2014年1月31日金曜日

説明がない理由

今日はやっと早帰りが出来た。これは土曜勤務する時の代わりに平日を午前で終わり帰るというものだが何かかにやで病院を出たのが15時20分だった。ほとんど1日勤務じゃんといわれてもしかたないぜよ。とにかく今月は忙しかった。ヨッシャーDrが体調不良で今週休んでいるのもちょっとはある。でもこの寒さだ、高齢者の呼吸器、循環器疾患やインフル、ノロなど感染症が多いのが原因だろう。

平日休みでまずやったのがCanonへ電話することだった。PowerShot S110を修理に出して2週間以上経つのに直って帰って来るどころか何の音沙汰もないのだ。もう来るだろうもう来るだろうと待ち続けてこれだけ待てば「何の連絡も説明もないのはどういうことだ、今まで見てきた会社の中でお宅は最低の会社だっ」って言いたくなる気持ちが分からんでもない。一応事情を話しまず送ったカメラが届いているかを確かめると「それは確かに届いています」とあり、ほっとした。そして「調べますので後ほど連絡します」ということだった。まあ何かの手違いかちょっとしたトラブルだろうと高をくくって待つことにした。1時間ほどして別担当から電話連絡があった。実は見積もり金額が1万を超えていたのでFaxをそれも2回送ったが何の連絡もなかったとのことだった。何、Faxだと?カールに尋ねると「あ、今Faxは壊れているのよ」だって。向こうは連絡しているのにこのお客さん返事がないなと思っていたわけだ。まるで私が「冷たい家族だな」と思っていた構図と似ている。Faxだめなら電話でも携帯でもしてくれたら良かったのになぁ。10日間くらい無駄な時間をやり過ごしたわ。1万円越えは痛いが今新作のPowerShot S120を買うと3万5千円くらいするので受けることにした。それは納得だったが今回は「待ちすぎは損、変と思ったらすぐに尋ねるべき」と昨日とは立場が逆ゆえに身に染みた。

「それでさー、Faxは新しいのに買い換えようよ」10年前と違って自宅電話やFaxは携帯、ネットに押され必要度が低下しているが全く出来ないとなるとやはり困る。ネットで調べると昔より電話機サイズがコンパクトになりしかも安い。子機も壊れて7、8年は経つ。早速注文することにした。善は急げっていいうしー。あれ、違った?

2014年1月30日木曜日

「あんたは今までみてきた医者の中で一番最低の医者だ」

今日はなんともおっかない、刺激的なタイトルだ。しかし一言一句正確に患者の家族が言い放った言葉で、その最低の医者とは私、こてる先生その人だったのである。

午前の検査が一段落するころ内視鏡室に病棟Nsから「患者の家族が病状説明を求めている」と連絡があり、さらに「ちょっとした剣幕です」とも付け加えてきた。何となく察しはついたがどうにか仕事を切り上げ病棟のNsステーションに座ると、高齢女性患者の息子二人が椅子に座るなり怒声に近い感じで私をなじり始めた。「入院の時に説明があったきり10日以上も経つのに何の説明もないってのはどういうことか!」これが全てを言い表していた。その事実に間違いはないしそうなれば家族が怒るのも無理はないと当の私ですら思った。ちょっと言い訳がましいことを私も口走ったが怒りが収まる様子はなく先の言葉や「もう説明があるだろうと思って待ってきたが云々」「たまに病棟で見かけたが話は一度もなかった」他憤怒に満ちた罵声はまだあったも全部は思い出せない。ただ「いくら忙しくても昼休みくらいはあっただろうが」には「いいえ私にこのところ昼休みはありません」とこれだけはきっぱり言い返した。ともかくこのように怒、怒、怒の人に理屈っぽく言っても始まらない。どうあれ説明をせずにやり過ごしたのは私に非がある、そこをまず謝った。その態度がないと気持ちに収まりがつかず説明を聞く余裕など生まれてこない。それに「最低の医者」と言われても気色ばむことなく不思議をいらつきは湧いてこなかったしね。

このあと私は一気に病状説明をまくし立てた。この患者は90才で救急搬送され一時心肺停止状態で来院直後はVT(心室頻拍という致死的な不整脈)を起こしていて電気ショックを行い即座に気管内挿管、人工呼吸管理になり入院となっていた。心電図、採血などから心筋梗塞を起こしていた。それに気管チューブから消化物も逆流もあって誤嚥性肺炎も起こしていて、呼吸と心臓の動きが戻っても極めて危険な状態で助かる見込みは低いことを息子の一人に説明していた。

その後患者の容態は安定し心筋梗塞も改善しており肺炎の悪化も予想よりはひどくなく呼吸器も抜管出来るかもと期待し設定を下げたりした。しかし甘くはなく徐々に悪化の方向に行き肺炎が今日の時点では回復不能に近くなっていた。私は採血や診察、レントゲン画像などからポイントポイントを押さえ説明していった。家族の質問にも即答えた。だって休み以外の毎日私はこの患者を診てチェックして治療を行っていたからだ。当たり前のことをしていただけだが・・。

ではなぜ家族が怒ったように病状説明を説明しなかったのか。実を言うと私は入院4、5日経ったころ病室で家族を1回も見たことがなく「なんだか冷たい家族だな」と心中思っていた。「見捨てているのかな」とさえ。たまにそんな家族もいることはいる。でもこの家族はそうではなかった。毎日病院に見舞いに来て病室にも来てはいたが主にNsステーション近くの広い病棟談話室にいたらしい。そこは私も通り過ぎるが1回しか見たことない息子氏の顔は覚えていない。見知っていれば声かけて説明したはず。こうなるまでに数回は説明したいなと思ってはいた。しかし「病室で会うだろう」「説明要請があるだろう」と忙しさにかまけて自分からは時間を作らなかった。また重症患者が他病棟に多くこの病棟を回るころは夕方6時以降が多かったのもすれ違いを生む要因だったようだ。さらにこの家族は「先生からきっと説明があるはず。いや、先生から説明をするのが当たり前だ」と意固地なくらいに説明要求をしてこなかった。私が受けた印象ではこの数日は意地になっていたようだ。そして我慢に我慢を重ねた結果、こんな最低な医者に一泡吹かしてやらねば気が済まぬ状態になったのだ。

いやはや、背景にあるのは業務の忙しさだ。病状説明する時間も惜しい。それでも求められればたいてい時間を作って説明するようにしている。今回のようにすれ違いや思い違いで説明なしが10日以上も続くのは極めて例外的なことだ。「最低」と言われさほど腹が立たなかったのは治療法などではなく単純に説明なしという観点から吐き出た言葉で誤解に近いと分かったからだ。病状説明を十分にしてからは家族は非難めいたことは言わなくなった。まあ、ちゃんと治療していたのだと理解できたこともあるだろう。ただ治療専心や多忙にかまけて説明を怠ったのは私の間違いだった。大いに反省である。

(結局数日後に患者は亡くなった。お見送りもした。家族は内心どう思っていたかは分からないが非難がましいことは言われなかった。)

2014年1月29日水曜日

レーンに跪(ひざまず)く

朝はいきなり心肺停止の患者が救急で運ばれて来た。99才女性。まあ、やっぱり残念な結果に終わった・・。今月は高齢者のこういう場面によく出くわす。

夜は泣かん薗Drも交えてT-MAXでボウリング練習だった。私はミッション・コンプリートに慣れる練習、タナカッツMRはまだニューボールのドリルが出来ずにいて私のネクサスを貸りてマイボールに慣れる練習、スリウェル君はボールを右に出してポケットに戻す練習、タシケント君はひたすらストライクを取る練習で、ていうかこれはボウリングするなら当たり前か。難ガターさんもいて6人だったので2ボックス4レーンで投げた。ミッション・コンプリートは今日のT-MAXのレーンには今一合わなかった。中央のオイルが枯れ気味で少しでもそこにかかると曲がりが早く出てウラに行く。ガターに気を付け10枚目より外に出さねばならない。そう投げられても10ピンが残ったりでスコアは150程度だった。こんなレーンでは動きの少ない滑るボールがいいがそうすると現在3個あるボールにもう1個加える羽目になり持ち運びがねー。泣かん薗Drは4個くらい持って来ていたが合わせるのが私同様難しかったようだ。まあこんなレーンでは200アップは困難としたものだ。

あれ?タシケント君やけに調子よく5連続ストライク出すなどし212じゃないの。彼はスピードがあってそんなに曲がるタイプじゃない。なるほど彼のようなタイプにはこのレーンは相性いいんだ。(私や泣かん薗Drもそう投げればいいじゃないというのはちょっと無理だ。慣れないフォームを毎投球続けることは実質不可能なのである)

後半は恒例のダブルスで私はタナカッツMRと組んだ。で、1回も勝てず。これはタナカッツさんが初心者なので仕方ない。スリウェル、泣かん薗Dr組とタシケント、難ガター組は1勝1敗でいずれも10フレ勝負になり白熱した。特に1ゲーム目の最後、タシケント君はストライクで勝ち、9本で同点、8本で負けの場面で投げ、結果は8本、160-159 で負けたった。アプローチにがっくりひざまずき両手突く姿はある意味絵になっていた(笑)。

2014年1月28日火曜日

40才過ぎれば

朝の医局会でラブカメ先生のレクチャーがあり人間ドックで見つかった食道癌治療についてだった。2例紹介されいずれも私が検査していた。高齢男性のケースは癌放射線化学療法で完全寛解されたが40才代男性は進行が早いだけでなく抗がん剤も効きにくいものであった。食道癌は粘膜内にとどまれば内視鏡切除でそれ以外は先の抗がん剤と放射線併用でとどうも手術は主流ではなくなってきているらしい。先生は「それでも手術をすべきケースもある」とはおっしゃる。外科出身としてのその気持ち、分かる気がするな。

40才女性の大腸ポリープ切除の病理結果を説明した。それが何と実は大腸癌だった。もっとも良性腺腫の一部が癌化して粘膜内にとどまっていたから手術はしなくてもよいケースだった。内視鏡観察の段階でその可能性は指摘していたので告知にも覚悟していた様子だった。彼女が何の症状もないのに検査を受けたのは40才という節目で会社から人間ドックを受けるように言われたから、たったそれだけで、それがなかったら進行癌になるまでおそらく癌に気付くことはなかっただろう。進行していても手術で助かることも多いが再発リスクなど今回の何十倍も不安を抱えて行かねばならない。早期発見がいかに有用かだ。40才過ぎたら機会あれば大腸に限らず是非内視鏡検査を!だ。

2014年1月27日月曜日

裏表の関係

せっかくこの日の日記を書くもアップロードが日付入力ミスでうまくいかず。最悪なのは書いた文が再現出来なくなったことでたまにこの手の失敗をする。その時の「げんなりさ」=「手間暇かけて作成したのが一瞬で消える」はデジタル機器扱いで皆も一度ならず経験しているでしょう。もう一度思い出して書く気が今回は起こらず、以下にポイントだけ記すにとどめます。

国分スターレーンで私もニューボールを作った。ミッション・コンプリートというボールで海広しDrの現メインボールと同じ。国分スターレーンはボールが豊富で安い。穴場だ。ミッション・コンプリートは私のメインボール、ネクサスよりはやや曲がりが弱い。国分の今日のレーンではネクサスの相性が良かった。今月は予定も含めて10日もボウリングをしている。ここ数年来なかったことでまたもやボウリング熱復活か。気がつけばネット麻雀を最近していないような・・。この二つは裏表の関係だ。

↑なんだ、さっと書き終わったぜ。このくらいの分量で済む内容をだらだら書いていたんかい。はは!

2014年1月26日日曜日

チッチ、ニューボールを投げる

チッチのニューボール「ストライク・アライアンス・ツアー」の初投げをすることになった。部活の帰りを利用しT-MAXで待ち合わせしたらザミドル君もいっしょだった。レーンはワンボックス申し込むと前回と同じ5Fは25、26レーンになった。これで3回連続だ。コンディションもやはりイージーで10ボードより外に出すと奥でヘッドピンに絡みストライクが出やすい。

チッチの記念すべきニューボールの初投げは親指が抜けずウラに行き9本カウント。ふむふむ、いくらマイボールでも親指の穴は必ずテーピングして調整しなければならない。前後にテープを貼りチッチの親指背面にもテープを貼る。こうすることで親指でボールを握ることなく投げられる。初心者がマイボール使用で一番戸惑うのは親指で出来るだけボールをつかまないように投げるということだ。ある程度貼りこのくらいでいいだろうと投げさせたがチッチによるとまだ緩いと言う。また貼る。だんだん合ってきたもののストライクは出ない。名前にはストライクが入っているのにね。このボールは真っ直ぐすべって奥できゅっと曲がる球筋でピンアクションはかなりいい。ポケットに入りさえすればストライクか9本だ。そうこうするうち3ゲームめにはダブルも出てT-MAXではターキーでサービス券もらえる大事な場面で私はデジカメ動画にして構えた。チッチはいつもより足下の位置確認に時間をかけプッシュアウェイを始める。ダウンスイングに入ったところで力が入った。ガター!あいたた。苦笑いするチッチ。やっちまったナ-。気を取り直して2投目を投げるとストライク。こりゃ明かにメンタルのせいなんだがメンタルを鍛えれば良くなるとかというと実はそうではない。投球練習をたくさん繰り返しフォームを固めることで解決できる。失敗するのではないかと思うからミスが出る、でもそれはまだフォームがに身についていないからだ。

ザミドル君は軽いボールをサムレスで曲げるように投げるが軽すぎてストライクが滅多に出ない。最近の若者に多い投げ方で13ポンドくらいのマイボールならぐんとスコアアップするんだがそこの敷居はかなり高い。一歩踏み出して作ればボウリングの楽しさが倍増、いや十倍は楽しくなるのだがー。私は楽勝レーンゆえすぐにターキーを出して2ゲームめなど259が出てザミドル君は「こんなスコア見たことない」と携帯写メでスコア表を撮っていた。いいよいいよどんどん撮って。

最後はチッチ対ザミドル対決をさせザミドル君にはこてるカードとしてここぞというときに3回私に投球させることにした。しかしチッチに完敗。それくらいマイボールの威力はすごい。だてに2万近くもボールに金は払っていない。これでチッチもますますやる気が出るだろう。また練習しよーぜ。

2014年1月25日土曜日

募集じゃー!

以前青雲会病院非常勤で内視鏡をしていたヒラメグ女史から連絡があって4月5月に一時帰国するので当直などできないかということだった。彼女は2年前からロンドンの診療所勤務しているのだがそこが3月で閉まるかららしい。実は青雲会病院も4月から内視鏡医不足になるため一時的でも歓迎だとメールで送ったら渡りに船と喜んでくれた。グッちんDrが週2から週1勤務となり、週3回のジュンワDrが他病院常勤となる。私とブックリバーDrで常勤2人いるが私が週3回外来とそちらにシフトしているためどうしても内視鏡か外来のどちらかが不足になる。そんな訳で内視鏡もしくは外来の非常勤(常勤ならなおよろし)Drを大募集だ。是非連絡を!

2014年1月24日金曜日

大島高校もセンバツへ

気がつけばセンバツ高校野球の選考日とかで今回は九州が5校は選ばれるため秋季大会ベスト4は当然、あとは長崎の創成館あたりかとまあ高校野球オタクの私は適当に思っていた。21世紀枠で奄美の大島高校が候補に出ているも6校目となるからちょっと厳しいやろと期待していなかったが何と選ばれていたじゃない。びっくらこいたよ。センバツで九州から6校というのはきっと初めてだと思う。鹿児島からは神村学園と2校選出でこれも20年くらい前鹿商工と鹿実が出て以来で3度目だ。いわゆるかつての鹿児島3強(鹿商、鹿実、樟南)が1校も選ばれずにというところに時代の流れを感じる。サッカーはJリーグ発足で選手が分散化したが野球は2007年の特待生問題がきっかけだ。その後特待生は学年に5人までとなりこれで分散化が起きた。以前樟南は奄美出身者で持っていたような時もあったからね。有力な生徒が地元に残れば実力均衡化もあってチャンスが出てくるわけだ。昨年の尚志館も同様の流れで大隅初の甲子園行きを果たした。バラエティーに富んで面白いことになりそうだがかつての優勝を狙えそうな高校が鹿児島から出にくくなるのもやや寂しいか。

県社会保険協会の「健康づくりボウリング大会」の申し込みが今日の夕方までというのに気付いたのはすでに夜7時前だった。3人1チームで私と難ガター、サンシさんで昨年も出て優勝していた。今度はタシケント、スリウェル君らも別チームで参加させようと思っているうちに期限をすっかり忘れていた。慌てて事務所に電話するも誰も出ず。ともかくみんなに電話して参加確約をとり2チームFaxで申し込んでおいた。例年のケースなら多分OKしてもらえるだろう。チーム名は青雲会病院チームAとチームKにした。チームBでないのと思われる向きがあろうが順番からいったら当然なのだ、AKBファンとしてはネ。

2014年1月23日木曜日

ガラカメ芸人

今日のアメトークは「ガラスの仮面芸人」だった。これは見逃せない。「ガラスの仮面」は少女漫画の中で私の唯一の愛読書なんだ。この漫画を待ったく知らない人にざっと説明すれば演劇の天才少女北島マヤがライバルと切磋琢磨していく物語でそこに恋愛も絡んでくるというもの。美内(みうち)すずえ作で「花とゆめ」に昭和51年連載開始からすでに38年経つというのに未完で連載も年余に渡って中断再開を繰り返している。

今回出場の芸人はオアシズ(光浦靖子・大久保佳代子)、鈴木砂羽、土田晃之、野々村友紀子、前田健、ケンドーコバヤシで皆漫画に出てくる役にコスプレして出てきた。それがまともなものはなく土田などマヤの演技にショックを受けた先輩女高生で目の下の隈には漫画特有の斜線が引かれていたし、前田健かな、月影千草に扮していたがまるでマツコデラックスみたい。みんなで「ガラスの仮面あるある」を言い合うのだがどれも全部面白かった。これはガラカメがよく考えればデフォルメ(誇張)され現実にはあり得ない内容なのに漫画特有の迫力で読者は知らず知らず納得させられている、そこをアメトークが突くからだろう。そりゃそうだなと思わず笑ってしまうのだ。テーマや芸人によって面白さに波のあるこの番組の中でも出色の出来で、ガラカメを全く読んだことがない視聴者でも楽しめたことだろう。

泥まんじゅう、おそろしい子!、跳び箱で船こぐビアンカ、竹ギプスのお人形(ガラカメが演劇テーマのスポ根と言われる由縁)、白眼剥きすぎ(何とスタッフは全巻調べその回数を調べ結果1300回以上、実は私もちょいと調べたことがあってそれは連載開始ごろは全くなくある時に出て以来コミックスで10巻前後以降は頻出するというもの)などなど。他にも私だったらそこを突っ込むというのがあり1時間弱があっという間でまだまだ言い足りないしゃべり足りないわ。今回はやはりネットやツイッターでも好評のようで特に読んだことない人たちが「読んでみたい」との感想が多く出ている。ぜひそうしてもらいたいが少し気をつけなくてはいけない。非常に中毒性が高いため読み始めたら他にすべきことがおろそかになりそう。「このオレとしたことがあんな子に」と速水真澄状態にならないよう・・。

2014年1月22日水曜日

タナカッツMR

実はベロリンガー・インキンタイム製薬の青雲会病院担当MRはタシケント君ではなく少し前にタナカッツ君に変わっていた。タシケント君とはボウリング練習でよくいっしょするのでつい忘れがちだった。今日はそのタナカッツ君もボウリングをしたいとのことでスリウェル君、難ガターさんのいつものメンバーと5G投げた。タナカッツ君は数年前川内方面担当だったころビッグオーシャンクリニックのボウリング大会に出て海広しDrの影響でマイボールを作ったはいいが担当変更になり尻すぼみになってしまっていた。青雲会や加治木の泣かん薗Drがいるおーい病院担当にもなったとあって是非本格的にやりたいのだと。いい心がけだ。

で、早速、彼の投球を見てみる。一見、これは教えるのは大変かな。ステップ、スイング、リリースほとんどすべてに修正指導が必要かと思われるフォームだった。まずいつもそうするようにピンを見ずレーンの印を見て投げることを教えた。立ち位置も後ろ過ぎなので一歩前に立つようにさせた。その他ボールを握りしめずにリリースすること、最初の一歩の脚幅を長く取らず短めにするなど指導していくと、驚くことに彼は教えたとおりにこなしていくのだ。球質こそポリエステルの穴ゆるゆるのボールなので直球しか投げられないけど高性能マイボールにすれば意外と上達早いんじゃないか。で、私が2年弱使ってきたドミネーションナノソリッドを彼に上げることにした。ボウリングのバイト君に預け「これをプラグして今度来たときに彼にドリルさせるから」と頼んだ。これだとニューボール買うよりずいぶんお得のはず。そして私はそろそろ欲しくなってきたおニューを選べるというわけだ。よしよし。そんな目論みはともかくこのようにしてマイボウラー仲間が増えていくのだった。

2014年1月21日火曜日

今はパンツ一枚

ひえー、入院患者17人のうち90才以上が8人になっていた。超高齢化患者率47%だ。当然状態の悪い患者が多くなる。一見落ち着いているように見えても急変することもあるし落ち着かない日々が続く・・。

夜、「みかか」電話会社から勧誘の電話が入った。これがしつこいんだ。「ミミック」から「よう言う」に変えたのが昨年10月でその手続きで七面倒くさいをやらねばならず違約金をもらえてもしなけりゃ良かったかなと思うこの頃、「みかか」は「『よう言う』から変更してもらえば違約金をこちらが払うばかりでなくあれこれほれのこれだけお安くなります」とさらなる解約&契約を迫ってくる。私は「安くなるかもしれないけど今は変わったばかりだしその際の面倒くささに辟易しているんでお断りします」って言っているのに、まるでセールスマンは断られてからが勝負とでも思っているのかのように絶対に引き下がらない。「確かにそうですけれども」と一応の相づちを打つも次から次に「こういうサービスがあってこれだけお得になりますから・・」とあきらめないのだ。全く感心するというか若い女性係員だけれどすごい執念だ。勧誘電話は今日で三度目。全くしぶといやつである。

堪忍袋の緒が切れた私は正直に電話を切りたい理由を彼女に語った。「済みません、私、今パンツ一枚なんすよ、お風呂に入る直前で電話取ってしまってー、もう切りますよ」ガチャッ!

2014年1月20日月曜日

オフロードはマニュアルじゃー

歯科口腔外科の山守先生は元鹿大生物学部で蝶捕りをライフワークにしている。当然マイカーはオフロードカーだ。いすゞ自動車のビッグホーンというでかい車が愛車でもう10年以上乗っているという。ところがエンジンがいかれて修理に出したいがこの銘柄というかいすゞが乗用車から撤退していて代わりとなるエンジンがないんだそうだ。それ以前の車も同じ型のビッグホーンで排気量が違うだけで9年乗り、今後乗れなくなるのをおそれ彼は確信犯的に撤退直前に同車種を購入したのだった。今回のを合わせ20年以上でしかも今時マニュアル車だった。「じゃー、他社のオートマ車にするんでしょ」と私が言うと「いいえ、私、マニュアルじゃないと嫌なんです。どこか程度のいい中古がないか探してもらっているんですよ」とこだわりをみせる。そうなんだ、彼は変化を嫌がる超保守派なんである。私など仮にマニュアルがいいと思っても「もうオートマしかありません」と言われれば「じゃーオートマにすっか」とすぐに宗旨替えするタイプなんだがー。彼はマニュアルだといざという時にシフトを見なくてもさっと切り替えが出来るとかもっともらしいことを言う。中古が見つからなければ新車で唯一マニュアルがある日産のエクストレイルにするしかないかーとぼやいている。昔はよく「マニュアルじゃないと運転している気がしないよー」といきがっている友人もいたが今は例外なくオートマに乗っていることを思うと山守先生の頑固ぶりは徹底している。チョウチョが捕れる国公立の歯科大のあるところと理由で山陰から鹿児島に来たというだけのことはある。こだわり派の面目躍如やっ!

2014年1月19日日曜日

筋肉ぴくぴく

歯科医師会月例ボウリングが朝10時からあった。通常は土曜夕方からなのだが会員の都合でたまに日曜になることがある。今回の参加人数は9人と少ないけれど合計6G、3Gでレーン移動というちょっぴり本格的なボウリング大会だ。会場はメンバー仕様の4階だったが5階だったら良かったな。レーンコンディションが今の自分にぴったしだったし。練習ボールでやはり小難しさを感じた。しかもオイルは昨日からのままで中央付近が少なくなっている。

それでも最初の3Gは190台も出るなどどうにかスコアは出せる状況だった。いかんせん10ピンミスが多くとても優勝は望めそうになく、レーン移動してからはコンディションがもっと荒れていてボールが食い込み5、6ゲームなどスプリット3回2回でスコアも147、150と撃沈。同じレーンで投げていたノダメ先生はスリングショットというボールでうまくまとめ3Gアベ180くらいで結局優勝となった。スリングショットはT-MAXのプロショップで売っている曲がりの強くない安いボールでこの手のボールも今後は必要かなと思った。結局6位。このところ歯科医師会に乗り込んでいいところが全くない。練習がまだ足らん。

急いで帰宅しシャワーを浴び昼ご飯もそこそこにまた外出した。今日は今年初めての麻雀だったのだ。相手はサブアラド、ダイボ、見せたまえといういつものDr3人。10半荘してちょい負けでこのところの調子を考えれば妥当な結果か。ただ、途中パイをつもったり捨てたりするときに指が筋収縮するというかぴくぴくが出てびっくりした。6G投げて発汗が結構ありその影響かと思った。一瞬何事が起きたかとびっくらした。1日でボウリングも麻雀もと欲張るからや!

2014年1月18日土曜日

詰め替えシャンプーケンカ

カールと口げんかしたのである。細かいことは省く。要は風呂場のシャンプー詰め替えの方法論でお互いの主張を言い合っただけのことだ。カールは詰め替えバッグの下からはさみ道具を使いぴっちり上まで押し上げ残り液を絞り出す。「それも3回はやって、もう1滴も残っていないんだから」と。私は入浴時に本体に移し替えた後、お湯で注ぎ残り液を使って頭にかけ洗う。水分で袋の中を洗い落とすのできれいになくなるというわけだ。器具を使わないで済む点もいい。「でもそれはお風呂に入らないと出来ないわけでしょ」と言われればそのとおりだが。

ああだこうだと5、6分。そんな最中(さなか)、ふとカールが「私たちなんでこんな貧乏くさい言い合いをしているの」と言うもんだから、その後は互いにふぅっと憑きものが取れたようにおとなしくなったって話です。(どんだけケチなんだよ、お前たちは・・)

2014年1月17日金曜日

与太記事にダマされるな!

私のよく行くサイトに楽天Infoseekがある。年末のことだがそこにとんでもない与太記事が載っていた。Yahooとは違う切り口で面白記事が多いのはいいけれどこんな記事を検証もなしに紹介していてはちょっとまずいんじゃないのと思った。公正を期すため全文を以下に紹介しよう。この日記の読者でも相当数が信じてしまうのではないかと思われる。

「身体だけでなく心にも悪影響を及ぼす「シュガーレスガム」の恐怖- WooRis(2013年12月23日19時00分)

皆さん、ガムは食べますか? ガムはリフレッシュや心を落ち着かせるために、手軽に食べられるところが魅力ですよね。しかし、食べすぎはかなり危険かもしれません。ここ数年では、カロリー制限という言葉ができ、店頭に並ぶのはほぼシュガーレスガムです。実はこのシュガーレスガムが、身体だけでなくメンタルにも悪影響を及ぼすのです。小さいからと手軽に摂取し、何個も食べてしまいますが、このシュガーレスガムに含まれる毒素が気付かないうちに、身体に次々と蓄積されていきます。シュガーレスガムの心身に及ぼす悪影響とは、消化不良、便秘、下痢、うつ病、発がん性、自閉症等と深刻な問題になっています。

それではシュガーレスガムが一体なぜ危険なのか、アメリカの健康サイト『Mind body Green』を元にご紹介します。

■シュガーレスガムは毒素の固まり?

シュガーレスガムには、スクラロースとアスパルテームという、2種類の人口甘味料が含まれています。この2つの人口甘味料は心身に悪影響を及ぼします。

(1)スクラロース

スクラロースは、発がん性や肝臓への毒性、先天性欠損症を引き起こすことが知られており、さらに免疫系に悪い影響を与えます。

(2)アスパルテーム

アスパルテームは、体の中でメタノールを放出する強力な神経毒です。メタノールはギ酸とホルムアルデヒド(防腐剤)という、2つの有毒化合物に体内で分解されるので、大変危険です。それによって、消化問題、片頭痛、うつ病、糖尿病が引き起こされる可能性があります。

■シュガーレスガムで太る?

スクラロースやアスパルテーム、さらに他のノーカロリー甘味料などは、ダイエット食品と考えられていますが、実は体重減少どころか、これらの化学物質は食欲を促進します。
多くのマウスを使った研究でも、人口甘味料で太るという結果も出ているくらいです。

■シュガーレスガムで便秘や下痢に?

アスパルテームは、腸の中にあるマイクロフローラという良い微生物を抑制し、身体に悪影響を及ぼす悪い微生物を増加させます。それによって、消化問題や免疫を悪化させます。
また、シュガーレスガムは、噛むことで空気を含みお腹にガスを溜めこむだけではなく、人口甘味料によってさらにお腹を膨れさせるので、便秘や下痢等の症状を引き起こし、腸に悪影響を与えてしまいます。

いかがでしたか? 皆さん、人口甘味料が身体に悪いのは知っていると思います。しかし、ガムのように小さく、一見、体内に影響を与えなさそうな食べ物が盲点となっていたのですね。多量に摂取してる人は、少し控えてみてくださいね。」

↑以上(青文字)は、今読み返しても無知につけ込んだ作為的な内容だと腹が立ってくる。

まずスクラロースだが、1976年にイギリスでテイト&ライル社 (Tate&Lyle PLC) により砂糖を基に開発され、日本では1999年7月30日に食品添加物に指定され使用基準及び成分規格が定められている。砂糖の600倍の甘さを持つが、砂糖のように体内で炭水化物として消化、吸収はされないため、生理的熱量はゼロである。スクラロースを摂取しても、24時間後にほぼ100%が代謝・分解されることなく排泄されるため血糖値やインスリン値にも影響を与えず浸透性は22osm/kg(1%水溶液)、親水性であり生物サイクルで蓄積される可能性はきわめて小さい。

アスパルテームは1965年にアメリカ合衆国のサール薬品がガストリンの合成研究中に強い甘味を発見したことを発端として、その研究・開発が進められ、現在の製法を開発したのは日本の味の素株式会社で日本およびアメリカでは1983年に使用が認可されている。その中でも日本生活協同組合連合会などは安全性への懸念などからアスパルテームを含む食品の取り扱いを行ってこなかったが、2002年3月に留意使用添加物から除外することに決め、取り扱い制限を解除した。つまりは公的機関はスクラロース、アスパルテーム両者とも安全であると定めきちんと認可しているのだ。

でもこの与太記事では「消化不良、便秘、下痢、うつ病、発がん性、自閉症等」起こすともっともらしく書いてあるのはなぜか。これはアスパルテームが「ヒトやサルの腸においてメタノール、アスパラギン酸、およびフェニルアラニンに代謝され、吸収された後に体内たんぱく質に併合されたり二酸化炭素として排出されることが報告されている」という些細な事実に目を付けた極めて作為的な主張なのだ。「神経毒でギ酸とホルムアルデヒド(防腐剤)という2つの有毒化合物に体内で分解される」のはメタノールのことなのにこの紹介文ではあたかもアスパルテームがそうであるかのような書き方になっている。正しくは「メタノールは失明や致死などの人体への毒性が知られているが、果物や野菜や酒類にも含まれるなど、量によっては無視しうるものである。アスパルテームの代謝で摂取することになるメタノールはトマトや柑橘類のジュースから摂取する量よりも少なく、問題にならない量であることがわかっている」のだ。実際には代謝で出来た微量のメタノールはタンパク併合や二酸化炭素排出でほとんど無毒化されアスパルテームでもトマト、オレンジジュースでもそんな毒性を及ぼすことはありえない。それが飲料よりも少ない添加物のシュガーレスガムで健康が阻害されるとは笑止千万なのだが元記事を書いた人はきっとそうは思ってはいないのだろう。

20年近く前「買ってはいけない」という与太本がベストセラーになったがこの手の記事を書く人には「人工物や添加物は体に良くない」という凝り固まった信念のようなものがあって重箱の隅をつつくように些細なアラを見つけては「ほら、だから体に良くないですよ」と主張するのがお決まりのパターンだ。人の話を単純に信じやすい人や根底のところで自分に自信のない人はその論法をありがたがる傾向があるので要注意だ。この手の論者はたいてい「そんな人工物よりも『太陽のめぐみをぎゅっと濃縮した100%天然』のこの製品をお試し下さい」と有難い健康食品を売ろうとしているからネ。

私は丸5年、スクラロースやアスパルテーム、ほかフェニルアラニンがたっぷり入ったゼロコーラを毎日飲み続けているが痩せたことはあっても特に病気になったということはない。「コーラは依存症になるんじゃないの」と気にする人がいるがそれは全くない。例えばこの前の学会行で丸4日間私はコーラを一滴も飲まなかっしそれでイライラすることもなかった。飲まなかった理由は日頃1.5Lペットボトル1本120円台で飲んでいるのに500cc1本だと100円以上もしてそれを買って飲むとはコストパフォーマンス重視(つまりはケチ?)の私にはとても考えられなかったからだ。

それでも気になるというなら無理に飲む必要はないだろうが、スクラロースは10年以上、アスパルテームは30年以上も添加物として使われ続けていまにだそのせいで健康被害が出たという報告がないということは大規模かつ長期試験を行って非常に安全だと証明されたようなものでどんな与太主張や実験結果よりもそれは確かな事実なのだ。

今、メディア、ネットなどで膨大な情報が洪水のごとく流されている。メディア・リテラシーという言葉があるがこれは「さまざまなメディアが伝える価値観・イデオロギーなどをうのみにせず、主体的に解読する力をつけること」を意味し、今回紹介したような与太記事に流され「うわー、シュガーレスガムって怖いのね」などとは思わず、冷静に判断し「そんな馬鹿なことがあるか」と一笑に付す態度のことをいうのである。(それってこてる先生のドヤ顔?!)

Yahooにはこの手の紹介記事はまず出てこない。影響力が大きいし記事そのものを厳選しているからと推測する。Infoseekは視点が面白いけれどこんな記事をたまに載せるとはちょっぴり気をつけないと。

2014年1月16日木曜日

90以上が多すぎる

ただいま入院患者は満床に近くは私の受け持ちはだいたい15名以上20人未満。驚くのはそのうち約45%(変動あるもぎりぎり半数に達しない)が90才以上の患者でこんなにも多くの超高齢者らを受け持つのは記憶にない。20年以上前長寿で有名な沖縄の病院にいたときも90才代は1割かせいぜい2割だった。長寿化とともに全体に高齢者が増えてきているのだ。最近昔の日本人の平均寿命を見てびっくりしたのが今から50年程前の1960年で男性65.32才、女性70.19才だったということ。そういえば「定年55才」というのが最近まであったと聞き「ずいぶん早いじゃないか」と思ったが65才が平均寿命ならそれは当然だったのだ。その後10年ごとに5才くらいも寿命が延び今では男性79.94才、女性は86.41才だ。90才超ともなると持病も多く何かと治療が難しい。それに急変がいつあるか予測つかない。昨日までそこそこ元気でも明日は亡くなっていることも十分にありうる。今後2、30年は日本の人口構成からみて90才以上がどんどん増える。団塊の世代が90代を迎えるのはまだ20年以上も後だからね。そのころの病棟は・・うーん、想像したくないわ。

2014年1月15日水曜日

ストライク・アライアンス

(あーー、ボウリングして帰宅、ワインの残りがあってたったコップ1杯だけ飲んだのが最悪ぅう。むかむか、眠気、むかむかの繰り返しで日記どころじゃない。汗かいてのアルコール、これまで何度もひどい目にあっていたのにー。2014/1/29)

人間ドックのもっと掘れNsのうちには血統書付きの猫がいるらしい。ベンガル猫といって夜行性で夜になると家の中を飛び回ってとってもうるさいんだとか。名前はラムちゃんで漫画「うる星やつら」のあのラムちゃんだ。長女の掘れ娘Nsが他県在住のころショップで買って帰郷とともに連れてきたという。うるさいからラムちゃんじゃなくて当時スロット「うる星やつら」にハマっていたから名付けたんだとか。で、そのお値段は10万!うわ、うちのゲンちゃんなんかおとなしい上にお値段はタダだぜ。コストパフォーマンスはぶっちぎりだ。あはは。

そんな話を聞いたのはドックのスタッフ室で、今度はちょっと見てくれと言われ行くと、水道の蛇口が壊れているという。上排水用の一般的な蛇口が外れていてそれを私がドライバー1本でちょこちょこっといじって直してしまった。「うわーありがとうございます」とイワナ室長Nsに感謝されたが、オレってそんなに器用だったっけ。

夜はチッチを連れて国分スターレーンまで出かけた。約束のニューボール作りのためでT-MAXはドリラーが不在だしそれに置いてあるボールの種類が非常に少ないのでかえって国分で良かった。ドリラーにそこそこ走って(滑って奥で曲がるタイプの意味)ピンアクションの良いボールがいいと伝えると「ぴったりのがあります」と出してきたのがロトグリップ社の「ストライク・アライアンス・ツアー」というボールだった。一目で私はOKした。色合いが緑と紫できれいだし元々ロトグリップ/ストーム社系のボールはピンアクションが良くて好きだったからだ。ドリルメジャーも改めて現在の手に合うようにしてもらった。試投は時間がなくてせず学校の試験が終わる来週にでもやることにした。ドリルの間飾ってあるボールを見れば私も作りたいと思うのがいくつかあった。海広しDrが先月大爆発したミッション・コンプリート、歯科医師会の連中が使っているシンクの後継ボールのバイトなどでいずれもネット通販並の値段で売られているので国分スターレーンはマイボール作りの穴場的存在と思った。そんな気分になっているのはまたボウリング熱が何度目かの再燃しつつあるってことだな。

2014年1月14日火曜日

手が温かい人は・・

連休明けて病院は先週にも増して忙しさを極めた。発熱のためええのんかDrが休みなのは仕方ないとして午後は彼女が救急当番だったため私が代わりを務める羽目に。そしたら来るのよね救急がー。

そんな中で「わかっとらい」Ns改め「まっぴら」Ns(何で呼び名を変えるかは敢えて触れない)が「先生、患者のSpO2が計れません」と言ってきたので診に行くと確かに酸素濃度は上がっていない。指先が冷たいからではないか。しかしそんなに冷たくはなさそう。「酸素をしましょうか」とまっぴらNs。ううむ?その前に確認しようかと私がパルスオキシメーターをはめてみると患者同様反応しない、「ほら」故障(電池切れ)だったのさ。代わりのものを付けると特に低酸素でもなくこれで一件落着した。まずは機器が正常作動しているか、これは基本だね。

もっとも今日のネタはそれではなく、このやりとりの際にまっぴらNsの手が温かいことに気づき私は「俺もよくあったかいねーと言われるんだよ」と教えると、彼女は「手が温かくても心は冷たいのよ」と返してきた。ふーん、そう。その場はそれは終わったがちょっと変なことを言うなと思って外来診察時に彼女にさっきの真意を確かめてみた。すると「手が温かい話題になるといつもみんなに『心は冷たい』などと言われるので先に言っちゃったの」と言う。コンプレックスを持っている人が指摘される前に自ら言う心理だな。別に手が温かいのは悪いことじゃないのね。そこで私は彼女にそういう時のアドバイスをしてあげた。「(手が)温かいねって言われたら『温かいのは手だけじゃないんですよ』と言えばー」って。暗に心も温かいってことになるからこれならいいでしょ。これにはまっぴらNs、えらく感謝してくれた。明るい表情で「これからそう言いますっ」って(⌒о⌒)。

2014年1月13日月曜日

下克上、高校サッカー

せっかくの連休最後の休みでチッチも部活のサッカーがないというからドライブに出かけることになった。途中からテルも同行し、ボウリングに温泉、食事と充実した1日だった。ボウリングではテルにチッチのマイボールを投げさせたら「これはとても投げやすい」と言うのでそのままテルに上げることにした。テルはサムレス投法だからスパンは関係ないしー。で、チッチはどうするか。今までのは5年前の小学生の時に作ったもので14ポンドだし今ならば15ポンドのおニューがふさわしい。「新しいのを買ってあげる」と言われればさすがに文句は出なかった。

高校サッカーは直には見ていなかったが、星稜対富山第一は0-2からの逆転で富山が勝ったと聞き少し驚いた。富山の学校が主要な全国大会で優勝をするというのはこれまでほとんどなかったはずで、富山県民は大いに盛り上がったことと思う。鹿児島の高校が甲子園で準決勝、決勝と活躍し始めたころの鹿児島県民がそうだった。沖縄水産が決勝に初めて出た際も沖縄の熱気はすごかった。去年の宮崎は冬サッカーの鵬翔、夏野球の延岡学園とどちらも決勝戦に出て(いずれも初のこと)夢のような興奮を味わった。気がつけば特にサッカーはこの10年滋賀(野洲)、岩手(盛岡商)、山梨(山梨学院大付)、宮崎(鵬翔)、富山(富山第一)とどちらかといったら田舎のチームが優勝する傾向がある。逆に強豪県で有名な静岡は1995年の静岡学園(鹿実と両校優勝)以降は優勝どころか決勝にさえ進めていない、と思って調べたら、2007年に藤枝東が決勝に出ていた(流通経大柏に0-4と完敗している)。それでも1980年代清水東や東海大一、清水市商が優勝していた頃と比べると隔世の感がある。これは前に書いたがJリーグ発足(1993)と関係がある。Jリーグが浸透するにつれ有力な選手は高校の部活動ではなくJリーグの下部組織に所属するようになったからで彼らは高校生ではあっても高校選手権には出られない。静岡、埼玉ではそれが顕著になって高校は勝てなくなった訳だ。逆に富山や宮崎はJリーグの影響がそこまでない(富山はカターレ富山があるが)ということだろう。高校サッカーは戦国時代でどこが優勝してもおかしくなくなっている。宮崎や富山が優勝したことで我々も!と次の下克上を狙うチームが出てきそうだ。

2014年1月12日日曜日

桜島大正噴火100周年

桜島大正噴火から今日でちょうど100周年とのことだ。私がその噴火のことを知ったのは多分小学校低学年のころで同じ1月12日に講堂で壇上の先生が「村長は当時で千円(くらい)と言う大金を巻き付けて小舟だったかイカダだったか定かではないが逃げたという」語ったのが印象に残っている。千円とはまたちっぽけなと思われるが当時は相当な大金だったと先生は言っていた。その頃でさえもう100年くらい前かなと思っていたので今回100年経ったというのが「え、まだそれくらい」と感じてしまった。その後高校のころ桜島1周をして大隅半島との陸続きを眺めたり溶岩原を歩いたり黒神地区の灰に埋まった鳥居を見たりで桜島のダイナミックさを実感した。降灰で迷惑千万な桜島だがなくなればいいという意見はあまり聞かない。日本人が富士山をみて心のよりどころにするように鹿児島の人にとってある種信仰心をもたらす山だからだと思う。鹿児島を離れた人が久しぶりに帰郷して桜島を見ればきっといいなと思うはず。今後は噴火、降灰といかに共存していくかが大事ということだろう。そんなわけで現在こてる日記の背景画面も桜島をバックした家族写真を4年も続けている訳です。(昔は背景を1年ごとに更新したが最近はサボっている・・いや、前述の理由で敢えて変えていないのです(⌒о⌒))

2014年1月11日土曜日

呼ぶか呼ばずか

午前は散髪に行き、一旦帰宅後すぐに午後からの当直のため病院に向かった。昼間は仮眠も取れたが夕方からの3、4時間はひっきりなしの忙しさだった。感染性腸炎、イレウス、尿管結石、急性気管支炎などなど。イレウスは外科Drを呼ぶかどうか迷ったがこういう時は「研修医の取るべき態度」を参考にして呼ぶことにした。「こんなことぐらいで呼んで」と言われるか「何で早く呼ばなかったんだ」と言われるか、迷ったら後者を選んだ方が間違いがないのだ。結局緊急手術になったから一応正解だったわけだが、ま、詳細は個人情報がらみがあるので書くまい。ようやく一息付けたのが夜も11時を過ぎていたかな。おきまりのソファ寝明け方覚醒パターンにはまってしまったのだった。

2014年1月10日金曜日

家族愛あふれる・・のも

疲れた・・仕事が忙しいのもあるが、ある亡くなった患者の家族との話し合いに大いなる疲労感を感じたのだ。

年末に亡くなった患者の件でその息子氏が聞きたいことがあるというので本日午後院内で会うことになった。ううむ、ここでは詳細は書けないが、「比較的元気だったのになぜ入院して4日ほどで亡くならなければならなかったのかを知りたい」というもので、2枚の文書に5つ箇条書きで質問と息子氏の見解が書かれてあった。クレーム?いやそうすることで何らかの賠償を引きだそうという下心はなさそうだ。言い分を聞くにつれ息子氏は母親が亡くなったことをまだ受け入れられないのだと分かった。病院で行われた治療行為などがもとで母は亡くなったのではないかとくすぶっていた。カルテを検討し質問一つ一つにそうではなく何らかの病変(おそらくは心血管系でしょう)が起き年齢もあって(90才代半ばになろうという高齢)一気にダウンしたんでしょうと説明した。しかし「母は入院するまでは元気でした」と涙ぐむ。入院をしていて一見何もないような高齢者の急変死亡はままある。息子氏には言わなかったがいつまでも最愛の母が生きてくれるような気分というか錯覚にとらわれていたのではないだろうか。もし自宅で同じような急変になり亡くなったらこの人は「何で病院に早く連れて行かなかったんだ」と自分を責めそうな気がする。

というのもついこの間私の知り合いの女性が心疾患や血液疾患で何度か危機的状況を乗り越えた90才近い父親がとうとう亡くなったのだが、葬式も終え数週間になろうとするのに「入院する1、2週間前に胸部レントゲンを担当医に頼んでおけば胸の水も早く分かったのでは・・ああ、私がいけなかった」と悩んでいるとメールで相談してきたからだ。それまでも何度か父親のことで相談に乗ってきて本人も「これまで生きてこられたのが不思議なくらいだから」と言い、達観出来ていたのかと思っていたら、いざ最愛の父親を亡くすとその喪失感をどうしていいか分からないようなのだ。最後は今までお世話になった鹿児島市内の某病院がいいと入院させたのに「来月は母親も某病院の定期外来に連れて行く予定だったけど(父の死を思い出すからか)私は行けない。一人で行ってもらうつもり」と語るのだ。亡くなって欲しくない人が亡くなった病院へは行きたくないという心理は分からないでもないがこうも病院の扱いは変わる。

その息子氏にとってここの病院は母の死に関わった忌まわしい所・・きっとそうなんだろうな。家族愛にあふれ過ぎる人もまたややこしさを抱えることがある。人間って難しいものだ。

2014年1月9日木曜日

プリンター新調

久しぶりにプリンターを買い換えた。EPSON-EP806A。ネット購入では2万円を着る価格でコピーも無線LANもありとにかく安い。5年前10年前をみても内容の割りに格安だ。医局のプリンターが半ば壊れてこれまでの自宅のCanonを医局へ自宅は新調しようとの目論みである。ここ10年はCanon製品ばかりだったのをEPSONに変更したのはライバル機同士で一回り小さかったのと後トレイを使用せずに大小2種類の用紙が使えるからで、Canonは後トレイにゲンちゃんが乗っかって支えが壊れてしまっていた。あと年賀状印刷でローラーが滑って紙をうまく噛めずやや古くなっていたこともメーカーを変える気になった。

ただ問題は以前のものと比較してインクの減りが早いことだ。明らかにユニットが小さくなっているし透明だったケースも黒くなり量が分かりづらくなっている。おまけにインク代も高くワンセットで5千円以上はする。3、4回全面交換すれば本体が買える値段になる。これはEPSONもCanonも同じでインク代で元を取る商法だと消費者の不満がくすぶっている。かといっていわゆるゾロ品を使用するとインクが詰まりやすくなり下手すると故障しかねない。一度その憂き目に遭っているので純正品を買わざるを得ない。全くメーカーの思い通りでくやしいが今日セッティングしてみてプリンター自体は確かに進化しているし便利になっている。うまく付き合っていくことにしよう。

2014年1月8日水曜日

さあ、忙しくなってきた

今日の入院は近隣の病院から胃瘻造設一人だけの予定だった。しかし入院はこの人だけでは済まなかった。整形外科からの加療依頼、肺炎の入院依頼、救急車での心不全などなど計4人が私の担当で午後入院となった。そのあおりで私が以前から診ている80才代の寝たきり女性患者の診察が遅れていて、さあその次ぎに診ようかという刹那、病棟から「呼吸停止ですー」と連絡が来て「ごめんなさいね」と一言断って上がって行った。幸い病棟患者は息を吹き返したが女性患者家族は怒り出し(1時間半近くも待たされていたようだ)ているとのことで循環器科非常勤の田原坂Drに応急の診察をしてもらった。入院指示もまるまる一人済んでおらずとにかくその患者までは全く手が回らなかったのだ。18時を過ぎてから外来診察をしたが検査結果は特にひどいものではなく内服だけで済む程度のものだった。それでも「済みませんねえ」と一言謝りはした。こちらがどんなに忙しかろうが家族からすればひたすら待たされた訳だから。全く常勤Drがあと数人は欲しいわな。

ともかくも松の内が終わってからの週はどこの医療機関も忙しいはず。意外なくらい空いていた病棟もあっという間に満床になったし、1年のうちでも忙しい時期にさあ、なってきたゾ。

2014年1月7日火曜日

あの日から10年

今日は可愛いんだ理事長の招待で術後10周年のお礼の会が青雲タウン内のイタリアンレストラン「ザ・ハート」で開かれた。検査、手術、管理に関係した人たちだけでなく院外の一外科Dr(奥マラ、公方、ホキヤン)まで呼んでいた。公方Drとは何年ぶりだろう。でも全然お変わりない。今は鹿屋の病院勤務で帰りは代行でいくらかかったのやら。シマッチDrとは当然阪神の話題で鹿児島県ゆかりの選手の父親と会ったなどというマニアックさがいかにもらしい。奥マラDrは今は大学の医局長で非常勤医、当直医の派遣などで連絡を今でも取り合っている。話しぶりなどはやはり変わらない。人ってまあ変わらないもんだ。

会のメインは術者でもあったラブカメ教授がスライドでその一部始終、紆余曲折、起承転結をまとめての発表だった。手術日はラブカメ先生は教授会があったにも関わらず可愛いんだ理事長が勝手に「その日にしてくれ」と決めていて結局出られなかったというエピソードも出てきた。その年3月の老健青雲荘オープンに間に合わせるには1月7日あたりに手術しないといけなかった。それは理事長の都合だったわけで「患者に手術日からなにから決められたのは初めてのことじゃった」と教授はぼやいていた。

その後は私も含めた職員全員のスピーチがひっきりなし。途中休みを入れても1時間以上は続くも意外と飽かずに聞けた。また日頃おとなしい元無か毛放射線科長が飲んだせいもあってしゃべりが止まらない止まらない。その様子の方がおかしかったくらい。ともかくもにぎやかに宴会(?)は終了した。そういえば10年前のこの日のこてる日記では理事長の手術のことを書くわけにはいかずかといってウソは書かないという日記のポリシーもあってちょいとひねって書いたことを思い出す。以下その時の文を再掲しよう。事情を知らず読んだ人は手術を受けた患者がVIP=可愛いんだ先生とは絶対分からなかったはずだ。

2004/1/7の日記より

「今日は朝からVIPのオペがあるため、医者はもとより看護部から総務に至るまで皆忙しかった。癒着がひどい患者だったようで胃の手術にしては時間がかかり、通常の倍近い時間がかかったと外科の先生も言っていた。私も術中内視鏡検査に立ち会わねばならなかったり外来をしたりで、夕方にはぐったりだった。VIPゆえ、鹿児島で一番大きい病院の院長先生(ラブカメ教授は当時鹿大病院長だった)をお呼びし、その部下の先生や麻酔科医などもいて、一時オペ室には総勢10人以上もの人があふれかえっていた。外科のDrも疲れただろうが、一番疲れたのはやはり可愛いんだ院長(当時青雲会病院院長、現理事長)だったろうね。」

2014年1月6日月曜日

100才までXXするぞ

年頭の可愛いんだ院長の朝礼で「手術を受けてちょうど明日で10年経つ。あとどのくらい生きられるかと思っていたが10年も生きられた。これなら100才まで生きられるんじゃないかと思って『100才までゴルフをする』という目標をみんなに宣言しようと思う。白衣のハンディ袖上にその文言を刺繍して患者さんにも見てもらう」という話をした。なんだか呆気にとられる話だがこれがマジで所属長会議でも師長や主任クラスに「みんなも何か目標を立て白衣に刺繍しよう、希望者には費用は病院が持つ」と伝えられた。その刺繍を見て患者さんや訪問客があれと思い質問することで話が進んだり弾んだりする効果も期待しているという。数えで古希を迎えたというのに相変わらずユニークな発想をされるお方だ。

で、自分だったらどんな目標を袖に刺繍しよう。すぐには思いつかない。そもそも私は昔から100才まで生きたい少なくとも90才までは、と人に言ってきていた。理事長に取られてしまったな。じゃー、理事長が100までなら101才というのはどうか。いや、なんだかせこい。110才、120才となると世界記録だ。いっそのこと200・・・そうだ300だ。「300を目指します」ってのはどうだ。「センセ、100はともかく300はないでしょう」と言われたら「イヤ、300才のことではなく300点、ボウリングのパーフェクトを目指すってことですよ」とでも言おうかな。そんなことを思いついたが結局刺繍は申請しなかった。ただでさえおしゃべりの私がそんなことをしたら診察も検査も時間がかかってしまいそう。今度同じようなことを宣言する機会があったら何と言おうか考えておこう。

2014年1月5日日曜日

ガキ3人とボウリング

3年前に「ガキ4人とボウリング」というタイトルで日記を書いたことがあった。今日はまさにその続きだった。

チッチが中学時代のサッカー部員らと郡山のグラウンドで初蹴り練習をするというので朝はエフケント君の父親が車に乗せて行き、帰りは私が迎えに行った。エフケント、ザミドル君も乗せて伊敷台にそのまま送るつもりだったがチッチが「ボウリングをしたい」言いだし「友だちは?」と聞くと彼らも「全然大丈夫っす」と即答だ。こいつら示し合わせていたのか。でも昼過ぎ特に用事もないのでOKした。3年前はこれに闇討ち君も加わって5人で(T-MAXが待ち時間長く)サンライトに行き投げたのだった。今回は元日同様待ち時間ゼロでしかも同じ25、26レーンで投げることになった。レンコンはというとこれも元日同様イージーで私はまたもや200アップを出した。

ガキたちはチッチが当然のマイボールでエフケント君は直球ソロリでまあオーソドックス、ザミドル君は軽量サムレス投法でこれはテルと同じだ。昔は直球派だったのがいつのまにかぐるりんぱになっていた。この親指を抜いて曲げて投げるというのは6、7年前かTV番組で簡単に曲げられるウラ技として紹介されたのがきっかけではないかと思っている。極めれば有力な投法でプロにもその手の使い手もいる。

最初の3ゲームは個人で投げ、途中照明が落とされ音楽とともにストライクチャレンジがあってそれまでスペアで我慢のボウリングをしていた私が何とターキーを出しオロナミンCを3本ゲット、チッチも1本取り、ちょうど4人喉の渇きを癒やすことが出来た。懸賞がかかると結果を出すなんて出来すぎっ!残り2ゲームは恒例のスカッチダブルスをした。それまでのスコアから私とザミドル、チッチとエフケント組に分かれ、ハンディは20ピン。もちろん向こうに与えるのだったのだが・・。1ゲーム目、ハンディなしでもマイチームは敗れた。エフケント君のソロリ投法がスペアで絶大な効果を発揮しチッチの残した7ピン、10ピンをことごとく倒していったからだ。私は1フレの3ピン残りをミスするなどふがいなかった。

2ゲーム目はハンディを10に減らし(それでもタイにしなかったゼ)た。前半はほぼ同ピン。しかもチッチがストライクを出しまた調子に乗るかと思いきやこれが逆に転落のきっかけになった。というのもこれでスペア取り側に回ったのがチッチでマイボウラーだけどまだまだスペアメイクに難があり後半1ピン残りを3連続で外してしまった。これでこっちは楽になり13ピン差で勝ち(ハンディ込みで3ピン差)トータルはチャラになった。ダブルスでの勝負はいつもハラハラ楽しいものだ。

後でチッチに感想を聞くと「今までのボウリングで一番楽しかった」んだって。いやいやそれは良かった。きっとエフケント、ザミドル両君も同じ思いだったろう。元日の親子ボウリングと同じくきっと良き記憶として残ってくれるはず。ボウリングはコミュニケーションツールとして最高だよー。

2014年1月4日土曜日

莞爾として

今日の土曜は今年最初の仕事で午前外来だった。ただ、まだ松の内ということもありさほど忙しくなかった。そんな余裕もあり一人一人やや話が長くなり、その中で莞爾(かんじ)さんという初老の人がいた。生まれ年は昭和19年。ははぁと思い「この名前は軍人さんからでしょう」と尋ねると「そうらしいです」との返事だった。以前書いたが戦中は子に軍人の名前を付けることもあり「五十六」さんも青雲会病院だけで数名いる。「莞爾」は陸軍の石原莞爾から取ったのは間違いないだろう。莞爾とは「莞爾たり=にっこり笑う」の意味で形容動詞でもある。石原は満州事変の策謀者で満州国を立国させた後に東条英機と徹底的に対立し太平洋戦争時は引退に追い込まれた。東京裁判では戦犯から外されたものの実家の山形での臨時法廷(病気療養の石原のためだけに設けられた)に立ち持論を展開している。私は高校のころ東京裁判の本をよく読んでいたのでそんな内容を莞爾さん相手に教えた。へーえと感心し、「この名前は今までまともに呼んでもらえなかったのですがいい話を聞けて良かったです」とにっこり笑ってくれた。私もそこそこ満足したがこの人がどんな病気で何を処方したのか今では全く思い出せないのである。

2014年1月3日金曜日

TVに唸る

朝からゲンちゃんが騒がしかった。カールがTVのNHKBSを付けていて「岩合光昭の世界ネコ歩き」をやっていていたからだ。画面のネコたちがニャンニャン声を上げると縄張りを荒らしに来たのと勘違いして立ち上がり画面に手を出したり台に上ってにらんだり唸ったりとどうにも落ち着かない。家の中しか世界を知らないゲンちゃんもTVで世間を知る機会があるんだねー。

その後、年末年始の撮りだめしていたビデオを見ていた。「ガキ使」は早送りしつつ6時間を見終わった。台所のカールが「みんなが見るから私は何度も同じのを見せられている」と言う。そりゃそうだ。ハードディスクも圧迫するしこれは今日で消しておくね。TV朝日の「芸能人格付けチェック」は見ていてやはり面白い。ワインや肉などは視聴者は想像するしかないがバイオリン演奏や映画の演出などは自分も考えることが出来る。これが難しい。ワインもスタッフが似た味を事前に調べて選んでいるだろうし高橋英樹が間違うのも無理ないか。安物なのに滔滔とすばらしさを評する石田純一などがいるとますます面白いがー。GACKTはこれまで出場した5回で全部正解するなどこの番組のカリスマになっているがヤラセかマジかで意見もある。画面を見る限りヤラセではないようだ。来年はどうなるかなー。

たいした番組ではなかったものの日テレ系の「ダマされた大賞」でアイドリング!!!の菊池亜美の見せた白目向きだしの映像は笑った。美人かどうかは別にして覚えやすい顔立ちで芸能界向きの彼女、アイドルよりバラエティに向いているのではないか。この映像だけで彼女の存在価値はあったっていってもいいくらい。これはYouTubeで見てみて。

2014年1月2日木曜日

囲碁いじり

先月テルからの打診で約束していたエンナリ君との囲碁対局が実現した。エンナリ君は関西の大学生で囲碁は県代表レベル。しかし同級生からは囲碁オタクとしてみんなからいじられる存在らしい。冗談から駒じゃないけれどテルの親父と打たせてみたら・・とのアイデアが本当になった。私も以前から打ってみたい気はあったので即OKした。初詣から帰って来たテルが(もっとも霧島神宮まで脚を伸ばしたがあまりの渋滞にあきらめて帰ってきたということ)エンナリ君を連れてきた。挨拶もそこそこに準備された碁盤の上座に彼を座らせ手合いをどうするか訪ねた。案の定六段だというので「いやいや建前はそれでも一般棋客からみたら八段はあるだろう。私が初段くらいだから7つ置いて」と半ば強引に7子局で始めた。これは2内科の県代表レベルきたぐに君、チェリー君らに7子で勝ったことがあったので予定の行動だ。

序盤は置き石の威力で私が攻めに回ったがさすがは高段者でなかなか決め手を与えない。そのうち私の石も危ないところが出てきて、どう守るか、はたまた捨て石にして外勢をとるか悩ましい場面も出てきた。とにかく上手は選択肢を多くして下手を惑わすように打ってくる。中盤から終盤を迎えそれでもどうにか私が勝てそうと思っていたら上辺でコウを仕掛けてきた。これでどう打っていいかわからなくなり明らかな失着を打ち石を取られてしまいほぼ負けを覚悟した。投げはせず最後まで打ち24目負けだった。うーん、1年以上も石を握っておらず感が鈍っていたからかなぁ。悔しいが仕方ない。最後にお礼としてJCBのギフトカードをプレゼントした。終了後の指導碁も含めてのつもりで準備していたのだが、遅くなった初詣のせいで夕方暗くなりかけていたのでそれはあきらめざるを得なかった。でもまた打ってもいいと思ってもらねばならないし、テルにも気を遣ったってこと。気分良く帰ってもらうのも年配者の心得だ。


その夜、みんなからエンナリ君は囲碁のことでいじられどうしだったとか。囲碁の仕草とか言動は同世代からすると可笑しさの対象だ。また彼は私を表し「あのコウ(にうまく対応できないよう)だったら8子でも勝てたかも」と感想を述べていたらしい。いやいやそれはないよと反論したいがそこは我慢。麻雀同様ハマり始めたら実力以上の結果を出すからね。ま、正月らしい一コマでありやした。

2014年1月1日水曜日

家族そろってのお正月

TVでジャニーズの若手グループ(よく知らん)らがカウントダウンし新年は青雲会病院の医局で迎えた。ううむ、さほどの感慨はないなあ。新年を迎える瞬間って意外に記憶に残っているものは少なくて、よく覚えているのは中学3年の昭和50年(1975)くらい。それは田舎に帰って紅白見終わった後、家族で釜蓋神社へ向かう途中の足下暗い旧国道を歩いていた時だった。ああ、今から昭和も50年代に入ったんだーと。物心ついてからずっと昭和40年代だったのでね。

未明にかけてはあまり呼ばれることもなく元旦を迎え帰宅した。おせちが用意されていてこれが結構豪華だった。クレストンホテルの料亭「高いってヨ」のもので今らしいと思ったのはお品書きに原産地などがすべて事細かに書かれてあったこと。産地偽造問題がこんなところに表れていて私などはその点にはこだわらないので細か過ぎっ!の印象だ。見た目も味もなかなかではあるけれど正月2、3日の間には食べ切れなさそうでもったいない精神の我が家ではそこが問題だ。

年賀状も早くも届きぱらぱらとめくる。今年は住所録ソフトの新調その他で出す枚数がやや少なく早くもはがき追加購入を考えねば。子供らでは上二人は興味がなくチッチのみがクラスメートから来た賀状相手に送ろうと思っているようだった。そうこうしているうちに時間が過ぎ、実家に着いたのは午後1時をゆうに過ぎていた。あこネーサ母はいつも通り「およおよ、よく来たねー」で向かえてくれた。ヒラーキ弟家は家族6人のうち長男のデンタル君が帰省しておらず、うちらも家族5人そろって正月実家に行けるのも今後何回あるだろうか。お年玉をもらった後は従弟では一番幼いヒロヤン君小6がトランプをしたがっていてセージとチッチが相手した。テルは同窓生らとの夜更かしのせいで仮眠していた。

しばらく経って実家を出、頴娃大川へ墓参りしヒトミンチョ家へ年始に行った。途中釜蓋神社入り口を見たが今年も参拝客が多いものの去年ほどではなかった。徐々にパワースポットブームも落ち着きつつあるか。ヒトミンチョ家は今年はたまたまトシ登り、フサンコ、ヨカトモの兄弟が不在で少しさみしかった。その代わりといっては何だが3年前に里親にあげた黒ネコのリオン君が帰ってきていてカールを始めみんなで写真を撮りあった。飼い主が引っ越し先では飼えないとのことでヒトミンチョが引き取りるもソラン君とは兄弟なのだが雄同士唸り合ってとても近づける雰囲気ではないという。そういえば1年前はゲンちゃんがソランに威嚇されそのショックで数日ご飯を食べないということもあった。この様子じゃじゃれ合うまでには相当時間がかかりそう。

サッカー天皇杯は中村俊輔有する横浜MマリノスがJリーグチャンピオンの広島を2-0で下し久しぶりの優勝を遂げリーグ後半の失速がの鬱憤を晴らした。まあ良かったんじゃない。

夕方になったのでお暇し、帰りの車中でテルが「ボウリングをしたい」と言うので、帰宅後チッチもマイボールを久しぶりに取り出し男4人でT-MAXへ出かけた。待ち時間があると嫌なので事前にT-MAX、サンライトボウルなどにも確認したが「待ち時間?全く大丈夫です」とのこと。実際即プレイできた。正月は待たされゲーム代も高いためこれまでほとんどやっていなかったのに拍子抜けだ。ボウリングブームなどとよく言われるがそんなことはない。すでにブームではなかった20年前の方がはるかにプレイ人口は多かった。ただラウンドワンあたりはまだ多いかも。テルはラウンドワンでやりまくっているらしく自信ありげだった。

余裕で2レーン取りアメリカンで投げた。テルは親指を入れず手首で抱えて投げる今風の若者投げになっていた。それがまたハマってどんどんストライクを取りやがる。いきなり4連続ストライクでびっくり。スペアはそうでもないだろうと思っていたらそれも結構取っている。1ゲーム目174で10フレにファールをしなければ190は行っていた。相当やり込んでいるゾ。仲間内でボウリングがはやっていてラウンドワンの夜間投げ放題をよく利用しているそうだ。私は213。レンコンが易しくいわゆるハイスコアレーンコンディションでヘッドピンにボールが集まる。T-MAXでは珍しい。マイボウラーチッチは勝手を忘れたか何と79。ボウリング自体が久しぶりのセージは55、話にならん。

2ゲーム目はテルと私の勝負になった。テルはマジで私を負かそうと気合い十分。ノーミスで何と212。私は1フレスプリット出したものの3フレから5連続ストライクで追いつき追い越し225で勝利した。「うわー、212出しても負けるんかー」とため息のテル。ふふっ、まだまだ若いもんには負けないぜー。3ゲーム目は245でさらにパパは遠くに行ってしまったヨン。

最後2ゲームは私とセージ、テルとチッチ組に分かれてスカッチダブルス勝負をした。ここではセージが頑張った。スペアは私が拾うなどして2連勝。いやはやみんなですればボウリングってやっぱり楽しい。それと昼も思ったが親子でこうして過ごす時間ってすごく貴重だってこと。久々だからこそすごく思った。正月は無理してでもいっしょに過ごさねばー。