2018年12月31日月曜日

大晦日の過ごし方

朝はゆっくりし10時を過ぎてから病院に出かけた。今日は検査科職員が午前のみ出勤するので入院患者の採血指示を出していた。病棟で結果を参考にしながら指示出ししているとどこからかスマホに電話が入った。料亭「高いってよ」からおせちを持って来たが誰も出ないとのこと。あいちゃー、カールは買い物、ギボヒサコはデイケア、そしてテルとチッチは朝寝をしている。「ピンポンをまた押して出なけりゃまた午後にー」となった。

午後は大晦日らしく、洗車や床掃除をして夕方年に一度のゲンちゃんの全身シャンプーをした。以前は年に数回以上やっていたがゲンちゃんがとっても嫌がるので大晦日のみになった。濡れネズミならぬ濡れネコのゲンちゃんを専用シャンプーで洗い乾燥室でドライヤーを当てる。これだけで少なくとも30分はかかる。でもすっかり乾くとツヤツヤした毛触りになりいい匂いがしばらく続く。みんながナデナデしたがるんだ。

夕食は当然の年越しそばにすき焼きでビールも飲んでTVは紅白かガキ使か。いや、チッチがいたせいかSUSUKEを主に観た。今回は最終ステージを横浜の海岸に特設し生放送をするという。それまで誰が残るのか放送され、結局サスケ君こと森本裕介が一人だけ残った。彼は2015年に完全制覇を果たしているので期待が出来そうだったが・・。わずか45秒であの塔のような頂上まで人力で上がるというのは本当に大変で、ほんのちょっとしたミスでわずか1秒ちょっと制限時間に間に合わなかった。周囲は野次馬ですごい人だかりだった。やはり録画と生では関心の度合いが違う。成功すれば相当話題になったとは思うがな。ただ視聴率は例年とほとんど変わらずで、紅白のサザン&ユーミン、米津玄師、ガキ使に負けたようだ。

ファイナル失敗が分かった時点でテルとチッチは家を出た。それぞれ自分の同級生らと年越し&初詣に行くんだとか。いやはや若いわ、やっぱり。かつての自分もそうだったような気がするが今は年始から外で夜更かしなんて・・。TVで年が変わった時には一人だった。カールとギボヒサコは寝ていて「明けましておめでとうございます」をつぶやく相手もいなかった。

2018年12月30日日曜日

予定通りには行きもはん

さあて、年賀状も出し終わり、テルとの麻雀勝負も終わって後は年の瀬を過ごし新年を迎えるだけかと思いきや、1週間前の「しんどかど整形外科」での「並の人生では満足出来ない人の会」のこてる日記書きが残っていた。これが結構大変なんだ。書くことが多い上にそれを読む人もいて漏らさずかつ面白くしなければならない。病院の忘年会、家族旅行などいわゆるイベントがらみの日記がこのパターンで、普通は1時間くらいかかるのが最低でも3時間はかかるかな。それでも今日は1日たっぷり時間があるからぼちぼちでいいやと思っていた。

だが、そんな態度でいるとたいていしっぺ返しが来るもので、午前9時42分に病院日直のオイドリッチNsから「タール便の患者が来ています」と連絡が入った。状況からして緊急内視鏡が必要だ。採血、点滴の指示を出し病院に向かった。患者は高齢女性で2週間ほど前に自宅で転倒し一部の骨に骨折を生じ某整形外科に入院した。だがここで鎮痛剤(NSAIDs)を多量に処方されたんだな。これで消化性潰瘍(胃潰瘍、十二指腸潰瘍)を起こし出血を起こしてしまったのだ。かつてはピロリ菌感染が背景の胃潰瘍、十二指腸潰瘍が多かったが最近はこのパターンが多い。

帰宅したものの今度は体がだるくて集中が続かない。やはり昨日麻雀の疲れが残っている。この後もだらだらと時間は過ぎ、夜の22時を過ぎると結局寝てしまい、日記を書き上げたのは大晦日の朝、すっかり日が差しきった頃だった。日記にも書いたが実質4時間はたっぷりかかっていた。今年も残り10数時間余り。あっという間に年は過ぎていくねえ。

2018年12月29日土曜日

テルとこてるの麻雀勝負

さて、見せたまえの院長室兼雀荘でテルとついに真剣麻雀勝負出来る日がやって来た。他の対戦相手は席亭の見せたまえDrに歯科医のジャズ魔先生。私との対戦が1年ぶりのジャズ魔はテルにとって同級生のお父さんでもあり全く面識がないわけでもない。ともかくも珍しい組み合わせの対戦は14時に闘牌開始となった。

開局、テルが親。私は自分の風牌の西を鳴いてドラ1の2千点で軽く蹴ろうとした。ところが4巡目にすぐに見せたまえがリーチ。これで慎重に打たざるを得なくそのうちオリに回らされた。ところがテルは苦しみながらも強い牌を打ってくる。巡目が進み終盤15巡目、「よし」とテルがツモった3索を見せ、ツモ断ヤオ一盃口ドラ1の親満4千オールを上がった。うーん、やるじゃない。でもこの後ジャズ魔が上がりを重ねトップで終わった。ジャズ魔はなにがしかつぶやき、しゃべりながら打つ。テルは若干このリズムに慣れなかったようで後で「打ちづらかった」と言っていた。

2半荘目は見せたまえがトップ。私がビリでテルは浮きの2位で3回目に初めてラスを引いたが4回目はまたも2位でプラスドボン料も手に入れプラスに転じた。この時ドボンさせられたのは私。しかもあいつは最初はわざと当たりを見逃し私をドボンさせなかった。させても自分が3万点を超えず浮かないからで、ゲームを続ける策に出て、その後親満を上がりドボンもプラスも両方せしめることに成功した。私にとっては屈辱的なあしらわれ方だ。この後テルは好調となり5回目6回目が連続トップだった。

私はこの後もトップを取れずじりじりした展開に陥っていた。後半、2位は取れるようになったが麻雀はトップが取れないと苦しい。トップが取れないままとうとう最後10回目の半荘になってしまった。ここまで来れば私の負けは確定した。テルはというとややマイナスがかさみほぼチャラくらい。私は頑張ったね。そして最後の最後やっとトップを取れた。テルをビリにして。結果、テルはその分の負けになった。私はもちろん大負けでテルよりも下だったのだが、テルの「オヤジたちとの麻雀でも負けはしない」宣言は阻止したわ。

プラスで終われなかったことでテルの自慢しいはなかった。ただ「3年前より成長している」というのはよく分かった。あと半荘開始前に必ず「よろしくお願いします」と言うのは感心だったな。見せたまえも「オヤジに比べてよく出来ている」だってさ。ともかくも今回の勝負、私の負けだった。

2018年12月28日金曜日

病院に出戻ったワケ

当直明けだが仕事は続く。ただし午後は休みにできる。で、いったん帰宅して失敗した年賀状をきちんとプリントして投函した。で、また病院へ戻った。夕方に御用納めの会があるからで、中身は理事長の今年の各部門業績スライドとラブカメ先生の「今年を振り返る」シリーズの2018年版だ。そして最後の「締め」は私の役目。だから引き返さねばならないのだ。

会の始まる直前、可愛いんだ理事長に「(仕事は)忙しかったか?」と尋ねられ、いつもは「ええ、いろいろと忙しくて」と答えて理事長も「そうか」となるはずが、「いいえ、そんなにはー(忙しくなかったです)」と返事してしまった。理事長「うん?」と意外そう。だって午後は仕事はせず年賀状書いていたわけでして・・(‾□‾;)。

ラブカメスライドでは私の撮った写真が半分近く使われていた。職員のスナップ写真をこれだけ多く撮っているのは私くらいなもので、院内では公認化の雰囲気もあり、特に写真を撮ろうとして新人さんが怪訝な表情をする時は「(写真の)係ですから」と答えることにしている。

最後の締めは一本締めがこれまで多かったが今年は万歳三唱にした。「平成」最後の年を見送り、病院の発展を祈念し、皆の御多幸を祈っての意味合いだ。

会が終わって病棟の仕事をちょこっとしてから串木野に向かった。今年最後のトリオリーグがある。前回は絶好調の私、今回もレーンコンディションは変わっていないからまた大活躍が出来そう・・のはずが、どうしてなの?終わってみれば3ゲームで493ピン。前回は705ピンだったから200ピン以上も落ちている。アベレージで70ピンもの差ってプロと初級者の差だ。その差って何ですかぁ〜?

2018年12月27日木曜日

腸閉塞と思いきや

(正月3ヶ日、なんと昨日から急性胃腸炎にかかってしまい、この2日、ほぼ寝正月。体がきつくて昨日の12月26日の日記もようやく書けたくらい。今日の日記も短いですが書き終わるのに2時間はかかっています。あー、きつい。)

今年最後の当直日だった。日付が変わった未明の1時半ごろ腹痛で来た高齢女性患者がいた。夜間なので採血は末血のみであとは腹部CTを撮ってみた。そこでの私の診断は腸閉塞。入院は必要である。点滴をし入院指示を出した。

だが翌朝の採血結果と再度詳しいCTを撮ってみてびっくり。急性膵炎だった。腸閉塞より重症になることが多い疾患だ。つい2、3日前同じような腹痛で急性膵炎の高齢女性が救急車で運ばれ、ピッピDrが担当しているが、年に1、2例くらいしか受け持たない疾患が続けて来るものかねえ。近頃、楽な当直が続いていたけれどそうは甘くことを知らされたわー。

2018年12月26日水曜日

百里を行くものは〇〇を半ばとす

本来は午後休みだった。しかし年末ゆえか仕事が重なり、結局夕方まで残ることになった。帰宅して今日中に仕上げないといけないこと、それは年賀状の宛名印刷だ。私は送る人たちをまずピックアップし一気に印刷するのではなく1枚1枚確認しながら刷っていく。こうしないとちょっと設定を間違っただけで何十枚もミスプリントしてしまうことがある。そうやって順調に仕上げていったのだが・・。

あと10枚くらいという時に私は小用を足したくなった。その前に慌てて10枚賀状をセットしたのだが、実は上下逆さまにしていたことに気付かなかった。帰って来て「さあこれで終わりだ」と1枚1枚プリントをし、取り出してみて愕然とした。8枚全部が上下逆になっていて自分の郵便番号欄に相手の郵便番号が枠にはまらず打ち込まれている。これは・・。(名前を消しているので分かりにくいですが↓上下逆さまです)

どうにかすれば届かないこともなかろう、がしかし、もらった人は余りいい気持ちはしないに違いない。少なくとも中学時代の恩師に送るものだけはきちんと印刷し直した。でももう官製年賀状葉書がない。すでに夜、中央郵便局まで行けばまだあるかもしれない。でもそこまでの気力はなく断念。明日カールにミスプリント交換をしてもらおう。ただ明日は当直なので手元にプリントは届かない。あー、せっかく例年よりはちょっぴり早く仕上がったはず、だったのにー。

いいことわざがあった。「画竜点睛を欠く」「高名の木登り」「百里を行くものは九十を半ばとす」「ボウリングパーフェクトを目指すものは9フレまでを半ばとす」ってネ。

2018年12月25日火曜日

やっと完成

朝、ついこの間帰省したばかりのチッチを乗せて姶良の運転試験場まで送った。今日が最終試験ということだ。すぐに病院に引き返し朝礼に出るも時間ぎりぎり、ふう。午前11時過ぎてカールから「チッチ受かった」とのLINEが入った。そうか、おめでとう。これで自動車の運転が出来るようになったな、でもプリウスはすぐには運転させないぞ。昔、セージにさせたら危なっかしいことやって冷や冷やしたもんだ。

医局で年賀状のプリントをしてみた。まあまあの出来なんだがチッチの言っていた「ゲンちゃんの顔が今一」が気になって顔だけもっと可愛いヤツに入れ替えることにした。「写真」アプリでゲンちゃんだけ拾い上げざぁーっと調べ、フォトショップで修正しまずまず可愛いゲンちゃんの顔になった。で、夕方70枚ほどプリントしたところで、カールから「そろそろ帰って来て」コールがあり途中で止め帰宅した。後は住所氏名の宛名プリントだけ・・のはずだったが、実はラブカメ先生から「御用納めのスライドに使う今年の職員写真を」との要請があり意外にこれに時間がかかり、結局何も出来ず発送はまたも延期か。ふ、まだ間に合う。元日にはきっと間に合うさ。
(↓2019の年賀状。
見て分かるとおり私と次男三男のいいネダンスと長男のひょっこりはんのパロ。
カールだけはバブリーダンス。いいネダンスに女子の服装がなかったんでネ)

2018年12月24日月曜日

年賀状作成過程

やや睡眠不足だったが昼前から年賀状作りを本格的に始めた。大方のデザインは決めてあるのでまずネットで集めた画像を構図どおりに貼り付ける。今度は家族の顔をPhotoshop Elementsで切り抜き芸能人の顔と入れ替える。9月に新バージョンを購入して操作性が向上し特に自動切り抜きが賢くなって多いに助かった。

まず最初に出来たのはテルだ。テルの顔は写真でいいのが無く動画を静止画にして当てはめた。次はセージ。左右反転や色調を変えどうにか上手くはまった。ここで2時間以上経過した。今回は私がど真ん中に位置するいわゆるセンターだがぴったりする写真がすぐに見つからず自撮りして当てはめた。うん、いい感じ。4番目はチッチでこれはほとんど手をかけることなく、出来あがりもごく自然で上手くはまった。問題はカールだ。一人だけ動きが違い顔のはめ込みもやや不自然になった。元画像がそういう絵なので仕方ないがカールに見せてこれでいいかと尋ねると「いいんじゃない」でケリが付いた。残りは家族の一員であるゲンちゃん、抱っこした写真を立たせているためとても不自然な動きをしている。それを少しでも目になじませるよう足元にはミニーちゃんボールを久しぶりに撮り直して置き、前足にはピンを持たせた。18時半ごろほぼ完成。ふう。

夕食後は疲れがどっと出てしばらくは仮眠状態になり休憩した。覚醒後は些細な点の修正と「明けましておめでとうございます」をどこに入れるか少し悩んだ。でも今回の画像とどうもマッチしない。で、初めて「HAPPY NEW YEAR」の英語ロゴを入れることにした。うん、やはりこっちがマッチする。「2019」も入れ、ほぼ完成したのが日付も変わった午前1時だった。チッチに見せると「テル兄ちゃんが一人外れているけど一番笑いを持って行くね」とか「ゲンちゃんが今一の顔だ」など忌憚ない意見を言ってくる。そうか、後からこうすれば良かったと思うこともありまだ余裕のある日時なのでとりあえずプリントは明日にしよう。

今日が休みで良かった。来年からは天皇誕生日が変わるためこの時期の休みが1日減る。年賀状に凝る私には少し痛い。いっそのこと25日を定期の休みにしてくれたら多くの国民がうれしがると思うんだけどナ・・。

2018年12月23日日曜日

第8回「並の人生では満足出来ない人の会」

午前は年賀状作りを少しして、午後は15時過ぎの新幹線に乗って薩摩川内まで向かった。毎年恒例くすのき会しんどかど整形外科主催の「並の人生では満足出来ない人の会」に出席するためである。しんどかど理事長やクリニックにゆかりのある人たちが招待され、クリニックの職員研修棟にて前半は講演会、後半はパーティなどがある。今年は去年に続いて船井総合研究所の社員によるセミナーがあるとのことで講演会から聴くことにした。去年講演の岡聡さんのは現代日本の人口減少、担い手不足にどう対応するかといった内容で非常に意義のある講演だった。

今年は唐土新市郎さんでこの間12月12日の日記で話題にした「1933年に船井総研に入社」された方である。「開演の前にお断りがありまして」と司会者が間違いを詫び訂正すると、「そんな年取ってないでぇ」と唐土さんが大きな声でのリアクションがあり語調から関西出身というのがすぐに分かるほどだった。私は一番前の席に座り講演資料に目を通すと講演内容は今時珍しい講師自筆のコピーだった。そしてタイトルが「2019年時流予測」。ついこの間参加料3万円(!)で中小企業の社長さん相手に講演をした内容のダイジェスト版ということだった。その講演会の様子がスライドに出ていたが「どのくらいの人数、参加していると思いますぅ」と講師が参加者に質問してきた。意外に多いということだろうが900人とは驚いた。そんな話をタダで聴けるのだから有り難い。

ところが、予測というのが「2018年は戊戌九紫火星(つちのえいぬきゅうしかせい)」であって2019年は己亥八白土星(つちのといはっぱくどせい)に当たる」とか、干支(えと)や占いに基づくものであった。うわー、これはまともな予測なんだろうか。はっきり言ってこの手のものは私は信用していない。TVで「さて今日の占いコーナーは・・」と言われるとすぐにチャンネルをかえるくらいだ。唐土先生は大学生のころから経営コンサルタントを志し船井総研の入社試験を受けるも落ちてしまった。でもここからがすごい。なぜ自分は落とされたのかをしつこく会社の人事部に尋ね、賛成反対の反対したお偉方に直接尋ねようとアクションを起こした。理由を知らねば次に生かせないと考えたからのようだがこれがきっかけで何と「入ってもいい」と。いわく「真正面の裏口入社」を果たした。すごい行動力だ。

講演内容はよく聴けば単純な占いなどとは違って至極真っ当なものだと思った。講師は入社後10年以上は普通のコンサルタントをやっていたが幼い頃から祖父父親に仕込まれた干支の知識などを開放してみるとこれが意外に好評で「時流予測」講演希望者も毎年増え続けているそうだ。資料にも書かれてあったが、目先が不透明で今はいいが何が起こるかわからないという感覚を経営者は感じているからではとのことでなるほど。で、面白いのが2019年の縮図は実は2018年の8月8日から8月20日の間に起こったことに集約されているんだそうだ。ちなみに2018年の縮図は、2017年10月10日から11月6日で縮図期間は毎年違うんだそうだ。本当かな?みんな忘れているだろうが、小池百合子旋風が「排除」という言葉を使ったために去ってしまい、この言葉一つで吹き飛ぶ2018年になるだろうと講師は思っていたところ、案の定、辞任に追い込まれた人がたくさんいた。うーむ。

生き方を貫く、ブレてはいけない、マサカに備える(消費税アップがないかも、オリンピックが開かれないかも)など興味深い話がこれでもかと出てきたが、小1時間では3万円分の内容を話しきれず、終盤は駆け足で話をされた。その中に「あい(愛)のふりかけ言葉5つ」というのがあってこの5つの言葉を使っていると悪いことは起きないという。それは「うれしい」「楽しい」「幸せ」「大好き」「ありがとう」の5つだそう。これはいい、いただきだ。実は今日のパーティの最後にしんどかど先生から「第1回からのフル参加メンバーを代表して締めの挨拶をお願いします」とLINEでお願いされていた。具体的には挨拶の内容を考えていなかったのでこの言葉を使おう。あと脱線気味の話題では「来年は改元の年で元号は何になると思います?私は『栄』の字が使われる気がする」と言われた。なるほど。いい線言っている。「明治大正昭和平成」の頭文字「MTSH」は選びにくいから「E」はありと思う。それと今年のラッキーカラーはパープルで来年はエンジに近い色だそうだ。そうか、新年早々買う服の色はエンジ系にしようかな。おっと、そんなのを信じない私が染まりつつあるよ。

パーティは席も決まっていて私はイタリアン家具のカッシーナ福岡の社員女性二人と生命保険会社課長の「元は通る」さんらの席といっしょだった。クリニックの歴史や今年1年のイベントなどの紹介スライドの後、猟奇院長の招待者略歴紹介があり、職員お手製の料理が配られた。去年も書いたようにこれが本格的でとてもいい。飲み物もワイン、ビール、焼酎など飲み放題でさすがのおもてなしだ。隣のカッシーナの野毬さんは「福岡では森伊蔵に魔王とかまず手に入らないんですよ」と飲み比べては味わっていた。私も飲める体質ならやってみたかったナア。

この会は毎年趣向を変えてきていて、この後、川内の吹奏楽バンド「ハニートラップ」の演奏が披露された。最初は私はこれも職員のお手製バンド?と思ったがそれにしては上手過ぎた。生演奏を間近で見聴きする機会はそれほどないからうれしいねえ。小学生の女の子もメンバーいたよ。↓

次は招待の三方に自身のエピソードを語ってもらうというコーナーで確か去年から始まった。トップバッターは私の隣にいた元は通るさんで、この人は元はMRでこのクリニックを訪問したのがしんどかど先生と知り合うきっかけだったそうだ。冬の韓国岳登山や転職のエピソードなど交え汗かきつつスピーチをした。次は弁当屋をしながら高校野球の監督もしているというゾノケンさんで高校野球オタクの私は当然その存在を知っていた。教員をしていた時期には甲子園めざし「久保、枦山やっつける(殺したる)」と意気盛んであった。確か決勝まで進んだこともあったが未だ甲子園出場は果たせていない。いかにも鹿児島県人のような風貌に見えるけれど、宮崎は都城で育っていて子どものころ都城がかつて島津に支配されていたと知ってすごいショックを受けたんだそうだ。現高校は私の出身地とも近いので応援したいわ。最後は歯科医のタニグー先生。彼は大学時代のバスケ仲間でツル前高校ではしんどかど先生の1年後輩に当たる。いろいろ話をした中で私は出だしの「えー、『並みの人生の会』に招待頂いて・・」と「名前からして私はタニグー、唐土(からつち)さんには敵わない」が印象に残った。「並の人生では満足出来ない人の会」とは啓蒙書のロベルタ・シェラー著「並の人生では満足出来ない人の本」から取っているという。これを縮めてしゃべると「並みの人生の会」になりやすい。でもそれだと意味が反対になってしまう。タニグー君だけでなく司会の人も言い間違えたくらいだからこれはちょっと仕方ないかも。

ていうか感想をどうのこうのと言っておられない、もうじき私も締めの言葉(スピーチ)をしなくてはならない。それがまだ完全にはまとまっていないのだ。うーむ、バスケがらみのこと、しんどかど先生の人柄でクリニックもここまで大きくなってきたのだろうこと、今日の唐土先生の講演を聴いてのことなどを交え話そう。「締め」はどうする?例の5つのふりかけ言葉を言おうと思っているが、最後を「ありがとう」ではなく「大好き」にしたほうが絶対にいいと思った。時間はあっという間にやって来る。「宴たけなわですが、そろそろ締めのお言葉を青雲会病院副院長であられますこてる先生にして頂きましょう」と司会の言葉があって私は小さな台に上がった。

まずは招待されたことに感謝の意を述べ、講演会も素晴らしいものであったと語り、しんどかど君とは大学時代から40年近くの付き合いになるも実は中学時代に県大会準決勝で当たっており、お互い知らずともその姿を見ていたはずとのエピソードを話した。後は卒業旅行での麻雀の話題など特にどうってことのない内容だった(と思う)。しかし締めはしっかりまとめねばー。

「このような素晴らしい会に来て『うれしい』『楽しい』『幸せです』。本当に『ありがとう』と言いたいです・・・しんどかど先生、『大好きです!』

その瞬間、会場が爆笑に包まれ、目の前にいたしんどかど先生が大笑いし後ろにのけぞった。しばらくはどよめきというか笑いが収まらず私は次の「ありがとう、くすのき会」のセリフを言えずにいたくらいだ。後日、しんどかど先生からの電話で「こてる先生のが評判良かったぞ」と聞き、まあうれしいことはうれしいが、これも唐土先生の講演のおかげ、さすがだと思った。

二次会は施設隣のガレージであり、鎮座していた車がモーガンからまたポルシェに代わっていた。聞けば前のポルシェは速すぎて還暦迎えたしんどかど先生にはやや手に余っていて売ってほどよい中古のポルシェに代えたんだという。例の滋賀のポルシェ専門店「ガレージしんちゃん」のオカタカシさんから購入し差し引きお金が戻ったそうだ。オカタカシさん、フェリーで車を持ってきて帰りは陸路で滋賀まで帰ったとか。コスト面もあるがやっぱりポルシェ好き、運転したいんだろうな。
二次会では猟奇院長が去年のこてる日記をスマホで読んでみせ、オッキーDrの「(同じ産婦人科医局の)見せたまえDrは入局時から『将来は雀荘のオヤジになりたい』と言っていた」に「今でもそう言っているよ」と教えてあげ、麻酔科のサッポーDrは「去年、話していた自宅での全自動麻雀卓、入れたよ」との話題で盛り上がった。自動卓は5、6万で済んだそうだから中国製の卓だとすぐに分かった。たまに動かないことがあるが何とかやれていると。ただ何回か人を集めて打ったそうだが面子集めはどこも難しく最近はご無沙汰だという。

22時を過ぎ23時11分の新幹線に乗るためそろそろお暇ということで、その前にカウンターにいた医療事務のミリー・ダイアンさんに一言挨拶をした。しんどかど整形外科の一般職員で唯一名前を覚えている人だ。ちなみに外人ではない。今日は彼女のお母さんも招待されていて「蛾裸車」という今月いっぱいで閉店する店のママさんである。猟奇院長がよく利用していたという。最後はしんどかど理事長以下みなさんに見送られ、クリニックを後にした。

いやぁそれにしてもしんどかど先生とこのイベント力すごいね。せめてこてる日記でその感謝の意を伝えよう。日付も変わり書き終えるのになんだかんだ4時間はかかったワイ(⌒о⌒)。

2018年12月22日土曜日

ねえねえ、お天気お姉さん、「嵐」のメンバーで誰が一番好きなの?

今月なんと3回目の麻雀である。今回は勝てるかどうかの他に過去4回負けている腹出しDrにどう対抗するかが自分の中でテーマだった。

初回の半荘でいきなり山場があった。起家の腹出しDrの親満手を上がらせなかったのが効いた。彼のダブ東を鳴いて一見混イツに見えない捨牌を私は警戒し「西」を切らずそれを七対子の待ちにしてリーチを掛けた。西は当たり牌でこれで流局となり腹出しDrはチャンス手を上がれず波に乗れなかった。逆に私はその後要所で上がり大きな3コロトップを取った。これだと以降余裕をもって対処でき、その結果8半荘で4回トップを取り、腹出しDrは一番の負けになった。これでこれまでの借りを少しは返せたわ。

帰宅して録画(タイムシフト)で私にしては珍しくお笑い番組「エンタの神様」を見てみた。麻雀をしながらチラチラと見ていて、日ごろバラエティー番組ばかり出ている漫才師や芸人たちが本業で勝負している姿が好ましく思えた。特にサンドウィッチマンとアンジャッシュが面白かった。アンジャッシュはいつもの勘違いネタの応用版というか「ラジオの生放送」のタイトルでお天気お姉さんが番組に来るはずが急遽来られなったという設定にし、お天気姉さんの過去にしゃべった録音を音声掛かりの児嶋一哉が細切れに使い、パーソナリティ渡部建の質問に答えさせるという趣向だった。

渡部:「まずは出身はどちらですかぁ?」
お天気お姉さん:「北九州市です
渡部:「九州なんですねぇ。で、そのあとに東京に出てこられたんですねえ」
お天気お姉さん:「九州地方から徐々に北上して来ました

ここで会場笑い。

渡部:「徐々に北上?途中大阪とかに寄ったのかな?次、お誕生日はいつですか?」
お天気お姉さん:「例年通りになるでしょう
渡部:「なるほど!去年と同じ日ということですね。自分で調べろってことかな、それは。ええー続いて、あ、きっちりしている方だなと思っていたんですけど(血液型は)やっぱりA型なんですねえ」
お天気お姉さん:「今後大型になるおそれはありませんのでご安心下さい
渡部:「で、でしょうねえ(汗)」

この次が秀逸だった。

渡部:「続いて、好きな芸能人は誰ですか?」
お天気お姉さん:「嵐となるでしょう」会場どっと笑い。
渡部:「あ、嵐ね。グループの。人気ですもんね」「嵐のメンバーで一番好きなのは誰ですかぁ?」おいおい、そんな質問大丈夫かよと少し心配になった。しかしー。
お天気お姉さん:「松本市です
渡部:「松本氏・・」会場、拍手と笑い。

この後は質問メールに答えさせる。

渡部:「お酒が大好きだと聞きましたがが、酔っぱらうとどうなるんですか?」
お天気お姉さん:「午前0時過ぎから明け方にかけて大荒れとなります
渡部:「そうなんですか!すごい清楚なイメージなのに」

渡部:「最近ご結婚されたそうですが新婚生活はいかがですか?」
お天気お姉さん:「汗ばむ夜が続いています」笑、笑。
渡部:「やらしいねぁ。ダメですよ、清楚なイメージなんだからー」と音声掛かりの児嶋に注文を付け、「そんなことない。あらためて・・新婚生活はどうですか?」
お天気お姉さん:「夜は非常に勢力が強くなります
渡部:「ダメなんだってそういうこと言わしたら!爽やかなんだから。そんなこと言ったら旦那さんも驚いちゃうですよねー」
お天気お姉さん:「予想より大きくなりました
渡部:「何てこと言うんだよ!」

あはは!

2018年12月21日金曜日

「ちゃんこって飲み物だったんだぁー」

昨日のモニタリング、冒頭の爆食三姉妹vs時津風部屋相撲力士は可笑しかったナァ。これまでも爆食三姉妹(実際の姉妹ではない)のもえのあずき、小原尚子、桝渕祥与(まずぶち さちよ)は居酒屋やラーメン店、たこ焼き店などで合コンで最初は可愛い女性のふりしていざ食べ始めると食いに食いまくって相手男性を辟易とさせるパターンだったが、今回は九州場所の時津風部屋の稽古場でのちゃんこ鍋対決、さすがに大食いの力士相手には敵わないだろうという予測を軽く蹴散らした。

でかいお椀や総重量4kgの巨大鍋を前にして驚いてみせる三姉妹を前に、部屋頭の正代関が「ふふ」てな感じでお椀いっぱいのちゃんこをわずか1分でペロリと食べ「まあ、ちゃんこは飲み物だからな」ってうそぶく。そこまでは「うわー」とびっくりする三姉妹だったが徐々に本性を現し気がつけば4kgのちゃんこを先に食べ終えたのは三姉妹の方だった。そこで爆食タレントとして有名なもえあずが「ぺろっと食べちゃった。飲み物だったんだー本当に」。これに弟子の丸っこい顔の力士が「え、なに、なに」ってお顔をキョロキョロ。このリアクションが最高だったネ。


ドン引きしていた正代だったが「もう一杯(4kgちゃんこ)行けますよね」という桝渕の挑発には「え、大丈夫っすよもちろん」となかなかの見栄っ張りとみた。しかし自身はほとんど食べられなくなって弟弟子にけしかけるだけ。そこで三姉妹が「私たちが装いましょう」とお椀を持って食べさせようとするが・・限界の力士たちには拷問にしか思えなかったな。で、2杯目もペロッと食べ終えた三姉妹、さらに驚いたのは3杯目のちゃんこもおねだりしたことだ。仕掛け人のちゃんこ作りの面々もさすがに驚いていたし視聴者もゲゲッとなったはず。いやー、絵面としても可笑しさとしても爆食三姉妹の傑作だったわー。

2018年12月20日木曜日

早め早めがいいと・・

木曜は主に内視鏡検査を担当している。姶良地区は大腸癌検診結果が出たことで今月は大腸内視鏡希望者が多い。毎日検査枠の5名いっぱいかそれ以上の大腸内視鏡検査を行っている。もちろん大腸の症状があって検査する人もいて今日は憩室出血の高齢女性が二人検査になった。これまでも散々日記に書いてきたように憩室出血はやっかいで下血している部位を発見できるかが勝負の分かれ目、今日は2例ともそこが出血部位かなという憩室をどうにか見つけ止血処置出来た。これに時間がかかって私が予定を組んだ検診患者はクニンダDrに頼んだ。結果は大腸癌だったようで今後の方針などクニンダDrにすべて任せた。

憩室出血は症状はひどいがケリが付きやすい。対して大腸癌はほとんど症状がないものの治療も慎重を要する上にこれで良しとなるまで5年以上かかる。中にはポリープの中にあるできたての癌で内視鏡での切除のみでOK、追加腸切除も不要な大腸癌もある。今日もう一人内視鏡をした高齢男性がそのパターンでしっかり切除できた。病理で癌部が深く潜っていなければ後は何の治療も要らない。

大腸内視鏡を受ける人も、結果、癌であるかそうでないか、癌であっても超早期か進行癌かで全くその後の人生すら変わってくる。人生が平穏でありたいと願うなら、検査は早め早めに受ける、これが一番である。

帰宅して年賀状作りに取りかからなければいけないのに、珍しくマッコリを飲んでみたらぽーっとなってそのまま床寝となってしまった。年末の仕事は早め早めがいい、そう毎年分かっているのにこのパターンなんだよなあ。

2018年12月19日水曜日

どっちが危険?医薬品VS健康食品

医学新聞に「ハーブやサプリで肝障害を誘発するケースが増えている」とのコラムがあった。サプリによる肝障害患者の9%が肝障害を再発していたが、従来の医薬品による肝障害患者では6%の再発と、健康食品の方がより危険であったという。その背景にはこれらの製品が容易に入手可能であり、消費者が従来の医薬品よりも安全で有効と信じていることがあるらしい。「自然のもの由来である」ために無害と信じ込まされ繰り返し肝障害が起きていたわけだ。

私に言わせれば当たり前のことで「販売前にろくにテスト(何重にも繰り返し行われる)もされずにいい加減な知識で売りつけてくる健康食品やサプリの方が薬よりずっと危険」なのである。医薬品は何重もの試験を受けどのくらいの副作用がでるのか、さらに発売後もその調査が義務づけられている。対して健康食品は制限がゆるい。みんな、なぜか「自然由来」のものに弱い。それらの冠をつけ、さも効き目に関しては有効、副作用はないという印象操作をやっているのだ。自然のものでもアクを取ったり毒抜きしてやっと食用になるものは数多くある。

「自然由来のものが一番である」というのは一種の「宗教」だ。ソフトに言えば「まじない」か。やたらに「自然の恵み」を強調する食品や商品には気をつけよう。

2018年12月18日火曜日

変則ダブルスの結果は

年末に帰省するテルとLINEのやりとりをしていて、麻雀が出来るか誘ってみた。29日の午後に鹿児島にいたらOKだ。ぎりぎり大丈夫とのことで、なら後もう一人だがサブアラドDrは当直で無理、歯科医師のジャズ魔に連絡すると珍しくも出来そうだという。テルは「麻雀打ちたいね、勝つけど」と相変わらずの自信家ぶりだ。ともかく正々堂々と勝負するためルール、レート、面子、場所(見せたまえDrの院長室雀荘利用)など必要な情報を細かに教えた。3年前は牌さばきだけは上手かったが「成長に驚くことを期待している」と言うからにはこちらも遠慮はせず雀歴10倍の差を見せつけてあげよう。

夜は恒例のボウリング練習。久しぶりにタナカッツMRも参加したが練習不足もあってやはりフォームが安定しない。ラスト2ゲームのダブルスは絶好調の私と当然組むことになった。相手はサンシさんにアンドキサMR。普通にやってはこちらに勝ち目はない。で、3回の投球のうち1回をタナカッツ、2回を私が投げるという変則なものにしてさらにハンディを5ピンもらうことにした。これが絶妙だった。1ゲーム目は163対163でハンディ分だけこっちの勝ち、10フレでアンドキサMRがスプリットを出さなければ負けていた。2ゲーム目は序盤にこっちにダブルが出て大きくリード出来ると思ったらタナカッツ君痛恨のガター。あっという間に逆転され、さらに相手にダブルを出された。いつもならここで離されがっくりのパターンだが2球続けて投球者は私。気合いでダブルをお返しした。そして9フレ、またもやアンドキサMRががっくりのスプリット。彼の球質のせいか1ゲームに1回は出る印象がある。これで161対164で、スクラッチでは私らの負けだがハンディ5ピンあり2連勝となった。タナカッツMRと組んで2連勝なんてほとんど記憶にない。アンドキサMRは悔しさと情けなさで「くそっ」だった。

ボウリングは力の差を常に数字で表すスポーツだからハンディも付けやすい。工夫次第ではこんなにも接戦、熱戦になる。対する麻雀にはハンディはないから絶対に勝たねば!

2018年12月17日月曜日

フサンコ画伯をまた祝う

昨日はフサンコ画伯の南日美展最高賞受賞のお祝いにカール、ギボヒサコと田舎まで行った。カールによると「午後の1時45分から始まる」と聞いていたのでゆっくりしてもよかったが、あこネーサ母のホームへ見舞いに行こうと早めに家を出た。ところが今日はホーム全体が面会お断りになっていた。冬故に何らかの感染症予防の必要があったのだろうか。残念ということで大川の墓参りに行き、会が始まるまでヒトミンチョ家にネコちゃんでも見るために寄ったら、「もうすぐしたら(会に)出かける」というのでアレ?となった。「祝賀会は11時45分からだから」とは「おい、カール、午後1時45分ってのは間違いじゃないのか」と確かめると「そんなはずは」とLINEを確認すると11時45分が正しく、カールの画面では11が1と1段落でずれていてそれで勘違いしたようだ。「ああ、数字が全角入力だからそんなことも起きるんだよ」私はこの日記でも数字は半角に統一している。その方が見た目もよいしうっかりミスもない。でもよかった、いつものように時間ギリギリに出ていたら終わったころに「とうちゃこ」だったわっ。

参加者は兄弟、従姉弟のみのこじんまりした会だった。フサンコ従兄の挨拶と感謝と我々の花贈呈のみで食事摂りながら絵の話ををした。それにしてもー。夏に県美展のこれも最高賞を取り、洋画を始めて4、5年の素人が1年に2つの最高賞を取るなんて前代未聞じゃないだろうか。「画伯」という呼び名が本当になってしまう。今回の発表も新聞配達の同好の士から午前2時半に速報(早すぎ)の電話があったそうだ。出品作品は事前に師匠の岩雑魚先生に珍しく誉められていたそうで手応えがあったのだろうが、それでもまさかの南日本新聞社賞とは思わなかったと。私も本当にびっくりした。選者のお偉方は何か催眠術にでもかかって洗脳でもされたのじゃないかと思った。

面白かったのは元になった川と橋の写真と絵の比較だ。確かに写真と絵とでは絵の方が趣があり色の使い方など好ましくなっている。(上;写真、下:洋画)

完成して先月下旬に弟のヨカトモ従兄の運転する車で運んだそうで大きくて包み込んだり車に載せるのも一苦労だったとか。ヨカトモ従兄も兄に影響されて最近絵を始めたそうでマジかよと笑ってしまった。でも定年を迎えているので絵画はいい趣味かも。フサンコ画伯はまだまだ謙虚で「デッサンの基礎が自分はまだまだだからそこも学んでいきたい」と全くおごったところがない。以前は暇ついでに韓ドラなど見ていたそうだが今は絵一本とのことで、そこまでしないとやはり大賞なんて取れないよな。この二人、食事が終わったところでカラオケを歌って踊ってみせてくれ、それが山本リンダの「狙いうち」「どうにもとまらない」。とても還暦過ぎおっさんのパフォーマンスとは思えず笑わせてくれた。

帰りは今度こそヒトミンチョ家に寄り、私は仮眠、カールはネコや絵の話などして過ごし帰宅した。気がつけば師走ももう半分過ぎている。明日から懸念の年賀状作りだ。おっとその前にボウリングや麻雀の約束もある。いつになったら始めるのやら・・。

2018年12月16日日曜日

「やっぱりステーキ」がやって来る

新聞のチラシに「鹿児島初上陸 やっぱりステーキ」「沖縄でうわさの溶岩焼きステーキ」というのがあった。店名は全国チェーンの「いきなりステーキ」を明かにパロったものと分かる。間違って入店する人もいるかもしれない。


実はこのチェーン、カールの沖縄の10才くらい年下の従弟のダイちゃんがやっているのだ。カールも沖縄の店で1000円ステーキを6月に食べたという。アメリカ留学経験があり以前は会社勤めしていたが、7、8年くらい前からか飲食店を営むようになった。ただ、カールが沖縄に行くたびに店の種類が変わっていると苦笑いしていた。しかし4年近く前に小さなステーキ屋を始めたら「そこが当たって今じゃステーキのチェーンで店が増えている」と聞いていた。今では沖縄にフランチャイズ(FC)店を含め17店舗となり、全国展開に乗りだし福岡や北海道などFC8店舗もあり今後も増える予定だ。

従弟に聞いたところでは、メインの1000円ステーキを実現させるためには如何にコストを下げるかだが「肉の質を落とすのはダメでここだけは譲れない」からと得意な英語でオーストラリア肉の交渉も自ら行い、後は問題の人件費をどう落とすかを工夫したそうだ。券売機導入、ご飯、スープ、サラダはセルフサービス、焼き具合は全てレアに統一、その後の焼き具合は富士山の溶岩石で各自ご自由にというスタイルで実現したと。

天文館は照国通りの近くにオープンのようで近くで歯科開業しているタニグー君はFC店のオーナーと知り合いだとか。へー、いろんなところでつながりがあるもんだな。また、カールの父方は商売気質があるというかそれで成功しているケースが多い。逆に母方の方は商売している人は一人もいない。公務員、会社員、医療系などお堅い気質だ。それぞれ家風の違いがあって面白いネ。

(今日は昼に田舎に行きフサンコ画伯のお祝いをしたが、これは明日書きます)

2018年12月15日土曜日

画面に向かって間違いを叫ぶ

今日は本来休みだったが、午後から夕方までの日直業務のため病院に出かけた。午後に所用あるDrに私が予定表を組んでしまいその代わりが他にいなかったためで、こんなパターン初めてのような気がする。

そんな健気な私に早速高齢男性患者がやって来た。庭で剪定中に誤って自分の左手中指を剪定したって?うわ、傷は小さいが爪も切れている。とりあえず局所麻酔をし縫合をした。「爪は・・どうしますか」「ああ、これくらいはよくあるから、ま、取れても大丈夫ですよ」ってどんだけ傷に慣れてんだよ。

その後病棟に呼ばれ診察をしているとまた外来から呼ばれた。今度膝下に傷を負った高齢男性だと。しっかり消毒し居所麻酔後縫合した。ふう、今日は外科医のこてる先生だぜ。

17時半になって非常勤の外科Drが来て交代した。で、今度は内科系の患者が来るんだよ、きっと。

夜、ネットしながらブラタモリをチラ見していた。訪問先は久しぶり東京で「豊洲」がテーマだった。海岸沿いの低い土地で高潮対策が必要だったということで、特に伊勢湾台風時の浸水被害がきっかけになったという。ほう、伊勢湾台風。防潮堤を造るも道が塞がれるからそこを坂道にしたとかどうとか言っていたが、私は画面の文字を見て「ウソだっ」と叫んだ。

「昭和35年 伊勢湾台風」・・これは明かな間違いである。NHKに電話しようかとさえ思った。正しくは「昭和34年 伊勢湾台風」だ。絶対に間違いようがない。なぜならその日は私が生まれた日だから。

2018年12月14日金曜日

今年最高705

鷹を飼う病院の大勢のスタッフが青雲会病院を視察に訪れていた。電子カルテ導入を控えすでに導入10年以上のうちから学びたいということのようだ。大学内視鏡の忘年会で同病院勤務の松ピカ先生からも聞いていた。確か鷹を飼う病院は新病院に移転して何年も経つのに電カルにはなっていなかったんだ。

するとLINEにチョコの名前で「お疲れさまです。はやってるや内科にいたチョコです。今日は鷹を飼う病院で青雲会病院を見学させてもらっています」と連絡が来た。はやってるや内科の内視鏡室にいたチョコNsか、実に久しぶりで15年以上は経っている。勤務先をかえていたとは知らなかった。で、昼休みの後ラウンドしているスタッフの中に見つけ挨拶した。今の病院でも内視鏡室にいるようで「件数も増やしたいしレイアウトも検討中なんです」と。ほう、件数なら青雲会病院は胃カメラは25件以上毎日あるから参考になるだろう。見学に来てというと「ぜひ!」ということだった。

夜は串木野トリオリーグでボールはまたニルバーナを持っていった。今月のレーンコンディションに合うかやや不安だったけどこれが全くの杞憂に終わった。奥でよう曲がってくれピンアクションも最高。1ゲーム目10フレで10ピンをミスって205だったがチームは278を出し、2ゲーム目も241でサンシさんも225の好調でチーム278と連勝した。ただ海広しDrは昨日の麻雀に続いて不調でいかんせんストライクが出ない。2ゲーム目でようやく出て調子も上がるかと思いきや3ゲーム目はスプリット3回に見舞われがっくり。それに対して私はストライク連発で7連続の259も出てしまった。3ゲームトータル705ピンと今年最高のハイシリーズだったかも。これはニルバーナなしでは考えられない。これまで「曲がりが不安定で使えないボールだ」とお蔵入りにしていた自分が恥ずかしいわ。

帰り際にリーグ成績表を見ると、個人ランキングは3ゲーム711が1位で706が3位だった。ああ、あの10ピンをきちんと取っていたら1位になっていたのにー。ともかくメインのインフェルノブルーフレームの代わりにニューボールをと思っていたがしばらくはその必要もなさそうだわい。

2018年12月13日木曜日

ボウリングのメンバーが雀荘に

ちょうど1週間前の串木野トリオリーグメンバー飲み会で話が出た麻雀対戦、さっそく今日の夕方行われることになった。雀荘は海広しDrの行きつけだった騎射場は「雀遊(旧マルビー)」。ちなみに私はすぐ隣の「パール(現:マル雀)」が主戦場だった。車で行った私は駐車場がないのですぐ近くのタイムパーキングに駐めた。店に入るとすでにアンドキサMRは来ていた。あとの二人が来る前に雀卓をチェックすると大洋技研のセビアだった(雀卓オタクの私は一瞬でどの機種か分かる)。かつての最高機種アルティマの自動配牌が省略された機種だがそれでも鹿児島では高い機種に入る。ただ相当使い古していてマットは擦れて色あせてもいた。見れば床も一部剥がれているのに補修はしていない。学生街の雀荘ゆえに余裕はないのかも。マスターが一人いて私たちの他には一卓だけ動いていた。アメニティは低いがその分1時間800円でこれは安めの料金だ。飲み物も最初だけサービスで後は自販機で買うスタイルだった。

4人そろってさっそく闘牌開始。記念すべき初上がりは海広しDrがエリックMRから断ヤオドラ3の子の満貫だった。ほう。ところがその2局目、私はいい手だったがなんかおかしい。あれ?牌が足りない。何と少牌をしていた↓。
こんな初心者みたいなミスをするなんて・・。場所も面子も牌の感触も日ごろと違っていたせいだろうか。上がり放棄でひたすら振らないよう打つのみ。でも結果全員ノーテン。全く被害がなくこれはラッキーだ。この半荘、海広しDrに続いて私は2位で経過し、南場に入って親でチートイドラ3のチャンス手をエリックMRから上がり、彼がドボンになって私が逆転トップで終了、幸先いいスタートとなった。

で、この後も調子良く3連続トップで今日の負けはほぼ無くなった。このメンバーで毎月のように打っているのは私くらいで海広しDrは年に数回、MR二人は7年ぶりと10年ぶりというから明らかに実戦不足だったのだろう。それだけでなくそんなことあるのというツキのなさも特に海広しDrにはあった。その場面。彼とアンドキサMRの二人リーチに私はタジタジで安全牌を切って暗刻の「東」も1枚降ろすなど降り気味に打っていた。すると17巡目に危険牌と思っていた牌が通り、さらに最終ツモの前にエリックMRが東を切って、それを鳴き直せばまた聴牌復活するという場面で私は迷いながらも鳴いて聴牌を復活させた。待ちは役なしの間7索、形式聴牌料欲しさのさもしい鳴きであった。問題は親の海広しDrに海底牌が回ることで、普通、この打ち方は良くないとされる。親リーチに海底牌を回さないためにわざと鳴いてツモ牌をずらすこともあるくらいだ。しかしである。海広しDrがツモったのは何と7索。聴牌料どころか私の河底ロン!赤ドラ、供託リーチ棒3本積み場付いて5千3百点のおいしい上がりになった。やられた方からすればそんなのあり?だ。
(↓こんなのが上がれるって滅多にない)

こんな調子で私以外全員沈みの状況で半荘4回目、突然エリックMRが調子良くなった。彼のリーチに対し字牌を切るとそれが一発で満貫。海広し、アンドキサの二人リーチにあたふたした私は降りるのに精一杯のところ、間隙を縫って上がる。何をやっても上手くいってこの後本人もびっくりの3連続トップを取った。この間私は沈まないように打ち全部2位。海広しDrアンドキサMR二人が一度もトップならず負けになった。川内在住の海広しDrの新幹線時刻もあり22時半にはお開きになって、中央駅まで送って行ったが「うーん、前回(2012年)のリベンジをと思ってましたがやられましたネ。また次もやりましょう」とは海広しDr。うんうん、こんなはずでは・・と雀士ならそう思って当然。いいでしょう、今年はもう無理だろうが来年また!

2018年12月12日水曜日

1933年に入社する

週のうち火水木は朝9時からスメア検査を担当している。最近はドックでの希望者が多く多い時には8、9人にもなる。たまに早めに検査室(狭い)に入った際、暗くて電灯のスイッチが分からずそのまま椅子に座って待っていたら後から来た看護師を驚愕させたことがあった。今日もまた・・。ごめんなさいネ、野次舞Nsさん。

しんどかどDrから年末恒例の「並みの人生では満足できない人の会」の案内状が届いた。夕方からの親睦会の前に「経営セミナー」もあり去年もなかなかいい話だったので今年も参加するとメールで返信した。ただセミナー講師のプロフィールに「1970年生まれ 1933年XX会社入社」と書かれてあったので、「あはー、入社年を入力ミスしたな」とピンと来てそこを指摘しておいた。これは1993年の間違いだろう。でもそのままでは面白くないので以下のように書いた。

「・・あと、余計かも知れませんが、講師の方の入社年が昭和8年(1933年)になっていまして多分間違いではないかと思います。昭和8年ですと日本は国際連盟を脱退し激動の時代が始まった年で、さぞかし入社時は大変だったろうとお察しします。」

ふふ、その年の2年前、日本(関東軍)は有名な満州事変を起こし中国との泥沼戦争の発端となった。そんな年に現代人が入社するはずもないね。やがて「先生、ご指摘ありがとうございます。1993年の間違いでした。当日、司会より訂正とお詫びをしてもらいます。ありがとうございました。」との返信が、当然のように届いたのであった。

2018年12月11日火曜日

母も妻も同じ相手に失う

今日は15時までの勤務にしてもらった。自宅でカールとともに某社の人と会う約束があったからだ。それに2時間以上かかり、夕食はすっかり暗くなってからだった。

テーブルにこのところポツポツ来る喪中葉書があって、見てみると知り合いのグチやん君から届いていて、ハッとなった。見れば案の定「奥さんが今年1月に46才で永眠して・・」と書かれてあった。ああ、去年か一昨年に「ステージが進んでいて」とのことで厳しいとは聞いていた。今年に入って彼と一度も会っていないので亡くなっていたとは知らなかったのだ。母も妻も同じ病気で失うことになるとは、グチやんも運命を呪わずにはいられなかったろう。この件で私は前にも書いた、現代では予防出来る病気だけに残念なことだった。(今日は短いがこれで終わりにします)

2018年12月10日月曜日

10年の無念を晴らす

ムッちゃんNsが最近週末を韓ドラDVDで過ごすようになっている。わずか数日で韓ドラ1作を見切るのだという。「平日に見始めたら大変。遅くまで見てしまって生活が崩れる。だからもう金曜の夜からしか見ない」んだそうだ。「で、昨日まで何を見ていたの?」「『太陽がなんとか月』・・」「ああ時代劇の『太陽を抱く月』ね」「そうそう」タッピーNsが一押しの作品だな。そして彼女が言うには「(太陽も)面白かったけど私は『冬のソナタ』の方が面白かった」と。これを聞いて私は完全に「勝った」と思った。10年以上も前、「今『冬ソナ』にハマっている」と言ったら、ムッちゃんやもっと掘れNsに「あんなドラマのどこがいい」「ヨン様?きっさねー(汚いの意味:男で茶髪ににやけている印象から)」と言われ散々バカにされた。いくら面白いんだと言っても聞く耳を持たなかった。それがどうだ。へへーーっ!

朝礼では患者似Nsがスピーチ担当だった。子どものころ祖母が脳梗塞で倒れリハビリの手伝いをしたのがきっかけで高校卒業時に看護への道を選んだ、資格を得て業務にもなれたころ兄が亡くなり看護観、死生観を考えるきっかけになった、今後いろいろなことに挑戦していきたいなどだった。私が注目していたのはスライドのどこかにジャニーズアイドルの関ジャニ∞の画像を出すのでは?だったが、案の定最後にこそっと出していた。あは、やはりネ。関ジャニ命の彼女のこと、きっとそうだと思ったヨ。

2018年12月9日日曜日

早めに帰鹿したわけ

ホテルWBF博多グランデの朝食はバイキングでそんなに種類が多い方ではなく必要十分といったところだ。ただお肉をアジア系の外国人が「いらっしゃいませー、どうぞー」と焼いて作ってくれている点が今風なのと、ビーフカレーが本格的で美味しいところが良かった。逆に昨日のハイアットリージェンシー福岡のカレーは単なるレトルトの味でホテルの格は上でもカレーの味は真逆と言ってよい。

帰りは新幹線グリーン車の予約を早め、午前9時29分発に乗った。早めたのは午後からいつもの見せたまえ雀荘でサブアラド、腹出しDrらと麻雀だったから。開局早々、リーチピンフドラ1の三六萬待ちで仕掛けた私に親のサブアラドDrが通っていない筋をビシビシ切ってくる。間違いなく大きな手を聴牌している。果たして8索を切ったら「ロン!ピンフ一盃口ドラドラ、親満」と牌を倒した。アイタ、いきなりの出だしだ。この後一時2位に付けたが3位で終わった。どうも腹出しDrが入った過去3回の対戦ではチャラ、大負け、ちょい負けと一度も勝ち組に回ったことがない。今回もこの後ずっとトップが取れないまま低空飛行を続けた。腹出しDrは一時総合トップに着くも見せたまえDrが大きなトップを取り一人勝ち状態に。逆に出だし好調と思えたサブアラドDrはラスが続いた。夜になり私がようやく大きなトップを取って愁眉を開き、次も2位となって最終半荘でサブアラドDrとトップ争いの末、オラースで逆転のツモ断ヤオ一盃口ドラ1の満貫をツモりトップ。負けを最小限に抑えた。トータルラスはサブアラドDr、腹出しDrはチャラ。勝った見せたまえDrもプラス60と接戦に近かった。まだ時間があれば・・というところだったが明日は月曜、22時前には終戦となった。うーん、腹出しはやはり打ち方がしっかりしている。今度は勝ってやるぜと意欲が湧いてくるわ。

とはいってもすでに師走も1/3を過ぎようとしている。明日から年賀状のアイデアをまた練らねばならない。これがねえ、時間をかければすぐに済むというものでないゆえ、ふう・・毎年のこととはいえきついわぁ。

2018年12月8日土曜日

博多で聴講、一泊

午後は福岡での薬品会社主催の講演会に出かけた。朝は仕事もなく事前に新幹線のグリーン車のチケットももらっていて余裕のよっちゃんのはずだったが・・いつもの感覚で車で中央駅に向かったらなんと予定の便に乗り遅れてしまった。朝と違って昼は駐車場が混んですぐには駐められなかった。グリーン車券は使えないものの新幹線チケットはあるし、講演会には余裕で間に合うので30分以上遅れて次の便に乗った。

そのまま席に座り出水を過ぎるころ、車掌がチェックに来たので愚痴気味に「グリーン車に乗り損ねた」と言ってみたら「席が空いてますので移られてもいいですよ」と指定席を取ってくれた。おほっ、ラッキー!普段グリーン車なんて利用しないので気分がいい。広くて背もたれに余裕がありコンセントも席に一つずつ付いていて快適だわ〜。さらにWiFiサービスがあったのもグッド、パソコンをセッティングしてこてる日記を書き有効に時間を使えた。

博多駅に着いて会場ホテルまでは歩いて向かった。タクシーチケットがあったものの途中にある博多スターレーンに立ち寄りたかったからである。西日本最大級の84レーンあるボウリング場でボウリングのみならずプロレスの試合などもたまにはある。何階かにレーンは分かれリーグボウラー用の階に行きボウリンググッズをチェックした。若手職員が「何かお探しですか?」とニコニコして話しかけてきたけれど、私が欲しいものもあったが値段はそこそこに高くわざわざここで買うほどでもなかった。

そこから少し歩けば会場のハイアットリージェンシー福岡があり、ここの2階で偽膜性腸炎の検査と治療についての講演を聴いた。(↓2階にはこんな構造物が。どうやら結婚式に使うもののようで)
終わって懇親会では知っているDrはほとんどいないこともありひたすら食事あるのみ。満腹になったら今度はタクシーで宿泊先であるホテル「WBFグランデ博多」に向かった。このプロレス団体かと聞き違えそうなホテルは運ちゃんも知らなかったらしく住所をナビに打ち込んでから出発した。ただハイアットと近く歩いても可能な距離だった。
新しい割り切ったマンションのような作りのビジネスホテルで部屋は狭いのにTVだけは大きく55インチもあってびっくり。入浴は露天風呂もあるらしいもそこまで風呂にはこだわらないのでシャワーで済ませた。

この前の神戸のようなネット繋がらずはなく、ちょうどサブアラドDrから連絡があり「ネット麻雀やろう」とせーのでプチッと申し込んだが土曜夜で参加者が多く同じ卓には入れなかった。一半荘やって2位でサブアラドDrはまだ次の半荘に走ったが私はもう終わり。ベッドで寝ながら彼の観戦を見ていたらいつの間にか寝込んでいたようだった。

2018年12月7日金曜日

本日外来

麻雀の約束は帰宅してメールを駆使し「来週の木曜に」とあっという間に予定を組んでしまった。送信は深夜12時頃になったが、何せこういう時は「善は急げ」だ。後で聞いたらMRたちは「こんなに早く」「せいぜい年明けに打つのかと思っていた」と驚いていた。なぜか麻雀の面子集めだけは私は素早いのだ。

今日の外来で印象に残った患者さんら。

嘔吐下痢の若妻が来院、ノロウイルスが心配というから調べてみたら陽性の反応が出た。入院は子どもも調子が悪くて出来ないとのこと。点滴をして処方出して終わりにしようとすると、説明を聞いていた夫が「実は私も似たような症状で」というから調べるとやはりノロが出た。はーい、家庭内感染決定!早く言ってよね、こっちもうつりたくはないからさー。

背中から脇腹が痛くてーと来た中年男性患者、調べても内蔵は特に問題はないが背部に2ヶ所ほど発疹を見つけた。これは帯状疱疹の始まりでは?ピリピリするしお風呂に入ったら少し痛みが和らいだという。帯状疱疹は典型所見ならすぐに分かるが発疹が全く出ないで後から判明することがある。きっとこの人もそのパターンか。抗ウイルス剤や鎮痛剤を処方して帰した。帯状疱疹は痛みの病気には珍しくお風呂で温めるのは有効なんである。

ある初老の男性、滅多に病院には来ず、独居で独身。そんな人が受診するって場合はかなり病状が進行していることが多い。CTを撮ってみれば口があんぐりするほどのひどい所見・・妹氏に「手の施しようがない、入院は必要だがいつ急変、死亡してもおかしくない」と説明するのがやっとだった。病院嫌いにはならない方がいい。今時「病院に行くくらいなら死んだ方がマシ」って考えは通用しない。自分はいいと思っても周囲が心苦しくなり迷惑がかかる。

今夜は当直だった。さほど忙しくはなく、それでも医局でうだうだ過ごし、6階の当直室に上がるついでに深夜2時頃ナースステーションにひょっこり現れ、看護師ドキッとさせるいつものパターン。今夜は4階は全く驚いてくれず5階は山優しNsが期待通りにビクッとしてくれたくらい。後は当直室でうつらうつら、朝まで平和に過ごしたのだった。

2018年12月6日木曜日

ビッグオーシャン飲み会

今夜は串木野トリオリーグに参加しているチーム「ビッグオーシャン」のメンバーで飲み会があった。リーグの配当金が貯まっていて、海広しDrが「そのお金で飲み会でも」と音頭を取って、私、難ガターさん、サンシさん、アンドキサMR、そして次回から参加予定のエリックMRの6人が中央駅一番街の和洋ダイニング「チェリー」に集合したのだ。3、4年くらい前にもあってその時のメンバーで今日参加したのは私と海広しDrだけ。ずいぶん変わってしまった。というより、いわゆる「こてる会」のメンバーに海広しDrが加わった形になっている。

私は久しぶりにホンモノのビールを飲んですぐに顔が真っ赤になってしまった。海広しDrもアルコールには弱く途中意識が遠のいた一瞬があった。他のメンバーもそれほどお酒に強い人はいなかったな。ま、お酒好きだったらボウリングなんかしないでしょっちゅう飲み屋で遊んでいるだろうて。話題は当然ボウリングもだが麻雀も結構盛り上がった。6人のうち4人が麻雀が出来ると分かり、海広しDrが「今度ぜひこのメンバーで打ちましょう」と本気モードだった。そう、ちょうど6年前に私が一度彼を誘ったことがあり「その時のリベンジをしたい」とのこと。なるほど、ならば麻雀のセッティングは学生の頃から私の係、さっそく4人の都合のいい日を選んで鹿児島市内の雀荘で出来るよう手配しますわ。エリック、アンドキサの両MRはともに5年以上打っていないそうだが覚悟してもらいひょ(⌒о⌒)。

ちょうど同じ店の私たちの隣では県の医師会の理事たちが数人会食していた。私たちがお開きになるころ、そのうちの一人、ビッグウエストDrに「こてる先生、いっしょに写真を」と言われ、ポンデン医師会長始めアカタカ先生、リンホー先生らに挨拶がてら写真に収まった。ビッグウエスト君も医師会理事になっているのは知っていたが相変わらずアクティブだなー。医師会のお偉方とも上手に付き合っている。感心しつつ一番街を後にした。

2018年12月5日水曜日

陰ながら御冥福を

夕方、空港にカールを迎えに行き、10日ほどのギボヒサコとの共同生活も今夜でようやく終わりを迎えた。つくづく思ったのは、親娘と言えどもキャラは全く違うということ。世代や多少のボケ具合はあっても元来の性格が違うんだろうなと思うことしばしばであった。自分にきびしく細かいことにも神経を使う娘に対しておおらかというか自分に甘くマイペースの母親、帰宅した娘はさっそく母親に呆れ、詳細は書けないが「何でこんなことしているの」とおかんむりだった。まあまあ、でも確かにカチンカチンになったキュウリを見せられれば娘も機嫌が悪くなるだろうな・・。

カールが帰って来てまた元のリズムに戻りホッとしている。体重もついに昨日81kgという過去最重量クラスになったのでもうこれ以上太るわけにいかない。あのままギボヒサコと生活していると85kgまで行ったかも。やれやれだ。

2日前の南日本新聞死亡広告に「〇村〇人」満92才で亡くなると出ていた。括弧で(元中学教諭)とあったから、もしかして自分らの「光頭」中の時の学年担任だったかもとアルバムで確認したらはたしてそうだった。きびしくもユーモアのある先生で普通に行けばどこかの校長先生にもなれたはずだ。でも、私らが中3の時、隣の「天誅」中と河原で乱闘事件を起こし翌日の新聞に大々的に報道され責任を問われヒラに降格された。ただ、はっきり言って先生には全く責任はなかった。その後の光頭中の問題を見れば一教諭が解決出来るものではなかったはずだ(10年もしないうちに当時の校長が校内暴力問題で中央警察署に介入を要請するまでになった)。

セントラル高校に入ると、同級生に先生の娘さんがいると知るも口を聞いたことあるくらいで、それから25年くらい経ったころ、青雲病院(当時)に偶然娘さんのことで来院した彼女に出合い、「〇村先生はどうしている?」と尋ねると、当然教諭は定年退職し鴨池の県営駐車場番をしていると知った。それから15年ほど、会うことはなかったが天寿を全うされたとみていいだろう。広告では葬儀は近親者のみで済ませ弔問はお断りとのことだ。そうか、先生に迷惑をかけた一生徒として陰ながら御冥福を祈ろう。

2018年12月4日火曜日

ピロリ菌Q&A

医局会でのレクチャー「ピロリ菌Q&A」を会の前にセッティングし、会が終わってすぐにレクチャーしよとしたがスライドが映らず慌てた。ああでもないこうでもないとしても映せないので「スライドなしでも離せる内容なので」とそのまま話し始めた。質問項目はいずれも私がこれまで受けたものばかりである。

Q「ピロリ菌がいなくなったら、もう二度と感染しないのか」A「二度と感染しない」
Q「ピロリ菌って井戸水から感染するの?」A「する。しかし全てではない」
Q「ピロリ菌除菌の時はアルコールを飲んではダメなのか」A「いいえ。飲んでも構わない」
Q「除菌療法中、副作用が出たらどうすればいいか」A「下血、薬疹、発熱が出たら中止、下痢や味覚異常ぐらいは継続」
Q「除菌に成功しても、胃がんになる可能性はあるのか?」A「ある」
Q「除菌療法判定にピロリ抗体で実施してはだめか」A「ピロリ抗体(血清反応)は判定には向かない」などなど・・。

途中で接続コードを一旦抜いて差し直せばいいことに気付き、そこからはスライド表示出来てスピーチした。Answerは簡潔かつ言い切った。例えば「再感染は二度とない」と答えているが厳密にはわずかにあることはある。アルコールも一次除菌は飲んでも問題ないが二次除菌では気分不良を来すので禁止させねばならない。でも例外まで説明すると一般ピープルや専門外の人は覚えきれない。井戸水だけは「感染は実はあまりない」と言いたかったが、世間でそう思われているし完全に否定する材料がなくyesにし否定的ニュアンスで説明した。これら、Drらの関心もあって質問も結構あった。時間は予定の10分を完全にオーバーし20分近くかかってしまった。

ふむふむ、これは人間ドック室の職員や看護師連中のレクチャーにも使えるゾ。今度の朝礼にもこのネタを使おうか。今日は日記ネタにもなったし、ピロリ菌様々だわ。

2018年12月3日月曜日

「そじゃないねー」

今年の新語・流行語大賞が「そだねー」に決まったそうだ。ええー?!だ。私は「半端ないって」で決まりと思っていたからだ。その後の拡がり使われた方をみても「そだねー」より10倍流布していた。これだからこの大賞は信用ならないと言いたいところだが、実は「半端ないって」を受賞する対象者が辞退したというのが真相らしい。その対象者が大迫勇也選手なのか発信者で今は三井住友の銀行員になった元神港学園サッカー部キャップの中西隆裕君かは知らない。でも受賞者がいないと大賞が決まらないなんてそんなことで大賞を決めるのは本質から外れているだろうよ。まるで今は凋落したレコード大賞みたいじゃないか。相手は言葉そのものとそれを使った大衆であって発信者ではない。

選定委員の最古参のやくみつる氏が言うには「毎年高級中華を食べながら2時間以上に渡って各委員と選定するがその味が感じられないほど白熱する」とのことだが、こと大賞については一般に流布し時代を象徴する言葉を「純粋に」選んで欲しいものだ。

2018年12月2日日曜日

「せわえて」

内視鏡の仕事で出水のスチョル先生のところに行った。検査と検査の間に院長室で四方山(よもやま)話をよくするが、今日はなんといってもフサンコ画伯の話題だった。「本当にすごいね」と感心しきりで「こてる先生も(絵を)やってみればいけるんじゃない」なんて言われたが、自分には分かる、きっとダメだって。これまで「自分も絵が描けたらいいなあ」と思ったことがないのがその理由で、作曲は逆に「出来たらなあ」と思ったことはあった。音楽の評価は5段階評価で2を取ったこともあるほど出来が悪いのに作曲能力には憧れたもんだ。あとスポーツがもっと得意だったらとかもね。まずはそこに興味が持てるかどうかが大事だ。オタク気質の私なのに絵画は美術館巡りもそれほど好きでもないし、やっぱ無理だわ。フサンコ従兄は60才の手習いがよほどハマったとみえる。今じゃ生活も絵描きが中心になっているとか。この調子で描いていけば絵も売れて本当に画伯になっちゃうヨ〜。

スチョル先生は「大の馬刺し好き」だそうで、出水は熊本とも近いせいか割と馬刺しが手に入るらしい。ただ、これまで幾度かあたったことがあり、実は先日腹痛、下痢など大変な目に遭ったそうだ。これまで以上にきつく、さすがに「もう馬刺しは(食べたくない)・・」と思ったとか。私も30年ほど前、生ガキにあたってカキは生では食べなくなった。カールが「美味しいのに」と言っても3日間のキツさを振り返れば我慢もできようというもの。カキは揚げて食べるのが私は美味しくそれで十分。日本人は魚介類だけでなく肉類も生食する習慣がある。レバ刺しなど確か中止勧告があったはずなのにそれでも食べようという人がいるそうだ。すったもんだを経験しないと人は自分の嗜好をなかなか変えないものだ。

出水の患者さんや看護師さんらが「(年を取ると)せわえて〜」と話しているのを聞き、どういう意味?と尋ねた。どうやら「世話が焼けて」の意味らしいが私は初めて聞いた。「え、そう言いません?」と逆に聞かれるもホントに初めてだ。鹿児島の一地方の方言ではないか?姶良、溝辺付近の人で「仰向けになって」を「おなけなって」と言うのは他の鹿児島の地域で使うと聞いた。でも「せわえて」は60年近く聞いたことがなかった。以前、種子島で「胃が痛んで」を「胃がつめて」と言うのを聞いたことがある。初めて聞いたが、それも種子島の患者さんは当たり前のように使っていた。言葉って意外に狭い地域でしか使われないものが多いのに、そこの地域の人たちは日本中で使われいるくらいに思っているのがなんだか可笑しい・・。

2018年12月1日土曜日

披露宴&忘年会

師走最初の土曜は夕方がアサカラさんの結婚披露宴、夜はかつての大学内視鏡グループの忘年会と掛け持ちだった。

アサカラさんは病院の医療事務から人間ドック、そして今は医療作業補助者で医局の机も私の隣にあり、披露宴も「ぜひ出席を」と今年初めに打診されていたのだった。会場は樋之口町にある結婚式専用の「ザピークプレミアムテラス」で1回では覚えられない今時の結婚式専用施設だ。出席者は130名以上でそのうち青雲会病院関係者は11名で最近の結婚式にしては少し多いくらい。ただ昭和の頃と比べれば全く少ない。「あの頃は200名以上は当たり前、300名以上も珍しくなかった」と言うと、昭和生まれ平成育ちの福香さんは「へーえ」だ。

アサカラさんは入籍も1月に済ませ同居もし新婚旅行もすでに済んでいる。私らのころとは順番が全く逆だ。チェリピアNs、アサカラさんの親友の医療事務のサッコさんも入籍後10ヶ月くらい経ってこの秋に式を挙げた。アサカラさんによると「結婚を決めて、さあ式を思っても空いてなくて半年は待たされる」んだとか。平成の最後のこの結婚式、仲人がいないのは当たり前で一番驚いたのがスピーチでお互いの姉、弟など計4人みんなそれぞれスピーチした。花嫁の両親へスピーチもあり花婿もスピーチし、花婿の父がファミリーを代表してスピーチも当然あり、友人代表では花嫁側がサッコさんに元青雲会事務の「うちが女子」さん二人がスピーチととにかくスピーチが多かった。実は私も頼まれたが「久しぶりの披露宴、ゆっくり楽しみたい」と丁重にお断りしていた。私までしていたらまるでスピーチ大会だったぜ。そうそう、私の席はちょうど花嫁の左真横でそこからの1枚が↓。
サッコさんが人妻とは思えない美しい後ろ姿で眼福だった(^ ^;)。

二次会は山形屋近くの中華料理店「日火炎」だったので樋之口町から天文館をちょうど自宅方向に帰る青雲職員の山の神さんと二人いっしょにその方向へ向かった。さすがに師走の土曜日、人が多かった。山之口の文化通りで明らかにオカマと思われる商売女性(?)がいて、山の神さんに「ほら、あれオカマでしょ」と教えると、彼女はすすっと歩いてそれとなく振り向き確認し納得していた。この後は愛人カップルよろしく天文館通りをいっしょに歩き、日火炎に曲がるところでサヨナラして↓、開宴時間から15分遅れて内視鏡室忘年会に出席した。

大学内視鏡グループの忘年会参加者は去年は10人満たなかったが、ビッグウエスト君が頑張って誘い今年は15人以上集まった。20年ぶりに会ったナカニッシ女医さんや奄美から参加のグッドリバDr、麻雀仲間でもあったパインテイル先輩など久しぶりでうれしかった。渋ちん大ボス先生、中ボスのKZ先生、最後のボスの松ピカ先生もいて、特に松ピカ先生は麻雀をしたがっているというウワサもあり「今度機会あれば我らの見せたまえ雀荘で打ちましょう」と軽めの約束もした。また同期のガッチャンDrは還暦近くになっているにも関わらず「婚活を(考えている)」ととても本気とは思えない挨拶をしていた。ともかく気の置けない同門同士の楽しいひとときだった。

お開きになって店を出て薄暗い西本願寺の通りを歩いていると、あれ?あそこに立っているのはパインテイルDr、挨拶したら少々バツが悪そうに「これから行く店があるから〜」と久々の鹿児島の夜を楽しもうという魂胆みたい。無理なさらんよう・・。私は久しぶりのアルコールと疲れもあってさっさとタクシーで帰宅したのだった。

2018年11月30日金曜日

Iの連携

昨日、秋篠宮が記者会見で「大嘗祭を国費で行うことへの疑義」を宮内庁長官に意見したが取り合ってもらえなかったと語っていた。皇族がここまで踏み込んで発言するのは珍しい。天皇家次男という立場で浩宮よりやや気楽な面もあろうが、本来は天皇家の私的な宗教的行事を国が関与しある意味利用しようとしている違和感を訴えたと私は解釈した。おかしいと思うことを素直に言えるのはいいことだ。私は驚きかつ感心したねえ。

ところが今朝の民放全局のワイドショーでは眞子様の婚約問題のことばかりがクローズアップされていた。秋篠宮がその点について言及していたこともある。私は婚約問題には興味があまりないのでチャンネルをNHKに変えた。何とかケイさんとの婚約はたぶんいずれは消滅するのかな、そんなことだろう。

昼過ぎ、鹿児島のカイリョー病院肝臓内科のチェリーDrが医療連携の挨拶に来た。彼は去年までTS病院にいたが閉院となって今のところに移動した。しかしそれまで肝臓内科がなかったこともあって患者が少ない、それで姶良方面にもアピールしに来たというわけだ。肝臓に関してはなんでも診るというから今後大いに連携し合いましょう。

彼は大学囲碁部出身で第二内科の囲碁大会で私とも打ったことがある。なんと6目も置かせてもらってのハンデ戦だった。6目もハンディもらったら負けないよと思っても相手は強者でじりじりと追い詰めてくる。終盤になって少しは私の方がいいかという状況でチェリー君は投了した。計算するとわずかに自分の負けと出たかららしい。私だったらどこかで相手が凡ミスするのを期待して最後まで打っていたがなぁ。負けて尚(なお)強しと思った。それで総当たり戦で終わってみれば私とチェリー君は負けが1つしかなく同勝率で1位、そしてチェリー君が「直接対戦でこてる先生が勝っているから(こてる先生の)優勝」とのことで私が二内科最後の囲碁大会で優勝となった。なんだか申し訳ない気分だったね。もう15年くらい前のことだ。

その際、囲碁のトータルサイト「囲碁データベースhttp://www.igodb.jp」を教えてもらい、毎日訪問するサイトになった。彼も今は滅多に囲碁は打たないそうだがネットで詰碁はちょくちょくやっているという。私がネットでAIの囲碁をちょくちょく観戦するようなものだ。はあ、医療より囲碁の連携をしたいナア。

2018年11月29日木曜日

日本は異常事態、何が?

来週火曜の医局会レクチャーのため、今「ピロリ菌」について何度も本を読み、ネットで関係する項目をチャックしている。これまでもピロリ菌の講演など職員相手に語ってきた。今回は消化器系以外のDrにも広く知っておいてもらおうと、分かりやすいQ&Aのスライドを作ることにした。医療関係者や患者さんからよく受ける質問に答える形式だ。

よくある質問のトップは「ピロリ菌は一度除菌したらもう大丈夫なのか?また感染することがあるのか」だ。これに対する答えは「一度除菌できれば二度と感染しない」である。いや、例外や細々したことを語ればそうは即答できないケースもあるがこう覚えておいて間違いはない。大人の胃であれば(13才以上)、ピロリ菌は胃の中に入って20分以内にほとんど死ぬ。胃酸に強いイメージのピロリ菌だが実はそうでもない。しかし乳幼児期に感染するとまだ胃酸分泌細胞が出来上がっていないので定着してしまう。胃酸分泌出来るようになっても以前からいる菌は胃の粘液の中で住み着きもう除菌できなくなる。だいたい5才くらいまでに汚染された上下水道環境にいると感染率が高まる。それに親や兄弟からうつることもある。昭和20年代生まれは感染率60ー70%という率でそこから徐々に低下し平成の10年以降に生まれた日本人は5%未満という低さになった。

このピロリ菌感染率低下で何か変わるかというと将来の胃癌発生率が劇的に低下しほぼ撲滅出来るということだ。胃癌の99%はピロリ菌が絡んでいる。鹿児島県は去年から高校1年生にピロリ菌検査を行い除菌療法を推し進め、調べると感染率が3.7%で実人数にして534人が陽性だった。若いうちに除菌できれば胃癌発生率はほぼ0になるから非常に有効な胃癌対策といっていい。ついで言うと今の胃癌検診のバリウム透視検査はそれほど有効ではない。受診率が低いし胃カメラに比べ胃癌の発見率も数分の1だ。胃カメラをしてピロリ菌陽性なら除菌をすると年配者でも胃癌発生が半分以下に抑えられる。癌は見つけるより発生させないが一番だ。

実は胃癌は感染症だと言っても言い過ぎではない。これに比べ原因がヒトパピローマウイルスと判明している子宮頸癌の対策がここ日本では遅れているというか頓挫しているのが非常に気にかかる。世界的にはワクチン接種で9割以上この癌は予防出来ることが証明されている。しかし、ここ日本では5年ほど前かワクチン接種した何名かの子らが副反応(といわれる)で動けなくなったとかの騒動があり、マスコミもじゃんじゃんキャンペーンをやってほぼ中止に追い込まれた。だがWHOはこの日本の態度を批判した。接種していない人たちにも同様の症状が同率で出ているのでワクチンが原因とは言い切れない。医学的にはそう判断するのが妥当で、去年日本産科婦人科学会がワクチンの接種勧奨再開を求める声明を出したにも関わらず国はまだ動こうとしない。このままだと日本の女性たちは毎年何千人も子宮頸癌に罹り命を落とす人が減らないだろう。

ピロリ菌も北大の浅香先生らが厚労省に「慢性胃炎+ピロリ菌陽性患者への保険適用を」と何度も訴えて来たが10何年とかかってようやく2013年に認められた。そのおかげでわずか4、5年で胃癌の死亡率が予想以上に減ってきているのだ。今週号の医事新報にもHPVワクチンの日本の惨状が出ていて「世界に取り残されている日本」と目次が出ていた。日本の接種率がどこかよーく探してみて(↓)。

だいたいにおいて日本及び日本人はワクチンに対する恐怖心というか潔癖症というか理性的判断が出来ないことが多い。かつて麻疹や日本脳炎でも副反応(副作用ではない)を気にしすぎて接種率が下がったことがある。結果、そのせいで大量に患者発生をさせてしまい世界から非難される。予防出来る病気は予防するに限る。カールはこれまで日本脳炎や子宮頚癌で若くして悲惨な目に遭った人を身近に知っているので子どもたちにはワクチン接種を必ず受けさせていた。私も身近に胃癌で亡くなった人たちがたくさんいたので子どもらは高校生時にみんな調べさせた。3人が3人ともピロリ菌陽性だった。即、除菌療法させたのは言うまでもない。後で悔やんでも遅いのだ。3年前にスキルス胃癌(ピロリ菌が原因)で亡くなった鹿児島出身の黒木奈々キャスターも「胃の検査を受けておれば」と悔やんで周囲にも胃カメラを受けることを勧めていたという。でも時代がもう少し遅ければ「ピロリ除菌をしておけば」であったろう。私に女児がいたなら絶対に子宮頚癌ワクチンは受けさせていた。

早く日本のこの異常事態が正常化して欲しい。

2018年11月28日水曜日

フサンコ画伯の驚き!

当直明けて午前外来を済まし午後は早帰り帰宅した。カールに頼まれたネット通販や来年の手帳など申し込みし一段落した後、南日本新聞を手に取った。一面に「第73回南日美展入賞者決まる」の記事あり、最高賞の南日本新聞社賞に「フサンコさん」(副賞50万円)とあるではないか。ゲゲ。5月の県美展でも最高賞を取ったのにまた?!タイトルは「上流(古希)」だというからまたモチーフにしている川と橋の絵だろう。社会面の記事では「石橋の架かる川を映画いた洋画で『水面の表現が生き生きしている。美しい故郷を見事に描ききり、作者の精神性、感情が作品から伝わってくる』と高く評価された」とあった。ひやー、油絵を始めて4年くらい、初出品したのが去年の南日美展という初心者(本人も取材にそう答えている)のはずなのにこんなことってあるの?しかもモチーフが毎回いっしょ(タイトルが去年南日「清流」、今年県美「下流」、今年南日「上流」)で似たような絵柄なんだけど、審査員にはえらく素晴らしく映るようだ。

記事の下に入賞者一覧があり269名がずらり載っていた。その中に「ケンキュウ」先生の名があった。私の中学時代の美術担任かつ学級担任でもある。ケンキュウ先生は鹿大学生時代から洋画を描き続け昔は同士数人で個展なども開いていた。4、5年前に個展を開き見に行ったこともある。 そんな先生を差し置いての初心者が大賞受賞、美術の世界にも奇跡があるんだ。

妹のヒトミンチョがその絵を写真に撮っていた。やはり前作と同系統の川の色彩が特徴的な絵であった。

2018年11月27日火曜日

タナカッツ君が10年ぶりに見たもの

タナカッツMRが来院して言うことにゃ、「実はこの前映画館で映画を見まして」と滅多に行かない彼を映画館に向かわせたその映画のタイトルは「ボヘミアン・ラプソディ」。あのロックバンド、クイーンを題材にした伝記映画で現在大ヒット上映中だ。ついこの前朝のワイドショーで紹介されていて面白そうと私も思った。クイーンは私が高1の時に人気で10才ほど若いタナカッツ君はリアルタイムで聴いていないと思うがそれでも見たいと思わせる、すごい。タナカッツ君、奥さんに「映画見に行かない」と言ったら10年ぶりくらいだったそうだから相当びっくりしたそうだ。

普通は映画は封切り1週目に観客動員が一番多く徐々に減少していくものだが、この映画は評判を呼んで週を追うごとに増えているんだとか。リアルタイム世代だけでなく主人公のフレディ・マーキュリーが亡くなった後にクイーンの曲を知って興味を持った若い世代も見に来ているそうだ。甲子園のブラバンでも「ウィ・ウィル・ロック・ユー」は定番だし木村拓哉のドラマでも使われた「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー(I Was Born To Love You)」などCMでもよく使われ耳になじみがあるからだろう。それに一度見た観客が二度三度見に行っているようなのだ。そりゃヒットするわな。

私もチャンスあれば見に行こうかな。ただ今は来週の医局会でのレクチャーが控え、その後は年賀状作りや当直などもある。師走は忙しい。ぐすぐずしているうちに上映終了とならないように気をつけよう。

2018年11月26日月曜日

ギボヒサコと生活したら必ずアレになる

ギボヒサコと二人で生活していると、特に食生活で娘のカールとの違いに驚く。昨日の夕方外食した後にAコープにいっしょに買い物をしたところ、カールが絶対に買いそうもないもないチョコケーキ(2個入り)をカゴに入れ私が驚いていると、さらにホワイトクリームのケーキにも手を出したので慌てて元に戻させた。まったくぅ〜血糖に気を付けないといけないんでしょ。この他ナッツ2個、菓子パン数個、バナナ数本などいかにも太りそうな食材が多い。しかも複数個買う癖がある。冷蔵庫を覗くとアイスのモナ王5個入り(多すぎ!)があったので「これは冷凍庫に入れなきゃね」と開けると何とそこにもう一箱5個入りのモナ王があった!冷凍庫がいっぱいではみ出していたんだ。

親子でも食の好みが全く違うな。やれやれ、この調子だと私まで確実に太ってしまう。私が太目とはいっても今ぐらいの体型で済んでいるのはカールのおかげだ。ギボヒサコといっしょだったらやがて体重100kgを越えても不思議はないわ。

NHKファミリーヒストリーはダンサーの「SAM」が取り上げられていた。ダンスボーカルユニット「TRF」の一員として25年前にヒット曲を連発し同じ小室哲哉ファミリーの一員として安室奈美恵と結婚し一児をもうけた。彼の実家が埼玉の総合病院丸山病院で彼以外の兄弟はみんな医師というのも知っていた。元は産婦人科なので安室奈美恵もそこで出産したってのもね。ただ番組では安室のアの字も出てこなかった。全く無視。まあ確かにSAMの家にスポットを当てる番組だから安室奈美恵はノイズでしてかないのだろうが。

カールから「SAMのファミリーヒストリーを録画していて欲しい」とのメールも来ていた。実は沖縄出身のカールだからではなく彼女は埼玉は岩槻に住んでいたことがあって、SAM登場以前に丸山病院のことを知っていて「一人だけお馬鹿さんがいて医者にはなっていないらしい」との噂を聞いていたんだって。そっかそっか、SAMが一流のダンサーとして大成し単なる「お馬鹿さん」ではなかったことを番組で確認してもらいましょ。

2018年11月25日日曜日

死相が出てるわよ

朝はカールが県外へ所用あるため6時半に家を出て空港まで送った。空港近くに来た時、日の出が桜島方面から見え、その瞬間をデジカメに撮りたかったが、いかんせん運転中では無理で残念だった。しかし帰りの高速、溝辺を下りるところで桜島が朝日にうっすらと染まって浮かび上がるのはいい眺めだった。今度はどうにか片手でシャッターを押して撮ることが出来た。

昼はTVでJ3リーグの鹿児島ユナイテッド対沼津戦をネット麻雀しながら見た。ユナイテッドにすればここで勝てば文句なしリーグ2位でJ2に昇格する。引き分けでも実質昇格だ。前半はスコアレスで終わり、後半に入り見事1点先制した。オーーッ!スタンドも盛り上がり、私も少し興奮した。そしてこのまま守り切り1ー0で勝ちきった。やった。来期からJ2だ。結果は毎週スポーツ番組で報道されるし観客も大幅に増えるだろう。本当にJリーグで戦うって感じがする。心配なのはすぐにJ3に降格しやしないかということで、1年目がいきなり正念場だろう。ともかくも地元に本格的なプロスポーツチームを持つというのはいいこと、応援していこうゼ!

夜は爆笑のドラマ「今日から俺は!!」を見た。西友Nsに「夫といつも爆笑している」と勧められて毎回見ている。今夜も爆笑だった。特に吹いたのが、今井君(太賀)が見事主人公の三橋(賀来賢人)をハメたはいいが理子(清野菜名)に「仕返しされるわよ。今井君、死相が出てる」と言われた時の今井の顔!
きゃはは、こんな表現の仕方があったのかい。この後、悪巧みのさえる三橋に監禁されて抱腹絶倒のイジメを受ける。あまり期待されていなかった「今日から俺は!!」は今期のドラマの拾い物だ。残り数回、みんなも見てみよう!

2018年11月24日土曜日

一瞬で私を振り向かせた女の子

朝から休みでTVを付けっぱなしにしてMacBookProでネットなどし、土曜朝の情報番組など見ることもなくただ聴き流していた。すると、小学生の女の子を「実はすごいんです」と司会者が紹介し始め、「大人に交じっての歌の大会でチャンピオンにもなり、美空ひばりさんを尊敬する何とか子ちゃん、今日は生放送で歌ってもらいます」とのこと、それでも私は正面はネット画面でTVは斜めでチラチラの状態だった。

美空ひばりメドレーで最初の歌は「東京キッドです、どうぞ」と少女は歌い出した。
「♪歌も楽しや〜東京キッド〜」

な、なに?思わずTV画面を私は見つめた。びっくりとはこのこと。伸びやかで大人びた歌声、え、小学5年生なの?そして「東京キッドってこんなにいい歌だったっけ」ついで「真赤な太陽」「川の流れのように」を歌った。ほう・・。

かつて大人たちが少女美空ひばりに驚いたのと同じだろうか。単に歌がうまいだけじゃなく何か聴かせるものをこの子は持っている。ネットで「梅谷心愛」と検索すると彼女の母のtwitterがあってあちこちTVや歌の祭りなどに出てすでにセミプロ並みの活躍をしているようだ。実際、プロの先生にレッスンも受けているという。歌がうまい子はたくさんいる。でもプロの歌手になりさらに多くの人に感動を与える歌手になるにはうまいだけではダメだ。心愛ちゃんが憧れる美空ひばりのようになれるか、そこまでないにしてもみんなが知るような歌手になれるかはまだ分からない。しかし、一瞬で私をTV画面に向かわせた何かを彼女は持っている。期待しよう。

2018年11月23日金曜日

朝は爆笑、日中は勤労、夜は投球

勤労感謝の日で朝はカールと朝ドラ「まんぷく」を見ていた。主人公の夫婦の間に男の子が生まれ、「名前をどうしよう」となり、夫は「平賀源内から取って『源内』はどうだろう」と言い、妻の母は「うちは武士の家系だから先祖の源義経から『義経』はどう」とトンデモ発言をする中、妻が「二つの意見から取って『源(ゲン)』にしましょう」となった。これを聞いて私たちは吹き出した。なんたってうちのネコも「源」ちゃんだからだ。正式の名前は「源之丞」で通称ゲンちゃんである。

日中は病院の日直係だった。ただあんまり重症患者も来ず一人入院があっただけ。ゆっくりとしたものだった。最近天気もいいせいか入院患者が少なく空床が多い。12月になれば寒くなりきっと増えるだろう。
なお、ヒマだったんでムッちゃんNsに冬ソナDVDを貸していたので「韓ドラ視聴はどう?」と電話を掛けてみた。すると「私の期限は49日」を見ていて「それが聞いてよ。残りDVD1枚の19話と最終20話を見ようとしたらDVDが開かないの。それまではちゃんと見られていたのにー」と落ち着かない様子だ。だったら冬ソナを見たらと言いたくもきっとそんな気にはならないか。「明日持って来て、私が調べてみるから」というと「明日(土曜)は仕事は休みで月曜持って来る」だと。ともかもムッちゃんNsも韓ドラにハマってうれしい限りだ。

夜は串木野でトリオリーグだった。2週間前はオイルのやや多いコンディションに対処出来ず、ボールを2年前に買うもほとんど使っていなかったニルバーナを持っていった。事前練習もやっていてそれなりに成算はあった。そして結果は予想以上、奥でしっかり曲がりが出てストライクが出ること。こんな時のためにこのボールはあったのか!203、237、192でチームにも貢献し満足であった。

2018年11月22日木曜日

決定的瞬間、カメラはどこを向いた

トシマロDrが大腸検査を受けに来た。これまで何回か来ていてやはり一城主となれば健康には気を遣っているようだ。奥さんも付いてきていて、廊下で待機していた時に「ちょっと(トシマロ君)太ったんじゃない?」と言うと「そうなの、ライ〇ップで16kg痩せたの
にまたリバウンドして・・」なんだそうだ。彼を昔から知っているベテランナースも「え、あれ、トシマロ?」「ラ〇ザップをしても元に戻っちゃお金捨てじゃない」とも言っていたので、体型の変化って目立つから私も気をつけなきゃ。

私が運動するとしたらせいぜいボウリングだが、小汗をかくくらいでこれがダイエットにはほとんど向かない。ただ体を動かすことで心身法フレッシュには向く。なんかだるいなぁ〜、ボウリングも面倒だなあと思っていてもボウリング場に来てシューズを履く頃には気分も上がっていることが多い。そうだ、昨日は週1のボウリング練習の日だった。1ヶ月ぶりくらいにタナカッツMRも参加した。最終は恒例のダブルスゲームで、ちょうど6ー7ー10の難しいスプリットが残ったのでダブルスには参加しなかったタナカッツMRに動画を頼んだ。上手く投げればスプリットメイク出来るかも。

左端に立って6番ピンをかするように斜めにボールをリリースする。当たるか当たらないかで6番はゆっくり左に倒れた。おっ!これは取れるかぁとピンを見つめるとピン先端は7番にこそっと当たり倒れ、見事スプリットメイクした。「うぉお」とみんなの声にポーズを決めた私。タナカッツ君に録画頼んでいて良かったぜ。
と、デジカメ録画を確認すると・・肝心の6番が7番に当たるシーンのはずが、取れなかったと思ったタナカッツ君、カメラをキョロキョロし外していた。ええー!私の決めポーズもちょっぴり間抜けに見えちまったよ〜。

2018年11月21日水曜日

46年前に読んでいたものとは

チッチから東野圭吾の直木賞作「容疑者Xの献身」が家にあるはずだから送ってほしいとの依頼があり、2階の本棚に探しに行った。しかし確かにあったはずなのにどうしても見つからない。結局あきらめたが、こういう時の「あるある」でついつい他の本を手に取り、眺めてはまた別のを手に取り眺め、いつしか時間が過ぎてしまった。ある意味贅沢な時間で読み終わった本でもそこにあるだけでなにがしか役に立つものなのだ。

自分の日記も小学6年からずっと保管していて「そういえば中1の時に親戚集まって霧島の紅葉を見に行ったのはいつだったかな」と中学時代の日記を取り出してみた。すると1972年11月5日と分かった。他のいきさつは全て忘れても紅葉の鮮やかさと「わぁー紅葉がきれーい!でも周りの緑があるからだよねえ」と車中でフミコ叔母が語ったことだけを覚えていた。その後、ぱらぱらとめくるに11月27日の一節が目に入った。
「図書館から『君たちはどう生きるか』という哲学の本を借りた。この本は教科書のP349の読書案内2というところにもでている。前から読みたいと思っていた本だから図書館でこの本を見つけた時はうれしかった」

へーえ。昨年漫画化され復刻ベストセラーになった吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を中学1年で私は読んでいたのだ。だから聞いたことのあるタイトルだなと思っていた。私には少々ひねくれ気質もあって「ベストセラーにはすぐには手を出さない」という癖がある。だから話題だからって「漫画本君たちはどう生きるか」は買わなかった。まさかすでに読んでいたとは。でも本には読むべき時期がありこの手の本はその頃読んで良かったと思う。自分では意識しなくても吉野源三郎氏の言いたかったことが血となり肉となっているに違いない。

日記もたまに読み返すといいもんだ。

2018年11月20日火曜日

生田絵梨花に思わず・・

乃木坂46の生田絵梨花が第2写真集を出すんだって。いや、ほとんど興味ないし買うなんてことは絶対にない。ただ数枚の先行グラビアがネットで出ていてそのうちの1枚に「おう」となった。
なかなかいいじゃない。特に量感のあるおっぱいをチラ見せしているところがー。乃木坂はAKBと違って水着姿もあんまり見せないし、特に生田絵梨花は清純派で通っているのでいわゆるギャップ萌えする写真だ。白石麻衣の写真集が発売から1年9ヶ月経っても重版を重ね異例中の異例のヒットを続けているのも乃木坂のイメージ戦略が当たっているのだろう。生田のも男子だけでなく女子にも受けそうだし売れそうだ。

上の写真も男子にはおっぱいを魅せ、女子にはかわいらしさと憧れを抱かせる。生田って可愛いしピアノも上手だしいいんじゃない、くらいだった私がこうして日記ネタにするわけだから乃木坂の運営は相当きてるネ。それでも私はAKBを応援するよ。そうそう簡単に推しを変えはしないさ!

2018年11月19日月曜日

ゴーンさんが去りぬとも

あこネーサ母の昔からの友人ハヤちゃんが大阪から鹿児島は蒲生に帰郷し「あこネーサに会いたい」とリクエストがあり、義妹のチエコンさんが蒲生まで車に乗せて久しぶりの邂逅を果たした。私が子どもの頃何回がうちに来たことがあり、大人になってからは会った記憶がない。蒲生までくれば姶良の青雲会病院はすぐそこだ。そこで昼休み時間に私に面会に来た。ところが、いつもなら余裕で会えるのに今日はまた検査や面談などで忙しく、4、5分でピッチが鳴り、せいぜい記念の写真を撮るくらいで終わった。チエコンさんは私に悪いことをしたと後で恐縮していたらしいがそんなことはない。ハヤちゃんおばさんはもちろん、あこネーサ母ですら逢えただけで貴重なことなのだ。この場を借りて「ありがとう」を言いたい。(青雲会病院1階フロアにて、右がハヤちゃん左があこネーサ母)

夜中にネットで「ゴーン逮捕」の文字が目に入った。何々、あの日産会長のゴーンさんが逮捕されただって?これはビッグニュースだ。役員報酬を偽っていたとか。10億でもすごいと思っていたのにその倍もらっていて少なく見せかけていたとか。いやはや、しばらくはこのニュースで持ちきりだろうな。

でも私が気になるのは日産が業績回復しようがしまいがゴーンさんがいてもいなくても今の日産に魅力ある車があるのかという点だけだ。せいぜい今はe-POWERのノートくらいしか思い浮かばない。ゴーンさんがいなかった前も買いたくなる車はほとんどなかった。運転免許を取得して約40年、真剣に日産車購入を検討したのは1988年ごろのシルビアくらいだった。迷って迷ってホンダのプレリュードにしたのだが、売れ行きはシルビアの方がよかった。その後4ドア車を買おうと思ってスカイラインとホンダのビガー(アコードインスパイア)を比較したが燃費、狭さ、内装など1回見に行っただけでスカイラインは脱落した。それから8年以上経ってオデッセイかそれ以外を検討した際に日産のプレサージュを見に行った。しかし高床で乗り降りが不便そうだったし値段もその割には高く、オデッセイの方がずっとよくここでもホンダになった。このプレサージュ、その後2代目が出たようだがいつの間にかひっそりと販売中止になっていた。すでにゴーンさんの時代になっていたがその後車購入の際に日産車をリストアップすることはなくなった。コストカットし無駄をなくすのは結構だが車そのものの魅力がなくなっては・・。

今から40年前、もう信じられないことだが、大衆車部門ではトヨタが強かったが排気量1800cc以上のいわゆる中型車部門はトヨタより日産の方が販売台数は多かったのだ。ブルーバード、スカイライン、セドリックなどトヨタに伍してそれこそライバルとしての存在感があった。しかし会社の体質なのかいつの間にホンダに抜かれ、最近では海外市場にばかり目を向け良い車を国内に提供しようという雰囲気がない。もしゴーンさんがいなくなることで日産がかつての元気さを取り戻すならこの一件はいいことかもしれない。

2018年11月18日日曜日

思い出の万博1970

大阪が2025年の万国博覧会に立候補し来週選挙で決まるらしい。万博と言えば1970年の日本万国博覧会が強烈に印象に残っている。今は「大阪万博」とよく言われるが正式には「日本万博」である。こてる家も初めての県外への家族旅行で春休みに関西に行き、万博にも行った。そう、飛行機にも初めて乗るということでわくわくしていたが、前日に「日本初のハイジャック『よど号』事件」が起き、そんなことも起きるのかと驚いたものだ。旅行中ニュースはずっとこればっかしだったな。

大阪の親戚筋の自宅に泊まり、奈良見物をした翌日、万博会場に行った。事前に小学館の学年雑誌などで知識を仕入れていた私はカナダ館やサンヨー館など見たかったが、何はともあれ「月の石」のアメリカ館だということで初めて長い行列というものを体験した。確かに遠くから月の石を眺めたはずだがほとんど記憶にない。会場の広さと建物(パビリオンって言う)の形の面白さはあったが、「動く歩道」が直前の転倒事故で使用されず、5台同時発着できるというジェットコースターも乗れず子供心にやや不満の残るものであった。それより神戸の小っちゃな動物園だか遊園地でのミニジェットコースターがすごく楽しかったこと、たまたま道路を歩いていたら救急車が止まっていて家の中から呼吸困難のおばさんが運ばれていったことを思い出す。前に日記にも書いたと思うが、その時私は「あのおばちゃん、きっと死ぬんだな」と思った。でも48年経って医師の私が診断するにあれは典型的な過換気症候群だった。救急車でよく運ばれるけれど死ぬどころかその日のうちに帰宅できる疾患だ。あの頃は無垢で無知だった。

帰りは4月5日でプロペラの飛行機で真下に甲子園球場が見えた。センバツ、箕島対北陽の決勝戦の日で、ハイジャックも一応の解決をみ、北朝鮮から羽田によど号が帰ってきたのもこの日だった。私はやさしいスチュワーデスさんに毛布を掛けられ甲子園を見た後はぐっすり寝込み気がついたら鹿児島は鴨池空港に降りる直前で外は真っ暗だった。

そして翌日から自宅兼旅館の新築工事のため、5ヶ月間上荒田での借家生活が始まるのだった。

2018年11月17日土曜日

「とんかつは何の肉?」に出したラストアイドルの答え

4週間ぶりのリアル麻雀、いつものサブアラド、見せたまえDrに1年半ぶりの薬剤師福祉茸君が相手だった。福祉茸君は以前は青雲会病院前の薬局勤務だったのが大隅半島勤務となってやや縁遠くなっていた。土曜は鹿児島市へ帰るらしく良いタイミングだった。

半荘10回の長丁場での結果、ほぼ一人勝ちだったのがサブアラド天鳳七段。私はちょい浮きでどうにかサブ台風をしのいだが、麻雀そのものが久しぶりの福祉茸君と最近不調の見せたまえはかなりやられた。帰り際、福祉茸君は「今度またリベンジを」と再挑戦を誓っていた。打っていて確かに実践不足の印象があり、そのつもりだった彼は今度の対局のためネット麻雀天鳳を久しぶりに打とうとしたが登録抹消されていて打てなかったそうだ。天鳳は半年何もアクセスなしだと抹消されるんである。

帰宅途中のTVで「ラストアイドル」とかいう番組をやっていた。アイドル番組といってもAKBじゃないので私はこれまで見たことはなかった。チャンネル変えようかとも思ったが今日の特集が「誰が一番のお馬鹿アイドルか」というクイズをやっていてそのあまりにもお馬鹿ぶりに呆れてそのまま聞いていた。まあバカといういうより全く勉強をしてこなかったせいで知識がなさ過ぎるんだろう。事前テストで特に成績の悪かった3人が選ばれボタンを押し合うのだが、それにしても、なんだ、程ってものがあるぞ!

「中国の首都は?」・・・「コリア!」ブー。「黄河」ブー。「ウォンシュン?」ブー。「長江?」ブー。あまりにも答えが出そうにないので司会の「おぎやはぎ」が後ろのひな壇のラストアイドルたちに「知っている人?」と正解を求めたが手を上げたアイドルが答えたのが「北京ダック」。「ダックが付いている」と呆れるおぎやはぎ。結局「北京です」と司会が正解を出す始末。

「(写真)この建築物の名前は?」答えは「凱旋門」だが「フレンチェル塔」から始まって「フランス塔?」「パリ塔?」だったので「塔じゃない」の司会の言葉に「フランス門」「パリ門」違うってーのに「登竜門」との返答。結局誰も答えられず。

「四面楚歌、これを何と読む」はいきなり「しめんそうか」とかなり近かったが「惜しい!」の反応に「よんめんそうか」違う「よんつらそうか」違う「しめんそっか」違う「しつらそっか」あー。結局司会が答え(しめんそか)を言う羽目に。

次の問題は今回一番難しいものだった。「次の俳句を完成せよ・・『夏草や兵どもが(   )』」これには「稲穂かな」「やけていく」「いくさかな」と答えが続き「(いくさじゃないなら)和解かな」と来たのでこれりゃ絶対正解に近づかないとのことで早々「夢の跡」を知らせた。

その次の牛の絵を見せ「これを英語で何と言う」には「COW!COW!COW!」と正解を連発していた。ふー。そしてしばらく正解が続く。問題は「サッカーのスタメンは何人?」「アルファベットでFの次は」そして日本地図で鹿児島県だけが黒塗りされていて「この県は何県?」に山本というアイドルが「鹿児島県」と正解を出し、つづく「何と読む『五反田』」も「ごたんだ」と連続正解しようやく落ち着いてきたと思ったのに、有名絵画「モナリザ」の質問には「マザーテレサ」(笑)「オランザ」(近い)「エランザ」と続くとその返答に引きずられて「マランザ」と迷走する。

この誤答に引きずられる傾向が目立ち、徳川家康の肖像画がいつの間にか「あ、ホトトギスだ」になったり、一番笑ったのが「とんかつには何の肉が使われる」の難問(?)に一人が「イベリコ」と意外に通な答えを出すも当然バツ。でも惜しいという質問側の雰囲気に「メキシコ」とやってしまった。笑うしかない質問者。でもこれにもう一人が答えたのがメキシコでないならの意味か「アメリカ!」だった。
「おい!肉の名前だぞ」にハッとしたのか「ソーセージ」(笑)「牛(うし)」(惜しい)今度は正解が出るかと思ったらもう一人が「ギュウ」がくっ。じゃー今度こそ「馬」・・とうとう司会が「お前らホントは知ってんだろ」と言うが表情を見るに本当に分かっていない。「豚」と正解が出ても本人が「ほんと?」という表情だったぜ。

いやはや、確かにみんな可愛いが、現実にこういった女性と一緒になってくれと言われたらオレは逃げ出してしまうわ!

2018年11月16日金曜日

ビデオとテレビと床寝

昨日のムッちゃんNsネタでまた少し韓ドラに関心が出てきた。たまたま受付の鳥羽さんに「韓ドラとか見る?」と聞いたら「ええ見ます」と即答だった。「へー、どんなドラマが面白かった?」には「『太陽の末裔』とか『ピノキオ』とか」とのことで私もタイトルだけは知っていた。その中で「太陽の末裔(全16話)」は2年前の大ヒットドラマでソン・ジュンギ、ソン・ヘギョ主演でこの二人はドラマが終わった翌年に本当に結婚もしてしまったというエピソードもある。軍人(ジュンギ)と女性医師(ヘギョ)が派遣先での状況下でのラブストーリーらしいがいかんせん見ていないので多くは語れない。ただ、視聴率20%でも大ヒットと言われる御時世に41.6%を叩きだしたというからメガヒット作品といっていいだろう。しかも韓ドラには珍しく初回放送前に全ての撮影が終了していたという完全事前制作でそれだけ完成度も高いと知れる。私も見ようっかな。(ただ年末にかけて医局レクチャー、年賀状など忙しいんだが・・)

夜はサッカー日本代表の対ベネズエラ戦を見た。大分で行われ、会場への道路が大渋滞で選手を乗せたバスが1時間近くも遅れウォーミングアップもそこそこに試合が始まったとか。雨で夕方、週末という悪条件が重なったせいなのか、私の知っている人もこのサッカー観戦でバスに乗っていて「45分で4分の距離しか動いていない、これじゃ歩いた方が早い」「でも傘持って来てないし」「こんなことで(来年のラグビー)ワールドカップ成功するわけがないと身に染みて思った」などとネット書き込みをしていた。肝心の会場は雨天時は屋根がかけられるとかで問題なし。ゲームも推しの大迫勇也はまずまずで、酒井宏樹が代表初ゴールを決めるなどいい感じだったが攻めあぐね、後半、酒井宏樹はファールのPK与え同点で終わってしまった。まさに宏樹デーだったね。

この後も録りだめビデオやら見ていたがいつの間にか床寝でグーグー、不健康な夜をまた過ごしてしまったのだった。

2018年11月15日木曜日

ムッちゃんがアレにハマった

今日から病院でインフルエンザのワクチン接種が始まった。私もさっそく打ってもらったがちぃとばかし痛かったな。毎年ワクチン打っているけど今年はB型インフルに罹ってきつかった。今冬はたぶんインフルにはかからないだろう。ワクチン万能ではないけれど期待しているゾ。

内視鏡室のあのムッちゃんNsが最近韓ドラを見始めていると聞いて驚いた。10年ほど前私が韓ドラに大ハマリしていたとき、特に「冬のソナタ」を「どこが面白いんだか」とかペ・ヨンジュンの茶髪を「きっさんか(汚い!)」とバカにしていたのだ。もっとも私は「冬ソナをバカにする人たちの共通点は冬ソナを見ていない人たちだ」と看破していたのでそれ以上は何も言わなかった。彼女も還暦を過ぎ子どもたちも離れ余裕というかヒマになったんだろう。台風が近づいた日に「TVも面白いのがないから」と外来の不束Nsから韓ドラDVDを大量に譲り受けたのがきっかけだったそうだ。

今見ているのが「千日の約束」とかでどんなドラマかと尋ねると、「記憶を失っていく女性を守ろうとする男性の純愛」を描いているそうで「それって今TBSでムロツヨシと戸田恵梨香がやっている『大恋愛』といっしょじゃん」と思った。調べるとパクリやリメイクではないようだがテーマやシチュエーションは全く同じだ。韓ドラでは主人公がキム・レオゥンとスエ。Aクラスのキャストなのでしっかりした作りのはずだ。あんなに韓ドラをバカにしていたムッちゃんが「早く寝なくちゃと思っているけど次が気になってついつい」とぼやくほどハマっているとは可笑しいぜ。

もらったDVDは10作品以上もあるそうでなんで「千日の約束」から見たのかと聞けば「一番上にあったのを取っただけ」だったのならば、「韓ドラの基本、お約束の『冬ソナ』を見ないでは済まされない。今度私がDVDを貸すから」というと素直に「うん」とききよった。うしし、10年越しのレベンジだぜっ!

2018年11月14日水曜日

自分で自分に魔法を掛けた患者

同じ郡内のクリニックから救急車で腰痛その他で体が動けないという女性(私と同い年)が紹介されてやってきた。うちに整形外科があるからということでその女性患者が希望したそうだ。だがあいにく青雲会病院は整形は担当Drが非常勤でしかも月火の週2日しかいない。週後半は不在なのだ。だが病状を見聴きすれば整形外科の疾患ではない匂いがぷんぷんしていた。この女性にはどこか腫瘍が隠れている、骨の痛みは癌転移じゃないかと。採血結果をみてますますその疑いが強くなった。私は骨へ影響する血液の癌の可能性も考えたりした。他にも難しい患者も多くこの女性患者にばかり関わってられなかったが他が一段落してじっくり診察出来た。

夫と高校生の娘も交え、現病歴も再度確認しているうちに「胸のしこりが・・」と患者が口走ったのをそのままにせず、「ちょっと待って、しこりですか、見せて下さい」と言うと、なんと見せようとしない。うん?「いや、左の胸のしこりは25才の時からあってずっと放置しているから」と言い、抵抗した。25才からおおよそ35年もそこにあるしこりならば普通なら良性のものだろう、でも鵜呑みには出来ない。「とにかく確認させて下さい」と強行診察した。もう、私の脳裏には「進行乳癌→骨転移」のパターンがはっきり浮かび上がっていた。はたしてようやく見せてくれたしこりは触ってその硬さといい乳癌に間違いなかった。よく聞けばそのしこりは4、5年前からあって徐々に大きくなるも25才の時からのだからと一度も病院に行って診察は受けていない。かかりつけのクリニックの先生にも見せていなかった。だから整形外科の病気では?などと方向間違いをしてしまう。自分で自分に勘違いの魔法をかけてしまうなんてー。

ようやく原因が分かったものの、今度は自力で動けないこの患者さんをどうするかで悩まされた。乳癌の検査治療を行える病院に紹介をしたいが、できれば救急車で即入院がいい。しかし鹿児島市内のその病院はあいにく満床とのこと。それで介護タクシーで移動し診察を受け、近々入院の予約もしてもらいましょうとなった。この間、電話でのやりとりなど時間がかかり、私が昼ご飯を食べたのは15時前だった。実は当直明けで午後には早帰りできるはずだったのだが、結局16時に病院を出て予定の散髪屋に着いたのはそれから30分後。早帰りだなんて・・はあ。

2018年11月13日火曜日

理事長お気に入りの歌とダンスとは

昼は半年に一度の防災訓練だった。青雲会病院駐車場に職員が集合し消火器訓練などした。で、今回はこれから芝生に移動し4年前にも行った「恋するフォーチュンクッキー青雲会病院版」の全体動画撮影があった。これは可愛いんだ理事長の「人も変わってきているしおふざけの格好ではなく普段の仕事の格好でもう一度(フォーチュンクッキーを)撮り直したい」という意見でやることになった。全員で踊るチャンスはこの防災訓練しかない。踊るのはフォーチュンクッキーのラストで朝は医局会のあと事前練習までしたのよ。それで外来の看護師らに「先生、なんか上手だったぁー」と言われたがさすがにそれは言い過ぎ、ただ動きを覚えていただけだ。

これからしばらく各部署が分担してダンスをしそれをリハビリスタッフが録画し編集する。御用納めの日にみんなにCDを配るんだそうだ。そしてしばらく職場研修の学生などに見せるんだと。このAKBのフォーチュンクッキーは未だに人気があって彼女らの代表曲になっている。タイのBNK(バンコク)48も現在この曲で大人気になっているという。かつては「ヘビーローテーション」「会いたかった」がAKBの代表曲の時があったが完全に入れ替わった。青雲会病院でも理事長も気に入っているくらいだからネ。曲が発売されてから5年も経っているのに「恋チュン」パワーおそるべしだ。

2018年11月12日月曜日

「若くてきれいな女性に出来やすい」ものとは

人間ドックの利用者で中年に入りかけていて初めて胃カメラを受ける女性がいた。不安そうだったので「鼻から入れる胃カメラはそれほどきつくないですよ」と説明してから開始した。で、胃の中にスコープが入れてすぐに「ああピロリ菌がいるな」と思った。これっていやしくも内視鏡室専門医を名乗るならそう難しくはない。ヒダの腫れ具合、発赤の有無、粘液の付き具合、そして胃の小弯部位の色調などで秒で判断出来る。検査中に「ピロリ菌がいそうですよ」と告げさらに胃の出口付近である前庭部にスコープ先端を進めると今度は小さなブツブツが多発する粘膜いわゆる「鳥肌胃炎」の所見があった。もう100%ピロリ菌陽性は間違いない。

この鳥肌粘膜は30年以上前は病的意義がよく分かっていなかったが、比較的若い女性のピロリ菌感染者に見られることが多い所見で時にスキルスなど未分化型胃癌を起こす可能性があると言われている。そこで「この鳥肌みたいな胃はですね、若くてきれいな女性によくあるんですよね」と言うと、「あら」と喜んでくれた。「でも胃癌をちょっぴり心配しないといけない」と言うと「えっ」と表情が曇った。全く上げたり下げたりもてあそんで悪かったかな。全部観察を終え、ウレアーゼ試験を行い、カメラを抜いた。数分も待てば試験液は黄色からきれいなピンク色に染まるはずだ。しかし人間ドックの係の人がすぐに連れ戻そうとしたので反応カップを本人に渡すことにした。「きっと色がピンクに変わりますからね」

それくらい診断に自信があったわけだが、長くピロリ菌の診断治療をしていて結果が出る前にウレアーゼ試験キットを本人に渡したのは初めてのことだった。カルテ記録もピロリ菌陽性とフライングで書いてしまった。次から次に検査の人が来るのでさっさと書き終えてしまいたかったこともある。でもさすがに気になったのでドック室に電話し確かめると「ピロリ菌陽性でしたー」との返事だった。ふ、だろうて。みるみる変化する試験液を見て女性は自分がピロリ菌感染者だと実感したことだろう。そして除菌薬を飲み菌が消えることで胃癌のリスクが減れば胃カメラを受けた甲斐もあったというもの。

ニュースキャスターの黒木奈々さん(鹿児島県出身)は32才でスキルス胃癌で亡くなっている。彼女は検診やドックで分かったわけでなく、胃に穴が開いて救急車搬送されて胃癌が判明した。彼女は自分に起きた境遇の無念さの中で「早めに癌検診を受ける」ことを強調していた。また著書によると術前の胃内視鏡で鳥肌胃炎を指摘されたとのことだ。やはり。かつてのグラビアタレント堀江しのぶも確か24才でスキルス胃癌で亡くなった。彼女にも鳥肌胃炎があったかもしれない。若くてきれいとは言われたいけれど胃に鳥肌はあって欲しくないネ。

2018年11月11日日曜日

生まれて初めて食べてみた

何にもない日曜日ということで久々に私もネット麻雀天鳳をやっていた。ところが好調サブアラド七段と違ってこてる六段はビリが多い。鬱々とした気分で夕方になった。するとカールが「イカめし食べる?」と聞いていた。お、イカめし。実は北海道の駅弁の定番と知ってはいたが私は食べたことがなく、一度食べてみたいと言っていたのだ。カールに言わせれば「北海道物産展でなくてもスーパーなどで買うことが出来るのよ。これはイオンで買ったわ」とパック入りのイカめしを準備していた。
レンジで温めて出されたイカめしはパッと見、サツマイモのようだった。食べてみると確かにイカの汁がしっかりあり美味しく食べられた。
(情報なしで見せられれば鹿児島県人なら「カライモだ」↓と言うだろう)
見た目の面白さとあっさり食べられる小気味よさがある。変にたくさん盛り付けた駅弁より素朴な味わいが人気の秘訣かもしれない、と思った。ただ、カールはわざわざ買うほどのものでもないと思っているようで、今回は私のリクエストに答えたものだった。ふむ、わざわざ遠くのイオンまで買いに行くほどではないが、たまに食べるにはちょうどいい味、また食べよう!

2018年11月10日土曜日

「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」

 サブアラド七段に昨日の「お知らせ」さん天鳳位誕生の半荘に参加していたことを教えると「へーえ」だった。お知らせさんの上家の席でオーラスまで2位争いを演じていた。多くの天鳳民らが観戦する中、昇段戦と知らずにいたが、場を壊さずしっかり打っていたのは良かった。

今週夜20時からフジTV系でドッキリ番組「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」が始まった。TBSの「モニタリング」とは違って芸能人が芸能人をドッキリに仕掛ける趣向でこれは「スタードッキリ㊙報告」以来のフジの伝統だな。タイムシフトマシンでないと録画もしていなかったが初回とあってスタッフも気合いが入っていたようだ。私は「秒でドッキリ」のような驚かし系が好きなので、今回ワタリ119という芸人が抜群のリアクションを見せてくれこいつはドッキリ界(?)のニュースターになるとみた。「シャワー中に上からお化け」でのリアクションがとにかく派手で本当に怖がっている様子が爆笑ものなんだ。ドッキリは仕掛ける方と仕掛けられる方の共同作業ってのがよく分かる。

この他今年再ブレイクのISSAが考案したという「タクシー運転手がのっぺらぼう」が面白かった。これって小泉八雲の「ムジナ」だ。もし自分がこれをやられたら「うわぁっ!」って絶対大声出すね。(↓小さな穴が目の周りに開けられ運転はきちんと出来る)
小説の世界でしかなかったものを実現してしまったフジのスタッフは誉められていい。他にも面白いドッキリが多数あり、録画で毎週見てしまいそうだ。最近低調だったフジも原点に立ち返ったような番組作りをしていればまた視聴率は回復していくことだろう。

2018年11月9日金曜日

天鳳位をお知らせ

ネット麻雀「天鳳」で第14代天鳳位が今夜誕生した。ハンドルネーム「お知らせ」さんという人で、最近サブアラド七段に「『お知らせ』という十段がポイント重ねて天鳳位に迫っている」と教えたばかりだった。それが夜22時9分に偶然二人は対戦していた。私は串木野でリーグ戦をしていたので観戦出来なかったが鳳凰卓は全局記録が残っているので後で確認出来た。残念ながらサブアラド七段は上がりもせず振りもせずの地蔵の3位で終わっていた。トップは「お知らせ」さん。あまりに好調なのでどのくらいポイントを重ねたのか調べてみて驚いた。先に書いたとおり天鳳位達成しており、サブアラドとの半荘が実は昇段戦だったのだ。

オーラス迎えてお知らせ十段はトップとは2万3800点離れた3位で逆転はまず無理な状況だった。しかし勢いなのかな、9巡目に七対子ドラ1の親の手で9索待ちのリーチ。場には6索が早い段階で切られていて良い待ちだ。
これがしばらくしてすでに聴牌していたトップ目に9索が来てそのままツモ切りすると裏ドラが乗り親ッパネ1万8千に化けた。
出場所最高で見事な逆転トップである。そしてそれが栄光の天鳳位獲得の瞬間だった。
(↓トップ目も聴牌しておりこの9索は止まらないわ)
何十万という参加者がいる中でたった13人(初代の「ASAPIN」が2回達成しているので実質12人)しか達成者はおらず年に1人強しか出ないその稀な瞬間にサブアラド七段は立ち会っていたのだ。本人は知らず一生懸命打っていただけだろうが・・。ふう、夜も遅いので明日「お知らせ」しよう。

串木野のボウリングは全く振るわず、T-MAXでの好調ぶりと比べアベで20以上落ちる。今月のレーンコンディションはややオイルが多くボールの曲がりも悪い。次回は思い切ってメインボールのインフェルノ・ブルーフレームをやめてもっと曲がりの出るアブソリュート・ニルバーナに代えてみよう。それでダメならインフェルノも一部ヒビが入っていることだしそろそろニューボールにしようかな。

2018年11月8日木曜日

日米野球26年の差って何ですか

近々、プロ野球のサムライジャパンとMLBの試合があるらしい。それで今夜は前座の意味か巨人対MLBが組まれていた。これは普通に巨人が負けるだろう。何?原新監督のデビュー戦だって?あはっ、思い出したぞ。あれは1992年の秋の今頃、今回と同様にメジャーのスター選手がやって来て最初の試合が巨人単独チームとだった。

私は偶然のタイミングで学会で東京にいて、夜は時間があったので一人で東京ドームに観戦に行った。目当ては当時ゲームのファミスタで知っていた大リーガー選手たちだ。ところがマスコミや球場のファンは久々に(12年ぶり)長嶋茂雄がユニフォームを着るいう興味が主だった。長島がウィンドブレーカーを外し背番号33が見えると「うぉー」と歓声が響いたが私は少々しらけ気味だった。何よ、監督を見にわざわざスタジアムまで来たんじゃないだろう。野球は選手が中心で監督やコーチは重要ではあるがそもそも裏方、選手より目立ってどうすんのって。メジャーリーガーには数年前まで阪神にいたセシル・フィルダーやケン・グリフィーJrもいてこいつらがばかすかホームランを打つこと打つこと、花火大会さながらだった。対して巨人はロジャー・クレメンスを全く打てず確か篠塚のヒット1本だったような。見せ場も長島監督がヒットエンドランのサインを出したことくらいか。決まらなかったけどな。試合は11ー0で終わり、それがメジャーオールスターと日本の球団との差だった。

今回も原が巨人の監督復帰というパターンが同じだ。試合は9対6でメジャーが勝ったけれど巨人も善戦した。26年前のあのころ、まだ野茂英雄が海を渡ってメジャー移籍する3年前で今回松井秀喜がメジャー側のコーチとして帰ってくるなんて時代が変わったというか・・。この時松井はまだドラフトを待つ高校3年生だった。メジャーの試合が日常的に見られ、日本人選手もあちこちのチームに所属しているなんて当時は全然考えられなかった。ネットや携帯を利用している人はほとんどいなかったし、四半世紀という年月はそれくらいの違いを生むほどの長さだって今日の日米野球を見て思うことだった。

2018年11月7日水曜日

隣のおばさんと週刊誌のタッグに負けるな

今日は「立冬」なんだとか。で、昼の最高温度が鹿児島は25℃を越えていて「夏日」だったんだってさ。どっちがホントだっ!

外来でPPI(胃潰瘍や逆流性食道炎に使う胃酸分泌阻害薬)を飲み続けるといけないと隣のおばさんに言われ心配だという高齢女性がいた。その次には眠剤を飲んでいるが飲み続けると痴呆になると隣のおばさんに言われ心配だというこれも高齢女性患者がいた。共通するのは週刊誌情報を元に隣のおばさんから聞かされ医師の処方に疑念を抱いていることだ。前者は内服を止めると胸焼けが起きるし後者は眠れなくなる。内服すればどちらも症状は改善する。

眠剤の患者なんか調べれば20年近く内服し続けているがいたってまともな方だ。私は「心配しないで飲みなさい。週刊誌の報道は一部の極端な事実を誇張しているだけです」と言ってあげた。全く隣のおばさんの威力がすごいのは知ってはいたがそこに最近は週刊誌の扇動的な報道の脅威も加わって医療現場はやりにくさを感じる。以前書いた「「週刊現代」のいうとおりにしたらぁ〜」はこれまでのこてる日記のアクセス数第3位にもなっているくらいで一般人の関心が高い。

今年10月27日号の週刊現代にもその特集が出ていた。鎮痛薬の代表のロキソニンに対して「飲み続けると、胃の粘膜が荒れて、出血する危険性があることはこれまでも注意喚起されていたが、それに加えて『腸閉塞』の副作用が起こることも判明した。ボルタレンも同様だ」とある。それで言い切ってしまっているので読者は不安になるしもうこの薬は止めようと思うに違いない。私に言わせると胃が荒れるの下りはその通りで特に中長期にわたって内服する患者には必ずその旨を説明している。しかし腸閉塞になるケースは小腸にも潰瘍を起こすからと考えられるがとっても稀なケースで私は経験がない(潰瘍はある)。しかし記事は飲めば必ず腸閉塞を起こすかのような書き方だ。心配になるわな。ロキソニンは今や医師の処方箋なしで購入できる薬スイッチOTC(=元来医療用医薬品として使われていた成分の有効性や安全性などに問題がないと判断され、薬局で店頭販売できる一般用医薬品に転換(スイッチ)されたもの)だ。基本的には安全な薬なのだ。よく使われるがゆえにちょっとした傷を見つけては不安をあおり、また(雑誌を)買ってもらおうという魂胆だと見抜かなきゃ。

この他にも有名薬の稀な副作用をやり玉に上げているが、糖尿病薬もよく使われるがゆえにたびたび批判している。そして「そもそも糖尿病は薬に頼るのが間違い」と言い切るエライ先生の意見を載せている。「私は68才で、52才の時に糖尿病と診断されましたが、薬は一切使っていません。食事療法と運動だけで改善しました」とおっしゃるのが「日本糖質制限医療推進協会代表理事」の京都の高雄病院理事長の江部康二センセイだ。確かに「食事」と「運動」療法、私も真っ先にそうしなさいと言うほど大事ではある。でも現実それだけしか言わないでいると1年、2年どころか5年も10年も糖尿病悪化を放置している患者さんがほとんどだ。糖尿病は何年も自覚症状がほとんどない。そうなると人間はついついそのまま放置する動物なのだ。悪化してまたやって来た時には動脈硬化はかなり進み手遅れである。従って糖尿病改善しない人には内服も勧めている。その副作用?糖尿病放置の主作用と比べれば1/10も発生しない代物だ。まるで手術必要な胃癌になった人に「手術するると術後の腸管癒着があるから勧められません」と言うようなもの。副作用を気にして糖尿病の主作用を放置するな!

2018年11月6日火曜日

ロープウェイおたく

学会がらみで昔の日記を読み返したところ、明らかな誤記に気付いた。ポートライナーをポートラーナーと書いていた。この他、TBSのスポーツバラエティーの「SASUKE」を「SUSUKE」と間違って全く気付いていなかった(あんた、背中がすすけてるゼ・・)。また当時韓ドラにハマっていて、神戸の韓国料理店にグッちんDrと行った時、「初めてマッコリを飲んだ」と書くべきところ、何と「モッコリを飲んだ」と書いている。恥ずかしい(‾□‾;)。日記を書き上げたらできるだけ読み返し推敲と誤記訂正をするのだがそれでもこうしたミスは出る。

夜はボウリング練習でT-MAXで投げた。3ゲーム目にふと後ろを見るとサブアラド夫妻が見物に来ていた。私が練習をすることをたまたま教えていたら、夜の散歩がてら来ることがある。私は好調で200アップを続けていたのだが、サブアラドDrが見ていた時、3連続ミスを出した。「下手くそ」という声が聞こえたような気がしたが、見られていたからではなく、この時指がむくんでボールが抜けなくなっていた。指のテープを剥がしてもそうなのでボール穴のテープも1枚剥がして調整した。この後は5連続ストライクとまた調子が戻った。ボウリングはテープ1枚でガラッと変わるものなのだ。でも、序盤のミスが響いて10フレ迎えたところでスペア、ストライクを取らないと200アップ出来ない状況だった。しかしここを根性で取り、ぴったし200。サブアラドDr、感心して「さすが、じゃーな」と帰って行った。ふう。最後4ゲーム目も211を出したが難ガターさんも気合いが入って223を出され負けてしまった。でも4ゲーム連続200アップで最近T-MAXでは好調が持続している。

帰宅すると、TBSTVの「マツコの知らない世界」でロープウェイおたくの特集があった。全国168か所のロープウェイ・ゴンドラを制覇した歯科医師、中島信さんに紅葉の季節に是非体験して欲しいロープウェイを語ってもらうとのことで、この先生、その前は鉄道おたくで日本全線を制覇したら友人に「鉄道事業法に基づけば、ロープウェイ・ゴンドラだって鉄道の一種じゃないか」と指摘されたのが「乗り尽くし魂」に火がついたきっかけで、そこからロープウェイの魅力にハマったんだそう。「日本のロープウェイ・ゴンドラ全ガイド」「絶景! 日本全国ロープウェイ・ゴンドラ コンプリートガイド」などの著作もあり、いやー、もともとオタク気質だったのが鉄オタを卒業してちょうどいい対象があったってことじゃない。マツコが「あんたちゃんと仕事してんの?」と呆れるのもよく分かる。(↓は最長距離5482mの『苗場-田代ゴンドラ(新潟県)』ユーミンが「ドラゴンドラ」と名付けたことでも有名だそう)

切り口は違うがTV朝日の「激レアさんを連れてきた。」も同じようなオタク気質の人ばっかし出てくる。一つのことに尋常ではないほどハマって一仕事成し遂げたような・・。私もオタク気質ではあるがとてもそこまでの域には達していない。ボウリングにしても週1くらいでは世間のボウリングおたくに「頭が高い!」って言われまっせ。ハハーっ。

2018年11月5日月曜日

D言葉とS言葉

私の朝礼スピーチのタイトルは「D言葉に御用心 〜普通の人をクレーマーにしないために〜」だった。ネタ本は「クレーム対応 『完全撃退』マニュアル 援川聡 著」でたくさんのクレーム対応の中から初期対応のまずさからクレーマーにせずに済んだケースを取り上げた。クレーマーの中にも根っからのクレーマー気質の人もいれば上手に謝れば何事もなく済ませられた人までいて、特にDで始まる言葉には気をつけましょうとのことだ。具体的には「ですから」「だって」「でも」の三つの言葉だ。本にあった二つのケースを取り上げ相手が何故キレたのか解説した。

特に「ですから」は一見丁寧語に思えるが、これは〈そんなこともわからないの?〉 といういわゆる「上から目線」に相手は感じてしまうんだそうだ。そこでD言葉ではなくS言葉、サ行で始まる言葉に言い換えると上手くいく。「ですから」は「失礼いたしました」と言って「私の説明不足でした。 もう一度、ご説明いたします」と丁寧に説明すれば相手も落ち着いて聞くという。

S言葉とは

さ:さようでございますか 
し:失礼いたしました、承知いたしました
す:すみません
せ:・・・ (声に出さず「責任をもって私が対応します」)
そ:そうなんですか

さらに誉めのS言葉もあり

さ:さすがですね、さわやかですね
し:知らなかった
す:すごいですね、すてきですね、すばらしいです 
せ:センスがいいですね
そ:そうなんですね!

と言われればやはり悪い気はしない。もともと青雲会病院には「接遇マニュアル」があってその26ページ目にこの誉めのS言葉がちゃんと記されているとスライドでも触れた。そこでまとめでは「思わず口に出したくなるD言葉をやめて気持ちを静めまずはS言葉で始めましょう」そして「青雲会病院(Seiun)もSから始まっています」で終わった。ずっとまじめなトーンで話し、最後だけちょっぴり受けたかな。このところずっと笑いを取っていた私のスピーチもたまにはこうした内容で締めなくちゃね。

終わって接遇係のフーコさんがわざわざ廊下で待っていて「先生、今日はとても素晴らしい(スピーチ)でした」と感服したような面持ちでそれこそS言葉で誉めてくれた。外来に行くと、ホントだ師長が「センセ、今日のスピーチはやっぱり副院長ですね」とまあ誉めてくれた。そりゃまあな。amazonで1500円も払って購入した甲斐はあったわ。

2018年11月4日日曜日

新しい箱でいずれ中身も

学会JDDW(日本消化器関連学会週間)は調べると2009年の京都から10年連続参加していた。ほとんど参加していて今世紀に入って参加しなかったのは2001年の京都と2008年の東京だけか。DDWは以前は名古屋、広島、大阪、札幌と他の100万都市でも開かれていたが最近は神戸がほとんどで今年から何と4年連続の開催が決まっている。これだけ参加者が多いとキャパの関係で他にいい会場がないのかもしれない。でもさすがに神戸が続くと食傷気味だ。ホテルもすぐに埋まって取りにくいしー。

期待するのはカジノを含む統合型リゾート(IR)だ。法案も通ったそうで、カジノだけでなく国際会議場、国際展示場、ホテルなどが出来るわけでDDWのような巨大学会も開催出来るのではないだろうか。候補地は現時点では大阪や横浜が有力視されているらしい。昼は学会、夜はカジノなんてことも十分あり得るな。しかし完成するのは早くても2025年ごろとかでしばらくは現在の状況が続くかぁ。

カジノに限らずリゾート構想というのは夢があっていいねえ。最近気になったのは日本ハムの新ボールパーク構想だ。https://number.bunshun.jp/articles/-/828671
野球はもちろん行われるがそれだけではなく球場そのものに行きたくなるリゾートのような発想で造られるらしい。日本ハムに入る金足農の吉田輝星投手も期待に胸が膨らんでいることだろう。そういえばかつてのダイエーもツインドーム構想(実際はドームは一つしかできなかったが)をぶち上げそれが現在にまで効力を発揮していると思うし、広島の現在の躍進は新球場のMAZDAスタジアムなしには考えられない。平和台や広島市民のままだったら両球団とも未だにBクラスのままだったろう。まずは箱を用意する、さすればいずれ中身も良くなる。学会や病院も球団と似たような経過をたどる気がしてならない。