昼は外来で、相変わらず入院患者も2名受け持つことになったし忙しかった。夕方は早めに帰宅し、スーツに着替えて城山へ向かった。最近、院長としてよく出席する病院の連携の会(病院の業績紹介とパーティー)があり、今回は米盛病院主催の会だった。
出席表を見てえらくたくさんの客や病院職員が参加していると思ってざっと数えると340名以上もあった。私のテーブルには前回鹿児島医療センターの会にも来ていたボウリング同好会後輩の久光Drがいた。他にこの前病院に挨拶に来た隼人ちょうちん病院副院長や湯之元の温泉病院院長などいて挨拶がてら会話に興じた。近くのテーブルには元青雲会病院勤務で今は自身の病院を経営しているブックリバーDr、同じく青雲会病院勤務経験のあるナマテツDr、カホDr、鹿児島中央高校後輩の黒糖Drなどいて同じく歓談に興じたりした。
そうそう、米盛病院も整形外科や救急診療などの業績をスライドで発表していて、特に整形外科の手術件数は全国3位の実績があるとかで、ドクターも何十人もいて整形外科が弱いうちの病院からしたらその中の数人でもいてくれたらと思うほどだった。
宴もたけなわの頃、私はブックリバーDrのテーブルに行き、同じ座席の「キャバーンDrに話しかけたいのだが」と面会を頼んだ。実はキャバーンDrは20年近く前、鹿大病院に父デンコーが肺癌で入院していたときの担当医だったのだ。親父もしょっちゅう「キャバーン先生がどうのこうの」と言い、私もその名前は知っていたはいたが、自分が見舞いに行く時にはすれ違いで会えず、一度も面談はしたことはなかったのだ。その後、消化器内科で活躍していて数年前に鹿児島市内で開業されたと聞いていた。彼の名前が座席表にあったので一度お礼を言っておきたかったのだ。
それで会って、自分の名前を言うと、私より先に「あのー以前入院されていたデンコーさんの・・」と言ってきたではないか。しっかり覚えてくれていた。「えーえー、そうです。親父が入院中はお世話になりました。ずいぶんワガママを言って困らせたとは思いますけど・・」と言うと「いえいえ、私が研修2年を終えて第2内科に入って1年目の時に担当しまして、デンコーさんに相当鍛えられたんです」だと。聞けばデンコーの雰囲気は「なにやら強面(こわもて)でどこかの親分さんかというような雰囲気のある方でした」との感想だった。あはは、そう見えたかもしれない。2006年から数回入院し、2007年の4月末に退院となり、枕崎の病院に転院になったが、トイレの施設などで不満を漏らし「また大学病院に戻りたい」と私に言ってきて、確か電話でキャバーンDrにそのことを伝え、困らせたエピソードが出てきた。あの時は私も「無理な相談だな」と思ったが、もう残り幾ばくもないと分かっていたのでまたの転院も画策したのだった。しかし、それから間もなく5月3日の憲法記念日に枕崎の病院で父は亡くなった。↓左、キャバーンDr、中央ブックリバーDr。
キャバーンDrとは同門の消化器内科グループであって後輩に当たるが、彼が入ったのは私が大学を辞めて6、7年後からなので直接のつながりはなかった。でも、今回、感謝も伝えられたし、今後もまたなにがしかつながりがあるだろう。やはりこうした連携の会は参加して損はないね。そんなこんなで21時には会は終わり、すぐに帰宅したら、カールが「ハナビを刺激すると2本足で立って応戦するのよ」とネコと遊んでいたよ〜(笑)。
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