2015年11月30日月曜日

朝礼フォーマット

1ヶ月半ぶりの朝礼スピーチはタイトルが「病は忍び寄る」でこの前帯状疱疹になったいきさつから健康には気をつけようという内容で5分の枠を3分半ほどで終わり簡潔明瞭なスピーチだった。終わってすぐに職員全体で忘年会で披露するダンス(AKBの「心のプラカード」)の収録があってみんなの関心はそっちに移ったはず・・しかし意外に受けが良かったのだ。それはまさに身体を張った画像のインパクトがあったからだろう。

というわけでその画像を貼り付けたかったがなぜかうまく出来ず。まあ多くの人に見せるにはきわどい写真なのでこれは見せるなということだろう。自分のお尻から太もも、それも全裸に見えるため、次の画像で「安心して下さい、穿いてます」と言い訳する内容だった。滞りなくスピーチして最後にいつもの余談ですが・・とボウリング動画を見せた。もうこれは恒例で今回もビッグ4もどきのピン残りを取り拍手で終わった。

ふーむ、どうやらこてる先生スピーチはフォーマットが出来上がった、そういうことでどうでしょう。

2015年11月29日日曜日

数字嫌い

さあて昨日の車ナンバーの問題、分かったかな?
3478と1158だがどちらも整数だけで解こうとするといつまでもできっこない。途中、割り算をして分数を作る必要がある。

3478 :これは7を4でまず割ってみる。すると7/4になる。そして3=12/4だから・・以下に計算式を記そう。

8x(3-7÷4)
=8x(12/4-7/4)
=8x(5/4)
=10

10は8からみて5/4の大きさってことだよね。

1158:これも5/4を作り8に掛ければいいが、3478と違って難しいのは4という数字がないことだ。でも4/5を作り8を割ってもいいことに気付けば後は簡単になる。

8÷(1-1÷5)
=8÷(5/5-1/5)
=8÷(4/5)
=8x(5/4)
=10

一応小学生でも解ける内容だけど運転中に5秒以内はまずできない。でも、思う。最後を8に5/4を掛ければいいというパターンに慣れれば素早く解答するのは可能だろう。日テレの頭脳王決定戦のクイズで東大京大の英才たちが早押しでバンバン解答するのもこの「パターン」を熟知し素早く当てはめる訓練をしてきたから、それに膨大な知識を詰め込み整理しているからだろうと思う。
ちなみに8で出来るなら9でも出来るだろう。10/9を作り9を掛ければいいということで1199も似たようなパターンで出来るので下に記す。

1199:

9x(1+1÷9)
=9x(9/9+1/9)
=9x(10/9)
=10

実は私がよく買う(買ってしまう)本のジャンルに数学物がある。でも買っても実際に読まずに積ん読になっているものが多い。なのになぜ買うのかというとそれはコンプレックスの裏返しなんだ。私は計算が苦手で算数数学のテストはいつも苦しめられてきた。幼いころからこんな数字の訓練をし、当時はなかったが公文式教室にでも通っていれば計算も早く正確で楽に受験勉強も受けられただろう。数字や計算が大好きになっていればそれらをよく使う経済学部、工学部なども進学選択として考慮しただろうし、医学部卒業時も麻酔科に進もうという気になったかもしれない。数字が絡む専門科は絶対に行かないと決めていたくらい数字嫌いだったので今の消化器内科(数字はあまり使わず画像の判断が重要)は思えば必然だったのかもしれない。

2015年11月28日土曜日

テンパズルもしくはメイクテン

最近ちょっとしたマイブームがある。車のナンバープレート4つの数字をそれぞれ加減乗除して10を作るものでテンパズルとかメイクテンとか言われ渋滞の暇つぶしや頭の体操などによく使われる数字パズルだ。

新しいプリウスの希望ナンバーをどうするかずっと悩んでいて他の車のナンバーを何回も何回も見続けているうちにこの遊びがあるのを知っていたのでやってみる気になった。前を走っている車を見たら4つの数字をすばやくチェックし5秒以内に正解を出すことを自分に課している。それで出来なければ負け、出来れば勝ちってな具合に。計算が苦手でこの手のパズルはこれまでやったことがなかった。しかしその気になれば意外と簡単に出来てしかもかけ算や割り算なども駆使しないと出来ないものがあって脳が活性化する。何か面白い。

コツもあって1の数字があればこれを残し3個の数字で9か10か11になればあとは簡単、足す1、掛け1、引く1で必ず10になる。1が入ると計算がしやすくなる。他に()を上手く使うことや絶対出来ない組み合わせも知っておけばむだな時間を使わずにすむ。例えばよくある1122(いい夫婦)は数字が小さくてどう頑張っても出来ない。

具体例を示す。

1245:2+4+5-1=10
1235:2+3+5x1=10
3456:5-4+3+6=10
1349:(1+3)÷4+9=10
1578:(7-5)x1+8=10
0126:(6-1)x2=10
・・・
で、今朝目の前をヒラメグDrの車が走っていた。ナンバーは8842(実際の並びは違うが数字はいっしょ)だったのできっと簡単と計算し始めた。しかし上手くいかない。8を4で割って2にしてとすると822となり10には出来ない。あれぇーと考えているうちに病院駐車場に着きそうになった。そこでハタと気付いた。変に掛け算割り算しようとしていたからいけない。
8+8-4-2=10
かーんたん!なーんだである。

調べると全715通り中552通りの組み合わせで10が作れるそうで77%以上の確率でこのパズルが解けることになる。並び替えたものを数えると全10000通り中8147通りOKとのことで、ピロリ菌除菌の一次除菌より成功確率は高い(青雲会病院では70%台)。
でも中には難しいものもある。私はぱっと見ただけでは分からずペンと紙を駆使して30分かけてやっと出来た。以下にその問題を出そう。

3478

類似問題にGoogleのNexus7 CMでもあった「1158」もある。

さあ考えよう。答えは必ずある。ちなみに異なる4つの数字の組み合わせは加減乗除して必ず10に出来るという。ただ、それを知らなければ挫折しそうだった。みんなにも考えてもらいたいから答えは明日だネ。

2015年11月27日金曜日

パーフェクト目撃&撮影

夜は串木野トリオリーグだった。レンコンは2週間前といっしょなのだが今日はどうにも合わせられなかった。ちょうど昨日のT-MAXのレンコンとは逆だったのだ。T-MAXはボールを10枚目より外に出すと大きく奥で曲がり中を通すとボールが曲がらないのに対して、串木野は7、8枚目より外に出すとボールが滑り戻ってこない。ヘッドピンを外すこともしばしばでレーン中央と使わないといけない。全くダメで131、175、127とここしばらく見たことないロースコアだった。じゃー、みんなそうだったかというとさにあらず。なんと隣のレーンでは3ゲーム目にパーフェクトゲームが出たのだ。それも私と同じか年輩のおっさんボウラー「さあいっど」さんが快挙達成したのである。

ちらっと見た限りでは中央のラインをほぼ真っ直ぐに投げているようだった。どうせ途切れるだろうと思いつつも私は8フレからデジカメ動画で撮影をしていた。9フレ目、明かにミスショットをした。しかし裏に入ったボールはピンアクション良くストライク。苦笑いするさあいっどさん。10フレに入りまだ3投残っている。私も経験あるがここからがまだ大変だ。心臓バクバクするしみんなの注目も集まる。場内アナウンス(ナインコール)も始まる。これが緊張をさらに高める。ここで途切れることが多いのだ。ただ今回はアナウンス係もリーグボウラーだったため、10フレ1投、2投とストライクを出し、いよいよラスト投球の時にやっとアナウンスをした。さあいっどさんの耳には入っていなかったかも。誰も投球せず、みんなが固唾を呑む中、中央12、3枚目付近に放たれたボールは厚めにポケットに入り見事ストライク!パーフェクト達成した。おめでとう!私はしっかり動画に収めた。

さあ、この動画を整理して2週間後のリーグ戦でさあいっどさんにプレゼントしよう。私は結構パーフェクト達成の瞬間を目撃する(10回以上あり)のみならず動画に撮っていて後からそれを上げて喜ばれている。私が撮影していたことも知らないはずだからきっとびっくりポンだろう。ふふ。



2015年11月26日木曜日

チッチ、ボウリングを楽しむ

当直明けで木曜だからそのまま帰宅できることになっていたがこまごました指示出しなどいっぱいあって、結局午前中まで病院に残る羽目になった。

午後は仮眠。夕食摂ってからT-MAXヘボウリングに出かけた。今回はチッチもいっしょでMR君らと投げるのは初めてだ。難ガターさんもいて総勢6人になり2つに分けて練習した。チッチは久しぶりでいつものボールを握る癖があるも奥がドライで曲がるコンディションがそれをカバーした。最初は149でこんなもの、2ゲーム目から調子が出てターキーから始まり200アップも望めるくらいだった。結局179に終わるも満足していたようで4ゲーム目のダブルスでは私と組んで191を出し圧勝した。勝負を面白くするため5ゲーム目は難ガターさんと組ませ、3チーム中2位でジュースをおごらずに済み(ビリは1位にジュースをおごる決まり)、「お金持って来ていなかったから冷や冷やした」と胸をなで下ろしていた。

ま、浪人中の身だが息抜きできて楽しかったろう。またなー。

2015年11月25日水曜日

休めるときは休もう

朝の医局会のあと、可愛いんだ理事長に「今後、先生が土曜日勤務するときは木曜日を1日朝から休みなさい」と言われた。その代わり木曜の朝外来を先生がしてくれるという有り難い配慮だ。来月から土曜外来のDr二人体制を三人体制にすると決まっているためどうしても私の出勤が増える。土曜出勤すると平日午後の休みがあるが、ずるずる仕事が続き2時3時帰宅は当たり前の状態で引き合わないものだった。丸1日休めるとなれば土曜出勤してもさほど苦にはならない。

そんなうれしい話しに刺激されたわけでもなかろうが、今度の月曜のスピーチや年賀状のアイデアはパッパッとひらめいた。あれれ、いつもはアイデアが浮かぶのに苦労するのにどうしたんだ。どちらもまずまずのアイデアに思える。そんなうきうき気分で内視鏡検査を続けていた。しかし好事魔多し、愛機デジカメPowerShot G7Xのシャッターカバーになぜかわずかな凹みが出来ていて開いたカバーが素直に閉じなくなっているじゃない。先の尖ったものでちょっちょっと触れるとどうにか元に戻るがこれは修理に出さないといかんわ。まだ保証期間内だからいいけど面倒だなぁ。

夜は当直。夕方、理事長から連絡があり私が今週土曜勤務ゆえ明日の木曜は休んでもいいぞとのこと。1週間前倒しでさっそく1日休みがもらえることとなった。うーむいいじゃないか。明日が休めるとなると途端に気持ちが軽くなった。やっぱりストレスを感じていたのかな。帯状疱疹も出来ているし、せっかくもらった休み、休めるときは休もう。

2015年11月24日火曜日

このことは言わないで、実は結婚した

信号Drが所属長会議で「私事ですが・・」とイヤまだNsとの結婚報告をした。かねていつ結婚するのだろうとぼんやりと思ってはいたが一昨日11月22日の当直明けの朝、医局に来ていた信号Drに「今日、籍を入れようと思います」と言われちょっとびっくりした。「おめでとう」と言い、なぜ今日?と尋ねると「いい夫婦の日なんで、忘れないようにと」とのことだった。そして所属長会議で公表しますからそれまでは言外しないでと言われ、そこは口の固い私、当然と了承したのだった。

でも・・。彼が会議で公表している時の所属長らの反応は私が思っていたより冷静で、一昨日私がみせたようなおおっというどよめきがほとんどなかった。何かおかしい。みんな実は知っていたんじゃ・・話が終わっての拍手の中、疑問が頭の中を駆け巡った。

外来のずっしり副師長らに聞くと、案の定公表前に知っていて、それは11月20日の師長会議で聞いたんだとか。なーるほど。だからどよめきがなかったんだ。何だ何だ、今日1日私はずっと黙っていたんだぞ。ぷんぷん。

帰宅して、太もも裏がやや痛む中、今話題の「下町ロケット」文庫本を読み進めていた。昨日から読み進め一気に半分読み、今日中に読み終える勢いだったが、帯状疱疹の疲れもあってかソファ寝してしまった。それでも夜明けに目覚め一気に終末付近まで読んだ。ドラマも小説もぐいぐい進んでいき、面白い。「半沢直樹」同様、上位の組織、人からの圧力にめげず頑張る会社、会社員の姿がすかっとする。ドラマは医療用器械編に突入している。次も面白そう。と思っていたら、いかんいかん、あっという間に夜が明け出勤時間になっていた。

2015年11月23日月曜日

まさかっ、このオレにそんな病気が

実は4、5日前から右太もも裏にじりじりした痛みがあって椅子に座る時とか違和感がずっとあった。金曜日には内視鏡室でデジカメ写真撮ってもらうも特に異常なしだった。でも何かおかしい。カールに「どうかなっていないか」と見てもらうと「あら」と言われ、よく見れば発疹が出来ていた。

あーあ、これは帯状疱疹だー。最初は痛みだけで発疹はなかったので気付かなかった。そういえば木曜日のボウリングでみんなから「センセ、疲れていないっすか」と言われた。でもまさか自分に帯状疱疹が出来るとは!ちょっとショックだった。私のイメージでは「老人に多い」「体力免疫力が低下している」でなるにしてもまだまだ先のことと思っていた。最近確かに疲れ気味で、それは夜更かし、麻雀などが原因だろうと推測できた。でもいえるのは若い頃はもっと無茶をしても帯状疱疹なんか出来なかったということ。体力落ちているんだぁ。ううむ・・。ヘルペスの薬のあまりがどこかあったはずと数錠を探しだし飲んだ。(帯状疱疹とヘルペスの薬は基本同じ)

カールに「早く寝なさいっていつも言っているでしょ」と言われ確かにその通りと反省した。そしてふと思いついたのがこれを来週の朝礼スピーチの題材に使おうというもの。転んでもただでは起きないぜえ。

2015年11月22日日曜日

甲子園オタク対決

夕方鹿児島中央駅のアミュの「ワンツースリー」でカールの沖縄のキョーコ叔母さんらと食事をした。キョーコ叔母さんは薬局チェーンを経営していて息子のヤックンも薬剤師で店を任されている。もう一人職員のシゲモリ君の3人で鹿児島で開かれている薬剤師の学会に来たのだ。
私はヤックン、シゲモリ君とは初対面だったが意外に話が盛り上がった。シゲモリ君が高校野球甲子園に詳しいと聞いたからで、「(高校野球)甲子園ネタなら私も自慢じゃないがひけは取りませんよ」とここからオタク合戦が始まったのである。

シゲモリ君はなんと沖縄尚学高出身。1999年春にセンバツ初優勝した時が高校卒業時だった。「1年後輩に比嘉公也がいて」と優勝投手の名を上げた。ふーむ、母校が甲子園優勝もすれば高校野球ファンになってもおかしくはないな。でも甲子園での他の有名な試合もよく知っている。印象に残っている試合、好きな試合は何かとの問いには誰もが上げる横浜対PL学園、松山商対熊本工の他浦添商対慶応などで特に奇跡のバックホームで有名な1996年の夏決勝松山商対熊本工では9回裏1点負けていた熊工の1年沢村が同点ホームランを放つ場面では大興奮したという。それは私も同じだったが彼は自分と同じ1年生がこんな大それたことをするなんてと感激だったという。それに彼の先輩で甲子園好きがいてオタク同士あの時のあの試合がああだったどうだったと話すが大好きということだ。

で、私は彼が話す試合ほぼ全てに詳しい解説やその時に思ったことなど述べ、「知ってますねー」と何度も驚かした。彼も一般の人にはそこまで話しても分かってもらえないのに私と来たら倍返しでしゃべってしまうので、最後は目を丸くして「いやー、こんなにだとはー」と素直に”負け(笑)”を認めていた。で、私の判定では彼よりはチッチのほうがまだオタクだ。彼は自分が生まれて以降の試合はよく知っているが昔からの有名な試合にはやや疎かった。チーは私の影響でそこそこ詳しい。

ただ私がどうしても敵わないのはやはり母校が甲子園出場ししかも優勝までしていることだ。私のセントラル高やチッチのS學館は甲子園出場の可能性すらない。もしできたらそれは学校の性格ががらっと変わってしまった時で甲子園常連校が進学校に変わることはあってもその逆はまずないからまず無理。うーむ。
「沖尚の校歌は前奏は勇ましくていいのですけど歌詞が非常に短くて、ええもう終わりみたいな感じなんです」と実際に歌ってみせた。確かにこれからサビがあってもう一節二節欲しいねえ、その前に終わってしまい物足りない。「でしょう」とシゲモリ君。私は「校歌の大甲子園史」という校歌オタク本を持っているけど、確か沖尚の校歌は載っていなかった。調べると確かに超物足りない。何とかしろよと言いたくなる校歌だ。
「♪那覇を見渡す祝嶺森(しゅくみねもり)に 聳(そび)ゆる甍(いらか)は吾等が母校 聳ゆる甍は吾等が母校https://www.youtube.com/watch?v=2gTk-XR3a1s
ただ校歌オタクには少し知られているところがあり、それは短すぎる校歌は2番まで甲子園では歌うことがあるのに沖尚はそれしていない、それは歌詞に問題があるからだというもの。2番は「♪眼下にただよう漫湖の水に・・」となっている。沖縄の地名でよくネタにされる「漫湖(まんこ)」が歌詞あっては歌いにくいからか、本来1番までだからそのままにしたかのどちらかだろう。
この他、甲子園話は延々続き、ワンツースリーの黒豚しゃぶしゃぶ同様お腹いっぱい満足してお別れしたのだった。

2015年11月21日土曜日

当直、たまには閑なり

土曜は朝勤務、午後から当直とハードな状況が危惧された。しかし昼過ぎは午前勤務を手伝ってくれたヒラメグDrとだべり、夕方は医療補助作業者の山の神さんと韓ドラの話題で少々盛り上がった。

ヒラメグDrは今後の仕事をどうするかで少し相談に乗って上げた。某外資の製薬メーカーの医師募集にも応募し面接まで受けたとのこと。それに美容内科なる仕事のお誘いもあるそうだ。私は後者がいいんじゃないと言った。彼女はビジュアルもいいし少なくとも4、5才は若く見える。「それにさー、いくら女医でも『美容』がつくとなると医師本人が美容的に良くないと患者に説得力がないでしょう。先生ならぴったしヨ」「そうかしら〜」とまんざらでもないよう。会社勤めは制約も多いし自由人の彼女にはあまりお勧めできないなぁ(言わなかったけど)。

山の神さんはさほど韓ドラに詳しくなく、私がハマったドラマは何かと尋ねて来た。それには「三つある。一つ目は何と言っても『冬のソナタ』。二つ目は『復活』、三つ目は『ファンタスティック・カップル』で、メロドラマ、サスペンス、ラブコメの違いがあるが記憶喪失が絡むのが共通点だな」と話した。で、冬のソナタは私はDVDを買って医局にソフトを持っていたので貸すことにした。のみならず冒頭の30分ほどを医局のデッキで鑑賞し第1話に今後予想される展開の伏線が散りばめられていることを教えるとずいぶん興味を持ったようで「必ず見ます」と力強い返事だった。

で、外も暗くなり夕食も配られる時間になって当直看護師ピラ健君から連絡が入った。「先生、一外科のDrが来てますっ」えーーっ!
実はお昼に「もしかしたら間違って一外Drが夕方当直にやって来やしないか、注意していて。念のため」と彼に言っておいたのだ。というのも、本来は土曜夕方からでいいが今回に限り日曜朝からに変更してもらっていた。でも1ヶ月以上前に一外医局担当者に連絡しOKもらっていたが勘違いして今日来そうな予感があったのだ。やっぱりだった。で、事務のダッペイ君といっしょに当直室へ行き事の子細を話すと、あっさり勘違いを認め、明日朝また来ますと引き上げてくれた。ふーっ。ゴネられたらどうしようと思った。

明け方喘息様の気管支炎の小学生の診察で起こされた以外は特に忙しくもなくいい当直だった。

2015年11月20日金曜日

北の湖と白鵬

まさか昨日話題にしたばかりの北の湖理事長が今日亡くなるとは!聞けば直腸癌の多発転移でいつ亡くなってもおかしくない状態だったようだ。もともとやっとのところで生活や理事長活動をしていたが急変する危険性は常にあったというところだろう。そんなことも影響したわけではないだろうが、白鵬は日馬富士にうまくしてやられたし、理事長急死のインタビューも神妙だったな。まあ、亡くなったばかりの人に悪口を言うのは非常識だから白鵬に限らずその他の関係者も「偉大な昭和の横綱だった」とか「憎たらしいほど強かった」とか冥福を祈るコメントを出していた。

そう、私が中3の昭和49年、鹿児島の南洲寺の矢野完道住職に「こてる君、君はどの力士が好きか」と問われ、当時あまり相撲を見ていなかったこともあって(小学生のころなら大鵬って答えられたが)口ごもっていると、「私は北の湖が好きだ」とビシッと言われたのを思い出す。当時日の昇る勢いで昇進していったころで和尚はそんな若くて強い北の湖が好きだったのだろう。息子の元康君(現矢野謙堂)は相撲が強く私ともども市内の相撲大会にかり出され3年連続団体優勝したものだった。でも北の湖が好きという人はこの完道住職くらいしか覚えがなく、現役時代の北の湖は人気なかったなあ。悪役ってイメージすらあったよ。負けると歓声と悲鳴がすごかったもん。のちに千代の富士がのしあがってきて、北の湖に勝つと大関昇進という相撲の時なんか、その時、見せたまえ君のマンションで麻雀をしていたが、千代の富士の勝った瞬間、彼は座布団を投げ飛ばし「うぉー」って叫んでいた。「負けてありがとう北の湖」だったよ。

今になれば24回優勝という実績は並みではないし21才にして横綱という最高位だけれど後がない地位の重さを全うした姿にみんな称賛を送っている。だから白鵬のすごさ、偉さを分かって欲しいんだよな、私は。それを猫だましくらいであんましわーわーみゃーみゃーー言って欲しくない。横綱のあるべき姿じゃないって?だったら9勝6敗で終わったり1回も優勝経験なく横綱を辞めた力士はどうなのよ。35回優勝はとてつもない記録。それに横綱としての連続出場記録722回も綱の責任の重さを思えば協会はどれだけ彼に感謝しなければならないか。国籍なしで一代年寄も認めてやってもいいんじゃないかと思うがな。やたらケチをつける御仁(ごじん)が多すぎる気がする。白鵬が偉大すぎて現実が見えなくなっているんじゃないだろうか。

2015年11月19日木曜日

白鵬を擁護する

こてる日記は1週間遅れが原則なのだが旬な話題は今書かねばならない。白鵬の猫だまし物議についてだ。一昨日の白鵬対栃煌山戦での白鳳のまさかの猫だましに北の湖理事長が「横綱としてやるべきことじゃない」と断罪し、これに呼応するかのように昨日の取り組みでは白鵬が土俵上で仕切っている最中、館内から「恥を知れ」「猫だまし横綱!」とヤジが飛んだそうだ。理事長が横綱相撲とはかくあるべきとして批判するのはまあそんなもんだろう。猫だましは格下の力士が格上に対したまに行う奇策でさほどの効果があるものではない。名前もまさに格下くささが漂っている。横綱がするような戦法じゃあないってね。

でも私はラジオのNHK7時のニュースでこれを聞いたとき、「おっ」と思って是非動画で見てみたいと思った。そして白鵬がどうしても勝ちたくてすがるように使った技でなくきっとモノ試しかファンサービスではないかと思った。その後の記事ではこうあった。
・・だが、本人は悪びれていない。朝稽古後、批判を承知で試みた理由を「一度やってみたいという素直な心。技があるなら本当に効くのか試したかった」と力説。もう一度やるかとの質問には「楽しみにしている人が一人二人いるはず。その楽しみをなくさずまたいつか」と答えるありさま・・
思わず膝を叩いたぜ。その一人二人のうちの一人が私です。何も白鵬たるものが猫だましを何度もしないと勝てない器ではないのはみんな承知しているはず。おそらくは百に一度は使うかもしれない技を試したかったその気持ちはよく分かるし、観客もたまにこういう変化があると楽しい。いつも受けて立ち横綱相撲で寄り切りの勝ちだったらつまらない。これは私の単なる意見ではない。昭和40年代前半、大鵬の全盛期は実は大相撲人気が低迷していた。大鵬はそもそも受け相撲でそれでいて6連覇するなどいつも勝つ。いくら強くとも観客は飽きがきて視聴率が取れず民放も番組を手放した。NHKだけは放送は止めなかった。だから平成に入って若鷹人気で盛り上がった時も協会は民放に放映権は渡さなかったのだ。産経新聞は双葉山にあの手この手で対策を練った出羽の海一門のように「金星を狙って、あらゆる秘策、奇策を総動員して向かってくる挑戦者に、正面から受けて立つ。ファンが白鵬に望むのは、そんな大勝負である」と批判的であったが、ならばその前にふがいない今の日本人力士に野次を飛ばそうよ。白鵬に余裕出されているのは下のものが弱すぎるからさ。

白鵬は大鵬の32回優勝を超えていてまた白鵬かと客に飽かれてもしかたないはずなのに本当に強い横綱として休場もほとんどせず頑張っている。ただ勝てばいいとは決して思っていないことは猫だまし後のインタビューでも明かだ。大相撲が単なるスポーツではなく興業だということをよく分かっているじゃない。そして立派なのは理事長の苦言に屈せず自分のやったことをきちんと説明していることだ。モンゴル出身ということ、勝ちすぎなことで実績の割りには非難されることもあるが今後数十年出ることのない偉大な力士なのは明かだ。ちっさい横綱観で貶めるはよそう。

2015年11月18日水曜日

「ケンチャナヨ」

昨日からほぼ中国語しかしゃべれない中年女性を受け持っている。その息子や嫁も基本中国語だ。彼らとは片言日本語でのコミュニケーションは取れている。実は月曜当直医から引き受けた時に病棟師長のゴッタンさんから「韓国人ですけど少しは日本語はしゃべれます」と聞いたんだ。それで大まかな病状を説明し、とりあえず大丈夫だということを伝えた。しかし細かいニュアンスは伝わっていないようで、それでも「基本的に問題ない、大丈夫だ」ということを言おうと思い、これまでに韓国ドラマで散々聞いて自分でも日常会話にしょっちゅう使う言葉をおもむろに出した。

「ケンチャナヨ」

この言葉を発した後の私のイメージは確かにあった。「ああ」と声を発し「よーく分かりました。カムサハムニダー」といったものだ。
しかし、その息子夫婦はポカンとしていた。あいちゃ、出しゃばった物言いだったかなと、素知らぬ顔の日本語で「ダイジョーブ、ダイジョーブね」と言ってその場を離れた。
ナースステーションで、実は中国から13年前に来日した人たちだって早く教えてくれよー。でもゴッタン師長が一人勘違いしていただけだったそうだ。ケンチャナヨが通じるはずもない。韓国ではこの言葉は、なんでも大丈夫大丈夫で適当に済ます韓国人の特徴を表す「ケンチャナヨ精神」とか、韓ドラで5分に1回は使われるほど(こてるの印象)ポピュラーで知らない人はいないはずだった。

最初のコミュニケーションは今一だったが、その後ここの家族とはずいぶんフレンドリーに接してお互い気分よく過ごすことが出来た。それもこのところ毎週土曜日に日中合作ドラマ「大地の子」を見ているから。息子さんはこのドラマのことを知らず、教えると「ぜひDVDで見てみたい」と言っていていた。そうだ、見るべきだ。故山崎豊子の渾身の作で残留孤児の悲惨さや日中交流のありかたなど分かり名作だ。

それにしても韓ドラや日中合作ドラマが実際の診療に関係してくるのが私らしいといえば私らしいか・・。

2015年11月17日火曜日

きっと「かずむ」はず

4F病棟で私のパソコンに入っている写真がきっかけで下着泥棒被害の話題が出た。それは掘れ娘Nsが1年半ほど前に着ていたナース服で左肩にピンクのアクセントがあるなかなかかわいいデザインだった。「お、その服いいねえ」とスナップショットを撮ってたのだ。その服は無くなったとは聞いていたが、実は自宅で洗濯しベランダに干している時に盗まれたのだという。

「それも三着いっしょに盗られたんです」
「へー!その時だけ?別の時には?」
「その時だけです。警察にも届けたんですけど色々質問されてそれも何か嫌な感じだったのでもうあきらめました」
「その後は室内に干すとかしているの」
「ええ、それからはもう外には干しません」
「だろーねえ」

それはそれでいいとして、近くに座っていた男性のハムジン看護師に、
「でもさー、犯人は盗んだ服をどうするんだろうな」
「売りに出すとか」
「いや、そんなケチなことをするためじゃない。盗品だって足がつくかもしれんし。きっと自分で使うんだよ」
「コスプレっすか?」
「いや、体格が違うだろうから着るんじゃなくて、きっとね、『かずん』でるんだよ」
「は?」
「『かずむ』って分かるだろ。ほら」と言ってクンクンする仕草をしてみせた。

すると、合点がいったようで彼は笑いだし、それも止まらなくなった。ハムジン君は鹿児島出身なのに「かずむ」という動詞を知らなかったという。おいおい、ほんとうかえー?この際、「嗅いでいる」という共通語より「かずんでいる」という鹿児島弁がぴったりじゃないか。もしかしたら犯人は洗濯したのより洗濯前のやつが欲しかったのかもよ。ほうら、くんくんと、堀れ娘Nsに近づくとさすがに頭をひっぱたかれそうになった。

ハイ、このブログを読んでいる皆さん、そのナース服を盗んだのは決して私ではありません。念のために言っておきますネ。↓は盗まれた服を指さす掘れ娘Nsです。

2015年11月16日月曜日

エアアルピニスト

一昨日の11月14日のことで書きそびれていたのが内視鏡のセミナーが県医師会であったことで、NBIという内視鏡の観察法をメインに胃や大腸などの観察法の講演があった。メインの講演者は虎ノ門病院の貝瀬満先生だった。今回、参加者に強く印象に残ったのは食道下部にできるバレット食道腺癌、NBIだと判別しやすいが通常光だと判然としないケースなどか。バレット食道腺癌は欧米人に多く日本人にはまれなのだが、そこは欧米化!のご時世、今後日本人に増加してもおかしくはない。今回紹介された症例写真を見ると普通の逆流性食道炎の所見にも見え、そうと意識しないと判断を誤るかもしれない。

そうしたためになる講演であったが、もう一つ私の印象に残ったのがこの先生、相当な山好きなのがスライドを見ていて分かった。最初のスライドからして「白馬鑓ヶ岳(しろうまやりがたけ)・杓子岳のモルゲンロート(朝焼け)」とあり「本来なら九州の山を持って来るべきところでしょうが、ええと、北ア(北アルプス)を出してしまっています」と言い訳していた。講演の写真撮影は禁止だったがこの冒頭だけは写真を撮っておいた。
  (↓がスライド写真でその下がもっと見たいとネットからひろってきた写真です)

      (↑麓の白馬村から望む白馬三山、左から鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)
スライドの合間合間には必ずおそらくは自分で撮った山岳写真をはさんで次に移っていた。屋久島の宮之浦岳や九重、霧島、雲仙などのスライドが出てきて九州の山々にも登山し、雪の五竜(ごりゅう)岳(北アルプス、百名山の一つ)の写真もあったから冬山登山もやっている。スライドの息抜きにこうした風景写真はよく使われ、今回はこのところ山に関心があるだけにもっと見せてよとも思った。
   (↓冬の五竜岳。名前の由来となった菱形四つ≒武田菱=御菱(ごりょう)≒五竜)

今年のマイブームは何といっても山や登山にぐぐっーと興味が出てきたことだろう。毎日のように山関係のネットサーフィンをしているし、NHKBSの百名山や世界のグレートサミットはビデオに撮って欠かさず見ている。それもこれもきっかけは田中陽希氏の「日本百名山グレートトラバース」だ。現在、彼は二百名山を南下中で今日も走り、登っている。年末に桜島に登って(頂上までは登れないはずだが)めでたく二百名山制覇する予定だ。

BSでは14日夜は9月から10月初めまでの様子を特集していた。ネットで大まかな情報は得て大丈夫だったと知っていても大画面で見る危ない尾根や崖を移動するのはハラハラさせられる。時には燕岳から槍ヶ岳への縦走通称「表銀座」のように爽快で絶景を見ながらの楽しい走破もあり登山や山歩きっていいなと思いつつ、今のところ自分は全く行動に移していない。こういうのは「山好きです」っていえるのだろうか。講演会のあともし懇親会でもあれば貝瀬先生に山の話でもしようかと思ったが、「あなたも山が好きですか。どの山に登ってますか」なーんて聞かれたらちとまずいよな。北アルプスの山ならたいてい名前は知ってますっていっても、一山とて登ったことはないしー、なんてったってギターのエアプレイならぬエアアルピニストなんだから・・。

2015年11月15日日曜日

メダカはお店でどーぞ

長島の道の駅に売っていたもの、それはビニール袋に入れられた「メダカ」だった。一袋せいぜい5、6匹だろうか、いかにも手作りのトレイに6袋ほど置かれてあった。出品者は本田〇子さんで11月14日出品とプリントされていた。メダカは売られる魚だったのかと少し驚き、そういえば絶滅危惧種に指定されたというニュースもあったなと思い出した。一袋がシロメダカが600円とあったのにはさらに驚いた。しかしクロメダカは250円と白の半分以下で安い。さらに舞姫というオレンジ色のメダカは600円で白と同じ値段だ。メダカが売りに出されるご時世、あるがままの自然って人間が好き勝手にやっていれば失われるものなんだ。


駐車場に行くと休日のせいかバイクツーリングの人たちがいて自慢のバイクを駐めていた。その中の一台がなんというかすごいハンドルでこんなので運転できるのと思った。私はバイクを運転できずどう表現していいか分からないので以下に写真を載せよう。細かい取り回しは絶対できないと思うんだがナァ。

2015年11月14日土曜日

うわっ、地震だ

土曜朝の仕事がないこともあって昨夜から寝たり起きたりのぐーたらパターンになっていた。ソファの近くでTV付けつつ録画ビデオを眺めて・・。すると何だか床が揺れた気がした。あれ?地震?すると本格的に揺れるじゃない。地震だ。意外に揺れる。地面が揺れるって気持ちがあんまし良くない。居間のドアがカタカタと音もしていて家は大丈夫かと不安になる。すぐにデジカメ持って屋根から降りている照明灯を撮した。時刻は午前5時52分ぐらい。

すぐに携帯の警報音が鳴り「緊急地震速報」が出た。「鹿児島西方沖で地震発生。強い揺れに備えてください(気象庁)」とのことだ。

今時みんなびっくりポンで起きているやろな。これで起きなかったらよほど熟睡していたか鈍いかだぜ。思えば阪神淡路大震災がこのくらいの時間に起きたんだった。鹿児島は地震は少ない地域だが天災は忘れた頃にやって来る。日頃から心しておかねばと思ったネバーよ。(あれ、なぜか「ねば〜る君」の口癖がうつったねばよ〜)

2015年11月13日金曜日

50代で死ぬ人

火曜日にNSAIDs潰瘍の話をしたが、それはこの2ヶ月その疾患が多かったからだと書いた。で、もう一つ最近多いのがあって、それは大腸のポリープ癌だ。2ヶ月で6件もあった。みんな開腹手術ではなく大腸内視鏡でポリープ切除したら実は癌が混じっていたというものだ。ほとんどが粘膜内癌で幸い追加切除が必要だったケースはない。癌と言って通常のポリープ切除と差はないからこの時点で見つかった患者はラッキーだ。大腸癌検診から検査を受けたケースが多いので検診がいかに大事かということ。進行が比較的ゆっくりで癌になっても手術なしで治ることも多いこの癌で死ぬはアホらしい。

だが、今日大腸内視鏡をした57才の女性はこんなにひどい直腸癌はないというほどのすさまじい癌だった。肛門から15cm近くも全周性の癌浸潤があり当然狭窄寸前だ。こんなにひどくなる前に症状があったはず、確かに血便もあったし貧血も指摘されていた。しかし受診していない。どうにもならなくなってこの前外来にきて今日この有り様だ。腹腔内に播種もあるだろうし肝転移、リンパ節転移もあるだろう。完治の見込みはない。しかしこのままだと腸閉塞を起こす。手術はしなくてはならない。そこまでは言わないが腫瘍があり手術が必要だと伝えた。

成り立ての癌に症状はない。風邪には症状がある。だから人は風邪で病院には来るが早期癌では来ない。風邪が癌より重症と考えている人はいないのに現実の行動はそうなのだ。かしこい人、生き延びる能力に長けた人は早期癌で病院にやって来る。検診をうまく活用しよう。病院を嫌がらないようにしよう。50才代で死ぬのは馬鹿らしいじゃないか。

2015年11月12日木曜日

ジャーン!大三元

ふぁはっはっは。天鳳では久しぶりに役満を上がった。大三元だ。鳳凰卓で東の一局が流れての一本場、まだ点棒の動きはほとんどない。西家の私の配牌はこうだった。
四萬八萬一筒九筒一索九索東東白白發中中ドラ南
8種11牌で白、中、東の対子が命であとはバラバラの手牌だ。南家が第1打で中を出したので間髪入れずこれをポン!打9ピン。1ピンか9索か1索かは指運でこの時点でどれがいいとは言えない。すぐに北家が発を切り、少し三元役は難しいかと思った。次のツモは2萬。打1ピン。すぐに北家が白をツモ切った。中を鳴かなければ手に暗刻となってわけだが構わずポン!二つの三元牌ポンであっという間に場に緊張を走らせた。そこで次のツモ牌がなんと絶好の発!打1索でこうなった。大三元もしくは小三元ホンイツの一向聴である。あのくそ手がたった4巡でこうなるから麻雀は怖いし楽しい。
二萬四萬八萬東東發發ポン白白白ポン中中中
次に2萬を持って来て打8萬。ますます聴牌しやすくなった。しかし、ここで何と対面の親がリーチ!端牌ばかり切る私の手をまだまだとみたか、よほど自分の手が良かったか。少なくとも悪い待ちではないだろう。ちょっと困ったナ。リーチ後の最初のツモが9ピン。全く通っていなかったがこれはツモ切らざるをえない。すると次、上家が3萬を切ってくれた。親の捨牌に2萬5萬があり通りそうではある。しかしこれは私にとっては絶好のチー打2萬で聴牌できた。さあもうオリない、勝負だ!
東東發發チー二萬三萬四萬ポン白白白ポン中中中
次の親は南ツモ切り。私は1萬ツモ切り。脇の二人は当然オリだ。後で見ると親の手はやはり好形高得点のタンピンドラ1の少なくとも親マンはある手だった。
私は役満達成の瞬間に備えてデジカメ動画を開始した。役満成就の時に天鳳では「ジャーン!」のサービス音声が出る。これは牌譜再生や役満牌譜サービスには出てこない、その時限りだから録っておきたい。するとなんと次の親のツモ牌が超ド高めの発だった。ジャーンより先に大声で「よし!ロン!大三元!」と叫んでしまった。いやちょっと恥ずかしいくらいなんだがやっぱりうれしくてね。以下にロンの瞬間画像と動画アップしときます。へへ。



2015年11月11日水曜日

50才過ぎて初の子育て

久々に忙しい日中だった。当直明けにも関わらず昼も当番になり、ドクターヘリからの要請で高齢男性を受け入れた。自宅の土間で倒れて意識不明だったのを発見され、ヘリがやってきて救急車で運び、病院到着時は顔は泥で真っ黒、ただ意識はおおよそ戻っていてわざわざ鹿児島からヘリを飛ばすほどのことはないのではと思った。これは症状のキーワードに従って出動するからのようだ。この場合、「自宅で意識不明で倒れていた」という点に引っかかったのだろう。当然諸検査後入院になり点滴その他で治療開始した。その時点では分からなかったがまさかS状結腸が壊死状態にあったとは・・翌日緊急手術になったのだった。

夜は国分の京セラホテルまで講演会を聴きに行った。疲れも相当あったが、タナカッツMRやタシケントMRのベロリンガー主催で座長がシマッチ院長だったのでまあ義理もあるわけだ。席のとなりにはオダネストDrがいて久しぶりで胸部大動脈瘤で二度目の手術を受けたと聞いていた。その割には元気で声にも張りがあった。珍しく「韓ドラはまだ見ていますか」と聞かれ「あー、今年は1本(太陽を抱く月)だけしか見ていないですね」と答えると、以前奥さんの稽古Drと韓ドラネタで盛り上がったことを踏まえ「うちのは、例の韓国の仕打ちに怒ってもう見ないってなってですね。私は韓ドラ時代劇が好きでたまに見るんですがー」とのことで、それには「私も韓国の姿勢は好きではないですけどドラマはドラマで切り離して考えています」と答えた。

講演の間はほとんど寝ていて何も覚えていない。終わって頭スッキリしたところで懇親会があり立食で食べつつ姶良霧島地域の諸先生方と立ち話をしたその中にカジキマグロ病院のアリブーDrもいた。医学生、第二内科からの知り合いで5年ほど前からカジキマグロにいるのは紹介状などのやりとりで知っていた。その彼が「山打ち粉Drの子どもが可愛かったー」と言うのを聞き「え、山打ち粉Drって結婚したの?」と聞き返した。彼とは二内科同期で、一度見合い結婚したもののすぐに別れ、その後は独身だったはずだ。50才過ぎての初の子どもはそりゃ可愛いだろうが、いやー、今から子を育てをするのは大変やなあ。

「それはそうとアリブー先生も結婚してたの」と肝心なことを尋ねた。彼こそ独身のイメージがあったのだが。7、8年前に結婚して7才になる子がいるという。へー。50才前に出来た子だから山打ち粉Drほどではないにせよ、まだまだこれからや。そうそう、独身主義を貫くならまだしもそうでないなら結婚は早いほうがいいわー。

2015年11月10日火曜日

NSAIDs潰瘍を語る

医局会で久しぶりにレクチャーをした。お題は「NSAIDs潰瘍」。NSAIDs潰瘍とは消炎鎮痛剤を飲み続けることで起こる胃潰瘍などのことだ。これをテーマにしたのはここ2ヶ月やたらとこの手の潰瘍患者がいたからで、出血を来たし相当ひどい貧血の人もいた。うち2人はHbが3台だった。ちょっとでも医療をかじったことのある人ならこの数値がどんなにひどいか分かるはず。私と同じ年の男性はあまりに低いHbで低酸素脳症を起こし数日意識が戻らなかったくらい。潰瘍もつくるが痛み止めでもあるためその痛みを訴えずに症状増悪してしまうんである。

一般的なピロリ菌がらみの潰瘍は青雲会病院は積極的に推し進めてきたので最近はあまり見ない。2ヶ月でNSAIDs5人に対しピロリ菌潰瘍は2人で、時代は変わるものだ、私が内視鏡室にいたころは9割がピロリ菌がらみだった。そもそもこの20年で潰瘍患者は全国で4割以上減った。ピロリ菌治療が浸透したおかげである。高齢者が増え、膝や腰が痛い、痛み止め(NSAIDs)を飲む、潰瘍が出来るパターンだ。おまけに予防薬としては胃炎には効くが潰瘍にはさほどの効果のない粘膜防御剤が出されている。そこはDrに認識を改めて欲しいとの思いもあった。可能な限りPPI(プロトンポンプインヒビター)を使うべきだ。タケプロン、パリエットなどである。

スライドが終わって理事長は軽く拍手し他Drの質問も結構あり、準備期間がさほど長くなかった割にはまずまずの発表だった。以前は直前までスライド作りにバタバタしていたが今回は数日前にはほぼ終わっていたし、だいぶスライド慣れしてきている。前にも書いたがMicrosoftのPowerPointをやめてMacintoshのKeyNoteにしたおかげだな、きっと。

2015年11月9日月曜日

子宮で考える人

買い物中に気分不良となり救急で運ばれ来た40才代女性がいた。起立性の低血圧による症状だった可能性が高く「さほどの心配はいらない」と説明はしたが、念のための採血で鉄欠乏性貧血があることが分かった。「うーん、ならば念のため胃カメラや大腸内視鏡をした方がいいかも。そこからの潰瘍や癌の出血で貧血起こす場合があるからね」と私が勧めると「えー、イヤだぁ」とだだをこねるように嫌がった。ああ、いるんだよな女性には。私はいつも心の中で思う、「頭で考えて行動できない、理性的な行動が苦手で感情によって判断し行動する。こういうのを子宮で考えるタイプって言うんだよ・・」

消化管の検査なんてまっぴらという態度だったので「ううむ、生理の出血の多い月経過多の場合もありますし、そうではないですか」と同じ年頃の女性に多いもう一つの原因の可能性をほのめかした。そっちの方が頻度的には多いからそうかもね。するとこう答えたではないか。「私、子宮は取っています」「え?!」癌か筋腫で子宮全摘した人だったのだ。心の中で私はつぶやく。「そんな・・子宮で考えるも何も子宮がないじゃん!」

結局、彼女の親の説得もあって胃カメラ実施し、結果胃が荒れていて粘膜出血は確かにあった。それに後日大腸内視鏡も受けることをどうにか受け入れてくれた。やれやれ。

2015年11月8日日曜日

メロン熊に噛まれた!

国民文化祭の一環で今日「ゆるキャラフェスタ」なるものが宮之城で開かれるという。これにカールが反応し「ぜひ行こうよ。私、メロン熊を見てみたい」とのことで朝出かけた。全国各地のゆるキャラが50体以上集まりその紹介やショーがあるらしいが、有名どころでは茨城の「ねば〜る君」、愛媛は今治の「バリィさん」、栃木は佐野の「さのまる」、奈良の「せんとくん」などが来る。その中で北海道は夕張の「メロン熊」は他のゆるキャラと一線を画す。なんてったってパンフレットにも「恐怖のメロン熊」と書かれるように見た目が全然ゆるくない。「夕張のおいしいメロンを食い荒らして姿が変貌してしまった熊。第一印象でこどもによく泣かれる」とあり、開き直った潔さが面白く、こてる日記のホームページ時代に一度取り上げたことがある。「イベントなどでは噛まれて写真を撮るのがお約束」とのことでカールも噛まれに行くそうだ。

会場に着くと一体ごとにステージで紹介されそのあと会場に降りてくる。福岡は宮若市のゆるキャラ「追い出し猫」を最初に見た。前後ろに顔が二面あり表はギュッと睨んで災いを追い出し、裏ではにっこり笑っている。宮若なんて聞いたこともないところだけどこのキャラのおかげで名前を知ることが出来たし親しみもわいた。そうそう、イベントに参加している人たちがみんなにこやかな表情になっていて、ゆるキャラって際物と思っていたがなかなか役に立っている。くまモンやふなっしーはゆるキャラの枠を超えそれぞれ熊本、船橋にどれだけ恩恵を与えたか計り知れないものがある。
追い出し猫です

どっちが前で後ろか分かりません

さあて、メロン熊だけど司会者の榮德アナが呼びかけると肩をいからせのっしのっしとステージに現れた。そいでもって早速司会者やアシスタントまで襲うパフォーマンスを見せ、「キャー!」とマジで主催者側が怖がっていたよ。
アシスタントを急に襲うメロン熊!

これでゆるキャラ?このあと起き上がった彼女はほんとに恐怖の表情でした。
↓今度は榮德アナを襲います(‾□‾;)
会場に降りてきて私の目の前に近づいた時、それが作り物と分かっていても一瞬恐怖を感じた。結構な迫力だ。少し落ちついたあとはみんなが寄ってたかって写真を撮ろうとした。当然、カールも近づき頭を大きな口の中に入れそこを私が写真に撮る。今度は私がメロン熊の口に頭を突っ込みカールに写真を撮ってもらう。

こうすれば何か御利益があるのかないのか、ともかくも楽しいのでやっただよ。カールはメロン熊グッズも欲しいようでぬいぐるみは3500円と高いのでキーホルダー1000円を買って上げた。いやいや、昨日麻雀で勝ったからね、お礼はサブアラドDrに言っておいて、ハハ。
↑このスタッフ、やたら身長があって思わずあなたもゆるキャラ?と尋ねたくなった。

各地の大鍋料理や地産地消の店、踊りの披露などなるほどこれは文化祭だわ。鍋は千葉県八千代市の鍋グランプリ2015優勝の「もちぶた炙りチャーシューとん汁」400円を食べた。ほんとは山形の米沢牛を使った芋汁500円を食べたかったが昼前にはすでに売り切れていた。とん汁は特に変わったものではなく味はまあまあ。結局これが昼ご飯代わりになった。

12時半から「ねば〜る君」のショーがあるというのでまた会場に戻った。ねば〜る君はふなっしー同様おしゃべりをするタイプでアシスタントのお兄さんとの掛け合いや興が乗るとバネ仕掛けで背がのび〜るのがウリだ。ふなっしーは「なんとかなっしー」と語尾(ごび)るがねば〜る君は「なんとかねばー」と語尾る。納豆の妖精とかだそうで・・ふむふむ。子どもたちと玉入れ合戦をしたりいっしょに写真をとったり、私たち夫婦でもそこそこ面白かったから子連れファミリーにはなかなか楽しいイベントだったろう。



ゆるキャラフェスタは午後も続いていたがねば〜る君のが終わったら帰ることにした。昨日の麻雀の疲れが残っている私は助手席でぐーすか。いびきをかいていたらしい。家に帰ってみると、ゲンちゃんがたたみの部屋の毛布の上で大あくびをしていた。ああ、うちのゆるキャラはゲンちゃんだねえ。