2017年11月30日木曜日

58才男性突然死

午前は内視鏡担当だが救急車当番でもあった。11時ごろ交通事故の高齢女性が運ばれて来た。息子夫婦の運転する車の後部座席にいたところ自損事故でガードレールに衝突、下肢を中心に打撲、挫創で意外に重傷そうだった。はたして左の腓骨は骨折しておりしかも傷がやや深い。こりゃうちで診るのは無理だ。整形外科がいる病院に転送したほうがいい。さてどこか受け入れてくれるところはあるかいなと思案していたら、渡りに舟というか、息子夫婦が運ばれた加治木のおーい病院から「家族がお母さんもいっしょに診て欲しい」と受け入れ要請が来た。そっか、そりゃそうだよね。受傷者が3人以上になると受け入れ病院を分けて搬送するのはよくあることだが、みんな入院となれば家族は一つにして欲しいはずだ。有難く要請を受け入れた。夕方にはおーい病院から「御配慮いただき誠に感謝致します」と丁寧なFaxが届いていたよ(⌒о⌒)。

今日の当直は院外Drが大学病院の手術で遅れてくるので毎週交代での居残り当直手伝いだった。早ければ1時間ほどで交代となるが1ヶ月前はクニンダDrは21時半ごろまで待った上に救急車対応で大変だったなどどうなるか分からないところがある。で、今回はクニンダDrを上回る大変さだった。尿管結石の患者を手始めに5人の患者を診て、結局交代したのは22時20分、この間救急車も診たし入院させた患者もいた。あとで当直看護師のカッチャンNsに聞いたら、5人診た後は朝6時までまで誰も来なかったそーな。うへっ。ま、待機中は他にすることがないので日記書いたり当直表の最終修正を行ったりとそれなりのメリットもあった。

で、朝方救急車で運ばれた患者はどんなのだったのと聞くと、これが58才男性で朝奥さんが呼吸停止に気がつき連絡したがすでに冷たくなっていた。胸骨圧迫、気管挿管、強心剤など施すも全くダメだったという。7時46分には死亡宣告、小さい方の息子はまだ中学生くらいで状況をすぐには理解できていない様だったとのこと。58才男性と言えば私と同い年。突然死だなんていやだよー。

2017年11月29日水曜日

写真パワー

今日は外来担当。これが忙しいんだな。胃や大腸の検診後精査が相変わらず多い。住民へ一斉に行われ一斉に結果報告が届くからだいたい同時期に集まってくる。もっとばらけてと言いたいが、インフルエンザや風邪の時期と重なっていないだけマシと思おう。この他、紹介で来る患者の中には一見内科と思いきや、実は泌尿器科の病気だったり外科対応しないといけない患者だったりする。嘔吐で紹介された高齢男性も診察してみると鼠径ヘルニアによるイレウス(腸閉塞)と診断し外科に頼んだ。ただ外科も相当忙しくすぐには診られない。幸い嘔気がやや落ち着いていたので待機できた。用手環納が無理とのことで手術が午後に組まれるそうだ。(結果は鼠径ヘルニアではなく腹部手術後の腹壁瘢痕ヘルニアだったとのこと。まあ当たらずいえども遠からず、外科にお願いして正解だった)

逆に皮膚科から内科で治療をお願いと院内紹介されたのが右下肢の蜂窩織炎のこれも年配男性患者で専門科の診断確定しているので後は治療指示出して経過観察だからある意味気楽だ。入院指示を出して、昼食にありつけたのが午後の14時前だった。ふう、今日は半ドンで帰る予定だが3/4ドンだったな。

さて、医局の机に着くと、なにやら感謝状とお礼のケーキ(バウムクーヘン)が置かれていた。10日ほど前病院を退職した静宮Nsからだった。彼女は17、8年勤務していたのかな。独身時代から知っている。子ども3人いて確か一番上が中3のはず。このところは透析室勤務になってそう会う機会もなかった。でも、透析室スタッフから「彼女の送別にアルバムを作るのでこてる先生のストックしている写真を提供して欲しい」と頼まれ、2001年から最近まで彼女の写っている職場写真などを集め、USBに移して何十枚か上げたのだった。自主的に院内の写真係を務めている私の本領発揮場面だな。ただ、この4年はMacの「写真」ソフトで顔認識させてあったので簡単に抽出できたが、それ以前はハードディスクに収めてあるフォルダから1枚1枚チェックしなければならずかなり時間がかかった。日ごろから顔認識させ入力していく大切さを感じるわ。

で、そのサプライズプレゼントのアルバムは「青雲会病院での思い出がたっぷり詰まった世界にひとつだけのもの(本人談)」でうれしすぎて号泣したんだそうだ。「いつの間に撮られていたのか笑ってしまう写真や大好きな同期や先輩スタッフ、青雲会が凝縮されていて感動でした♡」と提供した私にお礼が言いたかったとのこと。そうか、私も面倒と思いつつもやって良かった。そして、これまで職場で多少迷惑がられながらもコツコツと写真を撮っていて良かった。人はたった1枚の写真でも感情を揺さぶられることがある。写真にはみんなが思っている以上のパワーがある。どんなに雄弁な見合い仲人の口上より1枚の見合い写真に心動かされることもあるように。

で、この日から1週間後、またたった1枚の写真が某職員にエモーショナルな場面を引き出すのを私は目撃することになる。写真はすごい。(また1週間後に・・)

2017年11月28日火曜日

女の人生

先週の金曜からムッちゃんNsが不在だったところ、今日は沖縄土産の「ちんすこう」や「サーターアンダギー」「紅いもタルト」など持って来たので「沖縄、行ったん?」と言うと「(次女の)あかんねの結婚式だったの」だと。へーえ、あの高校生だったあかんねちゃんが結婚かぁ。「もう29才よ」と言われれば、以前うちの子らといっしょに食事したのが13、4年前かだからそれくらいになる。住んでいるのは東京だけど結婚式はごく親しい人たちを沖縄に招待して挙げたんだという。ああ、グアムやハワイでやるパターンの沖縄版ね。最近は結婚式も様々だ。

娘といえば有優Nsの20才過ぎの娘広池ちゃんが今日手術を受けているという。できれば手術は回避したかったが仕方なかったらしい。中学のころから病状は聞いていて相談に乗っていたが会ったことはなく、今年の4月にたまたま入院して初めてお顔を拝見できた。その時は比較的体調は良かったんだがねー。今はつらいが長い人生、きっといいこともある。

4階病棟に行くと、憂鳥Nsと福鷹Nsの妊婦鳥二人がいた。どちらも4、5ヶ月だという。写真撮らしてと頼むと応じてくれた。これが不思議なんだがだいたいにおいて妊婦さんは素直に撮らせてくれる。出っ張ってもいないスタイルのいい時はなぜか恥ずかしがってイヤイヤするのにお腹が出てくると恥じらいながらもOKだ。特に福鷹Nsは「妊活しているんですけど・・」と聞いていたのでうれしさもひとしおだろう。憂鳥Nsの写真は妹の光鳥NsにLINEで送った。「いい写真ですね」と姉に転送してくれるという。

医局に戻って、12月1月の当直予定表をボードに貼りだした。当直表作成は私が係で事前にみんなの都合を聞いて作る。それでほぼ決定なんだが貼りだして一応みんなの確認を取る。表の片隅に「案です」とその意味を書いておいた。で、それをじっと見ていてふと思いつき小っちゃな(下手くそな)イラストを付け加えた。↓

側にいた医局秘書(医師事務作業補助者)の山の神さんに「これ、何か分かる?」と質問した。彼女はちょっと考えて「山?」と正解を言ってくれた。「ふふ、そう。でも正しくは『山脈』。案ですに山脈、だからアンデス山脈」そう言って煙(けむ)に巻いたのだった。

2017年11月27日月曜日

九州人が方言だと思っていない三大言葉

内視鏡室でハイダアイNsが「先生、生検鉗子をナオしていいですか」と聞いてきたので「ああいいよ」と答えた後、一言注意した。「その『ナオしていい』ってのは鹿児島や九州地方の方言だぞ、『片付けていいですか』が正しい言い方だ」って。もし関東あたりで今の言い方をしたら、相手に「え、この鉗子はどこか壊れているの」と怪訝な顔をされることだろう。

似たようなケースで、カールが鹿児島に来たころ、奉仕作業の時にお偉方に「あ、カールさん、そこをハワいて」と言われ、きょとんとしたという。あとで「ハワいてっていうのは掃いての意味だから」と教えられたという。それにママ友から「ランドセルをカラう」と聞いてピンと来なかったが、ランドセルが出てくるからああ「カラう」ってのは「せおう」の意味なんだなと何となく分かったという。

このナオす、ハワく、カラうは「九州人が方言だと思っていない三大言葉」らしい。指摘されるまでそれが当たり前と思っている。私もナオすは当然のように使っていた。カールに指摘されてから「片付ける」または「かたす」を使うようにしている。

もうだいぶ前だが、萩本の欽ちゃんが40年以上前、鹿児島で公演をしたとき、素人の女の子が「(背中を)かかじる」と言うのを聞いて「え、なに?『かかじる』ってなに?」とかなりのツッコミを入れていた。「かかじる」はお母さんのお汁ではなく「引っ掻く」の意味だ。このほか「きびる」も「紐と紐を結ぶ」の意味だが、カールはどっちも全く意味が分からなかった。どちらも鹿児島だけでなく九州地方全般で使われる。

そんなやりとりを机の反対側で聞いていた千門Drが私にもこんなエピソードありますって教えてくれた。彼は香川医大(現香川大医学部)の出身だが「私が香川にはじめて行った年の夏に級友らに『今日は暑いね。白クマを食べに行くがー』と言ったらみんな目が点になった」そーだ。そりゃ、熊を食べるなんて想像すらつかないことだからネー。

こんなエピソードが各地方にはいっぱいあるだろうから、当初1年持つかと噂されていた読売TVの「ケンミンショー」が10年以上も続くわけだわい。

2017年11月26日日曜日

ネコ、ヒトあれこれ

朝はモリサンチー家のキタローとハッピーちゃんがかわるがわるにうちのロフトにやって来ておねだりをする。それをソファからじっと見つめるゲンちゃん。ほんと最近は大人になって騒ぐこともなく余裕を見せている。(上からキタロー、ハッピー、ゲンちゃん)



ゲンちゃんは夜になると私がソファ寝でグロッキーしていると自分の居場所なのに邪魔だよとばかりに下腹部に乗っかってくる。この時写真を撮られているとは分かっていたが体のだるさで動けなかった。10分近く私に乗っかっていたらしいがそのうちあきらめてどっかへ行っちゃった。うむ、ここは私の勝ち(?)だったぜ。

前にも書いたがゲンちゃんは体重が増えていたのでここ1ヶ月はエサを減らしている。そのおかげで少しは痩せてきているよう。ずっと家ネコで運動不足もあるしストレスもないからエサのやりすぎには要注意だ。それは人間である私にも当てはまり、カールが「少し食事を与え過ぎだった」と反省し、最近は少しだが量が減ってきている。メタボおじさんにはいいことだ・・な。

2017年11月25日土曜日

本の敵

朝から1日休みだ。そこでこの前から懸案だったMacのメジャーアップデートを始めた。OS10の12のSierraから13のHigh Sierraに変更するのだ。こうしたアップデートは何かトラブルがあっても大丈夫なこんな日にするに限る。忙しい平日の夜にやってしまうと以前の環境と違いすぎて困ったり新しい仕様に慣れなくて戸惑ったりしがちだ。

さて、バージョンアップすると小1時間はネットなどパソコンでやることが何もできなくなる。そこで数ページしか読んでいなかった村上春樹の「ノルウェイの森」を読み始めた。この間この小説を話題にすると大学同期の寝太郎先生より「村上春樹を読んでみたがどこがいいのかさっぱりわからない」とのコメントを頂いた。「ノルウェイ、田崎つくる、1Q84など、読んではがっかりし、今度こそはと繰り返し、結局、読まなければ良かったと思っています。あくまでも主観ですが、くどくどした粘着質な描写にうんざり」だと残念がっていた。ほう、ノーベル賞も取るのではと話題に上る作家をこのように評価する向きもあるのか。私は読んでいないのでなんとも言えない。世間の評判どおりなのか寝太郎先生のいうとおりなのか、まずは読んでみましょうぞ。

主人公は37才の男、高校、大学生のころを直子という女性を軸に回想している。高校時代の同級生の直子とは東京へ出てそれぞれの大学に通い付き合ってはいるがそこには自殺したともに友人の男子の影があるようだ。淡々と回想していてこれは作者の体験がもとになっているかと勘ぐった。Wikipediaで調べると作者は神戸から早稲田に入学したとありそのようである。で、読み進めると、74ページで二人のベッドシーンが描かれていた。流れの中で読んでいると特にいやらしい感じではないのだが、改めて文章にしてみればそこいらへんのエロ小説とほとんど変わりないゾ。

僕は彼女にくちづけし、乳房をやわらかく手で包んだ。直子は僕の固くなったペニスを握った。彼女のヴァギナはあたたかく濡れて僕を求めていた。

このあと直子は主人公の前からふつりと姿を消す。主人公は神戸の彼女の実家に手紙を出すがすぐには返事がない。ようやく短い手紙が来たところでバージョンアップが終わって私は本を閉じた。ふむ、まあ読みやすいしこのあと二人はどうなるのだろうという興味も湧く。今のところ可もなく不可もなくまた続きは今度というところか。

で、ネットをまたやり始めてふと思った。前回「ノルウェイ・・」を読んだのは10月半ばで1ヶ月前だった。その時も新幹線に乗っていてネットが出来ないときだった。今回も同様だ。ということはネットをやれば面白いことがいっぱいあるからわざわざこの本を読まなくてもいいということだ。最近、本が売れないわけである。「ノルウェイ」もいずれ読み終えるだろうが、ネットの誘惑を振り切るほどの磁力はなさそうで感想を書くにのはまだまだ先になりそうである。

2017年11月24日金曜日

実はその患者は

昨日が勤労感謝の日の休みで明日が土曜日、そんなこともあってか今日の外来はすごく多かった。カルテがいっぱい並んでいるのでてきぱきと済ませていきたいが、内服処方だけの患者さんだけならまだしも、初診の訳の分からない患者さんが相手だとどうしても時間をくう。できるだけ効率よく診察するために診察→検査の順番を検査→診察と先に検査をやっておくこともしばしばある。看護師の問診の段階でどうしても検査が必要と分かることも多いので先にやっておくのだ。

そんなバタバタ忙しい中、今日で辞める服緑Nsが早々外来に来て私に挨拶した。おいおい、夕方でいいんじゃないのと思ったが、その時間でよかった。終業間際まで彼女と会う機会がほとんどなかったのだ。

10時を過ぎたあたりだったか、ベテランのカッチャンNsが「先生、タクシーから降りられずに冷や汗いっぱいの患者さんがいる。心血管系を先に調べておくべきと思います」と言ってきたので、診察はかなりあとになるはずなのを心筋梗塞を念頭に指示を早めに出した。先に患者さんを診るのが筋だとは分かっているが次から次へと新患が来るので検査優先にした。それに、その患者は昨夜当院を腰背部痛で受診し当直Drが腹部CTなど含めすでにいろいろ検査をし一旦帰宅させていたから、というのもあった。ただ今日は胸が痛むという。心筋梗塞を疑うも、血液検査や心電図でそれを示唆するデータが出てこなかった。うーむ、違うか。元々は脳出血の患者でリハビリによく来ている私よりも若い患者だった。気にしつつも診断を付けぬまま12時を過ぎていった。

その間も看護師らから情報が入って来る。喀痰が多くうまく排出出来ていないと情報もあった。そこでなんか違和感を覚えつつ胸部CTを撮るよう指示を出した。そうこうするうち、9時からずの外来患者もだいぶ減り、残るはその患者とあと1名くらいになり、ようやく私は本腰をいれて診察に入った。そして胸部CTを見て驚愕した。

「胸部大動脈瘤解離」

何と大動脈の直径は9cm(通常の3倍!)ほどにも拡大し大動脈弓から下は裂けているように見える。そりゃ冷や汗かくはずだ。胸も痛いはずだ。だからうまく喀痰排出もできなかんだ。そう、脳出血を起こすということはもともとひどい高血圧があったわけで、ならば大動脈にも負担がかかり動脈瘤を作る可能性は高い。いくら若いとはいえこの危ない病気は十分に考えられたのだった。そうと分かれば青雲会病院では治療は不可ゆえ、さっそく鹿児島市内の病院に治療依頼をかけた。幸い、即答とはいわないがカイリョー病院が受けてくれた。急いで画像データや紹介状、検査結果を集め救急車に乗る看護師に手渡した。すでに14時を過ぎていた。

いやー、やっぱり早めに診察すべきだったかな。カッチャンNsが早く連絡してくれたは良かったが、自分も診ていれば早く治療開始できていたかも。ま、来院後はすこし落ちついていて致命的な状態にならずにいたのが幸いだった。このいきさつを知らないホントだ外来師長が「さすが先生、そんな患者を診断して専門病院に早々と送ったんですか」と感心してくれたが、早々じゃないしたまたま幸運だっただけだ。これで良かった良かったで済ませてはいけない。そう肝に銘じたことだった(‾□‾;)。

2017年11月23日木曜日

保険代

例のフロントガラス破損をトヨタにみてもらうために家の駐車場に向かうと、モリサンチーのネコ、キタローがのっしのっしとやって来た。こいつ、隣の家ネコなのにまるで我が家だとばかりの表情を見せる。「なんだおめー、ここはおれっちの縄張りだぞ」とでも言いたそう。
そしてカールがエサをあげ、そばからゲンちゃんも様子をうかがっていた。ま、半分我が家といってもいいかもね、キタロー。

トヨタに着くとしばし待って下さいとのこと。30分以上は待ったかな。整備員がやって来て「結論からいいますと、全面ガラス張り替えが必要です。見積もりで20万ほどかかります」って言われた。がびーん。小さな小さな傷だけどガラスの中程まで深くヒビがはいっておりこのままだといろんな衝撃で広がる可能性があるんだとか。全面張り替えするしかないなんて・・。よっぽどヒビが広がるまで走り続けようかって思った。「しばらく考えさせて」と言い残して帰宅した。

カールは「まだこれから何年も乗るし高速も使うのだからちゃんと張り替えるしかないんじゃない。今まで保険に入ってなくて得していたんだと思えば」と20万出しての修理を受け入れましょうとのこと。そうか仕方ないか。

で、今日は11時から久しぶりに見せたまえ雀荘で麻雀の約束があり、また出かけた。途中、サブアラドDrから電話が入った。その時、私はフロントガラスの一件をぐちった。「ああ、私も同じケースに遭って保険入ってなかったから結構修理代高く付いたよ。それは仕方ないんじゃない」と自分の経験を語ってくれた。「やっぱりそうよねえ。そうだ、これからお金もかかるんで、少しでも足しになるよう今日の麻雀は頑張りますわ」というと「なに、返り討ちにしちゃるぞ」だってさ。

結果、出だし私は満貫、満貫と修理代稼ぎがうまくいくかに思えた。しかし好事魔多し。ラス前に親で決定打を出すべくリーチしたところ、見せたまえDrの逆襲リーチに放銃しトップ逆転を喰らった。これが今日の麻雀を象徴していた。ここから見せたまえの超絶好調の波に呑まれ、後半ずるずる沈みだし、久しぶりの大負けとなった。

帰り際、私は苦笑いし「修理代どころか、負け代もないくらい・・・そうだ、麻雀にも保険ってないのかな」全く惨めなつぶやきをするだけだった。トホホ。

2017年11月22日水曜日

大腸癌の天下

インフルエンザワクチンが足りない。青雲会病院はいつもなら11月になれば週1集まってもらい地域住民のために接種をするのだが150名分しかなく、予約制にして今日の午後初めての接種をした。私は問診と許可サイン係でせっせと質問、サインを繰り返した。みんなの関心は高く予約していたうち来なかったのはたったの1人だけだったそーな。このあと職員の接種もあって私の右腕はフル回転。いつも達筆なこてるのサインがますます達筆になりもはや本当にドクターの字なのか判別不能なくらいに。しかし私はちゃんと問診はチェックしているのよ。特に男子職員はいい加減に「はい」「いいえ」のところに〇を付けているケースがあって、「あなたは妊娠していますか?」の問いに「いいえ」に〇をしているやつや、子どもの場合にのみ問いかけしているのに〇を付けているケースが結構あった。注意すると「勢いで(〇を)つけてしまって」などと言い訳しよったわ。こら、接種不可にしちゃるぞい。

接種には1時間以上かかり、この後は外来業務を夕方までしていた。終業間近、ムッちゃんNsが内視鏡が終わって来て、「センセ、また見つかったんですよ、大腸癌」という。ここ数ヶ月、大腸癌が見つかる患者がとにかく多い。10月初めから今日までこれで10名という多さだ。で、彼女がわざわざ言いに来たのはその患者が30才前半だったからで、今年に入って一番の若い大腸癌患者かもしれない。確かに若すぎるが8月以降40才前後の大腸癌患者がぱっと思いつくだけで7、8人もいる。若くても大腸癌というケースが増えて来ている。早期癌の人が多いものの発見時進行癌の人も数人いる。便潜血陽性で見つかる人は早期癌が明らかに多いので30才過ぎたらぜひ検便検査を受けることをお勧めする。これに対し胃癌はこの2ヶ月で1人か2人くらいかな。かつて癌と言えば胃癌だった時代はとうに過ぎた。肺癌が確か一番多いと聞くが消化器癌では大腸癌の天下だ。大腸癌は癌が発生しても進行がやや緩やかで助かるケースが多い。嫌がらず、怖がらず、検便か可能なら大腸内視鏡を受けて欲しい。検査を受けた人はみんなすっきりしたお顔で帰って行くヨ。ぜひ!

2017年11月21日火曜日

フロントガラス破損

朝、出勤前に車に乗ってフロントガラスの異常に気がついた。なんと、1cmほどの傷が出来ていたのだ。え、どうして?何かモノが落ちたのか。ううむ、家の駐車場でこんな傷が付くはずがない。
そういえば・・昨日の夜帰宅途中、何かバキッと異音がしたのを覚えている。その時はビートルズを大きな音で流していてオーディオがらみの音かと思いそのままやり過ごした。でも考えるにこれは飛び石がフロントガラスに当たって出来た傷と考えるのが妥当だろう。特に運転走行には問題ないがこれは一度トヨタに相談せねば。

実は私は車両保険に加入していない。もし全面修理となれば15万から20万はすると、夜のボウリング練習が終わってアンドキサMRから聞かされた。彼はスバル車に乗っていて「最近のフロントガラスにはスバルのアイサイトのようにセンサーがあったりアンテナ回線があるから高いんですよ。私は保険が出たからよかったですけど」という。私やカールは車両保険は損という感覚がありこれまで一度も加入したことはない。今回のがアンドキサ君並みの支出なら入っておけばとなるが、果たして・・。

2017年11月20日月曜日

クヌッセン機関長、エルトゥールル号、栄進丸

毎月大塚製薬から送られてくる「大塚薬報」の特集にクヌッセン機関長が取り上げられていた。クヌッセン機関長・・初耳だ。荒れ狂う紀伊水道で火災を起こした日本の船の乗組員を助けようしたが殉難したデンマーク人でその後日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られているんだそうだ。和歌山県日高町にはヨハネス・クヌッセン機関長の勇気にあふれた行動を称え日ノ岬パークに「クヌッセンの丘」と名付けられた一角があり、そこに彼の顕彰碑と胸像が建てられており、毎年2月には、ヨハネス・クヌッセン遺徳顕彰会による慰霊献花が行われているという。以下顕彰文。

「1957年(昭和32年)2月10日午後9時40分頃、名古屋から神戸へ向け航行中のデンマーク国マースクライン会社所属エレン・マースク号が、和歌山県日高郡美浜町日の岬灯台の北北西5マイルの海上で、徳島県海部郡海南町船磯庚一さん所有の機帆船「高砂丸」が火災を起こしているのを発見した。
エレン・マースク号は、ただちに接近して救命艇をおろし高砂丸の乗組員3人の中、ただ一人の生存者を救助したが極度の疲労のため縄ばしごで本船に乗り移るさい力つきて舷側から転落した。
これを見たマースク号の機関長として初航海に従事していたヨハネス・クヌッセン氏(39才)は身の危険をかえりみず暗夜の激流の中に飛び込んだ。たまたま同夜は風速20メートルの北西の季節風が吹き山のような大波が荒れ狂っていた。
クヌッセン氏の尊い犠牲的な行為も闇夜しかも凍てつく激浪の中如何ともしがたく無念、船員と運命をともにしたのである。
クヌッセン氏は、翌11日早朝日高郡日高町田杭海岸で水死体となって発見され、この救命艇も氏の遺体からほど遠くない場所に漂着したのである。私たちはクヌッセン氏の国境を超えた深い人類愛に燃え身命を賭して救助に立ち向かった勇猛果敢な行為を広く顕彰するためこの救命艇をここに保存し遺徳を後世に伝えるものである。」


大塚薬報ではマースク号の船員らが「危ないから」と言う間もなくクヌッセンは飛び込んだという証言や後に彼の兄が日本にやって来て弟が日本の人に顕彰され胸像や碑まで建てられていることに感激したということも触れられていた。クヌッセンのエピソードはその後地元に人にずっと語り継がれるだけでなく教科書の副読本にも載るなど日本人にもよく知られるようになった。たまたま私は習わずこれまできていた。

同じ紀伊水道では有名なトルコ(当時はオスマン帝国)の1890年のエルトゥールル号遭難事件がある。こっちはもっとすごくて500名以上の遭難者を出すも69名が助かりその際に地域住民が救助にあたり日本政府も尽力した。これでトルコの人たちは日本に親近感を抱きその後日露戦争で日本が勝利するとロシアによる圧迫を受けていた住民は東の小国日本の快挙に熱狂したと伝えられている。それが巡り巡ってイラン・イラク戦争の際に生きる。在イラン邦人がイランから脱出できない状況に陥っていて、野村豊イラン駐在特命全権大使がトルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、飛行機を派遣し215名の日本人全員がトルコ経由で脱出出来たのであった。私もその時に初めてそのエピソードを知った。

国は違えども災難に陥った外国の人を身の危険があろうとも助けようとする。私はクヌッセンのエピソードを思いつつ、すこし目頭が熱くなっていた。人類愛に満ちた崇高な行為に感激した・・からではない。もう一つ、紀伊半島沖で起きた名もなき海難事故のことを思い出していたからだ。この付近は昔から海難事故の多いところなのだ。それは1965年(昭和40年)10月中旬のこと、鹿児島の栄進丸というごく普通の貨物船が大しけの中で荷崩れを起こし転覆し船長以下5人は荒れる海の中に投げ出された。デンコー船長は崩れ落ちた材木に右脚を骨折しイチオジ機関長も材木に掴まり助けを待った。たまたま通りかかった別の日本の貨物船に運良く発見され全員救助されたが栄進丸は沈没した。夕方6時台のローカルニュースでこの事故が報道されたのを小学校入学前だった私は覚えている。

もしこの時に投げ出された船員たちが助かっていなければ・・おそらくは今の私はないだろう。私の運命を変えた海難事故だったのだ。父デンコーが一命をとりとめたのは最大の幸運で、栄進丸がなくなったのもある意味運が向いた。「もう、陸(おか)の仕事をせい」と祖父デンシローが船舶保険で割烹旅館を買わせ小学校から鹿児島市内に出てくることになったのだ。家にいないことの多かったデンコーは毎日家(旅館)にいるようになり私はまじめに勉強する習慣がついた。あのまま南薩の田舎でゆる〜く育っていたらこの道に進みたくとも出来なかったに違いない。

命からがらの事故は国や人のその後をも変えるものなのである。

2017年11月19日日曜日

ゆるキャラブームもそろそろ

投票でご当地キャラクター日本一を決めるゆるキャラグランプリが18 、19の両日、三重県桑名市で開かれ、千葉県成田市のウナギと成田空港にちなんだ「うなりくん」が今年のグランプリに選ばれたとのニュースがあった。うなりくん?へー、全然知らんわ。実は日本一になるために成田市が必死になってキャンペーンを施し念願の1位になったようで、この間グラビアで話題にした週刊現代11/4号の69ページに10月17日時点での様子が出ていた。

「得票数をかさ上げするために、成田市が市職員に対し、一人で大量のメルアドを取得させ、何票もの投票を行わせているのです(成田市職員)」との発言もあり、そこまでするかという意見にはルール違反ではないと悪びれる様子はない。そこまでこだわるのは第2回ゆるキャラグランプリで一躍有名になったくまモンのもたらした熊本県への経済効果が2年間で1244億円にもなったという事例があり、「うなりくんが市のキャラクターとして知名度を上げ大活躍するためにもグランプリで1位を獲ることがぜひとも必要(成田市観光プロモーション課)」「ゆるキャラの笑顔の裏には、まったくゆるくない大人の事情があった」(週刊現代11/4号)

別の報道記事によると、うなりくんは10月30日まで暫定1位だったが、翌31日に愛知県知立市の「ちりゅっぴ」に追い抜かれたという。今回はこの2体が3位以下を大きく引き離し事実上のマッチレースだった。そこで「2位じゃダメなんですか? ダメなんです!」とネット投票期間の“ラストサンデー”となった11月5日、成田市内のショッピングセンターで開かれた防災関係のイベントであいさつに立った小泉一成市長は、うなりくんへの投票を来場者に呼びかけ、会場には「必勝」の鉢巻きを締めたうなりくんも駆けつけた。
今回の“出馬”に向けて市は9月に「選挙対策本部」を立ち上げ、小泉市長が本部長に就任。市長自ら企業回りやイベントの場でアピールを積み重ねるなど、必勝態勢を敷いたんだそうだ。いやはや。

ところで、このゆるキャラグランプリイベントは再来年の東京オリンピックの年には終了の予定との情報もある。ま、それも当然だろう。ちなみに歴代のチャンピオンたちを列挙すると、第1回2010年「ひこにゃん」、11年「くまモン」、12年「バリィさん」、13年「さのまる」、14年「ぐんまちゃん」、15年「出世大名家康くん」、16年「しんじょう君」、そして今年の「うなりくん」、私は2年前に鹿児島にゆるキャラが集まってカールと見に行った時に「さのまる」を見て知っているが14年以降のキャラは知らない。全部知っているとしたらそれは相当なオタクだけだろう。

あるエンタメ誌ライターはこう語る。「非公認とはいえ、年収7億円ともいわれたふなっしーの凋落が象徴するように、ゆるキャラは完全に飽きられました。一時は地方自治体でも人気キャラクターを作ることが町おこしの一番の近道とも言われましたが、庶民をゆる~く楽しませるためのものが、いつの間にか職員の組織票やゴリ押しが取り沙汰されたり、さらに各業界でもキャラクターの乱立が起こり、世間が食傷気味になってしまったんですね。結局、ほとんどが淘汰され、国民も『ゆるキャラは“くまモン”だけでいいのでは?』という気持ちになったことは否めません」確かにねえ。ここ数年の受賞史を振り返るだけで、いまやオワコンと言われるのも確かにうなずける。

一般のヤフーコメントで「あからさまな組織票で決まるようになったら芸能人もゆるキャラも終わりだと思う」「ゆるキャラの役目は終わったよね。ご苦労さまでした」とい言われており、特に反論する気は起こらない。ま、地方自治体ってこの手のブームによく乗っかかる。今から3、40年前には「ミニ独立国」ブームがあった。岩手の「吉里吉里国」あたりから盛り上がり、各地でミニ独立国の建国が相次ぐミニ独立国ブームが起こり、最盛期には200カ国を数えTVにも紹介されるなどした。で、どうなったかというとWikipediaによれば「しかし、乱立によりインパクトが無くなったこと、後発国の無計画性などで飽きられ、ブームは沈静化した」んだそうだ。あは、今回のゆるキャラブームも同じ末路を歩むのはほぼ間違いない。ただ、エンタメ誌ライターが書いているように、少なくともくまモンだけは残るだろう。造形の出来の良さに加え、県の管理がしっかりしているし、熊本地震でもそのキャラが県民に潤いを与えていた。ゆるキャラはこうでなくちゃいけないナ。

2017年11月18日土曜日

セントラル先輩後輩Dr近況

今日は土曜だが午前中外来だった。ところがシマッチ院長が午後居残り日直担当なのをうっかりしていて私が代理で担当することに。悪いと思ったのか来週水曜の私の当直を代わりにしてくれるとのこと、そっちの方が有り難い。

17時半までの5時間くらいの日直時間ですんなり終わることも多いけど、今日は濃かった。救急車は3台、しかも17時を過ぎて外傷と高齢者肺炎が同時に来るという。その前にはよくある釣り針が指に刺さって取れない患者も来ていた。「月に1人は来るかな」とつぶやくと「いえ、2、3人は来ます」とベテランのカッコちゃんNsが言う。麻酔が効くまではその中年釣り人はビビっていたけど、手順通りにぐいっと針を突き破らせペンチで切りハイお終い。「え、もう終わったんですか」だって。

17時半前に救急車2台入り、私は肺炎の患者を診た。もう一人は左の大腿部をノコでざっくり切られていて17時半から来る院外外科Drに任せた。さすがに二人同時には単独Drでは無理で内科と外科でそれぞれ対応出来てよかった。でも指示出しに1時間ほどかかり帰宅出来たのは19時前だった。

実は19時から年1あるセントラル高のドクター会に出る予定があった。で、20分遅れでカールに天文館のイタリアンレストラン「NOVI」におくってもらった。参加者は20名ほどでだいたい顔ぶれは決まっている。1期生のそろそろ古希を迎える産科のクララ女史が対面で久しぶりにお話を聞いた。かつて五つ子の担当もして今は民間の産科病院で昼間だけの出産にあたっているとか。私が「五つ子はセントラル高の1年生の時でした」というと、隣には「私、五つ子と同じ年の生まれです」と40才過ぎの超せち代女医がいてさらに「子どもはクララ先生に取り上げてもらいました」だと。いやはや、歴史を感じるわ。

全員とは会話できなくともみんなのスピーチを聞くだけでも近況、体調、趣味など分かり面白かった。60才代後半のマンシDrは透析スタッフ長をしているころ早朝高血圧に悩まされていたが今はやや楽な仕事になっていつのまにか高血圧は改善して「みなさんもストレスには注意が必要ですよ」と有難い忠告をしてくれた。幹事の浜ふとDrはここ数年は登山で今年は北八ヶ岳に登り、途中歩荷(ぼっか)を初めて見てあんなに大きなのを背負って山小屋まで運ぶのかと感心したとか。モンデンDrは京都の東福寺につい最近行ったが有名な紅葉にはちと早かったと残念がっていた。小児科のドツボDrはインフルエンザワクチンが手に入らず予約もしているのに困ったとつぶやき、永良Drは医師というより会社経営がメインで陽子線治療を行っているも「日本は厚労省の指導で200万円でやっているがアメリカは2千万、中国ですら4、500万だ。200万では月50人やっていても赤字になる」と嘆いていた。陽子線は固形癌に非常に有効で「ぜひ患者さんの紹介を」とミニパンフを皆に配っていた。上乗りDrとは2内科出身だしよく顔を合わすが「先生がブログをやっているのを知ってびっくりしました」と挨拶に来た。彼は吉野地区で開業しておりプーさん病院のてげてげ院長の雑感で知ったそうだ。ほう、こてる日記もいろいろなパターンで知られているな。(調べると2017/10/31の雑感に私の10/4の日記「ユー ダマス ナリ」がそのまま取り上げられていた。
http://www.nanpuh.or.jp/ones-impressions/ones-impressions-171031.html

2時間ほどであっという間に会は終わり、私はまだ風邪とその後の気管支炎が治りきっておらず次会に行くことなくタクシーで帰宅したのだった。

2017年11月17日金曜日

お目出たさん

昨夜は疲れてそのまま床寝し、目覚めて午前2時半頃からゴソゴソしだした。で、天鳳を打ったらこれが3連続ラスで1800ポイントから一気に1400台へ逆戻りした。なんてついていない、と最初はそう思った。しかし見直すと1局目親のダブ東、中ポンの手に最大に警戒しないといけないところ、まだ序盤だ大丈夫だろうと安易に牌を切ったのがいけなかった。6巡目だろうがすでに終盤親リーチと同等の危険な状況だったのだ。相手をリーチだと思えばやすやすと切る牌ではなかった。要するに打ち方が甘いのだ。こんなことでは七段昇段はまだ遠い。

さて、タナカッツMRからドクターズボウリング大会について、泣かん薗Dr夫妻が都合で不参加とのニュースを知らされた。この瞬間、私は大会の延期を決めた。10名以下になり大会ならぬ小会になってしまう。今年は7月に1回行っているのでまあいいだろう。もう少ししたらいい時期が来ると思う。でも中止で心の負担が軽くなったことは確かだ。幹事は準備、進行などいろいろ大変やからな。

病棟外来あちこち動き回っていると栄養科の長かよNsにばったり出くわした。見れば下腹部がぽっこり。
お目出ただったとは全く知らず「大きくなってるねえ。もうそろそろ?」と尋ねると「(出産で)休みに入ります」時期なんだって。2番目か3番目かは聞きそびれたが旦那の長政薬剤師も楽しみやろねえ。院内には看護師、リハビリスタッフとお目出たさんが何人もいる。妊活をしていた福鷹Ns、今年結婚したばかりの憂鳥Ns、リハビリの双子の片割れのミズマホさん、去年出産したばかりの相恵まれるNs、一昨年出産のハイダアイNsなどなど。みんないずれ帰ってきて欲しいが子どもも増えると必ずしもそうはいかない。病院人事も大変。ムラムラ看護部長の気苦労が忍ばれるのであった。

2017年11月16日木曜日

ダブルス2連敗

この前から何度もチャレンジしている胃石患者の最終内視鏡を行った。2個のうち残り1個が半分ほどまだ残っているのだ。大きめのスネアの輪っかが胃石を挟み込む。そこに把持鉗子でかじっていくと胃石がどんどん分解されていく。何回目かにしてようやくスムーズに摘出作業が進んだ。それでも約1時間は要した。1個目は約3時間、2個目めは3回合計約5時間かかった。全部で8時間ってあなた、並の手術よりも時間を掛けているじゃない。実際、最初から手術で摘出していれば入院も長くはならずにすんだだろう。ただ、切開されずに済んで患者さんは感謝しているようだった。お互いにお疲れ様でした。

夜は国分スターレーンで久々の練習だった。サンシさんにアンドキサ、エリック両MRの4人で、最初はシングルで投げアベレージを出し、1位と4位のチーム(サンシ、アンドキサ)、2位と3位のチーム(こてる、エリック)でスカッチダブルスを2ゲームした。これがなんと私たちはサンシ・アンドキサチームに2連敗してしまった。アンドキサ君はたまにストライクを出すがそれがことごとくサンシさんとのダブルになり2ゲームとも200アップした。私たちも2ゲーム目など186点出してダブルスにしてはそこそこのスコアだったんだけどねえ。200アップはないよ。結局ジュースのおごりを2本提供する羽目になった。

このスカッチダブルスのフォーマットを今月末予定のドクターズボウリング大会に持ち込もうと目論んでいるのだが、今回は少し参加者が少ない。すでにヤマヒロDrがキャンセル連絡あり、もし直前キャンセルが出たら・・と危惧していたが、悪い予感は翌日当たることになるのだった。

2017年11月15日水曜日

背後にラブカメ

今日は午後から早帰りだった。途中、2階の人間ドック室に寄り、「現代かポストあるかなぁ」と用済みの週刊誌がないか始末箱をあさった。1冊だけ週刊現代11/4号があり手に取った。「これ、もらうねー」といつものように持ち帰ろうとすると、ちょうどラブカメ先生も来ていて「ほほうそれ、こてる先生はどんなのを読むんですか」と質問してきた。「あ、連載記事とかですね、あとほら麻雀や囲碁のクイズ問題があるんで」と麻雀の何切る?問題を見せた。

私は何切る問題はしょっちゅうやっているのでたいてい正解を出せる。この問題は七対子一向聴でドラの3ピンを持って来れば一番うれしいがそこに暗刻となる3萬を持って来たがどうする?ってことで私は「4ピン切りでしょう」と言うと、ラブカメ先生は「ううん、七対子もあるからねー」とすぐには納得しない様子だ。ならばと解答とみる。

あはは、やっぱり私の解答が正解だった。役はつかないが打4ピンでドラを使えるし面前であればリーチで上がれる。条件にある親ならばそうすべきだ。これがオーラス付近でビリの子ならば七対子ドラドラに決めて逆転を狙い3萬ツモ切りが正解だろう。これを聞いて「私はこてる先生とは麻雀はしないわ」とにこにこしながら部屋を出て行った。ふう。

で、この様子を見ていたイワナ室長のところに寄り、頭かきながら「いやー、あせったよ。ホントは最後のグラビアのところも見たいんだよねぇ」とパラパラと袋とじの付近を見せて笑っていると、「おお、いいものを見てますねえ」げっ!背後にまたしてもラブカメ先生。

結局、熊田曜子だの日本一美しいタクシードライバーだの胸を出したりケツを出したりの写真のところをいっしょに見る羽目になった。袋とじが開けられていなかったのだけはよかったわ。とほほ。↓は自宅で袋とじを開ける瞬間。開けてもたいていはがっかりなんだけどね。

2017年11月14日火曜日

アサリンNs登場

この前ちょいと話題にしこのブログの読者だという30才代の看護師アサリンNsが昨日から青雲会病院に入職した。今日は胃カメラ、大腸内視鏡などにも付き、ここのやり方をスタッフから教えてもらっていた。

夕方、彼女に話を聞くと、2年ほど前から「こてる日記」を読み始め、なんとそれがきっかけで青雲会病院で働きたいと思ったんだと。「内視鏡 鹿児島 ブログ」などと入力し偶然こてる日記を見つけたそうだ。へーーーえ!今まで私のブログを読んでますという人はいたがそれでここに働きに来た人はいなかった。いやー、ブログも書くもんだねえ。「だから、スタッフの名前を見てすぐに、あ、あの人だとだいたい分かります」だって。ムッちゃんNs、服緑Nsなど本名を見てすぐにピンと来たそうだ。ならばと彼女の名前をさっそくアサリンにした。知っている人ならすぐにピンと来るかも。

アサリンNsは霧島市のはらみクリニックで内視鏡の仕事をやっていて今年内視鏡技師試験に合格したそうで今年同じく佳及Nsも合格したが受験番号がかなり近かったと分かった。会場できっと顔を合わせていただろうね。↓はたまたま内視鏡室で偶然に二人が写った写真。
彼女は近々退職する服緑Nsの代わりにきっと活躍してくれよう。私は・・ブログに麻雀ばかりでなく内視鏡関連のことももっと書かなきゃ!

2017年11月13日月曜日

ドクヘリDr小林誠人

NHKのプロフェッショナルは日本一のドクターヘリ出動数を誇る医師「小林誠人(こばやしまこと)」が特集だった。

小林Drは兵庫県豊岡市にある但馬救命救急センターのトップを務め、救急医歴20年、まだ48才の若さだ。豊岡市って地図でみれば兵庫とは言っても日本海に面しあとは山ばかりの地域で、市外も含め半径80キロ圏内、東京をはるかに凌ぐ広域をヘリでカバーしている。小林Drは単に救急患者を診るだけでなく地域の救急システムから構築していったのがすごい。今では有名になったキーワード方式は鹿児島でも使われ迅速な出動に役だっている。中には結局はドクヘリの必要はなかったケースも5回に1回はあるがそれは織り込み済みで、不要例を0にしてしまうと本当に必要だった患者を呼ばなかったとか遅れて助けられなかったというケースがしばしば起こってしまう。数字でいえば彼がセンター長になって8年、重症外傷患者救命率が5倍になったという。

青雲会病院でもドクヘリで運ばれてきた患者を診ることがある。中には救急車の方が早かったのではと思うケースもあるが、さっきのキーワードに反応して行動する方がトータルでは助けられる命が多くなるだろう。

後半にドキュメントされたケースは高齢女性が呼びかけてもほとんど反応がないとのことでヘリが出動し、小林Drらが現場に向かったところ、素早く診察しショック(精神的ショックの意味ではない)を起こしているのは分かるが原因はまだ推測できないというものだった。病院到着後腹部CTで原因が分かった。総胆管に結石が詰まって起きる急性閉塞性化膿性胆管炎(AOSC)だった。で、小林Drは「すぐに手術をする」と言う。あれ?と思った。手術より内視鏡(ERCP)が優先じゃないのと思った。内視鏡で総胆管の出口を切開もしくは拡張し汚い胆汁を排出させれば劇的に改善するはず。その時に結石も取ればなおいい。番組ではそこは詳しく触れていなかったが、「胃が全摘」との発言があり納得した。実は胃が全部取られ十二指腸が再建されると、とたんに内視鏡は難しくなる。なるほどこの場合はすぐに手術して総胆管を切開し胆汁を排出した方がいい。画面ではプシュっと排出される感染胆汁が出てきて非常にリアルだった。番組最後で助かった高齢女性が食事を摂る様子も出ていた。そこまで見せてくれないと視聴者は落ち着かない。

ドクターヘリって全国どこでもあって何百機も飛んでいると思いきや、確か49機ほどでまど導入されていない都道府県も結構ある。鹿児島のような地域は利用価値が高いが東京都内(小笠原諸島は除く)はおそらく最後まで導入されないだろう。ただし、私も姶良で救急医療に携わっているが、ごめんドクターヘリには乗りたくない。怖いんだよ、ヘリが。ヘリって落ちるでしょ。毎年いや毎月のようにどこかで落ちて誰かが死んでいる。それを年に1900回ほどってあんた、ダメダメ、私にはとうてい出来ない。小林Dr、真に尊敬するわ。

2017年11月12日日曜日

絶望の淵からの大逆転

日曜は朝から夕方まで当番医日直だった。当番医は忙しいが二人Dr体制で検査技師、放射線技師も来るし、院外薬局も開いているので通常の外来担当とそう変わりはない。

病院についてすぐ、初っぱなからCPAが来るとの連絡を受けた。CPAとはCardio Pulmonary Arrestの略で、心肺機能停止した患者のことを意味する。要するに心肺蘇生を即実施しないといけないということだ。患者は施設入所の高齢女性で運ばれすぐに気管挿管、胸骨圧迫(心臓マッサージ)、強心剤注を矢継ぎ早に蘇生を試みたがまったく反応なく1時間もしないうちに死亡宣告せざるをえなかった。

次、未明にトイレで意識消失し救急来院するも一過性の血圧低下でしょうと一旦帰された患者が今度は黒色便で再来院した。スマホで撮られた写真をみてこれは本物とピンと来た私はオンコールの服緑Nsを呼んで緊急内視鏡を準備させた。胃カメラ入れて見れば今時こんな典型的なのはないというくらいの出血性胃潰瘍だった。止血剤注射と止血クリップで処置して入院だ。聞けば潰瘍や癌を減らすピロリ菌除菌療法は受けたことはないという。かつてはこのパターンの胃潰瘍は多かったが10年以上ピロリ菌を私は殺しまくっているのでとんと見なくなっていた。こうなるまでに検診や定期的に胃カメラ受けていたらこんな目には遭わなかったはずで、夏目漱石も今の時代だったら胃潰瘍で亡くなることはなかったろう。

昨日から当直を続けてやっているカワゼンDrは昼過ぎには疲労困憊となり仮眠をしてしばらく起き上がれなかったらしい。ふむ、ここは私がしばらく頑張らねばー。左親指根元を切った患者さんは私が縫った。これくらいなら任しときぃ。夕方17時半まで、何やかにやで二人で27名患者を診た。

帰宅後、夕食摂ってしばし仮眠。22時ごろ天鳳を始めたところ、ボロボロのサンドバッグ状態になりオーラスを迎えたところでたったの箱飛び寸前の300点。リーチも掛けられず、3位とも1万6千800点差あり満貫直撃でもラス脱出できない絶望的な状況で、手牌は6種6牌の断ヤオ、国士どっちつかずの悪配牌だった。第1ツモが9索で7種7牌になったため私は国士に走った。みんなもたまにする打法だが100回中1回も成功しないパターンだ。ただこうするしかラス脱出はまず出来ない。

6巡目には9種10牌となり、こうなると少し可能性が出てきた。7巡目には3枚目の中が出てすこしやばい。4枚目が切られればその時点で終わり。しかし8巡目に中を持って来て二向聴となり希望が湧いた。だが10巡目、ダントツのトップ目の親がリーチときた。やっぱりね。でも失うものは何もない私は無筋の中張牌を切る。11巡目1索を持って来てついに一向聴。残るは発と白。発はすでに場に3枚だ。ここで切られればやはり終了となる。どうか発よ出ないでくれ。そして14巡目、とうとう持って来たよ、発。ついに聴牌で待ちは白。残り2枚あり、私はここで上がれると確信があった。誰からでもいい、どうせならトップ目なのにリーチしている親が振れと念じた。すると・・次巡、あっさり自ら白をツモって、ジャーン!の効果音、国士無双の上がりで3万2千点プラスリーチ棒で一気に2位に浮上、終了となった。ふわぁ〜、やったよ、こんな土壇場からの逆転は長い麻雀人生でも滅多にない。(↓は上がった瞬間をデジカメ撮影。この後ツモボタンをクリックした)

するとだ、またしても開けたいゾMRからメールが来た。「またまた見てました。あそこで「白」感動でした」あはは、そうだろうて。「あそこは国士しかないですが普通上がれません」との感想でごもっとも。上がった私自身が驚いているくらいだから。いつも思うが実生活ではこんな劇的、ドラマチックなシーンにはほとんど出くわさない。麻雀にはちょくちょくそれがあり、これがいつまで経っても麻雀を止められないワケなんだよなぁ。(最近、麻雀ネタばっかしやぁ)

2017年11月11日土曜日

満貫をわざと見逃す

昨日、パソコンを病院から取り戻して帰る時の高速道路でスマホに電話が来た。こんな時間に電話が来るとすれば・・案の定、サブアラドDrからだった。Bluetooth使っての会話でまずは私から言葉を発した。

「七段昇段おめでとうございます」「あ、いやー、つい今さっき昇段しやした」

サブアラド六段が近々昇段間近だというのはネットで把握していたのだ。パソコンを忘れさえしなければ自宅できっと観戦していたはずだった。昇段戦は早々得点を伸ばし後は「下々(打ち手の)の点のやりとりを見ているだけだった。私の昇段がかかっているとは知らなかっただろうて。ハハ」だって。「これで鳳凰卓でまた打てるのが楽しみだ」と強者たちとの対戦を厭わない彼らしい発言だ。私はデルバラドの名ですでに七段だが、もう一つのアカウント「こてる」を育てることに専念して現在六段。昇段ポイントまでもう少しかかるところにいる。「早くおいで」と電話の向こうで先に余裕をかまされてしまったよ。

今日の夜、私も天鳳をやる。南3局時点で39100点の2位。そこにトップ目からリーチが掛かった。点差は4500点。一発でつかんだのが4ピン。危ない。しかし私の手には567ピンがあり場に5ピンが2枚あり7ピンと入れ替えればやや安全か。いつもなら必ずそう打つ。しかしリーチ直前に私が切った1ピンに下家のトップ目は反応がなかったことで魔が差した。4ピンの方を切ったらリーチのみの手に当たってしまった。がぁ。

オーラス、まだ2位とはいえトップとは12000点差となり逆転トップは遠のいた。満貫ツモでも逆転出来ずハネマンツモか満貫直撃しかない。すると5巡目あっという間に聴牌った。ただそれがピンフのみ千点の手。上がれば2位確定でそれでもポイントは入るからいいのだがさっきのミスが悔しくて逆転を狙った。六萬を持って来れば三萬と入れ替え一気通貫の役が付き一気に満貫手になる。7巡目10巡目とトップ目から当たり牌が出るがこれを見逃す。14巡目待望の六萬を持って来て三萬と入れ替えここでリーチ!これをダンラスの親がポンして断ヤオのみの手を聴牌した。そして16巡目に当たり牌を出した。満貫だがこれも私は見逃した。ここで上がったらさっきまでの見逃しの意味がない。ちなみにリアル麻雀なら上がる。ドボンも付くし2位でもそこそこの収入があるからだ。結局この局は流れ、オーラスが続いた。

次局、私は逆転できたのか?いや、実は粘る親に7700点を放銃してしまったのだ。トホホ。だからさっき上がっておけば・・もしこの麻雀を観戦している人がいればそう思ったに違いない。私もそう思いかけた。でも、この時点で持ち点25800のまだ2位。トップとは17000点も開いたけどまだ少し余裕はある。すると、流局の次、粘る親に早く終わらせようとトップ目が動いて3巡目に早くも中ポンの聴牌。本来なら簡単に終わるはずがまたしても親がねばり、断ヤオ手で鳴く。安手かと思いきやこれがドラ3の親マン手。ここにトップ目が痛恨の放銃。オオ!これでトップ目とたったの500点差。2600点以上を上がればトップになれる!この状況を待っていたゾ。

最終局、私は4巡目に待ちはペン7ピンでドラ1の手をリーチした。この局面上がれば何でもトップなのだ。するとここまでおとなしかった上家もリーチ。げ、ここで上家に振ってしまえばラスに転落だ。実は開けたいゾMRがこの半荘を観戦していたんだそうだ。上がりを見逃す私に呆れ、最後の最後追いかけリーチ(待ちは2ー5索)にラス転落の匂いも感じたそうだ。だが結局、上家が7ピンを持って来て私に放銃。目論み通り私がトップになって終わった。いや〜安全に2位になれたのに危険を冒してトップを取れた。こんな風には滅多に打たない。南3局の自分のミスに腹を立てトップを取るしか気持ちが収まらなかったからだ。

数分して開けたいゾMRから「見てました。すごい逆転勝ちでした」とメールが届いた。そうか、見ていてくれたのか。そういう開けたいゾ君も「おおばば六段」でまた鳳凰卓復帰を目指しちょくちょく打っている。ネット世界でいい年したおっちゃん連中がたかが遊戯によくもまあやりあっていることよ。

2017年11月10日金曜日

パソコンを忘れる

午後の15時過ぎから例の胃石患者の2個目の石取りを始めた。前回は3時間で1個を砕いて摘出したが今度はやや大きくスネアがうまく掛からず難渋した。EHL(電気水圧衝撃波結石破砕術)は表面破砕は出来るが直径7×5cmくらいの胃石を壊すにはか弱すぎる。何mもの大きさの巨石をハンマーで砕くようなものだ。クレーンと鉄のロープに相当するのが把持鉗子とフラットベッドスネアでこの2つで胃石除去ができるのは分かった。でも今回は2時間過ぎたところで中断した。もう17時半近くになっていたからだ。「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」私自身は一気に取りたかったが、スタッフもいることだし・・ネ。

この後、病棟業務をばたばたと済ませ、急いでリーグ戦のある串木野へ向かった。ここ2週間風邪で練習はしていない。でも長年培った経験は私にはある。きっと大丈夫・・ハハ、1ゲーム目、スプリットを5回も出し134点だってさ。狙い所が悪いのもだがやはり練習不足は否めなかった。2ゲーム目はノーミスだったが連続ストライクが一つもなく195点に終わった。3ゲームも似たようなものでストライクが出ない。サンシさんが好調でチームではそこそこの成績だったのが救いだった。

11時過ぎに帰宅してカバンを開けてハッとなった。なんと大事なMacBookProがない!え・・あ、病院だ。夕食の時間もなく、医局でカップ麺食べようとソファにそれを置いたのは分かっていた。後でカバンに入れればいいや・・だが、結局忘れて串木野に向かったんだ。ノートパソコンがなくてはこの後が何も出来ない。即、高速で姶良へ向かった。医局に寄りソファ寝しているMacBookProを取り戻しまた高速で帰宅した。こんなことは初めてだった。胃石取りで神経すり減らしていたんだろうなぁ、きっと。

2017年11月9日木曜日

異音を直す

8月くらいからか、マイプリウスの後輪かトランクあたりからギコギコという異音が聞こえるようになった。走行には特に問題はなく気にしないようにすればそれでまあまあ済んでいた。しかし3ヶ月経ち、低速走行時にその異音がどうも気になりトランクの中を探ってみるも原因が分からない。私の代わりにプリウスを運転したカールも「確かに気になる音ね」と言うので先日思い切ってトヨタに診てもらった。整備員にも車に乗ってもらい「ほらこの音です」と教え、待つこと約1時間。「お待たせしました」と説明を聞くと、小さな石がサスペンションのどこだったか挟まっていたらしい。それを取り除いたとのこと。その効果はカンペキで以降全く異音はしなくなった。変な音がしないってこんなに快適だったかと感心するほどで、こんなことなら2ヶ月くらい前にトヨタに行っておけばよかった。修理代も取らなかったしさすがだぜ。

これって病院にささいな症状でやって来た患者みたいなもんだな。たとえば小さな耳鳴りがして不快に思っている患者さんで、それがあっても生活は出来る、わざわざ診察を受けなくてもと思っている。医者もそれほどたいした症状じゃないから我慢しましょうと言ってしまいがち。でもそこを治して上げたらきっと患者は感激する。人を治すのと車を直すのは似ている。トヨタに見習わなきゃ。

2017年11月8日水曜日

患者を忘れる

吸入薬のおかげで咳に苦しむことなく昼間の仕事を終え、そのまま当直に入った。ただ体のだるさはまだある。幸い救急で20時半に起こされるまでソファ寝が出来たのはよかった。

やって来たのは急な胸痛との触れ込みとの高齢男性だった。しかし診察すると胸よりちょい右下の腹部を痛がる。心電図では何も所見はない。胆石?ともあれ救急室で腹部CTを撮るとはっきりした胆石はないが胆嚢はやや腫れている。小腸も少し怪しいが腹痛原因は分からない。でもそのまま自宅に帰す状態でもないので入院をさせた。詳しくは明日調べよう。

それからしばらくは患者も来ず天鳳などする暇もあった。このまま楽勝の当直かというとそうは問屋が卸さず、日付が変わってから2時間おきに呼ばれ睡眠は細切れとなった。下血患者やら手足のしびれ患者などいて翌朝もばたばただった。下血患者は当然私が内視鏡をし、しびれ患者はCTやMRIを指示しシマッチ院長に依頼するなどした。しびれ患者など結局「単なる疲れです」だと知り呆れた。通常業務の内視鏡も多く昼前になった。すると信号Drから院内メールが届いた。「昨夜入院の腹痛の患者さんは採血、腹部エコーで胆石のようです。胆嚢腫大もあり今から胆嚢へドレナージします」と外科Drが検査、診察、治療をしてくれるということだった。

え、いやはや本当に有り難いことだが、すっかりその患者のことを忘れていた。ううむ、忙しさのせいか、風邪のせいか、はたまた認知が始まったのか。忙しかったから、ということにしておこう(‾□‾;)。

2017年11月7日火曜日

胃石がとれ、咳もとれた

咳を止めるのに吸入薬を処方してもらおうと院内の薬をチェックすると、コッパマNsに処方したシムビコートは1個で1日2回60吸入つまりは30日分だった。もとが喘息治療用だからそのくらいは必要になる。しかし自分のはいわゆる咳喘息で短期間で治るはず、2週間分くらいで十分だ。となると同種他社のでアドエアというのがある。で、それをピッピDrに頼んで処方してもらった。で、吸入してみると・・なんかいい感じだ。咳の出る回数が減った。これなら夕方まで仕事できそう。

午後は例の胃石患者の石取りがあった。電気水圧衝撃波結石破砕術(EHL)という器械を借りて胃石表面を砕き大きめのスネアで少しずつ取っていった。これがほんとに手間がかかる。最初は様子をみていた業者の人も1時間過ぎ2時間近くなったところで引き上げていった。なんと3時間かかって胃石1個を取り出した。でも、あともう1個これより少しでかいのが残っている。18時を過ぎていたので当然今日はこれで終了。いやー、次もこれをやるのかと思えばうんざりやぁ。


で、夜だが一度も咳で起きなかった。すごい。コッパマNsが言ったように一発で効いた。長引く咳には直接気管支に働きかける吸入薬が効くわー。実感。ありがとうコッパマNs。あれ?でもそれを指示処方したのは自分だったか。さすが、オレ。

2017年11月6日月曜日

咳で苦しむ

風邪が・・だるさに加えて咳が止まらず、布団の中で喘息発作のように苦しんだ。ぜぇーぜぇー。

出勤して咳はどうにか時たま出る程度になったが体がだるい。発症して1週間にもなるのに今がピークという感じ。手持ちの鎮咳剤など服用しつつ内視鏡など行いどうにか帰宅した。夕食摂ってそのまま布団へ直行、寝込んでしまった。日付がかわって目覚めこてる日記を書き、天鳳を1回やってまた寝込む。そこでまた大きく咳き込んだ。なかなか治まらない。後で聞くとカールは「てるくんがこのまま死んじゃったらどうしよう」と思っていたとか。

年に1回くらいは風邪を引くがたいてい4、5日で治る。咳がこんなに続くのは10年ぶりくらいか。ちょうど今日の午後、内視鏡室のコッパマNsから「咳がでて以前先生からもらった吸入薬を吸ったら一発で効いた。それがいいんじゃないですか」と聞いた。何の薬だったか覚えておらず電カルで調べるとシムビコートという吸入薬だった。ステロイドとβ2受容体刺激薬を合わせたもので喘息に使うが気管支炎で喘息様の症状が出たときにも有効でそれで私は処方してあげたのだと思う(覚えていない)。こうなったら自分も夜が明けたら試すわ。うー、きつい。

2017年11月5日日曜日

一人で日曜ドライブはいずこへ

この秋、3度目の災害訓練参加だった。今回は姶良市が主催し医師会はちょっとお手伝い程度で、トリアージ指示など行った。6階の星ゆりNsと5階の楽ちん君が来てくれ滞りなく出来た。ヘリコプターもドクヘリの他放水ヘリなど3機くらい来ていた。放水の様子はバッチリ写真に撮れたわ。

終わって「昼ご飯はどっかでいっしょに食べない?」と二人を誘うと、星ゆりNsは「ああ、行きたーい。でも娘が英検で鹿大まで迎えにいかないといけない、ざんねーん」と本当に残念がっていた。で、楽ちん君と加治木の丸亀製麺に行った。何年も前から行こうと思い一度も行ったことなかったのでいいチャンスだった。で、入ってみて半年ほど前にカールと鹿児島宇宿の伊予製麺と見まごうくらいそっくりな造りに驚いた。看板を取り替えばきっと分からない。だいたいどちらも四国の地名に「製麺」を付けただけの店名で、しかもともに本社は四国にはない(内実は「伊予」が「丸亀」をパロったようである)。トッピングでエビを取ろうとしたらちょうど切れていてかしわ肉とレンコンにしたがレンコンが1個100円はチト高いような気がした。

で、本来なら風邪気味でもあったし、ここで帰宅するところだが、ふと霧島まで脚を伸ばそうと思った。というのも、過ごし安病院でサブアラドDrが当直中だったからだ。数年前に改築してから一度も過ごし安には行ったことがない。きっと天鳳をやっているだろう彼を驚かしてあげようか。途中、霧島連山がきれいに見える峠があって当然写真に収めた。(↓いつも思うが、高千穂峰の方が韓国岳より高く見えるのはなぜなんだろう)

病院に着くと医局がどこか分からない。で、結局携帯で連絡し「今、すぐ近くにいるんだが」で医局に入った。いきなりではなかったがそれでも十分驚いてくれたよ。
そして案の定天鳳をやっていた。「ラスが多くてな」とサブアラド六段。かなりポイントアップして七段も近いが昇段前の陣痛というところか。院内を案内してもらった後、今度は私が天鳳半荘1回チャレンジした。ところが東1局いきなり親満を振り込みラス目のまま東3局になった。南家で三色ドラ1のまずまずの手の一向聴の時だった。下家が切った発に上家の親が「ロン!」しかもジャーン!の効果音が。これは役満成就の効果音で開けられた手は何と大三元。親役満48000点で下家は簡単にぶっ飛び終了。ふぅ。おかげで私はラスを免れたが、発は私も切ったかも。こわ。

サブアラドDrは昨日から今夜もまた当直だって。こんな日当直システムは青雲会のような救急車がばんばん来るような病院ではやっとられんな。お疲れさんと帰宅の途に就き、珍しい一人日曜ドライブを終えたのだった。

2017年11月4日土曜日

サージェント・ペパーの凄さ

日本シリーズ第6戦はしびれたねぇ。ソフトバンクの打者がDeNAの今永に今一タイミンが合わない。東浜も頑張ったが後半ピンチを招き逆転されその後9回まできて1点差。しかしここで内川が難しい球をよくホームランにしたわ。よし!これで勝てる。延長でサファテが3回も投げ今日ケリをつける覚悟か。で、案の定サヨナラ4ー3で勝ちシリーズを制した。ソフトバンク優勝は当然の結果と思われているけど、DeNAもかなり強く結構ぎりぎりの勝負だった。来年ももちろん期待しているが日本一をキープし続けるって大変。いい選手がまだまだ欲しい。そういえば去年のドラフト1位田中正義、一昨年のドラフト1位髙橋純平はどうした?

昨日のNHKBSでビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967年発表)」が特集されていた。発売50周年でイギリスBBCが今年放送したもので何回も聴いたサージェント・ペパーが今さらながら新鮮に思えた。私がその存在を知ったのは中学3年の時だったが当時は貸しレコード屋もなく簡単に曲を聴くことができず、持っていた香月利一著の「ビートルズ事典」などで大まかな傾向を知るだけだった。それがある夜、民放ラジオでアルバムの主だった曲を連続で放送するというの知りじっと聞き入った。それまでのビートルズの曲調とはなんだか印象がすごく違いまるで別のグループの曲のようだった。また、全体の曲調、アレンジが似ている。世界初のコンセプトアルバムとはこんなことをいうのか。そしてラストのアンコール曲の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴いて衝撃を覚えた。中間部とラストにうねりのようなオーケストラの音が出て最後はジャーンと余韻を残して終わる。つい3、4年前まで「シッラチュー、ヤーヤーヤー」と歌っていた脳天気なグループの曲とは思えない。ラジオの陳腐な音でさえその凄さが分かるほどだった。

売り上げもすごくグラミー賞も獲るなど「アビーロード」と並んでビートルズの最高傑作アルバムと言われる。実験的なサウンドも後になれば古くさく感じられることも多いのに今聴いてもそんなに古さを感じない。また、ジョージ・ハリスンのインド音楽風の「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」は一番嫌いと思っていたが今回聴くと意外にいい曲だった。全体をもう一度通して聴いてみたいと思わせ、改めてビートルズの偉大さに感じ入ったわー。

2017年11月3日金曜日

零ICHI

文化の日で鹿児島市ではおはら祭りの日でもあった。あいにくの雨でずっと家にいて天鳳したり、注文していた「桑田佳祐編集長のNumberボウリング特集号」が届きパラパラと眺めたりしていた。夕方になり、私がふと「キリンのアルコール0%ビールを買いに行きたい」というとカールが「行こ行こ」と二つ返事で乗ってきた。「何にもなかったからつまらなかったしー」と。ノンアルコールビールはアサヒとサントリーを交互に買っているがキリンの新製品「零ICHI(ゼロイチ)」が姶良のコスモスにないため一度飲んでみたかった。3号線近くのアルコール量販店にきっとあるはずとのことで二人で出かけた。

近頃はなんでもコスモスで済ますためこの手の量販店も久しぶりだった。店の半分は100円ショップになっていて休日夕方なのに客はまばらでがらんとしていた。平日はもっと多いのかな。目指す零ICHIはすぐに見つかり6本入りを買ったが税込みで667円、この商品に限らずコスモスより1割は値段が高い。ゼロコーラ1本も税込みで170円とはコスモスの128円時に118円がベラボーに安いってことか。もうここでは買えまへんナ。値段に敏感なカールも当然買わないだろうと思ったがここでしか買えない日本酒200mlくらいとつまみを買っていた。あいちゃ。

帰宅しさっそく飲んでみた。うーん、若干の苦みが感じられる。まずいわけではなく風味とでもいうべきか。「一番搾り製法」とあって「一番搾り」のイメージをノンアルにも持って来ている。ふむ、デザインは3社の中で一番カッコいい。でも、コスモスで扱わない限り零ICHIはきっと買わないだろう。何せ1本10円ほど高くなるからだ。

味もデザインも結局は値段にはかなわないってこと、だった。

2017年11月2日木曜日

事前によ・ろ・し・く

ネットでチラッ、チラッとワールドシリーズの経過をチェックするつもりが、目に飛び込んできたのはダルビッシュが2回で5失点という絶望的なドジャースの状況だった。あーあ。第3戦と同じ展開に何でとまたかよの疑問と失望が交錯する。結局この失点が重く1ー5で破れ29年ぶりの優勝はならなかった。私が大リーグに興味を持ったのがまさにその29年前で、応援していたア・リーグのアスレチックスがドジャースの投手陣にやられ残念だった記憶がある。ラソーダ監督が自慢げの表情だった。今や大リーグ一の金満球団となって毎年優勝争いをし今年はきっとと言われていたのにアストロズに初優勝をさらわれてしまった。ダルのせいにはしたくないが・・こんな名門で資金力があってもメジャーリーグ優勝は難しいものなんだ。

う・・日本シリーズもDeNAがなぜか打線も投手も元気で2連勝と押し返してきた。いやいや、まさか大逆転はないでしょう。

ムラムラ看護部長から11月13日から内視鏡室に新しい看護師が入ると聞いた。近々服緑Nsが都合で辞めることもあり有り難いことである。内視鏡業務をしたいとのことで何でも以前数日青雲会病院か青雲病院に勤務したことがあったそうだ。名前は知らないし聞いてもきっと覚えていないだろう。「先生のブログも見ているそうですよ」「え?!」へー、ということは内視鏡室での出来事や仕事ぶりをそれとなく知っているということか。ほう、それは大歓迎ですねぇ。今日のブログも見ていたら入職前ですが今後はよろしくお願い致します。

2017年11月1日水曜日

メタボのゲン

風邪はまだ治らない。きついがどうにか仕事はできる。例の胃石患者はパワースネアなどで摘出を試みたが出来なかった(どっと疲れ)。ボウリングはしたくないが野球を見るくらいは問題なく、日米とも最後の決戦の真っ最中で目が離せない。

アメリカはドジャースが6戦目をアストロズに勝って3勝3敗のタイに戻した。ダルビッシュ、前田健太がいるドジャースを応援しているが、アストロズのバーランダーが優勝リングを獲りたいがためになじみ親しんだデトロイト・タイガースから今シーズン移籍したと聞けば、これがラストチャンスかもしれずかなえて欲しい気もする。名投手でもワールドシリーズ優勝の経験がない選手はいっぱいいる。日本の12球団と違い30球団もあるから優勝できそうなチームに行きたいというサイ・ヤング賞投手バーランダーの気持ちがよーく分かるのだ。

日本はソフトバンクがDeNAに3連勝し今日は1勝返されたがきっと優勝するだろうと高をくくっている。

仕事から帰り際、カールに連絡すると、「今日はゲンちゃんを動物病院に検診で連れて行ったら『太りすぎです』って先生に叱られた」という。帰宅して詳しく聞くと、体重が5.5kgから6.2kgにまで増えていて、「これじゃー糖尿病になりますよ」と。言われてカールは大反省。7才になったことでそれまでのエサをいろいろ変えると全く食いつかないものもあって最近はえらく好むエサに替えてちょっと与えすぎていたようだと。それで今日はダイエット食のサンプルをもらって上げている。それがゲンちゃん贅沢になっているのかほとんど口にしないらしい。「でも飼い猫って食べないからって死ぬことはないんだって。ちょうどダイエットにもなるからこのままにしとくわ」と手厳しい。

そうそう、移動カゴに入れて動物病院に降ろそうとすると、ゲンちゃん、何か危機を感じたらしく珍しいくらいの形相になって威嚇したそうだ。その表情をスマホで撮ったと見せてくれた。うわっ、これ、ゲンちゃん?目を見開き牙むき出しでこの前の対掃除機みたい。日ごろののんべんだらりとはえらく違う。こんな調子ならメタボにならなかったのにネー。