2016年5月31日火曜日

説明と同意→却下と説得

(なにもできずBTQ。明け方寒くて床寝から醒めた。日記書けるほど集中力なくまたダラ寝・・ああ)

昨今は検査や手術など何をやるにしてもインフォームドコンセントといって説明と承諾を得てからでないと医療行為はできない。それはもちろん結構なことなのだがたまには医師の判断を優先し患者、その家族を説得してでも行為を行わないといけないケースもある。

この前、近医からの紹介で貧血の高齢女性を胃カメラすることになった。胃や十二指腸は特に問題なくそのまま診察した外来Drに返すこともできたが、貧血のパターンからして消化管出血が疑われ残る大腸に癌がある可能性が高いと私は思った。で、腸管洗浄液を処方し急遽大腸内視鏡を指示した。しかし排便が思うように進まず夕方5時を過ぎても完全には腸管がきれいになっていないとのことで朝からずっと付き添っていた息子氏は「もう帰らせてほしい」と多少いらつき気味に訴えてきた。気持ちは分からないでもないが私はねばった。「ここで検査せずに帰っても何も解決しない。大腸癌の可能性もあるから多少便が残っていても検査を受けるべき」と。それに胃カメラの後、腹部CTも指示し、どうもS状結腸あたりに癌がありそうとふんでいたのだ。

検査では実際残便が多くジェット送水で洗いながらS状結腸に挿入すると全周性のS状結腸癌が現れた。やっぱり。本人には告知はせず息子氏に大腸癌で便も詰まりそうなくらいだ、手術が必要と説明した。患者は翌日当院外科に入院し1週間もしないうち手術を受けたのだった。そこで誰からかだったか「息子さんが先生に感謝していましたよー」と聞いてはいた。で、今日、その息子氏から感謝の手紙が届いていた。

「(前略)・・お袋の便がなかなか全部出し切れなくて、素人の私が帰ろうと言いましたが、こてる先生が無理にでもと浣腸で一部出しましてその時S状結腸ガンという事がわかり、あの時こてる先生が止めてくれなかったら数ヶ月後にはお袋は苦しみ亡くなったと思います。本当にこてる先生には感謝しております。(中略)感謝、感謝の言葉しかありません。これで、お袋が亡くなったと思っても悔いはないです。本当にありがとうございました。」

ふむ。息子氏が目の前のきつさだけで判断したのは本人も言うとおり「素人」だから致し方ない。でも「玄人」は全体を俯瞰し判断するので「素人」の主張を却下し説得する場合もある。まあ当たり前のことをしただけに過ぎず、そこまで感謝されるとは。そこが少し意外で驚きでもあった。と、いうことで日記「寝た」にもなった次第。

2016年5月30日月曜日

剱岳に二度半登る(ただしエア登山)

昨日は医局ソファ寝で結局午前4時以降は全く眠られなかったわけだが、起こされる前はちょうどビデオ鑑賞で寝落ちしてしまっていた。富山の北アルプスの名峰剱岳へ登山する内容だった。剱岳へは一般には別山尾根ルートという稜線づたいで登る。途中、鎖場や岩場などスリリングな箇所がいくつもあり頂上近くには「カニのたてばい」という垂直に近い岩場もある。登山者が岩にへばりついて登っていく様子がカニが壁を登る様子に似て付けられた難所だ。自分が登るわけではないけれどハラハラする。

で、結局寝てしまって登れなかったので帰宅してグレートトラバースで田中陽希氏が登った剱岳編を録画の中から見た。陽希さんは平蔵谷(へいぞうたん)ルートと言われる谷の雪渓を登るルートを選択し登っていった。ちょうど6月で雪がまだ残り別山尾根は滑りやすく危険だと山小屋のオヤジさんにアドバイスされたからだ。で、もう一つ、俳優の石丸謙二郎さんが剱岳に登ったビデオも録っていたのでそれも見た。石丸さんは剱岳登山黎明期の長治郎谷(ちょうじろうたん)ルートをたどって登っていた。ここは一般的ではないルートで映画にもなった明治後期の日本陸軍測量隊の登頂ルートで案内人宇治長治郎の名から取られている。ちなみに平蔵谷は案内人佐伯平蔵からだ。
(↓剱岳。険しく格好いい山だ)

こうしてビデオやTVで登山をする気分を味わっている。でも高所恐怖症気味の私はきっと剱岳には登らないだろう。同じく北アルプスの南の重鎮穂高岳や尖鋭で一番人気の槍ヶ岳など憧れはあるが果たして登る日が来るだろうか。(↓左穂高連峰に右槍ヶ岳)
おっとその前に病院の山好きな人たちから九州の山登りを誘われているがそれすらまだ一歩踏み出していない。今年、祝日山の日(8月11日)も出来ることだし1回くらいは行ってみようか・・。まだエア登山中の私である。

2016年5月29日日曜日

来院たった2件・・

昼は自宅でうだうだ過ごし、夕方から日曜当直のために病院に向かった。さあて今夜は忙しいかな、それともヒマかな。

来た患者はたった2件。数からいえば少ないと言える。がしかしー。2件とも心肺停止で救急搬送されてきた。2件目は明けの4時だったからそのまま眠られずやっぱり忙しかったぁー。

1件目は気管挿管、強心剤で心拍再開したのですぐに頭部CTを撮った。話しでは事前に頭痛があった後に意識レベルが落ち心肺停止になったので脳血管障害が第一に考えられたからだ。結果はまさにその通りで小脳出血があった。ポンシンDrに電話し画像をスマホに送り指示を受けて入院させた。

2件目は深夜業務のまだ50才代の男性。搬送時はすでに亡くなっていた。1時間ほど前は車で運搬を終え帰社したばかりだったというが・・。親はすでにおらず一人っ子で、親戚の人を呼び、警察も呼んで検視することになった。おおよその死因はつかめたがベースに中年の一人暮らしがあり勤務も深夜から明け方が多く不健康になりがちだった。医師も特に当直は似たようなもの。気をつけようゾ。

2016年5月28日土曜日

ストーカーの闇

夕方から麻雀で久々にダイボDrを交えての闘牌だった。私は3連敗を阻止すべく臨んだのだが・・結果はまたもや負け4連敗とこの負けっぷりは最近ではちょっと記憶にない。最後の半荘のしかもオーラス、私には満貫手が入るも大きなミスをした。普通の手順で打てばダマでもハネ満、リーチなら倍満になっていた。そこで上がりを逃し勝負が長引いた結果サブアラドDrの逆転トップを許しトータルで負けになった。1週間経った今でも反省し悔しさが残る。まあ、最近負け続けのダイボDrが一番勝ち、逆に見せたまえDrが負けてよしよしの結果だったのは良かったが・・。

最近の話題で気になるのが大学生アイドル刺傷事件だ。あれは典型的な重症ストーカーのもたらした事件である。AKB48に代表されるアイドルが誘因になったわけではなく、その方面から理解しようとするのは間違いだ。実は同じような事件が春先に起きている。福岡の予備校生同士だった女性を入試が終わって間もない時期に交際を求めていた同い年の少年が殺してしまった。二人は交際した事実もなく男が一方的に思いを募らせ交際を求めるも拒否され、そこで少年は「殺すしかない」という心理に陥ったと思われ、彼は重症のストーカーだったはずだ。

今回のアイドルと似たような事件は今に始まったものでもない。古くは50年前のこまどり姉妹の事件がある。18才の少年が何度もこまどり姉妹の片方(栄子)に結婚をせまる手紙を出すもなしのつぶて(当然だろそりゃ)に憤慨し、心中を図りステージでナイフで刺傷し、自身もステージ上で腹を刺し1ヶ月の重傷を負った。ところが負傷したのは妹の敏子の方であったという笑えないものだった。(犯人は後に2~5年の不定期刑となったが、1年後に首吊り自殺した)

いずれもストーカー加害者は内面に深い孤立感を抱えており、対人関係をどうすべきかよく分からず、自分自身が作った物語(アイドルと自分は恋愛関係にある、こまどりと私は結婚する運命だ、など)にしがみつく傾向がある。その物語は相手にすれば非現実的で妄想に近く当然拒否される。しかしストーカーはいざ現実が合い入れないとなると許せないという感情が湧く。これをいかんすべき。これだけ相手のことを想っている私を無視するならば存在自体を消してやる・・。これがすさまじい暴力性を帯びることとなる。ストーカーにも程度があり殺人や刺傷事件にまで行くのは最重症患者だ。かわいそうなのはターゲットになった相手で例に挙げた3人にまったく罪はない。ただただ不幸なだけである。

好きな女性につきまとうのはストーカーといえないくらい若い男性にはよくある行為で、一律に規制や抑制を行うわけにはいかないが、事件を起こしかねない重症ストーカーを判別し被害者を出さないよう未然に防ぐ工夫を社会全体でできないものか。今の警察は起こすかどうか分からない人にはなかなか有効な対策と取れないから非難するのは酷だと思う。心理療法士がその手の施設で加害者になりうる人たちをうまく和らげてくれるような・・。一種のパーソナリティ障害の人たちに対する対策が今の日本ではほとんど行われていない。このような不幸な事件が少しでも減るように願いたい。

2016年5月27日金曜日

オバマ広島スピーチ

夕方、オバマ米大統領の広島スピーチをTVで見た。なかなかよく考えられて格調高い内容だった。朝鮮人にもふれるなど政治的背景もきちんと考慮されていた。オバマ大統領の核廃絶への気持ちは良く分かった。しかし一方でアメリカが核保有では世界一という事実もあり、その国の代表が語るのは矛盾しているようだが、現在が長い流れの一時点であり現実と理想の狭間で向かうべき理想を目指すということで理解できた。最後の辺りので広島に来た理由を語り、締めくくりに人類が選ぶべき未来とは何かを語った。

The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: That is the story that we all must tell.
That is why we come to Hiroshima,

全ての人間の絶対的な価値を示し、全て生命は大切であるという揺るぎない主張だ。われわれは皆一つの人類という家族の一員であるとの根源的で必然的な考え方だ。これこそ、われわれ皆が伝えなければならない物語だ。これが広島を訪れる理由だ。


That is the future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

これこそわれわれが選択できる未来だ。広島と長崎が核戦争の夜明けとしてではなく、私たち自身の道義的な目覚めの始まりとして知られる未来だ。 

オバマ大統領は今のアメリカでの評価より将来の人々の評価を考えてスピーチをしたように思えた。単に謝罪だ戦争犯罪だなどの議論を超越して話していた。アメリカ大統領がこれを話せるまでに70年以上の年月を要したわけか。ともかくも今年の重大なトピックの一つとして間違いなく記憶される出来事だった。

夜は串木野トリオリーグ。海広しDrは休みで代わりにサキシゲさん、タシケントMRが参加した。今月のレンコンはハイスコアコンディションだった。一般ボウラーは知らないだろうが意図的にハイスコアが出やすいようにレンコンを作ることができるのである。私は特に調子の良さを感じてはいなかったのだけれどボールがポケットに寄っていく感じで1ゲームはイージーミスがあったにも関わらず219でその後も226、254とハイスコアを連発した。3ゲーム合計699で最後7本カウントでなければ久々の700シリーズだったほど。でもでもだ。他のチームのメンバーもストライク連発でチーム点では300点があちこち出て3ゲーム目なんか我々が284なのに対戦3チームのうち300を2チームが出して勝ち点をほとんど取れない始末だった。タシケント君は調子悪く180を出すのがやっと、サキシゲさんも同様で全体3位がまた落ちてしまうんかなー。

ハイスコアコンディションはまあ楽しいけれど充実感はあまりない。25年もボウリングをしているとそんなひねくれた(?)印象も持つようになるってか。

2016年5月26日木曜日

おや?この娘は・・

今日は午前休みの午後出勤という珍しいパターンの勤務だった。おそらく初めてのことで、今日は半日勤務で午後が検査などで忙しかったため午前休みにした。平日朝休みもいいもんだ。朝がゆっくりできるし出勤前も半日で済むわいと気楽さがあった。お出かけするときにゲンちゃんに「行ってくるねー」と声かけてもこいつは眠いのかしらんぷりだった。

でも予想以上に忙しかったー。予定検査のほか、病棟からも結構呼ばれたし、夕方になって下血患者が来てどうも大腸憩室出血らしいと緊急内視鏡を組むと案の定だった。動脈新鮮血が出てくるのでこいつは絶対に止めねばならない。血や糞便を副送水機能を駆使して洗い、くまなく探すとS状結腸にそれはあった。見つかればこっちのもの。最近得意(?)にしているEBL(内視鏡的結紮術)でゴムバンドで出血憩室を締め上げ止血した。↓「出血源憩室を見つけた!」の「!」にやった、見つけたぜの感情が現れているネ。
去年暮れから毎月数人大腸憩室出血患者がいて今月はいないなと思っていたらこれだ。でもおかげで面倒な憩室出血が得意になってきたわ。カモン!ディベ患者!

日記ネタにしたこともあって、夜、ネットで「南国情話」のYouTubeを見ていたら「You&Meと一緒に「南国情話」を歌う」というのがあってクリックしてみた。開聞町の関東在住者の集まり「関東かいもん会」の宴席でという地方コンビ歌手が南国情話を歌っていた(南国情話は舞台が開聞町)。へー、こんなんいるんだと思ってぼんやり眺めていると、あれ?あれれ、となった。向かって左側の女の子、どこかで見たことがある。口元が印象的で自分はこの娘の顔を知っている。そう、4年前の近くの某ショップで某機種を彼女のアドバイスで買ったことがあって、その時テルの同級生と知ったんだった。

「カール、カール、ほら、この歌手、テルと同級生のマサリサさんじゃないかぁ」とパソコン画面を見るよう促すと、チラ見で「ああ、彼女ならあり得るわ。子どもの頃からそんなことやってたわよ」とにべもない。歌や踊りを小学生のころからやっていていろんな場で活動していたらしい。それが相方とコンビを組み「私たちは第5回,九州沖縄音楽祭プレスナインに初出場,そして初優勝をし,鹿児島県代表に選ばれたのがきっかけで,〇〇建設との出会いがあり,2009年6月24日にコロムビアミュージックエンターテイメントよりCDデビューしました!!!」とレコードも出したらしい。確かに南国情話、上手だった。いやぁ〜、意外なところで知っているを発見したなあ。この写真は4年弱前のことでちなみに彼女は芸能まっしぐらではなくその後順調にキャリアを重ね、今では店長にまでなっているらしい。いや、立派!

2016年5月25日水曜日

これしかない大逆転

最近はだいたい水曜日が恒例のボウリング練習日だ。今夜は私を入れてちょうど6名のおっさんたちが集まった。3ゲーム個人練習で残り2ゲームがスカッチダブルスで、今日の調子を加味して力が拮抗するように私がチーム編成する。で、私とタナカッツMR、難ガター&アンドキサMR、タシケント&ヤナガキ両MRに振り分けた。

1ゲーム目はこてるチームと難ガターチームが接戦でここは私たちが競り負けた。3位のタシケントチームが難ガターチームにジュースをおごり、早速2ゲーム目に入った。今度は私たちが終始リードし前回とは逆に難ガターチームが早々脱落、タシケントチームがどうにか食らいついていた。さあて、波乱のタネは9フレに起きた。8フレで私たちが157、タシケント134と20ピン余裕のリードだったのに私が3本残りをスペアミスし12ピン差まで縮まった。しかしそれでも10フレでこの差はものすごく大きい。私たちがスペアを取れば相手は3連続ストライクでもぎりぎり追いつかないほどなのだ。

10フレ1投目こてるチームのタナカッツMRは4-10のベビースプリットを残した。これを私がどうにかスペアで一安心。タシケントチームはヤナガキMRがストライクでわずかに希望を残し、これにタシケント君がストライクで続いてやるじゃないののダブル。ここで最後の1投前に計算をした。タナカッツMRが9ピン以上倒せば相手がどう来ようと勝ち。8ピンなら同点もありうる。7ピンだと相手がストライクなら1ピン負けだ。

注目の最後の1投、タナカッツMRの投球は慎重だった。やや薄めだがポケットに向かっていき、私は「おお!」と期待の声を上げた。が、しかしー。

ぬぁんと、5-7-10のいわゆる大三元!こんなピン残りは滅多になくここに来て一番きわどい7ピン残りになるとは。これを見てタシケントチーム最終投球者のヤナガキさんは気合いが入ったようだ。ストライクしか勝ちはない状況、奇跡の大逆転なるか?!

ま、まさっかー!!隙を見せた我々に対し相手は逆転にはこれしかないという好機を力にした。パンチアウトで見事184ー183で1ピン差の大逆転劇に絶叫の大興奮。ジュースも先ほどとは逆に難ガターチームがタシケントチームにおごり、おあいことなってみんな笑顔で終わったのだった。

2016年5月24日火曜日

やがてつぶれる会社

昼前、ヒラメグDrが結婚後初めて病院にやって来た。事前に今日来ると私には連絡あったが内視鏡室スタッフには知らせずうれしいサプライズとなった。クニンダDrとは初顔合わせで二人でツーショットも撮った。あれ、以前より若くなってないか?

現在、大阪と鹿児島を行き来してクリニック勤務をしている。何と旦那さんの「はっとするど」さんとは一旦アメリカに帰国し離れ離れなんだそうだ。そして後日アメリカでも結婚式をするという。大阪での生活はどう?と尋ねると、仕事内容はあまりやりがいがなく早くも辞めたい気分だけど生活もあるし迷惑もかけるのですぐにはできないとか。クリニックは男性相手の美容クリニックで脱毛、植毛がメインで彼女は診察が中心実際に処置はしないということだ。ふんふん、もとは内視鏡医なんだからネー。はっ、若く見えたのは美容クリニックゆえ、いろいろいじった?!ボトックスで軽微なしわ取りくらいはやっているとのこと、なーるほど。そして、もらった地域限定たこ焼き味のポッキーも食べました、ありがとう。

夜、カールが何気なく「パチンコのハラグンって今1軒しかないんだって」と話しかけてきた。へー、それは驚いた。あんなに多くのパチンコ店を有し県内一の規模だったのに栄枯盛衰ここに極まれりだ。すでに9年前鴨池のボウリング場も閉鎖になったところからしてグループ全体で支えきれなくなっていた。県外資本流入が直接の原因だろうけれどほかの県内店舗は生き残っているところも多い。私はかつてハラグンの専務だった人と会話したことがある。社長の片腕として辣腕を振るっていたそうだ。その人も亡くなって後を任された人たちが経営能力がなかったのか。それと私が思うには30年前までのハラグンは弱小店舗に隣接して出店し資金力に任せて球を出し弱小が閑古鳥になって不振に陥っては安く買いたたいてそこを第2ハラグンにするという手を使っていた。大学病院近くの脇見ハラグンもそんな感じだった。きっと恨まれていたんじゃない?いざ、ハラグンが経営不振になっても誰も助けようという雰囲気にはならない。きっとつぶれるだろう。残念だが、会社も人も長い目で生きていかねば。「情けは人のためならず」は会社にも当てはまる言葉だった。

2016年5月23日月曜日

朝も忙し

心筋梗塞患者を送った後は特に何もなく医局でソファ寝していた。その後これじゃいかんと当直室で寝た。久々にゆっくりした夜かと思いきや明け方に呼吸困難の患者が救急で来てCTを撮るとこれは気管挿管した方がいいと判断した。どうやら朝礼には出られそうもない。「そろそろ(挿管の)準備しておいて」と言った時に、院内ピッチが鳴った。病棟からだった。「先生、XXさんが心停止です」「え・・」
超高齢患者で家族とは臨死時は心肺蘇生はしない約束になっている。が、それでも受け持ち患者を放っておく訳にはいかない。外来患者は酸素吸入継続を指示して病棟に上がった。しかし家族が来院するまで30分はかかったかな。今日の朝礼は信号DrとシホねえNsがスピーチの予定だった。毎回聴いてデジカメ写真に収めるのにそれもできないか。死亡診断書書いて急いで外来に降り入院指示を出し、気管挿管は病棟に戻って行った。いやはや全くせわしいことだ。

昼、サブアラドDrから電話が・・。「落ちやしたぁ」あは、とうとう五段に落ちよった。
(ぐ・・この後寝落ち。何度か目が覚めたけど後を書く元気なし・・)

2016年5月22日日曜日

牙が生えている?

さあ、日曜当直でしかも当番日という一番きついお仕事の始まりだぁー。

と、気合いを込めて仕事に臨んだのだが、意外にもごく普通の当直業務だった。当番日はDr二人体制で今回は一外科のYouSack.Drもいたにも関わらず重症患者もいなかったしね。そんな中、夕方に来た高齢女性には少し驚いた。

「牙が生えている」って話しだったので、見てみると・・

義歯の留め金が舌下に刺さってしまい取れなくなったのだった。ちょっと見では鬼の口に似ている。外すのは造作もないことで直後数分出血したのみで問題なく終わった。


でも義歯をはめるだけでこんな危険な目に遭うのはどうなんだろう。必ず歯医者さんに診てもらうよう話して帰ってもらった。

夜は当番医ではないが、湧水町から胸痛患者の救急要請があった。旧町名でいえば栗野からだ。ずいぶん遠いナと思ったけれど基本的に受け入れは断らないのでOKした。でも患者の家族が救急要請して当院に運ばれるまで1時間弱もかかっていた。さらに緊急で検査した結果、急性心筋梗塞とわかりCCUのある病院へ転送しなければならず、今夜は姶良郡では七五調病院が担当で電話依頼しFaxで心電図を送ると受け入れOKでまた救急車で霧島市まで逆走する羽目になった。息子さんも霧島市に住んでいて鹿児島市に搬送するよりよかったようだ。

でも、最初から霧島市の病院が受け入れてくれたら1時間半くらいは短縮できていた。心筋梗塞なら急変することもありうる(実際、2週間前には心筋梗塞で運ばれ救急外来で心肺停止になり七五調病院に緊急転送するも翌日亡くなったケースがある)のでどうにかならなかったかな。救急搬送患者の7、8割は一刻を争うほどではないというのが私の実感だが中には命に関わる場合があり、あまりに遠い医療機関へ搬送するときは救急隊員も病状を見極める力も必要だ。今回はラッキーだったと言えよう。

2016年5月21日土曜日

「親知らず」ってかい?

土曜午前の仕事開始直前、テルから電話があった。あいた、便りがないのが良い便りでこんな時の電話でいい内容のはずがない。金が入り用だとか怪我をしたとか、いったいどんな用だぁ?

「昨日から歯が痛くて・・親知らずがじんじん、我慢できないくらいなんだけど」

うーーん、そうか私も20代前半のころ何本も親知らずを抜く羽目になった。そのころ親戚筋の歯科の先生が鹿大歯学部に勤務していていつもお世話になっていた。で、まずは近くの歯医者さんに行くよう話した。親知らずの由来は奥の歯が生えてくる20才前後には子供が親元を離れ親がこの歯が生えたことを知らないというのはよく知られている。今は親も長生き、しっかり知っている時代か。

しかしその後の連絡がカールにあったところ、肝心の歯痛の原因は親知らずでも何でもなくて歯肉炎による腫れと痛みだったという。「虫歯もなく歯並びも良くて『親知らずまできれいに生えている』って誉められたんだヨー」だとか。ふーん、結局自慢話かい?やれやれ。

2016年5月20日金曜日

奇跡の役満!出現

この前サブアラドDrと電話で麻雀の話しをした。彼が遭遇した天鳳でのびっくり場面の話題だった。それは開局早々の東1局、彼は南家。対面の北家(ポギー四段)が5巡目に早くもリーチ!捨牌は↓だった。
南一索九筒一萬(リーチ)
途中7ピンを西家にポンされたので並べられたのはすべて么九(やおちゅう)牌だ。はて、なんの変哲もない捨牌で手の内はピンフ、断ヤオ系か。待ち牌は全く絞れない。親やサブアラド六段はひとまず現物を切って様子見だが2回鳴いて手詰まりの西家は8ピンを切ってきた。リーチ1発目のポギー四段は9ピンでこれは当然ツモ切り。そして少考後、親は配牌から暗刻だった北を切ってきた。聴牌にはまだ遠いしほぼ安全牌の北の暗刻落としは肯ける選択だ。だがしかしー。これがドスン!ロン牌だったのだ。開けられた手を見てサブアラド六段は驚愕した。その前に「ジャーン!」の効果音が流れたので役満だとは気付いていたのだが・・。
一萬九萬一索九索一筒九筒東南西白白發中ロン北
何と、国士無双!配牌で9種13牌という么九牌だらけの手に9ピンをツモって混老頭七対子の二向聴になったが対子の南を切り国士を狙った。西、発、九萬とツモってあっという間に聴牌、そこでリーチとしたのが功を奏した。ダマ聴だったら上がり牌の北は王牌に眠っていて一生出てこなかった。

「それにしてもさー。断ヤオ牌なしの么九牌だらけリーチで誰が国士って思うかネ。自分も北があったら絶対に切っていたよ」とサブアラド六段。結局親がドボンでたった1局でゲーム終了。彼は原点同点ながら席順で2位となりポイントをもらった。けっ!いいもんだ。

でも実はそんな役満よりももっとすごいのが5月13日に出現していた。10年近い天鳳の歴史でも初めて見る役満だ。何と四槓子四暗刻単騎!!ただでさえ一生に一度も見ることはほとんどないと言われる幻の役満四槓子(天鳳では月に一度出るか出ないかの頻度)に四暗刻単騎のダブル役満が付くとは。奇跡を通り越している。牌譜が残っているのでサブアラド六段と電話で話しながらいっしょに見てみた。上がったのは「みけねこすき」二段。東3局、親番だった。配牌は↓だ。ドラは発。
三萬三萬五萬七萬一筒四筒四筒二索二索二索二索南白中
すでに2索が槓刻になっているが他は3萬と4ピンが対子なだけでそれほど極端な牌の並びではない。いきなり2索を槓して嶺上牌から持って来たのが五萬(槓ドラは発)。打南。次にツモ4ピンで打1ピン。ごく自然だ。3巡目ツモ赤五萬。ここで王牌に2枚見えている白を捨てた。全く問題ない打ち方で私でもこう打つ。手牌は↓
三萬三萬五萬五萬赤五萬七萬四筒四筒四筒中裏二索二索裏
すでに一向聴で三暗刻が出来てしかも四暗刻もみえている。さらに4巡目2ピンをツモり打中。次は初めての無駄ヅモ一萬でツモ切り。そしてなんと6巡目にツモってきたのが三萬。あっという間に四暗刻単騎の聴牌だ。↓。
三萬三萬三萬五萬五萬赤五萬七萬二筒四筒四筒四筒裏二索二索裏
さあて七萬と2ピンのどちらで待つ。みけねこすき二段は打七萬とし2ピン待ちを選んだ。まあ少しでも端牌が良く、多くの打ち手はそうするだろう。しかし後から考えるとこれが奇跡への選択だった。七萬待ちしていたら役満は上がれていたが普通の四暗刻単騎でうれしいが普通の出来事だ。7巡目、奇跡の始まり、ツモ五萬。ここは当然槓!だろう。すると嶺上牌から持って来たのが4ピン!
三萬三萬三萬裏五萬赤五萬裏二筒四筒四筒四筒裏二索二索裏ツモ四筒
待ちは2、3ピンで3ピンでは上がりたくないから役満が確定するためにもツモを増やすためにもここは当然槓!だ。で、嶺上牌が何と七萬。2ピンを捨てていたらこれで役満上がっていた!一瞬頭に血が上ったのだと思うよ。
三萬三萬三萬裏五萬赤五萬裏二筒裏四筒四筒裏裏二索二索裏ツモ七萬
何とここから打七萬でリーチ!としたのだ。これはあまり良くない選択だった。3つ槓しても相手は聴牌しているかどうかは分からず、まだ序盤ゆえに使いにくい2ピンは捨てられる可能性がある。しかしリーチとしてしまえば相手はベタ降りになり現物か3枚枯れ牌が優先的に捨てられ上がれないこともありうる。ここだけが違和感を感じるがそこまでほぼ問題のない打ち筋だった。案の定みんなベタ降り牌を切ってきた。そしてそしてもう怒濤のように押し寄せるツモは次巡三萬で当然の槓でここに四槓子、四暗刻単騎の超大物手にして奇跡の手であることが白日の下にさらされた。
二筒裏三萬三萬裏裏五萬赤五萬裏裏四筒四筒裏裏二索二索裏
みんな次々に安全牌を切ってくる。当たり前だ。天鳳ルールでは親のダブル役満で9万6千点、ちまただと四単をダブル扱い(このルールには私は反対。意外に出現頻度が高くダブル役満の価値はない)なので14万4千点という途方もない点数だ。
しかしーだ。対面の西家がドラドラの手で2ピンか8索を切れば一向聴になった。
六萬七萬七萬八萬八萬九萬二筒六筒七筒三索五索八索ドラ發發
安全牌は七萬が2枚ある。どうする?私なら七萬を続けて切ってベタ降りだ。単騎待ちって分かりっこないしとにかく相手の手が高すぎる。こっちも役満聴牌なら勝負するが・・。
でもそこが二段の打ち手なんだな。ここから打二筒っていったのよ。あーー。その瞬間、歴史が動いた。デルバラド七段(こてる五段)もサブアラド六段もあまりの展開に驚きを隠せず夜の0時を過ぎているのに大声で奇跡の瞬間を語り合った。翌日、カールが下の1階からなにか大きな声がずっと聞こえてきて目が覚めて注意したいのだけど眠気と疲れで身体が動かずきつかったとぼやいていたそうだ。でも二人とも興奮して声がそんなに大きいとは気付かなかったのだろう。

もう一生見ることはほとんどないかもしれない伝説の牌譜は以下のサイトで見ることが出来る。http://tenhou.net/0/?log=2016051320gm-00c1-0000-3e439565&tw=2&ts=3