2021年2月28日日曜日

おとぎの国の可愛い女の子

昨日のNHKのショート番組「せかほし5mim.」こと「世界はほしいモノにあふれてる」で「おとぎのチェコ」が紹介されていた。チェコは絵本が世界的に有名で「飛び出す絵本」などの技術が特に秀でているという。興味深かったのはなぜそのような優れた絵本がチェコで生まれたのかで、社会主義体制だっっというのが大きかったそうだ。というのもあらゆる本に監視の目があって少しでも体制に反するような内容のものは発禁処分になって、比較的規制が緩かった絵本にクリエーターたちの情熱が注がれたからなのだそうだ。なるほどねえ。


そのほかにもマリオネットも盛んで子どもたちが食い入るように操り人形劇を見ていた。そして私がもっとも目を見張ったのが見終わった母娘のインタビューでその娘の可愛いこと!まるで人形のようなという例えがこれほどぴったり来る女の子もそうそういないだろう。TVがタイムシフトで良かった。すぐに巻き戻して写真に収めたよ。青い目をしたセルロイドってこの子のことだったでしょ!
↓の人形よりも可愛いぃ!
いやはや、「おとぎのチェコ」って上の女の子を見せるだけでよーく分かる。実物のインパクトって強いなぁ。

2021年2月27日土曜日

海広しDrとバッタリ

 長島のクリニックへ大腸内視鏡の手伝いに行くために新幹線に乗った。出水に着いて降りようとしたら、同じ車両になんと海広しDrがいて同じく降りるところだった。彼は出水のクリニックのお手伝いをするため乗り合わせていたのだった。

いやー、昨年3月末の串木野ゴールデンボウル以来だ。串木野トリオリーグがコロナのせいで休止になってすでに1年が経とうとしている。海広しDrはこの前半年ぶりにボウリングをしたそうでとんとボウリングがご無沙汰になってしまったという。ボウリングアマチュア団体であるNBFのリーグ戦も再開したそうだからそろそろトリオリーグも再開するのでは・・と希望的観測だ。

コロナの世の中になって、私はボウリングは低調、麻雀は好調とはっきり引きこもりの影響が遊びにも出ている。また、高校時代の友人らとの定期の飲み会も1年以上参加しておらず人と人が会わなければならないイベントは低調どころか絶無に近い。

ボウリング仲間である海広しDrとこうしてばったり会えたのはコロナ窩もそろそろ終わりが見てきた証(あかし)であった、と後から思えればいいな。(ちなみに帰りの新幹線でも海広しDrとはいっしょだった。会えるときは会えるもんだ)

2021年2月26日金曜日

脇目も振らず歩いていた異様な男性

 今日は言葉は悪いがクソ忙しい一日だった。

外科から胃潰瘍の患者を引き受けたのは当たり前として、SayLoveClinicから大腸憩室炎、ツナセントラルクリニックから腸閉塞、バーチャヘビー医院から大腸ポリープ切除の依頼、ハッピーエンドクリニックから胆石胆嚢炎の患者の診療依頼が来た。このうち大腸ポリープは非常勤Drに胆石胆嚢炎は外科Drに診てもらった。いくら私に紹介といっても全部を引き受けたら身が持たない。午後の外来にはCOPD(慢性閉塞性肺疾患)で運転にも支障が出るという中年男性も来てそれは自分の専門ではないと思いつつもレントゲンから肺機能検査までやり吸入薬などの処方をして帰宅させた。在宅酸素も必要かと思い動脈血液ガスまで採取したが、ぎりぎり基準をクリアしていなかった。

そんな中、服裂き魔Nsから小学生の長男の登校についての話題があった。長男は早く学校に行ってやりたいことがあるんだとか。でも朝の7時半より早くは登校してはいけないそうだ。早く来すぎると生徒の安全を保証できないとか。なるほどね。「でも、そんなに危ないことってあるかな」と言うと「それが変な人が出るそうなんです」と教えてくれたのが、40歳代のおじさんが「パンツ1枚で歩き回っている」らしい。「おっと、そりゃ危ないな」と言って私は30年以上昔を思い出していた。

確か昭和62年(1987年)で、季節も春先の今頃だった。自宅近くの甲東中前の通りを薄暗くなった時間帯だったかな、車でゆっくり走行していると、向こうから、かーっと目を見開いてそれこそ脇目も振らず前を見つめて歩いて来る30歳くらいの男がいた。その形相が異様で、私も見つめてしまったのだが、ふと下半身に目をやるとびっくり、何とパンツ1枚だったのだ。「うわー出たーっ」と思ったが互いにすれ違いであっという間に離れていき、その後その男がどうなったかは知らない。K察官がすれ違ったら絶対に職務質問したはずだ。

もし自分の子どもが女の子なら絶対に近寄らせたくないね。いや男子でもいっしょ。薄暗い時間帯、学校には子どもを近寄らせてはいけない、子どもは学校に早く行きすぎても遅く帰って来ても良くはない。なるほど、先生方もよーく分かってらっしゃったわけだ。

2021年2月25日木曜日

田山幸憲さんが記事に出ていた

 夕方、ハッピーちゃんがエサほしさに窓の網戸に爪を立てていた。

なんだがまるで我が家のような振る舞いだな。
でもかわいいからエサ上げちゃったヨ。

末井昭という編集者はまったく知らなかったが、Yahooニュースに「東大中退のパチプロ・田山幸憲の死。過酷な舌がん闘病の果てに」という氏の記事を書いていて思わずクリックした。氏は「写真時代」という雑誌をヒットさせたが、発禁処分になって、「ライフワークのようなつもりで編集していた雑誌だったので、次に何をやったらいいのかわからなくなりました。それに、前年の10月に商品先物取引で大損したこともあってウツ状態になり、人と会うのが辛くなっていました」という時期に、以前はバカにしていたパチンコにハマってしまったのがきっかけでパチンコ雑誌を作ろうと思い、ある編集者から田山幸憲氏を紹介してもらったという。昭和の終わり1988年の頃である。

田山氏に「パチプロ日記」というのを書いてもらい、1988年12月に出した『パチンコ必勝ガイド』の最初の号は増刊号扱いで「内容的にはとても恥ずかしいもの」だった。ところが、10万部出して、それが完売したのである。すぐに月刊創刊となり、2年後には月2回刊になり、部数も10万部から40万部に増えて行き、関連雑誌の『パチスロ必勝ガイド』や『漫画パチンカー』などの雑誌も次々に創刊され、会社の売り上げの80%をパチンコ・パチスロ関連の雑誌が占めるようになったという。

私はもうその頃はパチンコはほとんど打っていなかったのでその手の雑誌を買ったことは一度もない。しかし田山幸憲氏はその編集者よりも以前に知っていた。学生時代、パチンコにハマっていたころ氏の『パチプロ告白記』(1977年刊)を読んで非常に面白くまたタメになったものだった。医学部1年先輩のトクダプロは「やっぱ、東大に入る人はパチンコを書かせても違うな」と感心していた。パチンコをテーマに雑誌が出来るものか?と言われていたそうだが、田山氏のエッセーなら読んでも面白そうだ。

末井昭編集長は言う。「一日中パチンコを打ってしまい、気が付いたら閉店の時間になっていて、負けてとぼとぼと家路に向かっていたとします。「ああ、オレ、何やってんだろう」と思いながら、缶コーヒーを買いにコンビニに寄り、雑誌ラックを見ると『パチンコ必勝ガイド』という雑誌があったとしたら「それは買うでしょう」と思ったのでした。だから、コンビニに配本することが重要でした。この説明では、なぜその人がパチンコ雑誌を買うかということを理解してもらえないかもしれませんが、パチンコを打つ人の「疚(やま)しさ、虚しさ、寂しさ」が、その雑誌で慰められるからです。マーケティングという抽象的なことではなく、パチンコを打つ人だけが感じているリアリティです」と。なるほどと思った。

田山氏は「パチプロなんかになるもんじゃない、何も社会に貢献してないんだから」「いくら稼げてもパチンコは遊びだ、あの姿が働いてるように見えるか?」「パチンコでその日の酒代だけ稼げればよい」と無頼な生き方を信条としていたようだ。「パチプロ告白記」にはパチプロ仲間の生態も出てきて興味深かった。あの本、どこにいったのだろう。また読んでみたいが、今じゃ手に入らないな。後に新書版になった本ですら中古で8千円以上するらしい。

田山氏は雑誌で10年以上連載を続けた後、舌がんで2001年に亡くなってしまう。氏は読者や知人に慕われていたようで、末井氏は「田山さんが亡くなった次の年から、田山さんの命日に、みんなで墓参りをするようになりました。田山さんのパチンコ仲間やライターや編集者やファンの人たちが墓の前に集まり、田山さんを偲んでいます。それがもう18年続いていて、年々墓参りの人が増えているのです。昨年はコロナ禍でみんなで行くことはしなかったのですが、一昨年は30人近く集まりました」なんだと。

一介のパチプロをこれだけの人たちが偲んでいる。氏の人柄なんだろうが、たかがパチンコでもそこに文化があり、皆の共感を得ていたからこそだろう。たかがパチンコ、されどパチンコである。

2021年2月24日水曜日

当直で仕事したたった一つのこと

 昼間は外来担当日で忙しかった。内視鏡は水曜日はしないのだが、以前から私が診ていた某患者さんが下血を起こしたため、夕方内視鏡を握らざるを得なくなり結局18時40分過ぎまで掛かった。その後は当直だ。いつもなら当直でもいっぱい救急患者が来て〜というパターン、これまでよくあった。しかし先週もほとんど来なかったし、実はこの後一人も外来には患者さんが来なかった。珍しい。

いや、どうもコロナ窩になってから救急車始め夜間外来患者が減っているんだ。受診抑制が掛かっているみたい。ちょっと気分悪いけど病院に行くのはコロナが怖いしーってか。本当に命に関わる場合はそうもいっておられないだろうが、その程度で受診しないのならまあ大した病状じゃなかったってこと。ある意味正常化か。

呼ばれたのは日付も変わっての未明、病棟から「心臓止まっています」とのこと。だが慌てず騒がず出向いた。老衰で担当Drからの指示で心肺蘇生不要とのコメントがカルテにあった。家族も看取るためすでに来院しているという。通常のお見舞いは原則禁止しているがこれは別だ。死亡確認し時刻を告げ病室を離れ死亡診断書を書いた。今回の当直の仕事はこれだけだった。すでに外は明るくなりつつある。そうだ、シャワーを浴びていない、さっぱりして少しだけ仮眠を取ろう。明けてもまだ午前の仕事があるんだしー。

2021年2月23日火曜日

丸新ソバ

 さて、天皇誕生日ということでお休みだ。それでカールに「お昼はどこか食べにい行こう」と前もって約束していた。しかしどこに行こう。私はこういう時の店選びが苦手でなかなか浮かんでこない。ちょうどサブアラドDrから電話が掛かってきて「今日は日直当直なのよ。ただいま運転中」とぼやいていたので「私は休みで食事でも行こうかと思っている」と言うと「いいな、だったら〇〇ハンバーグや△△トンカツなんかどうだ」と言うので「いや、なんか脂っこい。もっとあっさりしたのがいい」に対し「なら、丸新ソバは?」とのことで天文館の丸新ソバに行くことにした。

サブアラド夫妻の行きつけとのことで、アーケードの対面には同じくソバが売りの「いちにさん」もある。実は私たちは丸新ソバには行ったことがない。たまには専門店もいいだろう。車をT-MAXボウルの駐車場に駐め、午前11時半に入店した。最近の知恵で日曜は午前11時半までに店に入るのを実践している。それを過ぎて30分もすれば玄関待ちになることが多いんだ。

入ると空いていてすぐにテーブル席に座れた。カールはせいろソバに天ぷら付き、私は三色もりに天ぷら付きを頼んだ。三色とは普通の「せいろ」に「しらゆき」「田舎」ソバとそばの実の使い方で違う種類のソバを楽しめる趣向だ。↓左から田舎、せいろ、しらゆき。
↓これは一般的なせいろソバ。
いずれも本格的で美味しいが三つ食べ比べると田舎ソバがいかにもそれらしく固めなんだが、私はのどごしのいいしらゆきがいい感じだった。でも真ん中のせいろが一番無難かなぁとも思ったりして結局それぞれにいい味わいがあるってことだ。カールも「美味しかった」と満足してくれ(もちろん私のおごり)良かった。

帰りはT-MAXでボウリンググッズを買うことで駐車場代もタダになる。ちょうど車に乗ろうとしたら日置(へき)プロとすれ違い「YouTubeのヘキチャンネル見てますよ〜」と教えてやった。彼はYouTubeをやっていて時に役立つ知識や面白ボウリング動画を披露している。「ありがとうございます」って言ってたな。いまや、YouTubeはアマ、プロ問わず有力な情報発信アイテムだ。私はブログで精一杯でYouTubeまで手を出す気は起きないが、何かアピールしたいことがある人には比較的簡単に出来る時代になっている。プロボウラーもコロナで試合が減っていて大変だろう。日置プロは日本男子でも常に優勝を狙える一流プロ、YouTube見たりチャンネル登録して、ささやかながら応援していきたいわ。

2021年2月22日月曜日

女医さん

 朝礼のスピーチは女医のコジロDrだった。彼女はスピーチ冒頭でも披露していたが島根県は隠岐の島出身だ。およそ鹿児島にいて隠岐の島出身の人と会うことはほとんどない。彼女は高校生になったら松江まで出てきてそこから九大の工学部に進んだ。このあたりから九州との縁が出来てくる。大学院まで行った後に某製薬会社の就職し製薬業務に携わるが、徐々に人と接する仕事がしたいと思うようになり鹿児島大の学士入学(鹿児島地域枠)し医師となった。去年4月から青雲会病院に週4回勤務、大学に週1回血液内科に所属して研究にも励んでいる。結婚もし子どもも出来てまさにフルパワーで生きている。

私らの頃は学士入学とかはなかった。推薦入学もいや面接すらなかった。私も若干そうだったが、何のために医学部に入ったのか、医師になりたいのかすらはっきりしない学生でどうにか卒業出来たものの、10年以上本気で医業に取り組んでいなかった気がする。コジロDrのように回り道しても途中からはっきり医師になりたいと思って取り組める人は強い。患者さんやスタッフにも評判がいい。4月からは子どもが小学1年になるそうでますます忙しくなるそうだ。医学部入試で女性や年配者を差別していたとして少し前に批判されていた。それは真っ当なものだった。彼女が証明している。女医という言葉が死語になる日も近い。

病院も彼女らのために働きやすいいい環境作りをしていかねばー。

2021年2月21日日曜日

ネコの近所世界

 天鳳も八段基準の1600Pまで復帰した。ふう、かれこれ3週間もかかったわ。7年前はずるずると降段したが今回は這い上がって来た。やはり以前より力が付いて来ている実感がある。

カールが隣のネコのハッピーちゃんの首輪が数日前からないことを気にしていた。「あれがないと野良ネコと間違われていじめられたり盗まれたりしないかしら」と。するとちゃーんと新しい首輪をもらってうちにエサもらいに来ましたよ。

↓遠くでゲンちゃんが眺めています。
なんだか布で出来た首輪ですね。カールは「いいのしてもらったね。あんまし似合ってないけど」だってさ。↓

すると「なんですかぁ」って感じでこっちを見つめました。可愛いよハッピーちゃん。

11月初めまで来ていたケンちゃんはもうぱったり来なくなった。野良ネコだったからねー。ただ、来なくてもいいからどこかでちゃんと生きていてくれればいい。上の写真でハッピーちゃんが使っているお皿はケンちゃんのために買ったものだった。ハッピーちゃんは今とは違ってあの頃は絶対にこの皿では食べなかったナ。ネコの世界にも縄張りやしきたりがあるんやねー。ニャンニャン😸。

2021年2月20日土曜日

5分で半荘が終わったった・・

 今日の午後は、見せたまえDrの院長室でのリアル麻雀だった。メンバーはサブアラド、たつやまDrで、たつやまDrは昨年末に続いて二度目だ。

さて開局、私が親でドラは6索。すでに手の内に2枚あり赤5索もある。さらにダブ東、中、西も対子と親の満貫以上は約束された手だ。で、すぐにダブ東が鳴けた。


次のツモが間4索とこれ以上はない絶好のツモ牌になった。ここで7、8ピンを落とすか西を2枚落とすか・・少し迷ったが上がりやすそうな7、8ピンを残し西を続けて2枚落とした。これはどっちもあったなー。中が鳴ければ親のハネマンが確定する。そしたら自分で持って来て中の暗刻になり6、9ピン待ちで聴牌した。いきなりの18000点だ。さあ、出せ、出すんだ、6、9ピン。

と、上家のたつやまDrが7索をチーした。うん?断ヤオで上がろうとしているな。だったら9ピンを出せ、出しやがれこの野郎。おっと、言葉が口汚くなった。でもいきなりの勝負所で、これだけの絶好の大物手を上がりきれなけば後々響きそうだ。

そして中盤過ぎに対面の見せたまえDrがリーチ宣言だ。う、これはチトまずいか・・。宣言牌は何?それを見た瞬間、ほっとした。打牌は6ピン。私の上がり牌で親ハネ18000点だ。と?上家のたつやまDrも「ロン!」の声。ダブロンだ。「断ヤオドラ3、満貫です」ゲゲっ、ということはさらに8000点も見せたまえDrは失うことになり、持ち点2万5000点を一気に失い、ドボンで終了である。見せたまえDrも3面張待ちで1万ならイッツーの満貫手だった。

何と言うこと、たった1局で半荘終了となった。麻雀の半荘は普通は小1時間はかかるのにわずか5分ほどで終わってしまった。もちろん私がトップ。ドボン賞はたつやまDrに入りまずは私たちが好調な出だしとなった。

その後、何度も半荘を打ち続けた。でも結局この一局が尾を引いたか、見せたまえDrのほぼ一人負けで終わった。テニス好きの彼は、途中大坂なおみのゲームも気になって集中出来ず、「勝って優勝したからまだ良かった。これで準優勝だったら踏んだり蹴ったりだったわー」とほざくのが精一杯だった。

私は今年に入ってリアル麻雀4連勝でネット麻雀の八段はダテじゃないってところを示している。しかし冒頭の一局が運良く上がれたのも大きかった。あれが逆に69ピンより1万を持って来ていたら・・結果も逆になっていた可能性もある。運の良さも麻雀の勝ちには必要ということだった(そんなの分かっているよね、みんな)。

2021年2月19日金曜日

木全心一はなぜ循環器内科を選んだ

 私は患者さんの名前や生年月日などを見てそこから話題を広げる癖がある。

例えば太平洋戦争戦時中の生まれの患者さんに「あ、だから五十六なんですか」と尋ねるとまさにそのとおりだった。生年月日が昭和18年5月21日だったからだ。日本海軍元帥山本五十六はブーゲンビル島上空で撃墜され亡くなったのが昭和18年4月18日のことだった。しかしその死は国民には伏せられ1ヶ月以上経った5月21日に公表されたのだ。ちょうどその日に生まれた我が子に、親は山本元帥の死を惜しみ五十六の名前を付けたのだろうと推測したのだ。

また「完爾」という戦中生まれの患者さんもいて、「石原莞爾から取ったのですか」には「そう聞いています」だった。石原完爾は陸軍の有名な軍人で満州事変を起こしたこともでも知られる。東条英機を徹底的に嫌い対立し、病気もあってか戦犯指定から免れたが、本来なら東京裁判にかけられてもおかしくなかった。

以上の二人をしても、戦前戦中の有名軍人さんというのはある種スターだったんだなというのがよく分かる例だ。

ところで今日の中年男性は木全〇一という名前だった。私は「ほう、有名な心臓の先生と一字違いですねえ」と語った。木全は「きまた」と読む。鹿児島にはあまりいない名字だ。私は専門外だが「木全心一(きまたしんいち)」という心臓、循環器内科の先生がいるのを知っている。心臓の本で知っただけの会ったことも見たこともない先生だ。でも、何て言うか「この先生、まさに名は体を表すだな」と印象に残っていた。「木全心一」の漢字を並べ替え、「木」の横線をちょっと上にずらせば「不」になって「一心不全」となり心臓の代表的な病気である「心不全」を連想させるんだ。医学部卒業時に東大冲中内科(第三内科)に進みその後循環器を専門にしたのも、絶対に「心一」という名前から心臓に親近感を持っていたからだろうと私は推測している。

そのことを患者の木全さんに教えてみたら、予想以上に受けていた。笑って「いやー、えらい先生と名前が似ているなんてうれしいです」って。

それはともかく、名付けって大事って思う。木全心一教授が肝一や腎一だったら肝臓や腎臓の先生になったかも(笑)。

木全心一先生についての説明がネットにあったので以下記載:(川名正敏氏寄稿)
木全先生は, 循環器領域に限らずさまざまな領域での研究・教育・診療・医療経営で多くの業績を挙げられたばかりでなく, 東京女子医大では数多くの医局員を育てられてきて, その先生たちが日本各地で活躍されています. このような文章を私が書かせていただくのは僭越ではありますが, 本誌よりご依頼がありましたので木全心一先生のご指導を受けた者の1人として書かせていただきます. 木全心一先生は昭和8年東京にお生まれになり, 昭和27年都立千歳高校卒業後から東京大学へ進学され, 昭和33年に東京大学医学部医学科を卒業されています. 1年間の附属病院での臨床研修後昭和34年に東京大学医学部第3内科に入局されました. その後昭和38年東京大学大学院生物系研究科第一臨床医学専門課程博士課程に入学されて, 昭和43年同博士課程を修了されました. 東大第3内科に在籍されていた時代には, 心臓と自律神経に関する研究をスタートされていて, 心臓交感神経の分布や心臓交感神経を完全遮断した場合のカテコラミン分泌に対する影響を明らかにされました. 

2021年2月18日木曜日

鹿児島に積雪

 おちんちんに血が付いた若者はそのまま自力歩行で受け付けを通って帰っていた。救急外来から外を見るとまだ雪がちらつき空気が冷たかった。

4階の病室の窓から駐車場の私の車が見え、いっぱい雪がつもっていた。

こんな日に通勤せずに済んでよかった。もし高速道路が雪で通行禁止になったら、国道10号は時間が掛かり遅刻は必至、県道25号鹿児島蒲生線はスリップが怖く大変だった。ま、道路状況はそこまで悪くなく無事だったらしい。

午後は休みで早帰りした。家の駐車場横にはまだ雪が残っていた。
で、心配なのは枇杷の実だ。カールに言わせると「大雪の後は後で実が黒ずんで落下してしまう」とのこと。2016年の時がまさにそうで、生き残った実はわずか一つ二つだった。今回はどうか。せっかく豊作が期待出来るのにこの程度の積雪でおじゃんになっちゃー悔しいよ。見ればなんとなく大丈夫そう。↓。耐え抜くんだぞ枇杷ちゃん、私に食べられるために。うん?

2021年2月17日水曜日

救急外来20年経験し初めての患者

 今月初の当直だった。しかも二次当直で救急車は優先的に受け入れねばならない。

しかし案に反して夜間呼ばれなかった。0時ちょうどに当直室に入り、YouTube付けながらTVで全豪オープンのナダルのゲームを見つつ過ごそうと構えたのだが・・どっちも全く覚えていない。おそらく4、5分で寝落ちしてしまったのだろう。あとで胸に乗っかったMacBookProが邪魔くさかった。

外が明るくなってから寝覚めシャワー浴びて着替えをしている頃、救急ピッチが鳴った。うん?どんな患者だろう。

階段降りる時に信号Drとすれ違った時「雪がいっぱいつもってますよ」と言われ、初めて外が雪だと知った。大きな建物の中にいると全く気づかないものだ。

さてやって来たのは20代後半の若い男性。訴えは何かというと「朝起きたら手に血が付いていておちんちんから血が出ていた」というもの。私も救急外来をやって20年以上経つがこんな訴えで救急車で来た患者は初めてだ。とにかくもそのおちんちんを確認する。血精子症なる泌尿器科疾患もあるしー。だが実際は陰嚢の毛根部にちょっとした引っかき傷のようなものがありそこから少しだけ血がにじんでいただけだった。おちんちんは腫れてもいないし痛くもない。

ハイ、帰ってよーし!

2021年2月16日火曜日

オリンピックやるべ!

東京オリンピックの森会長女性蔑視発言で辞任騒動があり、後任を誰にするかでいろいろもめている。私はあまりこの問題に関心がなく、それより東京オリンピックが開かれるか、いや開催するために関係者が一丸となって頑張って欲しい、そこに気持ちが行く。東京オリンピック開催が決まって一部マスコミ(私が知る限りTBS)以外はみんな喜んで期待していたではないか。自国での夏のオリンピック開催なんて50年に1回あるかどうかの一大イベントでしょ。そりゃ、森さんはああいう人だから今さらだけどここに来てなんでみんな協力してオリンピックを成功させようという雰囲気に持っていかないのかなあ。いざオリンピックが始まればやっぱりやって良かったと絶対思うって。

え、コロナが心配だからって?

おいおい、オリンピックは7月から8月にかけてだよ。今は2月でまだコロナが確かに気になるけどそういう人って想像力がちょっと欠けているんじゃない。ワクチンも2月17日から先行接種が始まるし7月になるとかなりコロナは沈静化しつつあるって予想できるはず。逆にオリンピックを中止でもしたら「これなら出来たはずなのに」って思うよ、きっと。

テニスの全豪オープンだって周囲の状況で無観客にしたりで対応しているじゃない。それでも大坂なおみみたいに感動的な試合があってそれをTVで満喫できる。アスリートや観客に多少の不都合を強いるかもしれないが以前の日記にも書いたようにオリンピックは対応次第できっと出来る。森さんはこれまで頑張って来たかもしれないがこれだけ反発をくらえば辞任は仕方ない。とにかくみんなでオリンピックを盛り上げて行こうよ!

2021年2月15日月曜日

一人一人へのインタビューには気を付けよ

 レイカちゃんお勧めの韓ドラ「悪霊狩猟団 カウンターズ」はそこそこに面白く1週間で第12話まで見進めていた。4階病棟でちょうどレイカちゃんにばったり会ったので「ほら、もう12話まで見ているよ」と言うと、彼女「へーえ、すごい早く見ていますねー」と驚くので「え、全部見たんじゃないの?」と尋ねると「いいえ、まだ1話しか見ていません」と言うではないか。「は?たった1話で『愛の不時着』や『トッケビ』と代表作3つのうちに挙げたのかい」「ええ、見始めたばかりで面白そうと思ったから」だと。いやはや、最新の名作かと勘違いしたのはこっちの早とちりだった。でもまあ面白いからいいか。

この前、半藤一利さんを取り上げたが、NHKの半藤さんの番組の中で他にも印象に残ったのが「一人一人にインタビューすると人は嘘をつく」という経験談だった。半藤氏は元軍人さんにそれぞれインタビューをする役目を海軍に詳しい有名作家から仰せつかり、マメに回って結果を作家に報告しに行くと「それ、その人は嘘をついているよ」と指摘されたそうだ。なんとなればその一件があった時にその軍人さんはそこにはいなかったのは明白な事実だからということだった。故意か故意でないかは別にして一人一人へのインタビューにはそういう危険性もあることを承知していなければならないという戒めだった。終戦の直前の1日を描いた「日本のいちばん長い日」ではその間違いを起こさないよう関係者全員を一同に集め座談会として語らせたら、誰も無駄で間違った発言はしなかったという。

夕方、後輩のワイゲンDrから電話があった。青雲会病院の内視鏡非常勤勤務について知りたいとのこと。ほうほう、大歓迎ですぞ。4月からぜひ来て欲しい。ともかくも近々病院見学に来てもらうことになった。

韓ドラのせいかネット麻雀のせいか今日は特に肩が凝っていた。で、久しぶりにリハビリ室に行って徒手マッサージを受けた。うう、やはり効くねえ。お金を払ってでも受けたい。ただ今日みたいにわりにヒマな時間帯があるかどうか。せめて週に1回は受けたいぜぇ。

2021年2月14日日曜日

大坂なおみにパワーをもらう

午前中、天鳳打ちながらテニス全豪オープンの大坂なおみ対ガルビネ・ムグルーサ戦をチラ見していた。見始めたのは2セット目からですでに大坂は1セット取られていてこのセット取られたら敗退という厳しい場面だった。接戦でなんとか取り戻しセットカウント1対1のタイに戻した。しかし最終セットで先にブレークされ「これは厳しいな」と私はつぶやいていた。

ネット麻雀の方は好調で、先攻されても地道に打ってクイタンドラ3、中ドラ3などをそれぞれトップ目から上がってオーラスでは千点差くらいのトップ目に立っていた。ここではスピード勝負、何でもいいから早く聴牌し早く上がれば勝ちだ。

え、大坂、もうマッチポイントを握られたの?あーこりゃダメだわぁ。しかしサービスゲームだったのでここをデュースに持ち込んでしのいだ。でもまだ1ゲーム先行されている。このままじゃ5ー4からブレーク出来ずに負けるやろ・・。私の麻雀の方は南をポンすると次々に両面が埋まり25ピン待ちを聴牌した。8巡目に2ピンをツモってそのまま試合終了。トップで終わった。これで1150Pになった。まだまだ基準点の1600Pより下でいいとは言えないが七段に落ちる状況でもない。なんとなく昇り調子を感じる。

終わってTVの方に目を向けると大坂がブレークしてゲームカウントをタイに戻しさらにサービスゲームも取り逆に6ー5でリードしていた。このままだと6ー6からのタイブレークかなと思ったら、ここでムグルーサは息切れしたのかサービスゲームを1本も取れず、あっという間にブレークされ7ー5で大坂の逆転勝ちとなった。いやあ、ムグルーサも強かった、さすが元世界1位だ。でも大坂だって1位だったし全豪チャンピオンでもある。今大会は調子がいい。

例え劣勢でも自分を信じてプレイを続けた大坂なおみ、麻雀もいっしょだよ。冷静に正しいと思える打牌を続けるしかない。いっとき結果が出なくてもいずれ勝利がついてくる。その後の天鳳はラスることなく1300P台まで回復した。とりあえずの目標は1600Pだ。そこまで復活したら九段坂を目指すが3200P到達が必要だからまだまだ遠い。でも大坂のプレイを見ているとあんな風に頑張らねばいけないんだと思う。「パワーをもらう」という言葉があるが今日の彼女の頑張りは見ている人にまさにパワーを上げられるものだった。無観客だったのが惜しいがTVでも十分に伝わった。大坂よ、優勝目指せ!

2021年2月13日土曜日

「なんじゃこら大福」

 今日は長島に行って大腸内視鏡を行った。大腸癌検診があって検査申し込みが集中していて今回は1日で8件組まれていた。まだ申し込みがあるので今月はあと1回出向かなければならない。

朝から数件やって11時を過ぎるころにいつも職員がコーヒーとお菓子を持ってきてくれる。甘いもの好きな私には有り難いティータイムサービスだ。今日は一目お大福だった。手に取るとずっしりと重い。

「これはでかくて重いね」というと「院長先生が宮崎から買って来たものなんです」そして「『なんじゃこら大福』っていうんですよ」と教えてくれた。

「なんじゃこら大福?なんじゃそりゃ」

食べてみれば分かるとというので早速がぶりとやった。もち粉がぱっと飛び散る。大福だから餡子の味がじわ〜っと口の中に広がる。と、栗の味もした。さらにクリームチーズの味も。
うえ〜すごいなぁ。1個食べきるのは大変だぁと思ってさらにがぶりとやると・・。
今度はイチゴも出てきたヨ。若干の酸味と爽やかさが食べていて心地よい。それにしてもまさに「なんじゃこら」だ、この大福は。

宮崎では名物らしく、製造元の「お菓子の日高」は全国発送もやっているらしい。1個390円とそこそこ高いがこれだけのものならそんなものだろう。ただ生ものなので2個入り以上を冷蔵で賞味期限4日までの販売だとか。

まあ甘党には楽しい食べ物だが、8件すべて終わって昼ご飯になったとき、珍しく白ご飯を私は残してしまった。「なんじゃこら大福」は食べ時に要注意、であった。

2021年2月12日金曜日

半藤さんの遺言とは

カールが「昨日のNHKの半藤一利さんの特集番組はとても良かった」と語っていた。その時は私は同じ居間にいるも、ネット麻雀を打っていて、聞こえはするのだが中身は入ってこなかった。半藤さんはついこの間亡くなったばかりの作家で昭和史、特に日中戦争、太平洋戦争にまつわる戦史研究家として知られていた。

カールが特に印象に残っているのは、半藤さんは昭和20年3月10日の東京大空襲で九死に一生を得た直後「自分はこれからの生涯、『絶対』という言葉は使わないぞ」と言ったことだった。世の中には「絶対」というものはないんだ。「絶対」に自分の家は焼けない、「絶対」に俺は人を殺さない、「絶対」に日本は負けない、「絶対」に原発は安全だ・・なんて言えないと。「そういうものは嘘だ」と。でも一つだけ「絶対」がある。それは「戦争だけは絶対に始めてはいけない」ということだと語っていたそうだ。

そうか、その最後の「戦争だけは絶対に始めてはいけない」と語っていたというのは初めて知った。私は以前、半藤さんを特集したムック本を買っていて、東京大空襲が半藤さんの原体験だというのは知っていた。つい5、6年前に取り寄せた本かと本棚から取り出してみると2009年発行で2009年9月26日に注文していた。人気があってすでに新刊では買えず中古なのに販売価格の倍の値段で買ったが買って良かった。その本には確かそんな言葉はなく、「戦争だけは絶対に始めてはいけない」は最晩年に出版した東京大空襲での体験を絵本にした中で語っていた。いかにも半藤さんらしい言葉だ。

最初私はカールから「戦争だけは絶対にいけない」と聞かされた。なるほどとは思ったが少し引っかかった。日本が敵国から明白な攻撃、戦争を仕掛けてられても「絶対」に戦争をしてはいけないのか?そうは言ってられないし反撃するのが当たり前だと思う。この日記を書くに当たってタイムシフトでこの番組を見直すことにした。すると、先に書いたとおり「戦争だけは絶対に始めてはいけない」が正しい表現だった。それなら納得だ。人伝えに聞くと間違って伝わる、いわゆる伝言ゲームだ。

ともかくもなかなかの番組で、私はタイムシフトから録画保存にすることにした。カールは「ああいう番組を放送するからNHKに視聴料を払ってもいいと思える」という。確かに!
(文藝春秋増刊「半藤一利が見た昭和」本を購入した経緯は12年前の「こてる日記」にちゃんと書かれていた。それが自分で読んでも面白かったのでこのブログで再掲する。→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2009/09/

2021年2月11日木曜日

「建国記念の日」から大学教授を連想する

今日は祝日「建国記念の日」だなんて全く意識することなく休みを過ごした。今でもこの日については賛成派反対派それぞれの集会が開かれ、それが一応ニュースになっている。でも昔はもっと左派右派の色分けがはっきりする日だった。

印象的だったのは私が鹿大入学時、ドイツ語の教官荒川譲先生が反対派の集会で挨拶をしていたことだった。先生は単位取得が難しく「鬼の荒川」として教養生らに恐れられていて、自分の独語担任でなかったのを安堵したものだった。そのかわり山原という少し若手の先生が担当でそれでどうにか単位は取ることが出来た。荒川先生は集会で挨拶している表情を見ても厳しさが感じられ、気骨の人だなぁと思ったものだ。調べると1999年に鹿大を退官されている。まだ御健在だろうか。

そうだ、大学3年になり、基礎医学を学ぶころは第二生理学の橋村三郎教授が厳しいと有名だった。この方も妥協を許さない性格で「鬼の橋村」と恐れられていた。生理学1単位で留年をくり返している学生もいるとの噂もあった。どこの大学でも単位取得に厳しい先生は「鬼の」という冠詞が付き、逆に楽勝で取らせてくれる先生には「仏の」が付く。生理学の中でも神経生理が専門だった橋村先生の試験問題は、例えば「ピッチャーが球を投げるときの神経の働きを解説せよ」といった一体どう答えればいいか難しいものが多く、本試験の時にも私は困惑、全く自信の持てないまま終えた。当然追試、再試を覚悟していた。ところが意外にも本試で合格、追再試を受けずに済んだのには驚き安堵した。後で知ったのだが、橋村先生が急病で入院されていて、本人が採点をせず教室員に任されたからだとのことだった。

そんなラッキーもあり4年生に進んだ私だったが、いつまでもそう楽をさせてくれるはずもない。前年に単位を落としていた第一解剖学、第一生理学の追試もあって行き詰まり、何と医動物学(寄生虫学)1単位を落とし留年する羽目になった。医動物学の佐藤教授は温厚でニコニコした表情の先生だったが、寄生虫学1単位でもダメなものはダメとはっきりしている先生だった。4年生をもう一年することになり、医動物学教室に同じく1単位で落としたシェルゲン君と前期は出入りし、フィールドワークの付き添いやハムスターのエサやりなど手伝ったものだ。

ひょんなことから昔の教授先生らを思い出してしまった。調べると橋村三郎先生は2013年6月8日に逝去されていた。私が習った1980年当時すでに60歳を越えていたはずで天寿を全うされたようだ。ご冥福を祈ります。

2021年2月10日水曜日

「今、HPVワクチンを考える」

 鹿児島県医師会報2月号が届いていた。

巻頭の「時言時論」は医師会理事である久米浩太先生が寄稿されていてタイトルが「今、HPVワクチンを考える」で、おおと思い一気に読んでみた。

HPVとは子宮頸がんワクチンのことである。私は専門外ではあるがこのワクチンの問題については残念さと憤りの二つの感情がある。久米先生も書いているが、「日本では2013年4月から予防接種法に基づき定期接種化されたが、接種後の広範な疼痛や運動障がいなどの多様な症状が報告され、マスコミも副作用として大々的に報道、わずか2ヶ月後の2013年6月には積極的勧奨の一時差し控えが発表された」のである。そしてその後、我が国では子宮頸がんワクチン接種がほとんど行われていない悲惨な状況にあるのだ。ワクチン接種がされていないのはなんと世界で日本だけというくらいの状況で、それがきちんとエビデンスのあることならいざ知らず、偏向的な思考、報道のせいで、本来受けられるべき若い女性らが近い将来子宮頚癌の危機にさらされているのだ。

日本では主要5大がんの肝臓・胃・大腸・肺・乳がんが低下または増加傾向が止まってきているのに、子宮頸がんの死亡率の増加が加速しているそうだ。一方、多くの先進国では子宮頸がんの原因であるHPV16・18型の感染率が劇的に減少してきていて、実際に子宮頸がんの前がん病変である異形成や上皮内癌の発生が有意に低下していると報告されている。ワクチン接種の進んでいるオーストラリアではすでに2020年には稀ながんになって、2034年には子宮頸がんで亡くなる人はほぼいなくなるとの報告もあるそうだ。

日本では2002年生まれ以降の女子の接種率は1%未満というひどさで、WHOがHPVワクチンを国の接種プログラムとして導入すべきだと繰り返し推奨し、安全性も極めて安全であるとの見解を発表しているのにも関わらず、偏向マスコミと一部偏狭な考えを持つ人たちのせいで見直しがなされていない。久米先生も「HPVワクチンの有効性、安全性について最近知見、世界の動向をみる時、日本でも早期の積極的推奨を再開すべきと思うが今のところそのような動きはないようだ」と懸念を述べている。

まったくひどい話だし、残念だし、恥ずかしくもある。これで日本は先進国といえるのか。マスコミもデータを見ればどっちが正しいかははっきりと理解出来るはずだし、厚労省も及び腰で本気で日本人女性の健康を守る気があるのかと疑いたくなる。2002年生まれ以降の女性らは不幸である。毎年3000人弱が亡くなってしまう状況に対し、これだけ有効ながん対策はそうそうはないのにいったい何をやっている。

インフルエンザワクチンでも同じ筋肉注射だし若い女性のうちには「接種後の広範な疼痛や運動障がい」を訴える人は必ず出てくる。それならば、逆に子宮頸がんワクチンのせいではないとの証拠にもなろう。私が診た若い女性で頸がんワクチンの副反応があったという女性に確かめたら、打った「直後に」ひどい症状があったという。ほほう、ならばそれってワクチンの成分で起きたものではない可能性が高い。アナフィラキシーショックならもう少しあと(早くても数分後)に症状が出てくるはずだ。先の尖ったものが筋肉を刺激したせいだろうとだいたいは想像がつく。その後、その女性はどうもなく過ごしている。

日本のワクチン行政、諸問題でこれほどひどい状況を一刻も早く改善したいものだ。

2021年2月9日火曜日

「悪霊狩猟団 カウンターズ」

ようやくレイカちゃんに会うことが出来て「昨日の韓ドラのタイトルは何なの?」と尋ねたら「悪霊狩猟団」という聞き慣れないドラマだった。「Netflixで観ました」という。調べると確かにあった。ていうか、日本で配信が始まったのが今年の1月31日からで、韓国でも1月24日に放送が終わったばかりというから、私が知らなかったのも当然だ。正式には「悪霊狩猟団 カウンターズ」で韓国の原題は「驚異的な噂」という変わったタイトルで、最近よくあるウェブ漫画が原作ということだ。

「カウンター」と呼ばれる悪霊狩猟集団が、不老不死を目的に死後の世界から逃げ出した悪霊を探し出して召喚するという任務を担っているという設定でファンタジー&ダークな話のようだ。主人公のソ・ムン(韓国語で「噂=ソムン」になる)は幼くして両親を亡くし、障害もあって、学校でも弱者だったが、自分より弱い人がつらい状況にあると手を差し伸べる少年で、そんなムンがカウンターとなり、ヒーローに生まれ変わる。勧善懲悪がベースにあり人気を博したようだ。レイカちゃんもわざわざ「あの不時着」や「トッケビ」とならんで紹介するくらいだし、OCNというケーブルテレビでの過去最高の視聴率を取ったということで、今度ちょっと見てみよう。
実はこのところさすがに韓ドラにも食傷気味で、いくつか見始めたはいいがどれも途中で止めて完走できていない。昨年12月からインターネット業界が舞台の「恋愛ワードを入力して下さい」と2019年MBC演技大賞で話題を独占した漫画と現実世界が舞台のファンタジー「偶然見つけたハル」はUーNEXTでの課金が足らずいずれも2話までで視聴を止め、ホラー&ダークな「Sweet Home -俺と世界の絶望-」は5話で息切れしている。それよっか天鳳で七段を目指す方に力が入っていたからな。Netflixでのベスト10には相変わらず「愛の不時着」は入っていて1年間ずっとベスト10を維持というのは凄い。そしてなぜか7年前のラブコメ有名ドラマ「相続者たち」も6位に入っていた。ハンサムで有名なイ・ミンホ主演だし、それにこれはつい最近Netflixでの配信が始まったからのようだ。UーNEXTなどじゃ以前から配信されていて今さらだからね。

4階の韓ドラ好きサーヤ&マリンNsらとも久しぶりに韓ドラネタを語った気がする。ふと窓を見れば空が青くって春を感じさせた。まだ寒いけど季節は確実に春に向かっているぜー。

2021年2月8日月曜日

その韓ドラのタイトルは?

今週の朝礼スピーチは歯科口腔外科の三口川先生とリハビリのレイカさんだった。

三口川先生はいきなり海外の古い映像が流れ、これはインドのガンジーの葬儀の模様だなと思ったらやはりそうだった。先生は尊敬する人がガンジーなのだ。「非暴力、不服従」「自分の人生は真実の実験(真理の探究)だけでできあがっている」といったガンジーにまつわる話をしてくれた。

リハビリのレイカちゃんはまだ22歳くらいかな、就職2年目で例によって1年目は仕事に慣れるのが精一杯で2年目はもっと頑張りますというステレオタイプの発表だったが、最後に語る趣味特技などの項目が一番興味が湧く。前回のリハビリのワキブチ君はサスペンス小説、前々回の事務の森舞さんは韓ドラと旅行だった。レイカちゃんは韓ドラ、アニメと料理だって。おお、ここでも韓ドラが出てきた。つい数年前までは若い人には韓ドラはさほど話題になっていなかった。しかしレイカちゃんも言っていたようにコロナの影響で巣ごもり生活をしていく上で動画配信で韓ドラ、アニメを見るようになったということだ。

そこで彼女は韓ドラを3作、アニメを3作スライド上に挙げていた。韓ドラの2作はハングルで書かれていたけどすぐに分かった。「愛の不時着」と「トッケビ」だ。どちらも超大ヒット作品だ。しかし左端の作品は何だ?背景の画像を見てもまったく分からない。韓ドラについては作品は見ていなくてもたいていは知っているのだが・・。朝礼が終わって4階のサーヤ&マリンNsにも聞いてみた。彼女らとは韓ドラ仲間だ。しかし彼女らも知らなかった。サーヤは書かれてあるハングルを書き写して「調べてみる」だって。

うーむ、画像が不鮮明で4人の女優俳優の顔がはっきりしない。左の中年女優は見たことある。なんか食堂が舞台のようだが・・。作品名がはっきりしないのは居心地が悪い。森舞ちゃんは作品名を挙げて(彼女も「愛の不時着」「トッケビ」を挙げ、さらに2010年の「シークレット・ガーデン」を紹介していた)いたがねえ。サーヤのハングル検索も待ってられない。これはレイカちゃんに尋ねるしかないな。

と思ってはいたが、今日は会えずじまい。また明日聞こう。

2021年2月7日日曜日

コツコツという音が聞こえる

カールがまた最近メルカリをやっていて「テル君のシャツが今さっき売れた」とか言ってそそくさと送る準備を始めた。カールは「買い」が入れば「すぐに送る」をモットーにしている。でもすでに夕方で「あ、でもさっきビール飲んじゃった。黒ネコヤマトまで送ってくれない」というので「いいよ」と近くの宅配所まで乗せてやった。

で、これでどのくらいの儲けかというと「これは安くて差し引き361円だった」「このお金で今度テル君のズボンのクリーニング代に使える」とつぶやいていた。この前のギボヒサコの古いジョニーウォーカーの黒は少し値がして4511円だった。でも面倒の割にたくさん儲かるわけではない。「捨てるのはタダだけどこれは少しでもお金が入って来る」とカールは気にしていない。「1円2円を大事にする、これが本当に大事なことなのよ」うん、私もそれには同感だ。1円を常に大事する姿勢が続くと「あれだけ1円2円のために頑張って来ているのにー」と10円の損には耐えられない。10円を損せずに過ごしていると100円の損に敏感になる。100円を大事にしていると・・その先は言うまい。

服を洗濯しアイロンしガソリン使って配送まで手間を掛け598円で売る(メルカリに10%引きの59円払い、送料に178円かかって361円の儲け)。明後日、私の服のクリーニング代に255円をメルペイ(電子マネー)で払う予定だ。コツコツ貯めてしっかりと使い、こてる家にどんぶり勘定はない。当然、家計簿付けは絶対の習慣だ。カールは「うちの前を通ると『コツコツ』という音が聞こえるって言われないからしら」という。うむ、いいことを言う。「コツコツ」をこてる家の家訓にしようー!

2021年2月6日土曜日

自宅で会議に参加する

 土曜は先週に続いて休みで、午前は自宅で沖縄にある会社とのリモート会談(Skypeを利用しての会議)に参加した。メインはカールが話し、私は背後からちょっと意見を言う程度だった。実は私たちはMacがメインなのでWindows用のソフトであるSkypeは前日ダウンロードしたばかりだった(MacならFaceTimeというソフトがほぼ同じ機能だ)。ちゃんとつながるかちょっぴり心配していたけれど何の問題もなかった。

プリントをかざして相手に見せ、面談するカール。↓

ちょっと前まではカールが沖縄に行って、そこの会社の人と面談したりしていたが、沖縄がまだ緊急事態宣言中ゆえにこうした方法を採らざる得なくなった。しかし実際にやってみて相手が鹿児島にあるならいざ知らず、沖縄だったらわざわざ行かなくてもこうしたネットでの面談で十分かもしれない。やったことない人は少し不安や面倒に思うかもしれない。しかし小難しい設定はほんの最初だけ。今後はこういうやり方が普及発展していくのだろう。コロナ窩はそのきっかけになったと将来は歴史で習うのかも。

私が小学3年生くらい(1968年)のときかな。今のマルヤガーデンズが丸屋デパートだった頃、当時の最先端技術展のような催しがあった。家が近かったので遊びがてらに出かけていた私は、あるイベント場所でたまたま「ぼうや、ここに来て受話器もって向こうを見てごらん」と言われ小さなモニター画面を見るように言われた。実はそれはTV電話のデモンストレーションだった。私はテレビ(モニター画面)を見るが視線が合っていなかったようで「あのね、テレビの上の丸いのを見てごらん」と言われた。それがカメラレンズだった。「将来はこうした電話になるんだよ」ということのようだったが、技術的には50年以上前でも可能だったのにさほど普及しなかった。

実は電話で話す用事って相手の顔がない方が話しやすいものなのだ。下手すりゃ音声も不要なくらいで、だからメールやLINEがはやる。インターネット技術が進歩しパソコンでもスマホでも会議まで出来るようになってようやくTV電話のような技術が必要になった。私たちもどうにか時代に取り残されてはいないようだ。今言えるのは21世紀はデジタル技術が基礎の「通信」の時代だってこと。まさにインターネットなしでは何も始まらない時代になった。

2021年2月5日金曜日

気を付けよう、お受験ストレス

ある小学生の男子なんだが、先月から時起きる腹痛が我慢できずいくつかクリニックを回って、今日は当院を受診して来た。小児科では腸炎であろうとの診断で抗生剤をふくむ処方が出されるも効果がないとのことだった。

ベッドに寝かせて腹部を診察する。ふーむ、確かに腸の動きが活発で腸けいれんによる痛みが来そうだ。過敏性腸症候群の症状とみてもよいかな。何らかのストレスがこの子にはあるのだろうか。私はふと中学受験をしているのかもと思った。触診聴診が終わってちらっとこの子の様子を見ると、すぐに母親に濡れティッシュを要求し私が触れた部位をいちいち拭きだした。ずいぶんきれい好きだなと思った。

すると母親が「去年末くらいからこうなってしまったんです。私が『床に落ちたものを取ったりするとコロナがうつるかもよ』って言ってからなんです」と。いわゆる潔癖症になっっている。「それと中学受験を去年秋から始めて、私が『みんなに追いつかないと』と発破かけて、結構きつく勉強をさせました」ということで、それは私の予想が当たった。私も中学受験をやった経験者なので分かるが、この子には相当なストレスが掛かっている気がした。触れたものをすべて消毒しないと気が済まないらしく、友人が渡してきたプリントの紙も消毒するので気味悪がられているという。私には顔の一部が小さなけいれんを起こすチック症状が出た。勉強をあまりしなくなるとそれは消えたのでやはり受験ストレスから身体症状が出ることはよくあることなのだ。

とりあえずは腹痛が治まるような内服薬を処方したが、「一度心療内科の診察を受けてみたほうがいい」とアドバイスした。帰りがけ、その少年はドアノブを触った手をやはり消毒して帰っていった。それに1月は学校に数日しか行けなかったそうだ。うーむ、私にはこの症状を治す自信はない。専門の先生に診てもらったほうがいいだろう。中学受験は今では誰でもやるくらい普通になっている。しかし過熱するあまり、子どものメンタルがやられたり、進学してからの勉学へのやる気を削ぐようなさせ方は問題があると思う。

私が小学高学年の頃、隣の小学校に勉強出来るM君という生意気だが勉強の出来る子がいた。模擬テストが終わったあとの講習をいっしょに受けたりし、その際、イマイチ勉強の出来ない私はちょっぴりからかわれたり頭を小突かれたりしたことがあった。勉強も出来る上に体格も良くて私は反抗できなかった。結局、M君は希望中学に受かり、私は落ちた。時は過ぎ、私が鹿大医学部生も高学年になった頃、M君と同じ進学校出身で私のクラスメートのこっさま君が彼のことを話題にした。驚いたことにM君は別の地方医大に進学したがなんと自殺したという。驚いて私は口をあんぐりさせた。「(M君は)プライド高いやつだったからよほどのことがあったんだろうな」とこっさま君は言っていたが、いったいなぜ?と今でも疑問だ。受験ストレスが遠因として考えられないだろうか。

おかしい症状が出始めたら早めに親は対処し、場合によっては受験を諦めさせるくらいのことが必要だろう。不登校だけならまだしも自殺なんかされたら元も子もない。

2021年2月4日木曜日

コロナで死ぬ確率、ワクチンでショックになる確率

 ちょっと前にも書いたが、最近新型コロナワクチンに対する質問、いや不安といっていいかな、それが多い。患者さん、職員、知人問わずだ。

10年以上前に蕁麻疹とショック(血圧低下で意識が一時消失)を起こした患者が「コロナワクチンを打って大丈夫か」と尋ねても来た。インフルエンザワクチンは毎年打って特に問題はないという。ふむ、確かに一度ショックを起こしたことがある人は心配だろう。それは分かる。しかし結論から言って99%以上の人はワクチンを打って大丈夫だし、いや打つべきであると私は考える。

新しいワクチンとなれば何かと不安に思うのは理解出来る。でもそれをことさら強調し、いわゆる「情弱」の人に間違った判断をさせるのは良くない。「ワクチンは嫌だ」「ワクチンは不安だ」と言う人に私は尋ねてみる。「ワクチンを打ったらどのくらいの頻度でショックを起こしたり、あるいは死んでしまうか知っている?」これに正しく答えた人はゼロである。逆に「新型コロナに感染してどのくらいの死亡率か知っている?」にも誰も答えられなかった。

今日の読売新聞にそのワクチンのことが特集されていた。呼吸困難や急な血圧低下を起こすアナフィラキシーショックを起こす頻度はファイザー製で20万回に1回、モデルナ製で36万回に1回起きる。100万人に打てば5人から3人に起きる確率だ。ただ発症者の9割は30分以内に症状が表れ、全員が回復している。また発症者の8割には他のアレルギーの病歴があったという。だから問診でアレルギーの有無のチェックを行い、接種後30分は医師の待機する会場で監視し治療薬も準備しておけばむやみに恐れる必要はないのだ。

さらに付け加えればアナフィラキシーショックは一般的な薬剤やワクチンでも起きる。抗菌薬でショックの起きる確率は100万人でなんと370人から4590人もいて、これは2700回から220回に1回起きる計算になる。先ほどのコロナワクチンのとは比較にならない多さだ。なのに平気で「センセイ、抗生物質を下さい」なんて言ったりする患者さんもいる。

さらに言う。ワクチンだから心配するのかもしれないが、ソバを食べてもアナフィラキシーショックを起こす場合がある。国民全員にソバを食べさせれば一定確率でショックを起こすわけで、ワクチンを怖がる人はソバを心配するのと同じようなものだ。

そもそも新型コロナに感染したらいったいどうなる?東京都では最近まで10万3千人ほど感染し1014人が亡くなっている。死亡率約1%だ。ということは先ほどの100万に換算すれば1万人が亡くなっている計算だ。コロナワクチンはどうか。死んだ人は0人で100万に5人から3人にショックが起きる。ショックに限ってもコロナ死亡率の2000分の1の低確率でしかない。(あと副反応で打った部位の筋肉痛、倦怠感、頭痛などがあるがそれらはワクチンすべてに共通とも言えるのであえて確率から省いている)

私はコロナワクチンを心配する人に問いたい。

「さあ、コロナに鹿児島県民全員(160万人計算)が掛かったとしましょう。すると1万6千人が死んでしまいます。じゃー、ワクチンはどうか。誰も死にません。あ、気分が悪くなって治療を受けないといけない人が8人から5人は出ます。あなた、ワクチン打たずにコロナに罹りたいですか、それともちょっと副反応が心配だけどワクチン打ちますか」

冒頭、私はワクチンは99%以上心配ないと書いた。これは若干誤りだった。正確には99.9995%心配はないである。

2021年2月3日水曜日

五百旗頭真著「日米戦争と戦後日本」

南日本新聞を見ていたら、ラ・サール中高教諭の丸山晃氏が書評で五百旗頭真(いおきべ まこと)の「日米戦争と戦後日本 (講談社学術文庫)」について感想を述べていた。
その中で戦中時の外相東郷茂徳の知られざる功績が興味深かったという。東郷茂徳と言っても今は知らない人が多いかもしれない。
私は高校時代、東京裁判(極東国際軍事裁判)に関する分厚い本が愛読書だったので当然知っていた。名前からして鹿児島出身だ。ただあの元帥東郷平八郎と親戚関係はない。のみならず、実は本籍は「朴」で朝鮮から連れてこられた朝鮮人陶工の末裔である。明治になって東郷籍を士族から購入してその戸籍に入ったのだ。優秀だった茂徳は東大卒業後しばらくして外務省に入り、日米開戦時の外相を務める。そのせいでA級戦犯になり東京裁判を受ける羽目になるのだが、三国同盟には反対しナチスからは嫌われ、ずっと対米国協調派で戦犯とは反対とも言える人だった。裁判の結果は禁固20年、あのミズーリー号での降伏調印を推した戦時中と戦後直後の外相重光葵が禁固7年でこの二人だけが期限付きの刑だった。他は終身刑もしくは死刑だったことを考えれば相当に罪は軽かったといえる。(後、戦犯らは終身刑の連中も恩赦ですぐに出所できたくらいだったが、病気で2年後に獄死したのは残念だ)

同じく日中戦争時の外相広田弘毅は死刑になっている。軍人以外で唯一の死刑でこれは今から見れば不当な判決に思える。というのも、あの南京事件時の外相だったことが大きく影響していて広田にそれほどの重責があったとは思えない。裁判官の間でも意見が割れ、わずか1票差で死刑となったが減刑嘆願が起きるほどだった。東京裁判では南京事件の関与する割合は大きかったのだ。

話を東郷茂徳に戻すと、開戦前の御前会議で昭和天皇が平和を志向する発言をしたことを東郷は駐日米国大使ジョセフ・グルーに非公式に伝えていた。開戦回避に向けた必死の努力の一環だったという。この大胆な行為は開戦後に決定的な意味を持ち、それは本書を読んでのお楽しみだと。ふーむ、読みたくなるじゃないか。東郷はポツダム宣言を最初に知ったときに「これは基本的に受諾した方がよい」と主張するが陸軍大臣は猛烈に反対するなど時局を把握出来ていなかった。もしすぐにでも受諾できていれば原爆やソ連参戦はなかったかもしれない。そのあたりその本ではどう書かれているのだろうか。

もうこうなれば買うしかないな。さっそくAmazonで注文したわ。

2021年2月2日火曜日

「こんなことになるとみんな優しいね」

 朝、お出かけ前に天鳳対局をしてみた。驚いた。こんなにまでサンドバッグ状態になるなんて。ザンク、ザンク、四千、ゴミ、ニックなどと細かい手から中間手まで振りまくり上がられまくり、南2局の2千点放銃であえなくドボンしてしまった。八段最初のラスかぶりだ。無論1回も上がることなくオーラスに行く着く前にハコ点とは!スーパーヅカンこてるくんだ。下↓のスコア表示を見てみて。一度も満貫放銃はしていない。6回放銃にツモられ2回。ジャブジャブの繰り返しでノックダウンぜよ。

いきなりのきつい洗礼だ。あっけにとられ、そして逆に闘志が湧いた。お前らコケにしてくれるじゃん。前回の八段時と違ってそれなりに自信を持って昇段して来た。覚えておきなさい。

朝、カルテを見たら一番気になっていた患者さんが退院扱いになっていた。そしてすぐに合点した。深夜帯のうちに亡くなったのだ。やはりそうか・・。肝硬変の末期で腹水による膨満がとんでもない状況で、本日腹水を抜いてその中身からアルブミンを抽出し血管に戻す手技を予定していた。しかし本人曰く「明日まで待てない、苦しいからどうにかして」と懇願され昨日一部を穿刺排出してあげたのだが・・。事前に「いつ急変してもおかしくはない」と本人、家族には説明していた。未明になり状態が悪化し、本人が家族を呼んでくれるよう頼んだ。「今でないと死んでからでは遅いんだ」と。今はコロナのせいで簡単には面会はさせないようになっている。前夜も面会させていたということもあり、これはスタッフの判断で許可した。そして患者さんはこうも言ったと記録にあった。

「・・不思議なことにこんなことになるとみんな優しいね」

家族にはわがままで迷惑を掛けてばかりの患者さんだった。肝臓が悪いのに以前はお酒も止めなかった。しかし今際の時にはみんな心配で優しくなる。表情のことは書かれていなかったが文面から「ふっ」と微笑している様子がうかがえる。今回の入院も先月クニンダDrが入院しましょうと言っても頑として聞き入れず、先月末、どうにもならなくなって本人から入院を希望してきた。家族に看取られながらの最期であったのはせめても救いだったと思う。

2021年2月1日月曜日

2月になって

今年もはや1ヶ月が過ぎた。2月である。

泌尿器科に新しく三工田Drが赴任した。朝礼で挨拶をされたが実によどみなく丁寧な口調で人柄がしのばれるものだった。年齢は私より一つ下で長らく泌尿器科専門の医療施設に勤務していたが縁あって今年2月から当院に勤めることになった。泌尿器科Drが2人以上いれば結石破砕装置の使用も保険適用になり便利になる。うーん、泌尿器科はいいが消化器内科も常勤医が欲しいヨ〜。誰かいないかな本当に。

透析室にちょっと用事があって行くと、昨日まで内視鏡室にいた春の梅君がいた。臨床工学士としての本領は透析室での仕事か。頑張ってなー。5階病棟の相恵まれるNsも今日から透析室勤務へ変更だそうだ。ついこの間、子どもをいかに勉強させるかという話をたまたま病棟病室で熱く話したばかりだったのにね。透析室は月に1回行くかどうかの部署だからこれからちょっと縁遠くなるわ。

まだ寒い時期とはいえ、夕方は少し明るさが増して来ている気がする。夜はT-MAXへボウリング一人練習に行った。今回は6階があてがわれ、結局また最後まで一人しかいなかった。ボウリング場、まだ人が少ないアルヨ。黙々と投げたが1回も200アップしなかった。自分の場合、奥にオイルが少し流れていると食い込みが悪くなってスコアダウンする。スペアミスはあまりなかったもののストライクがいかんせん少なく180台が2回出ただけでアベレージは166。だめだぁ。

深夜、八段になって初の対局をしてみた。起家(対局開始時最初の親)でいきなり2千オールを上がり幸先が良かった。その後断ヤオチートイツモドラ18千点を上がったりと一時は3万7800とトップに立っていた。しかし、東ラス、上家の3巡目親リーチに何を切っていいか分からず(分かる訳がない)、4巡目に切った9萬でロン!裏ドラ乗って1万2000を打って3位に落ちた。結局これが尾を引き3位で終わった。なんとなく七段時代とすると楽に勝てない感じがする。相手は鳳凰卓のメンバーで何も変わっていないのにそんな気がするのはどうしたものか。意識しすぎかも。ま、気楽にやろうゼ!