2014年4月30日水曜日

フォーム改造

GWの谷間の平日でやたら患者が多かった。昼過ぎはその疲れのせいかぐったりで1時間ほどダウンした。

夜は恒例のボウリング練習。ただまだ左足の打撲は治っておらず踏ん張ると痛い。そんな中、以前からのフォームを変える練習をやってみた。投球直前に若干前傾姿勢を取り腕を水平よりわずかに上げるのだ。力強さとボールのスピードが出るようになる。それにいずれ高回転のボールを投げたいと思っているのでその場合腕を振り上げるフォームが必要になる。このところリスタイを外しているのもいずれ高回転ボールを投げるためには絶対必要だからだ。しかしたったボール1個分振り上げるフォーム変えでもタイミング、バランスなどが変わり、投げ込まないと全く結果が出ない。最初の1ゲーム目はストライクはおろかスペアも取れず140程度だった。しかしその後はストライクも出始めいい感じになってきた。ちょっとオイルが少なめのコンディションだったので途中からミッション・コンプリートに変えたらさらに安定しターキーも出せて200アップもした。しばらくはこのフォームに磨きをかけてみよう。ただ足が少し痛むので今夜はこれくらいにしたろ。また来週や。

2014年4月29日火曜日

燃える!チッチ

チッチ最後のS學館運動会(中高いっしょにある)にカール、ギボヒサコともども観戦に出かけた。事前にプログラムで参加する種目は把握していた。選抜200m走が一番のメインでこれが午前最初の参加種目だった。チッチは毎回これに出ている。1年の時は3位、2年では2位、で今年は当然1位が目標だ。彼は100mや1500mなどははなから参加する気はなかった。言い分は、100mは直線を走るだけでみんなの目に触れにくいし元よりカーブを走るのが得意だ。1500mはあまりに疲労しすぎで「運動会の種目から外すべき」とさえ思っているという。私もその気合いにこたえるように観客席テントの前列に行き動画を撮るためデジカメを手に構えた。

チッチは1コーナーでこれはラッキーだ。1年の時も1コーナーだった。またフライングをするのかな。うちの子らは少しでも稼ごうとやるんだ(セージはやり過ぎて大外に回されたりもした)。案の定フライングがあった。しかしやったのはチッチではなかった。仕切り直しの2回目、勢いよく飛び出したのはチッチだった。私の目の前で1m弱差を付け第2コーナーでは2m以上の差を付けていた。そのまま最終コーナーを回りゴール手前では勝利を確信し笑顔になり万歳してテープを切った。よおーし、よくやった!録画もばっちし撮れて満足満足。振り返ると2内科出身のボクゾンDrがいたので「うちの子1位でした」と思わず言ってしまった。他の親はそれほどうれしくはないはず、ちょいとしまった。

このあとチッチは綱引きや部活動リレーなど出たがとくに見せ場はなく、午前中最後の色別リレー(学年選抜対抗リレー)が2度目のハイライトだった。チッチらの学年は黄組で女子は半周男子は1周走る。チッチは男のラス前担当だった。レース自体は3年生が貫禄をみせ終始1位だったのでハラハラはなかった。しかしバトンがチッチに渡り最初のコーナーを走る頃アナウンス担当の女学生のコメントに思わず吹き出した。「トップを走るのはチッチ君。大好物はピザ!」これに「ピザ!?」「わっはっは」との観客の声。そんな面白いコメントをアナウンスはあまり言わないのにナー。そのあと正面直線で「(チッチ君は)サッカー部の部長です」とのコメントもあり、チッチはそれは聞こえていたそうだ。後で聞くと事前の質問紙の「好物は?」の項目全てに「ピザ、ピザ、ピザ」と書いていたとのことだ。確かに彼の好物はピザでそれがきっかけでカールはピザ作りをやりくりし最近は相当上手くなってきている。

結果は黄組が1位で(3年アンカーはチッチと同じサッカー部のしまった君。二人ともサッカーし続けて速くなった。ちなみにしまった君の父は私の2内科後輩Dr)2年の青組はアンカーが最後1年に負け悔しさのあまりゴール後にバトンに蹴りを入れていた。分かるなぁ、負けると悔しいよね、先輩は。

お昼ご飯はいつもの2階の体育館ではなく1階の武道室だった。たまたま1階が取れたとのことだがそのせいでチッチは15分以上も探し回ったそうだ。で、ご飯を食べる手ももどかしく私のデジカメをのぞき込んでいた。活躍すればそりゃ見たくなる。日頃お勉強では目立たないからか運動会では張り切り方が違う。ま、一生懸命なのは見ていても気持ちがいい。午後は恒例の棒倒しも待っているしな。

ふと隣を見ると知っている家族だったようでカールが挨拶していたのは姉妹でS學館生の麻薬師ファミリーだった。姉は今春卒業でうちに遊びにも来たことがある。このほかグッちんファミリーにも会った。あと奥マラDr、赤ちゃんDrなど医師の知り合いが相変わらず多かったヨ。

午後最初のプログラムは3年生恒例の仮装行列だった。セージは韓流の少女時代だったが、チッチはお祭り男宮川大輔に扮した。なんかクラスメートとの話の流れでそうなったらしい。でも祭りの法被をネットで購入したのは私である。2千円以上もしたのよ。しかしあまり目立ってはいなかった。もっと目立つ扮装の生徒が多かったし。フォークダンスをしていたけれど私たちの目の前には来なくてそれも残念だった。

午後は高校のクラスリレーもあってチッチはそこでも活躍した。ビリに近い位置から2位争いのところまで持っていった。子の脚が速いと運動会は楽しいわ。でも黄色が1位2位独占したのにコースはみ出しで2チームとも失格というのはあまりにも無情すぎる。陸上部員じゃないんだからさー、運動会はそこまでしてズルをするわけじゃないから一発失格は興ざめだよ。わずかの差で2位だった3年生の優勝はこれでほぼ無くなった。

さて、メインの棒倒しだ。対1年生では攻撃側のチッチは完全マークされサッカー部後輩がマンツーマンでブロックしてきて棒にすら近づけなかった。事前練習で同じ棒に飛び乗る役のユタカ山君(彼の父親も医学部バスケの後輩でどんだけ医者子息がいるんよ)ともども危険人物としてチェックされていたそうだ。それでも1勝1分けで次の対2年生に臨み最初の対戦ではどうにかチッチは棒に乗り込み勝利に貢献した。最終戦はやはり近づけずユタカ山君らが活躍し2勝し面目を施した。怪我人も出たけれど棒倒しは面白く運動会で男らしさ満開のメインイベントだと思った。これくらい真剣にやって面白くあれば見に来た甲斐がある。逆にかなりの時間を割いていた応援合戦には興味なくここで引き上げた。3学年分で40分ほども続くってちょいと長すぎでしょ。応援合戦は運動会のサブ的なものでメインじゃないはず。だって「応援」なんだから。

楽しませてくれた子どもらの運動会もおそらくこれでしばらく見に行くこともない。その末尾をチッチが活躍してくれギボヒサコも「ほんとに見に来た甲斐があった」と言い私もカールも同感だった。幼稚園小学校のころからするとずいぶん逞しくなった。ありがとう!運動会。

2014年4月28日月曜日

現場不在証明

病院の帰りの車中TVの音声を付けるとTV朝日系のクイズバラエティー「Qさま!!」をやっていた。そこでの出題に私は頭をひねった。司会者「げんじょうふざいしょうめい」を英語で何と言うでしょう」に一瞬何のことかと迷うも、これは「げんばふざいしょうめい(現場不在証明)の言い間違いでアリバイが答えだな」と思った。しかし後で念のために調べるとなんと「げんじょうふざい」の言い方は間違いではなかった。ちゃんと辞書にも載っている。してみると「げんばふざい」の方が間違いだったのか。いや、「げんば」と読むのも間違いではない。一般にはそちらが普通だろう。事件は「げんば」で起きているわけだしー。どちらでもよいが一応の結論だが小学生のころからずっと「げんばふざい」が正しい読みと疑っていなかっただけにちょっとした衝撃だった。ありえないけどもし私が撮影現場にいたら「げんじょうじゃなくてげんばでしょう」なんてしたり顔で発言し恥をかくところだった。

思えば「工場」も「こうじょう」「こうば」の2種の読みがありどちらも間違いではない。一般的には「場」の読みは「じょう」の方が多いようだ。「野球場」「駐車場」などで「ば」と読むのは前の単語が漢語ではなく和語の場合が多い。「風呂場」「稽古場」などだ。また「市場」「牧場」などは「しじょう」「ぼくじょう」の漢語系と「いちば」「まきば」の和語系では読みも意味も規模も違う。

現場の「げんじょう」「げんば」いずれも間違いではないが、警察では「げんじょう」が一般的らしい。それに漢字は音読みどうしで読むのが本筋で「げんば」だと重箱読みになってしまうことも踏まえると「現場不在証明」はやはり「げんじょうふざいしょうめい」と読むのが本則というのが今回の結論である。私の40年間の常識は覆された。

2014年4月27日日曜日

暗転

ちょいと久しぶりの麻雀でいつものサブアラド、ダイボ、見せたまえのDr3人が相手だった。4月はネット麻雀が好調で六段の基準ポイントである1200ポイントあたりまで回復しいずれ1年前の上り調子のように七段もうかがえる態勢になった。リアル麻雀でも負けるはずがないと臨みやはり好調で推移していった。半荘8回までラスは1回のみで堅調を維持していた。ダイボDrが不調で一人負けの雰囲気もあった。しかし9回目の半荘でラスを食らい10回目にちょっとした判断ミスから上がれる手をみすみす逃した辺りからやることなすこと全くダメになり連続ビリ、さらに11回目もラス。これが最後と12回目の半荘、なんとラスのドボンのマルC(私以外全員浮き)と最低の結果になり、終わってみればダンビリだったダイボDrより沈んでいた。4連続ラス(最後のラスは通常の2回分のラスに相当)で何がなにやら今もってそこまで負けた理由がよく分からない。ちょっとしたミスでそこまでドつぼるものなのか。勝負事の明暗にくらくらする思いであった。

2014年4月26日土曜日

親子はバトる

ギボヒサコが沖縄から久々に帰って来た。29日にチッチの運動会があるからだ。孫の運動会もこれが最後でテルの幼稚園からすると毎年20年ほど続いた運動会観戦も終わりである。しばらくは運動会に縁がなくなる。しかしあと10数年経つとまた今度は私たちの孫世代の番が来るだろう。してみると人生の周期はこう言い変えることもできる。「人生は約15年周期だ。運動会のある15年とない15年の」・・大げさか?

ヒサコが帰って来てしばらくカールとの親子バトルが見られるわ。ていうかだいたいは子から親への口撃なんだがー。基本はこうだ。

親「体の調子が悪いのよねー」
子「太っているからよ。痩せれば治る」
親「そうかねー、食べないのに太るのよねー」
子「食べているじゃない。私よりは絶対食べている」
親はブルベリーが乗っているバターたっぷりの菓子パンを食べている。
子「そんなの食べてー」
親「ブルベリーは眼にいいっていうから」
子「・・・」

(呆れてものが言えない。体にいいが免罪符で甘いのをいつも頬張っているの。あれで痩せたいのよと言わなければまだ許せるけど)

普段は無駄口は言わないカールだがどうしても言いたくなるようで。

2014年4月25日金曜日

ディオバンへの態度

昨日の健診がらみでいうと自分の血圧が110/70で正常というか同年代と比べれば低めですらあった。もちろん日内変動はある。だがそれでも130を越えることは滅多にない。健康に気を使っている、もしくは体質がそうなのか。どちらでもなくこれは何といっても降圧薬のおかげだと思っている。昨年来世間を騒がせているノ社のディオバンをもう7、8年になろうか毎日欠かさず服用しているからだ。服用開始は血圧は130を越えると動脈硬化など血管の合併症がわずかでも進展するとの講演をあいがも会で聴いてからで、ただ6年前にダイエットで5kg以上痩せたときに試しに止めてみたことがある。数日低いままだったのでこのまま服用せずともいいかと思ったが1週間も経つと130を越えるようになった。それでまた再開、ダイエットよりは降圧薬が血圧にはより有効だと判断し今に至っている。

患者さんらも例の一件でディオバンを止めたいもしくは他薬に変更希望が合い次ぎそのようにしてあげることもあった。しかし自分はそうはしなかった。臨床研究不正があろうが降圧効果には問題ないと言われているし何より自分にはずっと効いているということのほうが大事だったからだ。そして他薬と同等効果ながら実はディオバンは若干値段も安かった。いざ自分が使うとなればそれも大きかったのである。

今日、久しぶりに降圧薬がらみでディオバンを止めて切り替えたという患者さんが外来にいて(それを敢えて否定はしなかった)、ふと我が身を振り返ったことであった。

2014年4月24日木曜日

健診を受ける

職員健診が先月からあり私はDrの中では最後だった。身体測定、視覚聴力測定、採血、心電図、レントゲンなど受け最後は内視鏡である。これまではグッちんDrやヒラメグDrにしてもらっていたがあいにくその二人はおらず、今回はブックリバーDrに初めてしてもらうことになった。検査の様子を撮らせるためにデジカメをシホねえNsに渡してから鼻と喉の麻酔を受けた。ブックリバーDrは「何だか緊張しますねえ、手が震えますよ」と言い、それを聞いて20年前沖縄の病院で赤ちゃんDrも同じことを言って実際に手が震えていたのを思い出した。先輩Drに検査を施すのはかなりプレッシャーを感じるものなんだ。で、丁寧に挿入、観察してもらい鼻の圧迫感、胃の膨満感など少し不快感があるものの我慢できる範囲だった。結果は胃炎のみで特に悪性所見はなし。ずっと以前にピロリ除菌して粘膜ヒダも改善していた。ふー、これで一段落だ。

結果をざっと見渡すと、ひっかかったのは腹囲が85を若干越えたことと近視が軽度あるくらいか。今回某看護師が昨年乳癌を手術していたと初めて知った。中年を迎えるといつ病気になってもおかしくはない。大きな病気もせずに元気で働けるのは親に家族、周囲の方々のおかげで感謝感謝である。そんなことを年に1回確認する日でもあった。

2014年4月23日水曜日

Macにしてみたい御相談

昼休みに近隣の「山師だ分かる内科」のやまひろDr(第二内科同期)から電話があった。内視鏡依頼か?と予想したが全く外れた。前日アップしたこてる日記ネタ「ようこそMacへ」(2014/4/8)を読んで今度パソコンを買おうと思うがWindowsからMacへの乗り換えした場合のパワーポイントなどの使い勝手が気になるとのことだった。実は彼の専門分野である透析学会での発表はWindowsに限るらしいのだ。DDWなど大きな学会ではMacも対応してくれているのだけどねえ。ただ方法はあってMacはWindowsソフトも動かせる。Boot Campという正式の方法もあるし、私みたいにエミュレーションソフト(FusionsやParallelsなど)を使うともっと使いやすくなる。そのことを教えるとやってみたことのないやまひろDrには敷居が高く感じるようでううむとうなってしまった。日頃はMacでiPhoneやiPadとの連携を上手く利用し、たまの学会では昔からやっているWindowsで発表することはなんてことはないのだが・・。パソコンは些細なことで先へ進めない場合がよくあり、その時に誰か詳しい人が側にいれば簡単に解決できそのうち一人でできるようになる。聞けば1分で済むことがマニュアルやヘルプなどは解決法を探しきるまでに1時間以上かかったりする。または解決出来ずにイライラだけが増すだけってなりやすい。私が側にいてあげたらだが、まあ仕方ないね

しかし訪問者数はだいたい日に50人くらいの「てるこ日記」ならぬ「こてる日記」でこんなに早く反響があるなんて久しぶりだ。ブログ形式にすればもっとアクセスしやすくなってやりとりが出来るのかな。トシマロDrに変更のお願いを頼んでいるもお互い忙しいままゆえまだ具体的には進んでいない。またいずれ・・。

2014年4月22日火曜日

左足激突

夜の10時ちょうど頃、自宅台所の戸棚に左足をぶつけた。ちょうど幅が狭くなっている所で特に慌ててもいなかったのだがとにかくぶつけて思わずうずくまった。小指が赤くなりとにかく痛い。第3、4趾もえらく痛い。骨折したのではないかと思うほどだ。

「TVで言っていたわよ。年を取るとよくぶつけるんですって」とカールは言う。「そんなわけでぶつけたんじゃ・・」と反論するもぶつけた理由は特になく反射神経が鈍くなったと言われても仕方ない。湿布貼ってそのまま寝た。

この足、翌日以降も腫れがひどく色調も紫色になった。じっとしていると痛みは感じず階段の昇降がややきついのと皮靴履くと圧迫感を感じるくらい。もしかして骨折かとレントゲンも撮ったがそれはなかった。ボウリンはかろうじて出来たが踏ん張りがきかずスコアも今一。2週間経過しても未だ圧痛が残っている。やっぱ年のせい?そう思いたくはないがそうかも・・。

2014年4月21日月曜日

てるこ日記

所属長会議が終わると私はその会議録を持ってすぐにリハビリ室に向かった。べつにリハビリに用があるわけではなくコピー機を借りるためだ。明日の医局会で配るために10枚ちょっとプリントするだけ。ささっと終わってまた医局へ戻ろうとすると、リハビリのかしましPTが「先生、昨日はこてる日記にハマって半日時間をつぶしちゃいましたよ」と話しかけてきた。おやまあ、10年以上前から続けているので今どきこてる日記を読んでいますよと言われることは少ないがそれはありがとうと感謝した。何が印象に残ったか聞いてみると身近なスタッフが取り上げられたケースなどらしい。特にこてる名(=アダ名)が誰か推測しつつ読むのが面白いと言っていた。最近ではリハビリのOM、AOさんのイニシャルはすぐにピンときたそうで「彼女はもう辞めました」とも教えてくれた。そうか、4月になって寿退職したのか。

リハビリでいえば他に話題にしたのが双子のミズマホ、ミズユフさんでこれは誰かはすぐに判明するね。そうそう、この日ではなかったがミズマホOTも(かしまし女史から知ったのか)こてる日記を読んでみたそうで、それはとてもいいことなのだがやや正確さに欠けたのは惜しかった。彼女はにこやかな表情で私にこう言ったのだった。

「センセ、読みましたよ、『てるこ日記』!」・・・は?

2014年4月20日日曜日

あご足付き

講演会は内視鏡ではなく糖尿病で食後高血糖管理がいかに大事かというテーマだった。食材の食べる順番が野菜などが先でご飯など炭水化物が一番最後にすべきというのは知識としては知っていたけれど実験をしてきちんとデータとして示されると早速患者さんに指導すべきだと思った。また糖尿病の治療指標であるHbA1cが同じ数値でも血糖上げ下げの幅が大きい人は合併症発症リスクが大きいというのもなるほどと思った。上がりすぎてそれをインスリンや血糖降下薬で下げ過ぎてしまうような状況は血管にダメージを与え好ましくない。だから食後高血糖はよくないということだ。日頃消化器や内視鏡の講演を聴くことが多いのでテーマが違うと新鮮だ。まじめに昼前まで3演題を聴いた。

終わって懇親会があるというので隣の広い会場に行くと立食だけど寿司、ウナギ、ローストビーフ、そば、それにミニケーキ、フルーツと盛りだくさんの食材が提供されていた。うわ、うまそうだ。おっとでもまずは野菜からだ。あれ?野菜があんまりないな。近くにいたMRに「野菜ないねー、せっかくいい話聴けてその通りしようと思ったのに」と言いつつパクパクぐいぐいしこれまたお腹いっぱいになった。どうも人の癖って簡単には治らないわ。

帰りの便は15時過ぎの予定だったが、もしかするとその前の便に乗れるかもと会場を早めに出ることにした。タクシーチケットももらっていたのでホテル前のタクシー乗り場に行き乗り込みふと窓を見ると何とフジケンMRがいて「お疲れさまでしたー」と頭を下げた。あれ、気付いていたんだ。こそっと懇親会場を出たんだけど・・。しっかり教育されてますな。はは。

飛行機は787で最新機だった。しかし全日空はLCC共用とかで中の設備はごくシンプル、飲み物は出てきたけれど新聞などはワンクラス上の席の客しか手に取ることは出来なかった。まあ贅沢は言うまい。疲れたから寝よう。ZZZ・・。

しかし着陸態勢に入ってからが大変だった。風が強いせいか機体は揺れ始め上下動が何回かあった。国分あたりと思われる光景が眼下に見えた。空港も近いはずなのに機体はなんだが落ち着かない。私は最後尾に近い座席にいた。そろそろ着陸というときに浮かび上がるような動きがあったその時、真後ろにいた若い奥さんが「やめてぇ!」と叫んだ。び、びっくりするじゃないか。あんたの声の方が恐い。間もなく無事飛行機は鹿児島空港に着陸したけれど、前席のおばあちゃんが半ば非難がましくスチュワーデスに「揺れたわね」と言っていた。ふう。私も確かに嫌ではあるが乗ってしまった以上はどうすることも出来ないので大丈夫、きっと無事のはずと思い込むようにしている。そのおかげか高所恐怖症気味の自分にしては飛行機はさほど苦手にしていない。不思議なものだ。

帰りもタクシーで。駐車場まで行かず自分で運転せずに済むって楽ちん。でもチケットもらわなければ絶対に利用していない。あご足付きのちょっぴりVIP気分も味わった東京行きだった。

2014年4月19日土曜日

銀座の寿司店に行く

当直明けで一旦帰宅後すぐに空港へ向かい東京行きの飛行機に乗った。薬品会社主催の学術講演会に参加するためである。この手のお誘いは年に何回かあり交通費宿泊費を出してもらえる。会は土日にある場合土曜午後か日曜午前にあり、ということは土日のどっちかは空くので東京に所用があればそれを上手く利用出来ることになる。うまい話ではあるが年に1回くらいしか参加しない。月に土か日の当直が2回入るので行きたくてもチャンスがなかなかないし土日の休みが減ることにもなるので断ることも多い。今回もさほど乗り気ではなかったけれどフジケンMRのねばりがすごかった。何度も何度もお願いされれば特に用事がないかぎり行ってみようかという気になる。ちょうどヒラメグDrがこの土日を当直希望してきたので行けることになった次第だ。

羽田に着きモノレールで浜松町に着いたところで「SUGOCA」でピッとすまし山手線に乗り換え新橋で降り有楽町方面へ高架下に沿って歩き「美登利寿司銀座店」を目指した。実は今回の東京行きで講演会以外唯一の用事がそこで寿司を食べるということだったのだ。昨年ブックリバーDrが別の勉強会でスリウェルMRの勧めで「スリウェルMRとそこに行って食べたら安いのに美味しくてお腹いっぱいになった、今度東京に行く機会があったらぜひ一緒に食べてみたい」と絶賛していたからである。そのことが頭にあってこの前のボウリング練習でスリウェル君に話すと何と彼も今日勉強会で東京に行き夕方はそれで無理だが昼ならご一緒できますとのことで午後1時に約束していたのだ。ただこの美登利寿司店は行列の出来る店として有名で最低1時間は並ばないとダメということだ。並ぶの嫌な私だが「それくらいの価値はあります」とブックリバーDrが保証していた。メールが来ていてスリウェル君実は1時間程前から並んでいるという。店に着くとちょうど彼が次のお客様状態でタイミングばっちし。スリウェル君の後ろには20名弱の客がまだ並んでいて5分もせずに入店出来たとはとってもラッキーだった。

場所も入り口近くのカウンター席と文句なく早速メニューをみて注文した。スリウェル君はまずかにみそサラダ600円を一つ頼んだ。そしてマグロとカンパチ。驚いたのはマグロ一つが50円という驚異的な安さだったこと。回転寿司のものよりちゃんとしているのにだ。(カンパチは150円)私はエンガワをまず頼んだ。そしてウニ、あん肝、中トロ、ホタテ・・。スリウェル君の好物のアナゴは元祖と銘打っているだけあって大きくてかつ美味しかった。彼は「これはケーキですよ」と頬張っていた。この他芽ネギ、いくら、玉子などどちらかと言えば非魚系をよく頼んだかな。最後アイスも頼んでしまってもうお腹いっぱいになった。それで二人分で7354円とやはり安い。1時間も2時間も行列が出来るわけだ。10店ほどチェーン店展開していてあの「すきやばし次郎」のような高級店とは趣は違うだろう(当然行ったことない)が一般ピープルにはこちらの方が満足度は高いのではないか。Googleの地図で調べると銀座、新橋、築地界隈には寿司屋がいっぱいだ。競争ゆえにこんな味、量、値段ともに高バランスの店があると思われる。

「そもそも何でこの店を知ったの」と彼に尋ねると「親父が赤坂に勤めていて私が子どもの頃いい店があったぞと連れてきてくれたのが最初です。親父はあん肝が大好きでいつも3皿くらい注文していました」とのことだ。いやー、他にも食べてみたい品はあったが夜まで満腹なくらいであれ以上は無理、次回の来店までの楽しみにしておこう。マグロ大好きな子どもたちとも来てみたかった。「いくらでも食べていいぞ」って言えるしー。

支払いだが普通なら折半のところ私が余分に払った。これは当然だ。1時間近くも並んでくれたスリウェル君へのお礼でもあった。

店のホームページは↓です。
http://www.sushinomidori.co.jp/index.html

2014年4月18日金曜日

会議も役立つ

オマルDrが今日から勤務(非常勤)となった。鹿児島市内から何とバイクで来た。若いねえ。内視鏡検査が中心であるが午後の空いた時間は外来も手伝ってくれる。内視鏡は大腸内視鏡は経験ないがERCPはしたことがあるというのがやや珍しい。(どちらかと言えばその逆のケースが多い)先週挨拶に来たときは髪の毛が長く髭も濃かったはずがさっぱりしていた。あれは可愛いんだ理事長からの指摘だろう。身だしなみも大事だってね。

夕方、内視鏡室と人間ドック室の職員、外来師長、事務、総務との間で会議がもたれた。人間ドック利用者の胃カメラ検査のやりくりについて少しぎくしゃくしたものがあったからだ。要は内視鏡室側の忙しさ軽減をどうにかできないかということで特に内視鏡室でのDr通常診察に余分に時間がかかり利用者、職員両方にストレスが生じているとのことだった。私は内視鏡室側の人間だが人間ドック寄りの発言が多く、解決策の一つとして院外Drに人間ドック室で先に診察をしてもらう案を出したら、これが結構グッドな案じゃないかと歓迎された。オマルDrは水曜も来てくれるというし毎日は無理でもだいぶ軽減されるだろう。

会議って時間だけ食って益少なしって思っていたけれどたまにはいいこともあるわ。(どんだけ自慢話なのよと思われたあなた、冷静な判断力をお持ちです)

2014年4月17日木曜日

虫が出た?

外来に「この前排便したら虫が出てきた」との訴えで来たご婦人がいた。5-7cmくらいの虫だったという。現物は流したとのことでいったいどんな寄生虫だったのか不明だ。詳しく聞いてみると有機野菜を食べ生魚も摂るという。どうも切断されたサナダ虫ではないかと推測したが証拠がない。検便を指示しようとしたがあいにく排便済みでならばと検査キットを渡し次回持って来るようにしてもらった。

有機野菜ってどれだけ健康に役立つものか私は知らない。有機って肥だめ使っているんでしょ。農薬を使わないからなんだか安全と思って割高な野菜を買ってなおかつ寄生虫感染をしているとしたら馬鹿みたいだ。いやそれでも構わないというのなら見上げたもので、サナダ虫でダイエットなどというのもあるらしいからそうなのか。「いいえ、とんでもないです」と嫌そうなお顔だった。だろうね。

(その後検便をしたが虫卵は全く出なかった。そのため現在経過観察虫いや観察中である。今度はビニール袋でも何でもいいから虫体そのものを持って来てもらう予定だ)

2014年4月16日水曜日

新婚と非婚

いつものメンバーのボウリング練習では今日は久々にタシケント君が参加でグアムでの結婚式&新婚旅行から帰って来たばかりだった。そこでスリウェル君に「どう?そろそろ結婚は」ろ水を向けると「いやいや」とまるでその気なしだった。グアムの砂浜で写真家に撮ってもらったと思われる新郎新婦の姿(タキシード姿でウェディングドレスの美人新妻とポーズ)を見ても「ぜーんぜん羨ましいとも思わないっす」と素っ気ない。だいたい女は信用できないと語り始め、20代のころにトンデモ女にダマされたエピソードを披露し始めた。みんな投球前のテーピングなど準備しつつ聞いていたが、ウソの妊娠告白から勝手にカードでお金を使われていたことまで語り「それって飲み屋で話すことでしょ」とタシケント君に突っ込まれても「いやー、だめっす結婚なんて」と返していた。たまに付き合っていても相手に結婚の素振りが出ると急に醒めるというからよほど痛い目に遭ったのだろう。当分は独身、もしかするとずっとかもな。タシケント君に劣らずイケメンだがもったいない・・というか。

ボウリングはこれまでのネクサスの親指ドリルの感触がどうにもよくなくてテーピング微調整などするがうまくいかない。そのせいもあってスコアも良くなかった。タシケント君は最初こそ新婚ボケ(?)でフォームも安定しなかったが徐々に良くなった。タナカッツ君はボールは曲がらないもののコントロールは良いため負けたくないスリウェル君がたびたびスコアを気にしていた。難ガターさんは安定の投球。以前に比べフォームが力強くなったがボールの動きが小さい。もっと動きの良いボールに新調すれば相当良くなると思うんだが。

ダブルスは私は投げずタシケント、タナカッツとスリウェル、難ガターチームに分かれて対戦で結果はどっちがどうのは覚えていない。ただ、20番レーンのピンセンサーが不安定で倒れていない10ピンがカウントされたりするのをそのまま受け入れるルールでやったら残した10ピンをタナカッツ君が当てなくてもスペアになったり、後半そのつもりでまたもやタナカッツ君がどうせスペアになるからとピンをかすめる投球をするとこれがノーカウントでみんな大笑い。そんなわけで勝敗はあってないようなものだった。

2014年4月15日火曜日

木に気付く

朝は医局会があるのでいつもより早めに家を出なくてはならない。今朝はそういう状況下で慌てかつ肝を冷やす場面に出くわした。

家の駐車場は車中からリモコンで上下に開閉出来るようになっているのだが頂上付近にバーが上がったかと思うとすぐに降下するのだ。幸いバーの下まで移動する前に気付き、降りてリモコンセンサーのところに行き開閉ボタンを直接押してみた。やはり上に上がったかと思うと降りてくる。何が原因かと再度上げ下げしてみると繁茂した庭木がバーの上部に接触するために抵抗を感じて降りてくることが分かった。こりゃー鋏(はさみ)でカッティングしないといけない。いやその前に車を出すことが出来ないじゃないか。上に上がった時にストップボタンを押すがストップしない。あせってきた。このままだと医局会に間に合わない。電源オフにして上段にキープ、そのまま動かず落ちて来ないのを祈りつつそろりとバーを通り抜けた。どうにか間に合いそうだ。ふーぅ。

午後は早帰りで、帰宅後早速、慣れない手ではみ出したベニカナメの枝を切りまくった。庭木の手入れなんてほとんどしないので春になって成長した木に気付かず今朝のような目に遭ってしまった。すぐに終わるかと思いきや意外なほどの枝の量だった。電源入れて今度はバーが頂上で止まるのを確かめ作業を終えた。慣れないことをして腕が張っている。せっかくの半ドンも休みにはならなかったがたまには家のこともしないといけない。何の変化もないように見えて少しずつ不都合は生じている。庭木に教えられましたわ。

2014年4月14日月曜日

君は火星を見たか

午後7時前にドラッグストア「ひまわり」の駐車場に車を止めた。TVニュースで「今日は2年に1度の火星の地球大接近の日です」とやっていた。火星はおよそ2年に1度の周期で太陽を回るためこの頻度になるらしい。そして月の左側のこのあたりに8時くらいによく見えますよと丁寧に教えてくれていた。それを見てから店内に入るとなんと光鳥NsとだごまっちNsがいた。二人もたまたま店でいっしょになったそうだ。青雲会病院に近いから職員ともこうしてばったり会うことが多い。でもいつもは遅く7時半以降が多いので彼女らとは初めてだった。そこで店を出て「今夜は火星が見えるよ」と教えてあげた。しかしまだ外は明るく見えない。あと1時間したらあの方向に見えるからきっと見てよと念を押した。

帰宅して8時前に2階に上がり東の空を眺めるとほぼ満月の左側に小さなしかし肉眼でもはっきりと赤みを帯びた惑星すなわち火星が見えた。火星って赤いからそう名付けられたのか。英語ではRed Planet(赤い惑星)と言うそうだ。PowerShot S110で撮ってみた。一応きれいに撮れるもちょっと物足らない。携帯性、機敏性からなかなか踏み切れないでいるがこれが一眼レフ望遠だったらもっとくっきりきれいに写せたのだが。ま、いずれのこととしよう。

せっかく教えたのにちゃんと見ているか気になって光鳥さんに電話してみた。案の定まだ見ていなかったぜ。携帯なのでそのまま外を見て「あ、見えた見えた」と喜んでいた。「だごまっちNsにもちゃんと連絡してよ」と言い残して電話を切った。後日、院内でだごまっちNsに聞くとLINEで連絡受けて見たってさ。現代っ子は違うね。

2014年4月13日日曜日

井戸教授就任祝賀会

消化器疾患・生活習慣病学科という長たらしい科(旧第二内科)の井戸章雄新教授の祝賀会に出席した。場所は城山観光ホテルのエメラルドホールだった。最近、第二内科がらみの全体会には出席しておらず新教授のお顔も知らないのはまずいだろうと久々に出てみた。300人以上の出席者で出席表を見ると半数くらいは知っていたかな。ロビーで反省会病院のDrたちや内視鏡グループの先輩後輩らと挨拶やらしているとホールで写真撮影とのこと。全員を写せず、前半と後半入れ替えで撮られた。かつて医局員数日本一多いと言われただけのことはある。その中でも昭和60年入局は30名を越え一番多かったが、良し老、ホリゴー、ヤマコー、アップリバ、クッキーDrらが同じテーブルにいて結局6名だけだったようだ。

井戸教授は長崎大出身で当時宮崎医大教授だった前鹿大の坪内教授に誘われ宮医大に移りその後京大などを経て鹿大に来られこのたび第5代目の教授に就任されたということだ。まじめで温厚と挨拶のお偉方の先生たちが言われたように静かに微笑んでいる姿が印象的だった。

会もたけなわになりあちことで談笑するDr、招待者がいて私もあちこち飛び歩いた。とにかく久しぶりに会うDrが多かった。その中でかつて二内科病棟同期の川ミカNsに声をかけられびっくりした。お祝いの花輪の写真を撮っている最中だった。(カメラ構えていると目立つんかね)現在の部署が医療環境安全部で彼女はゼネラルリスクマネージャー、そこで井戸先生が顧問だったらしい。30年近く経っても面影がほとんど変わっていないのにびっくりでネームを覗くと「(姓は)変わっていないでしょ」と言われ「確かに変わらないね」とこれは誉め言葉でしたよん。

昨年長らく務めた居間きれい病院から天妖怪病院に移った焦が鉄Dr、及び同期の服を買う良しDr(長たらしいので以下服買いDr)は同じテーブルにいて「わ、久しぶりですね」と歓迎された。焦が鉄Drは同じグループだけど服買いDrは循環器グループなのに久しぶりだったのは沖縄でいっしょだったからだ。独身主義かなと思っていたら昨年元アナウンサーと結婚したとか。同期循環器で同じ沖縄出張組の田秀Drは未だ独身というからそれは何よりだった。

彼らより1年前に沖縄でいっしょだった血液グループのズキちゃんDrは私に驚き、現状報告や沖縄で昔話で盛り上がった。ヒッチコック映画、殺人物など当時興味があった話題に触れてきたのにはこっちが驚いた。そして田秀Drのことを「あいつはこれですから」と手の甲を頬に添えていた(笑)。さらに彼より1年前に沖縄でいっしょだったのがトクジュウDrで彼は好青年だったが今ではその名も好青年病院にいて大腸の粘膜切除の患者を私がたまに依頼するほどになっている。

沖縄組でいうと先輩にあたるのが今は市内団地で開業しているお通じDrだ。(元助教授のお父様には私の結婚式で祝辞を述べてもらった)ファミスタ、ドラクエなど私が一時期ファミコンにはまったのは間違いなくお通じDrの指導の賜物である。25年も経ち、お互い生活習慣病の服薬をしていることが分かって握手だった。

チェリーDrとは沖縄やグループも関係ないが囲碁で対戦したことがありやはりその話題になった。最近は囲碁以外にも楽しめるグッズ(ネットデバイスなど)もあり周囲に打つ相手がおらずほとんど打っていないということだ。彼が教えてくれたネットの「囲碁データベース」は毎日チェックしていて私がファンの結城聡十段のタイトルマッチも「今2勝1敗でリードしているね」と教えてくれた。(その後2勝3敗で高尾紳路に奪取されてしまった。(泣))

今では薩摩川内で大きなクリニックをしているビッグウエストDrとは学生時代、内視鏡グループ時代からの長い縁だ。開業前は設計図を前に将来の夢を聞いたりしたものだが10数年経ち予想より大きくなっているのには感心する。もともと知り合ったのは麻雀なのだが副院長の海広しDrとはボウリングでのつきあいがあるのに麻雀はしないねと言うと今度ぜひとのことだった。

このほかボウリング同好会出身で消化管グループに入ったサメジーDrや囲碁や同グループのきたぐにDrとも会いたかったが何せ大人数で会えずじまいだった。だいたい趣味が同じDrとは久しぶりでも盛り上がるな。

このほか会話したのは巨体でブックリバーDrとも面識がある重峰Dr、市立病院研修で外科のお父さんが私の指導医だった聞くっちDr、隼人の大先輩腹噛めDr(80代後半なのに内視鏡検査現役で「今年はまだ早期胃癌を見つけていない」と情熱未だ衰えていなかった)、内視鏡グループ先輩で今はコンサルタントかアドバザーの肩書きも持つ癌検診のやぶにらみDr、1年後輩の女医福繭Drは娘がS學館出身で後輩にセージがいて「オヤジがDrなんだって」と言っていたエピソードを教えてくれた。同じく女医のストンサークルDr(夫がバスケ部後輩の脳外科医)とは祝賀会の時は会わずばったりホテルの廊下で近況を話した。

こうして日記に書くとなるといっぱいになる。それだけ懐かしい人に会えて楽しめた。祝賀会とは同窓会のことだった。

2014年4月12日土曜日

レリゴー

話題のディズニーアニメ映画「アナと雪の女王」を見にカールと天文館シネマパラダイスへ出かけた。先月、TVの番宣で「Let It Go」をエルサが歌う場面を見て私にしては珍しく映画を観に行く気になった。天パラは私は初めてだったが、近くの中央公園地下駐車場「セラ206」から地下道で直接行け、映画を見れば4時間無料で天文館でちょっとした買い物も出来るからなかなか利用しがいがある。

映画は最初の10分くらいが導入部で無駄は一切はなく王女二人が両親を亡くし姉エルサが自らの魔法の力に怖れを抱き妹を疎遠に扱う苦悩が描かれる。その後は妹アナが主人公で雪と氷の中でミュージカルだけに歌とダンスでストーリーが進む。

エルサが氷の城を造るシーンで力強く歌う「Let It Go」はTVでは英語で「レリゴー、レリゴー」と聴いたが吹き替え版だったので松たか子が「ありのー、ままのー」と歌う。これは実際に歌うためにそう訳したわけで本来の意味の「放っておけ」とか「そのままにしておいて」や「あきらめろ」より相当簡略されている。かなり苦労して訳したな。自分だったら訳さず「Let It Go」のままにしちゃいそうだ。ビートルズの「Let It Be」は「あるがままにあれ」の意味なのでこれも日本語訳で歌うには相当難しい。「レリビー」のままであれってことになりそうだ。この映画のヒットは楽曲の良さが大きい。

それとアニメなのに表情などリアルで実写並のところも多々あった。手描きでは味わえない感覚でアニメも進歩している。ストーリーで言うとちょっとした意外性もあってそこは気に入らない人もいるかもね。これは何のことか映画を見た人なら必ず感想を言うかつぶやきたくなる。私は「ははあ、そういう解決策でしたか」だ。

見終わってすぐには帰らず映画館の外に出て、チッチの部活が終わるころにいっしょに昼食でもしようかとベンチに座りカールと相談したりしていた。カメラ小僧(おじさん)の私はそんな時も建物をパシャリと写していた。するとである。母娘二人が寄って来て私たちに話しかけようとした。うん?あっ!何と里鳥さんとその娘さんだった。「カメラ撮っているから娘があれはこてる先生じゃないかと言うので寄ってみたらやっぱりそうでした」娘は青雲会病院外来の光鳥Nsではなくて次女の憂鳥さんだった。顔が似ている。次女は私とは初対面だったのに台湾の写真などが実家に飾られていて私と分かったそうだ。へー!いや、それはそれは。それじゃーと記念にカールも交えてそこでもカシャカシャと写真を撮った。彼女らも食事をしたら「アナと雪の女王」を観る予定だそうだ。いや台湾旅行で初めて会ったばかりでお互いそんなに天文館には出てこない(里鳥さんちは姶良郡内)のにばったり出会うとは奇遇だった。

この後、チッチをS學館まで迎えに行き、お昼をどうするかでちょっと迷った。するとチッチが「CoCo壱番は?」と言うので珍しくカレー専門店にした。ははーと思ったのはつい2日前にTV朝日系の「アメトーク」で「CoCo壱番屋芸人」があってそれで行ってみようとなったのだ。私はカレーは好きだけど行ったことはなかった。驚いたのは少し行列があったことである。もしかしてアメトーク効果か?そうだったようなのだ。並んでいる時に「アメトークが云々」と聞こえて来た。あれだけ芸人が実際に食べてみせ語っているのを見ると食べてみたくなるというものだ。おそらく全国のCoCo壱番で似たような光景があったことだろう。

私は半熟たまご鶏つくね、カールはトマトアスパラ、チッチは半仕込みチキンカツにした。辛さは普通辛にしたがカールは3辛を注文し「大丈夫か?」と問いに「平気よ」と答え、実際「ちょうどいい」とのことだった。ここでは10辛まであるが6辛以上は5辛をクリアして人でないと注文しても受けてもらえないとのことだ。それはアメトークでも話題になっていた。他いろいろトッピングも出来、かなりシステマチックにまとまったカレー屋との印象だ。実際そこそこ美味しかったし全国、海外展開までしているだけのことはある。今度行くときは別のを頼んでみようとかも思った。ただ腹持ち良くて夕方過ぎてもお腹が空かなかった。カロリーいくらあったのだろ?

日記書いてから↓に「アナと雪の女王」の紹介記事を見つけた。さすがプロで私のより映画を観たくなるのでは?
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20140426/enn1404261529011-n1.htm

2014年4月11日金曜日

オマルDr見学

ヒラメグDrがいてくれて何かと助かっている。ルーチン業務の内視鏡をしてれくるので外来や救急など予定外の仕事がやりやすい。常勤になって欲しいが6月にはまた帰ってしまう。海外に彼氏がいるんではねぇ・・。

しかし昨日のカレントDrに続いてもう一人非常勤Drが来てくれそうとのことで、夕方見学に来てくれたのがオマルDrというこれまた30才代の男性Drだった。いずれも内視鏡経験があり一般内科もしてくれる。オマルDrはまずは金曜日、そしてもう1日もOKでやや手薄な水曜を頼んだらすぐではないにせよ6月からなら大丈夫らしい。有り難いことだ。

そのオマルDr、新調したスーツを着ていたが内視鏡室のベテランNsがその後ろにタグがついたままなのに気がついた。「あ、買ったばかりなので」と頭をかくオマル先生。笑って「かわいいー」とえらく評判だった。いやはや来週から楽しみですわー。

夜は串木野トリオリーグで昨日の好調さを出せば楽勝かと思いきや、やっぱコンディションが違えば全然で特にレーン端ぎりぎりを狙うため何度もガターをして2ゲーム目までは迷惑をかけ通しだった。(ぬぁんと135、144)3ゲーム目も1フレイージーミスで嫌な予感がしたがここから計7個ストライクを出し215で大貢献し、久々参加の米将軍MRも198を出してチームスコアは280(2フレのみスペアで後は全部ストライク)というハイスコアで全勝した。ハマるとすごいんだよマスターマインド。

2014年4月10日木曜日

カレントDr参上

内視鏡のDrが4月になって不足していたが捨てる神あれば拾う神ありで本日木曜日にカレントDr(30才代)が来てくれることになった。出身大学がブックリバーDrと同じで1回だけ会ったことがあったという。4月からの勤務で週1空きがあるのを聞きつけたブックリバーがうちに来ないかと打診したらOKだった。決まるときはすんなりいくものだ。

で、私が側についてオリエンテーションをした。電カル操作と検査のやり方などは気がついたことは逐一教えたが検査そのものは信頼してほとんど何も言わなかった。分からないことや困った点があればその都度アドバイスしよう。せっかく来てくれたDrだ、気持ちよく仕事が出来るような態勢で迎えようぞ。

夜は国分スターレーンでスリウェル、タナカッツ両MR、難ガター、サンシさんらとボウリングをした。タシケント君は新婚旅行に出かけ今週まで不在、来週はOKとのこと。今夜のコンディションは比較的御しやすく出鼻176、150で今一だったが2ゲーム目の9フレ10フレからラインが分かりストライクが出だした。その後はダブルターキーは言うに及ばず5連続ストライクなども出て243、215と連続200アップした。マスターマインドは曲がりもだがピンアクションがとにかくすごい。1、3ポケットに入ればたいていストライクになる。ラスト5ゲーム目もノーミスで9フレまで来て200アップは確定、最後普通に投げれば5ゲーム1000点以上アベ200達成なるのは当然と思われた。だが、最後の最後詰めが甘く7本平行スプリットでスペアは絶望的の213に終わってトータル997、アベ199に終わった。くーーっ。ミスのほとんどがスプリット由来で食い込みが強いと出やすい。これは一種の必要悪か。

サンシさんも好調で955、難ガターさんは881。まだタナカッツMRには負けられないスリウェル君は785で728のタナカッツ君を上回りほっとした。「あの球質(まだほとんどストレート)に負けられないでしょ」だって。こんな感じで週1程度のこてるボウリング同好会は続いている。

2014年4月9日水曜日

送り役の心得

鶴店Drの歓迎会が恒例のイタリアン、ザ・ハートであった。ついでというわけではないがヒラメグDrもいっしょにである。彼女はザ・ハートは初めてだったので私が車で先導して案内した。着けば案の定ラブカメ、鶴店両教授は屋外のテーブルで芝生と木々を眺めつつアルコールを開けて一杯やっていた。すぐに可愛いんだ理事長、シマッチ院長も合流して乾杯だ。私たちは室内テーブルで遠巻きに眺めていた。まだ肌寒いのにようやるわ。19時ちょい過ぎには市内からグッちんDrも来て全員そろい改めて乾杯し歓迎会は始まった。私は飲まないつもりだったのでジュースとウーロン茶にした。

結構盛り上がった。私は主にヒラメグ&山守先生と会話した。メグたんはロンドンでの生活と彼氏のことを話してくれた。ふむふむそれが聞きたかったのよねー。でもすぐに結婚とはいかないだろうしなかなかにハードルは高いと思った。山守先生はいつもの蝶取りの話題があってこれが何回聞いてもパターンが違って面白い。今回少し驚いたのが先生は明日は虫取りだという前夜はわくわくしてなかなか寝付けないという事実だった。40年以上続け、しかも雨が降らなければたいてい採集に行くほどの頻度だというのに小学生の遠足前状態が未だに続いているというのだ。ありえないよ。「先生もボウリングする前の日は?」なんてぜーんぜん。麻雀でもありえない。そんなわくわく感があるから続けられていたんだ、納得。

ブックリバーDrが鶴店、シマッチ、ラブカメ先生ら大御所Drと趣味の話などで盛り上げたりしなかなかにいい歓迎会だった。21時半も過ぎどこかで線を引かないと終わりそうになかったので鶴店、ヒラメグDrにコメントをしてもらいそのままお開きとなった。ここでラブカメ先生に「鹿児島のこてる先生の家の近くまででいいから私と鶴店先生を乗せてくれないか」と頼まれた。あはー、いいですよ、もちろんですとも。デジャブー、いつだったかこんなパターンが前にもあった。あの時、私はラブカメ先生の言を真に受けて伊敷で降ろしてしまったんだった。(未熟な送迎者 2012/11/01(木)記)その時の反省を踏まえ、今回は高速北インターで降りるべきところ、鹿児島インターで降り中央駅まで向かった。ラブカメ先生は実はそこで県職員との二次会も予定していたのだ。(どんだけ飲むんやろ)鶴店先生は市南部の団地ということで「後はタクシーで帰りますので、ここでよろしいです」と先に降りた。その後ラブカメ先生も降ろし、前回の反省をここでちゃんと生かしのだった。ほっ。

2014年4月8日火曜日

ようこそMacへ

朝、医局に着くとブックリバーDrの机にiMacが置かれていた。昨日セッティングしたようだ。長らくWindowsのパソコンを使ってきたがこのたびのXPのサポート終了に伴いMacに鞍替えしたのだった。これって珍しいことだ。かつては医師も寄らば大樹の陰ってことでMacからWindowsへ移行する人が多かった。確かにMacOS以前は安定性に欠けるところもあってあの爆弾マークに泣いた経験のない人はまずいまい。それから10数年、ブックリバーDrのように携帯はiPhone、それにiPadも持っているがパソコンはWindowsという人も増えてきた。それをMacに変えればデータの連係など使い勝手が高まる。いざという時にはWindowsを走らせることも可能だ。デザインも数段優れているし値段もほとんど差はない。ただ慣れ親しんでいないために漠然とした不安があり彼も思いきるまで何度かためらったようだが、「使い方は大丈夫ですか」と聞くと、習うより慣れよで「すぐ使えましたよ、問題ないです」と力強い返事だった。

これで医局のMac対Windows比率がおおよそ5対5となりほぼ拮抗した。この10数年一方に偏ったことはなく青雲医局ではMacはかなり健闘している。私ももうWindowsにしようかなと思うことは全くなくなった。ネット麻雀をするときワンタッチで切り替えて使うくらいである。古いWindowsを使っている人へ、Macの世界はいかが?

2014年4月7日月曜日

帰国女医

6Fにある当直室から降りて3Fの医局に行くとびっくり、ヒラメグDrがソファに座って「あー、センセー、よろしくー」と鎮座しているではないか。「えー!今日からだった?」と私。

ロンドンにいた彼女が4月5月に一時帰国して月に2週間ずつ青雲会病院勤務するというのはメールでやり取りしていた。でも4月9日からと思っていた。そのことを指摘すると「後からのメールで今日からになってませんでした?」と言うがつい最近確かめていて今日まさにメールで最終確認しようと思っていたので間違いない。でもいいや、今日からで何も問題ない。朝礼の時間も迫っていてそこで早速挨拶をしてもらった。彼女が青雲会病院に非常勤でいたのはちょうど4年前、おそらく半数の職員が知らないはずで朝礼はいいタイミングだった。

内視鏡室で新しくなった電子カルテの操作法を教え、その後人間ドックの経鼻内視鏡を私がしてみせた。彼女はロンドンにいた2年間は内視鏡を握っていなかったのだ。「久しぶりにやる前に誰か練習台になってくれないかな」などと気の弱いことを言っていたが、なに10年もやって来た杵柄(きねづか)スコープ握ればすぐに勘を取り戻すさとそんな無駄なことはさせなかった。そして数例見学した後「やってみるか」と勧めるとすぐに出来たヨ。ほうらね。大腸内視鏡は3年やっていないということだが何々それもいっしょ。明日からはやってもらおう。しばらくはにぎやかな内視鏡室になりそうだ。





(台湾3日目をようやく書き終えた。残るは最終日だけじゃー)

2014年4月6日日曜日

ビートルズおたく

先週に引き続き日曜当直だった。かといってそんなに忙しかったわけでもない。気候が良くなってきているせいかインフルやノロなど感染症が減ってきてあまり呼ばれることはなかった。

医局の机も薬のパンフレットなど雑然と積み重なっていたので整理するなどしていると、頼みもしない医学雑誌もあってチラッと見て捨てようとしたが中にDrの趣味紹介の欄があって、読めば函館の某先生が「All My Loving ビートルズと共に。」とのタイトルでビートルズにのめり込んだ数十年を熱く語っていた。

中学2年だった1970年というから私よりは3、4才年長だ。その時に出たアルバム「LET IT BE」に目覚めてしまったのだという。すごいのは「公式のビートルズナンバーは全213曲。高校時代にその全ての詞を暗記した」んだそうだ。大学入試の時に日本題名「恋する二人(I Shoud Have Known Better)」のメロディが浮かんできたのは詞そのままの文型が英語の設問の答えになっていたからだとか。その後もアルバムの各国で発売された盤を買い集め、大学入学後はバンドをし当然ビートルズもコピーし、医師になってからは大人買いで音源マニアとなってアルバムやCDの蒐集に精を出しアナログレコードは600枚、CDは1000枚(全てビートルズ関連!)にもなったそうだ。その中にはお宝物もあり軽自動車ほどの値段がするものも1枚や2枚じゃないらしい。東京出張の際は六本木のライブハウス「ABBEY ROAD」で本物より上手いと定評のあるライブを聴くのが愉しみとのことだ。最後は「ビートルズは人生の糧であり原動力。ビートルズがいなければ今の私はいなかった。」と結んでいた。

いやー、40数年以上もその情熱を続けられるのがすごい。オタクの行き着く先まで行った、ある種一芸に秀でた人と言えよう。私も中3の時からハマって40年になりビートルズの知識はたいていの人よりは持っていると自負していたが完全に負けた。ははーっ。m(_ _)m

2014年4月5日土曜日

開き具合が気になる

土曜朝は外来兼救急当番だった。始業まもなくカジキやねん病院から呼吸状態が悪い高齢男性患者を診て欲しいと連絡があり救急で受け入れた。見るなりこれはやばいと思える状態で普通ならレントゲンやCTを撮ってから処置に入るところ、すぐに気管内挿管が必要と家族に説明し実施した。時には手順に構っていられないこともある。胸部CTを撮ると典型的な誤嚥性肺炎のひどい像を呈していて何もしなければ10分も持たなかったのでは思えるほどだった。

この患者は見覚えがあった。一昨年の11月ごろ過ごし安病院のサブアラドDrから紹介を受けた食欲不振の患者だったのだ。治療でえらく元気になり帰宅していったのだがその後は認知もあり状態を崩していたようだ。家族に厳しい予後だと説明しその後は外来業務に戻った。

その後は特に問題なく過ぎ、昼食摂って鹿児島市内の雀荘「最高」に向かった。結局残り一人の面子は昼は歯学部のデス川君、夜は仕事帰りのダイボDrに交代という技を使い成立させた。デス川君は夜遅くまではしたくないとのことだったのだ。でも開始前から見せたまえDrが「お産がねえ」と気にしていた。どうも間近の妊婦さんがいて途中退散もあり得るということだ。何度か当直看護師から連絡が入りやきもきさせた。産道の開き具合の結果待ちの時など私に7700を振っても気もそぞろでさっさと場を進めようという態度だったのに、その後の連絡でまだ大丈夫と分かるや急に元気が出て逆転トップを取りやがった。どうにか夜12時まで打ち、いよいよお産が近いというのでお開きになった。いい頃合いだ。お互い忙しい中をこうしてポンチーリーチロンツモを楽しむ。それだけ楽しいが麻雀というゲームだ。また今度も打とうと大人4人は帰路に就いたのだった。

2014年4月4日金曜日

タケノコづくし

カールが近所の亀ハメおじさんからタケノコをもらった。今が旬で取れたてだという。タケノコって漢字で筍って書くそうだからまさにしゅんを頂いたわけだ。

「さあ、今日はタケノコづくしよ~」

消費税も上がったことだし無駄は省き節約に励め。もらったのなら買い物はせず使い尽くそう。カールがまるで料理の鉄人の今回のテーマがタケノコのような尽くし料理を出してきた。特に渋くもなく固くもなく全部平らげた。そもそも私は出されたものは全部食べる。そしてどちらかと言えば外食より家庭料理を好む。なんてコストパフォーマンスのいい旦那様でしょう。

食後、台湾旅行記第1日目を3時間以上かけて書き上げた。こんなにも時間がかかるとは。何かを書こうとするとその字句が正確かなど外国のこと故調べるのに時間を食ってしまう。ここでとどまるとこてる日記全体が遅れるので少しずつ書き足すことにして旅行後翌日から書き始めることにした。

終わって他のサイトを眺めているとヒトミンチョの猫ブログに何とタケノコが登場していた。「ついにやって来ましたよ~。今年初めての筍、長兄が持ってきてくれました。今年はちょっと遅かったですね。大好きなんですよね~。これから一時は筍づくしですよ」いっしょじゃん!

2014年4月3日木曜日

「ヤブ医者め・・」

心血管系の病気で入院している80代女性患者は本が大好きである。昔から本だけはお金を気にせず買うのをいとわなかったという。ベッド上でも月刊文藝春秋を読んでいるから本当だろう。そんな彼女の本に「シルバー川柳」があった。老いをテーマにしたシリーズで、パラパラとめくってみると思わずくすっとなるもの、あるあると頷きたくなるものまでみんな出来がいい。

「欲しかった 時間と自由 持て余す」「LED 使い切るまで ない寿命」「AKB わしらはこれよ AED」 「恋かなと 思っていたら 不整脈」「寝て練った 良い句だったが 朝忘れ」などなど。

その中でこれは面白いと思った句で「ヤブ医者め」の次ぎに来る句はなにか分かるかな?だいたい江戸の昔からヤブ医者を川柳にするのは鉄板でそれだけで一つのジャンルがあるくらいという。医者と老人が結びつきこの句の後半は「みんな老化で 片付ける」だ。似たようなのに「三時間 待って病名「加齢です」」なんてのもある。そこで私、彼女に私を指さしてもらいその本のその句が写るようにデジカメで撮った。そしてすぐにプリントアウトし病室に飾ったのである。はい、みんなに受けてました。川柳には自虐ネタも多いとしたもんでー。

2014年4月2日水曜日

187対187

シホねえNsが内視鏡室にビーフジャーキーパック入りを三種持って来ていた。「何これ?」「ビーフジャーキー好きだから台湾で買ったんだけど開けたら匂いがきつくて」誰か食べないかなと持って来たんだそうだ。うへ、誰が食べるんかいそんなの。それにしても食べるかどうか分からないのに3パックもよく買って来たな。「ノレンも好きだから・・」と言い訳していたが息子も食べなかったやないか、ちぃた買うときに考えろよ。台湾では3日目の九扮でも高価な茶器を買ってしまいその日の午後は手持ちキャッシュが無くなって困ったやろーに。(結局2週間経過した今でも冷蔵庫にねむっています)

サブアラドDr、見せたまえDrと今度の土曜午後に麻雀の約束をしているのだがあともう一人が見つからない。あちこちに電話かけても昼から夜までOKという暇人はいなかった。ううむ、どうするべ。しかしこれであきらめるような私ではない。まだあと3日ある。やるとなったからにはこれまで必ずセッティングしてきた。少なくとも面子集めに関しては学生の頃から負けんかったからね(何自慢してんだか)。きっと見つけて闘牌にこぎ着けてやるぜ。

夜は恒例のT-MAXでのボウリング練習。スリウェル、タナカッツ両MRに難ガターさんでこのところタシケント君が来ないなと思ったら、タナカッツ君曰く「来週グアムで結婚&新婚旅行なんです」とのこと。あらま、そりゃーボウリングどころじゃないね、なるほど!

さて今夜は調子が良く223,224といきなり220アップの連続だった。とにかくストライクがよく出た。ボールは最初マスターマインドを使ったけれどオイルが薄くなってきていたので以前のネクサスを使ってまだまだ使えることがわかって良かった。

最後の5ゲーム目は結構盛り上がるスカッチダブルスで私とタナカッツ、難ガタースリウェル組に分かれて対戦した。これがまれにみる名勝負となった。ダブルスになるといい加減な投球は出来ない。イージーミスはペア相手に悪いという気持ちになるので残りピンのスペアなどはプレッシャーもかかる。その分意外にまとまった良いスコアが出ることも多い。直前の4ゲーム目、私は160、難ガターさんは134とスコアダウンしていたがダブルスになるとシャキッとしたのだ。

私のチームはタナカッツ君が先投げで私がスペアを拾う役目だった。しかし5フレ目6ー10のベビースプリットを私が取れずそこでダブルを出した難ガタースリウェル組にリードを許した。しかし6フレにタナカッツ君がストライクを出し次私も渾身のストライクでダブルとしマーク差なしの数ピン差と並んだことで8フレ1投目のスリウェル君に力が入った。普通に8、9ピンそしてスペアでもまだリードしていたのにここはストライクをとはやる気持ちになったのだ。結果はガター。直前がスペアだったので丸々10ピン近くの損失だ。しかも次の難ガターさんが10本スペアしないといけない場面で相当我がチーム有利と思いきや何としっかりカバーした。これにほっとするやら感激するやらのスリウェル君、9フレで今度はストライクを出した。それでもリードを広げられたこの場面ではタナカッツ君1投目が5本とカウントダウンで私がスペアしたものの150対147とわずか3ピンしかリード出来なかった。こうなると10フレの1投1投が勝負に直結する。調子を取り戻した難ガターさんの10フレ1投目は1ピンがきわどく残り私たちは胸をなでおろした。ここでストライク出されるとこちらはダブルを出さないと勝てなくなる。タナカッツ君投球は8ピンカウントで私がスペア。9フレスコアが168対167と私たちの1ピンリードという僅差で最終投球迎えた。先にまたタナカッツ君が投げる。ストライクなら勝利が確定だ。しかし9ピン。最終スコア187となりこれで少なくとも負けはなくなった。さあて1ピンスペアでおおーと胸に手をやったスリウェル君のあと難ガターさん運命の投球、ストライクなら同点それ以下なら負けの場面だった。力強く振り抜いた球はスムーズに転がり見事ストライク!動画撮影していた私は「う、おおーっ!」と声を張り上げた。みんなも歓声。187対187。すごい。超ハイスコアではないしミスもあったけれど気持ちのこもったスコア同士、素晴らしいゲームだった。

2014年4月1日火曜日

鶴店Dr登場

(台湾旅行記、3日目の夕方まで書いた。あと、もう一息だぁ~)

新年度になり青雲会病院にも新たに入職した職員10人超の入職式があった。その中で一人異色なのが昨日まで国立大学医学部皮膚科教授だった鶴店大和Drだ。定年後を当院外来業務で過ごそうということで週4回勤務だから立派な常勤医である。実は私、医学部卒業後進路をどの科にしようかと迷っていて皮膚科も見学に行ってみたところ助手の金くれたろDrと鶴店助教授が飲みに連れて行くというので付いていった。まあ勧誘ですな。いろいろ面白い話も聞けまあ皮膚科も悪くはないかなで終わった・・つもりだった。国家試験の発表があって迷ったあげく第二内科入局を決めた。で、皮膚科にも一応報告しておかねばとお断りの挨拶に行くと、金くれたろDrがいてびっくりした顔で「ええーっ!こてる君、君はもう皮膚科入局することになっているんだよー」と言うではないか。(°0°)。こっちがビックリしたわ。「OBにも今度は君を含め○○人入るってもう言ってしまったしー」とお願い、考え直してと後の教授様に手を合わされたりもしたがすでに第二内科には挨拶済みだったし改めてお断りするしかなかった。その時は鶴店先生には会わずそれっきり30年弱経ったというわけである。

昼に外来に行き「医局長のこてるです」と挨拶に行った。先生は「こちらこそよろしく」のあと私を見て「君は確か会ったことがあるよね」と来た。あちゃー覚えておられましたかー、あの時は失礼致しました。いや参った。そうそう忘れるものではないようだ。これも何かの因縁ってやつですか。これからよろしくお願いします。(^^;