2014年7月31日木曜日

アメトーク「高校野球大好き芸人」

ヒラメグDrが今日で最後の勤務で花束を職員からプレゼントされていた。またイギリスに行きしばらく大学院で勉強するという。1年くらいは帰ってこれそうにないとか。独身女医のさすらいは続く。また青雲に帰ってきてよー。

夜遅く、チッチがビデオをつけた。アメトークの「高校野球大好き芸人」を絶対見たいと待ち構えていたのだ。私も当然見た。アンジャッシュ岡部、ザキヤマ、大友康平、井森美幸、そしてあまり知らないかみじょうたけしなど高校野球オタクとも言える芸人らが集まって熱いトークを繰り広げた。特にこれはスゴいと思う試合が面白かった。最初は2007年決勝の佐賀北対広陵でビデオ映像で逆転ホームランが出てきた。ただ私はこの試合広陵に勝って欲しかったし審判のボール判定に疑問もあり推していない。しかし2番目に出てきた1996年の松山商対熊本工奇跡のバックホームは文句なしだ。生で見ていたし、試合の流れは9回に1年生沢村の同点ホームランで追いついた熊工にあり、10回裏の1アウト3塁ライトフライの瞬間は熊工ナインも監督もアナウンサーも私もTV前の大多数国民みんなが熊工のサヨナラ勝ちを信じた。しかし直前に松山商の澤田監督がライトに回った先発新田を本来のライト矢野に代えたばかりでその彼が浜風で失速したボールを今度は逆に浜風に乗って矢のようなバックホーム送球をする。ジャストでキャッチャーに届き、タイミングはアウトかセーフか、ジャッジはアウト!これで3アウトチェンジとなり気落ちした熊工ナインに松山商は次回決定的な3点を取り優勝したのだった。本や雑誌、いろんなメディアでこの名勝負は語り尽くされ、後にビデオでこれを見たチッチも一番感動する試合に上げているくらいだ。(逆転試合では前述の報徳対倉工)

ただ、私は一つ気になることがあって水を差すわけではないがあれはもしかするとわずかの差でセーフだったのではないかという疑念がずっとあった。NHKのビデオだとそこが今一分かりにくかったのだ。でも朝日放送の天井からの映像を今回見ることが出来、ストップモーションで本当にコンマ何秒もないくらいの差でボールがキャッチャーミットに収まりランナーにタッチしているのが分かった。チッチもこの映像を見て「ほんとだ、本当にアウトだ」と起き上がり、二人コーフンしてTV画面に釘付けになった。いやー、これが分かっただけでも見た甲斐があった。素晴らしい!

このほか名試合トークはどれもツボを抑えておりとても面白く、高校野球オタクの私たちからすればあーあるあると肯くことばかりだった。てなわけでこの番組、間違って消されないよう保護チェックをかけたのだった。

2014年7月30日水曜日

ボールはどこへ行った

あっついよー!昼から早帰りだったが外に出たとたん熱気にうんざりだ。帰宅してもクーラー付けてソファでぐったり寝やー。

昼寝して夕食摂ってT-MAXボウルに出かけた。疲れ気味でもスリウェル、タナカッツ両MRとのボウリング練習の約束があったからね。T-MAXは今日は1ゲーム100円だって?何でも9周年キャンペーンなんだそうだ。安いのは有り難いがアメリカンでは投げられないしレンコンが荒れるので迷惑でもあるんだよな。6Fフロアで久しぶりに投げたがデジカメ撮影するとボールのオイル上の軌道がきれいに見えてびっくり。レーン右側ばっかしが使われ左側はきれいなままなのが分かる。スリウェル君は「このレーンじゃどこ投げていいか分からないっす」と早くもお手上げ状態でタナカッツ君はいつもの右端真っ直ぐ狙いがどんどん左に流れるのでアレ?アレ?状態。おまけにだ、タナカッツ君のボールが投げて帰って来なくなり、スタッフを呼ぶもピンデッキ奥にはないという。へ、じゃーどこに行った?一人では探しきれずもう一人スタッフが来て調べるとどうもボールリターンの途中、つまりはレーンの下に引っかかっているらしい。そんなことがあるのか。リターンの屋根を剥がしつつ取り出すのを待った。ようやく出てきて分かったのがピンがリターンに入り込みそこにボールが引っかかって動けなくなったということだ。へー、私も長いボウリング人生で初めてのトラブルだ。そこではしばらく投げられないとのことで4Fへ移動した。するとリーグボウラーレーンであるここはオイルがしっかり入り今度は曲がらない。ま、コンディション自体は6Fよりはずっといい。スコアは伸びなかったけれど2レーン使ったアメリカンにもしてくれ有り難かった。

帰る頃はまた疲れていた。おまけに右肘に炎症が残り片手で重いものを持つと痛みが走る。体も肘も休ませないといかんなあ。

2014年7月29日火曜日

土用丑の日

医局のラボの福百合さんに、私が「今日は土用の丑だね、食事はウナギが出るかなあ」とつぶやくと「ドヨウ?今日は土曜じゃないですよー」と言われた。へ?「ドヨウって土曜日じゃなくて土に用があるって書くんだよ」と暦の言い回しであることを教えて上げた。でもそもそも土用ってどういう意味なんだ。気になってネットで調べてみた。

古代中国に端を発する自然哲学の思想である「五行思想」が背景にあり季節を4つに分けるとおおよそ3ヶ月(≒90日)になりその90日を5分割すれば一つがおおよそ18日になり、各季節の終わり約18日を土用と称する(他は水、火、木、金用があるのしらん)のだという。したがって立秋(8月7日)前の18日が夏の土用期間に当たり十二支の丑の日は少なくとも1日もしくは2日あることになる。今年は今日7月29日の1日だけでこの土用の丑の日にはウナギを食べる風習が江戸時代安永・天明の頃(18世紀後半)ごろからあり今に続いている。平賀源内が言い出して広まったという説が一般的だが正確なことは分からない。ともかく土用の丑の日とウナギは300年近く密接に結びついているということだ。

そんなウナギも希少になり、これははっきりいって日本のウナギ料理が旨すぎて日本人が食べ過ぎているからのようだ。末永くウナギの特に蒲焼き料理を食べられるようにある程度の制限を加えるのは仕方ないことかもしれない。で、昼は案の定ウナギだった。どうのこうの言ってもそう来なくちゃ。さらに今日は当直だったのだが夕食にプラス一品付いてきたのがまたもやウナギ。うわわ、それでもウナギ大好きな私はぺろりと平らげたのだった。ウシシ。

2014年7月28日月曜日

殺人少女

明け方、夢を見た。変な夢で、私が昔住んでいた自宅兼旅館の前の道路で酔っ払い上半身裸になっていて財布がない財布がないと慌てふためいていたのだ。結局財布が見つかる前に眼が覚めた。ふぅ、いったいどういうことだ?

さてそんな夢とは特に因果関係はないが、佐世保の女子高生の同級生殺人事件には驚いた。15才(事件2日後には16才)の女子学生が単に殺したいという欲求に身を任せるいわゆる快楽殺人を犯すとは。

今からちょうど20年前、私はベストセラーとなった「FBI心理分析官」を読んだのをきっかけにこの手の本を漁るように買い求め読み尽くした。1年ほどで40冊か50冊くらいは読んだか。最後は飽和状態になりパタッと読まなくなったが・・。その後、神戸連続児童殺傷事件で日本の中学生がこんな事件を起こすのかと衝撃を受けたが、今度は女子という点にまさに驚いた。というのも連続殺人犯や快楽殺人犯はほぼ男性に限られるからである。「FBI心理」でも最初にそこを指摘している。なぜ殺すのかといえば殺す瞬間に性的絶頂を来しそれが忘れられず殺人を繰り返すのだ。射精する犯人も多い。神戸の「酒鬼薔薇聖斗」も射精していた。彼は男の子の首を校門に飾ったときも「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」と述懐している。サディズムと性が結びつき(暴力=殺人と性的興奮を感じる脳の部位は近いところにあるらしい)小学生くらいから小動物を殺すことに始まりやがて猫になり性衝動が増すころ(通常は20才前後以降が多い)に事件を起こす。「神戸」では中学生という若さに驚いたが少なくとも犯人は男性だった。一般に性衝動は男性に起こやすいのは誰もが知っている。今回、それが女子に起きたとは本当に信じがたい。

私は思うのだが、この少女は実は心理的には男性、性同一障害ではないだろうか。自分のことを「ボク」と呼んでいたとかスカートはほとんどはかなかったというし、そう考えれば納得がいく。なぜにこうした殺人衝動が起きるのかはまだはっきりと分かっていないが、現実に14、15才くらいから極めて稀な確率で男性にはそうしたモンスターが現れるのは事実だ。その後の報道で身近にいた父親もバットで殺そうとしたし、なついていた母親ですら殺意を持っていたがかろうじてこらえたというからまさにモンスターだ。今後もこの手の犯人が出て来ず訳もなく殺される人が二度と出てこないように精神鑑定いやもっと突っ込んだ研究をして欲しい。殺人少女の親もなぜこんな子が生まれ育ててしまったのか分からないし、知りたいはずだ。しばらくこの事件の衝撃で考えこんでしまっている私も本当に知りたい。

2014年7月27日日曜日

逆転劇

昼からいつものメンバーと麻雀。結果は2週間前にすでに書いた。私の一人負けである。1回もトップが取れなければ仕方ないだろう。2回くらいトップが取れる半荘はあった。うち1回は明らかに私の打ち過ぎで回っている間にピンフドラ3を聴牌したため欲が出てやや危険牌を放つと2番手の見せたまえDrにこれが直撃デバサイ(出場所最高の麻雀用語)、混戦に陥り沈みの2位に終わってしまった。これ以外にも多少のミスはあったろうがなぜか上位に食い込めずずるずると終わってしまった。

まあ、こんな日もあろう。何をしても上手くいき前回のように一人勝ちすることもある。麻雀は正解手を常に打ったとしても必ずしもいつも勝つとは限らない。囲碁将棋とはそこが違う。しかし一局一半荘の結果は伴わなくても少しでもより勝率のいい打ち方をすることで一ヶ月、一年、そして一生のうちで勝ち越せるそんなゲームだ。年を取ってきたせいか以前のように一喜一憂することが少なくなった。うむ、麻雀に関しては達観できているみたい。

甲子園を目指す各地方大会も続々代表校が名乗りを上げてきている。その中でも今日はとんでもない試合があった。石川県大会決勝は星稜高校と小松大谷高校の対戦。小松大谷が8ー0で大量リードしすでに9回裏の星稜の攻撃を残すのみだったが、何とここから9点を星稜が入れ大、大逆転の9ー8で甲子園出場を決めたというのだ。帰りの車中のスポーツニュースでこれを知り私は仰天した。残りイニングが数回あっても逆転は困難な点差を1回で成し遂げるとは!その後の情報でエースピッチャーが足がつりこの暑さにやられたのが敗因につながったようだ。そんなアクシデントでもない限りあり得ない逆転劇だった。もし甲子園本大会でこれをやったらまさに永遠に語り継がれる試合になったろう。いや、予選決勝という舞台ならすでに今後とも語られる試合であろう。それにしても負けた小松大谷の選手の心情を思いやると心痛むねえ・・。

私とチッチはこれでまた一談義した。逆転試合でこんなのがあったなどと甲子園ヲタクはこれだけで小一時間は過ごせるのだ。近年は金属バットやピッチングマシンの影響で打撃向上、逆転劇が多い。足がつるの逆転でいえば去年優勝の前橋育英も準々決勝の対常総学院戦では完封目前の相手投手飯田が左足けいれんで降板し9回2死走者なしから2-2に追いつき10回裏に2-3×と逆転劇を演じた。これがなければ優勝は出来ていなかったわけだから暑さ、地球温暖化も逆転試合を演出しているといえる。

でもチッチと私が選ぶ甲子園史上最高の逆転試合は昭和36年の1回戦倉敷工業対報徳学園だ。報徳学園はこの年が初出場。延長10回まで互いに点が入らず0行進。しかし11回の表に倉敷工が6点入れ試合はほぼ決まったとだれもが思った。報徳の校長は恥ずかしさのあまり球場を出て行ったほどだ。確か報徳攻撃も2アウトになってここでアヤが生じる。実は倉工のエースは怪我をして登板出来ずもベンチ入りしていた。倉工ナインはこれまでチームを背負ってきたそんなエースに一瞬でも甲子園のマウンドを踏ませたく監督に登板を希望しそれが叶えられエースが投げたのだが・・。やはり抑えられず数点取られたため野手交代していた先発投手に戻ったが一旦休憩気味の投球に勢い増してきた報徳打線、流れは明かで同点に追いついた次回サヨナラ逆転となるのだった。

倉敷工 000000000/060 6
報徳  000000000/061 7 

スコアも美しい。逆転劇の裏にチームメイトとの友情のエピソードがありなおいっそう最高の逆転試合と思うのである。

2014年7月26日土曜日

イワゴー

夕方、カールと岩合光昭の「ねこ いぬ 鹿児島展」(主催:南日本新聞)を見に黎明館に出かけた。以前だったら格段興味もないイベントだったろうが、NHKBSで岩合さんの「世界ネコ歩き」もよく見ているしなにせゲンちゃんを飼って4年経っているゆえ自然と足が向くというものだ。レリゴーならぬイワゴーさんはごく普通の野良猫を根気強く生態に注目しながら撮影するタイプでその自然な感じと気楽さがいい。日本やヨーロッパ、アジアなどネコはネコで似たような表情や動きをするんだなと思った。南日本新聞に紹介されていたジャンプするネコや犬と並んでかしこまるネコ、眼付きの悪いガキ大将ネコなど面白い。そうそう、私たちは「いぬ」は見ずにネコだけだった。いや、イヌも可愛いなと思うけどね。やっぱ、ゲンちゃんあっての観覧だから・・。

そうだ、チケット買って受け付け係りの人に渡すとき、カールが「あっ」と小さな声を上げた。係りの人が近所の亀ハメおじさんの息子さんだったからだ。南日本新聞に務めているので役が回ってきたのだろう。カールは見知ってはいたが話すのは初めてだった。しかし何という奇遇だろう。亀ハメ家は実はテルが幼いゲンちゃんを拾う直前、1週間くらいエサをあげていたことがあった。そのことは後で知ったが、近所の人は知っていて「あの赤ちゃんネコ、こてるさんちにもらわれて良かったね」と言い合っていたらしい。亀ハメ息子氏に「ネコがいますよねー」と言われ「はい、亀ハメ家の軒下にいたネコですよー」とカールは返事した。

すべてはゲンちゃんが演出していたのだった。

2014年7月25日金曜日

アロハポロ・サプリ屋・スポーツボ

今日は串木野でボウリングもあるしでアロハポロシャツを初めて着ていった。紺色を基調に南国調の模様を施したもので沖縄でしか売っていないというもの。当然いくつものの中からカールが選んだ。青や緑のアロハほど目立たないけれど生地も着やすさもよく私は非常に気に入っている。みんなの評判もまずまずだった。

ブックリバーDrから聞いた患者の話。肝機能や胆道系酵素が上がっていて当初胆嚢や胆管に問題あるのではと思われ入院した初老男性が実は某メーカーの健康サプリメントを15種かそれ以上服用していてその副作用で薬剤性肝障害を来していたことが分かった。奥さんに勧められて始めたサプリ飲みが高じたものらしい。「過ぎたるは及ばざるがごとし」サプリも度が過ぎれば肝臓も悲鳴を上げるってことだ。体のいい宣伝文句ばかりでサプリは彩られている。薬はサプリよりはるかに効果があるものが多いが一般向けに宣伝は出来ない。もどかしくもあるが致し方ないことなのだ。そこにつけこむサプリ屋さん、中にはこうして入院する人や怪しいものなどでは死人も出ることもあるって知らせてちょーだいな。

串木野は1ゲームめなんと128点という無様なスコアを出した。とにかくオイルが多く10ボード付近も曲がらない曲がらない。それでも奥では動くので中央付近に立ち少し右に投げるラインを取っていたのだがボールの動きが安定しなかった。それで2ゲームめは右に立ち5枚め付近真っ直ぐのラインに変えてみた。するとストライク連発するでないの。今度は228点。同じボウラーが投げているのに狙うラインの攻め方一つでこんなに差が出る。ボウリングってスポーツだねー!

2014年7月24日木曜日

あのガキがこんなに

夏の甲子園鹿児島大会決勝神村学園対鹿屋中央をやっていた。大会前に2強といわれそのとおりの対戦になった。ベスト4には国分中央、鹿屋が入り、何と鹿児島市勢が1校も入らなかったというのは記憶にない。特待生問題以降鹿実、樟南が生徒を集めにくくなったのが大きな要因だろうが今までいかに中央(鹿児島市)が地方を搾取していたかってことだな。有力選手を取られては市外の学校が甲子園に行けるわけがなかった。

昨日の鹿屋中央対国分中央はビデオで見た。というのも国分中央に病棟Nsのかじゆうさんの息子ユーキ君が出ていたからだ。10年くらい前病棟飲み会に彼女は息子娘をよく連れてきていた。あの幼ガキが今じゃベスト4チームのクリーンアップを担うまでになっているとは。ただ左打者で鹿屋の左投手にきりきり舞いで全く打てなかった。チームも左打者が多く8ー0のコールドゲームで残念だった。ビデオをストップモーションさせデジカメに撮ってかじゆうNsに見せると「うわ、何これ、欲しい」というので後でプリントして上げることにした。「ビデオで見たのではないの」と言うとNHKの録画だったが彼女らはKKBしか見ておらず「こんなにアップで写っているなんて」と感激していた。コールド負け直前の泣きそうな情けないアップ写真も親からみたら「すてき」なんだって。ちなみにこの時の主審は前にも書いたが、昔私とキャッチボールしたこともあった対面家のツー君だった。10年以上も経つとみんな立派になるねぇ。

試合は1ー0で神村がリードしていたが外来や内視鏡をしている間に1ー1になったとは聞いた。その後は知らず夕方になって3ー1で鹿屋中央が初優勝したと聞いた。へー、去年の尚志館に次いで大隅から甲子園、夏は初だ。神村よりはフレッシュで面白い。期待しよう。

2014年7月23日水曜日

1日で30年分を稼ぐ

今日は今月2回目の平日休みだった。で、朝からのんびりしていたかというとさにあらず、長島に親戚のバタフジDrがクリニックをやっていて大腸内視鏡依頼があり新幹線で出かけたのだった。いつもは土日のいずれかに頼まれるのだが私が土日に青雲会病院の仕事が多くなったのと大腸癌検診の精検希望患者が多いため平日来てくれるならなお良しとのことでそうなった。で、「今日はCF何人?」と聞くと「8人」だって。う、そこそこ多いっすね。でも検査だけ集中してやればいいので外来しながらの4人などよりは気楽な面もある。9時半から始めて終わったのは午後1時ちょい過ぎだったか。何と2人に進行大腸癌が見つかった。いずれも大腸検査は初めて受ける50才代の男性一人女性一人だった。男性の方は数ヶ月前から貧血もありバタフジDrからも検査を受けろと言われていたにも関わらずイヤだと逃げていたらしい。すでに腸閉塞寸前でもあった。女性の方は進行しているといってもそこまではなく手術さえ受ければ助かる可能性はかなり高いと思う。大腸癌には症状がないと思うべきで症状が出る前に検診や出来れば40才くらいに一度大腸内視鏡を受けその後は10年に1回でもまた受けてくれれば仮に大腸癌になっても助かる。くれぐれも何も症状がないから・・と自分に言い訳しないことが大事だ。検査を受けるたった面倒な1日が残りの人生30年40年を失わずに済むかもしれないのだ。こんな効率のいい投資はないでしょ。

2014年7月22日火曜日

私は食べませんヨ

久々(?)の登院はさっそく沖縄で買ったアロハシャツ(厳密にはかりゆしウェア)を着ていった。薄い白黄色い生地にハイビスカスが描かれたもので割引セールでも結構高かった品だ。「あらまた新しいのを」と当然言われた。外来を通り最初にいっしょに写真を撮ったのは光鳥Ns。
会話するヒマもなくちんすこう配りするも仕事が迫っていて内視鏡室へ。内視鏡室だけは「きびの花」というお菓子でどんな味がするかは私も知らない。「センセもどうぞ」と言われたが食べなかった、だって今日からダイエットするんだもん。そう、ここは我慢だ。間食するから太るのだという禁間食理論は私のダイエット法の根幹である。それを守れないから太るわけだしそれを実施しやすくするためのゼロコーラダイエットなのだ。いつまで守れるか分からないがやらねば!

2014年7月21日月曜日

沖縄最終日

最終日といってもほとんど何もすることはない。帰り支度して朝ご飯は特に摂らず、フィットに乗り込んだ。実はこの時この旅行最後の失敗をしていた。デジカメの電池と充電器を忘れていたのだが気付くのは帰り着いてからだ。去年の盛岡のホテルでしたことと全く同じミスだで「呆けが始まっているわね」とのカールの指摘に返す言葉もなかった。ガソリンを入れてからヨーコバーバに返すのだが沖縄は油代が安い。スタンドのおじさんは「この紙チケットを使うことにすれば5円安くなるよ」とわざわざクーポンを教えてくれ親切なことこの上ない。鹿児島よりリッター15円は安くなった。満タンにしてヨーコバーバ家まで返しに行きタクシーで那覇空港まで向かった。朝食は空港の職員食堂の沖縄そばにするつもりでこれはカールの定番パターンということだ。がしかし、時間が早く普通の定食しか注文出来ないと分かり撤退した。それでもいいのではないかと言うもカールは「お昼もあるのにお腹に入らなくなる」と。少し歩いて一般の食堂のメニューを見ると沖縄そばが3割増しくらいで出ていた。なーるほど、当然ここはスルーね。結局チェックインしてからおにぎりを食べる二人であった。

そうそう、帰るにあたっての大事な仕事がまだ残っている。お土産、とりわけ職場の各部署へ上げるやつだ。純粋な休みに旅行したわけではなく1日暇をもらってでのことだから必ず買っていくことにしている。買うところは空港のANAショップでと決めていた。ANAカードを使うと1割引になるからだ。一箱千円程度とすれば万札一枚くらい使うので馬鹿に出来ない。いろいろ見てみたがとどのつまり「新垣のちんすこう」になった。まさに定番中の定番でおもしろみはないけれど日持ちがし沖縄らしい味で間違いがない。

さて出発時に2500円も取られたボールバッグだが「二人でなら40kg未満OKですよね」で一切取られなかった。よしよし。全く小銭にはうるさいよ、私たち。鹿児島に着いてお昼をどこにするかでふと空港近くの安い割には本格的なイタリアンを出してくれる「蟻巣」を思い出し行ってみた。駐車場が満杯だったがちょうど出る車があって入ってみた。おっと待ち時間がある。それでも10分もせず座れたのでラッキーと思ったがそうではなかった。ここも人手不足なのか料理が出てくるまで結構時間がかかったのだ。おかげで置いてあったカルチャー雑誌を読み絵画など美術品にちょっぴり詳しくなったぜよ。1時間経ってデザートを食べているころ玄関で待っている女性がこっちをチラ見していた。あれ、どこかで見たような・・。確か4F病棟の仲良しNsかなと思ってレジで支払いするときにみたら案の定で家族4人で来ていた。あなたたちもかなり待っているね、お疲れさん。青雲タウンの「ザ・ハート」の姉妹店で人気あるんだなここは。

帰宅後、体重を測ってみると、げっ、77.6kg!ここしばらくで一番の体重だ。いかんいかん明日からまたダイエットやー。

2014年7月20日日曜日

沖縄3日目

今朝はゆっくりで遅い朝食を摂り昼前に浦添市の日本料理店に向かった。キシュン叔父さん一家との会食があったからでカールの従弟の木いちご、フミナンとその子どもたちも来ていた。フミナンの息子とは初対面だった。子どもたちはこれがみんな男の子でにぎやかにぎやか。和室をあちこち動き携帯TVゲームでカチャカチャ遊ぶ。ちょうど今から10年前くらいの我が家もそうだったんだろうな。

昼はカールと別れてまたネットカフェに私は入った。そこでネットはせず高校野球の沖縄大会決勝の沖縄尚学対糸満を見ていた。ネットはいつでも出来るけれどやはり生中継は気になる。糸満が1ー0で前半は頑張っていたが7回8回9回と点を入れられ6ー1で下馬評通り尚学が優勝した。昨日、国場に行った際、校門を見ていたので何となくシンパシーを感じていたよ。

日記をアップしてまた天鳳をやった。慎重に打ちトップ。これでぴったし1200ポイント、六段の標準点に戻った。ようやくだ。このところの不調を脱してこれからプラス1200ポイントかせいげばまた七段になれる。切りもいいしやみくもに打つのはやめて1半荘だけで終わった。

国際通りも夏休みのせいか人が多い。ヨーコバーバの家でカールと落ち合い、そこからまた国際通りを歩きアロハシャツの店に入ってみた。すると「あら、このシャツ、一昨日サンエーで見たのと同じだけど割引無いから買ったら損だわ」とカール。ちょうど2割引セールをやっていたな。「三越だと1割引だった」とカールは把握しておりさすがである。ただ比較的安い派手なアロハは国際通りの店に多い印象で観光で着る分にはいいかも。

夕食は国際通りにある居酒屋に入った。で、ここが待たされた。確かに客は多かったがそれ以上に店員が不足している印象だった。注文してもさくさくとは持って来られない。最近は景気がいいのかな?ただ沖縄の若者は夜の仕事をあまりしたがらない傾向があってというのもみんなで遊ぶのは昼より夜が多いからだ。居酒屋もバイトでの人集めも大変だろう。

明日は朝の飛行機で鹿児島に帰るので結局今回の沖縄で観光地らしいところにはどこにも行かなかった。この暑さ、海や人気スポットにはさほど行く気もしなかったし、久々に沖縄の雰囲気を味わえただけでも満足だった。

2014年7月19日土曜日

沖縄2日目

朝から昨日に引き続いてカールの親戚への挨拶回りをした。いずれも那覇市内で近隣だ。まずはカールの従弟のチョーキュー君の新居に行った。数年前に遅い結婚し長男のカイシュー君も2才になったばかりだ。奥さんとは私もカールも初めて会った。父君のハジメ先生(Dr)が亡くなって私はお悔やみをしておらず今回線香を上げることが出来た。家はきれいでよく片付けられていた。二人ともきれい好きというのが伝わって来る。駐車場も昔の家の時は2台がやっとだったがコンクリート敷きでうまくすれば4台は駐められるようにしていた。ちなみに車は黒のプリウス、うちといっしょだー。

次はギボヒサコの弟にあたるキシュン叔父宅に向かった。家はかつての沖縄戦激戦地シュガーローフ近くだが、途中最近那覇市の穴場的な街と知られるようになった下町の栄町を通ってから行った。沖縄出張時にカールも安さゆえにたまに買い物に行っていたところだ。今回カールは同級生との飲み会を「話題だから栄町あたりはどうかしら」と提案したが「あそこは汚いからイヤ」と却下されたいきさつがあった。そこを通り過ぎるころ、なぜかミニパトが止まっていて誰かを連行するところだった。どうも明け方まで飲んでいたおっさんらしき人の暴力事件のようだった。ふう、友人の意見が正しかったかも。

キシュン宅も久しぶりで実はカールもいつでも行けると思っているとなかなか行かないものでいい機会だったとのことだ。子どもらは男二人女一人みんな独立して大祖母も亡くなりまさに夫婦二人の生活で、「こてる君はいろいろ趣味を持っているから定年になってもきっとうまくいくと思うよ」とキシュン叔父は言う。というのも、友人の中で仕事一筋の人ほど余生をうまく活かせず不眠、不満、うつ病などの症状で苦しむらしい。ある人は心理学の先生で関東にいるころは有名事件の鑑定も手がけたらしいが「キシュン君、今の自分を診断するとだね、うつ病だと思うよ」とよく長電話がかかって来るし、ある元大学教授は論客で新聞などにもよく投稿していたが数年前自殺してしまったとか。ううむ、沖縄にわざわざボウリングボールを持って来るような人間は定年後は心配ないかも。

キシュン宅を出た後は沖縄そばの有名店「すーまぬめぇ」で昼食を摂るために国場方面へ向かった。今年初めTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で安住紳一郎アナと「ホンジャマカ」の石塚英彦がレポートしているのを見て行こうと思った。実はカールの同級生のお兄さんがやっている店でガイドブックにも出ているしこの番組で紹介されてますますお客が増えたらしい。一番人気はトッピングにてびち、ソーキ、三枚肉という三種の肉を使ったスペシャルそばで同級生によると一番最初に在庫がなくなるから予約しておいてくれたとのこと。ちなみに予約は一般の人は出来ないという。国場の古民家をほぼそのまま使った風情が人気なのはいいのだが駐車場も道路も狭くて観光客が自分の運転でたどり着くのは大変と思った。実は同じそばがより市内に近い泉崎に2号店がオープンしたのだが元居酒屋を改装しておりさほど込まないで食べられるという。しかし同級生によると同じ味のはずなのにみんな元来の店のほうが美味しいというのだとか。料理って雰囲気も味わうものだもんねえ。いや、スープ、お肉、ご飯(じゅーしー)など味も量も値段も非常に満足いくものだった。私は昨夜ファミレス風の大衆沖縄そば屋で食べているからなおいっそうおその差を感じた。美味しくて値段が安いのだから人気なのは当然だろう。「すーまぬめぇ」でブログ検索すると多くの人がレポートしているので以下に一例をどうぞ。
http://kuidoo.blog88.fc2.com/blog-entry-1551.html

この後は車を借りている叔母ヨーコバーバの家に行った。以前は豊見城の一軒家だったが国際通り近くに家を新築し引っ越した。非常に便利で国際通りまで歩いて数分である。子どものいない夫婦ゆえ健康相談を私は受けカールは世間話などしちょっと仮眠していたらすでに夕方になった。

夜は沖縄鹿児島航路に長年勤務している私のヨカトモ従兄と食事の約束をしており、ちょうど女王珊瑚号が入港する午後8時頃に那覇港で会う予定だった。普段は南薩の実家で会うのだが4日に1回しか会うチャンスがなくここ1年ほど会っていなかったのでちょうどこのタイミングの沖縄で会うことになった。ところでどの店で食事するかで悩んだ。ステーキ?沖縄料理?フレンチ、イタリアン?いずれも決めきれず那覇港で待った。やあやあとやって来たヨカトモ兄は「堅苦しくないところがいい」と言いので松山付近をそろそろと車を走らせた。するとヨカトモ兄がふと「あ、あそこに韓国料理店がある」と指さしたので「お、いいね!」と韓国居酒屋「み~じょん」に決まった。ヨカトモ兄は数年前から韓ドラにハマっていまだにおとろえはみせず鹿児島に帰ったら一人で録画した韓ドラを見るのが楽しみなんだという。しかし意外にも韓国料理店に来るのは初めてだった。一品料理をあれこれ頼み私は運転手ゆえノンアルコールのシッケやスジャンガを飲んだ。カールとヨカトモはマッコリじゃなくて普通に生ビール、ま、好きなものがいいよな。韓ドラの話題は私は最近全く見ていないけれど隔月刊行の雑誌を定期購読しているのでついていけた。ヨカトモは田舎では娘やヒトミンチョ妹が関心を示さずフサンコ兄らはドラマ録画はするが雑誌類は読まないので同じく話題が広がらないらしい。ドラマにハマっていると以前の私も青雲会病院の看護師らと「冬ソナ会」なる飲み会をしていたようにドラマトークをしたがるものだ。あと、ヨカトモは今年58才になるし沖縄では1時間以上ウォーキングをしタバコもせず健康に気をつけるようにしているという。以前青雲で検査受けたこともあり今度また受けたいと言っていた。感心だぁー。そんなこんなで久しぶりに話しが出来て楽しかった。

このあとカールは帰宅し、私はヨーコバーバの家の駐車場に車を駐め国際通りにあるネットカフェ「ゲロゲロ」に入った。実家にはネット環境がないためこてる日記更新にはこうしてネカフェを利用するしかないのだ。日記アップのほかネットサーフィンしたり天鳳半荘したりとこれはいつもの日常に近い時間だった。3時間近くいたのかな。眠くもありようそろとここを後にしカール実家に帰っていった。

2014年7月18日金曜日

久々沖縄1日目

カールは昨日沖縄行きしていて、ギボヒサコとチッチを家に残し、私は今朝10時の飛行機で6年ぶりに沖縄に向かった。そんでもって空港の荷物預かりでさっそく最初の失敗をした。沖縄に行くときはボウリングボールをたいてい持っていくのだが最近は重量制限があるのをうっかりしていた。ボールを2個持っていたのだ。他の荷物もあって28kgの8kgオーバー2500円だって。げげっ。泣く泣く払ったがこんなことなら1個入りのバッグも家にあったから一つは手荷物にすればよかった。そもそもボウリングボールを持っていくなどアホかとの意見もあろう。しかし沖縄のサラダボウルは3年間リーグ戦などで通いつめた思い出のボウリング場でそこで投げたいし投げるならマイボールでないとつまらないのだ。工夫次第で払わずに済むお金はきちんとそうしたかった。

那覇空港に着いたのが11時半ごろで予定時間を過ぎていた。カールからの電話では「駐車場がいっぱいで空港内には入れない」と。夏休みで連休前ということもあり旅行者の駐車場利用が多いのだろう。那覇空港は増える離着陸で過密状態で新たな滑走路建設中らしい。ここで時間を取られ、午後1時半にうるま市の親戚に会う約束だったため食事抜きで那覇港の海底道路をくぐり市内を横断し高速道路を使って向かうことになった。

有名な中部病院の目の前に薬局を構える夏京叔母さんのところに私は初めて行った。この店の他にも数店、介護施設も経営し叔母の夫、息子、そして姉の愛元叔母もこの系列で働いていて鹿児島方言で言うヤイテマンのおばさんだ。中部病院にいるジョンソン先輩の名前を出したら「ああ」と知っていた。会ったことはないが処方箋がよく来るから分かったようだ。「何か栄養ドリンクでも」と言われいつものエスカップではなくリポビタンを所望した。叔母さんたちもいっしょに飲み、そろそろとなった。2時からはみんな仕事なのだ。

ここから高速ではなく国道を通り那覇副都心に向かった。車はヨーコバーバから借りたフィットだ。鹿児島も暑いが沖縄は日射しがなおきつく暑い。車から出ると目を開けるのがつらい。天久(あめく)のショークン宅はすでに主が亡くなって数年、活きたか叔父さんが一人で住んでいる。ショークン祖父に線香を上げその足で最近はまっているアロハシャツを買う目的で近くのサンエーに向かった。特設コーナーがありかりゆしシャツと並んでアロハも売っている。ここで何着も私は着せ替え人形のように試着しカールが二着選んだ。一つはポロシャツ風で沖縄にしかないタイプだった。種類が豊富で迷ったがここはカールの選択を全面的に信頼である。

ここまでしてギボヒサコの実家に帰った。ここもリフォームして数年、私は初めてで駐車場が広くなり出入りしやすくなっていた。しばしぐったりした後、カールはミニ同窓会で私が運転して国場に連れて行きその後大衆沖縄そば屋で一人夕食を摂り懐かしのサラダボウルへ向かった。立体駐車場に入って空いているのに違和感があった。休日前の金曜ならいっぱいになっていてもおかしくないはずなのに・・。中に入ると待ち時間どころかアメリカン5ゲーム申し込みで即プレイOKだった。マイボウラーということで奥のリーグ戦が行われる30番以降のレーン指定だった。それにして少ない。以前の賑わいはどこに行った。平日でも夜10時ごろは待ち時間があったのに。隣でマイボウラーの若者二人が投げていた。ボールの動きを見るとオイルもちゃんと入りアウトサイドでよく曲がるパターンのようでここはだいたいそんなコンディションだ。最初の数投はミスやガターもあったがすぐにラインを把握しストライクが出だした。サラダは最近では珍しくなったウッド(木)のレーンでボールの走る音もなんだか懐かしい。ふと後ろにスタッフの玉通る君がいるのが見え話しかけにいった。彼と溶け石君は20年前からの従業員だ。若い玉通る君も少し白髪があってやはり年月を感じるなあ。溶け石君は今日は不在だったが明日ボウリング教室をやるそうで元気ということだ。5ゲーム投げて980点。最後の10フレーム、完璧にストライクと思ったのに8番ピンが残ったのが痛かった。ぴったしアベ200になるはずだったのにー。それでもいい感じで投げられ満足だった。客が減ったのは若者減少とラウンドワンがいくつか出来ているからか。安くて投げホーダイはやっぱ魅力的だろうし。

帰宅後すぐにシャワー。とりあえず12時まで開いているスーパーで飲み物とパン買ってぐったりとなった。カールもその後帰ってきたようで二人してぐったりの沖縄の夜だった。

2014年7月17日木曜日

ものまねだって分かっているわよ

明日から休みをとるため、その間病院スタッフが戸惑わないように指示出しなどあり今日はいつもにも増して忙しかった。おまけに完全に満床で外来や病棟のやりくりも大変。夕方某老人ホームから連れて来られた91才の患者はこのところ飲まず食わずが続いているということで採血してみると尿路感染症悪化に加え急性腎不全を来たしており入院治療が絶対に必要な状態だった。しかしベッドがない。霧島市の七五調病院に電話依頼したが年齢とクレアチニン高値のデータを伝えただけで「うちは透析がないんで」とにべもなく断られた。ちょっと待ってーと言いたかった。このケース、高齢なのは仕方ないにしても実は排尿もあったし透析しなくても一定時期乗り越えれば改善することもあるはずなのにー。ベッドさえあれば自分が診れるのにと少々悔しかった。でも青雲会病院よりもあちこちから入院依頼されることの多いところだから断りたくもなるわなと心の広い私は相手の立場を察するのだ。

ただこのまま放置できないのでならばと隣町のおーい病院に電話をした。通常はこの手の患者をおーい病院に紹介することはまずない。近隣で似たような性格の病院だとそうなるよね。今度は若干ニュアンスを変え腎機能が極めて悪いことはすぐには伝えなかった。決してウソをついているわけではない。対応してくれた河童Drも大変な患者だと思ったろうがこっちも心苦しいのだ。ベッドの空きがあるかどうかを看護師とやりとりしているのが聞こえる。そしてどうにか受け入れてもらえることになった。急いで紹介状を書き救急車を呼んで搬送してもらった。ほっ。(後日届いたFaxでは1週間ほどでこの患者は亡くなられたとのこと。やはりね。でもダメ元でもやるしかないのだ。ところで主治医は泣かん薗Drだった。この場を借りて感謝感謝である)

まだ病棟の仕事が残っていたがその患者を送り一段落した。するとシホねえNsが言いたいことがあったようで「実は昼過ぎシマッチ院長に大変失礼な対応をした」というのだ。彼女が内視鏡室にいたとき4F病棟から院内電話が鳴った。出ると「シマッチだけど」と名乗るのを聞き、あ、こてる先生、シマッチ院長のものまねをしていると思い込んだ。病棟の患者が下血をして云々と内視鏡がらみの話しだったことも彼女を確信させる要因だったようだ。いつまで下手なものまねを続けるんだろうと内心思っていたので「あー」「あー」とぞんざい生返事を繰り返していた。内心「バレバレですよ、すぐ分かりそうなのにものまねを続けてー」と。するとシマッチ院長さすがにむっとして「お前、なんでさっきからあーあー言うんだ、なんて電話対応だ」と言った。普通そこで気付きそうなもの。おバカなシホねえは「ハイハイ」と返したそうだ。2分以上はその調子だったらしい。ようやくこれは本物の院長だと思い始めて勘違いを伝えたそうだ。笑って済ましてくれたらしいがホントにとぼけた奴だぜ。私はよく冗談を言うけれどシマッチ院長のものまねはしないぞ。可愛いんだ理事長の似てないものまねはしたことあるけど・・。

ちょうどその電話を切り終わった直後、私はたまたま4F病棟にいてシマッチ院長から「ちょうどよかった、下血の患者がいてねー」と聞かされ急遽内視鏡室に降りていったのだった。彼女もすぐにその話題を言うヒマもないくらい忙しかったってことではある。

帰宅後、明日の沖縄行きの準備もしないまま眠りこけ眼が覚めたのは18日の午前1時半。その後、こてる日記を書き、忘れ物ないよう準備してまたもや眠りこけたのだった。

2014年7月16日水曜日

おつかれヨッシャーDr

7月から外科勤務のテッシーDrと前任のヨッシャーDrと内科、内視鏡のオマルDrの医局歓送迎会が恒例の青雲タウン内イタリアンレストランのザ・ハートであった。たまには別の店でとの意見もこれまではあったが、きれいだし病院の近くだし味は確かだし、それに幹事の私が面倒くさがりも相まって今回は特に意見も出なかった。

ヨッシャーDrは送別会をこの前の5F病棟、外来、医局と毎回鹿児島市内からやって来てくれ来週は4F病棟にも姶良まで来るという。転勤してから送別会がここまである病院も珍しいのでは?元気そうで何よりだ。テッシーDrは可愛いんだ理事長、シマッチ院長らが話し相手になっていていきなり麻雀ネタを振られていたようだ。私もそっちの話題を聞きたかったけれど席が遠くて。でも話しぶりから相当自信を持っているようで「トントンになるように打っている」とはすごい。勝ちすぎても相手に悪いとのことだ。自分が負けるというのはさらさら考えていない。うーむ。対戦時はこころして臨まねば・・。

眼科のブラロックDrは今度の連休海の日に可愛いんだ理事長らと錦江湾や三島近海へのクルージングに出かけるらしい。彼は釣りが趣味で同じく釣りをするブックリバーDrもいっしょで、え、ヒラメグDrも乗るの?彼女は釣りではなく泳ぎや飲み食い主体か。私も一応誘われたが船は酔うので苦手だしそもそもその日は沖縄に行って帰って来る日で物理的に無理だ。そう、1日休みをもらって7月18日から21日まで久々に沖縄に行く予定なのだ。何と6年ぶり。目的はカールの親戚への挨拶と単純に沖縄で休みを過ごしたいというだけ。少し準備もせねばと終わったあとも二次会に行くこともなく家路を急いだのであった。

2014年7月15日火曜日

歯ブラシを取り出す

夜はT-MAXでボウリング練習を予定していた。19時からMRらとの約束だったので間に合うようにと早目に病院駐車場に出向き車に座ったところで病院から連絡が入った。いつもより早く出たから指示漏れでもあったのかなと思った。しかし当直のシマッチ院長からで「今、車の中?あのねー、愛乱病院の患者が歯ブラシを飲み込んだみたいで今から診てくれないかって連絡が入っているのー」とのこと。あいたた、歯ブラシですかい?(以前は電池だった)時間がだいぶ経っていると無理だが飲み込んだばかりなら緊急内視鏡で摘出しなくちゃならない。そこを確認してもらったら夕食直後にやっちまったばかりという。腹は決まった。病院に戻りムッちゃんNsを家から呼び内視鏡室で待機した。

救急車でやって来たのは中年女性で何で飲み込んだかなどは聞かず、ともかくもまずは口から内視鏡挿入だ。胃の中だったらどうにか取れるだろうなと思っていると幸いにも食道中部に引っかかっていた。これなら探す手間が省ける。総胆管結石破砕用の丈夫な鉗子を内視鏡を通して入れ、モニターを見つつ歯ブラシの柄をつかみ引き上げた。一回はずれ落ちたが二度目には成功した。長さ16cm長のブルーの歯ブラシだった。「よかったねー」と患者に話すも「ありがとうございます」の返事はない。本人に尋ねると「死にたくて」飲んだつもりだった。歯ブラシじゃまず死ねないが腸閉塞や腸管壊死など起こすと手術になることもありやっかいだ。また何で死にたいなんて思った?「振られたから」だってか!?どうやら男性患者に思いを寄せていたものの実らず悲観し飲み込んだってことらしい。はあ・・。

ボウリングはスリウェル君など先に投げてもらっていて1時間半も遅れた私は結局2ゲームしか投げられなかった。ターキー賞を取りどうにか面目を施したものの疲れたわ。帰宅するとこのところ話題のベネッセコーポレーションからお詫びと称する封筒が届いていた。うちの個人情報も漏れていたらしい。もっとも子どもも高3一人となりさほどダイレクトメールも他会社からは頻繁に来てはいないみたいだ。いずれにせよ、これも疲れる一件だわー。

2014年7月14日月曜日

ない・・な

ヒラメグDrがアロハシャツを着てきた。今度はムームーじゃなくて普通のアロハだ。これに透明のガウンを着て内視鏡をする。透け透けなので何となく妙。彼女は内視鏡室がらみの男性Dr3人にもネット通販で1着1500円くらいのアロハ色違いを(半ば強引に)買うように勧め「いっしょに着て検査しましょうよ」とノリノリだった。私はそれには乗らなかった。せっかく買うなら多少高くても質のいいかつカールの気に入ったものを着たい。可愛いんだ理事長から始まったアロハブームは青雲会病院ではまだ終わりそうにない・・な。

そういえば今朝はW杯決勝があったんだ。大方の予想通りドイツがアルゼンチンを破って優勝。確かに優勝にふさわしい強さだった。まあ本田が日本優勝をぶち上げていたが今のドイツを見ればそれっていつの話しって言いたくなる。絶対無理とは言わないが私が生きている間にない・・な、たぶん。

2014年7月13日日曜日

因果は巡る麻雀

ある日の麻雀ネタ。

珍しく私が一番先に雀荘に着いたものだから暇つぶしに一人麻雀を始めた。親になってサイコロを振り自分の配牌の他全員の配牌も分けチョンチョンしてから手作りをやってみた。配牌に萬子が多く発の対子もあり混一色が出来そうだが特に1萬が3枚9萬が2枚あるのが気に入った。うまくいけば清一色はては九蓮宝燈まで狙えるかも。するとさくさく萬子を引き込み6順目には発が雀頭の面ホンを聴牌した。しかしここは発を落として面チンを目指す。するとまた萬子引き込み8巡目には1113345578999の面チン一盃口を聴牌した。4萬ツモればバイ満の大物手だがここまでくればそれでは満足出来ない。2萬か6萬を引き込めば九蓮の聴牌だ。そして10巡目6萬をツモリそっと5萬を切る。369萬と2萬の待ちで2萬で役満達成だ。その後赤5萬をツモるもついに最終ツモまで2萬は引けなかった。しかし実践だと相手のロン牌もあるのでどうだったかは分からない。たった1回の一人麻雀とはいえ少し興奮した。もしかするとこれまで5回ほど聴牌するも上がれなかった九蓮を上がれる前触れかと一人悦に入っているうちにいつものメンバー3人がやって来た。

ある半荘、私が4万点以上の一人浮きでオーラスを迎えていた。ドラは南。どんな形でも上がればOKと最終形は南と9索のシャンポン待ちでドラの南でしか上がれない苦しい形。それでも南を握った相手は降りるか振り込むしかない。せいぜい対子でどうにか使えるかといったところ。中盤、いらない4ピンを切ったところダイボDrがポンした。発ポンをしていているだけで捨牌に特に特徴はない。そのうちツモった北を見せ少し残念そうに「上がっとくか」と手を開いた。一瞬、これで自分のトップが確定したと思った。2万点弱差があったので当然だ。しかしびっくりの小三元ホンイツトイトイのバイ満1万6千点で微差で逆転されてしまったのだった。しかもシャンポン待ちの一方の中ならば大三元だった。ひえー、全く気付いておらず中は私はきっとツモ切っていた。麻雀て怖い。浮きの2位で良かったと思うべきか。

半荘は続き、東2局で私が親、大物手になりそうな手が入った。白暗刻で発2枚中1枚あり7索もすでに暗刻だ。悪くても小三元、大三元も狙える。3巡目くらいに対面のサブアラドDrから発を鳴き一向聴になった。7巡目に上家のダイボDrが5ピンを出しチーすれば中単騎の小三元聴牌だったがこれは見送った。で、中を持って来いと念じると4枚目の発を持って来た。槓!すると槓ドラ指示牌に中がいた。ということは手持ち暗刻の白がドラで小三元でも親ハネだ。次は何でも聴牌にとろうか。しかしこの日はついていたんだろうね、10巡目待望の中を引き4ピンとのシャンポン待ち高め大三元の手になった。それから牌をつもっては捨てること5巡が過ぎ終局間近となって対面のサブアラドDrが小考の後、切ったよ中を。

「ロン!大三元!」

呆然とするサブアラドDr。これ一発でドボン、三コロ、役満賞と大トップを取った私はこの日はラスも多かったにも関わらず一人浮きの大勝だった。後日、サブアラドDrはわざわざ電話をしてきて「実はあの時七対子の聴牌で中か白を切る場面だった。よく考えれば白を切れば大三元には絶対放銃することはなかった、失敗だった」と言ってきた。どういうことかというと、すでに手の内と槓ドラ指示牌で中が2枚見えている。もし白で放銃しても相手は中を3枚そろえることは不可能だ、聴牌維持で勝負で切るなら白にすべきだったと。確かにそうだ。しかし終盤に槓ドラで生牌の白を切るのは相当勇気がいる。多くの人が中を選ぶだろう。

いやー、サブアラドDrから役満を上がるなんて滅多にない。ずっと昔、25年以上前かな、指宿の違和先ホテルでやった麻雀で西を切ったらサブアラドの字一色に放銃したことがあって四半世紀ぶりにリベンジ出来たよ。あの時は「ほれ、中の方だったら大三元字一色だったのにー」と振った上に残念がられ屈辱だった。大三元は上がった数より振った数が多く私は自分と相性の悪い役満と思っていた。2年前にもアンベMRの面前大三元に放銃し「こてる写真館」に画像アップしたものだ。おっとそうか、それから3ヶ月後国士無双を彼にお見舞いしてしっかりリベンジはしたのだったな。因果は巡る役満エピソード、今後はサブアラドDrの逆襲に気をつけよう。

(この日からちょうど2週間後、また同じメンバーで闘牌した。結果はな、なんと私の一人負けで2週間前の勝ち分ほとんどを吐き出した。気をつけようと気を引き締めていたのに・・トホホ)

2014年7月12日土曜日

外来歓送迎会だよ~ん

土曜午前勤務を終えて近くタイヤショップ「車輪の庭」に行った。プリウスのタイヤがややすり減ってきてこの前の車検でも交換を勧められていたからだ。来年プリウスもモデルチェンジがあるらしいから今回は前輪だけ交換にしようかと思っていたが店員に上手く言われ4輪とも新調することにした。ブレーキ効き悪く万一事故でも起こしたら結局は大損になるしー。ただし前回のグレードより落とした。次ぎの車検まで乗れば丸7年、そうそう長くは乗らないと思えばそうなるわ。

夕方から姶良で外来の歓送迎会があった。場所は居酒屋「雲助」。6月まで勤務の外科のヨッシャーDrがメインの会だった。ヨッシャーDrは天妖怪病院に就職し1週間あまりで、聞けばそこは循環器外科Drは多いが一般外科は一人、他甲状腺外科一人がいるだけでヨッシャーDrはすでに両者の手術に入って頑張っているとのことだった。歓送迎会といっても他は部署替えで星ゆりNsが回復期病棟に移動になったりなどでどちらかと言えば外来職員の飲んで憂さ晴らしての会だった。

私も二次会のカラオケまで珍しく付き合った。店はレーシングカーが飾られ私も何度か来たことのあるカラオケ屋「最高位置」で確か1年半前に来たときは赤のフェラーリで今回はオレンジのカウンタックが飾られていてこれにブックリバーDrは仰天していた。まさか姶良の田舎にこんな店があるって。そんな勢いにも乗ってカラオケではみんな全開フルスロットル。ヨッシャーDrの渋い歌声で始まり看護師らが次々にマイクを握る。私も乗っちゃえ乗っちゃえでダンスに参加しAKBの「恋チュン」も見よう見まねで踊った。看護師ではまっぴらNsが特にパワフルで小椅子に片足掛けて絶唱!し日頃よっぽど溜まっていたんですかと思うほどだった。そこでブックリバーDrが「こてる先生も是非一曲」とお願いしてきたが、明日朝から出水まで仕事も入っていて12時には帰ろうと決めていて時間がなかったし、それに自分のよく歌う歌がこんなノリノリ調ではないのでまた今度の機会にとやんわり断った。

今夜は10年以上前までは病棟などの飲み会でよく二次会まで行っていたのを思い出した。他、可愛いんだ理事長も毎週鹿児島まで出向いていて私らもお付き合いで天文館に繰り出したりしたものだった。今回はノンアルコールでだったが次回は多少なりともアルコール摂取して参加しよう。飲んで騒いでもいいもんだ。

2014年7月11日金曜日

返り討ちはまた今度

夕方、川内のしんどかど整形の猟奇Drから電話があった。患者の紹介?いやいや違う。「今晩、麻雀出来ませんか?この前のリベンジもしたいですしー」あいたー、そりゃ喜んで行きたいのだが、あいにく串木野でボウリングのトリオリーグに出なくちゃならない。この前のお誘いは当直で出来なかったしこのところタイミングが悪い。リベンジをというなら返り討ちにして上げたいところだったがネー、残念。

そのボウリングは海広しDrが休みでまた米将軍MRが助っ人で参加してくれた。1、2ゲーム目は個人のスコアはさほど良くないのにうまくストライクがつながり相手2チームに連勝したものの、3ゲーム目はみんな130ー150程度でさすがに一つも勝てずトータルスコアも負けポイントはイーブンだった。調子良くなくてもそこそこポイントが取れたので良しとしよう。

サブアラドDrは天鳳の五段再昇段戦を戦ったがラスを引き失敗したという。これでまたトップ+2位以上を取らなくてはならない。その間ラスを引くとまた昇段が遠のく。少々残念だが牌譜を見る限り好調持続しているので昇段は近いはずだ。六段の私もうかうかしていられないな。

2014年7月10日木曜日

特別警報

7月としてして最強クラスの台風がやって来た。朝7時のNHKでは「ただいま台風が阿久根市付近に上陸しました」と緊急速報も出た。だがしかしー。外を見るとそよ風は吹いているが風雨はどこにもない。TV画面では天草の海岸が出ていたが全くの凪状態だった。朝の通勤がどうなるかと心配していたがこれなら大丈夫といつも通りに出発した。高速道路も問題なく走れるはずなのに通行止めというからには鹿児島蒲生ラインを通って行くしかない。高速の上を横切る道路で眺めるとなぜか50km/h制限の表示が目に付きもしや通行止めは解除かと思った。しかし車は1台も走っていない。実はその時点ではそうだったが5分後の8時30分には解除されたのだった。結局いつもより10分以上遅れて病院到着しいつも通りに仕事を始めた。

しかしTVでは大騒動で沖縄の水に浸かった民家の映像が何度も出ていた。何だか「数十年に1度の強さを基準とする特別警報」という気象庁の報道に踊らされた印象がある。確かに沖縄接近時のヘクトパスカル(hPa)は930もあった。しかし鹿児島に近づくにつれどんどん上昇し阿久根上陸時は暴風域はなくなっていて並の台風以下になっていた。沖縄の民家もあれしか被害らしき映像はなくたまたま低地にあった家が浸かっただけみたい。カールは沖縄の彦ニィー叔父に電話してみたところ、「ああ、こっち?(私は)泳いでいたよー」とのこと。まあ実際に泳いではいないのだがそれくらい大したことはなかったということだ。

特別警報も「命を守る行動をすぐにとって下さい」の場合と実際に激しい雨量計測があっての警報と意味が違うらしく今回は沖縄でそれが解除、発表でドタバタしたようだ。ま、去年から始まった「特別警報」はいい試みだとは思う。伊勢湾台風や大正時代の桜島大噴火などはそれが出ていれば亡くならずに済んだ人も多かったろう。ただ、マスコミ特にTV局のまずは影像ありきの報道には惑わされないようにだな。

2014年7月9日水曜日

歴史的ゲーム

前夜10時過ぎには床寝してしまい目が覚めたのは3時頃だったか。天鳳を一半荘して時間つぶしているうちに午前5時になった。いよいよとブラジル対ドイツのW杯準決勝をまた床寝して観戦する。ブラジルの選手たちが気合い入って積極的にボールに絡もうとしているのが見てとれた。私は1982年のイタリア大会以来ずっとブラジルを応援している。上手くて強くて面白いからだ。開催国が優勝するケースも多々あって19回中6回ありかなりの確率で今回はブラジル優勝だぁーと思っていた。その最難関がこのドイツ戦でここを乗り切れば優勝出来る。ネイマールがいなくてもどうにかなると半ば期待していたのだが・・。

ボールには絡むけどフィニッシュまで行けない。ドイツの選手の動きが効率がよく防御からすぐに攻めに回っている。そこを必死でブラジルが巻き返そうとしている。そこにドイツの初めてのコーナーキック。あれ!ミュラーがノーマークになってあっという間にドイツが先制点だ。あいちゃー。このあともブラジルはボールに触るもほとんど決定機を作れない。ネイマールがいれば少しは見せ場があったろうに。そしてドイツにうまく崩されクローゼが得点、ロナウドの通算得点記録を更新するおまけまでついた。ここでほぼ終わり、ドイツの勝ちだ。ブラジルは国民のプレッシャーがあり勝たねばどうしても勝たねばでこのあとも攻めに意識が傾き守備が崩壊しまるで中学生の試合のようにぼろぼろと得点され0ー5になった。自国開催の超プレッシャーがなければこうまではならなかっただろう。がっくりきた私は眠気もありどろどろと夢うつつを過ごし後半はほとんど見ていなかった。それでもブラジルは必死に攻めたようだがそこはGKノイアーががっちり守ったようだ。前回大会MVPをフォルランだと予想し当てたので今回もしておこう。ドイツが優勝するしないに関わらずノイアーだと思う。彼は守備範囲が広くそこまで飛び出すのかと驚くくらいでしかもその判断が的確でスピーディーだ。今回ドイツは攻撃陣が数人バランス良く機能しMVPを得点王候補のミュラー一人には絞りにくいのも選出に有利とみる。結果1ー7か。W杯では見たことないスコアだよ、しかもあのブラジルがー。

病院で朝、ヒラメグDrと話しすると「あ、あのGKかっこいいですよね。ドイツはみんなイケメンですよ。ブラジルなんかと違って顔面偏差値が高いですよ」とやっぱりそこを見るのかと思ったが当たっているので仕方ないわ。ドイツって他の国の選手と違い規律が取れているというか、プレースタイルだけでなく髪型などもきちっとしている。入れ墨もしていないかしていてもさほど目立たないようにしている。ありゃ国民性だろうな。かつてパワーとゲルマン魂で押しまくり活躍したのち一時低迷したものの若手育成に力を入れテクニックに優れた選手が輩出しいる。彼らが戦術に長け規律を守り動けばなかなか負けはしない。かつてイングランドのストライカー、リネカーが吐いた名言(迷言?)がこのところよく取り上げられる。

「Football is a simple game; 22 men chase a ball for 90 minutes and at the end, the Germans always win.」
訳「フットボールって単純なゲームさ。22人の選手が90分ボールを追いかけて、そして最終的にいつもドイツが勝つスポーツだ。」

W杯や他の大会でもドイツの成績は圧倒的だ。何大会連続ベスト4入りしているんだ?今回リネカーはこんなことを言っている。
「もう半世紀近くサッカーを見てきたが、私が観戦した中でもこれが最も桁外れで、圧倒的で、 途方に暮れる試合だ」
おそらく語り継がれるであろうW杯の歴史的試合だった。ブラジルが今後さらに活躍するならばこの試合前と後に分かれるくらいの。

2014年7月8日火曜日

ポッキー2時間ポテトチップス6時間

新しく買ったアロハシャツを着て出勤した。医局会、外来、病棟と「あら新しいのですね」「似合いますね」と言わたれが、そのために着ていったようなものなので満足。アロハは見せるためにあるってか。

夜はまたMRらとボウリング。とにかく最近のT-MAXは曲がり過ぎてスコアが出にくい。少しでもオイルが枯れ始めるとコントロール不良だ。ターキー賞を私が1回取るのがせいぜいでほぼみんな撃沈だった。練習終わってスリウェル君が「この前大阪出張に行ったのですが最近流行っているお菓子を買ってきたんで是非食べてみて下さい」といろいろ味付けされたポッキーのようなものをプレゼントしてくれた。バトンドールという銘柄でネット販売もしておらず並んで買わなくてはならず2時間も待ったという。へーと驚いたが「実はグランカルビーという人気のポテトチップスも狙っていたんですが早朝8時から並ばなくてはならずしかも最後列の人が午後2時だったと聞きあきらめました」だと。あり得ない、何それ。2時間でも狂気の沙汰なのに5時間も6時間も待ってポテトチップスを買うなんて。いずれ販路拡大するのだろうが簡単に売らず行列作ってでも欲しがらせることで話題性をアップしているように思える。

帰宅してその希少ポッキーをチッチに上げ自分も1本食べてみたが確かに上品な甘さで美味しかった。でも自分では絶対2時間もは並ばないだろう。頼まれてでも30分が限界だ。スリウェル君、この前の寿司店1時間待ちもだが都会育ちって並ぶのに抵抗がないんだねえ。

2014年7月7日月曜日

ピーちゃん

この日のことではないがカールが沖縄に行っている時にあったネタを一つ。

電話が掛ってきてカールが出ると年配の女性の声で「ヒサコさん?」と聞かれた。「違います」「アナタだれ?」「娘です」「ヒサコさんは?」「ただいま留守にしています」とここまではよかったがこの後が珍妙なやりとりになった。

「何回も電話しているけどいつも留守だから今掃除中なんだけどなかゆくい(中休み)で思い出して電話したの」「ああ、そうですか」と事情は分かったが名前を名乗らないのでカールは落ち着かなかった。方言を使ったので沖縄の母の友人だろうと察しはつくものの「失礼ですけどどちら様ですか」と当然すぎる質問をした。すると出てきた答えが・・

「ピーちゃん」
は・・?。一瞬戸惑うカール。その空気を察したようで次は本名を名乗ると思われた。例えば新垣すう子ってな具合に。しかしまたしても期待を裏切られた。

「ピーちゃん、エービーシーのピーよ」
「は、はい(°0°)」

お前はインコかとカールは心の中で思った。で「じゃーお母さんによろしく伝えておいてね」「はい」で電話は終わった。全く変な人だと思い、後日ギボヒサコに尋ねると高校時代の同級生ではあるが当時はあまり親しくはなく別の同級生とのつながりで最近数回会ったことがあるという。ピーちゃんの夫は高校の先生をしていたが最近は認知症が悪化し面倒を見るのが大変らしい。ギボヒサコにも泣きながらその苦労を語っていたとか。なるほどそんなこともあって電話掛けてきたのか。カールはその話題を語るたびに「ピーちゃん」という返事が可笑しくて笑っていた。ところで本名はなんて言うのとギボヒサコに尋ねてみた。しかしギボヒサコの返答はこれまた珍妙だった。

「あら、私も知らないの。高校の時からピーちゃんって言われていたわね」

全く似たもの同士であった。

2014年7月6日日曜日

落ち着かない患者

夕方からまた日曜当直だった。着くなり病棟看護師から連絡があった。昨日午前入院した睡眠薬などの薬物飲用で点滴安静指示していた男性患者が退院させろとうるさいから困っているという。日曜退院は基本的に認めていないがこんな場合はOKだ、ぐったりしていたが眼が覚めれば退院でいいんじゃない。だが患者の親が難色を示していた。聞けば離婚問題その他で問題を抱え退院させると元妻に合わせろとかで騒ぐし、また眠剤を飲むかもしれない、それに自分らの意見には全く聞く耳を持たない、できれば精神科に強制入院させることは出来ないかという。二者の間に挟まれた看護師は困り、出来るなら患者の退院をと望んでいた。

ふーむ。親とばかり話しをしていても埒があかないので私は患者の意見を聞くことににした。部屋に入るとトイレ中だった。しばし待った後、会って話しをしてみた。患者は依怙地ではあるものの暴力を振るう雰囲気ではない。ただし親とは会う気もないし聞く気もないと断絶の深さを伺わせた。精神科に通っていたのかと尋ねると、通院歴は無く、亡くなった祖母が残していた寝る前に飲む薬を2種類それぞれ20錠ほど一気飲みしたということだ。

そうか、性格的な問題はあるかもしれないが、まずこの程度(親の見立てとは違う)では強制的に入院させる根拠がないし、暴力や問題を起こすようなら病院の問題ではなく警察に相談であろうと思われ、本人に親以外で付きそう人がいればOKだと伝えると、先輩でしてもらえそうな人がいるとのことで、結局親もそれを了承した。これで一件落着しそう。病棟看護師もほっとした様子で「今夜はどうなることかと思っていました」と胸をなで下ろした。やれやれ、こんなケース、医者の知識や技術ではなく対人間対応力が試されるわ。

部屋を出るとき、患者はまたトイレに入っていった。ナースステーションで看護師に一気飲みした薬の具体名を聞くと、よく使われる睡眠薬の他にセンナ系の下剤もあったという。「え、それも20錠ほど飲んでいたの?」「祖母が寝る前に飲んでいたというだけで本人は眠剤と思っていっしょに飲んだようですね(^ ^;」

そうか・・しょっちゅうトイレに行って落ち着かない奴だと思っていたが納得したわ!

2014年7月5日土曜日

元AKB患者

昨日カールが新しいアロハシャツを買ってきてくれた。「なかなかいいのがなかったけどこれならどうかなと思って」と緑と茶の葉っぱ地に白と赤のハイビスカスがあしらわれ見た目いかにもアロハというデザインだ。なぜか江戸前風に表生地が裏になってる。流行りか?この前の水色とは違うが目立ちそうでなかなか満足、「今日着ていったらー」と言われたがそうしなかった。私のアロハはまさに見せシャツ、勤務する職員が少ない土曜じゃつまらないのだった。

外来に来た30才のOLは色白というより顔色不良だった。それもそのはずHbが信じられないくらい低かった。典型的な鉄欠乏性貧血で月経過多が原因と思われ以前も同じ症状で受診歴があった。ま、それはいい。それよりも名前に私は注目しその話題に終始した。某有名芸能人と同じ名前だったからだ。元AKBで総選挙でも最高3位にもなった中心メンバーの一人でセンターポジションを務めたこともある。発音は全く同じだがわずかに「リ」の字が違っていた。「名前のことでよく言われるでしょう」と尋ねるとやはりその通りで、通信販売会社の社員だそうだが、なんでも電話で顧客とやりとりした際、クレームを付けられ「あんたの名前は何という」ので正直に名乗ると「ウソつくな!」って言われたとか。さもありなん。ネット検索では「もしかして○○?」と元AKBメンバーの名前が優先して出てきて、はいはいあなた文字入力間違ってますよとなかなか正しく自分の名前を認識してくれないらしい。

有名人と同じ名だと迷惑でもあるが一発で覚えてもらえるメリットもある。診察終了前にはAKBファンのこてる先生とツーショットをせがまれ芸能人よろしくはいポーズもしてくれた。元AKBは診察受けるのも大変だー。

2014年7月4日金曜日

子は親に似たくなし

医療事務の奈良ムリアさんと廊下ですれ違った際、「先生、私、昨日はショックで眠れませんでしたよー」と嘆き節を投げかけられた。いったいどういうこと?実は彼女の母親が回復期病棟に入院していて私が主治医なのだが、たまたま見かけた彼女の歩く姿が母親に似ていたので「やっぱり似ているねー」と言っただけなのだ。顔はあまり似ているとは思わないが血は逆らえないわ。しかし彼女にしてみれば、老いて足腰弱くがに股で歩く母に似ているとはあってはならないのだった。乙女ごころを傷つけてしまったこてる先生、謝るどころか「ううむ、歩き方は似てても奈良ムリアさんはおっぱいが大きいから」「うん、もうっ!」ほとんどセクハラと取られても仕方ない返答でまたまた男を下げたのであった。

2014年7月3日木曜日

早目Dr

朝、医局の机を見ると、昨夕某製薬会社のMRが置いたと思われる「販促品」があった。ハサミだった。販促品の代表はボールペンで医師になったら一生ボールペンは買わずに済むくらいちょくちょくもらう。ハサミは非常に珍しい。しかし私にとってはグッドタイミングだった。ちょうどボウリングテープに使うハサミがへたって切れ味が悪くなっていた。見ればPULS社のフィットカットカーブというハサミでおやと思ったのがベルヌーイカーブという数学に出てくる言葉が使われていたこと。これは刃の形状が微妙なカーブになっていて根元で切っても先端で切っても同じ30°に設定され力が伝わりやすくしている。当然チタンコーティングで長持ちしそう。救急外来のカートに同じシリーズのハサミがあって職員も「これは切れる」と気に入っていた。さっそく今夜のボウリングで指に巻くテープのカットに使おうか。

ヒラメグDrが「センセー、こんなのどうでしょう」と手にしていたのは真っ赤な下地に白と青のハイビスカスがあしらわれたムームーだった。げげ、何それ?「アロハを着て診療していいなら女性はムームーかなって思って」だと。「ムームーはハワイの正装でもあるんでしょ」とは言われても「とりあえず上に確認を取ってからにしたら」と答え「そうですね」とフーコさんに打診していた。(翌日、結局ムームーはダメとのことであえなく撃沈。ま、当然っすか)

今日は外来日で外来基本表が回ってくるとどんな患者さんかさっと把握するようにしている。中高年女性の基本表のコメント欄に「早目DrOK」と書かれてあった。うん?早目Drって誰だ。じっと見る。そうか、本来形成外科のええのんかDr受診を希望していたがべつに他に早く診てくれるDrなら誰でもOKという意味だなと理解した。それにしてもそれなら「早めDr」と書くべきだろう。誰や、こんなん書いたのは。そそくさと来たのは西友Nsだった。指摘すると「ああ、そうですね」と肯いた後、はっとして「先生、こてる日記に書かないでね」と注文してきたが、「あほ!ネタ切れで困っているんだ、これが書かずにいられるか」でチョン。しっかり書かせてもらいました、ありがとやすー。

2014年7月2日水曜日

平日休日

W杯は決勝トーナメント1回戦が続き、今朝はアルゼンチン対スイス、ベルギー対アメリカだった。どちらも延長1点差の接戦で特にアメリカは2ー0とされた後もあきらめずに1点取り攻撃を続けあわや同点かという粘りを見せ感動的ですらあった。これなら負けても次につながる。サッカー不毛と言われるアメリカ国民も熱狂的に応援していたようだ。日本もどうせ負けるんだから(優勝出来る実力じゃないことはみんなも知っているはず)このようにサッカーして欲しかった。

今日は朝から休みだった。平日の終日休みは初めてのことでこれは土曜勤務が多くなり負担が増したがオマルDrら非常勤Drが平日に来てくれるようになったため可能になった。しかしカールも家事やスポーツジムなどで忙しく午前は特にすることもなくだらだらと過ごし12時半にテスト帰りのチッチを中央駅まで迎えに行きいっしょに昼ご飯を食べた。チッチのリクエストで西田にある罰点ラーメンという小さな店でうっかりすると通り過ぎてしまうくらい。それでも人気があるのか店の前で数分待たされた。ここのラーメンの特徴は切り刻んだネギを麺はおろかスープまで見えなくなるくらいたっぷり載せていることだ。初めて見るときっとびっくりする。味はそこそこ美味しく特に不満はない。きっとあのネギ満タンが売りの店なんだろうな。

夜は城山観光ホテルの中華「火酔蝶」で会食。これは青雲会病院内視鏡室がらみのDr(私、ブックリバー、ヒラメグ、オマル)への慰労の意味で病院側がセッティングしてくれた。ここの中華は以前から知ってはいたものの入るのは初めてだった。なんだかこのところ7Fのスカイラウンジと城山づいている。ヒラメグDrがいるので特に来て2ヶ月少しのオマルDrに気安く質問をする雰囲気があり奥さんとのなれ初めなど聞いていた。私もここの地ビールを飲む(果物の風味があって気に入った)などしかなりリラックス出来た。料理は一般的な回転式の給餌ではなくフレンチ式に提供されフカヒレなどなければ少し変わったフレンチと間違いそうなくらい。後半、イタリアンシェフの食事会で同ホテルに来ていたヒラメグDr母が「日頃、娘がお世話になっておりまして」挨拶にきた。彼女に似て明るいお母さんだ。私はなぜかカタログギフトをもらった。「いつもお世話になっていて」ということらしい。で、いっしょに記念写真を撮った。この後母の運転手も兼ねていたヒラメグDrはいっしょに帰って行った。いやはや何とも。その後しばらくして帰宅。お腹いっぱいだった。

2014年7月1日火曜日

テッシー登場

先日紹介を受け入院させた患者は高齢で呼吸器疾患を患っていた。当然採血もするが今日のデータでNacl(塩分)が極端に低くなっているのに気付いた。看護師にNaclの投与を指示しそこでぼそっと一言。

「この人は塩満(しおみつ)なのに塩分が足りない」
その患者は皮肉にも塩満という珍しい名字だったのだ。

今日から7月ということで大学ローテの一外科のDrがヨッシャーDrからテッシーDrに交代した。テッシーDrは医師になって9年目ということだが見た目はそれよりちょっと老けている。30才半ばより40才はいっていそう。実はラブカメ先生の娘婿にあたり、ラブカメ情報によると工業系の大学を卒業したものの医学部に入り直したとのことで、それならなるほどだ。そしてさらに重要な情報が入った。「彼は学生時代は麻雀にハマって相当な腕」らしいとのこと。ほうー、それは聞き捨てならない。まだ病院に慣れていないだろうからしばらく後になろうだろうけれど一度お手合わせ願わなくては。ふふ。