2017年5月31日水曜日

韓国は2等国

午後からは休みだったがオマル爺さんとの4子局対戦と月末のレセプト業務に当てた。碁はまたも負け、連敗だ。これまで五分。明後日退院だから明日が最後の勝負かぁ。結局3子になることはなかった。まあそんな都合よく私も強くはなっていかない。明日ガンバロ。

この日行われたサッカーアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の浦和対済州、あれはひどい。試合後に済州の選手がピッチに乱入し、浦和MF阿部の顔面に“フライングエルボー”を食らわせ、試合終了直後にも、済州の複数の選手が浦和の槙野を追いかけ回し、槙野が全力疾走でロッカーに逃げ込む一幕もあり、槙野は「殺されるかと思った、マジで」と振り返ったとか。この騒ぎで浦和は6月2日にアジアサッカー連盟(AFC)に「再発防止」を求めて抗議文を提出した。当然だ。ところが済州側は騒動の原因は浦和の挑発にあると主張している。趙城煥監督も「浦和の選手の行動がわれわれを刺激した」とし、韓国メディアは、槙野が試合終了直後、済州ベンチに向って指を3本立ててみせ、3得点で勝ったことを誇示したことなどが乱闘の引き金になったと報じている。

あほか!たとえ挑発してもされても暴力に訴えることがいけないのは明白だ、しかもプロサッカーという公けの場で行うことがどれほどの影響を与えるのか、その点をマスコミも正さないといけない。それを挑発した浦和にも非があるというのは100年早い。まずは暴力行為を断罪してからのことだ。

「あいつがおれにガンつけたから殴ってやった。それで死んだって?いや、挑発したあいつにも責任がある」「そうですよねえ」とは韓国のマスコミ&張本勲氏。
「あの女がスケスケの服を着ていかにも誘っていたから、やって(強姦)しちまったんだ。あの女にも責任がある」「そうだったんですか、女も悪いですねぇ」

こんな風に考えればどっちが悪い論争も結論は明白だろう。私がリーグ最高責任者ならなら済州というチームに半年から1年の対外試合禁止の制裁をするだろう。それくらいの蛮行だ。サッカー先進国のヨーロッパマスコミ(イギリス、ドイツ、イタリアなど)もいっせいに済州を非難している。浦和にケチ付けるのは順序が違う。

思い出して欲しい。以前の野球WBCの日韓戦で勝った韓国チームはピッチャーマウンドに韓国の太極旗を立てた。これに日本選手が腹を立てたのは当然だが殴りかかりはしなかった。あれ?あの時韓国マスコミは「挑発した韓国選手が悪い」って言わなかったのかな。もし今回、結果が逆で浦和の選手が済州の選手に殴りかかったら日本のマスコミや国民は浦和をきっと非難すると思う。日本人の感性にそぐわない。スポーツマンシップにもとる、それでもサムライかってね。

今回の件で韓国はサッカーもマスコミも2等国ってことがさらされたな。じゃー日本が1等国かというとそれはねえ。そこで相手に暴力行為を起こさせないような態度、日本が相手じゃ仕方ありません、参りましたって思わせるなら1等国なんだが・・。

2017年5月30日火曜日

ユリイカ!

夕方医局で「あんたらゼニか」製薬のササユウMRが来て「うちに担当部署は青雲ではないのですがユリイカって女性MRがいます。なんでもこてる先生とは知り合いだとか」と言われた。

ユリイカ?!

見つけた!じゃない、いやもちろん知っているよ。近所でうちのテルとは同級生、お母さん同士も知り合いだ。なんてったって私は彼女がお母さんのお腹にいたときから知っている。薬学部に進学したのは知っていたが薬品会社に就職し鹿児島が初任地とは知らなかった。へーえ。そういえばここ10年くらい会ったことがない。テルやカールはたまに会っていて「昔よりきれいになっている」と聞いていた。仕事も頑張っているらしい。カールに連絡すると去年から知っていたそうで知らなかったのは私ばかりのようだ。何かの勉強会や講演会で会う機会があるかも。いや、自分の子世代といっしょに仕事をする時代になってきたか。感慨深い。

オマル爺さんとの碁は昨日4子で私が3連勝して「うむ、明日負けたら今度から3子だ」と言われ昇段戦に臨んだが負けてしまった。まだ3子には早いな。

さて、世間ではほとんど注目されていないような気がするがAKBグループの選抜総選挙が今日から始まった。6月17日に沖縄で結果が発表される。私は例によって松井珠理奈に1票を投じた。もう6年連続だ。彼女も20才になってそろそろ1位くらい取らないとアイドルとしての期限が切れそうだ。ずっと見守ってきたがいまやっているドラマ「豆腐プロレス」ではなかなかの存在感で将来は女優としてやっていけるかな。5位以内は間違いないだろう、期待しているゾ。

2017年5月29日月曜日

実はあそこが・・

この前から腹部症状で精査していた40代男性患者、それまでの検査で腹部のリンパ節が多数腫大しリンパ系の病気ではなかろうかとのことで他院紹介予定であった。今日は念のための大腸内視鏡だった。ところが検査を担当した千門Drが「睾丸腫瘍を考えます」とのコメントを残していた。何?と患者さんにズボンを脱ぐよう指示すると、そこにはでっかい睾丸が!径10cmを越えるほどのもので左の睾丸のみ大きく腫れていた。こ、これは・・。これまで原発不明か悪性リンパ腫かと考えていたが精巣腫瘍がまずあってその転移が腹部に広がっているとみて間違いない。過去歴を調べると左の停留睾丸で13、4年前に手術を受けていたことも分かった。停留睾丸の人には精巣腫瘍が発生することがままある。

「いつから腫れてきたの?」「去年の11月から」

本人は異変に気付いていたのだ。腹部CTも撮っていたが睾丸の上まではスキャンしていたもののそんな下までは普通撮影しない。ああ、本人からの申告がなければなかなか気付かないわぁ。しかし非常勤の千門Drは検査の際にふと精巣腫瘍もありうるなと尋ねてみたとか。患者は検査着でいたのですぐに確認できた。写真は出せないが、みれば医者なら誰もがそれを疑うにちがいない代物だった。この前ミニ同窓会で会った泌尿器科の治ったかDrにも電話相談してすぐに治療してくれそうな病院をあたり紹介状を書いた。

患者さんはなんでもすべてを医師や看護師に伝えるとは限らない。もし半年前に「おちんちんが腫れてきて」とか言ってくれればここまで悪化しないで済んだだろうに。恥ずかしさを感じている場合なかなかに言いにくいのだろう。気になる症状があれば何でもしゃべって欲しい。場合によっては自分が思っている以上に命に関わることもあるのだから。

2017年5月28日日曜日

一人で日曜日

カールがいなくて一人で気楽かというとそんなことはなく、まずは自炊が出来ない私ゆえ食事が問題だ。近くのええコープに行き「今日は冷凍食品が半額デーだから」というカール情報をもとに冷凍チャーハンを2種、他に昼ご飯用の「屋台風焼きそば」大好きな「コッペパン(おぐら&マーガリン)」朝食用の食パン、シスコーンなど買った。隣のホームショップニシマタからは車の洗浄用スポンジ、ふき取りクロスも買った。そして忘れていけないのが日曜が2割引になるクリーニング店に行くこと。先週分引き取りと自分のズボンを渡した。

家に帰ればとりあえずの食事とゲンちゃんのトイレのうんち取り、その後仮眠をしていたら夕方のエサ欲しさでまとわりつくゲンちゃんにあっち向いたりこっち向いたり。17時になるまでエサはやらないヨ。しかしまとわりつきがひどく時間前にあげちゃった。なのに一口二口でぷいってその場を離れていった。まったくもう。窓にはモリサンチーのキタローとハッピーが来ていてこいつらにも安い方のエサをあげた。エサ争いではキタローが強くハッピーちゃんはすぐに引く。キタローが食べている間に少し離れたところにエサを置いたのだが・・結局それもキタローに食べられてしまった。しゃーないなあ。

たっぷり食べ終えて我が家ながらにくつろぐキタローを家の中からゲンちゃんがじっと見つめていたわ。

2017年5月27日土曜日

276

確か昨日、串木野リーグで12連続ストライクを出したと書いた。それは事実、とれなればパーフェクト達成か。残念ながらそうではなかった。練習ボールの時、レンコンが2週間前と同じとレンコン表で知った私は確かこのあたりに立ってあそこを狙えばいいと投げてみた。するときれいにストライクが出た。次ぎもストライク。スペアも練習した後またストライク。まだ肩があったまっていないのに3連続もストライクが出るのはレーンに自分が合っていると考えるか、試合では逆にストライクが出ないとみるか。私は後者を予想した。今までがそうだったからだ。

しかし1フレーム目もストライクであれ?となった。そして次々にストライクが出る。あっという間に5連続ストライクとなり、今日の調子の良さを実感した。6フレ、7フレはピンが数ピン残ったと思ったのに後からパラパラと倒れまたもストライク。おいおい、これは昨年9月のパーフェクトを思わせるんじゃない?ただ相当ラッキーもあってのことでフォームもぐらついているので多分無理・・そう思おうとした。で、8フレ、9フレは完璧なストライク。フォームも修正できていた。おお、これはもしかして・・。

思えば練習時の3連続ストライクを足せばぴったし12連続でパーフェクト300点になっている。なんてことだ。それで勝負の10フレ、なんていうか妙なぎこちなさを感じていた。投げ始めた時にああだめと思った。ボールは先ほどまで大きく外側にずれ明かに失投した。スキッドしヘッドピンに薄く当たって2番8番のダブルウッドが残った。あーー、やっぱりネー。これはスペアするも最終投球はまた2本残って結果は276。いいスコアだが残念感が漂った。

2ゲーム目はボロが出て169。3ゲーム目は193。海広しDr、サンシさんは3ゲームで1回も200アップが出ずチームもポイントを一つも取れなかった。それほど易しいレンコンでもなかったのだ。二度目のパーフェクト達成は成らなかったが、フォームに安定感を欠き来そうな予感がなかった。ラッキーだけでは出来るものじゃないってことだ。

明けて、土曜は休みだったが、カールが沖縄に1週間ほど行くのを空港まで送ったあと、病院に寄りまたオマル爺さんと4子局を打った。今日は落ち着いて打てて地を作って46目対41目の5目勝ち。一昨日に続いて2連勝、4子はきついと思っていたがこれで3勝2敗と勝ち越してしまった。「先生、強くなっている」と言われ何だかそんな気もしてきた。オマルさん、体調もよくて来週あたり退院出来そう。しかし囲碁の勝負はまだまだ続く・・。

2017年5月26日金曜日

ところで先生はこてる先生ですか

いや、普通の忙しさの当直かと思っていたら未明からえらい忙しい当直になった。午前3時、4時に起こされた。4時は病棟患者の急変ですでに心肺停止で蘇生に反応せず。家族に至急連絡するも1時間半ほどして来院され死亡宣告した。鹿児島市内から家族関係者一同そろってのため遅れたようだ。そこから1時間ほど仮眠できたか・・よく覚えていない。だいたい明け方は救急車がよく来る時間帯だ。腹痛の女性に、包丁で指を切った主婦、指を脱臼した男性、そして早朝自転車で通学しようとして意識不明で倒れ運ばれた高校生など・・。

意識不明の高校生は当初てんかん発作かと思われた。1週間前にも同じような症状で脳外科で検査したばかりだったからだ。しかしそれ以上におかしかったのはモニターされていた酸素飽和度で正常域は97ー98%なのに80%台からなかなか上がってこない。それに喉の違和感を訴え血痰のようなものも吐く。もしや落車時に肺野を損傷したかと胸部CTを撮って驚いた。両肺野に炎症所見が多発しこのせいで低酸素血症を来していた。となればこれまでの意識消失も納得がいく。不思議なのはそれほど発熱もないことで普通の肺炎らしくはない。もしや結核?と誰もが疑いをもった。しかし今度はなかなか排痰できない。可愛いんだ理事長も所見をみて結核の他いろいろ肺疾患を挙げて「入院が必要だな」とのこと。もちろんこのまま帰すわけにはいかない。なかなか喀痰検査が進まない中、このまま青雲会病院で診療を続けるのは難しいのではと思っていたところ、理事長も「ここはサンキュー病院に頼むのがいいのでは」と言ってくれ私も同意し、本人と母親に打診すると「ここかサンキューならどちらでも」とのことでサンキュー病院に直接私が連絡した。

呼吸器担当Drに事情を話すと、「分かりました」と一旦受け入れるかどうか他のスタッフと検討するとのこと。だが、しばらくしてかかってきた返事では意識障害もあるので呼吸器以外も診療できる他の医療施設がいいのではないかとのことだった。がっくり。と、なれば鹿児島市内のA病院かB病院か・・。しかしどうみても呼吸器疾患だろうとの思いがあり青雲で私が診るしかないかと考え、理事長に伝えに行くと「なに?うーん、これはセイジ院長に一言言わねばならんな」とサンキュー病院に直接電話を掛け始めた。あららと思う間もなく、「向こうの院長に代わったからこてる先生からさっきの患者の件を話してくれ」と受話器を渡され、また私が話すことに。一度断られたのを蒸し返すようで非常に気まずかったが仕方ない。セイジ院長は事情をよく聞いてくれスタッフに再度話すと約束してくれた。いやはや、こんなこと可愛いんだ理事長でなきゃとても出来やしないよ。

その後、呼吸器スタッフから連絡があり今度は受け入れるとのことでまさにトップダウンでことが運んだ。でも、私も患者も家族もこれが一番いい選択だった。症状はいろいろあれどあの胸部CT所見をみればこの若者が呼吸器疾患を患っているのは一目瞭然で専門医がいる施設での治療がベストのはずだ。情報提供書やCTのCD-R記録など大急ぎで準備し再度救急車で転送となった。すでに時刻は昼の12時を過ぎていた。最初に運ばれてから5時間は経っていた。

このあと外来他あり、夕方になってさすがに睡魔が襲い内視鏡室の机でうつぶすこと約30分、これで元気が戻った。夜の串木野トリオリーグ参加も無事行けたのだった。そこで12連続ストライクを出した話題は明日書くとして、昼過ぎに驚きの電話があった。それはサンキュー病院のセイジ院長からで、転送になった若者の件についてだった。可愛いんだ理事長へつないでとのことだったようだが、あいにく理事長はすでに病院不在で、代わりに私につながったのだ。

曰く「あれは呼吸器疾患の患者で間違いないでした。当院は呼吸器専門を看板を掲げながら患者の診察をすることなく断るなど『しつけが悪く』誠に済みませんでした。今後こういうことがないように気をつけていきます」と。びっくりだ。そこまで言われるとはかえってこちらが恐縮した。4月にセイジ院長は可愛いんだ理事長と会っていて「連絡を聞いただけで断ることはせずまず患者を診てから判断すべき」といつもの主張を聞かされていたそうだ。今回はまさにそのケースだったとのこと。それにしてもここまで正直に話されるとは・・。でも驚いたのはそれだけはなかった。

セイジ院長は最後にこうも言ったのだ。「ところで先生は『こてる先生ですか』」と。は?「あ、はい、そうです」「ボウリングが得意な・・」「え、まあそうです(パーフェクトも出しましたけど)」「ああ、私は第3内科出身でして大学時代に納先生から聞いていましてネ」「ああ、そうでしたか(^^;」「今後もよろしくお願いします」いやー、冷や汗かいたっす。

2017年5月25日木曜日

座ってますよ

昨日のさんまのホンマでっか!?TVにヒロカビラDrが出ていた。装着するだけで椅子に座っているような感じがする「アルケリス」をさんまら芸人が試して「ホンマやぁ」と驚いていた。

長時間の手術をする場合など活用を考えているとのことだがもっと応用できそう。ただ、現在は重いのが欠点でそこを改良していきたいということだった。ううむ、これは理系でないとやっていけない分野だ。私にはとうてい無理。ヒロカビラ先生の研究に大いに期待!だ。

この前私が担当したアルコール依存で入院し退院後2回ほど外来に来ていた若い男性、結局またアルコールを飲んでいて昨夜体調不良で自ら救急車を呼んでいた。病院に来ても治療の指示に従わない態度もあり点滴だけして帰ってもらうことになったらしい。はあ、アルコール依存は内科、精神科が診ることが多いが、その前に社会の問題だ。彼も側に支える人がいたならこうはなっていなかっただろうに。このままでは行き先暗くこちらも気分が憂鬱になった。

夜はまた当直だ。現在入院患者が12名と先月より半減している。当直でまた増えるかな。

2017年5月24日水曜日

叱られて伸びるタイプ

うう、対オマル4子戦、2連敗してしまった。やはり5子の時のようにはうまくいかないわ。

午後は休みで散髪をしてから帰宅した。で、シャワーを浴びる前に残った枇杷の実を全収穫することにした。
小雨降る中、椅子を取り出し頂上付近の枇杷をはさみでカットカット。遠くの枝を引っ張りしカットしていると左腕がチクッとした。何?見れば小さな蜘蛛のような虫がいてこいつに噛まれたようだ。
この木にはほとんど虫類を見かけなかったがいるもんだ。しばらく左腕は痛みが残った。で、またまたざる一杯の収穫でほぼ全部を取り尽くした。また来年が楽しみやぁ。

夜はいつものボウリング練習。5人参加で後半のダブルスは1人余るので今回はサンシさんが遠慮した。で、対戦は私とタナカッツMR組、難ガター、アンドキサMR組となった。実はシングル練習のとき、タナカッツMRに私は厳しく指導していた。というのもボールを握って投げる悪癖(上手いボウラーは親指でボールを決してきつくは握らない)があり、特に左右に残ったスペアを大きくミスっていたからだ。ボールを握ると一見コントロールしやすくなるがその分ちょっとした指や腕の振りで狙いが狂ってしまいがち。力を入れないとボールの重さで腕が振られ最初振り下ろした通りにボールはレーンに落ちる。スペアをミスりがちなのはどうしても取らなきゃと余分な力が指先に伝わるからなんだ。1ゲーム目、2ゲーム目まではそのミスがちょくちょく出るのでそのたび私は大声で「こらぁ〜」としかった。頭かきかきボックスに戻るタナカッツ君の姿はまあ毎度おなじみにすらなっている。

で、ダブルスはその日のスコアで1位と4位、2位と3位が組むため当然私とタナカッツ君が組んだというわけだ。で、私がこれまでダブルスで勝率が悪いのは・・うむむ、これ以上は言うまい。ともかくジュース目指して頑張りまっか。

1ゲーム目、タナカッツ君いきなりストライクだった。おー、これはいい。しかし次フレームから私が先投げ彼がスペアを拾うパターンになった。私がストライクを出せばいいが・・。しかし9本。これが3回続いた。どうしても1本残ってしまう。ところがである。その1本をタナカッツ君全部スペアしてくれたのだ。ほほう。5フレ目にようやくストライクが来て6フレから彼が1投目に代わった。ここで3本残りを私がスペア出来ず。リードしているものの難ガター組が6フレ7フレダブル出して急接近された。8フレにタナカッツ君ストライクで9フレは私が7本カウント、ここでタナカッツ君3本を見事スペアした。で、10フレ私がぬぁんと4本残りのスプリットを出してしまった。これまで全部スペアメイクしていたタナカッツボウラーもさすがにこれは無理。難ガター組に残り2本のスペアを取れば逆転というチャンスを与えた。せっかくスペアを上手く取っていたのにまた負けか・・。ところがここでアンドキサMRがまさかのノータッチミス。がっくり苦笑いのアンドキサ。わははーっとみんなの笑い声。こうして1戦目を勝利した。↓はその瞬間の画像。
アンドキサ君も握って投げる癖がありそこをいつも注意してはいるがどうしても取らなきゃのここ一番でそれが出てしまった。

2ゲーム目、ここでもタナカッツMRはスペアを全部取った。当然のように余裕の勝利。彼と組んで2連勝、ジュース2本は初めての快挙だ。いやー、これを予想して前半叱り飛ばしたわけじゃないのだが、そうだ、彼は誉めて伸びるタイプじゃなくて叱って伸びるタイプだったか。うしっ、これからどんどん叱って伸ばそう。

2017年5月23日火曜日

なぜにピッピなの?

さて、先週から勤務してくれている消化器内科のピッピDrだが内視鏡室のこてる日記を読んでいるスタッフから「なんで『ピッピ』なんですか。いくら考えても分からないんです」との質問を受けた。あーーなーるほど、確かにそうだねえ。

こてる日記に登場する人物は9割方私が勝手に付けた変名にしている。例外は公的な人物で世間で誰もが知る、例えば総理大臣などは変名を付けるとおかしくなるし、そうする意味もメリットもない。身近に登場する人で最初変名が後本名になったのは愛甲先生だ。ラブカメ先生だったがTVで2週に1回「愛甲孝の生活を豊かにする健康医学の最前線」なんて出ていて青雲会病院顧問と紹介されているので変える意味がなくなった。そう、青雲会病院もこてる日記初期は「星雲会」とかしていたが何か書きづらく変えないことにした。他「青空美」ちゃんのように本名そのものが日記ネタだとそのまま書かざるを得ない。

で、変名の方法だがこれはいくつか代表的なパターンがある。多いのが元の名前をもじって変名にするケース(例:サブアラドDr)、姓名を縮めるケース(タキマナNs)、英語読みにするケース(ノースガーデン君)、もともとその人のアダ名をそのまま使うケース(チッチ)、くノ一パターン(ネークチダ、ウクノーダNs)、アナグラムパターン(湖西種実Ns)などがあり他のパターンもあるがだいたいこんなところだ。

で、ピッピDrだが実は以上のどれにも当てはまらない。由来もない。なぜなら、私が本来付けようとした変名を間違って入力し、数日後経って気付いてしまったと思ったがまあこれでもいいかとそのままにしたからだ。てなことで内視鏡室のNsらが探っても分かるはずがないのだった。

2017年5月22日月曜日

カツオ?

へへ、オマル爺さんとの初の4子局、いきなり勝っちまった。中盤、石の競り合いで相手が無理してきたところをとがめて大石を取ってしまった。こうなったら力の差があっても負けはない。4子ではなかなか勝てないと思っていただけにうれしい誤算だ。

枇杷を内視鏡室のスタッフに渡したが食するところまではなかなかいってくれず、17時過ぎになっても医療器械業者と相談があるとかで、食べているシーンを写真に撮りたいのにナー。おうおい、所属長会議がもうすぐ始まるよ、はよー食べて感想も言ってくれー。で、相談に加わっていなかった湖西種実Nsだけが食べてくれ、「美味しぃー」と言ってくれた。パチリ。

で、上に上がるとき、取り出した2個を今夜当直の光鳥、カッコちゃんNsのところに持っていくと、「えー枇杷大好き」とカッコちゃんが喜んでもらってくれた。そうそう、こうでなくちゃ。後で光鳥Nsから「カッコちゃん、すぐに食べて『すごく美味しかった』」と喜んでいたとラインに連絡があった。そうかそうか、明日またカッコちゃん始め、外来Nsにたくさん持っていこう。

帰宅してこてる家のラインにざる一杯の枇杷の写真(5/21の日記参照)をカールが載せたら早速子どもらから反応があった。「取れすぎだね〜笑」とセージ。しかしその直後、変な反応が・・。

「カツオ?」とはいったいどういうこと?しかしそう言われればカツオの切れ身みたいなのがざるの下にある。急いで確認したら、何のことはない、枯れた枇杷の葉っぱだった。ラインだとやや画質が落ちるから「めっちゃカツオに見えた」とセージが言うのも無理ないかな。

最後にカールが絵手紙で枇杷の話題がまっさかりゆえそれをモチーフにして描いた。まだ未完成だがなかなか上手に出来ている。これならまさかカツオに間違われることもあるまいて。

2017年5月21日日曜日

ヒロカビラDrを知る

出水のスチョル先生のところで聞いた話しで、親戚のヒロカビラDrが近々「さんまのホンマでっか!?TV」に出演するということだった。ヒロカビラDrは千葉大の外科の先生なんだが最近は医工学の分野で活躍していてその方面で明石家さんまの番組に呼ばれたようだ。ヒロカビラDrの父親ジュンカビラ(故人)とデンコー親父(もちろん故人)は従兄弟同士でスチョル先生も従弟にあたる。実は私はヒロカビラDrとは面識がない。年齢は8つほど下らしい。ネットで調べると腰痛軽減の器具「アルケリス」というものを開発していて、これは装着するとまるで椅子に座っているような感じで足腰の負担が大幅に軽減されるという。そのまま移動もできるから歩ける椅子をもじって名付けたんだそうだ。へー、面白いものを作っているわ。それをさんまの番組というから面白可笑しく紹介されるんだろう。5月24日水曜日放送でこれは予約しときゃなかな。

今日は枇杷を70個ほど摘み、それを洗いざるに入れたら一杯になってこぼれそうだった。それを画像に撮り保存しておいた。

で、がちがつ、ちゅうちゅう食べた。何個食べたか分からない。でもとてもじゃないが私夫婦二人で食べきれる代物ではない。で、カールが向こう三軒の一つにお裾分けに持っていった。私は明日病院に持っていこう。内視鏡室の連中にあげるつもり。店で売られているようなきれいな表面ではないが十分に美味しいと思うぞ。

2017年5月20日土曜日

勝利の源は枇杷パワー

明けて帰宅する前にオマル爺さんと5子局を打った。昨夜は中断したがまあ私の勝ち。で、今日はやや慎重に打った。作り碁になり44目対40目で私の4目勝ちだった。一昨日と全く逆の結果とは面白い。で、爺さん「今度から4子だ。5目じゃ勝てん」とハンディキャップを減らすと言ってくれた。これは私が昇級したってことで名誉なことだ。4子局でも頑張るばい。

帰宅してできの良い枇杷を摘み食べてみた。そこそこ甘みがあって十分に食べられる。「私がちゃんと枝を切り肥料やり摘果したからなのよ」とカール。そうか、でもよく木の育て方なんて知っていたな。実はカールの友人の小真美さんの実家は山梨の大きな農園農家で夏休みはいつも長期滞在し桃や葡萄の栽培の手伝いをしていてそこで覚えたんだとか。感心だ。


午後は見せたまえ雀荘で麻雀。ダイボDrの代わりに開けたいゾMRを迎えてで私は出だし好調。しかし今日は好不調の激しい麻雀でトップ4回ラス4回、かろうじて浮いたと思ったらトータルではトップだった。見せたまえ、開けたいゾがちょい浮き、サブアラドDrが負けた、とはいえそれほどでもない。最近の私は勝つときは小さく負けるときは大きい。ま、それでも今日は勝った。囲碁も麻雀もネ。枇杷パワーのおかげということにしておこう。

2017年5月19日金曜日

金曜は忙し

朝、家を出るとき、枇杷の実がほぼみんな熟しているのが分かった。明日、明後日は休みだ、たくさん摘もう。


今週は比較的ヒマというか余裕があったが今日は忙しかった。このところ金曜がそうなるケースが多い。週4日の常勤Drが金曜日を休むケースが多く、逆に非常勤で金曜日だけ勤務というDrが3、4人いる。だからピッピDrが金曜日勤務可というのは実に大きい。ただまだ今週入ったばかりで外来、病棟はしていない。いきおい内科系患者が私に回ってくる。おまけに今夜は久々の当直だった。

そんな中でもオマルさんとの囲碁対戦をする時間は19時を回ったところで小1時間ほどあった。昨日は優勢な碁を逆転されたので気合いを入れ、序盤で白石を攻め立てた。5子局なので白はどうしてもあちこち弱点を抱えながら打たざるを得ない、そこで石数の多い序盤に相手を攻めるのが勝ちにつながるのだ。下辺で攻め合いになり私の一手勝ち。これで勝ったわけではないが相当有利になった。しかしここでピッチに外来から患者が来たとの連絡があり打ち掛けとなった。「また後で来ます」と言い残して下に降りたが簡単には終わらず、それにまた患者が来た。就寝時間を過ぎても上には上がれなかった。後で病棟に行くとオマルさんはすでに就寝、病棟Nsらが「(あの碁は)『負けた』と言っていましたヨ」とのこと。ふふ、まあそうだろうな。

夜23時ごろから今夜は腹痛患者がやたら来た。明け方まで入れると5人。午前3時過ぎに1人だけ胸痛が来たがこれは例外。胃炎疑い、S状結腸捻転、イレウス、腸炎、最後は尿管結石だった。捻転患者はスタッフを呼び久々の時間外緊急内視鏡で捻転はそれほどひどくはなく早めの捻転解除となってよかったが、予想通りの「う○こ内視鏡」となり気色悪くて終わってすぐに当直室のシャワーを浴びた。で、日記など書くつもりはずがそのままベッドに座ったら寝込んでいた。午前3時ごろ腹痛と胸痛患者がほぼ同時に来るまで2時間ほど眠れたのは幸いで、今回自分には土曜の外来が組まれていなかったのもよかった。多少無理はしても翌日が休みというのはいいわぁ。忙しいとそんな些細な状況すら有り難く感じるものなのである。

2017年5月18日木曜日

オマルじいさん執念の逆転勝ち

そうだ、昨日の5月17日は「こてる日記記念日」だった。2000年の5月17日に始まって丸17年も続けている。当時はブログという言葉はほとんど普及していなかった。ブログが流行っていると聞き、それはいったい何だと調べると、その時自分がやっていたこととほぼ同じだった。2年前に正式にブログ化したが内容はホームページの日記コーナーとしてやっていたものと差はない。昔は1日のアクセス数は50ー60程度、ブログ化して100行くか行かないか、最近はなぜか増えて150弱平均だ。毎日書き続けるのは大変だけど17年も続けば一生続くんだろうナァ・・。

さあて、オマルじいさんとの囲碁対局は今日も続く。最初の日に負けた後、なんと2連勝してじいさんに「一つリードされた」とぼやかれ、今日も勝つぞと5子局にのぞんだ。それがさらに好調で中盤を迎えたところで私はほぼ勝利を確信した。部屋に来た看護師に写真を撮ってもらい、後で見ると余裕しゃくしゃくの表情だ。

碁盤を見れば右上、右下ともに相手石を取り下辺も地を持って生き、左上隅も10目ちょっとの地を持って生きている。80目以上はあり相手より50目以上リードしオマルさんはいつ投げても不思議じゃない状況だった。

そう、何もせず多少損をしても眼を3つ持つくらいの鷹揚な態度で打ち続ければ絶対に負けようがない碁勢だったのだ。ところがとんでもないことが起きる。
終盤のヨセで左上隅の私の地にオマルさん打ち込んできた(白1)。なんかうまい手でもあるの?安全を期したつもりで内側に受けた(黒2)。その途端、白3と切りが入った。「アッ!」とはこのことだ。切られた黒4子が取られてしまった。のみならず、残った黒石には一眼しかない。つまりは黒石13目と10目の地が無くなり逆に白は40目ほど稼いだ。出入り60目以上の大損である。黒2で白3のところに打っておけば何事もなかったのだ。
バ、バカな・・。これだけの損をすれば私が投了してもおかしくない。しかしこの時点で実はいい勝負だった。どんだけリードしていたんだ。よせて互いに地を作り私の4目負け。うわぁ。

執念深く私のうっかりミスをじっと待っていたオマルじいさんにしてやられた。ううむ。これで2勝2敗か。でも5子では十分に勝てるという感触は得た。次は負けないぜぇ。

2017年5月17日水曜日

ゆかり尊き松原校

昨日は中学高校同窓生の飲み会があった。年に数回あって今年は初めてだった。場所は中央駅近くの居酒屋で屋久島の産物を出す店と聞いていた。「屋久」と書かれた看板か幟(のぼり)を目印に店を探したのだが見つからない。確か地図ではこの辺だったのだがー。ぐるりと路地を一周してようやく見つかった。店名は「うめえ基地」、全然屋久島と関係ないじゃん。今日は6名参加だったが店をなかなか見つけられなかった同窓生は3、4人いた。うん、ボケのせいじゃない、あまりに目立たなすぎる暖簾の文字が悪い。

今回は珍しくイマシン君が来ていた。じっくり話しをするのは高校卒業以来じゃないかな。彼は教員で今年4月から鹿児島市内の松原小学校の校長に赴任したという。これには驚いた。なんと私の母校だ。今回参加のノースガーデン君も同じで歯科医の彼は校医でもありすでに面会済みだった。「校歌は『♪仰げば高き桜島〜名も錦江(にしきえ)の波清し〜」だろ。「そう、よく覚えているナ」とイマシン。「その後は『幾千健児のたちいでし ゆかり尊き松原校』だったよな」「そうそう、でも今は幾千もいなくて250名ちょっと」で各学年1クラスか2クラスなんだそうだ。私たちのころは4クラスだった。

松原小学校といえば錦江湾横断遠泳をすることで知られている。市内北部の清水小学校もやっており、映画にもなった。その時の校名が「清水原小学校」、もろパクっている。大正時代に行われていたそうだがしばらく途絶えていて、私が小学1年の昭和41年に松原小が再開した。瀧川という校長先生が中心だったと記憶している。その後学校は直接の運営を離れ同好会が主催し50年以上続いている。私は当時水泳は苦手で放課後の練習なんてやだなぁと思っていて参加しなかった。今にしてやっておけばーだ。

ところでイマシン校長、「一度さ、卒業生のお医者さん歯医者さんってことで生徒の前で45分間、講演してくれないか。今すぐじゃなくて来年か再来年でも」と依頼してきた。ノースガーデン君は歯の衛生の話しをするからOKで、私も断る理由はなく承知した。いや、でも結構これは大変かも。まず子どもに講演などしたことないし、「集中力は45分が限度」と言うから興味が持てる内容にしなくてはならない。ここ1年、何かにつけこのことが脳裏から離れなくなりそうだ。

2017年5月16日火曜日

脈が速かろうが

入院中のオマルさんと昨日、今日と碁を打った。私が5子ハンディをもらっての対局だ。昨日は大石の攻め合いとなり私が負けて投了した。しかしオマルさん曰く「この攻め合いネ、先生が勝っても勝負はこっちのものだった」と。そう、攻め合いに勝っても石の回りを取り囲まれ、さらに自陣に侵入されて地合いでも負けていたようだ。私はそれに気付かず攻め合いで勝てば勝負も勝ちと思い込んでいた。序盤は優勢だったはずだが無理攻めをかわされておかしくした。高齢で病人でもさすがは高段者だ。

この勝負の時に、準夜帯のタキマナNsが病室に飛び込んできた。「オマルさん大丈夫ですか?」「うん?どうした」「脈拍が110くらいだったのが170まで上昇しているんです」あはー、心不全があり頻脈もあるため心電図モニターを付けナースステーションでモニター管理中だったのだ。それが急に頻脈悪化したので駆けつけたってこと。当のオマルさんはウーン、ウム、ウーンとうなり続けて碁盤を見つめている。私が脈をとっても無視してひたすら碁盤に視線を落とし続けていた。「ま、大丈夫じゃないか」結局その後勝負にも勝って終わってみると脈拍は元の110前後に落ち着いていた。

タキマナNsは病室に来た時に「ああ、囲碁をやっているんですか。私も少しは出来ますよ」というのでこっちがびっくりした。30才代の女性、看護師で碁を打てるなんて滅多にいない。勝負が終わって改めて尋ねると、彼女「あれ、これは白と黒が反転しない・・」と怪訝そうな顔をした。「あほっ!お前の言うのはオセロじゃんか」「あ、そうですそうです」がくっ。

2017年5月15日月曜日

ピッピDr登場

朝礼はリハビリのスタッフがスピーチ担当で自己紹介を兼ねてそれぞれの特技や将来の夢などを語ってくれた。その後、新入職者としてピッピDrが前に立ち私が紹介した。ところが、ピッピDrすでに紹介スライド1枚を作って来ていて自らマイクを持ち自己紹介をした。経歴を左半分に右半分を「最近はまっているもの」として「自転車」を紹介していた。写真が1枚、沖縄の古宇利大橋を背景に撮ってもらったものだった。なかなかいい写真だねぇ。

今週は内視鏡室で主に検査をし、来週くらいから外来、そして病棟患者も診てもらう予定だ。彼が前の病院を辞めたと聞いたとき、ならばうちに来てくれたらいいとは思っていたが、いやー、本当に来てくれたねー。どうぞ、よろしく!

2017年5月14日日曜日

昭和の娯楽

(うわ、夕食後、畳の部屋で寝込んだら午前4時、ゲンちゃんになめられ起こされた。それでもまだ眠く、すでに午前7時過ぎ・・うう、朝食の時間じゃないかぁ)

今日は青雲会病院の当番日で私は午前午後担当のため出かけた。当番日は確かに忙しいがカワゼンDrと二人体制で看護師も多く、検査技師、レントゲン技師も勤務してくれるので意外に仕事がしやすい。少し気候が良くなってきて冬の時より診察に余裕もあった。ただ救急はカワゼンDrが主に診て忙しかったようだ。入院させた私の患者は2人、それに昨日入院になったオマルさんがまた私が担当することになった。心不全もあるから近医で受けた点滴が返ってよくなかったようだ。ふふ、また囲碁でも打ってあげようか。前回入院して囲碁をオマルのおじさんと打っていらい自宅でも久々に碁盤を取りだして囲碁の勉強もしている。相手さえいれば私は囲碁も打ちたいと思っているのだ。
 (碁盤を畳み部屋に置いたら、さっそくゲンちゃんのお気に入りになって我が物顔で鎮座してます)

ボウリング、麻雀、囲碁が私の三大娯楽でこれらは昭和の典型的な娯楽だ。それを私はいまだに引きずっている。いまさら止める気もないしこの三つ以上にハマる遊びが出てくるだろうか?ねえ、ゲンちゃん。

2017年5月13日土曜日

キシュン叔父さん夫婦来鹿

沖縄からカールのキシュン叔父さん夫婦が鹿児島に来るとのことで空港まで迎えにいった。沖縄は大雨で出発が50分は遅れたんだそうだ。南の島は今日から梅雨入りしたらしい。私の車に乗せようと空港駐車場に入ると「こてる先生」と誰かに声かけられた。エナガキMRでこれから博多に遊びに行く予定だとか。「来週はボウリング練習行きますんで」とのこと、ほーい、待っているぞー。

到着が遅れたせいで人気のそば茶屋の「丹下」に着いたのがお昼ちょうどになってしまった。カール曰く「もう少し前に着かないと並ぶのよねぇ」と。予定どおりならすんなり入れたはずだが仕方ない。それでも15分ほどの待ち時間ですんだ。よしよし。ゴールデンウィークもこの系列の知覧にある店でソバを食べた。続くときは続くものだ。ソバと天ぷらの定食で叔父さん叔母さんは非常に満足してくれ良かった。このあたり、店の選択はカールには敵わない。ていうか、私は昔から店選びが苦手で、なかなか思い浮かばないし、一度行った店でもすっかり忘れたりで全く頼りにならないのだ。きっと才能の領域だよ。

自宅に帰ると枇杷がいよいよ食べられるものが出来ていて何個かもぎって叔父夫婦にもあげた。「美味しいね」と言ってくれたが、うーん、まだ若干酸味がある。もうちょっとだな。(5/7より黄色味がぐっと増してきているのが分かる)

叔父さん叔母さんもそろそろ80が近い年齢になってきているが元気そうだった。ただ人はいくつになっても悩みのタネはあるようで、今日は私たちといろいろ話せて「すごく良かった、ありがとう」と感謝していた。いや、普通に世間話を交えてしゃべっていただけなだが・・。夕方、天文館にあるホテルまで二人を送ったあと、枇杷の実でよさげなのを選びパクついた。しばらくは毎日枇杷の実かじりだぜ。

2017年5月12日金曜日

救急搬送けいれん患者、実は・・

また同時多発だ。救急車が昼前に立て続けに2台入った。1人目は妊娠初期の女性で歯科医院で麻酔を打たれた直後に体がけいれんし始め1時間以上経っても収まらないという。そしてすぐに意識レベル低下の高齢男性も運ばれて来た。こちらはどうにか私でも診られるが、最初の女性はあまり見たことない手足のぴくつきだったので、脳外科のポンシンDrにお願いすることにした。するとポンシンDrは問診の後、「右手3本出してー、左手5本」などと命令を矢継ぎ早にしていた。患者の女性もそれに応えようと震える手で従っていた。見れば手足は震えているが指示通りに動かすことは出来ていた。

いつまでも見学しているわけにいかないので2人目の男性の診察、検査などし、後でポンシンDrにいったいどういう疾患なのか尋ねた。彼は断定はしなかったけれど心因性由来の筋肉の動きではないかとのだった。というのも、左だ右だ、やれ手だ足だと指示していると命令を止めた手や足には震えやけいれんといった症状がふっと消えていたんだと。これが本物のけいれん発作だと止まることはない。もう一つ、命令を繰り返しているうちにその人はピタッと震えが止まった。普通の患者さんは「あ、止まった」と安堵するものなのに彼女にはそのような表情はなかった。麻酔注射が引き金で不安などの心の状態が引き起こした症状であろうとの断だった。特に処方もなく帰宅させたという。

うーん、さすが専門家だねえ。いったいなんであんな質問を繰り返しているんだろうと思っていたよ。患者も周囲も大変な事態に陥ったと思われた状況が一転たいしたことないってなった。あれが過換気だったら私も同じように判断できるのだがー。いや、勉強になったわ。(その様子はデジカメ動画に収めているがここでは見せられないのが残念だ)

2017年5月11日木曜日

青雲会の風土

木曜はたまに同時多発テロのように忙しさが集中することがある。人間ドックのスメア検査をしているその時に「救急患者が来まーす」と連絡あったり、別の救急患者を診ている時に病棟から「XXさん、止まっています」と心拍停止の連絡があったり。病院で「止まっている」と言われたら、歩きが止まったんじゃなくて心臓が止まったの意味だから穏やかじゃない。今日はその時に「〇〇医院から紹介患者が来ています」と言われたもんだから「何、診れん!」と「診られない」が正しいと知っているが吐き捨てるように短く反応した。

青雲会の忙しさはこういうところなんだよな。切れそうになる。ただし、スタッフが上手く立ち回ってくれ最後はどうにかやりくりできる。来週から来るピッピDrもこんな風土に慣れてくれたらいい。仕事が忙しいのを嫌うタイプではないようだからうまく適応できると信じている。でも元々忙しい病院なんてイヤだなと思っていた私が今月で丸17年も勤めているなんて今さらながらビックリだ。青雲会の風土が意外にも合っていたのかもしれない。

2017年5月10日水曜日

タシケント、復帰

今日のボウリング練習には6人集まった。その中に久々タシケントMRの姿が・・。「肋骨は大丈夫なの?」「ええ、どうにか」あの船舶事故(3月4日)で骨折してからの復帰戦だ。

毎月10日はT-MAXのイチマルデーで1ゲーム100円という安さだ。それは有り難いが駐車場が取りにくかったり、レンコンが荒れたり、隣でギャーギャーうるさい若者集団がいたりでこの日は投げないことも多い。でもイチマルデーということをすっかり忘れていた。幸いレンコンはいい感じで結局合計5ゲーム投げた。ラストは3チームに別れてのダブルス戦。私はタシケント君と組み、1戦目は他2チームに僅差の勝利。ジュースゲットだ。タシケント君も本来の調子ではないがスペアミスをほとんどしなかったのが良かった。タナカッツ、サンシ組はまた負けた。タナカッツ君のせい?いやサンシさんがスペアミス3回やっちまっての負けだった。

2戦目、前回のように連勝をと思ったが、何とタナカッツ、サンシ組がいきなりターキーを出しよった。私たちとアンドキサ、難ガター組はというとこれが2連続ミス。あっという間に大差がついた。こうなると2位争いだ。勝負は相手方の8フレスプリット、9フレスペアミスでついた。152対140で私たちが2位。ジュースをおごらずにすんだ。タナカッツ、サンシ組は何と206。それくらい出せるなら1ゲーム目にちょっとは持っていけ、無駄に大勝ちしたね。

2017年5月9日火曜日

ピッピDr面談

朝起きたらカールが言うことにゃ、「さっき夢をみていた。テルくんの夢だった。それが両手にいっぱい買い物をしていて『服を100万円分買ったんだ』というので見たら変な花柄模様の服だった。『食べ物をこぼしたから上も下も服をいっぱい買った』っていうの。するとセージが『パパ、おかしいよ。ボケているんじゃない』って指摘するんでよーく見たらやっぱりテル君認知症だった」だと。それでがばっと目が醒めて私を見たらグヮーガーと大いびきをかいていたんだそうだ。(‾□‾;)

消化器内科ピッピDrが面談に来た。院内紹介と17時からの可愛いんだ理事長、私との面談でなんと青雲への就職(週4日勤務)があっさり決まってしまった。来週の5月15日月曜から勤務だ。いやー、先月20日に打診があってその後の私との相談でだいたい腹は決まっていたようだ。忙しいが決して働きにくい病院ではないこと、彼の不慣れな分野についても柔軟に対応することを約束したのが良かったのかな。ともかく常勤Drが増えるのは大歓迎だ。先月のような忙しい状況もきっと軽減されることだろう。

2017年5月8日月曜日

女神肉喰い

看護師からピッチに連絡があり、ある患者の症状を片手で電カルに入力した。忙しいんで一つのことに集中できないんよ。

だが書き上げた文を見てビビった。
「女神肉喰いと」

なんとシュールな・・。
正しくは「目が見えにくいと」だった。

所属長会議で今後当直したDrは翌日午後休みが取れることになった。ふう、先月決まっていたらよかったのに。でも受け持ち患者が多ければそうも休めない。幸い今どんどん患者が減って明らかにピークは過ぎた。で、この前話題にした内科のヒッヒDrが面接に来る。彼が常勤就職してくれればさらに楽になるだろう。変な漢字変換もしないだろうだろうて・・。

2017年5月7日日曜日

庭に出ただけ

連休最後の休み、これもずっと自宅にこもった。最近のパターンだ。夕方になって灰にまみれた車を洗車した。ついでに車にのしかかりそうな枇杷の木の枝をロープで少しだけ引き上げた。実が増え車にこするようになってきたからだ。
実は黄色くなってきたがまだ食べられない。早く実れぇ〜。

夜はカールがステーキを作ってくれ、食べた後TVの前に座ったらそのままダウン。洗車と枇杷の木いじりしただけの連休最終日だった。

2017年5月6日土曜日

大逆転劇

連休の合間の土曜は朝から外来、午後は夕方まで日直だった。1件下血患者が来て大腸内視鏡をした以外はまあ普通の忙しさで、外来は野球のボールが右眼窩に当たった中学生が来たくらい。ちまちまとネットなどし、夜は麻雀で帰宅が遅くなるのでこてる日記も書き進めておいた。

で、阪神対広島だ。夕方ニュース速報で0−9から阪神が追いつきそうだったのにホームベースでのタッチプレイが判定覆り8−9の同点ならず、しかし阪神の勢いは収まらず次回3点を入れついには11−9と逆転したとのこと。ぬゎんということ!9点差を追いつくか、いや広島の投手陣は抑えられんのかっ。その後もニュースを見れば12−9で阪神大逆転勝利だった。

広島 220 230 000 9
阪神 000 017 31X 12

ヒット数は阪神10に広島16、エラーも阪神が3で広島1とデータからみれば広島優勢だったのになんで?まあ、私はセ・リーグでは阪神を応援しているのでいい話題なんだが広島ファンの心情を思えばなんだか可哀想でネ。
翌日、私がよくアクセスする広島の塾講師のツイッターは以下のようだった。
「昨日から、不愉快なのでテレビや新聞のニュースは神経質にシャットアウトしてるのだが、新幹線の電光掲示板から忌まわしい結果が飛び込んできた。やめてほしい。」
どれだけ広島ファンの阿鼻叫喚が聞かれたことか・・。

高校野球では甲子園春夏合わせても最大8点差までの逆転試合が2試合あるのみ。9点差以上はまだない(予選では10点差逆転はある)。

2014年夏 大垣日大12-10藤代 0-8からの逆転

藤代   800 020 000 10
大垣日大 400 011 33X 12

1997年夏 市船橋17-10文徳 1-9からの逆転

文徳  144 00 0  100 10
市船橋 014 2010 00X 17

では日本プロ野球での最大逆転劇はというとこれは10点差で過去3回あるそうだ。

1949年(S24.10.2)
大映 109 000 000 10
大陽 000 003 431X 11

1951年(S26.5.19)
松竹 000 011 353 13
大洋 034 113 000 12

1997年(H9.8.24)
ロッテ 550 000 000 000 10
近鉄  001 140 301 001 11

ちなみに大リーグでは過去3回最大12点差らしい。
1911年6月18日にデトロイト・タイガースがシカゴ・ホワイトソックス戦で。
1925年6月15日にフィラデルフィア・アスレチックスがクリーブランド・インディアンズ戦で。
2001年8月5日にクリーブランド・インディアンズがシアトル・マリナーズ戦で。

逆転劇もすごいがこれだけ記録を調べている人も凄いわ。

2017年5月5日金曜日

張家界

子どもの日は丸々1日休み。でもどこにも出かけずずっと家にこもった。ここ最近のパターンでTVでビデオ消化と読書、ネットの日だ。

フェイスブックに知り合いの歯科医ウシカワ先生が画像をアップしていた。それを見て即コメントを送った。

「ク、クヒオ大佐・・(‾□‾;)」
これにウシカワ先生の返しが早かった。
「ナイスツッコミ!堺雅人みたいにイケメンじゃないですけど」
分かる人は分かるよね、ふふ。

ビデオでは先月BSであった中国の「張家界(ちょうかかい)」の絶景を見た。いや、さすが中国、日本とはスケールが違う。映画アバターの背景にも使われたカルスト地形の奇岩の数々がすごい。
高所恐怖症の人にはどうかと思われるガラス張りの橋や天門洞などの自然の造形など見どころがたくさんで多くの観光客が訪れるのも分かる。

番組ではその地域の人の暮らしも紹介されていた。その中に死者のためにあの世で使うお金を燃やすという風習が出てきたとき、カールが「あ、それ沖縄でもやるっ」と声を発した。「中国でもやるんだ」と言うが、それはきっと中国から伝わった風習だろう。鹿児島本土では聞かないな。BSではずっと前も九寨溝(きゅうさいこう)や黄龍(こうりゅう)などを紹介し新しい中国の観光地として有名になった。張家界もだがカルスト地形はこのような絶景を生むもんなんだ。私もきっといつか行く・・かな。

休みで家にいると裏のモリサンチーの飼いネコ「キタロー」と「ハッピー」がやって来てはエサをねだる。今日はキタローに上げた。すぐに食べ終わって「まだ(ないの)?」と顔をしたけど上げないよー。チッチは「キタローはすぐに食い逃げするから嫌い」って言っていたがまあそれもネコらしくていいじゃん。

2017年5月4日木曜日

釣り針を抜く&「ゴルフ場殺人事件」

長島のバタフジ先生に当番医を頼まれ朝から出かけた。外は好天気、行楽日和だったが、連休の中日ということで新幹線も肥薩おれんじ鉄道も混んではいなかった。

夕方までいて意外に多かったのが発熱の患者さんでインフルエンザを心配する人もいて何人か調べたが陽性はゼロ。ほぼ収束しているようだ。

一番最初に来たのが中学1年の男の子で釣り針が指に刺さってしまったという。こりゃ引き抜けないね。浸潤麻酔をした後、ぐいっと押し込み先か後ろをレンチでブチッと切断し抜いて上げる。見た目は怖いが最初の麻酔だけが痛いだけだ。



大腸内視鏡も組まれていて4件あった。午後もポツポツ患者がいて合間合間は久しぶりにクリスティーを読んだ。ごくごく初期のポワロ物で「ゴルフ場殺人事件(1923)」。処女作「スタイルズ荘の怪事件(1920)」に続きヘイスティングスがワトソン役を務める。購入したのは平成元年で読まずに放置していた5、6冊の中の1冊でこれを読めば古い小さな活字の文庫本ともおさらばできる。昔はこんな小さなのを気にせず読んでいたんだ。この本は日本語タイトルで損をしていると思う。確かに被害者はゴルフ場で発見されるがゴルフのプレイは全く出てこない。原題の「リンクスの殺人」の方がいい。別の出版社では確かそうなっているはずだが全作品を文庫化している早川書房のタイトルが一般的になっているので仕方ないか。

実は久しぶりに犯人当てに失敗した。霜月蒼氏の「完全攻略」では「・・あちこちで小さな謎に出会うが、後にこの謎たちが氷山の一角でポワロの推理によって暴かれるこの氷山、かなりの大物である」と解説されていて、それを私はおおよそ推理できた。で、それに安心してしまったきらいがある。解説でもそこをクライマックスに持って来ればもっとインパクトが強まったのにと霜月氏は残念がっている。真犯人を当てるよりそこがキモのミステリーだったのだ。例によってNHKBSでも平行して「ゴルフ場」を見た。ほぼ原作通りなのだが真犯人は途中ほとんど画面に出てこない。当てるのは相当難しいわ。

2017年5月3日水曜日

あれから10年

デンコーが亡くなって今日でぴったし丸10年だった。あこネーサ母によるとお寺でお経をあげてもらうとのこと、それで朝早く家を出て全線開通した南薩縦貫道を通り頴娃大川まで向かった。玄関からお寺まで54分。早く着いた。弟のヒラーキに「いつも遅いのに今日はまた」と冷やかされるほどだった。読経も10年前のような三部経ではなく20分ほどで終わり、塩屋の実家に戻ったのは9時前、あり得ない時間にくつろぐことができた。

しばらくして父の従弟のガルルおじさんに電話で連絡すると線香上げに来てくれた。ガルルおじさんは父と仲がよくこの前話題にした青空美Nsの祖父の兄に当たる。父と天文館に飲み行っていた話、19年前温泉に行きすぎて肺炎になり人工呼吸器につながれ生死の境をさまよい無事生還できてみんなに連絡したら「お前は本当にガルルか」とすでに死んでしまったと思われていた話など面白可笑しく語ってくれた。80才半ばを過ぎていまだ車も運転しこれからまた温泉に入りに行くという。元気そうでなりよりだ。

昼前にはヒトミンチョの家に寄り、ネコちゃんたちをなで、あくまきを食べ、世間話などして帰ることにした。(↓はそらん君とカール)
私がめずらしく食事するところを決めていて知覧のトンカツを出す店に寄った。この前、TVで紹介されていたので行ってみようと思ったのだ。ところがっ。着いた直後の13時半で店じまいだった。私たちの1分前に入ったお客はOKだったのに。ラストオーダー時間を把握していなかったのがいけなかった。残念。それでそば茶屋「吹き出し庵」に行ってみた。ゴールデンウィーク中だけど昼食時間を少しずれていたので待ち時間は少しですんだ。普通のざるそばを間違って頼んだがそこそこ旨かったわ。店を出て近くに黄色のイペーの木があって写真に撮った。沖縄で見て以来かなぁ。こんな鮮やかな黄色の木はあまりないので鹿児島でももう少し増えたらいい。

自宅の枇杷の木がそろそろ実をつけている。去年が大雪で全滅したが今年は小ぶりだが大丈夫だろう。色づいてきてあと1週間から10日すれば食べられるな。楽しみだ。

2017年5月2日火曜日

僻地診療、姶良北山

可愛いんだ理事長が休みで外来代診をし、さらに14時からはシマッチ院長が緊急の手術があったために北山診療所へ代診と代診づくしの日だった。

で、その北山はこれまでも何回が行ったことがある、姶良の奥にあるいわゆる僻地だ。青雲会病院は僻地診療も担っている。事務のジュリナガさんの運転する車に乗って25分くらいで着く。直前、「あら、キジが歩いている」とジュリナガさんが驚いて車を止めた。確かに道路をすたすたとキジが歩いていた。飼われているわけでもないだろうがさすが北山だ。ただこの直後、ヘビがとぐろを巻いていたのを彼女は私に言わなかった。言わないでよかったよ、大嫌いだから。

外来患者数人を診察し夕方から往診に出かけた。往診って私は久しぶり。以前は訪問診療を受け持っていて姶良や蒲生の田舎をあちこち回ったものだ。ただ北山の患者はケーワンDrが担当していて一度も来たことがなかった。最初に訪問したところは比較的近くで親娘で住んでいる一軒家で80代の老女が迎えてくれた。在宅酸素が必要な人だが「チューブが煩わしてくて」とその時は外していた。聴診のあと「煮しめを食べやんせ」と皿を出してきた。うーむ、私はあまり煮しめは好きでないし間食禁止を課しているから食べたくはなかった。でも全く手をつけないのも悪いので少しだけ食べたけどね。ところが看護師の二人は全部平らげた。彼女ら仕事で鹿児島に行っていて昼食もほとんど摂っていなかったらしい。渡りに船とはこのことか。

帰りに庭の小屋を見ると使われなくなった風呂やトイレが残っており、私は50年前の田舎の実家を思い出した。外で用を足さねばならず風呂は薪で焚く昔の日本の痕跡がここにはある。このあと狭い道をくぐり抜け数件回ったがどこも老人が一人(配偶者は入院したり施設に入ったり)でいわゆる限界集落、いや10年も経てば廃集落になるんではないかと思われた。だって若い人が敢えてここに住む理由がないものね。北山といっても診療所のあたりは小学校や天文台(スターランドAIRA)もあり青雲のまっちんNsは家も建てたししばらくは大丈夫だろう。診療所看護師に聞くと、「まだこのあたりよりすごいところがあります」という。何キロも奥には、車で入れず自家製(!)のトンネルを掘っているところもあるだとか。道路に幟(のぼり)が掛けられてあって「姶良のすんくじら 北山上自治会 れんげの里プロジェクト」とあった。みずから「隅っこ」と自虐的な言い方をし、れんげが咲く田んぼをアピールしていた。


診療所に帰ると「虫と皮膚炎」という本があった。こんな本珍しい。でもここでは虫刺症やマダニ、皮膚炎など多いのだろう。
著者は兵庫医科大皮膚科の准教授「夏秋優」先生。「なつあき」とはまたこの本にぴったりの名字だ。私とほぼ同世代で子どもの頃から虫取りが大好きだったそうでどうも趣味が高じてこの世界に入った印象。マダニの取り方など参考になったしまだ読んでいたかったが、17時になりお迎えの車が来てしばしの僻地診療は終わったのだった。

2017年5月1日月曜日

青空美は親戚だった

連休半ば、また出勤だ。ただ恒例の月曜朝礼と夕方の会議がないのは幸いだ。で、プリウスに乗ろうとしたらドアが反応しない。うん?と思ってポケットを探るとキーセットが入っていない。家の中に忘れたのかと戻るも見つからない。カールに尋ねても知らないとのことでこれは困った。昨日、ズボンを夏用に代えた時にどこかに置いたのかな。「とにかく急がなきゃ、私のを渡すから」とカールが自分用のプリウスキーを外して渡してくれ、これで出勤出来た。どこに置き忘れたのかなぁ。滅多にないことだが・・。

帰宅して原因が分かった。カールが犯人だった。テーブルの上にあった私のキーセットを間違って自分のバッグに入れ、しかも、渡したのは私のセットから外したものだった。人様のキーを勝手に取り、しかもそれを貸してあげるだなんて。ま、自他のキーの違いも分からないのだからボケている。カールは午後になってその事実に気が付き、あまりのボケぶりに一人大笑いしていたのだそうだ。血圧が低く朝は弱いんだというだけのことはあるぜ。

4/19の日記で「青空、風、陽」のタイトルで新人看護師の名前を話題にした。それを田舎の従姉「星娘」さんが読み、この間私にメールが来た。なんと、青空美さんは私の親戚筋の娘だった。いや、名字を見たときにうちの田舎にある名字だなとは思っていた。でもまさかねえ。彼女のお祖父さん(故人)はうちの父デンコーと従兄弟だった。先祖をたどると私の曾祖母と彼女の曾祖母の母は同一人物で私も「サト」という名前しか知らない。戦後まもなく、デンコーが高校を卒業し働きに出かけようというとき、「デンコー、ばあちゃんはお前がまた(家に)帰って来たときゃもう(この世には)おらんたっでねー」と言い、実際そのとおりだったとエピソードを父から聞いた程度だ。あ、田舎の実家には古い写真が飾られているわ。いや、こてる日記では名前は基本、仮名にしているからこのようなケースは滅多にない。ただ、話題が名前そのものに関することだったから本名を書かざるをえなかった。それで星娘さんが気付いたわけだ。

青空美ちゃんに今日そのことを伝えると、びっくりしていた。親戚といっても私とはほとんど付き合いはなかったからねえ。でも、彼女の実家が弟一家と近く、小中学校は弟の子どもらといっしょでアサちゃんとはバレーボールでデンタル君とは一学年違いでよーく知っているとのことだ。弟嫁のチエコンさんは青空美ちゃん一家ともよく知っていて付き合いもあるんだとか。

この日記に書かなければもしかしたら全く気付かずに過ごしたかもしれない。それにしても名付けの話題では皮肉めいたことを書くことが多いのに褒めていたのは珍しい。ふぅ、悪口でなくてよかったわ(⌒о⌒)。