2018年1月8日月曜日

ラグビーが熱かった頃

雨の中、カールとやばかた屋のバーゲン黄札市に行った。冬物のシャツを買うためで、いくつか見て回った後、TOMMY HILFIGERのに決めた。のみならずそこに置いてあったカジュアルトートバッグを買うことにした。リュックのように背負うことも出来るし、ちょうどパソコンを入れるバッグがへたってきていて買わねばと思っていたところだった。色がカーキ(モスグリーン)とブラックがあって私はブラックが無難でいいのかなぁと思ったらカールが「絶対にカーキがいい」って主張した。店員も「カーキの方が売れています」と。へーえ、そんなもんか。私はこの手の審美眼に自信がないので素直に従った。3割引でまあ妥当か。(後で調べるとネットでも同じ値引きだった)

このあとどこにも寄らずに即帰宅。バーゲンだからといって無駄買いはしない。今日は冬の球技の決勝が多かった。高校ラグビー、サッカー、女子バレーなど。でも私が見たのは録りだめビデオでの1985年のラグビー日本選手権「新日鉄釜石対同志社」だった。これは2年前に平尾誠二が亡くなった時に追悼の意味で再放送がされ録画していた。釜石の松尾と平尾がアナを交えて対談しつつゲーム映像をふりかえる形式だった。私は学生時代に松尾の「勝つために何をすべきか(1983年)」という本を読んで感心したことがあって彼は単なるちやほやされただけのスター選手じゃないなと分かっていた。
対談でもきちんと内容を外さず平尾に話し平尾は平尾で実績では松尾に勝るとも劣らないのにきちんと立ててそれこそ誠実に話しを受けていた。高校(伏見工)、大学(同志社)、社会人(神戸製鋼)と優勝を経験し日本代表の監督まで務め、まさにラグビーの栄光人生を歩んでいたが53才の若さで胆管細胞癌で亡くなったのが惜しまれるねえ。

このゲームで松尾がドロップキックを失敗するのに対し平尾が決めるシーンが世代交代を象徴していると言われたし、松尾自身も「松尾引退だぁ」と自虐コメントを言い放って笑わせていた。ただこの試合松尾は怪我で試合に出るのもままならず2週間以上も全くの無練習で周囲の説得で試合に臨まされていたと知った。で、結局この試合を最後に引退を発表する。私は医師国家試験を前にしていたがそれでも生中継を見ていたくらい当時のラグビーは人気があった。この前の年は高校ラグビー決勝戦でも天理対大分舞鶴で最後舞鶴キャップ福浦孝二のゴールキックが決まれば両校同点優勝という場面は今でも思い出す。結局外れて舞鶴は久々の優勝を逃してしまう(この場面は松任谷由実の曲「ノーサイド」のモデルになったとも言われている)。キャップはその年オープンする鹿屋国立大学の推薦入試日と決勝日が重なってしまい試合出場を優先するというサブストーリーもあったのだった。

さて来年はラグビーW杯の日本開催の年だ。日本代表が強くなり社会人リーグも学生も人気が出て欲しいものだ。サッカーもラグビーも同じフットボール、ともに熱くなるスポーツやしっ。

0 件のコメント:

コメントを投稿