2019年8月11日日曜日

還暦同窓会

鹿児島中央高、卒後42年ぶり13期生の還暦同窓会がホテルウェルビューかごしまで開かれた。カールに送ってもらい少し早めの午前11時前には着いたつもりだったが、すでに2階ロビーには多くの同窓生がいて久しぶりの再会にあちこちで会話の花が咲いていた。

会費を払った後、予約注文していた赤い還暦Tシャツを購入したものの着替えずアロハシャツのままで過ごした。アロハも今日おろしたばかりのおニューだったし、セカンドバッグに入れられるのはTシャツで元々家での夏の部屋着にしようという魂胆でもあった。会が始まる前に恩師らと各クラスの写真撮影があって、私は6組で5組が終わるのを待っていた。すると4組だった吉俣良が撮影後にやって来て私と立ち話になった。吉俣はついこの間KTSでかつての通学路と高校をぶらり歩くという新番組に出たばかり。その流れなのかKTSがTV取材に来ていたようだ。ピロリ菌治療の話や弟のよし俣とよしげがTV番組で青雲会病院に来た話などすぐに5分は経った。気が付けば6組の写真撮影は終わってしまって結局クラス写真には入れなかったよ〜。
恩師の一人は生物の福田晴夫先生で、青雲会病院の山守先生とは蝶採集の師弟関係もあり事前によろしくをいわれていた。森千吉先生には高1の時に地理を習った。先生は現在83才くらいとはあの頃は40才くらいだったんか。今の私よりずっと若かったんやな。そうこうするうちに会が始まり、司会はよし俣とよしげ(中央20期生)で、幹事のトンガや恩師で最高齢の安楽先生の挨拶があり、さらに京都は相国寺の矢野謙堂和尚ともネット動画で繋がり(矢野が旧姓安田さんを好きだったらしいとは初めて知ったぜ)、ダンサー現役の酒匂加代子さんの乾杯音頭でこの後一気にわいわいがやがやとなった。

私は小中高いっしょだった純馬とそれこそ30年以上ぶりに会ったのがうれしかった。現在は大隅方面に住み、小学校の校長をしているそうだ。年齢からして来年は定年だな。そういえばすでに定年を迎えた会社員も何人かいた。「医者には定年はないの」と聞かれ「ない」と即答したが、それっていいことなのかきついことなのか。寿命も体力も50年前とは大きく伸びた現代日本では「いいこと」なんだと思おう。当時の中央高は基本男女別クラスだったので女子には知り合いがやや少ない。その中では福瞳さんとは小中高いっしょで家もすぐ裏側にあったしで久々の再会を喜んだ。今は関東に住んでいるとのことでLINE交換もして後で写真も送った(当然、シミやシワは修正してネ)。中順さんは私が高校の時に好きだった人が在りしのさんだと知っていた。しかし在りしのさんは「GODENと付き合っていてさ〜」と私がぼやくと「あらまあ、私、そのことをさっきまで黙っていたのよ(こてる君、ちゃんと知ってたのね)」なんて会話もあった。GODEN(彼も今は校長先生)は参加していたが在りしのさんは不参加だった、ちと残念。

会は進み、幹事連中の愛好歌「たいせつ」のダンス、みんなで校歌斉唱などもあり一次会はあっという間に過ぎた。二次会は場所を天文館のキャパルボホールに移した。180人ほどの参加のうち半数以上は二次会にも来たんじゃないか。ここでも2時間はあっという間。舞台では最近習っているというタップダンスやかつての恩師の物真似を披露する同窓生らもいて笑いを誘っていた。で、朝から夕方まで7時間以上経過して少しお酒も飲んだのにちっとも眠くならずに過ごせたのは驚異だった。同窓生に遠慮なし、楽しかったわ。ただ、さすがに三次会には行く元気はなく、その後は帰宅した。

これほどの規模の同窓会は徐々に物故者も増えてくるだろうしそれぞれの住まいから離れがたくなるだろうから今後はそうそうはないだろう。それでもまた会える日を!

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