2019年10月21日月曜日

息子の顔を見て、だあれ?

昨日の日曜、ギボヒサコも連れて約2ヶ月ぶりにあこネーサ母90才の見舞いに出かけた。だいたい月に1回は見舞っていたが今回は少し間が空いていた。いつもの老人施設に行くと「昨日から不在です」と言われた。ああ、チエコンさんが実家に連れて帰っているのかなと連絡すると、そのとおりで「敬老会があるから」とのことだった。地域の公民館にいると聞き、そこへ向かった。

先にカールが降りて公民館に入り、私はギボヒサコが車から出て来るのを待った。ヒサコはかなりスローモーなのでちょこっと公民館を覗きに行き、またすぐに車の近くに戻ると、彼女は男性老人につかまって何かを聞かれていた。「遅いね、どうしたん?」と聞くと「(この男性に)何班ですかって言われて、私、何班かしら」と言うので、私は呆れて「それは関係ないから、早く来て」と急がした。男性は敬老会の係らしく、ギボヒサコを敬老会参加者と勘違いしたようだ。それも無理はあるまい。部外者のヒサコがはっきりした返事をしないのが悪いんですって。

公民館玄関に着いて、少し先にカールがあこネーサ母のところにいた。でも何か戸惑っている。カールが戻って来て「お母さん、私のことが分からないの」と。うな、物忘れがひどくなってきてはいたがそこまでかなぁ。で、私があこネーサの席に行って肩を叩いて「ほら」と顔を見せた。じっと私の顔を見ている。「こてるだよ」「だいけな?(誰かな?)」「ええー、こてるを分からないの」「・・・」参った、私の顔を見ても誰かが分からない。「息子のヒラーキは分かるよね」と、つい半年まで隣の家同士だった弟の名前を出した。「はい、息子です」と答えるから「そのヒラーキのお兄さんは何て名前?」と聞くと「えー、こてるですぅ」「だからほら、そのこてるだよ」と顔を近づけると「あー、てるさん」とようやく私だと分かったようだ。「来たのねー、ほらこれを」と側にあったみかん2個を渡してくれた。だが、それ以上は会話が続かない。玄関にいるギボヒサコに会わせると「(カールさんの)お母さん、よーく来たねえ」とそれは分かったようだ。ただ実のある会話はほとんど出来なかったがー。結局、いっしょの写真だけは撮ってすぐに公民館を後にした。最後も遠くから私を見て誰だか分かっていないようだった。ただ、顔色はよく自力でも歩けるし元気そうなのはなによりだった。

その後、実家に寄ると、ちょうどチエコンさんも車で出かけるところで、「おかあさんは今の施設が以前のより相性がいいみたいで元気です」とのことだった。確かにそうだが、つい2ヶ月ほど前は私もカールもちゃんと分かっていて「よく来たナー」と言ってくれていたのにー。息子だと分かってくれなかったことは少々ショックであった。ギボヒサコもあこネーサよりはまだ7才ほど若いとはいえ軽い認知がある。5年前、二人の母親を天草ドライブ旅行に連れて行った時はどちらもしっかりしていた。行ってて本当に良かった。体も頭もしっかりしているうちに親孝行はしておくべきだ。80才を過ぎたら「認知」は待ってくれないよ。

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