2019年4月30日火曜日

東北旅行初日、盛岡へ

夜明けにどうにか旅行準備をして、7時半前には家を出た。ゲンちゃんを移動カゴに入れて団地内の動物病院に運ぶのだが、最初ゲンちゃんは何をされるか分かっていないようでキョトンとしていた。しかしカゴに入れられ車に乗せられると不安げな声でミャーミャー鳴き始めた。病院では先生が待っていて「何か(ゲンちゃんの)匂いの付いているものはありますか」と言われ、さきほどくるまっていたネコベッドを渡した。5日も家を離れて囲われるけど我慢してね、ゲンちゃん。

鹿児島は暑いのにダウンジャケットを抱えて飛行機に乗った。邪魔くさかったが「絶対必要になるから」とカールの意見を尊重した(今にして思えば当然のことで持参は大正解だった)。飛行機ではイヤホンがプアな音すぎて自分のものに変えた。それで音は良くなったが、どうせならとiPhoneの自分のプレイリストを聴いたらなお良かった。なぁーんだ最初からそうすればー。羽田から東京駅まで行き、東北新幹線に乗るのはしばし時間があったので待合で弁当を食べた。これ、カールの手作り。倹約の意味もあるが人混みの中で弁当を買う面倒くささを避けたのだ。

13時28分発盛岡行き臨時列車に乗り、早速携帯とパソコンの充電をした。そして着くまでの間今夜のこてる日記を書き始めた。今この時間を利用しないと夜は疲労できっと書けない。新幹線は岩手に入って各駅停車になり2時間半ほどで盛岡に着いた。外は雨で構内のマツモトキヨシで傘を買うことにしたが、対面の300円ショップにも傘はあり特に見た目も遜色なくそっちで買った。値段が半分ほどになり満足だ。すでに盛岡にいたチッチと合流し、私は部屋で休憩、カールとチーは買い物に出かけた。夜はステーキハウスで食事の予定だったが行ってみるとなんと休店だった。あいちゃー。

外は雨だし時間もないしで近くの居酒屋チェーン店で食事することにした。結果からいうとこの店は今ひとつで品のわりには値段がやや割高。さほど満腹にならずに部屋に戻った。するとカールが「さっき買って来たのがこれ」と栗ガニを出してきた。「まだ生きているのよ〜」「それをゆでて食べましょ」と。ちゃんとカニスプーンも買ってきていた。
本来は1匹410円がセールで190円になっていたんだとか。3匹をそれぞれかぶりついた。栗ガニっていうのは北海道、青森あたりの特産で毛ガニに似るが小さく実はやや少ない。ただカニ味噌は美味しい。値段を考えると実にリーズナブル。全国的には流通しておらず旬は春というからまさに今ここでしか味わえない代物で、先の居酒屋での失敗をこれで取り戻した感じかな。

で、この後はいよいよ平成最後の夜、0時を回れば令和の時代というまさに大晦日気分のはずが移動の疲れと睡眠不足で全く覚えず寝入ってしまっていたのだった。

2019年4月29日月曜日

口から大腸内視鏡を入れる

今日は大型連休に入って最初の日直だった。あ、5月5日も日直のはずだったが非常勤Drが来てくれることになって連休は何とこれ1回だけになった。それでせっかくだからと明日から東北旅行を計画している。となると、足腰の弱いギボヒサコとゲンちゃんを家に置いておくのはまずい。で、ギボヒサコはリハビリと治療を兼ねて入院、ゲンちゃんは明日朝早く動物病院に預けることにした。

それはともかく、休みのまっただ中だが救急や外来患者がそこそここやって来た。若いが下痢発熱が治らない若者、独居で数日前から動けずに頸から背中が皮膚潰瘍を来した老人、転んで額を怪我した超高齢婦人、悪寒と腹痛で救急来院の初老男性など昼食を摂っただけで朝から夕方までずっと仕事しっぱなしだった。食後に救急搬送されてきたのは異物誤飲の中年男性でこれは就寝中に外れた義歯ブリッジを呑み込んでしまったらしく、霧島の当番医病院を受診した。担当医からCT、レントゲン撮って「ブツは十二指腸の水平脚付近に留(とど)まっている、内視鏡で摘出出来ないか」との相談を聞き、受けることにした。そのまま放置しても多くは排便とともに出てくるが中には腸内に停滞し腸管壊死や腸閉塞を起こす場合もある。何年か前にもゴールデンウィーク期間中に呑み込んだ義歯のせいで壊死し手術になったケースがあった。

で、内視鏡の佳及主任を呼んで緊急内視鏡をすることになった。普通の胃カメラを入れて十二指腸まで観察するが見つからない。何度かスコープをストレッチさせたりするうちにようやく見つかった。とりあえず把持鉗子でつかむもすぐに外れて取り出せない。径の太い2チャンネル式内視鏡に取り替えるが今度は十二指腸の奥まで届かない。嘔吐反射も多く、鎮静剤を使い、今度は奥の手の大腸内視鏡を代用して挿入した(きちんと消毒しているので大丈夫)。するとスコープ長が長いだけあってすぐに見つかった。そして今度はトラペゾイドバスケット鉗子でつかみ無事摘出できた。ブリッジは4cm×1cmほどの大きさで、ちょいと手間取ったが上手くいってなによりだった。

夕方からは明日からの休みに備え病棟指示などで仕事が続いた。ようやく帰って夕食、明日の準備もしようと思っていたがそのままダウン、日も変わった明け方にどうにか起きて恒例の日記書き、旅行準備に取りかかったのだった。

2019年4月28日日曜日

サブアラドが勝てなかったワケとは

カール、ギボヒサコといっしょにあこネーサ母がいる老人施設を訪問した。先月に続いて二度目だ。ちょうど施設内に入った時に施設長であるトーリンDrが歩いて来た。彼は第二内科同期にして親戚でもある。ただ、私と同い年でありながら脳出血を起こして片麻痺が残って脚をやや引きずりながらであった。まずまず元気そうで「なんで脳出血を起こしたかなぁ」と言うと「血圧は普通だったが酒の飲み過ぎだったかも」とのことだ。確かにお酒は好きだったからなぁ。若い頃、お酒がらみで交通事故を起こし時の教授に叱られたこともあったはずだ。その点飲めない体質の私は酒の失敗はほとんどない。ゲロ吐いたり寝込んでしまったりしたことがあったくらいで最近はそれすらない。

あこネーサは少し足腰が弱い程度だが、「ここ(施設)には泥棒がいるのよ」は相変わらずで年寄りは一旦思い込むと訂正がなかなか困難だわい。こっそり持っていった軽羹も美味しいと食べてくれた。実はこれ先週京都で謙堂和尚に上げる予定のものだった。横流し?いやいや有効活用と言って欲しいネ。

この後、知覧のそば茶屋「吹上庵」で昼食を済ませて帰宅した。支払いをする所で店内販売にあったあく巻にすぐに手を出そうとしたギボヒサコに「だめ、1本420円もする」とカールが制した。ギボヒサコはあく巻に目がなく時にご飯を食べないでそれで済ますこともある。ただ、今回はカールに言わせれば「Aコープで今日は2本で500円なんだから」と。何の考えもなく気持ちのおもむくまま買い物をするなんて許せない、倹約を旨とするカールの目は厳しい。

昼はまた枇杷の袋かけをしていくつか熟したものを刈り取った。袋のおかげか最近は鳥が全く寄りつかない。やっぱり手間を掛けるって大事や。

夕方から見せたまえDrのところで麻雀で、10連休もあるというのに意外にもお互いの都合が合わず連休中唯一の闘牌となった。他の面子はサブアラドDrにおおばばMR。今日は久々に私の大勝ちでサブアラドDrが一番の負けになった。このところずっと勝っていた彼にしてみればやや不本意だったはず、ただそのきっかけとなるシーンが3回目の半荘にあった。その時点で5万点ほどもサブアラドは大きなリードを保っていた。南場に入ったその時、ドラが3ピンで6巡目に打5ピンでサブアラドが先制リーチ。手が整っていない私はオリ気味に打ったが対面のおおばばは6ピン、そしてドラの3ピンと強打してきた。かなり良い手だがおっかけリーチをするほど待ちは良くないのかぐらいに私は思っていた。だがよくよく場を見ればある大物手が浮かんでくる。そして11巡目、サブアラドの切った1ピンに「それです」とおおばばが手を倒した。その瞬間、見せたまえもサブアラドも「国士か」と。ジャーン!その通りで1ピン待ちの国士無双だった。これで3万2千点を失ったサブアラド、トップから一気にラス目に転落した。
サブアラドの手はドラの3ピンを使った間2ピン待ちでド引っかけリーチだった。うまくいく時はそれでオリ打ちなども狙えるが・・勢いに乗っている時ほど慎重さが求められる。麻雀も人生もいっしょだねえ。

2019年4月27日土曜日

グリンさん

今年8月にあるセントラル高校還暦同窓会の会の幹事会があった。私は病院の仕事がたまっていてそれには出られず終わってからの懇親会に出た。半数以上が今年3/9の懇親会にも参加していた連中だったが、同じ団地で子ども同士が同級生というグリンさんとは久しぶりだった。彼女は珍しくもノンアルコールで済ませていて、帰りは「(方向が)いっしょだから乗せてって行くよ」と家まで送ってくれた。

うちのカールとも昔は飲み会にいっしょに出たこともあり、せっかくだからと玄関にまで来てもらい久々の対面をしてもらった。
(↓左グリンさん。赤毛で派手な服装だったのでどこかのホステスと間違われそう)
彼女は高校時代から今に至るまでとにかく目立つキャラでかつ活動的、仕事もバリバリで東京、大阪、福岡など出張にも行くそうだ。高校時代は女子の応援団長をやったり、今日聞いた話では、中学時代、同級のMノ下君を「背中ををちょいと突いただけ」だったのに道路にぶっ倒させてしまったとか、Mノ下のお母さんが「グリンちゃんにいじわるされないように」と制服のボタンを固く縫い付けていたエピソードなどもあったそうだ。「そんな、ボタンなんか外したりしないわよー」と言っていたがさもありなん。私は高校最初の遠足で大きな声でしゃべっている姿を見てクラスは離れていたけどすぐに覚えた。

カールとは子どもの話題になり、「私さー、XXさんと会った時に子どもが4人いると聞いて『あんたそんなに生んでー』と言ってしまったのよ。あれ?よく考えれば自分も4人いるんだったわー」と、一人ツッコミをやり、「(テルと同級だった)次女は今、医者と付き合っているの」と身内話も披露してくれた。ところが彼女、よく当たる占いとかにハマっていて「まだ結婚はさせないんだ」とのたまわった。「えー、いい話じゃない。早くすればー」と当然のカールの反応に「いや、占いではあと4年はしちゃいけないの」と親の権威を振りかざしているそうだ。いやそれはもったいないし相手Drの気の変わらないうちに早く事を運ぶべきでは、と私も言った。しかし、占いの結論は絶対ということで「もしそれで(結婚が)ダメならダメで仕方ない」と信頼しきっているようだった。うーむ、娘さんもまだその気がないのならいいがねえ。

ちょいと挨拶のつもりが玄関でもっと話し込みそうになっていたところ、向こうから車が来て止まっていた車をどかさねばなくなり「ああ、じゃーまた」とグリンさんは去って行った。いやー相変わらずの元気印。とても還暦を迎えるようには見えない。同窓会ではまたはっちゃけましょうぞ。

2019年4月26日金曜日

枕詞は「平成最後の」

さてさて気がつけば平成の世もあと数日で終わりになる。今週は「平成最後の・・」という枕詞を何回も使った。特に外来診察ではさも急に気がついたように「お、今日が平成最後の診察でしたね、次は令和で会いましょう」と言うとほぼ例外なく患者さんは笑ってくれた。全く変わらない日常の診察だったのに、かしこまって私がそう言うものだから何だか可笑しいのだろう。

TVや週刊誌、新聞も平成を振り返る特集が今月やたらと多かった。約30年という年月はひとまとめにして語りやすい。平成には大震災や悲惨な事件などはあったが少なくとも日本は戦争を行わなかったのは確かで、戦争で悲惨な目に遭わなかったというだけでもいい時代だったのではないか。日本人は第二次世界大戦で軍属、民間合わせて300万人ほどが犠牲になった。これがどれほどひどくて悲惨な数字か、戦争がない世の中がどんなに有難いことか我々は噛みしめなくては。

令和は今の皇太子が天皇になる。私とは全くの同世代だ。私は子どもから20代までの約30年を昭和で過ごし、結婚が平成元年で、仕事と社会の中心になって働いた平成時代が30年、そして令和の時代は徐々に仕事も次世代に繋ぐことが多くなりいずれは静かに余生を送る30年になることだろう。私の人生はぼ30年ごと、年号に一致して区分けできることになる。内心はまだまだ次の元号も20年近く生き抜きたいと考えているが、そうなると110才、日本の長寿記録者レベルでさすがに無理かな。

今日は平成最後のボウリングを串木野でしてきた。1ゲーム目202、2ゲーム目204ときて3ゲーム目はイージーミスもあり7フレ終了時点で113点と200アベを目指すには残りをストライク連続するしかなくなった。最後を締めくくるためにも気合いを入れ直した。8フレストライク、そして9フレ、10フレとストライクを続け201で終えた。うー、やったぜ。平成最後のボウリングは気分良く締めることが出来た。

やれば出来る、令和の時代も生き抜いてやるぜっ!

2019年4月25日木曜日

記念特大号の週刊現代が面白い

午後は当直明けの早帰りだった。帰宅早々、枇杷の実採りをした。10日ほど前に袋かけした実が食べ頃になっていたからだ。まだ青い実もあるのに完熟したのもあって今年は実ごとの成長の違いが目立つ。(↓ゲンちゃんも興味津々ですかぁ)

夕方は帰りがけに人間ドック室からもらった週間ポストと週刊現代を読んでみた。最近はポストの方がやや面白いと思っているのだが、今回は創刊60周年記念特大号(2019/4/6)の「現代」に面白記事が多かった。グラビアがテレ朝の女子アナ竹内由恵でうーんバストはそれほど魅力的というわけではないが彼女は好きだな。特に表情がいい。でもパラパラめくって「週刊現代が愛した女優53人」のトップに若き日の吉永小百合が現代の写真と見まごうばかりのきれいさでやはり目を奪われた。ページをめくると見出しが「幼い頃から圧倒的な存在感」とあり大いに納得だ。スターとは作るものではなく自ら光り輝くものってことだ。
(↓とても60年近い前の写真とは思えないクオリティだ)

あと松田聖子。彼女のデビュー当時のグラビアがあって、それを見ると今の彼女と違うのが、いわゆる聖子ちゃんカットは当然として歯並び、一重二重、鼻などなど年とともに女はきれいになっていくを地で行っていることがよ〜〜く分かる。今は確かに美しいかもしれないがデビューのお顔もそれなりに魅力的だとは思うがねえ・・。

「現代」は「ポスト」と違いやたら書評記事が多い。書評雑誌かと思う時がある。さほど興味のないものも多いが今回は自分の興味ある分野が多かった。

佐藤優の今回連載は井上久男著「日産vs.ゴーン」を取り上げていた。その中で日産という企業の体質が独裁者のような人物を生み出してきたという見解を支持していた。ほぼ20周年周期で内紛が起きる会社なんだそうだ。40年ほど前に、日産労組の会長「塩路一郎」をマスコミの手を使って放逐したケースと今回は似ているという。塩路一郎の名は知っていた。30年ほど前に買ったデイビッド ハルバースタム著の「覇者の驕(おご)り」に出てくる。あいにく途中で読むのを止めてしまったので詳しくは語れないが、日産とフォードにまつわるエピソードからアメリカ車が日本に負けた理由のほか、労組を牛耳り会社経営にまで影響を及ぼした塩路一郎にも多くが書かれていた記憶がある。塩路が手に負えなくなりどうにか追放しても今度は追放した側の社長石原俊が海外投資に暴走し経営を傾かせた。その後倒産寸前だった日産に大なたを振るい立ち直らせたゴーン氏が独裁的になっていくのを防げず、どうにもならなくなって今回は検察の手を借りたようだ。要するに日産を自ら体質を変えないと今後も似たようなトップをまた生み出しかねないということ。なるほど、面白い。

わが人生最高の10冊シリーズも面白い。今回は小説家の水村美苗さんという人が10冊挙げていた。作品は「細雪」「三四郎」「小公女」「高慢と偏見」「ジェーン・エア」「たけくらべ」「銀の匙」などわりに親しみやすいものが多く、私も読んでみたいと思わせた(すでに読んだものもある)。ただ人によっては全く興味の持てない10冊を挙げる場合もあってそれはそれで本の好みって極端に分かれるものなんだと面白く思うんである。

2019年4月24日水曜日

「写真を使わせて下さい」

こてる日記を読んでくれる人は1日に100人以上いる(たまに200人越えもある)ことはブログの概要統計で分かっていて、それは把握しているのだが、日記に対するコメントについてはほとんどチェックしていない。というのもこてる日記はみなさん読むだけでコメントまで書いてくれることはほとんどないから(泣)。月に1度もないことなんてザラで、世間でよく騒がれるブログ炎上とかは無縁のブログなんである。だから先週末に必死でコメントを残している人に全く気付いていなかった。ただ、「昔の日記にアクセスがあるな」とは気付いていた。それは2017/10/23の日記「コーラ注入法」で内視鏡治療の一つに胃石を溶かしやすくするコーラ注入なるものがありそれを話題にしたものだった。ただそんなことはままあり、同時期には他に2015/12/02の「エンシュアリキッド」とか2017/09/23の「カメムシの呪いか」など数件のアクセスがある。

余談にはなるが、ブログ移行の4年間で最も読まれた記事は2016/12/05の「西村美紀引退」で今でもアクセスがあり、2位の2016/01/23「新型プリウス納車」の4倍以上と圧倒的だ。Googleで「西村美紀引退」と打ち込むと10位内に「こてる日記:西村美紀引退」が出てくる。人気女子プロボウラーが手首の痛みで引退と表向きは発表されるも、あまりに不自然なことからネットで検索した人たちがこてる日記にたどり着いたわけだ。私は週刊現代の記事を要約し引退の真相がその通りでほぼ間違いないと判断したことを書いたのだった。まずはネットが情報源という現代の世相を反映しているともいえる。

ところで、「コーラ注入法」にコメントを残していた人はTV制作社の社員の深秋さんという人だった。

「深秋 2019年4月19日15:48

初めまして。深秋と申します。突然のご連絡失礼致します。私はテレビ番組を制作しておりましてコーラ注入時の写真を使わせていただきたくご連絡しました。詳細はメールでやりとりさせて頂ければと思いますので一度、ご連絡いただくことは可能でしょうか。宜しくお願い致します。」



とあって、私が気付かないものだから15:56、16:07と同文でアクセスがあった。さらに記事が古いせいで気付かないと思ったか最近の日記にも同文コメントを数件残していた。これは是非ともコーラを注入している写真を使いたいんだなと思い、文の末尾にあったメールアドレスに返事を書いた。

「本日、ブログの書き込みに気付きました。コーラ注入の写真使用をご希望とのことですが、OKです。ただ、2017年のその時のコーラ注入は効果がなくその後いろいろ試してようやく摘出に至ったケースです。従ってコーラの効果はなかったので番組に使えるかどうか多少疑問ですが・・以上、よろしくお願いします。」

その制作会社はアンジュといい担当番組を見ると↓のようにバラエティーを中心に結構有名な番組を作っていた。日テレとTBSに強い会社だな。
そうか、TV制作会社は何かテーマが決まればまずはネットで検索し面白そうと思えば許可をもらうためにこうして連絡をしてくるんだ。やはりここでもネットが情報源という事実がある。ただ、私はOKを出したが結果うまくいかなかったということを知らされたので多分使えないだろうと推測していた。翌日、以下のメールが届いた。

「こてる様

お世話になっております。
お忙しい中ご返信ありがとうございます。効果が無かったのですね。
視聴者や医療関係者に何か誤解を与えて、こてる先生にご迷惑をお掛けしても大変ですので、今回はせっかくご連絡頂きましたが、使用は控えようと思います。
ご連絡いただきましてありがとうございました。」

ふむ、当然だろうな。話として面白いし実際にコーラで胃石が軟化し摘出しやすくなるというのは学会発表や論文にもなっている事実なんだが、使った画像の一件はうまくいっていないと分かれば問題になるだろう。ちゃんとコンプライアンス(規則遵守)を守ってくれていることはこの返信で分かった。今回は残念ではあったがTVはまだまだ発信力が強い。また興味を持ってくれそうな内容があれば是非使って欲しいゾイ。

2019年4月23日火曜日

晴れた日が続くと増える病気

日常の診療をしていてこんな日が今まであったろうか。ああ、インフルエンザ患者ならある。いやあり過ぎるほどだ。でもそれは強い感染力という明白な理由がある。1日に同じ病名の患者が5名も10名もやって来るのはたいてい感染症なのだ。ところが今日、内科外科のDr4人にそれぞれやって来た30代から50代の5名の患者は大腸憩室炎という感染力ゼロの人たちだったのだ。

午後になって腹痛の患者が数名いると聞き診察を始めた。病歴を調べると2人が以前に数回憩室炎を起こしていると分かり当然その線で検査を進めた。もう1人腹痛患者が来ていると聞き手が回らないのでクニンダDrに診てもらう頼んだ。採血、腹部CTで3人とも大腸憩室炎と判明し、2人は入院、1人は症状も所見も検査データもぎりぎり外来治療で可能と判断した。憩室炎患者は普段は月にせいぜい1〜2名程度の印象で「今日は憩室炎が多いな」と側にいた看護師に私は語った。ところが午前にピッピDrが診た患者が上行結腸に憩室炎で入院していたし、外科にも憩室炎の患者がいてこれも入院していたのである。

「おい、憩室炎って伝染するんか」と言いたくもなる。でも別に高齢で弱ったお年寄りではなく29才男性、39才男性、49才男性、55才女性、56才女性と皆働き盛りの人たちだ。それが申し合わせたように同じ日に外来にやって来た。これはいったい・・。

以前有名な発表をした外科の先生がいて「晴れた日に好きなゴルフに行こうとすると虫垂炎の患者で病院から呼ばれる」これは「気圧が高い日は顆粒球の働きが活発になり虫垂炎が起きやすいからでは」と推測していた。憩室炎も基本的には虫垂炎と同じ病態である。で、虫垂炎は冬より夏に多いというのは多数症例からの本当のデータだ。暖かい日に虫垂炎が多ければ先週末から暖かい日が続いていたので憩室炎を起こす人が増えた・・。全くの偶然にしては5名は多すぎて、そう思わざるを得ないのであった。

2019年4月22日月曜日

まぶたの父は沖縄に

昨日帰宅した時はまだ日が暮れていなかったので庭の枇杷の実を今年初摘果した。例年より早く熟しつつあり20個ほど採れた。形は小さめだが味はまずまず甘くいい感じだ。まだ青い実も多く少し色づいた実を袋かけした。去年はわずかしか出来なかったが今年は5月にかけてしばらくは枇杷採り&味見が楽しめそうだ。チッチがスーパーの枇杷の種を密かに庭に埋めて14年、立派に育ってここ5年は実も成り、このように親が楽しんでいる。

 NHKの「逆転人生」はオーストラリアの50代女性が生まれる前に別れた実の父を探してとうとう見つけ出す話だった。養母に聞いて20代に出合った実母リリーは「ヨシノリ シマブク」という名前と真珠貝を捕りに来ていたという情報しか教えなかったという。ネット社会になってSNSで繋がった人たちが協力したこと、オーストラリアの日本人出稼ぎの研究者がいたことなどが重なり50年以上の歳月を過ぎて出合えた。当時は日本人に反感するオーストラリア人が多く、アメリカ占領時代の沖縄からしか外国人労働者の受け入れていなかったそうで真珠貝も木曜島という島に来ていた記録が残っていて判明した。強制的に国外撤去させられその後も簡単には海外渡航が許可されずに島袋芳則さんは「リリーと子どもは死んだ」と自分に言い聞かせ、島の女性と結婚し、子どもを育て上げて静かな余生を過ごしていた。80才を過ぎて娘が自分を探していると知りどんなに驚いたことだろう。その対面の様子も出てきて感涙を誘った。

番組途中、私は「シマブク」という名前から沖縄の「島袋(しまぶくろ)」であるとすぐに分かった。結婚当初、カールのサダオ伯父さんから「沖縄では島袋はシマブクって呼ぶ」って聞いていたからだ。小学時代、同級生に沖縄出身者が数人いてそのうちの一人が島袋君だった。思えば彼らも鹿児島に疎開してそのまま居着いたのかな。子どもの頃は考えもしなかったが糸嶺君や照喜名君らのルーツはどうなっているんだろう。古里を遠く離れて住んだ人たちにはきっと語られないドラマがあるはずと思ったことだ。

2019年4月21日日曜日

あれが高千穂か

男乙製薬主催の講演会は循環器系の内容で心不全の治療をどうするかというテーマだった。日ごろは消化器系しか聴かない私には新鮮で面白かった。心不全の患者は以前よりずっと増え、今後も増加の一途をたどると言われている。老人あるところに心不全ありだ。まあ、製薬会社の会なのでそこの薬がよく効くという結論で、そうすかと肯くのみだ。終わって懇親会にも参加した。14時55分出発の便に変更するつもりなのでパクパクと立食を済ませていく。Drは500人近い参加という。しかし誰か知り合いDrにばったり会うことが多いが分野が違ったせいか誰にも会わなかった。

すると、鹿児島の担当のういろうMRとつい先月まで担当だったカスミMRが挨拶に来て、また食事皿なども持って来てくれた。知り合いと言えばこの二人のみ。それでも側にいると心強いね。30分ほどで会を後にしタクシー乗り場まで向かった。運ちゃんは「伊丹空港まで」と聞き少し驚いていた。「伊丹は2年ぶりですわ」だと。13時ちょうどで14時55分に間に合うかと尋ねると「高速に乗れば早いんですが」と少し自信なさそう。万一遅れても乗れるが夕方発はプロペラ機なのでそれは避けたい。無言の圧力で運ちゃんも急いでくれた。京都の町中を南下し高速に乗るまで30分以上掛かった。スマホの地図で確認するとどうにか間に合いそうだ。良かった。ただ、運ちゃん、空港前のインターを降りた後、ほっとしたのか道を間違いそうになった。「高名の木登り」の例えどおり、やはりほっとすると人ってミスをしやすいのかな。

空港ではカールの好みのあんなし生八つ橋を買った。実はヤノケン和尚にはあんなしかるかんをおみやげに持っていっていた。あんなしがカールの好みなんである。逆にギボヒサコはあん入りが好きなようだ。親娘でも好みが違う。

帰りの飛行機は霧島連山をぐるりと逆時計回りに回って溝辺の空港に降りた。当然私は連山の写真を撮った。山は見る方向によって印象が違う。高千穂峰が日ごろ見ない三角の形に見えたのが面白かった。↓左奥が高千穂峰でいつもの姿だ。(手前は韓国岳)
↓少し回って見る高千穂峰は別の山に見えてしまう。

2019年4月20日土曜日

京都御所、相国寺へ

男乙製薬の招待で心不全治療薬の講演会参加のため京都まで出かけた。講演会は明日日曜の午前で今日はフリーのためせっかくだからと京都観光を目論んだ。交通費も出るのでタクシーで空港まで向かった。

と、その運転手が「以前は鹿児島市立病院の産婦人科の先生らを福岡まで送ったものでして」と語ったので、あれ?と思った。実はその話は以前も聞いたことがあったのだ。いつも同じタクシー会社を利用しているのでありうることだ。でも初めて聞いたふりして話に付き合った。産後間もない障害のある赤ちゃんは福岡の病院でないと治療出来ないことが多いらしい。今は新幹線が直通になったので車で行くことはなくなったが、「優秀だった市立病院の先生がいたのですが若くして癌で亡くなったですよ」とも語っていた。名前を聞くも私は知らなかった。同じ団地に住んでいたとかで、あとでカールに話すと、「ああ、サークルマウント先生のことだと思う。セージと同級生の娘さんがいて、奥さんもドクターで仲良かったのに」だと。そうか、それは残念なこと。そこの娘さんは今は医学生ということだ。きっとお父さんのようになりたいと思ってのことだろう。

伊丹空港に着く前に私は眼下の大阪平野の景色を撮りまくっていた。堺市あたりの古墳群を以前から写真に収めたかったからだ。古墳は直に見たことはないが地上からだとその全貌はつかみにくく空からがずっといい。教科書でもみんな空撮写真だ。以前、伊丹行きで見て以来きちんと自分のデジカメで撮りたかった。今日は天気もよくまずまずの写真が撮れた。満足満足。(↓いわゆる仁徳天皇稜のある百舌鳥古墳群)
(↓こちらは古市古墳群。一視野に10基以上もある。右上のが応神天皇稜とされる)

京都へもタクシーを利用した。高速で割に早く京都に着いたと思ったら大間違い、会場&宿泊が北に位置するホテルでインターを降りてから30分以上もかかった。しかも14時以降でないとチェックイン出来ないときた。で、バッグだけ預かってもらい、地下鉄で京都御所付近の駅まで向かった。実は、御所近くの相国寺のヤノケン和尚と15時半に会う約束をしていたのだ。それまで時間があるので御所周辺を見物した。蛤御門を見れば「ああ、ここで西郷どん以下薩摩藩と長州藩が戦いをしたのか」なんて感慨にふけり、門をよく見たがどこにも戦争の傷跡は残っていなかった。当たり前か。御所一帯は巨大な公園というべき場所で地域の人や観光客が散策していた。なかでも北側にある八重桜が見事な咲きっぷりでこれを見ただけでも来た甲斐があったと思った。

園内にある御所の地図を見ていたら北側に藤原五摂家のうち近衛家と一条家の屋敷跡があり、南側に九条家と鷹司家の跡があった。薩摩藩は近衛家と密接な関係があるのは大河ドラマでもよく出てくる。で、藩家老の小松帯刀邸「御花畑御屋敷」が近衛家の別邸で歩いて行ける距離にあった。この場所はつい数年前に確定されたが、実際に歩いてみて近衛家と連絡するにはほどよい場所で、なるほどと思った。

さて御所の北方、同志社大に隣接する相国寺だが、臨済宗相国寺派の大本山で京都五山の一つを形成し配下に金閣、銀閣を持ち京都仏教界でも主流を占める寺である。ヤノケン和尚は私の小中高の同窓生で現在相国寺内の塔頭、大光明寺住職をしている。寺内を回り、法堂内で手をたたくと、音が反響して天井画の龍(「蟠龍図」狩野光信作)が鳴いているように聞こえる「鳴き龍」を試してみた。ヤノケン和尚がこの前のBS朝日の番組で名取裕子相手に「心のきれいな人には聞こえる」とか説明していたもので、一叩きしてみたが私には聞こえない。あれと思ってもう一回叩く。ダメ。ええいこれが最後と叩いたらぶぉんぶぉんぶぉんと響いてきた。ふー、良かったぜ。
(堂内は撮影禁止なので↓の「鳴き龍」はネットから拝借)

この他、相国寺由来の美術品を集めた承天閣美術館も見て回った。それで約束の15時半後ごろ大光明寺前で待っていたのだが・・和尚から電話があり「すまん、実は飛び地境内の出町妙音堂に今いるんだがしめ縄作りが思いのほか時間が掛かって今日は会えそうもない」とのこと。あちゃーそうか。5年以上ぶりに会えるかと楽しみではあったがそれは仕方ないな。令和を迎えるにあたってそんな準備仕事もあるということだ。で、眼前の境内の白壁を見ていたら松の木の影が映ってなかなか面白かった。京都は何でもないところにも風情がある。

せっかくだから相国寺を抜けて少し北に行くと上御霊神社があった。ここは1467年、失脚した管領の畠山政長と畠山義就との私闘が当社境内の森で行われ、これが応仁の乱の前哨戦となり、応仁の乱発祥の地とされるらしい。Googleの地図アプリにも「応仁の乱勃発の地」と出ている。(↓言われなければそんなこと全く想像もつかない雰囲気だ)

ここまで結構歩いたので少々疲れ、タクシーでホテルまで帰った。夜は一人だし食事に出かけるのも面倒でコンビニで飲食物買って部屋で済ませた。疲れがまだ残りベッドでグースカ。明日は講演会に出たら便を早めて昼過ぎには鹿児島に帰ろう。京都観光はしたいが一人で回るより相手がいる方がいいと思った。電話でカールに「やっぱり、(カールと)いっしょがいいよ」と言うと喜んでいた。やはり京都はいいところ、今度はいっしょに秋の紅葉時期に行きたいナ。

2019年4月19日金曜日

わそらんでね

午前、70代女性がいつもの処方薬で「(抗不整脈薬の)ワソランだけ5日分ほど飲み忘れて余っている。他の薬と日数を合わせて欲しい」というので調整して処方した。そして最後に一言。

「今後はわそらんで下さいね」

付きの看護師は吹き出すも患者は「はい」とかしこまっていた。

午後は本来は内視鏡担当ではないのに大腸内視鏡2件をする羽目になった。どちらも下血で一人は先週並ぶンDrが止血したはずの大腸憩室出血で実は止血部位が本当の出血源とわずかにずれていた。改めて止血し直した。もう一人は前処置をする時間もなく浣腸のみで観察したが、横行結腸まで凝血がべた〜っと着いていてどこが出血源が分からない。幸い今現在は出血してなかったので絶食点滴で入院で診ることにした。

その間、誤嚥性肺炎の患者を診てくれと近医からの紹介があったが指示だけ出して採血、CTを見るに肺炎は大したことなさそうと判断するも病状説明する余裕がない。ピッピDrが代行してくれ助かった。

ふう・・だじゃれでも言わないナー。

2019年4月18日木曜日

赤信号無視を思いとどまった有名人

昨夜から風邪気味で体がだるかった。夜はボウリング練習を組んでいて私のほか4人参加あったのだが顔だけは見せたものの「悪い、今日は休むわ」とボウリング場を出た。カールも急に夕ご飯を作るのは大変だろうし、場所も天文館だから一人で食事に出かけることにした。2月に行った「やっぱりステーキ」もまた行って見たかったがほんの少し歩く距離があるしそれよそうかと思いつつ、南州タクシー前の道路に来た。

赤信号だったので立ち止まると、目の前のスーツ着たサラリーマン風の中年3人組がそれでも渡ろうとして「いやいや(ここは赤信号だだから)引き返さなきゃ」と数歩歩いたところで引き返して来た。天文館の車道でも一番幅の狭いところで赤信号でも無理に渡る人も結構多い。ふーんと思いつつその3人組を眺めていると、真ん中の人の横顔を見て「あっ」となった。何と三反園訓(みたぞのさとし)県知事だったのだ。そりゃ人目に付くところであからさまな赤信号無視をしちゃまずいよねぇ。うしろでじーっとこてる先生が見ていましたヨ。

ついさっきローカルニュースで「坂井宏行シェフ監修によるファミリマートの県産さわらや鶏もも肉を使用した洋風幕の内弁当」を試食していたでしょアンタ。それも見ていたよ。青信号になり、ほぼいっしょに横断歩道を渡りアーケードに入っていった。知事3人組みはばったり知り合いの二人に合って「おお」と言いつつ通り過ぎ、その後、黒岩ラーメンの角に入っていった。私は歩くのもだるいのでここでいいかと黒岩に入ってラーメン&ご飯で夕食を済ませた。知事のあの様子はどこかの飲食店で飲み食いする感じだったな。いつ誰が見ているか、そしてネットに取り上げ拡散されるか分からない時代、信号無視しなくて良かったですネー。

2019年4月17日水曜日

マダニがうごめく

「マダニに脚を噛まれて・・」という御婦人が外来に来た。庭で草刈りをしていたらやられたらしい。ホントかなと思ったが自分で取った虫を点眼処方用袋に入れて持って来ていた。確認すると、小さいが間違いない、マダニだ。抗生剤、軟膏を処方した。
これが2mmくらいの大きさだがたっぷり吸血すると1cmくらいまでになる。うごめくマダニを動画にも撮ってみた。これから暑くなり野原や草むらに入るとこうした危険も増える。暑くても長袖長ズボンを着るに越したことはない。それとまれに重篤な感染を起こすことがあるから一度は医療機関に来て欲しい。

寒い時期はインフルエンザや肺炎などの感染症に気を付けないといけないが、暖かくなったらなったで気をつけないといけない病気も出てくる。医者の仕事は尽きないネ。

2019年4月16日火曜日

コンニャ、ムッちゃんを送る

大腸内視鏡をしていると前夜の食べかすと思われるコンニャクが画面に現れた。付いていた茶の里Nsが「あ、コンニャクだ」と驚くも大腸内視鏡検査にはままあるケース。私は被検者の初老の男性に「いつ食べたんですか」と質問した。「ええと・・」と口ごもる患者さん。ふふ、いつでもいいんです、返事を待たず私はつぶやいた。

「コンニャクを昨日食べなくて今夜食う」

「(ぷ)はぁー」と、患者も茶の里Nsも吹き出した。ふむ、決まったナ。強引だがダジャレ好きな私はこじつけてでもそれを言いたいのだ。

その後検査は無事に終わるも茶の里Nsはしばらく笑みが絶えなかった。「後からじわじわと笑いがこみ上げて来て・・」だったそうで。おやまあ、そんなに「じわって」いたんですか。だからまた言いたくなる。オヤジギャグのこてる先生はこうしてますます増長するのだ。

今夜は私とカール、シホねえNsの3人でムッちゃんNsのミニ送別会を開いた。場所は天文館にぎわい通りにある「走れコータロー」。まずはビールでいやムッちゃんはこういう時でも必ず焼酎だ。それぞれ好みの品を頼み、シホねえがいうだけあってどれもそこそこ美味しい一品だった。

話題はムッちゃんの今後やシホねえの職場の話題などの他、ムッちゃんがカールに「こてる先生のおかげで私は19年も内視鏡室での仕事を勤め上げられた。先生でなければ絶対に続けられなかった」と感謝の言葉を言い、「先生は仕事も良く出来るのよ」と褒めあげること。おいおい、日ごろは「センセ、早くっ」「ほら、いつまでもパソコン見ていないで」とか結構叱られているんだけどナァ。記念に私たちからバッグをプレゼントした。私もシホねえも相当にお世話になったんだ。珍しく二次会にも行き、近くのウイッキーズハウスで1時間ほど過ごした。ムッちゃんが「みんなバラバラになるけどまたみんなで海外旅行に行きましょうよ」「(今後住む)関東からすぐにやって来るよ」とマジで乗り気だった。韓国、台湾は行ったから「じゃータイは?オイドリッチNsが今タイにいるし、いいんじゃない」とすでに行き先も決まったようだ。いやはや、決断の早いムッちゃんらしい。よしよし是非また行きましょう、行きますとも!

2019年4月15日月曜日

タイガー・ウッズの復活

未明2時半頃に目が覚め、TVを付け、ゴルフマスターズを見ると、なんとタイガー・ウッズが単独トップに躍り出ていた。あれ?いつもは午前8時頃に決着が付くことが多いのにもう16番ホールあたりとは・・。放送を聞いていると「予報で嵐がやって来るため」順に1番スタートでなく10番スタートの組もいて早めに終わるようセッティングしたようだ。

しっかし、ギャラリーがすごく多い。ウッズの一打に歓声が鳴り響いて、これはトップ争いをしていたイタリアのモリナリもプレッシャーを相当受けたことだろう。結局最終ホールを2打差のままで行き、安全策を採ってボギーでよし、結果1打差で復活優勝を遂げた。マスターズは14年ぶり、メジャータイトルも2008年の全米オープン以来11年ぶりで王者復活をギャラリー(マスターズに限ってはパトロンって言う)は祝福した。かつてはジャック・ニクラスの持つメジャー通算18勝はすぐにでも追い越せると思っていたが今回でやっと15勝、43才という年齢を考えるとかなり厳しいか。ニクラスも46才時に最後のメジャータイトルマスターズを獲った時は奇跡と言われた。それまで6年間メジャーでは勝てていなかったからだ。ウッズも飛距離はすでに平凡でテクニックで勝てたもののそうそうは思うようにはいかないだろう。ともかくもスーパースターの復活は喜ばしいことだった。

(このこてる日記はブログ移行したのが2015年5月でそれ以前は自分のホームページの中の日記コーナーで書いていました。旧こてる日記(~2015年4月)として読めるようになっていたのですが、So-netとの契約を打ち切ったために今ではアクセスできません。それで3ヶ月前ほどからコツコツとブログにアップしてやっと2015年の1月1日までたどり着いています。今後もおよそ毎日2日分ずつアップしていく予定です。スマホではブログの一番下まで行き「ウェブ バージョンを表示」をクリックすると画面が変わり、右側に▶2015があり、左の▶をクリックすれば各月の日記が出て読みやすいです。)

2019年4月14日日曜日

アナザーストーリー「ノストラダムス」「ソニーのCD開発」

久々、仕事も遊びもない日曜だった。こんなとき、出不精の私はTVかネットでやり過ごす。今日は録りだめビデオをたくさん消化した。

まず今月からBSで再放送されている「おしん」を全部見た。いやー、やはりすごいドラマだねぇ。子役の小林綾子の真っ赤なほっぺにはやられるわ。あんないたいけな子がつらい目にあっても健気に頑張る、どうしても画面を見てしまうよ。それが終わると朝ドラ100作目の「なつぞら」でも同じくらいの子役が他人の酪農家で頑張っている。NHK、そこの効果を狙ったかぁ。

おなじくBSの好みの番組「アナザーストーリーズ」。たくさんストックがある中でまずは「ノストラダムスの大予言」。これは私が中学生のころ大ブームになった。ただ出版社は当初ヒットに懐疑的で本屋から引き合いがあってもすぐには増刷しなかったそうだ。調子に乗って失敗した出版社のケースがそれまでいくつもあったから。また石油ショックで本当に紙が手に入りずらかったこともあり、それが返って読者の飢餓感をあおり、ますますこの世紀末ブームが加速していった。本当のところノストラダムスは大予言をしたのか?きちんとしたフランスの研究者によれば2000年以降の予言もしており1999年に世の中が終わるというのはそもそも間違いということだ。それに実際にあった出来事をさも当たったように後世の人が偽作した部分もあるという。

私はずっと以前のこてる日記でノストラダムスを話題にした。ブームの頃は乗っからず大学生になったころ中古本で読んでみたら「なあんだ単なるこじつけか、これは」と分かり、それ以降1999年のことは気にならなくなった。原本を読まず人の感想を聞くだけでは本当のことは分からないってことだった。

その次に見たのが「CD開発 “不良社員”たちが起こしたデジタル革命」で、ソニーの中でも協調性はないが個性的な社員らが当時の社長の方針に反して密かに開発を進めやがて革新的なCDという製品を世に出す話だ。これは私が大学生の頃と完全にリンクする。1年生のころから買い始めた「FMfan」という雑誌の特集で「最新話題はなんといってもPCMだ」という記事を見て「PCM?なんだそれ」と思ったことを思い出す。番組でもまだCDという言葉は決まっていなくてPCM(pulse code modulation)と言っていた。PCMとは簡単に言えば音をデジタル変換することだ。それを具体化したのがCDであり今のiPodやiPhoneもその範疇に入る。それまでのアナログ変換からの一大転機となるものでその記事から4年後には製品化された。1982年の10月1日がその日だったが実際は1日前の9月30日には発売が始まった。そのころにはCDの話題でオーディオ界は持ちきりだった。私もちょうどその日、CD以外のオーディオ製品を買い揃えた日で感慨深かったからよく覚えている。その時のCDプレーヤーは16、7万円もして高くてまだ買えなかったのだ。

あのころのソニーを始め日本の会社は元気があった。2000年以降はアップル始め海外のネット系会社にすっかり押されている。それに今度は中華系の勢いもあり存在感が薄い。優等生だけでは世界をリードするような企業にはなれないってことか。日本はこんなもんじゃないってことをNHKもこの番組で言いたかったんじゃないかな。

2019年4月13日土曜日

ありさ、倖田來未のものまねをする

ちょっと前のことになるが、フジTV系列でさんまが司会の番組の「平成エンタメニュースの主役100人」というのがあった。その日はオイドリッチNsの送別会でもあったし、特番の芸能人番組(何と4時間もあった)を見ることも録画することもなかったのだが、翌日、家族から「ありさちゃんが出ていた。倖田來未のものまねをしてしかもセンターで歌っていた」と聞いて録画を見直してみた。こういう時、タイムシフトマシンは絶大な効果を発揮する。録画をした気はないが全録されているからだ。

なんでもものまねされた女性芸能人第1位が倖田來未だそうで、その証拠というわけでもあるまいがぞろぞろと彼女のものまね芸人が出てきたのだ。その中にありさちゃんがいたのである。彼女はうちのテルと小中の同級生で歌がうまく携帯電話ショップに勤務するかたわら「You&Me」という女性ユニットで時々歌ったりしていた。7年前は携帯を彼女から購入したり、そうだ4、5年前かな、テルが扁桃腺の手術をした時は彼女は見舞いに来てくれてもいた。
2年前、ガラケーを止めるためショップに行った時も彼女は店長になっていて普通に働いていたが、その後「ものまね芸人」を目指して上京したと聞き、ぶっ飛んでるなぁと思った。それがまさか全国ネットでちゃんと紹介されて歌も披露するとは!

好きなのは「西郷隆盛とさつま揚げ」と紹介され「もっと盛り上がって行くわよ〜」と倖田來未そっくりの声で登場し、ものまね芸人10人で歌う時はまさかのセンターで目立っていた(本人も驚いていたのがFacebookに書かれていた)。



サブ司会の伊野尾君ていうの、この倖田來未軍団が登場した時は「やば」って表情で見ていたことをさんまに暴露されていた。確かにこんだけぞろぞろ出てくると圧倒されるというか・・。番組終わって本物と全員いっしょに写真を撮ってものまね芸人みんなでお寿司食べに行ったらしい。意外に仲いいんだね。↓一応中央が本物。ありさはその真後ろ。
安定した生活を捨ててまでもやりたいことを目指して頑張っているありさちゃん、オジサンも陰ながら応援しているぞー。

2019年4月12日金曜日

長野の人、必ずしも山には登らず

4月から赴任してきた歯科口腔外科の槍穂先生、長野県出身と聞けば私が「先生は登山とかされるんですか」と尋ねるのは当然の成り行きだろう。ところが「いや、特に登山をするとかは・・」とのことで「弟は登山部だったのであちこち登って冬山も行ってました」そうだ。そうか少し残念だ。それでも「西穂高岳には登ったことがあります」と。ほう、さすがは長野県出身者だ。で、「槍ヶ岳は登ったことは?」には「いや、ないです」で、さらに私は北アルプス以外の中央アルプス、南アルプスはどう?」と尋ねても「それはどこにありますか」と言うから「中央は長野県の真ん中で南は山梨、静岡との県境にありますよ」と教えた。逆に「八ヶ岳はどこにあるんですか」と聞かれ「あれは山梨と長野の県境で日本アルプスとは別の山脈です」って、あれ、どっちが長野県出身か分からないじゃん。山が多い所に住んでいるからといって登山を必ずしもするとは限らない。沖縄出身者に「泳ぎが上手なんでしょ」と尋ねるようなものか。カールも「昔はプールもなかったから泳げない人は多い」「沖縄だからって海に泳ぎに行く人はそれほど多くはない。ビーチパーティはするけど」と言っていたな。

槍穂先生は「高校の時に行事で登りに行った」と言うので「あ、そういえば50年くらい昔に穂高岳に学校行事で高校生が登っていて落雷で10人以上亡くなった事故がありますね」というと「それはきっとうちの高校だ。確か毎年慰霊祭のようなことをしていた」と思いだしたので、どの高校かと聞けば「松本深志高」とのこと。ネットで確認すると確かにそうだった。https://ja.wikipedia.org/wiki/西穂高岳落雷遭難事故

夜は串木野トリオリーグ。今月のレーンコンディションも比較的スコアが出やすいパターンのようで3ゲームでアベ200はキープ出来た。2ゲーム目はみんな調子良く10フレまでチームハイフレームは全部ストライクで来た。そして海広しDrが10フレをパンチアウトしチームパーフェクト達成、久しぶりだ。海広しDrは自分が10フレに貢献出来たのは初めてということだ。それとクラッツさんには個人パーフェクトの瞬間動画の入ったUSBメモリーをプレゼントした。少し戸惑っていたが自宅で動画を見ればきっと喜んでくれるだろう。

2019年4月11日木曜日

まずは100円ショップから

以前青雲にいたシホねえNsからLINEが届いた。「先日、うちの院長の院内メールで、こてる先生のブログが紹介されてました。院長のまじめな話とはちがって爆笑でした笑笑(≧∀≦)」だと。

なになに、どの話かというと「胸骨骨折の患者が県庁にちくった話」だというからあれかー(2019/3/12)。いや、あの日の日記はいつになく冷静さを欠いた文章だった。ていうか、わざと冷静にならないように気持ちのおもむくまま書いた。それが他院の職員に紹介されたか。気恥ずかしいところもあるが、何か役に立つ内容が含まれていたと考える。詳しくはよく分からない。たまにブログのアクセス数が急にアップすることがあり、誰かが紹介したりリンク張ったりしていると推測するがこれもその一つだったかもね。

それと彼女のこのLINEはちょうどいいタイミングで、「今度、ムッちゃんの送別会をやろう。私とカールとムッちゃんと4人で」と提案した。以前からカールと考えていてそろそろこちらからシホねえに連絡しようと思っていたところだ。私が内視鏡室でいっしょに仕事をした職員ではムッちゃんはダントツで1位で19年、2位とはいうと約9年のシホねえだ。2回の海外旅行もいっしょだったし、カールも含めて4人だけの送別会は意味があるだろう。すぐに「いいですねえ」と返事あり、鹿児島市内の飲み屋か居酒屋でいいところを探してくれないかと頼んだ。するとしばらくして「走れコータロー」という店が以前行って良かったのでどうかという。OK。予約も頼んだ。

当直明けの早帰りで、私にしては珍しく100円ショップに寄った。家にあった瞬間接着剤をたった1回の使用で台無しにしたため同じタイプを買い直した。瞬間接着剤は高いのを買うのはリスクが大きい。ちょっとした使い方のせいで液が出てこなくなることがしょっちゅうだ。失敗しても100円というのがいい。ついでに20cm定規も買った。で、少し悔しかったのが、先にネットで買っていた270円する定規よりこっちのほうが質が上等でなおかつ100円以上安いときたもんだ。しかも私は270円を4本も購入していた。なんてこと!
↓上が100円ショップ、下がメーカー品で270円。

品を買うには「まずは100円ショップから」これを今後は肝に銘じようと固く誓ったのだった。

2019年4月10日水曜日

ぶひーっ!忙しい

ぶひーっ!忙しいぞ、このヤロー。

先週も水曜日の外来は忙しかったが今週もそう。新患がなぜか多くしかも重症か入院が必要な患者が多い。60代男性が下腹部が痛いそうな。採血、腹部CTの指示を出した。70代女性が腹痛嘔気あるそうな、同様の指示。火事やねん病院から70代女性、黒色便あったんだってさ、胃カメラや。60代男性、ブルーベリーのような便が出たってかい?美味しそう・・おっと食べたらとんでもないことになる、はい採血、胃カメラへ。90代女性、何?またまた火事やねん病院からの紹介かい、発熱ひどくて入院加療希望ってか。しゃあないな。先週も紹介患者送ってきていたぞ、まるで青雲会付属火事やねん病院だ。80代男性、最近ものがつまるってか。これまで1回も胃カメラ受けたことがない・・うーむそんなのが怖いのよ、はい胃カメラへ直行。40代女性、健診で言われた食道乳頭腫が気になるんだって?それより血圧高いよアンタまだ若いのに、胃カメラは今日は満杯になった、来週来てネ。そうだ、先週胃カメラで見つかった胃癌の50代女性の紹介状を書いて本人に渡さねば。東京は慈恵医科大での治療希望か。そんなに進行していないからきっと大丈夫だろう。夕方にはカジキマグロ病院から60代女性でCRP30の腹痛患者を診て欲しいってか。もう残り1床しか空きベッドがないが受けましょう、救急で送ってちょうだい。救急車待っている間に今度は愛乱病院から洗剤を半分飲んだ患者(性別不明)を診てくれって?もう電話に出る気がせず、ピッピDrに代わってもらった。しばし後で聞いたら受けずに他病院に紹介となったそうだ。いつもなら青雲会担当なんだがキャパを越えてしまっていたよ。

さて、60代男性は実は尿管結石だった。それがCT画像で分かった途端、泌尿器科の合い言葉Drにその後を丸投げした。私でも診られないことはないがバックオーダー抱えすぎだった。70代女性は小腸イレウスで入院(私担当)、もう一人の70代女性火事やねん黒色便は内視鏡では大したことなくそのままお帰り。60代ブルーベリーは十二指腸の球後部から潰瘍出血していてクリップ止血後入院(ピッピDrに担当してもらった)、90代火事やねん女性は腎盂腎炎で入院(私担当)させたがものすごく咆えまくる認知症の人で先が思いやられた。80代詰まり男性は危惧したとおり進行食道癌だった。だから一度も内視鏡受けていない人は怖いんだ。鹿大消化器外科に紹介状を書き来週月曜に受診するようFaxのやりとりをした。60代CRP30女性は私が受け持つつもりだったが直前にカジキマグロ病院が撮った腹部CTに胆嚢結石と胆嚢腫大が確認でき、緊急で処置が必要かと思われた。外科オンコールのキブンDrに電話したら帰った直後だというのに(病院に)来ますとのこと。で、彼はPTGBDという胆汁を対外に逃がす処置を試みたのだが体型的な問題もあって難しく、結局プーさん病院に救急転送となった。すぐに手術になるらしい。やれやれ。

この後、今夜は当直。なぜか夜になったらぐっと忙しさがなくなり、発熱の70代女性が来たくらい。本人が「インフルエンザが心配なんですぅ」とやや時季外れの病状訴えをするので「ここ2週間インフルエンザはうちでは出ていないんですよ」と答えつつも本人が希望するならとチェックしたら、何と本当にインフルエンザA型が出たじゃない。うへ、まだまだ油断できねえ。

大変忙しい1日だったが、患者を4人も他のDrに委任した。もし全部自分でやり切ろうとしたらパンクしていた。2日後は小腸イレウスも外科の信号Drに引き受けてもらった。スムーズに他科との引き受け、引き渡しがしやすいのも青雲会病院のいいとところだ。そうでなくちゃ、やっとれんばい。で、そのまま医局ソファで寝ていた。明け方、「鼻血が止まらない」という80代男性が来ているという。

「はいはい、すぐに外来に降りますからねー」

2019年4月9日火曜日

健診合格

今日は年1回の職員健診を受けた。早朝に例年同様排尿をしてしまい、結果、検尿を出すのが遅れた。ま、間違って朝食をしてしまうよりはましだったがー。採血、身長、体重、聴力、視力、心電図とドック室で次々に検査を受けた。聴力は集中してどうにか正常内に収まった。視力も私はあきらめが悪くどうにかして「C」の隙間を見つけようと粘る。0.5以上になるとほとんど分からなく感じるけれどなぜか結果は当たる。両眼とも「1.0です」と言われた時には自分でもびっくり。ここ数年で一番いい結果だ。なぜか上下左右当たるんだよなぁ。体重が78kg台で腹囲もメタボの85cm以上は仕方ない。今回そこだけが異常値だった。ただ、血圧もコレステロールも正常。もっとも血圧は10年以上降圧薬を飲んでいる。正常内であるにも関わらずより下げるため(収縮期130未満)にだ。今日は112だった。

最後の検査はいわゆる胃カメラ。ピッピDrにしてもらった。経鼻内視鏡は鼻にツンと来るのが違和感あるが今回も嘔吐反射がほとんどなく楽に出来た。ピロリ菌除菌をして20年ほど経過して胃粘膜も萎縮性変化が改善してきていた。しかし以前からあった小さな逆流性食道炎が今年はやや目立って来ていた。萎縮性胃炎があると逆流性食道炎にはややなりにくいがその逆のパターンだ。胸焼けの症状はほとんどないが今後は食事の摂り過ぎなど気をつけよう。
他の人はいざ知らず、私は少なくとも90才以上、できれば100才までは生き抜きたいと思っている。それも寝たきりじゃなく日常生活をきちんとおくってだ。そのためにも健診はきちんと受けていくつもり。とりあえず今年も合格!

2019年4月8日月曜日

YOLO

南日本新聞朝刊には県議選の写真があって姶良市区の米丸麻希子さんが写真付きで大きく出ていた。同地区初の女性議員ということもあったのだろう。それを見て私は「これはまた見事な万歳の所作」と感じ入った。麻希子氏は正しい万歳の仕方というものをきちんと知っていたようだ。手のひらを前に出すのではなく内側に合わせるようにしてピンと上に突き出す。背後の支援者との違いが一目瞭然だ。

朝礼では医局Drシリーズが始まって、今日は眼科のキサラテDrだった。副題が「30才から始めた英語学習〜YOLO」でアメリカ留学を控えた彼がいかに英語を学習したかという話だった。忙しい大学医局生活で「ながら勉強」をすることにし、具体的使ったツールは「NHK WORLD TV」・・無料できれいな英語で日本に関する内容で理解しやすい、「ABC ニュースシャワー」・・英語字幕→日本語字幕→解説、フレンズ(ドラマ)・・セリフが多い、英語学習ツールとして有名で分からないことはネットで調べると解説がある、英辞郎(辞書)・・検索履歴が分かる、検索回数順に並べられるなどで運転しながら、実験しながら、ジョギングしながら、入浴しながら英語を聴いたそうだ。それでも1年目はリスニングもスピーキングも出来ず実感が得られず落ち込むことが多かったそうだ。↓のスライド写真にもあるように徐々にリスニングが分かるようになり後からスピーキングもどうにか出来るようになるという。
私もずっと以前、運転しながら英語を聴いていたことがあった。半年ほどでやめてしまったがそれくらいではまだまだってことだ。それに、やはり留学とか実際に英語を使う必要がないとな。

最後にキサラテ先生は「YOLO(ヨーロー)」というフレーズをよく思い浮かべていたそうで、これも↓のスライドにあるとおり直訳は「あなたは一度しか生きられない(人生一度きり)」で「一度しかない人生、なんでもチャレンジして楽しもう」といった意味とのことだ。なるほど〜、特に若者にはふさわしい言葉だね!

2019年4月7日日曜日

県議選投票

朝、鹿児島県議会議員選挙にカールとギボヒサコと出かけた。うちは小学校のすぐ近くなのですぐに終えて帰れると思ったら、ギボヒサコがヨチヨチでねえ。歩行器を持たせて歩かせたが側に付いていないと危なっかしくて・・。歩行器なしでも歩いてAコープに行けるっというのが不思議なくらいだ。

会場でも危うさが目立ち、管理委員会の人が付き添ってくれ、投票後は出口ではなくて(段差がきつかったため)「入り口からでいいですよ」と配慮してもらった。投票前に「(投票するのは)下鶴隆央ですよ。ちゃんと書いてね」と頼んだからそこはちゃんとしてくれたとは思うがー。6年前はいっしょに韓国旅行に行ったものだったが年寄りは衰えるのも早い。4年後の投票はもしかしたら無理かも・・。

夜の選挙速報は大阪の知事、市長選などばっかしでなかなか県議の報道はなくいつのまにか床寝してしまっていた。気がつけば午前様、ちらっとNHKのミニニュースで下鶴隆央が鹿児島市では3位で当選していると分かってホッとした。まあ全くの無所属で3期目上位で当選できればいい方だろう。今後もずっと活躍出来るよう応援していこう。

もう一つ、姶良市区の新人の米丸麻希子さん(43才)も気になっていた。彼女は下鶴隆央議員以外で私が直接知る唯一の候補者だった。姶良地区ゆえに10年以上前から知っていてヒラメグDrともお友だち、彼女の結婚式でもいっしょだった。また、この間は青雲会病院の朝礼にも来て支持を訴えていた。新人だから当選出来るかは全く保証はなかったが、ネットで確認すると9000票以上獲得しトップ当選していた。選挙前、オヤジの米丸社長さんが「飲めない私が開票のあかつきには美酒を飲もうかと思っています」と言っていたが良かった。顔を真っ赤にして飲み干したことだろう。

病院に務めていると職員は断然女子が多い。女性の働きぶりはよく分かる。議員ももっと女性が増えてしかるべきだ。米丸議員も今後当選を重ねて活躍して欲しい。

2019年4月6日土曜日

修理しようとしたらTVのヤツ・・

REGZAの7Zの画面故障で基盤を交換すれば良くなると知ってネットでその基盤を手に入れるも、万一の失敗を考え、いつもお世話になっているエエデオの団名さんに頼んだが「1万7千円くらいかかるのでまずはご自分でなさってみては」と言われ、明日チャレンジすることにしていた。言外に「お宅はお医者さんでしょ(そこまでケチらなくても)」との匂いも感じたが、わずか基盤3千円未満で済むものを修理代込みで1万円以上は払いたくないのだった。

ところがである。3月初めからずっと横縞のラインが入っていたのに昨日くらいからそれが消えているのだ。あれ、これなら修理すらしなくていいんじゃない?いや、最初のころ消えていたがすぐにまた出てきていた。何で急に直ったのか不明だがこのままラインが出ずに済めば一番いいのでとりあえず修理せずに様子をみることにした。これで済めば基盤代の出費のみで済むしまた横縞が出てきたらその時は思い切って交換チャレンジしよう。

昼からは麻雀。相手は腹出しDrにあとはいつものサブアラド、見せたまえDr。私と腹出しは振幅はさほどなかったがサブアラドと見せたまえはトップラスの激しい麻雀だった。例えばサブアラドは1回目半荘にプラス100の大トップを取り4回目もトップだったのに6半荘終わった時にはわずかならトータルビリになっていたのだ。で、いつもなら夜の11時頃には終わるのにその時点でトータルラスの腹出しがあと半荘2回をコールし続行へ。根性実って最後の半荘に彼はプラス80以上の大きなトップを取り、そこでラスった私がトータルラスになってしまった。ううむ気迫に押されたか。でも、これだけ長くやって大負けというほどでなかった。とはいえ負けは負け。ま、最近麻雀への情熱が低迷気味なので仕方ないかも。

打ちながらのダベリでは、これまでの常連ダイボDrの話題も出て、彼が鹿児島市内の某整形外科にリハビリに行ったらリハビリ担当者が見せたまえの息子だったというエピソードはこの前の私の日記ネタと被るものがあって面白かった。彼もまた体調戻れば麻雀も出来るだろうて。ねえ。

2019年4月5日金曜日

この人、ギバちゃん?

高速道路の工事がようやく今日終わる。しかし朝はまだ工事やっていて渋滞はあった。で、姶良インターから病院までどのくらいかかったか時間測定をした。実は昨日は桜島SAのスマートインターを利用して再度時間測定をやっていた。するとどちらも約6分30秒とまったく同じだった。たまたま今日は信号待ちが少なかったとはいえ敢えて100円増しのスマートインターを利用する理由はない。これで通勤にはスマートは使えないということがはっきりしたな。

今日は外来勤務、なんかさみしいなと思ったら先月で退職したオイドリッチNsがいないんだ。今日、福岡からタイに向けて出発するって言っていたなぁ。彼女は子どものころはタイで生活していて、今もお父さんが勤務していてしばらくいっしょに住むらしい。月曜には新人職員が20名以上入って来たし、3月4月は別れと出会いの季節や。

そういえば昨日エリックMRが訪問に来ていて、「運転免許の更新に行って来たんですが、次回更新の日付が平成34年までになっていたんですよ〜」と嘆いていた。「令和4年」と表記されるかと淡い期待をしていたそうだ。残念。

今月からNHKBS朝7時15分からあの「おしん」をやっている。出だし、伊勢の海岸の空撮だったのには驚いた。老境のおしん演ずる乙羽信子が地元のスーパーを経営する息子の高橋悦史のもとを家出して山形に向かうというものだった。雪の中、川下りのいかだに乗っているシーンが有名だからそこから始まるくらいに思っていた。カールが高橋悦史を見て「これ、ギバ(柳葉敏郎)ちゃん?」と言うので「あは、似ているけど違うよ」「この人知らない」ですでに35年以上経過の時の流れを感じる。

第100回の朝ドラ「なつぞら」でも戦災孤児のなっちゃんが十勝の酪農家に引き取られる様子が描かれている。あどけない女の子が他人の家で苦労する話はどうしても見てしまうねえ。「おしん」放送も史上最高視聴率のドラマでそこに第100回の作品につなげるNHKの意図が感じられる。でも、「おしん」放送時は学生のころでほとんど見ていなかったので今回は全部録画して見てみるつもり。しっかし、米俵一俵で身売りされる、たった100年ほど前の日本に現実によくあった話とは思えない。100年ってやはり長い。

2019年4月4日木曜日

あの時の子どもといっしょに仕事をする

朝、医局に糖尿病内科の新しい非常勤の大菩薩Drが挨拶に来た。これまで週1回来てくれていた聞くっちDrが近々開業するため代わりに大学から派遣されたということだ。まだ30代前半の大菩薩Drに私は例によって即デジカメ撮影をし戸惑わせたがこれはいつものこと。それよりもすぐに「大菩薩先生、お父さんのダイボ先生は元気かな?」と尋ねて面食らわせた。彼とは全くの初対面なのだが、実は1ヶ月ほど前、大菩薩と名を聞いた時にすぐにダイボDrの息子だと分かったからだ。

「いやいや、学生時代から同級生で結婚式にも出席したし、君が生まれた時にダイボ君が『こんな名前でいいのかな』なんて言うから『いいよ、全然問題ないじゃん』と答えたものだったけどねえ」などと話した。パッと見た目はダイボDrの息子とは分からないもののニコッと笑った際の表情がオヤジさんに似ていたな。

いやはや同級生の息子といっしょに仕事をする年になったんか。思えば聞くっちDrとも似たようなケースだった。彼のお父さんは鹿児島市立病院の先生で私が医師1年目の時に研修した際の直接の指導医で外科の基本的なことを教わったものだ。19年前、国立療養所霧島病院が今の霧島市医師会医療センター(当時は隼人町立医療センター)に移行した際そこの週1内視鏡担当することになり、そこですでに糖尿病専門だった聞くっちDrにこの度は私が内視鏡の指導をして、「これは恩返しかぁ」とつぶやいたものだ。

今度は大菩薩Drに糖尿病患者の治療をお願いすることになる。親から子へ子から親へとめぐりめく関係が今後も続いていくのかも・・。

2019年4月3日水曜日

入院が多かったワケ

朝、出かける時にゲンちゃんが珍しく2階に上がって縁から下を覗いていた。危ないナァ。ネコとはいえ万一落っこちたら大怪我をしてしまうヨ。

そんなハラハラが病院での仕事にも伝わったのか、今日は外来担当でとにかく入院が必要な患者さんが多かった。到着間もなく、当直の泌尿器科合い言葉Drが今朝方救急で来た腹痛患者を診てくれとのことでとりあえず腹部CT指示を出していたら、放射線科から「門脈内にガスがある」と連絡ありこれはピッピDrに後を頼んだ(結局鹿児島市内の病院に転送)。実は他にも腹痛の救急を要する患者が来ていてそっちを診察しなくてはならなかったのだ。それは最初イレウス(腸閉塞)かなと思って採血、点滴、レントゲン、CTを指示を出した。その間ルーチンのスメア検査もあるが今日に限って「被験者はゼロです」と有り難い連絡が・・これってとても珍しい。でも有り難かったのはここまで。腹痛患者は実は急性虫垂炎と判明し外科にお願いした(結局夕方手術になり一部穿孔していたらしい)。

この後も70才男性間質性肺炎、79才女性呼吸不全、33才男性急性腎盂腎炎と午後に入院があり、さらに蒲生の医院から99才女性肺炎の入院治療依頼があり、それを受けたら今度は下血がひどい91才女性が外来に来ているという。思わず「何てこったー!」って声を上げそうになったが、さすがにこの90才代の2人を同時には診察出来ないとゴネて、肺炎患者の指示だけ出して後はクニンダDrに任せた。下血患者はたいてい私が診る暗黙の了解がある。面倒な大腸憩室出血でなければいいが。しかし結果は虚血性大腸炎で少しほっとした。ただ炎症の程度がひどく入院を勧めた。

結局、7人入院のうち4人は私が担当することになった。やれやれだが3人の患者を他のDrが診てくれたおかげで相当助かった。ここまで忙しかったのは最近珍しい。そうか、朝、ゲンちゃんが珍しいことをしていたからだな。

2019年4月2日火曜日

リスペクトして令和

今日も新聞TVネットは「令和」の話題で持ちきりだった。太宰府で大伴旅人が梅を詠む会を催したと出典の万葉集にはあるそうで早くも縁(ゆかり)の神社には人が集まって来ているとか、ゴールデンボンバーは事前に制作していた曲に「令和」を当てはめるだけでレコーディングしネットで発表したりとか便乗商法とはいえ微笑ましい。

私はTVで菅義偉官房長官の発声を聞いた時、「明和であります」聞こえた。心の中で「明和?そんなはずはない」とつぶやいた。明和は江戸時代にある元号でしかも鹿児島市の団地の町名じゃないか。明和9年には江戸大火が起こり、発音から「迷惑年(めいわくねん)」といわれたと聞いている。直後に額縁が掲げられ「令和」と判明し「れいわ」「れいわだ」と周りともどもつぶやいた。いやー、昭和がついこの前だから「何々和」はないと思っていたがなぁ。

新聞、ネットによると元ネタはやはり元号の元ネタにも引用される中国の「文選」の「仲春月、時気清」を万葉集で「初春月、気淑風」と応用した(有り体に言えばパクった)ものらしい。作者は後漢の張衡(78年-139年)で作品は『歸田賦(帰田賦)』という有名な作品とのこと。この作品は後代に多大な影響を及ぼし「自然を前面に出し、人間や人間の思想に重きを置かない共通主題を共有する様々な形式の詩に対する数世紀にわたる熱狂の口火を切る助けとなった」とWikipediaに解説されている。中国の書聖、王羲之の代表作「蘭亭序(353年)」は「帰田賦」の影響を受けているとされ「是日也、天朗気清、恵風暢」の一文がある。これが名文、名歌を集めた「文選(もんぜん)」(550年頃)にも載り、早くから日本に入って来て、当然大伴旅人も読んでいたはずで、「初春月、気淑風」は明かにこれらの影響下にあるといえよう。

今回の元号選定にあたっては政府ができる限り国書からにとこだわったと伝え聞いている。しかしこれまで国書から選ばれなかったのは漢字で選ぶ以上元ネタがほとんど中国にあると分かっていたからで、今回のは和歌で言えば本歌どり、パクるという言葉が俗すぎるならリスペクトしたというのがいいだろう。そもそも、文学に限らず美術、音楽でもすべては先人の影響を受けないものはないと言ってもいい。原典が中国からだとか初の国書出典だとか声高に言う必要もない。

そうだ、「帰田賦」は後漢の永和3年(138年)、「蘭亭序」は東晋の永和9年(353年)でともに元号は「永和」が使われた。「永和」は日本でも南北朝時代の北朝が1375年ー1379年に使用している。「〜和」は漢字文化圏では使いたくなる言葉のようだ。そこに年号初の漢字「令」を当て「令和」にした。「命令」など命じるの意味だとか難癖付ける人もいるようだが「令」そのものは悪い意味とはいえない。「令嬢」「令息」の使われかたはいい意味だし「令月」も陰暦2月の異称で何事をするにもいい月の意味でもある。良いとか美しいの意味なのでなかなかいいんじゃない。それに会社名や土地名でほぼ全く使われていない(俗用されていない)というのも新鮮でいい。ほっとけば難癖付ける人もじきにいなくなるだろう。

「令和」は私と同学年にあたる皇太子のいずれ諡号となる。昭和で30年、平成で30年生きて来て人生の残り1/3はほぼこの令和とともに生きるのかぁ。いや、まだ長生きして令和の次の元号が何になるかは見届けたい。あくまで長生きにこだわりたい私であった。

2019年4月1日月曜日

新元号発表前→後

さあ、新元号発表まで後1時間余りになった。私も自分なりに予想を考えてみるのだがどうもいいのが浮かばない。少なくともMTSHの頭文字はないだろうと思っているので、世間でも言われているように安の字が使われるAや文のB、最多使用の永のE、使いやすいKの字など考えられる。となると、ABEは「安倍」になるなぁ。まさか安倍から取って「安」の字は使わないと思うが・・(世間の反発を招きそう)。かきくけこが使えるKが第一本命ぐらいしか予想できない。

とりあえず発表前に書いとかないと・・。

発表された新元号は、

令和(れいわ)!

うーん、Rは考えにくかったなぁ。和の字は頻出文字で令の字は初めてじゃないか?初+頻出は予想されていたが・・当てた人は聞かないなぁ。今日の検索ワード第1位は「令和」で決まり!令の字はしばらく人名にも使われることだろう。事前にチッチに「お前に使われている字が使われる可能性もあるな」とつい昨夜言ったばかりでその点は当たっていたが、令の字は考えなかった。

さっそく私も官房長官の真似をして新元号を掲げてみよう。

菅官房長官が「新しい元号は『令和』であります」と言う直前、額縁を受け取った時に隙間から字が見えた。特にTV朝日のでは一瞬ではっきりとは分からないまでも後から写真を見直すと「令和」ってちゃんと読める。この瞬間、何千万の人より少しだけ早く新元号を知った人がいるわけだ。

逆に私はNHKの放送で見ていたので発表直後に手話のワイプと重なってどんな字を書くのか見えずにイライラした。

おそらくNHK担当者が慌てて手話を消したが多くの視聴者がこれに反応した。「手話の枠に元号が被ったのは語り継がれる」「NHK、新元号がしばらく手話の枠で見えなかった」「新元号発表のときに手話のワイプと額縁被っちゃったの好き」などなど。まさに新元号「令和」フィーバーの1日だった。