自分が恥ずかしいと感服したのだが、面白かったのは外人の方が昔ながらの日本の製造法を本で知っていて本物の豆腐の味を知っていたという意外性、皮肉さだった。

つまり、以前から良識ある人は豆腐とは名ばかりの大量生産、低品質のものが多すぎると警鐘を鳴らしていたのだ。私が昭和62年に当時大阪にいた歯科医のさあいっしょ君のところに行き居酒屋で豆腐を頼んだところ、あまりのまずさ、薄っぺらさに食べ残したことがあった。「こんな豆腐ってある?」と今でも忘れない。私は子ども時代は近所の豆腐屋に豆腐を買いに行かされ、それを食べていた。それが普通だと思っていたので都会の居酒屋の豆腐もどきに驚き呆れたのだった。質のいい豆腐を作るより大豆は少なめ添加物多めで大量に作る方が経済効率がいいという業界の姿勢、いや消費者もそれでよしとした結果が悪貨は良貨を駆逐する事態に陥らせていた。30年以上経ってようやく正常化に動き出したということだ。相当に遅いがいい方向に向かっていると思う。

思えば一般にアイスクリームと言われているものも一番上等なものだけがそう表記できる。乳固形分15.0%以上うち乳脂肪分8.0%以上とかなり厳しい。乳固形分と乳脂肪分が最も多く含まれており、ミルクの風味が豊かに感じられるとのこと。その次がアイスミルクと呼ばれ、乳固形分10.0%以上うち乳脂肪分3.0%以上になり、乳固形分と乳脂肪分はアイスクリームに比べて少ないが牛乳と同じくらいの乳成分を含んでいる。さらにその下がラクトアイスで、乳固形分3.0%以上で乳固形分はさらに少なく植物油脂が使われることもあるという。豆腐業界もこれにならったようだ。

またこれから「最高級」「天然」「純粋」「本格」など、根拠が定かでない表示を禁止し、添加物もさらに詳細な表示を義務付ける方針という。いいネ!これを読んで思い当たる節はないだろうか。そう、健康食品の宣伝によく使われている文言だ。なんとなく素晴らしい製品と思わせるためのマジック用語なんだ、実は。いつも言っているがこれに「太陽の恵みがぎゅっと凝縮した」と使われていればカンペキで、私なんかその言葉が出てきた瞬間、体がむずがゆくなってしまう。

豆腐に限らず「本物」の製品が報われる世の中になって欲しいものだ。

2017年7月6日木曜日

たった5人の講演会

今日はナベビシ製薬のサワディー(ヨシタク)MRがどうしても京セラホテルでの講演会に来て欲しいと三顧の礼を尽くされ行くことにした。先週医局に彼は来たが私が二度も不在だった。置き手紙にタクシーチケットまで置いていて、その熱意のほどが伝わり、もともと今日のボウリング練習予定を昨日に変更したのだった。

で、講演のあるホテル最上階の部屋へ入ってみてびっくり。集まった姶良、霧島地区のDrはたったの5人!わざわざ福岡から来てくれた教授様もこの閑散ぶりはどう思ったことだろう。講演内容は「糖尿病治療薬の循環器病患者に対する短期予後改善」でこれがなかなか面白かった。教授は循環器病の先生で血圧やらコレステロールをどう治療すれば予後が改善するかが専門だった。最近、SGLT2阻害薬という新しいタイプの糖尿病治療薬が出てこれが循環器疾患患者にも使えるというトピックスがある。イキナリDrからもそれは聞いていて私も興味があった。私が糖尿病や血圧は専門でなくても入院してくる患者がそれらを合併しているので必然向かい合わなくてはならない。消化器専門ですからと逃げるわけにはいかないのだ。たった5人なんで私もメモしたりスライドをデジカメ撮影したりと全く居眠りすることもなくお勉強したよ。いや、ためになりました。

終わって立食の懇親会では教授様に気軽に話しかけるわけにもいかず、サワディー君と歓談してパクついたりした。それと参加者の一人に海原ちなみDrがいて初めて直接お話しをした。「日頃、こてる先生には(患者を)頼むことばかっりですみません」と感謝のお言葉を頂いた。「いえいえ、そういえば以前、先生のお名前をわざと尋ねたことがありましたが」「あー、(あれは)すぐ気付きましたよー。でも(名前を)知っていてくれてうれしかったですぅ」とのこと。今年の3月31日のこてる日記「ちなみに名前は・・」にも書いた患者紹介の際に「ちなみに先生のお名前は?」と尋ねたあの一件だ。そうか、悪い気はしなかったか、良かった(⌒о⌒)。

帰りはタクシーを使っておらずプリウスで自宅へ直行。なかなか充実した講演会だった。

2017年7月5日水曜日

黄紫MR、こてるボウリング会に入る

今日のボウリング練習にまたもや新人登場。ベロリンガー薬品の黄紫MRだ。タシケント、タナカッツについでベロリンは3人とボウリング営業に力入れてるネェ。ボールはタシケントのお下がりですでにドリルは済ませていた。で、ホールのテーピングを私がしてあげ、マナーやスパットの狙い方、リリースの仕方など基本スキルを教えた。まあ、いきなり全てが出来るはずはない。彼に言わせるとリリースが握手するような形を取るというのに感心したようで、なるほどそこに注目するとは筋がいい。当然ダブルスも私と組みボウリングのスリリングな楽しみも経験してもらった。最後のゲーム、10フレでストライクを取った時はうれしそうに両手叩いて喜びを表していたヨ。

最後に「これまでと違って腕が疲れない。このゲーム数(4ゲーム)は今までなら投げるのがきつかった」と。そうそう、それもマイボールの効果だ。今後はフックボールでストライク連発やスコアアップする楽しみを味わおうぜ。

今日から皮膚科の女医の明日良しかDrが非常勤で週2回勤務してもらうことになった。いずれ開業を考えているとのことだがそれまで来てくれるだけでも助かる。またワコーDrの代わりに来週から来てくれるエイエイコーDrが挨拶に来てくれた。第1内科出身なのに消化器が専門という比較的珍しい経歴の持ち主だ。また、明日の当直医は外科のローテーションでこれまでの貴孝Drから大松Drに交代する。大松Drは5年くらい前も来ていたので仕事は問題ないだろう。そして今月いっぱいで10年以上週1回整形外科非常勤の休まずDrが自分の医院勤務に戻ると聞く。こうしてみるとこの4月からどんどんDrが入れ替わっている。「結構めまぐるしいですね」とピッピDrが驚いているが私は言われて初めてそうかと気がついた。第一線の病院ってこんなもん。それだけ活気がある、そう思うことにしよう。

2017年7月4日火曜日

薔薇50本

内視鏡非常勤のワコーDrが今週で青雲会病院勤務が最後だった。自分の病院の管理職に就くため院外の勤務が出来なくなったとのことだ。2年半ほどの勤務で内視鏡室の女性スタッフには人気があったようでお別れの記念にとバラの花束が準備されていた(これには私もカンパした)。それが何と50本もの赤いバラを束ねたものだった。
うへー!これはびっくりするだろうなと思ったら後で医局に花を抱えたワコー先生、案の定驚きとうれしさの表情だった。やるな、みんな。もし私が辞める時があったらもっと凄いのが出てくるかナー?!

午後はまた北山診療所に出張した。シマッチ院長が手術に入るための代診だった。最近僻地診療づいている。外来を診た後、往診で木津志という隣の僻地まで出向いた。山の中に家は点在していてくねくねの細い道を通ってようやくたどり着いた。そこはまだ周囲に他の家が2軒あったが聞けば今は誰も住んでいないんだという。患者さんは90才越えの女性でまだまだ元気である。すぐ隣に娘さんが住んでいるからやっていけるんだろう。他の子どもは村外で孫、ひ孫に至っては誰もここにはいない。ただ、孫が一人青雲会病院に勤務しているという。へー、4階病棟のエチキカNsかぁ。呼吸管理が得意な看護師だ。私もよくお世話になっている。出された飲み物(三ツ矢サイダーだった)を飲みつつそんな会話をするゆったりとした診療だった。

帰りの車から山の向こうにまた一軒家があった。夕方まだ日は明るいはずなのに雨中ということもあって薄暗く感じた。この光景に、ふと、唱歌「冬景色(ふゆげしき)」の3番の歌詞を思い出した。100年近い前の唱歌の世界がここにはまだある。そんな感慨にふけりつつ古き懐かしき山村を後にした。

冬景色(作詞作曲者不詳)

嵐吹きて雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の漏れ来ずば
それと分かじ、野辺の里

2017年7月3日月曜日

え、オスラー?

ふと気がつけば、最近アガサ・クリスティーを読んでいないことに気がついた。いや、前作の「ゴルフ場殺人事件」を読み終えて、次はトミーとタペンスものの代表作「NかMか」を5月5日から読み始めてはいた。でも80ページほどで進みその後どうしても手が伸びない。1月からずっと連続9作も読み込んできてどうやら多少飽いてきたようで、他のこと「ビデオ鑑賞」や「囲碁」などに関心が移っていた。クリスティーは高校時代、大学時代、新婚時代の3つのマイブームがあり今回は4回目だった。現在44作も読み終えた。ミステリー長編にかぎれば2/3ほどを占め有名作、力作はほぼ網羅している。「NM」を読んだらしばらくはお休みとするか。

さて、今日は「オスラー病」という珍しい病気の患者さんを治療することになった。これは「遺伝性出血性末梢血管拡張症」といい1.鼻出血、2.舌・口腔粘膜・指・鼻の末梢血管拡張、3.内臓病変(胃腸末梢血管拡張、肺、肝、脳、脊髄動静脈奇形)、 4.家族歴(遺伝性)を特徴とする病気だ。鼻出血、消化管出血、腹痛、口腔内出血、発熱、全身倦怠感、痙攣、頭痛など多彩な症状を引き起こす。この患者さんは以前から貧血が指摘されていて胃カメラでも小さな毛細血管の拡張所見が確認されていた。しかしオスラー病という病気の概念が私たちになく見過ごされてきた。昨年、鼻血のことで大学病院で「オスラー病では?」と指摘され判明したとのことだ。それを聞き、ながらく原因不明だった貧血が毛細血管拡張の出血によるものであろうと、アルゴンガス止血の治療をすることになった。今日は大腸検査も組まれていて直腸粘膜もじんわり出血していたのでそこもAPC(アルゴンガス凝固止血法)を施した。これで鉄剤を飲まなくても貧血が起きなければ患者にとって朗報だ。手技は簡単だが時間は以外にかかり午後の14時近くまでかかってしまった。

終わってしばらく、ムッちゃんNsが「ええとさっきの患者さんの病気の名前はなんだったっけ、ほら、マイケル・ジャクソンの曲にあったような・・」と聞いてきた。するとすかさず、佳及Nsが「それはスリラー」と冷たく反応すると「そうそう、スリラー」とムッちゃんNs。私が「オスラーだよ」と締めてこれはおしまい。

で、家に帰ってこの病気のことを家事をしているカールに教えると聞き取りにくかったのか、「え、モスラ?」だって。いやはや。

2017年7月2日日曜日

「ごめん、愛してる」

来週日曜のTBS日曜劇場で長瀬智也主演の「ごめん、愛してる」が始まる。2ヶ月以上前から製作発表を知りこれは見てみようと思った。元は韓国ドラマで2004年に放送され熱狂的なファンを作り出したことで知られる。韓ドラをくるったように見続けていた10年前に見て衝撃を受けた作品である。原題の「ミアナダ、 サランハンダ」を略してファンは「ミサ」と呼び、この作品世界が抜け出せず浸っている連中は「ミサ廃人」とも呼ばれた。

韓国版の主役は切れ長の眼が特徴のソ・ジソプ。相手役はイム・スジョンでドラマ出演はほぼこれのみでメイン活動は映画のため日本の一般の韓ドラファンにはあまり知られてないはず。しかしこの二人でないと成り立たないと思えるほど内容にマッチしていてそれぞれの代表作になっている。韓ドラらしいパターンがいくつも散見されるのはまあいいだろう。登場人物たちのそれぞれの愛の設定がよく練られていて、それにあのラスト・・これは未見の人が多いだろうからここでは言えないが、しばらくは感動というか衝撃でぼーっとしてしまう。この韓ドラのスタッフが前作のレイン主演「サンドゥ、学校へ行こう(2003)」で今ひとつうまくいかなかったラストを今度こそはと気合いを入れて作ったものと私は推測する。

で、日本版だが、長瀬智也って私はジャニーズ事務所のメンバーだくらいしか知らないが、前宣伝の動画を見ると「ごめん、愛してる」の主人公としてなかなかいい雰囲気を出しているようだ。

ヒロインは吉岡里帆だとか。ピンとこなかったがなんと朝ドラ「あさが来た」で眼鏡をかけた親友役のあの娘か。眼鏡を外すと全く別人だ。うーむ、イム・スジョンと少し雰囲気は似ているかな。それと韓国版の主題歌はあの中島美嘉「雪の華」でこれがじつによかった。韓国では放送時期が晩秋から初冬にかけてでパク・ヒョシンという男性歌手が韓国語で切なく歌いドラマを盛り上げていた。私はこのドラマで「雪の華」が好きになったくらいだ。残念ながら日本版では宇多田ヒカルの新曲「Forevermore」という曲らしい。ま、季節は真夏だから「雪の華」じゃー全く合わないか。

私はこれまで見てきた韓ドラはすべて自分なりの採点をしている。ベストスリーは私自身の好みを反映して「冬のソナタ」「復活」「ファンタスティック・カップル」なんだが「ごめん、愛してる」はベストファイブには入る。ただ前3作と違って二度三度と見ていない。手元にはあるがやはりあのラストが印象強すぎて・・。韓ドラとしては各国でリメイクされていてトルコ、タイ、中国(これは映画)で日本は4番目だという。最近好調のTBS日曜劇場だからいい作品になることを期待しよう。

追記かつての「こてる日記」を調べてみると、2007年8月2日にこのドラマを見た感想をちゃんと書いていた。今回とも一部内容がかぶるが以下に再掲してみる。当時は文字の色を毎日変えていてこの日は赤だったのでそれも当時に従おう。

ミサ廃人 2007/08/02(木)

この前、見終わった韓国ドラマ「ごめん、愛してる」(全16話2004年KBS)は噂に違わないドラマだった。

ネットなどで評判のいい韓ドラを探しているとこのドラマによく出合う。ま、いつか見てやろうとしてしばらく過ぎた。当初、どうも暗い話だろうからと触手を伸ばせなかった。それと写真の主人公がもの凄いボサボサ頭で引いてしまった。だが評判いいので今週頭から見始めた。

孤児となってオーストラリアに預けられたソ・ジソブ扮するチャ・ムヒョクとひょんなことから知り合う女の子が主人公だ。出生の秘密や不治の病、交通事故とお決まりのパターンを踏襲してはいるが何かが違う。主人公ソ・ジソブはいい体格と一重の独特の眼差しが忘れがたい印象を残す。(出だしのボサボサ頭はすぐに普通に戻る)女主人公のソン・ウンチェ役(イム・スギョン)もかわいい顔だけでない悲しみと深みのある眼差しをする。二人とも若いがなかなかの演技力で、これに脚本、演出が実に緻密で味わいがある。

私はこれは放送局の個性とも関係があるのではないかと感じた。何となくKBSっぽいのだ。韓国のTV放送局は3局あり、KBS(韓国放送公社)、そしてMBC(文化放送)、SBS(ソウル放送)がある。私が今まで見たドラマを放送局ごとに列挙してみる。

KBS:冬のソナタ、秋の童話、夏の香り、春のワルツ、復活、ごめん愛してる  
MBC:チャングムの誓い、ホテリアー、ホ・ジュン、私の名前はキムサンスン、宮、火の鳥 
SBS:天国の階段、美しき日々、パリの恋人、オールイン運命の愛

まだこれだけだが、KBSは先ほども書いたようにストーリーに安定感と緻密さがあり余韻の残るものが多い。MBCは時代劇に有名作品が多く、現代劇では都会的で新機軸を見せるものが多い。SBSは一番特徴があって劇画的なストーリー展開、きめの細かさはないが勢いで行っちゃえードラマが多い。

「ごめん、愛してる」は見る人、見るタイミングで気をつける必要がある。「ミサ廃人」になってしまう恐れがあるのだ。「ミサ」とは韓国語の原題である「ミアナダ・サランハンダ」の最初の文字をとってこのドラマをそう呼ぶ。中毒性がありその世界にどっぷり浸かってしまい抜けきれなくなるマニアが多いらしい。(大事な試験前には見ない方がいいぞ)実は冬ソナもその危険性が高い。私も2月から4月まで約3ヶ月冬ソナばかり見ている冬ソナ廃人だった。上に上げた16作品の中では「復活」もその傾向があり、復活パニックと呼ばれるマニア層を生み出した。いずれもKBSがらみで、意外なことに3作品とも大ヒットと言われるが視聴率はせいぜい20~30%ほどなのも興味深い。
逆にSBSの4作品は40%以上の視聴率を取るほどであったが、何度もくり返し見たくなるほどではない。少なくとも私にはケレン味が強く面白いけれど深みがない作品群のように思える。

訪問看護のふっくらナースにも「ごめん、愛してる」はどうだったと聞くと、「うんうん、良かったよ~。最後がねー、今までの韓ドラにないパターンの終わり方だった。それはー」と言ったところで、「ストーップ!!そこは言うな。せっかくの楽しみが半減しちゃう。お前は『復活』でも真の犯人をしゃべっただろ」物語半ばの時でおおよそ展開が読めて来た時だった。今思えば本当に聞かないでよかった。

この物語、最終16話にサプライズが二つもあって特にラスト1分のサプライズは深く心に入り込み、私も危うく廃人になりかけた。後から振り返ればそういう展開になるべき伏線はいくつもあった。それにしても・・ラストの淡々と語るセリフ(もちろん韓国語)は未だに頭から離れない。ストーリーは違うが余韻がこれもまたKBSの「秋の童話」と似た印象を持った。調べると、番組プロデューサー(PD)が「秋の童話」と同じでこの人は「冬のソナタ」の共同PDでもあった。似ていると感じたのもあながち間違いではないな。

あと「ごめん、愛してる」の挿入歌は03年に中島美嘉が歌った「雪の華」で男性韓国歌手が歌っている。頻繁にかかり「ごめ愛」と言えばこの曲というほど密接な関係だ。あのサビの裏声がこれまた頭にこびりつく。おっとっと、これ以上入り込むと「ミサ廃人」になる。

古くは中国古典の「紅楼夢」にはまった人たちを「紅迷」と呼ぶが「ミサ廃人」は規模の小さい「紅迷」みたいなもの。

私は深入りすることなくこうして日記に記すだけにとどめることにしよう。

読み直してみて10年後の今私が言いたかったことはほぼすべて書かれてあった。この時点で韓ドラを16作見終わっていたのか。MBC製作のラブコメ「ファンタスティック・カップル」はまだ見ていない。その後半年以上ずっと見続けて50作ほどになったころようやく飽和状態になりその後は年に数作見ればいい方になった。いわば私の韓ドラ時代である。韓ドラ中毒だったとはいえ、日記に取り上げなかった作品も多く、「ごめん、愛してる」はどうしても取り上げて書きたくなるほどの作品だったというわけだ。

2017年7月1日土曜日

鹿児島県「ピロリ菌検査事業」

今日は土曜だけど午前外来、午後は日直で夕方まで勤務だった。これが忙しいって・・。昼過ぎまでに5人も入院させたよ。肺炎、糖尿病、肝硬変、憩室炎、貧血。この間一時10人近くまで減っていた患者数も18人にまで増えた。やれやれ。

それはともかく、今日の南日本新聞で一番興味があったのが鹿児島県の「ピロリ菌検査事業」の記事だった。これは県が今年から高校1年生にあたる生徒に尿検査でピロリ菌の有無をまず調べてあげて(無料)、陽性と診断された生徒にはピロリ菌除菌を勧める(自腹)というものだ。対象生徒は107校1万6千人ほどのうち91.2%1万4千5百人が受診し3.7%にあたる534人が陽性だったという。へー、今の日本の若者は5%くらいしか陽性者はいないと知っていたがそれよりやや少ない頻度だったか。昭和20年代までの70ー80%が陽性だった頃と比べると隔世の感がある。

アドバイスするとすれば陽性者は除菌を絶対にしたほうがいい。なんてったってピロリ菌は将来の胃癌の原因になりうるからだ。あと若い人でスキルス胃癌(昨年亡くなった鹿児島県出身の黒木奈々アナもきっとそう)もピロリ菌が原因である。ずっと以前から20才の記念のピロリ菌判定事業でもやればいいのにと思っていたので今回の県の施策は大いに評価したい。ただ500人くらいの感染者なら除菌療法まで無料にすればいいのにナ。保険では胃カメラをして処方する決まりだが高校生にはほぼ胃カメラは不要で処方やピロリ菌の再検査だけなら1万円以下で済むはず。一次検査での予算は3千7百万くらいだったかそれに比べれば5百万位の上乗せはまかなえない額ではない様に思える。こうすることで何十年後の胃癌患者は今の半分、もしかすると2割以下くらいまでに減るだろう。これってすごい。

除菌が日本で始まったこの17年、ピロリ菌除菌を何千人もやって来た私はうちの子ども3人に高校生のころピロリ菌を調べさせた。それが、ぬぁんとみんな陽性だった。当然全員除菌させた。知らずに保菌している若者がまだいっぱいいる。乳癌だけでなくもっと気軽にピロリ菌検査ができるよう仕組みを作って欲しいし、私ももっと啓蒙していきたいと思った。