2018年7月19日木曜日

ベイ・シティ・ローラーズを聴く

今日のT-MAXでのボウリング練習には何とメンバー8人中7人が参加した。あと1人のタシケントMRは今月で名古屋への転勤が決まっているからボウリングどころではなく実質全員参加だ。これは年に1回あるかどうかで2ボックス(4レーン)使用して投げた。

使用階は6階で最近ここでは調子がいい。この前の歯科医師会月例も6階だった。今日は1ゲーム目、8連続ストライクで268を出した。この後も223、183でとにかくストライクがよく出る。これが5階になると微妙なレンコンの差でアベ160から170に落ちるから別人だ。4ゲーム目5ゲーム目は恒例のダブルスで私はアンドキサMRと組み、これがシングルス以上の大当たり。247、223でダブルスでここまでいいスコアは初めてだ。それまでスプリットを連発していたアンドキサ君が1回も出さなかったのが大きかったネ。

帰り際、エリックMRからベイ・シティ・ローラーズのCD、DVDを計4枚を借りた。創立メンバーのアラン・ロングミュアーが亡くなったことで先週7月4日の日記ネタにもし、その時エリック君が「今度CD持って来ます」と約束してくれていたのだ。ローラーズファンのエリック君はアランが亡くなってしばらく彼らの曲を聴きまくっていたそうだ。で、私も久しぶりに聴いてみた。

最初に聴いたのが「Early collection」というタイトルのアルバムだった。最初の数曲、タイトルも曲自体も聞いたことがなく、6曲目の「ビコーズアイラブユー」などはビートルズ風の曲でという解説があり、確かにこれは初期のポール・マッカートニーが作りそうな曲で思わずにんまりした。7曲目やっとおなじみの曲全米ナンバーワンヒットの「サタデーナイト」が出てきて聴くと・・あれ?なんか違う。ボーカルが結構ハードなんだ。で、ライナーノーツを読んで初めて知ったのだが、ローラーズは初期メンバーのボーカルがノビー・クラークという人でこれもそのバージョンだった。彼が脱退して代わりにあのレスリー・マッコーエンが加入してからローラーズは一躍人気グループになる。

アルバムを替えてベストセレクションをかけると今度は聴いた曲がいくつも出てきた。その中で私が一番最初に聴き日本でのファーストシングルにもなった「バイバイベイビー」を本当に久しぶりに聴いた。イントロのあと語りが入り、そしてレスリーの「♪バイバイベイビー〜」という伸びやかで明るい声を聴くと、ああいいなーと思わず感慨にふけった。ボーカルの力ってすごい。
https://www.youtube.com/watch?v=6PMqGS8QtYc
「サタデーナイト」もヒットしたレスリーバージョンがやはりいい。
https://www.youtube.com/watch?v=HfS_QKGjwzw
あと有名なのが「二人だけのデート(I Only Want to Be with You)」だろう。アランが脱退してイアン・ミッチェル加入後シングルになった曲だ。日本の番組のオープンニングタイトルに使われたりして聴いたことがある人も多いはず。今でもまったく古びた感じがしないのがすごい。この3曲がBCRを代表する曲といってもいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=HRxtAPljpZ4

この他「ロックン・ロール・ラヴ・レター」「ひとりぼっちの十代(My Teenage Heart)」などああこれも聴いていたなあ。アイドルロックとでも言うのかな、ビジュアル、衣装、明るいサウンドなど女の子が夢中になったのも分かるよ。私は当時すでにビートルズファンだったが、自分らの世代のスターとして大いに期待したものだ。ただ、当時鹿児島のアナウンサーでラジオパーソナリティでもあった横山欣司がローラーズを紹介する時にイマイチいい風に言わなかった記憶がある。ビートルズの日本公演も見に行ったほどのビートルズファンだったから「ビートルズの再来!」なんてもてはやされていたのはあまり気にくわなかったんだろうな。

で、アイドルの宿命というのかな、ある時期が来れば当然人気も落ちてくる。ローラーズも数年でそんなに名前を聞かなくなった。それともう一つ大きなのが、最初に上げた3曲はどれも彼らが作曲したものでなくカバーだったりプロの作曲家に依頼した曲だったということでそこは痛い。ビートルズが偉いのは別の作曲家が作った「ハウドゥユードゥイット」をプロデューサーのジョージ・マーチンに勧められてもデビュー曲は自作にこだわり「ラブミードゥー」にした。これはあまり大した曲ではなく全英17位にしかならなかったがジョンレノンが作った次作「プリーズプリーズミー」がすぐに1位になりそれ以降は「フロムミーツーユー」「シーラブズユー」「抱きしめたい」と怒濤の勢いでヒットを連発した。オリジナリティにこだわるということは自分らの存在意義を高めるということでもある。

いや、ローラーズもエリックとウッディが共作で結構いい曲を作っていたのよ。だがそれを主流には持ってこられず音楽性を重視すればアイドル的なものを求めるファンには受け入れられないしというジレンマもあった。結局しばらくしてレスリーが脱退しほぼ解散状態になったが日本では未だに結構人気があり「再結成」しては来日していたようだ。そして2年前レスリーとアランの二人が来日しコンサートを開いたそうで、ちょうどテレ東の「YOUは何しに日本へ?」で空港での偶然のインタビューで二人がファンに囲まれる様子が出てくる。
https://www.youtube.com/watch?v=2Sco5hhKJIE
アランは全く面影がないが、レスリーはすこしある。おっさんになっても女子がキャー!って言ってくれるのはいいねぇ。レスリーが日本人と結婚したのは知っていた。また熱狂的なファンに手を出しんだろうと思っていたが確か奥さん(月岡啓子)は当時イギリスにいて彼らのことは全く知らなかったそうだ。しかも8才年上。結婚は1983年で離婚もしていないから意外にカタイね。奥さんは上の「何しに日本」でもそばに付いていて「(旦那が女性に)キャーキャー言われても大丈夫ですか」との質問に「どうぞ、どうぞ」とまったくひるむところがなかった。ちなみに息子が一人いて名前が「十兵衛」。ジュウベイ・リチャード・マッコーエン、日本名は「月岡十兵衛」といいモデルや歌手をしているとか。

しばらくベイ・シティ・ローラーズの曲を聴く日々が続きそうだ。

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