2014年12月1日月曜日

巨星墜つ

著名人の死亡記事が相次いだ。先の高倉健に続いて東映のスター俳優だった菅原文太が亡くなったという。さらに囲碁をたしなむ人なら知っている昭和の囲碁の巨星呉清源(ご・せいげん)も100才で亡くなったとのことだ。

菅原文太は何といっても「仁義なき戦い」シリーズだ。これまでこてる日記で何度か話題にしている。だが有名なくせにTVではほとんど放映されない。今度の追悼放送でもまず地上派では放映されないはずだ。理由は何といってもその暴力性にある。以前のこてる日記にこう記してあった。「・・全編これ暴力なんだもん。とてもお茶の間で善男善女に見せられたものではない。一度カールに見せたら5分もしないうちに「こわい!きらい」と言ってみようとはしなかった。心落ち着く場面は5分と続かず、ふと気がつくと後ろからパン!パーンとやられる。手持ちカメラで撮り、俳優と同じ目線で画面も揺れる。まるで自分がその世界いるかのようだ。その世界に入った感覚になると、いつ自分が殺られるか非情に不安な気持ちになる。実感として「怖い」のだ。」

さらにそこに広島弁のヤクザ言葉が飛び交う。

「おう!殺(と)れるもんなら殺(と)ってみいや。何ならワシが先に殺(と)っちゃろか。あー、どうなら!」
「・・広島のケンカ言うたらよ、銭じゃカタつきゃせんのじゃい」
「・・今度こそ遠慮のう首をもらいますけん、よう覚えておいてつかあさい」
「広島には広島極道の性根っちゅうもんがあるじゃけんのう」

おお、こわ。でもなぜか画面に釘付けになってしまう。不思議と二度三度見ても飽きない。その主人公が広能昌三役(現実世界では美能幸三)の菅原文太だ。私は彼は広島出身なのかとさえ思っていた。実際は宮城出身で早大中退とおよそヤクザ社会とは関係がない。実は後の「新仁義なき戦い」で私が大笑いするお気に入りのシーンがあるがその時のきょとんとした顔つきなどコメディセンスもありやはり演技派なのだ。晩年は政治的発言を積極的にするなど高倉健とは違った生き方であくまでスターの雰囲気を残した俳優だった。

一方、呉清源は最近の人たちはほとんど知らないだろうが、囲碁の世界の人とはいえ昭和前期から戦後まで一世を風靡した人物である。中国出身で少年のころから天才と謳われ当時囲碁先進国だった日本に来て木谷實と「新布石」という囲碁布石の一大転換を来した戦法を発表し一大ブームになる。その布石を実践し時の名人本因坊秀哉(しゅうさい)と戦った碁は読売新聞の売り上げを一気に伸ばす原動力となった。そして十番碁という一対一で実力差を決める戦いで時のすべての有力棋士に勝ち越し最強の棋士と誰もが認める存在になったが、タイトル戦主体に囲碁界が転換していったころ交通事故に遭い長い時間の対局には集中力が続かなくなり勢いが衰え、主要タイトルには恵まれなかった。私が囲碁を始めたころ(昭和48年)はNHK囲碁にも出ていて端正な対局姿で打つのを見たことがある。そして驚いたのが平成に入り囲碁への情熱衰えず「21世紀の碁」と称し新たな布石の本も出しそんな打ち方があったのかと感心したし(私はそれを買った)、さらに85才を過ぎてNHKの囲碁の講師になったのにはびっくりした。単に囲碁が強いだけではなく四書五経にも通じ高い教養を持ち独特の魅力を持つ人物だった。100才というぴったりの年齢で鬼籍に入ったのもなんだからしさを感じる。2012年の『週刊碁』の企画「尊敬する棋士、好きな棋士」ではとうに引退した棋士であるにも関わらず第1位に選ばれたというのも、単に記録だけでない魅力を多くの人が感じていたからだろう。中国人だからかとかそんな小さなことで大人物の威光は色褪せない。まさに巨星墜(お)つという言葉にふさわしかった。

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