2018年11月21日水曜日

46年前に読んでいたものとは

チッチから東野圭吾の直木賞作「容疑者Xの献身」が家にあるはずだから送ってほしいとの依頼があり、2階の本棚に探しに行った。しかし確かにあったはずなのにどうしても見つからない。結局あきらめたが、こういう時の「あるある」でついつい他の本を手に取り、眺めてはまた別のを手に取り眺め、いつしか時間が過ぎてしまった。ある意味贅沢な時間で読み終わった本でもそこにあるだけでなにがしか役に立つものなのだ。

自分の日記も小学6年からずっと保管していて「そういえば中1の時に親戚集まって霧島の紅葉を見に行ったのはいつだったかな」と中学時代の日記を取り出してみた。すると1972年11月5日と分かった。他のいきさつは全て忘れても紅葉の鮮やかさと「わぁー紅葉がきれーい!でも周りの緑があるからだよねえ」と車中でフミコ叔母が語ったことだけを覚えていた。その後、ぱらぱらとめくるに11月27日の一節が目に入った。
「図書館から『君たちはどう生きるか』という哲学の本を借りた。この本は教科書のP349の読書案内2というところにもでている。前から読みたいと思っていた本だから図書館でこの本を見つけた時はうれしかった」

へーえ。昨年漫画化され復刻ベストセラーになった吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を中学1年で私は読んでいたのだ。だから聞いたことのあるタイトルだなと思っていた。私には少々ひねくれ気質もあって「ベストセラーにはすぐには手を出さない」という癖がある。だから話題だからって「漫画本君たちはどう生きるか」は買わなかった。まさかすでに読んでいたとは。でも本には読むべき時期がありこの手の本はその頃読んで良かったと思う。自分では意識しなくても吉野源三郎氏の言いたかったことが血となり肉となっているに違いない。

日記もたまに読み返すといいもんだ。

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