2016年1月31日日曜日

コンピューター対人間

丸1日休みの日曜、結局またしても一歩も家から出ずに過ごした。せっかく新車買ったのだからドライブにでもとはならない。カールが初めて運転するプリウスで近くのええコープに行ったくらい。録りだめした番組を消費する一日でだらけた過ごし方なんだが性分だから仕方ない。最近はネット麻雀もあまりしない。やっても2、3日に1回程度でメインの「デルバラド」ではなくサブアカウントの「こてる」でちまちまやっている。あれは遊びとはいえ気合いがいる。だらけた気持ちで打てば持ちポイントは簡単に減るし減ればそれまで積み重ねた実績を一気に失いさらに落ち込む。今は気力充実していないってことだ。

そういえばコンピューターが囲碁でも人間を負かし始めたとのニュースが飛び込んできた。米グーグルが昨年買収した英国のベンチャー企業、「ディープマインド」が、プロを負かすレベルの囲碁ソフトを開発したとのこと。チェスは完全に負け、将棋もほぼコンピューターが上まわっているも囲碁は着手候補の多さからまだ10年先といわれていたのに処理速度が速いグーグルの巨大なコンピューターインフラを活用して促成し、ヨーロッパチャンピオンに勝ったというからこれは本物だ。3月には韓国の李世乭(イ・セドル)と対戦予定でそれにも勝つつもりとのことらしいが、果たしてそれはどうだろう。彼は実は世界チャンピオンにも何度もなっていてそれにも勝てば囲碁も完全攻略されたといってもいい。今、日本囲碁界は井山裕太に席巻されている。なんと7大タイトルのうち6つを保持し今度ついに7つめの十段戦の挑戦権を得て近々タイトル戦が始まる予定だ。将棋の羽生善治に続いて7大タイトル制覇の可能性は高い。その井山も2年前のテレビアジア囲碁選手権では李世乭に負けていた。それくらいの棋士相手にコンピューターが勝ってしまうといったいどうなるんやろ。

麻雀も今少しだけコンピューターが話題だ。AI機能を持ったシステム「爆打(ばくうち)」がネット麻雀「天鳳」に参加して確か私と同じ七段くらいになったのかな。麻雀は囲碁将棋とは違い不確定要素が多く正解手を打っても相手次第で結果が正解になるとはならないこともある。それでも人間とは違ってイージーミスはしないだろうし膨大な計算力によって例えば自分の手と河の牌を見比べ相手の手を推測し手牌読みなども人間を上まわるようになるはず。コンピューター側が本気になれば麻雀も最高位に到達できるかも。さっそく天鳳制作側は現在のネット麻雀達人(初代天鳳位Asapin、現役プロ木原浩一、渋川難波)らと爆打を対戦させる企画を打ち出してきた。2月14日にあるらしい。へーえ。まだまだ人間に勝って欲しい気もするし、とんでもない機械の性能を見てみたい気もする。

いずれゲームはコンピューターが勝利するだろう。でも人間対人間でゲームをする限り面白さ、楽しさは変わらないのだからいいんじゃないか。ゲームがなくなってしまうわけじゃない。機械に負けてもそれで人間が困るわけでもない。共存し利用していくのは人間なんだからな。

2016年1月30日土曜日

ちょー、気持ちいいぜ、逆転

ちょうど見せたまえ雀荘でサブアラド、見せたまえ、ジャズ魔とラスト半荘の麻雀をしている時だった。オリンピック予選のアジア大会決勝、日本対韓国戦をやっているのを思い出しTVチャンネルを変えた。すると前半で0−1で韓国に負けているじゃない。「あー。韓国強いからなあ」と見せたまえDr。「うーん、対日本になるといつも以上にあっちは力を出すしー」とは私。後半すぐに韓国に追加点を奪われると「あーー」と嘆声が漏れ、見せたまえは「ちぇ、ま、いいか。今回はどうせオリンピックに出られるんだし」との負け惜しみ発言が出た。私は不甲斐ないなと思いつつも「今大会は後半に点が入るしー」とわずかな期待をしていた。

そしたら1点返したじゃない。「お、1−2になった」と私が言うと、「サッカーは2点差の時が危ないっていうからな」と急に元気が出てきた見せたまえ君。麻雀も最後にきて急に大物手を上がり始めトップばく進していた。するとあっという間にヘディングで同点に追いついたじゃん!「おお、2−2だぁ」

そのころ見せたまえの大トップでラス半が終わり、精算すると、今日は私が一番の勝ちで見せたまえがちょい浮き。サブ、ジャズが負けだった。サッカーの後半の残り半分は帰りのプリウスのTVで聞いていた。ちょうど吉野の交差点で止まっている時に画像を見ていると、押されている中にもカウンターを仕掛けてあっという間に浅野がゴールを決めた。3−2で逆転だぁ!うほっ。きっと見せたまえも麻雀牌片付けつつ見ていて咆えまくっていることだろう。そうそう、このまま終わっていいぞ。

ちょうど自宅駐車場に駐車するころ試合が終わり、そこはまたプリウスのTV画面で見ていた。いやー、気分いいねえ。単に1点差で勝つよりずっと気持ちいい。反対に韓国の人たちははらわたが煮えくり返っていることだろう。いい気味だが、これって去年の野球のプレミアム12の準決勝で日本が味わった9回の屈辱の逆転劇と相通じるものがある。負けたけど日本が弱かったわけじゃない。そうそう、今回のサッカーも韓国にはずっと押されていた。たまたま上手く逆転出来たが絶対的にこっちが上なわけではない。慢心してはならない。まだまだ隣国との確執は続く・・。

2016年1月29日金曜日

横溝はこれから読め

昨日のNHKBSの 「シリーズ Jミステリーはここから始まった!」第2回 「これが日本の本格探偵小説だ!~横溝正史 「八つ墓村」」 は面白かった。第1回は松本清張の「ゼロの焦点」だったようだがそれは見ていない。ゲストに綾辻行人、道尾秀介、高橋源一郎、中野信子、華恵といった面々が集まり作品の魅力や横溝論など語り論じ合っていた。この手のミステリー談義には珍しく犯人やトリックなど思い切りネタバレさせているので未読の人は見ない方がよかったかな。でも松本清張よりも横溝正史が好きな私はこれがきかっけで正史を読んでくれる人がいたらうれしい。清張ら社会派ミステリーに押され10年以上も忘れ去られた作家だったのにその面白さを認めて復活させたのはあの角川春樹だった。そのリバイバルぶりはすさまじくブームは10年以上以上続き横溝チルドレンの作家らが輩出しその後の日本ミステリーの潮流を形成している。漫画の「金田一少年の事件簿」「名探偵コナン」は横溝系だし、道尾秀介は自分の作品の登場人物の名前が「八つ墓村」のと似ていると指摘され驚いたそうだ。高校の時1回読んでおらず全く意識していなかったのにと。

私は横溝正史を人に勧めるときは「八つ墓村」と「犬神家の一族」の二作が多い。どちらも読み始めると止められない。高校の時、桜島一周というイベントがあって足にマメをつくり疲れていたにも関わらず、買ったばかりの「八つ墓村」をちょこっと読もうとめくったが最後、勉強そっちのけで読み終わるまで止められなかった。角川春樹がこれを文庫の第1作目に選んだのも肯ける。ただ推理小説とのしての面白さは「本陣殺人事件」や「獄門島」には劣る。一種の冒険小説と読めばいいかも。

いやー、仕事は忙しいわ。昨日が休みで入院患者の指示出しが多くなったし、入院が3人、緊急内視鏡が1人いていずれも90才以上。昼休みも全くなしでバタバタしていた。そうそう、その緊急内視鏡は5cmくらいの義歯(ブリッジ)を飲み込んだ患者で2チャンネル内視鏡にフードを付けてトラペゾイド鉗子で引き上げた。簡単そうに思えるがこの手の患者に遭遇したことがない内視鏡医はきっと手こずるだろう。これまで異物誤飲を何回もやってきた経験が生きている。なにせ近くに県立の愛乱病院があり、彼ら彼女らが電池、歯ブラシ、体温計などいろんなのを飲み込んで緊急依頼を受けるんでね。経験は人を作る!

2016年1月28日木曜日

プリウス先生

当直明けでたまたま休みでもあり午前中に帰宅できた。新型プリウスで帰りが高速道路なのは初めてで、レーダークルーズコントロール(全車速追従機能付)を使ってみた。80kmに速度設定しアクセルから足を離すと当然のごとく一定速度で走り続ける。しかし前方に車がありそれが速度が遅いと車間を保ちつつ走行する。これがレーダーを利用した追従機能だ。かったるいんで追い越し車線に移動しようとするが隣に車がいるとドアミラーに警告画像が光る。注意しなさいって。さらに一般道に入り少し車線をまたぐ走行をするとモニターが点滅し警告音を出す。さらにハンドルに若干の制御もかかる。事故らないような配慮だ。かなり安全装備に力をいれているなあと感じる。

燃費は高速利用で21km/L程度。エコノミーモードにしてあんまり噴かしてもいない。燃費が売りの車、せっかくだから燃費を伸ばしたいじゃない。自宅に着きエンジンを切るとモニターにスコアが表示される。何と点数(満点は100)が表示されるのだ。今回は63/100だった。そしてコメントが・・「よい発進加速ができています 更に緩やかな操作を目指しましょう」ははーっ。車に自分の運転ぶりが評価されるのだ。プリウス先生に。63点って合格ぎりぎりじゃないか。いかんいかんまだまだ頑張らねば。降りて先生を見るとこの間の大雪の影響か泥がいっぱい付いている。私にしては珍しく水洗しタオルでキュッキュッと拭いて先生をきれいにして上げたのだった。
            ↓プリウス先生の評価は、
↓このように誉められることもあれば、
↓このように注意を受けることも・・

2016年1月27日水曜日

「七五調病院」とは

姶良はこの前の大雪で断水になり職員の多くがそれで困っているらしい。飲み水やお風呂は我慢できるとしてトイレの水が流れないのが嫌だという。そうか、それは困るな。そう言われると日頃当たり前に出来ることが実に有り難いことだと分かる。

そんなわけで「私たちは早く帰らないといけないの」とムッちゃんNsが最後の大腸内視鏡を急かした。給水車が来るからだと。「そんな言われても下血患者の処置をおろそかには出来ないしー」と私。「うん、もう。センセーは今日は当直だから急がなくてもいいんでしょ」とおかんむりだ。結局17時半を過ぎたらいつの間にかいなくなっていた。で、加治木に住んでいる服緑Nsが残って対応してくれた。「加治木は断水じゃないんです」だって。あは、姶良市になっても姶良、加治木の違いがこんなところに出ていた。

医局に戻ると、ノサバルデスのオカーツMRが来ていた。彼女が「いつも『こてる日記』を読ませてもらっているんですが、うちの「おおしたそう」MR共々病院名がどこか分からないのがありまして」と質問してきたのが「七五調病院」ってどこなの?だった。ほかの病院名はだいたい推測が付くがそれは分からないと。あー、それねえ。昔からよく聞かれるのよ。だいたいこてる日記での名付けは名前のもじりが圧倒的に多いから推測でだいたい分かる。でも七五調病院は個人的な経験談が由来だから推測しようがないのだ。15年くらい前、そこの病院に9ヶ月間だけ週1勤務していて胃カメラや大腸内視鏡をしていた。その大腸内視鏡件数が1週おきに7例、5例、7例、5例と続いた時期があってまるで七五調やとつぶやいたのがきっかけだった。それにもう一つ、青雲会病院と違い官立由来のその病院が何となくお公家風のイメージもあってそう名付けた。オカーツさんはそこをどうして聞きたくいたようで「へーえ」と喉のつっかえが取れたようであった。そんなところまで気にして下さってこちらこそありがとさんだ。

あれ?誰かさんはここまで説明されてもますますどこの病院が分からず、もやもやしてる?ごめんちゃい。こてる先生に会ったら直接聞いてちょーだいね、秒で霧が晴れること間違いなしだから!

2016年1月26日火曜日

天妖怪の剣豪

早起きしてまた10号線に向かわねばと思っていたら高速がOKと聞き拍子抜けした。あっという間にいつもの平日に逆戻りだ。でも雪に気を使っての通勤よりはいいわ。

火曜の午後は最近忙しい。内視鏡検査も入っているのに救急当番もある。おまけに入院依頼患者もありてんてこ舞いだ。近くの老健施設から意識障害の高齢女性が運ばれ、調べると脈が遅い。30回/分くらいしかない。アダムスストークス発作でこれじゃー意識消失が起きる。ペースメーカー治療をしなくてはならない。で、鹿児島市内の天妖怪病院に紹介することにした。電話連絡すると向こうの当番Drが出てかくかくしかじかと依頼すると再度私の名前を確認してきた。「こてるです」というと「ロングハッピイです」というではないか。あれぇー「剣豪かぁ」「そうです」親戚だったわ。確か天妖怪病院にいると聞いていた。そうかそうか。快く引き受けてくれ救急転送と相成った。ふーぅ。

しかし救急2件入院2件検査数件で結局検査が出来ずこれはブックリバーDrが代わりにやってくれ助かった。へろへろで夜帰宅しサッカーは日本対イラクの勝てばオリンピック出場の大勝負も途中で寝てしまった。未明に起きて結果が2−1で勝ったと知り安堵した。明け方になり、眠い目をこすりつつ、日記、当直表とどうにか作り終え、二度寝。あれれ、疲れは大雪と変わらないわー。

2016年1月25日月曜日

疲労雪

今日、月曜の朝も予想通り大雪は残ったままだった。道路を見てもとてもすぐには行けそうにない。駅まで行くためのタクシーもつかまらずイライラしながら午前中を過ごした。気になっていた姶良郡医師会ボウリング大会は延期が決まったとのことでこれはひとまず片付いた。みんなはどうやって通勤しているのかな。午後は胃瘻造設術も組まれているので何とかして出勤したい。昼前にはいっとき日が射して枇杷の木の雪がばさばさと落ち屋根からもぽとぽと溶け水が落ちて来た。これはー、と思うもまた曇り雪がちらつき気が滅入る。午後1時ごろ団地のメインストリートを見に行くとなんと除雪され車が普通に通っている。これなら行ける。すぐに出発準備し新型プリウスを発進させた。

向かう道路は高速は全くだめで蒲生への県道もきっと無理、ここは当然国道10号線だ。磯の庭園を過ぎる冠雪した桜島がきれいに見えた。昨日だと雲がかかってどうだったか。

プリウスも少し泥は浴びるも快適に進み燃費も20km/Lオーバーでまずはグッド。宣伝されている燃費40km/L超というのはカタログ数値でプリウスの中でも装備を減らし(水タンクすら普通のより小さく作って車重を減らしている)燃費をだけを追求したグレードのみのことで、他は一応37km/Lとなっていて実際は町中走行、高速走行が入り25、6km/Lくらいのものだろう。前のプリウスは車重のあるタイプだったこともあり16km/Lくらいだったから20km超えれば私には合格点なのだ。

午後2時半に着くと、何と常勤Drの中では私が一番遅い出勤だった。患者さんも多くはなく内視鏡も予定の半分程度でオマルDrがやってくれていた。しかしとにかく疲れた。ここ最近になく疲労感半端なく帰宅後ばったりだった。雪の中やきもきゆきもきしていたせいだろう。人は慣れない環境下に置かれると疲れる、今回よーく思い知ったことだった。

寝入る前にローカルニュースで鹿児島市内の小学校の校庭の様子が出ていた。おお、私の母校だ(学校がNHK放送局から近いからか)。児童と先生が雪合戦したり雪だるま作ったりと、ちょうど小学2年の今頃初の大雪に興奮して時間を忘れて校庭で遊んだ約50年前と同じだ。あのころの私とほぼ同じ姿が↓の画像である。

そうそう、帰りの錦江湾は月の明かりが射してとてもきれいだった。写真を撮ったが見た目の通りにはうまく撮れない。特に月の色がもう少し黄色なんだけどなあ。一眼レフならもっとそれらしく撮れるのだろうか。


2016年1月24日日曜日

それぞれの大雪、こてる家の場合

未明午前5時頃、外をうかがうと、歩道にはうっすら雪がかかるも車道にはまだ積もっていなかった。しかし明るくなった7時過ぎにはもう積もり、さらに9時頃にはもっと積もって庭の木々の葉もしなるほどになっていた。ゲンちゃんを外に出してみるとこわごわと動きとても飛び出すようにはみえない。やっぱりネコはこたつで丸くなるだね(もっともこてる家にはこたつはないが)。昼には車道と歩道の区別もつかないくらいに雪は積もっていた。10年前なら子どもたちが大騒ぎで雪合戦でもしていたのに静かなこと。団地が出来て20数年、一気に高齢化が押し寄せてきている。
             ↓午前5時の道路。
              ↓日中はこのような大雪。
              ↓ここまで雪が積もるとは。
              ↓木に触ると雪がちび散ります。
              ↓こわごわゲンちゃんです。

寒さと雪に包まれた中、私は明日の通勤のことが心配になった。きっと明日朝は道路が凍結し車を出せない。よほど今日中に中央駅からJRで姶良まで行き病院に泊まることも考えたが、明日夕方に姶良郡医師会ボウリング大会が予定されていてそれには車が必要だ。やきもきして何も体力を使うことはしていないのにとにかく疲れた。そして寝てしまった。雪って何もしなくても疲れるものだと今回初めて知ったよ。

2016年1月23日土曜日

新型プリウス納車

午前の外来業務を終えて帰宅し、すぐにカールと鹿児島トヨタへ向かった。待望の新型プリウスの納車だ。カタログですら見ずに注文し試乗もしていないのでスーパーホワイトⅡのボディカラーがどんなものか少し不安があった。人気のパールホワイトが良かったのかなあなんて。着くと、担当のヨシナオさんが立って待っていて、見れば車は白と黒の2台が奥に置かれていた。白が私のスーパーホワイトⅡのプリウスだ。うん、やっぱり良い色じゃん!不安は一掃された。ナンバーは「1349」。これもいい。まず希望ナンバーだったと人に聞かれることもないだろうし、のち新型プリウスが街にあふれれば白ボディと相まって目立ち過ぎず煩わしさもないだろう。ヨシナオさんにざっくりと操作法を教えてもらい写真も撮ってトヨタを後にした。

新車の香りの中、すぅーっとプリウスらしく音もなく動き出す。おお、うわさどおりにボディ剛性が高くなり旧型よりしっかり感がはっきり感じられる。TVモニターも9インチで見やすい。自宅に向け国道3号線を上っていくと、交差点で何と同じ新型プリウスの赤エモーショナルレッドとすれ違った。運転手がびっくりしたようにこっちを見ていた。あちらも初めて自分以外の新型を見たのじゃないか。今はまだ全くといっていいほど見ないもんね。あと1ヶ月くらいは人目を引き、目立ちがり屋ならしばらく優越感に浸れることだろう。

帰宅前に団地のガソリンスタンドで給油をした。降りて満タンにしていると、なんと向こうからばったりGSにやってきたのはユキーノさんだった。「あら〜新型のプリウスを買ったのぉ。いいねお金持ちはー」と冷やかして来た。カールも私も「どっちがお金持ちなんだよー。子ども二人医学部に入れ、最近はマンションも買ったというじゃない」とやり返した。いやいや、この10数年GSで会うことは普段は全くなかったのに初めて新型を見せた相手がカールのママ友であり旦那が2内科内視鏡グループのハイブリッジDrというユキーノママだったとは。「厄除けに行くべきよねー」とのアドバイスをもらったが、ユキーノさんの洗礼を浴びたことで十分疫除けになったやろ。↓ユキーノと助手席のカール。

帰宅し仮眠を取った後、見せたまえ雀荘に出かけた。駐車場に着くと「どれどれ新型プリウスを見せてよ」と先月新型ベンツを買ったサブアラドDrがやって来た。「ほう、新車の香りがするね」と言ってくれたが多分あちらの方がお値段は倍はするはず。彼は根っからのベンツ派で新車、中古合わせて今まで何台乗ってきたのか。ただ感心するのは毎回20万km以上も乗り、前車なんて30万km以上も乗り継ぎ、大事に使っているところだ。今回も10年近く乗ることだろう。↓ベンツと並んだプリウス。面構えだけは負けていないネ。

麻雀は最近ネットでも打っていないせいか、凡ミスが目立ち沈んでしまった。半荘5回終わったところで外の様子を見たサブアラドDrが「雪が舞っている」とのことでここでお開きになった。まだ十分負け分を取り戻すことは出来たと思うが「雪で吉野台地から帰れなくなるのだけは避けたい」ということだ。私も新車をスリップして初日にぶつけたくはない。一人負けだったがしようがない。珍しく日付が変わる前に帰宅した。さあて明日は本当に大雪になるのかな?あれだけ降る積もるといっておいてそうでなかったら気象庁に抗議でもしてやるぞ、なーんて思っていたが・・。

2016年1月22日金曜日

五代様の下で

昨日、食事を済ませての帰り、天妖怪病院と精米クリニックに挟まれた公園にある五大友厚銅像を見に寄ってみた。以前書いたように昔は長田陸橋中央にあったが昭和56年に現地に移動されたとのこと、朝ドラで全国的に有名になって改めて見てみたくなったわけ。小雨降る中カールとお互いに写真を撮り合った。銅像は子どもの頃見たときはもっと小さかった印象だったが結構大きい。そしてなかなかのイケメン、もともと薩摩武士なのに洋装がよく似合うお姿だ。私はちょこっとポーズを真似てみたが今一でしたな。ハハ。


朝は通勤途中に車を止め、やや望遠で雪をかぶり迫力のある尖った姿の桜島を撮影した。姶良側から撮るとやや斜めからでいわゆる正面の鹿児島市内からとはずいぶん違う印象になる。そして雪があれば山はたいてい見栄えがする。桜島も例外じゃなかった。

夜は青雲会病院の所属長以上が国分の「高く亭」で新年会だった。高く亭は去年の理事会以来だ。確か病院の人間ドック一泊二日の時はここの宿を利用するはずで病院と関係があるのだろう(詳しくは知らない)。食事も以前よりよくなっていた。飲み放題セットでラブカメ先生や可愛いんだ理事長は日本酒などよく飲んでいた。後半はみんなに新年の抱負を兼ねたスピーチもありそれぞれみんな面白く立派な内容だった。スピーチする訓練というか機会が多いからなぁ。

帰りはラブカメ先生を乗せて鹿児島中央駅近くまで送った。私は全く飲まないのでよい運転手役なんだ。私の住まい近くの伊敷まででいいよと先生は言われるがこれも昔日記ネタにしたとおり出来るだけ先生の自宅近くまで送るようにしている。その後、マイカー、プロボックスを安全運転で家まで帰った。この車ももう最後だ。明日の午後には新車のプリウスが待っている。8ヶ月以上乗ってみて思ったのは単に足代わりならこの程度の車でも十分ということ。逆に上質なものを求めると全てに若干の不満が生じる車だった。走り、乗り心地、空調、燃費、AV、ナビ、操作性・・上げれば切りがない。まあ車なんて8ヶ月我慢できればいざ逆境に陥っても安物でもやっていけるという自信はついた。改めてプロボックスに感謝しよう。

2016年1月21日木曜日

「ブリッジ・オブ・スパイ」

平日だが休みの今日はカールが映画を見に行きたいとのことで一緒に出かけた。今、映画と言えば「スターウォーズ・フォースの覚醒」や「007スペクター」などの有名シリーズものなどがあるが、カールが見たいというのは「ブリッジ・オブ・スパイ」何やそれ?「でも面白いらしいよ」というので全く予備知識なしに見ることにした。夫婦50割引で二人で2200円と格安だし。

ポスターをチラッと見れば東西冷戦のころの実話を元にしていて主役がトム・ハンクス、ええ?監督がスピルバーグだって?!中味は知らないがB級映画なんかじゃなく超一流映画じゃないの。

オープニング。中年過ぎのスーツ着たおっさんが何やら怪しい動きをしていてソ連のスパイだと何となく分かる。そのうちGメンらしき男らがおっさんの動きをマークし追い詰めていく。そしてアパートに突入しスパイ容疑で検挙する旨を告げる。おっさんは絵の具を拭く振りをして暗号が書かれた紙を始末する・・。なかなか興味を引く導入部でいったいこの後どうなるの、だ。

スパイの容疑は間違いなく裁判にかけられるが、その弁護が市井のトム・ハンクス弁護士に任されることになる。保険が専門だったというハンクスは死刑が当然という社会の雰囲気に弁護士としての任務を全うしようと奮闘する。それはおっさんスパイとの心の交流のようなものが生じたこともあった。しかしその後アメリカのU2スパイ機がソ連に撃ち落とされパイロットとおっさんスパイとの捕虜交換の交渉も任されたときに同時に東ベルリンに拘束されたアメリカ人学生をも救うべきと譲らなかった姿勢をみると、ヒューマニズムに根ざしてのことだと思えた。そしてそれには交渉術というテクニックも持ち合わせていなければならない。この弁護士のことを帰宅してから調べると、その後もキューバ危機でアメリカ人捕虜約一千人を救い出す交渉も任せられるなど相当な人物だったと分かる。

あと、5、60年前の世界を金をかけて映像化していてさすがハリウッドと思った。TVドラマや日本映画では一場面かせいぜいCGですますところだろう。U2撃墜場面はさすがにCG利用で迫力があったが逆にそれゆえそこだけ現代ぽくなっていた。ラストは実際に捕虜交換が行われたベルリンの橋でロケが行われたそうだ。それがタイトルにもなっている。しかし橋そのものより人と人の橋渡しの意味でも使われているはずだ。しぶい作品だが見て損はないと思った。ちなみにアカデミー賞ではトム・ハンクスではなくおっさんスパイ役の俳優がノミネートされていた。なるほどね、確かに印象的だった。

天文館の映画館を出ると、ふと里鳥、憂鳥親子を思い出した。青雲会病院の光鳥Nsの親姉だが、2年前「アナと雪の女王」を見終わって映画館を出た直後、彼女らにばったり出会っていたからだ。あの時は土曜、さすがに今日は誰とも会わなかった。終わって「紅胡椒」でハンバーグを食べ帰宅した。メイン料理以外はバイキング形式だったのでちいと食べ過ぎた。そこは反省!

2016年1月20日水曜日

その時、雪の影響なんて

朝、病院の駐車場に屋根いっぱいに積もった雪を載せた車があった。溝辺あたりは雪がつもったらしいからそこからの車だろう。読売新聞には「一面に雪化粧した山口市内」というタイトルのカラー写真があって、これがまたいい写真だった。やや遠くに鮮やかなブルーの傘が山水画のような雪景色に映えること!報道写真というより狙って撮った芸術写真の趣きがあった。

そうそう、この時はまさか4、5日後に鹿児島もあんな大雪に見舞われるとは思っていなかった。

夜は国分スターレーンでいつものメンバーと練習をした。T-MAXでなく国分なのは2月始めにある社会保険協会のボウリング大会に皆出るというのと、私と難ガターさんは次の月曜に姶良郡医師会ボウリング大会(マイボール禁止)にも出るからだった。
「スターレーンのコンディションは難しくってー」とこぼすはスリウェル君だ。10枚目付近のオイルが多くボールが曲がらない。少しのコントロールミスがスコアにひびく、ある意味実力を反映するいいレーンなのだが対応しきれない彼にはつらく映るようだ。ま、私も200アップ出来なかったので難しく感じるわ。それとハウスボールでも練習してみた。去年は姶良郡医師会では惨敗して「マイボールなしじゃその程度」と思われたのが悔しい。それで少し軽めの13ポンドで投げてみると意外にピンが倒れることを発見しハウスボールでも170くらいは出せることが分かった。それである程度満足し練習を終えたのだったが・・。

そう、結局、雪が残った月曜、医師会のボウリング大会は中止となったのだった。ゲゲゲ。一応延期ということらしいが果たしてどうなるやら。

2016年1月19日火曜日

高村薫作品初読書「マークスの山」

最近の火曜日は救急ピッチ当番の午後が忙しい。寒くなって体調を崩す人が増えているからだろう。結局夜8時くらいまで病院にいた。珍しくブックリバーDrも残っていて、それはERCPをした患者の状態観察の必要があったからだ。まあ医者の仕事は定刻になったからハイ終わりというわけにはいかない。アメリカあたりは時間が来れば他Drに引き継いで帰宅すると聞いたことがあるが日本の現状では無理だろう。

髙村薫の「マークスの山」を読み始めた。全く予備知識なしのところ、事件の出だしが日本アルプスの北岳(高さ日本第2位3193m)周辺から始まっていたのが気を引いた。というのも去年からの日本百名山マイブームで山岳物には親近感があるし、ついこの間NHKの「百名山」シリーズで北岳を見たばかりだったからだ。地図がありこれも買って持っている「日本百名山地図帳」と比較しつつ読み進めた。ところどころ出てくる山岳用語もある程度理解出来るのでなおさらよい。それで山が背景のミステリーかと思えばプロローグが終われば大都会東京のど真ん中の警察が舞台の話に移った。主人公は合田雄一郎という刑事でこの作品以降も髙村作品に登場し人気があるらしい。

それにしてもこの本はページが進まない。字数が多いのもあるが、心理描写が多いし登場する刑事たちの動きが詳しく語られるため読むのに根気がいる。よほど警察内部を取材しないと書けない内容で背表紙に日本初の本格警察小説と銘打たれるだけのことはある。そうか、だから気安く読めるミステリーと違って直木賞を取ったんだ。ま、読みにくいほどのことはない、上下巻合わせて700ページ、ぼちぼち読んでいこう。

2016年1月18日月曜日

ギンちゃん対ゲンちゃん

昨夜の当直は深夜帯はおおむね楽だったのに午前3時半ごろ救急が入った。飲み屋で飲み過ぎた男性が、代行で帰ったはいいが、途中あまりに気分が悪くなり車を一旦停止してもらい嘔吐しようと外に出てすってんころりん、頭部打撲して意識が無いように見えたため、運転手が救急要請をしたのだった。当直Nsのタッピーさんが「男の名前は信号先生です」というのでちょいとびっくらこいたが、外科の信号Drと発音が同姓同名の別人だった。怪我も大したことなく意識もちゃんとあった。私を睡眠不足にさせるために飲んでいたってことだ。うーん。

昼前、頭がどうにも重く、これは疲れのせいだ。先週のくも膜下出血の患者じゃないけれど、よもや突発的な脳卒中にでもなったらまずいと小1時間外来ベッドで仮眠をした。これで少しは頭が軽くなった。

夜、ネットでzakzakを見ていると「古都の茶房でゆるーいひととき」というネコの特集があった。これが目を引いたのはサムネイル写真の白黒ネコが「あれ?ゲンちゃん」と思えるほど似ていたからだ。鼻の横に黒いポチがあるのいっしょだがよく見ればゲンちゃんじゃないのは分かる。何でもそのネコは京都の茶房の看板ネコで店でだら〜んとする仕草が評判になり雑誌の表紙も飾ったことがあるとか。いくつか写真を見て確かに癒やし系の仕草、表情である。でも、だ!これくらいならゲンちゃんも負けていないぞ。その看板ネコの名前は「ギンちゃん」。名前もどっこいどっこいだぁ。カールに見せると「うちのゲンちゃんの方が可愛いわ」って、まあそれはいつものことだがそんなに差は無いはず。
↓にその看板ネコ「ギンちゃん」の写真を2枚。その後に「ゲンちゃん」の写真を載せよう。たいして変わんないしょ。
↑ギンちゃん
ゲンちゃん↓




2016年1月17日日曜日

「痛み」が違うっ!

夕方から病院当直だった。22時くらいまで忙しく腹痛の患者が多く入院もさせたりした。

で、きっと疲れていたんだろうねぇ。電カルへの記載に、
「(腹部の)痛みが続くため・・」
と書こうとしたのだけれど、ふと見ると下記のように書いていた。

「逸見が続くため・・」

あいた、もう逸見(政孝)さんはいないんだよー。で、すぐに書き直した。

「辰巳が続くため・・」

(‾□‾;)・・

辰巳(琢郎)は生きているけどさぁ、違うんだよっ!
え?!

2016年1月16日土曜日

プリウスを見学する

長島での仕事帰りに中央駅から鹿児島トヨタに立ち寄った。担当のヨシナオさんを呼んでもらい、来週のプリウス納車の確認をした。1月23日土曜の午後には納車出来るという。そしてそもそも私は発売1ヶ月を過ぎたのにプリウスの実車をまだ見たことがない。それでちょうど1台パールホワイトのタイプSのプリウスがあったので見せてもらった。パッと見た目低くて若々しいデザインだ。内装も三代目プリウスより高級感が増している。座ってみると着座位置も低く何だか昔乗っていたプレリュードに近いスポーティーな感覚だ。「剛性感がアップしていてドアの閉まる音もぐっと高級な感じがしますよ」とヨシナオさん。ふーむ、単なるエコカーではないんですよというのを強調している。

プリウスの白は展示のパールホワイトとスーパーホワイトⅡの2種ある。パールの方を注文する人が多いとのことだが、私はスーパーホワイトⅡにした。理由は2つ。今まで白い車に乗ったことはあるが純粋に白い色に乗ったことがなく一度真っ白な車に乗ってみたかったのとパールより3万円も安いからである。昨日の話題でも触れたように気に入っていて安けりゃ・・ねえ。今日は肝心のその色の車は見ることは出来なかった。↓はパールホワイトのプリウス。深みがあって上品な白色。人気なのは分かるがいずれ多くの他車とすれ違う羽目になりそう。自分の選択はきっと間違っていないはず。値段も安いしー(結局そこかい?)。

聞けば4代目プリウスは人気で今注文しても半年以上待たされるという。カタログもない時点で申し込んでいて正解だった。ともかくも8ヶ月以上商用車プロボックスで我慢してきたマイカー生活も1週間でおさらばだ。あせることはない、あっという間に毎日が新車の匂いに包まれるぜよ。

2016年1月15日金曜日

略してはならぬ、安いと人は動く

内視鏡室に誰かの宮崎からのお土産が置いてあった。きんかん洋風饅頭「たまたま」という製品で「きんかんたまたまペースト使用」とあった。間食はしないと決めていてもまだ口にしたことのないお菓子はどんなもんだ?とつい口にしてしまった。ふむ、確かにきんかんの風味がしっかり感じられ悪くない。へー、宮崎はきんかん生産量が日本一でシェア60%以上と圧倒的という。そのブランド名が「たまたま」か。ううむ、一発で覚えるいいネーミングだ。しかし、決して略して言ってはならない。・・ほら!そこの君!今、略してつぶやいたでしょ。あれほど「略してはならぬ」と言ったのにー。

この前ある書店で中古本安売りフェアというかごの中に新古本が100円や200円で投げ売りされていて、その中で山崎豊子著「大地の子」全4巻(1冊200円)と髙村薫著「マークスの山」前後巻(1冊100円)、岡嶋二人著「99%の誘拐」(1冊100円)を買った。理由は「大地の子」はこの前NHKドラマを見終わったばかりで原作も読んでおこうか。「マークスの山」は乱歩賞作家の福井晴敏が初めて読んだ髙村作品で、次に読んだ「神の火」で「・・それで、模写というか、自分が書いたものの中に『神の火』のワンセンテンスをコピーして挿入してみた。パソコンがあったからこそできた作業ですが、挿入した部分が周りの文章から浮いてしまうので、つなげるために前後を書き直していく。核融合させるような作業を繰り返し、自分の文体をつかんでいきました。だから『神の火』は僕の「文章の師匠」ですね」と大いに影響を受けたというインタビュー記事を最近読んだから。「99%の誘拐」は「人さらいの岡嶋」との評価がある岡嶋二人作品を一度読んでみたいと思っていたから、とそれぞれなんだが、いかんせんその安さに思わず手が伸びたというのが正解だ。これが定価の500〜700円だったらきっと買ってはいなかった。安さには人の行動を変える力がある。

で、まず読み始めたのが「99%の誘拐」で期待に違わず面白い。特に文章がうまくサクサクと進み400ページをこえるけれど1日で読み切れる。この本は実は日本では珍しい共作作家の徳山諄一(じゅんいち)と井上泉(現:井上夢人)の合作になる。しかし文章は井上氏が一人で書いたとのことだ。作者名は当然ペンネームで「おかしな二人」のもじりであった。ちなみに髙村薫も他作家が真似るくらい文は上手いと思うが全くサクサクとはいかない。300ページが3日かかりそう。まだまだ寒いし読書の冬だわい。

2016年1月14日木曜日

寒いねぇ

ハクブンDrが初登院した。私はそばについて電カルの使い方や内視鏡の手順などオリエンテーションをした。しかし今日は外来担当なので途中で引き上げ、あとはムッちゃんNsやブックリバー、おまるDrらに任せた。検査には自信のないことをいうがかつては同じ内視鏡室の釜のメシを食った仲間、すぐにここにも慣れるだろう。

今朝方、40才代の男性患者がくも膜下出血で亡くなった。昨日急に発症し運ばれて来たものの最初のアタックで意識不明、手術も出来る状況になく1日も持たなかった。先月発症した40才代のくも膜下出血の女性は今週中にも退院出来るというのとあまりも対照的だ。発症してからでは遅い場合があるのがこの病気だ。しかし事前に発症の可能性を知るには脳のMRIを撮る脳ドックしかない。それをしなかったからこうなったとはとてもいえず不幸なケースであった。

最近寒くなって来た。昨日が最高10℃くらいで今日が12℃くらい。車に気温表示ないので正確ではないがそのくらいだ。年取ってくると寒さが嫌だね。動きたくなくてボウリング以外ほとんど家にこもっている。うう、注文しているプリウスは1月始めくらいにとのことだったがトヨタから1月23日か24日にはとの連絡があった。新車でも来ないとこの寒さに負けそうだぁー。

2016年1月13日水曜日

SMAP問題

SMAPが解散か?!というニュースが飛び込んできた。昨年秋ぐらいからその噂はあり、メリー喜多川が激高してマネジャーの飯島三智女史に「それならSMAPを連れて出て行きなさい!」と言い放ったなどと聞こえていた。ジャニーズ事務所はメリーの娘のジュリー派(嵐がメイン)と飯島派(SMAPがメイン)の二代派閥があるというのがこのところよく聞く話で、TV局の歌番組特集でSMAPが出ればその派閥のKis-My-Ft2、SexyZoneは番組に出るが嵐やその派閥のKAT-TUN、NEWS、関ジャニなどは一切出ないという色分けが顕著になっていた。そのいずれにも属さず社長のジャニー喜多川が直接関わる派閥もあってこれにはV6、KinKi Kids、タッキー&翼などがいる。同じ事務所なのに共演が一切ない(紅白などを除く)というのがなんだかいびつに思っていた。そのおかしさ、不自然さがここに来て吹き出したということだろう。それにしてもだ。あのSMAPさえ、事務所に刃向かえば干されるぞという脅しがあるそうだが、何だか前近代的というか芸能界ってやはりヤ〇ザな世界と共通点があるんだなと思った。ま、医局制度が中心だった医師の世界もよく言われていたことではある。しかし今回のような縛り付けがこの21世紀になっても相変わらず続いているのは異様だ。事務所と対立して辞めた芸能人が妨害に遭わず活動出来る何らかの法律を作る必要があろう。「あまちゃん」の能年玲奈も事務所と上手くいかず干されている状況だ。あまりにも時代錯誤的ぢゃぁないかい?

夜はT-MAXでいつものメンバーとボウリング練習・・といつもの書き出しだが、珍しいことが起こった。なんと私を中心に練習をしているメンバー全員がそろったのだ。全8人。これは初めてのことだ。これまで6人集まったのが最高だった。私、難ガターさん、タシケント、スリウェル、タナカッツ、えなガキ、見学のMRたち、そしてヤマヒロDrである。これだけ多いと4レーンを確保しないといけない。それで3ゲーム投げ、残り2ゲームは4チームのダブルス戦をした。私は新人で練習不足の見学君と組み、苦戦が予想されたが案の定で2ゲームともビリで2回ともトップだった難ガター、タシケントチームに飲み物をおごる羽目になった。その日のアベで1位と8位が組むので仕方ないが見学君には「もっと練習を!」ときつく指導してやったわ。2月には姶良郡の社会保険協会のボウリング大会もありそれに出ることにもなった。下が全員集合の写真だ。うーむ、いい写真だが全く色気はないねえ。

2016年1月12日火曜日

はらたいらに全部

火曜の午後は17時半まで救急ピッチ当番だ。で、それ以降は当直のDr担当となる。
「あー、やれやれ、これであと病棟を診たら帰れるなあ」
ふと、今日の当直Drは誰だろうと思ったら・・何と自分!・・がーーん、全く意識していなかったよ。18時頃早速ピッチが鳴り、スーパーで転んだお年寄りが来るとのことで救急外来へ向かおうとしたら、医局の電カル前で脳外科のポンシンDrが「大変ですねぇ」とにこやかに反応していた。はは、しようがないっす。
しかし10分後、ポンシンDrは急遽外来に降り患者さんの診察をする羽目になった。念のためと撮った頭部CTで脳幹出血が判明したのだった。

寒くなると確かに脳出血が増える印象がある。でも一番気をつけないといけないのはこの時期の入浴だろう。毎年風呂場で倒れた、温泉で浮かんでいたで救急搬入が多い。だいたい日本のお風呂は寒い。服を脱ぐ所が寒いので急いで風呂場に行き、今度は急に熱いお湯に浸かる、血圧は乱高下しふらふらになってまた寒い脱衣所に行く。気がつけば青雲会病院救急外来だ。意識がある人はまだいい。永遠に意識がない人が毎年数人出る。思えば自宅も脱衣所は乾燥機がありまだ暖かいが風呂とトイレは寒い。マジでそこにも暖房装置が欲しいと思う。

前回の当直と違って夜は新聞など読む余裕があった。その中にかつてのTBSのヒット番組「クイズダービー」を回顧する記事があった。そこで新たな発見。私はどうもはらたいらが最後に小難しい問題に良く正解するのでヤラセじゃないかと思っていた。しかしどうもガチだったようだ。司会の大橋巨泉ですら問題を知らされるのは収録15分前でゲストの中には「え、教えてくれないの」という反応をする人がいたり、解答に失敗したはらたいらが悔しがって本当に正解じゃないのかとスタッフに詰め寄ったりなどあったとか。はらたいらは漫画のネタを探すために日頃からいろんな資料を見漁り雑学を広めていたのだという。仕事に直結していたのである。「はらたいらに3000点」や「はらたいらさんに全部」は当時誰もが知るフレーズだった。もっともヤラセ疑惑は私だけではなく、はらたいらは「事前に正解を知っているのでは」とたびたび聞かれ、いちいち否定するのにウンザリし「問題を作っているのは僕なんですよ」と持ち前のジョークで相手を笑わせていたそうだ。しかし残念ながら2006年肝臓癌で亡くなった。俗名・原平、戒名は・・知らない。

2016年1月11日月曜日

音楽ドキュメンタリーが好き

休日の夜間はどうも夜更かししてしまう。何だかそのまま寝るのがもったいなくて・・。うってつけに録りだめしたビデオもいっぱいあるしー。眠気の程度で15分は朝ドラ、30分は「日本百名山」「P★LEAGUE」、1時間はNHK特集ものや韓ドラ、1時間半の囲碁番組、2時間は民放バラエティー特集などを選んで見る。そして見終わったら基本消去する。そうしないとハードディスクが足りなくなる。

昨晩は昨年11月に録画していた「坂本九」の特集1時間半を見ていたが寝落ちしてしまっていた。午前2時か3時ごろ目が覚めたためまた最初から見直した。面白かった。「上を向いて歩こう(スキヤキ)」は今や海外では日本の歌として真っ先に上がる曲になっている。日本のイメージは古くからのフジヤマ、ゲイシャに次いで「スキヤキ」なのだ。「上を向いて歩こう」が日本からのペンフレンドが送ってくれたレコードがきっかけで地方のラジオ曲で評判になりそこのDJがキャピトルに働きかけメジャーリリースが決まった。それが何の宣伝もせずに坂本九の歌声でヒットチャートの1位を3週続けたのである。これ以降未だに日本人の1位は出ておらずこの曲がいかに偉大かということだ。もちろん、最初に作詞した永六輔、それに曲をつけた中村八大の功績が大であるが、実は坂本九が若干オリジナルを違えて歌ったところが欧米人にフィットしたというのは初めて知った。「♪〜むいいて、あるこぉおぅぅ」の部分で若いのにジャズやロカビリーを身につけていた九ちゃんのセンスが受けたのだった。

それでもアメリカでゴールドディスクを受け取る際に九ちゃんは「この曲は自分の力ではない。八大先生や永六輔さんのおかげだ。自分が受け取るのはおこがましい」と向こうの関係者に言ったのだそうだ。なかなか謙虚でよろしいのだが、プレゼンターにこう言われ思いを新たにした。「いいえ、あなたが受け取るべきなのです。名曲というのはいつまでも残るが歌い手はいずれ忘れ去られる。だからこそ私たちはこの賞をあなた(歌手)に上げるのです」そのゴールドディスクは亡き夫を慕い続けている柏木由紀子によって今でも自宅の記念部屋の一番目立つところに飾られてる。

音楽ドキュメンタリーってのはたいてい面白く興味深い。民放BSがこのところ主に昭和時代のヒット曲をじっくり聴かせたり、BSジャパンがあの年のこの一曲をじっくり取り上げるなど力を入れている。1月8日もビリーバンバンの「白いブランコ」を特集していた。見てから聴くと「へー、いい曲だったな」と思えてくる。アレンジが本人たちの指向ではなくプロ職人の押しつけだったそうだが結果的にはそれがいい味出していた。ちなみに初めて知ったがこの曲はビートルズの初期隠れた名曲「ジス・ボーイ」に触発されて作ったフォークロックだったという。「ジス・ボーイ」・・ジョン・レノンの作で日本ではデビュー作にして超大ヒット曲「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」のB面だった。当時のタイトルは無理に意訳しなくていいのに「こいつ」(笑)。日本人にとって初めてのビートルズソングの一つだった。

そうだ、NHKはもう最近は「そして歌は誕生した」をやってくれないな。土曜日にたまに特集があり20分くらいでヒット曲の裏側やエピソードを紹介してくれ放送は欠かさず見ていた。また復活して欲しい番組の一つだわ。

2016年1月10日日曜日

ソファ寝withゲンちゃん

昨夜、カールがソファ寝していてゲンちゃんもいっしょだった。そのだらけた姿をこそっとデジカメに撮っていた。まあいつか見せよう。

すると、ぴったし1週間後。ビデオ見ていて口をあんぐりの姿を私が撮られていた。う、やられたな。どちらにしてもゲンちゃんはぐっすり寝ている。

2016年1月9日土曜日

のんきな患者

木曜を休んだので土曜午前は当然出勤だ。比較的落ち着いた外来でたまにはこれもありだな。その中で一番気になった患者は70才代の男性でHb(ヘモグロビン)が6.0と極めて低い貧血患者だった。貧血パターンは小球性低色素性貧血で鉄欠乏がある。男性でこれがあれば真っ先に消化管出血疾患を考える。年齢からして胃癌大腸癌を真っ先に調べねばならない。一昨日来院していて当然胃カメラも受けていた。胃炎を指摘されるが出血源はない。となれば・・。大腸内視鏡も受けなさいと言われたようだがとりもなおさず鉄補充の注射を受け帰宅していた。それで「注射受けたら気分がいい」とまた来院というわけだ。私はそれより大腸検査の必要性を説明する。しかしなんだか乗り気でない。それでも可能な限り早くと休み明けの火曜日に大腸内視鏡を組ませた。最近大腸内視鏡は多くて枠は一つ空いていただけだった。

「月末に旅行の予約を入れている」

どうもこれが念頭にあるようだ。く・・旅行はキャンセルをしたほうがいいと私は即言い放った。ヘモグロビンが6というのは本来入院レベルの状態なのだ。実際疲れがひどくて受診したはずでしょ。この先大腸癌が見つかるかもしれないし貧血だって月末に正常化するとは思えない。旅先で倒れないとも限らないんですよ。しっかしまあ、のんきなキャラクターなのよねえ。「そうですかあ」と深刻さを感じていない。Hb6になったのが非常にゆっくりであったために病状変化に気付きにくかったと推測する。胃潰瘍出血で短期間にHb6になれば意識を失うくらいだ。きっと大腸癌だろう。「絶対今度の火曜日に来て下さいね」私は念を押した。

(実は日記を書いているのは1週間後の1/16である。すでに結論は出た。上行結腸の進行大腸癌であった。本人に告知し家族にも来てもらい早めに外科での手術準備に入るよう説明するが「へーえ」てな感じでまだ外来に鉄剤注射に来ている。手術受けるなら市内の有名病院がいいとのことで紹介をする約束までは取り付けた。患者によっては翌日にも家族ともども来院して詳しい説明をと要求するケースもあるのに。元々のキャラクターなのか私の告知を信じられないのか・・ともかくものんきな患者である。)

2016年1月8日金曜日

本番あってこそ

病棟患者が20人を超えると休み明けの平日は忙しい。おまけに内視鏡検査もある。冬になり高齢肺炎患者の入院依頼もあった、それも2人・・・忙しいって言ってるだろ!

忙しい話は書くのも疲れる。てなわけで夜の串木野トリオリーグだ。今回は久しぶりにスリウェル君が参加した。海広しDrとは初対面である。ただし「こてる日記で知っています」ということだ。(役に立っているネ、「こてる日記」)新年になってレンコンはきっと変わっているはずと思ったが案の定そうだった。しかも自分には投げやすいコンディションでこいつはー春から縁起がいい。
1ゲーム目はいきなり255を出してチームスコアも281。いきなりガターを出し緊張していたスリウェル君も172とまずまずでチームに貢献した。実は前回チーム成績が11位と振るわずアベも落ちたせいで今シリーズはハンディ4がついた。だからチームスコアは実際は277だ。でもこのハンディのおかげで接戦の多いこのリーグ戦方式では勝利ポイントがとりやすくなる。結局2勝、1勝、2勝でポイントも稼ぎまずは順調な出だしだ。

一昨日、スリウェル君らと練習をしたのはこの串木野リーグにでるからというのもあった。やっぱり本番やテストや大会があると人は練習にも身が入る。近々菜の花マラソンもあるがマラソンも大会あってこそ練習を継続出来る。ただマラソンは人口も大会も増えているがボウリングは・・レーン閉鎖などじり貧だ。姶良イオンが来年あたりボウリング場を造るという話もありそれに期待するかっ。

2016年1月7日木曜日

お休みはスライド作り

今日は土曜勤務の代わりの丸1日休み。録りだめビデオを見ていても朝礼スライド作りが控えているので全く安らいだ気分にはなれず昼からボチボチそれに取りかかった。今回のタイトルは「実は間違っている医療用語」だ。以前から病院内でよく使われる実は間違っている用語が気になっていた。そのいくつかをピックアップし職員に訂正を促したいと思ったのだ。「喘鳴(ぜいめいと発音)」「呼吸苦」「熱発」がその代表でこれらは間違っているのだが頻繁に使われている。

スライドを作っている間に日本医師会雑誌1月号をパラパラめくっていると「新しい心肺蘇生ガイドライン」の項に「胸骨圧迫(心臓マッサージ)」という文句があった。そうそう、心臓マッサージも最近では正確な表現ではなくなったのだ。というのも、ガイドラインに「すべての市民が心停止の疑われるあらゆる人に対して胸骨圧迫(心臓マッサージ)を行うこととしたうえで・・」とあるように心臓マッサージは医療人以外の人にもやることが推奨されている。ところが、一般の市民は心臓が胸の左にあると思い込んでいるので、本来押すべき胸の中央(胸骨付近)ではなく左肋骨を強く押し、効果がないばかりか肋骨骨折を起こしてしまう。そのために誤解されやすい「胸骨圧迫」が正式とされるようになった。ふうむ、である。一応これも紹介しよう。知っておいて損はない。
この他「胃カメラ」も正式ではない。ただ心臓マッサージと胃カメラは通称であるこちらの方が使いやすく一般の人にもとおりがよい。上の三つの間違いとはレベルが違う。

以上だいたい大まかには出来上がった。しかしこてる先生のスピーチの最後はボウリングを披露するのが慣わしだ。そこでとっておきの質問。「ボーリング」と「ボウリング」がどちらがこてる先生の趣味か?これは当然「ボウリング」だが、あまり詳しくない人は結構「ボーリング」と書くことが多い。そこを指摘した上で昨日日記にアップした動画を見せよう。言い訳はなんでもきく。ウシシ。

(ちなみに、上の文で書かなかった正解用語は喘鳴ぜんめい、呼吸困難、発熱、上部消化管内視鏡である)

2016年1月6日水曜日

スプリットメイクの力

今日はスリウェル、タナカッツMRとヤマヒロDrとT-MAXで新年初投げだった。レンコンは若干オイルは薄めでアウトサイドに投げるとよく曲がるパターンだ。食い込み過ぎのスプリットでスコアが伸びない場合もあるがまあまあのスコアは出せる。

さて練習の最後はスカッチダブルスが恒例でその組み合わせはその日のアベで対戦が出来るだけ均等になるようにして決まる。今日は私とタナカッツMR、やまひろDrとスリウェルMRに決まった。最初の対戦は相手が5、6フレに連続スプリットを出し私たちが162ー151で勝利。飲み物(おーいお茶)をゲットだ。

2ゲーム目。タナカッツMRは今日のレンコンではストライクが出ないためスペアでつなぎまたもや私たちがリードする展開だったが、相手は5、6、7フレと3連続ストライクを出してきた。これで一気に逆転、しかも6フレ私がスペアできずその差は20ピン以上に広がっていた。さらに7フレ、タナカッツMRが5−7のスプリットを出してしまい負けが確定かという場面だった。スリウェル君はにんまりし今度は勝ちますよの表情だ。うむむ・・。
で、このピン残り、今日は一度失敗していた。ボールの動きが読めない段階だったのでこれはまあ仕方ない。↓。

で、前回の立ち位置、狙うスパットを少しずらし曲がりがやや遅くなるよう調整し投げた。すると・・。↓。

見事スプリットメイク!これで即死を免れた。しかしこれでも普通にスペアを取り合っては負けだ。すると相手が8フレスペアミスをした。予想外のスプリットメイクには相手を同様させる力がある。そして何とこの後スリウェルチームは連続スプリットを出したのである。私たちは確実にスペアをつなげているだけだったが勝手に相手が転んでくれた。

いやー、勝負は下駄を履くまで分からないとは良く言ったもの。今度の勝利の飲み物はチッチが好きな「いろはすオレンジ」にしたのだった。そして来週の朝礼スピーチはまた私が担当でラスト恒例(?)のボウリング動画はこれにしようと思い立った。一石二鳥だったぜ。

2016年1月5日火曜日

やっと復帰!

いやーー、ご迷惑掛けました。

年末の12/30になぜか私自身が自分のブログにアクセス出来なくなって四苦八苦、悪戦苦闘し、とどのつまりはブログ開設をしてくれたトシマロDrに連絡するしかないとしてはみても、今度はメールが上手くつながらず、ようやく今日の昼トシマロDrからアクセスするためのアカウントを教えてもらいつなげることが出来ました。
ふぅうーー、ツ・カ・レ・マ・シ・タ。

まずはみなさん明けましておめでとうございます。今年も「こてる日記」よろしくお願い致します。ワープロには書きためていたので順次アップしていきます。

しっかし、今回の一件でもう止めちゃったんだと来なくなる人もいるでしょうねえ。日記につながらないというのは精神的に落ち着かないものでした。これで落ち着いて生活できます。本当にご迷惑お掛けしました。(m_m)

2016年1月4日月曜日

シンガポールの女子同窓生

高校同窓生の水床君から年末にメールがあって、シンガポール在住の同窓生謝美さんが帰郷しているのでミニ同窓会に参加しないかということだった。謝美さんと言えば中国人と結婚してシンガポールにいると私は以前クラスの同窓会幹事をしていて知っていたものの全く会わずじまいだった。海外にいればそうそう会えるものではない。だから今回はぜひと参加した。場所は天文館の小さな中華料理店「整備軒」でここも同窓生武清君の店という縁である。

謝美さんといえば高校時代、常にトップクラス(学年で2クラスだけ成績優秀クラスがあった)にいて美人で陸上もやっていて非常にモテていた。私とは3年生の時がいっしょで、そんなに親しく話すことはなかったが、一期校試験直前日の教室で小1時間ほどだべったことがあり、あれ、なかなか親しみやすいキャラだなと思ったことを覚えている。大事なテスト前にそんな無駄な時間を過ごすくらいだから二人とも一期校は落ちた。私は幸い二期校の鹿大に受かったが、彼女は二期も落ち鹿児島の予備校に通う浪人生活に入った。当時も今もセントラル高は現役主義でクラスの中で浪人したのは彼女ともう一人男子がいただけだった。

浪人時代も相当モテていたらしい噂が聞こえていた。そうだ、ついこの間、歯科医でボウリング仲間のMノ下が「浪人時代、謝美をえらく好きになってしまって」という話をしていた。彼は彼女と1年2年と同じクラスで何で浪人時代に今さらと思ったが、はけ口のない生活での一過性の症状だったのかな。彼女は同じ予備校に年上の中国系の先輩男子と付き合っているという噂があり実際そうだったようで二人して九大に合格した、とここまで何となく知っていた(Mノ下は相手にされなかったってことだな)。それでシンガポールに行く羽目になったんだと私はずっとそう思っていた。そこで、40年弱ぶりに会う謝美さんはどうなっているだろうと期待して天文館に向かったのだった。↓の写真が高校2年時の彼女だ。拡大したのでボケているがモテていた片鱗はうかがえるかもしれない。

デジカメを構え、整備軒の小さな3階座敷に行くと、「あ、こてるー」と知った顔から声が出た。今回の集まりは全部で8人とこぢんまりした会で、私は主役の謝美さんをすぐに探し始めたのだが・・あれ、どこにいるの?すると口をぽかんと開け「こてる君けー?」とベリィショートカットのおばさんが驚いてこっちを向いていた。あは、あなた誰、ひょっとして謝美さん?と心の中では思ったが、今日の女子3人のうち2人はすぐに特定できたので彼女以外ではあり得ず「謝美さんだね、久しぶり〜」と挨拶した。いや、それにしても高校時代の面影はどこに・・痩せてしまって眼鏡掛けているしそれに肌が(シンガポールにいるせいか)浅黒くなっていた。特に輪郭の印象が違うのでおそらく街ですれ違っても絶対に気付かないだろう。

彼女に結婚やシンガポールでの生活の様子を聞いてみた。まず結婚相手は浪人大学時代の中国系男性ではなかった。就職して3年東京で語学学校にも通っていてそこでシンガポールから日本語を学びに来ていた13才年上の華僑のサラリーマンと知り合い求婚され結婚することになったのだという。元彼とはとうに別れていた。だが行ってみると、驚いたことに彼の家には離婚調停中の妻も住んでいて(!)そこで同居生活をしていたという。晴れて結婚できたのは約1年後くらいだったそうだ。あとでカールにこの話をすると「私だったら絶対そんな結婚はしないわ」という。当然かと思うし日本ではあり得ない話だね。その後一女をもうけ、幸せに暮らしていたが、今から8年前彼女がたまたま帰国していた時、毎日電話連絡していた彼が2日も出ずに不審に思っていたら、何と急死していたことが分かった。

「へー、それは大変だ。何で亡くなったの」「脳腫瘍だったの。以前に脳の良性腫瘍を手術していてその影響があって誤嚥し窒息して・・」「うわ、それは・・で、聞いてその時は動転したでしょう」「うん、気違いになった」

「気違い」という言葉は現在の日本では使うことをはばかれ滅多に公けの場で聞かれなくなった。しかし、今夜それが私には一番印象に残った言葉だった。彼女のその時の状況をこれほど的確にビビッドに伝える言葉は他にないだろう。
その後、彼女は金銭管理をすべてやっていた夫の様々な事後処理に戸惑い、プレッシャーがのしかかり、一時は死のうとまで思い詰めたという。しかし娘がいたのでこらえ切れた。でもどうやって処理できたのか「覚えていない」のだと。その後、思春期の娘がぐれるとまではいかないが彼女と衝突するようになりそれも悩みの種だったが、最近は落ち着き、すでに孫娘までいるとのことだ。↓写真。目を隠せばますます誰だか分からないわ。

へーえ、40年近くも経てばいろいろあるねえ。でも明るさはあの頃と変わらない。中国語は片言だと謙遜していたが聞いた感じほとんどネイティブだったよ。このあと二次会まで送って私は先に帰った。今夜は県職員の吉文君とも30年以上ぶりに会ったが彼はいつでも会おうと思えば出来る。謝美さんとはもしかするとこれが最後の巡り合いかもしれない故に「こてる日記」にしっかり記録しておこう。また会うことを期待して、再見(ツアィチェン)!

2016年1月3日日曜日

すごいランナーと思いきや

今朝の南日本新聞に市民マラソンの話題が出ていた。「鹿県 マラソン戦国時代へ」のタイトルで3月に新しく始まる「鹿児島マラソン」のせいで他の県内のマラソン大会が参加者減少などの影響を受けているという内容だった。地域の活性化目的などでこの10年で大会は全国でのその数は倍以上増えフルマラソンだけでもこの1年は160大会あまりあるという。鹿児島では老舗の指宿菜の花マラソンも今年は千人以上の減少でこれは実質初の減少だそうだ(フルマラソン一本化年の減少は除く)。

そんな参加者の意見として姶良市在住薬剤師YKさん27才が紹介されていた。↓にその記事の拡大写真を載せよう。
このYKさんは青雲会病院の薬剤師だ。2ヶ月で2回もフルマラソンを走るのは身体への負担が大きいから今回は指宿から鹿児島へくら替えすると言っている。ほう、記者の取材を受けるとはなかなかのものだ。で、彼女に確かめてみると、同じ青雲ランナーズ仲間の病棟師長のゴッタンさんがらみだという。「ゴッタンさんの娘が記者をしていて鹿児島マラソンにくら替え者した人はいないか」と探していたところ、彼女に白羽の矢が立ち、電話取材を受けたのだという。

「そうかもしれないけど、あの記事を見た人は相当走れる人だと思うよね」
「そーなんですよ。病棟の看護師さん何人からもすごいんですねって言われるンです。でも私、去年指宿菜の花でマラソンって初めて走ったんですよ」

何とすごいランナーどころではなくてど素人ランナーだったんか。シマッチ院長なんか最近は1週間おいてフルマラソンを走ったり100km耐久にも挑戦したりともはやマラソンの鉄人になりつつある。当然、菜の花も鹿児島も走る。その間に姫路城マラソンも走るというからもはや中毒ランナーじゃないか?マラソンもハマったらコワいねえ。

2016年1月2日土曜日

「ダイブ家族」年賀状解説

正月2日だというのに早々、セージとテルは帰って行った。今年は正月が短くどうしても1月3日のチケットが取れなかったのだ。さびしいねえ。

さて毎年コラージュ年賀状を出す私。今年は「ダイブ家族」(↓)。
3月に撮った桜島の写真を背景に空を飛ぶ画像を作ろうと11月ごろ思い立ち、当初は連凧に私が乗っかりそれを操るカールのイメージでいたのだが人の顔が小さすぎてこれは破棄した。で、スカイダイビング画像をネットで探し良さげなヤツをいくつか集めそれに合わせて顔写真を撮り合った。幾人から「本当に飛んだのですか」との質問を受けたが高所恐怖症の私がダイビングなんかするわけない。でも少しでもそう思ってくれたら成功である。
この年賀状のキモは何と言っても空飛ぶゲンちゃんだ。フサンコ従兄から「ゲンちゃんが飛んだのを下から撮ったの?」なんて質問されたが、実はこれ首から上はゲンちゃんだが下はネットから拾ってきた別ネコ画像、しかも黒白ではなく茶白で色を変えてある。↓が原画です。

子どもたちを下に並べたのはいっしょに空に置くと画面がごちゃごちゃなるし顔が小さくなるからだ。私の年賀状の掟は家族全員(ゲンちゃん含む)とボウリングの絵をどこかに入れることでこれは18年間守っている。今回のボウリングは左上ハンググライダーのメロン熊(猿じゃないヨ)の頭上に乗せた。ちょっと目立たないので私の左手に握らせればもっと良かったと少し反省している。さらに右上にはちょっぴり今風にドローンも入れた。「謹賀新年」は例年は「明けましておめでとうございます」で青色だが背景が青なので桜島の降灰の色に合わせた。ここでも「賀」の字をゲンちゃんの前足で隠れないようにするべきだったかも。

今、沖縄にいるギボヒサコからの電話では「真ん中の子は誰ね」と来た。「セージだよ」と教えるが「痩せているしセージには見えない」とのこと。実はセージの去年の写真でいいのがなく(写真撮るぞーというとなぜかブスッとするのよねぇ)、暗い場所で散髪直後の写真を使わざるをえなく色調も補正していたせいだろう。テルは眼鏡に帽子だが実は兄弟で一番が視力が良くこれはダテ眼鏡だ。眼鏡が必要な弟たちが逆に掛けていない。
あと細かな補正はいっぱいしている。私のほ〇ろとかしみとか・・。写真をクリックすると拡大画像になるからアラ探ししてみてもいいかも。去年、今年と画像処理にもまた慣れてきたので来年はもっとオモシロイのを作ろうと思ったことだった。

2016年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。「こてる日記」も前身の「こてる先生の日記」から始まり17年目になりました。我ながらよく続いていると思います。今後ともよろしく。

結局、医局ソファ寝で日直のキブンDr来室で目が覚めた。「明けましておめでとうございます」ハハ、3時間も寝ていない。その後も昨日から今朝入院させた患者の様子や指示出しで家に帰り着いたのは10時半を過ぎていた。料亭「よたけち」のお節料理もすでにみんなは食べていて年賀状も早々届きすでに片付けられていた。さらっと見て、ふふふ、私が作った以上に凝ったのは今年もなかったわ。それはともかく私の帰りが遅かったのでいそいでカールの車で田舎の実家へ向かわねば。テル、セイも乗せカールの運転で出発した。

あこネーサ母とヒラーキ弟のいる塩屋に着き、「明けましておめでとうございます」と実家に入るも母親はいない。すぐとなりの弟の家にも誰もいないようだ。どっか挨拶にでも出かけたのか。そのまま家に入り仏壇に線香を上げて部屋でくつろいだ。で私と子どもらはそのまま仮眠した。ぽかぽか陽気でちょうどいい具合だった。小1時間ほどしてあこネーサ母らが帰って来た。そこで子どもたちに食べなさい攻撃が始まった。沖縄のおばぁも「かめーかめー(食べなさい食べなさい)」攻撃というのがあるそうだがそれと全く同じ。私と違って小食な彼らは少し困ってしまったようだ。ヒラーキファミリーもやって来てここは上は社会人から中学生まで子ども4人幅広い。で、一家そろうのは貴重で私は集合写真をぜひ撮らせてと何回もシャッターを押した。

この後は大川に寄って墓参り。そしてヒトミンチョ家に行き線香上げてソファで歓談、TVは天皇杯観戦といつもの光景だった。テルがチッチにメールを送ると「今頃天皇杯見てるんだろ」と返してきた、図星。ただ今年はフサンコ従兄がこの1ヶ月デジタル一眼レフにハマって写真をよく撮っているという話題が中心だった。なんでも絵画を始めたせいでカメラで風景写真を撮ろうと買ったが「絵は描かずに写真ばっかし撮っている」とはヒトミンチョの言だ。ネコの「ちょこ」や「そらん」は出てきたが人見知りの「あずき」は来なかった。うちのゲンちゃんとどっちが可愛いかでいつも言い合いになるけれど自分の飼いネコの方が可愛いに決まっているわな。

早々と出て、鹿児島に帰り、護国神社に向かった。すでに暗くなっていて18時が最後の獅子舞をどうにか見ることが出来た。甘酒振る舞いもそろそろ終わりでお祈りしてさっさと帰宅。ふう、疲れたな。夜は元日恒例のテレビ朝日「芸能人格付けチェック」を見た。GACKT様チームがついに連勝途切れるもGACKTのキャラ位置づけは揺るぎない。それにしても食品のチェックで多くの参加者が一流品より三流品を選んだのをみると料理って味付け次第で相当カバー出来るんだと思ってしまう。私もAかBかチャレンジしてみたいと思った。結果は果たして?