2023年8月2日水曜日

どんかご2時間SP「あの夏、鹿児島は」

MBCのローカル番組「どーんとかごしま」であの8・6豪雨水害の特別2時間番組があった。災害を直接経験した地元ならではの貴重ないい番組だった。

先にカールが見ていて私も後からビデオで見た。カールはまず「私たちは運が良かった。4ヶ月ちょっと前まで鹿児島にいて発生時は沖縄で何の被害もなかったんだから」と言い、出産時に知り合っていたバンブックさんに安否確認の電話をしたことを思い出していた。なんとバンブックさんも夫の転勤で当時福岡にいて、当然無事で「(鹿児島の)妹に聞いたら山形屋近くにいて無事だった。(甲突川近くの)実家も無事だった」とのことだった。私も念のため田舎の実家に電話したがつながらなかったことを覚えている。

番組では浸水、被害地域のマップが出ていて、見れば23年住んだかつての樋之口町の実家は浸水ど真ん中地域だった。↓は水が引き始めた翌8月7日の0時過ぎで、それでもまだ相当水に浸かっていることが分かる。
カールが「119番に連絡するおばさんの言葉が何を言っているか分からない」と言っていた。私が聞いてみると分かりすぎるくらい分かる。「あたいやなー、半身不随でなー、にぐぃがならんたっどー」「じいちゃんな、84、5でいけんもいかんとー」ただ番組ではさすがに共通語字幕で出ていたけどね。↓。
その次の119番通報は不謹慎ながら笑ってしまった。「もう2回目土砂が崩れそう・・ほら来たー!おーーぃ!おい!」と叫んでいったん通話が途切れる。消防隊本部の人も戸惑って「伊敷・・伊敷の方で土砂が・・」と語っているはなから二度目の通報が来て「おーい!おいおい!」「家がなくなったとかですか・・」「もう家もなんもかんもねごっなったこら」・・とのやり取り。番組では緊迫感をある場面を表したかったのだろうが、本人たちが真剣なだけに逆にギャグを見聴きしているよう。

8・6水害では甲突川周辺の水害ともう一つ竜ヶ水での土砂崩れがこれまでもよく映像に出てくる。私が青雲会病院の職員に聞いた話では加治木の産婦人科勤務の医師が大雨で帰りが大変だろうと少し早めに仕事を切り上げて病院を出て鹿児島市内へ帰宅を急いだそうだ。その時は8・1水害で高速道路は不通になっていたから当然国道10号を利用しなければならない。しかしそこで竜ヶ水の土砂に巻き込まれてしまい亡くなったそうだ。出発が早くか逆に遅くならそうはならなかったのに。今では一定の降水量があると国道10号は何もなくても通行止めになる。一時不便を感じるがその医師の死を無駄にしないためにもそれを我々は受け入れなければならない。

8・6水害は江戸時代に架けられた甲突川五石橋移転問題が決着する大きな転換点になった。反対派は最後まで抵抗したが、武之橋、新上橋が破壊流失したことで移転派、撤去派が押し切った。
五石橋近くにある甲東中出身者には思い出がいくつかある。昭和49年(1974)の川を挟んだ天保山中との「武之橋の下の決闘」で新聞沙汰になり多くの同級生が歩道、指導され、昭和58年(1983)だったと思うが、同じく同級生のショーイチ君が高麗橋で運転操作を誤り欄干に車(確かマークⅡ)を乗り上げて一部破壊させてしまいこれも新聞に大きく取り上げられた。予想以上の反響にショーイチ君は「なんで、普通の交通事故なのにこんな大事になるんだ?」とぼやいていたが、すでにその頃から移転か反対かで議論があったのだ。災害直後に沖縄から新上橋近くに住んでいたバンバ君に電話したら「夜、トラックかなにかが新上橋にぶつかる音がした。きっとあれで壊れたんだろう」と言い「うちの会社の職員で3日前に新車に替えたやつがいたが、全部浸かってしまったんだ(涙)」など報道には出ない悲惨なエピソードも教えてくれた。でもさー、車や橋はなくなってもまたどうにかなる。命があればまたどうにかなるんだよな。

番組でも被災直後のおばさんの言葉が紹介されていた。
日本に住む限り、洪水、地震、津波、台風など災害はまた必ずやって来る。命さえあればみんなで手を携え生きていけるんだとー。

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