2025年5月31日土曜日

リハビリ飲み会初参加

病院のリハビリチームから「新人歓迎会を鹿児島の天文館の店でやりますから参加出来ますか」と頼まれていたのが今日だった。ちょうど用事もなかったので参加することにしたのだが、実はリハビリとの飲み会は初めてだった。脳外科のシマッチDrなどはちょくちょく参加しているとは聞いていたが、私は参加もなにもこれまで誘われていなかったのだ。院長にもなるとこんなお誘いも増えるんかな・・。

カールに車で天文館まで送ってもらって目的の店まで行こうかと歩道を歩き始めたら・・なんと目の前を歩いていたのがサブアラド夫妻だった。ちょっとびっくりするサブアラドDrに奥さんは「わー、こてる先生久しぶり〜、会いたかったぁ」と喜んでくれた。

私は天文館は久しぶりで夫妻は住所が歩いて行けるところだからちょくちょく出かけているのだろう。麻雀以外で会うサブアラドDrも新鮮で良かったっす(笑)。

飲み会の店はまさに天文館のど真ん中にあり、3階4階のうち3階を貸し切り状態だった。40名くらいの参加で、ドクターは私とシマッチ、カワゼンDr(ともに脳外科)3人で、リハビリ科のヨシダーキDrは都合で欠席だった。で、会の冒頭にリハビリ部長の市葉旗君に「院長としてあいさつを」と事前に頼まれていた。OKし、ただ「実は普通にリハビリ新人を歓迎するとか言っても面白くない。ちょうどその日は私が青雲会に就職してぴったし丸25年になる日だ、そこで『今日は私の満25周年を祝ってくれてありがとう』ってボケるから、君は『こてる院長違います!リハビリ新人の歓迎会ですよ』ってツッコんでくれないか」と頼んでおいた。笑って承諾してくれ、私は予定どおり語り始めた。実際、2000年6月1日がこの病院に初めて勤務し始めた日だから今日でぴったし四半世紀の25X365+6=9131日経ったことになる。そのことを語り、市葉旗部長の「先生、違います」の一言を待っていたのだが失敗した。いや、市葉旗君はツッコんだらしいのだが、なんとリハビリ職員の私への拍手にかき消されたのだった。これはちょっと予想外だった。まあ、どうににか無事にあいさつは終えられたけどね(汗)。

リハビリ職員とこうした雰囲気で話しをするのは初めてだったが、みんなフランクにいろいろな話題を提供してくれた。特に私は仕事のことより何が好きなのか、何をするのか楽しいのかなどこの日記でも書いた偏愛するもの、遊びなどをよく聞いた。すると高位置君は「脳を見たり調べたりするのが好きなんです」という。ほう。まあ仕事がらみと言えばそうだが、ヒマな時でも脳のイラストなど眺めるのが好きらしい。試しに私が「自分は昔親指と人指し指がしびれる症状が出たが脳脊髄神経で言えば・・」と聞いたら「Cの6」とちゃんと正解を言ったよ。好みと仕事がマッチしとるねぇ。

一般的なところではゴルフの練習を始めたスタッフとかサッカー好きとかのスポーツ系、わさび餅が大好きでとか食べ物系、そしてほかいっぱいしゃべったり聞いたりしたのだが、現在書いているのは2日後であってもうすっかり忘れた。新人さん7人いてしょっちゅう名前が出ていたけれど半分以上は名前が出てこない。いや物覚えが悪くなった。実は飲み放題とのことで私も冒頭だけはビールジョッキ1杯を飲んだんだ。あとはノンアルコール系のカクテルとかジュースとかでやり過ごしたがアルコールの影響もあったかな。ともかくも若いスタッフが多いリハビリ部だからみんな元気やったね。

一次会は約2時間半ほどで予定通り終了した。昔なら二次会でカラオケなどもあったかもしれないが、今日はワースポ&MLBで大谷が活躍したドジャース対ヤンキースの様子を見たいと思ってすぐにタクシーに乗って帰宅したのだった。

2025年5月30日金曜日

女性風薬品名から結局またあの話題に・・

今日の外来に付いたのは和墨玉Nsだった。三十代後半で三児のママさんナースだ。

ある高齢の患者さんの他医からの処方薬をいっしょに調べている時に「リオナ」という名前の薬があった。「おや、女性の名前にもありそうな薬品名だね」と私がつぶやき、薬効を調べると・・慢性腎臓病(CKD)に伴う高リン血症の治療薬で腎機能が低下すると体にリンがたまりやすくなるため、それを下げる薬で、リオナは一般名が「クエン酸第二鉄」といって水和物体内のリンと結合して、便として排出を促す働きがあり、鉄分も含んでいるため、鉄欠乏性貧血の改善効果も期待されるってことだった。実際、鉄欠乏性貧血があって処方されていた。

「ふむ、リオナって言ったら芸能人で最近は出て来ないけど葉月里緒奈を連想するな。あは、そうだ。ジュリナって薬もあるんだ。私はAKBの推しが松井珠理奈だったから使ったことのない薬だけど名前は知っている」と女性名薬品を話題にした(ジュリナは更年期障害などの治療薬エストラジオール製剤)。その手のネーミングって婦人科系の薬に多い。調べるとほかに「マリナ:黄体ホルモンのIUS製剤(避妊用)」「セリーヌ:低用量ピル」「ミレーナ:子宮内避妊具(ホルモン放出型)」などあり、精神科では「レオナ:抗てんかん薬(ラモトリギン製剤)」「アリス:抗精神病薬(アリピプラゾールのOD錠)」もある。

でも私が一番に上げたいのは一般によく使われる薬で30年以上前に発売開始された「クラリス」だ。一般名もほぼいっしょでクラリスロマイシンである。別会社が「クラリシッド」の名前で発売していたけれど私の思い入れと書きやすさでクラリスの方をよく処方していた。このクラリス、私の偏愛するアニメ映画の傑作「ルパン三世カリオストロの城(1979年:宮崎駿の初監督作品)」に登場するヒロインのお姫様の名前である。
「カリオストロの城」はこれまでこてる日記で何度も取り上げてきているが、Wikipediaで概要を紹介すると「『ルパン三世』シリーズの中でも、屈指の人気を誇る作品として知られる。公開当時の興行収入は低かったものの、評論家や関係者の中では高く評価され、その後はテレビ放送や上映会等が繰り返された事もあって人気が高まっていった。また、本作での宮崎の演出やレイアウト手法は、後世のアニメ業界に影響を与える事となった。現在では日本アニメーション史に燦然と輝く名作として評価が定着している」とあり、実際、キネマ旬報の2010年にあった「オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇」で1位を取っている。同じ宮崎駿の「天空の城ラピュタ」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などより評価が高いのだ。これはそれらのアニメを実際に見た私の感想とも一致する。はるかに面白いのだ。

そこで子どもの一番上が小学校高学年という和墨玉Nsに「ぜひ『カリオストロの城』を見せてやってくれ。お勧めだから」と強調した。ルパン三世もその年くらいになると十分に堪能出来るだろう。「カリオストロ」とか「クラリス」という名前はモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズの一冊「カリオストロ伯爵夫人」に登場する名前でそれを宮崎駿が拝借したものだ。小学5年生の私はホームズやルパンシリーズに夢中になってそれらの本を読んでいた。だからクラリスやオルタンスなどフランス風女性名をよく覚えていて、名前を映画で知った時に「あ、ルブランから取ったな」とすぐにピンと来たものだった。

女性風薬品名という話題から始まったよもやま話も、結局は自分の好きなアニメ映画に帰結するのであった。(今年6月27日の日本テレビ系『金曜ロードショー』でノーカット放送されるらしいので見たことない人はぜひ!)

2025年5月29日木曜日

その人を運ぶのは、必要か不要か

夜は霧島市消防署の会議室で姶良霧島伊佐地域の救急搬送に関する協議会のワーキンググループ部会に出席した。今年1月末にもあって今年はまだ数回が予定されている。

人生の終末期にある人が心停止など起こし家族や施設の人が救急車を呼んだとする。要請を受けたら救急隊は必ず出動する。そして患者を救急病院へ搬送するのが当たり前の手順だ。だが、事前に患者と家族がかかりつけ医と相談していてその様な場合は無理に心肺蘇生は行わないと取り決めしていたら、その証拠(文書が望ましい)が確認され、かかりつけ医などに即連絡し確証が得られれば救急隊は患者を搬送しなくてよいという取り決めを作ろうとしているのだ。東京や山梨ほか都道府県ではすでにそれが現実化している。だが、癌や老衰などで望まない心肺蘇生をしないのはいいとして、窒息や外傷などで同様の瀕死状態になったときはちゃんと蘇生行為を行うのが当然で、無論救急隊は搬送や蘇生を行う。その見極めも大事になるし、かかりつけ医に連絡がつかない時どうするかなど検討事項が結構あるのだ。
会では霧島、姶良、伊佐地域からドクター、救急隊員、看護師、保健師、そして今回は弁護士も参加していた。1時間半以上、かなり熱の入った検討、意見などが出され、有意義な会だった。私はメモを取りながら論点を頭の中で整理していった。来年4月にはこの体制が姶良霧島伊佐地域でスタート出来るようにしていく予定だ。

つい1週間ほど前、ある施設から心肺停止の患者が運ばれてきて、当直医が施設職員に「心停止時の対応は?」と施設職員に尋ねると「フルサポートでお願いいたします」とのことで気管挿管、心臓マッサージ、人工呼吸器装着とやって入院になった。翌朝、私が引き継いだのだが、やや遠方の家族が1時間ほどして来院した時、人工呼吸につながれている患者を見て絶句したらしい。なんと施設職員が勘違いしていて、その患者は実際はいわゆるDNAR (Do Not Attempt Resuscitation)=心肺停止時に心肺蘇生を行わないという方針で決まっていたらしいのだ。全く真逆の医療行為を行ったことになる。でも心拍が戻っていたので私が引き続き診たのだが結局は亡くなってしまった。

もし、事前にDNAR だとしっかり取り決めがなされ、救急隊が施設に到着し確認が出来れば来年4月以降はこの患者さんは運ばれず、いったん施設で安置され、かかりつけ医が死亡確認してから葬儀屋に運ぶということになる。それを本人家族も望んでいたということだから一番いい結末になるだろう。

しかし簡単に書いたが、これまでとは違う取り決めをいざ実行するとなると1年以上、5、6回の会議を重ねる必要があるってこと。この対応がマスコミなど通じ一般の人たちにも浸透すれば患者も家族も救急隊も病院もお互いがそれほどつらい思いをせずに済むと思う。正直、最初はやや面倒な会への参加を頼まれたと思ったが、なかなかまじめで住民や医療関係者のためになるものなんだと今は実感している。いやー、今日は珍しくまじめなお話でした。

2025年5月28日水曜日

「怪我の功名」ってか

カールの友人の、さらにその友人の話。

その人は50代の男性で今開催中の関西万博のチケットをけっこう前に買っていたらしい。そして日にちに合わせてホテルの予約まで完了、家族みんなかなり楽しみにしてたそうだ。ところが、出発の2週間前にまさかのアクシデントが起きた。なんと、足の小指を骨折。これ、私も10年くらい前にやったことがある(2104/5/12「左基節骨骨折」)。いや、小指って地味だけど、歩くと痛みがヒシヒシ・・結構つらい。で、万博の会場ってとにかく広いはず。こんなんじゃ楽しめないかも・・って一時は行くのを迷ったらしい。でもまあ、せっかくのイベントだし、家族のこともおもんぱかり、なんとか行くことにしたとー。

で、結果どうだったかというと・・・これが思わぬ展開に。

そのままじゃ移動が大変なんで車椅子を使うことにしたんだそうだ。それでなんと障害者扱いになったことで、パビリオンとかも優先的に入れるようになって、他の人たちが炎天下で行列してる横をスイスイ通過。結果的に普通の人の倍くらい見て回れたんだって。
本人もまさか骨折でそんな展開になるとは思ってなかっただろうけど、結果的には「来てよかった、ありがとうお父さん」ってなった。優先ルートでストレス少なめだし、何より家族が満足そうだったのが救いだったとか。骨折は痛いし不便だし、喜んでなるもんじゃない。でも、その状況を逆手にとって楽しむ方法があったってのはなんか生きてゆく上でなにがしか参考になるというか、物の見方は柔軟であるべきというか。

 ちなみに私は「禍福はあざなえる縄のごとし」って言葉も思い出した。中国の故事から出た言葉で。いいことと悪いことは交互にやってくるみたいな話だ。たぶんその人も、次はまた何かやらかすかもしれないし(失礼)、でもまたそこから何か得るかもしれないしー。とりあえず、「あーあ、ツイてないな」ってことが、ちょっと視点を変えると「むしろラッキーじゃん」ってなることもあるんだってことやね。

2025年5月27日火曜日

私のAI活用法

このところちょいとばかし私を悩ませているのが、年に一度の病院の業績報告冊子「年報」に寄稿する文章作りだ。総務の畠鏡さんから頼まれたもので「年報の冒頭は可愛いんだ理事長の年頭所感ですが、その次にこてる院長のこの1年を振り返っての一文が欲しいです」と。ううむ、院長ともあればその手の文の掲載はよく聞く話だ。だが、毎日ブログを書いている私でもそんな文章は書いたことがない。しかも院長という立場で何か書いて欲しいとなるとどうにも書きづらい。

で、こてる日記同様、私の関心事などを職員が興味を持てるようにアレンジして書き連ねるか、はたまた一般的なかしこまった文章にするか、迷っているうちに1ヶ月以上が経過して、締め切りまであと数日となったのだ。

で、ハタと思い立ったのがAI、ChatGPTを利用してみることだった。以前もこてる日記をChatGPTに書かせたことがある。でも修正をしたり、私の文体に直したりして結局時間もかかるので特に利用することはなかった。でも、いかにもかしこまった院長らしい文章にしようと思い立ったので、今回は利用することにした。ChatGPTに私の立場をまず知らせ、1年を振り返っての書きたい事柄を箇条書きのようにして書いていった。それをらしい文章にしてちょーだいなと依頼したのだ。

すると、最近のAIはすごいな。「・・これらを元に、格式を保ちつつも温かみのある文章を作成します。負担にならない範囲で構いませんので、思い出すままに箇条書きで教えてください」と返事があり、投稿するとかなり自然ないかにもらしい文章を提供してくれたよ。ちょっと丁寧すぎる文体が一部にあったのでそこは修正したが、ほとんどわずかである。年報が出来上がるのはまだ数ヶ月先だと思われるが、日記には一部を紹介しよう。

1年を振り返って

昨年4月に院長を拝命してから、早いもので一年が経ちました。この間、地域の中核医療機関としての責務を改めて実感するとともに、多くの学びと気づきのある一年となりました。

地域連携の強化を目指し、近隣の医療機関との交流や見学、懇親会などが増えたことは、大きな意義を感じています。各医療機関の特色や取り組みに直接触れ、私たちの病院との違い、学ぶべき点を知る機会にもなりました。そして何より、私たちがこの地域で患者さんを共に支え、見守っているという連帯感を強く持つことができました。

また、毎朝、各部署からの業績報告や課題、職員に関する情報などを受け取り、それらに対応することに努めてきました。すべてに十分な対応ができたとは言い切れませんが、病院全体の声を聞き、それを次の行動に結びつける重要性を改めて痛感しています。

(残り半分は省略・・・・・・)」

私が書きづらいと思っていたのはそれ(院長)らしい文体を書くのが億劫だったのだ。しかし内容は自分で考えて文体だけをAIに依頼するということで1ヶ月悩んでいたいたことがいとも簡単に解決出来た。最近AIの活用をすべきなんてよくマスコミや雑誌、ネットでも言われるがこういうことだったか。ジブリ風イラストも面白かったがほんまAIっていろんな使い勝手があってますます興味が出てきたわ〜。

2025年5月26日月曜日

ゲンちゃんがうらやましい

5月末というのに夜間はまだ寒い。すでに半袖半ズボンにしている私は夜に暖房まで入れる羽目になった。そしてテーブル席から対面の畳部屋を見ると・・カーペットをひっくり返したゲンちゃんとゲンちゃんにマウントを取りたがるハナビが久々に睨み合っていた。

この後、取っ組み合いのケンカになることはまずない。基本的にゲンちゃんの方が体が大きくて強いからだ。普段、ハナビはゲンちゃんの背後からちょっかいを出してゲンちゃんに「こらぁ」ってされて逃げるってパターンだ。

で、ゲンちゃんはというとパソコンに向かっているカールに「抱っこしてぇ〜」と寄ってくる。もう邪魔くさいわねぇと言いつつカールも相手してあげる。年は取ってもカールには赤ちゃんのゲンちゃん。

それをうらやましそうに居間のソファからじーーっと見つめるのがハナビだ。
1分もするとハナビも畳部屋にやって来た。きっと自分も抱っこして欲しいのだろうが、人に捕まると激しく抵抗する癖があって私ですら簡単には抱っこ出来ない。ただ、人によるのか、この前ハナビ好きな小学生が抵抗されることもなく抱っこ出来たのにはカールも驚いていた。で、カールとゲンちゃんのそばでなにかしらもどかしそうなハナビを下に見て、ゲンちゃんは「えへへ」って表情で満足げなのであった。

2025年5月25日日曜日

枇杷の実の活用

今年はとにかく枇杷の成りが遅い。私のところだけじゃなくていつも通る姶良の高速出口の家にある枇杷も実が小さいし生育が遅い。5月も25日ならこてる家の枇杷はほぼ無くなっているのが例年なんだ。なのに↓だよ。

特に手が届かず2階にまで届きそうな高い枝はまったく摘果していないので小さな実がいっぱいだ。去年、庭のロッジを取り払い、いっしょに1m以上あった柵も取り払ったためそこに乗って上の枝にアクセス出来なくなったからだ。今日は実は小さくとも食べられそうな枇杷を200個くらい摘んだ。それらは病院のカッコちゃんNsと対面のしもどーすん家などに持っていくため振り分けた。それでも小さな枇杷の実が余る。
そこでカールは「ジャムにしよう、思い切って」と取り組み始めた。
カールは「砂糖はキロ当たりの標準量より1/4くらいに抑えたの」と言っていた。「砂糖を入れると日持ちはするんだけど、甘すぎるのがイヤなのよ」とも。ふむふむ、なかなかの有効活用だ。

まだまだ半分ほども残っている枇杷の実、今年は6月初めまで採って食べることが出来るぜぇ〜。

2025年5月24日土曜日

ChatGPTの言うとおりに事が運ぶ

今日の土曜午前は病院外来勤務、午後は日直だった。

割に余裕のある日でゆったりと外来をこなしていった。そのゆったりが急に慌ただしくなったのは昼前に「嘔吐して血が何度も出た」という中年男性が受診したからだ。問診でどんな経緯かを尋ねると・・「昨夜飲食をしてアルコールもしこたま飲んだ。嘔吐を何度もして4度目くらいから血が混じるようになった」とのことだった。

これはもう問診だけでほぼ診断が付く。マロリーワイス症候群(Mallory-Weiss症候群)である。AIのChatGPTに尋ねてみよう。

マロリーワイス症候群(Mallory-Weiss症候群)は、食道と胃の接合部(食道胃接合部)に生じる粘膜の裂傷によって、出血を引き起こす疾患です。主に激しい嘔吐や嘔気の後に発症します。
原因:繰り返しの嘔吐・激しい咳・過度のアルコール摂取
好発部位 :食道下部から胃の噴門部(胃の入り口)
症状 :吐血(鮮紅色)、下血(稀)、上腹部痛、貧血症状
診断 :上部消化管内視鏡(胃カメラ)で裂傷を確認
治療 :多くは保存的治療で改善。出血が止まらない場合は内視鏡的止血(クリッピング、硬化療法など)
予後:一般に良好。再発はまれだが、原因の除去が重要
発症メカニズム:嘔吐や咳などにより腹圧が急激に上昇 → 食道と胃の接合部に機械的ストレスがかかる → 粘膜が裂けて出血

最近の青雲会病院では土日の緊急内視鏡は行わないという方針だ。これは御多分に漏れずスタッフ不足の影響である。ムッちゃんNsやシホねえNs、佳及Nsがいたころは吐血下血患者の緊急内視鏡をちょくちょくやっていた。で、今日は私と内視鏡室関係の看護師が花ゆりNs、五月鍋Nsと二人いた。時間も終業時間までまだ1時間以上ある。おまけにもう一人の外来内科系Dr勤務がタクミDrだった。私が外来をしなくてもどうにかこなせる。そこで「よし、緊急内視鏡をやる」となったのだ。

結果は予想通りマロリーワイス症候群で、食道と噴門の境界部に大きく2ヶ所に粘膜裂創があり現にじわじわと出血していた。まさにChatGPTが解説しているとおりで、治療も「出血が止まらない場合」に相当し、そこをクリップを何個も掛けて縫縮し止血した。程度が軽ければそのまま帰宅させることもあるが、この患者さんには「数日は入院しましょう。絶食点滴で過ごした方が安全です」と説明した。せっかく掛けたクリップが食事摂取で外れたらまた出血してしまうかも。

マロリーワイス症候群の治療の流れ:
安静・絶食(まずは胃腸を休ませる)
輸液・補液(出血による循環維持のため)
内視鏡的止血(必要に応じて)
PPI(プロトンポンプ阻害薬)投与(胃酸による再損傷予防)

私は事前にAIなど参考にしていない。日記を書く際にChatGPTは何て言っているのだろうと試しに聞いてみただけだが、「治療の流れ」などまさにそのとおりに事は運んだのであった。現在は2日後にあたり、再度内視鏡で確認し、しっかり血は止まっており、食事を開始しさせ近々退院予定である。画像をデジカメに撮っておけばよかった。そこは残念。代わりに似たような画像をネットから補充しておきましょう。

2025年5月23日金曜日

「薩摩義士慰霊祭」よりも後ろの風景が気になった

MBC(南日本放送)の今日の「あの日のふるさと」コーナーは「薩摩義士慰霊祭」だった。

薩摩藩は江戸中期に幕府に命じられて濃尾平野の木曽三川の治水工事を請け負うことになり、家老の平田靱負(ひらたゆきえ)が総奉行として難事業の治水工事にあたった。1年3か月にわたり工事は完了し、地域住民が「薩摩様には足を向けて寝られない」と感謝するほどの実績を上げたが、完了までに約1000人を要し、そのうち病死や自害などで80人余死亡、工費40万両を要した責任を一身に負い平田は自刃したとされる(宝暦治水事件)。

工事にあたった藩士らは今では「薩摩義士」として慰霊祭が行われ、平田の屋敷のあったところは平田公園となり平田靱負の銅像が鎮座している。平田靱負の命日の5月25日に平田公園で例年慰霊祭があり、TVではまず1990年の慰霊祭の様子が出ていた。当時の赤崎市長が弔辞を読み、岐阜県側からも150人が参列するなどの様子が出ていたが、それはまあ私が知る城山の麓の平田公園の光景で特に違和感は感じなかった。
しかし次に白黒フィルムで流れた1960年の慰霊祭には驚いた。いや、慰霊祭そのものではない。平田靱負の銅像は全く変わらないけれど周囲の様子や風景がまるで違っていたからだ。1960年といえば昭和35年。私は生まれてまだ1歳にもなっていない。
平田公園は天文館のすぐ近くで鹿児島市内では中心地と言ってもいい場所なのに周囲の建物が平屋かせいぜい2階建てでしかも木造だ。現代の衛星写真を示そう↓。鉄筋のビルだらけじゃないか。ただ平田公園だけが昔と同じ場所で同じたたずまいを見せている。
より市内側の住居の様子が背景として写っている。
おいおい、言葉は悪いが、背後の家は掘っ立て小屋と間違うくらいじゃないか。わずか60数年前の鹿児島市内の家はだいたいこんなものだったのか。私が鹿児島市内は天文館周辺に引っ越したのが1966年で、確かに木造の家がまだ多かった。しかしそれから10年経った頃の天文館周辺は上の写真にあるような家はどんどんなくなって行き、平成に入った1990年ごろは今と変わらないような眺めになっていた。

慰霊祭では剣の演舞や相撲大会も開かれるなどの様子が出ていた。
後ろの「北海道木材」の会社もよく見れば店構えだけコンクリート風だが後ろは木造家屋ってすぐに分かる。昔はそんな構えの店が多かった。半世紀も立てば町並みはガラリと変わるってTV画面を見てしみじみ感じさせられた。変わらないのは桜島と平田公園だけ。町並みってそれを保存するのってすごく大変なことだ。だから江戸風が残る埼玉の川越や秋田の角館の武家屋敷通り、昭和の町並みが残っていることで大分県豊後高田市などは人気なのだ。

「あの日のふるさと」を見ていて、もしタイムマシンがあったなら、1960年の鹿児島市内の町を歩いてみたいと思ったわ〜。

2025年5月22日木曜日

這えば立て、立てば歩めの・・

 この間ココちゃんと会ったばかりだが、今日「みてね」にマーヤさんから動画が投稿されていて思わず見入ってしまった。生まれて1年経過してつかまり立ちはできていたがまだ歩けてはいなかったところ、ほんの数歩だが歩けたー!ってことなんだ。

まさしく「這えば立て、立てば歩めの親心」だねえ。おっと自分らの子の時はどうだったのだろう。男児3人、初めて歩いた時の記憶があんまりない。長男のテルが4、5ヶ月で初めて寝返りをうつシーンは8ミリビデオで撮っていたのを思い出すが・・。次男のセージが立つも歩くも早くて1年も立たずにどんどん歩いていたのは分かっているが「初めて」のシーンは思い出せないんだ。

今はスマホやデジカメなどで簡単に撮影でき、しかもすぐに保存、転送できて何度も見直せ、それが記憶にも残りやすくなっている。千葉と鹿児島とかなり遠方なのに私らはココちゃんが少しずつ成長してシーンをほぼ毎日のように見続けられている。いや、嬉しきこと哉!

2025年5月21日水曜日

手指消毒する時の歌って

昼休みの13時半から病院全体の勉強会があった。感染症委員会の感染管理認定看護師であるハマケイ君の「手指消毒の必要性」についての教育講演だった。

簡潔でなかなかよくまとまったスピーチだった。特にシャーレの培地にベッド回りやパソコンキーボードなどから採取付着させた画像がインパクト抜群だった。

これらを見せられるとちゃんと消毒しなきゃと思う。その消毒も流水の手洗いだとしっかり30秒は洗わないと拭き残しが生じるらしい。でも30秒って時計を見ながらというのはやりにくい。そこで「ハッピーバースデー」を2回歌うとちょうどそのくらいになりますってことだった。ううむ、ちと長いかなぁ。似たようなケースで心臓マッサージをするときのビージーズの「ステイン・アライブ」を思い出した。曲のリズムが心臓マッサージ(胸骨圧迫)の1分間に100~120回というテンポに合っているため、心肺蘇生法を実践する際にリズムとして役立つって言われているんだよ。
アルコール消毒は15秒くらいすべきだという。まあ、ともかくも病室で何か処置や触れたりすればそのたびにアルコールで消毒すべきと覚えておいて間違いはない。
これが終わった後、さっそく私は院長室に入る前、廊下のアルコール消毒用スプレー
手を消毒した。思い立ったら即行動、いい話を聞いたら即行動やで〜。

2025年5月20日火曜日

鹿児島医療センター地域医療連携懇談会

最近は大手病院の地域連携懇談会がよくあり、今夜は鹿児島医療センターの連携の会が城山であった。珍しくカールに車で送ってもらってアルコールOKにした。まあちょっとは飲んだ方が「連携」もしやすいはずだ。

会は西尾新院長の昨今の国立病院の厳しい経営状況の話から始まり、中盤は医療センターのメインである心臓病、脳卒中、腫瘍治療の紹介とアピールがあり、それから食事と意見交換会だった。座席表を見ると、私が知っているあるいは語ったことがあるドクターは40人ほどいた。同じテーブルには第二内科出身で肝臓内科のチェリーDrもいた。彼とはもう今はなくなった第二内科囲碁大会や雀荘でばったり会うなど、今時珍しい囲碁麻雀での付き合いもある。隣のテーブルには今は枕崎の病院の院長をしている旧青雲病院外科経験の奥マラDr、バスケ部後輩のストンサークルDr、少し離れたテーブルにはバスケ部&二内科同期のアップリバDrもいて「おいおい、こてる先生、青雲会病院の院長になっていたなんて知らなかったよ」「ああ、去年から」「早く教えてくれよな〜」なんて言われてしまった。

アップリバDrは循環器専門で糖尿病の火事屋Drとクリニックを開いているアップタウンDrを紹介してくれた。↓左の白髪がアップタウンDr。
いや、二内科の後輩でその名は知っていたが直に話をするのは始めてだった。かつての二内科ではグループと入局年度が違うと互いによく知らないってケースはままあった。私は「火事屋Drとは高校と大学でいっしょだったこと、そして従兄が何人もそちらのクリニックでお世話になっています」と話し始めたが、そんなことよりアップタウンDrを驚かせたのが「先生は10年近く前、全日空の機内月刊誌に読者投稿に応募して見事掲載されていましたよね」だった。私は機内でそれを読み、確かこの投稿者は同じ科のDrだとピンと来ていた。しかし今まで誰にも話すことはなかったところ、本人を前にして話せて、しかも結構感激してくれて良かったわ〜。

逆に私が驚かされたのが皮膚科クリニックをしているという名刺とともに挨拶に来た久光Drだった。一瞬誰かな?と思ったが、お顔を拝見してすぐにピンと来た。
もう白髪も混じっているが、かつての鹿大医ボウリング同好会のメンバーの一人で、特に彼とは今はもうなくなった川内ガラッパボウルにPBA(全米プロボウラーズ協会)の有名ボウラーがやって来た時、互いに入場券払って見に行ったことが印象に残っている。いたのはロバート・スミスやクリス・バーンズといった今ではレジェンドのプロボウラーたちでツーショットも撮ったりしていた。あれからもう20年、久光君は学生時代のあの時も一眼レフを持って来ていたが今日もそうだった。私は相変わらずコンパクトデジカメで今回も互いに写真を撮り合ったよ。

さらには二内科先輩のお通じDr、後輩のマキシンDr、田秀Dr、服買いDrと沖縄の琉生病院でいっしょに働いた仲間もいて、霧島市立医師会医療センターの河野嘉文院長とはバスケ部がらみでA楽Dr以下5人いっしょに写真を撮ったりした。その後、インザマウンテンという女医さんが私に挨拶に来た。いや全く知らない先生だった。彼女が挨拶の口上を述べると明らかに別のDrと私を勘違いしていることが分かった。こんな会ではままある。私も今日挨拶に来たナマテツDrを鹿屋で開業した千門Drと最初勘違いしていて話が噛み合わなかったし。彼女には一応人違いでは?と指摘したが、それではちょっと悪いので名字をじっと見つめ、同じ名字で私の知っているドクターはいないかなと考え、「インザマウンテンといったら私が知っているのはエイケンDrだけですけど関係は・・」と言うと、なんと「夫です」というではないか。へへー!そのエイケンDrって実は今まで一度会ったことがあるだけで、しかも30年以上も前の沖縄の琉生病院に遊びでたまたま来て私とも会話しただけの関係だった。いや〜、細かいことを覚えている癖がある私だが今夜はそれがいくつか役にたったな。

21時にはお開きかと思いきや意外に盛り上がって21時半まで会は続き、懇談&意見交換会の役目はしっかりと果たされ、帰りはタクシーで気分よく帰宅したのだった。

2025年5月19日月曜日

カチカチ心不全

 NHKの「あしたが変わるトリセツショー」は石原さとみがナビゲーターを務めている健康や医療がテーマの番組である。この前の放送は「心臓」だった。番組出だしで「カチカチ心不全」という名前で心臓が硬くなり正常なポンプ機能が出来なくなる状態の病気が増えていると警鐘を鳴らしていた。

『心不全は、心筋梗塞や弁膜症などの心臓病で心臓が傷ついたあとに起こる、という考えが昔は一般的でした。しかし、近年増加している心不全は、「心臓病の自覚はないのに・・・」「体に不調はないのに・・・」という人にも起こります。そもそも心臓は、血液を受け取るときに膨らみ、縮むことで体じゅうに血液を送り出します。ところが、いつの間にか心臓がカチカチになり、膨らめなくなる“カチカチ心不全”という状態になると、心臓に血液が十分に入らず、結果的に体に送れる血液量が減少してしまいます。さらに、血液の通り道で心臓の直前にある「肺」に血がたまり、漏れ出した水のせいで、呼吸困難を引き起こしてしまうのです。』

なかなか上手い導入部だと思った。これをヘフペフ(HFpEF)という専門用語で最初から語ってしまうと、理解し難い上に、もう一つの心不全ヘフレフ(HFrEF)もあるなんて言われたらいっぺんに混乱してしまう。「カチカチ心不全」とイメージしやすい言葉で語り、イラストも石のような心臓を示し見ただけで硬そう・・と分かりやすかった。
して、その原因は何か?それもNHKは分かりやすく解説してくれていた。

『この心不全を引き起こす硬い心臓を作る最大の原因は「高血圧」だといわれています。高血圧の血管に血液を送るには、その圧力に打ち勝てるほど強い力で、血液を送らなければなりません。その結果、心臓は常に負荷がかかる“筋トレ”状態に。高血圧の状態がずっと続くと1つ1つの心筋細胞は肥大化し、その集合体である心臓の壁も分厚くなってしまいます。すると、次第にコラーゲンなどにより、カチカチになってしまうのです。』

番組では一見健康そうな中年の男性5人に登場してもらっていた。全員血圧が160以上中には180を越えているが「別にどうってことないし」と語る猛者もいた。調べてみると5人中4人に心不全の兆候が現れていたのだ。またインタビューに答えていた女性も「もう少し早くちゃんと対策していたら」と高血圧を放置していたことを悔やんでいた。番組はその後早期発見するのにいい方法があるなどと、一般の視聴者にも分かりやすく興味深い話題を次々に紹介していた。

でもあんまり語りすぎると大事なことがおろそかになる。私が言いたいのはとにかく「高血圧を放置するな。薬を使ってでも早めに治療せよ」なんだ。私自身に対してもそれを17、8年前から実行している。患者さんに「動脈硬化」や「心不全」など予防になるとは言ってきたが、今度からは「カチカチ心不全」という言葉を使って説明しよう。ありがと、NHKさん。

2025年5月18日日曜日

赤坂で韓国料理を食べる

もう今日は帰る日だ。最後に集合写真を撮って、マーヤさん、ココちゃん、マーヤママを残し、昼前にセージ宅を出て電車を乗り継いで赤坂まで行き、韓国料理店で昼食を摂ることになっていた。

ネットで事前予約をカールとチッチがしており、赤坂の繁華街をうろうろし、ようやく目的の店「プロカンジャンケジャン」を見つけた。いや、ネットのマップ機能がなければスナックビルの一角にあるこの店は見つけ出すのが難しかったわ。「せっかく東京あたりまで来ているから地方にいては食べられないのがある店がいい」ってことで選んだのだとか。韓国カニ料理の店でメイン料理が店の名前になっている。
生のカニを醤油ベースの出汁に漬けて調理するものらしく↑のセージのようにチュウチュウと吸って食べる。この他牛プルコギやチジミ、カニミソビビンバ、韓国風茶碗蒸し(ケランチム)などみんなで分けて食べた。最後にプロカンジャンケジャンをセージとチッチが再度頼み、カニを食べた後、出汁やカニミソをご飯に掛けていた。いや、若いからよく食べる。支払いはカール持ちで「こんな時ぐらいでないと子どもたちといっしょに食事なんてそうそうはないから」と満足げであった。

セージとは店を出て別れ、あとはカールとチッチと「近くにTBSがあるから見てみよう」と行ってみた。局内には入れなかったがスタジオの一部を見学するのは出来た。春と秋のTBSオールスター感謝祭での「赤坂5丁目ミニマラソン」のコースの一部である「さくら坂」は通ってみた。ビルの広場ではアメリカ生まれのスポーツ「ピックルボール」を楽しんでいる人たちがいた。テニス、バドミントン、卓球が組み合わさったような競技で最近人気らしい。見ているとさほど難しくはなさそうでやれば楽しいかもと思った。
赤坂駅で地下鉄に乗り、途中でチッチと別れ、いくつか乗り換えて都営浅草線から羽田空港へと向かった。夕方18時過ぎの飛行機だったのでまだ早かったが、ラウンジでくつろぎ、こてる日記を早めに書いたりして、まあ余り時間を有効活用出来た。で、例によって出発は20分近く遅れて鹿児島空港に着いたのは20時半頃。梅雨突入の鹿児島はやはり雨模様でじめじめしていた。それに灰で少し車も汚れていた。赤坂の広場でくつろいでいたとき、「ここは灰が降らないからいいよな」とつぶやいたのを思い出した。やれやれ、それでも我が家は一番くつろげる。早く寝よう、明日からまた仕事だぁ。

2025年5月17日土曜日

ココちゃん満1歳誕生祝い

今日はココちゃんの誕生祝いをセージ宅で行った(誕生日そのものではなかったけれど、それはよしとしよう)。午前に私とチッチ以外は外に出かけ、カールとセージたちは料理に使う魚やパン、お寿司など買って来た。マーヤママもいて総勢6名が参加した。

ココちゃんは柵の中にいて準備を待っていたが、セージが「檻の中にいるとご機嫌なんだよなぁ」とニヤリ。それを聞いても私もニヤリとした。これは映画「バックトゥーザフューチャー」からのネタなんだな。料理を美味しく頂いた後は、将来の職業が書かれた札を並べ、何を選ぶかというお遊びをした。ハイハイをして真っ先にココちゃんが選んだのは・・
「athlete」!おお、将来はスポーツ選手かいな、ふふ。夜は夜でまた料理を食べ、ケーキにろうそくを飾った。ココちゃん、自分では吹き消せないがいい記念になったネ。
そうそう、今日は「こてる日記記念日」でもあった。こてる日記開始から満25年が経ったのだ。ひえぇ〜、我ながらすごい。四半世紀もネットにブログを書き続けている。今じゃー毎日が「今日のネタは何にしよう」って考えるのが習慣だ。今日みたいにイベントがあるとそれは考えなくてもいいが、書くことが多くなり過ぎるきらいもあってそれはそれで大変。ともかくも、ココちゃん、今日は楽しいネタをありがとう!

2025年5月16日金曜日

東京上空飛行

朝、カールを鹿児島空港まで送ってから病院へ向かった。桜島がえらく噴煙を上げていて、車も灰にやられ、久々に嫌な季節になりそうだわ。

今日の仕事は午前中のみで、私も15時40分の羽田行きの飛行機に乗る予定だ。ココちゃんが満1歳になりそのお祝いにセージ宅に行くのである。

午後はいったん帰宅出来ないこともなかったがどうにも中途半端で、病院で1時間半ほど過ごしてから直接空港に向かった。いつも利用する駐車場が16時以降しか送迎しない方針になったこともあって送迎無しの駐車場に車を止めた。ちょうど頃から雨が本格的に降りだし、なんと鹿児島は今日から梅雨入りだという。沖縄奄美が梅雨入りしていないのに鹿児島から入るのは珍しい。送迎車なしなので折りたたみ式傘を広げて空港へ歩いて行った。

そして飛行機は機材遅延で20分遅れての出発となった。もう最近はこうした遅延は当たり前になっているのでそんなもんだと思っている。機内はほぼ満席でしかも前線の気流の影響かよく揺れた。あんなに上下に揺れると怖いな。スマホに韓ドラをダウンロードしていたが見ることなくひたすら寝ていた。気がつけば揺れはほとんどなくなっていて、しかも外は晴れていた。下を見ると低い山模様でゴルフ場がたくさん見えた。それだけでここが千葉上空だと分かった。

機内アナウンスでもそうだと説明があり、風の影響で今回は千葉から東京24区の上空を通ってから羽田に向かうとのことであんまり通らないコースゆえ、写真をいっぱい撮った。かなり街の様子がよく見えるので面白かった。野球場や陸上競技場は大きいからそれと分かるが↓の写真を見たときに、えらく大きな陸上競技場・・いやそれにしても大きすぎると思い、よーく考えて「あ、中山競馬場!」とひらめいた。ならばその辺りは船橋でセージの家の近くだ。
江戸川や荒川、中川など見たあと、隅田川と荒川の合流地点付近を通って飛行機は南下し始めた。↓の青い水門が岩淵水門。
東京ドームは遠くに見え、新国立競技場は真下に見えた↓。
あっという間に皇居を過ぎ、東京タワーが真下に見えてこれはなかなかよい眺め。左上に薄く東京スカイツリーも見える。
それから5分もしないうちに羽田に無事着陸できた。いや〜今日は東京周辺の上空観光をタダで出来た気分でよかった。昔、大阪は伊丹空港に降りる際に大阪南部の古墳群が綺麗に見えた時と同じくらい儲けた気分だ。

ただ、羽田から品川、総武線に乗って船橋からまた乗り換えてセージ宅に着くまでに約2時間を要した。あの中山競馬場付近で降ろしてくれたらすぐだったのにーって、冗談はさておき満1歳になったココちゃんをさっそく抱っこしてすぐにご満悦になった私であった。

2025年5月15日木曜日

APCとPCA

患者は50歳代女性。このところ顔色すぐれず、ちょっとした坂を歩いても動悸がするという症状があった。職場の人にも体調が悪そうと受診を勧められ、採血を受けるとヘモグロビンが5.9と極端な貧血の所見であった。月経が多量な比較的若い女性にたまにこうした出血性の貧血があるが、その人はすでに月経はない。となると消化管出血、胃や大腸に出血性の潰瘍、あるいは腫瘍が隠れていることが多い。

で、胃カメラを実施すると、潰瘍や腫瘍はなかったが、毛細血管の集まりのような所見が4、5ヶ所あった。一見それほどの出血源には見えないが、意外なほど出血を来すことが多く、これが原因と思われた。試しに内視鏡から送水を行うとじわぁ〜と出血をし、やはりこれが犯人だった。

そこでAPC(アルゴンプラズマ止血)を実施した。毛細血管をアルゴンガスで焼却するのだ。最近のこてる日記では放射線治療後の直腸に出来る毛細血管出血治療でこのAPCをよく紹介している。この患者さんは放射線治療はなにも受けていないが体質なのか胃の粘膜に毛細血管腫が散在していた。
上の写真のように粘膜表面を焼くと血管そのものがつぶれて潰瘍化する。それが治ると出血しなくなるのだ。これを他の毛細血管腫にも行った。そして採血では鉄もかなりの低値ゆえ、鉄剤を処方した。しかし鉄剤では胃がもたれ吐き気がするとのことで点滴の鉄剤を行った。1ヶ月もすればかなり正常値に近づくはずだ。

このAPCという手技、最近の内視鏡治療には欠かせないものだ。動脈性の出血には合わないが毛細血管系の出血に本当に役立つ。似たような略語でメジャーリーグのシカゴ・カブスにPCAという選手がいる。正式にはカブスのピート・クロー=アームストロングという名で俊足巧打で活躍中の外野手だ。3月の東京ドームでの対ドジャースとの開幕戦にも出場し日本人にもその名を覚えられた。APCはそれが出てきて約30年くらいになるが、PCAはまだ23歳で1年くらい前にメジャー昇格し、今年ブレイク中の若手だ。東京ドームシリーズでは奇抜な髪の染色でも話題になった。
この2つ、略語は似ているが全くの別物だ。ただ私の中では最近活躍中という点で単に似ているということ以上に共通点があるのだった(笑)。

2025年5月14日水曜日

パンチングするネコ

ネコってなぜかパソコン作業の邪魔をするんだよねぇ〜。ゲンちゃんもハナビもパソコンにスリスリするしモニターの前に陣取ろうとする。

もうやってられないからって閉じると、そのままM2 MacBook Airの上にゲンちゃんが座って「え、どうかしましたか」って↑ね。

ここでハナビもいると何かしら緊張関係が生じるので居間から追い出して廊下に出しておいた。すると、立ち上がって「入れてくれぇ〜」とドアを叩くんよ。

ハナビはガラスの代わりに付けている透明のクリアファイルをボクシングのパンチングよろしく叩きまくるんだ。あんまりうるさいんで根負けしてドアを開けてあげるんだが・・。
しばらくすると「ミャ〜」と出してくれぇと騒ぎ、また廊下に出しての繰り返しになるのであった。