2019年6月8日土曜日

「里の秋」

ひょんなことから童謡の「里の秋」の由来をネットで知った。いや、唱歌童謡好きの私ゆえ、おおまかには知っていたが、歌の作られた具体的ないきさつは今回初めて知った。以下、ブログ「二木紘三(ふたつぎ・こうぞう)のうた物語」から紹介しよう。まずは「里の秋」の歌詞を下に載せる。

「里の秋」作詞:斎藤信夫 作曲:海沼 実 唄:川田正子(まさこ)

静かな静かな 里の秋
お背戸(せど)に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります


問題は3番の歌詞だ。里の秋の情景だったはずが、突然「椰子の島」が出てくる。そして家に母と子が二人残されていて父の帰る無事を祈るとは・・。そう、これは終戦直後に作られた歌で、「NHKが復員兵や引き揚げ者たちを励ます特別ラジオ番組を企画し、その中で流す歌の制作を音羽ゆりかご会の主宰者で作曲家の海沼実に依頼した」ものなのである。放送が昭和20年12月24日と決まっていて曲を依頼されたのがわずか1週間前で、焦った海沼は、何か適当な詩はないかと、古い童謡雑誌を引っ張り出して次々と調べ、目にとまったのが、斎藤信夫作『星月夜』という童謡だった。それを見た海沼は行けると直感したが、1番2番はいいものの3番4番は絶対に使えない詞だった。そこで作者の斎藤信夫に電報を打ち、歌詞の変更を依頼し、放送本番直前に間に合わせたのである。

昭和16年12月に作られた元の歌詞の3番4番はこうだった。

きれいなきれいな 椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ 父さんのご武運を
今夜も 一人で祈ります

大きく大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ僕だって
必ず お国を護ります

もろに軍国主義まっしぐらの内容だ。作詞者の斎藤は教員で戦前戦中は軍国主義を素直に信じ、生徒たちに神州不滅と教えていた。で、そのことを恥じ、小学校教師を辞める決意をしていたそうだ。斎藤は簡単と思った歌詞の変更にはいろいろと思い悩み、すぐに放送当日になり、あわてて3番だけ書いてNHKに駆けつけ、童謡歌手の川田正子を連れて待ちかまえていた海沼に渡した。題名は、海沼の注文で『里の秋』と変えられ、曲はすでにできていたので、海沼は正子に詩を渡して練習させたあと、放送に臨んだ。

特別番組は「外地引揚同胞激励の午後」と題して、昭和20年12月24日午後1時45分から放送された。『里の秋』に対する反響は驚くべきものだった。正子が歌い終えると、「スタジオ内はシーンと静まり返り、その場にいた全員が心が浄化されるのを感じた」と、放送に立ち会ったあるスタッフは語っている。そして、放送が終わったとたん、局内の電話がいっせいに鳴りだし、翌日以降も、電話による問い合わせや感想の手紙が殺到した。一つの歌にこれほどの反響があったのは、NHKでも初めてのことだったそうだ。

戦争が終わって半年、まだ復員していない兵隊さん、外地民間人は何百万人もいた。シベリア抑留の事実を外務省が知ったの翌昭和21年のことだから外地引き揚げに多くの日本人が関心をもっていたのである。そこにこの「里の秋」だ。反響が大きかったのも当然かと思う。ただ作詞者の斎藤は「戦地で亡くなった身内を持つ家族には3番の歌詞は逆にとてもつらく感じた」と聞き「3番はない方が良かったか」と思っていたそうだ。私はそうは思わない。この歌は3番まで聴いてこそ価値があると思う。軍国主義だった歌が家族の情愛をしみじみ歌い反戦歌にすらなっている。私は泣けたよ。

ネットでは川田正子のほか、倍賞千恵子、白鳥英美子、芹洋子、鮫島有美子などの歌唱が聴ける。女性が歌うにふさわしい歌だね。本家川田正子の歌を↓にどうぞ。

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