2015年4月30日木曜日

廃車

雨の朝、いつもと同じように家を出た・・はずだった。しかしおよそ5分後、暗転する事態になろうとは・・。

伊敷台から高速に乗る場合、私は裏道を通る。ちょうど高速道路を右に沿って降りる近道で地域住民専用といってもいい道だ。雨の中ややスピードが出ていたかもしれない。高速の下をくぐる通用路が右にありそこのちょっと先に2mほどの超短いガードレールがあり位置が道路中央に少し寄っていて幅員が狭くなるため通りにくくなっている。向こうから車が走ってきて若干こちらに近寄ったので私もわずかに左に幅寄せした。特に危ない運転をしたつもりはなかったがいつも気をつけているガードレールのことをすっかり失念していた。気がついたときには目の前に現れ左前方を避けようにも全く時間の余裕はなかった。ブレーキを瞬間踏んだと思ったがー。

ガシャ!!

あーー!やっちまった。プリウスの左前方のタイヤ付近までガードレールの端にまともに衝突、食い込んでしまい、バックのアクセル踏んでもぴくりとも動かなかった。あーあ。すぐに病院に電話をし自損事故に遭い遅れる旨を伝えた。降りて確認すると左前方はぐっしゃりでタイヤはパンクしボンネット中の配線も剥き出しになっていた。身体は全く何ともなくエアバッグも開いてはいなかった。
困った。まずはカールに電話すると保険会社のロードサービスに電話するよう言われ、掛けたがこれが少し手順を誤った。まずは警察に電話すべきだった。コールセンターのお姉さんは丁寧な応対なのだけど場所の確認など手間取り(相手は鹿児島県外)時間がかかるかかる。近隣住民が駆けつけ代わりに警察に電話してくれた。

そのうちカールも警察も来てくれたのだがレッカー車は遅れた。小雨の中、意外に交通量の多い道のため車は一旦停止して行き来していた。事故から1時間くらいしてようやくレッカーが到着したものの、プリウスはレールに食い込んでいたため外したり移動準備にこれまた時間が掛かった。地域住民の一人は「このガードレールはしょっちゅう自損事故を起こしている。今月もあって修理したばかりだ。今年であなたで3台目だ」と教えてくれた。確かに車には邪魔なレールでデジカメ写真で撮って後にみんなに見せると「これは撤去すべきでしょう」という意見が多かった。普通に枠内の左端を通行していると確実にぶつかる位置に設置されているのだ。その下に用水路があって内側に幅寄せせざるを得なかったのだろう。それがないと車が歩行路に入り込みそうだから仕方ないなのかもしれない。私は道路に色づけすれば今後私のような事故は起きないのにと思った。でも役所はそんなことお構いなしなんだろうなー。

レッカー移動に1時間かかり、カールの「だからあなたの運転はあぶないっていつも言っていたでしょ」というお小言に反論出来いないまま鹿児島トヨタに乗せて行ってもらった。担当社員のヨシナオさんに事情を話し代車の準備、さらに次期プリウスを買うまでの中古車探しを頼んだ。車は「おそらく修理に100万以上かかる」ほどの破損ぶりだったし、もう6年も乗り次期型を買う予定でもあった故、廃車にすることにした。なんかあっけない。「テル君のプリウスって何だかかわいそう」とカールはプリウスに同情していた。うん、何だかわかる。今度は大事にするから・・。

サクシードという営業車風の代車をあてがってもらい、それで病院に着いたのはもうお昼だった。情報は伝わっていてみんな口々に「大丈夫だったですか」と心配してくれた。「身体はまったくどうもないけど車は廃車だよ」というと一様に驚いてどんなひどい事故だろうという顔をした。私はデジカメにたくさんその様子を収めていたのでそれを見せた。デジカメは役に立つ物だが今日は10回以上も役に立ち増した、ハイ。

内視鏡室ではシホねえNsが聞いてきて「え、廃車?廃車ですか?」と言うから「うん、車は廃車(はいしゃ)、オレは医者(いしゃ)」と答えると一本取られたとう表情だった。はあ、でも受けていいことないわ。昼過ぎに猛烈に疲れと眠気がやって来てうつらうつらしていた。無理せず仮眠を取った。また事故ったらシャレにもならないしー。

2015年4月29日水曜日

生駒高原ポピー

せっかくの休み、昭和の日でカールとどこかに出かけよういうことになった。この数年この日はS學館の運動会があり、セージやチッチが活躍するのを応援したり知り合いのドクターらに会ったりと楽しい日だった。またこの時期はウニ丼を食べに阿久根にドライブしたりもした。今年もウニ丼は候補だったがカールが阿久根や霧島はちょくちょく行っているので新聞記事にあった生駒高原はどうかというのでそれ決定!で高速に乗りコスモスのない生駒高原に初めて出向いた。

小林インターで降りると生駒高原はすぐだ。確かー、10年以上前は近くに「日本一怪しい公園」という看板があり興味をそそられたものだがさすがにもう痕跡すらなかった。高原はポピーがたくさん植えられポピー祭りをやっていた。私はいつもコスモスがあるのかと思っていたら全くなくあれは季節ごとに毎回植え直しているみたいだ。25万本のポピーお花畑の中にカールを座らせシャッターを押しまくった。


空気もきれいでここはいつも気分がいい。もうしばらくすると近くの出の山公園でホタルも飛び交うんだよな。ぶらぶらしたあとはお腹も空き、どこかで食べようかと店のチラシを見たらチョウザメのにぎり膳というのがあって小林市内の「帰せん」という店を目指した。ナビはこういうとき正確&楽ちんだ。チョウザメってキャビアしか思い浮かばなかったが、刺身もにぎり寿司も全く違和感なく食べられた。普通の魚の味と言っていい。小林はシロチョウザメの養殖に成功しこれを売り物にしようとしている。ふーん、うまくいくといいネ。

帰りは眠たくなったのでパーキングエリアでカールと運転を交代した。カールは安全運転なのでプリウスを運転させても安心だ。プリウスも来月でちょうど丸6年になる。そろそろ新型が出てもいい頃で次期型になったら買うと決めている。どうやら年末になりそうとはセールスマンの話だ。そうかまだもうちょっと先の話だな・・。

2015年4月28日火曜日

副院長?!

昨日の夕方のこと、所属長会議が終わって可愛いんだ理事長に呼び止められラブカメ先生ともども理事長室に入った。そこで言われたのが何と私が副院長になる話だった。もともと青雲会は看護部長のムラムラさんが長らく副院長をやっていて二人目の副院長ということだ。さらに6月から社会医療法人化されるがその理事にもなって欲しいということだ。副院長ってどんなことをするのかよく分からない。今は医局長という役目でDrらの世話係をしている。これも兼任か後任に任せるのかまだ不明だ。ともかく今よりは格上の役職を提示されたということは素直に信頼され青雲会に役だってほしいということだ。びっくりしたが、断る理由はなくすぐに受けた。青雲会に来てちょうど丸15年、いつの間にかエラくなったもんだ。

2015年4月27日月曜日

捻転はくさいねん

リスカの女性はええのんかDrに依頼し縫合を頼んだ。で、その代わり私がドックのスメアをする羽目になったが、あれを自分が縫うことを思えばお安い御用だ。さすがの彼女も治療に時間がかかったらしい。リストカットするってほとんどが女性なんだがなぜなのか私には説明がつかない。不思議だ。

月曜の内視鏡はマルちゃんDrとワコーDrが担当してくれ私は外れているのだけれど午後にS状結腸軸捻転の解除術を自分で行った。絞扼性イレウスが悪化すると腸管壊死まであるし今日のうちに解除してあげないといけない。だがこの処置はちょっとイヤな点があってそれは「ウンコ内視鏡」必須だということ。捻転より深部の腸管には空気とウンコが一杯たまっているのだ。その間をかき分け脾弯曲部まで入れ、そこからスコープを引き、腸をまっすぐに戻す。しかしねじれた腸がすぐには戻らず難渋することがある。今回も1回では出来ず一旦抜いてエアを引き再度ウンコの中を通して引っかけて抜きようやく腸管を真っ直ぐに戻すことが出来た。マルちゃん、ワコー両Drは意外に捻転解除をする機会がないようでともに見学をしていた。まあ、無事に成功してよかったわ。終わってハンドソープで顔、腕他をしっかり洗った。臭いが残るんでねー。

夕方はいつものように所属長会議がありそれも滞りなく終わり、病棟患者を診に行こうと思っていたら、サプライズが待っていた。全く予想もしていないことだった。そんなわけで気を持たしたまま明日へ続く・・。

2015年4月26日日曜日

リスカの嵐

昨日は雀卓注文の後、T-MAXへ歯科医師会月例ボウリング大会に出かけた。誘われてはいたがなかなかタイミングが合わず久々の参加だった。6Gトータルの個人戦でハンディキャップは55才より以降は年齢の数だけゲーム1ピンずつ加算される。私は55才なのでハンディなしだ。また3G投げてレーン移動もする。今回はこのレーン移動にやられた。最初はMノ下、ノダメ両先生といっしょの左端の11、12レーンでオイルが残っていて比較的投げやすかった。しかし15、16レーンは一般ボウラーが投げまくった後で中央付近はオイルが枯れスペアボールでもぐぐっと曲がりコントロール不能だった。左端レーンでは226のハイスコアを出すも中央レーンでは1回も150を超えなかった。はあ・・。優勝はハンディもたっぷりでサウスポーのサスガ先生。75才でアベ180はあったから堂々の優勝だ。私は7位だったにも関わらずハイスコア賞にノーミス賞で実は取った格好だった。

で、今日は朝から当直。7月から月1回土日当直に来る予定の高了Drが午前中見学に来た。最初はヒマでただだべっていただけもその後救急が2件来たのは幸いだった。電カルは同じシステムで使用経験があったのでこれはOK。3時間ちょっとの経験ではあったが好印象だったようで非常勤で月1来てくれそうだ。有り難い。

レセプトが机に渡されていたがどうにもやる気が起こらずソファ寝を決め込んだ。そんな私を知っているかのようにさほど患者が来ず夜は過ぎていった。日付が変わって寝込んでいた私に明け方タッピーNsから連絡が入った。「リストカットの30才代女性が来ているんだけど縫合は無理そう。点滴をつないで午前のええのんかDrの診察を待ちましょうか」という。そんな、まずは私が診ないことにはなー。で、てくてく救急外来に行ってはみたがー。一目、はい、アンタの言うとおり。20ヶ所ほども滅多切りに切り刻んだすさまじいリスカでそれが初めてでない証拠に左右の腕にかつて同じようにカッティングした多数の痕跡があり他にタバコの根性焼きの痕もたくさんあった。とても私に縫えそうな代物ではない。昨夜10時頃にカッティングしまくりこの時間帯になって落ち着き治療を求めて来た。顔はすでにすっきりし行為に及んだ時の嵐のような精神状態は過ぎ去りとても落ち着いていた。あれは自分へのもやもやを痛めつけることによって精神浄化する意味があるのだと思う。傷は形成外科Drに治せても心の傷はどうしたらいいのだろう。私にはどちらも治せそうにない。ふう・・。

2015年4月25日土曜日

雀卓注文

こてるはやっと三段に昇段した。正直、二段でこんなに停滞するとは思わなかったぜ。

昼過ぎ、見せたまえ産婦人科に向かった。雀卓の申し込みの手伝いのためだ。帝王切開が午後2時くらいまであると聞いていたので駐車場でしばし待機していた。20分ほどして見せたまえDrがやってきて院内に入り近々麻雀部屋に改装となる(?)院長室に初めて入った。中央に食卓兼書類書き用のテーブルがでんと置かれていてこれは撤去しないとどうしようもない。部屋のドアの幅を計ると通常の90cm未満だったので搬入に組み立てのままでは入らない。本体と脚部を別々にしてもらう必要がある。

彼にネットで出ていた機種を見せ、OKをもらい、埼玉S店に直接電話をし、申し込む意志を伝え、細かな段取りは見せたまえDrに任せた。ちょうどゴールデンウィーク前なので手元に届くのは人手のこともあり2週間以上かかるらしい。ま、急いでいるわけでもないのでそれでザッツOKだ。一番の不安は故障時の対応だが簡単なものは電話対応、どうしても修理が必要なら郵送修理になる。きちんとオーバーホールしているのでまずは大丈夫と思う。心配し過ぎても先へ進まない。

備えつけのパソコンでネットに疎い見せたまえDrに天鳳のアカウント取得と実際に打つ方法を教えた。雀ネームをどうするかでいいのが思いつかないとのことで私が「安産王子」の名を提案し了承してくれた。それで東風戦を一局打ってみせることにした。接戦であったが東3局だったかな、国士無双狙いの手が来て何と本当に聴牌してしまった。1ピン待ちだ。ところがほどなく対面がリーチ。ここは何があろうと危険牌も切り突っ張る。しかし対面がツモ上がってしまった。何とリーチのみの67889の形での7索ツモ。つまらん上がりをしやがって!結局これで結果ビリに。そうだ、この前の私の国士無双もリーチのみ8索待ちにやられたんだ。見せたまえは笑っていた。

今後ちょくちょく友人雀荘に入り浸ることになりそう・・。

2015年4月24日金曜日

なぜに山に登る

このところNHKBSで日本百名山を徒歩で一切の交通機関を使わず一筆書きで走破する番組(「グレートトラバース」)を録画して欠かさず見ている。田中陽希という30才過ぎのアドベンチャーレーサーがおおよそ日に一座の割合で登頂しそれを4、5人のスタッフが追いかけ、待ち伏せし録画したものを15分にまとめて紹介している。山登りはほとんどしたこのない私だがこれらを見ていると自分も登ってみたい、いやそれはきついからやっぱよそう、人の登った様子をみるだけでいいやとTV画面を見ることの繰り返しをしている。代理で登頂願望を満たしてくれているかのようだ。

田中陽希氏は超人的な体力と走力、持久力でこの企画を立案し実行している。普通の人が要する想定時間の半分以下で登頂を成し遂げたあとも徒歩で宿に向かい、場合によっては舗装道路を100km以上も数日かけて移動することもある。放送では7月下旬の真夏にそれをやり谷川岳を目前についに高熱を出し入院する羽目になってしまった。そりゃ、脱水、熱中症、筋肉疲労を起こしていたに違いない。常人なら開始日の4月1日から1週間以内に起きそうだ。画面では入院初日の様子が出ていた。その後の4、5日は放送のこともあり関係者との間で相当葛藤があったのではないか。これ以上遅れると北海道走破のころは雪が積もり不可能になるかもしれない。そうなると企画そのものが不成立になる。しかし高熱のまま強行すれば生死に関わるかもしれない。大変だったろうねえ。結局8月6日に万全とはいえないものの出発し谷川岳を目指すことになった。昨日の放送で魔の山谷川岳をどうにか登りその後調子いいかと思えばまた不調に陥ったりとなかなかに大変だ。プロでも山登りにはいろいろな変化がありそれこそ一筋縄では行かない。そこがつらくも面白いところだ。

それでも人は山に登る。今までさほど興味なかったが登山好きの人の気持ちがこの番組で少し分かったよ。

2015年4月23日木曜日

雀卓選んで

天鳳の私のサブアカウント「こてる」はまだ二段(メインの「デルバラド」は七段)。ある半荘のある配牌、何と国士無双一向聴で西か北が来れば聴牌という手だった。これは九種九牌で流す気にはなれない。気合い入れて牌をつもるも3索でツモ切り。そう簡単に聴牌は出来ない。すると5巡目上家がリーチ!あいたた。オリるふりして么九牌を切る。早く聴牌しないかなー。西と北は下家が1枚ずつ切っているだけで山に残っていそうなんだが。しかし8巡目対面のトップ目が切った8索に上家がロン!あっさり終わってしまった。上家の手はただのリーチのみ1300点。うーん、こっちは3万2千の手なんだぜー。後で牌譜を見直すと次ぎが北をツモって西待ちの聴牌だった。それでも上がりにはやや遠く役満はそうそうは上がれないってことだ。それよりこの半荘一回も上がれずビリになってしまった。三段を目前に足踏み状態が続く・・。

夕方、見せたまえDrから電話があった。税理士に話をしたら30万までなら麻雀卓も経費で落ちるとのこと、ついに自前で雀卓購入を決めたので私にいいのを選んで欲しいということだった。ほうほう、ついにこの日が来たか。全自動卓新品なら点数表示枠付きで30万以下というのはない。必然中古卓になる。帰宅してさっそくネットで調べた。埼玉のS販売店でセンチュリーパル(マツオカ)という機種が27万8千円でよさそうだった。昔の機種に多いゴムベルトが使われておらず牌の取り込み口も4ヶ所で混ざりがよく牌も大型で見やすい。埼玉のS店は中古卓の表示がちょくちょく変わり実際にきちんと販売しているのが分かる。ネットでも3年前と全く変わらない表示のところもありそんな店に頼むのは気が引ける。私は全自動麻雀卓が好きで毎日ネットでチェックしている。なぜだか分からないが昔から興味があって特に麻雀復活したこの3年は習慣にさえなっている。「雀卓買うときは私に相談して」と言っていたので彼も電話してきたわけだ。

で、卓のことでいくつか小さな疑問があったのでS店にメールを送ることにした。早めに買う気があることを示しておかないといけない。人気機種になると数日で消えてしまうからだ。この卓でよければ明後日直接彼と会い正式に注文することになりそう。さあて首尾良く購入出来たら見せたまえ産婦人科の院長室が雀荘になるのかな。楽しみだ。

2015年4月22日水曜日

CP重視主義

今日夕食前の空腹で体重を計ったら76.6kg。おっ、いいぞ。一番重かった時から3kgも減っている。しかし空腹脱水状況と満腹飲水後ではまともな比較は出来ない。体重は上下変動しながらゆるやかに下がっていくものだ。これからやな。

午後は早帰りとはいっても午後4時というほとんど通常勤務と変わらない時刻に病院を出た。でも少しでも休めるのは有り難い。帰りにドラッグストア「ひまわり」に立ち寄りシャンプーとコンディショナーを見てみた。私が買うのはきまって資生堂の「TSUBAKI(赤)」だ。まったくのメジャーな商品で特別なこだわりがあったわけではない。別のメーカーのシャンプーを使った時にこっちの方がいいと思ったのが8、9年前でこのドラッグストアで若干安く買えることもあってずっとそうしてきた。しかし今日見ると銘柄変えちまうかと迷いそうになった。マイナーチェンジしたのはいいけれど新商品にありがちな販売価格アップがあって安い時より1本100円以上も違う。さらに1本550mlだったのが500mlに減量されている。値段、量とも悪化しているのだ。中味は上等になったからと言いたいのだろうが別に今までのでいいから安く多くあって欲しかった。てなわけで買わずに帰った。自分はブランドにこだわっていないことがこれではっきりした。

帰宅すると「今日の治療指針2015」が届いていた。日常診療に欠かせない本でずいぶん助けられている。特に非専門分野の診断、治療法で私は利用している。毎年買わなくてもいいと思っていたが去年に続けて買ったのはパソコンやスマホ、タブレットでもネット環境ならアクセスできるサービスがついていたからだ。MacBookProを持ち歩いている私には格好のサービスだ。さっそく登録して使えるようにした。ただ、そのサービスは来年3月までだそうで、なるほどそうしないと次を買ってもらえないし、企業としては当然のことか。来年はどうしようかな。コストパフォーマンス(CP)重視(ケチと言ってはいけない)の私は来年は買わないようにしようと密かに思ったことだった。

2015年4月21日火曜日

ダイエット1ヶ月

ダイエットを始めて4週間が経った。ダイエット?ずっとやっていたと公式にそうなっているが最近は医局のお菓子をつまむ、もらったものを食べるなど禁間食の基本がおろそかになっていた。そこで「間食をピタッと止める」を徹底した。ゼロコーラダイエットはその手助けにすぎない。それで食前食後で体重変化はあるものの1kg以上は確実に減った。それなりの効果ではある。ただ同じようなダイエットをした7年前を比べるとどんどん減って行く感じが弱い。年取って筋力低下や代謝低下があるからかなぁ。運動も減っているわ。ボウリングも昔みたいに週2、3回投げる元気がなく運動というには回数、量とも足らない。

そもそも体重が80kg直前になったこと、コレステロール値が初めてわずかとはいえ高くなったことでダイエットを徹底し始めた。見た目と健康、これが損なわれていると思えばこそだった。月に1kgは痩せる。それなら簡単・・のはず。これが出来れば半年で6kg減量だ。むふふ、頑張るぞ。

2015年4月20日月曜日

頼まれればやるしかない

1年半ほど前ブックリバーDrが主治医で診たことのある60才代男性が食欲不振倦怠で先日来院し、私が診察すると腹水がかなり溜まり肝硬変の症状悪化が原因と考えられた。入院治療が必要でこのまま放置すれば危険な事態もあり得る説明すると「はい分かりました。先生のすべてお任せします」と言うので「ではさっそく入院を」と進めようしたが「いろいろ準備もあるので」と3日経った今日入院となった。肝硬変の原因がアルコールによるものというのは分かっていて8ヶ月ほど前もアルコール飲んで救急で運ばれシマッチ院長が入院加療を勧めても拒否し帰宅したことがカルテに書かれてあった。

どうもなー。こういう患者は入院して内服、注射できっちり治療すれば腹水もなくなり体調が良くなっても「お酒が飲める身体にして帰してあげるだけなんだよねえ」と以前いたケーワンDrが自嘲気味につぶやいていたのを思い出す。結局はまた元に戻りだめにになっていくパターンが多いんだ。とはいえ本人が頭下げて「よろしくお願いします」と言えば受け入れざるを得ない。アルコール依存症を治すのが本質だがそこが一番難しい。本来は精神科のアルコール依存症専門医がいいのだが、食道静脈瘤もあるみたいだしやるだけはちゃんとやりますか。「はい、こちらこそよろしくー」

2015年4月19日日曜日

鍛えられる

夕方からまた病院当直で4才の子どもの前額部切創を縫合などした。外来はいいが現在病棟患者が医者人生で過去最高の26名受け持ちとなってこっちが大変。うち回復期病棟は3名のみで他はすべて一般病棟患者だ。患者一覧表をコピーし常に持っていないと名前を言われただけでは何の病気だったかすぐには思い出せない。さらにはっきり言うと電カルを開かないと細かな指示が出せない。病状が落ち着いていない患者が多いからだ。20名を超えると指示漏れなど起きやすくこれ以上の受け持ちはホントに厳しい。医師一人の有床診療所は最大20名未満の入院しかできないという決まりはそのあたりが一人のDrが十分に患者を診ていける理にかなったものだと実感する。今は常勤医が少なく仕方ないが、幸い5月半ばから一人増えるとの情報もあり少しほっとしている。内科外来週4日担当Drも一人来るし、土日当直も6月以降院外Drが増える見込みでそれまでは辛抱だ。いやー、鍛えられているわー。

2015年4月18日土曜日

若手は勉強で伸びる

今週も土曜午前勤務だった。常勤医が減った今しばらくは土日の仕事が増えるのも致し方ない。

M山N子さんは息子に連れられ杖をついてはいるが自力で歩きしゃきっとした姿で診察室に入ってこられる。認知症もほとんどなく見た目は80才代だ。しかし年齢99才1ヶ月であと1年もしないうちに100才の大台に乗る。今日はそれにあやかりたくてツーショット写真を撮らせてもらった。私も年取ってあんな風になりたいものだ。

昼からは麻雀。サブアラド、見せたまえ両Drは変わらないが前半は若手の福祉茸君で彼は後半19時からはダイボDrに交代となった。その福祉茸君、今日はこれまでのおとなしい打ち方から明らかに戦法を変えてきた。あまり鳴かなかったのが比較的早めに鳴きドラ3の満貫だったりリーチも積極的にうってきた。その甲斐あって半荘6回で初めて浮きに回った。私が卓から離れている時に「現代の打ち方は・・」とスピード重視で打つ戦法が大事だと言っていたというからまさしくそのとおりでどこかで福地本でも読んで勉強してきたのかも。私がそのように打ち方を変えてからというもの成績上昇がはっきりしているからね。最も私は冒頭から4連続トップを取るなど福祉茸君のはるか先を行っていたけどさー。

ただダイボDrが入ってからは負けも込みどうにか勝ちは拾ったが当初の勢いからすればやや不満が残った。まあまあいつも大勝ちは出来ないさ。少しでも勝てばよしだ。これで5連勝。川内で大負け喰らってからは調子がいい。もっと続けー。

2015年4月17日金曜日

なんぞ人のため

珍しくヒマな午前中でこれは午後から早帰り出来るかもなーと目論んでいた。それでもすぐには帰れず14時半になったら外来と内視鏡室から「吐血の患者がいますー」だと。救急依頼の患者だったが本来は私はいないはずの時間、内視鏡専門医がいないと断ることもできたかもしれない。しかし現実私はまだ院内にいるのだ。受けないわけにはいくまいて。

それから1時間もしないうちに無事内視鏡的止血術でしっかり治療し入院させた。人の役に立ててなんぼや、単に決まりやお金で人は動かへんで。なんや、今日は言葉にどこぞのあんちゃんが入っているナー。

2015年4月16日木曜日

姶良山中から

午後の救急当番で運ばれて来たのは初老の男性だった。救急隊だけでなく警察も絡んでいて、どうも昨夜姶良山中で転落し動けなくなって一晩過ごしていたのだという。意識はあるもはっきりせず体温はそこそこ保持されていた。姶良も奥の方は結構な山があり北山診療所という僻地の医療機関もあって青雲会病院からも週に1回診療に出かけたりしている。

しかし遭難場所は病院近くの平松でその山も病院からもよく見えていてところだった。そこは水道が通っておらず、数年前崖崩れがあった近くに自家製の水源地がありそこから水が引けなくなり別のところから引いていていたが、落ち葉などでつまりやすく点検に行ったら落ちたんだそうだ。それが夜の8時頃、電灯も持たずにだったらしい。しかもこの20年医療機関にかかったことがない上に90才代の母親の面倒も看ていたという。

何だか平成の夜の姶良市内で起きたこととは思えない。大正昭和初期の電気も来ない山村の話かい?その母親を迎えに来たデイサービスの人が必ずいるはずのその男性がいないのを不審に思って行方不明捜索になり発見されたということだ。デイが来ない土日にだったらどうなっていたか・・幸い骨折はなく脱水もそれほどでもなかったのできっと回復してくれるだろう。いやはや姶良患者もバラエティーに富むことよ。

2015年4月15日水曜日

どのくらいの打ち手?

3月末に内視鏡室の聴診器の右耳当てのゴムが裂けていることに気づきしばらくその聴診器は使えないでいたが、そのゴムが新品に交換されていた。ムッちゃんNsが業者に頼み交換してもらったとのこと。1個700円で済んだというが実に有り難い。何万もする聴診器でも1個の不良ゴムで使い物にならない。感謝感謝だ。

今夜は当直で医局の机にぼーっとしていると今日発行製薬の空中MRがやって来た。天鳳は三段に昇段したという。ふむふむ、それは知っていたぞ。ある時驚異の6連続トップを取っていて一気にポイントを重ねていた。4連続はまま見るしたまに5連続もある。しかし低段者相手とはいえ6連勝は滅多にない。空中三段とはお手合わせをしたこともないし観戦したこともなく、口ぶりからして私やサブアラドDrよりは弱そうとの認識だったが実は隠れた強豪かもしれない。「今度是非お誘い下さい」と謙虚にもの申す態度は案外実力者かも。

そんな空中三段に天鳳での観戦の仕方や役満達成一覧の見方など教えた。1日に多くの役満が出現しそれらの牌譜を観戦出来ると、超難関の役満四槓子や純正九蓮宝燈の牌譜を見せた。純正九蓮はこれが配牌ツモに恵まれ7巡目に聴牌、即上家が振り込みあっけなく終わった。うわーと驚く空中三段。確かにナー。こんなの降った側すれば防ぎようがない。一説によると純正の九蓮宝燈の上がれる確率は0.0004%程度だという。同じ役満の国士無双が0.03%ほどだからいかに難しいかが分かる。最も最難関の四槓子は0.0002%だがそれが今月3つも出たのは大変に珍しい。普段は月1くらい。天鳳で月に上がる総累計数は何百万何千万はあるのかな。純正九蓮や四槓子はその中の数回しかないわけだから他人が上がるのを見ることも実際にはないといってもいい。ネット麻雀ではそれらを疑似体験出来る。それにしても空中君が口を開けてびっくりいしたのはちょっと初心者っぽい。ううむ、その空中君、いったいどのくらいの打ち手なのか分からなくなった。ま、今度打てばだいたい分かるね。そんときはお手柔らかに・・ふふふ。

2015年4月14日火曜日

何でヒョウが来ない

相変わらず忙しい日々でブックリバーDrが非常勤になったこともあり受け持ち患者が増え常時20名を越えるようになった。数年前と比べれば倍以上でそりゃ忙しいはずだわな。今日は午後早帰りをするつもりだったのでできるだけ仕事を済ませてから食事をと思っていたら何と午後2時45分になってしまった。これって今まで一番遅い昼食かも。そのままでは片付けられてしまうのでムッちゃんNsに保存を頼んでいてよかった。

病棟の仕事も残っていて結局病院を出たのは午後4時50分。医局のカルテ補助作業の二人に「今日は早帰りなんで」と言い残したよ(苦笑い)。で、帰宅して中途半端な時間を利用しようと散髪をしに行きつけの理髪店ゴンちゃんクラブに徒歩で向かった。庭先には藤の花が飾られているところもありこれは写真に収めた。こういう時でもデジカメは肌身離さず持っている。いつ何時いいシャッターチャンスがあるか分からないからねー。だから買うデジカメはデジタル一眼レフではなくコンパクトデジカメになってしまう。ミラーレス一眼ですら自分の写真スタイルにどうしても合わない。何より機動性重視というのがはっきりしているわけ。今日は散髪前の自分の姿と藤の花だけ。ま、こんなもんだな。

帰宅してシャワー浴びた後、カールに「雹(ヒョウ)が降ったんだってよ、怖いねー。当たらなかった?」と言われた。ヒョウ?いや全然。「ついさっき市内でヒョウが降ったってニュースが出たばかりよ」市役所付近というからそんなに自宅と離れているわけではない。「良かったわねー」とカールに言われたが、せっかくなら帰り道にでも目の前で降って欲しかったぜ、デジカメ手に握りしめていたのにさー。

2015年4月13日月曜日

ナース復職

朝礼で復職する看護師二人が挨拶をした。見れば服裂き魔Nsと蔵香Nsで二人とも初産後の復帰だ。この二人は私が青雲に来た14、5年前から知っているがなんといっても2007年から数年「冬ソナ会」なる韓ドラがらみの飲み会をしたことが印象に強く残っている。韓ドラにハマりつつあった私にこの二人とポラリ野Nsを加え居酒屋や韓国料理屋で韓ドラを語り合う会だった。特に最初の年は冬ソナとチャングムくらいしか知らない私に雑誌片手にいろいろご指導賜った恩人たちでもある。ポラリ野Nsは私が青雲病棟に初めて上がった時、一番最初にカルテの書き方、指示の出し方など教えてくれたナースでもあった。彼女は2007年の最初の冬ソナ会後に鹿児島市内の病院に移った後も会には参加してくれた。で、彼女だけがいまだに独身らしい。市内にいた方が出会いはありそうなものだったが、縁は異なもの、彼女には韓ドラ並みのドラマチックな出会いがあることを祈ろう。

服裂き魔Nsが出産したのは一昨年の12月だった。復職まで少し期間が長かったのは子どもを預ける保育所がなかなか決まらなかったせいもあるらしい。女性の復職にはこうした社会的支援、施設の充実が欠かせない。男女雇用機会均等法が30年近く前に施行されて以来、女性の社会進出の流れは止められない。ならば結婚出産で彼女らがキャリアストップしないようなシステムを作っていく必要がある。現状まだまだ日本の社会はそこが上手くいっているとは思えない。彼女らの復帰をみて社会問題にまで少し思いをはせてみたことだった。

2015年4月12日日曜日

とりあえず選挙へ

選挙好きか知り合いが出馬しない限り県議選には皆あまり関心ないのではないか。今日の投票率も50%を切ったようだ。候補者をざっと見て聞いたり見たりしたことのあるのは2人だけ。近隣のF崎氏と共産党のM崎氏くらいだ。しかし朝早くわざわざ投票しようと思ったのは最近麻雀仲間になった福祉茸君の叔父さんが候補者だったから。議員をしているとは聞いていたのでその人に投票することにした。政党も人物も知らないけれどせっかくの縁だと思ってネ。結果はそこそこ上位当選でF崎、M崎氏らも当選していた。まずはめでたしめでたし。

今日はあのガガーリンがボストーク1号で世界初の宇宙有人飛行をした日なんだとか。1961年のことで調べるとわずか1時間48分で地球に戻って来ている。その間、機器の作動具合を調べたり無重力を体験したり、窓から見える景色を「地球は青かった」と表現するなどしこれらは一大ニュースになった。今から見ればたいしたことではないようだが人が宇宙空間でも生存できることを証明しその後の宇宙開発の端緒となった。何事も世界初はそれだけ貴重ってことだ。

2015年4月11日土曜日

10年続けば老舗

チッチの希望で夕食をイタリアンレストランでとろうということになり、以前から年に1回程度利用していた吉野の「天空の城ボタン」に予約の電話をカールがいれた。しかし返信がない。おかしいと思いつつも車で吉野まで走らせたが道路から覗く天空の城ボタンは閉鎖されていた。ああ、やっぱり閉店か。眺めもよく料理も良かったのだけどなあ。14、5年前からあり去年も利用したのに残念だ。飲食店ってほんま流行り廃りが激しい。1年もてばまずはよく3年4年続けばえらい。10年以上続けば老舗だよ。その老舗でも事情あれば閉店だ。20年30年続く店は超えらいぜ。

結局イタリアンということで照国神社近くの「マゾたち」になった。こうした場合、店を一向に思いつかないのが私で選んだのはカールだ。一品ずつ頼みチッチは大好物のピザ中心で他パスタやら肉やら結構お腹いっぱいになった。で、ここも土曜だけど客は半分もいなかったように見えた。大丈夫かいな~。

2015年4月10日金曜日

勝治涼=前髪クネ男!

串木野トリオリーグは157、173、167と並み以下のスコアで4月のオイルパターンを克服出来なかった。両サイド近くまでオイルがあり内から外に向けガター近くにボールを通すとボールが滑り本当にガターしてしまう。両サイドにオイルがない一般的なコンディションのつもりでいると痛い目に遭う。確か女子プロの大会のレンコンと同じように設定してあったはず。ストライクも出るがちょっとラインを間違うとボールは曲がったり曲がらなかったり、うまい人が上位に来るようになっている。私などまだまだやー。

ボウリングから帰ると民放TVで俳優の勝地涼28才が出ていた。鶴瓶相手のトークで話題はもはや朝ドラの伝説となった前髪クネ男のこと。「あまちゃん」にたった1話しか登場しなかったにもかかわらず腰を振りつつ能年玲奈に迫り「大っ嫌いなタイプ、いけすかねえ、ダンス野郎」と言わせた演技は「あまちゃん」の中でも屈指の面白い回で勝治涼という俳優名を私はしっかり覚えてしまった。トークで語るところによれば、共演した太巻プロデューサーこと古田新太に「もっと腰を振ったほうがいい」とアドバイスされやったところ、放送前にもかかわらず「すごくいい。お前、しっかりNHKに爪痕残したナ」と収録後の飲み会で誉められたとか。いや、まさしくそれ以上のインパクトで、しばらくは子どもたちにクネ男クネ男と指さされて大変だったとか。「あまちゃん」には1話限りの出演者というのが大勢いた(橋幸夫、大久保佳代子、三又又三、さかなちゃんなどなど)けれどその中でもピカイチは前髪クネ男こと勝治涼、これはだけは論をまたないわ、きっと。

2015年4月9日木曜日

裕二が怖い

帰宅するとチッチがTV「アンビリバボー」を見ていた。私も帰りの車中でそれを付けていて音声だけで実際にあった偽装殺人のドキュメントを聞いていた。警察が解明する様子を見たくていっしょに見た。そのケースが終わり次は40年以上前に起きたあるこれも偽装殺人事件が紹介された。

それは事件が起きる20年も前、ある一家で起きた異臭騒動が始まりだったというその画面に犯人である「裕二」が塀の隙間が覗いていて、その顔の怖いこと!途中、お金と自己中心的な裕二が金策に困ったあげく何と実の母親を殴り殺し家の前の交通事故に偽装するという残忍さに呆れた。それを兄と姉が偽装に加担し、一部始終を目撃した裕二の嫁が結局また裕二に殺されそれにも兄が協力してしまうというどうにも悲惨な事件で一旦は警察も偽装交通事故を信じたのもどうかと思われたが裕二の身勝手殺人をかばった家族が偽装証言をすれば致し方ないかも。この裕二は実は大学生の時にも人を殺していたというのが示唆され死刑以外あり得ないやろと思ったらやっぱりそうなった。でもそれを演じた役者の目つきが脳裏に残り、この後風呂に入る時が怖くて仕方ない。窓を閉めても背後のドアから裕二が来るんじゃないかと気になったり・・。

極めつけは一晩たっての朝、カールが怖い夢を見たことだ。「実は自分が人を殺してクローゼットに隠していたのだけど、なぜか弟(それが私の弟ではないしカールには弟はいない)が来てどうしようと思っていたら何とテル君を人を殺していて何だみんな殺しているのねと妙にほっとしたのよ」うわわ、なんだそりゃ。話の筋は脈絡はないが背景に裕二が暗躍しているのが分かる。夢見が悪いとはこのことだ。ともかく裕二よ、怖いから早く記憶から消えてチョーダイ!

2015年4月8日水曜日

「あまちゃん」再び!

今週月曜からNHKBSで「あまちゃん」再放送が始まった。2年前の今頃まだ私はこのドラマを全くといっていいほど見ていなかった。AKB48の藤江れいながワンシーンだけ出演すると聞いて1話だけ録画して見ただけで、それもどこにれいにゃんが出ていたか分からず「つまらん」とストーリーや出演者には関心がなかった。

ある時カールが「ヒロシって脇役が登場するときにバックの曲がお笑い芸人のヒロシの登場音楽だった」と教えてくれ、へー面白そうやなと思い、その直後くらいの主人公の天野アキが海女になるもウニが捕れず苦闘するころから見始め、それからずっと見続けた。途中からは録画したビデオも消さずずっと保存している。見たら消すのパターンがほとんどなのにこれは私には珍しい。だいたい「あまちゃん」は朝ドラには珍しく二度三度見ても面白く録画保存の価値が十分にあった。それで今度も毎回ドラマ録画を開始したのだ。

だが・・。がーん!昨日は録画に失敗していた。連続ドラマ録画にしていたはずがなぜ?しばらくショックだったが、医局のビデオにも録画設定をしていたのを思い出し、今日1日遅れで昼休みに見た。この回のメインはアキが祖母の夏と初めて鉢合わせするシーンだった。そのシーンも含め頻繁に出てくる海辺が実際にカール、チッチと行った三陸小袖海岸なので「ああ、あそこね」とリアルに感じられるのも面白い。明日からはちゃんと録画失敗しないようにしなくちゃ。(この後、土曜にまとめて1週分再放送があって取り直しほっとしたことだった)

今やっている朝ドラ「まれ」も能登半島という海辺のローカルな場所が舞台で「あまちゃん」に似ていて視聴率もいいらしいが、私が朝ドラを見るきかっけになった「あまちゃん」の方が今でも面白く感じる。前回見ていなかった人もぜひ見てほしい。今からでも遅くはないぞ。

2015年4月7日火曜日

男子18才刮目!

電カルのメール機能は主に病棟から指示が欲しいときに使われる。メール発信されるとそれがリアルタイムに分かりすぐに開けることが出来る。その中に「食形態変更をしてもよろしいですか」との一文があった。これは粥食などを普通のご飯にしてもいいですかとかいう意味だ。それはよろしい。私はこの漢字にビビッと来てすぐに返信をした。「「形態変更」って反対から読むと「更に変態の形」って読めますねよね。怖いですねえ」全く診療には関係ないけれどこんなつまらぬこともやらずにはいられない性分なのだ。

夜はT-MAXでまたボウリング練習。3階レーンで途中場内暗転し曲が流れるストライクチャレンジがあった。ストライク出せばオロナミンCがもらえるサービスだ。こうなると燃えるのが私でそれまでストライクはあんまし取れていなかったのだが1曲終わるまでに3回のチャレンジ全部成功させ3本オロCゲットした。ついでにターキー賞(カレーやクレープがもらえる)も取れており全く現金なことよ。

帰宅するとチッチの中学時代のサッカー部員だったフラット君が来ていた。この前のザミドル君も同じサッカー部員で中学の部活動の友だちとはいまだに交流がある。フラット君は浪人を決め予備校通いをさっそく始めているとのこと。カールがバス停にいる彼をよく見かけていて受験に相当覚悟を決めている様子だと話していた。実際彼の話しからはかつて部員の中で一番のやんちゃだった面影が消え真剣そのものだったという。「きっとうまくいくと思うわ」とカールは話す。そう、それまでの学力がどうのこうのではない。将来を見据えいかにやる気があるかが大事なのだ。そうなると見かけも変わる。しばらく見ない間フラット君も少年から青年、大人になりつつあった。

2015年4月6日月曜日

青雲に来てセイカイ

昨日はボウリングのあと夕方から病院当直だった。今月はこれも含めて3回日曜当直がある。翌日もフルで勤務だから結構きついわ。

何台か救急患者を診たあと明け方も安定剤を飲み過ぎた比較的若い女性の要請があった。あちこちの病院やクリニックに親が電話を掛けたがどこも「胃洗浄の出来る病院がいい」とうちを勧めたらしい。要請は受け入れたが私は胃洗浄手技をする気などさらさらなかった。だって服薬した時間帯が昨日の夜だっていうんだ。だいたい胃洗浄が有効とされるタイムリミットは1時間以内でしかも誤嚥を起こしたり苦労の割りには報われない手技だ。すでに7、8時間も経過しているし全くの適応外だ。薬物中毒で必要なのは胃洗浄手技ではなく気管内挿管と人工呼吸管理が出来るかだろう。患者が危険なめに遭うとすれば呼吸停止が一番可能性が高いからで、実際この患者さんは呼吸はしているもののSpO2が上がらず後でレントゲン撮ってみて右肺炎、胸水貯留があり結局、気管内挿管+人工呼吸 になった。そうそう、やっぱり青雲会病院に来て正解だったのよ。

午後は某医院からの紹介で閉塞性黄疸患者がやって来た。ハイハイ、これも青雲会病院に来て正解の患者です。CTで総胆管に狭窄部位がある、腫瘍か炎症か結石か、とりあえず入院して頂きましょう。非常勤になったブックリバーDrに明日診てもらますからー。

内視鏡室に非常勤のワコーDrが週1で勤務してくれることになった。これで月曜は私は内視鏡から離れて外来病棟をすることになる。ブックリバーDrは逆にワコーDrの居間きれい病院へ月金非常勤になり木は居間きれいからカレントDrが来ていてと何だか相互扶助っぽくなってきた。

土日当直は再来月あたりから担当医が増える予定だしDr集めも徐々に改善されつつある。後は内科常勤医だな欲しいのは。それまではどうにか頑張ろーぜ。

2015年4月5日日曜日

チッチと大接戦

朝、チッチが「今日ボウリング出来る?」と聞いてきた。「おう、出来るよ。今からでも行くかい」と二つ返事で私は応じた。いや、チーが言わなくても私の方から誘おうかと思っていたところだった。チーは以前もいっしょに投げたザミドル君を誘いたいらしく連絡をしていた。彼の都合もあって昼食後にいっしょにT-MAXへと向かった。

ザミドル君は10ポンドの軽めのボールをサムレスで器用にフックボールを投げる。結構投げているだけあってコントロールも良く最初の2ゲーム目は142、158でチッチの90、124よりずっとスコアは良かった。チーはいつもそうだが投げ始めは親指(サム)の調節がうまくいかず引っかけたりガターしたりでどっちがマイボウラー分からない。しかし指調整を手直してあげ投げ方も落ち着いてきた3ゲーム目冒頭からいきなりターキーを出した。4連続(ハムボーン)はならなかったがその後もコンスタントにストライクを出し179を出した。ザミドル君は149、ちなみに私は後半ストライクラッシュで221だった。チーの勢いは収まらず4ゲーム目は私と張り合い8フレ終了時点で私を10ピン上まわっていた。9フレ私はダブルを出しチーはスペア。これで8フレ終了時点153の全くの同ピンになった。10フレ冒頭でストライクを取れば一気に私有利になるところだが10ピンが残り9本スペアだった。私のスコアは結局191。チーは1投目ストライクならほぼ勝ちの場面、ここは惜しくも10ピンを残した。私と同じシチュエーションである。これをスペアし最後ストライクなら1ピン差で私に勝てる。なかなかプレッシャーのかかる場面だ。その10ピンスペア、私とザミドル君がじっと見つめる中、チーは緊張気味に投げたが・・。投球の瞬間、右に外れたのが分かった。ピン手前でガター!あはは、まだまだじゃー。ここが経験、実力の差なのだよ、分かったかなーチッチ君。しっかしここまで接戦を演じるとは。

終わってターキー賞で取った食券を上げ、若者二人はジュースやホットケーキやフライドポテトにパクついたのだった。

2015年4月4日土曜日

莞爾さんの由来

外来患者で「xx莞爾」さんという初老の人が診察に来た。終わりかけて私は名前の由来を尋ねた。「xxさん、昭和19年生まれでその莞爾(かんじ)という名前は陸軍軍人の石原莞爾から取ったのではないですか」すると案の定「ええ、そう聞いています」との返事だった。ただ元になった石原莞爾のことはほとんど知っていないようで私がおおよその経歴を教えてあげた。満州事変の首謀者の一人であり天才肌の軍人で東条英機とは犬猿の仲なのも有名である。昭和19年には東条との対立から予備役に回され引退同然になっていたが男児にふさわしい名と当時の親は考えたのだろう。そもそも莞爾とは莞爾として笑うなどにっこりとする様をいうので意味も悪くない。

同じ頃「五十六」と名付けられた人も青雲会病院の患者にいるので当時は軍人の名にちなんだケースが多かったということだ。もろ「軍蔵」という名前もありこれは戦後はちょっとかわいそうだったろうな。親は時代の変遷もよーく考えて名付けるようにしないといけない。最近のキラキラネームの代表、ゲームから取った「光宙(ぴかちゅう)」アニメから取った「黄熊(ぷう)」「今鹿(なうしか)」って名前は馬鹿にされるかいじめられるかだぞ。名前は一生もんってことを忘れないようにしなくちゃ。

追記だが、日経新聞のコラムによると、20年ほど前にキラキラネームを付けられた若者が社会的に不利な状況打破のため改名を希望するのだがその手続きは面倒だ、そのための代行業者もネットでは現れているらしいとのことだ。名付けは自由だけれど親の勝手気ままに任せるのを申請時にある程度忠告するなどの制度もあっていいのではないかと思う。子どもは親のものだけではなく社会の一員でもあるのだから。

2015年4月3日金曜日

葉酸の日、子宮の日

今日は何の日カレンダーってのがあって、4月3日は何の日かとみれば「葉酸の日」なんだって。葉(4)酸(3)に引っかけてのことらしい。記念日ってのは物事の始まり由来がだいたい多いが日本ではダジャレにちなむものも多い。葉酸はビタミンの一種で1941年に乳酸菌の増殖因子としてホウレンソウの葉から発見され葉はラテン語で foliumと呼ばれることから葉酸 (folic acid) と名付けられたとのことだ。カレンダーによると「胎児の先天障害のリスクを減らす栄養素葉酸の摂取をよびかける」趣旨で制定されたそうだ。へー、私なんか内科だと大球性高色素性貧血の治療に使う薬のイメージだがなぁ。高校時代の同級生にそのものずばり「葉」さんという女子もいた。医学薬学系に進んでいればこれでからかわれたかも。

そうそう、語呂合わせで言えば4月9日も子宮(49)の日なんだそうだ。子宮頸がんを考える市民の会が制定したとか。しかし子宮頸がんワクチンは副反応(副作用ではない)問題で普及は足止めをくらっている状況だ。私はどちらかと言えば全般的にワクチン賛成派だが日本人はわずかな副反応を気にしすぎるように思う。風疹ワクチンにしてもかつては中学女子に必須だったのがなにやら自主的接種になり接種者が減りその後流行してしまい去年など出産を控える御婦人が増えたりとふらふらしている。何百万人も接種をすればわずか副反応発生率0.001%でも10人以上には副反応が出る計算だ。その10人の障害をみればワクチンこわーいと思って接種止める方向に傾く癖がある。大局的見地や理性的な判断ができていない。毎年3000人以上が子宮頸がんで亡くなっていることを考えればワクチン接種は必須と思うが、いわゆるムードに流されやすい国民性にはカツを入れたいよ。

2015年4月2日木曜日

「センセーでなくてはいけないの」

昨日の午後のことである。内視鏡室から外来廊下を通り、病棟に向かおうとしていた私に外来のタッピーNsが声を掛けてきた。急いでいた私は半ば無視するように歩き続けたが彼女は「センセ、センセ、大したことじゃないしすぐに終わるから」と頼んできたことは「明日、健診の胃カメラがあるんだけどー、私、どうしても先生に胃カメラして欲しいの」「明日はオレ、内視鏡じゃなくて外来だけど」「あー、でもそこをどうにかならない?もう10年以上も私は先生にしてもらっているからさー」ふーむそうか。そこまで言われれば外来の合間をぬってやって上げるしかないか。「ちょっとは待つかもしれないけどどうにかするわ」とそんなやりとりがあった。

さて、今朝、外来をしていると昼前にムッちゃんNsがやって来て「タッピーの胃カメラの準備をしているけど他のDrじゃだめなの」と聞いてきた。私は救急ピッチ当番もしていてすぐには胃カメラに行けない状況だった。しかし「いや、彼女はどうしても私にと言っていたから待ってもらう」そう私は断じた。あれだけ言われて他の先生にハイどうぞじゃかわいそうだろ。

それから30分ほどパタパタと外来業務をこなしチラチラと内視鏡の管理モニターを見ていた。検査一覧には終われば逐次その記録が表示される・・あれ・・?10分ほど前の患者名にタッピーNsが表記されているじゃないか。慌ててクリックすると経鼻内視鏡ですでに観察済みで今日の担当のブックリバーDrかカレントDrが実施したに違いない。あわわ。あんなに言っていたのに待ちきれなかったのか。私が忙しすぎわがまま言っても悪いと思ったのか、はたまたムッちゃんNsにうまく言いくるめられたのか。まあ仕方ない。元々今日は私の担当じゃなかったのだ。

昼休み、ムッちゃんNsに会ったので「タッピーNsは結局他のDrにしてもらったんだな。お前がこてる先生でなくてもいいのよーと勧めたんだろう」と言うと、とんでもないという顔をして「いいや。タッピーに『あら、こてる先生でなくていいの』と言ったら『ううん、誰でもいいの』って言うからブックリバーDrにしてもらったのよ」だってさー。がびーん!ヤラれたよ。

2015年4月1日水曜日

ちょっと待って、あったかいんだから~

当直明けの新年度はたまたま院内の健康診断を受ける日だった。毎回のことで慣れたものだが今回の結果で少しだけ悪かったのがコレステロール値だった。私は今より体重があった時でもコレステロール値は正常だった。だいたいコレステロールは食事よりも体質の影響の方が大きい。でも体重増加に体が反応しきれなくなったのかLDLコレステロールが少し増えていた。薬を飲むほどでないがやはり減量をしなくてはなるまいな。

胃カメラはマルちゃんDrにしてもらった。ムッちゃんNsの勧めで経鼻内視鏡を使って経口で受けるというもの。径が細いと咽頭刺激が少なく確かに通常の経口内視鏡より楽だ。結果も特に問題なくめでたしめでたし。

そうそう、便潜血検査はなかなか実施するチャンスがなく一通り終わった後で午後になってドック室の朝からしたとさんから「先生、午後3時までに提出していただかないとキャンセルにします」と言われていて、時間切れ寸前、医局のトイレで踏ん張っていた。ちょうどそのころピッチに朝からしたとさんから連絡があり「もうキャンセルで・・」と言うのを制し「ちょっと待ってちょっと待って」と言いつつ慣れない糞便採取をしてドック室に走った。受付で朝からさんびっくりした顔でいて私は「ふー、どうにか間に合ったなー」「ほうら、これ」「まだ取り立てのほやほや、あったかいんだからぁ~」と手渡した。少しイヤそうなでも笑って受け取ってくれましたよ。ありがとネ。

今日は午後早帰りだっつーにその途に就いたのは午後4時ごろだった。姶良の上水流(かみづる)の水路脇に咲く桜がちょうど満開で車を止めて写真を撮った。近くには庭木に桃の花も咲いていてそれはやや散りかけではあったがまさに春爛漫の競演で見ていて気分が良かった。いやー、ほんとに春だぜ~。