2014年7月18日金曜日

久々沖縄1日目

カールは昨日沖縄行きしていて、ギボヒサコとチッチを家に残し、私は今朝10時の飛行機で6年ぶりに沖縄に向かった。そんでもって空港の荷物預かりでさっそく最初の失敗をした。沖縄に行くときはボウリングボールをたいてい持っていくのだが最近は重量制限があるのをうっかりしていた。ボールを2個持っていたのだ。他の荷物もあって28kgの8kgオーバー2500円だって。げげっ。泣く泣く払ったがこんなことなら1個入りのバッグも家にあったから一つは手荷物にすればよかった。そもそもボウリングボールを持っていくなどアホかとの意見もあろう。しかし沖縄のサラダボウルは3年間リーグ戦などで通いつめた思い出のボウリング場でそこで投げたいし投げるならマイボールでないとつまらないのだ。工夫次第で払わずに済むお金はきちんとそうしたかった。

那覇空港に着いたのが11時半ごろで予定時間を過ぎていた。カールからの電話では「駐車場がいっぱいで空港内には入れない」と。夏休みで連休前ということもあり旅行者の駐車場利用が多いのだろう。那覇空港は増える離着陸で過密状態で新たな滑走路建設中らしい。ここで時間を取られ、午後1時半にうるま市の親戚に会う約束だったため食事抜きで那覇港の海底道路をくぐり市内を横断し高速道路を使って向かうことになった。

有名な中部病院の目の前に薬局を構える夏京叔母さんのところに私は初めて行った。この店の他にも数店、介護施設も経営し叔母の夫、息子、そして姉の愛元叔母もこの系列で働いていて鹿児島方言で言うヤイテマンのおばさんだ。中部病院にいるジョンソン先輩の名前を出したら「ああ」と知っていた。会ったことはないが処方箋がよく来るから分かったようだ。「何か栄養ドリンクでも」と言われいつものエスカップではなくリポビタンを所望した。叔母さんたちもいっしょに飲み、そろそろとなった。2時からはみんな仕事なのだ。

ここから高速ではなく国道を通り那覇副都心に向かった。車はヨーコバーバから借りたフィットだ。鹿児島も暑いが沖縄は日射しがなおきつく暑い。車から出ると目を開けるのがつらい。天久(あめく)のショークン宅はすでに主が亡くなって数年、活きたか叔父さんが一人で住んでいる。ショークン祖父に線香を上げその足で最近はまっているアロハシャツを買う目的で近くのサンエーに向かった。特設コーナーがありかりゆしシャツと並んでアロハも売っている。ここで何着も私は着せ替え人形のように試着しカールが二着選んだ。一つはポロシャツ風で沖縄にしかないタイプだった。種類が豊富で迷ったがここはカールの選択を全面的に信頼である。

ここまでしてギボヒサコの実家に帰った。ここもリフォームして数年、私は初めてで駐車場が広くなり出入りしやすくなっていた。しばしぐったりした後、カールはミニ同窓会で私が運転して国場に連れて行きその後大衆沖縄そば屋で一人夕食を摂り懐かしのサラダボウルへ向かった。立体駐車場に入って空いているのに違和感があった。休日前の金曜ならいっぱいになっていてもおかしくないはずなのに・・。中に入ると待ち時間どころかアメリカン5ゲーム申し込みで即プレイOKだった。マイボウラーということで奥のリーグ戦が行われる30番以降のレーン指定だった。それにして少ない。以前の賑わいはどこに行った。平日でも夜10時ごろは待ち時間があったのに。隣でマイボウラーの若者二人が投げていた。ボールの動きを見るとオイルもちゃんと入りアウトサイドでよく曲がるパターンのようでここはだいたいそんなコンディションだ。最初の数投はミスやガターもあったがすぐにラインを把握しストライクが出だした。サラダは最近では珍しくなったウッド(木)のレーンでボールの走る音もなんだか懐かしい。ふと後ろにスタッフの玉通る君がいるのが見え話しかけにいった。彼と溶け石君は20年前からの従業員だ。若い玉通る君も少し白髪があってやはり年月を感じるなあ。溶け石君は今日は不在だったが明日ボウリング教室をやるそうで元気ということだ。5ゲーム投げて980点。最後の10フレーム、完璧にストライクと思ったのに8番ピンが残ったのが痛かった。ぴったしアベ200になるはずだったのにー。それでもいい感じで投げられ満足だった。客が減ったのは若者減少とラウンドワンがいくつか出来ているからか。安くて投げホーダイはやっぱ魅力的だろうし。

帰宅後すぐにシャワー。とりあえず12時まで開いているスーパーで飲み物とパン買ってぐったりとなった。カールもその後帰ってきたようで二人してぐったりの沖縄の夜だった。

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