2025年5月20日火曜日

鹿児島医療センター地域医療連携懇談会

最近は大手病院の地域連携懇談会がよくあり、今夜は鹿児島医療センターの連携の会が城山であった。珍しくカールに車で送ってもらってアルコールOKにした。まあちょっとは飲んだ方が「連携」もしやすいはずだ。

会は西尾新院長の昨今の国立病院の厳しい経営状況の話から始まり、中盤は医療センターのメインである心臓病、脳卒中、腫瘍治療の紹介とアピールがあり、それから食事と意見交換会だった。座席表を見ると、私が知っているあるいは語ったことがあるドクターは40人ほどいた。同じテーブルには第二内科出身で肝臓内科のチェリーDrもいた。彼とはもう今はなくなった第二内科囲碁大会や雀荘でばったり会うなど、今時珍しい囲碁麻雀での付き合いもある。隣のテーブルには今は枕崎の病院の院長をしている旧青雲病院外科経験の奥マラDr、バスケ部後輩のストンサークルDr、少し離れたテーブルにはバスケ部&二内科同期のアップリバDrもいて「おいおい、こてる先生、青雲会病院の院長になっていたなんて知らなかったよ」「ああ、去年から」「早く教えてくれよな〜」なんて言われてしまった。

アップリバDrは循環器専門で糖尿病の火事屋Drとクリニックを開いているアップタウンDrを紹介してくれた。↓左の白髪がアップタウンDr。
いや、二内科の後輩でその名は知っていたが直に話をするのは始めてだった。かつての二内科ではグループと入局年度が違うと互いによく知らないってケースはままあった。私は「火事屋Drとは高校と大学でいっしょだったこと、そして従兄が何人もそちらのクリニックでお世話になっています」と話し始めたが、そんなことよりアップタウンDrを驚かせたのが「先生は10年近く前、全日空の機内月刊誌に読者投稿に応募して見事掲載されていましたよね」だった。私は機内でそれを読み、確かこの投稿者は同じ科のDrだとピンと来ていた。しかし今まで誰にも話すことはなかったところ、本人を前にして話せて、しかも結構感激してくれて良かったわ〜。

逆に私が驚かされたのが皮膚科クリニックをしているという名刺とともに挨拶に来た久光Drだった。一瞬誰かな?と思ったが、お顔を拝見してすぐにピンと来た。
もう白髪も混じっているが、かつての鹿大医ボウリング同好会のメンバーの一人で、特に彼とは今はもうなくなった川内ガラッパボウルにPBA(全米プロボウラーズ協会)の有名ボウラーがやって来た時、互いに入場券払って見に行ったことが印象に残っている。いたのはロバート・スミスやクリス・バーンズといった今ではレジェンドのプロボウラーたちでツーショットも撮ったりしていた。あれからもう20年、久光君は学生時代のあの時も一眼レフを持って来ていたが今日もそうだった。私は相変わらずコンパクトデジカメで今回も互いに写真を撮り合ったよ。

さらには二内科先輩のお通じDr、後輩のマキシンDr、田秀Dr、服買いDrと沖縄の琉生病院でいっしょに働いた仲間もいて、霧島市立医師会医療センターの河野嘉文院長とはバスケ部がらみでA楽Dr以下5人いっしょに写真を撮ったりした。その後、インザマウンテンという女医さんが私に挨拶に来た。いや全く知らない先生だった。彼女が挨拶の口上を述べると明らかに別のDrと私を勘違いしていることが分かった。こんな会ではままある。私も今日挨拶に来たナマテツDrを鹿屋で開業した千門Drと最初勘違いしていて話が噛み合わなかったし。彼女には一応人違いでは?と指摘したが、それではちょっと悪いので名字をじっと見つめ、同じ名字で私の知っているドクターはいないかなと考え、「インザマウンテンといったら私が知っているのはエイケンDrだけですけど関係は・・」と言うと、なんと「夫です」というではないか。へへー!そのエイケンDrって実は今まで一度会ったことがあるだけで、しかも30年以上も前の沖縄の琉生病院に遊びでたまたま来て私とも会話しただけの関係だった。いや〜、細かいことを覚えている癖がある私だが今夜はそれがいくつか役にたったな。

21時にはお開きかと思いきや意外に盛り上がって21時半まで会は続き、懇談&意見交換会の役目はしっかりと果たされ、帰りはタクシーで気分よく帰宅したのだった。

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