2019年4月2日火曜日

リスペクトして令和

今日も新聞TVネットは「令和」の話題で持ちきりだった。太宰府で大伴旅人が梅を詠む会を催したと出典の万葉集にはあるそうで早くも縁(ゆかり)の神社には人が集まって来ているとか、ゴールデンボンバーは事前に制作していた曲に「令和」を当てはめるだけでレコーディングしネットで発表したりとか便乗商法とはいえ微笑ましい。

私はTVで菅義偉官房長官の発声を聞いた時、「明和であります」聞こえた。心の中で「明和?そんなはずはない」とつぶやいた。明和は江戸時代にある元号でしかも鹿児島市の団地の町名じゃないか。明和9年には江戸大火が起こり、発音から「迷惑年(めいわくねん)」といわれたと聞いている。直後に額縁が掲げられ「令和」と判明し「れいわ」「れいわだ」と周りともどもつぶやいた。いやー、昭和がついこの前だから「何々和」はないと思っていたがなぁ。

新聞、ネットによると元ネタはやはり元号の元ネタにも引用される中国の「文選」の「仲春月、時気清」を万葉集で「初春月、気淑風」と応用した(有り体に言えばパクった)ものらしい。作者は後漢の張衡(78年-139年)で作品は『歸田賦(帰田賦)』という有名な作品とのこと。この作品は後代に多大な影響を及ぼし「自然を前面に出し、人間や人間の思想に重きを置かない共通主題を共有する様々な形式の詩に対する数世紀にわたる熱狂の口火を切る助けとなった」とWikipediaに解説されている。中国の書聖、王羲之の代表作「蘭亭序(353年)」は「帰田賦」の影響を受けているとされ「是日也、天朗気清、恵風暢」の一文がある。これが名文、名歌を集めた「文選(もんぜん)」(550年頃)にも載り、早くから日本に入って来て、当然大伴旅人も読んでいたはずで、「初春月、気淑風」は明かにこれらの影響下にあるといえよう。

今回の元号選定にあたっては政府ができる限り国書からにとこだわったと伝え聞いている。しかしこれまで国書から選ばれなかったのは漢字で選ぶ以上元ネタがほとんど中国にあると分かっていたからで、今回のは和歌で言えば本歌どり、パクるという言葉が俗すぎるならリスペクトしたというのがいいだろう。そもそも、文学に限らず美術、音楽でもすべては先人の影響を受けないものはないと言ってもいい。原典が中国からだとか初の国書出典だとか声高に言う必要もない。

そうだ、「帰田賦」は後漢の永和3年(138年)、「蘭亭序」は東晋の永和9年(353年)でともに元号は「永和」が使われた。「永和」は日本でも南北朝時代の北朝が1375年ー1379年に使用している。「〜和」は漢字文化圏では使いたくなる言葉のようだ。そこに年号初の漢字「令」を当て「令和」にした。「命令」など命じるの意味だとか難癖付ける人もいるようだが「令」そのものは悪い意味とはいえない。「令嬢」「令息」の使われかたはいい意味だし「令月」も陰暦2月の異称で何事をするにもいい月の意味でもある。良いとか美しいの意味なのでなかなかいいんじゃない。それに会社名や土地名でほぼ全く使われていない(俗用されていない)というのも新鮮でいい。ほっとけば難癖付ける人もじきにいなくなるだろう。

「令和」は私と同学年にあたる皇太子のいずれ諡号となる。昭和で30年、平成で30年生きて来て人生の残り1/3はほぼこの令和とともに生きるのかぁ。いや、まだ長生きして令和の次の元号が何になるかは見届けたい。あくまで長生きにこだわりたい私であった。

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