2016年12月31日土曜日

大晦日は当直で、紅白はやや意外

大晦日だ。去年に続いてこの日が年末年始の当直に当たった。当直看護師はオイドリッチNsでこれも去年と同じ。去年は大忙しの当直で新年明けても午前4時までずっと救急対応に追われ、夜間はカッコNsが手伝ってくれたりシホねえNsが呼び出されたり、緊急手術、救急内視鏡があるわの大騒ぎだった。それにこてる日記への私自身のアクセスが出来なくなって非常にストレスまみれだった。

今年は去年ほどの慌ただしさはなくチマチマと軽症患者がやって来るパターンでわりに余裕があった。お昼にはカールが隣のイタリアンレストラン「ザ・ハート」にお節料理を受け取りに来たついでに病院に寄ってくれた。カールと顔見知りでもあるオイドリッチNsとスリーショットを撮るなど、救急でバタバタしていればとても出来ないことで温かくもありいい大晦日だ。

ただ夕食は今一だったなぁ。年越しそばのツユが少し冷めていて麺もごわごわだった。それにこれを一人医局で食べるというシチュエーションがよくない。後で聞くとカールとセージは美味しい信州そばを作って食べたという。うーん。診察の合間に紅白を見た。どっちかといえば「ガキ使」を見たいがあれは長いし後でビデオで見る予定だ。

紅白はAKBの時は気合いを入れた。すでに48人がネット投票で選ばれ1曲目の「RIVER(これは彼女らの曲に中で格好いい系の代表曲。ファンの間では特に人気がある。2009年秋発表で初動売上のみでAKB48の過去の全シングルの累積売上を抜き、この曲でAKBを好きになったファンを「RIVER新規」とか「川新規」とか言われていた)」を歌いダンスしたあと、上位のベスト16がカウントダウンされた。おおっと思ったのが12位に大家志津香が入ったこと。彼女は比較的古いメンバーでややおバカキャラ風のバラエティー番組に出るくらい、総選挙では一度も上位16位以内に入ることはなかった。次の11位が何と10位内常連でトップをうかがうはずの私の推しメン松井珠理奈!意外な低い位置でこのところのSKE低迷を象徴しているような・・。そして10位が元AKB現NMBの市川美織もやや驚き、9位はトップ3常連の柏木由紀がやや低い位置と、一人で1票のシステムだと順位が意外過ぎてAKBファンとしては実に面白い。しかし1位はまたあのゲロブス(指原をアンチはこう呼んでディスる)か・・と思っていたら2位、え?じゃー1位は・・何とNMBのエース山本彩(さやか)だった。メンバーも結果を知るのはこの時が初めてでさや姉(ねえ)はみるみるうるうる、驚きと動揺が表情にはっきり現れていた。

16名だけが歌う「君はメロディー」も鹿児島出身の宮脇咲良がセンターを務めた選曲で少し意外・・かな。この後はレセプト書きもありまた外来お呼ばれもあり、紅白の結果は全く知らずじまい。なんだか司会も演出もいつもと違う感じで他人事ながら視聴率は大丈夫かい?と思っていた。(後日、去年より少しよかったというこれまた意外な結果だった)

23時半にまた患者が来てバタバタしていると、とうとうカウントダウンの時になった。マイ電波時計を見ると23時59分40秒くらい。薬局で指示箋どおりに薬を探しているオイドリッチNsのところに行き、「ほら、10、9、8・・」とコールし始めた。彼女の手を止めさせ「3、2、1、おめでとう!」「おめでとうございます」と新年を互いに祝った。ちょっぴり忙しかったがカウントダウンを一人で過ごす羽目にならなかった、これだけはよかったわ。

ということで、新年明けましておめでとうございます、今年も「こてる日記」よろしく!

2016年12月30日金曜日

バージョンアップ

まさに年の瀬ということで休みの今日は掃除や洗車、さらにゲンちゃんをシャンプーでふきふきといつも出来ないことをしていった。ゲンちゃんはネコだからシャンプーが嫌いで逃げ回ったが年に数回の儀式ゆえに許されず、洗われたあとは乾かしのドライヤーも嫌がりまた逃げ回った。その後しばらく戸棚にじっとしていたのを見て確か1年前の今日も同じだったと思い出した。習性は変わらないネ。

で、今日思いきって行ったのがMacOSのバージョンアップだ。私のMacBookProは2つ前のバージョン「Yosemite」でその次はせずにいたが数ヶ月前にまた新しく「Sierra」にMacがアップしてきたのを受けてようやくその気になった。バージョンアップすると環境が変わり何かと不都合が起きるのでスライド発表や年賀状などせねばならい状況では自重していた。新年も来るし今日がそのタイミングだ。

Sierraにするとすぐに目に付くのが音声アシスタント機能「Siri」だろう。iPhoneなどでは以前からあったが今回のバージョンからMac本体でも使えるようになった。こいつに向かって質問すると人間の女性のように答えてくれる。音声認識が割に正確でパソコンの検索機能があるので入力が面倒な時には便利だ。またお遊びの相手にもなりロンリーボーイにはうれしい・・かも。ただ相変わらず「こてる先生って知っている?」と尋ねると「ホテル先生」としか認識してくれず「ホテルがたくさん見つかりました・・ここから少し離れたところにあります」と「城山観光ホテル」など紹介してくる。まだまだ認知度が低いな「こてる先生」。

この他、Macに付随するワープロソフト、写真管理ソフトなどもバージョンアップした。私がよく使う「写真」も新しくなり人物検索も少し変わっていた。ただいくつか以前の方が面倒がなかったところもありこの辺りがバージョンアップの面倒なところでもある。慣れさせられるんだパソコン側に。で、これからしばらくパソコンにいらいらする日々が続きそう。

2016年12月29日木曜日

仕事納め

今日が青雲会病院の仕事納めで半日業務だ。ただ例年何か緊急内視鏡が入ったりして午後の仕事納めの会には遅刻、下手すりゃ参加できなかったこともあった。今回は非常勤のカレントDrが来る日だった上に臨時の内視鏡もなくて助かった。途中、可愛いんだ理事長と外来のホントだ師長、人間ドックのイワミスズNsらと胃カメラの数制限について話し合う機会もあり、これまで人間ドックの利用者数は毎年増えてきたが胃カメラを日に25人までから20人までに減らすことになった。内視鏡室の負担を減らすためではあるが、これは結構大きな決断だ。これで来年は人間ドック全体の利用者数が減るのは確実だろう。DrやNsなど職員の負担が大きかったし、来年からブックリバーDrもいなくなることを考えれば致し方ないとのことではあるが・・。

午後の会では理事長挨拶のあと恒例の愛甲先生の1年の青雲会のまとめスライドがあった。その最後はKKB「かごとき」の場面で、愛甲先生もいる中でMCのよし俣とよしげ、山下智子アナらが「青雲会病院のみなさ〜ん」と呼び掛けてきた。特別に青雲会へ向けて撮影編集されたビデオだった。よし俣さんの人間ドック受診時に撮影された様子でTV放映されなかったところも出てきた。愛甲先生はTV出演のギャラは実は全くなく、交通費のみとのことだ。その代わりに青雲会病院には感謝してまーすってことか。

50分ほどで終わったところで締めに「こてる先生お願いします」と言われ一本締めを私がした。去年は愛甲先生の講話を「長々と・・」と言ってしまいみんなに笑われたが、そこは注意してどうにか無事に終えた。

「ということで皆さんお疲れさまでした。来年また笑顔でお目にかかりましょう」パチパチ。

2016年12月28日水曜日

このままでは倒れる人がー

今日は午後休みのはずだが、今月の内視鏡検査攻勢がすさまじく、何やかにやで病院を出たのは15時半だった。まったく休みとは言えないぜ。忙しさのあまりこんなことでは倒れる人が出てくるとはよく人は言うが、実際今日の午前に内視鏡室でバタッ!と誰かが倒れる音がし、見れば内視鏡室助手のスタッケイ君が冷や汗かいて倒れているじゃないの。みんなで隣の点滴室に連れて行き私が診察した。血圧は低くはなく逆に高いくらい。糖尿病をもっているので血糖値調べるも正常で体温も正常。彼は朝早く回復期病棟の仕事をしてから内視鏡室にやって来る。「疲労」・・そう私は診断した。

現在、人間ドックから日に最高25人まで胃カメラが入って来る。これに外来病棟や二次検診の胃カメラが加わって今月はいつも30人前後もの検査がありみんな疲労気味だ。ムッちゃんNsが言うように、今後はドックの25人上限を減らす必要があるかもしれない。

夜、NHK番組でお札工場潜入をやっていた。爆笑問題の二人が狂言回しとしてお札にまつわるエトセトラを紹介していく内容だった。例えば今の千円札の裏側の桜の花びらにちょっとした秘密があるのは私は初めて知った。偽札との鑑別目的だろうがなんだかお遊びにも思える。そう、キリンビールの麒麟マークに「キ」「リ」「ン」が隠されているのと同じだ。

番組では紹介されなかったが表側にも同じような隠し文字があるそうだ。さらに他の五千円、一万円札にも表裏すべて「ニ」「ホ」「ン」の文字がどこかにか隠されているとのこと。肉眼で判別は厳しいが興味ある人は探してみてはー。

2016年12月27日火曜日

セージ、「サイコ」におびえる

そのまま床寝した私は夢うつつの状態で明け方にゲンちゃんが近寄っては私にからむのが何となく分かっていた。そのうち、ゲンちゃんは私の口の中に舌を入れてはぐずりだし気持ち悪いと思いつつも私は抵抗できずにいると、しまいには饅頭くらいの大きさのウンコを顔に乗せやがった・・うわーっと手を顔にやるとウンコなど何にもない、どうもキスから後は夢だったようだ、ふー、よかった。(やっぱりちゃんと布団で寝なきゃ)

夕方、ブックリバーDrに送別花束贈呈が外来であった。彼は1月から鹿児島市内のクリニックを継承することになっていて青雲会病院勤務も今月いっぱいだった。外来看護師ではニシマキNsが彼のファンを公言しており当然贈呈やツーショット撮影もされていた。これを見てみんなにこやか。

帰り際、スリウェル、アンドキサ両MRが医局に年末の挨拶に来ていた。先週はボウリングの投げ納めができなくて残念だったねと話すとそこであった面白エピソードを語ること。30分以上も興味深い話しを聞き確かに飽くことがなかった。言えるのは誰もがうらやむものを持っていてもそれが本人には必ずしもうれしいことではないという皮肉さだ。プライベートな内容になるので詳しく書けないのがとても残念。

日付も変わったころ、セージが「英国王のスピーチ」をビデオ録画していた。すでに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見終わった後で、昨日に引き続き「なにか名作映画はないかなと思ってさー」と探っていたらしい。「英国王ー」は5、6年前のアカデミー賞作品だがちょっと渋すぎる。そんなら私のストックしている中から何か見たらいい、とヒッチコックの「サイコ」を勧めた。超有名作品で早めに観た方がいい作品の代表だ。サスペンス映画の基本、教科書的な作品であるしいわゆるネタバレを先に知ってしまうのを防ぐ意味もあった。それに実はサイコは結末が分かっていても面白い。本当の名作なのだ。ヒッチコック作品を全部見ている私がいうのだから間違いない。

未明になっていても明日も何も予定がないセージは見始めた。女主人公(ジャネット・リー)が大金を盗んで車で逃避行するのをサングラスの警官が怪しむ。緊張の中、田舎のモーテルへ休息のため降りる。そして・・。私の方がまた見続けしまった。ラストになってふと横を見るとセージはグースカ眠りこけている。アイタ。おい、セージ。起こして寝たところから再び続きを見せた。今度は寝ない。そしていよいよクライマックスのシーン。主人公の妹(ヴェラ・マイルズ)が屋敷の地下室に入ろうとする。ここは観客の誰もが「おい、そこには近づくな!逃げろ!」と言いたくなり、とってもスリル&サスペンスが高まるシーンだ。私は背後からこっそり動画を撮った。案の定、セージも「チョー怖え・・」とつぶやいていたわ。ハハ。(↓に動画を張ったのだけれど容量オーバーなのか表示されないようです。解決策は自分ではまだ解決出来ず・・)

この後、一気に種明かしがありラストシーンの車が引き上げられるところで映画は終わる。うーん、無駄がなく、観客の心理を巧みにリードし不安、恐怖を盛り上げ、人間の不可解さの余韻も残し面白かったーと言わせる。ヒッチコックは監督として一度もアカデミー賞を取れなかった。これはアカデミー賞が映画の技巧よりも作品性を重んじる傾向があって職人と思われていたヒッチはどうしても取れなかった。「サイコ」は1961年の監督賞にノミネートはされるのだけど「アパートの鍵貸します」のビリー・ワイルダーが取りまたしてもだめだった。「アパートー」もいい映画だけどその後の映画界に与えた影響は「サイコ」の比ではない。映画に限らず芸術作品の価値は時間が決めるのだとつくづく思うネ。

2016年12月26日月曜日

セージと名作映画を語り始める

さあ、年末になっても病院は忙しい。特に内視鏡、なぜか姶良市の大腸、胃の検診結果が1ヶ月くらい前から住民に届いたようでようー来る。これに人間ドックが加わり胃カメラ30人、大腸5、6件が毎日だ。で、今日は恒例(?)の大腸憩室出血患者も来てご飯を摂るヒマもないくらい。帰宅出来たのは20時を過ぎていた。セージが久しぶりに帰郷していて海鮮鍋の料理だった。

SMAPが今年までで解散、看板番組のSMAP×SMAPも最後とあって長時間放送で、それを見ていていつしか床寝ダウンし、ラスト歌唱「世界に一つだけの花」は聴けずじまいだった。まったくしまらないなあ。寝たり起きたりが続き、午前何時だったかセージも起きていて映画の話しになり、「ゴッドファーザーをさあ、月に1回は観ている」とのこと。そうか、何年か前に家のビデオでみせたことがあってそれ以来お気に入りになったようだ。ゴッドファーザーはすごい映画で今観ても全く古びていないし、画面の持つ力がすごくてすぐに引き込まれてしまう。何なんだろうあれは。今度正月明けたばかりのNHKBSで一気にパート3まで9時間連続放送があるという。観たことがない人はこの際ぜひ観て欲しい。お勧めの映画だ。

セージとは子どもらの中で一番趣味が合わないと思っていた。せいぜい囲碁を少しやっていたくらいでそれも今はやめている。そうか、現代映画でなくいわゆる名作映画好きとのことでそれは話しが合いそう。すでに眠いので明日またな。

2016年12月25日日曜日

チャタンヤラクーサンクー

昨日頑張り過ぎたせいの反動で今日は気合いが入らない。住所プリントもなかなか始められずにだらだらと過ごした。録りだめビデオを消化する。で、先週NHKで放送された全日本空手選手権録画を見た。

空手って実戦形式の試合と型の演武の出来映えを競う2種類があるんだ。その演武がスケートの採点と柔道の判定勝負みたいな試合形式で5人の審判員が2人どっちが良かったか旗を挙げて決着がつく。決勝は男女ともにこのところ連勝している選手が優勝した。面白いのは同じ型を演武するのではなく得意な型をそれぞれ選択して争うこと。男子優勝の喜友名(きゆな)諒は「アーナン(安南)」という型を最初に大声で宣言してから演武に入った。女子優勝の清水希容(きよう)は何て言ったのかさっぱり分からなかった。しかし画面には「チャタンヤラクーサンクー」と出ている。なに?全く意味不明な言葉だ。語感からして沖縄の言葉と思われ出だしは「北谷(ちゃたん)」のことか。調べてみた。「北谷屋良公相君」のことでこれを沖縄方言で言えばそうなる。北谷の屋良氏の演じる空手の型といった意味だ。四方を敵に囲まれた状態での戦う時の型とのこと。沖縄では空手のことをクーサンクー(公相君)ということもあるくらいよく使われる言葉らしい。解説をしていた宇佐美里香さんがパリで行われた世界選手権で優勝したときもこの型でこれはYouTubeでも見ることができる。外国人が空手を知らずとも拍手喝采するほどの出来映えだった。今日の清水選手より素晴らしくないかい?
https://www.youtube.com/watch?v=KTpM0d6lr4Aは削除されていたので
→でどうぞhttps://www.youtube.com/watch?v=YTQW6Mf-ao0

夕方から病院へ。今月4度目の当直だった。どうにかここで住所印刷を仕上げた。ふうーっ。

2016年12月24日土曜日

年賀状作りにこもる

休みの土曜、この日だけは何にも予定を入れておらず家にこもりっきりで年賀状を作っていた。どのようなデザインで行くかはようやく昨日で決めてあとは作るだけになった。考えたわりにはさえないものだったがここに至ってはどうのこうの言っておられない。

さっそくフォトショップを立ち上げ、まずは下半分のパーフェクト画像を作った。上半分はチッチのスーツ姿にカールの昨日の結婚式での正装、そしてここが今回のキモ、真ん中にゲンちゃんのスーツ姿コラージュだ。ネットでスリムな男性スーツ姿をコピーし頭と両手をゲンちゃんにすり替えた。ゲンちゃんの頭部切り抜きがやや面倒で明度を上げる必要もあった。どうにかサンプルを作ってカールに見せると笑ってくれたのでこれでよし。あと家族全員を載せるのが私が作った決まりだからテルとセージを左脇にくりぬき画像を配置してみた。しかしこれはカールが「欠席児童の写真みたい。バランスも悪いし二人はいらないんじゃない」とばっさりだ。うーむ、確かにそうだが二人を外すのはどうにもしのびなくちっちゃくして下のパーフェクト画像に入れ込んだ。気がつかないかもしれない。それでも家族全員を入れる、ボウリングをネタにする、ゲンちゃんを入れるというこれまでの原則を守れて私は満足だった。

ここでふるさと納税で購入したプリンターでプリントをしこれもまあまあの仕上がりで130枚刷りきった。しかしフォトショップに時間掛かりすぎ終わったのは翌日明け方、住所印刷は後回しでグースカ寝てしまった。

2016年12月23日金曜日

アサちゃん結婚披露宴

弟ヒラーキの長女アサちゃんの結婚式へカールと出席した。会場は谷山のグレイスヒル・オーシャンテラスという今風の専用式場だ。たどり着いて入ってみると会場はもう若者の熱気でいっぱい。新郎新婦とも同じ卒業生同士の歯科医で出席者の半数以上が同期生だ。親族が少ないのは最近どこも同じで建前でなく本音婚が主流になっている。さらにスライド、音響、照明を駆使しエンターテインメント性を前面に出すのも当然になっている。その中ににぎやか一辺倒でなく両親への感謝をスライドとアサちゃんの肉声コメントで流すなどしんみり系の演出もぬかりはない。カールなんか、コメントが出る前に「チエコンさん泣くわよ」と微笑んでいたが終わる頃には自分がもらい泣きしていたヨ。そうそう、主賓挨拶の歯学部教授は挨拶の合間合間に手品を見せてくれこれはなかなか新鮮で楽しかった。

アサちゃんと新郎のビッグストン君とは軽音楽部で知り合ったとかで後半には自らバンド演奏を披露していた。新郎はギター、アサちゃんはトランペット。もう余興も自ら行うなど昔の披露宴とは感覚が違う。4人姉妹弟が並んで衣替えに付きそうのも良かったし、サイリウムをみんなで振って花嫁を迎えるのも今風。それでいてほとんど違和感を感じないのは私たちもそういう時代の流れをくみとっているんだ。いや、いい結婚式だった。うむ、人ごとのように思っていたけれど数年後、5年後、10年後くらいまでには私たち家族も関わることになるだろう・・ネ。

帰りはカールといっしょ・・のはずが、どうしても串木野トリオリーグに参加せざるを得なくカールはバスで私は車で串木野へ向かった。トリオリーグのサンシさん、難ガターさんが全くの初めての参加で私が付き添わねばならなかったのだ。出だし難ガターさんのダブルから始まりいい感じでアベもそんなに悪くなかったが、結果は1勝5敗と芳しくなかった。ハイフレーム方式では相手のハンディ差も大きく我々はハンディ0なのでやっぱり苦しい。でも今日で二人とも慣れたので今度来てくれた時はきっと爆発してくれるだろう。

2016年12月22日木曜日

忘年会の後は即帰り

今日は青雲会病院の忘年会だった。昼間過ごし安病院のサブアラドDrから電話で「今日はうちも(忘年会)だよ」と聞き、「会場はホテル?」と尋ねると「おう、高千穂のロイヤルホテルでな」というので「さすがはホテルですか」と感心すると「こてる先生んところはどこで?」と聞かれ「城山(観光ホテル)です」と言って、あっと思った。何だこっちもホテルじゃん。しかも「会場はエメラルドホールで」ということは鹿児島のホテルで一番大きくていいところでやるわけで、なんだか皮肉を言ったようになった。いや、全くそんな気はなかったのよ。隣の芝生は青く感じるというか・・。

今回の忘年会は今年出来た青雲会病院の歌「心ひとつに」が完成したのを記念して各部署がそれを元に歌、ダンスを工夫して披露することになった。5つに分かれ順位も決めるとのことで、以前からある余興競争の趣きもあった。私も参加をあちこちから誘われたが全部断った。写真やビデオを撮りたいからだ。今回は外来・ドックなどのチームと老健の青雲荘が1位タイだった。審査する8人が1位と思うチームに投票するだけなので同点が起きやすくそこは点数化したほうが良かった。来年は要改訂だな。ま、ともかくも、昔みたくあまりにも余興に力が入りすぎずそこそこ楽しめばいいってことだ。

明日は休みなんだけど年賀状もあるので二次会などには出ず、タクシーで直接帰宅した。待っている間、川内のビッグオーシャンクリニック理事長のビッグウエストDrや先週も「並み人生会」でいっしょだった同期のアップリバDrとも会った。そういえば出水のスチョルDrも鹿児島で忘年会するから来ないかと誘ってくれた(ダブったのでお断りせざるをなかった)。医療機関は今夜が忘年会というところが多かったようだ。そのせいか、タクシー待ちも長かったし、後で医局の山の神さんなんか「城山の下に降りるまで30分くらいかかった」と愚痴るくらい人出が多かったらしい。3号線や10号線へ降りる車がそんなに混んでいたとは知らなかった。私はというと、北側の真っ暗な裏抜け道からだったのですいすい。カールに「あら、早かったわね」と言われた。「年賀状があるから・・」とはこのところの毎回の言い訳だ。でも結局、またまたそのまま寝てしまっていたのだった。(いったい、いつになったら取りかかれるんだ、年賀状!)

2016年12月21日水曜日

打ち納め投げ納めより書き始めなくては

昨日は今月3回目の当直。そんなに忙しかったわけではないがやはり疲れる。TVではBSアナザーストーリー「“冬のソナタ”が起こした奇跡 韓流ブームの発火点」を見られたのはよかった。ただ私は例によって強く関心を持ったものに対しては徹底的に調べつくす習性があり関連本はほとんど読んでいて今回紹介された「ストーリー」はだいたい知っていた。ただ、冬ソナが出来る数年前に金大中大統領が日韓の文化交流開放に力を尽くしたことがベースになっているという指摘はなるほどと思った。一本のドラマが文化の壁を越えたというまさに奇跡のような出来事で引退した金大中も喜んでいたという。

夕方は感染症委員会で七五調病院へ出かけた。過ごし安病院からサブアラドDrも参加していて、終わってから「打ち納め麻雀をいつにする?」と言われ1週間後の29日あたりに計画した。24日の土曜も丸々空いてはいるのだがそこは年賀状書きにあてる予定なんだ。明日は病院の忘年会で明後日は姪のアサちゃんの結婚式があり年賀状作りは遅れに遅れている。実は今夜はスリウェル、アンドキサ両MRから「投げ納めボウリング練習」をしましょうよと言われたが年賀状のために断っていた。今度こそ手を着けねば・・とパーフェクト達成画像だけは貼り付けてみたが、肝心のコラージュアイデアは煮詰めることが出来ず、グースカ寝てしまったのだった。

2016年12月20日火曜日

色覚異常と差別

朝の医局会で眼科「気功の若」Drがミニレクチャーをした。テーマは「色覚異常」。

(年賀状はすべて書き終えた。後は出すだけ。でももう明け方・・セージが帰郷していて深夜、TVで何か映画を観たいというのでヒッチコックの「サイコ」を勧めた。今見ている。さっき私立探偵が殺された。ここから真相解明に向けて展開が急になりサスペンスが高まって行く・・)

これまで眼科Drのレクチャーテーマは白内障や糖尿病性網膜症、緑内障など他科Drにとっても身近で一般的な内容が多かったが気功の若Drも敢えて珍しいテーマを選んだ。そもそも色覚異常は先天性(遺伝性)のもので基本的に治らない病気で日本人の男性の約5%、女子は約0.2%が色覚異常者だ。特に男性の5%は非常に多いといえる。赤と緑の区別がしづらいが全く分からないほどではなく一般的な職業には就くことができる。実は色覚異常の問題は治療よりも異常者が必要以上に社会での差別を受けたことにあった。だから2003年以降色覚検査は行われなくなっている。日本の石原先生という人が戦前識別検査を作り、これが簡便で感度が高いことから学校などで検査されたはいいが、戦前の色盲は兵役不合格という制度から不当に差別の対象になりがちで戦後社会でもその風潮が続いていた。石原式の検査表の前説に色盲だといかに怖いことになるかの事例が紹介されてあり読めば背筋が寒くなるような書き方だった。これじゃー差別助長されるわけだ。

私の回りでもそうだった。30年くらい前、親戚のおじさんが自分が「色盲だから長男もそうなんだ」とすごく気にしていたのを聞いたことがある。でもそこは医学部卒業の端くれ、「父親が色盲の場合男子には遺伝しないんですよ」と教えてやった。実は男子の色盲遺伝子はほぼ100%母親から受け継ぐからである。色覚異常遺伝子は性染色体XとYのうちXに乗っかっている。男子の性遺伝子の組み合わせはご存じXYだ。これがxY(xは色覚異常遺伝子が乗っかっている性染色体とする)だと色覚異常が発症する。とろこが女子はXXはもちろん発症しないがXxやxXでも発症しない。xxの時のみ発症しその組み合わせは珍しいため0.2%の発症率にとどまるのだ。で、男子は必ず父親からY遺伝子を母親からX遺伝子(もしくはx遺伝子)を受け継ぐ。だから母親からの遺伝なのである。その親戚のケースはたまたま奥さんが保因者(Xx)だったため長男に遺伝したのは間違いない。

このほか、結婚に際し色盲かそうでないかが判断の基準になるという話しも聞いた。男子の5%といえば結構な数の人口になる。それがこんなことで結婚を断ったりするなんて馬鹿らしい。気功の若Drのスライドでも「遺伝の異常というのは実はこの他にも誰もが持っているもので色覚異常がない夫婦でも異常が出る場合もある。社会全体が色覚異常について正しく理解する必要がある」と結んでいた。例えれば背が高いか低いか、二重か一重かくらいの差なのだ。今では色覚異常で就けない職業は航空管制官、パイロット、電車運転士くらいで警察、消防、海上保安官、自衛官などはごく強度の異常のみ不可となるくらいだ。医師も問題ない。会が終わって某Drが「実は自分もある」というようなことを語っていた。

ただ、検査なしから10年以上が経過し自分が色覚異常と知らずに就職の際に問題になる場合が出てきているらしい。要は差別につながらないようにすれば検査はどんどんやっていいのだ。基本的に知らなくてもいい血液型(輸血するとき、されるときにに本人がいくら自分はXX型だと言っても医療機関は必ずきちんと検査するから。ちなみにこのブログで私は血液型性格占いにきっぱり反対する立場を貫いている)ですらみんな知るように色覚も自分の個性として知っておけばいいと思う。

気功の若Drの机は私の隣である。会終了後「先生は横溝正史は読んだことがありますか」と尋ねた。返事は「いいえ」。うーむ、やはりそうか。彼は私より20才は若く、かつての横溝正史ブームは知らない。「いや、横溝正史の長編作品に色盲を扱ったのがありましてね。金田一耕助が『XXは色盲かぁー』って言い放った瞬間にXXが犯人って判明するんです」と教えてやった。力作なのだが知る限り映像化されたとは聞いていない。多分に色盲に対する差別的ニュアンスがあったからじゃないか?そんな気がするのだ。正史には当時の風潮や風俗が描かれるので差別的表現がままある。現在の出版にあたっては出版社がそこに一部修正したとか、もしくはそのまま載せてあるなどの断りが書かれるようになった。それは仕方ないことではあった。

2016年12月19日月曜日

「鏡は横にひび割れて」

昨日、ふるさと納税からCanonのプリンターが届いた。え、3週間以上かかるって聞いていたが1週間で来た。「早く年賀状作って印刷しなさいってことじゃない」とカールの言に「そうかもな」とぽつり。しかし全く出来ておらずあせりといらつきがある。今週中にはなんとかしなければ・・。

と思いつつも、「鏡は横にひび割れて」はいよいよ犯人が判明しそうになる残り50ページくらいになれば読むなというのは酷なもの。夜も白々となり本来は眠りこけるころ一気に読み終えた。犯人はきっとこの人だろうと思いつつも事件の状況からどうしてもそうとは思われない設定になっている。いきなり〇〇〇の人を殺そうと思い立つものだろうか。結末が明かされれば納得がいく。そう、このミステリーは犯人の動機に焦点がある。うまくぼかされているがいるがこれには医師として気付くべきものでもあった。小粒な作品ではあるけれどクリスティー晩年のころ(1962年)の作品としてはなかなかの出来で後にスター級の俳優女優を集めて映画化(「クリスタル殺人事件」1980年)されただけのことはある。

ちなみに私は間違って2回もこの文庫本を買ってしまっていた。最初10ページくらい読み始めて長らく中断し購入していたことを失念していた。本の走り書きに’90.10.23(火)とあった。今日が’16.12.19(月)で何と26年かけて読み終えたことになる。そのころは結婚はしていたが子どもは誰もいなかった。本の値段は460円から800円にもなっていてすごい上昇ぶり。ただ活字が大きくなり読みやすくはなった。昔のは今からみるとえらく小さい。こんなに読みにくいのに当時はそれほど気にせず読んでいたのか。四半世紀という時の流れを感じることであった。

さあさあ、年賀状だ。今回はパーフェクト達成をみんなにお知らせすることは決めている。そのデザインはスライドで発表したものを流用する。問題は家族とゲンちゃんを交えたコラージュだ。去年はスカイダイビング・・今年はどうしよう。そう思っているうちにまた眠りこけてしまっていた・・。

2016年12月18日日曜日

鹿島vsレアルマドリード

いやぁ〜、素晴らしかった。一時でも2ー1とリードさえしたんだから驚きだった。最初、レアルが簡単に点を取った時、これは何点差で負けるんだろうと心配したのは全くの杞憂で、鹿島の選手のメンタル、技術は簡単にはぶれることはなかった。思えば、12月4日浦和との最後の試合と似たような展開で後半の柴崎の逆転ゴールがもっと遅かったらあのまま逃げ切ったかもしれない。延長戦になった時点でさすがにレアルの、C・ロナウドの攻撃は抑えきれなかったがそこは仕方ない。

今回のクラブW杯で鹿島はその存在を世界に知らしめたといっていいだろう。またJリーグのチャンピオンが浦和でなく鹿島だったことに意義を唱えることもなくなった。なんか日本人らしくないスピリットを持ったチームだ。Jリーグのタイトル獲得記録を持っているのはダテじゃない。

年賀状を作らねばならないというのになかなかアイデアが浮かんでこずだらだらと過ごしてしまった。読みかけだったアガサ・クリスティーの「鏡は横にひび割れて」が佳境に入りそのまま読み続けたりして・・。ああ、また睡眠不足だわー。

2016年12月17日土曜日

「並みの人生では満足できない人の会」に満足する

先月、同期のしんどかどDrから『並みの人生では満足できない人の会』をまた開くことになったぜひご参加をと誘われ即OKした。同期のオッキー、アップリバ、おおそうかDrも参加するという。さつま川内にあるしんどかど整形外科と関わりのある方々が招待されるパーティ(食事&飲み会)で、以前2回ほど招待されたことのある会だ。3年前が最後かと思ったら4年前でそれ以来開かれておらず今度が第6回とのことだった。なんだ、最近は招待されないんだと思っていたヨ。

中央駅にカールに送ってもらう途中でアイスクリーム屋の「さわってワン」に寄り、今回はアイス16個をお土産にした。前2回は新幹線の中で歯科医のタニグー君とばったり会ったりしたが今回は誰とも会わず、と思ったら川内駅でおおそうか、オッキー両君といっしょでしんどかど整形の職員らがお迎えに来ていて歓迎車でクリニックに向かった。会場は今年増築した職員研修棟1階で、聞けば職員が130名ほどにもなり今回の参加者も約50名で以前の会場は手狭になったからだという。開業20年目を迎え発展し続けているのは目出たくも凄いことだ。

会は、クリニックの沿革がスライドで紹介された後、しんどかど理事長自らが招待客、参加スタッフをマイクで紹介していく。まずはカーオーディオ専門業「ブロードウェイ」の茄子社長から始まり時計業の「湯内鉄度」、住・空間研究所「善太いる」、イタリア家具「お菓子いな」ほかカーディーラー、放送局の長が付くなど多彩かつ「並み」でない方々、そして何々病院の長が付く方々が次々に紹介されていった。鹿児島は吉野でクリニックをしている同期のアップリバDrは少し遅れてやって来た。私の隣に座り「午後6時までだった」と当直Drが来るまで外来診療をしていたとは理事長先生も楽じゃない。

その後、的確、かつユーモラスにしんどかどDrの紹介スピーチが続き私たちのテーブルに来たので構えているとなぜか私は飛ばされた。あれ・・。過去2回、いずれも私が最後に紹介されもしやと思ったがやはりそうだった。しかもまたスライド付きだった。「こてる先生は麻雀やボウリングが得意で」「胃や大腸疾患のオーソリティ(これは大げさすぎっ)でして」などまさに恐縮ものの紹介で「そこでXX君、こてる先生にボウリングで何か質問はないかな」と指名すると、職員XX君は「私は最高で130点くらいなんですけど先生は最高いくらですか」とどんぴしゃの質問をしてきた。これはヤラセ(笑)。「300点です」に「ほうー」と想定通りのリアクションがあった。さらにこの「こてる日記ブログ」を紹介してきた。言われるように16年うまずたゆまず続けてきたので読み始めれば膨大なものになる。以前書いた「並みの人生・・会」の時の一文をまた紹介した後、最後は「一人大腸内視鏡」で締めてくれた。ああ、やっぱりそこは言っちゃうよねぇ。(^^")

終わってそのまま私が乾杯の音頭を取って会食が始まった。刺身、しゃぶしゃぶ、ビール、ワインと何でもあり、昨夜に続き今夜も少し飲んだ。ま、グラス1杯程度は大丈夫だ。時計業の良し時さんが着けていた時計を見せてもらうとこれがアポロ11号を溶かした金属を一部使い月の砂を文字盤にまぶした代物(ロマン・ジェローム)だった。
なるほど単にデザインがどうのこうのでなく物にストーリー性があると買う動機も出てくる。値段は聞かなかったが私が買うのときっと1桁は違うはずだ。10万の時計にも買うかどうか悩む私には無縁の物やね。
近くに座っていた先代反省会病院の蟻怒目Drが一人内視鏡について質問してきた。胃もやったことあるかには「ある」と答えざるを得ない。「実は観察まではせず試しに入れてみただけだ」と弁明するもこれには呆れたようで「こいつは変態だ」と思ったかも(^^")。また近くにはあれま三浪Drもいた。彼は4年前のこの会の直前に貧血を起こして来られなかった。ヘモグロビンが極端に低という情報を聞いて心配したものだ。結果は特に悪いものはなく鉄剤補充でその後回復したという。元気そうでなによりだった。

余興はこれまでは利き酒などだったが今回はパソコンとスライドを駆使し30秒での画像変化を指摘するゲームと競馬ゲームだった。映像変化はゆっくり画面の一部が変わっていくのでなかなか指摘するのが難しい。しかし3問のうち最初の1問は当てることが出来、賞金千円ゲットできた。2問目は中央の建物の変化だろうと見当はついたがじっと見ていても変化は分からない、正解は高さが少しずつ上がっていくだった。競馬ゲームは実際にあったレース映像を流す前に予想データが渡されそこに馬のマスクを被ったしんどかど先生が予想屋よろしくヒントを出すという趣向だった。
1レース目は本命対抗予想そのままの結果、2レース目はこの馬に注目と言われたのでそれと本命の組み合わせと予想を立てたが・・残念、複式なら当たりも連勝単式ではずれだった。結局3レースともはずれでこの手のギャンブルには縁がないと悟ったわ。

このあと二次会もセッティングされていて、隣がガレージ風居酒屋になってクリニック職員らがカクテルを作り、もてなしてくれた。部屋の雰囲気は車、ラジコン、時計、お酒、家具などしんどかどDrの趣味が大いに反映されている。実際にポルシェもあっておおそうかDrが「これは〇千〇百万かぁ」と感嘆していた。オッキー教授はなぜかカウンターの内側に入り女性職員と打ち解けてお話しをしている。さすが女性の扱いには慣れていらっしゃる。ここで和服がひときわ目立っていた裏千家の師匠のイケマミさんが私に話しかけてきた。「こてる先生とは3月のヒラメグDrの結婚式でお目にかかっています」だって。なんとヒラメグDrや青雲会病院のワーコ、フーコさんの知り合いでもあった。いやこれは、もしかするとまた別の場所で会えるかもですネ。(↓私とポルシェとおおそうかDr)

まだまだ堪能したい気分だったけれど新幹線の最終便も迫っており23時前にはお開きになった。帰りの新幹線を待つ間、おおそうかDrが「いやー、お持てなしの極地でしたねー」と漏らしていた。私も同感であった。謝謝、しんどかど大先生、≦(._.)≧。

2016年12月16日金曜日

二次会はユカイなひととき

青雲会病院内視鏡室の忘年会が鹿児島市のヤイノユという店であった。Drは私、クニンダ、ブックリバーの3人、Nsがムッちゃん、シホねえ、服緑、佳及、湖西に9月から入った五月鍋さん、そして業者から会いたかさんが来た。ただ、もともと体調が悪かったクニンダDr、料理もそこそこに30分ほどで退散する羽目になった。子どもから何か感染菌をもらったかな?「オヤまあ大丈夫ですかぁ」と声を掛けるも女性陣はその後盛り上がりっぱなしで特にシホねえ、湖西種実Nsはやる気満々。二次会も当然行く行くでブックリバーDr提案のサザンが聴ける店「ウィッキー」に入った。ここでちょっとしたサプライズ。マスターのサザン生演奏は少し置いておいて、ステージ前で誰かのインタビューがあるという。それとタバコNGとのこと。会いたかさん以外は誰も吸わないのでそれはOK。

しばし雑談をしていると、なんとダイヤモンドユカイが入って来たじゃないの。一目で彼と分かる。彼がタバコの煙はダメと頼んだんだな。いっしょに来たのは鹿児島のホスト出身の歌手Ryujiで、初めて見るが「甲突川」という曲で以前デビューしたのは聞いたことがあった。吉俣良の曲も歌っていてそれで知ったんだ。いったい何をしに、もしかしてステージで歌うのかと期待もしたがTV番組で二人のトークを収録しに来たみたい。カメラマンが二人のトークを撮影していて、私たちは普通に会話してもOK、その雑音もいわゆる背景の一つということのようだ。↓の写真。目が隠されていてあれが本当のダイヤモンドユカイか・・は皆さんの判断に任せる。

トーク終わって二人はMBCのてげてげポーズを取っていた。あはー、「てげてげ」の収録だったのか。スタッフに聞けば1月18日放送分らしい。そうそう、明日ダイヤモンドユカイはミュージカル「ミスサイゴン」に出演するんだ。明後日が市村正親でそっちは売り切れだといっていた。実績とこれで見納めだから当然だろう。ユカイも明日の出演もあるし演奏の依頼もあったがやんわり断られたとマスターの言。看護師二人はユカイの帰りがけにちゃっかり握手してもらっていた。おい、ミーハー!で、マスターはこのあとサザンのリクエストに応え3曲歌ってくれた。私たちからはブックリバーDrリクエストの「ピースとハイライト」を披露した。ブックリバーDrが好きらしいがしぶいねえ。

私は明日も勤務ゆえにここでお別れ。看護師二人はここで帰るもんですかと三次会レッツゴー!だってさ。ブックリバー、会いたかさんらと日付が変わろうとする天文館へそそくさと消えていった。

帰宅後、二次会の店の話をカールにすると、「あ、その店昔行ったことある」「あのマスターの家は御近所よ」「あの家の車が家の前を通りがかってチッチが石投げたんで謝ったことがあったわ」などなど出てくる出てくる。石投げ事件はチーがまだ幼稚園に行く前くらいのことで「もう買い換える前だから」と奥さんが許してくれたという。いやはやいろんなところに縁はあるもんだー。

2016年12月15日木曜日

小里貞利氏、死去

小里貞利、元衆議院議員が亡くなったという。86才、肝不全だったという。TV、新聞、ネットでそれぞれトップニュースになるくらいだから鹿児島県出身の政治家としてはなかなかのものだ。小里さんといえば九州新幹線建設の功労者として「ミスター新幹線」ともいわれ鹿児島中央駅の西口には胸像もある。
新幹線ばかりでなく阪神大震災時は当時の村山首相から地震対策担当相に任命差され復興支援にあたりその功績は高く評価されている。

産経新聞によると、
「震災発生から3日後だった。すぐに現地へ飛んだ。未曽有の災害を目の当たりにして、「これは命がけでやらないといかん」と身震いしたという。村山富市首相に「超法規でもやりますよ」と言うと、「人事も予算も任せる」と全権を委任された。▼まず手を付けなければならないのは、がれきの処理だった。公費負担を即決し、森林法などの手続き、許可を経ずに、六甲山裏や神戸港を集積場に決めた。兵庫県から要望があった3万戸の仮設住宅を4万戸に増やした。建設会社の社長を集めて「土日返上でやってくれ」と頭を下げた。▼東日本大震災直後に本紙のインタビューに答えている。阪神大震災では自衛隊の出動要請の遅れなどに批判もあったが、復旧・復興への動きは速かった。国難に立ち向かうには、政・官、そして民が力を合わせなければならない。その先頭に立つのは-。遺した教訓を忘れてはいけない。」

小里さんが公家集団とも揶揄される派閥自民党宏池会に所属したのかはよく知らないが、県議上がりの実戦派だったからこそ実績を残せたのか。東大、大蔵省上がりの宏池会国会議員には出来なかったに違いない。新幹線導入に際しても大蔵省幹部の昭和の三大馬鹿査定などとけなされても信念と粘りと決断で鹿児島ー八代間を先行着工するという多くの人が想像もしていなかった方式で実現させた。ところで小里さんは馬鹿査定発言の大蔵省主計官(大蔵役人のトップ)とは何度も顔を合わせてはいたが、自著のなかで「問題発言に関しては、ただの一度も抗議はしなかったし、話題にもしなかった」という。さすがやねえ。

その後の九州新幹線の効果、発展ぶりをみれば馬鹿査定と言った方が間違いだったことが分かる。鹿児島から川内、出水はあっという間で熊本間ですら通勤通学圏内、福岡へは気軽に仕事、旅行、買い物に行ける、神戸、大阪までは飛行機を利用しなくなったし、生活が大きく変わった。地方を活性化し国土の均衡ある発展を目指した小里さんの信念は新幹線と胸像という形になって今後も刻まれるってことだ。

ちなみに、私は1回だけ小里さんと会ったことがある。というより診療でのことだ。20年ほど前、氏は鹿大の第二内科で定期的に診療を受けていた。一般の人に交じっては何かと差し障りがあるので診察日には朝早く各グループからスタッフが集められ諸検査を行っていた。私は内視鏡ではなく腹部エコーを担当した。付き添いの秘書らしき若者を名前で呼んでいて確か息子さんで現国会議員の小里泰弘氏だったと思う。検査を終え所見を書いてそれで私の役目は終わり。今回入院していた病院は全国紙には出ていないが南日本新聞によると鹿児島市立病院とのことだ。ふーん、現院長は前第二内科教授の坪内先生(専門は肝臓)で、私が在局中は同じ肝臓が専門の有馬教授だった。やはり鹿大二内科とはつながりがあったんだな。

今回、小里さんの業績などネットで調べるにつれ、改めて偉い政治家だったと思った次第だ。

2016年12月14日水曜日

鹿島に期待!

今月は当直が多く今日が5回のうちの2回目だ。それほど忙しくはなく淡々とこなしていくのみ。

TVではサッカークラブW杯の準決勝鹿島対コロンビアのアトレティコ・ナシオナルの後半を見た。なんと1−0で鹿島がリードしていた。何でもビデオ判定でのPKで先制したそうだ。それはともかくこのまま逃げ切れるか怪しいぞと見続けたのだが、これは鹿島勝つなと思った。相手のナシオナルの選手の動きがとっても悪いのだ。前半は良かったらしいが後半は明かに足が止まっていた。そのうち1点2点と鹿島が追加得点(鹿島って後半に得点が多い)し鈴木優磨なんかC・ロナウドのゴールパフォーマンスを真似て咆え、まさかの3−0で勝利した。
決勝進出だよ、いや驚いた。相手のコンディションが良くなかったとはいえここは素直に鹿島に脱帽だ。思えば勝負弱い浦和に対し鹿島って勝負強い。同じくらいの能力であっても何かが違う。決勝の相手はおそらくはレアル・マドリード。鹿島なら何かをやってくれそう。すごいことになって来たわ。

2016年12月13日火曜日

かかりつけ医にした瞬間

薬品会社「具楽想」の医療関係者向け情報で「調査で見えた、患者さんの本音」というのがあった。
詳細は首都圏在住の20~79歳男女で、直近1年間に内科のクリニックを2回以上受診しており、過去に内科のクリニックで「医師を気に入り、また受診したいと思ったこと」と「医師に不満があり、受診しなくなったこと」の両方を経験している方300人(10代〜70代の各年代、男女均等に割付)を対象に、2016年8月にインターネット調査を実施したとのことである。

今回の調査で、多くの患者さんが初診時にリピートするかしないかを決めていることが分かったという。どういったときに、かかりつけ医にしたい、または通院をやめたいと感じるのか、いくつか例が出ていた。

まずは「かかりつけ医にした瞬間」の例

60代男性:病気で落ち込んでいましたが、親身に話を聞いてくれて「大丈夫ですよ」と言われたとき、世界中でたった一人の味方だと感じました。
40代女性:短い会話のキャッチボールを繰り返し、必要なことを端的に伝えてくれました。薬の飲む回数や効果を一言言っては「わかる?」という雰囲気を出してくれるので、質問しやすかったです。こんな先生がいるんだなと思いました。
30代女性:検査結果に異常が見られなくても、話を聞いてくれて、不安を和らげてくれました。否定せずに聞いてくれて、気持ちがすっきりしました。
20代女性:カルテだけを見ずに、こちらの顔も見ながら、容態や対処法を説明してくれました。
逆に「医師に不満があり、通院をやめたことがある」の例

50代女性:問診しているとき、こちらではなくずっとパソコンを見ていて、2、3言で終わり・・。
60代女性:一度も私の顔を見ずにカルテを見ながら、つっけんどんな感じで「次は来週・・」と言われました。次回の予約はしませんでした。

かかりつけ医にした瞬間を順位付けしてみると、
1位:私が納得できるまで説明してくれた
2位:私に合わせて、処方薬や治療法をカスタマイズしてくれた
3位:時間をかけて丁寧に診察してくれた。

患者さんが、先生との対話をとても大切にしている様子が伝わってきていて、カルテだけみて患者の顔を見ないはNGってことだ。そしてすべては初診でほぼ決まる。気をつけなくっちゃ。

2016年12月12日月曜日

命は一つ

相変わらず内視鏡検査が多い日々だ。その分後日病理結果説明に来られる患者も多い。

今日私が説明したのは、先週他Drが検査、生検した40才代の男性患者だった。結果は癌で検査の時にも手術が必要かもと言われていたようなのだが、告知したところ「えっ」という表情だった。よく聞くと記憶がおぼろで「15cm・・」という数字だけは覚えているも他は曖昧なままだった。15cmはある部位から癌までの距離の数字だった。手術が必要なのは明白なので外科に先生に今から説明してもらうようお話しをした。本人には青天の霹靂だったかもしれないが側に付いていた奥さんは事前にネットで調べていた形跡があり夫の口ぶりからもしやと思っていたいたようだ。こういうときには家族いっしょがいい。

この患者さんで少し残念だったのは、今年4月、去年4月にも検診で内視鏡検査を受けるように指導されていたことだ。1年8ヶ月も病気が放置されていた可能性が高い。「去年、受けていればこれはまだ小さかったのですか」と聞かれ「そうだったと思う」と答えると、じっとして返事はなかった。何にも症状がないし、まだ若いし、いずれ受ければいいさ、検査は面倒・・などなど言い訳はたくさん言える。でも命は一つ。今となっては助かる道は手術を受けることだけ。

後でカルテで確かめると今年中には手術を受けることになっていた。

2016年12月11日日曜日

複雑な気分、ふるさと納税

年賀状作りの時期になるもまだアイデアが浮かばず悶々としている。それとEPSONのプリンターの紙を送るローラーが不調でそれも気になっている。で、プリンターの新規購入を考えていたところ、カールが「ふるさと納税を利用したら」とアドバイスしてくれた。ある程度の金額を納税すれば返礼品としてプリンターももらえるという仕組みだ。さっそく調べてみると、大分はCanonの杵築町、長野はEPSONの塩尻市が扱っていた。自分が欲しいと思うプリンターは実質2−3万円クラスだがふるさと納税では8−9万納める必要がある。ただその分は本来支払う納税からいずれカットされるので品物をもらう分お得という仕組みである。同じ申し込むでも楽天カードを使う方が楽天ポイントが付くからというので楽天が扱っているCanonのプリンターPIXUS TS9030を注文した。

と、ここまではよかったのだが・・。ふるさと納税は私名義なのは当然なので私の銀行口座から支払いされることになっている。今夜のワンクリックで9万円が飛んで行った。この9万円は返ってくるかというと納税されるので戻っては来ない。家の銀行口座から補填すればいいが「今はそんな余裕は無い」とカール様はおっしゃられる。ということは3万2千円ほどで買えるプリンターを9万円払って自分の口座から手出しした状況になる。ふるさと納税っておいしいとどんどん買えば買うほど自分の貯金が減っていくのだ。こてる家全体としては1年の予定納税分以内であれば全く損はなくお得だけれど、私自身は「なんだかなー」だ。いつ使うか分からないけれど自由に使えるお金を出来るだけ多く保持するのは余裕を持てるが、後で家の家計から補填してもらうことがあるにしても手持ちが少なくなるのは心細い。2、3万の減り分で済んだプリンターのために一時的に9万も手持ちが減った私は「よーく考えようふるさと納税」って気分になったのであった。

2016年12月10日土曜日

「見逃し」はつらいが役に立つ

午後、久々に歯科医のジャズ魔と見せたまえ雀荘で麻雀をした。他の二人はサブアラドと見せたまえDrだ。結果は私の一人勝ちだった。ジャズ魔はマイナス40でまあまあの結果。しかし半荘2回目にもしものドラマがあった。麻雀は実は目の前の出来事にどう対処するかで同じ場面でも結果が大きく違ってしまうゲームなのだ。

南2局。親は私で持ち点1万点ほどでラス。ジャズ魔は1万9千点で3位。12巡目、見せたまえの出した3ピンにジャズ魔が次ツモる手を止め少し躊躇してから牌を倒した。手は三暗刻のみの3200点。
八萬八萬八萬一索一索一索八索八索八索三索三索二筒四筒ロン三筒
「え、惜しいなあ。1手変われば四暗刻か四暗刻単騎じゃない」という私に「うーん、そうだけど(当たり牌が)出ちゃったからなー」と頭をかいた。
そこで私が彼のツモり牌を開けてみると3索だった。「えーっ」とみんな声を上げる。次に四暗刻単騎に手変わりしていたのだ。「で、こうなれば何を切る?」「4ピンだな」待ちはとりあえずの2ピン単騎だ。
八萬八萬八萬一索一索一索八索八索八索三索三索三索二筒
で、次のジャズ魔のツモ牌をみると・・何と2ピン!これにはみんな「うわーーっ!」

上のようにたった1巡待てば、ジャズ魔は四暗刻単騎(一般にはダブル役満だが我々は普通役満にしている)をツモって親の私がドボンで半荘終了、ジャズ魔の3コロトップにドボン賞+10、役満賞の+30がついて+110ほども収入があったのだ。単純に三暗刻3200点が四暗刻32000点と10倍もの差がある。それくらいあれば彼は沈みの3位だったし当たり牌を見逃して役満に賭ける判断も十分に考えられた。このあと彼はオーラスで満貫を上がり2千点浮きながら3コロトップを取ったもののその差は依然として大きい。7回半荘して彼のトップはこの時だけだった。

その後の闘牌でも「あー、頭の中でさっきのシーンが何度も出てくるぅ」とショックを引きずっていた。当たり牌が出ればついつい「ロン!」のかけ声が出てしまう。それは同じ麻雀子としてよーく分かる。でもそこを我慢して見逃す選択もあるってこと。今日の教訓はずばり上のタイトルどおりだった。

2016年12月9日金曜日

ビッグオーシャンへ新参

串木野トリオリーグも今日から新季に入った。私たちビッグオーシャンチームは前季は最終戦の失速がたたり7位でその前の2位から大幅ダウンだ。で、今季はメンバーの骨折や体調不良もあり川内からは海広しDrくらいしか参加できず、鹿児島からスリウェル、タシケント両MRだけでなく、難ガター、アンドキサMR、それに15年来のボウリング仲間であるサンシさんにもメンバー登録を頼んだ。5年前は私くらいだったのがこれで大半が鹿児島組となってしまった。そこで川内から鯛買いクリニックの看護師の旦那さんで丸込めさんという人が入ることになり早速今日から出てもらった。今日の参加は私、スリウェル、丸込めという初顔合わせでの対戦だ。

12月からまたレーンコンディションが変更になっていて先月よりはオイルがやや少なくなったが中央にはオイルが入っている。これに丸込めさんうまく対応できなかったようだ。初参戦ということで緊張もあったかもしれない。かくいう私も2ゲーム目に150と大失速。3ゲーム目にアブソリュート・ニルバーナ使って233で面目を保ったもののちょいと油断するとスコアが出ないレンコンだった(ニルバーナで初めて高得点が出た)。スリウェル君もアベ175ではあったが思うようにストライクが出ないとぼやいていた。チームとしては2ゲーム目は完敗も1、3は勝利し、まずまずの出だしとなった。ふう、どうにか海広しDrにそこそこの結果であったと報告できるわい。
2週間後は難ガター、サンシさんに初参加してもらう予定だ。ガンバロー。

↓は3ゲーム目にしてようやくストライクが連発し出した私。ニルバーナはレーン奥のオイルが無くなるところから急激に曲がる動きがすごい。

2016年12月8日木曜日

話題は健康と病気

朝、なんであんな夢を見たのだろう。それはAKBグループの運動会で走っているのは鹿児島出身の宮脇咲良ちゃん。息ををはずませハーハー。え?!なんていう巨乳、AV女優よりすごい、咲良ちゃんそんなにおっぱい大きかったっけ。それに汗で透けてビーチク丸見えじゃん。おいおいこんなの見せて大丈夫か、アイドルだろ。でもあんたホントに咲良ちゃん?って思っているうちに目が覚めた。はー・・。

KKB「かごとき」でまた愛甲孝の健康医学特集、今日は「胃がん大腸がんの診断と治療」だった。胃の手術では青雲手術室が出てきて腹腔鏡下手術で胃が切断される画像が出てきた。切断と同時に医療用ホチキスで縫合完了などよし俣MCも「へーえ」と驚いていた。そして胃がんの治療法のガイドラインが書かれた本にその委員長として「愛甲孝」の名前があり、「センセーすごいじゃないですかぁ」とさらに感嘆されていた。今では発見される胃がんの半数以上が早期癌だ。とはいっても確かそれは日本だけのはずで諸外国では相変わらず進行癌で見つかる方が多い。症状がないうちに検診や内視鏡を受けることが肝心なわけで検査を面倒くさがったり怖がったりして受けない人にはせっかくのこうした進歩も役には立たない。愛甲先生もまとめのボードでその点を強調していた。御意。

夜は年に数回あるセントラル高校同期生との飲み会。まあいろいろ話題はあるも半分くらいは健康、病気にまつわるものだった。一番語っていたのが糖尿病の水床君。不幸にもインスリンが出なくなる1型糖尿病になって10年あまり。体調が悪いと旧青雲病院の私のところに相談にきて発覚した。セントラル1年後輩Drのクリニックに紹介しインスリン治療を続けている。最近HbA1cが6%台になり褒められたという。彼は自分の血糖値をエクセルに入力し管理するほどで「聞いたんだけど、1型糖尿病患者の中には1ヶ月全く血糖を計らないって人もいるんだってな。自殺行為じゃないの」と自分の健康に無関心な人がいることに驚いていた。いるんですよ、それが。糖尿病や癌は病初期ならずある程度進行しても痛みなどはっきりした症状がない。だから気にかけない、そのうち高血糖で血管ぼろぼろになってあちこちに障害が出てくる。そこは説明して理解してもらっても実感してくれないんだ。

3時間ほど旧交を温めながら互いの健康をきづかいつつお別れしたのだった。

2016年12月7日水曜日

B・エプスタインとマキノノゾミ

仕事も忙しいがボウリングや麻雀、たまの外出などで、読みかけの本、録りだめのビデオをなかなか消化できない。前にも書いたが録りだめビデオの半分以上がNHKBSプレミアムからのものだ。今日は2004年に放送されこの前再放送されたビートルズもの「ビートルズをつくった男」を見た。何度も再放送されていたようだが私は初めて見た。これはビートルズおたくなら誰もが知っているマネージャー、ブライアン・エプスタインの足跡をたどる番組で日本から劇作家のマキノノゾミ氏がイギリスに渡り関係者やゆかりの場所を精力的に取材していた。

エプスタインはリバプールの一介のレコード店主だったにも関わらずビートルズに興味を持ちマネージャーを買って出た。やんちゃでやや不潔なビートルズの連中にスーツを着せステージでの態度を改めさせ、メジャーデビューのために奔走する。ヒット曲が出た後も見事な戦略であっという間に世界制覇を成し遂げさせのはビートルズの実力もさることながら彼の手腕によるところが大きい。しかしツアーに辟易しレコーディングに興味を持ち始めたビートルズはツアー撤退しスタジオにこもるようになる。サージェントペパーのアルバム製作のころになると、彼はメンバーとも直接顔をあわすことも少なくなり酒と睡眠薬などドラッグに溺れるようになり自室で亡くなっているのが発見された(アスピリンの過剰摂取といわれている)。32才だった。

この辺りはこの番組でなくてもビートルズ関連の本を何十冊も読んだ私は知りすぎるくらい知っていた。しかしエプスタインが若い頃、俳優を目指し英国の王立演劇学校(RADA)に所属していたことがあったとは初めて知った。しかし芽が出ず父親のレコード店で働くことになる。RADA時代、後に有名になる女優の卵とデートしたエピソードが紹介されていた。うん?と思った。エプスタインはゲイだぞ。するとその女優は「ただの友だちでした。彼はゲイだったんです」とそこはちゃんと指摘していた。これは今の時代だからこそきちんと言える。なにせ当時の英国では同性愛は犯罪だったのだ。彼の苦悩はそこにもあったようだ。ビートルズ初期のころ、彼とジョン・レノンが二人でスペインに旅行に行ったことがあった。帰ってからジョンはさんざん冷やかされる羽目になる。周囲はエプスタインの習癖をみんな知っていたのだ。(ただしジョンとの肉体的な関係はなかった可能性が高いといわれている。エプスタインはジョンに好意を持っていたがえこひいきなどは一切なく4人平等に接するよう気を遣っていたのは周囲が認めていた)

劇作家のマキノノゾミ氏は俳優としては下手だったエプスタインが唯一生き生きと演じたのがチェーホフ作「かもめ」の主人公トレープレフ役だったことにピクリと反応していた。エプスタインは中毒死ではあるけれど自殺のようなもの、確かに番組を見れば納得がいく。ショービジネスのマネジャーとして世界最高の成功を収めたにもかかわらず自身は寂しさを感じていた。トレープレフも最後は自殺してしまう。お金や名誉が成功を感じられるとは限らない・・人間は複雑な生き物だ。マキノ氏は自分が好きなビートルズの曲だという「ノーウェアマン」が実はビートルズの中で行き場をなくしたエプスタインのことを歌っているのではないかと言っていた。確かにそうみることは出来るだろう。結局、ビートルズはエプスタインの死がきっかけでグループとしてのまとまりが弱くなり解散へ向かっていくことになる。実はそれくらい彼の存在は大きかったのだ。

この番組はマキノノゾミ氏をパーソナリティに迎えたことでかなり面白くなった。私は彼のことを全く知らなかったが、番組の中で中学時代にビートルズに夢中になりバンドを組むも、同志社大学で演劇にハマり劇作家、脚本家として大成した人らしい。2002年NHK朝ドラの「まんてん」の脚本を担当している。また女優キムラ緑子の夫としても知られている。番組ではキャバーンクラブで即興演奏したりアビーロードでは横断歩道を渡ったりとビートルズマニアならではのアクションをしていた。何か自分と近いものを感じたのだが、生年月日が3日しか違っていなかった上に彼の愛唱歌が「ノーウェアマン」。実は私もそうなのだ。「♪ヒーザーリィールノーウェアマーン・・」って何回歌ったか分からないよ。

私もイギリスに行くことがあったらきっと彼と同じようなことするだろう。

2016年12月6日火曜日

仕事、忙し

仕事が忙しい。この時期に姶良市が大腸癌や胃癌の検診結果をばらまくものだから毎日精密検査がいっぱいだ。午前の検査が終わって3階の医局に上がるのも面倒になって内視鏡室で弁当を食べ、結局夕方までずっと内視鏡室にいた。おまけに外来Drから入院担当依頼も来る。キスマンクリニックから私あてに2人依頼がありどちらも入院が絶対必要、身動き取れず1人はクニンダDrに受け持ってもらった。さらに午後が救急担当Drが急遽手術が入って代わりに私が1人診てそれはたいしたことないものの、さらに「腹痛の患者がいます」と頼まれ「まだ内視鏡患者がいるのにー」とぼやいても他にDrがいない。腹部CTを指示して内視鏡をしていると看護師から「先生CT見て下さい」との連絡あり、そこで右腎が水腎症になり尿管にはっきり結石があるのが分かった。よしっ、これは尿管結石、あとは泌尿器科の合い言葉Drに任せられる。これは助かった。ふぅ〜〜、やっぱり仕事は忙しい。

2016年12月5日月曜日

西村美紀引退

この間のこと、週刊現代の新聞広告で気になる記事が目に付いた。

「美人プロボウラー『突然引退』の裏事情」とはいったい何のことだ。副題で「ボウリング場で起きたまさかの事件・西村美紀」とあり引退した美人ボウラーが西村美紀であることが分かる。西村美紀が美人であるかどうかは大いに意見が分かれると思うが実力のあるプロボウラーであることは間違いない。それがなぜに引退をしたん?TVのPリーグでは先月も投げていたようだがー。↓西村美紀。下は浪速のダイナミックボンバーこと彼女のダイナミックなフォーム。

で、ようやく記事を読むことができた。なんと西村が静岡県にある柿田川パークレーンズの支配人室の金庫から60万円を盗んだ疑いがあるからというのだ。着替えの場所を他のアマといっしょじゃ何だからと彼女に部屋を提供した時に事件が起きたとの噂もある。その前に彼女のプロ引退が本当かどうか、これは本当だった。理由は、手首の怪我が思わしくなくプロとしてやっていけなくなったから、というものだ。しかしそれは表向きで窃盗事件を示談にする代わりに引退ということのようだ。

ううむ、由々しき事態だ。いや、プロボウラーが引退するというのは余程のことで、規定では一度脱退すれば復帰は出来ない決まりという。だから、普通の怪我なら治癒するまで相当ねばる。T-MAXの日置秀一プロも手首の痛みで一時投げられなくなるも手術を受け復帰し今でもベスト10に入る実力を維持している。彼女は人気、実力ともにあったプロボウラーなのでそのような経緯があってしかるべきなのに急に引退とは解せない。またネット、SNSが発達した現在、彼女と仲のよい姫路麗プロや大石奈緒プロなどがブログでそのことに触れていないのもおかしい。知っていて事実を書けないとみれば納得がいく。よって週刊現代の記事は相当信憑性が高いと思われる。

プロスポーツ選手や芸能人はやはり人気商売、麻薬に手を出したりこの手の犯罪に関わることを起こせば一気に奈落の底だ。専門を極める前に基本的なことをしっかり踏まえるようしつけなければ取り返しがつかないことになる。西村美紀もプロボウラーとしてはかなりのものだっただけに本当に惜しいことをしたと思う。