2018年12月31日月曜日

大晦日の過ごし方

朝はゆっくりし10時を過ぎてから病院に出かけた。今日は検査科職員が午前のみ出勤するので入院患者の採血指示を出していた。病棟で結果を参考にしながら指示出ししているとどこからかスマホに電話が入った。料亭「高いってよ」からおせちを持って来たが誰も出ないとのこと。あいちゃー、カールは買い物、ギボヒサコはデイケア、そしてテルとチッチは朝寝をしている。「ピンポンをまた押して出なけりゃまた午後にー」となった。

午後は大晦日らしく、洗車や床掃除をして夕方年に一度のゲンちゃんの全身シャンプーをした。以前は年に数回以上やっていたがゲンちゃんがとっても嫌がるので大晦日のみになった。濡れネズミならぬ濡れネコのゲンちゃんを専用シャンプーで洗い乾燥室でドライヤーを当てる。これだけで少なくとも30分はかかる。でもすっかり乾くとツヤツヤした毛触りになりいい匂いがしばらく続く。みんながナデナデしたがるんだ。

夕食は当然の年越しそばにすき焼きでビールも飲んでTVは紅白かガキ使か。いや、チッチがいたせいかSUSUKEを主に観た。今回は最終ステージを横浜の海岸に特設し生放送をするという。それまで誰が残るのか放送され、結局サスケ君こと森本裕介が一人だけ残った。彼は2015年に完全制覇を果たしているので期待が出来そうだったが・・。わずか45秒であの塔のような頂上まで人力で上がるというのは本当に大変で、ほんのちょっとしたミスでわずか1秒ちょっと制限時間に間に合わなかった。周囲は野次馬ですごい人だかりだった。やはり録画と生では関心の度合いが違う。成功すれば相当話題になったとは思うがな。ただ視聴率は例年とほとんど変わらずで、紅白のサザン&ユーミン、米津玄師、ガキ使に負けたようだ。

ファイナル失敗が分かった時点でテルとチッチは家を出た。それぞれ自分の同級生らと年越し&初詣に行くんだとか。いやはや若いわ、やっぱり。かつての自分もそうだったような気がするが今は年始から外で夜更かしなんて・・。TVで年が変わった時には一人だった。カールとギボヒサコは寝ていて「明けましておめでとうございます」をつぶやく相手もいなかった。

2018年12月30日日曜日

予定通りには行きもはん

さあて、年賀状も出し終わり、テルとの麻雀勝負も終わって後は年の瀬を過ごし新年を迎えるだけかと思いきや、1週間前の「しんどかど整形外科」での「並の人生では満足出来ない人の会」のこてる日記書きが残っていた。これが結構大変なんだ。書くことが多い上にそれを読む人もいて漏らさずかつ面白くしなければならない。病院の忘年会、家族旅行などいわゆるイベントがらみの日記がこのパターンで、普通は1時間くらいかかるのが最低でも3時間はかかるかな。それでも今日は1日たっぷり時間があるからぼちぼちでいいやと思っていた。

だが、そんな態度でいるとたいていしっぺ返しが来るもので、午前9時42分に病院日直のオイドリッチNsから「タール便の患者が来ています」と連絡が入った。状況からして緊急内視鏡が必要だ。採血、点滴の指示を出し病院に向かった。患者は高齢女性で2週間ほど前に自宅で転倒し一部の骨に骨折を生じ某整形外科に入院した。だがここで鎮痛剤(NSAIDs)を多量に処方されたんだな。これで消化性潰瘍(胃潰瘍、十二指腸潰瘍)を起こし出血を起こしてしまったのだ。かつてはピロリ菌感染が背景の胃潰瘍、十二指腸潰瘍が多かったが最近はこのパターンが多い。

帰宅したものの今度は体がだるくて集中が続かない。やはり昨日麻雀の疲れが残っている。この後もだらだらと時間は過ぎ、夜の22時を過ぎると結局寝てしまい、日記を書き上げたのは大晦日の朝、すっかり日が差しきった頃だった。日記にも書いたが実質4時間はたっぷりかかっていた。今年も残り10数時間余り。あっという間に年は過ぎていくねえ。

2018年12月29日土曜日

テルとこてるの麻雀勝負

さて、見せたまえの院長室兼雀荘でテルとついに真剣麻雀勝負出来る日がやって来た。他の対戦相手は席亭の見せたまえDrに歯科医のジャズ魔先生。私との対戦が1年ぶりのジャズ魔はテルにとって同級生のお父さんでもあり全く面識がないわけでもない。ともかくも珍しい組み合わせの対戦は14時に闘牌開始となった。

開局、テルが親。私は自分の風牌の西を鳴いてドラ1の2千点で軽く蹴ろうとした。ところが4巡目にすぐに見せたまえがリーチ。これで慎重に打たざるを得なくそのうちオリに回らされた。ところがテルは苦しみながらも強い牌を打ってくる。巡目が進み終盤15巡目、「よし」とテルがツモった3索を見せ、ツモ断ヤオ一盃口ドラ1の親満4千オールを上がった。うーん、やるじゃない。でもこの後ジャズ魔が上がりを重ねトップで終わった。ジャズ魔はなにがしかつぶやき、しゃべりながら打つ。テルは若干このリズムに慣れなかったようで後で「打ちづらかった」と言っていた。

2半荘目は見せたまえがトップ。私がビリでテルは浮きの2位で3回目に初めてラスを引いたが4回目はまたも2位でプラスドボン料も手に入れプラスに転じた。この時ドボンさせられたのは私。しかもあいつは最初はわざと当たりを見逃し私をドボンさせなかった。させても自分が3万点を超えず浮かないからで、ゲームを続ける策に出て、その後親満を上がりドボンもプラスも両方せしめることに成功した。私にとっては屈辱的なあしらわれ方だ。この後テルは好調となり5回目6回目が連続トップだった。

私はこの後もトップを取れずじりじりした展開に陥っていた。後半、2位は取れるようになったが麻雀はトップが取れないと苦しい。トップが取れないままとうとう最後10回目の半荘になってしまった。ここまで来れば私の負けは確定した。テルはというとややマイナスがかさみほぼチャラくらい。私は頑張ったね。そして最後の最後やっとトップを取れた。テルをビリにして。結果、テルはその分の負けになった。私はもちろん大負けでテルよりも下だったのだが、テルの「オヤジたちとの麻雀でも負けはしない」宣言は阻止したわ。

プラスで終われなかったことでテルの自慢しいはなかった。ただ「3年前より成長している」というのはよく分かった。あと半荘開始前に必ず「よろしくお願いします」と言うのは感心だったな。見せたまえも「オヤジに比べてよく出来ている」だってさ。ともかくも今回の勝負、私の負けだった。

2018年12月28日金曜日

病院に出戻ったワケ

当直明けだが仕事は続く。ただし午後は休みにできる。で、いったん帰宅して失敗した年賀状をきちんとプリントして投函した。で、また病院へ戻った。夕方に御用納めの会があるからで、中身は理事長の今年の各部門業績スライドとラブカメ先生の「今年を振り返る」シリーズの2018年版だ。そして最後の「締め」は私の役目。だから引き返さねばならないのだ。

会の始まる直前、可愛いんだ理事長に「(仕事は)忙しかったか?」と尋ねられ、いつもは「ええ、いろいろと忙しくて」と答えて理事長も「そうか」となるはずが、「いいえ、そんなにはー(忙しくなかったです)」と返事してしまった。理事長「うん?」と意外そう。だって午後は仕事はせず年賀状書いていたわけでして・・(‾□‾;)。

ラブカメスライドでは私の撮った写真が半分近く使われていた。職員のスナップ写真をこれだけ多く撮っているのは私くらいなもので、院内では公認化の雰囲気もあり、特に写真を撮ろうとして新人さんが怪訝な表情をする時は「(写真の)係ですから」と答えることにしている。

最後の締めは一本締めがこれまで多かったが今年は万歳三唱にした。「平成」最後の年を見送り、病院の発展を祈念し、皆の御多幸を祈っての意味合いだ。

会が終わって病棟の仕事をちょこっとしてから串木野に向かった。今年最後のトリオリーグがある。前回は絶好調の私、今回もレーンコンディションは変わっていないからまた大活躍が出来そう・・のはずが、どうしてなの?終わってみれば3ゲームで493ピン。前回は705ピンだったから200ピン以上も落ちている。アベレージで70ピンもの差ってプロと初級者の差だ。その差って何ですかぁ〜?

2018年12月27日木曜日

腸閉塞と思いきや

(正月3ヶ日、なんと昨日から急性胃腸炎にかかってしまい、この2日、ほぼ寝正月。体がきつくて昨日の12月26日の日記もようやく書けたくらい。今日の日記も短いですが書き終わるのに2時間はかかっています。あー、きつい。)

今年最後の当直日だった。日付が変わった未明の1時半ごろ腹痛で来た高齢女性患者がいた。夜間なので採血は末血のみであとは腹部CTを撮ってみた。そこでの私の診断は腸閉塞。入院は必要である。点滴をし入院指示を出した。

だが翌朝の採血結果と再度詳しいCTを撮ってみてびっくり。急性膵炎だった。腸閉塞より重症になることが多い疾患だ。つい2、3日前同じような腹痛で急性膵炎の高齢女性が救急車で運ばれ、ピッピDrが担当しているが、年に1、2例くらいしか受け持たない疾患が続けて来るものかねえ。近頃、楽な当直が続いていたけれどそうは甘くことを知らされたわー。

2018年12月26日水曜日

百里を行くものは〇〇を半ばとす

本来は午後休みだった。しかし年末ゆえか仕事が重なり、結局夕方まで残ることになった。帰宅して今日中に仕上げないといけないこと、それは年賀状の宛名印刷だ。私は送る人たちをまずピックアップし一気に印刷するのではなく1枚1枚確認しながら刷っていく。こうしないとちょっと設定を間違っただけで何十枚もミスプリントしてしまうことがある。そうやって順調に仕上げていったのだが・・。

あと10枚くらいという時に私は小用を足したくなった。その前に慌てて10枚賀状をセットしたのだが、実は上下逆さまにしていたことに気付かなかった。帰って来て「さあこれで終わりだ」と1枚1枚プリントをし、取り出してみて愕然とした。8枚全部が上下逆になっていて自分の郵便番号欄に相手の郵便番号が枠にはまらず打ち込まれている。これは・・。(名前を消しているので分かりにくいですが↓上下逆さまです)

どうにかすれば届かないこともなかろう、がしかし、もらった人は余りいい気持ちはしないに違いない。少なくとも中学時代の恩師に送るものだけはきちんと印刷し直した。でももう官製年賀状葉書がない。すでに夜、中央郵便局まで行けばまだあるかもしれない。でもそこまでの気力はなく断念。明日カールにミスプリント交換をしてもらおう。ただ明日は当直なので手元にプリントは届かない。あー、せっかく例年よりはちょっぴり早く仕上がったはず、だったのにー。

いいことわざがあった。「画竜点睛を欠く」「高名の木登り」「百里を行くものは九十を半ばとす」「ボウリングパーフェクトを目指すものは9フレまでを半ばとす」ってネ。

2018年12月25日火曜日

やっと完成

朝、ついこの間帰省したばかりのチッチを乗せて姶良の運転試験場まで送った。今日が最終試験ということだ。すぐに病院に引き返し朝礼に出るも時間ぎりぎり、ふう。午前11時過ぎてカールから「チッチ受かった」とのLINEが入った。そうか、おめでとう。これで自動車の運転が出来るようになったな、でもプリウスはすぐには運転させないぞ。昔、セージにさせたら危なっかしいことやって冷や冷やしたもんだ。

医局で年賀状のプリントをしてみた。まあまあの出来なんだがチッチの言っていた「ゲンちゃんの顔が今一」が気になって顔だけもっと可愛いヤツに入れ替えることにした。「写真」アプリでゲンちゃんだけ拾い上げざぁーっと調べ、フォトショップで修正しまずまず可愛いゲンちゃんの顔になった。で、夕方70枚ほどプリントしたところで、カールから「そろそろ帰って来て」コールがあり途中で止め帰宅した。後は住所氏名の宛名プリントだけ・・のはずだったが、実はラブカメ先生から「御用納めのスライドに使う今年の職員写真を」との要請があり意外にこれに時間がかかり、結局何も出来ず発送はまたも延期か。ふ、まだ間に合う。元日にはきっと間に合うさ。
(↓2019の年賀状。
見て分かるとおり私と次男三男のいいネダンスと長男のひょっこりはんのパロ。
カールだけはバブリーダンス。いいネダンスに女子の服装がなかったんでネ)

2018年12月24日月曜日

年賀状作成過程

やや睡眠不足だったが昼前から年賀状作りを本格的に始めた。大方のデザインは決めてあるのでまずネットで集めた画像を構図どおりに貼り付ける。今度は家族の顔をPhotoshop Elementsで切り抜き芸能人の顔と入れ替える。9月に新バージョンを購入して操作性が向上し特に自動切り抜きが賢くなって多いに助かった。

まず最初に出来たのはテルだ。テルの顔は写真でいいのが無く動画を静止画にして当てはめた。次はセージ。左右反転や色調を変えどうにか上手くはまった。ここで2時間以上経過した。今回は私がど真ん中に位置するいわゆるセンターだがぴったりする写真がすぐに見つからず自撮りして当てはめた。うん、いい感じ。4番目はチッチでこれはほとんど手をかけることなく、出来あがりもごく自然で上手くはまった。問題はカールだ。一人だけ動きが違い顔のはめ込みもやや不自然になった。元画像がそういう絵なので仕方ないがカールに見せてこれでいいかと尋ねると「いいんじゃない」でケリが付いた。残りは家族の一員であるゲンちゃん、抱っこした写真を立たせているためとても不自然な動きをしている。それを少しでも目になじませるよう足元にはミニーちゃんボールを久しぶりに撮り直して置き、前足にはピンを持たせた。18時半ごろほぼ完成。ふう。

夕食後は疲れがどっと出てしばらくは仮眠状態になり休憩した。覚醒後は些細な点の修正と「明けましておめでとうございます」をどこに入れるか少し悩んだ。でも今回の画像とどうもマッチしない。で、初めて「HAPPY NEW YEAR」の英語ロゴを入れることにした。うん、やはりこっちがマッチする。「2019」も入れ、ほぼ完成したのが日付も変わった午前1時だった。チッチに見せると「テル兄ちゃんが一人外れているけど一番笑いを持って行くね」とか「ゲンちゃんが今一の顔だ」など忌憚ない意見を言ってくる。そうか、後からこうすれば良かったと思うこともありまだ余裕のある日時なのでとりあえずプリントは明日にしよう。

今日が休みで良かった。来年からは天皇誕生日が変わるためこの時期の休みが1日減る。年賀状に凝る私には少し痛い。いっそのこと25日を定期の休みにしてくれたら多くの国民がうれしがると思うんだけどナ・・。

2018年12月23日日曜日

第8回「並の人生では満足出来ない人の会」

午前は年賀状作りを少しして、午後は15時過ぎの新幹線に乗って薩摩川内まで向かった。毎年恒例くすのき会しんどかど整形外科主催の「並の人生では満足出来ない人の会」に出席するためである。しんどかど理事長やクリニックにゆかりのある人たちが招待され、クリニックの職員研修棟にて前半は講演会、後半はパーティなどがある。今年は去年に続いて船井総合研究所の社員によるセミナーがあるとのことで講演会から聴くことにした。去年講演の岡聡さんのは現代日本の人口減少、担い手不足にどう対応するかといった内容で非常に意義のある講演だった。

今年は唐土新市郎さんでこの間12月12日の日記で話題にした「1933年に船井総研に入社」された方である。「開演の前にお断りがありまして」と司会者が間違いを詫び訂正すると、「そんな年取ってないでぇ」と唐土さんが大きな声でのリアクションがあり語調から関西出身というのがすぐに分かるほどだった。私は一番前の席に座り講演資料に目を通すと講演内容は今時珍しい講師自筆のコピーだった。そしてタイトルが「2019年時流予測」。ついこの間参加料3万円(!)で中小企業の社長さん相手に講演をした内容のダイジェスト版ということだった。その講演会の様子がスライドに出ていたが「どのくらいの人数、参加していると思いますぅ」と講師が参加者に質問してきた。意外に多いということだろうが900人とは驚いた。そんな話をタダで聴けるのだから有り難い。

ところが、予測というのが「2018年は戊戌九紫火星(つちのえいぬきゅうしかせい)」であって2019年は己亥八白土星(つちのといはっぱくどせい)に当たる」とか、干支(えと)や占いに基づくものであった。うわー、これはまともな予測なんだろうか。はっきり言ってこの手のものは私は信用していない。TVで「さて今日の占いコーナーは・・」と言われるとすぐにチャンネルをかえるくらいだ。唐土先生は大学生のころから経営コンサルタントを志し船井総研の入社試験を受けるも落ちてしまった。でもここからがすごい。なぜ自分は落とされたのかをしつこく会社の人事部に尋ね、賛成反対の反対したお偉方に直接尋ねようとアクションを起こした。理由を知らねば次に生かせないと考えたからのようだがこれがきっかけで何と「入ってもいい」と。いわく「真正面の裏口入社」を果たした。すごい行動力だ。

講演内容はよく聴けば単純な占いなどとは違って至極真っ当なものだと思った。講師は入社後10年以上は普通のコンサルタントをやっていたが幼い頃から祖父父親に仕込まれた干支の知識などを開放してみるとこれが意外に好評で「時流予測」講演希望者も毎年増え続けているそうだ。資料にも書かれてあったが、目先が不透明で今はいいが何が起こるかわからないという感覚を経営者は感じているからではとのことでなるほど。で、面白いのが2019年の縮図は実は2018年の8月8日から8月20日の間に起こったことに集約されているんだそうだ。ちなみに2018年の縮図は、2017年10月10日から11月6日で縮図期間は毎年違うんだそうだ。本当かな?みんな忘れているだろうが、小池百合子旋風が「排除」という言葉を使ったために去ってしまい、この言葉一つで吹き飛ぶ2018年になるだろうと講師は思っていたところ、案の定、辞任に追い込まれた人がたくさんいた。うーむ。

生き方を貫く、ブレてはいけない、マサカに備える(消費税アップがないかも、オリンピックが開かれないかも)など興味深い話がこれでもかと出てきたが、小1時間では3万円分の内容を話しきれず、終盤は駆け足で話をされた。その中に「あい(愛)のふりかけ言葉5つ」というのがあってこの5つの言葉を使っていると悪いことは起きないという。それは「うれしい」「楽しい」「幸せ」「大好き」「ありがとう」の5つだそう。これはいい、いただきだ。実は今日のパーティの最後にしんどかど先生から「第1回からのフル参加メンバーを代表して締めの挨拶をお願いします」とLINEでお願いされていた。具体的には挨拶の内容を考えていなかったのでこの言葉を使おう。あと脱線気味の話題では「来年は改元の年で元号は何になると思います?私は『栄』の字が使われる気がする」と言われた。なるほど。いい線言っている。「明治大正昭和平成」の頭文字「MTSH」は選びにくいから「E」はありと思う。それと今年のラッキーカラーはパープルで来年はエンジに近い色だそうだ。そうか、新年早々買う服の色はエンジ系にしようかな。おっと、そんなのを信じない私が染まりつつあるよ。

パーティは席も決まっていて私はイタリアン家具のカッシーナ福岡の社員女性二人と生命保険会社課長の「元は通る」さんらの席といっしょだった。クリニックの歴史や今年1年のイベントなどの紹介スライドの後、猟奇院長の招待者略歴紹介があり、職員お手製の料理が配られた。去年も書いたようにこれが本格的でとてもいい。飲み物もワイン、ビール、焼酎など飲み放題でさすがのおもてなしだ。隣のカッシーナの野毬さんは「福岡では森伊蔵に魔王とかまず手に入らないんですよ」と飲み比べては味わっていた。私も飲める体質ならやってみたかったナア。

この会は毎年趣向を変えてきていて、この後、川内の吹奏楽バンド「ハニートラップ」の演奏が披露された。最初は私はこれも職員のお手製バンド?と思ったがそれにしては上手過ぎた。生演奏を間近で見聴きする機会はそれほどないからうれしいねえ。小学生の女の子もメンバーいたよ。↓

次は招待の三方に自身のエピソードを語ってもらうというコーナーで確か去年から始まった。トップバッターは私の隣にいた元は通るさんで、この人は元はMRでこのクリニックを訪問したのがしんどかど先生と知り合うきっかけだったそうだ。冬の韓国岳登山や転職のエピソードなど交え汗かきつつスピーチをした。次は弁当屋をしながら高校野球の監督もしているというゾノケンさんで高校野球オタクの私は当然その存在を知っていた。教員をしていた時期には甲子園めざし「久保、枦山やっつける(殺したる)」と意気盛んであった。確か決勝まで進んだこともあったが未だ甲子園出場は果たせていない。いかにも鹿児島県人のような風貌に見えるけれど、宮崎は都城で育っていて子どものころ都城がかつて島津に支配されていたと知ってすごいショックを受けたんだそうだ。現高校は私の出身地とも近いので応援したいわ。最後は歯科医のタニグー先生。彼は大学時代のバスケ仲間でツル前高校ではしんどかど先生の1年後輩に当たる。いろいろ話をした中で私は出だしの「えー、『並みの人生の会』に招待頂いて・・」と「名前からして私はタニグー、唐土(からつち)さんには敵わない」が印象に残った。「並の人生では満足出来ない人の会」とは啓蒙書のロベルタ・シェラー著「並の人生では満足出来ない人の本」から取っているという。これを縮めてしゃべると「並みの人生の会」になりやすい。でもそれだと意味が反対になってしまう。タニグー君だけでなく司会の人も言い間違えたくらいだからこれはちょっと仕方ないかも。

ていうか感想をどうのこうのと言っておられない、もうじき私も締めの言葉(スピーチ)をしなくてはならない。それがまだ完全にはまとまっていないのだ。うーむ、バスケがらみのこと、しんどかど先生の人柄でクリニックもここまで大きくなってきたのだろうこと、今日の唐土先生の講演を聴いてのことなどを交え話そう。「締め」はどうする?例の5つのふりかけ言葉を言おうと思っているが、最後を「ありがとう」ではなく「大好き」にしたほうが絶対にいいと思った。時間はあっという間にやって来る。「宴たけなわですが、そろそろ締めのお言葉を青雲会病院副院長であられますこてる先生にして頂きましょう」と司会の言葉があって私は小さな台に上がった。

まずは招待されたことに感謝の意を述べ、講演会も素晴らしいものであったと語り、しんどかど君とは大学時代から40年近くの付き合いになるも実は中学時代に県大会準決勝で当たっており、お互い知らずともその姿を見ていたはずとのエピソードを話した。後は卒業旅行での麻雀の話題など特にどうってことのない内容だった(と思う)。しかし締めはしっかりまとめねばー。

「このような素晴らしい会に来て『うれしい』『楽しい』『幸せです』。本当に『ありがとう』と言いたいです・・・しんどかど先生、『大好きです!』

その瞬間、会場が爆笑に包まれ、目の前にいたしんどかど先生が大笑いし後ろにのけぞった。しばらくはどよめきというか笑いが収まらず私は次の「ありがとう、くすのき会」のセリフを言えずにいたくらいだ。後日、しんどかど先生からの電話で「こてる先生のが評判良かったぞ」と聞き、まあうれしいことはうれしいが、これも唐土先生の講演のおかげ、さすがだと思った。

二次会は施設隣のガレージであり、鎮座していた車がモーガンからまたポルシェに代わっていた。聞けば前のポルシェは速すぎて還暦迎えたしんどかど先生にはやや手に余っていて売ってほどよい中古のポルシェに代えたんだという。例の滋賀のポルシェ専門店「ガレージしんちゃん」のオカタカシさんから購入し差し引きお金が戻ったそうだ。オカタカシさん、フェリーで車を持ってきて帰りは陸路で滋賀まで帰ったとか。コスト面もあるがやっぱりポルシェ好き、運転したいんだろうな。
二次会では猟奇院長が去年のこてる日記をスマホで読んでみせ、オッキーDrの「(同じ産婦人科医局の)見せたまえDrは入局時から『将来は雀荘のオヤジになりたい』と言っていた」に「今でもそう言っているよ」と教えてあげ、麻酔科のサッポーDrは「去年、話していた自宅での全自動麻雀卓、入れたよ」との話題で盛り上がった。自動卓は5、6万で済んだそうだから中国製の卓だとすぐに分かった。たまに動かないことがあるが何とかやれていると。ただ何回か人を集めて打ったそうだが面子集めはどこも難しく最近はご無沙汰だという。

22時を過ぎ23時11分の新幹線に乗るためそろそろお暇ということで、その前にカウンターにいた医療事務のミリー・ダイアンさんに一言挨拶をした。しんどかど整形外科の一般職員で唯一名前を覚えている人だ。ちなみに外人ではない。今日は彼女のお母さんも招待されていて「蛾裸車」という今月いっぱいで閉店する店のママさんである。猟奇院長がよく利用していたという。最後はしんどかど理事長以下みなさんに見送られ、クリニックを後にした。

いやぁそれにしてもしんどかど先生とこのイベント力すごいね。せめてこてる日記でその感謝の意を伝えよう。日付も変わり書き終えるのになんだかんだ4時間はかかったワイ(⌒о⌒)。

2018年12月22日土曜日

ねえねえ、お天気お姉さん、「嵐」のメンバーで誰が一番好きなの?

今月なんと3回目の麻雀である。今回は勝てるかどうかの他に過去4回負けている腹出しDrにどう対抗するかが自分の中でテーマだった。

初回の半荘でいきなり山場があった。起家の腹出しDrの親満手を上がらせなかったのが効いた。彼のダブ東を鳴いて一見混イツに見えない捨牌を私は警戒し「西」を切らずそれを七対子の待ちにしてリーチを掛けた。西は当たり牌でこれで流局となり腹出しDrはチャンス手を上がれず波に乗れなかった。逆に私はその後要所で上がり大きな3コロトップを取った。これだと以降余裕をもって対処でき、その結果8半荘で4回トップを取り、腹出しDrは一番の負けになった。これでこれまでの借りを少しは返せたわ。

帰宅して録画(タイムシフト)で私にしては珍しくお笑い番組「エンタの神様」を見てみた。麻雀をしながらチラチラと見ていて、日ごろバラエティー番組ばかり出ている漫才師や芸人たちが本業で勝負している姿が好ましく思えた。特にサンドウィッチマンとアンジャッシュが面白かった。アンジャッシュはいつもの勘違いネタの応用版というか「ラジオの生放送」のタイトルでお天気お姉さんが番組に来るはずが急遽来られなったという設定にし、お天気姉さんの過去にしゃべった録音を音声掛かりの児嶋一哉が細切れに使い、パーソナリティ渡部建の質問に答えさせるという趣向だった。

渡部:「まずは出身はどちらですかぁ?」
お天気お姉さん:「北九州市です
渡部:「九州なんですねぇ。で、そのあとに東京に出てこられたんですねえ」
お天気お姉さん:「九州地方から徐々に北上して来ました

ここで会場笑い。

渡部:「徐々に北上?途中大阪とかに寄ったのかな?次、お誕生日はいつですか?」
お天気お姉さん:「例年通りになるでしょう
渡部:「なるほど!去年と同じ日ということですね。自分で調べろってことかな、それは。ええー続いて、あ、きっちりしている方だなと思っていたんですけど(血液型は)やっぱりA型なんですねえ」
お天気お姉さん:「今後大型になるおそれはありませんのでご安心下さい
渡部:「で、でしょうねえ(汗)」

この次が秀逸だった。

渡部:「続いて、好きな芸能人は誰ですか?」
お天気お姉さん:「嵐となるでしょう」会場どっと笑い。
渡部:「あ、嵐ね。グループの。人気ですもんね」「嵐のメンバーで一番好きなのは誰ですかぁ?」おいおい、そんな質問大丈夫かよと少し心配になった。しかしー。
お天気お姉さん:「松本市です
渡部:「松本氏・・」会場、拍手と笑い。

この後は質問メールに答えさせる。

渡部:「お酒が大好きだと聞きましたがが、酔っぱらうとどうなるんですか?」
お天気お姉さん:「午前0時過ぎから明け方にかけて大荒れとなります
渡部:「そうなんですか!すごい清楚なイメージなのに」

渡部:「最近ご結婚されたそうですが新婚生活はいかがですか?」
お天気お姉さん:「汗ばむ夜が続いています」笑、笑。
渡部:「やらしいねぁ。ダメですよ、清楚なイメージなんだからー」と音声掛かりの児嶋に注文を付け、「そんなことない。あらためて・・新婚生活はどうですか?」
お天気お姉さん:「夜は非常に勢力が強くなります
渡部:「ダメなんだってそういうこと言わしたら!爽やかなんだから。そんなこと言ったら旦那さんも驚いちゃうですよねー」
お天気お姉さん:「予想より大きくなりました
渡部:「何てこと言うんだよ!」

あはは!

2018年12月21日金曜日

「ちゃんこって飲み物だったんだぁー」

昨日のモニタリング、冒頭の爆食三姉妹vs時津風部屋相撲力士は可笑しかったナァ。これまでも爆食三姉妹(実際の姉妹ではない)のもえのあずき、小原尚子、桝渕祥与(まずぶち さちよ)は居酒屋やラーメン店、たこ焼き店などで合コンで最初は可愛い女性のふりしていざ食べ始めると食いに食いまくって相手男性を辟易とさせるパターンだったが、今回は九州場所の時津風部屋の稽古場でのちゃんこ鍋対決、さすがに大食いの力士相手には敵わないだろうという予測を軽く蹴散らした。

でかいお椀や総重量4kgの巨大鍋を前にして驚いてみせる三姉妹を前に、部屋頭の正代関が「ふふ」てな感じでお椀いっぱいのちゃんこをわずか1分でペロリと食べ「まあ、ちゃんこは飲み物だからな」ってうそぶく。そこまでは「うわー」とびっくりする三姉妹だったが徐々に本性を現し気がつけば4kgのちゃんこを先に食べ終えたのは三姉妹の方だった。そこで爆食タレントとして有名なもえあずが「ぺろっと食べちゃった。飲み物だったんだー本当に」。これに弟子の丸っこい顔の力士が「え、なに、なに」ってお顔をキョロキョロ。このリアクションが最高だったネ。


ドン引きしていた正代だったが「もう一杯(4kgちゃんこ)行けますよね」という桝渕の挑発には「え、大丈夫っすよもちろん」となかなかの見栄っ張りとみた。しかし自身はほとんど食べられなくなって弟弟子にけしかけるだけ。そこで三姉妹が「私たちが装いましょう」とお椀を持って食べさせようとするが・・限界の力士たちには拷問にしか思えなかったな。で、2杯目もペロッと食べ終えた三姉妹、さらに驚いたのは3杯目のちゃんこもおねだりしたことだ。仕掛け人のちゃんこ作りの面々もさすがに驚いていたし視聴者もゲゲッとなったはず。いやー、絵面としても可笑しさとしても爆食三姉妹の傑作だったわー。

2018年12月20日木曜日

早め早めがいいと・・

木曜は主に内視鏡検査を担当している。姶良地区は大腸癌検診結果が出たことで今月は大腸内視鏡希望者が多い。毎日検査枠の5名いっぱいかそれ以上の大腸内視鏡検査を行っている。もちろん大腸の症状があって検査する人もいて今日は憩室出血の高齢女性が二人検査になった。これまでも散々日記に書いてきたように憩室出血はやっかいで下血している部位を発見できるかが勝負の分かれ目、今日は2例ともそこが出血部位かなという憩室をどうにか見つけ止血処置出来た。これに時間がかかって私が予定を組んだ検診患者はクニンダDrに頼んだ。結果は大腸癌だったようで今後の方針などクニンダDrにすべて任せた。

憩室出血は症状はひどいがケリが付きやすい。対して大腸癌はほとんど症状がないものの治療も慎重を要する上にこれで良しとなるまで5年以上かかる。中にはポリープの中にあるできたての癌で内視鏡での切除のみでOK、追加腸切除も不要な大腸癌もある。今日もう一人内視鏡をした高齢男性がそのパターンでしっかり切除できた。病理で癌部が深く潜っていなければ後は何の治療も要らない。

大腸内視鏡を受ける人も、結果、癌であるかそうでないか、癌であっても超早期か進行癌かで全くその後の人生すら変わってくる。人生が平穏でありたいと願うなら、検査は早め早めに受ける、これが一番である。

帰宅して年賀状作りに取りかからなければいけないのに、珍しくマッコリを飲んでみたらぽーっとなってそのまま床寝となってしまった。年末の仕事は早め早めがいい、そう毎年分かっているのにこのパターンなんだよなあ。

2018年12月19日水曜日

どっちが危険?医薬品VS健康食品

医学新聞に「ハーブやサプリで肝障害を誘発するケースが増えている」とのコラムがあった。サプリによる肝障害患者の9%が肝障害を再発していたが、従来の医薬品による肝障害患者では6%の再発と、健康食品の方がより危険であったという。その背景にはこれらの製品が容易に入手可能であり、消費者が従来の医薬品よりも安全で有効と信じていることがあるらしい。「自然のもの由来である」ために無害と信じ込まされ繰り返し肝障害が起きていたわけだ。

私に言わせれば当たり前のことで「販売前にろくにテスト(何重にも繰り返し行われる)もされずにいい加減な知識で売りつけてくる健康食品やサプリの方が薬よりずっと危険」なのである。医薬品は何重もの試験を受けどのくらいの副作用がでるのか、さらに発売後もその調査が義務づけられている。対して健康食品は制限がゆるい。みんな、なぜか「自然由来」のものに弱い。それらの冠をつけ、さも効き目に関しては有効、副作用はないという印象操作をやっているのだ。自然のものでもアクを取ったり毒抜きしてやっと食用になるものは数多くある。

「自然由来のものが一番である」というのは一種の「宗教」だ。ソフトに言えば「まじない」か。やたらに「自然の恵み」を強調する食品や商品には気をつけよう。

2018年12月18日火曜日

変則ダブルスの結果は

年末に帰省するテルとLINEのやりとりをしていて、麻雀が出来るか誘ってみた。29日の午後に鹿児島にいたらOKだ。ぎりぎり大丈夫とのことで、なら後もう一人だがサブアラドDrは当直で無理、歯科医師のジャズ魔に連絡すると珍しくも出来そうだという。テルは「麻雀打ちたいね、勝つけど」と相変わらずの自信家ぶりだ。ともかく正々堂々と勝負するためルール、レート、面子、場所(見せたまえDrの院長室雀荘利用)など必要な情報を細かに教えた。3年前は牌さばきだけは上手かったが「成長に驚くことを期待している」と言うからにはこちらも遠慮はせず雀歴10倍の差を見せつけてあげよう。

夜は恒例のボウリング練習。久しぶりにタナカッツMRも参加したが練習不足もあってやはりフォームが安定しない。ラスト2ゲームのダブルスは絶好調の私と当然組むことになった。相手はサンシさんにアンドキサMR。普通にやってはこちらに勝ち目はない。で、3回の投球のうち1回をタナカッツ、2回を私が投げるという変則なものにしてさらにハンディを5ピンもらうことにした。これが絶妙だった。1ゲーム目は163対163でハンディ分だけこっちの勝ち、10フレでアンドキサMRがスプリットを出さなければ負けていた。2ゲーム目は序盤にこっちにダブルが出て大きくリード出来ると思ったらタナカッツ君痛恨のガター。あっという間に逆転され、さらに相手にダブルを出された。いつもならここで離されがっくりのパターンだが2球続けて投球者は私。気合いでダブルをお返しした。そして9フレ、またもやアンドキサMRががっくりのスプリット。彼の球質のせいか1ゲームに1回は出る印象がある。これで161対164で、スクラッチでは私らの負けだがハンディ5ピンあり2連勝となった。タナカッツMRと組んで2連勝なんてほとんど記憶にない。アンドキサMRは悔しさと情けなさで「くそっ」だった。

ボウリングは力の差を常に数字で表すスポーツだからハンディも付けやすい。工夫次第ではこんなにも接戦、熱戦になる。対する麻雀にはハンディはないから絶対に勝たねば!

2018年12月17日月曜日

フサンコ画伯をまた祝う

昨日はフサンコ画伯の南日美展最高賞受賞のお祝いにカール、ギボヒサコと田舎まで行った。カールによると「午後の1時45分から始まる」と聞いていたのでゆっくりしてもよかったが、あこネーサ母のホームへ見舞いに行こうと早めに家を出た。ところが今日はホーム全体が面会お断りになっていた。冬故に何らかの感染症予防の必要があったのだろうか。残念ということで大川の墓参りに行き、会が始まるまでヒトミンチョ家にネコちゃんでも見るために寄ったら、「もうすぐしたら(会に)出かける」というのでアレ?となった。「祝賀会は11時45分からだから」とは「おい、カール、午後1時45分ってのは間違いじゃないのか」と確かめると「そんなはずは」とLINEを確認すると11時45分が正しく、カールの画面では11が1と1段落でずれていてそれで勘違いしたようだ。「ああ、数字が全角入力だからそんなことも起きるんだよ」私はこの日記でも数字は半角に統一している。その方が見た目もよいしうっかりミスもない。でもよかった、いつものように時間ギリギリに出ていたら終わったころに「とうちゃこ」だったわっ。

参加者は兄弟、従姉弟のみのこじんまりした会だった。フサンコ従兄の挨拶と感謝と我々の花贈呈のみで食事摂りながら絵の話ををした。それにしてもー。夏に県美展のこれも最高賞を取り、洋画を始めて4、5年の素人が1年に2つの最高賞を取るなんて前代未聞じゃないだろうか。「画伯」という呼び名が本当になってしまう。今回の発表も新聞配達の同好の士から午前2時半に速報(早すぎ)の電話があったそうだ。出品作品は事前に師匠の岩雑魚先生に珍しく誉められていたそうで手応えがあったのだろうが、それでもまさかの南日本新聞社賞とは思わなかったと。私も本当にびっくりした。選者のお偉方は何か催眠術にでもかかって洗脳でもされたのじゃないかと思った。

面白かったのは元になった川と橋の写真と絵の比較だ。確かに写真と絵とでは絵の方が趣があり色の使い方など好ましくなっている。(上;写真、下:洋画)

完成して先月下旬に弟のヨカトモ従兄の運転する車で運んだそうで大きくて包み込んだり車に載せるのも一苦労だったとか。ヨカトモ従兄も兄に影響されて最近絵を始めたそうでマジかよと笑ってしまった。でも定年を迎えているので絵画はいい趣味かも。フサンコ画伯はまだまだ謙虚で「デッサンの基礎が自分はまだまだだからそこも学んでいきたい」と全くおごったところがない。以前は暇ついでに韓ドラなど見ていたそうだが今は絵一本とのことで、そこまでしないとやはり大賞なんて取れないよな。この二人、食事が終わったところでカラオケを歌って踊ってみせてくれ、それが山本リンダの「狙いうち」「どうにもとまらない」。とても還暦過ぎおっさんのパフォーマンスとは思えず笑わせてくれた。

帰りは今度こそヒトミンチョ家に寄り、私は仮眠、カールはネコや絵の話などして過ごし帰宅した。気がつけば師走ももう半分過ぎている。明日から懸念の年賀状作りだ。おっとその前にボウリングや麻雀の約束もある。いつになったら始めるのやら・・。

2018年12月16日日曜日

「やっぱりステーキ」がやって来る

新聞のチラシに「鹿児島初上陸 やっぱりステーキ」「沖縄でうわさの溶岩焼きステーキ」というのがあった。店名は全国チェーンの「いきなりステーキ」を明かにパロったものと分かる。間違って入店する人もいるかもしれない。


実はこのチェーン、カールの沖縄の10才くらい年下の従弟のダイちゃんがやっているのだ。カールも沖縄の店で1000円ステーキを6月に食べたという。アメリカ留学経験があり以前は会社勤めしていたが、7、8年くらい前からか飲食店を営むようになった。ただ、カールが沖縄に行くたびに店の種類が変わっていると苦笑いしていた。しかし4年近く前に小さなステーキ屋を始めたら「そこが当たって今じゃステーキのチェーンで店が増えている」と聞いていた。今では沖縄にフランチャイズ(FC)店を含め17店舗となり、全国展開に乗りだし福岡や北海道などFC8店舗もあり今後も増える予定だ。

従弟に聞いたところでは、メインの1000円ステーキを実現させるためには如何にコストを下げるかだが「肉の質を落とすのはダメでここだけは譲れない」からと得意な英語でオーストラリア肉の交渉も自ら行い、後は問題の人件費をどう落とすかを工夫したそうだ。券売機導入、ご飯、スープ、サラダはセルフサービス、焼き具合は全てレアに統一、その後の焼き具合は富士山の溶岩石で各自ご自由にというスタイルで実現したと。

天文館は照国通りの近くにオープンのようで近くで歯科開業しているタニグー君はFC店のオーナーと知り合いだとか。へー、いろんなところでつながりがあるもんだな。また、カールの父方は商売気質があるというかそれで成功しているケースが多い。逆に母方の方は商売している人は一人もいない。公務員、会社員、医療系などお堅い気質だ。それぞれ家風の違いがあって面白いネ。

(今日は昼に田舎に行きフサンコ画伯のお祝いをしたが、これは明日書きます)

2018年12月15日土曜日

画面に向かって間違いを叫ぶ

今日は本来休みだったが、午後から夕方までの日直業務のため病院に出かけた。午後に所用あるDrに私が予定表を組んでしまいその代わりが他にいなかったためで、こんなパターン初めてのような気がする。

そんな健気な私に早速高齢男性患者がやって来た。庭で剪定中に誤って自分の左手中指を剪定したって?うわ、傷は小さいが爪も切れている。とりあえず局所麻酔をし縫合をした。「爪は・・どうしますか」「ああ、これくらいはよくあるから、ま、取れても大丈夫ですよ」ってどんだけ傷に慣れてんだよ。

その後病棟に呼ばれ診察をしているとまた外来から呼ばれた。今度膝下に傷を負った高齢男性だと。しっかり消毒し居所麻酔後縫合した。ふう、今日は外科医のこてる先生だぜ。

17時半になって非常勤の外科Drが来て交代した。で、今度は内科系の患者が来るんだよ、きっと。

夜、ネットしながらブラタモリをチラ見していた。訪問先は久しぶり東京で「豊洲」がテーマだった。海岸沿いの低い土地で高潮対策が必要だったということで、特に伊勢湾台風時の浸水被害がきっかけになったという。ほう、伊勢湾台風。防潮堤を造るも道が塞がれるからそこを坂道にしたとかどうとか言っていたが、私は画面の文字を見て「ウソだっ」と叫んだ。

「昭和35年 伊勢湾台風」・・これは明かな間違いである。NHKに電話しようかとさえ思った。正しくは「昭和34年 伊勢湾台風」だ。絶対に間違いようがない。なぜならその日は私が生まれた日だから。

2018年12月14日金曜日

今年最高705

鷹を飼う病院の大勢のスタッフが青雲会病院を視察に訪れていた。電子カルテ導入を控えすでに導入10年以上のうちから学びたいということのようだ。大学内視鏡の忘年会で同病院勤務の松ピカ先生からも聞いていた。確か鷹を飼う病院は新病院に移転して何年も経つのに電カルにはなっていなかったんだ。

するとLINEにチョコの名前で「お疲れさまです。はやってるや内科にいたチョコです。今日は鷹を飼う病院で青雲会病院を見学させてもらっています」と連絡が来た。はやってるや内科の内視鏡室にいたチョコNsか、実に久しぶりで15年以上は経っている。勤務先をかえていたとは知らなかった。で、昼休みの後ラウンドしているスタッフの中に見つけ挨拶した。今の病院でも内視鏡室にいるようで「件数も増やしたいしレイアウトも検討中なんです」と。ほう、件数なら青雲会病院は胃カメラは25件以上毎日あるから参考になるだろう。見学に来てというと「ぜひ!」ということだった。

夜は串木野トリオリーグでボールはまたニルバーナを持っていった。今月のレーンコンディションに合うかやや不安だったけどこれが全くの杞憂に終わった。奥でよう曲がってくれピンアクションも最高。1ゲーム目10フレで10ピンをミスって205だったがチームは278を出し、2ゲーム目も241でサンシさんも225の好調でチーム278と連勝した。ただ海広しDrは昨日の麻雀に続いて不調でいかんせんストライクが出ない。2ゲーム目でようやく出て調子も上がるかと思いきや3ゲーム目はスプリット3回に見舞われがっくり。それに対して私はストライク連発で7連続の259も出てしまった。3ゲームトータル705ピンと今年最高のハイシリーズだったかも。これはニルバーナなしでは考えられない。これまで「曲がりが不安定で使えないボールだ」とお蔵入りにしていた自分が恥ずかしいわ。

帰り際にリーグ成績表を見ると、個人ランキングは3ゲーム711が1位で706が3位だった。ああ、あの10ピンをきちんと取っていたら1位になっていたのにー。ともかくメインのインフェルノブルーフレームの代わりにニューボールをと思っていたがしばらくはその必要もなさそうだわい。

2018年12月13日木曜日

ボウリングのメンバーが雀荘に

ちょうど1週間前の串木野トリオリーグメンバー飲み会で話が出た麻雀対戦、さっそく今日の夕方行われることになった。雀荘は海広しDrの行きつけだった騎射場は「雀遊(旧マルビー)」。ちなみに私はすぐ隣の「パール(現:マル雀)」が主戦場だった。車で行った私は駐車場がないのですぐ近くのタイムパーキングに駐めた。店に入るとすでにアンドキサMRは来ていた。あとの二人が来る前に雀卓をチェックすると大洋技研のセビアだった(雀卓オタクの私は一瞬でどの機種か分かる)。かつての最高機種アルティマの自動配牌が省略された機種だがそれでも鹿児島では高い機種に入る。ただ相当使い古していてマットは擦れて色あせてもいた。見れば床も一部剥がれているのに補修はしていない。学生街の雀荘ゆえに余裕はないのかも。マスターが一人いて私たちの他には一卓だけ動いていた。アメニティは低いがその分1時間800円でこれは安めの料金だ。飲み物も最初だけサービスで後は自販機で買うスタイルだった。

4人そろってさっそく闘牌開始。記念すべき初上がりは海広しDrがエリックMRから断ヤオドラ3の子の満貫だった。ほう。ところがその2局目、私はいい手だったがなんかおかしい。あれ?牌が足りない。何と少牌をしていた↓。
こんな初心者みたいなミスをするなんて・・。場所も面子も牌の感触も日ごろと違っていたせいだろうか。上がり放棄でひたすら振らないよう打つのみ。でも結果全員ノーテン。全く被害がなくこれはラッキーだ。この半荘、海広しDrに続いて私は2位で経過し、南場に入って親でチートイドラ3のチャンス手をエリックMRから上がり、彼がドボンになって私が逆転トップで終了、幸先いいスタートとなった。

で、この後も調子良く3連続トップで今日の負けはほぼ無くなった。このメンバーで毎月のように打っているのは私くらいで海広しDrは年に数回、MR二人は7年ぶりと10年ぶりというから明らかに実戦不足だったのだろう。それだけでなくそんなことあるのというツキのなさも特に海広しDrにはあった。その場面。彼とアンドキサMRの二人リーチに私はタジタジで安全牌を切って暗刻の「東」も1枚降ろすなど降り気味に打っていた。すると17巡目に危険牌と思っていた牌が通り、さらに最終ツモの前にエリックMRが東を切って、それを鳴き直せばまた聴牌復活するという場面で私は迷いながらも鳴いて聴牌を復活させた。待ちは役なしの間7索、形式聴牌料欲しさのさもしい鳴きであった。問題は親の海広しDrに海底牌が回ることで、普通、この打ち方は良くないとされる。親リーチに海底牌を回さないためにわざと鳴いてツモ牌をずらすこともあるくらいだ。しかしである。海広しDrがツモったのは何と7索。聴牌料どころか私の河底ロン!赤ドラ、供託リーチ棒3本積み場付いて5千3百点のおいしい上がりになった。やられた方からすればそんなのあり?だ。
(↓こんなのが上がれるって滅多にない)

こんな調子で私以外全員沈みの状況で半荘4回目、突然エリックMRが調子良くなった。彼のリーチに対し字牌を切るとそれが一発で満貫。海広し、アンドキサの二人リーチにあたふたした私は降りるのに精一杯のところ、間隙を縫って上がる。何をやっても上手くいってこの後本人もびっくりの3連続トップを取った。この間私は沈まないように打ち全部2位。海広しDrアンドキサMR二人が一度もトップならず負けになった。川内在住の海広しDrの新幹線時刻もあり22時半にはお開きになって、中央駅まで送って行ったが「うーん、前回(2012年)のリベンジをと思ってましたがやられましたネ。また次もやりましょう」とは海広しDr。うんうん、こんなはずでは・・と雀士ならそう思って当然。いいでしょう、今年はもう無理だろうが来年また!

2018年12月12日水曜日

1933年に入社する

週のうち火水木は朝9時からスメア検査を担当している。最近はドックでの希望者が多く多い時には8、9人にもなる。たまに早めに検査室(狭い)に入った際、暗くて電灯のスイッチが分からずそのまま椅子に座って待っていたら後から来た看護師を驚愕させたことがあった。今日もまた・・。ごめんなさいネ、野次舞Nsさん。

しんどかどDrから年末恒例の「並みの人生では満足できない人の会」の案内状が届いた。夕方からの親睦会の前に「経営セミナー」もあり去年もなかなかいい話だったので今年も参加するとメールで返信した。ただセミナー講師のプロフィールに「1970年生まれ 1933年XX会社入社」と書かれてあったので、「あはー、入社年を入力ミスしたな」とピンと来てそこを指摘しておいた。これは1993年の間違いだろう。でもそのままでは面白くないので以下のように書いた。

「・・あと、余計かも知れませんが、講師の方の入社年が昭和8年(1933年)になっていまして多分間違いではないかと思います。昭和8年ですと日本は国際連盟を脱退し激動の時代が始まった年で、さぞかし入社時は大変だったろうとお察しします。」

ふふ、その年の2年前、日本(関東軍)は有名な満州事変を起こし中国との泥沼戦争の発端となった。そんな年に現代人が入社するはずもないね。やがて「先生、ご指摘ありがとうございます。1993年の間違いでした。当日、司会より訂正とお詫びをしてもらいます。ありがとうございました。」との返信が、当然のように届いたのであった。

2018年12月11日火曜日

母も妻も同じ相手に失う

今日は15時までの勤務にしてもらった。自宅でカールとともに某社の人と会う約束があったからだ。それに2時間以上かかり、夕食はすっかり暗くなってからだった。

テーブルにこのところポツポツ来る喪中葉書があって、見てみると知り合いのグチやん君から届いていて、ハッとなった。見れば案の定「奥さんが今年1月に46才で永眠して・・」と書かれてあった。ああ、去年か一昨年に「ステージが進んでいて」とのことで厳しいとは聞いていた。今年に入って彼と一度も会っていないので亡くなっていたとは知らなかったのだ。母も妻も同じ病気で失うことになるとは、グチやんも運命を呪わずにはいられなかったろう。この件で私は前にも書いた、現代では予防出来る病気だけに残念なことだった。(今日は短いがこれで終わりにします)

2018年12月10日月曜日

10年の無念を晴らす

ムッちゃんNsが最近週末を韓ドラDVDで過ごすようになっている。わずか数日で韓ドラ1作を見切るのだという。「平日に見始めたら大変。遅くまで見てしまって生活が崩れる。だからもう金曜の夜からしか見ない」んだそうだ。「で、昨日まで何を見ていたの?」「『太陽がなんとか月』・・」「ああ時代劇の『太陽を抱く月』ね」「そうそう」タッピーNsが一押しの作品だな。そして彼女が言うには「(太陽も)面白かったけど私は『冬のソナタ』の方が面白かった」と。これを聞いて私は完全に「勝った」と思った。10年以上も前、「今『冬ソナ』にハマっている」と言ったら、ムッちゃんやもっと掘れNsに「あんなドラマのどこがいい」「ヨン様?きっさねー(汚いの意味:男で茶髪ににやけている印象から)」と言われ散々バカにされた。いくら面白いんだと言っても聞く耳を持たなかった。それがどうだ。へへーーっ!

朝礼では患者似Nsがスピーチ担当だった。子どものころ祖母が脳梗塞で倒れリハビリの手伝いをしたのがきっかけで高校卒業時に看護への道を選んだ、資格を得て業務にもなれたころ兄が亡くなり看護観、死生観を考えるきっかけになった、今後いろいろなことに挑戦していきたいなどだった。私が注目していたのはスライドのどこかにジャニーズアイドルの関ジャニ∞の画像を出すのでは?だったが、案の定最後にこそっと出していた。あは、やはりネ。関ジャニ命の彼女のこと、きっとそうだと思ったヨ。

2018年12月9日日曜日

早めに帰鹿したわけ

ホテルWBF博多グランデの朝食はバイキングでそんなに種類が多い方ではなく必要十分といったところだ。ただお肉をアジア系の外国人が「いらっしゃいませー、どうぞー」と焼いて作ってくれている点が今風なのと、ビーフカレーが本格的で美味しいところが良かった。逆に昨日のハイアットリージェンシー福岡のカレーは単なるレトルトの味でホテルの格は上でもカレーの味は真逆と言ってよい。

帰りは新幹線グリーン車の予約を早め、午前9時29分発に乗った。早めたのは午後からいつもの見せたまえ雀荘でサブアラド、腹出しDrらと麻雀だったから。開局早々、リーチピンフドラ1の三六萬待ちで仕掛けた私に親のサブアラドDrが通っていない筋をビシビシ切ってくる。間違いなく大きな手を聴牌している。果たして8索を切ったら「ロン!ピンフ一盃口ドラドラ、親満」と牌を倒した。アイタ、いきなりの出だしだ。この後一時2位に付けたが3位で終わった。どうも腹出しDrが入った過去3回の対戦ではチャラ、大負け、ちょい負けと一度も勝ち組に回ったことがない。今回もこの後ずっとトップが取れないまま低空飛行を続けた。腹出しDrは一時総合トップに着くも見せたまえDrが大きなトップを取り一人勝ち状態に。逆に出だし好調と思えたサブアラドDrはラスが続いた。夜になり私がようやく大きなトップを取って愁眉を開き、次も2位となって最終半荘でサブアラドDrとトップ争いの末、オラースで逆転のツモ断ヤオ一盃口ドラ1の満貫をツモりトップ。負けを最小限に抑えた。トータルラスはサブアラドDr、腹出しDrはチャラ。勝った見せたまえDrもプラス60と接戦に近かった。まだ時間があれば・・というところだったが明日は月曜、22時前には終戦となった。うーん、腹出しはやはり打ち方がしっかりしている。今度は勝ってやるぜと意欲が湧いてくるわ。

とはいってもすでに師走も1/3を過ぎようとしている。明日から年賀状のアイデアをまた練らねばならない。これがねえ、時間をかければすぐに済むというものでないゆえ、ふう・・毎年のこととはいえきついわぁ。

2018年12月8日土曜日

博多で聴講、一泊

午後は福岡での薬品会社主催の講演会に出かけた。朝は仕事もなく事前に新幹線のグリーン車のチケットももらっていて余裕のよっちゃんのはずだったが・・いつもの感覚で車で中央駅に向かったらなんと予定の便に乗り遅れてしまった。朝と違って昼は駐車場が混んですぐには駐められなかった。グリーン車券は使えないものの新幹線チケットはあるし、講演会には余裕で間に合うので30分以上遅れて次の便に乗った。

そのまま席に座り出水を過ぎるころ、車掌がチェックに来たので愚痴気味に「グリーン車に乗り損ねた」と言ってみたら「席が空いてますので移られてもいいですよ」と指定席を取ってくれた。おほっ、ラッキー!普段グリーン車なんて利用しないので気分がいい。広くて背もたれに余裕がありコンセントも席に一つずつ付いていて快適だわ〜。さらにWiFiサービスがあったのもグッド、パソコンをセッティングしてこてる日記を書き有効に時間を使えた。

博多駅に着いて会場ホテルまでは歩いて向かった。タクシーチケットがあったものの途中にある博多スターレーンに立ち寄りたかったからである。西日本最大級の84レーンあるボウリング場でボウリングのみならずプロレスの試合などもたまにはある。何階かにレーンは分かれリーグボウラー用の階に行きボウリンググッズをチェックした。若手職員が「何かお探しですか?」とニコニコして話しかけてきたけれど、私が欲しいものもあったが値段はそこそこに高くわざわざここで買うほどでもなかった。

そこから少し歩けば会場のハイアットリージェンシー福岡があり、ここの2階で偽膜性腸炎の検査と治療についての講演を聴いた。(↓2階にはこんな構造物が。どうやら結婚式に使うもののようで)
終わって懇親会では知っているDrはほとんどいないこともありひたすら食事あるのみ。満腹になったら今度はタクシーで宿泊先であるホテル「WBFグランデ博多」に向かった。このプロレス団体かと聞き違えそうなホテルは運ちゃんも知らなかったらしく住所をナビに打ち込んでから出発した。ただハイアットと近く歩いても可能な距離だった。
新しい割り切ったマンションのような作りのビジネスホテルで部屋は狭いのにTVだけは大きく55インチもあってびっくり。入浴は露天風呂もあるらしいもそこまで風呂にはこだわらないのでシャワーで済ませた。

この前の神戸のようなネット繋がらずはなく、ちょうどサブアラドDrから連絡があり「ネット麻雀やろう」とせーのでプチッと申し込んだが土曜夜で参加者が多く同じ卓には入れなかった。一半荘やって2位でサブアラドDrはまだ次の半荘に走ったが私はもう終わり。ベッドで寝ながら彼の観戦を見ていたらいつの間にか寝込んでいたようだった。

2018年12月7日金曜日

本日外来

麻雀の約束は帰宅してメールを駆使し「来週の木曜に」とあっという間に予定を組んでしまった。送信は深夜12時頃になったが、何せこういう時は「善は急げ」だ。後で聞いたらMRたちは「こんなに早く」「せいぜい年明けに打つのかと思っていた」と驚いていた。なぜか麻雀の面子集めだけは私は素早いのだ。

今日の外来で印象に残った患者さんら。

嘔吐下痢の若妻が来院、ノロウイルスが心配というから調べてみたら陽性の反応が出た。入院は子どもも調子が悪くて出来ないとのこと。点滴をして処方出して終わりにしようとすると、説明を聞いていた夫が「実は私も似たような症状で」というから調べるとやはりノロが出た。はーい、家庭内感染決定!早く言ってよね、こっちもうつりたくはないからさー。

背中から脇腹が痛くてーと来た中年男性患者、調べても内蔵は特に問題はないが背部に2ヶ所ほど発疹を見つけた。これは帯状疱疹の始まりでは?ピリピリするしお風呂に入ったら少し痛みが和らいだという。帯状疱疹は典型所見ならすぐに分かるが発疹が全く出ないで後から判明することがある。きっとこの人もそのパターンか。抗ウイルス剤や鎮痛剤を処方して帰した。帯状疱疹は痛みの病気には珍しくお風呂で温めるのは有効なんである。

ある初老の男性、滅多に病院には来ず、独居で独身。そんな人が受診するって場合はかなり病状が進行していることが多い。CTを撮ってみれば口があんぐりするほどのひどい所見・・妹氏に「手の施しようがない、入院は必要だがいつ急変、死亡してもおかしくない」と説明するのがやっとだった。病院嫌いにはならない方がいい。今時「病院に行くくらいなら死んだ方がマシ」って考えは通用しない。自分はいいと思っても周囲が心苦しくなり迷惑がかかる。

今夜は当直だった。さほど忙しくはなく、それでも医局でうだうだ過ごし、6階の当直室に上がるついでに深夜2時頃ナースステーションにひょっこり現れ、看護師ドキッとさせるいつものパターン。今夜は4階は全く驚いてくれず5階は山優しNsが期待通りにビクッとしてくれたくらい。後は当直室でうつらうつら、朝まで平和に過ごしたのだった。

2018年12月6日木曜日

ビッグオーシャン飲み会

今夜は串木野トリオリーグに参加しているチーム「ビッグオーシャン」のメンバーで飲み会があった。リーグの配当金が貯まっていて、海広しDrが「そのお金で飲み会でも」と音頭を取って、私、難ガターさん、サンシさん、アンドキサMR、そして次回から参加予定のエリックMRの6人が中央駅一番街の和洋ダイニング「チェリー」に集合したのだ。3、4年くらい前にもあってその時のメンバーで今日参加したのは私と海広しDrだけ。ずいぶん変わってしまった。というより、いわゆる「こてる会」のメンバーに海広しDrが加わった形になっている。

私は久しぶりにホンモノのビールを飲んですぐに顔が真っ赤になってしまった。海広しDrもアルコールには弱く途中意識が遠のいた一瞬があった。他のメンバーもそれほどお酒に強い人はいなかったな。ま、お酒好きだったらボウリングなんかしないでしょっちゅう飲み屋で遊んでいるだろうて。話題は当然ボウリングもだが麻雀も結構盛り上がった。6人のうち4人が麻雀が出来ると分かり、海広しDrが「今度ぜひこのメンバーで打ちましょう」と本気モードだった。そう、ちょうど6年前に私が一度彼を誘ったことがあり「その時のリベンジをしたい」とのこと。なるほど、ならば麻雀のセッティングは学生の頃から私の係、さっそく4人の都合のいい日を選んで鹿児島市内の雀荘で出来るよう手配しますわ。エリック、アンドキサの両MRはともに5年以上打っていないそうだが覚悟してもらいひょ(⌒о⌒)。

ちょうど同じ店の私たちの隣では県の医師会の理事たちが数人会食していた。私たちがお開きになるころ、そのうちの一人、ビッグウエストDrに「こてる先生、いっしょに写真を」と言われ、ポンデン医師会長始めアカタカ先生、リンホー先生らに挨拶がてら写真に収まった。ビッグウエスト君も医師会理事になっているのは知っていたが相変わらずアクティブだなー。医師会のお偉方とも上手に付き合っている。感心しつつ一番街を後にした。

2018年12月5日水曜日

陰ながら御冥福を

夕方、空港にカールを迎えに行き、10日ほどのギボヒサコとの共同生活も今夜でようやく終わりを迎えた。つくづく思ったのは、親娘と言えどもキャラは全く違うということ。世代や多少のボケ具合はあっても元来の性格が違うんだろうなと思うことしばしばであった。自分にきびしく細かいことにも神経を使う娘に対しておおらかというか自分に甘くマイペースの母親、帰宅した娘はさっそく母親に呆れ、詳細は書けないが「何でこんなことしているの」とおかんむりだった。まあまあ、でも確かにカチンカチンになったキュウリを見せられれば娘も機嫌が悪くなるだろうな・・。

カールが帰って来てまた元のリズムに戻りホッとしている。体重もついに昨日81kgという過去最重量クラスになったのでもうこれ以上太るわけにいかない。あのままギボヒサコと生活していると85kgまで行ったかも。やれやれだ。

2日前の南日本新聞死亡広告に「〇村〇人」満92才で亡くなると出ていた。括弧で(元中学教諭)とあったから、もしかして自分らの「光頭」中の時の学年担任だったかもとアルバムで確認したらはたしてそうだった。きびしくもユーモアのある先生で普通に行けばどこかの校長先生にもなれたはずだ。でも、私らが中3の時、隣の「天誅」中と河原で乱闘事件を起こし翌日の新聞に大々的に報道され責任を問われヒラに降格された。ただ、はっきり言って先生には全く責任はなかった。その後の光頭中の問題を見れば一教諭が解決出来るものではなかったはずだ(10年もしないうちに当時の校長が校内暴力問題で中央警察署に介入を要請するまでになった)。

セントラル高校に入ると、同級生に先生の娘さんがいると知るも口を聞いたことあるくらいで、それから25年くらい経ったころ、青雲病院(当時)に偶然娘さんのことで来院した彼女に出合い、「〇村先生はどうしている?」と尋ねると、当然教諭は定年退職し鴨池の県営駐車場番をしていると知った。それから15年ほど、会うことはなかったが天寿を全うされたとみていいだろう。広告では葬儀は近親者のみで済ませ弔問はお断りとのことだ。そうか、先生に迷惑をかけた一生徒として陰ながら御冥福を祈ろう。

2018年12月4日火曜日

ピロリ菌Q&A

医局会でのレクチャー「ピロリ菌Q&A」を会の前にセッティングし、会が終わってすぐにレクチャーしよとしたがスライドが映らず慌てた。ああでもないこうでもないとしても映せないので「スライドなしでも離せる内容なので」とそのまま話し始めた。質問項目はいずれも私がこれまで受けたものばかりである。

Q「ピロリ菌がいなくなったら、もう二度と感染しないのか」A「二度と感染しない」
Q「ピロリ菌って井戸水から感染するの?」A「する。しかし全てではない」
Q「ピロリ菌除菌の時はアルコールを飲んではダメなのか」A「いいえ。飲んでも構わない」
Q「除菌療法中、副作用が出たらどうすればいいか」A「下血、薬疹、発熱が出たら中止、下痢や味覚異常ぐらいは継続」
Q「除菌に成功しても、胃がんになる可能性はあるのか?」A「ある」
Q「除菌療法判定にピロリ抗体で実施してはだめか」A「ピロリ抗体(血清反応)は判定には向かない」などなど・・。

途中で接続コードを一旦抜いて差し直せばいいことに気付き、そこからはスライド表示出来てスピーチした。Answerは簡潔かつ言い切った。例えば「再感染は二度とない」と答えているが厳密にはわずかにあることはある。アルコールも一次除菌は飲んでも問題ないが二次除菌では気分不良を来すので禁止させねばならない。でも例外まで説明すると一般ピープルや専門外の人は覚えきれない。井戸水だけは「感染は実はあまりない」と言いたかったが、世間でそう思われているし完全に否定する材料がなくyesにし否定的ニュアンスで説明した。これら、Drらの関心もあって質問も結構あった。時間は予定の10分を完全にオーバーし20分近くかかってしまった。

ふむふむ、これは人間ドック室の職員や看護師連中のレクチャーにも使えるゾ。今度の朝礼にもこのネタを使おうか。今日は日記ネタにもなったし、ピロリ菌様々だわ。

2018年12月3日月曜日

「そじゃないねー」

今年の新語・流行語大賞が「そだねー」に決まったそうだ。ええー?!だ。私は「半端ないって」で決まりと思っていたからだ。その後の拡がり使われた方をみても「そだねー」より10倍流布していた。これだからこの大賞は信用ならないと言いたいところだが、実は「半端ないって」を受賞する対象者が辞退したというのが真相らしい。その対象者が大迫勇也選手なのか発信者で今は三井住友の銀行員になった元神港学園サッカー部キャップの中西隆裕君かは知らない。でも受賞者がいないと大賞が決まらないなんてそんなことで大賞を決めるのは本質から外れているだろうよ。まるで今は凋落したレコード大賞みたいじゃないか。相手は言葉そのものとそれを使った大衆であって発信者ではない。

選定委員の最古参のやくみつる氏が言うには「毎年高級中華を食べながら2時間以上に渡って各委員と選定するがその味が感じられないほど白熱する」とのことだが、こと大賞については一般に流布し時代を象徴する言葉を「純粋に」選んで欲しいものだ。

2018年12月2日日曜日

「せわえて」

内視鏡の仕事で出水のスチョル先生のところに行った。検査と検査の間に院長室で四方山(よもやま)話をよくするが、今日はなんといってもフサンコ画伯の話題だった。「本当にすごいね」と感心しきりで「こてる先生も(絵を)やってみればいけるんじゃない」なんて言われたが、自分には分かる、きっとダメだって。これまで「自分も絵が描けたらいいなあ」と思ったことがないのがその理由で、作曲は逆に「出来たらなあ」と思ったことはあった。音楽の評価は5段階評価で2を取ったこともあるほど出来が悪いのに作曲能力には憧れたもんだ。あとスポーツがもっと得意だったらとかもね。まずはそこに興味が持てるかどうかが大事だ。オタク気質の私なのに絵画は美術館巡りもそれほど好きでもないし、やっぱ無理だわ。フサンコ従兄は60才の手習いがよほどハマったとみえる。今じゃ生活も絵描きが中心になっているとか。この調子で描いていけば絵も売れて本当に画伯になっちゃうヨ〜。

スチョル先生は「大の馬刺し好き」だそうで、出水は熊本とも近いせいか割と馬刺しが手に入るらしい。ただ、これまで幾度かあたったことがあり、実は先日腹痛、下痢など大変な目に遭ったそうだ。これまで以上にきつく、さすがに「もう馬刺しは(食べたくない)・・」と思ったとか。私も30年ほど前、生ガキにあたってカキは生では食べなくなった。カールが「美味しいのに」と言っても3日間のキツさを振り返れば我慢もできようというもの。カキは揚げて食べるのが私は美味しくそれで十分。日本人は魚介類だけでなく肉類も生食する習慣がある。レバ刺しなど確か中止勧告があったはずなのにそれでも食べようという人がいるそうだ。すったもんだを経験しないと人は自分の嗜好をなかなか変えないものだ。

出水の患者さんや看護師さんらが「(年を取ると)せわえて〜」と話しているのを聞き、どういう意味?と尋ねた。どうやら「世話が焼けて」の意味らしいが私は初めて聞いた。「え、そう言いません?」と逆に聞かれるもホントに初めてだ。鹿児島の一地方の方言ではないか?姶良、溝辺付近の人で「仰向けになって」を「おなけなって」と言うのは他の鹿児島の地域で使うと聞いた。でも「せわえて」は60年近く聞いたことがなかった。以前、種子島で「胃が痛んで」を「胃がつめて」と言うのを聞いたことがある。初めて聞いたが、それも種子島の患者さんは当たり前のように使っていた。言葉って意外に狭い地域でしか使われないものが多いのに、そこの地域の人たちは日本中で使われいるくらいに思っているのがなんだか可笑しい・・。

2018年12月1日土曜日

披露宴&忘年会

師走最初の土曜は夕方がアサカラさんの結婚披露宴、夜はかつての大学内視鏡グループの忘年会と掛け持ちだった。

アサカラさんは病院の医療事務から人間ドック、そして今は医療作業補助者で医局の机も私の隣にあり、披露宴も「ぜひ出席を」と今年初めに打診されていたのだった。会場は樋之口町にある結婚式専用の「ザピークプレミアムテラス」で1回では覚えられない今時の結婚式専用施設だ。出席者は130名以上でそのうち青雲会病院関係者は11名で最近の結婚式にしては少し多いくらい。ただ昭和の頃と比べれば全く少ない。「あの頃は200名以上は当たり前、300名以上も珍しくなかった」と言うと、昭和生まれ平成育ちの福香さんは「へーえ」だ。

アサカラさんは入籍も1月に済ませ同居もし新婚旅行もすでに済んでいる。私らのころとは順番が全く逆だ。チェリピアNs、アサカラさんの親友の医療事務のサッコさんも入籍後10ヶ月くらい経ってこの秋に式を挙げた。アサカラさんによると「結婚を決めて、さあ式を思っても空いてなくて半年は待たされる」んだとか。平成の最後のこの結婚式、仲人がいないのは当たり前で一番驚いたのがスピーチでお互いの姉、弟など計4人みんなそれぞれスピーチした。花嫁の両親へスピーチもあり花婿もスピーチし、花婿の父がファミリーを代表してスピーチも当然あり、友人代表では花嫁側がサッコさんに元青雲会事務の「うちが女子」さん二人がスピーチととにかくスピーチが多かった。実は私も頼まれたが「久しぶりの披露宴、ゆっくり楽しみたい」と丁重にお断りしていた。私までしていたらまるでスピーチ大会だったぜ。そうそう、私の席はちょうど花嫁の左真横でそこからの1枚が↓。
サッコさんが人妻とは思えない美しい後ろ姿で眼福だった(^ ^;)。

二次会は山形屋近くの中華料理店「日火炎」だったので樋之口町から天文館をちょうど自宅方向に帰る青雲職員の山の神さんと二人いっしょにその方向へ向かった。さすがに師走の土曜日、人が多かった。山之口の文化通りで明らかにオカマと思われる商売女性(?)がいて、山の神さんに「ほら、あれオカマでしょ」と教えると、彼女はすすっと歩いてそれとなく振り向き確認し納得していた。この後は愛人カップルよろしく天文館通りをいっしょに歩き、日火炎に曲がるところでサヨナラして↓、開宴時間から15分遅れて内視鏡室忘年会に出席した。

大学内視鏡グループの忘年会参加者は去年は10人満たなかったが、ビッグウエスト君が頑張って誘い今年は15人以上集まった。20年ぶりに会ったナカニッシ女医さんや奄美から参加のグッドリバDr、麻雀仲間でもあったパインテイル先輩など久しぶりでうれしかった。渋ちん大ボス先生、中ボスのKZ先生、最後のボスの松ピカ先生もいて、特に松ピカ先生は麻雀をしたがっているというウワサもあり「今度機会あれば我らの見せたまえ雀荘で打ちましょう」と軽めの約束もした。また同期のガッチャンDrは還暦近くになっているにも関わらず「婚活を(考えている)」ととても本気とは思えない挨拶をしていた。ともかく気の置けない同門同士の楽しいひとときだった。

お開きになって店を出て薄暗い西本願寺の通りを歩いていると、あれ?あそこに立っているのはパインテイルDr、挨拶したら少々バツが悪そうに「これから行く店があるから〜」と久々の鹿児島の夜を楽しもうという魂胆みたい。無理なさらんよう・・。私は久しぶりのアルコールと疲れもあってさっさとタクシーで帰宅したのだった。