2015年3月31日火曜日

年度末と新年度の間

今日は年度末の日。珍しく火曜日当直が当たっていた。比較的楽な感じで過ぎていったものの、日付が変わり新年度になるや否や、さっそく救急車からの依頼だ。交通事故?ほう。バイクの自損転倒事故か。で、受け入れてみると16才の男子高校生だった。いったいこんな時間に何やっている。そうは思ったもののまずは診察、治療が優先だ。幸い頭部CTに異常なく耳付近の擦過傷で済んで良かった。運転には気をつけようと言う以前に生活に問題ありだな。

寝込んでいた午前4時過ぎ腹痛の高齢男性が救急で来るという。やれやれそんな時間に痛くならなくてもと思うがこればっかしは仕方ない。依頼する側もよほどのことで救急車を呼ぶわけでそれなりに原因があることが多い。この患者さん、実は1週間ほど前当院でERCPによる治療を受けたばかりの人だった。痛み部位からしても胆膵系に何かありそう。詳しい検査は時間帯からして難しいので入院させ鎮痛剤でしのぎ午前に詳しく検査することにした。CTでみると胆汁流出のために一時留置していたERBDのチューブが総胆管内に迷入していた。これが腹痛の原因だったのだ。これを抜去してあげるとすっかり痛みはなくなった。やはり明け方に救急でやってくるだけのことはあったわ。

そんなわけで新年度の始まりは猛烈な眠気で始まったのだった。

2015年3月30日月曜日

女は子宮で考える

近隣在住で郡部に小さな医院クリニックを開業していた内科Drが先月亡くなったのを知ったのは新聞広告でだった。急なことでまだ60才代半ばなのに何で亡くなったのかは知らずにいた。それが今日、カールがそこの奥さんとスーパーでばったり会ったそうで、「けっこうやつれていた」そうだ。カールは「このたびは大変で・・」と声を掛けるの精一杯でとても詳しいことは聞けずにいたところ、奥さんの方から「膵臓癌でした。半年ほど前に分かったときにはすでに手遅れで・・」と教えてくれたという。確か二人子どもがいて一人は医学部にも進学していたはず。まだ学生とはいえ一応の目処が立っていたのは良かった。膵癌か・・これになってしまったら助かる確率は低い。自分でもきっとあきらめてしまうだろう。

それはまあいいとして、この話題にカールが毒されてしまって私やチッチは大変だった。もしうちの旦那がそうなってしまったら・・と急に我が身を思い不安に駆られてしまったようだ。「チッチ、あんたは勉強もしないでだらだらしてていいの!」「テルくんもxxxxxxxxなんだからー(怒)」ほかにもブチブチ言って、何でこんなトゲトゲしいんだと思うほど。でもここで理屈でもって反論しても何もいいことはない。じっと嵐が過ぎ去るのを待つのみ。チッチもその辺はかしこく黙っていた。テルあたりは口答えする癖がありだから相性が悪いんだよ。

これって女だからだろうか。ある感情に支配されると論理的な思考がストップしてしまう。私が昔から言う言いぐさで「女は頭でなくて子宮で考え判断する」は間違いないようだ。チッチに「いざという時、父親の存在がいかに大事かってことが分かるだろ」と言うと小さく肯いていた・・。

2015年3月29日日曜日

桜と桜島

昨夜、チッチの同窓生(すでに卒業はしている)の豊大君が泊まっていた。クラスは違っていたが親同士が鹿大医バスケ部出身でカールとも何かと縁のある家系でもある。そこで豊大君にお父さんユタカヤマDrの学生時代の写真を見せてみた。バスケ部の遠征や合宿でのおふざけ写真が主で彼は苦笑していた。本当は藺牟田池での合コン(懐かしい響き!)写真があったらよかったが残念ながら見つからなかった。というのも、その時の相手女学生の中にユタカヤマDrの将来の奥さんすなわち豊大君の母親がいたからだ。そのことを教えると彼は少し驚いた顔をしてこう答えた。

「2週間ほど前に『これが家族そろって(兄、本人、両親)最後のドライブになるかも』と言われ行った先が藺牟田池だったんです」
両親が記念に選んだのは二人が初めて出会った思い出の地だった。

午後はカール、チッチと花見に出かけた。行き先は比較的近い吉野公園だ。吉野公園はここ10年で2度目くらいか。北入口から入ると車ごと公園内に入れ展望台にも近くてよろしい。七分咲きの桜もきれいだったが久々展望台からみる錦江湾と桜島が圧倒的に雄大で美しく感激した。湾奥と桜島がある種箱庭的な見え方がするのも面白い。新しいマイデジカメPowerShot G7Xで撮りまくった。チッチと桜島を撮っているとちょうど噴煙を上げ始めたので遠景近景とこれまた撮りまくった。県外の観光客もいてみんな歓声を上げ、この時ばかりは桜島の噴火も有り難い感じがした。改めて桜島は鹿児島のシンボルだと思ったことだった。

2015年3月28日土曜日

そいつはイカルでは

午前仕事で午後から恒例の麻雀、サブアラド、見せたまえ両Drはいつもの相手で前半は薬剤師福祉茸君、彼が夜は送別会参加で後半はダイボDrが入った。ダイボDrはバードウオッチングが趣味で鳥に詳しい。サブアラドDrが「最近、霧島で見かけるクチバシが黄色い20cmくらいの大きさの鳥が何だかわかる?」と尋ねていた。(サブアラドDrは霧島にある過ごし安病院勤務だ)「その程度の情報でわかるわけないやろ」と私が言うとダイボDrはじっと考え「それはイカルじゃないかな」と答えた。でも正解かどうかはサブアラドDrに確かめないと分かりようがない。ところがだ。ダイボDrは毎回3枚ほど自分が撮った鳥の写真をプリントして我々にプレゼントしてくれるのだが、今回その中になんとそのイカルがあったのだ。サブアラドDrが写真を見て「あー、これこれ」と指さした。いやーダイボDrすごい、参ったね。

でも麻雀は私の勝ち。ダイボDrも前回に続いてわずかであるが負けにした。イカルは知らなくてもスズメはよーく知っているからなー、アハハ。

2015年3月27日金曜日

ある金曜日の1日

当直明けで引き続き午前も救急当番だったから疲れがピークに達していた。患者さんを聴診すると右耳が聞こえにくい。もしや右の難聴でもあるのか・・しかしよく見れば聴診器の右耳当てのゴムが裂けていることに気がついた。内視鏡室壁のフックに引っかかり傷ついたせいか。いずれにせよゴム一つでこの聴診器は使えないわ。総胆管結石の患者がいてERCP手技用いて排石をする必要があった。ブックリバーDrは休みのはずで忙しい中、自分がやらねばならないかなと気が重かった。しかしブックリバーDrが自分の受け持ち患者の件でヘルプに来てくれついでに処置してくれることになった。有り難い。20分ほどもかからずあっという間に排石は終わり、助かるわぁー。そうそう、もしかしたら4月から常勤かと思われた内科医は結局別の病院に勤務するとの連絡があったそうだ。うーむ、仕方ないね。

どうにか業務のカタが付き、夕方医局にいると今日発行製薬の空中MRが来ていて「いまどうにか二段です」と天鳳での段位情報を教えた。彼とは一度も打ったことはなく私が天鳳やったらいいよと勧めていたのだった。サンマ(三人麻雀)も好きらしいが普通の四人麻雀もするという。ふむふむ、四段五段になればネット観戦もできるので早く上がってきて欲しい。麻雀アピールを続けていたせいで、最近はかつての面子不足も解消されつつある。空中MRとリアルでも闘牌できるかもね。

夜は疲れていたけれど串木野までトリオリーグに参加した。アンカーさんサキシゲさんとの組み合わせだった。1ゲーム目はボロボロ。しかし2ゲーム目は超絶!4連続ストライクなど216出し私のスコアがほとんどトリオのスコアになるほどで相手2チームがこけたこともあって2勝をもぎ取った。3ゲーム目はサキシゲさんが203、私が183でまずまずだったが2敗と結果は残せなかった。トリオハイフレーム方式は個人の成績がうまく反映されたりされなかったり、面白くももどかしくもある。

帰宅して前日春期講習から帰って来ていたチッチと久々に話をした。センバツの時期でもあり二人の共通語、高校野球ネタで盛り上がった。チーに質問され、夏の甲子園優勝校を去年から昔へさかのぼって上げていくことをやった。昭和40年代までは完璧に言えるが30年代20年代はあやしい。しかし当たらずいえども遠からずで自分でも驚いた。意識して覚えた訳でなく自然とそうなった。好きこそものの上手なれってことか。

2015年3月26日木曜日

イヌで拒食が治る

今夜は当直。外来にネコに噛まれた患者が来ているというのでいってみた。18才の女性で左手を数ヶ所噛まれじんじん痛むという。動物咬傷は縫うことはできないので洗浄消毒し念のため抗生剤を処方してハイお終いと電カルに向かった。しかし付き添いのお母さんが「その節はお世話になりまして」というので振り返ると確かに見たことのある顔・・・アレ?改めて名前を見ると元結さんといって2、3年前拒食症で入院治療したことのある女の子だった。あーー。体重30kgくらいで心療内科のDrと相談しながら入院させたが体重計ごまかしたりどうしても食べずに泣いたりと、とても拒食症は内科くんだりのDrが診られる疾患じゃないと思ったものだ。結局心療内科の野下病院に紹介し直してそれっきりだった。

「すっかり良くなってー」とお母さんがお礼を言い、見れば痩せてはいるが確かに以前よりふっくらして表情も明るくなっていた。「今何kg?」と聞いたら「40kg・・」とのこと。「へー、いいねー、どら」と言って彼女をお姫様抱っこすると恥ずかしがりながらも笑っていた。いくつか治るきっかけがあったようだが、イヌを飼い始めてから好転したのだとか。ほほう、ペット療法というのを聞いたことがある。ネコも同様か。ただ、よくよく聞くと家のネコが庭にいたタヌキに興奮して引っ掻いたのだとか。タヌキ?いったいどんな田舎なのよ。蒲生は西浦か。深バッバNsの住んでいるところだな、なるほどその辺りならタヌキも出るかも。でもイヌやネコやタヌキのおかげで拒食症が治ればもうけものだ、田舎バンザーイ!

2015年3月25日水曜日

禁間食再び

午後は早帰りでたまたまやっていたセンバツ高校野球の松山東対二松学舎大附戦を見た。松山東は甲子園オタクなら戦後松山商と合併時期に夏の甲子園で優勝をした学校とすぐに思い浮かべるが鹿児島で言えば鶴丸に相当する進学校だからその後は全く出場できないでいた。かつての勇、松山商がこのところ低迷をしていて済美も上甲監督が亡くなり出てくるのは今治西ばかりの愛媛県だけど、松山東は今回はお情けで21世紀枠かと思いきや去年は夏の予選決勝で敗れ、秋は四国大会に出場したというからそこそこの実力で選ばれたようだ。

試合は意外にも松山東が2点差でリードしていた。ヒット数では負けていてもワンチャンスをものにしたようだ。しかし後半追い上げられ同点に追いつかれた。この回の裏これまたぎりぎりの1点をもぎ取りこのあとどうにか逃げ切った。ううむ大したものだ。力からして二松学舎の方が上で松山はこの後も勝ち上がれそうにはないがそれでもどのチームも必死に勝とうとしてくる甲子園での1勝は重い。例えば山口の岩国高校など30年間に7回センバツや夏に出ているが1回も勝てず8回目2003年にしてようやく1勝を上げた。その時は準々決勝まで行きそれまでの憂さを晴らした格好だったが翌年1勝はしたもののここ10年は3回出てすべて1回戦負けと元に戻っている。だから去年鹿屋中央が夏1勝を上げたのはえらかった。あと今回は球場の雰囲気も松山東びいきになっていてこんなのも球児には影響するんだ。アルプスが本当の大応援団でものすごかったもんね。甲子園ではこうした試合があるから面白い。

そんなことより久々に体重計に乗ったらいくら食直後とはいえ79.8kgはいかん!7年前に同じくらいの体重になってダイエットを始め一時は70kgくらいまで落ちたのに少しずつ少しずつ増え始めこの2年ほどは75、6kgでこらえていた。しかしやっぱり間食をするんだよなあ。ゼロコーラも間食をしないかわりに飲むというのが鉄則だからそれをやっちゃーダメなんだ。てなわけで今日から本当の禁間食ダイエットを頑張りマース!

2015年3月24日火曜日

女のケツ追っかけるは・・

ゲンちゃんは家外のネコのロシアンブルーがやって来ると苛立ってミャーミャー鳴いて威嚇するのに茶美ちゃんにはてんでおとなしく家に入った彼女のお尻を追っかけ回している。茶美ちゃんもよそのおうちなのにまるで我が物顔でゲンちゃんのシートに寝そべってクンクンしているし、それをへーってなお顔でゲンちゃんは眺めているんだ。カールがデジカメでその様子を撮っていて「どっちがうちの子なんだか」と嘆き節で「他の雄ネコには強気で鳴くのに雌ネコの可愛い子にはケツを追っかけてばかり全くだらしない。やっぱりテルくんのネコだわー」と人聞きの悪いことを言う。ゲンちゃんが可愛い仕草をするときには「まあ可愛い、私のゲンちゃん」とそれこそネコ撫で声で抱っこするのに勝手すぎるゾ。

ネコも相手を選んでいるのは間違いない。最初から茶美ちゃんには愛想が良かったしロシアンブルーに限らず雄ネコっぽい他所ネコには警戒心丸出しだもん。もしかして茶美ちゃんに惚れちゃったかな。でもいくら好きでもゲンちゃんは結婚できないよ。だってオカマちゃんだしー。残念!

2015年3月23日月曜日

「ペルシャの市場にて」

土曜日の録画していたNHK教育の「らららクラシック」を見た。3年前から放送していたらしいが初めてだった。たまたまラテ欄に「ペルシャの市場にて」が取り上げられると知ったからだ。この曲は小学生の音楽の教科書に出てくる入門用の曲というイメージゆえあまりクラシックには詳しくない私でも親しみがあった。番組はまさに初心者向けで曲の背景、イギリスの作曲者ケテルビーの生い立ちと活躍、曲の構成と特徴が面白く時には専門的に披露され、最後に東京フィルの約6分弱の全演奏を司会者、ゲストとともに聴き終わる内容だった。

この番組で初めて知ったのがこの曲が1920年発表と比較的新しいということで、だいたいがクラシックって19世紀以前のものがほとんどでモーツァルト、ベートーヴェンなんて日本で言えば江戸時代の作曲家だ。それに比べ「ペルシャ」は大正時代にあたり、その時代に発表された特徴がでていることが番組の解説でよく分かった。イギリスではすでにレコードが発売されいてこれまでの重厚長大な音楽よりもレコードかけて気楽に楽しめる「ライトミュージック」という曲が流行っていた。この曲もその流れで作られ大ヒットしたという。

わずか5、6分の中にペルシャの市場での情景をまるで紙芝居を見ているように表現され、実際出だしが「らくだに乗ったキャラバンが近づいてくる」とか途中は「市場の大道芸人たち」など細かい場面設定が楽譜に書き込まれている。そして男声合唱がつくこもある有名なメロディー「♪ドードードー ラソラソミーミー ラーラーラー ソミソミレーレー」が何と「市場の物乞いたち」で物乞いのかけ声だったとは。一転して流麗な優しい曲調になりそれは「王女の到着」でいかにもそれらしい。接続部が「大道芸人たち」「へび使い」とこれまたいかにもだ。後半はそれまでのメロディーが再び使われ、王女が返り支度、キャラバンが旅に出るなどのタイトルがつけられている。それが分かって聴くとより楽しめると分かった。で、確かCDかiTunesの中にこの曲はあったはずと探すがすぐには見つからず困った。ともあれTVで聴けるのでじっくり聴いた。

ケテルビーは時代が時代ゆえに単純な作曲や演奏ではなくBBCのラジオ部長、レコード会社勤務、映画伴奏音楽の作曲、ボードビルショーの音楽監督といった仕事もこなしていた。もうクラシックの世界の話じゃないね。そして曲を聴いているうちに私はビートルズのアルバム「アビーロード」(1969)の後半のメドレーを思い出していた。あれも数分の曲をつないで優しいのから力強いもの、それに最初に出たメロディーが後で出てくるなどロック、ポップス界のアルバムに驚きを与えたのだが、あれ?それって50年前にケテルビーがやっているじゃん、ああ同じイギリスのレコード会社の作品だもんねってな具合に。ビートルズがアビーロードのB面でやったことはクラシックとの融合の意味合いもあったはず。後にクイーンが「オペラ座の夜」でロックとオペラの融合を試みたように違う物同士の掛け合わせで新鮮さを出そうとするのはいつの時代も変わらないってことだ。

この番組を見てからもう頭の中は「♪ドードードー ラソラソミーミー」が繰り返しリフレインされすっかりペルシャの市場に迷い込んでしまったみたい。そうそう、NHKは「ペルシャの市場で」とタイトルしていたがどうもしっくり来ない。普通「ペルシャの市場にて(In a Persian Market)」と訳すだろう。「で」より「にて」の方がたった1字のことだがストーリーを感じる。当然こてる日記のタイトルもそっちだ。

2015年3月22日日曜日

一局で二つの役満聴牌

麻雀は半荘1回目で見せたまえDrがお産で呼ばれて急遽福祉茸君に代役を頼む羽目になった。このお産緊急帰院が見せたまえDrの大いなる問題点で、本人も「こうなったら病院に雀卓を置いてお産の時は嫁はんに代打ち頼み、終わったら卓に戻ってまた打つ」というふうにしたいらしい。お産がいつあるか分からない状況で旅行はできず麻雀かパチンコくらいしか息抜きができない彼にとってはしょっちゅう闘牌をあきらめる事態にやきもきしているようだ。

いろいろあった面白い場面で今日はこれに尽きるだろう。ダイボDrが子で配牌を見て「おっ」と声がうわずった。「いい手が来ているんだな」と私が茶々を入れると第一ツモを手にし「うーん」と考え、おもむろに「リーチ!」と宣言。案の定、ダブルリーチだ。これには参って私はベタ降りした。結果は福祉茸君が8巡目にツモドラ1の平凡な手を上がってけりがついたが、実はこの一局、大変珍しい局面だったのだ。というのも、ダイボDrはたったこれだけの局面で二つの役満をそれぞれ聴牌していたのである。意味が分からない?私も最初はピンと来なかった。説明するとダイボDrの配牌は以下のようだった。

北北北②②②二二四四五五六

何と三六萬待ちの滅多にない地和の聴牌であった。そこでツモって来たのが惜しくも二萬。しかしこれは六萬を切って四萬か五萬をツモれば四暗刻ではないか。地和はならずともこれはこれで大物手に化けた。で、六萬切ってダブルリーチしたのだった。次のツモが何と三萬で1巡ずれていれば良かったし、待ちを変えなければダブリー1発ツモで満貫はあった。もういくらでも大物手になるはずだったのにすべてがパー。何もなく点棒を払うだけに終わった。しかし麻雀にはこんなことも起こりうるんだとこてる日記に記録した次第である。

結果は私と開けたいゾ君が勝ちダイボDrが久々に負けた。驚異の7連勝くらいしていてあの役満が上がれていればまた勝ち組だったに違いない。ようやく土をつけられた。やれやれだ。

2015年3月21日土曜日

バスケ部総会

毎年この時期恒例の鹿大医学部バスケ部同窓会「スピリッツ総会」がいつもの天文館クレストンホテルであった。冒頭、納先生のあいさつがあり和やかに会は進んだ。追い出しコンパも兼ねており聞けばつい最近発表のあった医師国試には卒業生全員合格したとのことだ。私の知る限りバスケ部員は毎回全員合格している。学生時代遊んでいるようにみえてもいざという時の踏ん張りが効くってことだ。学生時代はできるだけ部活動はしたほうがいい。勉強に関しても有形無形一人よりみんなの力で合格できるし、人間関係をどうやり過ごすかのちのち役に立つ。社会に出たら学力だけではうまくやっていけないのは明白だ。「バスケ部は個人技、団体競技のバランスがいいのが素晴らしい」とは納先生がいつも言われる言葉だ。なるほど、学生時代怠け者のぼんくらのイメージの私でもバスケ部はまじめに出ていたのが良かったのかな。おおソーかDrやオッキーDrなど同期生も来ていて話をするとみんなそれぞれ活躍していて頼もしい。

そうだ、今日は来ていないしんどかどDrにこの前麻雀に誘われ完敗した話をすると、おおソーかDrが「今度みんなで集まって麻雀しましょう」と提案した。ふむふむ、そうなれば卒業旅行で別府長崎に行った以来だ。よろしい受けてたつぞ。

卒業生の進路だが、Drは鹿児島県内に残る人が多かったのにNsは県外、特に福岡が多かった。Drは徐々に県内残りが増えて来ているが一般に鹿児島県Ns学生は県内に半数残るかどうかと言われている。看護師不足を言われている実態が分かるわ。気がつけば自分が卒業して30年も経った。早いなあ。みんなもあっという間だよ。

2015年3月20日金曜日

エキサイトステージ’96

テルが帰郷したのでセージ含めて家族4人でキムチ鍋を食べた。これは春講習で辛い料理が苦手なチッチが不在だからということもある。ついこの間まではチッチと3人だったのが反転して何やら可笑しい。キムチ鍋はそれなりに美味しいが、カール曰く「せっかくいい肉を入れたのにすべてキムチの味になってしまう(これなら安い肉でも変わりないわ)」ということだった。

明日は休みだが疲れていたテルは先に寝て私とセージは深夜起きていた。そこでふとセージに「昔やったスーファミのエキサイトステージ(サッカーゲーム)をしないか」と振ってみた。「いいよ」と即答のセージだったが、エキサイトステージ’96が見つからない。’95や’94はあるが最終版にして完成度が高いと噂の’96年版を試したくて半年ほど前にネットで購入していた。しかし「受験生がいるのに何考えているの!」と当然のごとくカールに叱られどこかに閉まっていた。ところがどこに隠したのか忘れてしまったのだ。バカな話だがよくあることでしょ。玄関、居間の戸棚とセージもいっしょに探してくれたがなかなか見つからない。「職場に持っていったとか?」「いいやそれはない。きっと家の中にある」そんな会話をしつついっしょに探していると、「もしかしてこの中じゃ」とセージは私のテーブルの背後にある食器戸棚(今は上半分を取り外し物入れにしている)の私がよく使うところを探り始めた。うん?その中には湿布や雀牌、ファイルなどがあるがその一番奥にそれはあった。「ほうら」してやったりのセージ。いやー、私よりよく分かっているねー!

ゲームはかつて沖縄で1年間やり尽くした私に分があり数試合やってもセージは私に勝てなかった。そのうち私の左親指に異変がー。違和感あって見れば何と小さく豆が出来ていた。やりすぎだっつーの。そして最後の試合、力が入らない私はセージに1ー0で負けてしまった。喜ぶセージ。うんうん。上手く収まった。もう眠いから先に寝るわ。明日は久しぶりの朝寝が出来るぞー。

2015年3月19日木曜日

楽天的思考

朝、茶美ちゃんかとおぼしきネコが家のロッジに来ていた。あれ?でも何となく違う。目つきが若干おかしいというか・・。ゲンちゃんが窓越しにちょっかいを出す。よーく見ると茶美ちゃんにはある首輪がない。ああ、エセ茶美ちゃんかぁ。茶美ちゃんは身元がはっきりしていてかわいいので家の中に入れることもあるけれどこいつはそういうわけにはいかない。病気持っていたりケンカしてゲンちゃんが怪我してもつまらない。サカリの時期なのか最近はよくネコがやって来る。ゲンちゃんはタマタマ取っているからあんまし関係ないけどネー。

開けたいゾMRがついに六段に昇段した。これでサブアラド六段と並んだ。さほど苦労することなく順調に上がってきた印象だ。ただ六段坂はこれまでどおりにはいかないよ。ラスがマイナス120点ときつくトップが+75点2位が+30点だから1位2位取っても追いつかない。私も2度目の六段では昇段まで9ヶ月もかかった。開けたいゾ六段がこのまま突っ走るのか停滞するのか、まさか五段降段はしまいだろう、楽しみだ。そういう私はこてる二段でちんたら打っているが何と今日は3連続ラスという屈辱的な結果に唖然とした。このレベルでこれとは・・自分ってほんとは弱かったのか。麻雀には理不尽さがつきまとう。

木曜は外来、救急当番と忙しく昼休みも心肺停止患者が運ばれたりして休みがなかった。疲れていたんだよ。そうそう、すっきりした頭でちゃんと打てばこんな段位で負けが込むはずがない。勝てば実力負ければ不運、そう思うわなくちゃやっとれんばい。

2015年3月18日水曜日

ある日のボウリング練習

スリウェル君とT-MAXでボウリング練習だった。5階レーンの真ん中が枯れた投げにくいコンディションで少しでもそこに触れるとボールが曲がり勢いがそがれる。最初はスリウェル君なぜか調子良く196を出し私はスプリット5回の154で、ボールをドライ用のアブソリューションジェットに替えたがこれもドライコンディションを克服できなかった。アブソは6年前に買った古いボールでかつての川内ガラッパボウル用によく使っていたがポリッシュを繰り返しているうちにピンアクションが悪くなってもう使えないな。ボウリングボールは消耗品なのだ。
今のメインボール、マスターマインドインテレクトはきちんとラインを狙えば曲がりピンアクション共に抜群で後半はこれを使いスリウェル君には勝った。唯一の200アップとターキー賞も取ったしネ。

ボウリングも投げ始めて25年目だ。投げたくて誰に言わずマイボールを作って2日と空けずボウリング場に通っていたころもあった。腱鞘炎で半年まともに投げられない時期もあった。今は投げたくてもそうでなくても週1の練習を欠かさない。山あり谷ありのボウリング人生は続いている・・。

2015年3月17日火曜日

漫画週刊誌の日

今日は「漫画週刊誌の日」なんだって。1959年昭和34年の今日、少年マガジンと少年サンデーの両誌が同時に発刊になったんだとか。私はこの年の9月生まれだからまさに私の人生と漫画週刊誌の歴史はいっしょということだ。実際子どもの頃、漫画はTVと並んで娯楽の巨頭だった。その後大人向けの漫画も定着しいまやアニメと並んで世界に誇る日本文化の象徴にさえなっている。当初は「漫画ばっかし読んでいるとバカになる」とか言われ(それは今でも言われてはいるが)、世界相手に国がこれらを推奨するなど当時誰が考えただろうか。バカにされつつも僕ら世代の誰もが一度ならず夢中になったものでそれだけ優れたものが漫画、アニメには内蔵されていると考えられる。取っつきやすさに惑わされるが文章表現にはない独特の優れた表現方法を持つ一文芸ジャンルだったのだ。ただ私はその後あまり漫画を読まなくなっていて元が画像派より文章派だったのかもしれない。みんながいいと勧める漫画でも読み続けるのがきつい。だからワンピースとかスラムダンクとかも第1巻を読み切れずそのままだ。おっさんになったのかなぁ。

2015年3月16日月曜日

おすすめ!NHKBS

夕方、勤務希望のDr面接に立ち会った。医師紹介会社の人と来ていて30才代半ばの消化器内科医だった。今一番欲しいのは常勤医でぜひ来て欲しいところだが内視鏡をやるだけではダメで外来、病棟、そして他にないのが救急当番だ。実は私も青雲に就職するときこの救急当直が一番のネックだった。だってほとんどやったことがなかったんだもんねぇ。そこのところはきちんと言っておかねば。そんな私でも今じゃピーポーが鳴ってもほとんど動じなくなってきている。人間、慣れるってこと。そう高をくくって思ってくれればいいのだがー。そう思えばスタッフはよく動いてくれるし働きやすい病院なんだ。30分以上話をして分かってはもらえたと思ったが果たしてどうなるか。

最近NHKBSプレミアムが民放にはないいい番組をやってくれよく録画して見ている。火野正平の「日本縦断 心旅」や今やっている「グレートトラバース(日本百名山一筆書き踏破)」などの風景&道中物や「世界ネコ歩き」やネイチャー物など視聴率優先ではなくテーマを絞って見せてくれる番組作りがいい。派手な演出ややかましい会話がなく落ち着いて見ていられる。民放のは刺激的で決してそれらを否定するほど野暮ではないがどの局も似通ってきていて見なくてもいいかという気分になる。4月からは「あまちゃん」も再放送されるので最初の40話くらいは見ていないしえらく楽しみだ。ますますNHKBS熱が上がりそうだ。

2015年3月15日日曜日

囲碁の超若手強者、出現の背景とは

朝から当直でぐだぐだ過ごしていた。急患や病棟から呼ばれないときは医局ソファで寝転びぼーっとTVを見ていた。

NHKの囲碁は今日が決勝戦で登場したのは伊田篤史(いだ・あつし)八段と一力遼(いちりき・りょう)七段という超若手の二人だった。20才と17才でこんなに若い打ち手同士の決勝戦、しかも二人とも初出場というのは初の快挙だ。伊田篤史はその名を去年の本因坊戦最年少挑戦で一般に広め、一力遼は棋聖戦リーグに最年少で入るなど共に一線級の活躍でどちらかが優勝してもおかしくないところまで来ていた。一力など世間ではまだ高校2年生の年なんだよ。囲碁や将棋などが才能と努力の世界とはいえ驚きだ。伊田篤史は私がひいきにしているNHK杯男結城聡を3回戦で破った。その碁を見ていてたまたま勝ったというより内容的にも結城を押し切った印象でこれは強いと思った。結城はTV囲碁に強くこの6年でNHK杯を5回優勝するなど驚異的な成績で今回も優勝候補筆頭だっただけになおさらで、一力遼も準決勝で囲碁界の若き第一人者井山裕太(25才)を堂々と破っての決勝進出だからたまたまのラッキーではなく大したものである。今後の囲碁界は井山、伊田、一力のスリーアイ(3I)の時代か。今期のNHK杯はその象徴となるかもしれない。かつてNHK杯の将棋(1988年)で羽生善治がまだタイトルも一つもない時に大山康晴(3回戦)、加藤一二三(準々決勝)、谷川浩司(準決勝)、中原誠(決勝)と、当時現役の名人経験者4人をすべて破るという快挙を成し遂げ一気にその名をとどろかせたが、その時以来の若いパワーのうねり、いや上昇する竜巻くらいの勢いを感じる。TV対局は短期決戦ゆえか新聞棋戦より時代を先取りしやすい。囲碁界も新しい時代に入ったなと思う。

なぜ、今になってこんな若手が台頭してきたかだが、私が思うに今から10数年前の漫画「ヒカルの碁」ブームとネット碁時代になってきたのが大きいのではないか。ヒカ碁は囲碁を知らない子どもたちが知るきっかけになったと同時に囲碁を子どもが打っても誰も冷やかさずおかしくない状況を作った。私が打ち始めた中学生のころは「年寄りくさい」「どこが面白いの」と実際に言われたりしたものだった。それに今は簡単にネットで碁を打つことが出来、才能ある子はすぐに上達する機会に恵まれている。ネットは囲碁に限らず将棋でも最近知ったがポーカーの世界でもそこで訓練した若手が一気にベテランを追い詰めているらしい。

ネットは昨今の世界情勢や経済をみても分かるようにゲームの世界に限らず21世紀に世界を最も変えた最強のツール、手段だと言える。

2015年3月14日土曜日

熱戦!おおばば対サブアラド

ネット麻雀天鳳の観戦欄を見たら何と開けたいゾMRとサブアラドDrが特上卓で偶然同卓となり闘牌していた。開けたいゾ君は天鳳名は「おおばば」と名乗り五段に上がりサブアラド六段とはネットでは初対局のはずだ。

前半おおばば五段はアンラッキーにも放銃が重なりビリに位置していた。私は両者に電話してみた。サブアラド六段は「ああ、開けたいゾ君には悪いが親で5800を当たっちゃったよー」と余裕を見せ、おおばば六段は「センセー、ダメです」「もう3千点くらいしかありません」と泣き言をこぼし、私の観戦時点よりさらに点数を失っているのが分かった。(注:観戦は実戦より約5分遅れで表示されていく)そこで私は「何言っている。まだ東場で親も残っているんだろ。いきなりトップとかは狙わずまず3位のサブアラドをターゲットに少しでも得点を狙うんだ。チャンスはまだまだきっとある」と励ますと「ああ、そうですかね。でも先生にそう言ってもらえると少し勇気が湧いてきます」と感謝され彼は電話を切った。

その後私は観戦を続けていた。オーラス、驚いたことにトップ目におおばば五段、ラス目はサブアラド六段になっていた。おおばば五段はハネ満ハネ満とツモってその後も上がり一気にトップになり、前半あんなに余裕をカマしていたサブアラド六段は満貫ツモってもラス脱出出来ないくらいの点数と、王様と乞食が入れ代わる如きの暗転ぶり。全く麻雀は波瀾万丈のゲームだ。

それでオーラスを見ているとこれがまた驚きのサブアラド六段が安易な聴牌を拒否しドラとピンフ一盃口の手でリーチ!見事高めをツモってきっちりハネ満に仕上げ3位とラスを脱出した。いやはや、天鳳ではまずラスを取らないことが最重要事で彼もほっとしたことだろう。

直後に二人に電話すると緊張、落胆、歓喜、安堵と半荘一回で様々な状態を経験し、ふうぅとため息をついているところだった。いや、卓外で見ていた私も楽しませてもらいましたヨ。おつかれさん!

2015年3月13日金曜日

ジェイソンは永遠か

今日は13日の金曜日かぁ・・。映画「13日の金曜日」は独身時代、初めてビデオ機器を買ってレンタルビデオ通いをしていたころの懐かしい映画シリーズだ。でも最近の平成生まれの連中はあんましジェイソンのことは知らないんだ。あのホッケーマスクの怪物は認識しているけれど映画をビデオでも見たことなくてキャンプ場での怪談話が元ネタってことは知らない。そうそう、以前も話題にしたこともあったキョンシーに至っては世代間で知る知らないがくっきり分かれる。現在30才半ば世代では知らない人はいないといってもよく平成生まれはほとんど知らない。一世を風靡したあと急速に露出が減ったからでウルトラマンやドラえもんのように長く続いて各世代に浸透しなかった。

13金のジェイソンは1980ー90年代限定の産物でドラキュラやフランケンシュタインのように記号のようなホラーキャラと違い徐々にフェイドアウトするキャラで終わるのか。怖いだけでなくユーモラスな味もあって印象に残るので惜しい気がする。シリーズも後半はただ殺しまくってうろつきやっつけてもやっつけても再生する不死身キャラになったのが惜しい。シリーズは続けられたが永遠のキャラとしての生命は短くなったようだ。シリーズ第一作のラストシーンは衝撃的で、ホラー映画のパターンを変えた、あるいは新しい流れを作ったとも言えただけにもったいないゾー。

2015年3月12日木曜日

またマイボウラー誕生

朝の救急は中学3年の男子生徒だった。自転車で登校中転倒し顔面や四肢打撲、擦過傷で運ばれて来た。問題はこの子は本日卒業式だったこと。おいおい、大事な日なのにー。顔面を消毒しマスクを付けさせ急いで手当して親を待った。蒲生の子だったので式にはぎりぎり間に合うかどうか。それにしても手荒な祝福だったことよ。

そうだ、昨日はT-MAXで稲餓鬼MRの初マイボール投げに付き合ったんだった。いつものメンバーはタナカッツMRのみ。稲餓鬼MRは最初こそ101点だったがボールのリリースが良くて親指にボールが掛かりそこそこの回転と曲がりが最初から出来て次のゲーム170を出した。なかなか筋がいい。タナカッツ君も後半は負けていた。ただ、ハウスボール時代の癖でボールを握って投げている。こでは長時間は持たないしコントロールも必ず狂い出す。親指にテーピングを施し握りしめないで投げるよう指導をした。5ゲームで終えたが他まだいっぱい教えることがありまだやる気があるので今後も鍛えよう。で、稲餓鬼君って年齢はいくつなのと尋ねてみたら何と私より1才下だった。えー、びっくり、もっと若いかと。明日は手や腕が痛くて大変かも。鍛えるのはいいが怪我をさしちゃいかんな。中高年には無理は禁物じゃからのう。

2015年3月11日水曜日

過換気症候群のあなたへ

午後はオマルDrが救急当番だったがちょうど内視鏡検査の最中だったので私が代わって診た。50才代の女性で呼吸困難という触れ込みだった。でも見た目、血中酸素濃度、診察をし過換気症候群であると私は断定し心配ないと本人と家族に説明した。

過換気症候群は患者側と医療側にかなり乖離のある疾患だ。この病気で救急で運ばれてくるケースは月に何度もある。急な呼吸困難を起こせば本人も周囲もそれは心配する。しかし医療側が出来ることはほとんどなく寝かせて自然と回復するのを待つくらい。せいぜいかつて世間的には今でも使われるペーパーバッグ法という自分の吐く息を吸う方法ぐらいしかない(現在では弊害もありあまり勧められない)。ただ「このまま寝ていていいんですよ」と説明をしてもすぐには信じてもらえないこともある。パルスオキシメーターはそんな時に役に立ち、「ほらこんなに苦しがっていても実は酸素は逆に増えている。本当に命にかかわる呼吸困難ではこの数値が低くなるんです」とパラドックスのようなこの病気の説明をし、酸素濃度が正常値になるのを待って帰宅させるのだ。

さらにもう一つ、過換気症候群を起こす人は精神的に不安を抱えやすい若い女性が多い。彼女らは発作が起きた時に「もしかしたら自分は死ぬのではないか」という思いにかられますます呼吸を急くことになる。この中年女性にあなたもそうではなかったかと尋ねてみた。すると、ハッとしたように「そうなんです。それが不安で不安でー」と吐露した。そう思ったことが症状をますますひどくしたのだと教えると「そうかぁー」と安心したように肯いた。死への不安がきっかけなので例え呼吸困難になっても死ぬことはないんだと思う癖を付けるようにすれば今後はおそらく大丈夫だ。

帰りがけ、ここに運ばれて良かったぐらいのことを感謝され、この手の患者さんには深層心理を理解してアドバイスすることが大事なんだと思った次第。

2015年3月10日火曜日

のりぃラーメンに寄る

NHK朝ドラの話で、予想通り一馬は死んでしまった。先週1週間は一馬とエマの恋愛と出征の話題で引っ張ったのに今週たったの2日であっけなく戦死してしまった。赤紙1枚で赴き、戦死報告の紙1枚でいなくなり無情さが強調される。まあ、あれだけ征く前にごたごたし「きっと生きて帰って来る」で本当に帰ってきたらあれはいったい何だったのとなる。ドラマの性質上死なないと収まりが付かないってことだ。

夜はカールの提案で子どもが家に2人いるだけでも貴重な機会だからと家族で天文館清滝川沿いの和食店「セラ」で食事をした。私は酒は飲まないがカールはビール、セージはマッサンの影響かウイスキーを飲んでみたいとサントリーの「響」をツーフィンガーで頼んだ。ほんのわずかな量なのに後で会計をみるとこれが一番高い酒だった。チッチはまだ18才だからカクテルもどきで我慢だ。食事を終え子どもらはまだ食べ足りないとラーメンを所望し、昔から安さで有名な「のりィラーメン」に行ってみた。店の造りは前と変わらない。塩ラーメンの味も変わらない。でもラーメン1杯が500円(50年前の10倍!)と値上がりし従業員に中東系の男性二人がいたことなど今を感じさせた。ここの息子も医者(私の後輩)と弁護士だから跡継ぎはどうなっているんだろうねえ。ついでに立ち寄りたくなる町のラーメン屋として長く続いて欲しいものだ。

2015年3月9日月曜日

セージと駆け引き

居間きれい病院のワコーDrが病院に挨拶に来た。実は4月から週1回非常勤で勤務してくれることになっていて、ブックリバーDrが来月から青雲と居間きれいに週2回ずつ非常勤になるその縁である。ワコーDrは鹿大の内視鏡グループで同門なのだがちょうど私の退局と入れ違いで顔は知っていたものの話をしたことは全くなかった。まだ40才代で次期理事長とも噂されており大病院の後継者が田舎の病院に来るのもなんだか妙なおかしみもある。彼も外の病院をみてみたいという気持ちもあったのかな。なかなかの好青年で検査もばりばりやっているようだから大いに助かる。私への負担が少しでも軽くなるなら大歓迎、3月4月は移動時期だからどこかへ移ろうと思っているDrがいたらぜひ青雲会病院を検討してみてー。

セージが友人のSHOW君が2浪して大学合格したからいっしょに旅行に行きたい、つきましてはその旅費を出していただけないかとすり寄ってきた。ふむ、まじめに大学生活を送っているから出せないこともないよ。いくらぐらい出せる?と、探りを入れてきた。「4万」と答えた。少し失望の表情のセージ。ふんふん、これは駆け引きだ。いくらくらい欲しいかをこっちも知りたいのだ。だって本当は5万で足りるけどお小遣いが余分に欲しいから7万とふっかける場合だってあろう。この間タクシー代でセージに上手くやられたこともあったしー。ただ、セージが一つの単位も落とさず進級できているゆえもっと出してもいいと内心は思っている。それで飛行機代は別に出し他旅費をウン万円OKということにした。割に素っ気なく「ありがとう」と言われたけれど、ふと、これが娘だったらもっと甘く査定していただろうなとの思いに駆られた。「パパ、大好き~」なんて寄ってこられたりしてね。親は子どもには弱いってことやね。

2015年3月8日日曜日

PowerShot G7X

あこネーサ母が昨日一昨日何度も電話してきた。何と公立高校入試のニュースを聞き、チッチは試験は出来たのだろうか、大丈夫だったかという内容だった。カールが「チッチはもう高校3年ですけど・・」と答え、勘違いを分かってもらえたが、せっかくだしセージも帰郷しているので今日の日曜、田舎に行くことにした。錫山バイパスに入る前に「知覧のそば茶屋で落ち合いましょう」と連絡があり直接そこに向かった。ヒラーキ弟はいつものようにゴルフで今度大学卒業の長男デンタル君も朝の奉仕作業で今は仮眠しているとかで次男の今度中学入学のヒロヤン君だけがついて来た。へー、ちっちゃかったけどもう中学生、他人の子の成長は早いなあ、いやうちの子らもそうだ。4月からは夫婦二人の生活になる。そっちの方がびっくりだ。

実は昨日新しいデジカメPowerShot G7Xが届いて初めて撮影してみた。コンパクトデジカメ(コンデジ)の中では最上位に位置し安い一眼レフも手に入るほどの値段だったが私は機動性という点でどうしてもこのサイズのデジカメになる。撮ってみてまず画質がいいのがすぐに分かった。それにPowerShot S110ではあまり強調出来なかったボケ味も出せる。一回り大きくなったけど気に入った。これまでのS110はカールのスナップ用に上げることにした。

ヒトミンチョ家にも寄ってネコちゃんらを撮影すると黒猫のリオンちゃんの大口開けているところなどを撮ってあげた。「うわー、こんなシーンは撮れない」との感想で、それは全く私の腕ではなくCanonのおかげです、ハイ。CanonのPowerShotシリーズも気付けばこれで7台目(S30、S45、S80、S90、S100、S110、G7X)だ。その昔(25年以上前)、一眼レフカメラも持っていないのにその手の本を買ったこともあった。しかしいまだデジイチに進まずコンデジに止(とど)まり、CanonでいえばEOSシリーズに移行するのはいつの日だろうかねえ・・。

2015年3月7日土曜日

新顔

実は今日も麻雀だった。ここ3年連綿と月2回程度雀荘「最高」で続けているメンバーとだ。ただ土曜の昼はダイボDrが仕事があるので代わりに薬局のザワワ社長にお願いした。14時から闘牌開始となったが社長が「うちの薬剤師がとっても麻雀が好きで実は半荘1回だけ私が打ったあと彼に打ってもらおうかと思うんです」とのことだった。その彼、福祉茸(ふくしたけ)君が遅れてやって来て次の半荘から卓に入った。彼は30才前後の独身で麻雀が打ちたくてたまらないのだけど相手がいないんだとか。ほうほう、でどこに住んでいるの?へーえ、唐湊ねえ。サブアラドと顔を合わせてにんまりする私。「じゃー、いざという時いつでも打てるねえ」「はい」とのことで、後は打ち筋だが、こんな場に飛び込んでくるだけあってなかなか上手だった。何度もトップ争いをしかわされるパターンが多く若干の負けだったが期待の若手という印象。19時にダイボDrと交代したものの今後いいメンバーになってくれそう。MRの開けたいゾ君といい面子集めに苦労していた頃が懐かしくなるかも。

結果は私が久しぶりに勝ち、ダイボDrは終盤盛り返しまたもや勝ち組でこれで7、8連勝とこのところ安定している。サブアラドDrはちょい負け、見せたまえDrが大きく負け、いつものぼやきが出ていたなあ。ただ、闘牌=ストレス解消も2日続けば疲れが溜まった。明日は朝はいいが夕方からまた当直じゃ。早く寝よう。

2015年3月6日金曜日

なめたらアカンよ、勝負事は

昨日清老頭に振り込んだサブアラドDr、日付変わっての深夜また対局していてそれを見ていると、対面が字一色を聴牌していた。トップ目のサブアラドDr、ここでまた振り込むと奈落の底に落ちるが、今度の字一色はツモ上がりで難を逃れた。でもわずか1日も経たないのに比較的珍しい役満二つに遭遇するとはねえ。役満は出る時は出るがそうでないときは半年、1年出ないこともある。うちらの仲間では見せたまえDrが全く縁がない。いや、よく狙うし聴牌もするのだが彼と再会してこの2年一度も上がれていない。私はパッと思いつくだけでも5回は上がっているし最低1回はみんな上がっているのにどうしてなんだろうね。「こてるが邪魔するからだ」と彼は言うが確かに私が早上がりで阻止した場面が何度もある。「役満でツキを使うと出産でトラブルが起きたりするかもしれない、そこにツキを残しておくからいいのだ」とうそぶいている。そうそう、そのままじっとしておいてくれよ。

実は夕方川内のしんどかどDrから麻雀のお誘いがあって久しぶりに向こうまで出向いた。彼らの麻雀は私たちとは違い上がる時に少し制限のある完先ルールだ。いろんなテクニックを駆使してスピード優先の現代風とは違うが過去2回勝っているので今度もいただきと喜んで行ったわけ。

で、最初の半荘、思惑通り終盤まで5万点を超える一人トップで「また勝たせてもらっちゃうな」とほくそ笑んでいた。いや、勝負事に途中で勝ったと慢心するのは昨日のボウリングでもよくないと分かっているのよ、で、薬問屋のスモリバさんが親でリーチと来た時もここは慎重にと思ってはいたがまあ親マン振り込んでも1位は動かないと聴牌を優先し5萬をツモ切ったところ・・「ロン!」とうわずった声で倒された手牌をみるとタンピン三色ドラドラのリーチ一発で親バイ2万4千点は一気にトップ逆転、しかも3万点切って沈みの2位で終わってしまった。リーチしなくても親ハネはあったのをリーチするかねえ。そうか、ちゃんとオリていたらそのミスで相手はトップを取れなかったものを。初顔合わせでいくら打ち手の癖が分からないとはいえ暴牌だった。

結局このあと半荘5回打つが調子を取り戻せずトップは1回のみでほとんど一人負けとなってしまった。2回目の半荘などトップをうかがえる2位にいたのに6索と9索を間違えてロンと倒牌し滅多にしないチョンボもしてしまった。そんな・・キャリアもネットや実戦歴でも私の方が上まわっているはずなのにー。でもこういうことがあるのだ、勝負事は。幸いなのはある程度敗因を自覚していたこと。今度はなめずにきちんと打つぜ。しんどかどDr、また誘ってくれよ!

2015年3月5日木曜日

凶悪電話

昼休み、サブアラド六段から電話があった。「さっきさー」と昼休みに打っていた天鳳での悲劇を言いたかったようだ。北ドラ1の47ピン待ち聴牌のサブアラド六段、下家の親がピンズの染め手をやっていたのは分かっていた、そして上家が1萬と9萬をポンして何やら怪しい手をやっていることも。そして11巡目ツモってきた1ピン、格別危なそうな牌でもなくこれは切らざるをない。そっと切ったら・・「ロン」「ロン!」のダブロン。親はピンズチンイツで待ちは147ピン。上家はな、何と1ピン待ちの清老頭だった。天鳳特有の「ジャーン!」の効果音付きだ。1万2千、3万2千も振り込めば一気にドボンも仕方ない。逆に上家が持って来た牌が47ピンだったら逆にダブロン振り込みの悔しい結果だったはずでこのあたりは運としかいいようがない。でも清老頭なんて滅多に見る役満じゃないし私も聴牌まではあるが上がったことはないし振ったこともない。珍しい体験をしたと思って前向きに受け取りましょうや。

夜は防火ボウリング大会。私は難ガターさんと青雲チームA、スリウェル、タシケントMRは青雲チームK、タナカッツ、サトリョーMRは青雲チームBで出場した。チーム名は私の趣味でAKBにあやかっている。おーい病院からは泣かん薗Dr、ザ・キング病院からは真っ向君らのチームがいてこのあたりがライバルか。

1ゲーム目、私はターキー、難ガターさんはダブルスタートと申し分のない出だしだった。これはチーム優勝を狙えるぞ、個人でもダブルで優勝?むふふ・・と内心ほくそ笑んでいた。しかしである。ここでとんでもないことが起きた。次は4フレ目というときに携帯が鳴ったのだ。カールからで「チッチが昼から胸が痛くてまだ続いているっていうの。もしかしたら気胸かしら」というのだ。「気胸?」若い痩せた男性にはよくある病態でだとしたら胸腔穿刺、入院治療の可能性もある。おいおい、ボウリングなんかしている場合じゃないぞ。チッチに代わってもらうといつものようにぼそぼそと「胸が痛い」ことをいうのみだ。頭の中ぐるぐる回り、経過観察をしておけとカールに伝えた。呼吸困難がそれほどでないことや仮に自然気胸でも処置なしで経過をみることも多いから。みんなを待たせ、次の投球に入ったが、やはり集中出来るものではない。ストライクが途切れ2本残りもかすりもせずミスってしまった。5フレ目もスプリットを出してしまい完全にリズムが崩れた。終われば186と並みのスコアだった。ぐぬぬ、こんな凶悪な電話滅多に掛かってくるものじゃないぜ、全く。

泣かん薗Drは234とダントツのスコアで投げる前に「最近の国分スターレーンのコンディションは難しいですよ」と言っていたが自身はちゃんと練習を重ねていたんだな。私も今日も迷惑電話が掛かってくるまでは200アップ間違いないの感触だったのだが。2ゲームもリズムを取り戻せず結局個人は4位に終わった。個人優勝は泣かん薗Dr、2位が真っ向君、3位が難ガターさん。く、くやしいぜ。でも青雲チームAは優勝だった。やれやれ。

あれ?ゲーム前に「もしかしたら下克上でぼくらが優勝かも」と言っていたスリウェル君、個人11位、チームK7位と平凡な成績でしたな。まだまだ早いよ、優勝は。

2015年3月4日水曜日

それぞれの胃カメラ

第二内科同期で薩摩郡で親の後を継いで医院をしている炭拾うDrからこの前電話があって父親の胃カメラをしてくれないかという。91才になるがまだ現役医師だそうで向こうでも胃カメラをし診断するも私にも診て意見が欲しいとのことだ。今日医院職員に付き添われて来た父親は90才代と思えぬほどしっかりしていて現役というのも肯けた。仕事を続けていることで呆けるのを防いでいるのかもしれない。電話で検査結果を炭拾うDrに伝えると「じゃー、半年に1回胃カメラフォローアップを頼んでいいかな」だって。無論OKだがいつまでフォローアップするんかな。まだまだ長生きしそうだったぞー。

40才代後半の女性が大腸内視鏡を受けた。14年前に胃癌手術を受けたとカルテにあるのを見て確か当時30才代の看護師さんかなと思って尋ねたら案の定だった。早期胃癌だったがスキルスになる可能性大の癌で胃の全摘を受けたのだった。久しぶりにあって元気そうで何よりだったが姓が変わっているのを指摘すると離婚再婚だという。

60才代男性、貧血進行しているとのことで見れば大きな潰瘍から血の噴水が出ていた。久しぶりに見る超緊急事態だ。しかしHSE局注からクリップを1個を掛けることでしっかり止血することが出来た。痛みがあるのを1週間以上我慢しているからここまで危険な状態になってしまう。心窩部痛が2日続けば病院に行こう。この場合我慢は美徳ではないんすよ。

胃カメラを受ける人にもそれぞれの人生があるなあ。

2015年3月3日火曜日

おおしたそう君の最後の仕事は

TVを見ていたら北予備の実合格者が出てくるCMがあって鹿大合格!と可愛らしい大学生が出てくるがこれがなんと2内科同期で同じ団地のやまひろDrの娘だった。セージとクラスは違ったが中学同窓生でもある。さらに難関化して今や医学部合格は浪人当たり前で1浪ならかなり優秀だ。やまひろDr、あちこちから冷やかされたりうらやましがられたり、今頃大変じゃないかぁ。

N社MRのおおしたそう君が移動になるからと挨拶に来ていた。彼は何年この地区を担当してきたんだろう。もう最古参の一人だった。次から大隅地区担当になるそうで「最後の仕事がこれです」と見せたのが不祥事でしばらく営業停止のお詫び状配りだった。「これがなければもう少し後の挨拶になったのですが」と明後日から15日間の営業停止を伝えていた。いやはや、かつての鍋田岩崎製薬が不祥事で何度もお詫びに来たもんだが、例のデータ改ざん以来最近はもっぱらN社が厚労省に目を付けられている。ま、頭を下げるのもMRの仕事ってことや。こてる日記をいつも読んでくれているそうだからこれらかもよろしくー。

夜は国分スターレーンで練習。今度はきちっと投げた。だんだんここのレンコンにも慣れてアベ198。明後日の防火ボウリングに向けて上々の仕上がりだ。でもちょっとレーン板目を間違うとヘッドピンすら当たらないので本番では注意が必要だ。どうなるかなー。

2015年3月2日月曜日

茶美ちゃんのおうち

あの茶色の可愛いネコ茶美ちゃんは何と家の後ろの森サンチュウ家のネコだった。今日、カールがそこの2階から出入りする様子を見ていた。本当の名前はきっと別にあるはずだが勝手に付けた茶美ちゃんでしばらくは呼ぼう。茶美ちゃんも放し飼いは危険だなと気にしていたが森サンチュウさんちならうちの裏庭みたいなものだからさほど心配はない。でもゲンちゃんは外には出さないよ。病気もらったり交通事故に遭ったりと飼う身からしたら決して安心出来ないから。外の世界も知りたいだろうけどそこは我慢してな、箱入りゲンちゃん。

土曜日の十二指腸出血の患者は幸い再出血をしておらずとりあえずはほっとした。あれでまた血が出たらどうしようかと思っていた。怖いことに医者にも手の打ちようがないかもとぞっとする時ってあるもんです。よかったよかった。

2015年3月1日日曜日

卒業式出席

昨日はあのまま当直に入り、明けて食事して、急いで病院を出た。スーツに着替えきちんと正装してである。チッチの高校卒業式に出席するためで、家に寄るのは9時半からの式に間に合わないから直接S學館に向かった。子どもらの卒業式に出席するのは実は小中高通じて初めてだった。だいたい卒業式は平日に行われる。今回は3月1日が日曜だったため出ることが出来た。公立高は1日ずらして明日らしいが父親が出られるからたまにはこんな日曜実施もいいと思う。

着くと既に式は始まる寸前でカールのいる前列2列目にどうにか座ることが出来た。卒業生の通路にあたっていてこれはデジカメ撮影に好都合だ。真後ろの父親などビデオを三脚に載せしっかり備えていた。気合い入っているねー。1組から入場しチッチは3組で男女区別無く名簿順に入って来た。チッチは少しはにかんだような含み笑いで私の前を通り過ぎていった。特に挨拶もなくすぐに卒業証書授与が始まり、私はチーの時には動画にして撮影した。ううむ、コンデジのPowerShot S110ではこんな時がつらい。望遠が弱いのだ。かといって今さらビデオムービーもなあ。このところデジカメ動画でほぼ足りるし。

校長先生以下みな立派な挨拶が続き、在校生高2女子の送辞、卒業生答辞も立派で今時の子らとはいうけれどみんなしっかりしていると思った。最後はS學館名物のハレルヤコーラスがあって退場となった。その後は教室で担任、副担の挨拶や生徒それぞれの親へのコメントがあった。チーはいろいろ迷惑掛けたけど・・ぶつぶつと後はよく聞き取れなかった。親たちの中に「かしましい病院」外科の大政先生がいて次男が卒業だとのこと。え?まだあと4人いるの!何と6人の子持ちだった。彼は私より年配で私はチーで最後だっつーに大変じゃないすか。

さらに後ろからちょんちょんとされてみると、某父親から「(昭和)60年卒同期のマスリウです」と言われた。あ・・見覚えはあるがすぐには思い出せなかった。じつはさっき私の真後ろでビデオ撮影していた父親だった。しかも子どもはチッチの一つ前の名簿順の女子でさらに在校生代表の答辞生徒は妹だった。へー、そりゃビデオ構えるね。娘は中学から寮に入っていて妹も同様でそのことを答辞の中で「姉の背中を追ってきた」と言っていた。人吉で親の後を継いでクリニックをしているそうだが小学出たばかりの女の子をよく出せたね。奥さんも医師でS學館の近くに実家があるとかで思い切れたのだろう。でも二人とも優秀なのは明かだ。羨ましいぞ。チッチは懇親会前の中庭でサッカー部の後輩らにエールを送られ少し涙がにじんでいた。胴上げもされたりし部活動しているとこういう時いいな。勉強はてげてげだったから今度は来年に向けてそっちを頑張ろう。今度は甘えてばかりじゃいられんぞ。