2015年6月21日日曜日

母というお荷物

今日は日曜ではあるが出水のスチョル先生のところで胃カメラ検査のお仕事があった。その最後の検査がシンタカさんの母だった。シンタカさんは中学時代のクラスメートで同窓会などでもたびたび会っている。メールで依頼があり最後に入れてもらった。実は以前も胃カメラはしたことがありそう大した異常はなかった。しかしかなり心配症の母親でもたれや酸っぱいのが上がってどうにも気になる、検査を受けたいとのことだった。「すみませんねえ」と彼女は言い、私もああ、あの母親ならと合点した。青雲でも1週間ほど入院したことがあって私や看護師にずっと症状を言い続けるキャラクターだった。

検査すると予想どおりほとんど問題のない結果だった。それでホッとしてもらえたかと思ったが、シンタカさんは「ちがうのよ。こてる先生に胃カメラしてもらえるわよと言ったら胃の症状は言わなくなっていたの」と、全くぅーという表情だった。その前は心臓がどうのこうので鹿児島のかしましい病院に1週間入院してもらったそうだ。採血や心電図、その他ほとんど異常がなくまた帰ってきたが、「その1週間は私の体調がすごく良かった」と振り返っていた。

女性も50歳前後になると年老いた母をどうもうっとうしく思うものらしい。女同士ゆえか何かとぎくしゃくしてしまう。娘はすでに一人前になり年老いた母の至らなさが鼻につき、母は相変わらず娘を子ども扱いする。「お父さんはとってもいい人だった」と一昨年88才で亡くなった父親をいまだに敬愛しているシンタカさん。夫とも別れ子どもも独立し同じ屋根の下、女同士の生活は必ずしも快適というわけではないようだった。

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