2018年7月23日月曜日

なぜに「火星のプリンセス」を手に取ったのか

ネットでふとしたきっかけで「大こけした映画10作」という記事を目にした。ハリウッドが大作映画を作ったはいいが意に反して全くヒットしなかったという作品を10作紹介していた。確かエディ・マーフィーの「プルート・ナッシュ(2002年)」がワースト1に挙げられていたが、私がオヤと思ったのが「ジョン・カーター(2012年)」という作品だった。ジョン・カーターといえば高校時代に読んだことのある「火星のプリンセス(E・R・バローズ作)」の主人公の名前じゃないかな。当時のアメリカ大統領がジミー・カーターだったので似ていると思ったものだ。読むとはたしてそのとおりでディズニーが製作したにもかかわらずアメリカではヒットせず海外ではまあまあのヒットだったとのことだ。映画製作は当たればでかいが外れると会社そのものが傾く危険性もあるくらいばくち的な商売だ。

それはともかく「火星のプリンセス」だが、滅多にSF作品は読まない私がなんでこの本を読もうと思ったか、それは創元推理文庫の表紙絵の火星のプリンセス(デジャー・ソリス)があまりにも魅力的だったからだ。お顔は清楚で気品があり、そしてバストがあふれんばかりに目に飛び込んで来る・・。
絶世の美女の設定のデジャー・ソリスはまさに男の理想を具現化したよう・・

色気づいた高校男子が思わず手に取るのも分かるというもの。そんな不遜な動機で読んだものだからこの作品をこれまで話題にすることは一度もなかった。ストーリーも波瀾万丈で面白かった記憶があるがいかんせん1917年の作品でシリーズ化されたあとの作品は読まずに終わっていた。

ところで、この表紙絵をネットで検索してみて分かったことがあった。それは日本ではこの作品は内容も評価されてはいるが表紙絵や挿絵を描いた武部本一郎の手腕も評価されているということ。「あの表紙のデジャー・ソリスなしには火星シリーズではあり得ません。あの挿絵を見るだけでまだ純情だった高校生の時の胸のときめきが思い出されます」「バローズのSF作品は主に創元推理文庫から出版されており、中高校生時代、大ファンだった私はあらかたの作品を読破した。内容もさることながら、武部本一郎氏の描いた流麗なカバー絵、挿絵が極めて魅力的だった」「日本では、創元推理文庫でおなじみの武部本一郎画伯のセクシーな挿画とこの物語シリーズは切っても切り離せない。僕たちは武部画伯の書く、『デジャー・ソリス』にあの時たしかに恋したのだ」「昔の思い入れのある人間にとって、武部本一郎の表紙も挿絵もない火星シリーズなど、辛子のはいっていないただの明太子、そうそれはただの魚卵なのだ」など出てくる出てくる。なーんだ、私だけじゃなかったんだ。

武部本一郎の絵は本国アメリカでも評価され、さらに世界中のバローズファンにも人気だという。武部画伯のこの表紙絵がなかったならバローズの「火星シリーズ」を読まずにやり過ごした人が数多くいただろうと思うと絵の持つ力ってすごいと思う。私はSFには走らなかったが、同じ時期、横溝正史の文庫が本屋にはあふれていて杉本一文の描く不気味で艶やかな表紙絵が正史のおどろおどろした雰囲気を醸しだされ、何冊も買っていったものだった。最近の角川文庫の横溝物は無味乾燥で面白くない。手に取るかどうかは表紙絵にかかっているといっても過言ではない。「火星のプリンセス」はその代表例だった。

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