2016年4月30日土曜日

ある日の当直の真実

1週間前に今日の当直の様子をネタにすると書いた。久しぶりに忙しい当直だったからで、それは午前の外来の時点から始まっていた。

一般外来に混じって緊急で内視鏡をしないといけない患者がいた。S状結腸捻転。これは放置すると最悪腸管壊死を来す可能性がある。だから外来途中にレントゲン室で内視鏡を開始した。いつもの自分ならどうにかしてでも整復できる。しかしこの患者は手強(てごわ)かった。腸管が長く1時間かけても整復出来そうになく、当直業務も控えているし、万一の場合手術もあり得るため、鹿児島市内のプーさん病院に電話し受け入れてもらえた。電話に出たのが2内科出身の知っている「匂う」Drだったので話しやすかった。

昼過ぎにやれやれと引き上げてからがまた患者対応に追われた。だいたい1時間おき、一人を診終わればまた一人がくるというパターン。夕方までに5人来た。

救急車:腹痛の透析→入院
救急車:腰痛→点滴
救急車:めまい→入院
外来:急性腸炎→入院
外来:インフルエンザB型→処方

そろそろ夕食も医局に運ばれて来ているころだが・・

外来:下腿切創(小児)→縫合処置
外来:嘔吐下痢→処方

どうにか夕食を食べて20分少しソファでぐったり・・

救急車:胸痛→診察
救急車:交通事故→診察
外来:先ほどの交通事故の助手席者→診察
二人とも大した怪我でもなかったが交通事故患者は時間がかかる。

日付が変わっても患者はやって来る・・

外来:急性腹症→膵炎を疑い難ガター検査技師まで呼ぶが異常なし、結果オーライ
救急車:癌末期→入院

この辺で午前2時。少し落ち着き私は医局ソファで録りだめビデオを少しだけ見ることにした・・しかし15分で撃沈。1時間は眠れたか・・

救急車:てんかん重積発作→注射、点滴、入院

てんかん患者は専門外なので手間が掛かった。完全には鎮静できずに入院させ、夜が明けてからシマッチ院長に電話連絡したが留守電だった。でもどうにかおとなしくなり午前8時を過ぎあと10分で当直も終わりというときにまたもや救急依頼が・・

救急車:吐血、胃の静脈瘤出血→緊急内視鏡

以前から肝硬変、食道静脈瘤で診ていた人で結局はアルコールを止められずに症状悪化させていた。緊急内視鏡で出血点を確認できたが実はたいがいの消化管出血は私は止血出来るけれど胃の静脈瘤止血だけは出来ない。それで鹿児島市内の病院をあちこちあたってみた。かつて依頼したことのあるかしましい病院は最近は内視鏡スタッフが減り「内視鏡医がつかまるかどうか」という当直者の話しに「わかりました、他を当たります」、そして昔町病院分院は「うちは(胃静脈瘤止血は)やっていません」で、今切る病院にも電話するとスタッフを呼び寄せてからとのことで断念、結局プーさん病院にまた連絡する羽目になった。プーさんには内視鏡当番がいるのは知っているけど、昨日も無理に頼んだので少し遠慮していたのだ。楠岳というDrが出て事情を話すと胃静脈瘤治療はしているがおそらく待機内視鏡治療になるとのこと。ううむ、1日待てるか微妙だが今現在はかろうじて血が止まっている状態で再出血の可能性を考えるとまた頼むしかない。やさしい楠岳Drは受け入れてくれ救急車で転送となった。内視鏡スタッフの服緑Nsが付き添い、後で聞いたところでは何人かいたDrのうち一人が私がプリントした内視鏡写真をみて「あ、これは今日(止血)しないと」と言っていたとか。

ふう・・今年一番忙しい当直だったわ。
思えば専門外の患者ばかり診察していたようだったけど、最初と最後は自分の専門、しかしプーさん病院に助けてもらうという展開に苦笑いだ。で、そのまま帰ったかというと、もともとこの当直をあてに4月分のレセプト業務を済ます予定で12時前まで医局にねばっていた。でも半分ほどしか片付けられずさすがに止めたった。ええい、明日だ明日、明日がある〜。今日は帰って寝よっ!BTQ。

2016年4月29日金曜日

フラワーパークかごしま

秀水園の朝食はやはり素材の味を出した和食でまさにカール好みだった。
帰室し、さてせっかくの指宿どこに行こうかと思案し、昨日遠くに見た知林ヶ島へ渡るというのはどうだろうと潮の動きを調べたが、今日は夕方しか渡れないことがわかり断念した。で、以前から行こうと思っていたフラワーパークかごしま」に決めた。実はカールはチッチとずっと前に行ったことがあってその時はアンガールズがイベントゲストで来ていたからだとか。私は純粋に花を見てみたかっただけ。残念だったのは見事な水色に咲くヒスイカズラが見頃を終えているということでまあ仕方ない。

園は開聞岳の麓にありここからは日本百名山の一つがきれいな三角すいの全景を見せてくれる。見慣れているはずだがやはり素晴らしい眺めだ。まだ登ったことのないのでいつかは必ず登りたい。
園内は意外に広くぐるりと1周するのに1時間ではとても足りなかった。花だらけということはなく風景や緑をゆっくり楽しむにいい所だ。季節外れの蝉の鳴き声が松林から聞こえてきて「春蝉(はるぜみ)」あるいは「松蝉」というらしい。最近は松林も減り松食い虫駆除の影響もあって絶滅危惧種に指定する自治体もあるとか。
南側の海を見晴らせる展望台に着くと「竹山」と呼ばれる印象的な火山岩頸の小山、ゆるやかな海岸線、そして青空という気分のいい景色が拝める。竹山はスヌーピーが寝ている姿に似ているとかで地元ではスヌーピー山なんて言われているとのことだ。
左端の突起がスヌーピーの横顔で右端が膝や脚かな。日射しが嫌なカールは完全防備で怪しさ満点だったけどね。

熱帯植物のハウスには面白い花が多かった。2010年に話題になった世界最大の花ショクダイオオコンニャクもあったが花は当然咲いていなかった。個人的に好きなのは肉食植物の仲間のハエトリソウ。この形、いかにもゲスっぽくていい。
近くにあった蝶ハウスもひらひらと舞うオオゴマダラが命のはかなさを連想させ私は好きだな。もっともカールは蝶の幼虫のようなムシが大嫌いで入らなかった。
そんなこんなでイベントの「動物戦隊ジュウオウジャー」には見向きもせず昼12時には園を後にした。うーむ、いいところだがまあ1回行けばいいかな。何か珍しい花が咲いてもう少し近ければ何度でも通うのだけど。

2016年4月28日木曜日

指宿秀水園へ

今日の午後から休みで明日からゴールデンウィーク。このタイミングを利用し昼過ぎから指宿へ一泊二日ミニ旅行へ出かけた。せっかくだからと老舗の「秀水園」にした。実は利用するのは初めてで、料理部門ではいつもプロのアンケート1位を取る有名旅館でありながら縁がなかった。同じ指宿では「吟松」や「白水館」には泊まったことはあるのだけど。数日前に私が思いついてネットで調べると空きが十分にあった。例年ならこの時期の休日前は予約でいっぱいで泊まれないはずだ。新聞によるとGW期間指宿だけで1万7千人のキャンセルがあったそうで熊本地震の影響は大きい。

特に急ぐ理由もなくオートドライブモードでちんたらと国道225号から226号線を南下していった。指宿市内に入りちょうど海岸沿いに道の駅があって駐車した。「いぶすき彩花菜館(さかなかん)」という名前が付いていて篤姫ゆかりの説明板があったり錦江湾が目の前で南に知林ヶ島、北に桜島が見える景色のいいところだ。(左奥に小さく見える島が知林ヶ島)

でもー。
海面の写真を撮ったときにふとこれが津波だったらと想像してしまいゾッとした。展望台は大丈夫かなとかすぐ近くの民家は全部呑み込まれてしまうナーとか。店の中は指宿の農家直送の特産品がたくさん陳列されていた。農家の名前付きだ。そら豆、海草サラダ、つわの他陰干枇杷の葉なんてのもあって、カールは「え、葉っぱが金になるの?これくらいならうちの庭の枇杷の葉でも出来るかも」と言って手を出さなかった。色々見て回るも結局は何も買わない。これはいつものパターンだ。

ホテルに近づくと、ちょうど藁葺き竪穴式住居の復元したものが目に付き「橋牟礼川遺跡」とのことで立ち寄った。大正13年に国指定の遺跡になったというから結構歴史がある。でも知らなかったわ。

住居を覗いたり、土器工房、鍛冶炉などさらっと見て写真撮って秀水園に着いた。建物はそんなに新しくないもののエントランスは薩摩焼や絵画などありぽっと出の旅館でないことをアピールしている。部屋に案内され抹茶とお菓子を頂くと「砂風呂は?」と言われたが過去何度か入っているしですぐに館内の温泉に向かった。ちょうど先客が一人着替えて出るところで中に入ると誰もいなかった。そしてそこから出るまでだーれも入って来なかった。サウナ、露天と全部独占だったよ。ちょうど夕食前とはいえお客さんいるの?食事は個室で部屋はどこも名前が貼り付けられお客はちゃんといるよう。余計な心配だったか。

料理の味付けはそんなに濃くなく素材の味を生かすようなものだった。特にあわびの素味噌焼きは美味しかった。
一つ一つはもう少し量があってもと思って食べていたが最後のデザートにころには結構お腹いっぱいになっていた。「部屋に帰るとぜんざいも準備しています」と言われ、うへとなった。帰室する前に1階ラウンジで幕末偉人の掛け軸を見たり庭を散策し時間をつぶした。ぜんざいは少し冷めていたけれどなかなか美味しかった。(↓は西郷さんの掛け軸。本物なんでしょうねぇ。「何でも鑑定団」を見ていると掛け軸なんて一番偽物が多いから・・)

最初は「そんな旅館に一泊だなんてちょっとぜいたくじゃ」と言っていたカールも満足してくれよかった。この手の企画は苦手な私なんだがやる時はやるんだでー。ふっふ。

2016年4月27日水曜日

男は時計

今日もT-MAXで週1のボウリング練習。難ガターさんほかMR3人(スリウェル、アンドキサ、タナカッツ)とで最後のダブルスなどは10フレ迎えた時点で全く同点といつも通りの接戦だった。

おっと今日話題にしたいのはボウリングではない。練習開始直前に某MRが「先生のブログを拝見していまして、実は私もアテッサでして・・」と4/17の次男に買ってやった時計の話題を持ち出してきた。見ればセージのアテッサとはずいぶん違うアテッサ25周年記念モデルとかのクロノグラフタイプでずっと上等に見えた。それを見て別のMRが「私もクロノグラフです」と見せたのが何とロレックスのクロノグラフタイプ。「以前からこの時計に憧れてまして・・でも高すぎるからと一旦別の時計にしようかと思ったのですが、先輩に『それだとどうせまたその時計が欲しくなるよ』と言われて思いきって買っちゃいました」という。やっぱり買って良かった、満足しているとはいうが、私にはとてもとても出せないわ、100万円なんて!もう一人のMRが「私のはインデペンデントです」と見せてくれ、ほほうと3ついっしょに並べてみた。↓左からインデペンデント、アテッサ、ロレックス。

パッと見た目はそんなに差がないように見える。でも値段は大違いだ。左から1万円台、10万円台、100万円台。すごい。

時計となると男は盛り上がる。何せ女と違い日常的に着ける唯一のアクセサリーだから。指輪やピアスをする男性もいるが一般的ではない。時計のMOOKなどよく特集も組まれいくつもの時計を収集する人も結構いる。「自動巻の時計は動かさないといけないのでローリングさせるグッズもあるみたいですよ」と別MRはいう。着けずに器械に回させるために高い時計を買う・・なかなか理解しがたいが実際、私の後輩Drで着けないのに限定品の時計をいとおしそうに触っている姿を見たことがあるので時計には男を引きつける魔力があるようだ。

別MRが不意に「でもですね、このロレックス、5年に1回くらいメインテナンスを受けないといけないんですよ。それが1回10万円するんです。それってそのお金でシチズンのそこそこの時計が買えますよね」とぼやく。おいおい、オレのエクシードがまさしくそれだよ。うーむ、時計を趣味にするとお金がかかる、いい品ならなおさらっ。でも私は今の時計で満足っすよー。

2016年4月26日火曜日

オカーツMRは珠理奈似

今日も当直。夕方救外にいると携帯が鳴り、サブアラドDrからだった。ちょいと忙しいののよと思いつつ電話に出ると、「上がりやした」と一言。すぐに私は理解した。「えー、早いじゃないですか。たった2週間で鳳凰卓に戻ってくるなんてー」彼は六段に落ちてからは絶好調で昇段が近いところにいるのは知っていた。それにしてもあっという間だった。やはり天鳳では六段以下と七段以上の間にはレベルの差がある。サブアラドDrもダテに七段を10ヶ月もやってはいなかったってことだ。

医局に戻ると村紘Drが居残っていてどうやらスライド作りを今夜はするようだ。そばに衛材のオカーツMRが付き添って何やら営業活動をしていた。私は遅めの夕食を摂りゆっくりしているとオカーツさんが帰りついでに話しかけてきた。彼女はこてる日記読者で話題は先日ネタにしたアイドルの話題(4/15「アイドルオタク、ヨシタクMR登場」)になり、「そういえば私、学生時代は松井珠理奈に似てるってよく言われていたんですよ」と言う。うん?と思ってよく見ると「ああ、似てるねー、特に口元」と気付いた。目もやや切れ長で似ているか。(下は私がポーズを取らせた。ややアヒル口なのはよく似ている)


でもなぜ気付かなかったのだろう。ううむと考えてみて、私は松井珠理奈の見た目よりもその存在が気にいっているのではなかろうかと思った。最年少の時からセンターを任されていて、見た目は大人なのにまだ少女というギャップ、私からすると娘にしたいタイプ、ダジャレ好きというのも大いに気に入っている。そうそう、娘なんだよナー。オカーツMRは娘には見えない。そこが決定的な違いだったわ。

2016年4月25日月曜日

最近の結婚、出産トレンド

朝礼でラブカメ先生が先月可愛いんだ理事長らと夫婦連れのハワイ旅行に行った時のスライドを披露していた。毎年恒例なのだが今年は理事長の次女フーコさんの結婚式も兼ねてだった。確か籍を入れたのは半年ほど前の去年だったが、最近は入籍して式は半年くらい後、しかも少人数というのがトレンドのようだ。私らのころは入籍より式が先、しかも何百人も出席というのが多かった。ラブカメ先生らはハワイではゴルフ三昧で理事長と勝負し今年は1勝1敗1分けだったとか。
おおよそ定年以後の65才くらいからは「人生を楽しまなくちゃ」ということでなかなかいいもんだと思った。後で後でと思っていたらその時は怪我や病気で何も出来ないってことになりかねない。まだ元気な今のうちに旅行やスポーツ、レジャーをやる、私も参考にしますわっ。

朝礼の最後は約1年ぶりに復帰した4F病棟のバンビーNs、リハビリのエノサさんが挨拶していた。二人とも産休明けだ。前田敦子似のバンビーNsは以前は頬がもう少しふっくらとしていたのにすっきりし全体に痩せていた。産後は太るイメージだが最近は痩せるのがトレンドのようだ。(↓バンビーNs。ううむ、目を隠してしまうとせっかくのあっちゃん似がぼやけてしまうなぁ。結婚指輪がキラリ。)

4F病棟でいえば目瞳Nsが結婚半年後の来月に式を挙げるという。「先生、なかなか子どもが出来ないんですけど・・」と去年相談を受けたが「そんな、まだ結婚したばかりで心配しすぎっ」と突き放していたら、つい最近妊娠が判明したとか。ほーらね。でも彼女も今年後半には産休か。めぐりめぐってまた帰ってきてよー。

2016年4月24日日曜日

人生相談、麻雀相談

南日本新聞の朝刊の人生相談「すいもあまいも」にミナミのプー病院のてげてげ院長の回答が載っていた。新しい仕事がはかどらない部下の指導に悩む30才代の上司の質問に「すぐに見切らず具体例を示しほめながら待ってみては」という内容だった。最初から完璧を目指すと事は上手く進まないし、そもそも上司はせっかちになりがちで、かつての自分もそうであったようにここは任せてみることが大事ということだ。私も最近は上司の立場になることがほとんどで役に立つ内容だった。しっかし、人生相談って答える側は大変だな。その内容を見知らぬ読者も参考にするわけだからね。いい加減なことは言えないし、だからといってありきたりでは聞いても役に立つ気がしない。月1くらいの相談でも答える側はプレッシャーが大変だろう。

午後は3週間ぶりに見せたまえ雀荘で麻雀だった。行く前に天鳳で肩慣らしするとラス前に三暗刻から四暗刻を狙える手が来た。4巡目に三暗刻を聴牌しこれは手変わりして四暗刻になるという予感があった。しかし、何と次巡カン8索をツモり上がった。ここで聴牌を崩して四暗刻を狙うか、とりあえず満貫上がって3位から2位浮上を決めるか少し迷った。結局満貫を選んだが後で残りツモを確認すると次次巡に9索をツモり役満聴牌、さらに次巡また9索ツモって成就していた。ううむ、それが分かっていればまだ序盤上がりなんて放棄し役満を目指していたがナー。対面のトップとは3万点もの差があったから狙うべきだったか・・。

で、リアル麻雀では10半荘やって一人勝ちだった。これでなんと7連勝。最近ほとんど負けないのだが2位が多く大勝ちはない。今日も一人勝ちにしてはみんなの負け分は少なく控えめな勝ちだった。逆に見せたまえDrなどは大勝ちが多い。常に大物手になるように打ってくるからナー。彼なら今日の私のネットの手を5巡目の満貫で終わらせなかっただろう。どっちがいいのか。

そんな麻雀相談なら私はこう答えるだろう。「こんなところに打ち手の個性ってあるんです。こてる式も見せたまえ式もそれぞれに良さがあります。だからこそ麻雀は楽しく飽きないのです」ってネ。

2016年4月23日土曜日

来週の予告

(今現在、昨日4月30日から当直を続けている。いやー、よく忙しい当直だったと書くけど今回はまさにぴったりそれだった。昨日午前は通常外来で昼から日当直だった。一つの患者を診ると次がたまたま来るというパターンでよう来たわ。しかもバラエティーに富んでいる。来週日記の予告として書いておこう。おっと、今5月1日の午前8時23分、吐血患者が乗っている救急車の音が聞こえてきたぜ・・)

2016年4月22日金曜日

ビートルズ、「アンソロジー」にダマされるな

今は4月29日で「こてる日記」では1週間前のことを書いている。この時点では1週間もしないうちに新幹線も九州道も全線開通出来るなんて思っていなかった。「開通の目処は立っていない」なんて不安をあおるようなことばっかし言われていたからゴールデンウィークの客なんてキャンセルばっかしだったようだ。鹿児島県内の観光地は特に地震の被害もないけれど交通網が遮断されては致し方ないか。ならどっか県内のどこか一泊二日で温泉でも浸かりに行こうかと密かに計画を練る私だった。

夜は串木野までトリオリーグ参加があり南九州道はちゃんと通っていることのありがたさを感じた。ただ結果は今月のレンコンが先月とは違って意味で難しくラインが少し違うだけで曲がったり滑ったりのアベ160に終わってしまった。ステップの不具合で不安を抱えたままではいけない。ちゃんとそこを練習をしとかなきゃ。

この間セージの時計をamazonで支払いしたら1割がポイントとして加算されていた。それで新たなビートルズ関連本をそっくりポイント内で買うことができた。「ビートルズと日本 熱狂の記録」という当時の新聞、TV、ラジオで報道された記事を事細かに検証しビートルズが当時の日本や日本人からどう見られていたかを膨大な資料から解き明かす内容ではっきりいってマニア、オタク向け本だ。てなわけで、私はおおいに興味をかき立てられるが一般ピープルは買わない方がマシだ。CDでいえば一般の人が絶対に買っていけないのが「ビートルズ アンソロジー」シリーズだ。これは一見ベスト盤かと錯覚するがその逆で未発表音源や失敗テイク、ライブバージョンなどを集めたもので、オリジナル音源を聞き尽くしている私には新鮮で面白く聴けたが普通は「なんじゃこりゃ」だろう。入門用には昔からある赤盤、青盤かNo1ヒット曲ばかり集めた「ビートルズ1」あたりが無難だ。それでハマればオリジナルアルバムを集めて聴けばいい。「アンソロジー」という言葉にだまされないようゆめゆめ気をつけあれ!

2016年4月21日木曜日

プリウスおじさん

未明に心肺停止の高齢男性患者が運ばれ救急外来で心肺蘇生でいったん心拍再開した。どうにか病棟まで運び入れたが心臓+強心剤注射で心拍再開するも5分から7分もすればまた停止するという展開が7、8回続き、家族に今度止まったらどうしましょうと判断を委ねると「もう結構です」とのこと。そうですよねえ・・。

その後当直室でばったりし、午前8時には交通事故患者の救急を診てバタバタの展開になり人間ドック受診が大幅に遅れた。今日はせっかくの平日休みなのに結局昼前まで病院にいる羽目になった。胃カメラは昨年に引き続きブックリバーDrに経鼻内視鏡でしてもらった。ほとんど違和感はなく最初から余裕で検査を受けられた。ちょっとキツイのは観察のために送気され胃が張ってゲップを我慢する必要があるときくらいだ。結果は軽度胃炎のみでこれまた例年どおりだった。

帰宅しても結局仮眠せざるを得ない。夜はT-MAXでボウリング練習に。ニューフェイスのアンドキサMRを中心に指導ボウリングだ。私自身の調子は良くなかった。フォームでよくない点が一つはっきりしていてまだ改善しきっていない。誰か私を指導してくれぇー。

帰宅直前に団地のガソリンスタンドで給油した。航続距離799kmで給油量は30L、実燃費は26.7km/Lだった。前半の高速道路だけの燃費は31km/Lなるもその後の通勤で落ちた。でも立派なもんだよプリウスは。ふむ、満足じゃと車に乗ろうとすると、ちょうどGS前を散歩中とおぼしきおじさんがこっちを見て、「新型プリウスの燃費はどうですかぁ」と尋ねてきよった。「いいっすよ」とこの間からの驚きの展開を教えると、「ほう、それは」と感心し、その他乗り心地や静粛性などいろいろ質問してきた。非常に出来がいい、先代よりも1ランクも2ランクも上等な車になっていると正直に答えた。ところでこのおじさん、実はプリウスの納車待ちなんだって。「今度の地震でまた遅れそうで・・1月に注文したのに6月になってしまいそう」と嘆きつつもうれしそうだった。選ぶ時と納車待ちの頃が一番関心がある時期だ、ハハ、楽しみにして待ってろよ、プリウスおじさん!

2016年4月20日水曜日

病院は病状相談所かっ!

いやー、囲碁の井山裕太、やったねー。十段戦で3勝1敗でタイトルを取りついに七冠達成だ。これは奇跡的な偉業だ。ただ20年前に将棋で羽生善治が七冠達成しているのでそこは興奮の度合いがやや落ちるがそれでもすごい。ともに20才代半ばという共通点があり頭脳ゲームはこのあたりがピークなのかもしれない。囲碁には詳しくないサブアラドDrが「それってそんなにすごいことなの」といぶかしがっていたが、こっちは口をあんぐりだ。例えばゴルフやテニスなら四大メジャー大会を年間すべて勝利するグランドスラムに匹敵し、これなんか近年では男子では誰もいないんじゃないかな。高校野球なら秋の神宮、春センバツ、夏選手権すべて優勝に匹敵し、これは1998年の横浜高校が一校のみ達成している。まあざっと50年に一度あるかないかというレベルの出来事なんだ。

小学時代の井山少年の囲碁をTVで見て驚き、感動したことを思い出す。小学2年くらいであれくらい急所急所に手が行くのは見たことがない。すごい才能と思った。それから20年足らずで七冠達成とは・・。ただ世界戦では早碁の優勝はあるがビッグタイトルがないからやや物足りたりない向きもあろう。実は国内戦の方が賞金を考えると率がよくどうしても国内のスケジュール優先になってしまう。中国、韓国は世界戦重視がはっきりしているし、集中して鍛えるから強い若手がどんどん出てくる。手強いけれど井山ほどの才能なら世界戦に集中すれば一つや二つのタイトルは取って欲しいし取れると思う。

今週も水曜日が当直でこれで3週連続だ。今夜の当番看護師はタッピーNsだった。彼女といっしょだと何かのきっかけにダベリングしやすい。まあ噂話好きの彼女のこと、私も疲れていなければ憂さ晴らしで面白い。それはいいとして彼女の話しで面白かったのが今日病院にあった相談電話の二件。

一つは「お昼に梅干しを食べてしまって夕方ウナギを食べに行くことになった。どうしてもウナギを食べないといけないのだが、食べ合わせはいいか」というもの。いいかどうかは私もよく知らない。しかし病院が答える筋合いでもないと彼女は判断しお答えできませんと断ったそうだ。それでよし!
もう一つは息子の下痢、腹痛を心配する高齢の母親からの電話。昼間に別のクリニックで診てもらったというその息子は37才だとか。「何が考えられますかね」とタッピーNsに尋ねてくるので「それなら病院に来てもらわないと分かりません」と彼女は答えた。すると「いや、実は息子は福岡にいるんです。症状が良くならないというからどんなもんだろうと思って・・ええ、息子が可愛くて仕方ないんですよ」という話しが続くのでイラッとしながらも丁重にお断りしたんだそうな。いやはや・・。

2016年4月19日火曜日

医師会のお仕事

先週に引き続き姶良郡医師会の会合に出席した。前回は急性期病棟について、そして今回は回復期病棟についての郡内の連携や国の病院行政にどう対処するかという議論が1時間半みっちりとなされた。医師会について圧力団体だなどといまだ4、50年前のイメージを持っている人もいるかもしれないが、医療問題についていたってまじめな取り組みをしていると理解して欲しい。私も青雲の副院長になってこの手の会合に参加する機会が増え地域医療のために頑張っているんだなとよく分かるようになった。

終わってすぐに参加していたカジキマグロ病院のハイデン院長に「やあ、こてる先生久しぶりー」声をかけられた。ハイデン先生は第二内科で私の最初の指導医だった方である。親の代から引き継いだ鹿児島市内のハイデン病院とカジキマグロ病院と病院経営をしているが「今後が大変」と苦労話が話し足りないようだった。そして隣町に顔の見えるドクターがいるのが非常に心強いと言っていた。私も医療経営にからむ話題は最近少しずつ分かるようになったとはいえハイデン先生の次から次に出てくる用語や問題など追いつくのが精一杯で曖昧な相づちを打っていた。

「年取ってくると医学や医療よりその周辺への関心が高まってくる」と、昔、かしましい病院の高楼院長が言っていたのを思い出す。私もそんな時期に近づいているのだろうか。好むと好まざるにつけその手の仕事が増えつつあるこの頃だ。

2016年4月18日月曜日

まさか二度あることは・・

朝礼が終わり医局に戻ったところでふと気付いた。あー、今日は人間ドックを受ける日だったんだ!だがだめだ、しっかり朝食を摂ってしまっていた。胃カメラを受けられない。準備していたムッちゃんNsに連絡すると大笑いしていた。実は・・これで二度目だったからだ。本当は先週の月曜日に予定されていて彼女から「胃カメラ受けに早く降りて来て下さい」と言われ、?・・!だった。それで「来週はちゃんと受けるから」と変更していたばかりだったのに。そうだ、月曜というのがよくない。休日はさんでどうしてもうっかりしがちになる。で、三度目の正直は今週当直明けの木曜に受けることにした。その日は休みだがこの際仕方あるまい。まさか二度あることは三度ある・・にはなるまいて!


2016年4月17日日曜日

セージ、帰郷

セージが運転免許更新のために帰ってくるのでカールと空港まで迎えに行った。彼は着いてすぐには実家には戻らず午後に講習を受ける予定で、送って上げて、明日には帰るという慌ただしいスケジュールだ。明日はちゃんと講義があるのだが、担当教官に「実家が九州で地震もあるので様子を見に・・」と航空チケットを見せたんだそうだ。それで欠席扱いにはならないとか。ちゃっかりしているぜ。

セージは新型プリウスに乗るのは初めてで、「ほら、こんなところも良くなっている、ここがいいだろう」と私が自慢すると、「前のプロボックスを僕にくれるという話は?」と痛い所を突いてくる。プロボックスは安いとは言え下取りに出したし、それに学生に車を持たすと維持費や事故の心配もあって買い与えないのだと説明した。これ、ホント。首を傾げるセージだが納得してもらったヨ。

交通安全センターに入る前にモスバーガーで食事をした。もっとも最初は海鮮料理屋「こんぴら丸」に寄ったのだが待ち時間が30分から1時間と言われれば待つわけにはいかない。この前はチッチとマクドナルド、今度はセージとモスとハンバーガーづいている。その次はテルと・・あれ、うーむ、佐世保バーガーにするかっ?!

セージを送ってからは講習に2時間くらいかかるとのことでいったん帰宅した。そこでちょいと仮眠をとまどろんだ。ふっと目が覚め、はっとしてカールを呼ぶといない。駐車場を見ると車がない。あー、寝過ぎてしまっていた。カール一人でセージを迎えに行っていたのだ。でも私は疲れていたようだ。そこからまた寝てしまった。

夕食後、ネットでセージと誕生日プレゼントの時計選びをした。実物をみたほうがいいのではとカールは言う。確かにそうだがネットの写真でもある程度は質感はわかる。何枚も見ていく中にCITIZENのEXCEEDを混ぜるとやはり「おお、いいネ」と反応する。思わずそれにするかと言いかけたが、「まて、それだと今のオレの時計より高くなる。オヤジよりいいのは買って上げられない。欲しけりゃ将来自分で買うことだな」と諭した。結局私が推薦したATTESAを受け入れた。それでも私が学生のころに付けていたものよりはるかに上等だ。社会人になってもしばらくは見劣りしないはず。

たった1日だけだが離れている子と過ごす機会は年に数回しかなくなっている。貴重な1日だった。

2016年4月16日土曜日

休みでも止血

髪が伸び過ぎていたので私にしては珍しく前日に散髪を予約していた。10時20分だったので自宅でうだうだしていたところ、病院から電話があった。信号Drが出て「入院中のXXさんがまた下血してー」とのこと。ああ、大腸憩室があるのに出血源がつかめず前日止血をあきらめた患者だった。すぐに行くべきかどうか。患者は残便もあるだろうし前処置をしてもらって時間を稼ぎ11時半に大腸内視鏡開始することにした。その間に散髪に行きさっぱりし病院へ向かった。

全く最近は下血が多い。その患者はどうにか出血源らしき部位を突き止めクリッピング止血出来た。憩室が極めて多くほぼ全てを観察し2時間半もかかった。日常では全ての患者にこんなに時間はかけられない。で、ある程度で見切りをつけて終わってしまったせいで休みに呼ばれる羽目になる。今回は休みだったからこそ出来たとも言える。

帰宅したらさすがに疲れて床寝してしまった。TVを付けながら寝そべって見ていたものの熊本地震のひどさに見ていただけで疲れてしまっていた。死者41人だって・・。

2016年4月15日金曜日

アイドルオタク、ヨシタクMR登場

日付が変わって午前1時25分、私はTVの前で床寝しまどろんでいた。カールはソファでうたた寝だ。また大きな揺れが生じ、昨日のよりもこれは大きいぞと感じた。今度は携帯の地震速報の警告音が鳴り響くのが聞こえた。しかしまたしても近くにデジカメを置いておらず揺れは撮影は出来なかった。しっかし余震にしては大きい。TVでは熊本で広範囲に震度6以上、そしてマグニチュードが7を越えていると!県外にいるテルからは電話があり、他セージもカールとのラインで未明にもかかわらず連絡し合っていた。私は手帳に「1:25 余震大きい」とメモった。

しかしすぐに「実はこれが本震、14日のは前震」との発表があった。生き埋め多数との報道も。いったいどうなるんだ?

さかのぼって、夕方の医局、ナベビシ製薬の新人MRヨシタク君が来て「こてる先生がAKBファンと聞いたのですが」と話しかけてきた。ふむ、その手の情報は引き継がれるものなんだな。そして「私もーなんです」ときた。高3の部活が終わって抜け殻になりかけた頃、AKBを効く機会があった。徐々に好きになり大学は関西だったが東京まで出かけて握手会にも参加していたそうだ。その後、乃木坂46に関心が移り西野七瀬が推しメンとのこと。そして新しい欅坂(けやきざか)46にも大いに関心がありその初シングル「サイレントマジョリティー」はぜひYouTubeで動画を見て欲しいと力説していた。私も「欅坂はセンターが14才の『てち』(平手友莉菜)って子なんだろ」とかろうじてオタクの片鱗はみせた。ただ、4年前ならもっとハマっていて微に入り細に入った返しが言えただろうがー。一応礼儀として自分はAKBグループでは(基本DDだけど)一人に絞れば松井珠理奈が乃木坂では橋本奈々未と白石麻衣を推していると教えた。もっともこれだけでも「そこまで知っているんですか」って反応だったけどネ。え?DDって何かって。アイドルオタクの基本用語の一つで「誰でも大好き」の頭文字をとったもの。もちろんヨシタクMRは知っていた。以下せっかくだから画像を張っておこう。最初はヨシタク君に敬意を表し乃木坂で人気No1の西野七瀬から。
次に欅坂の初シングル「サイレントマジョリティー」のセンター「てち」こと平手友莉菜。存在感あるネ。
次はSKEの松井珠理奈。デビュー9年目でまだ10代って信じられない。もっともそれが推しメンになったきっかけのようなものだった。
最後は乃木坂1期生の白石麻衣(左)と橋本奈々未(右)。乃木坂を紹介する番組を見てこの二人が気にいった。



2016年4月14日木曜日

地震、その時あなたは何を

この日の21時26分、その時あなたは何をしていましたか?

職員などに質問してみた。一番多かったのがTVを見ていたら急に携帯の緊急地震速報の警報音が鳴り響きびっくりした。え、地震?と思う間もなく揺れが生じたというもの。ムッちゃんNsは娘からの電話でああ揺れてるなあと思ったというのんびりした感想だったがおおむね驚いたり不安になったりしたという。

西友Nsは子どもの塾のお迎えで運転中だった。全然揺れに気付かなかったという。車載TVで知り、自宅に一人いた小5の娘に電話すると怖くて泣いていたそうだ。エンドグッドNsは1階は危ないからと夫の「いいか、みんなネコを1匹ずつ持って上に上がるんだ」とのかけ声ともにネコ3匹を抱っこして避難したとか。ネークチダ君はジムでトレーニング中で走っている連中には気付かない人もいたという。シホねえNsはやはりビールを飲んでいた。食器棚が動くのを抑えてどうにか落ち着いたあと「どうしようけえ」と思ったがやはりもう1本ビール缶を開けたそうだ。どうあろうと結局はビールを飲むのであった。変わったところでは中道Ns。それがなんと座薬を入れ損ねた義理の父のはみ出しそうな座薬を抑えるという悲惨なような可笑しいような状況だったそうだ。

そこで私である。姶良郡医師会の地域医療連携の会合があり、帰宅したのが21時20分ごろ。カールはソファにごろりで半分寝ていた。いつもならシャワーに行くところだが何せ運転中からトイレに行きたくて我慢をしていた。カールと口を聞く間もなく、着替えてトイレへ直行だ。ふぅ〜。下手すりゃお漏らしかというところようやく一息つけた。が、ちょうどその時、ぐらぐらし始めた。地震だ。震度1じゃない2、いや3はある。おい、結構揺れるぜ。カールに声出して伝えようとするも届かない。この揺れをデジカメに撮りたいと思ったが、あいにくトイレの中、カメラはない。時間は?あいた、時計も外している。それに下半身丸出しですぐに動けない。くーっ。

揺れがだいたい収まったころ、まだ完全に出し切ってはいなかったが早めにトイレを出て居間に行った。カールは起きていて「すごかったね、地震」とTV画面を見ていた。「え!熊本が震度7だって?」と私。ウソだろうと思った。そんな規模の地震が九州に起きたことがあったっけ。しかし長く鹿児島にいる私も今さっきの揺れはこれまでで一番大きいと感じたばかり、ありうるかも。NHKは地震関連のニュースばっかしだ。画面の揺れは半端ない。震度7は本当のようだ。しばしニュースに釘付けになった。
だが、さっきやり残したもやもやを出し切りたい。私はまたトイレに入った。すると・・また揺れ出したのだ。余震である。おいっ!オレが催すと地震が起きるんかい。すごいパワーだぜ・・。

2016年4月13日水曜日

「花は咲く」アニメスター・バージョン

仕事が忙しい話しばかりしてきたが、今週はパタッと楽になった。クニンダDrにも入院患者を持ってもらおうとしていたのにまだ一人も入らない。先週までは毎日二人くらいは入院患者が入っていたのにー。

外来のまっぴらNsが最近再婚したとの話しを漏れ聞いた。青雲会病院に入職したてのころは分かっとらいNsで離婚が成立してまっぴらNsにそして今度はキーダシホNsになった。ころころ名字が変わる奴だわい(⌒о⌒)。

今夜は当直で午前1時に20代女性の腹痛で起こされ寝ようとしたころ、たまたまNHKで東日本大震災の復興ソング「花は咲く」のアニメスター・バージョンをやっていた。創世記にあたるジャングル大帝レオからみんなが知る有名なアニメの一シーン(特に花が出てきたり歌詞に沿ったシーンが選ばれている)全38作品を次々に見せてくれていた。少なくとも60才以下の日本人でこれら38作品のうち1作品も知らないという人はいないだろう。TV局の違いや映画制作社など垣根を乗り越えて作られ日本アニメ50年の歴史の重みと感動に涙する。深夜のたまにしか放送されないのは惜しい気がする。YouTubeに動画があったのでみんなもぜひ見てみて。
https://www.youtube.com/watch?v=1hSR1oj2GGI

2016年4月12日火曜日

チャオ!

今日のボウリング練習はスリウェル、アンドキサ両MRとの3人のみだった。そこでマイボール初心者のアンドキサMR中心に投げ方を教えた。ハウスボール投げの悪い癖が彼にはあってそれは他の人にも共通するものでボールを握りすぎ腕の力でコントロールしようとする点だ。結果、ボールの行き先は安定しない。極端なことを言えばボールを握らずボールの重さに任せて腕を降ろせば(いわゆる「振り子運動」)狙いはほとんど狂わないのだ。しかし言葉で言うほど実際は簡単ではない。途中、ボールの構え方を変えさせ少し修正できたがまだまだだ。でも1日で出来ようとしなくても練習していけばたいてい自然に振れるようになれる。彼もこの調子ならきっと上手くなるハズ。

帰宅するとセージから電話があって近々運転免許更新で帰鹿するとのこと。住まいは県外でも現住所を鹿児島にしたままなので初回更新のためにどうしても帰ってこなくてはならない。誕生日プレゼントに時計が欲しいというのでそれのその時に選んでもらうつもり。ネットでやりとりし私が買ってやりたいのは決めているが最終決断は本人にしてもらわないと。

ふとサブアラドDrのネット麻雀を観戦していたら東場はトップ目だったのにずるずる下がりついにラスになりそのまま終わってしまった。うん?七段の持ちポイントがもうほとんどなかったはずだが・・。すると深夜なのに彼から電話が掛かってきた。
「落ちやしたぁー」
あはは、ついに10ヶ月近くも守って来た七段以上、鳳凰卓をおさらば、チャオってしまったのだった。このところの不調でついに来るべき時が来た。一時は八段になって「私八段、こてるは七段」と鼻高々だったのにナー。彼はそのショックを引きずったまま、すぐに特上卓(主に四段から六段が集まる)で打ち始めた。好きなんだよなあ、麻雀が。しかしまたしてもラス。引きずるもんなんだよ。でも、毎日のように打ちづけて10ヶ月も落ちなかったのだから実力はある。そのうちまた鳳凰卓に戻ってくるだろう。待ってるヨー。

2016年4月11日月曜日

実質値上げにダマされるな!

病院近くのコスモスはよく利用している。ゼロコーラやペプシゼロの他牛乳、ビール系、コーヒー、シャンプーなど食品から生活用品が安いからだ。今日はボディシャンプーが全部切れていて多めにそれを買っておこうとそのコーナーに立ち寄った。するといつも買い求めている牛乳石けんのミルキィボディソープがありデザインが新調されていた。「ほう、いいじゃん」と手に取り、値段も178円と他の銘柄より安くまとめて手に取った。すると少し奥に旧デザインのミルキィがあったのでどこか改良でもされたのかとそれも見てみた。ううむ・・。

はっ!一つだけ明かな違いを発見した。旧デザインは430mlなのに対して新デザインは400mlで30ml減らされていたのだ!

手にとってみてもすぐには違いは分からず両手で比べてやっとわかる程度。何と年度が変わり見た目は値段は変わらないようでいて明らかに値上げされていたのだった。棚の奥にいくつか旧デザインミルキィを見つけ新しいのは全部返した。全くー、売れ残りがないとダマされるところだった。庶民のささやかな抵抗で残っていた全ての旧デザインを5個買った。去年はシャンプー&コンディショナーの「ツバキ」も減量されていてその後パンテーンに変更したいきさつもある。ミルキィはまだそれでも安いので変えないがこんなことしていたら銘柄ごと変えちゃうヨ。(↓左端が旧、右二つが新のミルキィ)

2016年4月10日日曜日

新型プリウス高速燃費

福岡に用事あり新型プリウスで往復した。で、ガソリンを満タンにしすぐに高速に乗って約250km走ったところ、何と燃費が31.7km/lだった。途中八代まで平坦な道を私が80km台で走行したら34km/l台までのびた。カールに交代し球磨川沿いの坂を飛ばしたため若干落ちたがそれでも30km/l以上も出るとは驚きだ。一応カタログ燃費は37km/lを謳っているけど実際はせいぜい25、6kmくらいと思っていた。
(↓熊本益城町付近で撮影。94km走って瞬間34.2km/lだった。この時はまさかこの道路が4日後に崩れるとは思いもよらなかった。その下は帰宅時撮影で31.7km/l。)


前のプリウスは80kmも出すとガソリンエンジンが必ず動いていたが新型は可能な限り電気モーターが働こうとしているみたいだ。さらに今回はボウリングのボールバッグを外していたのも少し貢献したか。二人乗りでなければまだのびたかも。また晴れていてタイヤの摩擦抵抗も上がらず、気温が低くなかったため空調が暖房にならなかったのも大きい。(ハイブリッドカーは暖房を使うとガソリンエンジンを利用するので燃費が落ちる)
とにかく新型プリウスは条件がそろうと燃費が驚異的にのびるというのは本当だった。

2016年4月9日土曜日

花より食事

土曜休みでカールの発案で甲突川沿いの桜見物にチッチともども出かけた。やや小雨模様で満開を過ぎつつあったがそこそこ花を楽しむことが出来た。

帰りは久しぶりにマクドナルドに寄った。普段はファーストフード店には寄らないがチッチの希望だった。グランドビッグマックというのを頼みパクついた。私はもう1個普通のチーズバーガー120円を追加したかったが「多すぎ!」とカールにたしなめられ止めた。このあたりが太る人とそうでない人との差なんだろう。後になればそこそこ満腹感も得られ、ああ止めといて良かったと納得するのである。

帰宅しTVで鴨池球場でのソフトバンク対オリックス戦を観戦した。5年前、4年前はチッチと球場まで観戦に行ったものだ。その時から内川はヒットを打ちまくっていた(何と10打数9安打!)。それがこのところのソフトバンクの不調を振り払うかのようにまた4打数4安打と打ちまくった。試合も本多が足を見せれば鶴岡まで打順が回り2塁打1打点と故郷に錦を飾るような好プレーもあってソフトバンクファンにとってはめでたいづくしのゲームだった。元々が盤石の優勝候補でたまたま開幕ダッシュに失敗しただけだろうからこれがきっかけになって上向きになるはずやぁー。(実際、翌日の熊本でも圧勝し連勝を続け1週間後はあっという間に上位にいるわ)

夜はこれまたチッチの希望でカール手作りのピザなど自家製イタリアンだった。カールも以前と比べてピザ作りが格段に上手になった。わざわざ高い宅配ピザなど頼まなくてものレベルだ。世間のイメージでは全然料理できません風のカールであるが昔から料理は上手なのである。

2016年4月8日金曜日

大腸憩室止血法

うー、また来やがった、大腸憩室出血が。今月2人目で昨年12月から毎月2、3人ずつ憩室出血患者が来ている。こんなに憩室出血が多いことはこれまでなかった。もうそろそろ下火になるかと思いきや全然だ。

今回は輸液を多めにしかも早く滴下させた。これはわざと再出血をさせるためだ。そんなの怖くてやれないというDrもいるかもしれない。しかし憩室出血をたくさん診てきた私はリスクを冒してでもやる価値があると思った。

憩室出血は大腸内視鏡で出血部位を特定できるかできないかが勝負の分かれ目で、見つかればクリップや結紮ゴムでほぼ止血できるが、そうでないと絶食点滴で自然止血を待つことになる。自然止血はもしかすると再出血してあたふたする羽目になる。これまでの経験上、大腸内視鏡をするならその間再出血してくれたほうが出血部位特定でき処置がしやすいのだ。今日の患者は以前も出血歴がありその時は出血源不明で退院になっていた。今回は絶対見つけてやるぜ。

大腸内を観察していくと直腸からS状結腸、下行結腸と血液が管内にこびりついていて出血源はやはり分からない。
上行結腸にまで血はあり、盲腸に来ると普通便で血が付いていなかった。ふむ。出血源はほぼ上行結腸だ。それで副送水管から水洗浄して憩室を1個1個洗い探していくが露出血管や出血憩室は見つからない。点滴滴下スピードを上げるよう指示し何度か上行結腸を行ったり来たりしていると・・「あっ!」と声が出た。盲腸に近い部位のごくごく小さい憩室から出血があった。「こいつが犯人かぁ」とつぶやくと付き添いの病棟看護師が「はんにん?」と吹き出した。「そう、まさしく犯人。こいつを見つけるか見つけないかで違ってくるんだよ」


この後はクリップで目印を付け、最近よくやっているEBL(内視鏡室的結紮ゴムバンド止血法)でばっちり止血しほっとすることが出来た。
縛り上げて強引に憩室もろとも壊死させ最終的には瘢痕化させる。これが決まれば二度と再発もない。ふふ、最近は勝率がいい。また来やがれっ!
(↓が3日後の壊死した憩室。まだゴムバンドは残っているがいずれ脱落する)

入院指示などすべて終わったのは19時過ぎで、串木野のボウリングトリオリーグにもどうにか間に合った。ただ出来は散々だったがー。(海広しDrのピンチヒッターのタシケントMRに特に1ゲーム目は助けられたよ)

追記:現在4月15日。休みだったが病院から電話あり。また大腸憩室出血だと。実は今月2人いたうちのもう1人で2回内視鏡検索するも出血源見つからず自然止血でこの間退院したばかりだった。今から病院行って今度こそ止血しちゃるぞ!

2016年4月7日木曜日

クニンダDr歓迎会

3月4月は職員の健診もあり胃カメラ実施される人も多い。今日はネークチダ看護師が初めて胃カメラを受けた。経鼻内視鏡で行い、事前にいろいろ小難しいケースを言い含めて始めたが案外問題なく進み、結果もほとんど異常なし。いいことなのだが何か病変があった方がいじりがいがあるんだが・・ちょっと拍子抜けしたわ。

夜は消化器内科のクニンダDrの医局歓迎会が恒例のイタリアンレストラン、ザ・ハートであった。あいにく雨だったので外の芝生でせずにすんだ。いや、天候が良ければ気持ちいいが、今は晴れていても寒いからー。クニンダDrは40代前半で一番上の子どもが小学校に入るのきっかけに県外から帰鹿したばかりだ。だいたい私の15年前と同じパターンでそして住まいも同じ団地で丁目もいっしょ、似たもの同士なんだな。そんで帰りは私がニュープリウスに乗せて送っていった。聞けば彼も前プリウスに乗っているという。ううむ、ますます。(↓は店の前の看板がわりのモニュメント。奥は青雲会病院)

歓迎会では脳外科のポンシンDrの話題も盛り上がった。私は初めて知ったが奥さんは二つの医療系資格を持っているが結婚したためそのうちの一つは全く使わずじまい、そこをシマッチ院長が「もったいない、今からでも遅くないから、ぜひ青雲会病院で働いて欲しい」と熱心に勧めていた。しかし20年弱臨床にタッチしていないとさすがに無理では・・。ポンシンDrは「もう、おばさんですから」とやんわり断っていたが、院長は「先生はそういうが奥さんはそう思っていないかも」となおも食い下がっていた。うちのカールなんかも資格はあるがテルを妊娠して以降まったくやっていない。でも条件がそろえば仕事復活もあるかもねえ。このミニバトルこの後どうなるか、ま、私の予測ではポンシンDr側だな・・。

2016年4月6日水曜日

年を重ねるも悪くなし

忙しい中に当直もあり。今月は週半ばの当直が4回、土曜が1回組まれている。今夜はポツポツと患者がやって来るパターンで、ハイライトは22時半ごろ左背部痛でやって来た私と同年代の男性のケースだった。痛がり具合から心血管系の異常を疑い心電図をとると明かな異常があった。まず心筋梗塞だろう。となるとCCUがない当院では治療が出来ない。で、鹿児島市内の天妖怪病院に連絡し即転送となった。当番看護師は光鳥Nsだが手伝いでカッチャンNsがいて彼女が救急車には付き添ってくれた。(見送る時、救急車のナンバーが119なのに気付いた。みんなそうなのかな?)

1時間過ぎて帰ってきた彼女に聞くと、すぐに心血管を調べるカテーテル検査になるとのことだった。しかし当番のボスらしきDrはため息をついていたらしい。別の救急患者もいたようでここにも増して忙しい病院だけのことはある。そうと分かっていれば別の病院に連絡してもよかった・・。でも天妖怪はたいてい受け入れてくれるから頼みやすいのよねえ。目の前で痛がっている患者を見ていると(受け入れに)手間のかかる病院はついつい後回しになりがちだ。(翌朝、担当Drから電話があり『(梗塞治療の)ステントを入れました』とのことだった)

ささいなエピソードでは、たまたま見たTVのニュースで鹿児島市議選挙が近々あり投票整理券を発送する選挙事務所の年輩の職員がインタビューを受けていて、ふーんと眺めていたらその名前と顔にあれ!と思ったこと。何と中学同級生のNK君だった。白髪が目だっていたので自分より年上かと何となく見ていたが、あちゃー、自分もあれくらい老けてみられているんだろう。NK君、あの頃は暗いイメージだったのに年相応のしっかり感が出ていた。その意味では年を重ねるも悪くはないと思ったことだ。

神妙なエピソードでは病棟患者二人がどちらも家族の見守る中で亡くなったことだ。一人については奥さんがすぐには受け入れられない様子だった。「だって昼間は話しもしたんですよ・・」深刻な病状は主治医から説明も受けていたはずだがいざとなると冷静ではいられないよう。そうなるのは分かる。だからゆっくり諭すように話し「残念ですけどもうお別れのようですよ」と伝える。以前よりはスムーズに言葉が出てくる。これも年をとればいいことの一つだ。

2016年4月5日火曜日

一瞬、野戦病院化

そろそろ落ち着くかと思いきや、病院業務はまだまだ忙しい。昼前に急遽救急車の患者を診てくれと外来師長に言われ、当番でもないのになと行ってみると何と救急車3台入っていた。そりゃ私の手も借りたいはずだ。それぞれが救急外来室にいて写真にさっと撮ったが思わず「ここは野戦病院か」とつぶやいたよ。(↓がその時の様子。よく見るとストレッチャーに乗った患者さんが3人いるのが分かる)

でも本当の救急患者かというと実はそうでもない。私が診たのはめまいの患者で結局外来で点滴して昼過ぎには自宅に帰った。この人なんかは「救急車で来た患者」であって「救急患者」ではない。ただ、当初は少しでも動けば嘔吐するし救急車で運ばれたのは無理からぬことではあった。

去年の今ごろは患者がえらく少なく病棟はがらがら状態でそれが数ヶ月続き病院の収入ががくんと減ったものだったが、今年はどうしたことか。暖かい日が続いているがたまに寒い時もある。桜も今ごろ満開とか。インフルエンザもB型がまだ流行っていて週に10人以上もいる。気候の変動が影響してこんなに忙しいのか?まあ、忙しい時がいい時と開き直って診療にあたる日々だ。

2016年4月4日月曜日

失敗談スピーチ

朝礼スピーチも何度目かになるが、新学年度と新人さんを相手のスピーチは初めてで、今回はぎりぎりになってようやくまとまった。タイトルは「青雲会へようこそ」。実質は「私が新人のころ」だ。

自分がいかにくだらない新人であったか、意欲もなく展望もなくだらだらと流れに任せ、いざ進路を決めるときには消極的な選択しかできず、それでもどうにか続けていたことで形になり今は副院長だ。新人さんたちにちょとやそっとのことで職場や仕事を辞めて欲しくないというのが主旨だった。最後はいつもどおりボウリングのビデオで締めた。

そこそこ受けたのはわかったが、あとで可愛いんだ理事長に「今日のは良かったな」とつぶやかれたり、外来のニッシNsにも「今日のスピーチ良かったよ」と言われたり、意外に評判が良かった。きっと自分の弱点や失敗を軸に話したからじゃなかったな。人って自慢話より失敗談を喜ぶ性質があるから。
(受けたエピソードに、どの科を選ぶかで皮膚科訪問し当時の助教授と助手に連れられ天文館に飲みに連れて行ってもらったが結局そこを袖にし第2内科へ決めたというのがあった。その助教授は後に宮崎医大の教授になり助手は鹿大教授になった。そして私のスピーチの目の前に座っていた人がその時の助教授鶴店Drその人だった・・

ともかくもスピーチが終わってほっとした。夜は珍しく冷蔵庫にあったを「麦とホップ」というのを飲んでみた。でもビールはいかんかった。このあとめまいと気分不良を起こしバッタリ。後の祭りとはこのことだった。

2016年4月3日日曜日

大逆転の裏に理由あり

「ロン!逆転だな、これは」
麻雀劇画にありがちなオーラストップ目から役満を直撃し大逆転。それが実現した。

オーラスを迎え、私は持ち点2万4千の子の2位。トップ目は上家の見せたまえDrで4万5千あり、逆転トップは難しくせいぜい3万点越えの浮きの2着を目指す場面だ。半荘9戦目で私はここまでちょい沈みで、最近不調だったダイボDrがダントツ、一人勝ちしていた。

配牌をもらうも7種9牌のクズ手。ドラもなく国士かホンイツかと第一打に4索を切った。次に么九牌を引きここで国士を決意。対子の1ピンを1枚捨てた。手作りだけなら配牌からあった3索を切るべきだ。しかしそんな良面子を嫌う異様であからさまな捨牌は避け、3索は3巡目に捨てた。これが後で効いてくる。その後3ピン、6索、4ピンと捨て萬子のホンイツらしき捨牌になった。下家の親のダイボDrも似たような捨牌だ。対面のサブアラドDrはドラの中も切って喰いタン模様、ラスなのにあきらめてこの半荘を終わらせようとしているのか。

実はこの時私は既に中か白をもってくれば国士の一向聴だった。実に順調でまるで1週間ほど前にネットで上がった国士と同じような展開だ。そして驚くことに7巡目、白をツモりドラの中待ちの国士聴牌をしてしまったのだ。皆に気付かれぬようこそっとデジカメ写真を撮った。その写真が↓だ。

対面のサブアラドDrは一度切っている中は間違いなく切ってくる。しかし見せたまえDrはトップ目だから切る可能性は低い。ダイボに行けば七対子好きの彼のこと、手にしまい込み一切出てこない。自分でツモるしかない。となるとこのまま場が進めば2分の1の確率で国士が上がれるか・・。息を凝らし気配を消してツモを繰り返した。真っ赤な中は・・なかなか場に出てこない。しかし13巡目、ふいにトップ目の見せたまえDrから出てきたのだ。打「中」。これが冒頭の場面だ。手を開くと同時に「国士!」と宣言すると「ええっ!」「ウソぉー」と驚きの声がみんなから上がった。見せたまえDrは呆然。この半荘トップで大負けから小負けになると目論んでいたのがおじゃんになった。↓が上がった瞬間の場面。

日頃はそんなに手の内を互いに検討しないが見せたまえDrはなぜ中を切ったのか解説した。↓がその時の手牌だ。
「中は絶対切らないとずっと手の内に入れていた。ちょうど中を切れば345の三色という手を聴牌した。警戒していたのは親のダイボで捨牌を見ておらずまだ聴牌していないのが分かった(長年の付き合いでそれは分かる。実際、ダイボは面混七対子の一向聴だった)。自分が上がればこの半荘は終わるし子の満貫放銃でもトップだから切った。こてるの手は全く気にとめていなかった」彼は勝負かオリかでは勝負することが多い。それでこのところずっと勝ち頭だ。私の捨牌が国士には見えなかった(見せなかった)こともあって彼には当然の選択だったようだ。ただ後日、サブアラドDrは「あの場面ではいくら聴牌しても中は握りつぶすべきだった。自分だったらそうする。親のダイボDrにポンされる危険性がありそうなれば親ハネ、親バイもあり、上がりは五分五分でリスキーだった」と主張していた。なるほどね。どちらかと言えば守備的なサブアラドDrらしい見解だ。だが見せたまえDrの言い分も十分理解出来るし、そこは意見の分かれるところだろう。

いやー、気分いいねえ、3コロトップ。私たちは役満賞も付けているのでプラス100ほどにもなり一気に勝ち組に入った。で、残るは半荘1回のみ。実はここでもオーラスに私が大逆転でトップを奪った。でも本来ならサブアラドDrの会心の大逆転半荘になるはずだったのだ。

これまで9半荘で1回のプラスもない絶不調の彼は南2局の時点で持ち点が1600点とまたもやトビ寸前。それを千点で上がり最後の親を迎えると怒濤の連荘が始まり何と5連荘し持ち点が4万5千点のダントツになった。トップ目だった私は18500点の3位に落ちていた。このまま親が流れオーラス適当に終わらせればおそらくサブアラドDrのトップだったろう。最後少しでもマイナス分を減らせたはずだ。しかし好事魔多し。親リーを仕掛けられどうにも手を付けられないと私は思ったが、好調のダイボDrが反撃に出た。そして北三暗刻ドラ3対ハネ満をサブアラドDrから直撃!↓がその場面。
これでダイボDrがわずかだがトップ目(3万4千強)になった。サブアラドDrは3万2千ほど。後日、サブアラドDr自ら反省したのはこのリーチだった。ドラの北が1枚も見えない中でいくら両面待ちとはいえ調子に乗りすぎたと。確かにそうだ。きっと負けが込んでいたので少しでも点数を稼ぎたかったのだろう。

しかしこれで私にもチャンスが訪れた。オーラス、ハネ満をツモれば浮きの2位浮上で上手く行けば逆転トップもありうる。そして断ヤオドラ2を聴牌した私はドラの4ピンの2枚目を持って来て聴牌を崩した。これが結果的に大成功。何と倍満手に化け、ツモって一気に逆転トップとなった。以下参照。
三索四索赤五索六索七索八索一筒二筒三筒四筒四筒四萬六萬ドラ四萬
ツモ4ピン打1ピンとし、その後ツモ4ピンの直後ドラの4萬をツモった。
三索四索赤五索六索七索八索二筒三筒四筒四筒四筒四萬六萬ツモ四萬
ここで打6萬はフリテンになる。打4萬はドラがもったいない。そこで私の次の一手。
四筒の聴牌崩しだ。四筒六萬のくっつき聴牌を目指した。次ツモ三索で打六萬。これをダイボDrがチー。私の手牌は↓になる。
三索三索四索赤五索六索七索八索二筒三筒四筒四筒四萬四萬
三索を残して六萬を切ったのはドラ近くの受けはやや不利だからである。そして次に四索をツモり打四筒で↓の聴牌になり満を持してリーチといった。
三索三索四索四索赤五索六索七索八索二筒三筒四筒四萬四萬
これはハネ満確定でツモれば倍満もありうる。そして一発消しにあったもののすぐに五索をツモり倍満。裏ドラは三索でドラ5になったがこれは余計だったネ。

いやー、2半荘続けての劇画的な勝利だった。しかし、その裏には実は相手の目に見えないミスがあったのだ。どちらもトップ目でありながら無駄な勝負をしてしまった・・。