2020年12月1日火曜日

日曜にまたまた「大腸憩室止血法」

朝、胃カメラを某高齢女性患者にしていた。胃の入り口(噴門部)近くにちょっと胃炎の所見があって検査中ながらそのことを患者本人に伝えると、少し心配して「大丈夫でしょうか」これに「見た目は悪性ではなくまず大丈夫でしょう」「ああ良かったです」「でも念のため生検といって組織検査をしておきましょう」「ええ、それと食事は何に気を付けたら・・」「食事?何も変える必要はないですよ。今のまま、ありのままでいいです」「そうですか」「あるがままでいい、英語でレット・イット・ビーって言いますねえ」そこで私、検査中にも関わらず「♪let it be,let it be,let it be,let it be,whisper words of wisdom,let it be~」と歌い上げたのだった。ああ、気持ちよかったねぇ。

日曜昼前の話に戻る。

桟橋を出てすぐのこと、病院から携帯に連絡があった。 4階病棟のタメグNsからで「金曜日に入院した下血の〇〇さんが今朝からまた下血していまして・・」と来た。大腸憩室出血の患者で、私が午後の早帰りを返上して検査したが出血源が見つからず入院させていた人だ。やはりまた下血したか・・。するとタメグNs「実は昨日も下血しましてクニンダ先生が緊急で大腸内視鏡をしてくれたのですがやはり出血源が分からなくて、点滴と輸血実施していました」と。おっとそれは知らなかった。となれば何もしないと今後もまた下血する。「分かった。今日また大腸を再検査する。ただ昼食を摂ってからの13時半に始めるから内視鏡室の佳及Nsに電話で連絡しておいて」と伝え帰宅することにした。

ちょうど13時半に病院に着くと、佳及Nsが内視鏡の準備をしていた。すると「今日はたまたま良いタイミングで電話がつながった」とか言う。実は彼女の家では昨夜から自宅キャンプなるイベントをやっていたそうだ。国分の海岸でキャンプしている人たちを見て「私たちも今夜しよーか」というノリで始めたらしい。自宅の屋上で事前に買っていた大きなテントを張りバーベキューして寝袋を着けて寝るといったものだったが、「それが先生、寒くてね。家から毛布持って来てそれでも寒かったからストーブも持ち込んだの」だってさ。いやはや。

下血患者の大腸内視鏡は前処置なしで始めた。見れば凝血があちこち付着し間違いなく再々出血だ。観察して横行結腸付近に割に新鮮な血液が多いのに気がついた。昨日のクニンダDrの検査では脾弯曲付近に血液が付いていたと記録がある。上行結腸は一昨日の検査で血液付着なしだったからまず出血源ではない。やはり横行結腸付近が怪しいと、血液を洗浄、吸引し出血源を探ろうとしたが、すでに出血は止まっていてどこが出血源憩室だか分からなくなった。クニンダDrも見つけられず、まあとにかく出血が止まると見つけるのは困難だ。

しかし日曜に時間外出勤して何の成果もあげずにむざむざ帰るわけにはいかない。すでに2時間近く経過していたが、一旦スコープを抜去し小休憩の後、再挿入して観察を始めた。点滴も全開にして落とす。そして体位も仰向けから左側臥位に戻す。これらは実は再出血を誘っているのだ。治療としては禁じ手かもしれないが内視鏡検査をしている最中ならば逆に出血してくれたほうが出血源を見つけやすくなる。するとさっきまで何もなかった横行結腸に新鮮血がいっぱいあふれていた。よし!

憩室出血治療の嫌らしいのは、今度は出血し過ぎると血だらけで逆に出血源が分かりにくいという点だ。そこで洗浄吸引の他出血の勢いを弱めるためにボスミン生食水を局注してみた。これは出血源がはっきりしなくてもだいたいその辺りの粘膜に数ml打ち込めば徐々に出血の勢いが弱まり観察しやすくなる。そこで怪しい憩室を見つけることができた。クリッピングしやすい憩室だったのでしっかり止めることが出来た。ふうー。

上の憩室内の小さく細いのが付着した凝血でこれがおそらく出血源と推測できる。
下が憩室ごとクリップで縫縮、止血したもの。

この患者さん、以前も下血で入院歴があってその時も安静、絶食点滴だけで一旦良くなって退院していた。でもこうしてまた下血するケースがよくある。だから私は内視鏡止血にこだわるんだ。今回は内視鏡検査4度目の正直でやっと根本的解決出来た。終わって1回目2回目の検査時間は休憩込みで2時間55分にもなっていた。そ、そんなにー。でも日曜でこの患者さんだけに集中して検査出来たから出血源を発見、治療出来たとも言える。

帰宅してすぐにシャワー。そして夕食。あとは鹿児島市長選の結果を待つのみ。日記もこの日は「千本イチョウ」に「憩室出血」そして「市長選」と大きなネタが3つもあった。20時過ぎにKYTのみが下鶴隆央当選確実を報道し関係者は喜びに包まれたが、投票終了から10数分後というあまりの早い報道にまだ万々歳というわけに行かなかったが、この場合早さが命、こてる日記もこれを21時前には話題にしアップロードした。イチョウと出血ネタも捨てるには惜しく、翌日、翌々日に披露したというわけだ。

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